(2008年の記事です。既にこの個展は盛況のうちに終了しています。)
先日お知らせしました、島津貴充氏の個展が、26日、予定通り始まりました。
上の写真は画廊のオーナーさんが携帯電話のカメラで撮影して送ってくださったもの。
一番奥の壁面には、告知に使用された作品が掲げられているのが見えますね。
本当は僕も是非会場へ出向いて拝見したかったのですが、どうしてもスケジュールの調整がつかず、今回は断念しました。
関東方面の方は是非会場へ!
30歳代の後半から、僕もだんだんと、
「演奏には人柄が反映される」
というようなことを実感として捉えることが出来るようになってきましたが、それはどうやら、美術にも共通して言えることなんじゃないかと(美術に関しては門外漢の僕ですが)最近は思うようになりました。
何がどう反映されるとか、言葉では表現できませんが、島津氏のお人柄に個人的に触れさせていただく機会にめぐまれた立場で、氏の作品に触れますと、なんとも言葉では言い表せない、それでいてはっきりと、
「あ、この作品から溢れてくるものは、島津さんそのものだ」
と感じるものがあるのです。
油絵や水彩、その他、古くから人間が美術の表現手段として用いてきた技法と比較したとき、「CG]というと、どうしても、
「無機質で温かみがない」
という先入観で捉えてしまいがちなのですが、それは島津さんの作品を見る限り、まったくのくだらない先入観であることに気づかされます。
表現の技法として、どんなに最新の電子機器や電算技術が介在していたとしても、そこにそういった道具の持つ「無機質さ」をはるかに凌駕する、圧倒的な作者の表現に対する思いや衝動が有る限り、その作品は温かい血の通った芸術になりえるのです。
逆の見方をすれば、CGとは、絵筆や絵の具の物理的な特性が生み出す偶然性に頼った、いわゆる「ヘタウマ」的な味わいを持つ表現が制限される分、まるでインクのドットの一粒一粒にまで作者の創作意図を込めていくような、緻密で強力なエネルギーが無いと成り立たない、非常にシビアな表現手段であると言えます。
にも関わらず、ここまで血の通った味わいを持つ、島津氏の一つ一つの作品に注がれるエネルギーは、まさに芸術家にとって「命」とも言える「表現することへの欲求と衝動」であり、その輝きは、言葉では表現できません。
芸術の秋、ぜひ島津貴充展へ。
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