勝間和代さんが、「活躍」しており、あちこちに出ていて、それに対して批判もある。
僕はこの人がこの世に存在するのはわかるし、彼女なりに一生懸命なのだろうけど、社会で周辺化された人の立場で現実をみていない、他者の感情をつかむ力において欠陥があると思うので、しかたないなと思う。
たとえば、おもしろいなっておもったのは、『朝日新聞』1月30日のビジネス本の評価で、勝間さんは『資本主義はなぜ崩壊したのか』(中谷巌)を選外とした。全体としてこの本への評価が高いとき、意地になっているかのように彼女はこの本を評価しない。かっての中谷さんと同じようなところにいるから、懺悔はまだできねえってわけだろう。
「勝間和代の人生を変えるコトバ」という『朝日新聞』の連載で、「相手の悪意を知るには、己の悪意を知れ」と書いていて、対立したとき相手を悪く思うことで自己防御するというようなことを書いていた。相手が自分を嫌う要因を分析し、変えれる所は変えて、変えられないところはあきらめて離れること、その時間を自分の道で前にすすむことに使うべきとしている。
悪意があるのは当然として、とにかく自分は前にすすむということ。合理的で強い対処方法です。新自由主義のあるべき人間観にぴったりです。
もう一つは、「感情を引きずるのは自分の責任」というもの。(2月6日『朝日新聞』)
これはなかなか示唆に富むものでした。
自分が悪いか正しいかに関係なく、とにかく被害にあってマイナス系の感情を抱いてしまったら、その感情から早くはなれることが大事、その感情を引きずるのは自分の選択の結果に過ぎないというのです。
先ず、「それができたら苦労しねーよ、できないのが人間だ」という反論があるでしょうが、そんなのはものともしないでしょう。できない人が悪いのです。
次に、彼女は説明事例として、パワハラにあっているなら、自分は悪くない、上司が悪いと思いつつその場にいるのではなく、問題解決に動けといいます。
その職場を選んだのも、退職転職しないのも自分の選択なのだからパワハラにあうのは自己責任だといわんばかりです。
しかし、問題解決として、ユニオンに入って団交でパワハラを問題にしていくとか、弁護士や人権対処の機関に相談して、パワハラと闘っていくというようなことを勝間さんはいいません。その職場を退職すればいいじゃんみたいなニュアンスしか伝わってこないのです。被害感情をいつまでもぐずぐず持つなよ、というだけなのです。
彼女の、そういうとこが問題なんだよねー。
彼女は一生懸命ですが、大きな欠陥を抱えた、自己責任論者になってしまっています。
私たちは、いろんな本のエッセンスをまとめる彼女の高い能力から、効率よく、何かを少し学ぶことができますが、何か彼女のスタイルから「こうなってはいけないというもの」をこそ、たくさん学ぶことができます。
そして、どこから社会を見るか、自分はどこにいて、どのように生きていくか、という自分の〈たましい〉の居場所を見つめることができます。
|