ニックネーム:ひろぽん 
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2009年11月08日(日)
あぜんぼう--―あきらめきれぬとあきらめる
権力者を笑いのめす、(明治生まれで)大正時代の人気・路上の天才芸人、添田唖蝉坊 (そえだ あぜんぼう)をしっていますか?

先日、NHKで紹介していた。(『暗い時代を笑い飛ばせ! 第1回 反骨・路上芸人の歌』)
現代において、高田渡らが歌っているから、知っている人もいるだろう。

世の中の矛盾をえぐり、貧乏人の心情をうたい、権力者・金持ちを批判していたので、格差社会の現代に通じるということで、今また注目されている人です。

1年365日、汗水流してあくせくと/稼ぎ続けて、貧乏する
こんな馬鹿げたことはない/汗を搾られ 油を絞られ 血を吸い取られ 
骨までしゃぶられ まだ目が覚めぬか 労働者!/人のよいのも ほどがある
(アゼンボウ2009)


若い頃日雇い労働者をしていて、ある日、街角で怒鳴るように歌うそうし節(そうし演歌:自由民権運動の活動家の訴えの歌)を聴いて、唖蝉坊は自分もうたいたいと思い、「ダイナマイト節」などをつくっていった。もしも民主社会にならないなら、ダイナマイトどん!などと歌うものであった。
特権階級に富が集中し、貧しい労働者があふれ、そのなかで、唖蝉坊は路上で「演説の歌=演歌」を歌い始めたのであった。
不正への怒り、搾取される立場の弱いもの(たとえば貧乏人、娼婦たち)のことを書いた歌詞、社会情勢の報道たる「読売」のようなものを歌詞にしたものを刷って売っていた。「ストライキ節」は大ヒットしたという。
社会主義者とも交流し、その党大会で歌を歌ったという。いまでいえば、社民党大会に「ザ・ニュースペーパー」が呼ばれてコントをするようなものだ。

「ラッパ節」(名誉といって大事なせがれを砲の餌食に誰がした 元のせがれを返せ というような戦争批判の歌)が流行るが、それによって警察から監視されるような存在になる。何度も警察に連行されながら、反骨の歌を作り続け、唖蝉坊の人気は一時、非常に高まったという。

大正時代になって第1次世界大戦による好景気、成金の続出の中で、格差が拡大し、ストライキが続出し、社会不安が高まった。そんな時代の拝金主義を唖蝉坊は「我利我利亡者の歌」「金々節(かねかねぶし)」などで笑い飛ばした。

「金々節」
金だ、かねかね 金かね金だ 金だ金かね、この世は金だ。金だ、金だよ、誰がなんと言おうと 金だ金だよ
金だ 力だ 力だ 金だ 金だ、かねかね その金欲しや ・・


酒も、女も、先生も、坊主も、みんな金だと歌っていた。

そんな中、関東大震災にあって被災し、歌を作る意欲を失った。社会主義者も弾圧・虐殺された。
昭和になるとさらに言論弾圧がすすみ、軍歌が流行り、反骨精神の歌が激減していく。
そんな時代に嫌気が指し、人殺しの戦争がいやになり、唖蝉坊は歌づくりをやめ、仏の道に行き、全国を巡礼する日々を送るようになっていった。

本土空襲が激しくなった昭和19年ごろ、唖蝉坊の日記には、「国家の前途がどうなるか、返答しろ責任者」「大将、お前は逃げるのか。お前は逃げたらすむだろうが、こちとら民衆は逃げられねぇ」等と批判が書かれていた。
そして昭和19年2月に唖蝉坊はひっそりと息を引き取った。72歳だった。

高田渡は、学生運動の時代に、唖蝉坊を使って「あきらめ節」を歌った。
「長いものにはまかれてしまえ 泣く子と資本家には勝たれない
貧乏は不運で 病気は不幸 時よ時節とあきらめる
あきらめなされよ あきらめなされ あきらめなさるが無事である
わたしゃ自由の動物だから あきらめきれぬとあきらめる」

唖蝉坊は、小沢昭一、エノケン、高田渡、なぎら健壱、ソウル・フラワー・モノノケ・サミット、岡大介、竹内浩明などによって歌い継がれていった。
今また、唖蝉坊が脚光を浴びている。
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というようなことを伝える番組で、面白かった。

その自由な感じがすごい。
そして軍国主義化・全体主義国家化の時代の中で弾圧され、仏の道にはいっていくのも、わからないでもない。

骨までしゃぶられる労働者よ、いつまでおとなしいのか?
この世は金だ、という叫びが、大正時代にこだまし、いままたこだましている。
どういうことだ?

でね、あきらめない、現代の「あぜんぼう」たちが、僕のまわりにいるから、希望なんだよね。

∞∞∞∞∞


2009-11-08 23:14 | 記事へ |
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