ニックネーム:イダヒロユキ 
都道府県:地球
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2010年02月22日(月)
協調性を持って好感をもたれたい、という対処法

『朝日新聞』1月23日「悩みのレッスン」より
27歳無職女性の悩みが痛々しかった。

「私の外見は宝塚の男役のようで性格はおっちょこちょい。でも改善したいのは、外見で、表面的でいいから好感をもたれるようになりたい。外見のせいで女性には対抗意識をもたれがち。次の仕事は辞めたくないので、競う気はありません。望むのは、目立たず、協調性を持って生活することです。」というようなもの。

まさに非エンパワメント的な状態。
あわせて、目立たず、とけこみたい。そうすることで、周りからの攻撃をなくしたい。
そうおもうほど、生きづらいんだろうな。

現実的な対処法として考え付いたのは、女ジェンダー的になって目立たず、協調性を持って好感をもたれるようになること。

でもね、「表面的でいい」なんて、悲しいよ。
そこまで・・・という痛々しさ。

日本社会が、親の育て方が、教育が、メディアが、こんな対処法しか現実的には思いつかないようにしている。

僕は、微力だけど、こんな対処法しか思いつかない悲しみを減らしていきたい、とおもう。

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2010-02-22 10:16 | 記事へ |
| ジェンダー / 生き方 |
日常にあふれるジェンダー

今年もジェンダー論のレポート課題の一つとして、「家族の家事を3日間やってみる」というのを課した。「親へのジェンダーについての聞き取り」というのもあった。そういうものからの抜粋。(プライバシー考慮のため、誰のものか不明なように加工、省略等、しています)

全体として、この課題は、多くの学生さんたちにとって、家事をして、考えて、とても効果があった。

本当に女性・妻だけがすることなのか。女性に向いているといえるか。皆が好きか。
共働きなのに。女性役割であることに根拠なし。しんどい。体力いる。思いのほか力仕事。手が荒れる。水が冷たい。無償。楽そうと思っていたが間違い。食器洗いが特にじゃまくさい。アイロンがけたいへん。ありがとうがない。家の広さや洗濯物の量が一人暮らしとかなり違う。トイレ掃除。飛び散っている尿。近くにスーパーがない、車や自転車などを使えない、利用できない状況のときの買い物のしんどさ。
献立を考えるのがたいへん。朝が早い。疲れているのにしなくてはならない、などなど。
筋肉の力というなら男性のほうが適しているとも言えるような面もある。買い物の値段や早さ、何が冷蔵庫や棚に残っていて何が残っていないか、等。皆でやると楽しく交流でき、時間も早く楽。一人でやるとしんどい。

気付いたこと。
なぜ母が最初に、家で一番早く起床するのに、夜は彼女が戸締りの確認をして最後に就寝するのかということ。それがふつうだったので疑問に思わなかったが、やってみておかしさに気付いた。

全体として家事は、長時間労働で、拘束がきつく、家事は自分の時間がなくなる。 外に出て行くなど、家を離れる自由が少ないことが特に問題。外食などでごまかせない。忙しいから洗濯や食器の洗い物をしばらくしない、などができない。自分の時間がなくなる。

洗濯物を自分の部屋に持っていく、自分のお部屋のそうし、電球が切れたとき、など、自分でやればいいことも母が行っている。家族は、母にするようにいう。妹になんでやらないのかと聴くと「何でだろ?それはお母さんお仕事だし、お母さんがやってくれるからやらないだけ」

しかしある学生は言う。
「以前は、母に対して何も考えずに『何でこれ、洗っておいてくれなかったの』、などと怒る事さえあった。しかしこれは間違っていると思った。わざわざ自分の服を洗ってくれている人を怒るなんて、少し考えてみればおかしなことである。他の家族員は自分の洗濯してほしいものを洗濯籠に入れるだけで、あとは母にやらせているのに、そこに気付かない。これがジェンダーなんだ。」

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その他、学生さんたちのレポートなどから教えてもらった事例あれこれ。

***
テーブルに座って「醤油がないよ」と祖父がいった。食事の準備をしているものの責任を指摘するかのように。動こうとしない。一番近いのは父だったが、動かず、娘である私が動いて醤油を持ってきた。それが当然であるかのような空気。自分で動こうとしない。醤油がないから、ごめんやけど持ってきて」でもない。

父が決めたルール 帰ってきたら玄関まで出迎える。そこで上着を妻が受取る。なぜそういうルールを決めたのかと聴くと、「自分の家で母親がそうしていたから」という答え。

母親「家事を手伝ってほしいと思ったけど、当時は働いておらず、経済的に夫に依存していたので、夫には言い出せなかった」

ジェンダーがおかしいと思っても、現実はなかなかなくならないので、社会にあわせていき、そのうち考えなくなる、ということがわかった。

「3年で仕事を辞めて主婦になって楽をしたい」という女子学生が自分の周りには多い。

以前、お母さんに「洗濯たたむの手伝って」といわれたとき、「えー、そんなん、ひとりでできるやん、それに、それは母さんの仕事やし」といって逃げていたことを思い出した。

親に感謝を言っていなかったことを本当に多くの、ほとんどの学生が思い出していた。

しかし、思考の浅いレポートもかなりある。
ジェンダーの押し付けはダメとはいうが、「得意なほうがすればいい、好きでするならいい」という程度がときどきある。そこをカップル単位の問題として授業では言及したが、みなが参加しているわけでもなく、その深い意味がわからないものも多く、なかなか、シングル単位の真髄は理解されにくい。

以下のような典型的な「ジェンダー平等に反対だ」という親の説明に納得する学生もいる。
性役割は適正の問題。向き不向きの説明として「キャビンアテンダントをおとこの人がやっているとカマっぽいでしょ」といった。
仕事に関しては男女平等にとらわれず、一番能力を発揮する仕事をすればよい、体のつくりが違うのだから。

***
父なら「今日は遅くなるから晩御飯はいらない」とだけ一言電話すればOK
だが、母が、「今日は遅くなるから晩御飯はいらない」とだけいって電話すれば、それでOKか?
それではすまない。それどころか、晩御飯の用意をしていなかったら家族の皆は怒る。母にそのような「急な用事で遅く帰るとか、急に夕食を家で食べずに外で済ます」という自由はない。

***
多くの親は、子どもに家事をさせていない。ジェンダーの再生産は、父親だけでなく母親によってもなされている。
しかし中には、ジェンダーフリー的な関わりをする親も少数いる。ある親は、「自分で使った服は自分で洗いなさい。自分で食べたあとのお皿ぐらい自分で洗いなさい」といっていた。しかしその息子は、
「家の洗濯や皿洗いは母親のすることだろ! いちいちうるせーんだよ!黙ってやっておけよ!」と怒鳴り返していた。

多くの家庭で父は言っている。
 「お風呂まだ?」「今日のご飯は何?」「シャツはどこ?」

個人単位(シングル単位)という論理的説明を入れるのは有効なのだが、まだまだジェンダー論の授業でもフェミニズムの文献でも、シングル単位の理解は浅い。

先ず、家事を個人単位で子どもにやらせよう。
母よ、父よ、変われ!



2010-02-22 09:59 | 記事へ |
| ジェンダー / 関係性 |
自分の世界、「一人快芸術」、そして広島
広島で「一人快芸術」展(広島市現代美術館)をみた。とてもよかった。

とくに知的障がい者の人の「作品」に力があった。何か、予想を超えて、すごいと思わせる。
重なる字。繰り返される日づけ。切り刻まれるダンボール。
既成の職業アーティストより面白いなと思うことも多い。

ほか、特によかったのは、帽子パフォーマーの宮間さんと、日用品のコラージュを地域の仲間と一緒につくる、「ひらた蓬の会」の女性たち、だね。

他人の目を気にするとか、売れるかとか、カッコイイとかではなく、ただただ、過剰な自分。
自分の表出。笑える「人」という存在。なんで? 不明。でもほほえんじゃう。見とれてしまう。考え込んでしまう。
僕も僕なりに表現したい。

以下の解説文にもあるように、こうしたアートは、結果として、事実上、「既存のシステムから距離を置くこと」をもたらす。
誰もがアーティストに、といってきた僕が、模索しているものと近い。

何かあってもほとんど消えていた。誰もそこに、作品や価値や、意味や、面白さを見なかった。見つけなかった。感じなかった。そうすると、ないことにされる。
でも、みつけるひと、収集する人、展示する人がいると、それはアートになり、秩序を揺るがす力になる。
でも、その本人にとっては、発見される前から、そこにあった。
ひとり快楽。
そこはとても大事な点。

売れる作品を作るものは自分を恥じろ!

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本展覧会は、創ること、行為することそのものの楽しみや悦びに裏打ちされた表現に注目し、様々な分野における多彩な活動を紹介するものです。近年アウトサイダーアートとして注目を集める、知的障がい者やアマチュア制作者から、職業的なプロとしてのアーティストの作品まで、19人/組による活動を紹介します。
自己充足の行為という意味合いをもつ「一人快芸術」をキーワードに、あらためて創ること、行為することの動機付けについて探ります。既存のシステムから距離を置くことを可能にする態度、そのあらわれとしての芸術が、個人の営みを超えて、私たち観る者にも勇気や自由をもたらしてくれることでしょう。

◎梅佳代:10年にわたる祖父の記録「じいちゃんさま」
◎大段徳市:広島の復興を収めた定点観測写真
◎岡啓輔:セルフビルド建築「蟻鱒鳶ル」
◎岡本明才:「沢田マンション住人、写真家
◎佐藤修悦:オリジナルガムテープ文字「修悦体」
◎沢田嘉農、裕江:セルフビルド集合住宅「沢田マンション」
ほか
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その他、広島では、「境界を感じる作品」、原子爆弾の犠牲を追悼する世界平和祈念堂、被爆したときのままが残っている地下室のあるレストハウス(一人が軌跡的に生き残った)、元広島市民球場の中に展示された、大量の折鶴、原爆投下地点の記念碑、原爆ドーム。・・・などもみた。

 折鶴の、毒を奪われた安易な「平和」の限界も感じた。でも、広島という場には、やはり、忘れまいとする記憶が染み付いている。


1981年に広島を訪れたパウロ2世の言葉は、なかなかいい。

「この都市の人々が受けた苦しみを振り返ることは、人間には善を行う能力があるということ、人間は正しいことを選択する自由があるということ、人間には災難を新たな出発点に変える決意を抱くことができるということへの信頼を再び新たにすることです。
神よ、私の声を聞いてください。私たちがいつでも、憎しみには愛を、不正には正義への全き献身を、貧困には自己の分かち合いを、戦争には平和をもって応えることができるよう、英知と力をおあたえください。」

何度目かの広島。

前、いったとき、そのまえいったとき、僕は何を感じ、その後、どう生きてきただろう。


2010-02-22 02:57 | 記事へ |
| 作品 / 戦争  / スピリチュアリティ |
コナカ「名ばかり店長」裁判で勝利和解


東部労組からの情報です。

全国一般東京東部労組コナカ支部の組合員である2人の店長が「店長というのは名ばかりなのに残業代が払われないまま長時間労働させられた」として、株式会社コナカを相手取って店長時代の未払い残業代を請求していた「名ばかり店長」裁判が2月8日、横浜地裁であり、会社側が2人に解決金を支払う内容で和解が成立しました。

解決金の金額のみについては守秘義務があるため額を公表することはできませんが、原告である2人の店長と当労組は「十分に納得のいく額」と考えており、勝利和解です。

本裁判の最大の争点は、コナカの店長が労働時間規制や残業代支払いから除外してもいい「管理監督者」(労働基準法41条の2)に該当するか否かでした。
今回の和解は、会社側が2人に対して実質的に未払い残業代にあたる解決金を支払うことで、「店長は名ばかり管理職」だったことを会社側に事実上認めさせたという点に意義があります。

くわしくはブログ「労働相談センター・スタッフ日記」をご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/19681226_001/e/384cbf3b53264124d6fd655ef2b3eee7

2010-02-22 02:16 | 記事へ |
| 労働 / 貧困/反貧困 |
自立とはなにか――〈スピ・シン主義〉の観点から

神戸大学「ボランティア講座」で話をしてきました。

神戸大学では毎年2月から3月にかけて「ボランティア講座」を実施していて、キャンパスの外に出て、様々な社会問題に取り組んでいる現場での実習を通して、学生のみなさんが学び、考える機会をもつことが行われています。
今年度は、自然災害被災地(佐用町水害被災地)・障害者問題・教育問題(不登校・識字)・野宿者支援・定住外国人の5つの分野で実習を行うということで、その各分野の講師の方たちのシンポにも参加してきました。
私は、その実習に先立ち、講座全体のテーマ(今年は「自立を問い直す―生き難い社会の中で」というテーマです)について、基調講演をしたわけです。

全体として、いまの社会の構造を前提にそこに適応するという意味の能力主義的な「自立」観には批判的で、むしろ、能力主義に対抗して、ダメなものたちが自己肯定し、ともに生きていくこと、おりてみる、学校やめてみる、失敗するといったところから、関係性を組み替えていくことが重要だよねという話になりました。

障がい者が、エレベーターができることで、自分の自由が拡大する面があるものの、お互いが触れ合う、出会う機会が奪われ、商品の消費などによってばらばらにされていないかという指摘は重要でした。

共鳴する、〈スピ・シン主義〉でいく、エンパワメントの感覚、多様性ということと一体となった、「ともにいる」ことがいいよね、ぼちぼちと、わいわいがやがや生きていこう、という感じを学びあいました。

僕としては、エリートの道にしがみつくとか家族に閉じるようなところから飛び出て、自由に生きている人に出会えたのが収穫でした。若い学生の皆さんもこうした動きに刺激を受けて合流してくれそうで嬉しかったです。

僕にとって、自立は、組織に入って高い収入があること(就職)の逆で、組織や肩書きや高い収入から離れるところからの生活が自立です。恋人や家族に依存するところから離れる、その枠を超えて、狭い愛情を越えるつながりが希望です。

以下、レジメを紹介しておきます。

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2月21日 神戸大学ボランティア講座 基調講演
自立とはなにか――支援の観点        
                                          イダヒロユキ
1 一般の自立観
経済的・健康的・精神的・社会的自立  
(お金、就職、衣食住、健康、感情、迷惑、家事、生活のスキル、納税などの社会的義務)

自信、影響されない、強い、しっかりしている、迷惑かけない
 → なんといっても、就職、自活、ケッコン、福祉制度使わない、福祉制度からでること(世話にならない)が自立!

何者にも左右されない確固たる信念と、独自の世界。思いやりにあふれ、全てのものを限りなく認められる包容力。夢と想像力を持ち続け、常に前進する人。(シニアルネッサンス財団)

ある会社(GLOVA)では、「経済的自立」=就職、会社に利益をもたらすこと
「社会的自立」=会社内外で、良好な人間関係を作れること、自分で自分の周りの人間関係をつくっていける人
「精神的自立」= 適度に感情を出してもいいが、周りが負担に感じるような感情の出し方をせず、自分の感情は自分でコントロールできること。


2 私の基本の考え ――「シングル単位」という自立観

世間の「自立」ではなく、私が望ましいと思う「自立」へ
これは、個人というものがとても弱い日本社会においてはとても大事 
これは、あらゆるところの自由の抑圧への反発、反差別、反支配、反従属、反DVの基礎

自分のことは基本的に自分でする。悪い意味で依存しない。干渉、束縛、強制、支配などをしない、されない。
自己決定する
反対概念との対比: 「家族単位/カップル単位」ではないもの


Q (恋愛や結婚で)性分業は当たり前と思っています。当たり前じゃないの?
Q あなたは結婚したら、どっちの苗字にする じゃんけん?  これでいいか
Q あなたは結婚したら、どっちが主婦/主夫する? 
Q あなたは結婚したら、どっちが育休とるか?
Q あなたは結婚する? 結婚してこそ自立?一人前? ふつう?
Q あなたが結婚したくとも、結局、40歳まで結婚に至らなかったとします。そう想像したらどのような気持ちですか? 結婚していない人をどう思う?
Q あなたが、結局、40歳の時点で、子どもがいないとします。そう想像したらどのような気持ちですか? 子どもがいない人をどう思う?
Q 「結婚して子どもを持つ。普通に性役割をこなす。そうして家族仲良く暮らしたい。そういう考え方は、正常だし、自然と思う。」という考え方をどう思いますか?
Q 家事は妻、母親の仕事。 「おかあさん、あの服、洗濯してくれた?」と子どもが言う。これをどう考える?
Q「女は弱いから男が守ってやらねばならない、当然」ということは?
Q 夫婦で話し合って、能力ある方が働こう、残りが家のことをしよう、という話になりました。結果として、「夫が外で働き、女性が主婦」となりました。これについて、どう思いますか?
Q 一家の大黒柱として、稼いで妻子を養うことが家族への責任。現実、男性は長時間労働。 だから家事や育児はできない。帰ってきたら疲れているので、休んでいればいい。だから妻がご飯を作る、家事をする。それでいい。子どもができたら、女性が仕事を辞めるか、育休を取る。結果として性分業。その分、男性の賃金は高い。女性はパート。女性はやめるという慣習が続き、次の世代も女性には重要な仕事を与えられない。女性の就職口は減る。この循環をどう考えますか?
Q「女性はこれまでの経験・統計上、結婚や出産でよく仕事辞めるから、あまり採用しない、重要な仕事を与えない」「子どもを産んだ女性や子育て中の女性は雇えない/辞めてもらう/責任ある仕事を与えない。なぜなら、急に休んだりするし、残業できないから。」これに対しては、どう考えればいいでしょうか。
Q 夫婦(恋人)で意見が異なったとき、どうすればいいですか(子育て、関係、仕事、家事)  
Q 女性は、結婚して、育児で、仕事やめるかどうか悩む。子どもを持つかもたないかで悩む。男性は悩まない。これをどう考える? 
Q「男女平等はいや 男のオレは、今までのやり方でやる。そのほうがラク。家事したくないし、不得意だから、女の人にやってほしい。そのかわりがんばって働くから、それでいいやん」という意見について、どう思いますか?

「妻が働きに出たいといって夫がいやだといって話しあい」
「男性が女性に料理を作ってといって、女性がしんどいといって、話し合い」
「男性が女性に『仕事を辞めて専業主婦になってほしい、ついてきてほしい』といい、女性が『仕事辞めたくないな、ここ地元を離れたくないな』と思って、意見が合わない」
「Aが子どもを産んでほしいといい、Bが子どもを産みたくないという」
「Aが車で送り迎えしてほしい、おごってほしいといい、Bがどうして自分ばかりがそうしないといけないのか、と思う」

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  
女ジェンダーへのとらわれ
すべての人から好かれたい、一人ではないもできない、独りぼっちになりたくない 
守ってほしい 愛とは彼の靴下を洗うこと、尽くすこと いきたいところが彼と違えば
できる女はさびしい女  あまりできないほうがいい、女は男より頭が悪いほうがいい
頼りない女ほどかわいがられる 女の子だから気をつけなさい  失敗は私のせい

→そういうものからの離脱へ(それが自立)

***
「ふつう、標準、自然」という暴力(マジョリティによる暴力)からの離脱という「自立」

多数派〔主流秩序〕=自分たちは、正常、自然と見て、マイノリティのことは見えていない。思考停止。自分がそこから離れるとは思ってもいない。それが問題

→この点でも、家族単位(共同体主義)から、マイノリティの権利の回復としての、脱「主流秩序」のシングル単位へ
「カップル単位発想の自立」「普通になるという自立」から、いまの秩序を疑い離脱する自由を獲得するという意味での自立へ

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3 「スピリチュアル・シングル主義」という感覚・・・豊かなつながりのある自立へ
日本の風土  シングル単位論への誤解・無理解・・・弱肉強食の中での強者の自立論?
(「相互支えあい、家族や共同体が大事」という反論)

スピリット(魂)、スピリチュアリティ(魂の世界観)を大事にしてきた人類の歴史
特定宗教を離れてもいえる

〈たましい〉の感覚を大事に(=スピリチュアル)・・・・新しく定義: いい加減なものや宗教との区別
1 知性、身体、精神+たましい ・・・人間や社会をトータルに捉える
2 つながり感覚:  世界、他者、過去、未来、環境、動植物、いのち  :「拡張された私」という把握  
3 生きる意味・実存への視野  その人の心のなかの本当にしたいこと
 生きる基準、中心軸、生の有限性、1回性、死をいれた視点

これらを総合した、繊細で、深い感覚
スピリチュアルとは、貨幣的・権力的・低俗的なものに足をすくわれず、自分が自分自身とひとつになれるように生きていけるようになる座標軸――自分自身の心の奥の泉の部分――をもつこと、それに沿って生きていくことである。弱さ、失敗などへのよりそい。既存の主流秩序への批判性。権力性や暴力性の反対へ。非暴力、ピース,スロー。

○シングル単位と、スピリチュアリティ感覚は一体となって、いいバランスとなる
 シングル単位 それは、主流秩序からはずれての世界を作っていく出発点。
しかし、ひとりひとりは、世界・歴史・社会の中で支えられて存在している存在。
 
「世界に責任を持つ個人」へ

「私の家族のことだけを考えて生きていきたい」というような、狭い生き方
から
もっと世界とつながる、「責任」を自覚する生き方へ

参考:ゲシュタルトの祈り、谷川俊太郎の「いち」

○この考え方による応用問題
子ども・・・個として尊重、自立、社会全体で育児・教育、反虐待

周辺化された若者、「負け組」、自己責任論→ エンパワメント的支援

しょうがい者、病者、精神障がい者 → 個として尊重、自己決定、社会保障、障がい者が普通にいるスローな社会、反能力主義、多様性

野宿者 → 生存権の保障、反排除、公共空間、耳を傾ける、仕事保障

在日外国人 → つまらない境界線、反排除、多様性、違いの尊重

全体として、周辺化されたところから、逆に学ぶこと
そこから、いまの能力主義社会を逆に映し出し、作り変えていくこと

4 〈孤独〉〈多様性〉を受け入れる:自立の大事な要素
――拙著『スピリチュアル・シングル宣言』(明石書店2003年)への質問にからめて

@自立やつながりの具体化
第1段階 プレ自立の段階 =共同体主義にとらわれている段階
第2段階 〈孤独〉を受け入れる自立の段階
第3段階 〈スピ・シン主義〉段階

その具体的イメージは?
 → 家事をする、ひとり暮らし、自由に生きる、
   生活の質に目を向ける、内省する、自分と他者へ非暴力、聴く

感性が豊かになるには?
 → 現場に行く、すばらしい人に触れる、映画や本、目をつぶる、内省の時間

感性が豊かで社会問題や他者の痛みに気付いて、でも無力で、じゃあ、どうすればいいのか? 
→ やれることをする、思考停止せず、生活の中に少し人のためをいれる、30歳、40歳、50歳でも継続している、


A〈孤独〉の積極性

参考) 拙著『「まだ結婚しないの?」に答える理論武装』(光文社新書、2008年)より
 
孤独は悪か?怖いか
 イメージ:寂しい ひとりぼっち、孤立、悪い、ダメ、嫌、つらい、わがまま
「人のぬくもり、友だち、家族、愛情、友情、つながり」の欠如

“ひとり”(それと近い意味の“独身”“孤独”)の積極的な意味

 自分ひとりの大事な時間を持つことは、消極的ではなく積極的なことです。比較のなかで追い立てられず、マイペースでいられますし、静けさ、平和を手に入れることができます。それは、否定されないこと、あるがままでいられること、傷つけられないこと、気兼ねが要らないこと、強制的役割に縛られないこと、親や世間からの不当なプレッシャーから離れられること、内省できることなどを意味します。

 誰にもじゃまされない、ひとりの時空間を持てるというのはすばらしいことです。ひとりだからこそ、好きなことができます。好きなときにどこにでも行けるし、なんでもできるのです。
 誰かの所属物・従属物にならないで済みますし、誰かと一緒であり続けるために妥協を考える必要もなくなります。自分の内面に向かうことがしやすくなりますし、「寂しさ」がわかるからこそ、他者と交流することの大切さも実感できます。
 自分ひとりの力で生きていけるということ(自立)は大事なことなのです。

 人に頼らないということは、自分の自信にもつながります。プライバシーも守られやすくなります。家族への責任などがない分、自由です。経済的にゆとりも生まれやすくなります。恋愛の楽しさを味わいやすくなります。仕方のないつき合い(しがらみやあきらめ)ではなく、自分の正直な気持ちで、つき合っても拒否しても別れてもよいという自由を持てます。

 つまり、結婚していれば自由にできなかったであろうことが、ひとり・独身であるためにかなりできるのです。
ひとりでいても「否定的な意味での“寂しさ”を感じず、むしろ心地よい」ということはあるのです。ですから、過剰にひとり・孤独を恐れる必要はありません。

 それどころか、積極性があります。他人に自分のことすべてはわかってもらえなくて当然。他人に過剰な期待をしないで、「自分の思い通りになる他人などいない」「人は別れることもあるのだ」という覚悟を持つことを、私は積極的な〈孤独〉と言いたいと思います。
 群れなくても、媚びなくても、比較から離れても生きていける力を、〈孤独〉になれる力と積極的に捉えていきたいと思っています。
 そして、そうした〈孤独〉を受け入れた自立した人同士が、適度な距離感を持ちながら、相手の〈孤独〉を大切にし、対等、尊重、肯定、受容し、寄り添い合うような関わり方をできるようになることが私の理想です。私の、それぞれの、〈孤独〉というものがあるとわかってくれるような人との、“つながり”。それは一体になることではなく、一体になれないとわかりあう、“つながり”です。

 依存的/支配的になって二人で一体となる、距離感をゼロにして過剰な干渉や押しつけを当然とする、というようなことはやめたほうがいいでしょう。
 何もかも知りたい、絶対別れたくない、孤独が怖い、だから契約で縛り合う、というのは所有意識であり、何度も言うように、DVにつながりやすくなります。
 
 そのうえでの話ですが、もしあなたがパートナーが欲しくて、ヒリヒリするほど孤独がつらいと感じるなら、私は、あなたにいい人が見つかるといいね、と思います。
 だから、私は「ひとりこそがいい」と言いたいのではありません。どんな生き方のなかでも、それなりの幸せは見出せるし、それなりの寂しさもあると言いたいのです。

孤独と自由はセットであり、孤独から無理に逃れようとしないほうがいいのです。寂しいときがあるのは、ある意味、当然です。私の感覚のうち、誰にもわかってもらえないところがある、その意味で孤独であるというのは当然だと私は思っています。それに耐えられずに、あせって結婚に逃げ込むより、寂しさに適切に耐える力を持ちたいと思います。
 男と一緒に暮らしていなくても、恋愛をしていなくても、セックスをしていなくても、結婚をしていなくても、子どもがいなくても、私は私であって、生きている意味があるんだ、と本当に思えること(エンパワメント)が大事なのです。
自立が基本、そのうえで、その人なりの幸せを追求すればいいし、その希望が満たされたらいいね、でも満たされなくてもがんばっていこうねと応援したいと思います。

B多様性 (説明;『スピ・シン宣言』p219

1 違いの尊重
2 あらゆるところに潜む差別を繊細に見出し解体し、非差別を構築すること
3 個人単位での個性の尊重
4 尊敬をもった理解の努力 (心を込めて聴く)
5 微細な権力への感性と沈黙の尊重(自分の権力性をみる、加害者・被害者としての自覚)

(迷惑かけなければいい、しらない、と言う非交流でなく)

現場での実践イメージは?
 → 聴き方、傾聴、弱さの横にいる

5 支援のあり方について

エンパワメントを大事にする支援、支援者自身の自立

エンパワメント
 今の社会の競争や優劣の秩序から社会的にも内的にも離れ、抑圧を減らし、自分が本来持っているすばらしいところに気づき、力を回復し、自己肯定感をもっていきいきと生きていくことです。今の社会の優劣秩序(能力主義)の中の強者になることではなく、むしろそうしたものへの一定の批判意識(相対化意識)をもちます。「社会的弱者」(社会的に力を奪われたもの)が経済・政治・社会的力を身につけることも含みますが、外から能力を付加するような個人的努力に強調点があるのではなく、自分の内部に眠っていた力に気づくことと、各人がそうなるように周りが援助すること、不公平な社会構造という自分の外部の方を変革していくことが重視されます。いわゆる、たんなる「ポジティブ・シンキング」「気持ちの持ち方を変える」ではありません。今の秩序の中で負けないとか、そのなかを泳ぎきるというのではなく、今の秩序への批判意識をもてるからこそ、それから離脱して自分の内的な資源にたどり着けるのです。

→ 代行主義、救援者(レスキュー隊) ではなく、
聴く、寄り添う (アンカー型)へ
   
(おすすめ参考 宮地尚子 トラウマ論
スーザン・ブルースター[2007]『DV被害女性を支える』金剛出版、2007年)

マイノリティについて  
 マイノリティとは  「少数派」「少数者」
数の多さ(数的量)の問題ではなく、権力の問題
人権において、不利にされている側の総称
「生きやすさ」における不利な人々

社会の秩序は、権力をもっている側(強者)が作り出し、組織・教育・メディア・宗教・慣習などを通じて、秩序の下位の側、すなわちマイノリティにも、その秩序を内面化させ、自分たちが支配されていることを納得させるような仕組みがあること

自己責任論、頑張り主義  自己の肯定性を証明しようとする
差別秩序は揺るがず、逆に強化

→ 偏差値観点 
ありのままの自分でOKとおもえるエンパワメントへ
社会構造の側に問題

マジョリティは 自分が多数派だ、権力を持っている側だと自覚さえしない
マイノリティは生き難い。このことを、社会の誰もが心に留め、常に多様性の意識で関われるようになることがない限り、マイノリティはマイノリティのまま

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2010-02-22 00:29 | 記事へ |
| ジェンダー / 人権 / 生き方 |
『抱擁のかけら』

『抱擁のかけら』(ペドロ・アルモドバル監督)を観た。

うーーーーん、よかったーーーーぁ

人間のダメなところとよいところがまだらに絡んでいて、ウソや秘密があって、でも、それでも許したり、一緒にいたり、作品を作ったりする。
いのちの生きる様をみた、複雑な感じ。

単純に離れたり結婚する、ってのとは違っていて、いい。

ああ、単純なのって嫌い。
複雑さを大事にしたいなあ。
好きじゃないけど、ジュディットの複雑さやしたたかさやしぶとさや多面性を見習いたい。

多くの日本人の感覚とはかなり違う。
そこまで、許せるか。そういう反応するのはどうして?
いろいろおもったけど、時間がないので、後日、ちょっとまとめて書く。

『DEAR JOHN』 をみてみたい。
2010-02-22 00:26 | 記事へ |
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