写真家の篠山紀信さんが写真集のロケの際に都心の路上などで女性のヌードを撮影したとして、篠山氏とモデルの女優2人を公然わいせつ容疑で書類送検した。その作品が載ったのが、写真集「NO NUDE by KISHIN 1 20XX TOKYO」
違和感を持ったのが、新聞記事に、
「警視庁の捜査幹部は「一般人が路上で全裸になっていたら罪に問われるのに、芸術目的なら許されるというのは筋が通らない。管理者側から、処罰を求める声も強かった」と言う。」とのっていた点。
「一般の人が路上で全裸になっていたら罪に問われる」ということ事態も再検討されるべきで、草薙くんのように、すこしくらいハダカになってもそもそも、罪とするようなことではない。人権侵害は罪だが、ハダカは罪ではない。
公然わいせつ罪自体がおかしい。悪法があるとき、根源的に意見をいっていく必要がある。
次に、「一般人が路上で全裸になっていたら罪に問われるのに芸術目的なら許されるというのは筋が通らない。」というのは、まったく論理的でない意見だ。芸術目的なら、別の基準が適用されるということがあってもまったくかまわないので、まるで絶対真理のように、「筋が通らない」というのは間違った決めつけだ。自分の意見が一つの決めつけだという自覚が感じられないので、愚かだと思う。これが警察の程度ということか。
もちろん、芸術なら何でもいいというわけではない。そもそも何が芸術か不明確だ。しかし、たとえば、実際のレイプは犯罪だが、家庭内で二人でレイプのようなプレイで二人で楽しむセックスは犯罪ではない。(勿論完全な同意の中でのファンタジーという場合)
ヌード写真でも、性暴力的なものは人権侵害だが、人権侵害でないすばらしく美しい作品もある。美しくなくてもすばらしい作品もある。「わいせつ」概念自体が批判されている。
権力が一方的に性に関して、取り締まるのは制的保守主義にのっとった管理主義で、愚かしい概念だ。ハダカが本のなかの何ページ以上だからダメというのは、愚かな判断基準であって、そのハダカの質が、人権の観点で検討されねばならない。
つまり、自動的に、無検討的に、人権の視点もなく、芸術の視点もなく、「一般人が路上で全裸になっていたら罪なのだから、誰がどんな撮影であってもとにかく路上で全裸になっていたら罪」というのは、それこそ「筋が通らない」。
法律自体も問題だが、それをどう適用するかが問われている。
警察を怒らしたら、悪質だということで逮捕。
A君不当逮捕でも同じだが、警察や検察の胸先一つで「犯罪」にされるというような愚かさ。
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2月3日追記
上記では、ふれなかったが、私は、篠山紀信さんの今回の写真集が芸術作品としてすばらしいといっているわけではない。芸術作品として優れているから擁護したのではなく、警察が一方的にハダカだということで起訴するのは間違っているということを言った。
私の友人は、いまどき路上など公的なところや無機質なところで若い女性のヌードを撮るなんて古臭い、むしをそれを撮っている篠山自身を写真に撮ったらいいのだ、とけなしていた。そうだろうなとおもった。
またわいせつ罪自体の問題もある。友人は性器がうつらないとわいせつ罪にならないと思っていたといっていた。
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