「性」の豊かさを理解できないバックラッシュ派
だがそれは世間の常識でもある――これからの課題
「宮崎県都城市 男女共同参画条例改悪」について「世界日報」が報道した。
書いているのはいつも同じ山本彰氏。確信犯右翼バックラッシャーである。
http://www.worldtimes.co.jp/wtop/education/060909/060923.html
そのなかで、米人権団体「ヒューマン・ライツ・ウオッチ」が男女共同参画法を歪曲していると非難している。
これは、「性、ジェンダー、セクシュアリティ」についての理解にかかわり、大事な点であるが、バックラッシュ派に限らず、政府・官僚の人たちの中でも理解不十分があると思うので、簡単に言及しておきたい。
米人権団体「ヒューマン・ライツ・ウオッチ」(HRW)のスコット・ロング氏が、
日本の男女共同参画社会基本法第三条 の
「男女共同参画社会の形成は、男女の個人としての尊厳が 重んぜられること、男女が性別による差別的取扱いを受けないこと、男女が個人として能力を発揮する機会が確保されることその他の男女の人権が尊重されることを旨として、行われなければならない」
との文章を引用し、
「政府が積極的にすべての人の平等を促進すべきと確約したことは重要なことです」と述べていることをもって、「世界日報」記者は
参画法三条が「(性別や性的指向にかかわらず)すべての人 の平等」を保障しているとの認識を示しているとしている。その上で、
「内閣府男女共同参画局は、本紙の取材に答え「第三条は 性別に起因する問題に着目したもので、性的指向性については言及していない」(総務課)と、HRWの書簡の解釈を明確に否定した。HRWの書簡が、同性愛・両性愛者ら通常と異なる性的指向の人たち の権利尊重についても基本法三条がうたっていると意図的に解釈していると言わざるを得ない。」「意図的に第三条を拡大解釈し、都城市の条例修正案阻止に利用しようとしていたことが考えられる。」と書いている。
小見出しにも「3条で同性愛も尊重と解釈」というように書いている。
記事の最後には、「わが国の男女共同参画社会基本法が、「同性愛・両性愛者についても言及している」と
の間違った解釈が独り歩きすることが予想される。
内閣府男女共同参画局も、HRWに対し条文の解釈の間違いを早急に 正す必要があろう」と述べている。
★★★
ここには、男女共同参画社会基本法に書いていないことを書いてあるかのように言っているという批判がある。
だが、本当に書いていないといえるのか。
ここは「性、性別、セクシュアリティの理解」に関わる。
内閣府男女共同参画局の誰かが、「第三条は 性別に起因する問題に着目したもので、性的指向性については言及していない」といったのが事実とすれば、その人は「性別」ということを限定的にとらえ、「性別」に関わることとセクシュアリティを分断・切断し、「性」の中の重要な部分であるセクシュアリティというものを、狭義の「性指向」に限定して理解しているという問題がある。
だが、「性」とは、セックス、ジェンダー、セクシュアリティ、その他、性に関わる生き方・思考・行動すべての総体である。それに関わって自分の性自認、ジェンダー・アイデンティティが確立されている。
セクシュアリティとは、狭義には、性指向や性の嗜好、エロスや性的快楽のイメージ、身体イメージ、性的反応、生殖など性に関する欲望のあり方、性行動や恋愛感情や社会的なスタイルにおける性のあり方、自分の性的アイデンティティなどのことだが、広義には、生物学的性別(セックス)や社会的性別(ジェンダー)も含めて、ある人の性的なことがらを包括的に示す概念といえる。性自認はジェンダーだけでなくセクシュアリティも関わって形成されている。
以下の性に関わる要素の無数の組み合わせがその人の「性」なのである。その要素とは、身体特徴、性別役割・2分法の内面度、性自認、性指向、性的嗜好、言動・属性・考えのさまざま、性欲の程度など多くの分野に関わる。
例えば、身長、太い/痩せ、顔、声の高さ/低さ、経済観念、仕事、介護、政治などへの考え方、話し方、身近なもの・好きなもの(文学、歌、趣味、友人、家所有、ペット、親、血液型、甘いもの等)へのスタンス、ファッション、スカート好き/嫌い、化粧好き/嫌い、ピンク好き/嫌い、振る舞い、論理的/感情的、人前で話すのが苦手/得意、酒が強い/弱い、キレイ好き、几帳面、マジメ/不マジメ、神経質、大雑把、子ども好き/嫌い、料理好き/嫌い、掃除好き/嫌い、恋人に尽くす/尽くさない、はっきり意見を言う/いわないタイプ、文系・国語が得意/不得意、理系・数学が得意/不得意、機械に弱い/強い、積極的消極的/能動的受身的/活発おとなしい、体力がある/ない、力が強い/弱い、スポーツ好き/嫌い、運動神経よい/よくない、セックス好き/嫌い、性について保守的/解放的、セックスの意味をどう考えるか、恋愛観、マスターベーションする/しない、恋人ほしい/不用、などで多様に分かれる。
ステレオタイプの2分法ジェンダーを内面化した生き方(従来型の結婚、恋愛に無批判的)かどうか、性別分業を伴う法律婚(とくに片働き)に賛成か反対か、異性愛を当然・自然と思う異性愛主義か、そうでないか、生活形式として独身、離婚、単親家庭、同棲など非標準になっているかどうか、2分法ジェンダーを乗り越えるジェンダーフリー的言動を意識的に行っているかどうか、は、その人の「性」のあり方である。
通常、「性自認、性のアイデンティティ」は、自分の性を女あるいは男ととらえることとされているが、典型的、2分法的な「男か女か」には当てはまらないというような「性のあり方」の場合もある。つまり、「男、女のどちらでもない」ととらえるような性自認はある。その根底には、「性」を大雑把な2種にはとらえていないという認識がある。例えば、トランスジェンダーの人の一部、インターセクシャルの人の一部はそうであるといえる。また自分の性を細かく見ていって、他の誰とも違うと思う人は、「X」という性を生きているといえる。
つまり「性」をとらえるとき、身体だけをベースにする人、自分の主観をベースにする人、「2分法の社会的文化的な性=ジェンダー」をベースにするひと、性指向を重視する人、その他いろいろあるが、上記のように総合的に「性」をとらえれば、実は誰の「性」も同じではない。
大雑把に性を2種類だけと見て、それをベースにすることで便利なこと・実用的な場合もあるが、常にそれだけではいいといえず、時にはそれは差別にもなるし、不適切な場合もある。
私はそのような複雑なままの豊かな「性の理解」をベースに、シングル単位論を主張してきたし、『始めて学ぶジェンダー論』などの本を書き、講義・講演をしてきた。
その立場から言うと、どのような「性」であろうと平等に尊重されることがジェンダーの視点、ジェンダー平等だということになる。
そうすると、男女共同参画社会基本法の「男女が性別による差別的取扱いを受けないこと」というような考えは、性的マイノリティの権利などを明記はしていないが、その精神は、女性と男性をその性の違いで差別しないということであり、その他の部分に見られることも含めると、性による差別禁止と広く解釈できうるものである。
その他の部分とは、参画法4条「社会における制度または慣行についての配慮」の項である。
「男女共同参画社会の形成に当たっては、社会における制度又は慣行が、性別による固定的な役割分担等を反映して、男女の社会における活動の選択に対して中立でない影響を及ぼすことにより、男女共同参画社会の形成を阻害する要因となるおそれがあることにかんがみ、社会における制度又は慣行が男女の社会における活動の選択に対して及ぼす影響をできる限り中立なものとするように配慮されなければならない。」
ここに見られる精神は、「社会の制度や慣行を、性に対して中立なものにすべき」というもので、ジェンダーフリーの精神、シングル単位の精神ともいえる。
多様な人々がいる中で、どのような生き方をしようとも、それを阻害・差別しないような公平中立な制度にしようといっているのだから、シングル単位である。
つまり、男女共同参画社会基本法を「狭義の男と女の間だけの平等」に限定し、セクシュアリティ、性指向側面まで含んだ性の平等を排除していると理解する必要はない。
そもそも、真に男女平等を理解すれば、多様な男性、多様な女性、全体を含んで、女性が働こうが、子どもを産もうが、結婚しようが、どの生き方でも女性の権利を侵害するな、ということである。女性の間の「性」の違いを認めるという精神なのである。男性が育児休業とっても、主夫になってもよいという精神である。
だから「男女平等」を「狭義の男グループ(均一なもの)と女グループ(均一なもの)の間だけの平等」ととらえず、女の中の多様性、差異の尊重、「女と非女、女Aと女Bと女Cと男Dと男E、非男F、の人たち全員の平等」ととらえようというのが、フェミニズムの精神であり、ジェンダー平等(ジェンダーフリー論)はそのような意味で豊かなものとなってきたのである。
だから私は、それをシングル単位論として、まとめてきた。
このあたりの理解は、ジェンダーやセクシュアリティの理解も含めて、世間、やフェミニストのなかでもまだ不十分と思う。
だからこれからもこのような点をめぐって豊かな理解が広がっていけばいいなと思っている。
バックラッシャーの言説は、そういったことを逆にあぶりだしてくれる。バックラッシュ派が性的マイノリティを差別するのは、必然である。男女2分法の固定化、したがって多数派のみ優遇しか考えられない人たちだからだ。そのような鈍感な「性」のとらえ方が、性的マイノリティを差別する抑圧構造を支えている。それはまた自分の豊かな性を貧弱なものに落としこめている。
各人の性の多様性は尊重されなければならない。と同時に、「性は男女2種類だけとみる、男女二分法自体を乗り越えて、多様な人々の共生をさぐる」ということが、フェミニストやクイア・アクティビストの共通基盤になることが重要だと思っている。
★★★
結論。
米人権団体「ヒューマン・ライツ・ウオッチ」は男女共同参画法を歪曲してはいない。豊かに、ある意味まったく正しく、理解している。それに対し、バックラッシュ派は、狭く理解しようとしており、事実上、男女平等も含めて、男女共同参画基本法の精神を否定するような方向で理解しようとしている。どちらが正しい理解なのか。
あきらかにバックラッシュ派は、男女共同参画基本法の精神を否定する方向に世論を誘導し、ひいては、参画法自体、ジェンダー(ジェンダーフリー)概念・ジェンダーの視点自体を葬り去ろうとしている。
そのとき、男女共同参画社会局の1官僚が、安易にも「第三条は 性別に起因する問題に着目したもので、性的指向性については言及していない」といったとしたら、その「性」理解の貧弱さ、ジェンダー論への無知、参画法の精神自体への無理解が露呈されているといえよう。
その自分の発言の政治性(バックラッシュ加担)、誤りへの責任を取ってもらわなくてはならない。
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