映画『グラン・トリノ』
2009年04月28日(火)
時代の変化は人智を超えている。権力者も金持ちも独裁者でさえも時代を手玉にとることはできないだろう。ならば、一人の人間が変化を遂げる時、そこにはいかなる力が働くことになるのだろうか。個人の自覚的な努力だろうか。社会からの圧力だろうか。人間関係の中に時に忍び込んでくる偶然の力だろうか。あるいは自分が知らずにいた別の可能性が他者からの刺戟によって表面化するだけなのだろうか?
『グラン・トリノ』は、人間が何物かから解放されること、すなわち変わっていくことについての映画としての一つの考察であり表現である。もちろんそんなテーマはこれまで掃いて捨てるほど映画作家によって具現化されてきたのだが、クリント・イーストウッドの手にかかるとやはり一味も二味も違う世界が出来上がる。
監督クリント・イーストウッドと俳優クリント・イーストウッドが同じ作品のなかで共存する最後の機会かもしれないという些か感傷的な想像を捨て切れないだけに、いっそうこの作品にはエールを送りたくなるというものだ。
朝鮮戦争の帰還兵で、フォードの自動車工場で働いてきたウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)は妻に先立たれた後、一人自宅の修繕をしたり庭の芝生を刈ったり愛犬を話相手にビールを飲んで過ごしている。
彼の自慢は自分が組み立てた72年製〈グラン・トリノ〉のヴィンテージ・カー。日頃は暗いガレージのなかに鎮座しているのだが、ピカピカに磨きあげて新車同様の状態を保っている。街中を走らせることはなく、外出するときには古びたトラックを運転する。
ウォルトはまた人嫌いで、相手のいやがることを平気で言い放つ。息子ファミリーもそんな彼をもてあまし、時々お義理で電話をかけてきたりするだけ。ある時、長男夫妻が贈り物片手に老人ホームへの入所を勧めに来るのだが、もちろんそんな話がまとまるはずもない。
近隣の顔なじみは他所へ引越していったり死んだりして、アジア系やヒスパニック系の住民たちが増えてきた。隣にはモン族の三世代家族が越してくる。もともと東南アジア一帯に住んでいた彼らはベトナム戦争では米軍の味方をしたのだが、敗戦後、居場所を失って多くが米国に移住してきたのだ。
他の民族への偏見を隠そうともしないウォルトは、モン族ファミリーにもあからさまに侮蔑的な言辞を投げかける。彼らの家屋は傷みが激しく庭が荒れ放題なのも気に入らない。
自動車産業が栄えていた米国の繁栄の時代、ヨーロッパ系の住民たちで町を形成していた時代をウォルトは懐かしんでいる風である。決して街中を走ることはない〈グラン・トリノ〉とともにウォルトは「古き良き時代」のレトロな世界に閉じこもっているともいえる。
変化の波に洗われる社会と、自分の孤塁を頑なに守ろうとする偏屈な老人――。
ある夜、隣家の息子タオ(ビー・バン)が、モン族の悪い仲間にそそのかされて〈グラン・トリノ〉を盗もうと忍びこむ。朝鮮戦争で使ったライフル銃を持ち出して撃退するウォルトだったが、この出来事をきっかけにタオとウォルトの不思議な交流が始まる。
タオは女性たちに囲まれた父親不在の環境に育ったためか、男として自分に自信をもつことができない。そんなタオをみてウォルトは父親代わりの存在として振る舞うようになる。ウォルトのおかげで自分が少しでも世の中の役に立つことができると知ったタオは大人への階段をのぼり始めようとする。こうしてタオを一人前の男にするということにウォルトは生き甲斐を見出す。さらに彼の鬱屈した言動の基底には朝鮮戦争での苦い記憶が深く横たわっているいることも明らかになってくる。
タオの成長に合わせるかのように、ウォルト自身もまたタオや義理堅く聡明なモン族住民たちとの交流を通して、硬直していた心を次第に柔らかくしていく。最初は自宅に持ってきてくれた料理を突き返していた彼も、料理の香しさに負けて素直に受けとる場面など憎めない一面がみえてくるのだ。
タオはウォルトの世話によって工事現場での仕事を得るのだが、仕事の帰りにモン族のチンピラたちにからまれて暴力を受け、工具を壊される。ウォルトは、彼らの一人をつかまえて力づくで警告を発するのだが、そのためにかえってタオの家族に危害が及んでしまう。
そうして、ウォルトは一つの決心をするのだった――。
要所に聴こえてくる音楽が例によって素晴らしい。また、演技経験の浅いモン族の若い俳優たちもそれぞれフレッシュな存在感を示していて印象に残った。ウォルトにいじめられる若き神父(クリストファー・カーリー)やイタリア系の理髪師(ジョン・キャロル・リンチ)らの脇役陣も良い味。
さて、ウォルトが精魂込めて守り通してきたあの〈グラン・トリノ〉は一体どうなるのか?
――未見の読者は、是非、劇場に足を運んで御自分の目でしかと御確認いただきたい。
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2009-04-28 19:10
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相変わらず映画を観ても記事にする時間がありません。この映画も観てから記事にするまでに2週間以上がたってしまいました。以前は会社帰りに映画を観たら翌日仕事が終わってから記事にしていたのですが、最近は会社から帰ると犬の散歩をしてそこで力尽きてしまい...
グラン・トリノ(2008 アメリカ)
原題 GRAN TORINO
監督 クリント・イーストウッド
原案 デヴィッド・ジョハンソン ニック・シェンク
脚色 ニック・シェンク
撮影 トム・スターン
音楽 カイル・イーストウッド マイケル・ス...
今日、新調したコンタクトレンズを取りにいった帰りに、岸和田カンカンの映画館で「グ
この映画予告が TV
クリント・イーストウッドがライフルを構えてるシーンは 何かな
クリント・イーストウッドが作って歌っている歌が流れてるとか
何でも出来るお方だこと
グランドトリノは どうなるのでしょうね
>クリント・イーストウッドが作って歌っている歌が流れてるとか
……主題歌を演奏しているのは英国のジャズ・ミュージシャンですが、作曲はそのうちの一人とイーストウッド、息子のカイル・イーストウッドらの4人による共作ということになっています。いずれにせよイーストウッドは本当にマルチな才能の持ち主ですね。
監督イーストウッドはいつもながら音楽の使い方が巧いです。
また、改めて、この映画から、アメリカが人種のるつぼであることがわかりました。モン族とミャオ族と同じであること、また難民としてアメリカにも多数移住亡命していることも、調べてみて初めて知りました。
白人でもポーランド系やイタリア系など主流でない白人が登場人物なのも深いなあ。冒頭のトヨタやホンダの車とフォードのグラン・トリノも深いです。
いい映画の紹介ありがとうございます。
コメント&トラックバック、ありがとうございます。
>モン族とミャオ族と同じであること、
……恥ずかしながら「ミャオ族」というのは映画の中のギャグかと思っていましたが、そういう呼称も実際にあるのですね。
息子がトヨタに勤めていてトヨタ車に乗っているという設定は、ウォルトにとってはアイロニカルなものですが、今の米国を象徴する設定でありますよね。また、マイノリティの若者が互いに嫌悪感を抱きながら争っている、というのもおそらく米国ではよくみられる光景ではないでしょうか。
希望を見失って偏屈に生きてきた老人が変化を遂げていくという映画が、「チェンジ」を標榜するオバマ大統領が誕生するのとほぼ時を同じくして発表されるというところに、現代アメリカのポジティブな空気を感じます。
イーストウッドは
「主人公が以前と変わらない映画は意味がない」とインタビューでいっていました。
ここがスコセッシとの違いですね〜、スコセッシ映画の登場人物は成長しませんので。(笑)
イーストウッドが批評家よりも観客に受けるような映画を作るのは珍しい。ただ、なぜこの映画がアメリカで大ヒットしたのかが未だによくわからないのです。オバマ大統領誕生のご時世だったから、古い価値観を「チェンジ」する主人公がより受け入れられたということでしょうか?
>なぜこの映画がアメリカで大ヒットしたのか
……私にも、もちろんわかりません。米国の一般的な映画ファンの「嗜好」というものを知りませんので。
上に記したような政治上の変革気運との関連も私のコジツケみたいなもので(笑)、日本人としての素朴な感想にすぎないものです。日本で「改革」と人がいう時は、たいてい、基本的なことは何も変えない、表紙だけを適当に替える、というような意味ですから。
それにしても、「人種のるつぼ」としての米国の成り立ちは、社会の運営を困難にしていると同時に、それ故の可能性のようなものも感じられますね。映画ではそうした米国のポテンシャルが巧く描かれていたように思います。