ニックネーム:tamaki
性別:女性
環会主宰者です。これまでも、お茶を通してほんとにいろんな方々との出会いがありました。今また、この会を通して、さらに多くの方との出会いがありそうで、期待に胸をときめかせて(?)います。お茶に興味のある方、どうぞ扉を叩いてください。お力になれることがあれば幸せだなあと思ってます。どうぞよろしく。

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バイオグラフィー
2012年01月13日(金)
みどりの庵から(3)
 暖かい年の瀬と思っていましたら、ここのところ急に冷え込み、お正月の準備に追われる身としてはつめたい時雨空を恨めしく見上げたりなどしております。といって、みんなの後からついて廻ってるだけなのですけれど。盆地だからでしょうか、狭い土地なのに京都は、ほんのわずかな距離でお天気が違ったりします。北山では時雨れていても、東山のふもとのあたりは薄陽がさしていたり、京都駅あたりで風花が舞っているのに、四条はカラ天気とか。だけど青森でも、山のお天気はそりゃあ変りやすいものですもんね。雪は年々、少なくなっているみたいですが・・・。今時分は先生もお正月に見えるお孫さんたちのために、いつものようにいろいろお支度をされておられることと思います。
 事始めが終わったら決められた準備やしきたりをこなしていくのが普通ですけど、今年は外国からお客様が見えるとかで、1日、そのおもてなしにかかることになりました。鹿ケ谷の奥にある山荘を使われるそうで、お茶事でのおもてなしです。私は前日のお掃除に行くことになりました。水屋の下っ端のヒロさんが一緒で、先輩格の岩田さんがリーダー格です。岩田かあ、融通きかねえよなあ、などとヒロさんは言いますが、彼はお調子者なんだから、ちょうどいいんでは、と思っています。
それより今気になっているのは葉月ちゃんのことです。いえ、怪我の回復は順調のようなんです。しばらく前から妙だな、と思うことが多くて、たとえば体操服が墨汁で真っ黒になっていたり、毎日のように失くし物をしたり・・・。もっとも私はお嬢さんたちの身の回りのことを任されているわけでもないので、はっきりしたことはわからないのですが。実はこの間、風邪で登校できなかった葉月ちゃんに、プリントを届けに来た子達がいたんです。奥様も依田さんも不在でたまたま私が受け取り、ありがとね、といって何の気なしにそのプリントを見ると、行事予定や宿題の内容についてなんですが、なんだか肝心のページが抜け落ちているような感じなんです。これで全部?と聞くと二人連れの女の子達ははい、と言いながらもぞもぞしています。ちょっと、あなたたちの分見せてくれない?と言うとふたりは泣き出しそうな顔になりました。我ながらいつも思うのは、ハナがきく、という自分の習性です。なんたって代々、恐山のイタコの家系ですからね。でも決して目の前の女の子ふたりを威したわけではないですよ、先生はその昔の(あんまり昔でもないですが)言い出したらあとへはひかない子供だった私を思い浮かべていらっしゃるかもしれませんが。その気配におされてか、イタコの念力によってか、女の子達は魅入られたようにカバンから自分たちのプリントを出しました。思ったとおり、葉月ちゃんにと渡された分からは行事予定のメインのページが抜け、宿題に至っては三分の二が記されたページがない。
「最初からなかったの?」
 ふたりは怯えています。ちょっと待ってて、と多少声をやわらげ、すばやく台所脇の小部屋にあるコピー機で本来のプリントのコピーをとりました。むくむくと不穏な雲が胸の中に膨れ上がります。けれど、私に出来ることはしれてる。はっきりいって出る幕じゃないかも。しかしとにかく、つきとめなくちゃ。玄関先でふたりは、悄然としています。自分たちのプリントを私に奪われたため、帰るに帰れないのです。そこが子供ですね。
「あなたたちが落としたの?」
 オトナの威厳をにじませて問いただします。ふたりはあわててかぶりをふりました。
「そうよね、先生から預かった大事なものだもんね、なのにどうしてこんなに抜けてるの?曽田かおるちゃんと西根絵麻ちゃん、残りはあなたたちが持ってるの?」
 学校指定のキャンバス地のカバンには、名前が書いてあります。フルネームで呼びかけると、曽田かおるの方はさらにうつむいてしまいましたが、西根絵麻はなかばあきらめたように、あたしらのこと言わんといてください、と前置きし、葉月ちゃんに対するいじめのことを打ち明けたのです。こうなると女の子というものは内緒話が好きです。お勝手でお茶と切り分けたそぼろ羊羹を振舞ってやるとふたりの舌はほぐれ、はじめはだんまりを決め込んでいた曽田かおるの方も、ぽつりぽつりと話し出しました。
 それによると、葉月ちゃんへのいじめは、そう以前のことからでもないらしく、あの怪我の少し前から始まったということですが、そのきっかけというのを聞いたとき、私は本気で腹を立てました。なんでも先行していじめられていたという子を葉月ちゃんがひとりでかばったため、いじめの対象が彼女に移ったというのです。しかも助けてもらったにもかかわらず、元のいじめられっ子は今度はいじめの側に加わっているとか。
「そやかて、そないせえへんかったら、今度は自分がやられるもん」
しゃらんと言う西根絵麻にイラつき、
「やられるって・・・なんで起って闘わないの!」
怒る私を、ふたりは奇態なものでも見るかのような表情です。
「だいたいね、恥ずかしいことじゃあないか、弱いものいじめなんて!」
「しとうてしてるのとちがうもん・・・」
 蚊の鳴くような声で言う曽田かおるに、
「じゃ、なんで?したくないのに、なんでいじめなんかするの?」
 またうつむいてしまいました。妙に強情なところもありそうです。私は(全く関係ないのですが)気を静めるために「・・・その道に入らんとする心こそわが身ながらの師匠なりけれ・・・」と利休道歌を口の中で唱え、なるべく優しく、
「したくてもしなきゃいけないことは、一杯あるでしょう?宿題だってそうかもしれないし、掃除当番とかもそうかもしれないし、わざわざ増やすこと、ないじゃない?」
「えー、でもなあ、ネットの掲示板とかにもめちゃくちゃ書かれんねんで〜」
西根絵麻のほうが、語尾を引きずるような京都弁でさえぎります。先生、ほんとうに子供のいじめもここのところ急速に変ったんですね。私はふと思いつき、
「もしかして、葉月ちゃんの怪我も、いじめからなの?」
 ふたりはどちらからとなく顔を見合わせます。
「わざと、怪我させられたの?」
「茜ちゃん」
ふいに背後から聞こえた声に振り返ると、そこにはパジャマ姿で片足にギプスをはめた葉月ちゃんが立っていました。マグを持っているのは、飲み物でも取りに来たのでしょう。
「ふざけてて階段から落ちただけ。みんなに、そう言ったよ」
「葉月ちゃん。熱は?」
「もう大丈夫・・・茜ちゃん、そぼろ羊羹、あたしにもちょうだい」
「え?いいけど、甘いもの、嫌いじゃないの?」
「今日はなんか食べたいから。そこ、すわっていい?ごめん、茜ちゃん、肩につかまらして」
片足でぴょんと器用に跳ぶと、葉月ちゃんは私の肩に軽く触れただけで、ギプスの足で座り込みました。そしてにやっ、とクラスメートふたりに笑いかけます。つられてか、ふたりの表情もほぐれたようです。
 紅茶を入れてやることにして私が立つと、三人はおしゃべりを始めたようです。問題が解決したわけではないのでしょうが、私はなんとなくほっとしました。しばらく見守っていたほうがいいとは思いますが、葉月ちゃんの強さと明るさに期待しましょう。危うく、バアチャンゆずりの呪いのパワーを発揮するところでした。危ない危ない、みだりに使うものじゃない、思い出してもいけませんね。
 それでも、折を見て奥様には葉月ちゃんのことはそっと伝えようと思います。葉月ちゃんの本意ではないかもしれませんけど、どう思われます?先生。
 しかしその機会がないままに、鹿ケ谷の山荘へ掃除に行く日になりました。幸い寒さの緩んだ朝で、とにかく日のあるうちに外回り、つまり露地関係を済ませようと6時半の出発です。
「めし食った?」
車に乗り込むまえにそういうヒロさんに、
「もっちろん。いつもどおり6時にはご飯炊けてるんだから。ヒロさん、今朝食べに来なかったじゃない」
 ヒロさんはふわぁ、とあくびともため息ともつかない音をもらしました。
「勘弁してくれよ、だいたい家元が早起きすぎるんだ。合わせて起きなきゃいけないこっちの身にもなってくれよな」
「それはいつものことじゃない・・・ああ、わかった、二日酔いなんだ。そういえば、お酒臭いや」
 どんよりと血走ったようなヒロさんの目を覗き込んで私は言いました。
「ま、お昼ごろには直るわよ、動いてたらもっと早く、アルコール抜けるかもよ」
 ヒロさんは冴えない顔つきのまま、返事もしません。運転席に陣取る岩田さんの顔を見て、私も口をつぐみました。鬼瓦だってもうちょっと可愛げありそうな、という感じです。
「はやいとこ、やっつけような」
 ヒロさんがぼそっとつぶやきます。それに越したことはない、と思いながら
「夕方までには帰れるわよね」
と答えた私は、多分アサハカというべきだったのでしょう・・・。先生、続きはまたの機会に!どうぞお風邪などひかれませんように・・・。
                            茜
2012-01-13 21:04 | 記事へ |
| 茶道をめぐる短編 |
2012年01月01日(日)
みどりの庵から(2)
 先生、ご無沙汰して申し訳ありません。13日は「御事始」でした。お正月の準備はこの日からとか。それにつれてやっぱり何かとばたばたし、落ち着いてお便りする気にもなれず・・・というのは言い訳ですけど。
ことはじめ、なんて京都に来て初めて知りました。芸妓さん舞妓さんたちがお師匠さんに挨拶されてる光景はテレビでみたことあるんですけれど。それ以外でもお稽古事のほうではこういうしきたりなんですねえ。お弟子さん、つまり社中さんたちがそろってご挨拶に見え、ご祝儀として鏡餅を持ってこられる・・・というのが本筋なのですが、物資不足の時代じゃないんで、そうそうお餅ばかり並んでも、ということなのでしょうか、もっぱら「軽くて四角いお餅」が多いようです。お鏡はでも、大小とりまぜて大広間に飾られます。そのためにちゃんと届くようにはなってるんですね。もっともお正月中これで済ますわけではありません。事始に飾られる鏡餅は、あくる日までにさげられ、うちうちでいただくことになります。新年のお飾りはまた別。
「お餅って、ご飯二杯分のカロリーとかいいませんかあ?」
余りそうなお餅を細かく四角に刻みながら、先輩の依田さんに肩越しに問いかけます。これは揚げて、お醤油にまぶすんです。そうすると若い住み込みさんたちなんか、すぐに平らげてしまうので効率いいんですが、ちょっと手間はかかる。
「腹もちはいいから、そうかもしれんわねえ」
依田さんは煮物の鍋を覗き込みながら答え、菜箸でちょいとちょいと中身をつつきながら「若い人お餅なんか食べへんもんね。うちの姪なんかでも、そらさっぱり」
「葉月ちゃんや沙羅ちゃんは好きみたいだけど」
「まだ小学生やもん。・・・そういえば、葉月ちゃん、今日も遅いかねえ」
「ヒップホップの大会、もうじきですもんね」
 小学生の部に長女の葉月ちゃんは出場することになっていて、しかも中心で踊る3人に選ばれたとかいうことで、このところその特訓で遅くなる日が続いているのです。
「ここはお姉ちゃんが活発で、下のお嬢ちゃんのほうが物静かやねえ、普通はさかさまやけどね」
 お茶席に晴れ着を着てお運びに出たりするのも、どっちかというと葉月ちゃんは面倒くさがります。しきたりどおり6歳の6月6日から、ふたりともお茶のお稽古を始めたと聞きますが、葉月ちゃんよりあとから始めた3つ年下の沙羅ちゃんのほうが、これも熱心なようです。
「将来、お婿さんもらって跡継ぐののは、そしたら沙羅ちゃん?」
「さあねえ・・・そんなこと、まだわかりますかいな。だいたい、ご養子さんいうても、難しおすえ、特別なおうちやし。」
「住み込みさんたちは?」
「今いてはる人ら、お嬢ちゃんらの相手にしたら年ひねすぎですやろ。大体にして、お嬢さん任せて跡継ぎに出来るような人いてはりますかいな」
最後のほうは依田さんも声をひそめます。そういえば依田さんは結構がっちり小金をためていて、飲みに行くのに懐の寂しい若い水屋さんなどは、彼女を拝み倒してお小遣いを借りていったりしてるようです。それが結構高利回りとか。ウソか本当か知りませんが。
「男の子さんがいてはったらよろしけど、それも考えもんでなあ。出来のええ人ならともかく、箸にも棒にもかからんような跡取りやったらえらいことや。お嬢ちゃん据えといて、ええとこの坊ンに、来てもらうほうがよろしで・・・。お茶なんかでけへん人でも」
 こんなおうちに生まれると、結構いろんな制約があるかもしれません。それにしても女帝も取り沙汰される時代に、跡取りは男、なんて本当に珍しい世界ですよね。
 そのとき境の戸がガタピシ、という感じで開き、奥様があわただしい様子で顔を出されました。
「ちょっと出てきます、学校から連絡あって、葉月が怪我したらしいの」
「いやえらいこと・・・どないしはりましたん?」
「くわしくはわからないけど、そうたいしたことでもなさそう。でも、病院に運ばれたとかで、今から行ってきます・・・あと、おねがいね」
 東京出身の奥様はこちらが長くなっても、京ことばは使われません。
「へえ、そら・・・。気をつけてお行きやす・・・ご心配なことで」
「たのむわね、茜ちゃんも」
私にもひとこと言葉をかけて、奥様は蹌踉として出て行かれました。
「誰か車、出してるやろか」
「ヒロさんいたと思いますけど」
「えらいこっちゃ、いいつけてくるわ」
依田さんもあたふたと割烹着をはずし、菜箸を私に押し付けて水屋さんのたまり場のほうへすっ飛んでいきました。菜箸を握りしめたまま、私も不安にかられます。あの元気な葉月ちゃんが・・・元気すぎて、怪我しちゃったのかなあ・・・大事ないといいけど・・・。

 葉月ちゃんの怪我は足首の骨折でした。一応全治3週間とかですが、子供のことだしくっつくのも早いよ、とお医者さんは言われたとか。でもヒップホップの大会には出られなくなりました。がっかりしているでしょうに、明るく振舞っている葉月ちゃんの健気な様子には胸を打たれます。でも、この出来事には思いがけない事情があったんです・・・。いけない、お勝手の手伝いをする時間になってしまいました。今日のところはこれで。
 またお便りします。
                          茜
2012-01-01 20:07 | 記事へ |
| 茶道をめぐる短編 |
2011年11月04日(金)
みどりの庵から(1)
「先生、お変わりなくいらっしゃるとのこと、ほんとうに嬉しく思います。災害続きの年、でも先生は変わりなく古希を迎えられ、本来なら盛大にお祝いすべきところですけれど、いろいろとご配慮のうえ、それは取りやめられたとか、母からの手紙にありました。先生らしいと思いました。災害とまではいきませんが、お天気も変ですね。四神相応の地とかいうここ京都でも、秋の木々の色づきが思わしくない年が続いているようです。気温がぐっと冷え込むと紅葉はより鮮やかに染まり、古都を彩ってくれるそうですが・・・。 でもこちらに出てきて2年、私の目に映る京都の秋は、四季の中でもとりわけ趣深く感じられます。みじかい青森の紅葉と比べ、日ごとに色と匂いを深めつつゆっくりと移ろう、ときの流れは染み入るように濃密です。けれど今年はなにやら辛気臭い長雨が続き、たまさか上がっても空気がぴりっとすることがなく、どっちつかずの晩秋です。
 しかし炉開きの日はいつものようにやってきます。中の亥の日、それまでに障子の張替え、畳替え、露地の手入れ・・・。経師屋さん、畳屋さん、庭職人さん、そのほかにも大勢の人の出入りがあり、小さな家元ですけれど、未熟な内弟子の私ですら座る間もなくいろんな用事に追われます。はじめてきた年の秋よりは、少しは馴れたつもりなのですが・・・。それでも時々へまをしては、先輩の依田さんに叱られたり、水屋詰めのヒロさんに怒鳴られたりしてます。ヒロさんは水屋の下っ端で、他のみんなにはヒロ、ヒロ、とこき使われてますけど、私よりはひとつ上なのでそのぶん、さん付けで呼びます。ちょっとあわてんぼうで、失敗の数にかけては私とどっちがどっちか、というくらいなんですけど。
 炉と風炉の灰をごっちゃにしてしまったとか、ちょうどよい加減につぼみのふくらんだ椿の、葉の数を落とせといわれ、苦心しているうちに落としすぎて一枚葉になり、使い物にならなくしてしまったとか。でも、こんなことは馴れないとわからないですよね。炉の灰も風炉の灰も、季節がすんだら丁寧にそれぞれ目のちがうふるいにかけられ、保存されます。利休さん時代からの風炉灰が箪笥にしまってあるとか、火事のときは真っ先に灰を持ち出したとか、茶人の逸話も多いですけど、私も最初は灰の違いなんか全くわかりませんでした。・・・今も怪しいものですけど。ヒロさんのこと笑えません。彼が混ぜちゃったのは湿し灰ではない、乾いた炉灰だったそうですし、きっと馴れてなかったんでしょう。乾いていても炉灰と風炉灰とでは比重が違うとかで、先輩が丁寧に後始末をしていたみたいです。そんなのって、ほんとに熟練工なみですよね。葉っぱだって、奇数がいいとわかっていても、配置のバランスを考えて枚数調節するって難しいと思います。
 でも、鴨居にはたきをかけていて、後ろ向きに炉壇に足を突っ込んだとかいうのはちょっとひどいなあという感じはします。ヒロさんが入ったばっかりの頃の失敗らしいけれど。人のことをあげつらっていてはいけないですね。そういう私だって!・・・でも、懺悔はまたのときにします。思い出しても落ち込まなくなってから。
 明日は依田さんを手伝って、お善哉を炊きます。炉開きにはつきものだそうですが、毎年この季節にはまだ極上といわれる丹波の新豆は出回っておらず、去年のものを使うので小豆は一晩水につけます。これはご隠居さまである大奥様のやりかたで、今のお家元の奥様は、必ずしもそうしなくてもいいといわれます。味付けも、最後の締めは大奥様です。京都のお善哉は、ほんとうにさらさら、豆も潰してはいけないとか。東北の、私の育った地方ではあんこを溶かしたように、こってり煮るんですといったら、それはお汁粉、と言われました。でもそこにちょっぴりのお塩を利かすと、味も締まって、甘みもくっきり際立つようですよね?なんだかなつかしくなってきました。
 そろそろ、お嬢さんたちが戻る頃です。おふたりいらして、11歳の葉月ちゃん、8歳の沙羅ちゃん。八月と、二月にちなんだお名前とか。葉月ちゃんはカラ党のようで、どうもお善哉は苦手らしいのですが、沙羅ちゃんは小豆を炊いている匂いがすると、お勝手にとんできます。なかなか柔らかくなるまでには時間がかかるのですが、30分おきくらいに覗きにきたりします。お母様のおやつ、あがってきはりなさい、と依田さんが促すと、もう食べちゃった、というお返事。お嬢さんたちのおやつは、家元夫人である奥様ご自身が、必ず整えられます。クレープやホットケーキ、葛饅頭などその時によっていろいろのようですが、もうじき寒くなると裏庭でヒロさんたちが掃いた枯れ葉で焚き火をすることがあり、そこでできる焼き芋は、お嬢さんたちのみならず家中の争奪戦になります。甘いものがもうひとつの葉月ちゃんも、この甘みだけは、濃いほうがいいみたいです。葉月ちゃんはいつかうちの田舎から送られてきたかきもちが、いたくお気に召したようで、沙羅ちゃんのぶんまで平らげてしまいました。
・・・林間に酒を暖めて紅葉を焚く、と焚き火を前にして詠みあげていらしたのは長身で痩せぎすの行本先生です。お家元の補佐のような立場の方。白居易の一節だそうです。行本先生はお酒があがりたかったのかしら、と後で依田さんに尋ねると首を振り、あの先生は胃弱で下戸や、家では奥さんの尻に敷かれっぱなしや、と断定的でした。えらい先生方はヒロさんなんかとは違って端然としてられるようですけど、まあいろいろ大変なこともあるかもしれませんね。それにしても、すぐさま漢詩を朗読する人が周りにいるなんて、さすが京都だ、と変に感心してしまいました。そろそろ筆を擱きます。久々の先生へのお便りなので、出だしは文学少女風に決めたつもりだったのですけど、どうも地が出てきたようです。またお便りします。どうぞお身体、くれぐれもおいといください。
                        茜

 間宮先生


2011-11-04 19:33 | 記事へ |
| 茶道をめぐる短編 |
2011年09月14日(水)
夕照
 夏の陽は傾きかけていた。湖面はすずやかに澄み、微風が起こすさざなみが繊細なきらめきを見せつつ遠く岸辺の端まで続いている。
 古風な石造りのテラスからは湖が一望できる。建物の翼の一端をすっかりテラスとして開放したその広々とした空間には、今しも夕刻を楽しもうとする人々が飲み物を片手に集い始めている。湖岸の夕日は、この別荘の最大のご馳走であった。しかし紗那は、顔見知りの老婦人に社交的にものなれた笑顔を返しながら、するりと座を抜け、部屋の反対側にある出窓に続く、とってつけたような小さなバルコニーにすべり出た。壮麗な夕日をすみずみまで堪能するという贅沢は素晴らしいが、紗那はそれを大勢の人々と見るのを好まなかったから。この夏はとりわけ夕日が美しかった。強く熱い太陽が朱、うす紅、紫、瑠璃、水色、などなど、えもいえぬ色むらに包まれ、湖岸を染めながら沈み行く、その瞬間を紗那は幾度となく愛で、時をとどめられぬことの意味に思いを馳せた。
 夏がすぎれば、紗那にはあたらしい運命が開かれることになっていた。つよく望んだわけでもなく、さりとて拒む気持ちも起こらない、いわば予定調和のような運命の流れといえるものだけれど、そこにおとなしやかに身をまかせてしまっていいものかと思うと、紗那のうちにはやはり一抹の抵抗感といっていいようなものが芽生えるのだった。家と家との格のつりあった縁組、摩擦もなく、違和感もなく・・・。紗那は、白茶けたバルコニーの手すりに寄り添った。ここからだと、広いテラスから見る夕日の半分くらいにしか浸ることは出来ない。紗那は首を伸ばし、同時に目のすみに影のような人の姿を捉えた。
振り向いた紗那は、ガラス扉を押し、バルコニーにあらわれた長身の青年と向き合う形になった。
「・・・」
青年は悪びれる風もなくさらりと目礼すると、無言でバルコニーの片隅においてあるテラコッタの壷に歩み寄った。手をふれるでもなくそれに見入っていたと思ったら、ゆっくり湖のほうに向かい、バルコニーにかるくもたれかかった。紗那は一人の空間を乱されたような、といって怒る気持ちにもなれないような気分で闖入者を眺めた。
やせぎすなこの青年は、家族の誰かの知り合いなのだろうか・・・ついぞ見覚えはないような気もするが・・。いずれにせよ、家の招待客なら私の客でもあるわけだ・・・。
「いかがですか?」
だしぬけに紗那は話しかけた。青年はびっくりしてこちらを向いた。彫りの深い、浅黒い顔立ちだった。紗那の頬に血がのぼった。しゃちほこばって
 「あのう、お寛ぎいただいてますでしょうか」
と続けると、長身の青年はちらと目に笑いを浮かべ、
「大変結構なお宅ですね」
とのどかな口調で言った。そして続けて
「いかがって?」
 微妙にからかうような、かすかにおかしがっているようなその口調に紗那はどぎまぎし、
「お客様だから」
「ああ」
 青年はゆっくりと湖のほうを向いた。少し前まで真昼の余熱を残していた太陽はいまや茜に染まった雲を裳裾のようにたなびかせ、小さなバルコニーにはかすかに横顔をみせながら、湖の西に傾いていく。水との境目にはくっきりとあさぎ色が残り、空全体はすみれ色の濃淡だった。
 しばらく見とれていた紗那は、同じく夕陽に陶然としているように見える青年の、バルコニーの手すりにかけられた指先にふと目をやり、その華奢さに驚いた。父や兄たちの無骨な手を、そんなものだと思っていた紗那からすると、青年の繊細な長い指は、別次元の人のもののように感じられた。カフスに半分隠れてはいるが、手の甲には細く走ったような傷跡があり、それはまだ新しいようなのが印象的だった。紗那の視線を感じたのか、青年はかすかにいぶかしげにこちらを見た。紗那は少しうろたえ、
「お怪我をなさってるわ」
「ああこれ・・・」
 青年は甲の傷跡をちらと見やり、
「火傷。釜出しのときね」
 いぶかしげな紗那に、
「焼き物をやってて」
「陶芸家でいらっしゃるの」
「見習い。今日こちらへは、先生の代理で来たんです」
「なにを造られるんですか」
「いろいろです」
「たとえば?」
「ほんとにいろいろ。注文に応じて」
「造りたいものではなくて?」
「それも造ります。釜入れのとき、いくつか入れてもらう。割れることもあるし、予想もしない仕上がりになることもあります」
 青年は淡々と続けた。気持ちの半ば以上は、刻一刻と変化していく夕映えにとらわれているようだった。
「予想もしないって?」
 浅黒い横顔に、紗那は問いかけた。バルコニー全体が、茜の薄い紗のヴェールに包まれ、眼下には同じ光を受けて湖面がきらめいていた。
「火のちからは予想が出来ない。土に働きかけて、思いがけない釉薬の効果が出たりする」
青年は、紗那にわかる言葉を探しているようだった。紗那はぼんやりと、婚礼の道具として整えられつつある茶道具を思い浮かべた。華やかな色絵が多かったように思う。
「あのう」
「はい」
 青年は、紗那のほうに顔を向けた。逆光のなかで彫りの深さが際立って見えた。
「こんな夕焼け色のお茶碗、作れますか?」
 紗那は余光を残しながらかすかにグレーの色調を帯び始めた空に顎を向けた。水と空の境目のあさぎ色は、すでに糸のように細くなっている。青年はかすかに目を見開いたようだった。ゆっくりとその視線を風景のほうへ移し、
「いいでしょうね」
とつぶやくように言った。
 夏の太陽は沈みきり、湖岸は宵闇に包まれ始めていた。かすかに風が強まったようだった。
「あたし」
ぽっと、言葉が出た。
「来年、お嫁に行くんです」
 青年は少し身じろぎした。そして、
「それはおめでとうを言わなくちゃいけませんね」
優しい調子だった。
「ええ・・・」
ありがとうございます、という言葉をなぜか飲み込み、
「夕焼けのようなお茶碗を焼いて下さったら、それをもっていきます」
せかれるように付け足した。青年はしばらく無言だった。やがて、
「約束は、しないほうがいいなあ。できないかもしれない」
「いいんです。出来たら、お持ちください。出来たら、でいいんです」
紗那はさっきと同じ調子で、口早に言った。青年は、微笑んだようだった。
「出来たらね、わかりました」
 避暑地の夏の宵の、華やかな気配が背後のホールから伝わってくる。自分を呼ぶ声が聞こえたように、紗那は感じた。振り向いた紗那に、青年は促すように部屋のほうにうなずいて見せた。紗那はちょっと頭を下げ、青年を残し、バルコニーを後にした。空は、薄墨の濃淡に変わっていた。


 晩夏だった。紗那は夕刻、夫とともにホテルに着いた。湖岸の避暑地に立つこのホテルは、かつて紗那の実家が所有する別荘であった。娘時代、毎年夏には家族ぐるみでここに滞在するのが習慣になっており、ウィンザー様式の建物はその間中、たくさんの客の到来でにぎわったものだった。歳月がすぎ、両親が逝き、跡を継いだ上の兄はここを売却した。不況の波に抗しきれず、売却費用は兄の継いだ会社の再建に充てられることになったとき、紗那は黙って同意した。改造されホテルとして利用されるようになった別荘に、紗那はいちどだけ訪れたことがある。気持ちは切り替えたつもりだったがさびしさはぬぐえず、それきり来ることはなかった。夫がカリエスを患い、それどころではなくなったせいもある。旧い体質の同族会社を経営する一族の次男だった夫は、捨扶持ともいうべき役員報酬を与えられ、名目上の取締役の一員となった。仕事も権限もなく、いわば飼い殺しの形だったけれど、生活に不自由しないだけでもありがたいと思わねばならなかった。紗那のほうの兄たちはそれぞれの仕事を維持していくので精一杯で、援助など望めなかったので。そうはいっても、夫の親族たちの間で、紗那はずいぶんと肩身の狭い思いもした。夫は我慢強い人ではあったけれど、一進一退の闘病生活を送る身になれば、わがままも出る。そんな病人を支えながら紗那は、ひとり息子も育て上げねばならなかった。
 しかしここ数年、ようやく病状は安定し、夫は車椅子の生活から解放された。息子も独立した。やっと一息ついたように、紗那にも思える日々が続いていた。
時が積み重なり、紗那自身にもさまざまな出来事が訪れたように、湖岸の別荘もそれ相応の変化を見せているようだった。2年前に全館バリアフリーの設備が整ったと聞く。杖がなくては身動きがとれない夫を伴って、久々に紗那がここでの休日を過ごすことを思い立ったのはそのせいもある。息子一家は海外に赴任していた。
エントランスから続く螺旋階段は昔のままだったが、チェックインをすませた紗那たちは、その奥のエレベーターを使って二階に上がった。石造りのテラスは鉄骨に変わり、少し狭くなっているようだったが、そこに向かって開け放たれたホールで一服しようということになった。ここが一番、風通しがよいことを紗那は知り抜いていた。
夫の手助けをしてソファにかけさせ、自分も落ち着くと、紗那は思いついて抹茶を頼んだ。夫ほどではないが、だんだんに正座がきつくなって、近頃畳に座るということをしない。それとともに抹茶をいただく機会も少なくなった。ここでは、ソフトドリンクとともに煎茶、抹茶も供せられ、吟味された器で運ばれてくる。
一息ついて、開かれたガラス扉ごしにテラスを見やった。たそがれにはまだ間があるようで、夏の終わりの蒼空は高かった。客はまばらだった。ほんの少し、時期をずらしたのは正解だったと紗那は思った。
絽の着物を着た若い女性が和菓子を運び出し、続いて古袱紗に載せられた抹茶茶碗が運び出された。作法どおりに正面をただして客の前に置き、丁寧に一礼した。かるい会釈を返し、茶碗を手に取ろうとして紗那はそれを思わずしげしげとながめた。磁器なのだろうが、陶器とも思えるやわらかさで、薄造りである。肌はすみれ色の濃淡で、ひと刷毛、ふた刷毛、茜色とあさぎ色のぼかしが入っている。夫の茶碗を見ると、こちらは薄墨の濃淡の地にやはり茜色と、薄紫のぼかしが刷かれたように入っている。染み入るような感情にとらわれ、紗那は茶碗を手に包み込んだ。茶碗のひかえめな肌のなかで、抹茶は萌黄が匂い立つようだった。
記憶が霞をはらうようによみがえってきた。きっと、それにちがいないという気がした。
 飲み終えた後、正確に削られた高台の脇をみると、覚えのある漢字が印として押されていた。
夫に断わり、階段を使って階下に降りた。フロントで、昔から顔なじみのマネージャーを呼んでもらった。現場が好きな人で、支配人を降りたあとは嘱託として主に裏方にいるはずだった。ほどなく現れたマネージャーは、紗那たちの到着を知らされず、自分から挨拶に行かなかったことに恐縮して詫びのことばを縷々述べだしたが、紗那はそれをさえぎって尋ねた。
「上で使っていらっしゃるあのお茶碗、S・・・先生のお作ね」
「はあ、仰せでございます」
その名前を、紗那はあの夜、芳名録で調べた。S・・・青年は著名な陶芸家の代理出席となっていた。結婚後何年もしてから、その名が北欧で、若手芸術家として注目されだしたことをなにかで読み、かの青年が北欧に渡ったことを知った。
あの夏の日が暮れてから、紗那はしばらくの間、ささやかな期待を持って待った。だが、夕焼けを映した茶碗はとどけられなかった。かすかな痛みをともなうその記憶は歳月のまにまにいつしか風化し、おぼろげなものとなっていった。
それが今、そのひとの焼いた茶碗を目にした途端、溶け出すようによみがえってきた。紗那はふたたび問うた。
「こちらで、お求めになったものなの?」
マネージャーは、かすかに首を振り、
「寄贈してくださったと記憶しております。数年前のことでございますが。その折、ご滞在くださり、こちらがお気に召していただいたようで、それから時折起こしになります。ええ・・・お待ちくださいませ。確か・・・」
何ごとか隣のフロント担当者に耳打ちし、ふたことみこと話していたが、
「実は今夕までご滞在でしたが、つい今しがた、急用でお発ちになられたようで・・・」
紗那は目を見張った。
「今?」
「そのようです。ああ、あちらで」
 紗那は思わず振り返り、エントランスに目を向けた。背の高い人影が車に乗り込むところだった。ドアが閉められ、車は滑り出した。思わずそちらに走り出しそうになる。
「奥様、なんでしたら今の車の番号はわかっておりますから、S・・・先生に御用でしたら、ご連絡はつくと思いますが」
マネージャーが、控えめな口調で言った。紗那は呆然と立っていた。やがて気を取り直し、マネージャーに微笑みかけた。
「ありがとう・・・。それにはおよびませんわ。お忙しいお方でしょうし。昔、ここでちょっとお目にかかったことがあるだけなの」
「さようでございましたか」
「北欧にもどられるんでしょうね」
「お伺いはしておりませんが、そうかもしれませんね」
 もういちどマネージャーに微笑み、その場を離れようとした紗那に、彼は思いついたように話しかけた。
「お若い頃、こちらにいらして、夕陽が素晴らしかったご記憶がおありと承りました。その思い出に、ご寄贈なさってくださったようです。何碗かございまして、夕照、というご銘がついております」


 紗那は螺旋階段をのぼった。少女の頃、一日に幾度となく駆け上ったものだったが、今は透かし彫りのある手すりに手をそえつつ、足を運ぶ。夫はホールのソファでうたた寝をしている。テーブルの茶碗は片付けられていた。紗那はテラスに出た。あの小さなバルコニーはなくなっていた。さっきまで蒼かった空と湖面が、いままさに夕刻の洗礼を受け、はなやかに染まり始めようとしている。あの時と同じようでいて、決して同じではない色。
 かつて一瞬の時をとどめられたらと、夕陽を眺めては夢想した少女の頃を思い返した。しかし、時が過ぎ去ることで癒されてきたことどもがある。紗那は歳月をみつめた。
 あの夕暮れも、淡く短い時間だった。けれどふりつもった時を越え、一瞬は作品のなかにとどめられたのだ。紗那は湖岸道路をすべるように走っていく幾台かの車を見つめた。あのうちのどれかの車窓から、夕照の茶碗の作者は、きょうのこの空を眺めているかしらと思った。



 

2011-09-14 18:14 | 記事へ |
| 茶道をめぐる短編 |
2011年08月15日(月)
一期一会A
 で、話は飛ぶがお茶会当日。普通、お茶の会というとあほみたいに朝早くから客の面々が押し寄せたりする(まだ亭主側の用意、出来てへんのに)けど、今日の案内は夕方からということ。
お茶の後、別室でお膳と、ちょっこりお酒を振舞うことになっている。
「祝い事いうたらお母はん、朝からするもんですやろ、ましてうちは商売してますねんで、ゲン悪うあらしまへんか」
と反対したのは父。
「お商売のゲンかつぎはこの際、のけといてやな、私の祝いや、好きにさせとくれやす、夕方の風立つ頃からにして、お膳もゆっくりよばれてもろたらええ、とこない思うてますのや。お昼のお膳より高うつく、いうようなシブチンなこと、思うてはるんやないやろな」
 みすみばあちやんはしゃらんという。父は父で、
「そないシワイこと言うてまへん・・・ま、あんじょうやらしてもらいますけどなあ」
というわけで玄関先、待合、茶席にも暗くなってから灯すように、ばあちゃん好みのアンティークスタンドが置かれる。
「行灯?ああ、いりまへんいりまへん、たださえ、いつ化けるんやろか、みすみばあちゃん、思われてますよってにな、猫が舐めにきたがるようなシロモノ置かんでよろしがな。それより、ガレやらティファニーランプ、私のコレクション、あちこちに並べといて、暗うなったらあんたら気ぃつけて、明るうしといておくれやす」
「ばあちゃんのしわも目立たんようになる、いうことやね」
「口のへらへん子やな・・・そやけど、お茶のほうではありますのやで、本式にいうたら、‘夕ざりの茶’いいますのんが」
「夕方に、去るのん?」
「違いますがな、‘さる’は‘きたる’の意味どすがな、夕方が、くるんどす」
「主語は夕方」
「まあなんでもよろし。いまごろはみんな宵っ張りや、時節におうててよろし」
ばあちゃんは説明が面倒になったらしい。
 そうこうしているうちに早めのお客が到着する。私は水浅葱色の絽の着物に着替えさせられ、迎え付けに出る。着物はばあちゃんの見立てで、華奢な撫子を散らした上品なもの。みすみばあちゃん自身も、琥珀の地に流水柄というはんなりとした装い。紫のパンツスーツなんぞを着て闊歩するばあちゃんを知っているだけにこの至って尋常ないでたちに、父は安堵した模様。それでも動静が気にかかると見え、
「タケ、ばあちゃんちゃんと、挨拶にでるやろな」
「知らんけど、だいじょぶやろ、まあ最初のうちは」
「見とかんとあかんで」
「そんなん言うたかて、ずうっとついてられへん」
私は私で、朝宮サンが来たら、お茶席のあと、中庭や中二階という、京町家ならではの空間を案内しようと計画してる。ばあちゃんの監視などしてはいられない。
 朝宮サンを招くのにも、ちょっとした工夫がいった。コンピュータークラブの部室でさりげなく掴まえ、この茶会の案内状を巻紙形式で印刷するにはどうしたら・・・などと、しらじらしく相談をもちかけ、さらにしらじらしく、町家を見る機会だから、などと誘い、少し及び腰の彼を説得したのだ。もっともその時、邪魔が入った。いや、邪魔というほどでもないけど、一回生の鳴尾という女の子が、アタシも行っていいですかあ、とくちばしを突っ込んできたのだ。鳴尾というのは根は悪くないんだろうが、およそ気が利かない。
「お茶会とか町家とか、アタシ、興味あってェ」
鳴尾はどっか関東の田舎のほうの出だ。えらの張った頑丈そうな顔で、一見中学生にも見まごうチンチクリンだが、新歓コンパなどでは、おそるべき酒豪ぶりを発揮していた。
「それって、会費とかは?」
朝宮サンはちょっと困惑の体。
「えーっ、ただじゃないんですかァ!」
と声を張り上げる鳴尾。気が利かないんじゃない、厚かましいんである。朝宮サンだけならいざしらず、誰が鳴尾なんか接待するねん。とはいえ、扱いを別にするわけにも行かない。毒を食らわば皿まで、ということもある(年寄りの出はいりするうちに育った私はことわざ、慣用句にツヨイ)。この際、もっと人数を呼んで、みんなでまとめて金封持ってきて、と言おか。学割で。すばやく思い巡らす私はやっぱりシワイ京の商家うまれである。
 まあしかし、そんなこともいえない。いっか、私の懐が痛むわけじゃない。朝宮サンと鳴尾、何がかなしくてアベックで招待せなあかんねん、とも思ったので、ついでに何人かごたごた呼ぶことにした。まっ、いいか。
「おめでとうさん」
 声をかけられふと見ると、創作サークルの部長の野田っちだ。あれ、呼んだっけ。
「最近ご無沙汰やけど、お宅とうち、古うからつきあいあったてなあ、僕もじいちゃんに聞いて、はあそうか、と思うたんや、ほんで今日はじいちゃんらといっしょにきたけど」
「それはまあ、ようお越し」
誘わなかったもんでいささか気が引けた。野田っちは屈託なく、
「朝宮サンから相談されたデ。招待されたけどどうしたらいいか、いわはるんで、みんなでまとめて包んだらよろしやろ、言うといた」
ありゃ、この男も京都人だ。私はなんとなく面映くなった。
「あ、ほら、来てはるで」
入り口のほうを見ると、朝宮サンはじめ、何人かのわがご学友たちの顔が見える。鳴尾もタレントデザインみたいな浴衣を着てしゃちほこばってる。
「今日は、お招きありがとう」
朝宮サンの真っ白なシャツが清々しい。
「ありがとう・・・お茶、先よばれてね。おばあちゃんも、挨拶に出はるし」
「おばあちゃん、さっきお会いしたよ。玄関や何かの説明してもらった。はつらつというか、そんなお年と思えないね」
 憧れの朝宮サンに、ばあちゃんがいち早くコンタクトをとるとは。みすみのやつ、隅に置けない、と私は父のような駄洒落を頭の中で点滅させた。そしてこの駄洒落は、この夜を象徴するものとなったんである。
「蓮月さんのお掛けもの、よろしなあ、ほんまにご隠居さんのためみたいなもんどすなあ、ほれにまた、このバカラのお水指のご立派なこと・・・」
「こういうもんに目がありませんよって・・・」
「このお茶杓の銘、よろしおすなあ、‘てならひ’て・・・稽古始にもええし、喜寿にもぴったり・・・いくつからでも、人間、手習いですよってなあ」
 正客の言葉に、いちいち返答しているのは父である。席ごとにみすみばあちゃんはほんの一瞬、ひとこと挨拶したらすっこんでしまう。店の取引先なんかのときは特にそう。昵懇の相手だと、話し込むこともあるけど。父はあきらめた様子。
「年寄りのことで、わがままですよって、まあ、皆さんと一目お会いできたら、満足なそうですから・・・」
「安心して、任せてはりますんやろ」
と客も如才ない。私は神妙にかしこまっていた朝宮サンを‘お虫養い’の席に案内すべく、渡り廊下で待機する。意味なくひっついている、鳴尾を除去しなければ。野田っちに、おっつけてやろうかしらん。
「失礼ですけども・・・」
「は?」
遠慮がちな年配の男性の声。振り向くと廊下の中ほどに、グレイのスーツをきちんと着た、白髪痩身の紳士。
「なにか・・・」
「お孫さんですなあ、みすみさんの・・・。さっき、お茶席でお点前しやはってた・・・」
「そうですけど・・・」
「失礼申しました。私は美納と申します。みすみさんの亡くならはったご主人の、孝雄さんと小学校の頃からずうっと、おつきあいさしていただいてたもんです」
「はあ」
「みすみさんも、ちらとお出ましやしたけど、おかわりなく」
「すぐ引っ込んでしもて。呼びましょか」
「いやあ、大勢さんどすから、お忙しいことですやろ。お元気なお姿拝見しましたよって、もうよろし・・・」
「ずっとあんなんで、元気は元気ですけど」
「みすみさんとも、親しゅうさせてもろてましたけど、まあもう時効やさかい、言うてもよろしおすやろ・・・孝雄さんが外泊のかくれみのに、私の名前出さはったことがちょいちょいありましてなあ、みすみさんから、きつうお叱り受けたことがあります。そんなんで、具合(ぐつ)わるうなりましてな」
白髪の紳士はほっほっほっ、というような感じで笑った。つられて、
「よそのひとにもそんなんですか、うちのばあちゃん」
「そやけど、京都に珍しいような、すぱすぱしたおかたですなあ。孝雄さんも、なんやら言うて、みすみさん大事にしといやしたで。そうそう、あのお軸な、孝雄さん、金婚式がきたらこれ掛けて祝いするんや、言うてはりました。結婚記念日とみすみさんのお誕生日は近いし、竹を割ったみたいなタチや、ちょうどええ、言うて。そんなことも思い出しましてな」
「へえ。祖母は、知ってたんでしょうか」
「いやあ・・・どうですやろ、孝雄さん、あっさりいんでしまいましたよってなあ・・・」
 ばあちゃんは知っててあれ掛けたんかなあ。美納氏は一礼し、廊下を遠ざかって行った。両側に広がる薄闇の中庭には、障子越しのティファニーランプの灯がほのかにさしている。

「どこへ雲隠れしはったんや、言うてみんな、探してたんえ」
 会が終わり、涼しい顔で奥でくつろぐばあちゃんを私は掴まえた。
「怖い顔しなはんな、男はんにもてんようになりまっせ」
「おおきにお世話さん」
「えらい男前どっしゃん」
「誰のことえ」
「名前、忘れましたな、背ェ高うて、言葉は関東で・・・。あんたの大学の先輩や、言うといやしたで」
「朝宮サン」
「そうそう、そういうお人どしたな」
「ばあちゃん、朝宮サンと一緒やったの」
「京都の家珍しい、言わはりますさかい、案内さしてもらいましたんや、ほんなら‘イノダ’でコーヒーご馳走してくれはりましてな、面白おしたで」
 なんやて。あれから私、朝宮サンを探してうろうろしたが雲隠れの君とは行きあえず、不本意なことに野田っちと鳴尾とでデザートの、水菓子乗せソルベをつっつく羽目になった。お友達やったら一緒に、広縁にでも持っていってあんたもお食べ、なぞという父のいらぬお節介のせいだ。水菓子ってなになんですか?と言う鳴尾に、野田っちは丁寧に、そら果物のことそう言いますねん、と説明していた。へえーっ、そうなんですかあ、水っぽいお菓子かと思った〜と鳴尾はいかにも鳴尾が言いそうなことを言って、後は皿に集中していた。これおいしいです、おいしいです、と夢中になるさまは結構かわいかった。しかし朝宮サンをばあちゃんが独占していたとは。
「ばあちゃん、お客ほったらかして」
「そやかてあのときはもう、ほとんど去んでましたで。気ぃ張った後や、コーヒーブレイクもよろしやろ」
何が気ぃ張ったや、好き勝手してたくせに、と思うがしゃあしゃあとした様子に、あほらしくなって、別のことを言った。
「美納さん、いう人来はったんよ、ばあちゃん」
「へえ、そら懐かしおすなあ、息災にしてはりましたんやなあ、長いことお会いせなんだけど・・・」
「その人、言うてはったえ、亡くなったおじいちゃん、あのお軸、金婚式が来たらお祝いに掛けよ、思うてた、て。ばあちゃんは竹みたいにさっぱりしてるから、やって」
ばあちゃんは目をあげてこっちを見た。
「ばあちゃん、それ知ってて、あれ掛けたん?」
ばあちゃんはまばたきした。
「いや、初耳や」
「初耳て」
「ほんまに、知りまへんどした。そらまあ、ええ供養どしたな」
「そんな。他人事みたいに。おじいちゃん、ばあちゃんのこと、ほんまはいちばん大事に
思うてはったかもしれへんのに」
 ばあちゃんは、桑の手の付いた団扇で私を扇ぎ、けろりとして言った。
「まあそらほんまやろ。みすみサン別嬪やさかいな。別嬪やった、とこう、過去形とちがいますえ。堂々の現役。孫の彼氏もついて来なはる」
「彼氏やなんて、そんなんちがう」
「ドンな子ォやな。のそのそしてたらあきまへんえ」
「からこうてんねんな、ばあちゃん」
「ええ時代に、あんたら生まれやしたんや、結構なことやないの」
ばあちゃんはすまして団扇を使う。私はちょっと口をとがらせ
「現代かて、なんでも思うようにはならへんえ」
「あたりまえどすがな。ままならんのが人の気持ち。時代変わったからとて、そないくるっと一回転も、人かて変わるもんやおへんえ」
「そうやねえ、何て言うても、ばあちゃんは時代超えて別嬪やし」
「ようわかって来なはったやないかいな、みすみさんは別嬪、上等。そやけどアチラのオナゴはんもかいらしい、どっちもほんま。竹はさっぱりしてよろしけど、梅も菊もええやないか、いうトコでな」
ばあちゃんはこともなげに言う。
「・・・そんなあ」
「一緒にいてたら、ついついのせられてしもて、あとで‘ええ、しもた!’とよう思いましたな、そういうたら。そやけど、まあそんなもんや、お互い様ですな」
「お互い様、て」
「別に色恋だけの話とちがいますのやで、何でもそうや、どっちも本音、一瞬は本気。そやけど、また変わる」
「変わらへん、言うたやないの」
「それは性根の話どすがな。性根は人間、そない変わらへんけど、気持ちは大概、移っていくもんえ」
そりゃ気まぐれなばあちゃんならそうだろうけど、という言葉を飲み込みながら、私はじんわりと不安になった。だって、それなら誰も信じられなくなる。自分自身だって。むっつりした私を見て、
「うっとしい顔しなはんな、そやから、一期一会、いうのやないかいな」
「一期一会」
「一瞬が大事や、そやけど、大事やから言うたって、とどめとこう、とは思わんほうがよろしなあ・・・なに言わしますねん、こんな禅問答みたいなこと。もう寝よか、思うてたのに。あんた、お竹さん、ばあちゃんにさき越されて、こんなとこでむくれとらんと、はよ男前ゲットしなはれ。まあ、連れて歩くには見場ようてええやないの。彼氏も、アクセサリー時代や。出物は一瞬の油断で、取り逃がしまっせ」
ばあちゃんはやれやれ、と立ち上がり、腰を伸ばした。
 一期一会、ほんとにそんな意味だろうか。それだと、なんにもあとに残らないじゃないか。私はしばし考えた。・・・まっ、いいか。
 
 次の日、ばあちゃんと私宛に、それぞれひとかかえもある蘭の鉢が届いた。送り主は美納氏、あの白髪の紳士だ。
「きっちり、しといやすなあ、あいかわらずや」
と言いつつ、出かけるばかりだったばあちゃんは、カプリパンツにネイビージャケットといういでたちのまま、薄様の和紙を取り出し、しゃらしゃらとちらし書きのお礼状をしたためた。
「私の分も書いてェ」
「あほなこと。自分で書きよし」
言うと、ばあちゃんはさっさとスポーツクラブに行ってしまった。せからしい、というのはこういう人をさす京言葉。
 学校に行ったら、野田っちがお饅頭の菓子折りを差し出した。ほどけたような笑顔。
「こないだのお礼や」
「そら、わざわざありがと」
もらっておいてなんだが、気ぃ利かへんなあ、お饅頭とは。私はちょっとげそっとする。餡のたっぷり詰まった老舗の饅頭の箱は結構重い。しかも風呂敷に包んである。
 それを抱えててろてろと歩いていると、校舎の角を曲がってきた朝宮サンと行き会った。
 
「あ、こないだはありがとう」
「いえ〜。アイソないことやったでしょ」
利休鼠のじじむさい風呂敷を無意識に後ろ手に抱えなおし、私は特上といっていい笑顔を作った。
「また遊びに来てください・・・いつでも」
「うん、ありがとう」
などと受け答えをしつつ、朝宮さんはなにやらきょろきょろしている。
「なんか、探してはります?」
「うん、あのさ、ナガタ、って女の子に僕のこと聞かれたら、今いないとかなんとか、言っといてくれないかな、さっきこのへんで見かけたんだけどさ」
「はあ、誰ですそれ」
「高校んときの後輩で、ちょっとつきあってたんだけど、いや、いっぺんだけのつもりだったんだけど、彼女本気にしちゃってさ、大学は分かれたんだけど、今東京からこっちに来てる、ってメールが。さっき確か見かけたんだよ」
「へえ」
へえ、だ。まさしく。ショックというより憮然とした心境になった。なんて度量のないヤツ。なーにがいっぺんきりだ。とんだ一期一会だ。急に醒め果てた感じになって、
「気ぃつけときます」
とさっさとその場を離れた。コンピュータークラブの部室のドアを足で押すと(両手ふさがってたんで)、鳴尾ひとり、ちまっとすわってキーボードを叩いていた。
「おつかれさん」
饅頭の箱を机に放り出し、私はどかっと鳴尾のはす向かいの椅子に腰を下ろした。鳴尾は横目で見つつ、
「ご機嫌斜めですか」
「別にそんなことあらへん・・・鳴尾、ここに知らん女の子、朝宮サンたずねて来やへんかった?」
「来ました」
「ほんまに」
私は身を乗り出した。不本意ながら興味は抑えきれない。
「東京弁の、普通の人。あれ、彼女ですよねえ、追っかけてきたんや」
にやっとして、
「先輩、ショックでしょ」
「なんでやの。なんで私が」
「そやかて、だいぶ入れ込んではりましたやん」
腹の立つ小ねずみだ。私は仏頂面で、言うほどのこともないけどな、ちょい男前やし、などとぶつぶつ言った。鳴尾はしたり顔で、
「サワヤカ朝宮の外見にまどわされたらあきませんて。あさはかの宮、て影でいわれてるのくらいで」
「なにそれ」
「そやから、すぐ足つくような、抜けたことしはりますねん」
私は吹き出した。鳴尾のおばはんじみた口吻もおかしかったからだ。
「まあそれだけ、かわいいとこもある、ってか」
われながらなんだかばあちゃんのような物言いだ。
「面白いこと、考え付きました」
「なによ」
「さっきの女の子、朝宮サン見つかったら、ここへメールして、てアドレスおいていったんです。ちょうどええから、飲み会のときの朝宮サンの醜態、添付して送ったりましょ。めったとない、一期一会の酔態、醜態です」
私はあきれた。またそんなもんを保存してる鳴尾もケッタイな。いけずの京女が、屈折したようなやつだ。
「あんたのケータイに入ってんの」
「ここ(部室)のpcに入ってます。先輩いてはらへんかったとき。3次会かな」
いったいどんなもんよ、といいかけながら、見るのは遠慮した。武士の情けと言うこともある。
まあ一発で、その彼女が朝宮サン嫌になること請け合い、と鳴尾は得意そうだ。何とか言って、コイツも朝宮サンに‘入れ込んで’いたんじゃないのか。私はあほらしくなり、饅頭を鳴尾にやって、部室を出た。

 一期一会。おかしなもんだ。鳴尾の送った朝宮サン醜態写真は、当のふたりを再度結び付けたとか。朝宮サンは恥じ入ったが、彼女は彼のあからさまな面(どんな面か)を見て惚れ直し、朝宮サンはそんな彼女の情にほだされたとか。まあめでたしであろう。
結局私はからぶりである。野田っちが最近、やけになれなれしくひっついてくるのが変化と言えば変化。どっちかというと親戚みたいななれなれしさだけど。まっ、いいか。
 「めでたきふしをかさねつつ・・・」なんて言ったって、裏も表もある。一期一会ってったって、人生には何百何千もの一期一会があるのである。願わくば、みすみばあちゃんの年になったとき、あれくらい生活を謳歌できますように・・・。そんなばあちゃんをモデルに短編を仕上げて秋の号に載せようと、竹子さんはただいま奮闘中なんである。

2011-08-15 17:52 | 記事へ |
| 茶道をめぐる短編 |
2011年07月21日(木)
一期一会@
 一期一会@
 若竹が繊細な葉末をしなやかに伸ばしている。瀟洒な筆のゆくさきは

 このきみは めでたきふしをかさねつつ
        末の世ながき ためしなりけり

さらりと書き流された自画賛の作者は太田垣蓮月尼、幕末の京の女流歌人。
・ ・・とここまで書いたとき、背中から
「えらいこうとなこと」
祖母のみすみだ。
「うしろから盗み読まんでも」
「よろしやないの、どうせ人様に読んでもらうのに」
 こうと、とは古い上方の言葉で、上品、高尚というような意味がある。着物なんかの柄行をこうと、と言えば地味、渋め、というところ。
「読んでもらうのは出来上がってから。「みやこ」出せるのかてまだ先よ」
「みやこ」は大学の創作クラブから出している作品集で、年2回の刊行を目指しているが、これが掛け声ばっかり。で、今回は厳しく締め切りを決められている。決めたのはほかならぬ副部長の私自身。部長の野田っちは中京の老舗のボンで(うちと似たようなもんだけど、向こうは応仁の乱頃の開業だそうだ。うちはそこまでいかない。と思うがわからない)、万事鷹揚・・・と言えば聞こえはいいが、要するにぬらりくらり、京豆腐みたいにアタリが柔らかいが歯ごたえがない、というタチ。まあいいけど。そのぶん私が切り回すことになる。私だって生粋の京女のはず・・・だけど、どうもどっかで別の血統が混ざったに違いない。いらち(せっかち)な性だ。
「みやこ、てまた、紋切り型なこと。もうちょっとぱっとした名前、あらしまへんのか」
「そうかて、前からあるんやもん」
「変えたらよろしがな。まあ、あんたの名前もいまどきないような古典調やけど、古すぎてかえってオモシロうなりましたな。あんたのお父ちゃんのセンスのないこと、おったまげたもんやけど」
私は竹子、という。命名したのはこの祖母の長男、私の父だ。
「おもしろうて結構、よ。おばあちゃんの名前も、オトシにしたらかわいすぎへん?」
「かいらしい名前や、よう似合うてる、言われ続けて七十七年、名は体をあらわしますのや。まああんた、名前どおり、すくすく伸びやした。結構結構。・・・で、この軸、どこに仕舞うとりましたかいな。蔵かいな」
「そう。虫干しのとき見て、デジカメで撮ってたん。作品の題材に使お、思て」
「ちょうどよろし。これ、例の会で使いまひょ」
「例の、てあのおばあちゃんの祝い」
「はんなりして、よろしわな。大仰な禅の一行もんより、あいますやろ」
 この祖母の喜寿祝いのお茶会を、日曜日にすることになっている。うちは代々の仏具屋で、その筋の道具は多いけれど、茶道具は商売の外だ。それでも京都の旧い商家なんかの例に漏れず、なんだかんだ、骨董がらくたとりまぜて蔵に仕舞われてる。
「そや、軸これかけたら、鉄斎の画付けした茶碗出しといて」
「道具はすきやねんな、おばあちゃん」
「姑はん、あんたのひいばあさんにな、いわれましたんや、習い事は娘時分に身におつけやしたやろ、嫁入ったからには、せえだい、家のこと、粗相ないように気張ってもらわなあきまへん。お茶お花手習いは、隠居してからの楽しみにしなはれ・・・。そう言いもって、自分が人呼んで席しはるときは、どんだけこき使いなはったか。それも廊下や柱、ぬか袋でこすれとやら、中庭の草むしれ、とやら。店の衆の手本になれ、いいますのや。けなげな嫁や、われながら。道具はひいばあさんが出し入れするのを、しっかり見ときやす、触るのは二十年は早いけど、いわれてな。おかげさんで、お茶もお花も、しんきくそうなりました。もうよろし、たくさんや」
 祖母は平然と言った。いつものことだ。普段は着物も着ない。最近はフラダンスに凝っている。すぐ飽きるけど。
「そやけど、道具組むのは楽しい。コーディネイト、いうことやしぃ。これはひいばあさんのおかげかもしれまへんな。まあそういうても、楽しいのはそこまで。わけのわからん手合いまでぞろぞろくる、あの一日がかりの会はかないまへん。めんどくそうおす」
「今度はそうかて、おばあちゃんの祝いの会やから、親しい人だけなんと違うのん?」
「あんたのお父ちゃんのことや、どうせ取引先のおじんやらも呼ぶつもりですやろ、もうええ、言うのに・・・。私は出まへんさかい、あんじょうしといとくれやす、言うてある。いや、えらい時間になってしもた。鶴池はん待ってはりますわ。ほんなら、あと頼みましたで。出す道具は、リストに印つけてありますよってにな」
 ペパーミントグリーンのスカーフなど巻いて、祖母はそそくさと出て行った。今日はコーラスだか英会話だかの仲間内の集まりらしい。今はそうやって気随気ままにしてるようだけど、こんなトコに嫁に来て、いろいろ苦労もしたらしい。舅姑に仕え、内々を切り回し、子育てもし。それに祖父という人は(私が小さい頃亡くなった)、道楽者で、なんだか公認状態の妾宅があったらしい。
「今日はどっち帰ろか、風呂湧いてるほうのうちにしよ、いいはりますねやわ」
こんな話を教えてくれたのは、古くからいるお手伝いサンの照サンだ。もうじき七十になるけど、ピンシャンしてる。
「ほんでおばあちゃん、どないしてはんの」
「どないもこないも、姑さんの手前もありますしな、そやけど負けてもいはりまへんどしたで。いっぺんは二階の窓から、中庭にいはる旦はんめがけて、バケツの水ぶちまけてはりましたえ。ついでにその雑巾バケツも」
「ははは」
「それでも、旦はん怒りもしなはらへん、てんごしよるなあ、言うて、ひょい、とバケツひらいはった」
てんご、とはいたずら、という意味だ。最近はほとんど聞かれない。こうした京ことばを含め、この照サンあたりから、昔話を仕入れて聞き語り風な創作をまとめようと、今思ったりしている。なかなか進まないけど。もうひとつ、お茶会に向けて計画していること。
 クラブの先輩(創作サークルじゃない、コンピュータークラブのほう)の朝宮サンを招待し、私のお点前で一服・・・というもの。朝宮サンという人、ちょっと韓国ドラマ男性スター風の外見を持ち、サワヤカである。当然モテる。なぜお茶会をきっかけにしようと思ったかというと、彼は関東出身で、京都文化に興味を持っているという情報を仕入れたからだ。ここはやはり、しっとり雅な京女のセンでせめようという魂胆。そうかといって、昔の祖母の時代みたいに、耐えるオンナなんてごめんだ。楚々たる風情も程度問題。もっともあの祖母は、その限りでもなかったようだけど。そのお茶会まであと2週間、このついでに蔵の道具を個別に写真撮って、リストもレベルアップして・・・とはみすみばあちゃんの要請。あれもこれも、と思うと忙しい。でもこの、ああ忙しい、とつぶやきながらばたばたする状況が私はわりに好き。勢いに乗れるような気がする。朝宮サン作戦も、この勢いで成功しますように。

 「そやかてお母ちゃん、亭主が挨拶せな、洒落になりまへんがな」
のたりくたりした口調で言うのは私の父、みすみばあちゃんの長男だ。
「亭主亭主て、もうよろしやおへんか。飽いたんどす、浮世の亭主にも、茶席の亭主にも・・・
大体、その亭主たらいう、言い方もなんや、ひっかかりますのや。男文化の象徴ですなあ」
「そうですかいなあ・・・亭、てそもそもなんやろ。あずまや、ですかいな。中国語やったら、チン、ですやろ」
 父はしゃらんと言う。みすみばあちゃんはつられたようで
「高台寺の傘亭、いうたらあずまやふうですけどな」
「料亭、いうたら料理出す亭、ですやろかな」
と父。何の話をしてるのかわからなくなってくる。みすみばあちゃんは続けて、
「傘亭、いうたら今でこそ拝観制限してはりますけど、その昔は自由に見て回れましたけどな、そういうたら、あんたがいくつの時どしたかな、いしょ(一緒)につれてあがったはええけど、おもらししてべそかきやして、パンツとズボン脱がして、他にしょうまへんから腰に風呂敷まいて、お尻たたきながら、石段降りましたなあ・・・」
「いらんこと思い出しはりますな」
「これがほんまのチン事どすからなあ」
「チン道中ですかいな」
そばで聞いていた私はこけた。足して130歳かそこいらになろうかというのに、なんてくだらないことをいう親子なのか。ばあちゃんは意にも介さぬふうで、
「なんやいうたかて、来はりますのんはあんたの知り合いどすやろ」
お茶会に話をもどす。
「そら商売の関係のことですやないか、そない言うたら、みんなお母ちゃんのこと、隠居したとは思うてへん」
父は冗談半分お世辞半分、あとなんやかやを混ぜたような声音でみすみばあちゃんを説得にかかっている。確かに、道楽者のお祖父ちゃんが外で遊びほうけていようとも、身代をしっかり締めて護ったのはこのみすみばあちゃんだ、とは私も聞いている。
「だあれも隠居したとやら、言うてまへんえ。現役どす。進攻方面がかわっただけどす」
「信仰・・・?お宗旨は、変えられまへんで。なんぼうちのお寺はんがぼりはる、いうても」
わが父ながら品のないことを言う。
「進攻どすがな。攻める方面、ちょこっと変えただけどすがな」
「どこ攻めますねん」
「攻める、言うたら大層や。・・・いうたら、何々せなあきまへん、いうのを、何々してみよか、いう生活方針にかえただけどすな」
「はあん」
「これこれしたいからしようか、これこれしたことないからしてみよか、簡単なことどす」
「気楽でよろしなあ・・・そやけど、お茶席にはいとくれやっしゃ。約束しましたで」
「へえ」
 みすみばあちゃんはスカ○○、のような返事をしていた。
               つづく



2011-07-21 19:51 | 記事へ |
| 茶道をめぐる短編 |
2011年06月23日(木)
八幡会お疲れ様でした〜。
6月19日は八幡会当番釜でした。参加の方、お疲れ様でした。数日間に亘って筋肉痛に悩まされた方もあったということで、毎度のことながら体力勝負の感もあります・・・
 初参加の方もいらしたのですが、2席ほどこなした頃から皆さんほんとうに要領よく動いてくださるようになり、安心して座っている事ができました。気働きのある方がうまく誘導して全体を回してくださったようで、有難い事でした。大寄せの茶会は大変なのですが、臨機応変の動き方をお勉強するにはいい機会でもあります。幸い心配していた雨も降らず、事故もなくまずは上々の一日でした・・・
ばたばたしてて会記見損ねた、という方が多かったので、アップしておきます。

待合床   堂本印象筆 早苗(蛍が苗にしがみついてます)
本席床   坐忘斎お家元筆 平生心是道 (平常心じゃないです)
花      山芍薬、一日もってくれました。お利口さんでした。
花入    魚籠
香合    鵬雲斎好夕顔蒔絵    正玄造

長板    杉           好斎造
風炉    灰色紅鉢        宗玄造
釜     筒竹地紋        与斎造
水指    砂張  摘みが七宝型 
薄器    重ね渦 淡々斎在判箱
茶杓    淡々斎作 銘 山の端
茶碗    掛分 数印 鵬雲斎箱  弘入造
        銘 古今
替     礼賓三嶋 鵬雲斎箱
      安南写 龍       即全造
蓋置    淡々斎 竹一双の内
建水    南蛮 寸切り
菓子    枇杷
菓子器   青磁輪花
干菓子   鮎  渓流 
干菓子器  桐四方 淡々斎在判箱  利斎造
煙草盆   六瓢          玉榮造
火入    六角織部      十右衛門造

             以上
茶碗の掛分(かけわけ)とは黒と白のコンビ、数印はたくさん印が押してある事。高台のなかの「翫土老人」は読めましたでしょうか。
礼賓三島は礼賓年間、朝鮮の公式の迎賓館で接待用に使われた茶碗ですが、先日のは少し時代が下った写しの品だと思います。
茶杓の銘の「山の端」は、九月の名月を思い起こさせますけど、根津美術館所蔵の重文、鼠志野の「山の端」は五月雨の歌をもとにいているそうで、これはまさに今の季節。
 五月雨は はれんとやする 山の端に かかれる雲のうすくなりゆく   玉葉集
 
今日はお休みなので整体に行こうかな〜と思ってます。
皆様ほんとうにお疲れ様でした!
        
2011-06-23 07:00 | 記事へ |
| お稽古ことはじめ |
2011年05月28日(土)
青田風
 緑の峰がくっきりと稜線を描き、手に触れそうなほど近々と見える。山の中腹にかたまった白い雲は今しも、生き物のように広がりながらそこから離れ、初夏の空にただよいはじめている。道の両側の、いちめんの青田をないでいく風。
 おぼえのある一本道である。どんつきの短いトンネルの奥は丸窓のように切り取られ、向こう側の緑を見せている。そこには谷戸がひらけているはずだった。
 何故ここを歩いているのだろう。畦道におりる踏み段を見つけ、腰をおろしてみる。風のまにまに、水の流れのようにうねる青い苗が目の前にひろがっている。
 茶席にかけられた、陶淵明の詩を調べていたのだ。・・・雲無心出岫 雲無心にして岫を出ずる。岫、しゅうは、山の中腹の洞穴・・・。私は峰をみあげ、また青田を見渡した。そうだ、よくここで学校帰りにタニシ採りをした・・・水路にはザリガニもいたっけ。道草をくったら叱られるとわかっていて、畦にランドセルを放り出して泥田に足を踏み入れたものだったが・・・。顔をあげると、ふと道はずれのトンネルのあたりに人影が見えた。入り口のところに、白い夏服を着た少女が佇んでいる。細い手で、立てかけた子供用の自転車のハンドルを握りしめている・・・。あれは、知っている少女だ。6つか、7つか、名前はなんといったか・・・。思い出そうと目を閉じた私の耳に、子供たちの歓声が聞こえた。道の反対側から、下校の少年たちがはしゃぎながら近づいてくる。彼らは私の背中を行き過ぎ、道に砂埃を上げながらトンネルに向かって駆けていく。私はまぶしいような思いで少年たちを見送った。少年のひとりが、ふとトンネルの入り口で立ち止まる。ふたこと、みこと、自分より年のいかなそうな細い少女に語りかけている。少女はうなずきハンドルをにぎり、またうなずく。後ろ向きの少年の、くたびれたランドセルは、妙に私には懐かしいものだった。そうだ、そのランドセルのふたはいつも閉まりにくく、歩くたびにぱかぱかと揺れた・・・。黒の半ズボンは、体操着と兼用することもあった。洗いざらしの開襟シャツ・・・目の前の光景が、突然ぼやけ、そしてまたくっきりと画像として立ち上がってきた。
あれは、私ではないか、あの少年は・・・。そしてあの少女は、隣家の・・・さあ、名前をなんといったのだろう、しかしずいぶん前に、亡くなったはずだ・・・。
私は、ふらりと立ち上がった。かなり距離があると思えるのに、少女に語りかける少年の私の声は、私の耳に鮮明に届いた。
「おかあさん、帰ってくるって、さなえちゃん」
「ここで待ってたらいい?」
「出るもんも帰るもんも、ここ通るからなあ」
さなえの母親はもうずいぶん前に家を出て、いなくなった人だ。それでも時折さなえは、思い出したように母をさがすという。
「・・・そしたら、ここで待ってる」
ふたりの子供は、近づいていくおとなの私に、目もくれなかった。
「一緒に、待ってよか?」
「ううん、いい」
少女はかぶりを振った。
「おおい」
少年を呼ぶ仲間の声がトンネルの向こうから聞こえる。
「今、行く―!」
少年はそちらに向かって声を張り上げる。
「じゃあな」
少年は、いや少年の私は、身を翻して去った。心細そうな少女が、そこに取り残された・・・。

 さなえは、いつまでそこにそうしていたのだろう。初夏の日が暮れ、雲が夕焼けの色に染まり、風になぐ青田に夜のとばりが下りるまで・・・。
ほどなく、少女は病んでおとなにならずにこの世を去った。しかし不思議なくらい、その前後の記憶は私にはない。さなえのことは、故郷にまつわる私の思い出から、今まですっぽりと抜け落ちていた・・・。おそらく最後だったのかもしれない、さなえとかわしたあの会話も。
私はわれにかえった。白い夏服の、6、7歳のさなえは私のほうをいぶかしそうに見やった。さっき少年の私がいたときには、今の私の姿は、さなえには見えなかったのだろうか。いや、そんなばかな・・・。
「さなえちゃん」
さなえは目を丸くした。知らない大人が、自分の名を呼んだからだろう。私はためらいながら言った。
「さなえちゃん、おかあさん、待ってるのかな?」
さなえはまた目を丸くした。私は続けた。
「おかあさんはねえ、帰ってこないんだ」
さなえは、またすこし目を見開いて、私を見上げた。
「だからさなえちゃんは、ここで待ってたらいけない。帰らないとね、おうちへ」
さなえはひとことも発しなかった。ただかすかに、ゆっくりと、うなずいたように見えた。

 おぼえのある一本道である。しかし、様変わりしていた。畦が、田んぼが消えうせ、舗装された道の両側にはこぎれいな住宅が立ち並んでいる。どんつきのトンネルだけが、名残をとどめている。目が覚めた思いで、私は頭を振った。手に触れるほど近々と鮮やかな、彼方の緑の峰を見やった。おりしも雲が中腹から湧き出で、蒼空に放たれようとしている。ふいに、背後に風が巻き起こった。白い夏服のさなえが、自転車を駆っていく。ふりかえりざま、笑顔をのこした。ぼうぜんとした私は、それでもあわてて手をあげた。かつて青田をそよがせた同じ風が、少女の長い髪を吹き流していく。少女は道のはずれまで行き・・・そして見えなくなった。
2011-05-28 17:43 | 記事へ |
| 茶道をめぐる短編 |
2011年05月02日(月)
鵜飼舟
「粽をおあがり」
階段をトト、と駆け下りてきたトオルに向かって、大伯母さんが声をかけた。お稽古日には大伯母さんはずうっとどっしりとお茶室に座ったなりだけど、たまたま廊下のはずれの水屋に立ってきたところらしく、階段から玄関のほうへすっ飛んでいこうとしたトオルと鉢合わせする羽目になった。ゲーム機を抱えたトオルが
「あとで」
とすり抜けていこうとすると、大伯母さんは厳然と
「お茶が点つから」
と言った。大伯母さんのこの口調に逆らえるものはあまりない。トオルはおとなしくゲーム機を抱え、立ったままお茶室に入っていった。昨日、新しいゲームソフトを買ってもらった手前もある。トオルはでも、お抹茶が嫌いではない。物心つくかつかない頃から、お茶のお稽古場の空気に馴染んでいたからかもしれない。小さなトオルが膝をちんまりそろえてお茶碗を抱える姿は、お稽古の女の人たちの人気の的であった。しかし、5年生にしては小柄とはいえ、こういう場面がそろそろ、面映くなりだしている。いや、とっくからそうなのだが、正面きって逆らうほどの反抗心もまだない。
 ナナミがいる。3年のときから同じクラスにいる女子だ。いつも一緒の高校生のおねえさんの姿は、今日は見えない。ナナミは生徒会の副会長とかしてる。目がくりんとしてて、ちょっと可愛い顔はしているのだが、なんてったって小うるさい奴なんだ。トオルはナナミの視線を無視して、広縁の隅に座った。
「ありゃ、トオルちゃん、そんなとこに」
けたたましく呼ばわるのは、お河童頭に眼鏡の斉木さんだった。昔から、少なくともトオルの覚えている限りでは、いつもお稽古場にいる人だ。とてもやせてて、ちょっと出っ歯で、いつもせわしなくトリがはばたくように駆け回る。なんでもオーバーに騒ぐので、トオルは少し苦手だった。古手だけど、ボス、という感じでもない。貫禄にかけては斉木さんより上を行く人たちがいっぱいいるせいかもしれない。
「ほら、トオルちゃん、粽」
 畳のうえに手を引いていこうとする斉木さんに、いいです、ここで、というと今度は懐紙に粽を乗せ、とたとた、と寄ってきた。
「これね、はずしかたがあるんよ、笹の蔓はこうやって」
頼みもしないのに斉木さんは蔓の端っこをはずし、粽の片側に寄せようとした。粽の両端は均一の細さじゃない。太いほうの端にむかって押し下げようとしたため、蔓は粽に食い込み、妙に細いボンレスハムのようになった。
「逆よ、斉木さん」
誰かがうんざりしたように指摘した。
「あれえ、ごめんねえ。もひとつ、持ってきたげる」
「いいです」
トオルはもういちどぶっきらぼうに言って、斉木さんの手から懐紙に載せた粽をとった。くす、と笑うナナミが目の端に映る。ほっといてくれ。
「先生、今日のお花入は?」
浅海さんが大伯母さんに尋ねている。色の白い、すらっとした人だ。押しつぶされてちょっとにちゃつく粽をほおばりつつ、トオルも床の間を見やった。
 庭の白い山吹と紫の都わすれが入れられた篭は、横から見ると楕円形のように見える。黒っぽい竹で粗く編まれていて、3本の竹の足がついている。
「鵜篭ですな、ちょっと早いけど」
「早いことありません、鵜飼は5月の11日から始まりますよ」
 またけたたましく、斉木さんが言う。
「ああ、あんた、岐阜でしたかな」
 大伯母さんが自分のほうに顔を向けると、斉木さんは勢いづいて、
「はい、あちこちでしてますけど、やっぱり長良川が本場ですわ、歴史もあるし」
「篝火が、いいらしいね」
「そうです、鵜匠は皆、正装してます、宮内庁の職員になってて」
「こんな籠を使ってるの?」
 誰かが聞いた。斉木さんが答える。
「いやあ、そりゃもっと大きいんですわ・・・鮎を吐かせるし」
「でもあれ、ちょっと残酷なもんよねえ、鵜にしたら骨折り損・・・」
「はりきるんですわ、鵜も」
「まあ、いっぺん、案内してくださいや・・・さ、ぼつぼつ次のお点前の準備しなさい、あんたは何を?」
 斉木さんにしゃべらせてるときりがないからに違いない。大伯母さんは適当にあしらっていた。
 粽をお茶で飲み下すと、トオルは広縁から庭下駄をつっかけて玄関に回った。このまま靴にはきかえて、遊びに行くべしである。スニーカーに足を突っ込んでいると、ナナミがやってきた。
「ねえ、滝くんのうちに、ゲームしにいくんでしょ」
「・・・うん」
「滝くんに言っといて。貸してるソフト、明日返してって」
「うん」
「学校に持ってきて見つかったらいけないから、登校前に寄って、って」
 自分で言えばいいじゃないか、なんだかなあ、と思いながらも、またトオルはうん、と生返事をした。その時、開いている広縁のガラス戸の向こうから、水屋で賑やかに、誰かに指図する斉木さんの甲高い声が聞こえてきた。
「使った後は、ほら、こうして水足して・・」
「斉木さんて、いい人だけどちょっとおせっかいだよね」
 そっちを見やって、ナナミが言う。
「いっつも、今やろうと思ってるところに、あれこれ言うんだもん、ウザイよ」
 自分の事を棚に上げて、ナナミは言う。
「おヨメに行かなかったんだってね、斉木さんて」
「ふうん」
 トオルは興味もないし、早く出かけたくはあるし、
「滝に言っとくよ」
と打ち切り、玄関を出て行こうとすると、
「待って、一緒に行くよ。そしたら今日返してもらえるもん」
とナナミは靴を履きかける。
「お稽古は」
「あっ、待ってて、言ってくる。すぐ帰ってくるし」
 女子と連れ立っていくのはなんともきまりが悪い。
「先、行ってる」
 トオルは返事を待たず、駆け出した。

 トオルが帰ったとき、お稽古はまだ続いていた。トオルはそうっと二階に上がり、ご飯だと呼ばれるまで下りていかないつもりだった。また斉木さんやら誰やらに、トオルちゃんトオルちゃんと呼ばれるのは、なるべくなら避けたい。自分の部屋のベランダ越しにひょいと見おろすと、斉木さんや浅海さん、その他2、3人が連れ立って帰っていくところだった。ぼんやりと、ナナミの話を思い返した。あのあと、ナナミはあろうことか全速力でトオルに追いついてきたのだ。それから滝のうちに着くまで、ひとりでいろんなことを喋っていたが、どこで聞きかじったか、斉木さんは事情があって、イケズゴケになったということだった。
「イケズ?」
 大阪の叔母の口癖を思い返したが、そのイケズとは違うらしい。
「誰か家族に、モンダイがあったんだって」
 秘密めかしてナナミが言う。そんなものかな、とトオルは違和感を覚えた。
「斉木さんが悪いわけじゃないんだろ」
「ばかね、そんなんじゃないよ。でもそうなんだって、世間て、そんなもんなんだって」
 したり顔で、ナナミは言った。トオルは黙って歩いていた。

「おばあちゃん」
「なんだい」
大伯母さんだけど、トオルはこう呼ぶ。ご飯のあと、テレビの時代劇をみていた大伯母さんは、そばのトオルを見やった。トオルはゲームの手を止めず、一瞬ためらったあと、答えた。
「なんでもない」
「へんな子だね」
大伯母さんはテレビに戻りながら、
「日曜日は3時ごろまでするからね、頑張って手伝ってな」
 ここ20年以上も大伯母さんは毎年、小学校でお茶会を催している。卒業生たちもやってくるし、今も心得のあるものたちは朝からずっとお手伝いに入るので、手は足りているのだが、大伯母さんはトオルの手伝いを喜ぶ。手伝いといったって大したことは出来ない。ナナミなんかのほうがずっと気が利く。トオルは薬缶運びとかのほうがいいのだが、お運びをしろといわれる。クラスの連中が見ている前で、なんとも照れくさい。まあ、あと1年の辛抱だ。
「斉木さんもくるの」
「くるよ。なんだい、斉木さんがどうかした?」
「べつに」
「ああ見えて、ありゃいい子だけどね」
大伯母さんはそれ以上とくになにも言わなかった。ナナミから聞いた話を持ち出すのは気がひけた。お風呂に入りなさいと、お母さんが呼びにきた。

 日曜は快晴だった。今年は市長さんもやってきて、お茶をよばれていった。市長さんもこの小学校の出身なのだそうだ。大伯母さんがいつもの如く仕切り、社中さんたちはコマネズミのように働いていた。袂の長い晴れ着を着たナナミは、いつもより淑やかに見え、うすく紅などさして、すましてお運びをしている。お母さんは空き教室で、家にしまってある昔の着物を何人かに着付けるのに大わらわだった。華美になるからと、着物を禁止した時期もあったらしいけど、やっぱりみんな、綺麗なものを着たり、見たりしたいらしく、年々はなやかになる傾向がある。男子は、白カッターに、黒ズボンだ。
 斉木さんも、鼻のあたまに汗をかいて立ち働いていた。やせていかり肩のため、着物姿はもうひとつしっくりこない。すんなりとした浅海さんは、髪を優雅にまとめて、白い割烹着をつけていた。その下の着物はなんだか淡い色あいで、色白の浅海さんによく似合っていた。
 「萌黄色、っていうんだって。着物屋さんがそう言ってたわ」
浅海さんはおっとりした口調で言った。
 斉木さんの着物も少し似た色合いなのだが、なんかどこか違うようだ。それでも、その黄色っぽい色は、浅黒い斉木さんの顔を、いつもより明るくみせていた。
 初風炉の頃なので、たいてい端午のお節句の趣向なのだけど、今年は待合に鵜舟の色紙がかかっていた。「おもしろうてやがてかなしき鵜飼舟」の句が賛として添えられている。
「小学生にはどうかと思いましたけど、芭蕉のこの句は、教科書に載ってるそうで」
大伯母さんは説明していた。
 お客は次々やってくるので、お昼は交替でとることになっていた。お弁当を持ってない子がいて、目ざとく見つけた斉木さんは、無理に自分のおにぎりを押し付けていたけど、ナナミが言うには、その子はダイエットしてるらしい。お節介だってナナミは言いたいのかもしれないけど、でも、まあいいじゃないかとトオルは思った。ダイエットなんてよくないよ。ほかにも斉木さんは、お手洗いに行こうとする着物を着た子を、つんつるてんの裾からげにして、きまり悪がらせていた。

 3時過ぎ、お茶会は終わった。盛会だったと、校長先生が挨拶に来ていた。生徒たちにはPTAからアイスクリームの差し入れがあり、歓声があがった。初夏とはいえ、暑い一日だったのだ。それで解散になり、後片付けは大人がやる事になっていた。
「あら、斉木さんは?」
割烹着をたたみながら、浅海さんがあたりを見回した。
「荷物、置きっぱなしよ、まだ帰ってないはずだけど、何処かしら」
「さっき、ごみ捨てにいったけど」
 トイレに行ってから帰ろうと、トオルは校舎に入っていった。男子トイレの前まで来ると、中に人影があった。
「あれ、何してるんですか」
 上っ張りを着て、裾からげをした斉木さんだった。手にモップを持っている。
「やあ、トオルちゃん、ごめんね、もう終わるから。女子のほうはすんだよ、誰もいないし、そっち使ったら?」
「いいです・・・掃除、明日当番がするからいいと思うけど」
「そうだけども、やっぱり、使ったとこはきれいにしとかんとね」
 斉木さんはがしがし、という感じでモップを動かしていた。
「手伝います」
トオルは言って、もう一本のモップを用具入れから出してきた。
「あれ、助かる、トオルちゃんいい子やね、ありがとね」
トオルは力をこめて、モップを使った。

「鵜飼って、面白いですか?」
帰り道、斉木さんはジュースをおごってくれた。自動販売機のある公園の花壇の縁に、斉木さんは風呂敷を敷いて座った。トオルも座るように言われたが、首を振り、立ったままでいた。
「あれね、最後に見たのはいつかなあ、20年も経つよ」
「そんな前?」
「うん、若いときじゃもん、デートしたんや」
「デート」
「月の光が強い晩にはせんらしいけど、そん時は、ものすごい星月夜でね、川の水に映るかと思ったくらいよ、篝火の明るさと一緒になって・・・。鵜匠さんが、拍子とって、掛け声かけるんや、あれはいいリズムやな、鵜も張り切るんかな、て一緒にいた人が言ってなさった」
「その人と、ケッコンしなかったんですか」
ナナミの話を思い出し、トオルは聞いてみた。
「うん?あのねえ、シュサイネガイ、ってあってね」
「なに?
「娶妻願い。上の人に出すの。その人、警察官でね、その頃はその決まりがあって、私とは結婚できなかった」
「なんで?」
「うちの父が、保証人になって友達の借金背負ってね、切羽詰って会社のお金、手をつけたんよ。謝って返したけど、警察呼ばれてしまったから・・・。犯罪者が親類にいたら、警察官は結婚できにくいし、したら出世できないってね」
「・・・」
「それでも、自分は警察やめる、言ってくれたけど、でもねえ、その人が警察官の仕事、好きなのがわかってたから。駅で待ってる、一緒によそへ行こ、っていわれたけど」
「行かなかったんですか」
「プラットフォームが見える、交差点まで行ったけど、そこから進めなかったねえ。時計見ていらいらしてる姿が見えたけど。行ったらだめ、だめ、って自分に言い聞かせてね、涙ばっかりぽろぽろこぼれたよ・・・あれ、変ねえ。なんでトオルちゃん相手にオバサンがこんな話をしてるだか・・・」
斉木さんは笑い出した。
「大昔よ。その人ね、今出世してるよ、警察の、エライサンになりなさった。仕事も出来たけど、優しくて面倒見のいいお巡りさんだったからね。鵜もかわいそうやな、なんて言う人だった。トオルちゃんも、優しいから、きっとエライ人になるよ」
それはへんな理屈だな、とトオルは思った。斉木さんは続けて、
「ねえ、ひとの痛みのわかる人になってね、それがいちばんえらいんよ」

 斉木さんは相変わらずお稽古場でお節介をやいては、うんざりされたりしている。あの、しみじみ語っていた斉木さんは別人だったのかな、とトオルは思うけど、そのばたばたした世話焼きぶりが、前ほど気にならなくなった。いつか、鵜飼舟を見に、大伯母さんたちが行くなら、ついてってもいいかな、などと思っている。
2011-05-02 09:33 | 記事へ |
| 茶道をめぐる短編 |
2011年03月18日(金)
出会いのもん
 三月に入ってから、雨もようの日が続いていた。ひと雨ごとに春の気配、などとはいえないつめたさで、通勤のブーツの中で爪先は縮こまる。氷雨、という感じ。今朝も今朝とて氷雨のそぼ降る中、信号を渡り終えてしょう子は立ち止まり、バッグの内ポケットから携帯を取り出した。
 メールなし、着信なし。
 そういうヤツなんだ。そう思うしりから、タカユキの奴、ゆうべは打ち合わせとかいってたから、多分それが長引いて・・・あまり遅くなったから連絡は明日に回そうと思ったかも・・・朝は朝でバタバタしてて、そんなヒマもなくて・・・。なんて、相手に都合のいい言い訳を考えてやる自分に腹が立つ。会社でのしょう子しか知らない者たちが彼女のこんな胸の内の呟きを聞いたら、さだめし驚くか、あるいはほっとしたりするのじゃないかと思う。それもいまいましい。
 テキパキした仕事ぶりが身上と、自他共に認めるしょう子は、そんな自分をちょっとばかりケムたく感じている輩がいることも承知している。薬大出身のしょう子は、化粧品会社の企画部門にいる。商品開発と関わる事もあるし、販促方面に携わることもある。外部との折衝もある。配属されたときは本当に意気軒昂、といった気分だったが、この何年かの間に、そうした思いは色褪せつつある。女性相手の商品を扱う現場で、女性の意見が通りやすいかというと、それが案外である事に気づくのに時間はかからなかった。会社自体が古い体質なのだ。そんな中で、結構気を張ってやってきたほうだとは思う。
 企画部門なんて、発想がサエてればいいんじゃないか、なんていうのは見当はずれもいいところ。ストレートなもの言いのしょう子は、たいこもちみたいな奴らに、しょっちゅう足元をすくわれている。・・・ちょっとまって、それはアタシが提示した企画の焼き直しじゃないの!あのとき、課長に粗っぽすぎる、といわれて投げ出したプラン・・・!なんて歯噛みすることもある。上役のお覚えめでたくないタイプだとは自覚しているが、のらりくらりとおいしいトコどりしながら生存競争を勝ち抜いていくなんて、考えただけでもうんざりする。
 そんなことに目くじらたてんなよ、上手にやりゃいい・・・唐突にタカユキの声が甦る。出来るならそうしたいわよッ・・・。にび色の雨空を見上げてつぶやく。とにかく今日も戦闘開始、のスィッチを心で押しながら。そうして無意識に、携帯をバッグの底に落とし込んだ。

 七時半。後の事務整理は明日朝いちにまわそうかな、と思ったとき、今日が月初めのお茶のお稽古日であることに気がついた。あ、いけない、まだ間に合うかな・・・。手早く片付け、手回り品をふたつ三つ、バッグにつっこむ。
 お茶のお稽古は、2年ほどまえから続けている。忙しい時期には、稽古道具の袱紗挟みをしっかり持参しながら、結局お休みしてしまう事も多いが。それでもコンスタントに続けてこれたのは、やはり日常と違う空間に身をおくことの好ましさ、そして土佐出身の先生のざっくばらんな人柄故だと、しょう子は思う。
 肌寒いといえ3月、ややこしい大炉も先月で終わりだし、今日のお菓子は何かな・・・などと思いつつ、机から立ち上がろうとしたしょう子は、背後から課長が自分を呼ぶ声を聞いた。
「はい」
 用心しつつ振り返る。キーボードの隙間にたまった埃を掃除しながら課長は言う。
「明日昼からの打ち合わせな・・・」
「萬宝堂の木谷さんとの件ですか」
 萬宝堂は広告代理店。今度、新製品を、ゴールデンウィーク封切りの女性向け映画と関連付けて売り出す企画がある。発案当初からしょう子が関わった企画だ。明日は広告代理店を交えて、映画会社の宣伝部の担当者と会う事になっている。そのための書類も、作成済みだ。
「それそれ、それ、代わって丸石が行く。君は、企画コンサルタント会社のセミナーのほうに行ってもらう事になったから」
 え。しょう子は思わず椅子を蹴って立ち上がった。パソコン画面から後退型の前額だけを覗かせている課長を見下ろす格好になる。
「なんでまた」
「なんでといわれても・・・ま、そういうことだ」
 丸石要はしょう子の同期。手抜き名人としょう子は踏んでいるが、上の顔色を窺いつつ、ポイントはちゃっかり押さえていく。いけすかない奴だ。課長とは飲み仲間らしいけど。しょう子はぐっとこらえつつ、
「お言葉ですが、あれは私が当初から関わってきたものですし、そのためのレジュメも」
「ウン、わかった、わかってるけどね、君にはセミナーに、元橋を連れてってやってほしいんだよ、ちょっとノウハウを見につけさせるためにもだね・・・」
 元橋は縁故で入ったという、いわゆるイマドキの僕ちゃんである。えー、そうすかあ、と受け答えはするものの、こっちの言ってることが一向にしみとおっていってないような、しょう子などから見てもわけのわからない世代の代表といえる。
「君、しっかりしてるし、まあ、そこを見込んでだね、新人の面倒もね・・・」
 言葉もない。
「ま、明日午前中に、丸石に引き継いでもらったらいいし、セミナーの資料は、総務でもらって・・・」
 そういうと課長は、急に何か思い出しでもしたかのように、そそくさと席を立った。残されたしょう子はくるりと振り返ると、叩きつけるように椅子の背をデスクに押し込んだ。上目遣いに様子を窺っていた後輩が、首をすくめるのが見えた。

 むしゃくしゃしながらたどり着いたお稽古場だったけど、かけつけ一服というかんじでお茶をよばれるうち、なんとはなしに気分も鎮まってきた。次、準備する?と仲のいい子が言ってくれるところへ、ううん、後でいい、もうちょっとゆっくりしてから、などと返事をする。
 3月に入り、しつらいは釣り釜になっている。天井から鎖で細めの釜を吊る、裏千家では今はこの季節特有の趣向である。しまいつけにかかっているお点前さんが、釜の蓋を蓋置きからとる。さっきはよく見ていなかった蓋置きに目が行く。
「釣り釜やから、五徳の蓋置きが使えるちや」
六十年配の、恰幅のいい先生は、のんきな声で続ける。
「あとは、透木釜のときとね。しばらく出しちゅうき、使うたらええぞね、このときしか、使えんもんやきにね」
「あの」
しょう子は思わず尋ねた。
「釣り釜と透木釜の時以外、五徳の蓋置きって、使えないものなんですか?」
「炉や風炉の中の五徳と重なるきにね、出会いのもんやき。けんど、釜のほうからしたら、別に蓋置きは選ばん。五徳でのうてもかまん」
 なんだかムワッと不愉快になってきた。出会いのもんというより、それってなんだか一方通行じゃないか。五徳の蓋置きさんからいえば、添える釜は限られていて、釜のほうからすれば、なんだっていい、なんて。・・・一方的にしりぞけられた、さっきの企画のみならず、いまだに無反応の携帯を思い出す。
「寒い時の・・・筒茶碗とかも、そうでしたね、ええと、絞り茶巾は、筒茶碗でしか出来ないけど、筒茶碗は、別に絞り茶巾でなくってもいいとか」
「そうやな、よう覚えとるねえ」
 さらにゾワゾワと、不快感が増す。とびきり寒かったこの冬、しょう子のワンルームで鍋をつつくのを好んだタカユキの、ほどけた笑顔が浮かぶ。実はしょう子は、さして鍋が好きでない。なんでも一緒の味になってしまう。熱いの冷たいの、濃いの淡いの、ひと品ごと味が変わっての食べる楽しみ、などというのは、料理自慢の母の影響か、それともしょう子自身が、イケル口であるためか。とにかく、しょう子からすれば、タカユキのためだけの、オンリー鍋である。しかし、あいつは鍋男。鍋さえあれば、どこにでも出没していたのかも。根拠もなく、妄想が拡がる。
「えらい、コワい顔しとるぞね。加減でも、悪いろかね」
 先生が丸い目をしばたたいてしょう子の顔を覗き込む。
「イエ、何でも―」
しょう子ははじかれるように立ち、水屋に行った。片隅に、見慣れぬ年代物の木箱がある。
「ああそれ、開けてみんなに見てもらおうと思うたにかわらん」
 よっこらしょう、という趣で水屋までやってきて、土佐弁の先生は言った。
「田舎で、蔵の改造工事するきに、整理をしゆうが、これを見つけて、えらい優雅なものやきにゆうて、送ってきたがよ」
 ぞんざいな口ぶりと裏腹に繊細な手つきで、先生は木箱を開け、しょう子たちに披露してくれた。それは八角形の、高さ30センチほどの蒔絵が施された漆の筒だった。足つきである。金蒔絵は図案化された花のように見えた。時代がたっているせいか、施された金も渋く沈んでいる。朱の組み紐が斜め十文字にかけられ、飾り結びになっている。
「中にはなあ・・」
 先生は少し紐をずらし、かぶせの蓋をとった。中から取り出されたのは、桐の細い木枠で、紅絹(もみ)に包まれた細長い包みが見える。そっとほどかれた紅絹の中には、幾重にも重ねられた蛤。蓋をあけると、平安時代の雲上人やら、花鳥絵やら・・・。
 しょう子たちは、歓声をあげてその華麗な貝たちをとりかこんだ。「これが貝合わせ。昔、うちの先祖が土佐のお城に勤めてて、なにかのおりにご下賜されたもんやき。お姫様のお輿入れには、かならず添うてたいうぞね」
 蛤の表はつややかで、この地模様同志の一致から、同一の貝の蓋と身であるか否かが判じられるとのこと。裏を返して、内側に描かれた絵模様が一緒なら、アタリ、である。
 お姫様たちは、まことに優雅にお暮らしだったようだ。おそるおそる手にとると、細工物のように精巧な蛤は、身と蓋がきっちり合い、なめらかな珠のように掌におさまった。
「ぴったり合う片割れはひとつしかないきに、お嫁入り道具に欠かせんかった、いうがね。・・・あんたらも、そういう人見つけちゅうろうかね」
 若いお弟子さんたちは、くすくすと笑った。しょう子はそうっと、手の中の貝の蓋をあけてみた。お姫様を訪なう、公達の狩衣の細かい模様までが、そこには丁寧に書き込まれていた。

 マンションの扉の前で、点滅する携帯の光に気づいた。マナーモードにしていたんだった。非通知・・・?
「明日はお世話になります。よろしくお願いします  元橋」あの僕ちゃん。ほっと笑いがもれる。かわいいとこもあるじゃん。誰かの指図かな?まあ、乗りかかった舟だ、せいぜい引き回してやるか・・。 携帯をまたバッグに放り込み、部屋のキーをごそごそ探す。着信音。あわててバッグをさぐる。広めのバッグの底に落ちたらしい携帯はなかなか手に当たってこない。いらいらとかき回すうち、音は途絶えた。なんて間の悪い。しばらくたたずんでいると、今度はメールの着信。必要以上にあせり、しかし今度は首尾よく取り出すことに成功した。息を吸って操作する。
「連絡しなくてごめん。ゆうべ携帯落とした。さっき、落としもので届いてたのを引き取ってきた。タカユキ」
 なんだ、なんてドン臭い。いろいろ考えて損した。しょう子はまたちょっと気の緩むのを感じ、あらためてキーを廻し、ドアをあけた。またメール。
「明日は鍋じゃなくて、どっか行こう」
 そうよ、そうこなくっちや。もう春だよ。しょう子は部屋の明かりをつけ、タカユキに返信をうつ。
「海岸通のシーフード。6時半」
 あそこは蛤のシチューがおいしかったっけ、貝合わせのジンクスにこっそり、ひっかけて・・・。少女趣味みたいで、ちょっとヒトには言えないけど。テキパキ企画部員の表情を、なかば無意識に作りながら、しょう子はつぶやいた。
2011-03-18 18:34 | 記事へ |
| 茶道をめぐる短編 |
2011年02月20日(日)
海山千家日記外伝・雪・狐のひとりごと
 稲荷山に雪が降る。なんてね。ほんと今朝は寒いや。社殿のうしろにある「お穴様」」から眺めてると斜面はほとんど白、白、白。ぽつぽつと見える赤い点々は、上の社まで連なる鳥居のてっぺん。やっと終わった初午からこっち、降り込められてる。今日はきわめつけ。初午ってのは、いわば強制労働。まあ俺なんか、「御先稲荷(おさきとうが)」っていわれる神使の白狐だからね、能無しの狸なんかと違って、お役も多いわけ。え?何のお役かって?そりゃいろいろだよ。
 俺は今、茶道海山千家流家元に遊学中の身だけど、このときばかりは古巣に戻って、それこそ八面六臂の活躍ってとこ。人手(狐手)が足りなきゃ、神楽も奏でるし、おみくじも売る。今年なんか、巫女に化けて神楽舞も舞ったよ。ここだけの話だけど、あんまりイケてないアルバイト巫女さんたちの間で、尻尾をかくした玲瓏たる巫女狐は、結構目立ったみたいだねえ。
 でもやっぱ、いちばん重要なお役は、参拝客の心願を、上の神様に上げること、かな。いかんせん俺はまだ、大神様の側近というわけじゃあない。まだ若いからね。いいとこ300年、ってとこかな。だから、参道で見染めた女を口説こうとして妻の悪口を言ったら、当の相手が笠をかぶったそのツマで・・・というアホな公家とか、青息吐息で上の社まで登った清少納言というちょっとカルめのおばはんとか、話には聞くけど会ったことはない。それはともかく、心願は下から中の使いへ、それからその上へと、バケツリレーみたく伝達されてく。当然、途中で変化しちゃったりなんかもするわけ。まあ、狸ほどじゃないにせよ、ヌケタ狐もなかにはいるからね、人間の願い事が、なんかちょっと違ってかなえられた、なんてのはそのせいもあるわけ。まっ、かんべんしてよ。俺たちも忙しいしさっ。
 でもさ、弁解するわけじゃないけど、神様は商取引の相手じゃないからね。願懸けとは違ってても、出てきた結果は、たいていその人間に合ってるものなんだってさ。だいいち、人間だっていいかげんなんだから。神妙に手をあわせてても、ハラ減ったな、変わり映えせんけど王将でもいこか、とか、楽して儲けたいなあ、宝くじ当たらんかな、とか、ダサいわこの男、家まで送らせて、やっぱり雅治にメールしよ、とか。高尚な白狐は赤面しちゃうよ。
昔、そう、利休居士のそのまた師、珠光という茶人は「・・・第一わろきことはこころのがまんがしうなり」とかなんとか呟いた。がまんがしう、我慢我執、難しい漢字だ。いつか狸の子安なんかは、これを聞いて「なんのマンガ集や?」と言っていた。訂正してやるのもあほらしく、スルーしてやった。「巧者をばそねみ、初心の者をば見下す事、ただがまんがしう悪き事にて候・・または、がまんなくてもならぬ道なり。銘道にいはく、心の師とはなれ、心の師とせざれ」
 がまん、って忍耐、って意味でなく、慢心、ってことらしいね。この慢心、ってやつはよく御せば誇り、ってものに転ずるわけだ。さすが茶聖、しかしわが狐族にとってはいまさらいわれるまでもない、叩けばホコリが出る・・・いや違う、そのホコリじゃない、遠く唐の国の先祖より、DNAの一部として受け継いだ誇り。高貴な血筋なる白狐系はなおさらのこと・・・おや!なんだか玄妙な香り・・・違うちがう、油揚げなんかいらねーよ、何百年もお供えされてる身になってみ、飽きるぜえ、たいがい。そこのばーちゃんが連れてる孫、手に持ってるそれ、そうそう、イカ焼き、それ置いてってくんないかな、油揚げはいいからさ・・・あっ、食っちまうのかよ、このガキ!おイナリさんのご利益なくなるぞ!・・・・・・(我に返って)俺とした事が・・・だよな。しかし、そろそろ下界の食い物が恋しくなってきたよ。フライドチキン、ピザ、焼肉、マクド・・・。そろそろ雪も雨に変わりそうだしさ、あれ、日が射してきたぞ、狐の嫁いびり、ってやつかな。ちがう?なんだっけ。どうでもいいさあ、降りてってひとごこち(?)つくものでも食おう、来年の初午までお役ごめんだ!例の彼女にメールして、と。いいんだよ、狐の場合。恋はバーチャル・ゲーム。がまんがしうじゃないんだよ。化かすも化かされるも、闇夜のしろぎつね。尻尾を出したほうが判定負け、だよね。
2011-02-20 10:04 | 記事へ |
| 茶道をめぐる短編 |
2011年02月10日(木)
去りがたし
 毎月ここにだけは、とずぼらな私が精勤する月釜があります。場所は京都。茶ババ(まだババまではいかないぞ!とつぶやきながら)は夜駆け朝討ち、亭主の来る前に場所に入り込みます。
 お待合は光琳の水墨画。梅に鶯。一筆書きのような、天に伸びる梅が枝のすがやかさ。本席には有名な「懈怠比丘・・・」の横物で、六閑斎筆。一燈が一文を添え、認得斎の箱が添っています。この語句については、宗家見学の折、説明していただきましたね。みごとな牡丹は露をふくみ、ずっくり湿らした南蛮の花入に。香合は仁清、ミルクのような白兎で、瞳がつぶら。床脇には瑠璃祥瑞の鶴亀。ちょっとした洒落でしょう。芦屋の真形、竹梅地紋の釜には、古鏡の蓋が添い、これは絶品。水指は古染付芋頭、山水図。気品のある姿です。
 棗は原羊遊斎、高台寺蒔絵。漆が透け、これも絶品。茶杓は認得斎で、八重梅とのこと、一双だそうで、いずれ秋のものが片割れなのでしょう。茶碗がまた名品のオン・パレードでした。宗入の半筒、銘は炭かま。半分はかせ釉、半分は釉がかかってました。ほかに茂三の対州御本、銘はかすみ。不味公の夫人が箱の上書きをされていました。とじめがあり、そこに渦の絵がある古萩、珍しい碁笥底の伊羅保。蓋置きは和全の仁清写し、梅花。菓子器の呉州赤絵の見込みにある福の字は、この種のものでは珍しいようです。(たいていは魁)。
 唐物の金馬は十二角で台付、堂々たる大きさでしたが軽い。細かい細工でした。宗哲の行李蓋には絵唐津の火入。昔からお顔なじみのお正客の先生と炉辺で拝見しつつ顔を見合わせ、「去りがたいねえ・・・」
 挙げたのは、いずれも定番で、辞典にも載っているはずです。人の名も、道具も。興味のある方は、お調べを!
2011-02-10 21:06 | 記事へ |
| 茶道歳時記 |
筒茶碗雑感
 三寒四温という気候には今だし、という感があります。明日は列島が大雪に見舞われるとか。個人的には先週末で新年の行事も一段落し、やれやれ冬毛を脱いだ、といいたい気分ではありますが・・・。

 花をのみ 待つらむ人に 山里の雪間の草の 春を見せばや 家隆

 利休居士の侘びの心を象徴したものとして人口に膾炙している一首です。何度も目にし、耳にされているとは思いますが。
 暦の上では春といいながら、極寒といっていい今日この頃、みなさま筒茶碗の扱いのお稽古に余念がないようです。熱が内にこもるその形状。冬の朝(あした)、たなごころに載せた筒茶碗で一服を喫することを楽しみとされるお茶人もおいでかと存じます。
 中国の祥瑞、あるいは高麗ものなどは、もと香炉であったかと思われますがこの高麗のうち、古雲鶴に属するものに「疋田筒」という名品があり、大名物とされています。古雲鶴では、筒形が貴ばれます。時代が下って、注文品であるところの御本のなかにも、筒形は見受けられますが、ここでの横綱は立鶴。御本の中でも、位が高いとされます。国焼では黒薩摩、織部、志野、唐津、瀬戸黒、信楽にもあります。冬のお茶事の際に、あたたかな湯葉などを盛る、深向うとして使われたものも多いと思います。あるいは、火入れとの兼用。
 本阿弥光悦の「雪片」は赤楽の肌に白釉が点々とし、銘の由来を思わせます。
 筒茶碗というと私は、川端康成の「千羽鶴」を思い出します。中学校の図書館にありましたが、なんにもわからずに読んでいたんですねえ。お茶道具の話が出てきた、というのは覚えていました。後年(なんだか貫禄ありげな言いようですが)読み返したとき、了入の黒、赤一対の筒を夫婦茶碗とし、了入ならそう惜しげはない、というくだりに、なるほどなあ、と感じました。時代ですね。
 唐津や志野の筒茶碗も登場します。この志野は、作中で砕かれてしまうのですが、作家の井伏鱒二は、志野茶碗の感触と幻想から太田夫人という妖しい中年女性を造形した川端康成の虚構に言及しています。(妖しい中年女性です、怪しいんじゃないんですよ)。
 志野の肌あいはあたたかみがありますね。寒い時期にはふさわしいかもしれません。いろんな焼き物に、じかに接する機会をお持ちください。時間をかけて、自分の感性で感じ取っていただく事が肝要かと思います・・・。
 
2011-02-10 19:58 | 記事へ |
| お稽古ことはじめ |
2011年01月21日(金)
季(とき)はずれ
二月はじめの庭に、蠟梅がほころびかけている。かたい枝に、蠟細工のような黄金色のつぼみである。梅の花と似通う濃い香りが、はりつめた冬の寒気のうちにそこはかとなく漂っている。
 停年退職後、間をおかずに妻が亡くなって六年になろうとしていた。羽添一郎は、必要に迫られてさして広くもない庭の草取りをするうち、妻が丹精していた茶花の世話をするようになった。興味がわくにつれて茶花の入門書などもひもといたが、それによれば蠟梅はやはり名にふさわしく、茶席に活けられるのは十二月だということである。茶席の花に関してはよく季(とき)のもの、という言い方がされるようだが、そうすると今から花のさかりを迎えようという我が家の蠟梅などは、さしずめ季(とき)はずれ、というようなものかな・・・。とりとめもない事を考えながら、庭仕事用の軍手をはずそうとしていた羽添は、縁先にふと人影がさしたのに気づいた。
「なんだ、誰かと思った」
挨拶代わりにひょい、と肩をすくめてみせたのは、ひとり息子の祐介だった。
 どうした、といいかけた言葉を、羽添は飲み込んだ。わざわざやってきたからには、いま抱えているトラブルがなんらかの進展を見せたという事だろう。しかし庭先で問いただすのは気が引けた。羽添は黙って息子をうながし、玄関に回らせ、自分は縁先から居間に上がり込んだ。
 やもめの独り暮らしは、散らかそうと思えばいくらでも散らかる。しかし女にありがちのため込む、という性癖がない分、整頓を心がければそれなりに片付いた状態を保つもので、今祐介は、そうした簡素な居間で、なんとなく手持ち無沙汰のようにつっ立っていた。
「まあ、すわりなさい。お茶でいいか」
「うん、いや、いいんだ」
落ち着き悪く、それでも息子は腰を下ろした。羽添は電熱ポットを引き寄せ、息子のために茶を入れた。
「・・・慣れたね、おやじさんも」
「馬鹿いえ」
 羽添自身は、両親を早く亡くしている。身の回りの算段くらいはなんとかなる。家事も好きなわけではないが、必要最低限なら間に合わせる。ふと、こいつはどうなのかな、と思った。祐介が独立したのは七年前、二十八のときの結婚が機だった。学生時代も勤めてからも、親の家にいた息子はもしかすると家事無能力人間かもしれない。羽添の同僚にはよくそんな手合いがいた。彼らは、停年後いささか家のなかで持て余しものとみなされている、などと自嘲気味に話すことがある。祐介は黙って、羽添の入れた茶をすすっていた。立って、ポットに注ぐため水をいれた薬缶をとりにいきながら、羽添はつとめてさりげなく聞いた。
「香奈枝さんは?」
「あれきりだよ」
軽すぎると思える口調で祐介は言った。羽添のほうがとまどった。
「あれきりって」
「だから、あれきりだよ。出てってから、会ってない。書類に判ついて、送ったよ」
「そうか」
「で終わりだよ」
祐介の出張中に、自分の荷物をまとめ、貯金通帳を持ってその妻の香奈枝が出奔したのは三ヶ月ほど前の事である。通帳、って何だ、自分名義のか、と聞くと、祐介は言葉をにごした。香奈枝の言い分としては、稼いだのは夫でも、貯金は自分の才覚だということのようであった。主婦業を給料に換算するのは、一面当を得ているようであるが・・・。とげとげしく荒んだ表情の祐介を目にしながら、そのときの羽添はただ憮然としているだけだった。およそ考えられないことが、身近で起こった、という感じであった。苛立たしいが、なにひとつ適切と思える助言も出来ないでいた。妻がいればとも思ったが、しょせん息子とはいえよその夫婦である。ただ、香奈枝がなんと祐介の携帯にメールをよこし、離婚を要求してきたときはさすがに唖然とした。いくら簡便化したとはいえ、ことがことである。常識知らずの嫁のやりくちを思わず非難した羽添に、祐介は妙にしらけた視線をよこした。
 そして今日である。終わりというからには決着のついたことなのだろうし、いまさら親が出る場面があるわけでもない。まさか終始、メールですましたとも思えないが、たとえそうであっても、時代なのだろうと思わざるをえない。昔なら、三行半(みくだりはん)をつきつけられ家を出される嫁もいたが、それだって考えてみれば仲人か誰かが、口上を述べて取り次ぐだけであろう。どちらが事務的か、わかったもんじゃないのだから、などと自分なりの理屈をつけながら、釈然としないのである。
「・・・転勤、決まった」
 湯呑みを置き、唐突に祐介は言った。羽添は眉をあげ、
「いつだ」
「ひと月したら出発する。シンガポール。その話もあって、今日」
「・・・そうか。技術指導というわけか」
「うん。向こうにいる主任も、かれこれ5年だからね。そろそろ交代の時期だってことだろう」
「お前も、5年くらいはいることになるのか」
「とは限らない。現地採用がどんどん増えてるし、こっちとの連絡もネットでやるしね。まあ、状況次第だと思うよ」
 祐介は業務用機器の製作会社に勤務している。海外との取引が多く、時差の関係上残業も多かった。帰りは夜中近い事が多い。独身時代もそうだったのだから、妻となった香奈枝はそれも承知していたはずだろうとは思うが、そのへんから亀裂が始まったようなことを、祐介は漏らしたことがある。
「・・・まあ、気分転換もかねて、いいじゃないか」
 祐介はちょっと肩をすくめ、
「犬もいないしね。どこにでも行ける。気楽なもんだ」
 ラブラドールを、祐介たち夫婦は飼っていた。香奈枝は、その犬は連れて出たということだった。
「犬か・・・。このへんは朝晩、連れて散歩してる人が多いな」
「犬がね・・・」
 ふっと、祐介は口に出した。短い沈黙の後である。
「犬が、きっかけだったんだ」
「なんだ・・・?」
「香奈枝の相手は、犬の調教師なんだよ。盲導犬か何かの。犬連れて散歩してて、知り合ったらしい」
「・・・・・・」
「世話の仕方とか、いろいろ話をするうちに、ってことらしい」
「・・・・・・」
「その盲導犬の学校にも、見学に行ってたらしいよ。まあ、犬が好きだったからね、俺とよりも気が合ったってことだ」
「気が合ったから、ってそれだけか」
「ほかにいらないんだろう」
「結婚するってことは、やっぱり社会人になることだろう。義務も責任もあるだろう」
 言いながら羽添は、自分の言葉が、息子にも自分自身にもしみ通っていかないように感じていた。かたちとして、言っているにすぎなかった。
「義務、か・・・」
 祐介は首筋の後ろで手を組み、ソファの背にもたれかかりながら、中空に目を泳がせた。
「くだらない真似はやめろ、って怒鳴ったな。犬の調教なみに、女の調教もうまいんだろう、てな嫌がらせも言ったよ。・・・でも人の気持ちはどうしようもないもんな、夫婦でも・・・。香奈枝の考えてることなんか、実はあまりわかってなかったのかもしれない。とめだてしても、寝覚めが悪いだけだしさ。もっとも、ほっといたって出て行ったわけだけど」
 最後は、苦っぽい口調になった。羽添は昔の、ある出来事を思い返していた。目の前にいるこの息子が、まだ小学生の頃である。師匠の主催するある大きな茶会に泊りがけで参加すると、妻が言った。場所は国際博覧会の行われている地方都市で、茶会もその一環だったのだろう。許さないという羽添と食い下がる妻は言い争い、羽添は癇癪を起こして妻の大事にしている抹茶碗を割った。顔をこわばらせて破片を拾う姿は、いまも記憶に残っている。
「母さんは、お茶一筋だったからいいよね」
 祐介の声で、われに帰った。
「いつだっておケイコとかお茶会とか、俺、お八つっていうとカップ・ヌードルだったような気がするな」
 いつの頃からか、妻は茶道に没頭し、自分の世界をひた走っていた。共通の話題もなく、羽添は他人事のようにそんな妻を眺めていた。付け足すように、祐介は言った。
「でも、おやじさんには悪い、と思ってたみたいだよ、母さんは」
羽添は、返答に窮した。
「奥さん失格だからね、って時々言ってた」
妻がそうなら、自分も亭主失格かもしれない。妻のしたいことを、そう邪魔立てしたりはしなかったつもりだが、理解しようともしなかった。
「そうだ、あの母さんの昔からのお弟子さん、横田さんだっけな、この間街でぱったり会ったよ、七回忌のお茶席のことで、父さんに連絡とりたいって」
「ふうん」
「また電話するっていってたけど。ついでに、道具やなんか、整理してもらったら?」


 夕めしくらい一緒にするか、といってみたが、先約があるとかで祐介はそそくさと引き上げていった。羽添はもう一度庭に降り立った。その前に、廊下のはずれの納戸を覗いてみたが、種々雑多な茶道具が積み重なり、ちょっと手にあまる状態だった。やはり人に任せるしかない。庭の世話だけでもやりだすときりがないくらいなのである。道具は、使える人に使ってもらったほうがいい。価値のあるものがあるかないかは知らないが・・・。
 夕闇が迫っていた。濃くなりまさる影のなかで、花の香りは一層強くなるようだった。庭いじりばっかりしてると老け込むよ、と祐介は帰り際に憎まれ口を叩いていったが、ほんのわずかな季節のゆらぎにも、植物は丁寧に感応する。そんな面白さに、羽添が気づいたのも最近の事だった。手をかければ、木々や花々は、それなりに応えてくれる。ひとは、必ずしもそうはいかないかもしれないが、それにしても・・・と羽添は思った。祐介ではないが、自分も亡妻の考えていることなど、本当は何もわかっちゃいなかったかもしれない。いや、似たり寄ったりの話はそこら中にありそうな気はする。それが世間並みということか・・・。そもそも妻が家の仕事もそこそこに、茶道にのめりこんでいったのは、なにかしら、思いを埋めるものを必要としていたからなのだろうか・・・。そうだとも、そこまではっきりしたものではないとも思えた。しかし、いまさら何だ、と胸の内でつぶやいた。これも季はずれ、というやつだ。
 夫婦の仲が希薄だったぶん、やもめぐらしが寂しくないことわりだ、なかば負け惜しみにすぎないと知りながらも、羽添は自分にそう言い聞かせていた。
 
2011-01-21 19:32 | 記事へ |
| 茶道をめぐる短編 |
2011年01月14日(金)
薄器って?
 先日のお稽古で老松茶器を使っていただきましたね。毛色が変わって見えるものは、なかなか皆さん手が出ないようで、これまで棚ざらし(?)状態でしたけど、扱いのあるものは一度は触れてみないとわかりませんものね〜。
 さて、拝見の問答のとき、「お薄器は?」とお尋ねしてくださいね、と言いましたけど、もともとは薄茶器、でしょうか。茶入れのケース(?)を挽家(ひきや)といいますが、それが薄茶の容器として使われたもののようで、文琳や茄子の茶入れには棗型の挽家、肩衝その他には中次(なかつぎ)といわれる円筒形の挽家という約束があります。時代の変遷とともに薄茶の器は多種多様な拡がりを見せ、今日ではお好み物の薄茶器だけをとりあげたとしても、たいへんな数に上ると思われます。おなじみの真・行・草に分類すれば真は焼き物の濃茶入れ、行は塗り物の棗、草は中次その他、ということです。
 棗の基本は利休形です。大・中・小がさらにそれぞれ3つずつに分かれますが、細部の寸法、切り形は宗哲家に代々伝授されているとのことです。このほかにも平棗、尻張棗、鷲棗、長棗、一服入棗・・・。
 中次は簡単に言うと、円筒形のヴァリエーションです。薬器という、平棗が角ばったような形状のものもここに入ります。禅宗で使う飯器の形です。
 茶桶形は中次の類ですが、蓋の浅いもので円筒形のものなどがここに分類されます。
 扱いとしては基本的に棗は甲拭き、そこに含まれない薄器は二引き。お茶を入れるとき、とった蓋は棗なら行の位置、棗以外の薄器なら身体正面・・・。
 時代を経るにしたがって、薄茶器は多種多様な展開を見せるようになります。茶人の意匠が活かされた好み物なども、漆工芸の技法の発達、名工の輩出と相俟って、さまざまな名品が生み出されてきました。茶匠と塗師との関わりをすこし挙げておきます。もちろん、複数の茶人と関わった塗師も多いと思いますが。紹鷗と羽田五郎、秀次。利休と余三、記三、盛阿弥。織部を経て遠州・石州と関わるのは道恵、道志。宗哲は代々の千家の塗師職を務めます。一閑張りの一閑は宗旦時代からということ。松平不味の塗師には羊遊斎、胡民、漆壺斎などがいます。江戸期には蒔絵の技法が発達し、ほかにも数々の名工が華麗な作品を残しています。
 お稽古での清め方は甲拭きするもの、二引きのもの、今回の老松のように縦に‘り’のように拭くもの、などに分かれます。個別の扱いをするものもあり、いずれもお点前の歴史の中で考案、工夫されてきたものと思われます。
 変則的な扱いをするものは、また折に触れて扱いのお勉強をしていただけたらと思います。老松の扱いも、記憶の隅にとどめておいてくださいね。因みに老松は表千家の原叟宗左が、山崎・妙喜庵の袖摺りの松で三十個を好み物として作ったのが最初とされます。このときのものは木地摺り漆だったそうですが、現在よく見かけるものは溜塗りが多いです。裏千家の一燈好みは、蝶番がありません。
2011-01-14 18:05 | 記事へ |
| お稽古ことはじめ |
2011年01月03日(月)
突羽根
 つくばね ひらり 
 つくばね ふわり
 とまるは 梢
 着くのは 地面
 もいちど こつん、で
 風に 舞う

 まぶたの裏がほんのりあかるい。
お正月の朝、紗良が目をあくと、あたりは鴇羽色(ときはいろ)のカーテンを通してお日さまの光があふれていた。子供部屋は裏庭に向かっているので、障子でなく窓にはカーテン、床はフローリング。鴇羽色という、ほの赤い色の名前はお祖母ちゃんが教えてくれた。トキという鳥が飛んでいるときだけ、羽の内側にみえる色だということも。
 紗良は8才。小3だけど、早生まれなので来月にならないと9才にはならない。3つ違いの姉は8月生まれで名は葉月。妹を如月という名前にはできなくて、まんなかをとって紗良。でも紗良はこの名前が気に入っている。紗良はすとんとベッドから降り、はだしのまま窓に駈け寄った。向こうのベッドでまだ寝ている姉の葉月がもごもご言った。
 紗良のうちは京都にある、小さなお茶の家元。新年は夜の明けない暗いうちから起こされ、暗いお堂に家の人たちが揃う。大福茶というもので、紗良はすっぱい梅干と、あまり好きじゃあない昆布をちょっとなめ、濃いお茶をすする。子供はそのあと、もういちどベッドにもぐりこませてもらえるけど、大人は起きていて、いろいろ用事をするみたい。
 今、朝陽のなか、めざめた紗良は鴇羽色のカーテンをあけて裏庭を見下ろす。表のお庭の、濃い緑の影と苔に覆われた湿っぽさより、紗良は裏庭のほうが好きだ。葉が落ちて、裸ン坊になった背の高い木の枝が、青い空を突いている。その下に、お祖母ちゃんお母さんたちがとても大事に面倒を見ている椿の木が何本かある。つぼみがたくさんついているけど、たいてい咲くのを待たずに摘まれ、お茶席に活けられるのだ。いつもそれを少しかわいそうに思うけど、お茶席に活けられたつぼみの一輪が、それは凛としてみえるのも紗良は知っている。春から秋にかけてはほかにもたくさんの草花が咲く。どこから飛んできたのかわからないような雑草も思いがけない可憐な花を咲かせたりする。でも今は冬枯れ。
「あれ?」紗良は思わず、窓ガラスにおでこをくっつけて身を乗り出した。その冬枯れの裏庭で、若いお兄さんが体操をしている。窓ガラスは蒸気でくもっているので、外はとっても寒いと思うけど、お兄さんは白いTシャツだけで、見たこともない不思議な動きをしていた。しゃがみこんだと思うと、つま先をまっすぐ空に向かって伸ばしながらゆっくり身体も起き上がる。長い足は一直線に上げられ、大きく旋回しながら、元に戻り、上体はまたうずくまる。かと思うと、側転をしながら、身体をねじり、斜め上に向かって蹴りを入れるように膝から下を屈伸させる。はじめはゆっくりした動きだったけど、だんだんと早くなり、鋭さを増してくる。細い全身がむちのようにしなやかに力強く、長い手足が自由自在に動く。体操というよりダンスのようで、紗良は足の冷たさも忘れ、お兄さんの不思議な動きに見入っていた。


「ブラジル?」
 祝い膳の席で、そのお兄さんはお父さんから紹介された。ブラジルでお茶を教えている遠い親戚の伯父さんの、子供なんだそうだ。
「地球の反対側やよ」
姉の葉月が言う。
「ゴトウ・ジュンイチです。よろしく」
お兄さんはきれいな日本語で言った。ちゃんとした服に着替えていて、長い足を器用に折って正座していた。
「日本語、しゃべれるん?」
「日系人は日本人なんや」
また葉月が耳打ちした。よくわからなかったけど、ゴトウ・ジュンイチはお雑煮をおいしそうに食べていた。お父さんの話してくれたところによると、ゴトウ・ジュンイチはカメラマンということだった。世界中の景色を撮って回るんだそうだ。
 お節料理の祝い膳の席がすむと、紗良は葉月とおそろいの、手まり模様の晴れ着を着せられた。葉月は若竹色、紗良は桃染(つき)色。お祖母ちゃんが言い出して、ゴトウ・ジュンイチに羽根突きの写真を撮ってもらうことになった。場所は裏庭。日本の子供のお正月の遊びや、ちょうどええ、お祖母ちゃんはそう言うけど、羽根突きなんか、紗良はしたこともない。葉月も、1回したかしないかくらい。それに袂が邪魔。体育の得意な葉月も、この晴れ着での羽根突きには参ったらしくて、早々に根をあげて、着替えに行ってしまった。残された紗良はでもなんとなく、晴れ着を脱いでしまうのが惜しくて、広縁に腰をかけて、しばし休憩する事にした。朝方は寒そうだった裏庭には、ぽかぽかと午前の日が射し、風もない穏やかなお正月。
 ゴトウ・ジュンイチはカメラを構え、椿の木に向かってシャッターを押していた。ほころびかけようかという、薄桃色のつぼみはふっくりしていて、あたたかさがそこに集まっているようだった。
「さっき、踊ってはった?」
紗良はゴトウ・ジュンイチの浅黒い横顔に話しかけた。ゴトウ・ジュンイチは驚いたように振り返った。そしてにこっと笑った。ひきしまった口元から、白い歯がこぼれた。
「ああ、見てた?」
「二階の窓から。あれ、体操?」
「あれはね、カポエィラ」
「かぽえーら?」
「うん、ブラジルに伝わってる。もとは格闘技、闘うためだけど、でも今の形では相手を蹴ったりしない。まあ、踊りに近いかな」
 家の人たちはみんなお仕舞いをやってる。紗良たちも月2回、お稽古にやられるけど、それとはもちろん違う。葉月はヒップホップに夢中だけど、ちょっと違う。同じクラスのみきちゃんがやってる合気道を思い出すけど、手は使わないみたいだし・・・。
「もう一回、やってみせて」
 ゴトウ・ジュンイチは少し照れながら、でもカメラをそっと広縁において、腰を落とし、両手を身体の前にして構えらしいポーズをとった。ゆっくり上体が沈み、しなやかに足が空を切る。そのまま身体のバネを使って反転する。すぐに逆方向につま先が蹴り上げられ、間をおかず横向きの宙返り。空中でもういちど膝から下が蹴りの形になる。足がリズミカルに細かいステップを踏む。汗がきらきら光る。
「すごい!ゴトウ・ジュンイチさん、すごい!」
紗良は夢中になって拍手した。ゴトウ・ジュンイチはほっと動きをとめ、一礼した。ちょっとはにかむように、
「ジュンでいい。みんなそう呼んでる」
「ジュン、身体、やらかいなあ。ブラジルの人、みんなそんなん?」
「いや、あのね、僕の母のほうのお祖父さんはスペイン系のブラジル人だった。子供のときずっと、お祖父さんに習った」
「ふうん」
「羽根突き、しようか」
「うん」
 ジュンは、羽根突きも上手だった。高々と上がった突羽根は、紗良のひろいやすい場所に、計算されて落ちてくるようだった。紗良がとんでもないところに飛ばす羽根も、しなやかに返してくれた。
 そのうち、紗良は妙な事に気づきだした。ジュンのつく羽根のてっぺんに、ちいさな人の姿がみえるのだ。五色の羽根の隙間に、赤いスカートをはいて緑の上着を着たちいさい女の子。羽根に乗って、ひとしきりひらひらしたあと、ふわりととんでジュンの肩にとまる。それをくりかえしている。
「魔法?」
 緑と赤の女の子は、紗良のつく羽根には、とまってくれないようだった。なんだかくやしくて、
「あたしの羽根、低すぎるんかなあ」
「もすこし、上にむかってつくといいよ」
 思い切って空に向かって羽子板を振り上げる。羽は少し高く飛ぶようになって、でも女の子はジュンの羽根から肩へ、をくりかえしている。
「ジュン、それ・・・」
ジュンの肩を指差す。
「え?」
ジュンは肩を見やり、怪訝な顔。見えないんだ。なぜか知らないけど、ジュンには見えないんだ。思い切り羽を高く上げる。ふわふわ落ちてきた羽に、女の子はちょっとこわごわ、というふうにちょこんと乗ったけど、すぐにジュンの肩に帰っていった。
「その調子」
少しすると、女の子はジュンの肩から羽へ、そしてそこからふうわりととんで、あのいちばんふっくらした椿のつぼみに、吸い込まれるように見えなくなった。立ち尽くす紗良に、ジュンが呼びかけた。
「疲れた?もう終わりにしようか?」


 次の朝、ジュンのカポエィラのトレーニングは見られなかった。夜の明けないうちから、琵琶湖の日の出を撮りに出かけた、とお母さんが言っていた。ふと思いついて、紗良は裏庭に行ってみた。あのつぼみは、もう摘まれていた。かすかな風が、庭を吹いていった。


 何ヶ月かして、ジュンから写真が送られてきた。葉月と紗良の晴れ着姿もあったけど、一緒に入っていた一枚の写真を、紗良はふしぎな気持ちでながめた。裏庭の椿の一枝に、あの緑と赤の女の子が、腰掛けている。だけど紗良がいくら言っても、お祖母ちゃんもお父さんもお母さんも、ほかの人たちも、葉月でさえ、それをわかってくれなかった。それは、たまたまそんな風に見えるだけ。みんなそう言った。
 紗良は裏庭に出た。季節は移り、初夏になろうとしていた。花壇や植木鉢にはお花がいっぱいで、椿は新芽の緑が濃くなる頃にさしかかっていた。あのつぼみのことを考えた。しゃんとしてお茶席の床の間に活けられたんだろうな。きれいだっただろうな。でもジュンの肩にとまって、地球の反対側まで行ってたら、それも楽しかったかもしれないな。
 いつか行ってみよう、ブラジルでもどこでも。カポエィラでもなんでも、いろんなことを見て、いろんなことをして。おねえちゃんも行くかな。いっしょのほうが心強いな。きっともういちどジュンにも会える。椿の女の子の話をするかどうかはわからないけど。
 光はつぶらに、裏庭いっぱいに射していた。



羽子板香合は、淡々斎好みがあります。ちいさい実に、つくばね風に葉っぱがついたその名も突羽根、という低木は時折お茶席にも活けられます。
 
2011-01-03 17:06 | 記事へ |
| 茶道をめぐる短編 |
2011年01月02日(日)
うさぎがピョン。
あけましておめでとうございます。つつがなく新年をお迎えの事と存じます。本年もどうぞお健やかに・・・。豪雪に見舞われた地方の方々には大変な年越しだったろう、とお察し致しますが、こちらでは風は強いものの、陽射しも明るく、うちの近所の氏神様もたいそうな賑わいであったようです。
 兎年ですね。いただく年賀状にも、たくさんの兎、うさぎ・・・。私は昔からこの動物が好きで(家で飼ったことはありませんが)、子供の頃は枕元にぬいぐるみをいっぱい並べたりなど、しておりました。お茶のほうでも、兎を意匠としたお道具、趣向は数々あるようです。天目茶碗に‘兎亳盞(とごうさん)’と称される手がありますが、これは光の細い筋が集まったような釉薬の具合を、兎の長い毛に例えたもの。兎の斑釉というものもあります。瀬戸・美濃系の、白っぽい釉をいいます。
 雲龍釜のうち、少庵好みは、釻付きが兎。寒雉作の兎釜は地紋、釻付きともに兎だそうです。冬の茶席にちんまりと置かれた兎の手焙には、ほっこりとさせられるもの。名物裂の、‘花兎’はおなじみですね。よく似た手に、‘角倉裂’があり、豪商角倉家の所有にかかるもの。こちらのほうが、兎がややすんなりとしているようです。裏千家で有名なのは、玄々斎好み、慶入作、兎耳水指。もとは東福門院好み、仁清作であり、玄々斎は本歌の葵のご紋を、源氏香の葵に変えられました。兎の形の耳がついており、蓋の摘みには、八代宗哲が裏菊の金蒔絵を施しております。謡曲の「竹生島」に因んだ茶道具はたくさんありますが、竹生島釜はその代表。「月海に浮かんでは、兎も波を奔るか、面白の島の景色や」のひと節を題材とした、月光のもと波を渡ってはねる兎の図は、茶碗の絵柄にもあります。
 趣向としてほかに「金烏玉兎」(金烏は太陽の異称、玉兎は月の異称。太陽には3本足の烏、月には兎がいるとの伝承から)、「卯杖」(初卯の日に、天皇、東宮に献上されたという五尺ほどの杖。邪気を祓うという。漢に起源。柊、棗、梅、椿、特に桃などが使われた。上賀茂神社などでは飾り物として売られてます)。
 宗家見学の折に、利休御祖堂の入り口を護るうさぎに、目をとめられた方は多いと思います。御祖堂が成った年か、移築した年だかがうさぎ年だったからだというように私は記憶していたのですが、ご説明くださった水屋さんは、寝ずの番をするため、うさぎの赤い目に引っ掛けて・・・と仰ってましたね。

 大雪となる 兎の赤い目玉である   尾崎放哉
破調の俳人の一句です。なんだか、この2,3日の雪の有様を詠んだみたいです。

 A rabbit skipped
 A rabbit hopped
 A rabbit ate
 A turnip top.

 うさぎが とんだ
 うさぎが はねた 
 うさぎが たべた
 かぶらの あたま    マザー・グース


もうひとつ、英文はわかりませんが、アガサ・クリスティーの短編で登場人物が引用してたものを。たぶん、イギリスの俗謡?かな?

 うさぎの顔はかわいいが 
 うさぎのやること恥知らず
 どうにも君にはいえません
 うさぎのやったひどいこと

なんとなく、楽しいですね、なにをやったというんでしょうね。

 新しい年、兎のように軽やかに飛躍できますように。初顔合わせまで、どうぞ皆様お元気で、よいお正月をお過ごしくださいませ。
 お稽古は、12日からです
2011-01-02 09:54 | 記事へ |
| 茶道歳時記 |
2010年12月30日(木)
埋み火
 いよいよ、押し詰まってきましたなあ・・・言うても、なんやあったかいことで。温暖化、いいますんか、けったいなような、年寄りにはありがたいような・・・私の歳でっか?大正11年、壬戌の、今風に数えたら、来年は八十九になりますかな。そうでんな、大阪の冬も、昔はもっと寒かったように思いますな。数えで十(とお)の歳に、兵庫の山奥から、船場の木綿問屋に小僧のそのまた見習い、いうことで奉公にあがりました。冬の朝の4時起きはつろうましたな、桶の水が凍ってて、それ割って顔洗うときの冷たさだけは、忘れませんなあ。息つく間ァなしに一仕事終わって、火鉢にあかぎれだらけの真っ赤な手ぇかざすときの、痛痒い感じといっしょに・・・。今頃みたいに、暖房設備あらしまへんさかいな、一日中、火鉢に炭いこしてましたな、寝る段になったら種火埋めといて、次の日の朝、掻き起こしてまた新しい炭に移しまんねん。たいがい、女子衆(おなごし)さんの役目でしたけどなあ、時折いいつけられて、そやけど私はぶきっちょでしてな、これが苦手でした。いつやったか、とびっきり寒い朝、火ィ消しそうになってしもて、泣きべそかいとりましたら、裏口からふらっと入ってきた男衆(おとこし)さん、あの人なんちゅう名前やったかな、信さん、そうそう、信吉やったか信次やったか、みな信さん、いうてましたな。ちらとこっち見て、ちょちょっと火箸で掻いて、火ィいこし直してくれました。私の頭、ポン、とひとつ叩いて、無造作に去(い)にはりましてな、すらっとした男前で、女子衆さんやらには人気でしたけど、遊び好きやいうて、とかくの噂のある人やった。あの朝も、外から帰って来はったようでした。そやけど、その時はなんや胸がホッと、あったこなったような気ィしましたなあ・・・。
 そうでっか、お茶のほうでも、埋み火、いいますのんか。大晦日だけ?新年につなぐ?なるほど。
 お茶いうたら、そうや、あれもお正月でんな、御寮人(ごりょん)さんに振る舞うてもらいました。もっぱら、ついてくるお菓子が楽しみでしたなあ。ぼうろとか、ざらめ菓子とかやったように思います。御寮人さん、綺麗なお方でしたな・・・近くで見ましたら、そのお顔は、ご隠居さんの部屋の違い棚の上の京人形みたいとしか、小僧の私なんぞには、言いようがおまへんでした。店(たな)つきのお嬢さんやったと聞いてます。旦(だん)さんはご養子さんで、手堅いお方でした。御寮人さんはお嬢さん風吹かすでなし、商売は旦さんに任せて、お稽古ごとやら、してはるようでした。あんまり出好きな方やおまへんでしたな。何かの拍子に用を言いつけられて奥座敷に行きましたら、たいがい文机の前にぼうと座ってはりましたな。窓の障子開けて、外眺めてはったこともあります。・・・いっぺん、庭掃除する私のしもやけの手ェに目とめはってな、ちっちゃいケースに入った、ええ匂いのする白いクリームくれはりました・・・そらもう嬉しいて、いつも懐に入れて大事大事にしてましたんやけど、あるとき先輩の小僧に見つかって、取り上げられてしまいました。かなしいて、くやしいてな。
 ―そうやな、あの晩のことは今でもよう覚えてます。最近の事いうたら、昨日のことも思い出さしませんのにな。寒い晩でな、夜中すぎ、手洗いに立ちましたんや、ほしたら、裏玄関に通じる戸が開いてる。なんや人の話し声が聞こえる・・・人一倍怖がりの癖して、あの時はなんや魅入られたように、そっちのほうへ近づいていきました。戸の影からうかごうたら、そこにいるのんは御寮人さんと信さんでした。ふたりはこっちを見ましたけど、格別驚いたふうやなかったですな・・・今にして思うと信さんはなんやら、面はゆいような表情浮かべてましたかなあ。かたっぽの御寮人さんはそやけど、いつものやさしげな眼差しやおまへん。射抜くような、強い目の光でした。私はあわてて、くるっと振り返って廊下を走りました。なんやしらん、がたがた震えて、それで土間の脇にあった火鉢に抱きつくようにしてへたりこみましてん。灰の奥に埋み火がいこってて、その鮮やかさが、いましがた見た御寮人さんの目のようでした・・・。
 あくる日から、ふたりの姿はないようになりました。先輩の小僧が、さも秘密めかして言いますには、御寮人さんは信さんとカケオチしはったんや、てな。カケオチて、て聞いても、向こうもあんまりわかってしまへん。とにかくそれ以来、その話は奉公人の間では禁止になりましたな。
 そうでんな、あれから何十年たちますやろ・・・戦争があって、店も焼けて、また街も復興して、大阪もえらい勢いで変わり続けましたなあ。御寮人さんと信さんが、その後どこでどうしなはったか、私らに消息が知れる事はおまへんでした。
 お茶のほうでは、今でも炭が必需品ですねやな。ほの暗い部屋の中で赤々と燃える炭火のよさは、変わらんもんですなあ。今は火鉢ものうなりました。・・・かじかんだ手ェをかざした炭火、信さんが掻き起こした下火、あの晩、闇のなかで輝いてた御寮人さんの目の光と、埋み火の赤さ、そんなんがみんな、一緒になって、記憶に残ってます。昔の事ですなあ・・・。なんや、荒れてきましたな、大晦日は冷え込むそうで、そうこうしてるうちに、また年が移りますな。ほなら、あんさんも気ィつけて、どうぞよいお年を・・・。

裏千家お家元では、大晦日の夜、溜精軒にて除夜釜がかけられます。その後その火は埋み火とされ、早暁、寅の刻少し前に掘り出され、利休御祖堂に移されます。そして寅の刻に梅の井から汲まれた若水を満たした釜がかけられ、明けて大福茶が行われます。ご一家と業躰先生方のみの行事です。本来、茶人は常時自宅の釜の火を絶やさないでいて、外出時は埋み火にしておくのが心得ごととか。無茶人には、無縁の世界かも。皆様来年もよろしく!楽しくお稽古いたしましょう!
2010-12-30 17:13 | 記事へ |
| 茶道をめぐる短編 |
2010年12月12日(日)
暮れの雪
ひとつ年を越す、その実感もないままに、暦の日は進み、師走も半ばにさしかかろうとしています。13日は事始め。新年の準備にとりかかる日であり、商家、花柳界、ならいごとの世界では主家、師匠に一年の恩恵を謝し、きたる年へのあらたな抱負、精進の誓いを立てる日でもあります。13という数は陽の極とされます。よってこの日が選ばれたのでしょう。14日は討ち入りということで、月半ば頃の茶席では、これに因んだ趣向もよく見受けられます。つづいては夜咄の茶事、除夜釜・・・。忙中閑を偸む、といったような風趣の茶味が楽しめるのもこの季節ならではです。この間までこの欄で大活躍していた狸くんなど、まさに出番、というところ。狸香合は、冬の夜の友です。
 それにしても、暖かな冬ですね〜。寒いの苦手の私ですが、きっぱりとした冬の空気に身をさらすのも、やはり気持ちがひきしまる。武道の寒稽古なども、まさにその名の通り、寒気に身も心も引き締めて稽古に臨む、といった意味合いを持つものと思われます。
 北国以外では、雪のちらつく事もまれな気候です。季節感をもとめて、すこし雪ということばのヴァリエーションを・・・。
 泡雪はすぐ消える雪。細雪は細かい雪。ぼたん雪、ボタ雪、ベタ雪・・・いろいろ。斑雪(はだれゆき)は、はらはらと降る雪。友待ちの雪は次の雪の降るまで消えずに残っている雪。しずり雪は木の枝から落ちる雪。大雪小雪、ゆきけむり・・・。淡雪、うす雪、なごり雪は春の雪。忘れ雪は最後の雪。そして根雪、残雪・・・。

 山ざとは さびしかりけり木枯らしの 吹きゆふ暮のひぐらしのこえ
                 藤原仲実朝臣
 ふればかく 憂さのまさる世を知らで 荒れたる庭に つもる初雪
                 紫式部

 新年にふさわしい雪の歌はたくさんあります。いずれも清々しい趣きのものが多いのですが、年の内は上記のような、枯れ寂びた歌のかもしだす風趣に合わせて茶席をしつらえるのも一興かと思います。どちらかというと侘びの風情ですね。
 カラスの話なぞ書きましたが、この季節、さまざまな鳥が茶席を飛び交います。鍋にしたいくらいです。おしどり、鴨、千鳥・・・。これらを意匠とした茶道具は、枚挙にいとまがありません。
 明けるに遅く、暮るるに早い年の瀬です。一刻一刻を、どうぞ大切に・・・。
2010-12-12 18:40 | 記事へ |
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2010年12月05日(日)
四羽巣(しわす)
 「四羽巣、というんだ。四羽のカラスに掛けて」
顎をしゃくって、佐木田が示したその水指は、ガスストーブの収まったマントルピースの上に、やや不釣合いな感じで置かれていた。
「四羽は、いないようだがね」
二口ほど吸った煙草をもみ消して、私は言った。
「そう、今のところはね」
「というと」
 話題に上っている水指は寛永年間の陶工、野々村仁清作と伝えられる。玉子色とも、象牙色ともいえるような淡い肌合いは肌理こまかく、少し胴の張りを見せながら全体的には細手のフォルムである。本体と同手の蓋は中央が少しくぼみ、摘みは華奢な木の実にみえる。その肌の透明感から、いかにも薄造りを感じさせる生地には墨一色の幽けき線で、細い枝にとまる三羽のカラスが描かれ、背景に滲むわずかなぼかしは、その巣のある森の影を思わせた。
「今のところ、とは」
 口をつぐんだ左木田に、私は重ねて尋ねた。
「持ち主の死期がせまると、四羽に増えるらしい」
 佐木田はそれを、半ば照れ笑いを含んだ口調で言った。迷信を口にするのが気恥ずかしい、といった風にもとれる調子だった。
「前例でも―?」
「前の持ち主は、事故で死んだ。その前の持ち主も癌で若死にした。それ以前にも、履歴があるらしい」
「そのとき、カラスが四羽になるっていうのか」
「そうらしい。家人の証言だがね」
「妙なものを蒐集したもんだね」
 新しい煙草に火をつけながら、私は軽い調子で応じた。佐木田はむっとした表情になり、革張りのソファの上で足を組み替えた。
「一笑に付すと思っていたよ」
「そうじゃない。そんないわくのあるものを、わざわざ抱え込む事もないだろう、ってことだ」
 曖昧だった佐木田の表情に、じわじわと冷笑が拡がった。不自由のない育ちのせいなのかどうか、佐木田は神経質な反面、傲岸といえるような顔を見せる事がある。その表情のまま口を開きかけた、佐木田の呼吸の気配がした瞬間、まえぶれもなしにドアがあけられた。
 茶器の載せられた盆を持った佐木田の妻君は無言で部屋の中央の卓に歩み寄り、膝をついてそれぞれの茶托と茶碗、茶菓子を並べた。
「おかまいなく」
とつぶやいた私のほうを見るでもなくかすかに目礼し、妻君は立ち上がった。何度か会っていたはずだが、これまでこの妻君に、はっきりとした印象を受けた事がなかったのを思い出した。今もそうで、ただ色の白いひとだな、と感じるのにとどまった。
「今、彼に例のカラスの話をしてやったんだ」
唐突に、佐木田の甲高い声が響いた。
「彼は迷信に怖気づくほうらしいよ。理系のくせにね」
こう言って佐木田はとってつけたように、やや耳障りな笑い声をたてた。
「ひとを、困らせるもんじゃありませんわ」
 妻君のその言葉は、佐木田と私のちょうど中間の空気に向かって発せられたようだった。夫の不躾をとりなすように、また私の態度をかるく非難するようにも聞こえ、部屋には奇妙な沈黙が漂った。
「ごゆっくり」
言い残して妻君は去った。佐木田は、すっかり暗くなった庭に向かって開けられたガラス戸のほうに顔を向けていた。
 マントルピースのある部屋に佐木田を残し、私は薄暗がりの玄関で靴を履いていた。ほのかな人影がタタキに拡がり、私は思わず振り返った。
「おかまいもいたしませんで」
 オフタートルというのか、やや襟ぐりの開いた薄手の上着を、妻君はまとっていたが、お辞儀をした瞬間、細い鎖骨の真下にある濃いあざがくっきりと現れ、私はどきりとした。左右均等に拡がり、蝶のようにも、また鳥のようにも見え、夜目にも刻印のようだった。私はいや、と言って目をそらし、玄関から門まで七つ八つはあろうかという飛び石を歩き出した。
「門柱の灯りが切れてますのよ。お気をつけて・・・」
三つ四つ歩いたところで私は半ば妻君のほうへ顔を向け、
「手入れも大変ですな、こう広いと・・・」と愛想まじりで語りかけた。
「庭の趣味はありませんの。主人も私も。・・・いろんな鳥がきますけれど」
 からかわれているのかと思った。あの水指の話の後である。しかし妻君はのんびりした調子で、
「すずめ、もず、かけす、むくどり、ジョウビタキ、めじろ・・・」
「カラスは」
「カラスはきません」
平然として言った。私は辞去した。

 ところが本当に、佐木田は死んでしまった。訃報が届いたのは師走の初旬だった。仕事で遠方にいた私は通夜も葬式も欠礼し、悔やみの電報だけを打った。家の者から、心臓発作らしいと聞いた。詳しくはわからなかった。
 仏前に参るため、再び高台の家を訪れたのは暮れも押し詰まった28日の午後だった。焼香をすませ、今は未亡人となった妻君に、型どおりの悔やみを述べた。先日と同じように、未亡人は茶を出してくれた。水仕事をしている主婦とは思えない皮膚の薄そうな白い手に目を射られるように感じた。
 仏壇の隣に、私はくだんの水指を見出した。蓋がとられ、あまり似合わない洋花が投げ込まれていた。そしてカラスは四羽だった。
「カラスが・・・」
「なんでしょう」
「四羽になっていますが・・・」
「はじめからですわ」
「しかしこの間の晩は」
「三羽のと四羽のと、はじめからふたつありますのよ」
 私はしげしげと水指を見やった。色といい形といい、先夜みたものと寸分たがいもない。違いと言えばただひとつ、並んで枝に止まっている三羽のカラスから少し離れた場所で、一羽が羽を拡げていることだけである。その羽の線は、全体の霞がかかったような味わいの中で、奇妙にくっきりと際立っていた。近くによってよく見ようと、私は膝を進めた。その途端、茶托の上の茶碗が転がった。一瞬身を引いた私の目の前に、茶碗を拾い上げようとする未亡人の黒レースに縁取られた首筋があった。かがんだ姿勢の襟元から、先夜と同じ華奢な鎖骨がのぞいていた。蝶か鳥かが羽を拡げたような黒いあざは、そこにはなかった。


仁清のこの水指は実在するもので、私が昔から存じ上げている先生の所有にかかるものです。カラスの数が増えたり減ったりはしませんよ、念のため。ハナから四羽です。

 
2010-12-05 17:14 | 記事へ |
| 茶道をめぐる短編 |
2010年11月19日(金)
葵の釜騒動(12)
 あ〜っ、というような声がさざなみの如く茶席内にひろがる。ここで離れてなるものか!さいわい、点前は若サマである。修行未だ成らず、蓋置の自分をくっつけたまま、彼は蓋の摘みをツイーッと持ち上げ、迷うことなく釜に乗せた。ああ〜っ、と今度は語尾の下がったため息・・・が聞こえたか聞こえないかのうちに、蓋置の落ち込んだ釜は飛鳥のごときすばやさで持ち上げられた。そのまま水屋に運び込まれ、水屋すのこに湯がざあっとぶちまけられる。自分はその前に、柄杓で掬い上げられた。
 ゆで狸。しかしこんなこともあろうかと、事前に消防服素材のコートを抜かりなく纏っていた自分には(実際のところ、蓋を載せるのも熱いので)、ちょっと熱めの風呂程度。狸汁はごめんである。が、すのこの上で尻尾を出しているコダヌキは、そういうわけにはいかない。
「チー、大丈夫か」
尻の焼けたチーは、ふう、とかふにゃあーとか、言葉にならない泣き声を発した。
「はい、その釜、湯、入れなおしたらこっちの風炉にかけてな・・・」
 のんびりした声音で後ろから誰かが指図する。蓋置のまま、振り返ってみると、水屋の隅に置かれた風炉の前に、こじんまりとまとまって座っている宇須井のじいさんの姿。今しもその風炉から、ほどよく煮えのついた富士釜(拓斗!)が持ち上げられ、茶席に運び込まれようとしている。空いた風炉には、湯を入れ替えたチーの車軸釜をかけるという段取り。水も漏らさぬ流れ。いや、しかしこの上火にあぶられてはチーのお尻は赤剝けどころではなくなる。自分はすばやく煙幕をはり、蓋置からいつもの見習い姿に戻った。釜なしの点前座から、若サマとしては引き上げてくるしかない。点前はほとんど終わっている。蓋置は用済みだ。
「この釜は、むこうで湯をはってきます」
言うが早いか、尻尾を出しかけているチーを抱え、脱兎のごとく(狸だが)廊下に飛び出る。とたんに、釜が毛まりに変わる。
「大丈夫かよ」
「・・・あんまり大丈夫じゃない。お尻、ひりひりする」
「あのなあ、防御服を着込むんだよ。いまどきはいい素材があるからな」
「だって、知らなかったんだよ・・・誰も。教えてくれなかったし」
涙をためて、上目遣いに訴える。世話の焼けるコダヌキだ。
「わるいわるい・・・しっかし、車軸釜がチーだとは、思いもしなかったよ。どうなったんだ?」
「練習してたんだよ、道具部屋で。そしたら急に連れ出されて、今までずぅーっとこのまんま・・・お腹すいたよう」
拓斗の富士釜を引きずりおろしたはいいが、その代替として道具部屋でころころ転がっていたチーが選ばれるとは。誰の差配か知らないが、わりといい加減である。
「まあ、デビューが本席の釜なら、たいしたもんだ。よくやったよ」
しかし結果的には拓斗が予定通り舞台に出ていった。もしかして、奴は宇須井のじいさんと結託していたのか?
「お尻、痛い」
べそをかくチーに、
「後で馬の油をすり込んでやる。効くぞ。ちょっとここにいろ。尻は水で冷やしとけ」
言い置いて、水屋に戻る。さっきと変わらない姿勢で隅の風炉の前に根を生やしている宇須井の爺さんの前にそそっと寄る。
「宇須井先生、車軸は始末してまいりました、なにやら漏れてる気配もありましたもので」
 出まかせを言う。
「はあ、さよか。ごくろはん」
「あの富士釜は控えで・・・?」
「心得ごとや。席の続く間は、水屋の控え釜はいつでも運び出せるようにしとかんならん。何が起こるか、わからへんよってな」
 不測の事態。コダヌキが尻を焼かれたり、蓋置が釜に落ち込んだり・・・などという以外にもいろんなアクシデントは起こりうる。ブロードウェイにもアンダースタディがいるように、そのために控え釜はある。
「あの、これはまたあらたな控え釜で」
風炉にはすでに、別の釜が掛けられている。
「本席の風炉に、まあなんとか合わせといた釜や。あんたが、車軸釜をさらうように持っていってしもたしな。はよ行って、自分の仕事しなはれ」
 そういう宇須井のじいさんは、膝の抜けそうなキモノにも関わらず、ちょっと渋くていい感じだった。
 次の席が始まるようである。狐狸の化けモノでない、普通の蓋置が建水に仕組まれたのを見届け、チーの手当てをしにしばし奥へ引っ込む。
 水屋の板間には、丸炉という鉄製の炉が埋め込まれている。ここには水屋釜がかけられていて(常什、という奴である)、道具の湯通し、大勢の客への点て出しなどに使われる。宇須井のじいさんはこれとは別に、一朝ことあったときに本席に運び出せる釜のお守りをしていたわけだ。それは実際には使われることがない釜かもしれない(今回は違ったが)。降らずとも雨の用意、などというちょっと気障なせりふが、リキュウさんという偉い先達の教えのひとつにあるという。そういう境地である。

 茶会翌日。拓斗を捉まえて聞く。
「お前のシナリオか」
拓斗はいやな顔をした。
「富士釜を反故にしたのは、そっちじゃないか。大体、チビがガードコート着てないなんて、わかるわけがないだろ」
「それにしちゃタイミングよく待機してたな」
さらにうんざりした顔をしてみせ、
「宇須井のじいさんにつかまった。長く仕舞っておいた釜だから湿気臭いとかいって、何べんも水を代えて煮出しするんだ。いやんなったよ。湿気の匂いなんかするかよ。ジジイじゃあるまいし」
 自分は笑いをこらえた。道理で拓斗のお肌はつるつるになっている。
「しかしポイント稼いだじゃないか。そういえば、貸しがあったっけな」
拓斗はとぼけてみせた。
「そうだっけ?」
「当番変わったろう」
しつこく言ってみる。
「いいじゃん、都番なら」
「イタリアンよりもか」
タチバナさんの顔がよぎる。
拓斗はちょっとずるそうな顔をし、
「で、根にもってんだ。ちょっと道具屋筋の情報収集にあたっただけさ。市も立ったしね」
「成果はあったか」
「それは企業秘密だよ」
にんまり笑ってみせる。いまいましい奴だ。
「いい気なもんだ」
すると、イケテル狐は急に顔をしかめ
「よくない。店でて三歩歩いたら、後ろから声かけられた。振り返ったら、間無瀬のじじいだ」
「街角の出会い、というやつだな」
「こんな時間に、こんなところうろついて何してる、とか言って、鰻屋に引っ張り込まれた」
「なるほど」
「特上のうな重を、自分だけ注文した。肝吸いつきで。竹の井だよ」
「わかりやすい展開だな」
思い出したらしく、拓斗は憮然としている。
「こっちには関係ないけど、竹の井のうな重経験に免じて、今回は保留にしてやってもいい。が、道具屋情報は流せ」
拓斗は再びずるそうな表情を浮かべ、
「彼女は手ごわいよ」
「知ってる」

 結局、自分とチー、それに拓斗も「場外」の判定だった。控え釜に心せよ、という教訓だけを、真面目に受け止める事にした。
 子安がわずかに点をもらい、坊門は大加点である。この坊門の富士山が遠景になった都鳥の図は、ちょっと評判になった。それというのも、茶会に参加したタチバナさんが帰って店に報告したところ、応挙の別ヴァージョンとして買い取りたいと主人が申し入れてきたのだ。
 坊門はしかし、尻尾の長さと知能との関連性をDNAの観点から証明すべく、材料収集に鞍馬におこもりを始めたので、はり昌のおやじは手ぶらで帰った。このときいっしょにやってきたタチバナさんを首尾よく、稽古茶事に誘う事に成功したはいいが・・・。なんとなく、またひと騒動おきるのではないかという予感。尻尾のむずむずでそれと知れる。免許皆伝、晴れて卒業、その他の希望がかなうまで、まだまだ前途多難という、予感である。
                       了

思いのほか長くなりました。茶道の知識を取り入れて面白おかしく・・・と心がけましたが、なかなか難しいものです。

2010-11-19 20:48 | 記事へ |
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2010年11月12日(金)
葵の釜騒動(11)
「センセ、どうぞあがっとくれやす」
「そんなお高いとこ、よう行きませんわ・・・センセこそどうぞ」
「足があきません・・・座椅子持ちですよって、どうぞセンセ」
「いや、あそこに信楽センセ、隠れてはるわ。はよお願いして、あがってもろて」
 高いところというのは、正客の座である。牢名主とは違うのだから、座布団何枚重ねというわけでもない。つまり上座である。その席でいちばんえらい(というと語弊もありそうだが)お客が最上座に座り、亭主と応答する。その役を決めるのに、いつもこの手のやり取りがある。自分は初めはなにを言い合ってるんだかわけがわからず、だんだん慣れてくるとあほらしくなり、最近では通過儀式と認識した。よく聞いてると、似たり寄ったりに見える茶ババの皆さん(へんな言い方だな)にも、個性があるのがわかる。渋って見せるのは本音かジェスチャーか、気は進まないけど声はかけてもらいたいとか、まあこの場は私やろ、とうなずきつつ勿体ぶるとか、見てると面白い事もあるが、各席の進行がこれで5分ずつ遅れるのも馬鹿馬鹿しい。馬と鹿は、家元にはいない。10席で50分の無駄である。ここはさくさくと進めようと、たいがい、こっちから誰か仕切りに出る。
「ハイ、○○センセ、上へ、××センセ、お連れも一緒に、ハイ、ずず〜っと上へ移動して。そこが空きましたな、入り口でごそごそしてはるお三方、はまりますやろ・・・」
てな具合に客をはめ込んでいくのも仕事の内である。ひとつ徹底すべきは、こちらが差配する場合、今いる席よりは下げない事である。自発的に下っていただくぶんにはかまわないが。昔々、狸がかちかち山という恐ろしい話の主人公になるよりももっと前、海の向こうのきりすとという偉い人は、お茶の席次の高低について、含蓄のある教えを説いているという。即ち、招きを受けたらまず下座につくがよろしかろう、するとひょっとして上座に呼んでくれるかもしれん、しかしうかうかと上座についていると、後から身分ある人、高齢者、金持ち、力持ち、美女、尻尾の長い奴、などがきた場合、押しのけられるやもしれん。きりすとという人は、よほど深くお茶を極めたに違いない。
 するうち、席も収まった。自分はひょいと軽く宙返りし、かねて計画していた蓋置きに化け、子安の建水に収まる。五月に因んだ、槍の鞘建水である。子安にしては上出来だ。
 お菓子が持ち出された後、点前が始まる。今日の担当は家元長男、副家元である。お坊ちゃま的な風貌が、都女子大の一部生徒などにも人気と聞く。ゲームおたくで、姿が見えぬと思ったらヒト気のない部屋に陣取ってゲームに熱中している。しかし今日は真面目くさって点前を進めており、その背後には、間無瀬のじいさんが控えている。本日、家元は菩提寺の供茶式に・・・などと述べているが、実はぎっくり腰らしい。午後にはなんとか出て来れるかも・・・と長老たちがひそひそやっているのを耳にした。
「オタクでもなんでも、いざというときはさすがやな。お茶の家の子やもんな」
 子安が、つぶやく。
「声がひびくぞ、カナモノに化けてる事忘れるな」
 蓋置と建水は、点前中もあまり離れない。風炉の場合だが。
「それはそうと、拓斗の奴はどこだ」
「さあ、今朝の朝礼んときも見かけへんかったような気ぃするな」
「富士釜のパクリを却下されて、すんなり引き下がるとは、奴らしくもないな」
「まあ、次もあるこっちゃ」
のんびり子安は言う。確かに、タチバナさんの例の、「お茶関係の人とはつきあわない」なんて科白を聞いた後は、自分も少々気が抜けた。拓斗だって、空回りかもしれん。
「スカスんじゃないよ・・・」
「なに?なんかいうたか?」
「なんでもない」
 子安との無駄話からふと我に返った自分は、その異変に気づいた。身内の身に迫る危機!これこそ動物的カン、というやつである。蓋置の身で、あたりの空気を知覚する。と・・・

 釜だ。わずかにカチャカチャ揺れだしている。沸きすぎ?違う。わずかに釜肌からうぶ毛がポッポッと吹き出す。何が起こり始めているか、自分は動物的カンを全開にして察知した。
「ガンバレ、あと数分、もちこたえろ!」
「なんや?どうかしたんか?」
 子安が間延びした調子で聞く。カンの働かんことおびただしい。動物の風上にも置けん。なかば声に出して毒づいているうち、好機が訪れた。この瞬間を逃す手はない!自分は蓋置のてっぺんに力をこめ、持ち上げられた釜の蓋に張り付いた。
 
 
2010-11-12 10:12 | 記事へ |
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2010年11月07日(日)
葵の釜騒動(10)
 海山会当日。さいわいに晴れた。さわやかな季節でもある。一日毎に、日の出も早くなる頃、空はすみやかに明るさをましてゆく。とはいえ、7時前に門前に押しかける事はないだろう・・・しかしこれは茶ババの習性なのである。しかるべきキモノを着込んだオバチャン、オバアチャンたちが門前に市をなす。そうはいっても、日本のオバ・・・いや、熟年以上のご婦人方のキモノ姿は悪くない。なんというか、安定感があるようだ。頭の隅でそんなことを考えつつ、門の裏手ののぞき口から踵を返し、露地から待合、本席に至るルートをチェックする。最終的にはおえらがたが確認する手はずではあるが。もっとも大人数なので、蹲踞や腰掛待合は使わない。が、蹲踞に動物の毛が散っていやしないか、にじり口ちかくの塵穴に育ちきっていないコダヌキが蹴込まれていやしないか、などなど、これで結構、目配りの必要があるのだ。うん、まずまず。
 自分が化けるのは、もう少し後でもいい。まず待合席をのぞく。ここは、書院床になっている、格のある床に、応挙の富士の画はよく合う。化けているのはわが狸一派の、坊門である。
「応挙に、化けん?」
思いついて声をかけると、
「ええよ」
坊門はあっさり承諾した。この男(狸)は余分なことは聞かない。こっちも、説明の手間がはぶける。どこか飄々としており、野心も競争も無縁といった面持ちだが、ワケがある。大学のそのまた奥の院、大学院とかいうところの学生狸で、研修の名目で海山千家にワラジを脱いでいる。ボーモン?と初めて聞いたとき自分はフランス狸かと思ったが、れっきとした日本産で、ボーモンはきちんと漢字で坊門、と書く。もともとの出生はおそれおおくも京都御所の中、御常御殿(おつねごてん・・・きつねではない!)の床下、今現在はお江戸は皇居の一隅を住処となす、由緒正しい一族の出である。この一族は今上天皇の「皇居狸の生態」という論文の研究対象ともなった。セレブな家系なんである。彼自身は本郷の赤門大学の奥の院で、狸のDNAについて研究中という。インテリ狸である。まあなんでもいい、狸族がささやかな居場所を確保できる環境であるように、DNAの観点からも後押ししてもらいたい。何を言ってるんだかわからなくなってきた。坊門のことは知らないが、狸はもともと深く考えないたちである。話は戻るが、
「モノは、これ」
といって坊門に応挙の画像をプリントアウトしたやつをみせると、
「持ち主はこれを掛けるって、知ってるの?」
そうか、そういうこともある。はり昌のおやじとか、あるいはその名代でタチバナさんなどが来ないとは限らない。
「じゃあ、別ヴァージョン風に、一部分変えとこう。よくある例だ」
こともなげにインテリ狸はいった。さすがに知恵は回る。
 坊門を拝んだ後、間無瀬老への懐紙の効用を確認する。釜は、はたして拓斗の富士釜から、車軸釜に変わっていた。首尾よし。
「おお、ごくろはん」
「おはようございます」
廊下で、宇須井老と出くわす。黒縁眼鏡に、みだれ白髪のこのじいさんは、間無瀬老などと同格くらいなのだけど、なんとなくぼうーっとしてていささか影が薄い。今日も今日とて、膝の白くなったキモノに、端が擦り切れかけた帯など、いつもとかわらない風情である。ひょいとこっちを向き、なにか言いかけたとき、玄関おもてのほうから、ひょこひょこと間無瀬のじいさんがやってきた。小太りの体躯が、足元も軽やかに廊下を通り過ぎ、ことのついでに自分に目をくれ、
「油うってんと、はようしなはれや」
行き過ぎる袂がなにがなし膨らんで見える。軽くて薄くて四角い包みが、たくさん押し込まれたに違いない。薄くたって、数が集まれば厚くなる。茶ババのなかにもしかし、化けた狐狸の類はいるかもしれん。とすると、じいさんが喜んで袂に納めた何分の一かは、もしかして葉っぱかも。
 内心にやっとしてると、今度は宇須井のじいさんが、
「昨日、警察にいてきました」
「は?」
「警察」
「・・・?」
「新幹線のなかでな、祝儀袋からお札出して、数えましてな、信玄袋に入れ替えて、フックにかけましたんや。ほんで用足しにいんで、帰ってきたら信玄袋、影も形もあれへん」
あたりまえである。自分はあきれて、
「お連れは、なかったんですか」
「あいにくひとりでな」
「で、警察へ」
「いや、駅員さんに言うといたら、昨日、信玄袋だけ見つかった、いうてな、ほんで警察へ行てきましたんや。そやけど、なんとのう、緊張するもんやね」
そういってじいさんは間の抜けた笑い声をたてた。
「あれは、いろいろあてにしてた金やったんやけどなあ、がっかりしました」
言ってる間に、玄関先へ出て行けば、ちょっとは間無瀬のじいさんのおこぼれに与るかもしれんのに。まったく、ふたり足して2で割るといいかもしれない。が、自分もいつまでも廊下で遊んでいられない。今日はたとえるなら試験の日なのである。決めるべきときは決めんと。
2010-11-07 18:09 | 記事へ |
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2010年10月24日(日)
葵の釜騒動(9)
「応挙?ふうん」
間無瀬老は下唇を突き出し、ちろりと上目遣いにこちらをにらんで言った。
「まあ、いろいろありまっさかいな」
 応挙は実はガセも多い。あちこちで義理、ツテ、宿代、飯代、と称して画を書き散らした。ゆえに、それをなぞった贋作も出現しやすいということであろう。しかし海千山千どころか、海万、百万とでも形容したいような間無瀬のジイサンである。先刻ご承知というところだ。
 間無瀬老。家元の大番頭である。こう聞くだけで、胡散臭い気がしやしませんか。そう、いかにも、という風情、たたずまいである。白髪交じりのはげ頭、皺の中に畳み込まれた眼、時に応じて今のように突き出される下唇。よく見れば高価そうな着流しは、小太りの身体にゆるく合わされ、これ以外の装束を想像しかねるほど、身に沿っている。大番頭、執事頭にして賄賂の元締め、という奴である。しかしそういう存在あっての伝統文化である。このジレンマに、目をつぶる事から、茶の道の修行は始まる。まあ、ややこしい分析は脇にどけ、自分は探りを入れる。
「応挙の、都鳥の図、です。伊勢物語」
「ふん」
 老は、眼鏡をはずし、下唇を突き出したまま、レンズを懐から出した手巾でこする。
「背景はもちろん、富士の山です。業平の東下りということで」
「ふん」
 ちっ、勿体つけやがって、自分は内心、舌打ちした。‘お茶の関係の方とはお付き合いしません’というスカシた科白が唐突に思い出される。同感である。しかしそう感じる我とわが身がなにやら物悲しい。爺さんの、派手なくしゃみで自分は我に帰った。
「・・・で、なんや」
「で、つまり、富士釜は差し障るかと」
「富士釜?」
「あのつまり、重なるのは、趣向として面白くないかと」
「待合の掛け物と、本席の釜とが重なったからいうたかて、どうちゅうこと、あるかいな」
 老は、うそぶく。ここが勝負のしどころである。
「いや、やっぱり待合で富士を拝みましたら、本席でまた富士にあいまみえるのは・・・」
「道具組み指図するのは、五十年は早い」
 百年、といわず五十年、というのは妙にリアリティがある。
「まあ、聞いときまっさ」
 間無瀬の爺さんは、やおら立ち上がった。京ことばは曖昧模糊としている。承諾でもあり、拒絶でもある。ここはもうひとふんばり、言質をとらねば。
「はり昌が、よろしくと」
 はり昌は、要するにタチバナさんの勤めている道具屋である。
「はあ、出どころはそこか」
 じいさんは、首をかたむけて問う。自分は無言である。ほんとうのところ、仲間内の誰かを使って‘応挙風’都鳥の画をでっちあげようという算段なのである。うんとかすんとか、めったな事は言えない。そのかわりに水のような顔をして、すばやく意味ありげな懐紙をじいさんの足元の座布団の下に滑り込ませる。はよ出さんか、という態でじいさんは拾い上げる。茶人はなにしろ、軽くて薄くて四角いものが好きである。利休居士の時代からそれは脈々と続く伝統でもある。もっともその頃は金子、と称する固形物であったようだ。とどこおりなく懐紙は、じいさんの懐に納まった。
「ほんならまあ、ええようになりますようにな、日もないさかい」
 老は気色の悪くなるような笑みを浮かべ、よたよたと去った。自分はなにやら、うっかり食うべからざるものを食った未熟な狸の気分を味わっていた。まあいいや、どっちみち懐紙の中身は葉っぱである。じいさんは眼くらましをかけられたに過ぎん。面倒だが夜更けに回収しておかないと。こんなことは、鈍くさい子安などにはやらせるわけにはいかない。
 それにしても、と自分は珍しくシリアスに考えた。打倒拓斗で、こっちとしても策を張り巡らせたが、こんなまがい物だか化け物だかをありがたがる茶人の集う、海山会とはまったく面妖なものである。
2010-10-24 18:25 | 記事へ |
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2010年10月16日(土)
葵の釜騒動(8)
 40分以上、阪急電車にゆられ久々に訪れたウメダの街は迷路のようだった。再開発中とかで、あちこち脈略もなくフェンスが張り巡らされ、スムースな歩行を妨げる。言いたくないがただでさえ方向音痴なんである。人間に化けてるとハナもきかぬ。そこへもってきて大阪のみなさんのせからしさに追われる。ような気がする。どうも足取りがおぼつかない。ゴバンの目の京都に生息する狸はこの無秩序なウメダ地下街のムワッ、としたパワーに酔いかけていた。いかんいかん、自分は頭を振り、ヒョウ柄のジャケットを着たおばちゃんとなぜか足並みを揃えながら、目的地に向かう。
 タチバナさんの就職した、老舗の道具商の出店が、ここのデパートにあるのだ。
 店舗から少し離れて様子を伺う。おお、すりガラス越しに見知った横顔。安堵とともに、不燃ゴミと一緒に袋に入れて口を縛って廃棄したはずのキュン、という想いが甦る。しかしこれも予測の内である。どっかでそんな感覚を楽しみに来た、といえないこともない。が、感慨にふけっているヒマはない。自分はすばやくジェントルマン・ルームに向かい、人目をさけつつ、二度化けする。
「いらっしゃいませ・・・あら、先生」
振り向いたタチバナさんはわずかに訝しげに、しかし次の瞬間、満面の笑みを浮かべて店先を訪なった自分を出迎えてくれた。
「ああ、あんたはんは確か都女子大の・・・」
「はい、一昨年卒業いたしました立花でございます・・・先生、その節はお世話になりました」
 タチバナさんは社会人の香りがふんだんにまぶされた物腰で如才なく椅子を勧めてくれる。
「元気で頑張ってはるようで、ケッコ、ケッコ・・・」
「先生こそ、ご壮健のご様子、何よりですわ。お教えいただいたこと、今、改めていろいろ思い返しております。・・・今日は、お杖もなしですのね、見違えましたわ」
 判で押したように優等生的受け答えをするタチバナさんと、自分はむなしく不毛の会話を続けた。その昔(今もしているが)かばん持ちをした笹野長老に化けているのであるからして、このやりとりは当然なのだが、つくづくとこの世の不条理を思い、情けなくなった。もう少し、心浮き立つ再会はなかったものか。気を取り直し、わがマドンナに問う。
「そうそう、お邪魔しましたんはほかでもない、家元から聞いてはりませんかな」
「・・・はい、何をでございましょう」
「ああ、まず、ご主人を呼んでんか」
タチバナさんは柔らかさをたたえつつも引き締まった顔になる。
「申し訳ございません、先に申し上げるべきでございましたが、主人は只今、東京に出張でございまして・・・」
知ってまんがな。だから今日を選んだのである。
「ほうか・・・。まあ、聞き合わせてもろたらすむこと。いやな、この間お話うかごうた、円山応挙の都鳥の画や。なんでも、背景の富士山が絶妙とかいう・・・」
「応挙・・・はい、うちにございます。さる旧家から出まして、内々で扱わせていただいております品かと。あいにく、番頭も出払っておりまして、詳しい事はわかりかねますが」
 短期間の内に板についたらしい、タチバナさんの時代劇のような物言いに内心圧倒されつつ、
「それそれ、家元が興味おありのご様子でな、いちどお目にかけて、いうことやねんけど、ご多忙で、なかなか大阪まで出てきはる機会ない」
「それでしたら、主人に申しまして、出張から戻り次第、持参させていただけるかと思いますが」
タチバナさんはひそめていた眉を開いて言った。しかしそれはこちらの意図とは反する。
「いやいや、家元もお急ぎ、今日、お借りして帰りますわけには・・・?」
「それは、私の一存では」
当たり前の事だが、タチバナさんはきっぱりと言う。ニガイ過去を髣髴とさせるような口調である。客商売、もうすこしものやわらかでも損はないよ。
「ほんなら、デジカメにでも撮らせてもらいまひょか」
「・・・?」
タチバナさんは目を白黒させる。無理もない、笹野長老はデジカメはおろか、ビデオ出現以降のメカ操作から、いっさい背を向けた人である。新しい事を覚えると、わずかな白髪に覆われた頭蓋から、お茶の点前の順番が押し出されてしまうというのである。しかり、ヒトの脳とは、収納力に限りあるもののようである。
「あの、先生がデジカメを・・・?」
「ごちゃごちゃいわんでよろし、さっさとお宝、持ってきなはれ」
精一杯の権威をこめて、自分は言った。そろそろ尻がむずがゆくなり始めている。
「はい、ただいま・・・」
はじかれたようにタチバナさんは奥へ消えた。まずまずの首尾である。

 応挙描くところの、悠揚迫らざる富士の山。近景には、東くだりの歩を休める業平一行。伊勢物語の有名なくだり。これでいいのだ。
「ああ、それはそうとな、お嬢さん・・・」
「はい?」
「ウチの若いもんと、仲ようしていただいてるようですが、あれらは修行中の身、へんにかっこつけとるのほど、あてにはならん」
つぶらな瞳が見開かれる。それそれ、それに参ったんだよ、あの頃。思わずへどもどし、
「あ、あの、男はツライよ・・・」
ますます見開かれるタチバナさんの瞳。処置なしである。と、彼女はにっこりし、
「ご心配、ありがとうございます。でも私、お茶の世界の男の方とはお付き合いする気、ありませんので。あ、先生のような方にご指導いただくのは別として・・」
2010-10-16 17:17 | 記事へ |
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2010年10月10日(日)
時雨というより・・・
土曜日。ざんざんと嬉しそうに雨が降るなか、すそをからげて京都のお茶会に参りました。時雨、というといかにも秋の風情、いとしめやかにそぼ降る・・・なんて連想もわきますが、この日は問答無用にざざ降り。それでも着物きていくんですね、茶人とは律儀な種族です・・・。憎まれ口はこれくらいにして、雨をおして行った甲斐のある、さても見事なお道具でした。
 お待合の秋草図は、清暉、奇峰、棋嶺、清曂、四人の画家の合作とかで、例えばすすき、例えば鈴虫、例えば桔梗、例えば露をおびた下草、遊び心で画伯たちが興のままに筆を走らせています。これは一品。
 本席のお掛け物は玉舟和尚の「猛虎当路座」。猛虎に出くわし、路の途上に座す。いろいろな意味に取れると思われます。堆朱の香合は芦葉の達磨ということで、禅の教えにのっとったご趣向であります。見事な大欠け風炉(鉄製の、時代を経て形状の一部を欠いた風炉は、10月、名残のこの月に使われます)、八角筒の浄林作の釜には寒山拾得の地紋。寒山詩、からとった一節は、先般のお茶会のお軸でした。寒山は文人らしく巻物を手に、拾得はいつものように箒を手にしていました。寓話的な人物で、乞食坊主の風体です。お茶をなさるかたは、茶席で遭遇する事も多いペアです。鵬雲斎好みの菊の置き上げの風炉先は、たいへんめずらしいものでした。置き上げって、胡粉を盛り上げて意匠を形作る技法ですが、菊が多いです。
 お水指は仁清写し、真葛長造作の蔦の絵。この本歌は有名です。図鑑なんかにも載ってると思いますよ。八代宗哲作の、玄々斎箱の秋の夜棗、慶入作、数印の黒茶碗は武蔵野、という銘でともに秋の風情をひときわ感じさせてくれるものでした。数印、ってひとつのお茶碗に印がたくさん押してあるものをいいます。口が四方になった古萩、木賊の絵が無造作に描かれた古い唐津のお茶碗は、まことに素晴らしいものでした。南禅寺近くの野村美術館の秋の展示は、「一楽、二萩、三唐津」だそうで、それにのっとったご趣向。のっとれるからいいですねえ。蓋置が円能斎好みの万年竹。とはいかに。煤竹にはさまれる形で胡麻竹がはめ込んであり、つぼつぼの形のかすがいがはまっておりました。つぼつぼは千家の紋、いつぞやの宗家見学で教わりましたよね?
 お茶杓、円能斎の「初時雨」。芭蕉の句を喚起します。人生は旅、秋はことにその言葉が身にしむ季節かもしれません。
 雑駁な日常を送り迎えしており、雨にも不平をならす私ですが、茶の道の風情、くもの巣が張り巡らされたような、謎かけのような茶人の感性にふれるたび、一筋縄ではいかぬこの道の奥深さに頭を垂れます。茶道具は単独でもすばらしい、しかし組み合わせるとさらに相乗効果を生みます。
 言語、音楽、舞踊、はたまた絵画、造形美術、手段はさまざまでしょうが、芸術に携わる人々は、それぞれのツールで、自身の世界を表現します。茶席も、そういう観点からとらえれば、表現の場です。自身で描いた絵、焼いた焼き物でなくとも、それらを活かして使うことは、オーケストラを指揮するようなものかもしれません。・・・まずは、ひとつひとつの道具の奏でる音に耳をすまし、そしてそれらが合わさったハーモニーの演出家になること。それが、茶人の醍醐味、というものかもしれません。なんだか贅沢なようですが必ずしも高価な品でなくともよいわけです。身の丈にあったものでいいんだと思います。身の程を知る・・・というのは、禅の教えにもあったかも・・・あったかな?・・・業平朝臣は「身を知る雨ぞ降りぞまされる」と詠っていたはず。今日はやはり雨をもってしめくくる、それにはふさわしい一節のようです・・・。
2010-10-10 18:38 | 記事へ |
| お稽古ことはじめ |
2010年10月03日(日)
葵の釜騒動(7)
 五十歳で化して婦人となり 百歳にして美女となり 神巫となり 蟲魅(いろじかけ)に巧みで 人をまどわして 判断力を 失わしめる 千歳にして天に通じ天狐となる

 拓斗のヤツが何歳かは知らぬ。しかし狐族の潜在的な能力がこの言い伝えどおりであるなら、小安はいわずもがな、長老たちをも手もなくたばかることくらい、朝飯前であったかもしれん。天狐にまでは至らんにしても、子安がうかうかと持ち出した秘蔵の富士釜というやつ、拓斗はひと目でその形状、その肌合いを把握し、さらに本歌(ホンモノ)にひと味加えた釜に、化けてみせたのである。地紋は姫松ばかりでなく、牡丹や桜なんぞも配し、なかなかあでやかである。形状もなだらかにすそ広がり、腰もまろやかに張り、不謹慎にも自分は‘蟲魅(いろじかけ)’の一節を思い出した。長老たちがそこのところで同じような連想を働かせたかどうかは知らん。じぃっと見てると、しかしやはり拓斗である。なにがなし、あざとい感じはする。子安んちに伝世した品は悠揚せまらず、おおらかな風情である。伝世した品、とはそういうものかもしらん。が、その家に連なりその血を引く子安の化け姿は、おおらかを通り越しているとしかいいようのないものであった。
「あいつな、ウチの釜を見本にしたかったんや」
子安がめずらしく息巻く。
「クリームみたいに舌触りのいいお世辞言いくさってからに」
「まあまあ」
と自分は子安をなだめ、
「トンビに油揚げさらわれた、というとこかな。トンビじゃなく、狐、というのが、理にかなってるな」
「あいつ油揚みたいなもん、食わんぞ。きつねうどんも食わん。関西人(狐)のくせして」
そういう子安は、佐世保バーガーを偏愛している。
「罪ほろぼしにごんぎつねみたいに、お前にそっと貢物するように言っておこう」
「そんな殊勝なことするタマか。・・・あんたに都番代わらせて、卒業生とデートしとったぞ。あんたがいっとき、執心しとった・・・」
初耳だ、自分はさりげなく、
「誰?いつのことだ」
「何年か前に、茶道部におった子や・・・。大阪の百貨店の道具屋に勤めたとかいう」
子安も意外に情報通だ。自分はおだやかならぬ心持ちを隠しつつ、追求した。
「見たのか」
「富小路の角のイタリアンや・・・。出てくるとこ、見た」
2010-10-03 19:36 | 記事へ |
2010年09月23日(木)
八幡会、お疲れ様でした。
今年の八幡会当番は今月、9月19日でした。お正客とのやりとりで「少し涼しくなりましたね・・・」などと口にはするものの、やっぱり暑かった。そんな中を、参加の皆様ほんとによく動いてくださいました。お運びやお点前はもちろん、会の流れ、裏で動いてくださる方々、いろいろな先生の客ぶり、前日の準備から後片付け、何ひとつとして勉強でない事はありません。なんというのか、身の処し方、というのを言葉や理屈でなく学ぶ機会ではあります。それぞれが、糧としてくだされば幸いです。
 会期を一応、記しておきますね。

待合床 生田花朝筆 短冊 萩すすき 秋に積りて ふしいたる(臥し居たる、の意だと思います)
 本席
床 淡々斎筆 秋月似吾心
花 秋草・・・(薄、桔梗、葛、宮城萩、女郎花、他)
花入 又玅斎好 兎籠
香合 青貝 虫 淡々斎箱
風炉先 鵬雲斎好 桑縁踊桐透           好斎造
風炉  紅鉢                   宗元造
釜   筒                    与斎造
棚   円能斎好 源氏棚(須磨・明石)      好斎造
水指  仁清信楽写                時代
薄器  鵬雲斎好 四君子大棗           寛山造
茶杓  鵬雲斎作 神光
茶碗  明眸    鵬雲斎箱           慶入造
替   黄伊羅保
替   籬の菊    鵬雲斎箱          即全造
蓋置  坐忘斎好 南鐐亀甲          清右衛門造
建水  菊毛織                  浄益造
菓子  桔梗                  末廣屋製
菓子器 金襴手                  和全造
干菓子 兎煎餅 枝豆              末廣屋製
煙草盆 六瓢                   玉栄造
火入  織部                 光右衛門造
        
                    以上
 本席の掛け物、「秋月似吾心」は寒山詩の一節です。

 吾が心秋月に似たり
 碧潭清うして皎潔
 物の比倫に堪えたるは無し
 我をして如何か説かん

淡々斎はあえて、秋月と吾が心を上下差し替えて書かれているようです。
ほか、香合の箱裏に、「倣是真翁作意」とあります。本体の蓋裏は、名月と叢雲でした。

 今朝は早朝から大雨。これを期に一気に秋めくとか。昨夜は雲間からわずかに名月の姿が・・・。ひとつ行事が終わり、気がつくと今年も後3ヶ月を残すのみ。実り多い日々でありますように。
2010-09-23 11:17 | 記事へ |
| お稽古ことはじめ |
2010年09月10日(金)
初秋によせて
 九月の声をきくと、夏の間お休みしていた月釜、例会のお茶席が復活いたします。暑く長い夏をすごした後、ふたたび茶味を満喫しようと、茶方の人々はそうしたお席にいそいそと足を運びます・・・が、今年はいささか趣が異なるようで・・・。なんたってまだ暑い。ご家族で10日ほど、ドイツに観光旅行されていた方が言われるには、帰国し空港に降り立った時、ここは亜熱帯か?と感じたとか。大阪南部では、スコールなんかもあるくらいですからね〜。そんななかで初秋の風情を楽しむといってもいまひとつ実感伴いませんが、昔から日本人は(風流な階級は)、季節感を実感というよりは、観念で捉えてきたようです。歌合せなどは、その典型ですねえ。
 というわけでさる9日、京都の月釜に参会。お待合に来章筆の、「月下ノ狸」が掛かっていて、思わずにやり。わが拙き連載小説を思い浮かべました。本席のお掛物は近衛家熈公の懐紙、「重陽同詠對菊延齢」‘渕となるためしをきみか御園生に千世のかすかも菊のしらつゆ’風雅な事です。近衛公の懐紙は茶席の定番です。お目にされることは多いと思います。
 唐物手付きの花入、唐物青貝の虫香合、床脇には秋草蒔絵の硯箱。風炉釜が素晴らしかった。芦屋の真形の釜が古作の朝鮮風炉に合わされ、釜の気品ある肌合いは一品というべきものでした・・・。芦屋、拙作にも登場いたします。記憶の片隅にでもとどめ、できればお茶席での邂逅を!
 これもお話した事のある秋の野棗は表千家、了々斎箱、宗哲でした。お茶碗が了入の赤、「石山秋月」、これもここで書いたことがあると思います。後は、松平不味公の竹の蓋置の時代のついた味わいが、他をもって代えがたいものでした。・・・暑いの何のとぶつぶつ言いながら、習性ですね、お茶席でお道具を拝見すると、しばし現実を忘れ、名品が醸し出す味わいにしばし酔う、といったところでしょうか。・・・皆様にも、出来うる限りほんものと接する機会をもたれる事をお勧めいたします。道具屋の丁稚奉公は、言葉でなく、本物を見せられる事で終始するそうですから・・・。これは、と思うご自身の名品を見つけてください。加えてお茶席では、それはハーモニーです。道具は単独というより、組み合わされて違った趣を生む事も多い。オーケストラの調和です。生の舞台を満喫するのと、同じ感覚かもしれませんね。よき季節、よき秋に、よき出会いがありますように・・・。
2010-09-10 17:16 | 記事へ |
| お稽古ことはじめ |
2010年09月02日(木)
晩夏
晩夏の空は一年中でいちばんさびしい・・・いつどこで目にした文章かは忘れました。灼熱から清涼へ、そのほんのあわいのひととき、季節ともいえないほどの短い境目に寄せる思いが、もの哀しさをさそいます。
 こんなことを書いても場違いではないかと自問したくなるほど、実はまだ暑い9月です。しかしわずかに朝夕の涼気と、虫の声に秋の気配・・・。日中の陽ざしはまだきびしいのですが、蝉しぐれも油蝉や熊蝉から、つくつくぼうし、ひぐらしに取って代わったようですね。
 夕涼み、なんていうご銘をお稽古場で聞くと、そこはかとなく郷愁を感じます。私の世代でも、縁側に蚊取り線香をおいて、浴衣姿でくつろぎ、時折団扇で風を送る・・・なんて場面は、日本画か、古い映画くらいでしかお目にかかったことがありません。が、そこにたっぷりとおだしの香りを含んだ茄子の揚げ浸しとか、葱生姜の載った冷奴とかを脇役に据えると、DNAに刷り込まれたような‘夕涼み’が思い浮かび、よくぞ日本に生まれけり、といった気持ちにさせられ・・・るのは食い意地のはった私だけでしょうか?今、時分どきなのです・・・。
 最近、赤ちゃんに天花粉をふらないそうですね。汗腺をふさぐとか。しかし夏の夕方、湯浴みさせられ、真っ白に天花粉をはたかれた赤ちゃんを抱えた若いお母さんが夕涼みがてら、路地をそぞろ歩く姿は、生活の匂いのする、なつかしい風景のひとこまとして記憶に残っています・・・。
 なんだか懐古的ですね。晩夏というのは、そういう季節なのでしょう。
 それぞれに有意義な夏の思い出を増やされた事と思います。秋はお茶を楽しむによい季節です。月なかにはお茶会も控えています。新涼の頃、あらたな気持ちでお稽古お励みくださいませ・・・。
長月のご銘・・・野分、名月、菊がさね、玉兎、菊月夜、武蔵野、初雁、etc.
2010-09-02 17:37 | 記事へ |
| 茶道歳時記 |
2010年08月16日(月)
夏日小景(かじつしょうけい)
 寺町通りは京都の中心部を南北に貫く道具屋筋である。
 この街は朝が早い。夏ともなれば、午前五時から住民は日課の門掃き(かどはき)を始める。それぞれの軒先から始めて道の端まで丹念に掃く。御婦人とは限らない。はすむかいのご隠居の箒の使い方は一品である。
 骨董屋の朝はしかし、例外的に遅い。ウインドウを覆う木戸は、午前九時半にならないと外されない。私はその木戸の隙間から、朝の路地を眺める。私はケースの中の、一個の壺である。
 通勤通学の人々は、ご苦労な事に判で押したように同じ時間に毎朝行き過ぎる。三軒おいた画廊のひとり娘は、若奥さんに手を引かれ、幼稚園へ通う。軽やかなスキップの音が歩道にこだまする。
 昼さがり。休憩時間に店をひやかして歩く気まぐれな客。垢抜けた身なりの若い女性が隣のアンティークショップの小物に、真剣に目を注ぐ。新規オープンの店でランチを堪能した主婦らしき群れが、お喋りの口を閉めずにウインドウ越し、私越しに店の奥に目を凝らす。
 夏枯れの街路樹からいく枚かの葉が離れ、サカサカと路上に転がる。市役所の裏手の木立が、わずかな緑蔭となっているが、かまびすしい蝉の鳴き声は暑さを一層かきたてるようだ。ケースの中の加湿用のグラスから立ちのぼる水蒸気が、私の肌を潤す。
 夕まぐれ。火照った路地によどんだ熱気を払うように、人々は水を打つ。二度、三度、さしもの地熱もゆるんでいくかに思える。
 ぽつぽつと増えだす人の流れは、朝と違っててんでの方向に向く。ようやく風の通り始めた役所裏のベンチに、日中雲隠れしていたホームレスが寝そべる。ベンチの足元に置いたペットボトルに、時折口をつける。
 盆地では夕焼けが美しいという。私のいる店は西向きである。そのため庇は深い。わずかに射し込む残照が、私の代赭色の肌を染める頃、決まって訪れる老人がいる。少し左足を引きずっているが背筋はいつもしゃんと伸び、雑種とおぼしき褐色の中型犬をお供に随えている。ゆっくりした歩調をとめ、私のいるウインドウを覗き込む。季節によってかけかえられる壁面の色紙に目を向ける。ひとしきり佇んだ後、老人はまたそろそろと歩みだす。忠実な犬がつづく。
 陽は暮れきり、再び木戸が下ろされる。街のもうひとつの顔は、今から始まるに違いない。隙間越しにもれる灯りでそれと察せられるが、年代物の壺である私は、そろそろ眠気を催してきた。夜のとばりが降りるとともに寝(しん)につくのが習慣である。


スケッチ風ですが実風景ではありません。
2010-08-16 10:03 | 記事へ |
| 茶道をめぐる短編 |
葵の釜騒動(6)
「出揃ったみたいやで」
海山会まであと3日、朝の水屋当番で顔を合わせるなり子安が報告する。
「適当に公平を期すそうや」
「適当に公平。なんだそら。主な道具は手分けして担当ということか」
「そういうこっちゃ」
前にも言ったとおり、われわれ動物種族は表立ってそう反目しあっているわけでもない。修行しつつ一応、宗家を守護するというお役目もある。とんがりたい奴がたまに小競り合いをする程度である。
 宗家の敷地内には、地を這うナガモノも歴史ある守護役として一門を構えているが、このところ長老が長患い中で勢いがもうひとつというところ。もともと化け術にはあまり工夫を凝らさない種族である。しかしごくまれに逸材を生む事があり、そうした場合背筋も凍るような凄艶な美女専門に化けるのだという。拝んだ事はない。ちょっと怖い。
 ほか、井戸端にはカエル種がおり、比叡山の中腹の山荘風別邸茶室には天狗が陣取っている。こちらは山にこもりっきりである。一説には神経痛とのことである。一度忘年会で会ったが、炯炯たる眼光の、向こう脛に苔の生えたようなご老体だった。よけて通ろうとしたら曲がった杖で背中を一突きされた。とりあえず平伏すると、呵呵大笑し、いにしえの武勇伝をえんえん語り始めるに及び、閉口した自分は子安に目配せし、芸者に化けろ、と言ったが結果は思わしくなかった。なにしろ子安である。しかし芋芸者に、初めは不興気だった天狗のじい様も、酔うにつれ対象にフォーカスがかかったとみえ、ご機嫌麗しくなったまではよかったが、このあとがおおごとだった。老いたとはいえ骨組のごつい、酔いつぶれた大天狗を引きずって車に乗せ、住処まで送り届ける役目をさせられたのだ。以来、比叡方向にはなるべく足を向けないようにしている。
 話をもどそう。道具組みは幹部たちがあらかじめ大勢を整えるが、自信のあるものは稽古を積んできた成果を披露し、それが採用になる場合もある。本物をしのぐ出来栄え(どういう基準なんだか)ともなれば、大加点要素となる。化け方、免許皆伝近し、である。
 自分は子安の手から会期(予定)をひょいと取り上げ、つらつらと目を通した。
「本席は‘薫風自南来’、定番だ」
もっとも、掛け軸に化ける奴はいない。茶席の軸は席中のへそ、要である。端然とした風格がなくてはならぬ。修行半ばの見習いたちでは、簡単にボロが出る。
「待合の掛け物が菖蒲図・・・本席香合、鎌倉彫の義経・・・花入、竹一重切り‘一声’、釜は富士。水指、備前の烏帽子、・・・長板におくのか」
自分もいっぱしになったもんだ。えらそうに読み上げながら思う。まあ相手は子安だが。
「茶碗、黒、‘颯々’、茶杓‘若みどり’・・・棗は御所車の蒔絵」
取り合わせには定番がある。ことに小なりといえども家元である以上、安定志向が望ましい。変わらない、ということに価値を置く世界もあるのである。
「俺、釜を担当するんだ」
得意げに子安が言う。
「へえ。富士釜」
その名のとおり、富士山に擬した曲線と、姫松の鋳込みが瀟洒な感じを漂わせる釜である。
「あれ、芦屋だろ」
「浄元が写したもんが、うちにあるんや」
子安んちは意外に名家であるという。道修町の薬問屋の、道具持ちだったらしい。芦屋は九州は筑前、日本の釜発祥の地、浄元は釜師、大西家6代の名工である。
それはいいが、はたして子安がうまく化けられるのか?自分はつくづくと子安の間のびしたような顔を眺めた。
「・・・まあ、がんばれ」
「おう。あんた、何にすんねん」
「地味にいく。蓋置とか」
「かわっとんな」
「お前の蓋をしっかり載せてやるよ」
蓋置は、今思いついただけである。同僚が気張ろうという時は、さらりと流すに限る。ここで生きる、知恵のようなもんだ。
「それはそうと、拓斗を見かけなかったか」
都番を交替して以来、顔が合うことがない。あほらしいが女子大生からの預かりものもある。枝豆付きの接待の約束も果たさないので、握りつぶしてやろうかしらんと思うが、それも気がさす。
「家元の出張の、かばん持ちかな」
「そんな話聞いてないぞ」
「いや、なんやそんなことやったで・・・なんか、拓斗に用か」
「・・・いや。たいしたことじゃない」
「あいつ、ああみえて結構親切や。釜の件かって、ヒントくれたんや」
「ヒント?」
「そや。俺んとこの道具のなかで、これこれこういうもんがある、今回ぴったりや、てな」
自分の心に、ちらと疑念がかすめた。が、それを確かめる間もなく、召集の声がかかった。
2010-08-16 06:34 | 記事へ |
| 茶道をめぐる短編 |
2010年08月14日(土)
残暑お見舞い申し上げます。
夏の朝、杏ジャムを煮ました。優雅なようですが暑い盛りの台所仕事、気合が必要です・・・。台風は近畿にちらりと一瞥をくれたあと通り過ぎた気配ですが、湿気と蒸し暑さが置き土産。それでも日の出と日の入りの時刻は、確かに移りつつありますね。
 水に馴染むことの多い季節です。お茶席の中でいつも水をたたえて任についている代表格は水指。シテ役の釜に対し、ワキ役であるともいわれます。台子のなかの皆具のひとつとして、本来は唐銅(からかね)でありました。時代がくだり、さまざまな茶道場面の変遷により、種々の素材、形が生まれ、今日に至っています。今は唐銅は荘重すぎてあまり一般にみかけることはありませんが、砂張(さはり)だけは平水指として夏の茶席の定番ともいえる存在です(花入れにもありますが)。金肌で、無紋が多く薄手の瀟洒な味わいです。
 南蛮毛織抱桶(なんばんもうるだきおけ)という水指があります。毛織銅で出来ており、こんもりした袋形ですが、抱桶という名称は、ここにたっぷりと水を張り、それを抱いて暑さをしのいだという由来からきています。シャムの王様の愛用品だったのでしょうか?金物の常として、共蓋を喜びます。
 釣瓶。紹鷗が井戸から汲み上げたままの水を水屋に置いたのが始めとされ、利休はさらにそれを水指として席中に用いました。しっかり水を含ませた桧の柾目に沿って、鉄釘の錆びがにじむ景色を風情とします。名水点というお点前がこれで行われますね。夏に限らないとはいわれますが、甘露というような一杓の名水を味わうのは、この季節にふさわしい喜びかと思われます。
 山また山 何れの工(たくみ)か青巌(せいがん)の形を削り成せる
 水また水 誰か家にか碧澗(へきかん)の色を染め出だせる
風景を思い浮かべ、涼を感じていただければと思います。
8月の季語・・・蝉しぐれ、雲海、荷葉、浦風、渦潮、水月、解夏(げげ)、遠花火、撫子・・・
2010-08-14 07:40 | 記事へ |
| お稽古ことはじめ |
2010年07月19日(月)
太陽のせい!
いきなりの夏です。窓の外は絵に描いたような入道雲。しかしそこに縞模様を描き、不穏なグレイの雲がふた筋かかっています。夕立がきそうな予感はしませんが・・・。どうでしょう。このところちょっとした必要に迫られて、昔よく読んだカミュを読み返しています。セイン・カミュの大叔父さんだそうですね。その昔は私も、多感な文学少女でありましたよ。いまや、字に目をさらしていれば何でもいいという、活字中毒者に成り果てましたが・・・。そんなことはどうでもいい。しかし「異邦人」の有名な、「太陽のせい」というのはいいフレーズですねえ。やる気が出ないのもビールを飲みすぎるのも、お肌のシミが増えるのも、なんでも太陽のせいですね〜(最後のは現実的ですが)。
 カミュといえば不条理の哲学。なんだかわかりませんね。私もわかりません。欧米の思想って、’明晰であること’が旨みたいですね。とことん議論する、というのもその思想の現れでしょう。茶道をはぐくんだ、日本の美意識(そうです、思想じゃありません)とは相反する姿勢といえます。穏便に、曖昧に、丸く収める・・・。狭い国土で、上手に生きていくうえでの、知恵、といっていいかもしれません。
 不条理の哲学、というと自分と、自分を取り巻くわけのわからない世界との対決を意味したりするそうです。お茶、というか侘び茶の精神の拠り所となるものは禅ですが、禅宗では相対的対立的なものからの解脱を説いています。分別意識、我の強さといったものを断ち切ることから、修行は始まるものなのかもしれません。行き着くところはおそらく「無」なのでしょうが、これは修行僧に最初に与えられる公案のひとつに数えられます。
 だいたい日本ではあんまり白黒はっきりさせるのは考え物・・・という傾向が強いところへもってきて、お茶の世界ではそれが一種の美意識でさえあります。お稽古での主客問答でも、相手方に乞う場合は、末尾まではっきり申しません。「・・・の拝見を・・・」「どうぞお炭を・・・」「どうぞお香そのままで・・・」。一説には京都風だということです。強制はしませんよ、無理矢理ではありませんよ、あなた次第・・・というニュアンス。こういう言葉を反復しているうちに、その世界の空気が、知らぬ間に身についてくるというからくりです。境目をぼかす、グレイゾーンのしきたり。真綿で締め付ける、というと意地悪に聞こえますねえ。そういうわけでもありませんが。
 しかし、対立的なものからの解脱といったって、禅における「無」は決して有るでもなく無しでもなく、といったような曖昧なものではないようです。絶対的な無、だと教わったように思います。有無、是非、善悪などの一切の相対的な観念、思慮分別を捨て去ることにより得られる境地、ということでしょうか。そういう風に考えると、お茶の世界での「曖昧にぼかす」とは決して字面通りのものではないような気がします。本当の意味で相手をたてること、それはすなわち自分自身がしっかりした境地にいてこそ可能でありましょう。あなたも無、私も無、向かい合っているこの瞬間も、一刻一刻が流れては無に帰していく。その中での一期一会が、いかに大切か・・・。
 禅の教えは、苛烈なものです。西洋の実証主義に、勝るとも劣りません。そういえば、「心頭滅却すれば、火もまた涼し」なんて一説がありましたっけ。毎日シビアな暑さです。滅却まではなかなか難しいところですが、どうぞ皆様お元気で、猛暑を乗り切ってください!
2010-07-19 17:15 | 記事へ |
2010年07月11日(日)
星とのかたらい
 梅雨あけやらぬ文月の日々。いかがお過ごしですか。先日の七夕、ちょうどお稽古日にあたっておりました。蒸し暑い一日でしたが、宵には雲も吹き払われたようで、帰り道、夜空にたったひとつだけ星が見えていたのが印象的でした。鵲のわたす橋のかかる天の川が見えるところまではいきませんが・・・。まあ大阪市内では望めませんね。
 少し前に、小惑星イトカワから無事帰還したはやぶさのニュースが流れました。長旅の経緯を聞いて、健気なコだなあと、なんだかいじらしくなりませんでしたか?私だけかな?
 七夕は中国の星辰信仰を基とします。黄道を二十八の星宿にわけ、東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武を四神とし、よく知られるように日本でも古墳の壁などにも描かれているところのものです。
 古代、洋の東西を問わず、農耕の民にとって天文の動きを知る事は、農事にかかわる、きわめて重要な営みでした。現代と違い、澄んだ大気を通して地上に落ちてくる星の光は、それこそ降るようなものだったのでしょうが、それを季節ごとに見分け、動きの法則性を見出した古代の人々の叡智は、素晴らしいものだという気がします。
 プラネタリウムならぬお茶室で、夜空の星に出会うこともあります。十三代円能斎好みの「亀蔵棗(きぞうなつめ)」は一閑張り黒の中棗に、朱と銀粉を以って九星が意匠化されています(銀粉の部分はしかし、緑に見えますが)。甲に五黄、胴の部分に一白から九紫が配されており、この九星はというと、古代中国で治水工事の折、現れた神亀の背に九星紋があったことからだそうです。「帰蔵」とは殷代の占筮のことで、万物をその中に帰蔵するの意。この両方の意味ををうけ、「帰」を「亀」という字に変え、好みものとされたのではと思います。棗をもうひとつ。鵬雲斎のお好みに「三光棗」があります。日・月・星の意匠とし、甲から胴にかけて銀の粒で北斗七星を描き、蓋を開けると立ち上がりから中にかけて三日月蒔絵、また蓋裏は金地となっており、これが日輪ということです。
 お茶席でなく、見えるのは美術館では、という星をいくつか。「星建盞(ほしけんさん)」は油滴天目という天目茶碗に分類され、徳川美術館所蔵です。四カ伝以上のお点前をした方ならぴんときますね。細かい油滴斑がちりばめられたようで、まさに星空と形容するにふさわしい逸品です。そして、それ以上に茶碗の中に宇宙を封じ込めたようにも思われる絢爛たる存在、曜変天目。日本に存するとりわけ優れた三点はいずれも国宝の指定を受けています。中でも静嘉堂文庫所蔵の稲葉天目は稀代の名品、珍宝とされるにふさわしく、紺瑠璃、銀、群青、紺碧などの色彩を帯びた星紋が散らばり、光線具合で五彩にも七彩にも輝きあうさまは、人工の宝石にたとえられる所以でしょう。私も一度だけ、静嘉堂で相対しました。特別展などで時折出展されるとは思いますが、機会があれば是非・・・。
 楽茶碗にも星の異名とされる銘を持つものがあります。長次郎作の黒で、その銘が「南極」。南極星のことです。南極老人、老人星とも称されます。少し腰の張った、かせた肌合いです。
 最後に、身近なお星様。常時振り出しの中に控え、出を待つ金平糖。愛らしい五彩の小さな友ですが、振り出しからまさに振り出すと、しばしば畳のうえに転がろうとするくせのある、愛嬌ものです。
 じっとりと空気がまとわりつく、一年で一番過ごしにくい季節かもしれません。でも夜になるとすこし涼しくも感じられますので、少々控えめに星のまたたく都会の夜空を見上げ、茶道具に寄せられた先人の星への思いを感じ取ってみてください。
 文月の季語・・・星迎え、願いの糸、織姫、銀河、天の川、滝、夏木立、氷室、岩清水、雲の峰、舟遊び、etc・・・。
 
2010-07-11 06:52 | 記事へ |
2010年06月25日(金)
葵の釜騒動(5)
 都番。自分にとってもそれは、若干の甘さと気恥ずかしさと、そして露地の砂雪隠に埋めて捨て去りたい自己ギマンに満ちた過去を否応なく想起せらるる名称である。まあ、ほとんど薄れつつはあるが。月日が無意味に重なっていくうちには、家元のラジオ体操お相手番と同じくらいの健康的かつ不毛なものになるかもしれない。それも哀しい。
 今のチーに毛が生えたくらいの頃(狸だからもともと生えてはいるが)、初めての都番で自分は、タチバナさんという茶道部副部長の魅力の前に音を立ててぶっ倒れた。色あくまで白く、黒目勝ちの瞳からはつぶら光線が放たれ、顎からのどにかけての線がいかにも繊細。ただ坐って、もしょもしょ袱紗をいじってるだけで単位がもらえるのを目当てとする茶道講義の一部学生とは一線を画し、本気で茶道を愛好する精神をもって優雅に、しかも断固として点前を行う2回生であった。純情なシティボーイである狸のハートを打ち抜くには充分すぎる存在であったのだ。
 正規の授業が終わったのち、改めてクラブのほうの準備をしながら、タチバナさんは実際にはほとんど茶道の事など知らない自分に、時折スルドイ質問を投げかけてくる(今にして思えば、そうたいした質問ではない)。しどろもどろに答えながら、自分が舞い上がっていた事はいうまでもない。
 彼女とは所詮異種なのだと、自分に納得させるに至るまで、恋心は膨れては飛び去り、道に迷っては行き倒れた。所詮狸と人間、そう思うことでけりをつけようとしたが、それは実は言い訳にすぎぬ。そのことを自覚するまで、さらに少々の時間を要した。
 しかし、タチバナさんの質問に答えようと奮励刻苦したおかげで、「茶道の基礎知識」というやつには狸としては非常に精通した。コイとは、エネルギーである。今現在の自分には都番は華やかな香りを保ちつつも業務の一環だが、拓斗のことは知らぬ。奴の事だから、女子大生の誰かと揉め事の最中ということはあり得る。逃亡をはかろうという算段かもしれないが、他人(他狐)のことには下手に尻尾をつっこまぬのが得策。自分は食堂に向かいながら、頭の端で化けるべき茶道具のことをつらつらと考え始めた。

 五月からは夏のしつらえ。重五の日、端午の節句、鯉の香合はしかし、去年狐の誰かが化けてたが、尻尾が妙に長かった。矢にかけて、矢筈口の水指、渋く桑小卓、矢羽の風炉先。花入れとなると粽籠、加茂川籠、ちょっと重めに砧青磁の筍花入れ。じゃなきゃ賀茂のお祭り関係。競べ馬に因むもの。狸が馬に化けるのもむずむずするが。いっそ優美に、東下り。烏帽子の花入れとか、八つ橋の蒔絵の棗とか。
 いろいろあるが、要は取り合わせだ。さりげなく、しかしぴしっと決めるのが粋というもの。気をつけなければいけないのは、変に誰かとダブることで、売り飛ばされる危険を伴う。まあどっかで尻尾をまいて逃げ出せればいいけれど。しかし某先輩は道具屋を経て某お屋敷に売られ、以来そこに住みつき、贅沢三昧にふけっているといううわさがある。茶道具に化けた身で、どう贅沢にふけるのかはわからない。どうも眉唾である。狐狸のうわさなのだから。しかし歴史をひもとくと、名だたる茶人に私淑した狐狸の類というものも結構いて、「〜伝来」、「〜所持」という世に伝わる茶道具の何分の一かは、彼らが化けたものだという。化け姿が膏肓に至り、もはや自分が本来なんであったのか忘れたもののようである。そうして恐れ多くも重要文化財におさまっている先達もいるとのこと。これも眉唾である。
2010-06-25 08:58 | 記事へ |
| 茶道をめぐる短編 |
2010年06月18日(金)
葵の釜騒動(4)
 自らの後ろ盾に、そうしたスター連の存在をしっかりと意識させるかのごとく、拓斗の振る舞いその他は、常に余裕綽々である。後輩の癖に。そのかわいい後輩の長い足の末端をまたいで自分が行き過ぎようとすると、
「明日、代わらんか」
「何だ」
「都番」
 都番とは、敷地のトナリにある都女子大の稽古日に、講師のかばん持ちとして随行する当番のことである。洛中洛外のうら若き美女。半美女、微美女が集う名門、都女子大に表門から足を踏み入れる事ができるという、鼻血を出しかけそうなこの当番。海山千家流見習いに課せられる仕事は数多く、中には「3k」といわれるものもあるが(詳細は省く)、この当番などはそれと対極にある、いわばボーナスと認知している子安のような奴もいる。ふだん、女類から狐狸も驚く妖怪類へとヘンゲしつつあるような茶ババ(これはほとんど普通名詞である)に否応なしに囲まれている見習いどもにとって、一服の清涼剤ともいうべき数時間なのである。
 子安などのようにあからさまにハナの下を伸ばしはしないまでも、やはり自分とて、熟齢の美女よりは妙齢の美女のほうが好ましい。さしうつむく頬にかかるサラ髪とか、かわいらしくも奇妙な色合いの爪をつけた、白魚のごとき指が茶筅を持つさまとか、正座に耐えかねてそっと足を組みかえるときにちらりとのぞく膝小僧とかに遭遇すると、いかにも「儲けた!」といった気分にさせられる。といって仕事で来てる身である。雅た情景を、そうそう観賞ばかりもしていられない。それに何回か経験すると、雅ならざる場面にも出くわす。若き美女もいずれは妖怪化するのであり、その片鱗を垣間見ることだってあるのだ。とはいえ、都番はやはり人気当番だ。誰もヒトに譲ったりしない。
「代わってくれないか、ということか」
 自分は言った。拓斗のものいいは、大体訂正の必要がある。先輩の感覚からすると。
「うん、まあね」
「見返りは」
「僕と高屋敷さんの仲じゃない」
 拓斗は艶然と微笑んだ。ときどき気色のわるいことをいう奴だ。
「まあ、今度おごれ」
「いいよ、クーポンがあるし。枝豆券もある」
 男前の看板を三文さげるような発言をして、じゃあ、拓斗は玄関方面へ去った。おごってくれるのは今晩ではないらしい。
2010-06-18 11:17 | 記事へ |
| 茶道をめぐる短編 |
2010年06月11日(金)
水無月の席
 晴れやかな陽射しが続いています。そろそろ梅雨の兆しが見えてもいい頃ですが・・・。水無月の一日、京都のお茶席にのんびりおよばれに参りました。水に因んだ一会でした。お待合に「淀の水車」、これは歌にもある景色だそうです。昔は淀川のそちこちに、水車のある風景が見られたのでしょうね。現在に至るまで、琵琶湖を基点とする淀の流れは、関西の水源ですが、本席にはそれに呼応するように、江雪和尚筆の「水到沼瀟湘一様清」。水は瀟湘に到り一様に清し、でいいでしょうか。瀟湘、ってなじみのない方もいらっしゃるかもしれませんが、もともとは中国湖南省、洞庭湖の南にある瀟水と湘水と、の意です。このあたりの八箇所の景勝地が「瀟湘八景」と名づけられ、古来画題、歌題として多く採り上げられております。
 江天暮雪、瀟湘夜雨、山市晴嵐、遠浦帰帆、煙寺晩鐘、平沙落雁、漁村夕照、洞庭秋月。これをもとに、さまざまな八景が生まれており、日本でも数え切れないほど類例があります。南都八景、金沢八景、嵯峨八景、隅田川八景、木曽八景・・・。中でも、中国の原型を忠実に模し、お茶席でも馴染み深いものは、近江八景でしょう。近衛政家、尚道父子が明応年間、歌に詠んだことから広まったということで、絵画に、銘に、また八景釜では地紋になっております。
 比良暮雪、辛崎夜雨、粟津晴嵐、矢橋帰帆、三井晩鐘、堅田落雁、瀬田夕照、石山秋月。関西在住の私たちには、なんとなくイメージがわきますね。
 千家伝来、玄々斎箱の唐物青貝香合はたっぷりと大きく、贅沢なものでしたが、面白かったのは花入で、開いた傘の形なのです。蛇の目、というやつですね。逆さに釣ってあり、柄の部分、その根元(?)に小さな穴がたくさん開けてあり、そこに花が挿せるようになっていました。これが名工、仁清作だそうです。水指が粟田信楽の手付きで、これと照応しておりました。その他、芦屋の釜、時代物の蛍蒔絵棗(立ち口まで青貝の蛍が・・・)、左入のあやめ写しの主茶碗、出雲焼の蕎麦糟写しの替え茶碗、黒織部の茶碗、玄々斎のお茶杓「本ととぎす」、道八の紫陽花の菓子鉢、古銅笹蟹蓋置、干菓子は若狭盆に盛られて、とたいへん名品づくしであったのですが、印象的だったのは風炉先でした。舟板、ということで2枚を繋いだもので、舟のどの部分なのか、真ん中あたりは水苔のような色に染まっており、控えめに芦の蒔絵が施してあります。規則的に長方形の透かしが入っているので、これはもしかして舟板同士のはめ込みのあとですか、とお聞きしたらその通りでした。昔のお茶人の発想によるもののようでしたが、野趣に富む出来のなかに風雅が感じられたことでした。どちらの流れを、渡っていた舟なのでしょうね。
 ともあれ、木舟にゆられ、さわやかな流れを下っていくようなひとときを堪能しました。出逢いに、感謝いたします。
2010-06-11 07:10 | 記事へ |
| お稽古ことはじめ |
2010年05月29日(土)
葵の釜騒動(3)
 まかない方から匂う夕食の気配を感じながら、道具部屋をひと覗きすることにした。もとは独立した蔵であったのを、先々代が渡り廊下で母屋とつなげたもので、扉などはそのとき新しくしたのだがこれがいたずらに重いだけのシロモノで、漆喰の壁との間に隙間が生じている。自分でいうのもなんだが器用なたちなので、薄い紙人形と化し、この隙間を通り抜ける。実はややこしい手続きを踏んで、鍵をあけてもらったうえ、2人以上でないと入れん、という決まりがあるのである。面倒だ。芸は身をたすく。
 ぱちんと電灯のスィッチを押し、皐月、颯々、さっちゃんと、意味なく節回しをつけながら棚を物色しかけたとところ、
「高屋敷さん・・・」
蚊の鳴くような声。
「なに?」
しけっぽい蔵の中を見廻すと、隅の箱と箱の間に、面目なさそうに一匹の子狸が丸まっている。
「チー、なにやってんだ、こんなとこで」
「兵吉さんについてこっそり入り込んだんだけど、出そびれちゃったんだよ。僕、隙間通るほど上手に化けられないし」
 チーは見習い狸の、そのまた見習いである。狸の本場、讃岐出身だが無類に気が弱い。対応の迅速ぶりだけがモノをいう、見習いたちの世界では一朝ことあるとすぐ修羅場と化すのが常だが、このとき少しでもトロイ動きを見せると、たちまち踏みつけられる。チーなどは何度足蹴にされ、そのたびころころ転がったかわからない。目下のところは玄関外の道路の水撒きが主たる仕事である。露地の水撒きはまださせてもらえない。打ち水は客を迎える準備で、茶家では欠かせないものだが、撒きすぎて京都市建設局道路課からクレームがついたりする。道路が傷むというのだ。
 自分はこのふんにゃりと頼りない後輩を、結構面倒見てやっている。少なくとも足蹴にしたことはない。露地の塵穴に蹴りこまれた彼を、拾い上げてやったこともあるくらいだ。まあ単に、そこに落ちていても邪魔だったせいもあるが。
「勉強しようと思ったんだ」
ぷるんと尻尾をふるわせ、チーは訴えた。健気ともいえるし、どん臭いともいえるが、少々不憫になった。
「―いつからいたんだ」
「お昼前。その後、誰もこなかったんだよ」
 海山会までまだ間がある。殊勝に研究を重ねようとする輩はまず皆無である。どたんばで、一夜漬け茶道具に化ける手合いが多い。
「腹へってんだろ。はやく行け。ちゃんと化けてな」
 いつもの彼は、ちょっと大きくなったマルコメくん、といった化け姿である。
「うん」
といいながらもじもじしている。
「なんだ」
「高屋敷さん、何に化けるの」
 自慢じゃないが、常に出たとこ勝負である。前もって熟考、検討したりするタチじゃあないのである。しかしそこはそれ、やはり先輩らしく勿体をつける素振りをみせ、たまたま目の前にあった桐箱から、
「初風炉だし、釜もいっかな〜」
などとつぶやくと
「釜!すごいなあ。王道だもんね」
 狸が釜に化けるという陳腐さに照れたりするのは、へんに斜に構える癖のある自分だからであって、無邪気なチーは目を輝かせている。ひっこみがつかず、化け術の極意の一端を暇つぶしもかねて伝授してやる。先輩狸の、一応の心得でもある。
「いいか、これは車軸釜だ」
「車軸?」
ちょっと尻の張った格好で、下部をぐるりと車の輪状の羽がとりまいている。祭りの時期にはよくお目見えするやつだ。
「ほら、こう尻尾を巻きつけて、車輪の部分を作る」
我ながら親切な先輩である。チーは恐る恐る、ぶきっちょに真似をする。
「さ、もういいだろう。メシ食いに行けよ」
「ウン、ありがとう」
嬉々としてパタパタとかけていくチーを送り出し、中から鍵をかうと、再び二次元物体となって隙間をくぐる。と、廊下のはずれにフラリと壁によって立つ細身の人かげ。必要以上に足が長い着流しは、狐の拓斗とすぐ知れる。かるく腕組みし、これも必要以上にシャープな小顔を馬鹿にしたようにゆがめている。変幻自在(そこまで器用なやつはなかなかいないが)な狐狸の類でも、常態の化け姿というものは個別に決まっており、やはりそもそもの土台が作用する。しかしわざわざここまで徹底して今どきのイケメンに化けるのも気恥ずかしい・・・とは、拓斗自身は思わないようである。因みに自分は、一度や二度会ったくらいでは似顔絵を作成できないような凡人顔に化けることにしている。遺憾ながら、土台に従うとそうなる。京都では石を投げると学生に当たるというが(最近は、韓流観光客にも当たる)、その学生生活も迷路に入り込み6年目・・・といった風情である。
「ちびのしつけか」
拓斗が軽い調子で言う。天下の狐の総本山、伏見出身であるが、こなれた標準語を使う。
「なにか用か」
「いや」
 狸と狐が、それほど犬猿の仲(妙なたとえだが)というわけでもない。ただ、歴史をひもといても、ムカシ話をたぐりよせても、あんまり同時には登場しない。テリトリーが違うのである。チーの出身地の四国は大昔、金長という大狸が支配したと伝えられ、今でも全島、狐の姿は見当たらない。しかし全国的にはお稲荷さんの眷属であるところの狐の地位は確固たるものがあり、役者的にもあの安部晴明、葛の葉狐、九尾の狐、などなど、スターが揃っている。
2010-05-29 09:44 | 記事へ |
| 茶道をめぐる短編 |
水の恵み、茶の楽しみ
 気候の定まらない日が続いています。初夏、入梅の前、今頃の陽射しは青葉にはねかえるような強さを持ちます。照りつけるなかにも時折ふと翳りを見せだす、夏の盛りのものとは違い、若々しい勢いに満ちているのですが・・・。今年はなんとも空気がつめたい。このままでは梅雨に続き、宮沢賢治のいう「寒さの夏」が訪れるのではないかと、暑さ好きの私はオソレています。農作物の被害も出そうで、心配な事です。
 お稽古場の神社では紫陽花が今年もお顔をそろえましたね。神苑を彩る、多種多様の紫陽花は、水の季節の到来を、いまや遅しと待ち構えていると思われます。
 安治佐為(あぢさゐ)の 八重咲くごとく弥つ代にを いませ我が背子 見つつ偲ばむ
 万葉集から、橘諸兄です。八重、とあるからには古来から華やかに大ぶりに咲く品種はあったんですね。紫陽花(しようか)は白楽天の名づけた紫の別の花のことで、これにあじさい、とルビをふって今のあのお花の名としたのは、歌人、源順ということです。
 大きな鞠のような量感のある品種は、そのパステルカラーの変化を、もっぱらお庭で楽しむものかと思いますが、華奢な額紫陽花はこの時期の茶席に、梅雨の精のような清楚な魅力でたたずみます。
 梅雨時、なんとなく敬遠したい向きも多いと思われますが、この季節を有する日本は、ほんとうに豊かな美しい水とともにある、喫茶を楽しむには恵まれた国のひとつかもしれません。
 「一碗は、喉吻(こうふん)を潤し、両碗は孤悶(こもん)を破る」(「全唐詩」盧全、孟諫議に謝し新茶を寄すの詩)
これは唐詩ですが、喉を潤し、悶々たる思いを消してくれると、お茶の効用を述べているものです。癒し、というところでしょうか。しかしこの詩を踏んで、大詩人李白は
「茶はよく悶(いきどおり)を散ずれども功をなすこと浅し 萱(かん・・・わすれぐさ)は憂へを忘るといえども力を得ること微なり」
などとのたまっています。つまりお酒好きの李白は、お酒が一番だといってるわけですね。これは好きずきというものかもしれません。どちらも薬としての側面をもつものですし、水に恵まれた土地では、人々はそれらをふんだんに味わう事もできます。甘露、という言葉はお酒であり、お茶であり、もちろん水そのものでしょう。お酒の魅力も重々承知している私ですが、近頃ますますその薬効が報じられているお茶を、味、香りを楽しみながら、お茶席にて一喫していただきたいと、念じる次第です。

六月の季語・・・青梅、芦笛、翡翠(かわせみ)、苔衣、苔清水、蛍狩り、橋姫、早苗、早乙女、青田風、かわず etc・・・。
2010-05-29 08:30 | 記事へ |
| 茶道歳時記 |
2010年05月23日(日)
葵の釜騒動(2)
そう、見事化けおおせ、茶道海山千家流の月釜、海山会で晴れ道具をつとめきる事ができれば、点数があがる。修行年限は、この点数が一定の数字に達すればそこで上がり、となる。化け方免許皆伝である。ちなみに茶方で家元が発行する許状、というものはただ単に入門、稽古する事を許す、というもので、わが方の皆伝とは違い、すこぶる入手しやすい。わが方の苦労の、百分の一の手間も要らない。そのかわり、許状と本人の習熟度、これが一致するには深遠ともいえるほどヒマがかかるらしい。そもそも、一致しているかどうか、推し量る基準がないらしいのである。厄介な事だ。われわれの化け基準にはそんなややこしい勿体付けなんぞない。化けたか化けられぬか、ばれるかばれないか、それだけである。
「気楽なやっちゃな、オマエも」
と、子安がのたまう。そういう当人は、茶杓に化けようとしてしゃもじと化し、まかないのスーさんというおばちゃんに、勢いよく炊きたてご飯につっこまれたりした過去もある、不器用を画に描いたような狸である。オマエにいわれたくないわ。
「さっき、道具部屋にいったらな」
子安はやっと中腰になり、なにやら打ち明け話でもするかのごとく顔を近づける。自分はひょいと、灰を掃く小羽で、子安の拡がった鼻の穴をひと掃きしてやった。
「わ、わ、へくしょ・・・」
情けなくくしゃみする子安に、おっかぶせて
「手元が暗くなるだろうが。顔つきだすなよ」
「わかったがな・・・。そやけど、アレや、道具部屋にヤツが腰すえとんねん」
子安がこういう相手は、まず決まっている。狐の拓斗。われわれより一年後輩だが、機転が効き、変わり身早く当意即妙、いわば子安と正反対の狸、いや狐なのである。人間に化けた姿はジャニーズ系というやつだ。ツボを心得ている。まあしかし、土台がイケメン狐であるからこそである。
 イケていない子安は、さも重大そうに声を低め、
「主の茶碗か、棗に化けよ、思うとるらしい。物色しとった」
 修行中の狸あるいは狐たちは、茶会の道具組みが決まるまでに、足繁く道具部屋に通い、当日使われそうな道具をチェックする。これと思うものに目をつけ、本物そっくりに化けられるようあらかじめ稽古するのである。
 これは結構難儀な事である。化ける事そのものもだが、道具の取り合わせというやつだ。最低ラインの話だが、風炉の季節に炉の道具に化けたって使ってもらえない。風炉といったって、春と秋じゃあ、異なることも多い。さらに、道具組みに決定権を持つ、道具部屋の長、ともいうべき人物がいる。その数2〜3人ではあるが、狐狸のくせして甲羅をへた、ジイサマ方である。うちひとりは、たいへんワイロに弱いという。しかし当節、ワイロもアブラゲ一枚というわけにはいかない。
「狐どもには負けられへん」
子安は鼻息荒く息巻くが、どっちをむいても、まるきり公明正大ということはないのである。
「ヤツは心得てるからなあ・・・空気読むのもうまいし。お手並み拝見で、いいんじゃねえの」
自分は灰匙を指先でくるりと回しながら言った。
「あいかわらずやなあ、なに考えてんねん、呑気やで」
気楽に続いて、呑気といわれれば世話はない。しかも子安に。
 しかし、つくづく考えてもおかしな話である。小さいとはいえ茶道家元、全国ネットのお弟子さんたちが茶会の日、京都に謂集し、誉めそやすのはそれぞれに尻尾をかくした狐狸たちの化け姿なのである。・・・
 灰型を、こてこて固めるのはご法度である。空気を含んだ灰でないと、火が熾りにくくなる。しかしどうも今日の出来は、そのこてこて、かちかち状態になりそうだ・・・とじぶんは軽く舌打ちしながら灰匙を左手に持ち替えた。   続く。
2010-05-23 15:42 | 記事へ |
| 茶道をめぐる短編 |
2010年05月16日(日)
葵の釜騒動(1)
 「初冠」はフィクションです。そう思わなかった皆様のために、今度は極めつけのフィクションを!その1回目です。

「そろそろ賀茂のお祭りや。海山会の趣向、決めたか」
いつのまにやら鞘の間にやってきた子安が、つったったままで声をかけてきた。
「いんや」
自分は真塗りの道安風炉に、半ば顔をつっこむようにして二文字押し切りの灰型を押しながら、歯切れ悪く答える。
 鞘の間とは、続きの広間に付属した畳廊下みたいなもんで、たいがい庭に面している。風炉の季節になり、毎日灰型を作らにゃあならんとなると、自分はなるべくここに陣取る事にしている。自然光がほしいからだが、夜駆け朝討ちで用事を言いつけられてる身となると、灰型押さえひとつにしても、都合よく時間をやりくるのは難しい。
「先月は、お前何やった」
子安は相変わらず無作法に立ったままで言う。膝のところが白くなっている着流しの下からのぞく色黒の脚がはなはだ見苦しい。若いくせに少々腹がでっぱり気味で、着物にはまあ適しているともいえるが、ずどんとした胴体にいい加減に手足をくっつけたようななにやらしまりのない印象の男である。自分とは同期だ。
「風炉先」
自分は先月の海山会で、遠山霞の風炉先を担当した。海山会とは、月一回、同門の弟子筋(社中という)が集まる、この流派では一番大きな茶会である。自分は先月、その海山会で風炉先を担当した。風炉先とは、点前座の片側、客と反対側に立てまわす、屏風の一種である。これは、ラクである。据えられたら最後、茶会が終わるまで動かんでもいい。疲れたら尻尾も出せる。裏側になら。
 そう、自分はほんものの尻尾のある牡狸である。
ご存じない向きもあろうが(というより殆どだろうが)京都東山に連綿と続く茶道家元、海山千家流、その由緒ただしき門構えのうちには、出自はそれぞれ異なるが、修行中の狐狸の類がうごめいている。狐狸たちの世界では古くから、修行の極むるところは京の都なり、というもっともらしい掟がある。あたかも前世紀の欧州貴族階級令嬢の、その社交界デビュー寸前の、花のパリでの仕上げを思わせるかのような、雅やかな風習・・・といいたいのは山々ではあるが、実のところはそんな悠長なものではない。
 なぜ狐狸たちが京都で修行するか。ひとことでいうと、化け方である。いまどきの事である。化けない狐狸も多い。野山あるいは人家の屋根裏あるいはキタキツネ牧場、動物らんどなどに生息し、生まれてから死ぬまでおのが姿のまま、いちども化ける事などなく過ごす輩もいる。それはそれでよい。
 個々の趣味嗜好生きる方途は、まったく個々人の好みのうち・・・となったのであるが、やはり、本来の化け道が廃れていく事に、危機感をもつ人々(ヒトではなく、狐狸の類だが)はいたのである。
 そして、化生委員会というものが設置された。もはや狐狸だか化石だかわからないような長老たちが、そのメンバーである。その取り決めにより、野山でころついていた若者のいくたりかが半強制的に京の都に送られた。シティボーイであった自分は、東京の狸穴から。理不尽なことである。自分だって、こんなくすんだような千年の都に拉致されるよりは、せめて動物らんどで、「だっこデー」とかで可愛い女の子と触れ合ったり、していたい。
 しかし、ままならぬのはこの世である。化け道の衰退を憂えた長老たちの意向に逆らいがたく、送り込まれた京都という土地は化けることに関してはそのメッカともいうべき聖地であり、まして茶道の世界はその総本山といわれる。理由はわからない。
 わからないなりに、若い狸である自分は、藍の着流しを着込み、日々灰にまみれ、茶室を磨きたて、空き時間を化け方の訓練に費やす。
 幸いカンがよいといわれ、一年目から「海山会」への参加を許された。参加といったって、ただ水屋(裏方)に入る事を許可されただけである。お茶とお菓子は、最後にふるまわれる。そんなことはどうでもいい。「海山会」で習得することはただひとつ。茶道具に化けるのである。うまく化けおおせ、プロと世間の目両方をあざむくことができたなら・・・!・・続く。
2010-05-16 21:24 | 記事へ |
| 茶道をめぐる短編 |
2010年05月14日(金)
忍び音
 王朝びとにとって、ほととぎすは初夏を告げる鳥のみならず、歌題の定番でもあるようです。「古今集」の夏の部、三十四首のうち、実に二十七首までがほととぎすを題とするとか。「枕草子」三段の一節に、・・・何となくそぞろをかしきに、すこし曇りたる夕つかた、夜など、忍びたるほととぎすの、遠う空耳かと覚ゆるまでたどたどしきを聞きつけたらむ、何心地かはせむ・・・とありますが、この「忍びたるほととぎす」が「忍び音」ということなのですね。皐月にはまだ間がある晩春卯月にはその声も控えめであるとの意です。「卯の花のにおう垣根に ほととぎす早やも来鳴きて 忍び音もらす 夏は来ぬ」という歌などはもう、小学校の音楽の時間に取り上げられる事はないのでしょうか。古典の音読とともに、子供たちがこんな歌に触れる機会もあればと思います。日本語って、美しいではありませんか。
 ほととぎす そのかみ山の旅枕 ほのかたらひし 空ぞわすれぬ
ほととぎすを詠みこんだ歌の中から一首。式子内親王です。五・七・五・七・七それぞれの節頭の音をひろうと、ほ・そ・た・ほ・そとなり、あたかもたまゆらの触れ合う音のような、繊細で硬質な抒情が浮き彫りになります。歌題を活かす技巧をまろやかにまとめた、手だれの一首ということが出来ると思うのですが。式子内親王のお歌の中で、私はこれが一番好きです。詩人立原道造は、この歌にイマジネーションを得て、一作をものしています。今、詩集が手元にないのですが、最終節は「・・・陽にかがやいた!」というものだったと思います。多分、ご存知の方もおいででしょう。
 古来、詩歌、絵画、俳句等々、題材としては定番のこの鳥、その初声が初夏の訪れを告げる、自然暦のひとつとされてきたからですが、その意味では春の桜と同様、日本的な感性を象徴する様式的存在といえそうです。実際の姿を目にし、鳴き声を耳にする機会はあまりなくても、初夏になるとお茶席にもこの鳥は飛び交います。待合掛け、茶碗の図柄、お茶杓の銘・・・。名物唐物丸壺茶入にこの銘を持つものがあります。お茶杓は、利休をはじめ、現代にいたるまでたくさんの宗匠、茶人が削っておられます。遠州作「龍田」は「唐衣 たつたの山のほととぎす うらめづらしきけさの初声」からきた歌銘。そうですね、「初音」は鶯、「初声」はほととぎすを連想させます。「一声」などはきっぱりと潔く、初夏の到来にふさわしいかも。私は拝見した事がありませんが、西行がほととぎすの歌を書いた「杜鵑切れ(卯の花切)」というものも伝わっているようです。
 季節感をことのほか重視する茶の湯の世界の趣向では、昔から続く自然観を常に下敷きにします。たかが鳥一羽、しかし取り合わせによってはハッとするほどその存在が効いたり、あるいはしみじみと懐かしく感じられたりするものですが、これはひとえにご亭主の料理次第でしょう。なにも、ほととぎすに限った事ではありませんが。
 実際の鳴き声は奇妙に形容される事が多いようです。「しでのたをさ」「本尊かけたか」「てっぺんかけたか」鳥も地方によって、訛るんでしょうか。一方で、ほととぎすは魂を冥土へ運ぶ鳥といわれます。夜と朝の境目に耳をつんざくような一声が、きわめて印象的なのでしょうね。
 目に青葉 山ほととぎす 初松魚(はつがつお)でキマリですね
2010-05-14 18:39 | 記事へ |
2010年05月07日(金)
初冠(ういこうぶり)
 お稽古に通ってこられるSさんは未亡人です。お歳のころは70代半ばかと思われるのですが、動作はきびきびとし、色白の肌は張りがあり、お顔をふちどるふわふわした純白の髪がかえって若々しさを添えている、といった趣の方。上品な外見ですが、中身となると「大阪のおばちゃん」風なところもあり、お点前にもそれが現れるので可笑しくなってしまうこともあります。生来の気性とも、年の功ともいえる大雑把な気配りが、若い人たちに慕われるところのようです。
 初風炉のお稽古の日です。床に飾ってあった円能斎好みの冠香合にSさんは目をとめ、
「精巧なもんですね」
と、しげしげと眺めいりました。この香合はお公家さんなどの装束、衣冠束帯のうちの冠を模したもので、黒の羅で作られています。髻(もとどり)を納める巾子(こじ)の部分は透けており、後ろに撥ね上がった纓(えい)も二枚重ねという本式の凝ったつくりです。伊勢物語の初段、「初冠」に因んでこの月に使ったりしますね、などと私は型通りに説明しました。
「ういこうぶり、ですか」とSさんは噛みしめるように発音しました。
 その昼下がり、たまたま他にお稽古の人がみえなかったせいもあり、はからずも私はSさんの昔がたりを聞く事になったのです。
 Sさんは病身のお母さんをたったひとりで看取った後、三十も半ばを越えてから、ひとり息子を抱えたヤモメであったご主人に嫁がれました。穏やかな人柄だったという、中学の先生をしておられたご主人はしかし、結婚後まもなく、事故で亡くなってしまわれたとのことでした。
「でナルくんとふたりになりましてね」
このナルくん、というのはご主人の連れ子で、Sさんが嫁いだときには5歳だったとか。皇太子のご幼少の砌の愛称と同じですね、などと私はまったく関係のない合いの手をいれました。
「ナルくんはおとなしい子でね、ほんのちょっと知恵遅れの気もあったんです。当節みたいなことはないけども、いじめみたいなんもあったりしたんですわ。最初のころは私にもおどおど、いう感じやったんですけどね」
 下校途中のナルくんにかまういじめっ子たちを「鬼の形相で」追い払ったのだと、Sさんは笑っていました。でも、そのあとでSさんはナルくんにも持ち前のぽんぽんした調子で、お説教じみたことも言ったそうです。
「だってね、負けとったらあきませんやん、起って闘わな・・・。とにかく強うなり、いうてね。無茶いう、とナルくんは思うたかもしれません。けどそのころから、慕うてくれるようになりましたわな」
 ナルくんは生みのお母さんを知らないそうです。5歳まで男手ひとつで育ててくれたお父さんを亡くしては、頼りになるのはこの人だけ、と幼な心にも思うところあったのでしょうか、健気にいい子たらん、としたようです。
「しょっちゅう腰いた起こす私の荷物もってくれたり、ご飯ごしらえのときもなんかかんか、手伝うてくれました。初めは私も、大きいなるまで面倒みなあかん、みたいな責任感だけやったんですけど、段々に可愛いなりまして・・・」
 Sさんは看護婦さんでした。夜勤もありました。ナルくんは心細かったでしょう。
 再婚の話があったときも、Sさんはずいぶん迷ったそうです。けれど自分ひとりを頼っているナルくんを捨ててよそへ行くことは出来ませんでした。
「自分の子でもないのに、アホやな、とか言う人もありましたけど。それもそうやけど、それだけでもないな、と・・・」
 試験に合格して、日勤の婦長さんになれたのも、ナルくんがいたからこそだ、とSさんは言います。ちょっとしたいきがかりから、親身になってお世話をすることになった昔の患者さんで、毎年夏蜜柑を送ってくださる方がありました。それを使って作る自家製のママレードを、ナルくんはことのほか好んだそうです。
 義理の親子ふたり、つましいけれど明るい生活が何年か続き、ナルくんは中卒の資格で働きに出る事になりました。勤め先の、遠方のファームへと旅立つ日、心細げなナルくんに、Sさんは「初冠」という言葉とその由来を教え、真新しい帽子を、義理の息子の頭に、ポンと載せてやりました。
「今時分は、そんなことないんでしょうけど、私らの学校のころは、古文なんかまる暗記させられましたんです。いまでも、そらで言えますよ。ナルくんは、ほんまは成彦で、字はちごたんですけど、在原の業平さんにひっかけて、門出祝いにしよと思うてね・・・」
 初冠、元服。男子の門出です。ほんとうは不安でいっぱいだったかもしれません。でも自身の独り立ちを、ナルくんも期していたのでしょう。Sさんの叱咤激励を受けて、新しい世界に出発しました。それはまさしく、若葉の頃でした。
「威勢のいいこと言うたけど、私もさびしいてたまらんかったんですよ。でも、ナルくんのためにも、こうせなあかんと、思い込んでました。幸い、ファームのご主人も奥さんも同僚の人も、みな親切でナルくんをよう、面倒みてくれはったようです」 
 しばらくして、Sさんのもとに、ナルくんが育てたという夏蜜柑の苗木が送られてきました。ナルくんはきっと、自家製のママレードを懐かしく、思い返していたのでしょう。
「年に2,3回、帰ってきましたけど、そのたびたくましくもなってるような感じもしてたんですけど・・・」
 しかし20歳になる前、ナルくんは突然、この世から去ってしまいます。原因はわかりません。ある朝、寮の小さな自分の部屋の布団の中で、冷たくなっていたそうです。心臓麻痺とのことでした。発見したファームの人々も手をつくしてくれたらしいのですが、お医者さんは、生まれつきの素質の虚弱さに拠るものといわれたそうです。
 覚えるのに人の倍時間がかかるにせよ、ナルくんはそのまた倍の時間をかけてこつこつと仕事を仕上げたと、ファームの奥さんは涙ながらに語ったそうです。少し前には、お給料を貯めてラジオを買ったところでした。それがよほど嬉しかったらしく、最後に届いた手紙にも自慢げに書かれていたと、Sさんは語ります。
「しばらくは、私も魂が抜けたようになってしもて・・・。こんなはよう逝ってしまうんやったら、なんでわざわざ遠くへやったんかと・・・。不憫で不憫で・・・。でもねえ、これだけ年月がたつと、ああ、あの子は精一杯生きたんやなと思えるようになりました。こんなこと言うたらなんやけど、ほら、人にはそれぞれ、分てものもありますでしょう、それをわきまえていっぱいに生きたんやて・・・。賢い子でしたよ、人の嫌がることを、いっぺんもしたことも言うたこともなかったし・・・。そういうのも、強い、いうことなんですわなあ」
 命日も若葉の頃だそうです。
 ちょっと大き目の帽子を初冠として、つぶらな初夏の陽ざしのなか、旅立っていった少年の姿は、今もSさんの目に焼きついているようです。
  
 冠香合と称されるものは、ほかにいくつかあります。染付で、型物香合番付西方五段目。別名唐冠といい、和製のものと違い、中国風の冠です。鵬雲斎大宗匠にも、冠香合のお好みがあります。
冠手。染付で唐冠が描かれている意匠。明末頃の藍呉須火入がよく知られており、写し物もたくさんあります。
冠卓。棚の種類。冠台、冠棚ということもあります。お公家さんが冠を置くのに使っていた棚の転用とか
橘。中興名物染付茶碗。遠州から酒井宗雅その他著名な茶人の手を経て、松平不味に伝来。
橘香合。交趾香合。型物香合番付東方四段目。平丸形、総萌黄釉。他に淡々斎お好みに、14代一閑作橘香合があります。橘をかたどり、外側は黒地一閑張り、内側は朱塗りに淡々斎の花押があります。

五月の季語・・・薫風、杜若(かきつばた)、唐衣、八つ橋、飾り太刀、草笛、ほととぎす、一声、青嵐、玉柏、競べ馬、青葉、若葉、etc.
 
2010-05-07 11:47 | 記事へ |
2010年04月30日(金)
今日庵体験
 さる4月17日、かねてからご希望の多かった今日庵拝観が実現いたしました。大半の皆様が内部に足を踏み入れるのは初めてという事で、引率(?)としてはなかなかに緊張いたしましたが、さすがに心得のよい方ばかり、上品な一行であったのではないかと、自負している次第です。ただ、あまりの寒さと緊張ゆえでしょうか、ご気分の悪くなられた方が出、まことに申し訳なく思っております。先方の担当者の方も、その点案じておられました。それにしても寒かったですよね〜!!しみじみと、修行道場の在りようを実感いたしました。個人的には、次の間の反古襖をあんなに長時間しげしげと眺めたのは初めてのような気がします。すごいデータベースですよね。玄々斎という方が現代に生きておられたら、さぞかし縦横無尽にパソコンを駆使されて、さらなるデータベースのアップを図られたのではないかと思います。
しかし、ご本人が仰られたように、反古とはやはり「いにしえにそむく」意味、書物は反古腰張りにせよ、との教えどおり、書き残す行為自体は、お稽古の本道ではないのですね。
「お茶がある」という表現があります。普通の感覚から言うと、目の前に飲み物としての「お茶」が置かれている、という意味にとりますね。なかなかしかし、これが曲者でして、「今日のお席にはほんとにお茶があった」「あの人にはお茶がある」なんて使い方をされたりするわけです。では、「お茶がある」ってどういうこと?と訊ねたくなります。それはしかし、「美とはなにか」という質問と同じくらい、多種多様な答えを持つものだという気がいたします。わび茶、というと簡素で奥深いもの、というようになんとなく認識されていると思いますが、その奥深さの真髄を極めたところにすなわち「お茶がある」と・・・。なんだかわかりませんね。
 今日庵では、日々の送り迎えが丁寧に手抜きをせず、行われるのだろうと思います。お家元のお務め、掃除、水汲み、水撒き、水屋の準備、後片付け・・・。丁寧に日々を送るという事は、やはり根底に思いやりの心がないと出来ないことかとおもいます。古い建物に、露地の草木に、長年お稽古の用を務めてきたお道具たちに、そして「お人」に対し・・・。
 もともと、人間は程度の差はあれ、自分が一番かわいいものだといわれます。他者への思いやりの心を磨くには、日々の行いを、表面だけでもそのように仕向けていく事でしょうか。「時時(じじ)勤めて拂拭せよ」との教えの通りです。掃除からはじめましょうか?
 それにしてもあのお点前してくださった先生は、ちょっと「上から目線」すぎましたねえ。畏れおおくもお家元ご自身でも、あんなにエラソーにされませんよね。「ほかはすべて感激したけど、あの方だけはちょっと・・・」という声がしきりでした。さすがに宗家のおもてなし、と初心者の方々に感服されるようでなければ、「お茶のある」おもてなしとはいえませんよね。ここだけの話ではありますが・・・。
 またいろいろな企画を催したいと思います。皆様、ご意見ご要望を!
2010-04-30 09:43 | 記事へ |
2010年04月23日(金)
春の苑 くれなひにほふ・・・
 先日、プチ同窓会があり、旧交を暖めながら博多は柳川で、のんびりと川くだりをさせていただきました。南国ではなにもかもいっせいに咲くのでしょうか、時ならぬやかまし舟が下っていく、その両岸は花、花、花。桜はもとより、桃、みずき、山吹、つつじ、水仙・・・。九州の芳醇な春は、その夕刻いただいた、地元焼酎に勝るとも劣らない酔い心地を供してくれました。
 山部赤人は万葉の昔、すみれをいとしみ一夜を野辺で明かしたとの一首をのこしています(そのすみれは本当に植物のスミレなのかと、ふと怪しい勘ぐりも兆しますが)。万葉人ならずとも、春の野をいつくしむ思いは、そこはかとない郷愁とともに、誰しもがお持ちではないでしょうか。
 「春の野」はこの季節の意匠です。黒地に金で平蒔絵を施した「春の野棗」は表千家の九世了々斎の好み物です。利休所持「秋の野棗」に対し好んだといわれます。すみれ、たんぽぽ、れんげ、つくし、すぎな、桜草など、可憐な野花が蒔絵の絵柄です。作者は千家十職の駒沢家七代少斎らしいということで、この棗は「秋の野棗」の写しと一双となっています。裏千家の好み物ではないのですが、春の野の意匠は、お茶碗などでは定番となっています。お稽古場でも、季節になると出してきますね。お待合の掛け物でもみることがあります。親しみやすくやさしい味わいのあるイメージです。
 そういえば、この間わらびをたくさんいただきました。あくのつよい野草ですが、幸い灰には事欠かない我が家です。よもぎ、若ごぼうのきれいな葉、蕗の薹、成長した蕗なども灰であくぬきしますが、あんまり抜けすぎても独特の苦味が薄れてしまってあじけなくなりますね。あく抜きしたわらびはお酒と醬油で煮詰めれば佃煮ふうになりますし、おひたしにしてもいいし、あぶらげなどとだし汁で煮ふくめてもおいしいものです。時代小説のなかで、つつましい暮らしを営む武士の妻が、蕨の葛たたきを作る場面があり、その香りが漂ってきた、とあるんですが、私はハナが効かないのでしょうか、匂いはあんまりしません。摘みたてなら、香りがつよいのかも知れませんね。葛たたきにしたあと、普通にお醬油で味付けしていただいてもいいのですが、白味噌とお砂糖、木の芽で和え物にするのも目先が変わってなかなかです。
 すみれの花の砂糖漬け、たんぽぽのお酒、なんていうのもありましたね。これは試した事がありません。たんぽぽ、ってでも、えらい苦いみたいですよ。それをドイツでは生のままサラダにするとか。種類が違うのでしょうか?すみれでなく、土筆の砂糖漬けは以前、春になると作ってきてくださった方がありました。火を通すとほんとうに少量になってしまうもので、佃煮にしますと何なのかわからなくなってしまうんですが、この砂糖漬けはちっちゃくなるとはいえ土筆の形と色合いが残っていて、お干菓子としても風情のあるものでした。甘党でない私は、もっぱら観賞しておりましたが・・・。いずれも春の風物詩ですね。野辺で摘み草を楽しむなんて、もはや街中では不可能になりましたけれども、気をつけているとなにかしらの野草は、店先にもならぶようです。
 春の野、春の食卓、少し手をかけて季節感を味わうというのも、たまにはいいものですね。めんどくさいなあ、こんなわらびの束、と実は最初思ったんですが。季節を暮らしの中に自然にとりいれながら、日本人は生活してきたということでしょうか。お茶も例外ではありません。さまざまな意匠にこめられた先人の季節への思いを、自分なりに受け止めていく事が大事かな、と思っています。
2010-04-23 08:38 | 記事へ |
2010年04月16日(金)
文化的な一日でした(お茶会、そして長谷川等伯展)
 さる9日、花曇の京都にて朝はお茶席、午後は京博での「長谷川等伯展」鑑賞と、大変有意義な時間を持たせていただきました。
 茶席の床には九代不見斎のおおらかな一行「頭上漫々脚下漫々」、染付隅田川の香合、古道弥の透木釜(常張釻で、釻の部分が編んだ籐で巻かれていました)、妙全の雲錦の手桶、花筏蒔絵の棗、櫻皮の建水など、満を持したようなお花見趣向。碌々斎の「三角草(みすみそう)」というお茶杓を使われていましたが(席主がお道具屋さんなので、流派とりまぜて使われます)、これが二条城の竹を以て作られた由。この由来は、わかりかねるとのことでした。三角草は、雪割草の別名だそうですが、わりに寒いところの草だと思います。二条城と、なにか関わりがあるのでしょうか。ご存知の方がありましたらお教えください。あとさき逆になりましたが、待合には玉渓筆の「やすらい祭りの図」がかけられていました。今宮神社のお祭りですね。11日がその日だそうで、今日庵拝観の日と重ならなかったのはちょっと残念。
 河道屋の、辛味大根おろしの載ったお蕎麦で虫養い。ここのお点心は年中これ。味も茹で加減も、変わる事がありません。給仕してくれるおじいちゃんたちも、何十年もまえから変わってはらへん、そのまんま、という感じ。京都ですね。
 「等伯展」は知った方のご好意で、開幕日前日に入れていただき、主催の方々のお話を聞く事ができました。企画から開催まで、準備に8年を費やされたとのことで、たくさんの方々の思いが実った催しのようでした。こちらも満を持して、ですね。
 識者の方々による何年か前のアンケートで、日本文化を代表する作品として一位に輝いたのが、今回チラシやポスターにもなっている、この等伯の松林図屏風だったとか。今回、メインとして最終の展示室に据えられていました。東博でも観ていますし、ずいぶん以前に京都でも観た気がします。結構な人の流れの中で、あらためて相対し、しばらく眺めているうちに、するすると涙がこぼれてきて、我ながら驚きました。そのまま数分。前にもこんなことがありました。ご存知の方も多いと思いますが、「100年にひとりのプリマ」シルヴィ・ギエムのある舞台を観たとき、やはりこのように唐突に涙が流れた経験があります。ギエムの踊りには、数限りないくらい接していますし、その名演に感涙した事も一度や二度ではありません。ただこの時の踊りはいわゆるコンテンポラリーで、特に筋や役柄があるものではありませんでした。感情移入するようなものでもないのに、なぜ涙が出るのか。比べるのも変ですが、等伯の松林図の前で、同じく水のように流れてきた涙は、そのときのことを思い起こさせました。
 帰宅してから、思いついて古いノートの束を取り出し、昔書いたレポートを掘り出しました。美術の講義で出された、いくつかの課題からこの「松林図」を選択して書いたものです(モノモチのいいことです。貯金は殖えないのに・・・)。学生らしく、小難しい理屈を並べたものですが、人間のものの感じ方というものはそう変わるものではないようです。
 「利休好み」という言葉があります。利休の遺した品々に対し、この言葉が使われることもありますが、これを美意識、という観点から捉えた場合、否定の美、ということが出来ましょうか。あるものをそのものとしては否定しながら、却って高次元でこれを活かす。たとえば唐物茶入です。宝物としてまつりあげるべきような名品を、あえて侘びた小間で、「冷え枯れた」備前や信楽の水指などと取り合わせる。そうして唐物の持つ完成度の高さを、虚飾のないかたちで茶席のなかで活かすのです。余分なものを削ぎ落とした、極限の美学です。美術にはまったく素人の私は、つい慣れ親しんだお茶の感覚でものを判断しがちですが、この「松林図」にはやはり否定の美を感じます。表現を最小限に控えた、その制約が無限を生む、それはまさに侘び茶の精神かもしれません。背後にはおびただしい観念の省略があると思われます。そこから生まれるのが余白の美、ということなのでしょう。
 けれど等伯の才能は、枯淡の水墨画だけを表現媒体としたわけではないようです。絢爛たる金碧画においても、この人は第一人者だったということで、相反するような作品にも今回多数接する事ができました。能の幽玄美から阿国歌舞伎の官能美へ、時代が推移していくなか、ジャンルを越え、自在に生み出された作品群に、酔いそうな気がしたことです。単に人酔いかもしれませんが・・・。しかし金碧画と水墨画は、相反するものではないのでしょう。現世を超越した無常観を「松林図」が表現するのなら、その内側にはやはり現実そのものが包み込まれていなくてはいけないわけで、どっちかがどっちかを否定するものではなく、表裏一体というか・・・。
 お茶をしていますと、生噛りでも何でも、とにかく禅の教えを避けては通れません。すべてを否定しつつすべてを肯定する、こういう禅問答にのっとって考える限り、最小限の表現の中に限りなく拡がりを持つ世界、というものはきわめて馴染み深い観念であります。
 深い内容を秘めた、シャープな表現、でもそれを可能にするのは、どんな世界でも、まず基礎的なテクニックの確かさだと思うのですが、等伯という人はその意味でも第一級の芸術家だったのでしょう。
 画でも踊りでも音楽でも、素晴らしいものに出会うとき、私たちの心に呼び起こされる心象風景は、決して均一ではないと思います。そうしたものに出会うとき、自分が芸術作品を観るだけではなく、作品のほうからもこちらが視られているような錯覚に捉われることがあります。自分自身が照射されているような瞬間、私なぞの場合は、そこでウルウルと涙ぐみ、ハナをすすったりするわけです。なにかを視た、という感じに捉われるんですね。漫画チックにいうと、ガーン、ジーン、とかいう感じです。で何かが変わるのか、というとそんなことはありません。そして日常が続いていきます。現実の生活です。けれど折々のこうした経験は、どこかで積み重ねとなり、自身を豊かにしてくれるようにも思うのです。それもまた錯覚なのかもしれませんが・・・。明日は今日庵見学です。先人の遺した「余白の美」はここにも、たしかに息づいているはずですよ。参加の方は、どうぞご自身の感覚で感じ取ってください。
 「文化的一日」の感想レポートでした。
2010-04-16 10:22 | 記事へ |
2010年04月08日(木)
夜桜考
 繚乱の春、絢爛たる桜です。めぐりくる季節に、花はわすれることなく呼応します。「ああ、今年も京の春に会った」とつぶやく「古都」のヒロインに、ガラではないと承知しつつも声を合わせたい、短い花の盛りです。
 「好み物」について先回触れました。今回は的を絞って、季節にふさわしい作品について・・・。
 夜桜棗。二世少庵宗淳居士のお好みです。この方の好み物は数が少ないのですが、この棗はその優雅な意匠でつとに知られます。本体は黒漆塗り。その蓋の表に、同じ黒漆で、満開の桜が線描きで描かれています。黒に黒ですから、なにしろ見えにくい。一見黒の棗に見えます。しかし光の具合で、描きこまれた桜の姿がほの見えてきます。シブい趣向です。本歌(オリジナルの意味です)は今日では不明ですが、人気のあります「お好み」で、代々の宗哲が名品を残しているようです。
 少庵という方は利休居士の後妻、宗恩さんの連れ子だそうです。利休さんには先妻の遺した、道安という実子、即ち長男がいたにもかかわらず、この連れ子さんが跡を継がれたわけですね。先妻の遺された娘さんと縁組しておられます。そのあたりの経緯については、いろいろ言い伝えられていますが、すでに歴史の彼方です。ただ、この方はたいへんおだやかなお人柄だったということで、利休正系ともいうべき宗旦に早くに家督を譲られ、その後見に心を砕かれたとか。これは秀吉の内意を請けてのことだともいわれます。
 さて夜桜棗。この作品が生まれた頃もやはり京の春はあでやかに桜に彩られていたのでしょうか。その桜を黒漆のなかに塗りこめて表現するとは、ただ奥ゆかしいというより、きわめてシュールというか、現代的な感覚だとは思われませんか?もちろん、秘すれば花、的な美意識の現れということも出来ますが。時代背景もあるのかもしれません。利休居士の切腹以後、かたちのうえではお家取り潰し、逼塞してお暮らしだったと思われます。華美なものを好む事を避けられたのかもわかりません。これは、単なる当て推量ですが・・・。そんな穿った見方はひとまず脇に置いてこのお棗に見入ると、黒の色調、光沢の中に浮かび上がる桜の姿が、幻想を誘うようです。少庵居士も、春の盛りのある夜、桜花に魅せられたことがおありになったやもしれません。
「源氏物語」の「花の宴」の巻で光源氏は、ほの暗い弘徽殿の細殿で、「朧月夜に似るものぞなき・・・」とくちずさみながらそぞろ歩いていた美少女を花酔いにまかせて抱きとめます。夜桜の妖しさあでやかさを文学の中で語るとき、忘れる事の出来ないひとこまです。絵巻物の世界ですね。ちょこっと、ミニ文学散歩をしてみましょうか。王朝文学に造詣深く、「源氏」の現代語訳もものしている女流歌人、与謝野晶子の、よく知られた一首。
 清水(きよみず)へ祇園をよぎる花月夜 こよひ逢ふ人みな美くしき
 ぼんぼりに映える夜桜に、笑いさんざめき、行きかう花見客。一夜のはなやかさを詠う歌人の心には、どのような想いが去来していたのでしょう。向日的に、前向きに生きたと思われる方ですが、花月夜の刹那的な美しさの影の人の世の生き難さ、人の世の闇を知りつつ、詠まれた一首のような気がします。明治の女流といえば、樋口一葉に、「闇桜」という短編があります。幼馴染同志の、はかない恋が散る宵、はらはらと家桜の花びらが散っていた・・・というもので、「たけくらべ」にも通う、抒情的な一編です。
 絵画的といわれる俳人、蕪村の一句。 
 花の香や 嵯峨のともし火 消ゆるとき 
 桜の香りというと、桜餅のあの香りを連想しますが、早春の頃、店頭に並ぶ江戸彼岸という品種は、なんとも形容しがたいような淡くさわやかな香気をもちます。求めてきて一日もしないうちに、うすれていきますが・・・。元明期の、放浪の俳人といわれる加舎白雄に、蕪村の句とと似たものがあります。 
 人恋し 灯ともし頃を桜散る
 これはでも、夕暮れの桜ですね。桜が妖しくなるのは、やはり闇の中、でしょうか。
 坂口安吾の「桜の森の満開の下」では、鬼の化身である京の姫君が夜桜の森で、自身がそそのかして悪事を働かせていた山賊を絞殺するクライマックスシーンがあります。これは「今昔物語」の「桜鬼」がモチーフとなっているとのこと。石川淳も、やはりこの「桜鬼」を代表作「修羅」で活かしており、姫君でありながら盗賊の女首領となるヒロインの葛藤が描かれています。
 ・・・葉ごもりは月影をさえぎつて、なほさら黒い闇をふくんだ中に、花の色は見えなくても、すでになかば咲きかけたにほひが、房のようにあたたかく・・・
 武士(蜷川親元)は即興の句を口にします。
 「無しともいへぬ花かげの鬼」
幹のうしろに、たちまちもののうごくけはひして
 「見わたせば 人のこころもおぼろにて」
・・・幹をめぐつて、女ひとり、花よりも濃くにほひ出て・・・
 このかけあいは、連歌の形式だと思います。闇の中、そこはかとない花の香がただよい、姿を現したのは花の精か花の妖鬼か・・・
 お耽美モノ、という感じですね。西洋ではドラキュラが美鬼(?)の代表選手ですが、日本ではこの「桜鬼」が対抗馬でしょうね。
・・・夜桜棗から、ずいぶん遠くにきてしまいました。しかしこのお棗、ことほどさように、物語的興趣を盛り上げてくれます。一見奥ゆかしい風情でありながら爛熟美、あえていうなら頽廃美をも感じさせてくれる名品として、「好み物」の不動の位置を占める所以であります。
 物語に依拠して、空想の翼を拡げていくときりがありません。俳聖、芭蕉の句を結びといたします。
 さまざまの 事おもひだす 桜かな
2010-04-08 19:31 | 記事へ |
| お稽古ことはじめ |
2010年04月02日(金)
黄砂、吹雪、そして桜・・・
 咲き初めた莟のうえに、時ならぬ吹雪。そうかと思うと、黄色い霞で視界定かでない日もあり、春は波乱含みです。しかしここにきていっせいに桜が開花、なにかが始まる、というイメージがこれほど似合う季節もありません。新入学、新入社、新学期・・・あらたな節目を迎えられる方も多いと思います。どうぞ新生活に幸あれかし、と願います。 
 さて、お茶席巡りなどなさる会員の皆様には耳慣れた言葉だと思いますが、お道具のご説明で「・・・好み」と紹介される事があると思います。裏千家の場合は、歴代の宗匠の御名が、「・・・」に入ります。初めて聞かれたときには、疑問に思われませんでしたか?聞き馴染んでいくうちに、よく見かけるものについては名前ごとなんとなく覚えてしまいますし、季節の定番として出てくるものについては、説明を聞くまでもなく納得するようになります。でも、ほんとうはどういったものなのでしょう。
 「なんとか好み」という場合、お茶に限らず、そのものに対する、趣味のありようを表すことが多いと思います。派手なものを好む、シックなものを好む・・・など、感覚、美意識の向く方向でしょうか。
 お茶でもそういう分類の仕方はあります。個人あるいは団体の独自の志向、そこに根ざす「好み」。これははなはだ漠然としたものです。茶風、とでもいうのでしょうか。それと似ているようで明らかに相違点があるもの、それが「好み物」です。茶人が、自らの美意識を具現したもの、初期のものでは本来茶道具でないものをとりあげた「見立て」という品、あるいは既存のものでもとくに気に入って何度も取り上げたものなども、「好み物」に入ります。時代がくだると、茶人自ら指導し、または注文して作らせたものをそう呼ぶ事になり、それは個別化していきます。現代では「お好みの道具」というと「だれそれ好みのなんとか棗、なんとか釜、・・・」ということになり、形、寸法、ときには作者も厳密に指定されます。亜流はないわけですね。ただ、利休さんに関しては、いまでも「利休好み」「利休形」という言葉が平行して使われることがあります。「利休好み」は現実に利休本人が愛でた、あるいは注文して作らせたもの、「利休形」は後世、利休の好んだ形を踏襲したものといわれますが、どうも言葉自体はアバウトにつかわれることも多いようです。(茶杓に関しては古いものを紹鷗形、珠徳形、などと呼ぶ事があります。これは茶杓の作者の特徴をいいます)。
 話を戻して・・・。「好み物」「だれそれのお好み」がお茶席で多く見受けられるのは、そのものの良さもありますが、やはりひとつには記号の共通に立脚するところもあります。裏千家の茶会で、表千家の「お好み」が出てくる事は、まあほとんどないといっていいでしょうから・・・。歴代の宗匠方は、それぞれの茶風、美意識にのっとって、そこに時代性をも掬い上げながら、「お好み」を決定してこられたわけで、長年の間には、流派なりの特色もでてまいります。十一代玄々斎は、多く再好み、という事をされていますが、これはそれまでの宗匠の好み物に若干ご自身の色を加え、おそらく時代性を加味したものでは、と思います。(「写し物」と呼ばれてもいますが)。
 「お好み」は茶席の道具組を決めるうえで一種の安全弁、というと語弊があるかもしれませんが、それがあってこそ締まる、というものでもあるのです。なにがなんでも「お好み」でなければ、というものでもありませんが、同じ流派に所属するもの同志としてはやはり共通の言語、記号だろうと思われます。
 お茶席でその時々の趣向、季節に応じた「好み物」をご覧になることは、学んでいる流派の雰囲気を感じる事でもあり、お道具そのものの意匠にこめられた象徴性、茶味を考えることでもあります。歴代の宗匠方の「好み物」にこめられた秘めた多言、を読み取りながら・・・。
 よい季節の到来です。機会を見つけて、どうぞお茶席に足を運んでみてください。
  4月の季語・・・清明、春風、花小袖、花散里、桜人、桜狩、桜重ね、花筺、花の宴、胡蝶、雲雀、穀雨、春宵、吉野山、暮春、etc。
2010-04-02 11:48 | 記事へ |
2010年03月26日(金)
早春の京都にて
ここ何日か飽きもせず降り続いた春らしからぬ氷雨も、今朝やっと一段落した模様です。万物を養うしずくなのでしょうか、それにしてもよく降りましたねえ。
 この連休、京都で裏千家淡交会青年部全国大会が催され、裏千家学園同窓会が、副席のひとつを担当させていただきました。卒業生のひとりとして参加させていただきましたが、全国規模の会で、参加人数も2,600名とか。ずっとお茶席におりましたので、全体像を把握するような機会はなかったのですが、終了後のフェスティバルは各地方のお祭りや特産品の屋台などが出て、エネルギッシュな盛り上がりようでした。
 卒業してはや○○年、幾星霜・・・とまではいかなくても、歳月はそれぞれのうえに等しく流れ、それぞれがささやかな人生航路を旅し、またあいまみえる機会を得ました。で、会ってみるとこれがたいして変わり映えもせず・・・。でもやはり、時は確かに流れているのですね。昔(ここだけの話ですが)オソロシかった先輩が物腰も柔らかに揩スけた風情となり、新人類(そういう言葉があったのです)だった後輩が、世慣れた対応で動いてくれる・・・。しみじみ嬉しく思ったのは、あんなに大人数の茶席であっても、簡単な打ち合わせだけで皆が皆、無駄なく動き、すみやかに仕事をこなしていく様子を目の当たりにしたことです。三つ子の魂とはこのこと、同じ場所で同じ教育を受けたもの同士の強さですね。普段、お茶から遠ざかっている方もおられるとは思えない、スムースな段取りでした。もっとも、真っ最中ではしみじみしてる暇などはありませんでしたが。
 床には、今回いただいたお家元のご染筆、「但白雲看飛又帰」ただ白雲 飛び又帰るを看る、とお読みすればいいのでしょうか、茶杓の「一杖」とともに、お心入れの作と、感じ入った次第です。修道の道はなお遠いのでしょうが、時折、志をともにした仲間と再会するのは本当に心強いものです。
 もともと淡交会の名称は「荘子」から採られたそうで、「且つ君子の交わりは淡きこと水の若く・・・・君子は淡くして以って親しみ・・・」に拠ります。詩人李白はこれをひいて、「・・・淡水の交情は老いて始めて知んぬ」と詠んでいます。文友から贈られた詩を称え、友情が水のように淡々と続いてきた事に対する感慨を詠ったものということ。老いて、とまではいかなくても(!)淡水の交情を今回改めて感じる事が出来たのは、やはりお茶というものをふまえてのかかわりであり、交わりであったからかもしれない、と振り返っておもう、京都の一日でした。
2010-03-26 09:25 | 記事へ |
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