ニックネーム:イダヒロユキ 
都道府県:地球
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2010年02月01日(月)
篠山紀信の路上ヌードで公然わいせつ罪は、おかしい

写真家の篠山紀信さんが写真集のロケの際に都心の路上などで女性のヌードを撮影したとして、篠山氏とモデルの女優2人を公然わいせつ容疑で書類送検した。その作品が載ったのが、写真集「NO NUDE by KISHIN 1 20XX TOKYO」

違和感を持ったのが、新聞記事に、
「警視庁の捜査幹部は「一般人が路上で全裸になっていたら罪に問われるのに、芸術目的なら許されるというのは筋が通らない。管理者側から、処罰を求める声も強かった」と言う。」とのっていた点。

「一般の人が路上で全裸になっていたら罪に問われる」ということ事態も再検討されるべきで、草薙くんのように、すこしくらいハダカになってもそもそも、罪とするようなことではない。人権侵害は罪だが、ハダカは罪ではない。
公然わいせつ罪自体がおかしい。悪法があるとき、根源的に意見をいっていく必要がある。

次に、「一般人が路上で全裸になっていたら罪に問われるのに芸術目的なら許されるというのは筋が通らない。」というのは、まったく論理的でない意見だ。芸術目的なら、別の基準が適用されるということがあってもまったくかまわないので、まるで絶対真理のように、「筋が通らない」というのは間違った決めつけだ。自分の意見が一つの決めつけだという自覚が感じられないので、愚かだと思う。これが警察の程度ということか。

もちろん、芸術なら何でもいいというわけではない。そもそも何が芸術か不明確だ。しかし、たとえば、実際のレイプは犯罪だが、家庭内で二人でレイプのようなプレイで二人で楽しむセックスは犯罪ではない。(勿論完全な同意の中でのファンタジーという場合)
ヌード写真でも、性暴力的なものは人権侵害だが、人権侵害でないすばらしく美しい作品もある。美しくなくてもすばらしい作品もある。「わいせつ」概念自体が批判されている。
権力が一方的に性に関して、取り締まるのは制的保守主義にのっとった管理主義で、愚かしい概念だ。ハダカが本のなかの何ページ以上だからダメというのは、愚かな判断基準であって、そのハダカの質が、人権の観点で検討されねばならない。

つまり、自動的に、無検討的に、人権の視点もなく、芸術の視点もなく、「一般人が路上で全裸になっていたら罪なのだから、誰がどんな撮影であってもとにかく路上で全裸になっていたら罪」というのは、それこそ「筋が通らない」。

法律自体も問題だが、それをどう適用するかが問われている。
警察を怒らしたら、悪質だということで逮捕。
A君不当逮捕でも同じだが、警察や検察の胸先一つで「犯罪」にされるというような愚かさ。

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2月3日追記

上記では、ふれなかったが、私は、篠山紀信さんの今回の写真集が芸術作品としてすばらしいといっているわけではない。芸術作品として優れているから擁護したのではなく、警察が一方的にハダカだということで起訴するのは間違っているということを言った。
私の友人は、いまどき路上など公的なところや無機質なところで若い女性のヌードを撮るなんて古臭い、むしをそれを撮っている篠山自身を写真に撮ったらいいのだ、とけなしていた。そうだろうなとおもった。
またわいせつ罪自体の問題もある。友人は性器がうつらないとわいせつ罪にならないと思っていたといっていた。


2010-02-01 23:45 | 記事へ |
| ジェンダー / 政治、権力 / 作品 |
「ぼちぼちいこか」
 
大阪性教協の合宿にいってきました。
そこで私はカップル単位の恋愛観とデートDVの関連などの話をさせてもらいましたが、夜は「ジェンダーと私」ということで参加者の皆が自分の半生を語り合う感じになってとてもいい空間になりました。

そこで私が思ったことを、思いっきりわかりにくいと思いますが、ここに簡単に書いておきますと、

@人生の苦しみ、孤独

A人生は矛盾があってOK,60点、50点、まあまあでOK,とにかく比較しない、どの道でもそのカタチで幸せとはいえない、

B悔いのない人生を送ろう、死ぬときに喜びと思えるならいいじゃん、したことをしよう。矛盾していても、ダメなことでも。

C貧乏を楽しむような貧乏生活を。同じように、本を読んでその世界を味わえるような、スローな生活を。

となります。
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NHKで、「無縁死」ということで、会社人間で家族を大事にしなかった人、非正規雇用などで結婚しなかった人、などが出ていました。一人ひっそりと死んでいく人生。「生涯未婚率」上昇の中で、安易に、「だから結婚、だから家族」じゃないよね、と言うことです。そう分かっているかどうかは、怪しいですが。

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さて、そういうなかで、いい本を紹介してもらったので、ここで紹介しておきます。

「ぼちぼちいこか」  マイクーセイラー/作 ロバート.グロスマン/絵 今江祥智/訳(偕成社、1980年)

あらすじは、
カバは、あれやこれやいろんな職業に挑戦しますが・・体重が重くて、どれもうまくいきません。しょうぼうし、ぴあにすと、宇宙飛行士、いろんな仕事を夢見ますが、でも途中でいつも「太った自分では無理だ」とあきらめてしまいます。

たとえば
ぼく、しょうぼうしに なれるやろか。
なれへんかったわ。

ふなのりはどうやろか。
どうも こうも あらへん。

そんなふうに、どんどん、やっぱりだめ。

でも、そうしてあれもこれも駄目だと思っていたある日、
カバは自問します。

「どないしたら ええのんやろ・・・・そや。 ええこと おもいつくまで――
ここらで ちょっと ひとやすみ。
ま、ぼちぼち いこか――・と いうことや。」

と気を取り直す、というお話です。

「ぼちぼちいこか。」は原語ではtake it easy。

何事も深く理解する、自分のものにする、そのような生き方をするというのが難しい。
頭の先でざっと素通りするのは多いけどね。

諦めるのでなく、また能力主義的に何か、わかりやすい成功、肩書きや職種を得るのでなく、ちゃんと、ぼちぼち生きていけるかどうかだと思います。
雑誌などメディアに載る、ということの「危なさ」を自覚している人がどれだけいるのか。自分が優れているからこそ、取り上げられていると思っているような人がいます。講演でも自分がいいことを言っている、聴衆よりも「上」であると思っている人がいます。

あせらず、あせらされず、競わず、一人ひとりが自分自身の好奇心や夢をあきらめることなく、同時に、適度な諦念とか、力を抜くとか、無名であるとか、収入にとらわれないとかが大事だという話です。「シゴトが忙しい」ということを無批判・無思考・無反省的に口にするような鈍感さをもたないようにしたい。

僕はときどき、人権関係の活動をしている多くの人が、無償とか、超低収入で、NPO的にやっているのに、その分野で専門職の人が、自分の置かれている位置を深く省みることがない、というのをみて、あーあとおもいます。その単純な「愚かさ」に、距離感を感じます。大学教員とか、医者とか、弁護士とか、カウンセラーとか、相談員とか、何か、それを生活収入にできている、ということを、ただ、仕事だ、頑張ればいい、という程度の思考でとめていいのか。

世の中には、すばらしい感性だけど、すばらしい活動や言動をしているけど、でも肩書きがない、組織の中での正規職員になっていない、ということで、「低い扱い」をされているというようなことがあります。能力があるのに、偶然、運に見放されて、その能力の活用の場につけていない、ということがあります。生きていくのさえたいへんということがあります。

自分は何をして生きていくのか、と悩むということは、そういうことに関わっています。

そのとき、仕事だ、といって忙しくしていて、かなり相対的に高い「収入・給料」を得ていることにも無反省的である、ということは、かなり問題ではないでしょうか。

それにたいし、「ぼちぼちいこか」は、けっして、自分にあった仕事がみつかってめでたし、の話ではありません。

やりがいのある、いい仕事、収入もあって、安定していて、というのではない、「道」を探す必要があります。
それを自分が、実践できるかどうか、が問われています。
今の社会秩序での「成功」「ふつう」からずれて、生きていくという、課題。
「どう生きるのか」、ということは、そういう意味で中心的課題です。

(あとで、ヴィスワヴァ・シンボルスカの詩の、「どう生きるのかという素朴な質問以上に 緊急な問いかけというものはない」の言葉を紹介します。)

2010-02-01 13:36 | 記事へ |
| 生き方 / スピリチュアリティ / 作品 |
『朝日新聞』の社説書き手の歪んだ心
鳩山首相の所信表明演説を新聞でざっと見た。
歴代政権のなかで、もっともマシなものといえるのではないか。
民主党政権を全面的に支持とか、その政策を全部支持というわけではない。労働政策でも、沖縄基地問題でも、多分、今後かなりの点で批判することになる。
しかし、官僚の作文の寄せ集めではない、鳩山由紀夫なりの「命を守る」といった言葉には、〈思い〉があった。具体策ではまだまだ不足もあるが、ガンジーの言葉を引用しての、ちゃんといきていく理念には、いいものがあった。財源等を含めて社民主義を明確には書いていないが、かなり、社民主義的な方向性、公共・連帯の感覚は出ている。素直に評価できるところがあった。

だが、『朝日新聞』の社説は、「演説の美辞に酔う暇なし」といい、「聴くほうが気恥ずかしくなるほどの理想を語り続けた」とけなした。
また「現職議員が逮捕されているのに、小沢一郎民主党幹事長の問題には一言も触れなかった。残念だ。」「マニフェストにせよ、資金の問題にせよ、逃げていては、政権を率いる首相の覚悟に疑問を覚えざるをえない。」と非難した。

小沢の問題は、社会システムをどうしていくかという重要な問題に比べて、それほど大事ではない、と私は思う。政治と金というなら従来の自民党政治のときの骨抜き制度こそが問題で、そこを変えていけばいいだけのこと。施政方針演説で小沢のことを言う必要はない。

『朝日新聞』の社説書き手の心は歪んでいる。鳩山のあの程度の言葉で、「聴くほうが気恥ずかしくなるほどの理想」とは、よほど、「理想」から離れて世俗にまみれているのだろう。高収入で出世した、骨のない保守的な朝日の社員らしい感覚だと思った。

『朝日新聞』に理念があるのか。読売新聞と近いような程度になっているのに、文句だけ言うとは、ダメディアである。
北欧型の社民主義に移行するために、高負担(所得税増税)をする、大胆な年金改革をするということに、反対しているのが『朝日新聞』である。

小沢問題で検察に操られ、鳩山を批判する『朝日新聞』は、自分が保守的な立場から、鳩山的な改革の方向(理念)を感覚的に嫌っているという自覚があるのだろうか?

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以下『朝日新聞』社説

鳩山政権―演説の美辞に酔う暇なし

 いのちを、守りたい。
 鳩山由紀夫首相の施政方針演説は、こんな異例の切り出しで始まった。
 政権交代から4カ月余り。華々しくスタートした序章の盛り上がりは早くもしぼみ、内閣支持率は低落を続ける。これをどう挽回(ばんかい)するか。新年度予算案の国会審議入りにあたって首相が選んだのは、改めてみずからが目指す理念を熱く語ることだった。
 子どもを持つことをあきらめてしまう社会を変える。「生まれくるいのち」を守ろう。職を失っても孤立しないよう共同体をつくり直そう。「働くいのち」を守りたい。
 首相の持論である「友愛」を、別の角度からかみ砕いたということなのだろう。市民が互いに支え合う「新しい公共」の創出や、医療や介護を成長産業としていく「人間のための経済」づくりを訴えた。
 自民党政権時代の政策から価値観を変えようというわけだ。
 演説のスタイルも変えた。各省から集めた施策を列挙するだけの感が強かった形式をやめ、聞く方が気恥ずかしくなるほどの理想を語り続けた。

 理念を語り国民の共感を呼び起こそうとするのは、リーダーにとって大切なことだ。半世紀にして初の本格的な政権交代という歴史性を思い、新鮮さを重視した首相の狙いは理解できる。
 その裏に、具体論を語ろうにも語れない鳩山政権の苦しさがのぞいている。その事実を国民の多くが気づいている。だが演説には説明がない。そこに違和感を禁じえないのだ。
 「国民との契約」と呼ぶマニフェストの何を実現し何をあきらめたのか。その理由は何か。これからどうするのか。演説で国民が最も聞きたかったのはこの点ではなかったか。いわば契約の履行状況報告であり、展望だが、ほとんど素通りしてしまった。
 国民はマニフェストに期待して民主党政権を選んだが、そのすべてに賛成していたわけでもない。
 政治主導の大変化から日米問題、「政治とカネ」の大騒動まで、新政権の4カ月をどう概括するのか。それを堂々と語らなければ、何が生きている「国民との契約」なのか、わからなくなる。
 首相は自らの政治資金の問題を陳謝したが、現職議員が逮捕されているのに、小沢一郎民主党幹事長の問題には一言も触れなかった。残念だ。
 マニフェストにせよ、資金の問題にせよ、逃げていては、政権を率いる首相の覚悟に疑問を覚えざるをえない。
 各論は国会審議で明らかにしていくしかない。首相や与党には誠実に審議に応じるよう求める。それなしには、せっかくの理念もかすむ。首相も民主党も、演説の美辞に酔っている暇はない。

2010-02-01 02:25 | 記事へ |
| メディア / 政治、権力 |
検察のリークとメディアが情報操作に使われている問題

静岡刑務所を出所したばかりの三井環・元大阪高検公安部長の講演会があります。
検察のリークとメディアの報道、つまり記者クラブが検察の情報操作に使われているという問題、いかに世論調査なるもので「世論」が作られるのかなどにも言及される予定だそうです。

また、このブログの後には、小倉利丸さんのブログ関係で、取調べの可視化、捜査資料の開示の問題に関連して、電子資料の危険性についても少し、言及しておきます。

『週刊ポスト』2010年2月5日号では、検察の内幕がいろいろ暴かれています。小沢を潰すために、取調室の様子などほかからでは出ない情報が出ていることからも明白な捜査リークがあること、ダム問題で発注者である国交省は捜査しないという問題、裏金問題で口封じのために逮捕された三井環・元大阪高検公安部長の話、などが載っています。


********(転送・転載は、ここからお願いします)********
講演会
「検察には小沢幹事長を攻撃しないといけない理由がある」 
  三井環・元公安部長、出所後初講演

■2010年02月19日(金)18:45〜21:00
■在日本韓国YMCA 9階ホール(水道橋駅、神保町駅、御茶ノ水駅)
<http://www.ymcajapan.org/ayc/jp/map1.htm>
■参加費:会員・学生1000円、ビジター1500円、年金生活者・生活にハンディ
 のある方(自己申告)1000円
■ゲスト 三井環さん(元大阪高検公安部長)

「けもの道」。後藤田正晴元法務大臣が戦後最大の検察疑獄になりかけていた事件のもみ消しを検察首脳に懇願され、要請を受け入れた選択肢を形容した言葉だという。2001年、後藤田事務所に時の原田明夫検事総長と松尾邦弘法務事務次官が駆け込み、検察の裏金作りで刑事告発された大阪地検加納駿亮検事正の事件のもみ消しを依頼したことは業界内では広く知られている。この事件の翌年4月22日早朝、鳥越俊太郎氏の番組『ザ・スクープ』で検察の裏金作りの実態を内部告発するために自宅を出た三井環大阪高検公安部長が逮捕された。朝日新聞が翌日の朝刊1面トップに検察現職幹部による裏金内部告発の予定稿を組んでいたという事件だ。
あれから8年。2月定例会ゲストに、1月18日に静岡刑務所を出所したばかりの三井環さんをお招きして、自らの口封じ逮捕と懲役刑への反撃、告発されれば検察幹部70名が懲戒免職になっていたといわれる「けもの道」に至る経緯、検察の裏金作りの実態、自民党との癒着から繰り返されてきた国策捜査のカラクリを明らかにします。
さらに小沢民主党幹事長への執拗なまでの検察の攻勢が、取り調べの可視化や裏金作りの露見に危機感を覚えた検察の焦りの表れだという自説まで、余すことなくお話していただきます。

チラシをダウンロードする
http://apc.cup.com/apc201002.pdf
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小倉さんブログに関するメモ

小倉さんが取調べの可視化、捜査資料の開示の問題に関連して、「電子警察の実体は取調べの可視化、捜査資料の全面開示でも不可視なままだ」といったブログをかかれました。
http://alt-movements.org/no_more_capitalism/modules/no_more_cap_blog/details.php?bid=36
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そこでは、捜査機関のずさんな捜査や拷問ともいえる手法による自白偏重の取調べが数多くの冤罪を生み出してきていること、盗聴法の国会審議で法務省は、性善説にたって捜査機関を疑うことは不要といってきたが、こうした性善説にたつことがさらなる冤罪を生み出す危険性が高いこと、取調べの可視化や裁判における捜査資料の全面開示の要求が、マスメディアですら取り上げられるようにまでなったが、盗聴捜査にかかわる資料の開示もまた捜査過程の可視化にとって重要だという点にまでは、あまり踏み込まれていないことなどが述べられている。
また捜査機関が膨大に溜め込んでいるデータについて、デジタルデータの改竄や流用をチェックするための技術的な歯止めが不明確なことが大きな問題であると指摘している。

そして09年8月に サンケイが次のように報じたことを紹介している。
 「海上保安庁は3日から、裁判所に提出する事件・事故の証拠写真をデジタルカメラで撮影する。警察庁も本年度中の全国導入を決めているが、捜査機関での実施は初めてで、海保は「コスト削減のほか、捜査の迅速化につながる」と期待している。
 海保関係者によると、デジカメで撮影した画像は編集や書き換えができるため、捜査機関は、これまでフィルムカメラを使用。しかし昨年、メーカーが書き込みデータが瞬時にロックされ、改竄(かいざん)や消去ができないメモリーカード(記憶媒体)を開発した。海保は検察庁と協議し、証拠として公判にも使えるとの結論に達した。(以下略)」

これについて小倉は、こうした新たな技術仕様をもったデジカメといっても証拠としての信用性がこれまでのフイルムによる写真同等になるとはいえないということ、及び、
デジタルカメラが上記の報道にあるように、証拠写真としての能力を欠いているというのは、本当なのか?、膨大な警察による電子情報、デジカメやデジタルビデオカメラ史朗は何に使われているのか、等に言及している。

「そもそも電子化されたデータがどれだけ蓄積されており、どのように利用されているのか、個人を特定した名寄せや、公判の証拠とすること以外の目的で収集されているデータがどれだけあり、それらがいったい何の目的で収集されているのか、そうした一連のことがらがまったく不透明なままだ。このこと自体が、冤罪を生み出す権力の技術的な背景をなしている。」

「特にコンピュータ監視法案については、捜査機関がこれまで以上に容易に電子メールなどの通信履歴にアクセス可能となり、しかも、ネットワーク越しに、電子データの押収も可能にしようというものだ。上に見たように、捜査機関内部での電子データの管理が不透明な現状では、コンピュータ監視法案が万が一にでも成立してしまえば、ますます私たちのコミュニケーションは警察の監視下におかれやすい環境になることになることだけは間違いない。」

以上のような小倉の目配りはまったく正しい、とだけコメントしておく。
2010-02-01 01:05 | 記事へ |
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