ニックネーム:WildChild
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2016年01月07日(木)
謎の種族"ロクシャン"Loxian"
エンヤの楽曲の中に、"ロクシャン"という人造語で歌われた曲がある。
これは、作曲されたメロディーに対して、英語でもゲール語でもしっくりこなかったので、トールキンのエルフ語に倣って架空の言語を造りだしたものである。
この"ロクシャン"が初めて登場したのが、2005年のアルバム"Amarantine"。

"Less than pearl" "The River sings"は"ロクシャン"の探求、"Water shows the hidden heart"は地球の記憶を捉えた一人の男の物語である。
それから10年、アルバム"Dark Sky Island"で、"ロクシャン"が再び登場。
”The Forge of the Angels"は、宇宙船"エンジェルズ"に乗って旅をする曲。
この旅は、アルデバラン(おうし座α)から始まり、地球に似た惑星を目指すという物語。
そして、"Loxian Gates"は、彼らが後にした地球の四季の思い出に浸り、彼ら自身の四季を語っている。

さて、この"ロクシャン"とは一体何者なのであろうか?
「"ロクシャン"は我々の末裔であり、我々は失われた祖先なのです。彼らは一つだけ我々と共通点があります。その始まりと終わり、存在理由、そして宇宙には本当に自分達しか存在しないのか、といった回答と真相を永遠に探し求める所である。」

そこで、"ロクシャン"は地球生まれで、宇宙の彼方に移住した種族なのだろうか?
そこには、ケルトの来世感が感じとられる。
アルデバランは、ケルト人にとって、サウィンの日没とともに昇ってくることから、新天地の目印である。
そして満月がおうし座に入ると、新天地への扉が開かれるという。
その新天地とは、シード(妖精の世界)であったり、死後の世界、或いは来世である。
ク・ホリンを始めケルトの多くの英雄がサウィンに死んでいる、ということは、新天地へ旅立ったということを物語っている。

エンヤは、宇宙を妖精の世界、或いは来世と重ね合わせているように思える。
光速で旅をすると、自分ではわずかな時間しか体験していないのに、地球に帰還すると何百年も経っている、という「アインシュタインの相対性理論」はまさに妖精の世界の時間の流れの違いを物語っている。

このように考えると、"ロクシャン"は、我々の来世の姿なのかもしれない。
2016-01-07 20:33 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2011年01月30日(日)
White Is In The Winter Night
Green is in the mistletoe and red is in the holly silver in the stars above that shine on everybody Gold is in the candlelight crimson in the embers White is in the winter night that everyone remembers これはエンヤの曲の歌詞の一節である。 そこで、これらをイメージした1枚のキルトを作ってみた。 雪柄のプリントをバックにして、ケルト十字のリングの中をローソクの炎をイメージした真紅のむら染めを入れてみた。 ボーダーにはヤドリギ、赤い実はヤドリギの実にもヒイラギの実にも見えるところだ。 そして、更に外側にヒイラギと松、ヤドリギ、雪のプリント、そしてコーナーの三日月と沈んだ太陽で夜をイメージしてみた。 ところで、クリスマスにヤドリギを飾る習慣は、冬に宿主である樫が葉を落としても青々とした葉をつけているために、 木々が再生したかのように見えるので、古来神聖視されたことに由来する。 ヤドリギは林檎などの木にも生えるが、樫に生えたものが特に重宝され、陰暦6日(月の引力と関係があるのでしょう。)にそれを摘み取った。 薬としては腰痛や高血圧症に効果がある。 三日月とドングリのパターンはそんな意味合いも込めている。 そして、沈んだ太陽には時計回りのきつい渦巻きを入れた。これは冬の弱弱しい太陽を意味している。 残るは、ローソクの明かりの金、星の銀であるが、このキルトでは特に強調できなかった。 しかし、布のラメに入っていることを考えれば、まんざらでもないであろう。 参考文献

2011-01-30 15:55 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年12月28日(月)
雪と氷の旋律
 
2008年晩秋、エンヤのアルバム「雪と氷の旋律」をリリース日に購入、
その楽曲のイメージや、アルバムジャケットのデザインを見て、Aon Celtic Artの雪の結晶の組紐を使った、
冬らしいキルトを作ってみようと思いついた。
 そこで完成したのがこの作品。
 
最初は、全体をケルティックデザインで埋めようかと思ったが、
台布の雪柄のプリントを購入したら、ボーダーに雪景色があり、
これもイメージにピッタリなので、交互に配置した。
 組紐その他の布にはいかにも寒々とした色の和布を使った。
   
 エンヤの表に出る時期は必ず秋や冬であり、楽曲も冬ソングに偏っている。
初夏を歌った曲は1曲もない
(通年の曲、例えば"Sumiregusa"の一部にある程度である)
 それもそのはず、冬はエンヤの最も好きな季節であり、生まれた季節である。
 「雪と氷の旋律」のリードトラック"Trains and Winter Rains"はそのことを物語っているのである。

2009-12-28 19:22 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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2009年03月11日(水)
コリニーの暦詳細情報-エンヤ誕生日説再考
 ケルトの暦については、様々な文献で調べてみましたが、詳しい情報が少なく、推測の域を出ることがなく、困り者でした。

 暦として有名なものは、紀元前1世紀頃(紀元2世紀末という説もある)の青銅版に刻まれた「コリニーの暦」があります。
 その「コリニーの暦」について先日詳細情報が書かれたWebサイトを見つけました。

  The Coligny Calendar Page

この暦は5年2閏62ヶ月の陰暦で、3年目の6月と5年目の12月に閏月が入る。
 各月の名前とその意味について、そしてグレゴリオ暦の大体いつ頃の時期かを示す。

冬の半年間
1.Samonios 夏の終わり、又は種の蒔きどき 10月ごろ
2.Dummanios 暗い月 11月ごろ
3.Riuros 霜の降りるとき 12月ごろ
4.Anagantios 屋内 1月ごろ
5.Ogronios 寒いとき 2月ごろ
6.Cutios 風が吹くとき 3月ごろ
夏の半年間
7.Giamonios 冬の終わり、又は若枝の出るとき 4月ごろ
8.Simiuisonnos 春めいたとき 5月ごろ
9.Equos 公正、又は馬 6月ごろ
10.Elembiuios 多数の障壁 7月ごろ
11.Edrinios 暑い時期 8月ごろ
12.Cantlos 歌、又はさえずり、せせらぎ 9月ごろ

このことから分かるとおり、各月には自然現象や生活にちなんだ名前が付けられている。

 ところで、5年2閏の周期の繰り返しとすれば、5年ごとに4〜5日遅れてしまう。
そのために、180年もすれば、季節が完全に逆転してしまい、元の年初に返るのには360年かかってしまう。
 このずれを調整するために、40年毎に閏月を1回外しているのでは、といった情報もあるのです。

 この暦の新紀元は1999年10月8日の新月だという。
したがって、ケルト暦の1月1日は、サウィン(ハロウィン)の前の新月である。

 さて、エンヤの生年月日であるが、「1961年5月17日」というのはケルト暦の表記である。
この時は西暦で言うといつになるか。
これまで、1962年の11月か12月と考えていた。
しかし、上記の暦の詳細を調べていくと、1963年2月10日ではないか、ということが分かった。

 エンヤがクラナドに加入した1980年(ケルト暦1979年)は「18歳」と書いているが、正確には17歳8ヶ月か9ヶ月ぐらいである。
ソロ活動を始めた1982年(ケルト暦1981年)も「20歳」と書いているが、正確には19歳9ヶ月か10ヶ月ぐらいである。
 だから、「ガイアシンフォニー」のプロフィールに書いてある「1963年生まれ」が正確というわけである。
 アルバムライナーノートの執筆者たちに、「1962年生まれ」との情報があるのは、クラナド加入時の年齢から逆算してのことであろう。

 エンヤはアルバム「雪と氷の旋律」のインタビューで、「冬が好きで、人生の節目を感じる時」だと言っていました。
冬生まれなら、ごく自然ですね。
2009-03-11 08:29 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年02月28日(土)
エンヤはいつ生まれたのか?
新情報がありましたので記事を更新しました!  私はエンヤのオリジナルアルバムを日本版ですべて持っています。
 そのライナーノート(いずれもエンヤにインタビューして書かれている)や取材記事によればどれも1962年生まれとしか考えられず、その中の「Shepherd Moons」には誕生日が9月より前ではない記述がありました。

 また、「ガイアシンフォニー(地球交響曲)」の出演者プロフィールには「1963年生まれ」と書いてありました。
 ケルトの1年は11月1日(サウィン祭)に始まるというので1962年の11月頃に生まれたと考えられます。
 ところが、現地の公式Webサイトには「1961年5月17日生まれ」と書かれていました。
 
 これってあまりにも見当違いですね。

 ところで、ケルトの旧暦について文献で調べてみました。
 これは太陰太陽暦で5年に2回閏月が入るのですが、太陽暦の5年より5日程長いので、何世代も使ううちに季節が少しずつずれてきます。
 そうなると「5月」が秋や冬に来てもおかしくありません。

 ところで、15世紀にマロリーによって書かれた「アーサー王の死
」に、
「5月1日生まれの子がアーサー王を滅ぼす。」というマーリンの予言でかき集められた子供たちの中に、「生後4週間の子もいた。もっと幼い子もいた」と書いてあります。
 これってケルトの旧暦で誕生日を言っていることが分かりますね。

 また、フランク・ディレイニー著「ケルト―生きている神話
」には18世紀のアイルランドのケルト人の詩人・ブリアン・メリマンが「生まれたのはおおよそ1749年」とあります。
 生年は何とか分かっているが、誕生日まではっきり分からないというのは、恐らく生年月日が旧暦で残っているからではないでしょうか。

 エンヤはアイルランドの中でも古代ケルトの文化が根付いた地方でゲール語を母国語として育ったのですから、旧暦も残したかったために、公式Webサイトに生年月日を旧暦の日付で書いているのではないかと思うのです。

 ただ、何もそういった断り書きがないので、しばしば西暦と誤る人が多いと思います。(ケルト人は昔から文字を拒む習慣がありましたから。)
そのために、ネット上では5月17日を誕生日と誤解してしまい、この日にお祝いの書き込みが殺到してしまっているらしいのです。

  
この記事について燈子さんからこのような質問がありました。

「5月」が秋や冬に来てもおかしくありませんについて

 『ケルト人の世界』という本によれば、5月は、牛を牧草地へ連れ出すことができるほどに暖かい季節が始まる頃で、5月1日にベルティナあるいはケートハブン祭が行われていました。
 その祝祭では、牛たちを病気から護るために二つの大きな火の間に追いこむ儀式をドルイド神官が行っていたそうで、長らくキリスト教時代になるまで続いたとあります。
ケルトの暦は牧農周期と密接に結び付いていると思われるので、5月が秋や冬にずれ込む前にどこかで調節しているような気がしますが。。。
 実際のところはどうなんでしょう??

それに対する私の答え
クリスティアーヌ・エリエールケルト人―蘇えるヨーロッパ「幻の民」
ベルンハルト・マイヤーケルト事典

によると
 2000年ほど前のケルトの旧暦のカレンダー「コリニーの暦」には「1月17日」に「今日はトリノクス・サモニ(ケルト語で冬を「ギアモン」夏を「サモン」と云い、「サモニ」とは「夏の終わり」という意味なのでサウィン祭のこと)」と書いてありました。
 これによるとこの時は「1月」が秋になっていたわけですからやはり、季節がずれ込むものだと思いますよ。
コリニーの暦の参考サイト  尚、あなたがおっしゃるベルティネ祭の5月1日は太陽暦の日付です。
 すなわち、サウィン祭やベルティネ祭などの季節の祭りは日本の旧暦で言えば二十四節気に当たるものですね。
 「アーサー王」のエピソードはともかく、カエサル「ガリア戦記
」6章18節には、ガリア人(ケルト人のこと)は誕生日を日の数ではなく、夜の数、つまり月の周期で祝っていることが書かれています。

再び燈子さんの返事
 出典をお知らせくださいまして、ありがとうございます。未読で申し訳ありません。
 祝祭はもちろん実際の季節に従って執り行われていたのでしょうが、祝祭の日にちとケルト暦とは連動していなかったということなんですね。
 勉強になりました。どうもありがとうございます。

このほかの参考文献
図説 ケルトの歴史―文化・美術・神話をよむ
ケルト文明とローマ帝国

当記事にこれまでに寄せられましたコメントのまとめは
こちらへ。


2009-02-28 16:50 | 記事へ | コメント(48) | トラックバック(23) |
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