館長雇止めバックラッシュ裁判・不当判決!―ーでも内容の一部は認められている。生き方についても再度確認させられた!
本日、9月12日、三井さんの館長雇止めバックラッシュ裁判で、請求棄却という不当な判決がだされました。
***
本来、この裁判で、行政が、バックラッシュ派の不当な圧力を受けて行ってきた間違った対応を、犠牲者の泣き寝入りで終わらせず、正しく認定し、被害者の尊厳を取り戻すことができるはずであった。正義の回復がなされるはずであった。
またバックラッシュへの反撃という意味でも重要な位置にあった。すなわち、
本事件は、積極的なフェミニストである三井氏を狙い撃ちにした、全国のバックラッシュの動きの先端的表出であって、北川議員は、全国の草の根的バックラッシュ議員の一人であった。
そして行政はバックラッシュ勢力の圧力の中、及び腰になり、腰砕け、結局裏取引をして三井氏を排斥した。バックラッシュ派が成果とみなしていた事件である。
そのような位置にある本事件において、もし、原告勝訴のような適切な判決が出たならば、それは、「NHK・女性国際戦犯法廷番組の改ざん事件」や「福井・ジェンダーフリー関連図書排斥事件」と同様に、ジェンダー平等をすすめるうえで、非常に意義のあることとなるはずであった。
とくに、本事件は、上記の2事件でも主要に論じられなかった「日本におけるバックラッシュ(バッシング)」を裁判のなかで中心的に取り上げた、唯一の裁判であった。ゆえに、本裁判での原告勝訴の判決がでたならば、バックラッシュ派の主張と活動の不当性を明らかにすることができたはずであった。
さらに、この裁判は、非正規雇用労働者切捨てへの批判ともなるはずのものであった。
そして最後に、行政の不誠実な、あるいは犯罪的な対応への審判が下されるはずであった。
今回、この裁判において、行政側が、圧力に屈して誤った対応をしてしまったことを真摯に反省するならともかく、まったくそうせず、逆に傷口に塩を塗るように、裁判の過程で真実を隠蔽し、嘘を重ねて、自己保身に走った。そうした行政関係者の対応が裁かれるべき裁判であった。そのような、官僚的責任逃れ、虚偽、言い逃れが許されないというメッセージとなるはずであった。
***
ところがである。山田陽三裁判長(大阪地裁)は、まったく不当にも、棄却した。
傍聴席の私たちに見られたくないためか、判決理由は読まずに、棄却とだけ言ってそそくさと退廷した。なさけない人である。
その後弁護士から判決の要旨が知らされ、以下のことがわかった。
原告側が詳細な「最終準備書面」を作成し、明確な主張を行ったために、かなりの事実は認定された。にもかかわらず、最終的な結論は、棄却であるというように、事実認定と結論のあいだに大きなねじれがあるものであった。
これは、まさに山田裁判長の政治的な配慮による、真実からの逃走である。バックラッシュが怖くて、そのような政治的な判決を書く勇気がなかったのである。行政を批判する覚悟をもてなかったのである。形式で逃げる行政を許そうという判断をした。行政は公平であるべきという姿勢などかなぐり捨てた。
勇気をもって判断するのでなく、官僚的に、無責任に、形式論理だけで逃げたのである。
その逃げ方の論理の立て方はよくあるものである。すなわち「・・はおかしい、不当ではある」が「慰謝料を払うほどの違法性があるとはいえない」というようなものである。
原告側に立証責任がある、その証拠も完全に明確なものでなくてはならないというのだ。これは、極端に言えば、泥棒が事前に「泥棒する計画書」を作っていなかったら、その計画書が見つからなければ、泥棒とは認めないというようなものである。
被害者の側が、泥棒が密室で準備したことを立証しなくてはならないというようなものである。
行政が周到に行ったときに、明確な証拠を残すはずがない。三井さんをバックラッシュの圧力で下ろす代わりに、男女共同参画条例を通してもらうことにしました、などとみなの前で発言するはずがないではないか。
だが、弁護側は総合的に立証した。だから全体の流れを見れば、三井氏を館長選び(採用試験)で落としたことはおかしいし、バックラッシュの意見を言っていた勢力が、突然条例に賛成したのもおかしい。
桂さんに決定といってたこともおかしいし、三井さんに何もかも秘密にしていたこともおかしい。
でも裁判官は、証拠が完璧でないとだめだといった。限りなく黒に近くとも黒とはいえない、だから「白」とするというのだ。
何のための裁判か。この程度だから、結局、裁判官次第でどっちにでも理屈は転び、判決もどっちにでも行く。裁判とはそのようなものだということが、またまたはっきりとわかるものだった。
判決の成果は、多くの事実が認定されたことである。それを根拠に、今後の控訴審では有利な議論が展開できるだろう。
たとえば、形式的に次期館長を選考する試験において、三井さんを下ろし、桂さんにすると決めていた本郷氏を選考委員に入れているのは明らかに不当である。
不当なのに、「慰謝料を払うほどの違法性があるとはいえない」という、何の説明にもならない理屈をつけて、全体像をみずにことごとく細かい部分にだけ目を向けて形式的な結論をだした。その矛盾は今後突かれていくだろう。
それにしても、山田裁判官のような自己保身する保守的な官吏とは、このようになさけないものなのか。
恥を知れ!といいたい。
なお、この裁判で明らかになってきたことを知れば、多くのフェミニストは、三井さんの側に立てるだろう。もっと、この裁判のことが知られ、多くの人の参加の下、今後の戦いが広がることが望まれる。
行政と戦いたくないからとか、いろいろ歪んだ情報を元にして、腰が引けている人は、フェミであることが問われると思う。ぜひ、よくみて、行動を起こしてほしい。
僕は戦争への道で、労働運動や女性運動が、戦争に協力する中で権利を拡大したという事実を知っている。ひらつからいちょうも市川ふさえも戦争に協力した。だが戦争に反対し続けた人もいた。
さて、あなたは、どっちの道を選びますか。そういうことだ。
私は、今日の裁判の結果で、1ミリたりとも自分の世界観、生き方で揺らぐところはなかった。周りでは、一時落ち込む人もいた。当然だ。私もひどい判決だと思った。だがあまりにも正義がどちらにあるかは明らかである。
あの裁判官のような、あの行政職員のような、行政を擁護する弁護士のような、そんな生き方はしたくないなと改めて思ったのだ。
行政側は、本郷氏、山本氏をはじめとして、嘘を塗り重ねた。そのことは本人たちが知っている。そうした人生は、悲しいと思う。
裁判官にしろ、行政の人にしろ、自分の〈たましい〉に恥じない仕事という観点がなく、「組織の論理」に流されていく人生は悲しいと思う。
(取り急ぎのメモ、感想です。後日、もう少し加筆します。安倍辞任の嬉しいニュースの日に。)
|