ニックネーム:イダヒロユキ 
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2010年02月10日(水)
異なる意見のとき、どちらの要求が優先されるべきか

ブログ「セックスを拒否するのもDV?」で扱った問題の続き。

先ほどの問題(セックスしたい僕の権利はどうなる問題、別れに同意はいらない問題)は、シングル単位の理解のカナメだけに、実はなかなかわからない人が多い。
学生でも研究者でも、本当にわかっている人は一部のような気がする。
レポートを読んでいても、あまりわかっていないなーとおもえるものがあります。

そこで、ここで再度少し説明しておきます。私の著作を知らない人(及び、ざっとはみたけど実は読み込んでいない人)には、ああ、そういうことかと分かっていただけると思うので。(そんなこと分かっているよという人も、まったく賛成だ、私もそう考えてきた、という人もいると思います)
授業ではこうしたことを説明しているので、最初わからない人にも徐々にカップル単位とシングル単位の違いがわかっていきます。

DV加害者には、シングル単位の発想を伝えて、DVを正当化する自分の発想の間違いを理解してもらう(考えを変えてもらう)必要があります。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆
通常の常識では、AとBのそれぞれの要求・欲求があれば、出し合って、調整する(話し合う)のが民主主義だという程度の理解が多い。だから、「妻が働きに出たいといって夫がいやだといって話しあい」「男性が女性に料理を作ってといって、女性がしんどいといって、話し合い」みたいなことになり、権力関係があれば強いほうの意見が通り、同じような力関係ならお互い妥協して、真ん中を取る、つまり、「働きに出てもいいけど、家のことは従来どおりお前がちゃんとしろよ」とか、「毎回とはいわないけどできるだけ女性が料理つくる」となる。

このようなことは、他の問題でもすべて同じ。
「男性が女性に『仕事を辞めて専業主婦になってほしい、ついてきてほしい』といい、女性が『仕事辞めたくないな、ここ地元を離れたくないな』と思って、意見が合わない」
「Aが子どもを産んでほしい(子どもを生みたい)といい、Bが子どもを産みたくない(子どもを産んでほしくない)という」
「AがBに対して部屋掃除・洗濯など家事をしてほしい、といい、Bがどうして私ばかりがしないといけないの、という」
「Aが車で送り迎えしてほしい、おごってほしいといい、Bがどうして自分ばかりがそうしないといけないのか、と思う」
「子どもが生まれた。どちらかが子どもを育てないといけない。育休をとらないといけない。どちらがとるか?でもめる」
「結婚して苗字をどうするかで話し合い」


こうした問題の解き方が、カップル単位発想とシングル単位発想ではまったく異なる。
実は上記の、「AとBのそれぞれの要求・欲求を出し合って、調整・話し合い・妥協」というのは、カップル単位発想ゆえの限界ある枠組みである。
それだと、事実上、弱者の人権が侵害されてしまう。

すわわち、話し合うという形を通じて、結果としては、
力の強い側(男性)の意見が通って、弱い側(女性)が仕事を辞めて男性についていくとか、女性が部屋掃除・洗濯など家事をするのがほとんどとなる。そうしないと女性が、自分のわがまま(エゴ)を通したような気になる。
Aが車で送り迎えしてほしい、おごってほしいというので、Bは毎回とはいわないが、送り迎えやおごりを2回に1回はする、となる。
子どもが生まれると、話し合って、ほとんど女性が仕事を辞めるか、育休をとる。苗字も男性の苗字になる。
通常はこうなってしまう。
☆  ☆  ☆  ☆  ☆ 
 
それに対し、シングル単位発想では、そうした単純な「話し合いによって、AとBの要求の真ん中をとる」とはならず、個々人の自己決定や自由を中心にする。
AとBの要求は、形式的には対等・同質であるが、内容的には異なる、という点に注目する。というのは、Aの要求は、「自分の希望を相手Bにやらせるもの」であり、カップル単位的な発想から出ているものであり、Bの希望は「自分がどうするかの要求」だからである。カップル単位視点では2つの要求の優先度は同じであるが、シングル単位的には、優先度は異なる。シングル単位の原則においては、Aは他者に自分の意見を押し付けることは認められないので、Bの要求が優先される。
「相手を巻き込む決定」と「自分がどうするかの決定」を区別し、相手を巻き込む権利より、各個人の自己決定を優先的に重視するのである。

このことを少し別の角度から言えば、両者全体(共同体全体・関係性全体)をどうするかということを、「関係者(AとB)全員の合意で決めないといけない、決まるまでは現状維持(あるいは話し合いですぐに決めなくてはならない)」というのではなく、まず、AとBのそれぞれの自分の範囲での自由を優先的に重視するのである。
両者全体(共同体全体・関係性全体)を1単位とみて、「どうするか」ではなく、AとBそれぞれを1単位とみて、それぞれが決定する。当然、いつも意見が一致するとは限らない。意見の相違をシステムにおいて常に入れておくのである。
その結果、どうなるか。
AとBの意見の一致を見ないとき、両者全体(共同体全体・関係性全体)は一つの意思一致した行動を取ることにならない。異なっている点をそれぞれ尊重するのである。そして異なっていれば、当然、両者の一致を求めるAの意見は通らず、ばらばらなままで、個人の要求の範囲で言っているBの要求が通る。

まどろっこしいことをいっているようだが、この違いがわかってもらえるだろうか。

以上の考え方ゆえに、
セックスしたい人としたくない人がいれば、自動的にセックスは成立しない。
恋愛を続けたい人と続けたくない人がいれば、自動的に恋愛は成立しない(破綻する)。

妻が働きに出たいなら、夫の許可なく働きに出られる。
男性が女性に料理を作ってといったら、女性は男性に「基本は自分で作ってね、私は自分が作りたいときだけ作ってあげるし、あんたも大体半々で時々作ってね」、といえばよい。一緒に食べない自由も、違う料理を食べる自由もある。
AがBに『仕事を辞めて専業主婦になってほしい、ついてきてほしい』といっても、Bが仕事を続けたいなら続ければよいし、地元を離れる必要はない。Aは、自分がどうするかを決められるだけだから、自分がBの地元に残ったり、自分が仕事を辞めるかどうかを決断すればよい。
Aが子どもを産んでほしいといっても、Bが子どもを産みたくないなら産まなくてよい。(ただし子どもを産むかどうかの前提には通常セックスがあり、子どもは二人の責任に関わるので、その点で、いろいろな場合でこのもんぢあはいろいろな変形が考えられる。但し、直接産む女性のほうの決断が基本的に優先される必要がある)

部屋掃除・洗濯など家事についても、「どちらか一方がするではなく、基本は自分でやること、私は自分がしたいときだけアンタの分までするけど、あんたもそれに応じて大体半々で時々すること」、といえばよい。
車送り迎えや、おごることも、、「どちらか一方だけがするのではなく、基本は自分で移動し、自分の分は自分で支払うこと。私は自分がしたいときだけ送り迎えやおごることをするけど、あんたもそれに応じて大体半々でおかえしすること」、といえばよい。
子どもが生まれたなら、どちらが仕事を辞めるか、育休とるかではなく、どちらも仕事を続けたいなら仕事を辞めず、それぞれが育児休業をとればよい。
苗字をどちらのほうにあわせるかではなく、それぞれが自分の使いたい姓を使えばいいので、夫婦別姓を選べるようにしたらよい。あるいは結婚せずに付き合えばよい。

というようになる。

これが私がやっている「ジェンダー論の基本」の一部である。
2010-02-10 23:08 | 記事へ |
| ジェンダー / 暴力・DV |
小沢問題で得をした人はいない?


小沢不起訴で、検察の敗北だ、というような意見がある。
たしかに検察のメンツはつぶれただろう。では、検察が負けただけで、民主党は何も傷を負わなかったのかというと、そんなことはまったくない。
首相や民主党政権への支持率は大きく下がっている。

つまり、この事件で、たとえ小沢は不起訴でも、得をしている人はいる。
昨年から、政権交代をさせたくないとおもう人たちが、一部に働きかけて検察やメディアを動かそうといろいろ仕掛けてきたし、今も何とか民主党政権を短命で終らせてもとの自民党政権へ戻したい人がたくさんいる。

そういうひとが、「政治と金」でタテマエで小沢問題を語る。旧体制でもっとも汚い金に触れていた人たちほどそうだ。メディアや東京地検の全員がそうだとはもちろんいわないが、ことは政治的であり、いいように利用されている。こうした事件を仕掛けてメディアを動員して民主党政権の支持率を下げるという目的をうまく果たしたのだから、小沢不起訴でも、しかけた側は目的を達成している。「小沢個人を潰す」なんて小さなことで世の中は動いていない。
こんな基本があまり語られていない気がする。

そしてたとえば、東京地検が小沢関連で若い女性秘書を10時間も監禁し恫喝した事件などはほとんど取り上げられていない。検察批判になるので、大手新聞やテレビ(ワイドショーも)は無視する。つまり、今回の小沢問題は明らかに検察よりの姿勢で、リークも交えて進められた。
この女性秘書への「取調べ」をみれば、柏原市でのA君不当逮捕事件と同じだなと思わせることが出てくる。ずっと監禁し電話もなかなかさせず、保育所への子どもの迎えもあるのにいかせず、「本当のことを言わないから帰れないんだよ!」「いいんだよっ!とにかく本当のことを言えばいいんだよっ!」と大きな声で恫喝したりしている。
密室でそういうことを長時間続けられると、感覚がおかしくなったりするのはよく知られている。
A君の場合も有罪と決め付けて自白を強要されたという。
郵便不正事件の村木被告の問題でも、次々と、検察のストーリーを覆す証言が出てきている。検察のストーリーにあわせた調書を無理やし自白させられサインさせられていたことが明るみにではじめている。

小沢、小沢といい続ける人の狙いと効果がなんなのかをみぬかないといけないが、世間は簡単に操作されて人気や支持率は変動する。
あの橋下知事は8割近い支持率なんて、これもまた、メディアの効果に過ぎない。
とすれば、そんなメディアって何なんだとなるか、自浄作用は期待できない。

メディアも悪いが、メディアに騙されて影響されるみんなよ、もうすこししっかりしろよ、と思う。
2010-02-10 14:09 | 記事へ |
| 人権 / メディア / 政治、権力 |
セックスを拒否するのもDV?


レポートを読んでいると、無理解の典型例が時々出てくる。 授業では説明しているつもりなのだが、聞いていないか欠席していたのかわからないが、今年もやはり次のような趣旨の意見(質問、反論)があった。

「セックスの強要(無理に求めること)はDVだと先生はおっしゃいましたが、では、恋人がセックスを求めるのに、拒否し続けるのもDVなのではないですか。要求を拒否されればそれなりにショックを受け心が痛みます。こちらの意志を尊重してくれないからDVだと思います。」

これに反論しておこう。(この問題は別れのあり方の理解と本質は同じ)

まずセックスするというのは、双方がそれぞれ個人単位(シングル単位)で自己決定して双方の合意があって成立するものである。片方だけ「セックスしよう」と自己決定しても、相手が同意しないと成立しない。それを強要すれば、レイプ、DV,ストーカーなどとなる。
つまり、恋愛関係なら常にセックスがあるというような前提が間違っていると考え、個人単位で考えるのである。自分が望むときは相手も望むはずだ、自分の要求に応じて当然だ、というjような自己中心的なカップル単位感覚が間違いである。
したがって、質問者の「恋人Aがセックスを求めるのにBが拒否し続けるのは、Aの意志を尊重していない暴力(DV)である」という考えは間違っている。成立要件が、個人単位の双方の合意なのであるから、一つが欠けているなら、セックスするという行為の成立自体がありえない。それだけのことであって、「BによるAに対する権利侵害」とはいえない。Aの気持ちがいつも満たされるなどと思うのが間違いである。異なる二者において、いつも意見が一致するとは限らないとわかっておくことが重要である。それがシングル単位の観点である。

別れの説明でもこの点は繰り返した。恋愛(結婚)の成立要件は、双方の合意であるから、その逆は、「双方が合意(同意)したときのみ、別れられる」というのではなく、片方でも別れを決意すれば、相手の同意がなくても別れは成立する。それを拒否する権利は他方(別れたくないほう)にない。

上記の例で言えば、Aがいくらセックスがしたくても、Bが拒否する場合、Bには「セックスしない権利」がある。Aには、Bの「セックスをしない権利」を否定する権利はない。

この点がすぐにわかる人とわからない人がいる。わかる人は、人と人の間には他者という境界線があるという個人単位の視点があるのだが、わからない人は、無意識のうちに、「自分たちのこと(関係性)」というのを中心において、恋愛(夫婦)なんだからこういうことをするのが当然というように、共同体を単位(カップル単位)にして、両者がその共同体の規範に従がうべきだ、従がわないのがおかしいと考えてしまう。だから「僕の気持はどうなるんだ」となってしまう。
僕とあなたは他者だから、僕の気持ちがどうあろうと、相手には相手の好きなように決める権利がある、とわかるかどうか。どうしても世間はカップル単位の感覚が蔓延しているため、Bのほうを「勝手だ」「付き合っている意味がない」などとおもってしまう。

セックスしたい人としたくない人がいれば、自動的にセックスは成立しない。話し合って2回に1回はセックスすべきと言うようなものではない。
恋愛を続けたい人と続けたくない人がいれば、自動的に恋愛は成立しない(破綻する)。
別れに合意(許可)はいらない。「話し合いを続けるべきで、合意があるまで別れないのが当然」、というのが間違っている。

このことを僕は、20年ほど言い続けているが(笑)、まだまだわかりにくい人が多い。

(なお、力関係や文脈などによって、セックスを拒否するということが相手をコントロールする手段になるときがあり、それはDVであるといえる場合がある。)
2010-02-10 13:39 | 記事へ |
| ジェンダー / 暴力・DV |
ヴィスワヴァ・シンボルスカの詩(4)


ヴィスワヴァ・シンボルスカは、何を言っているのか。
言葉を発しても、沈黙しても、それば政治的な意味を持つ
非政治的な詩を書きつけたとしても やはりそれは政治的なこと
空に月が光っていても どんな問いも 愛の言葉も 接近も 選択も 別れも 離脱も 
攻撃も 容認も 無視も 裏切りも そばにいることも 嫉妬も 秘密も 赦しも
その職業につくことも その職を離れることも それをしらないことも 興味を持たないことも
それは 選んでおり 影響を与え 世界を編成している 
そして 空しい議論、会議、政治 そしてひどい現実 誰も責任をとらない 現実を変えない 逃げる そして悲惨な現実は続く
写真の片隅に写っていた抱擁のうしろにかくされている、ゆたかさ

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

世紀の子供たち (1986年 「橋の上の人々」収録)

われわれは 20世紀を生き抜く子供たち
この世紀は政治的な時代
お前の われわれの そしてお前たちの
昼の用事 夜の用事
すべて政治的な問題にかかわりを持っている

好むと好まざるとにかかわらず
われわれの生きてきた時代は
肌の色が何色であるとか
目の色がどうであったとかいう
人種差別の時代であった

お前が発言すれば 反響がかえってくる
お前が沈黙すれば そればさらに雄弁な意味を持つことになる
いずれにしても政治的なこと

森や林を抜けて と
パルチザンの歌 歌いながら
行くことも政治的なこと

非政治的な詩を書きつけたとしても
やはりそれは政治的なこと
空に月が光っていても
それは既に月だけの問題に止まりはしない
なすべきか なさざるべきか これが問題だ
どんな問いも 愛の答えも
すべて政治につながっている

お前が政治的な意味を得るために
人間的である必要はない
石油であったとしても事足りたのだ
動物の餌とか リサイクルの原料だって
よかったのだ

または 生と死について論争するかたわら
会議用の机の形のことで
丸い方がいいとか 四角いのでよいとか
何ヶ月間もの間 言い争っていた

その時 人間たちは断末魔の苦しみに喘ぎ
動物たちが息を引きとり
家々は燃えつき
田畑が荒れ果てていった
はるか昔の
より非政治的な時代とおなじように
2010-02-10 01:38 | 記事へ |
| 作品 / 戦争  / 生き方 |