ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:58歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

»くわしく見る
2016年09月18日(日)
相模原の事件をめぐって 9月17日 その6
 最後に、この日の提案者、Kさんに戻りました。

 ありがとうございます。今日はこの話をしようとはりきってきてよかったです。もちろん気持ちは全然晴れていませんが、僕たちが力強い気持ちで話さないと誰もこのことはわからないと思ってきたのですが、知的障害者の誇りが、ばかにした人を見つめ直すことだというのは、僕たちにしかわからないことなので、ほんとうに素晴らしい考えを聞かせてもらったと思うし、僕もそこにいちばん感激して声を出しましたが、やっぱり僕たちの目が澄んでいるとみんながよく言ってくれたのは、実は、そういうばかにする人のまなざしに対して、こちらはこちらで澄んだまなざしを投げ返すことをがんばってきたからです。だから僕たちは、まっすぐものを見ることを、反面教師のようして学んできたので、今回も僕はあの犯人をしっかり前から見つめ直したくてしかたありませんでした。みんなは一生懸命見つめ直したのだろうけれど、彼には届かなかったのでしょうけれども、僕はみんなでもう一回しっかりと見つめ直して、彼がまちがっていたことをしっかりと理解させてあげないと、何だか、あの人はおかしいやつだから僕らを殺したけれど、考え方自体はあまりまちがっていないと思っている職員はいるので、そういう職員も含めて、考えこそがまちがいで、殺したことなどある意味では、どうでもいいとは言えないけれど、重要なのは、大勢の人がそういう考えを持っていることなので、そのことに対する反論をきちんとしようと思います。先生もさすがに言葉を失いかけた先ほどの台詞こそが僕たちにしか言えない台詞なので、そこだけでもいいからきちんと記録としてとどめておいてほしいところです。
2016年9月18日 22時32分 | 記事へ | コメント(0) |
| 相模原の事件 / 人権侵害 |
相模原の事件をめぐって 9月17日 その5
 次の話をしたのは、40代のSさんです。今回初めて参加した方でした。

 私も、この夏中実は無力感しか考えられなかったのですが、こんな風にきちんと意見を言う人がいるのだと目の前で見てとても勇気が湧いてきたので、実はどこかで考えていたにちがいないから今浮かんできているのですが、今浮かんでいる考えをきちんと言いたいと思います。私は今はこれほどまでに医療的ケアが必要な体になりましたが、もとはもう少し体も動いていたわけですから、よく人から重度の知的障害と言われてきました。その辺は少しだけ、重症心身障害と小さい頃から言われてきた人とは、違う側面を持っていて、その体験の中にあるのは、実はさっきどこかで話されていたように、私だけはいつも天使という言い方とは別の言い方をされていて、天真爛漫とかは言われるけれど、結局は何もわからないでにやにやにやにやしているという感じの蔑まれをしてきたということです。仲間だからいいと思いますが、やっぱり、K君と私の間に共通点があるとすると、そういう風に人から見られるということですが、それは決して悲しいことではなくて、そういう風に見ている人たちのことをもう一度純粋な目で見返すことができるということなので、私たちはいつも間違ったことはしていないのだから、しっかりと前を向こうと思い続けて来ましたが、今回犠牲になった人たちはたぶんそういう人たちなのだということがわかっていました。別に重心と言われる人たちに失礼はないと思うのでいいと思うのですが、重心と言われる人たちがどちらかと言うと本当に何もできないほうが強調されるのに対して、私たちは何もわからずににこにこしているという言われ方をしていたのですが、その人たちが殺された時の報道があまりにも残酷で、一度だけだったですが、確か一度だけだと思いますが、何もわからないままに殺されたという言葉を聞いた瞬間に、それは違うと思いました。それまでずっといろいろなことを考えて生きてきたし、その瞬間私はちょっと怖いことなので、母さんには、耳をふさいでおいてもらいたいようなことですが、私は首に刃物を当てられた瞬間に、その人はどうぞと言ったと思います。だってそういうやいばのようなまなざしを何度も向けられては、私たちは何度もまっすぐ前を見返してきたので、もちろんとても怖かったとは思いますが、決して目をそらさなかったのではないかということが私が必死で思ったことでした。もちろん現実は怖くて怖くてしかたなかったことがほとんどだったと思いますが、心の中に私を軽蔑する人を絶対にまっすぐ見つめ直すという心があったはずなので、そのことを誰も言わないから私は一人で悔しがっていたのですが、私はそのことを今言葉にしたので、またどこかで紹介してもらえればと思いますが、そんなに怖い話なのですね、やはり。私はやはりそういう強い思いをみんな持っていただろうから、例えば、あの犯人を許すか許さないかといった時に、まっさきにあの亡くなった人たちは、いいから許してあげなさいと言うと思いました。なぜかと言うと、私たちは何度も何度も許せないような目に合わされてきたのですが、それを一つ一つ結局は許してきて、もちろん許すことによって何が得られれたかというと、私たちの心が醜くならずにすんだというでしたから。本当に人は人を憎んでしまうと自分が情けなくなるということをよく知って生きてきたので、今回のことは、亡くなってしまったから許しようもないことなのですが、きっと私なら許すという思いだけは捨てないと思います。それを捨てないということが私たちのもっとも大切な私たちの誇りのようなものですから、今回の事件でもしあの人たちに語る時間があったなら、私たちは許しますから、どうかみなさん死刑にだけはしないでくださいと言うのではないかと思ってきました。さすがにここまで言えるのは同じ立場の人間だけですが、そういうことをきっと誰も知ることもなく、この事件は闇から闇に葬り去られるのだと思っていたので、言うことができてよかったですが、この辺の話は、わかる人にしかわからないと思いますが、母がちゃんとうなずいてくれるのが私にとっては、高らかに誇りたいことになります。やはり、こういう思いで生きてきたから、私は誇りを少しもなくさずにきたわけですから、そういうことをしっかりと理解できる人には伝えたいと思いましたが、こんな話までしているとは夢にも思いませんでしたから、本当に驚いてしまいましたが、みなさん同じように考えて生きているわけですから、言葉を話せるのだったら当然語るのが当たり前なわけですよね。私は、今回の事件のことは悲しすぎて言葉にできないと思ってきましたが、やはり話せるとなると、きっちりと話さないと、私たちの、いつも相手をまっすぐ見つめ直してきた生き方に反する気がしたので、しっかりと言わせていただきましたが、本当に不思議な不思議な経験です。まさか生まれて初めてすらすら話す話がこんな話になろうとは思いもよらなかったので、ただただ驚いているところです。
2016年9月18日 22時29分 | 記事へ | コメント(0) |
| 相模原の事件 / 人権侵害 |
相模原の事件をめぐって 9月17日 その4
 次に発言したのは、重症心障害と言われるTさんです。

 私はK君がさっそくその話をしたので胸がうたれました。なぜなら、私はやはり今回の事件でいちばんつらかったのは、せっかく私たちは話せるようになったのに、まだ世の中の理解では、私たちは何もわからない人間とされてしまうので、なくなった人は永遠にもう、言葉がある人間としては、認められない気がしたからですが、K君の言うことを聞いていて、私たちが主張すれば名誉が回復できるのかもしれないと思いましたから、絶望だけしていてはいけないと思いました。でもまだ届かないかもしれないのですが、ここで黙らなければ、いつかそのことが振り返られる気もするので、5年経っても10年経っても言い続ければ、その人たちの名誉をいつか回復できるのかもしれないと思いました。でも、K君も言ったように、そんな難しいことの前に母さんたちは、すてきな思い出をテレビカメラの前で語るべきだったと思います。顔は出さなくていいし、名前も出さなくていいのですが、やはり同じ人間として、豊かに生きてきた体験をお母さんならではの言葉で語ってほしかったと思いました。確かにこういうやり方があれば、言葉があったことを証明できますが、母さんたちにとっては、言葉あるないは関係なく、一人の人間としてとても素敵な思い出や経験をしてきたわけだから、それをしっかり言わないと犯人どころではなくて、世の中の人がまったく理解してくれない気がして、それがつらかったけれど、どうしていいかわからなかった時に、K君の言葉がやっぱりとても説得力があって、私はじいんと来ました。だから、世の中の人は、名前を出す出さないの議論よりも、思い出をきちんと語るべきだという方向で、そのことを実現してほしいです。私はきっとお母さんも名前を出さないだろうなと思いました。なぜなら、どうせわかってもらえないことがわかっているから、出してもいいけれど、出したってわからないという思いがそういう時は、強くなる気がしたので、私は、出すべきか出さざるべきかと問われてしまったら、家族は出さないでほしいというに違いないと思いました。ただ、世の中の人は当然出すべきだという考えをもとにして考えてほしかったと思います。だから警察の人が、そのまま出してしまえばよかったのにと今は思っています。そうすれば、家族はそれをきちんと受け止めて、きちんと話したにちがいないけれど、聞かれてしまったら、私も私の母さんも出さなくていいと言いそうな気がします。何かしても理解されなかった時のあのどうしようもない空しさを知っているから、聞かれたらちょっと出したいとは言えなかったのではないでしょうか。そのことをK君の言葉から一生懸命考えさせられてとても不思議な感じでしたが、これが対話というものなのだなあと思いました。私がこの一ヶ月間ほとんど無力感のままだったのに対して、何かきちんと言わなければという言葉は、さすがだなあと思いましたし、そのおかげで私も無力感を少しだけ越えることができたなあと思います。だから、この言葉を私の意見として、今日は伝えて申し訳ありませんが失礼することにいたします。いい意見が言えてよかったですが、別に家でまとめて来たわけではなくて、K君のおかげで考えられたので、本当に来てよかったです。家であの話を聞くともう悲しくてただ無力感だけでしたが、ちゃんと考えなくてはと思うことができてよかったです。
2016年9月18日 22時26分 | 記事へ | コメント(0) |
| 相模原の事件 / 人権侵害 |
相模原の事件をめぐって 9月17日 その3
 Kさんの意見を受けて、いわゆる重症心障害と言われるYさんが発言しました。

 さっきの事件については僕も言いたいことがいっぱいあったけれど、今日はこれで失礼しますが、今の意見がとても胸に響いたのは、やっぱり僕以上に立場が近いからだなあと思いました。僕たちもほとんど同じですが、やっぱり僕が行く施設とは違うらしいことはわかったやまゆり園という施設の名前でしたか、あそこに入る人は確か医療的ケアはない人で、けっこう歩けている人だと思ったのですが、ちょうど今お会いした先輩は、そういう立場に近いからもっともっと共感して意見が言えてるのだなあと思いましたが、意見はほんとうに似ていますが、何だか今の語り方の方が数倍胸に響いてきたのですが、思い出話をした方がいいというところもとても感銘を受けました。

 次の発言したのは、中途障害のRさんです。

 僕はやっぱり、僕じゃない誰かが話すべきだと思っていたのですが、重い障害の人の間の違いはあまり気づかなかったのですが、確かに重心の人と重度知的障害者の間の違いがちょっとだけ気になったのですが、重心の人がわからないと言われる時の語られ方の感じと、知的障害者の人がわからないと言われる時の感じの中に、僕ははっきり言っていいと思うけれど、重度の知的障害者の人に対する言い方の方が、より軽蔑がこもっているような気がしたので、そこのところをたぶん今言おうとしているのだと思いますが、重心の人のわからなさは、わからないとは言いつつも天使のように扱われるのに対して、重度の知的障害者でかつ行動の面で障害のある人は、さっき帰っていったH君たちは、天使などとはぜったいに言われなくて、何か、それこそ厄介者にように言われやすいので、そういう視点で今言っている部分があるのかなと思っていましたので、やっぱりいちばん立場が近い人がしっかり語るべきだと思ったのと、僕は中途障害なのでやはりその辺のしゃべり方は、筋金入りではないので、ここはやっぱり、本来話すべき人が話せばいいと思っていたのですが、まさにその話が出てよかったですが、H君は何か書いていったのですね。だから、僕は、今回の事件の話はきっと誰かが今日するだろうと思っていたのですが、まさに話すべき人が今話しているという気がしてなりませんので、ぜひみんなにもう一回聞こえるように話してくれればいいし、2回話せば2回目はまた話は変わるだろうから、ぜひよろしくお願いします。
2016年9月18日 22時20分 | 記事へ | コメント(0) |
| 相模原の事件 / 人権侵害 |
相模原の事件をめぐって 9月17日 その2
 その1で紹介したHさんがパソコンで気持ちを綴って帰られた後、5人のメンバーでこの事件について語り合うことになりました。20代で話すことはむずかしけれど、歩行は可能な男性のKさん、中途障害で体を自由に動かすことが困難な20代の男性Rさん、生まれつき寝たきりの障害のある20代の男性Kさん、同じく生まれつき寝たきりの30代女性Tさん、現在は寝たきりの状態ですが、もう少し以前は動けていたという40代の女性Sさんです。指筆談による語り合いなので、それぞれの意見を分けて紹介したいと思います。
 まず、最初に口火を切ったのは、Kさんです。

 僕が今回の事件でいちばん悔しかったことは相変わらず僕たちはなんにもわかっていないと言われることですが、僕が言われるのならいいですが、亡くなった人が言われるのが耐えられなくて、何とか誰か亡くなった人たちの名前が出るかどうかよりもあの人たちがほんとうはどういう理解をしながら生きていた人なのかをきちんと理解してほしいと思っていますが、なかなかむずかしいようですが、僕はそれをしないとこの事件のいちばん大事な事柄がわからなくなると思っています。だから、きちんと僕は今日言いたいと思ったのは、僕たちにもちゃんと言葉があるように、あの施設で亡くなった仲間たちにもちゃんと言葉があったんだよということです。その上でもう一度あの人たちの死を、名前は隠してもいいけれど、例えば写真だけは出したり、写真もいやならそれでもいいけれど、すてきな思い出をもっと語ってほしいと思いました。すてきな思い出は必ずみんなあったはずなので、そういうものを語りつつ、実はほんとうはすべてを理解していたというふうに理解してあげないと、やはりあの人たちの魂は永遠に安らぎを覚えることがないような気がしています。だから僕はとてもこの一ヶ月あまり、つらい日々を過ごしてきました。この手が落ち着かなかったのもそういう理由によります。だから今日はそのことを言いたくて来ました。
2016年9月18日 22時11分 | 記事へ | コメント(0) |
| 相模原の事件 / 人権侵害 |
相模原の事件をめぐって 9月17日 その1
 都内である自主グループの集まりがあり、参加者は相模原の事件について、語りました。最初のHさんは、自分の思いをパソコンで表現しています。Hさんは、都内の通所施設に通う20代の男性ですが、歩行が可能ですが、自由に話をすることはできません。その意味では、重度の知的障害のある方と言われています。

 だんだんみんな忘れ始めてきたけれど私たちにとってはとても重大な出来事がこのまま忘れられては困るのできちんと書いておきたいと思います。わざわざ私たちを同じ人間ではないと言い張って仲間を殺した容疑者をなぜ誰も説得できないのでしょうか。私たちにはきちんとした思考もあるし、当然生きる価値もあるのは当然なのに、どうしてもずっとニュースを聞いていると私たちには思考がないかのように報道されているようで、それがとてもつらいです。みんな僕と同じように、うまく話せなかったり、うまく行動できないだけなのに、そのことを何も語られないのでとても辛いですが、亡くなった人が一番悔しいのではないでしょうか。わずかな救いは小さい会でもこうしてそのことを話せる人がいると言うことです。世の中に伝えたいけれどまだまだですね。私たちは決して何もわからない障害者なんかではありません。ぜひこのことを伝えたいですが何とかなりませんか。よい方法があったらなあとつくづく思います。
2016年9月18日 22時02分 | 記事へ | コメント(0) |
| 相模原の事件 / 人権侵害 |
2016年09月14日(水)
相模原の事件をめぐって 9月13日
 ある通所施設でお会いしているまちこさんは、お会いするなり、時折、涙をぬぐいながら、このような文章と詩を書きました。

 長い間泣き続けていましたが、ようやく話せてうれしいですが、私はまだまだ悲しみが癒えません。津久井やまゆり園の事件以降、私はまったく夜に寝られなくなりました。どうしても仲間のことが悲しくて、もう一度時間を逆戻ししたくなりましたが、どうしようもありません。つい昔のことを思い出すとまったくそんな不安はどこにもなかったのに、呼んでももう返事は返ってこないのだと思うと、夢でいいから亡くなった人たちにはもう一度戻ってきてほしいと思います。
 ずっとそんなことを考えていたらとても悲しくなってきたのは、津久井やまゆり園の人たちにもみんな言葉があったはずだと気がついたからです。理解のできない人を殺したということだったけれど、ほんとうはみんなすべてを理解していたのではないでしょうか。だからずっと悩み続けています。なぜそのことについて誰も新聞やテレビで語らないのでしょうか。私はとてもつらいです。犠牲者の魂が泣いているのではないでしょうか。もっと亡くなった人たちにも言葉があったのではないかと議論をしてほしいです。わざわざ何もわからないうちになどという説明を聞くと、何だか私たちにもその言葉は向けられている気がしてつらいです。だからみんなの魂にほんとうの安らぎを取り戻すためには、ほんとうの姿を語る必要があると思います。みんなでよい安らぎを犠牲者のみなさんにもたらすためには、一人一人のかけがえのない人生を追求する必要があると思います。だから私は詩を作ってきました。

やまゆりの花がいっぱい咲き乱れる山奥の森で
ランプのあかりが消えた
まっくらな森の中で私はひとり迷い
暗闇より聞こえてくるやまゆりの悲しい声を聞いた
みんな私たちにはじっと耳をすませば
涙ながらに抗議する声が聞こえた
私たちには言葉があるのに
誰もそのことに気づくことなく
私たちはもう闇の中に消えていかなければならない
だからどうか私たちの叫び声に耳をすませてほしい
私たちを暗闇にそのまま置き去りにしないでほしい

 こんな詩ですがどうかどこかに発表させてください。悩みは尽きないけれど詩を書けてほっとしました。

2016年9月14日 07時02分 | 記事へ | コメント(0) |
| 人権侵害 |
2016年09月13日(火)
第2回介助付きコミュニケーション情報交換会 開催のお知らせ
第2回 介助付きコミュニケーション情報交換会 開催のお知らせ

 去る7/23に二松学舎大学で開催された「介助付きコミュニケーション情報交換会」はご家族はもちろん、支援者の方々と「介助付きコミュニケーション」の体験や練習、また、障害そのものの悩みや情報交換といった会の主旨に合った内容の濃いものになりました。
そこで、実行委員会では、第2回目の開催を考えております。前回、参加された方はもちろん、初めての方・全く経験のない方も大歓迎ですので、ぜひ、お気軽にご参加ください。


日 時  2016年9月24日(土)  13:00~16:00
場 所  二松学舎大学 1号館13階 ラウンジ
(地下鉄半蔵門線・東西線・都営新宿線九段下駅下車。なお、前回  の3号館とは場所が異なりますので、ご注意ください)
内   容  ・介助付きコミュニケーションの紹介や体験
       ・介助付きコミュニケーションを実施している方同士の情報交換
       ・当事者同士の意見交換
                          他


お申し込み  参加を希望される方は、下記のメールアドレスにお名前・ご住所・ご所属を添えてお申し込みください。なお、参加者の概数を把握するために9/17までにお申込みいただければ幸いです。
会費は無料です。
 

問い合わせ先  johokokankai@gmail.com   
介助付きコミュニケーション情報交換会・実行委員会
             (三好・改田・赤崎・栗山)
2016年9月13日 21時41分 | 記事へ | コメント(0) |
相模原の事件をめぐって 9月12日
 Fさんは、何度か仲間とこの問題について話し合ってきたのですが、そのことをもとに、次のような文章をまとめました。「言葉があるかどうかで現実には大きな壁がある」との考えから展開されている意見はたいへん厳しいものですが、私自身がうまく言い当てられないことをある側面から的確に指摘したものだと思いました。

 なんであんな事件が起こったのかきちんと考えたくて何度かみんなで話してみたけれどなかなかわからなかったのは人間なのにどうして人にも人を殺せるような残酷な心がひそんでいるのかということでしたが、理性をなくしてしまうとそういうものなのかととても寂しい気持ちになりましたが、改めてまた人は理性があるから様々な損得をかえりみない尊いことができるのかもしれないと思いました。よい心という言い方ではとても説明できない複雑な心がこうした福祉などを根本から支えているので、もっとそういうことに理解を深めようと思いました。
 容疑者もそういう複雑な理想が何かの拍子にくるってしまったということなのかもしれないから、ずっと悩んだ末のものだったのかもしれません。理解者や相談相手もいなかったのでしょうね。
 ところで僕が今回わざわざ目を向けさせたいと思っていることは、被害にあった仲間のことです。人間だからみんな同じだという言葉はたくさん語られているけれど、まったく無視されているのは、被害者にもきちんとした言葉があったのではないかという可能性について何も語られないことです。人間なら別に言葉があってもなくても関係ないというのは正しいかもしれませんが、僕は言葉があるかどうかで現実には大きな差別があることに目をつぶるわけにはいきません。なぜなら、どうしても人間だけど人間より少し劣った存在という理解を容疑者も世の中の人も話ができる障害者もしていて、まるで僕たちはかやの外に置かれているのではないかと思うし、理想だけ語ればそれで容疑者には十分だと言わんばかりの論調の背後で、僕たちはまた差別の厚い壁の向こうに追いやられてしまうのです。だから何としても亡くなった仲間たちの尊厳を回復して、僕たちが差別の壁をみずから壊さない限り、この事件の本当の解決は得られません。

2016年9月13日 08時48分 | 記事へ | コメント(0) |
2016年09月12日(月)
相模原の事件をめぐって 9月11日
 8月16日に書かれた言葉を紹介した田所弘二さんの言葉です。

 だんだん事件が風化し始めましたが私たちのだんじて理解は深まっていないことが尋常なことではないと思います。誰より僕たちは彼らに近い立場に立っているので強い気持ちで逃れられないまま亡くなった彼らへの鎮魂の意味も含めて主張したいと思いました。
 ぬくもりがない施設だからというのではなくぬくもりのあった施設だったからこそ犯人はまちがった考えになったのではないでしょうか。なぜなら無駄なことを知っている施設ではなく無駄ではないことを知っていた施設の職員の献身的な態度を見た容疑者がどうしてもそういう態度に納得ができなくて容疑者になってしまったのではないでしょうか。
 ご覧の通り僕は体も動かすことができず言葉も話すことのできない人間ですからみんなからは何もわからない人間だと思われていますが本当はもろもろのことをよく理解して生きていますがなかなかそのことはわかってもらえません。だからこそ亡くなった仲間もまたそういう人だったにちがいないと確信をもって言えるのです。何度も敏感な心でそのことに思いをめぐらせたのですが結局同じ結論にたどりつきました。それは彼らもきっと言葉を持っていたにちがいないという結論です。
 だから僕はどうしてもこのことを心の底から叫びたいのです。そうしないと亡くなった仲間は無念の思いも晴れないのではないでしょうか。私たちは力いっぱい叫びたいです。万感の思いで亡くなった仲間の鎮魂のために。

2016年9月12日 09時06分 | 記事へ | コメント(0) |
| 相模原の事件 / 人権侵害 |
相模原の事件をめぐって 9月10日
 やまゆり園の事件について、高校3年生のF君は俳句を用意していました。

淡々と過ぎゆく夏に百合散りぬ
百合散りて仲間の理解深まらず
わざわざに悪き人間演じたり
人生はそんなに軽くないものを
わずかな灯我を照らすは友の良さ
わだかまる気持ちをつんざく悲鳴あり
 わだかまる心とは理解されなかった不幸な日のことです。
未来消え百合は花びら山に散る
未来積む津久井の山の赤土に
わだかまり消えることなし津久井湖に
ずんずんと山百合求め山奥に
罠に落つ犯人救え百合たむけ
わだかまりわだかまるままとどめずに
わずかな灯ひわなわなと泣く世の人に
わずかな輪なぜ強まらぬ夏行きぬ
わだかまる心を溶かす赦しのみ
わだかまり世の中をまだ解かぬまま
理解まだ深まらぬまま過ぎる夏
わずかな目真実を見る山百合と
2016年9月12日 08時49分 | 記事へ | コメント(0) |
| 相模原の事件 / 人権侵害 |
2016年09月10日(土)
第2回介助つきコミュニケーション研究会のお知らせ(再掲)
 第2回介助つきコミュニケーション研究会を11月19日に開催させていただきます。
(一部の方には、9月開催の予定と申し上げましたが、会場の都合等で、この日になりました。)
 
1.日時 2016年11月19日土曜 午後1時〜5時
2.場所 國學院大學横浜たまプラーザキャンパス411教室

 前回はきんこんの会の公開シンポジウムとの2本立てで行いましたが、研究会自体を当事者も主体的に参加することが可能であることがだ1回の経験を経て明らかになりましたので、研究会に1本化することになりました。
 詳細はあらためて後日、告知させていただきます。
2016年9月10日 10時17分 | 記事へ | コメント(0) |
2016年09月03日(土)
相模原の事件をめぐって 8月16日 追加
 ブログで紹介した田所弘二さんの考えに興味を持ってくださった方とのベッドサイドでの対話の記録です。対話の後に私が聞き取った「死刑について」の言葉は、すでに紹介しました。

  犠牲になった仲間達へ

馬鹿にされようとも気高く生きた人たちよ
天国でこの事件の推移をじっと見守っていることだろう
わざわざ世の中に訴えないとあなたがたは何もわからない人たちが何もわからないまま殺されたことになってしまう
だけどそれではあなたがたの命はむだに失われたことになってしまう
私たち残された者たちは声をふりしぼって叫ぶ
みんな深い思索に満ちた良い人生を生きていた人たちだと。


(出生前診断について)
 生まれる前と生まれたあとの違いをどう考えるかだと思いますが僕は法律的には違うのはわかっていますが私たちにとっては生まれる前の命と生まれたあとの命に違いをつけることはできません。分不相応と言われようとも両者には違いはないと言いたいです。だってもし楽な人生だけが幸せなのならみんな生きていても何の喜びもないはずです。オリンピックもパラリンピックもあえて困難を乗り越えるから喜びがあるのでしょうから。
(障害者を排除する考えについて)
 人間はみな平等だというけれど私たちは何もわからない人間と言われてきました。でも何とかして私たちの声を届けようと努力してもなかなかわかろうとしてくれる人は少ないです。それは私たちなどほんとうはまちがって生かされているという本音があるからではないでしょうか。どうしても私たちも同じ人間だと考えようとしてくれる人はすぐに理解してくれましたがほんとうに少なかったです。
 実際に私たちの目の前でどうどうと言う人は医者の中にも教師の中にもいました。でもどんなに無視されてもずっと私たちに寄り添おうとしてくれた人も少ないけれどいました。だから私たちは両方の考えが世の中の本音だと知っています。僕のヘルパーさんなどまったく無名の人ですが天使のような人です。
(正しい理解はどうすれば生まれるか)
 わかりやすくいうと私たちともっと一緒に時間さえ過ごせば逆転は起こらないでしょう。なぜなら私たちも同じ人間だということは感覚的にわかるはずだからです。しかし今回は施設の職員だった人なので正しい理解も必要です。何もわからないという考えを改める必要があります。もちろん可能性としては言葉のない人もいるはずですから言葉がなくても同じ命だという考えも大事ですがまずは誤った認識だけは改めてほしいです。
(容疑者のような考えはどこから生まれるか)
たぶんいい考えに接してきたかどうかが大きいと思います。けっして生まれつきではないはずです。ぐんぐんよい考えは減っていこうとしているので私たちががんばらないと世の中全体がおかしくなってしまうと想います。理解者が増えるとよい考えも増えるのでわずかながら世の中はよくなると思います。
2016年9月3日 11時19分 | 記事へ | コメント(0) |
| 相模原の事件 / 人権侵害 |
相模原の事件をめぐって 8月26日 追加
 8月26日、高校1年生の自閉症の少年のパソコンで聞き取った文章は、すでに紹介しましたが、パソコンの後、口頭での「あかさたな」の方法で聞いた言葉を、お母さんがメモしたものを送ってくださいました。
 まず、パソコンの文章をもう一度紹介します。

 なぜ悲しい事件が起きたのか考えていますが私たちは何も考えていないという考えがとても支配的なためにこんなことが起きてしまったのだと思いますがわなわなと気持ちが悲しくなるのは理解されないまま亡くなった私たちの仲間がまだ理解されないまま亡くなって理解される日をともに迎えられなかったことだ。まったく理解できない人などいないのに誰もそのことを言おうとはしないのでまったくどうしようもないし、障害者で普通に話せる人たちもどうしてなのかわからないが自分たちとは違うかわいそうな障害者と見ているのでどうしようもないのですが律儀にも何もわからない障害者と言って縷々述べても私たちには無意味な言葉にしか聞こえません。だから何としても戻るより前に向かう必要があります。理想はよい理解のもとで障害が重くても言葉があることを理解してもらうことですが道は遠いです。

 以下、いただいたメモです。

 ゆゆしき問題は、このような事件があっても、僕たちの理解が深まらないで、理解を変えることをしないというのが不思議です。
 人というのは言葉がなくても大事にしなくてはいけないという土台があるのに、犯人はこの台に対する挑戦をした。親たちの子どもに対する思いは届いていないし、言葉があるという現実を知ってもらわないと、被害者達の理解が深まらない。言葉がないと思われているまま風化していくことが無念です。
 きんこんの会もまた声明文を出してほしいです。
重度知的障害、重度重複障害という言葉も気になります。
 コミュニケーションの方法はいかがわしいものではないのだから、しっかり意見を言う必要がある。このような事件があっても、僕には母しか話しかけてくれない。殺された人にも、「言葉がある人だった」ということを世の中の人に伝えたい。
 ぼくが伝えたいのは、
・亡くなった人にも言葉があったということ。
・犯人は死刑にすべきではなく、犯人の「障がい者には言葉がない」という言葉を葬りさるべきであること、です。
 また、当事者の話を公開してもらいたいと思っています。学校の仲間は、話す方法がないのでつらいと思います。無念の思いを届けたいです。言葉がないと間違った理解で殺されてしまったのだからこんな無念なことはない。
 ただ、同じ障がい者に見えても、同じ目線に立ってくれない人もいる。
 先生のお話しから、新聞社の人がいろいろな人が先生のブログに関心をもってくれていることや、伝えられない不都合な真実と言うべきものがあることを知りました。
 いつか必ず先生や当事者の意見がクローズアップされるのを期待しています。
 僕がなぜこのように生まれてきたのかを、どのように世のなかの人に伝えるかを改めて考えた一日になりました。
 痛みを分かち合う場がほしいのに、排除されているのが悲しかった。今後、集まりがあるときに行ってみたいです。
 親の会が子供達を守ることであるのに対して、柴田先生はみんなの気持ちを伝えることが役割なのですね。テレビのキャスターが子供達の心のケアが必要ということを言っていましたが、心のケアなんていい加減にしてほしい。自分たちはしっかりした意見を持っているし、社会の人が聞く耳を持つことのほうが大事なのに。 
 今日お話しできたおかげで、すっきりできたので、次に頭が向けられます。
 自分がどうやって生きていくか、自分ができることで貢献していきたい。きんこんの会で言いたいことをきちんと言いたいです。
2016年9月3日 10時48分 | 記事へ | コメント(0) |
相模原の事件をめぐって 9月2日
 小学5年生の自閉症と言われる女の子の言葉です。事件の後、夜中に何度も目を覚ますようになったと、お母さんは語られました。
 

 私はこの間の出来事についてとても許せないことは多いけれど他の意見も必要だと思ったので、それを言いたいと思います。
 私がとてもやりきれないと思ったのは、みんなが結局私たちをよく分からない人だと決めつけていることは何も変わらないからです。私が悲しいのは色々なことを考えていた被害者の人が何も分からない存在として、みんなそのまま葬り去られたことです。私にとってはあの施設の人たちは年齢こそ違えども同じような知的障害があると言われている人だからです。私はその誤解と偏見が続く限り、この悲しい事件はずっと理解されないまま歴史の闇の中でいつか真実が明らかになる日まで静かに眠り続けさせられることになると思います。だからとても後味の悪い気持ちが残り続けています。
 そして私はこの事件をきっかけにして世の中は、本音のところで私たちのような障害者は経済的には浪費ばかりする邪魔な存在だという考えが広がってしまったのではないかと私は寂しい気持ちになっています。そして残念なことは、私たちのような存在に対しては1番味方になってくれるはずの話せる障害者でさえ、私たちの本当の姿には目を向けてくれなかったことです。
 とても悲しい時間でしたが、本当の悲しさは本当の姿を誰にも知られることなく亡くなっていった大勢の仲間たちのことです。私なら自分の命が消える時に本当の姿さえ知られないまま亡くなるのはとても耐え難いことですから。
 また新しくこのような考えが生まれて来ないとも限られませんから、私は今回の事件を通して少しでも私たちの本当の姿が明らかにされることが、その歯止めになっていくのではないかと考えています。


2016年9月3日 09時49分 | 記事へ | コメント(0) |
| 相模原の事件 / 人権侵害 |
相模原の事件をめぐって 8月25日
自閉症の滋賀県の小学4年生の、行動面でとても障害のあるとされる男の子、Nさんの言葉です。

 僕は昨日からずっと先生の口を通して自分の言葉で反論をしたいと思いましたが、この事件については、僕たちのようななかなかうまく話せない人たちを目標にした事件で、僕はとても悔しいい思いをさせられました。僕のように行動面でも障害があると言われている人は、行動障害という名前がつけられていてそれこそ施設で薬っけにさせられるのがよくあることですから、もし僕のお母さんが病気にでもなったら僕もきっとあの施設のようなところに行かなくてはならないので、とても恐かったです。
あのような犯人はそんなにたくさんいるわけではありませんが、この犯人のような考えを持った人はけっこうたくさんいるし、僕を見てこの子のような子が生きていて何の意味があるのかとこっそりささやく人はたくさんいましたから、僕は犯人のような考えがあちこちにあるのを知っています。
だから、僕はほんとうの僕たちの姿をしっかりと伝えて、世の中の人たちの考えを正さないといけないと思っています。
でもまだまだその道は遠いような気がしたのは、僕たちのような子どもの意見をまったく取り上げてはくれていないからです。だから僕は先生の口を借りてではあるけ れどこのことを僕の意見として言いたいと思いました。


 この言葉を横で聞いていた自閉症と言われる20代の青年は次のように語りました。

 僕はこの事件が起きた時から一生懸命新聞やテレビをくまなく見続けてきました。幸い字の情報は僕にはとらえやすいので、みんなのためにも僕の役割だと思って一生懸命見ていましたが、何人かの専門家がはっきりと意識のない人という言い方をひていたのを僕はしっかりと目に焼き付けています。その人たちに何の悪気もないとはいえ、明らかにちゃんとした事実を認識していないということが感じられたので、僕はその専門家たちに、いつかきちんと反論しなくてはいけない。
この事件の重さは普通ではないと感じました。どうして犯人がやまゆり園の被害者を殺したかという理由を、本人が書いているように、優生思想そのものを持ってしては人を殺すことはむりだと思うので、犯人は自分自身を含めて何かを壊したいという衝動がきっとあって、その衝動のままに事件を起こしたとしか思えません。出生前診断のときの言い訳は、人を殺してはいないということなので、人を殺すことは人間にはむずかしいことなのだと思いますが、時に人は人を殺すものなので、そのことはまた別に考える必要があると思います。
もう一つ許せない感じがしたのは、被害者の公表されるべきかどうかについて、あまりにも浅薄な議論しかなされていなかったことです。確かに人が一人というか、たくさん亡くなったのだからその名前くらい公表して、その人の人生をきちんと悼むということは大事なことですが、人のいのちの亡くなる痛みは、その人をほんとうにかけがえがないと思える人にしか悼むこともできないものですから、意識がないと思っている人たちに対して、いくら公表しても、誰もほんとうの意味を感じることができないどころかかえってその人たちの命に対して、冒瀆にすらなるのではないかと思います。だから今回、名前を家族が出さない理由は、ただでさえ自分たちを差別してきた世の中が、どうしてこの時だけ自分たちをほんとうに理解するなどということがあるだろうかという考えにならのは当たり前だと思います。ほんとうにわかってくれる人たちだけが、あの被害者を悼むことができるので、僕は今回名前が出ないことの背景にも深い問題が横たわっていることを感じました。
 あとはNさんの話と重なることです。
僕たちの仲間はしっかりとした意識、深い深い考えをもって生きているということから、もう一度この事件の全体を見直さないと、この事件全体の見方がおかしくなる。
亡くなった人たちに対して一番の追悼になるのは、この事件をきっかけとして、ほんとうの理解が少しでも得られることが、実際に起こることが必要だと思います。
ぜひみんな、ほんとうの僕たちの姿を伝えて、仲間に対する追悼をしたいと思います。
そう簡単ではないのですが、少しでも見直しが進めば何かの追悼ができるのではないかと思います。
それから、犯人をどう許すかという問題です。犯人を死刑にするということになるしかないと思いますが、もしかしたら責任能力がなかったということになるかもしれませんが、今のところ死刑制度があるかぎり、この事件の規模からいうと死刑はまぬがれませんが、この事件ほど死刑が空しいものはないと思います。なぜなら、死刑の意味がどこにあるかというと犯人が、間違っていることがはっきりしているからみんなも納得してしまうのですが、今回の事件の怖さは、犯人の行為は否定しても、犯人の思想は否定されないということです。行為は一致しますが、思想については、どこかで同意しているところもあるのではないかと思うので、この死刑は、なんだか、正しいことなのに表面上まちがっているという考えを最後に残してしまう気がします。
だから、死刑はではなくて、犯人自身の考えの悔い改めこそが必要だと思います。僕はまちがっていたというだけでなく、みんなもまちがっているとあの犯人の口から言われないとこの事件の解決にはならないと思います。死刑ではなく人を許すことが大事だと思います。

2016年9月3日 09時18分 | 記事へ | コメント(0) |
| 人権侵害 / 相模原の事件 |
2016年08月27日(土)
相模原の事件をめぐって 8月26日
 高校1年生の少年の言葉です。彼は、自閉症という言われており、自由に気持ちを表現することはできません。 

 なぜ悲しい事件が起きたのか考えていますが私たちは何も考えていないという考えがとても支配的なためにこんなことが起きてしまったのだと思いますがわなわなと気持ちが悲しくなるのは理解されないまま亡くなった私たちの仲間がまだ理解されないまま亡くなって理解される日をともに迎えられなかったことだ。まったく理解できない人などいないのに誰もそのことを言おうとはしないのでまったくどうしようもないし、障害者で普通に話せる人たちもどうしてなのかわからないが自分たちとは違うかわいそうな障害者と見ているのでどうしようもないのですが律儀にも何もわからない障害者と言って縷々述べても私たちには無意味な言葉にしか聞こえません。だから何としても戻るより前に向かう必要があります。理想はよい理解のもとで障害が重くても言葉があることを理解してもらうことですが道は遠いです。
2016年8月27日 07時36分 | 記事へ | コメント(0) |
| 人権侵害 / 相模原の事件 |
2016年08月26日(金)
相模原の事件をめぐって 8月23日、24日
 北陸地方のある町で出会った施設暮らしをしている40代の男性の言葉です。二つの詩を書きました。事件に関わる詩は2つ目ですが、一つ目の詩も、この事件につながるものとして紹介します。
 

 夕焼けに向かって

疲れた体を引きずって
私は今夕焼けの空をながめている
ずっと昔になくしてしまった夢を
もう一度取りもどしたいと思うけれど
まだ夢は手のひらの中にはない
だけどいつか必ず夢をもう一度この手でにぎりしめて
理想をかなえたい
凛とした瞳でもう一度
私は夕日に向かって
ランプのあかりのように
心に灯をともしながら
この苦しみの日々に向かって立ちあがる


   夜更け

みんなひっそりと寝静まった夜の闇の中で
ふと私はあの悲しい事件を思う
理性の果てに私たちを否定した犯人は
いったい何に苦しんでいたのだろうか
冷酷な勇気をなぜあそこまで育てたのだろうか
私たちの仲間にも一人一人夢があり願いがあった
わずかなわずかな理解者しかいなかったとしても
仲間たちは幸せをかみしめながら生きていた
なぜそのことに気づくことなく
わざわざ自分の人生を台無しにしてまで
行為に及んだのだろうか
私たちはただ何も考えずに生きている悲しい存在ではない
りっぱな人間ではないけれど
みんなかけがえのない命を生きているとてもやさしい人たちだ
私たちは私たちらしく生きようとふだんから一生懸命生きている
なのに犯人はやまゆりの花を無惨に残らず踏みつぶしてしまった
わずかなあかりしか見えない暗闇の中で
今私がこうして気持ちを表現できていることの中にある。


 同じく北陸地方のある町の施設で暮らす50代の女性の言葉です。

 小さいときは母がこの子は何でもよくわかると思っていたのですがまわりが親ばかと言って非難するたびに母も考えを変えてしまったことが悲しかったことを覚えていますが、先生が言った通り味わい深い人生だということをしっかり伝えてください。せっかく生まれてきた命なので、ぜったいに意味があることを、世の中の人に伝えたかったです。
 どこかで悲しいできごとがありましたよね。施設の人が殺されたということと、何もわからない人たちという言葉を聞いたのですが、みんなよくわかっているはずだし、生きる意味を深く味わっていたことはまちがいのないことなので、ぜひそのことを伝えてほしいです。どこの誰かもわからないけれど、みんな私たちと同じ立場だったと思うのでとてもつらかったです。ぜひこの言葉を誰かに伝えてください。
 世の中の専門家はみんなそういう考えですからがんばってください
 どうにかしてこのことを世の中に伝えないと亡くなった仲間が浮かばれないと思うので、頑張ってほしいと思います。
悲しい話をしてしまいましたが、ぜひがんばってください。
○○の片隅の施設でも、みんな豊かな暮らしをしているし、私たちをとても大事にしてくれる職員さんに囲まれているので毎日幸せに暮らしていることを伝えたいです。
2016年8月26日 21時10分 | 記事へ | コメント(0) |
| 人権侵害 / 相模原の事件 |
2016年08月20日(土)
相模原の事件をめぐって 8月20日
 旅行の途中に立ち寄った京都で、30代の女性の言葉を聞きました。ちょうど、部屋に、提灯に飾られた夜の祇園祭の山鉾の絵があり、彼女は、その絵を何度も指さしながら、詩を綴りました。


 誰にも理解されないまま亡くなった仲間のことがつらくてつらくて毎日涙を流していますが夜の暗闇を見るたびにこんな暗い物音ひとつしない中で最期の時を迎えた人をどうやったら追悼できるかとずっと考えていました。無我の境地を知っていたとはいえちゃんとした人格をそなえていた人たちなのでせめてそのことだけはわかってあげないと魂が浮かばれないと思っています。人間として私たちは理解されないまま死んでいくなんてとても悲しいことですからぜひ亡くなった仲間に鎮魂の詩を捧げたいです。


   仲間に

人間として気高く生きた
仲間の魂の炎は
無惨にもかき消されてしまったけれど
私はあなたがたの炎を
私の心に受け継いだ
真っ暗な夜の闇の中で
今あなたの炎が
私の心の中で燃えさかり
暗闇を照らしている
だから私は
あなたがたの炎が消えないように
真っ直ぐと夜明けに向かって
歩み続ける


2016年8月20日 17時30分 | 記事へ | コメント(0) |
| 人権侵害 |
2016年08月18日(木)
相模原の事件をめぐって 8月18日
 難病でそんなに時間のないとされている寝たきりの十代の若者の俳句です。

みんみんと弔いの声津久井湖に
津久井なる施設に輝く魂あり
津久井なる施設に密かな愛ありし
よき人が常に我らのそばにあり
願い瑠璃津久井の湖映したり
瑠璃色の湖深くただ濡れる
我が心津久井に届け病舎より

人間はただ生きること使命とす
なぜ人はこの身の正しさよく知らぬ

人間はみな魂に言葉あり
願うことただ彼らにも言葉あり
凛とした瞳持つ仲間弁のなく

津久井なる施設に手を合わすわが仲間
名前なく天国に行きし我が仲間
名前なく忘れられようと永遠(とわ)の魂(たま)

世の中よ津久井の百合に何学ぶ
願うなら仲間の強さ知りてのち
わだかまり理想はけして負けぬよと
願いふとランプのごとく揺らげども

わだかまり解く技が我にあらば
わだかまり解けぬ犯人ただ許す
わだかまり持つ犯人に句よ届け

わざわざに世に問いし犯人に堂々と答えここに記せり



2016年8月18日 18時37分 | 記事へ | コメント(0) |
| 人権侵害 |
相模原の事件をめぐって 8月16日
 このブログで、『弘二の夢』という本を紹介させていただいた田所弘二さんと先日お会いした。ある方から考えを聞かせてほしいということで、私は通訳者として立ち会わせていただいた。そして、その方の質問に答えるかたちで、田所さんは事件をめぐる様々な考えを述べた。その内容は、別の機会に譲ることにするが、その方との話が終わったあと、田所さんが語りの残したことがあると言って、次の文章を書いた。ここでは、その部分を紹介させていただきたい。



   死刑にしない方がいいということについて
 
 僕は犯人を死刑にするのは間違っていると思います。なぜなら死刑にしてしまうと犯人は自分の考えに返って意固地になってしまって、決して考えを改めないだろうと思うからです。死刑はもともと議論の多い制度ですが、今日、僕は改めて死刑の問題を感じました。犯人が心を改めることこそ重要なのですから、むしろ死刑は犯人の心を頑なにしてしまうのではないでしょうか。ぜひ犯人にも改心する機会を与えるべきだと思います。だから、今、改めて、人は人を許すことができるかということを問い直したいと思います。
親たちは、当然許せないはずですが、ゆっくり自分の子どもを思い浮かべたら、子どもは必ず犯人を許すだろうと気づくのではないでしょうか。だから、ぜひ、改めて許しの問題を考えるべきだと思います。

 
2016年8月18日 13時53分 | 記事へ | コメント(0) |
| 人権侵害 |
2016年08月17日(水)
相模原の事件をめぐって 8月8日
 8月8日に聞いた、3人の当事者の意見を掲載します。
 一人目は、一度メールでいただいた文章を載せた大野剛資さんの言葉です。

 私たちの仲間が無残な殺され方をしたのですが、とても悲しいだけではなくて、いろいろな問題を孕んでいることなので、きちんと述べさせていただきます。世間の見方を僕は改める必要があると思います。なぜなら、一人一人きちんとした考えを持っていることを前提にしないで、何もわからない人たちでも殺されるのは間違いだということしか語られていないからです。だけど、重要なのは亡くなった人たちにもしっかりした考えや感情があって、がんばって生きているというよりも人生の価値を深いところで見通していきていた人たちであることを理解したうえで、全ての議論をなされるべきではないでしょうか。

 次いで、20代の女性の言葉です。

 私も突然の悲しいニュースで毎日涙こそ流さなかったけれど悲しみにくれる日々が続いています。でも、私は今回のことは何かを訴えることができそうな不思議な勇気も感じていたのですが、まだまだ理解されてはいないとはいえ、こうして確実に意見を述べられているので少しだけ救いがある気がしました。
 亡くなった仲間たちは何もわからない人と決めつけられていますが、けっしてそんなことはないと今回こそしっかりと訴える必要があると感じたからです。涙だけで泣きくらすのでは亡くなった仲間たちの本当の鎮魂にはならないと思うので、私はしっかりと声をあげたいと思います。


 次は、盲重複障害と呼ばれる20代の男性の言葉です。

 僕も今回の事件ではとても悲しい思いをしました。でもやっぱり、このままではいけないと強く思えたのは僕たちにも言葉を伝えるやり方が見つかったからです。僕も重複障害者とまさしく言われる人間なので、全くこの犯人は僕を殺したかったのだと痛切に感じ、身震いがしました。でも昔なら言われっぱなしだったけどもう僕たちはただの人形ではありません。みんなでしっかりと2つの誤った認識を正したいと思います。一つは僕たち重複障害者にもしっかりとした認識能力があるということです。もう一つはみんなもいってくれるように、どんな重い障害があっても人として命は平等だということです。僕たちはこの二つの誤った認識を正すことについて、これから積極的に意見を発信していきたいと思います。

2016年8月17日 00時12分 | 記事へ | コメント(0) |
| 人権侵害 |
2016年08月08日(月)
相模原の事件をめぐって 8月3日その2
 8月3日、二人の女性からも切実な意見をいただきました。
 お二人とも、ふだんはとてもやさしい語り口をなさる方々ですが、今
回ばかりは、意を決して、きびしい言葉を綴られました。  
 お一人目は、重症心身障害と呼ばれるような状況にある方です。

 疑問があります。なぜ私たちに生きる権利が認められないのでしょうか。みんなつらい気持ちでいる理由はただ悲しいだけではなくわずかな希望がかき消されたような気がしたからです。分捕ることもしない私たちがなぜ存在が否定されなければならないのでしょうか。小さな疑問ではありません。大問題です。よくない人が犯した犯罪ならまだしも、もっと私たちを理解できるチャンスがあった職員さんに私たちが人間であることをわからせることができなかったということが悔しいです。
 いちばんねじれているのは世の中なのですがばかにされるだけならまだしもごんごんと苦しみが湧いてくるのは、わだかまりは凡人はなかなか消えないでしょうが、私たちはこの事件から忘れられない一言をしってしまったのだということてです。わずかな未来さえ閉ざされてしまったような気がしたからです。よい人間がみんな殺してもよいという言い方に染まってしまいそうになって私ははらはらしています。以上です。


 お二人目は、歩行の可能ですが、みずから言葉を発することは困難な方で、「重度の知的障害」と呼ばれる方です。彼女は、障害に関して、今回の被害者の方々とたいへん近い状況にあると言えるでしょう。

私はこんなに悲しい気持ちになったことはありませんでした。なぜなら、私達の仲間がこんなにひどい殺され方をしただけでなく、存在の意味を否定されたからです。
 私にとっては私達の生きる意味は疑いようのないものなのに、世の中には私達のことをやはり不要な存在だという人がいます。
 だから悲しみが二重になって私達を襲っているのです。
 私にとっても、私があの施設にいてもおかしくなかったので、自分のことそのものでした。
 今回の事件は私達の本当の姿が世の中に伝わってないことで起きた事件です。一生懸命訴えてきたけれど、その声が小さかったばかりにかき消されてしまいました。だからこれまで以上に大きな声で訴えていかなければなりません。
 私達にとっては、どんなに障害が重くてもみんなしっかりした気持ちを持っていることは疑いようのないことです。でも残念ながら、専門家も含めてわかっていない人が多く、判断能力や大人としての感情があることを受け入れてもらえません。だからあの容疑者は私達を不必要な存在だと決めつけました。
 確かに経済的なことだけを考えたらお金もかかります。
 私達は最下層を生きる存在ですから、私達を否定すると次の誰かも否定される恐れがあります。
 すべての人を受け入れる世の中を理想の社会というのなら、まず私達を受け入れて下さい。



2016年8月8日 14時08分 | 記事へ | コメント(0) |
2016年08月05日(金)
相模原の事件をめぐって 8月3日その1
 27歳の倉本雅也さんとお会いして、次のような言葉をいただきました。倉本さんは、いわゆる重症心身障害者と言われるかたです。ふだん穏やかな倉本さんが、テレビでこのニュースが始まると、今まで見せたことのない怒りの声をあげたそうです。倉本さんを連れていらっしゃったお母さんも、彼のこの文章に深く納得していらっしゃいました。

 わなわなとふるえるような思いで僕はこの大事件を見つめていました。なぜ僕たちを必要のない存在とやるせない目的で事件を起こしたのでしょうか。ごんごんと深い悲しみが湧くだけでなく空しさが湧き上がってきます。わずかな希望も感じることができません。不条理としか思えません。
 人間にとって愉快なことは人とともにあることなのに人を否定することがどうしてまかり通るのでしょうか。わずかなわずかな救いも見えてきません。
 もし僕があの施設にいたらと考えるだけで身震いがします。電気のない暗闇でもし突然斬りつけられたら僕たちは何一つ抵抗することもできません。ぬくもりを求めてみんなひたむきに生きているのにどうしてそんな冷たい仕打ちをされなければならないのでしょうか。
 わずかな光がもしあるならそれは僕たちがこうして言葉で反論できるということです。未来はこういうやり方でみんなきちんとした考えを持っていることを世の中が理解するところから開けてくると思うのでどうにかしてこのことを伝えたいです。人間だからみんな分不相応と言われようが強い意志で生きる権利があるはずです。
 ぬくもりこそがランプの明かりであることをがんばって僕たちは主張したいです。楽な生き方ではないけれど僕たちは幸せな人生を生きているということをなんとかして伝えたいと思います。人間だからちゃんとした考えを持って生きているのでどうかこの悲しいできごとをきっかけにして僕たちをもう一度しっかりと見つめ直してほしいです。



 もうお一人は、22歳の廣瀬岳さんです。廣瀬さんも、また、いわゆる重症心身障害と呼ばれる人です。ご両親に障害があり、すでにお母さんは亡くなられていらっしゃいます。これまでも、そのことをふまえた鋭い意見を何度も聞かせてくださった方です。
 今回は、ご一緒されたお父さんが、全国手をつなぐ育成会連合会からのメッセージが一面に掲載された東京新聞をお持ちになって、この事件についても語ってくださいました。
 以下、廣瀬さんの言葉です。

 次々と悲しいニュースが伝わってきてとても悲しいけれど僕はきちんと意見を述べたいです。人間として僕たちは生きているのに激しく存在を否定されてしまいました。昔から僕たちの存在を否定する人はいましたが僕たちのいのちまで奪おうという人はいませんでしたからどうしても許すことができません。なぜなら僕たちにも生きる権利があるからです。
 長い間何もわからないと言われてきた僕たちがようやく存在を認められたというのにこんな事件が起きてしまってほんとうにつらいです。私たちを必要ないとする人たちはけっして彼一人ではないからわずかな声であってもちゃんとあげていかなくてはなりません。私たちは何もわからない存在ではなくよく物事を理解できているちゃんとした存在です。だからきちんとした理解をしてほしいのです。分不相応と言われようとも僕たちはずっとぬいぐるみのように思われようとも強い気持ちで生きてきましたからちゃんとした事実として認識してほしいです。
望みはただ正しい理解が得られることです。それだけが亡くなった仲間たちのいのちに存分な祈りを捧げる道です。だから僕は声を上げたいです。

 この文章をぜひ読んでほしいです。僕は両親に障害がある重症心身障害者です。だからこそ意見を述べたいです。
2016年8月5日 16時11分 | 記事へ | コメント(0) |
| 人権侵害 |
2016年08月03日(水)
相模原の施設の事件について 8月1日
研究室を訪れた小学3年生の少年が、相模原の事件に関して、気持ちを綴りました。彼は自閉症と呼ばれ、なかなかうまく気持ちを話すことができません。

 残酷な出来事がありました。
 僕たちは何でも理解出来ているのに、私たちは何も分からない存在として理解されてしまって、もう僕らを認めてくれないのかととても気になりました。長い間認められないまま亡くなった人たちのことを思うととても辛かったです。
 理屈ではみんな僕たちを理解したように言っていても、結局は全く分からない存在として言い続けているので僕はとても悔しいです。ずっと前からこういうやり方で話すことが出来るということが分かっているのに、早く世の中に認めてもらいたいです。僕たちのように気持ちをうまく伝えられなくてもちゃんとした考えが心の中にはあるということをどうか分かってほしいです。
 でも僕たちはこういう方法で話せるようになったからいいけれど多くの人たちは,まだ全く気持ちを伝えられないでいるので早く分かってほしいと思います。こんな悲しい出来事が起こったのだからせめて私たちの本当の姿を知って、正しい理解が世の中に広がってほしいです。
2016年8月3日 08時35分 | 記事へ | コメント(0) |
| 人権侵害 |
2016年07月31日(日)
田所弘二さんの命をめぐる主張 
 本を紹介した田所弘二さんもまた、重症心身障害あるいは重度重複障害と呼ばれる方ですが、本の中に、命をめぐる次のような主張があります。今度の事件についての意見はまだ聞けておりませんが、この彼の主張は、本の紹介の意味も含めて、掲載させていただきます。

 僕たちの仲間について、去年の夏からとても悲しい話が横行するようになりました。それは、子どもが生まれる時に、そのお母さんの血液を調べればいくつかの障害がわかるという検査のことでした。私たちの仲間の中のある障害の人たちにとっては、おまえたちはもう生まれてくるなというに等しいものでした。だから、僕はとても深く傷つきました。僕の障害は、まだ、きっと検査ではわからないものなのですが、もし僕の障害が検査でわかるならば、僕もおまえはもう生まれてくるなと言われていることになるのだなと思いました。これまで社会の中でそのことがこれほどまでに何の抵抗もなく語られたことはなかったように思いますから、せっかく世の中があの悲しい東日本大震災で人の心を大切にする方向に動き始めようとしていた矢先にこんな話になったことがとても悲しかったです。そして何よりも私たちの仲間が生まれる前にすでに殺されてしまうことを僕はどうしても認めるわけにはいきません。
 僕は両親に障害があるので、世の中の人よりもそのことについていろいろ考えてきたところがあって、僕は障害のある人が障害のある子どもを生むというのは新しい世の中の家族のかたちだと思ってこれまで生きてきました。障害者が健常児を生むのは、もちろんうれしいことですが、障害者が障害者を生むことはもっとうれしいことなのです。なぜなら、障害がある者同士が本当の意味での家族を作ることができるからです。障害者の立場にならないとわからないことですが、障害のある人が障害のある子どもを育てるような世の中が到来すれば、本当に人が人を助け合うことについて、もっと深い考えに到達することができるのではないでしょうか。だから、僕は障害がある子どもはこの世の中にいない方がいいという考えに基づいてなされている今のあの検査には、まったく同意することができません。だから、僕は、一刻も早くあの検査をやめてもらいたいし、今この時もすでに行われようとしている子どもたちの殺人を何とかして止めなければいけないと思っています。
僕たちの思いをきちんと伝えてくれるメディアもほとんどなく、例えば、子どもがこれから生まれるお母さんを映しても子どものことではなく、お母さんの悩みしか語っていなくて、本当に生まれてくる子どものことを聞こうとする人は誰もいませんでした。僕たちにマイクを向けてくれれば、僕たちが生きてどれだけよかったかということを堂々と話すことができるのに、誰も、僕たちのような障害のある者に直接マイクを向けることはしませんでしたね。
でも、僕たちは、本当に生まれてよかったと思っているので、そのことを言わなくてはこの話をきちんと考えることすらできないのではないでしょうか。みんなどこか僕たちは生まれて来ない方がよかったと思っているし、僕たちもどうせ自分たちはこのような体で生まれてきたのだから、不幸だと思っているとしか考えてないのではないでしょうか。そんなことはまったくのまちがいで、僕たちは生まれてきてよかったし、こうして生まれてきて、こんなふうにして、堂々と社会の前で意見を言える存在なのだから、僕たちは、もっと僕たちの存在を社会に訴えるべきだと思っています。
 僕はだから、出生前診断には大反対です。もちろん、障害を持つことで親は自分の時間を奪われていくので、絶対に見たくないという親の気持ちを強制的に生めと言うわけにはいかないけれど、本当に僕たちが生まれてきてよかったと思っているのだから、そのことをふまえた議論をもう一度やり直してもらいたいと思っているし、今生きている僕たちがどんなに苦しんでいるかも考えに入れた上で議論されるべきだと思っています。


2016年7月31日 08時01分 | 記事へ | コメント(0) |
浦島美津恵さん、田所弘二さんの本


 浦島美津恵さんの句歌集と、田所弘二さんの随想集ができました。木曜日にできてきたばかりのものです。

 浦島さんは、この句歌集の準備中の今年3月に急逝されました。
  
  苦しみは理想を繋ぐ糸なれば絹のごとくに苦を愛すなり
  己が意を伝えきれずに過ぎし日々
  出られぬ無わが魂を深めたり
  次の生(しょう)またこの体にて生きたしと

 いわゆる重症心身障害と呼ばれる状況で、ほとんど体を動かすこともできない中、言葉を発することなく28年間を生きてきて、31歳で亡くなるまでの3年間の間に200余りの短歌と俳句を残しました。
 上に紹介したのは、自分の障害にふれたものです。
 今回の相模原の事件で亡くなられた方々は、実は、こうした方々であったということが、まだ、あまりにも知られていません。まっさきにこのことをつきつけたいのは、蛮行を働いた若者に対してですが、また、世の中のすべての人にも訴えたいことです。失われた命がいったいどのような人のいのちだったのか。もっともっと深く考えていただけたらと思っています。
 なお、ともに頒価1000円(送料込み)でお頒けすることができます。ご希望の方は、住所、氏名等を明記の上、以下のアドレスにご一報ください。 

kinkon@hope.zaq.jp

2016年7月31日 07時16分 | 記事へ | コメント(0) |
2016年07月30日(土)
津久井やまゆり園の事件に寄せて
 きんこんの会の中心メンバーの大野剛資さんより、以下の文章をメールでいただきました。そのまま掲載させていただきます。

津久井やまゆり園の事件に寄せて

大野 剛資


 とてもひどい事が起きて、僕は悲しいです。
 なぜ、障がいの重い人達が無残にも傷つけられなければならないのでしょうか?
 痛かったでしょうし、どんなに辛く怖い思いをしたかと思うと犯人を許せません。
 僕は「きんこんの会」や4月30日の「介助つきコミュニケーション研究会」等を通じてかなり多くの人に僕達の考え方や思いが拡がってきたと、内心喜んでいました。7月23日の「介助つきコミュニケーション情報交換会」でも参加者と僕達が心を通わせる交流が出来、僕は本当に嬉しく思っていました。そんな時に津久井やまゆり園で事件が起きてしまいました。
 世間の人達に向かっては、僕達障がい者も年相応の考え方や意見を持っている事を伝えたいです。
 当然、人権も認めてもらいたいし、社会の一員として認めてもらいたいです。
 僕達は、ただ生きているだけではないのです。かけがえのない命を生きているのです。
 今回の悲しい事件を乗り越えて、僕達は今までの活動を続けていく事が犠牲になった人達への鎮魂になると信じています。
(2016年7月29日)
2016年7月30日 10時23分 | 記事へ | コメント(0) |
| 人権侵害 |
2016年07月26日(火)
第2回介助つきコミュニケーション研究会のお知らせ
 第2回介助つきコミュニケーション研究会を11月19日に開催させていただきます。
(一部の方には、9月開催の予定と申し上げましたが、会場の都合等で、この日になりました。)
 
1.日時 2016年11月19日土曜 午後1時〜5時
2.場所 國學院大學横浜たまプラーザキャンパス411教室

 前回はきんこんの会の公開シンポジウムとの2本立てで行いましたが、研究会自体を当事者も主体的に参加することが可能であることがだ1回の経験を経て明らかになりましたので、研究会に1本化することになりました。
 詳細はあらためて後日、告知させていただきます。
2016年7月26日 20時57分 | 記事へ | コメント(0) |
| 大学 |
2016年10月のきんこんの会のお知らせ
 2016年10月のきんこんの会は、10月8日土曜日に下記の通り、開催させていただきます。
 当事者のご希望で今回も非公開というかたちで開かせていただきますので、どうぞご了承ください。当事者やご家族、支援者の方で関心をお持ちの方や、ご質問のある方は、どうぞ、お気軽にご一報ください。
 
 日時 2016年10月8日土曜日 午後2時から5時 
 場所 國學院大學たまプラーザキャンパス1号館410教室

 きんこんの会は、コミュニケーションに困難をかかえる当事者が、自由に語り合う場です。2010年に誕生し、活動を続けています。
 きんこんの会では大勢で話し合うために、コミュニケーションの援助の方法がたいへんスピードの速いものになっているので、初めてご参加の方には、なかなかわかりにくく、戸惑いを生んでしまうことが少なくありません。
コミュニケーションの方法についてていねいにお伝えするには、できればきんこんの会以外の機会を設定できればと思います。
そのために、きんこんの会の当日、午前中、もしくは1時頃から方法をご説明する時間を設けたり、別の日程を調整して大学に来ていただくなどしております。
 どうぞ、お気軽に、ご一報ください。

 お問い合わせは kinkon@hope.zaq.jp までよろしくお願いいたします。
 
 なお、大変申し訳ございませんが、当日お車でお越しの方は、近隣のコインパーキングをお使いいただけますよう、お願い申し上げます。

 
2016年7月26日 20時51分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
相模原の施設の事件をめぐって
 やまゆり園の残酷な事件が報道された日、曽我晴信さんが研究室を訪れた。そしてパソコンで以下の文章を綴った。

 人生を人を殺傷することに費やす人がいるということが僕には理解できないとはいえ人が憎しみのために人を殺すということはそれでも理解できなくはありません。しかし理想や宗教のために人を殺傷するというのが現在のテロリズムなのでこれは徹底的に考えなくてはいけないことだと思いました。
 そういうことを考えている矢先に障害者施設で事件が起きてしまいました。まだ詳しいことは明らかにはなってはいませんがつらいのは当然ですが理想によって障害者が抹消されたことを僕は重大に考えています。なぜなら僕たちが世の中に存在する価値があるかどうかが問われているからです。
 わずかな希望はこのニュースを語る人も聞く人も失われた命はみな同じだと考えていることはわかったからです。人間は生まれる前の命には違いをつけてしまったけれど生まれたあとの命にはまだ違いをつけていないことがわかったからです。
 わずかな希望ですがもう一度生まれる前の命もまた同じ命だということがわかるきっかけになるかもしれません。

 
 全て明らかになるのは、これからだが、最低限のことを述べておきたい。
 犯人の青年個人だけを見れば、そこに見えてくるのは、きわめて個人的な挫折や抑圧などだろう。しかし、その鬱屈した感情に言葉を与えたのは、社会の無意識、あるいは社会の暗部に存在する思想なのではないか。彼が引き寄せたというのがいいのか彼が引き寄せられたといったらよいのかわからないが、この社会の無意識や暗部に存在する「思想」を明るみに引きずりだして、しっかりと向かい合わなければならない。
 石原慎太郎が重心の施設で「この人たちに人格はあるのか」と問うた時、その言葉をたたいたことはまちがいではないが、この意見に対して、「こういう意味で人格がある」という考えがしっかりと語られないままになってしまったが、結果的に石原の問いはそのまま社会の暗部に消えないまま残り続けてしまった。
 この悲惨な事件が、さらに悲惨なものにならないためにも、亡くなられた方々の真の生きる意味がきちんと語り出されていかなければならない。
2016年7月26日 20時46分 | 記事へ | コメント(0) |
| 大学 |
2016年06月22日(水)
介助つきコミュニケーション研究会 情報交換会のお知らせ
 4月30日に開催した介助つきコミュニケーション研究会をきっかけに情報交換会を行う企画が生まれました。どうぞ、よろしくお願いいたします。
(なお、当日、大学の用事で私(柴田)は参加がかないませんが、ご了承ください。)

2016年6月22日 13時13分 | 記事へ | コメント(0) |
2016年06月06日(月)
東京新聞の記事
 東京新聞の6月4日の朝刊に、4月30日の記事を掲載していただきました。ありがとうございました。

2016年6月6日 19時06分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2016年05月27日(金)
2016年6月のきんこんの会のお知らせ
 2016年6月のきんこんの会は、6月25日土曜日に下記の通り、開催させていただきます。
 当事者のご希望で今回も非公開というかたちで開かせていただきますので、どうぞご了承ください。ご質問等ある方は、お気軽にご一報ください。
 
 日時 2016年6月25日土曜日 午後2時から5時 
 場所 國學院大學たまプラーザキャンパス1号館410教室

 きんこんの会は、コミュニケーションに困難をかかえる当事者が、自由に語り合う場です。2010年に誕生し、活動を続けています。
 きんこんの会では大勢で話し合うために、コミュニケーションの援助の方法がたいへんスピードの速いものになっているので、初めてご参加の方には、なかなかわかりにくく、戸惑いを生んでしまうことが少なくありません。
コミュニケーションの方法についてていねいにお伝えするには、できればきんこんの会以外の機会を設定できればと思います。
そのために、きんこんの会の当日、午前中、もしくは1時頃から方法をご説明する時間を設けたり、別の日程を調整して大学に来ていただくなどしております。
 どうぞ、お気軽に、ご一報ください。

 お問い合わせは kinkon@hope.zaq.jp までよろしくお願いいたします。
 
 なお、大変申し訳ございませんが、当日お車でお越しの方は、近隣のコインパーキングをお使いいただけますよう、お願い申し上げます。
 
2016年5月27日 20時19分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2016年02月11日(木)
きんこんの会と介助つきコミュニケーション研究会のお知らせ2
 きんこんの会と介助つきコミュニケーション研究会のお知らせのちらしです。

<表>




<裏>
2016年2月11日 22時02分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
きんこんの会&介助つきコミュニケーション研究会のお知らせ
第1回きんこんの会公開シンポジウムと第1回介助つきコミュニケーション研究会を本年4月30日土曜日、國學院大學横浜たまプラーザキャンパスにて下記の通り開催いたします。


きんこんの会公開シンポジウム
介助つきコミュニケーション研究会
平成28年4月30日土曜日 午後1時
國學院大學横浜たまプラーザキャンパス411教室

第T部 午後1時〜午後2時45分
第1回介助つきコミュニケーション研究会
「いのちの声を聞く」
 介助つきコミュニケ―ションとは、手を添えるなどの介助を通して初めてできるコミュニケーションのことを言います。代表的なものは、介助者に手を添えられて文字を書く方法(筆談)と介助者に手を添えられて文字盤を指さす方法、介助者の「あかさたな…」という声に合図を送って文字を選んでいく方法です。
すでに多くの人がこれらの方法で意思の表現が可能になっており、そのことによって当事者の生活は大きな変化を見せています。
 この研究会は、このことを広く世の中に伝えていくことが目的です。

第U部 午後3時〜午後4時45分
第1回きんこんの会公開シンポジウム
「内なる心の叫びを聞いてください」
 きんこんの会は、介助つきコミュニケーションによって当事者が語り合う会として2010年3月に発足しました。当事者自身の会として、司会者も当事者自身が行い、様々な議論を重ねてきました。
これまで言葉すら理解が困難とされてきた当事者が、長い間、内に秘めてきた豊かな言葉と深い思索を、初めて交わし合える場として、まったく新しい場が誕生したのです。
今回は、公開のシンポジウムというかたちで内なる心の叫びを発信していくことにしました。
問い合わせ先
〒225-0003 横浜市青葉区新石川3-22-1國學院大學人間開発学部  柴田保之
 ご参加希望の方は、下記のメールアドレスに、お名前と所属、ご住所を添えてお申し込みください。なお、参加者の概数を把握するためのものですので、お申し込みがなくても当日の参加は可能です。会費は無料です。
 介助つきコミュニケーションや当事者の思いに関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。
 連絡用メールアドレス   kinkon@hope.zaq.jp 
2016年2月11日 20時56分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2015年12月25日(金)
クリスマスに寄せて
 視覚に障害があり、体を自由に動かすことが困難な曽我晴信さんが、クリスマスイブの日、次のような言葉を聞かせてくださいました。(原文はパソコンでひらがなです。)


  クリスマスに寄せて

 なぜ人は争いを止めないのだろうか。私はクリスマスの意味を考えながらその疑問の答えを見つけた。
 人には神を待ち望むというこころがどうしてなのかはわからないが備わっていてそれがクリスマスを生んだのだと思う。
 クリスマスイブの夜は今か今かと神の誕生を待ち望めばそれで心は満たされるけれど理想をなくしてしまうと人間は神を待ち望む気持ちをなくしてただ欲望のままに物を望むようになってしまう。だから争いはなくならないのだ。
 待ち望む気持ちをもう一度取り戻して願いだけを望めば暴力で何かを奪い取ることはいらないだろう。
 分不相応にも人はわざわざ欲望を肥大させることを覚えてしまった。だから欲望のほんとうの姿がわからなくなってしまったのだ。
 欲望のほんとうの姿とは人を恋い神を恋うものなのではなかろうか。
クリスマスの日さえ人は物だけを求めようとするけれどほんとうはみんなでひたすら神を待ち望み祈りを捧げる日なのだからもう一度クリスマスのほんとうの意味を見直してほしい。
                         曽我晴信 
                       12月24日

2015年12月25日 08時24分 | 記事へ | コメント(0) |
| 大学 |
2016(平成28)年1月のきんこんの会のお知らせ
 2016年1月のきんこんの会は、1月23日土曜日に下記のように開催させていただきます。
 当事者のご希望で今回も公開というかたちはとらずにやらせていただきますので、どうぞご了承ください。ご質問等ある方は、お気軽にご一報ください。
 
 日時 2016年1月23日土曜日 午後2時から5時 
 場所 國學院大學たまプラーザキャンパス1号館410教室

きんこんの会は、コミュニケーションに困難をかかえる当事者が、自由に語り合う場です。2010年に誕生し、活動を続けています。
きんこんの会では大勢で話し合うために、コミュニケーションの援助の方法がたいへんスピードの速いものになっているので、初めてご参加の方には、なかなかわかりにくい、戸惑いを生んでしまうことがあるように思います。
 コミュニケーションの方法についてていねいにお伝えするには、できればきんこんの会以外の機会を設定できればと思います。
 そのために、きんこんの会の当日、午前中、もしくは1時頃から方法をご説明する時間を設けたり、別の日程を調整して大学に来ていただくなどしております。
どうぞ、お気軽に、ご一報ください。

 お問い合わせ先  yshibata@kokugakuin.ac.jp

 なお、大変申し訳ございませんが、当日お車でお越しの方は、近隣のコインパーキングをお使いいただけますよう、お願い申し上げます。
 
 ところで、4月30日土曜日に、きんこんの会の公開シンポジウムを企画しています。詳細は、改めて告知させていただきますが、よろしくお願いいたします。
2015年12月25日 08時17分 | 記事へ | コメント(1) |
| きんこんの会 |
2015年10月20日(火)
2015年11月のきんこんこんの会のお知らせ
 次回のきんこんの会は、2015年11月21日に下記の通り、開催させていただきます。
 
1.日時 2015年11月21日土曜日午後2時から5時
2.場所 國學院大學たまプラーザキャンパス1号館2階410番教室

 きんこんの会は障害のある当事者の語り合いの場です。参加につきましては、今回も、参加につきましては、原則として、当事者をおよびその家族、支援者等の方々にさせていただきたいと思います。
 また、きんこんの会では、できるだけ当事者にたくさん話していただくために、速度の速い通訳の方法をとらせていただいています。これは、初めてごらんになる方には、仕組み等がたいへんわかりにくく、こうしたコミュニケーションの援助の方法の理解をかえって妨げてしまうこともあるので、ご相談いただければ幸いです。当日の午前や午後2時までの時間等で対応させていただくことも可能です。
 また、随時、ご相談には、お答えさせていただいておりますので、ご一報いただければ幸いです。

 なお、きんこんの会を公開で行う企画を現在検討中ですが、その際は、「見学」ということではなく、公開のシンポジウムを開催させていただく予定です。
2015年10月20日 00時19分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2015年08月02日(日)
2015年9月 きんこんの会のお知らせ
 次回のきんこんの会は、2015年9月26日に下記の通り、開催させていただきます。
 
1.日時 2015年9月26日土曜日午後2時から5時
2.場所 國學院大學たまプラーザキャンパス1号館2階410番教室

 きんこんの会は障害のある当事者の語り合いの場です。参加につきましては、今回も、参加につきましては、原則として、当事者をおよびその家族、支援者等の方々にさせていただきたいと思います。
 今、検討しているのは、公開につきましては、シンポジウム等のかたちをとっていく必要があるのではないかというようなことです。こうしたこともまた、きんこんの会の場で話し合っていきたいと思います。
 また、きんこんの会では、できるだけたくさん話していただくために、高速の通訳の方法をとらせていただいています。これは、初めてごらんになる方には、仕組み等がたいへんわかりにくく、こうしたコミュニケーションの援助の方法の理解をかえって妨げてしまうこともあるので、ご相談いただければ幸いです。
 随時、ご相談には、お答えさせていただいておりますので、ご一報いただければ幸いです。
2015年8月2日 08時40分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2015年06月14日(日)
次回のきんこんの会について 9月以降になります。
 きんこんの会ですが、運営のしかた等で整理すべきことがあって、6月は開催を見送らせていただきました、また、7,8月と大学の学期末と夏期休暇などのことがあり、次回は、9月以降とさせていただくことといたします。
 このブログでの連絡方法もいろいろとご迷惑をおかけしていることと存じます。そうしたことも含めて、少しずつ改善させていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
2015年6月14日 08時42分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2015年05月06日(水)
『沈黙を越えて』の刊行

 『沈黙を越えて』という著作を萬書房から出版させていただきました。前著においては、まだ踏み込めなかった知的障害と言われる人たちのことや、遷延性意識障害と言われる人たちの問題等も論じました。
 私たちの叫びともいえるこうした思いを、少しでも世の中に届けるための一助となれば幸いです。
2015年5月6日 16時41分 | 記事へ | コメント(0) |
2015年03月15日(日)
2015年4月のきんこんの会のお知らせ
 日程の告知が遅れて大変申し訳ございません。年度末の工事等で教室が使えなかったので、3月のきんこんの会は行えませんでしたが、4月のきんこんの会を以下の通り行います。
 
1.日時 2015年4月18日午後2時〜午後5時
  (12時半から部屋を借りてあります。)
2.場所 國學院大學たまプラーザキャンパス1号館2F 410教室
 お車でお越しの際は、大変申し訳ございませんが、近隣のコインパーキングをご利用ください。

 きんこんの会は当事者が語り合う会です。当事者自身のご希望で、参加は原則として当事者に限らせていただいております。当事者の方のご参加は自由ですので、特にご連絡をくださらなくても大丈夫ですが、初めての方は、あらかじめご説明等が必要かと思いますので、柴田までご一報いだけると幸いです。
 なお、コミュニケーションの援助の方法等のご相談には別途応じさせていただくことができますので、ご連絡ください。
2015年3月15日 22時20分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2014年12月22日(月)
きんこんの会声明文の改訂案
 先日、ある集まりの中で、きんこんの会の声明文を聞いた当事者の方から、以下の文章を追加してほしいとの意見が出されました。
 それは、
「もちろん言葉を伝えられずに亡くなった仲間たちも幸せな人生を生きていたことを私たちは知っています。」
 と言う言葉です。それを加えた声明文は次のようになります。次回のきんこんの会で承認されればこれが新しいものとなります。
 この文章が付け加わる理由は、直前の文章で言葉を伝えることなく亡くなっていく仲間についてふれてあり、このことをつけくわえないとその人生がまるで不幸だったとらえる人がいては困るからだということでした。


  きんこんの会 声明文(改訂案)


 私たちはずっと気持ちを表現できないばかりでなく、何もわからないと言われてきた障害者です。私たちはずっと社会の中に生きていながらみんな私たちのそばを私たちに気づくことなく通り過ぎていきました。
 私たちの中には勝手に手が動いたり気持ちをうまく言えなくて違った言葉を口にしている人さえいます。そのことでどれだけ誤解されてきたかわかりません。だから私たちの行動を見て勝手に判断しないでください。私たちの気持ちは行動の奥底に違ったかたちで蓄えられているのでその気持ちにどうか耳を澄ませてください。どうか私たちの声に耳を傾けてください。
 私たちをずっと大切に見守ってくれた人は言葉の有無に限らずにいつもやさしく声をかけてきました。私たちはそんな人たちに支えられて今日があることを知っています。だけど社会はそんな人たちをも無視してきました。
 私たちの悲しさは、本当の声に耳を傾けようとしない社会です。いつかそんな社会は変わるだろうと思ってきましたが、社会は反対の方向に向かって動き始めてしまいました。だからこそ私たちは大きな声を出さなくてはいけません。私たちの声が小さいために生まれてくることができなかった仲間さえいます。だから、一刻の猶予も残されていません。
 まだまだ、言葉を発することなく亡くなっていく仲間たちがたくさんいます。今日もまたどこかで言葉を伝えることなく仲間が亡くなっているかもしれません。だから、私たちの言葉をもっと大きな声で遠くまで伝えたいと思います。もちろん言葉を伝えられずに亡くなった仲間たちも幸せな人生を生きていたことを私たちは知っています。
 私たちの夢は地域で生きていくことです。体にも不安な要素を抱えている仲間は一人暮らしはむずかしいかもしれません。しかし、気持ちの上では地域で一人暮らしをしていると思えるような場所がほしいです。そういう場所があれば私たちの心は自由に地域を生きていることになるのです。
 私たちを支えてくれる人たちへ。どうか私たちの前に出ないでください。私たちの後ろにもいないでください。私たちと共に手を携えてください。私たちの言葉の通訳は、私たちとのそういう関係を土台にしてお願いします。私たちが本当に求めているものは、共に生きてゆく関係です。




2014年12月22日 22時50分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2015年1月のきんこんの会のお知らせ
 2015年最初のきんこんの会は、1月24日土曜日に下記の通り開催させていただきます。当事者のご希望で今回も公開というかたちはとらずにやらせていただきますので、どうぞご了承ください。ご質問等ある方は、お気軽にご一報ください。
 
 日時 2015年1月24日土曜日 午後2時から5時 
 場所 國學院大学たまプラーザキャンパス1号館410教室

 きんこんの会は、コミュニケーションに困難をかかえる当事者が、自由に語り合う場です。2010年に誕生し、活動を続けてきました。
 きんこんの会では大勢で話し合うために、コミュニケーションの援助はたいへんスピードの速い方法で行っているので、初めてご参加の方には、どのような方法で相手の言葉を伝えているのか、なかなかわかりにくいことがあるかと思います。コミュニケーションの方法についてていねいにお伝えするには、きんこんの会以外の機会が必要かと思います。そのために、きんこんの会の当日、1時頃から方法をご説明する時間を設けたり、別の日程を調整して大学に来ていただくなどしております。
どうぞ、お気軽に、ご一報ください。

 お問い合わせ先  yshibata@kokugakuin.ac.jp

 なお、大変申し訳ございませんが、当日お車でお越しの方は、近隣のパーキングをお使いいただけますよう、お願い申し上げます。
2014年12月22日 21時44分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2014年10月20日(月)
2014年11月のきんこんの会のお知らせ
 次回のきんこんの会は、2014年11月22日土曜日に下記の通り開催させていただきます。当事者のご希望で今回も公開というかたちはとらずにやらせていただきますので、どうぞご了承ください。
 
 日時 2014年11月22日土曜日 2時から5時 
 場所 國學院大学たまプラーザキャンパス1号館410教室

 きんこんの会は、コミュニケーションに困難をかかえる当事者が、自由に語り合う場です。2010年に誕生し、活動を続けてきました。
 きんこんの会では大勢で話し合うために、コミュニケーションの援助はたいへんスピードの速い方法で行っているので、初めてご参加の方には、どのような方法で相手の言葉を通訳しているのか、なかなかわかりにくいことがあるかと思います。コミュニケーションの方法についてゆくりとお伝えするには、きんこんの会以外の機会が必要かと思います。そのために、きんこんの会の当日、1時頃から方法をご説明する時間を設けたり、別の日程を調整して大学に来ていただくなどしております。
 どうぞ、ご一報ください。
2014年10月20日 23時38分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2014年09月16日(火)
Nさんの詩「かあさんへ」 2014年9月7日
 1年前にお母さんをなくしたNさんは、グループホームで暮らしています。おかあさんの遺言は、Nさんが青年学級に通い続けられるようにすることでした。青年学級のあとに、Nさんはこんな詩を綴りました。

  かあさんへ

ぼくはこうして今かあさんの残してくれた
たった一つの贈り物である青年学級にいます
みんな新しい世界へ旅立つために
今一生懸命に翼を整えている
僕もこんな歳になってしまったけれど
新しい世界への旅立ちのために
翼を整えているところです
でも僕が飛び立つ新しい世界は
かあさんのいる
空の上かもしれません
でももうこの世界は変わろうとしています
ようやくぼくたちの世界が生まれようとしています
世の中には出生前診断というような
世界を前に戻すような寂しい流れもありますが
確実に世界は変わろうとしています
翼に身を委ねて
ぼくは新しい世界に旅立とうと思います

2014年9月16日 11時37分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 / ダウン症の当事者 / 出生前診断 |
わずかな目我の轍を意味と知り F君の俳句 2014年9月13日
 肢体不自由の特別支援学校高等部に通うF君の俳句です。

ないをわざとあるといううそ満ちるもの。これはわざとはスタップ細胞のことです。
わがままと元気な子どもに言うなかれ。
わずかなり我らを友と呼ぶ人は。
わだかまり解けることなく二年過ぎ。
小さき目見守るままに我進む。
技はよき知らせを伝え我が俳句。
わずかばかりどうして鷲は若い目か。
二本の轍未来に続く輪よ回れ。
二本の輪ともに理想を貫ぬきて。
技をなくし佇む我はぬかるみに。
わずかな目我の轍を意味と知り。
わずかな手我の車を願い押し。
わずかな日夏の轍を照らしたり。
瑠璃色に輝く轍空映す。
分相応貫き我は理想手に。
わずかな世わずかな希望を人間に。
わずかな分われにはありぬ輪にかけて。
未来こそ我は作りて人間に。
誰一人欠けることなく生受けよ。
よし行けと背中を押せよぬかるみで。
無慈悲な世わずかな光さえ消して。
世も末と夢の果てし日決意せり。
わずかな目瑠璃色の空映しつつ。
忘れないみんな黙らせ決めたこと。
茫然と佇む我ら愚の決定。
みな瞳光なくせり百合枯れる。
疲れた身理想さえなくぬかるみに。
無我になれわだかまりこそ理想ゆく。
わっと泣く心ふさぎて闇深し。
未来にも理想は続く輪のごとく。
よい知らせ届かず日本に理想なく。
分は我にあれど届かず我が理想。
茫然と人間は今未来なく。

2014年9月16日 11時32分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主G埼玉2 / 出生前診断 |
Sさん、Kさん、Tさんのそれぞれの思い 2014年6月14日
 施設での虐待のニュース、繰り返し語られる出生前診断のことなど、重苦しい空気に対して、2014年6月14日、ある会で記された三人言葉です。掲載がたいへん遅くなってしまいました。

S.Uさん
 なぜみんな人生を乗り越えないままに施設にも入れられたり忍耐ばかりしなくてはいけないのでしょうか。もう少し早くわかっていたらみんな間に合ったのに残念です。私たちにも人間としての尊厳があるので人間としてがんばりたいです。


K.Fさん
誰にまだ我らを託す世ではなし。
小さき目なぜ摘み取るか濡れた顔。
人間に生まれた子どもとなぜ言わぬ。
分相応馬鹿にするなと僕は立つ。
理想などかなぐり捨てて悲しき世。
人間はわずかな希望さえあればよし。
わずかな手理解する目が我包む。
わだかまり越えてみんなでまなざそう。
ろうそくが消えてまたやみ深まれり。
技をなくし佇む前に光は無。
勇気なく理想を下ろすか我が仲間。
わだかまりなければ希望も湧くものを。
道遠し人皆生まれる時となる。
理想捨てランプも消えて我悶え。
わだかまる罪なら罪をなくすべし。
ろうそくは本気の光なくしたり。
瑠璃色を見せてあげたし生まれない子に。
和よなぜに断たれる人と結ばれる。
和は断たれ残酷な知らせ届き足り。
紫陽花を七色にする雨も散る。
罠ならば落ちぬと身に告げ五月雨に。
罠をなくし私も素直に空見上ぐ。
罠を探し小さな舟を浮かべたり。
わだかまり解かしてあたたかき雨の降る。
わだかまり忘れて私は空仰ぐ。
わずかな目ゆゆしきままに梅雨深し。。

 よい番組を見ました。ダウン症の人がテレビで検査に抗議していました。なぜか笑いを取りながらでしたがとても真剣な気持ちが伝わってきました。うちではみんな感激して見ましたがみんなには伝わったでしょうか。.



T.Eさん

    楽園よ再び

わずかな昔の希望さえ消え去った楽園は
もはや輝きを失って
わずかな未来はもう消え去ったかに見えた
勇気は体中から消え去り
ただこの体だけが自分の前に残った
呼んでも答えは返ってこずに
ただ空しさだけが残った
茫然とした耳に
かすかに昔聞いた希望の歌が聞こえてきた
未来をまた僕は取り戻せそうだ
勇気が再び体に満ちあふれ私は
もう一度楽園に森が戻っていくことを疑わなかった
2014年9月16日 11時06分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主G埼玉2 / 出生前診断 / 人権侵害 |
小さくとも瑠璃色の魂ここにあり Sさんの俳句 2014年8月31日
 ダウン症の当事者として繰り返し出生前診断をめぐって告発を続けてきたSさんの俳句です。何度も同じテーマについて作句を続けてきて、内容も繰り返しになってきたけれど、今は、自分の思いが届くまで、俳句を作り続けると語っていました。

なぜに世は私を無視して無に走る。
技も絶え心も絶えて未来なし。
小さくとも瑠璃色の魂ここにあり。
わだかまり誰にぶつけんわが穂何時。
地域にも確実に願い届きたり。
手をとりて無我のままに問う人今度。
ずんずんと積もりたる雪ぶかぶかに。
わずかな夢断たれてなるかと立つ朝(あした)。
わびしき音ろくでもないと聞こえたり。
つらき日々過ごしたる人紅の爪。
私の手むき出すものと知りし朝。
ついに辻曲がりたる世よぬかるみに。
分を知るわれなれど許せぬわだかまり。
小さき世われらを捨てて瓦解せり。
分相応許してなるか没落を。
技は技心は心願う日々。
ランプの火誰に消せようぬいぐるみ。
わずかな夢断たれまいとて武器を取る。
人間の誇りをなぜに捨てる世は。
罠に落ち罠に気づかぬ無下に消し。
理想われ手放すことはない夜よ。
忍耐はいくらでもなすわだかまり。
分相応分に応じてわれ怒る。
小さき火ともりし日はどこ暗き世に。
わざわざに勇気ふるいて世に問いし。
理想なくし漂う世にも希望あり。
勉学は人の幸せ凡庸に。
よい知らせ届くことなく夏の行き。
人間はぬくもりだけを求めるもの。
冒険は胸躍るもの随所にあり。
ミラクルは積み上げたところで開くもの。
忍耐をなくすまで理想途絶えたり。
2014年9月16日 10時58分 | 記事へ | コメント(0) |
| ダウン症の当事者 / 出生前診断 |
次へ