2012年09月30日(日)
本日、途中閉店!
本日9月30日(日)、台風のため14時で閉店いたします。
2012年9月30日 12時01分 | 記事へ | コメント(1) |
| お知らせ |
2012年09月23日(日)
幻燈サーカス
文;中澤晶子、絵;ささめやゆき、BL出版




風にのるトランペット、ドラムの響き、やがて、銀色にひかる天幕がむくむくとたちあがり、サーカスの幕があく……。
なつかしさとやさしさを含んだ独特の画風で人気の画家の、初めての硝子絵画集。
どこか不思議で透明なその絵のかなたに潜むものを、詩が一本の弓となり、ちいさな旋律にかえて紡ぎ出す。
手のひらにのる、ちいさなサーカス小屋。
(出版社の解説より)
2012年9月23日 14時20分 | 記事へ | コメント(0) |
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ますむら・ひろし宮沢賢治選集
原作:宮沢賢治、作画;ますむらひろし、メディアファクトリー

第1巻 グスコーブドリの伝記
第2巻 銀河鉄道の夜
第3巻 風の又三郎



宮沢賢治の世界を、ネコたちの漫画で忠実に再現したもので、宮沢賢治学会・イーハトーブ賞を受賞。それぞれの巻の解説は、宮沢賢治研究の第一人者で詩人の天沢退二郎さんが書いていることからも、その内容のレベルの高さがうかがえます。
2012年9月23日 13時16分 | 記事へ | コメント(3) |
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『ジャミパン』江國香織:文、宇野亜喜良:江、アートン新社


人を冷静に見つめる少女の視線、奔放でセクシーで魅惑的な母。香気漂う絵の中で、知らず知らず物語の深みに引き込まれてゆきます。直木賞作家・江国香織さんの短編小説が絵本になりました。(帯より)

恐らくこの10年間ぐらいは、大学生からOL層に圧倒的な人気の江國香織さんの大人のための絵本です。このような感覚は女性でないと絶対に無理ですね。主人公が少女でなく少年だとすれば、また別の物語になるでしょう。それにしても、こんな短編でもひとつの世界を描ける力量はすごい。
2012年9月23日 10時25分 | 記事へ | コメント(9) |
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2012年09月20日(木)
ファンタジー・日本
『天山の巫女ソニン』シリーズ
                   管野雪虫、講談社

生後まもなく“天山の巫女”にと見込まれたものの、12年間の修行の末、「素質がない」と里に帰されてしまう。この「天山の巫女ソンニ」シリーズは、12歳の少女ソンニが巫女の資格を失うところから始まる。ファンタジーでは主人公が何か特別な力を持つことから始まることが多いが、だじゃらこそ、あっさり、たんたんと落ちこぼれるソンニの登場は、とても新鮮だった。(中略)そして、それは期せずして、子供のみならず、働く女性を始めとする大人の心も強く惹きつける物語となった。(帯より)

1巻 黄金の燕
2巻 海の孔雀
3巻 朱烏の星
4巻 夢の白鷺
5巻 大地の翼

講談社児童文学新人賞、日本児童文学者協会新人賞

2012年9月20日 10時51分 | 記事へ | コメント(5) |
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2012年09月19日(水)
「坊ちゃんの時代」第二部「秋の舞姫」(双葉社)
坊ちゃんの時代」第二部「秋の舞姫」(双葉社)



熱血・ひげくじらの読書案内 no.73
これは、知人の現役高校教師が生徒に配布している「週刊・読書案内」です。



三年生の現代文の授業は、森鴎外の「舞姫」。「石炭をばはや積み果てつ」で始まる美文調の擬古文体の文章は、現代の高校三年生には苦痛以外の何物でもないらしい。主人公太田豊太郎がベルリンに到着したあたりで早くもギブアップ。教室には、なんというか、オモーイ空気が漂い、ひとり、ふたり、あっちでバタリ、こっちでバタリ、最悪の消耗戦を戦う戦場もかくや、という様相を呈してくる日々が始まっているのですが、今回案内するコミック「坊ちゃんの時代」第二部「秋の舞姫」(双葉社)は、そうやって居眠りの世界に行ってしまっている人たちには面白くないかもしれません。
関川夏央が原作を書き、谷口ジローという漫画家が作画したこの漫画は、日本という国の「近代」という時代に、言い換えれば文明開化、富国強兵をうたい文句にして驚異的な発展を遂げたアジアの片隅の島国の「明治」という時代ということですけれども、その時代の「歴史に関心を持っている」、人には、なかなか面白いマンガだと思います。というのも、関川夏央人は、両親が学校の先生という不幸な生い立ちなのですが、上智大学を中退して、週刊誌のコラムを書いたり、ポルノ漫画の原作を書いたりして糊口をしのいだこともある苦労人(?)で、「ソウルの練習問題」(新潮文庫)という批評作品で批評家として世に出た人です。どっちかというと「文学さまさま」というようなアプローチではなく、スキャンダルや、エピソードの収集家的な視点で、近現代の文学シーンを暴いてきた人なのです。その関川が、名作「犬を飼う」(小学館文庫)の漫画家谷口ジローと組んで、日本漫画作家協会賞をとったのがこの漫画なのですから。
作品は「浮雲」の作家、二葉亭四迷こと長谷川辰之助の葬儀のシーンから始まります。明治四十二年六月二日。染井墓地での埋葬に参列する人々は、漱石、夏目金之助。啄木、石川一。鴎外、森林太郎。弔辞を読むのは劇作家島村抱月。他に、徳富蘇峰、田山花袋、逍遥こと坪内雄三、etc。明治の文学史上、僕たちが受験生だったころは覚えていて当たり前のビッグネームがずらりとそろっています。二葉亭は朝日新聞の特派員として念願のロシア遊学中に発病、帰路インド洋上の船中で客死しました。しかし、彼が死の床で、脳裏に浮かべた一人の女性こそ、エリーゼ・バイゲルト、すなわち「舞姫」のエリスのモデルであったというのが、この漫画の謎というわけなのです。言文一致の文人二葉亭が、なぜ鴎外の恋人エリーゼことエリスを知っているのか。なぜ、いまわの際にその面影を思い浮かべるのか。
鴎外のドイツ留学からの帰国は明治二十一年九月八日。ドイツ夫人エリーゼ・ゲイバルトは四日遅れて横浜に到着する。彼女の船賃を工面したのは鴎外自身。彼はこのドイツ夫人と結婚を決意していたのです。しかし、日本に帰国した鴎外は、彼女が日本に滞在した三十六日間の間にたった一度だけしか会うことはなかったのです。
「ああ ようやく…」「済まなかった…」「一万哩を旅したこの地の果てで、まともに会えたのがただ一度なのですか。」「済まなかった。しかし私にとっては欧州もまた地の果てだった。」「…そうなのですね。」「地の果ての決意を私は石のごとくと思ったが、それは砂の塊にすぎなかった。いま、この国で白人が暮らすのは苛酷だからというのはやはりいいわけだ。私は自分の安心のためにあなたを捨てたのだ。」「……」「互いにあまりに遠すぎた。生まれた土地が…ではなく、生まれた土地によって作られた互いの人間性が。私は深く恥じよう。」「わたくし、十七日の船で日本を去りましょう。コガネイはもう一度リンタロウーの母上に話そうといいました。あなたの弟アツジローも。わたくしは断りました。あなたには所詮無理です。恋人のために命を投げ出す義の心がない。そう思い知りました。」
「家」、「国家」、そうしたしがらみに身動きならない態度をエリスによって、切って捨てられた物語の終盤のシーンの二人の会話です。明治という国家がどのような価値観で建設されたのか、考え始める糸口が見つかるのではないでしょうか。傷心のエリスは十月の末に帰国し、鴎外は一年後の秋「舞姫」を執筆し明治二十三年正月の「国民之友」という雑誌に発表しました。彼は彼で深く傷ついていたのではないでしょうか。「舞姫」はずるい男の開き直りを描いた小説ではなさそうです。
二葉亭四迷とエリスの関係について興味をお持ちお方は、本作品をお読みください。たった三十六日間の滞在なのですが、エリスは実に様々な人と出会っています。彼女自身の人柄も潔癖で純情、自らの精神に一途な、素晴らしい女性として描かれていて、なかなか痛快です。図書館の棚で待っています。(S)
2012年9月19日 11時56分 | 記事へ | コメント(12) |
| 熱血・ひげくじらの読書案内 |
『モギ』あすなろ書房
『モギ』リンダ・ス・パーク、あすなろ書房



12世紀の韓国の話です。親に捨てられたモギという少年が、焼きもの師の見習いになって一生懸命に働くというストリーなのですが、これがものすごく感動するのです。大きな事件が起こるわけでもないし、波瀾万丈の人生を送るという話ではありません。ただ、毎日を食うために働く少年の話です。自分でも不思議なのですが、様々な小説を読んできたので、ちょっとやそっとのことでは感動はしなくなっているはずなのですが、この本は何故か感動するのです。迷宮のように複雑に入り組んだストーリーでもなく、圧倒的な著者の知識でもなく、極限の世界に生きることのきびしさでもなく、危険に立ち向かう冒険の物語でもないのです。それなのに「この本はみんなに読んで欲しい!」と思ってしまう自分がいました。その感動の質というのは、読後のすがすがしさにあるようです。夏の暑い時に、渓流の冷たい水を手で掬って飲んだような、爽やかな透明感を感じるような気持ちになります。よく考えてみると、この物語には悪い人が一人も登場しません。みんないい人ばかりです。モギを育ててくれた橋の下に住むトゥルミじいさん、焼きものの腕はいいが、がんこもののミンさんとそのおかみさん。モギを取り巻くこれらの人たちのやさしさが、じわーっと伝わってきます。この「じわーっ」という感覚を長い間忘れていたような気がします。この本はよく小学校の高学年ぐらいのレベルで推薦されています。ある意味で無農薬の野菜のようなもので、安心でおいしいのです。ただし、ゲームやテレビなどの早い展開や濃いキャラクターに慣れ親しんだ子どもには、この「じわーっ」という感覚は少し物足りないかもしれません。
2012年9月19日 11時51分 | 記事へ | コメント(0) |
| 本の紹介 |
2012年09月15日(土)
加東市秋のフェスティバルに出店
加東市秋のフェスティバルに出店

11月3日(土)4日(日)の2日間、初めて加東市秋のフェスティバルに出店することにいたしました。したがって、この2日間はお店は臨時閉店いたします。場所は3カ所に分散して開催されるのですが、まだ、どこになるのかはわかっていません。まだまだ知名度が低いので、地元の方に知ってもらえるいい機会になればと思っています。
2012年9月15日 15時52分 | 記事へ | コメント(10) |
| お店からのお知らせ / お知らせ |
すみませんでした。
『怪物はささやく』の書評に、2人の方がコメントを書いてくださったのですが、操作を誤って消去してしまいました。申し訳ありません。これに懲りず、またコメントをお願いします。
2012年9月15日 15時45分 | 記事へ | コメント(0) |
| お店からのお知らせ / お知らせ |
2012年05月23日(水)
草之丞の話
『草之丞の話』
文:江國香織、絵:飯野和好、旬報社



父と母と、中学生の僕との三人の短い話です。

女優を母に持つ中学生の僕が、学校をさぼって映画を見に行こうと電車に乗っていたら、桜色の着物を着た母を見つけます。そっと後をつけると、母は駅前商店街の八百屋の前で、まるで墓参りをしているみたいに手を合わせていました。

それからしばらくたった夏、三人の関係が初めてわかる場面です。

七月。朝寝坊をした日曜日、パジャマのまま台所に行くと、おふくろは庭にでていた。
よく晴れた、しずかな午後だった。
びわの木の下に立って、おふくろはさむらいのかっこうをした男と話をしている。
紺の着物に刀をきちんとぶらさげて、ちょんまげもりりしいさむらいだった。
おおかた、ふうがわりな役者仲間だろうとは思ったが、それにしてはさむらい姿が板につきすぎている。
これが草之丞だった。

おふくろは日傘をくるくるまわして、まるで女学生のように頬をそめている。
サンダルをつっかけて、僕も庭にでた。
「おはよう、母さん。お客様なの」
おふくろはびくっとして、しばらく僕の顔をみつめていたが、やがてにっこりと微笑んだ。
「草之丞さんといってね、お父様ですよ、あなたの」
僕は、僕の心臓がこんなにじょうぶでよかったと思った。


時代は昭和の40年代から50年代にかけての頃でしょうか。中学生の娯楽が映画であった時代、母子家庭にもテレビが普及していた時代、女学生という言葉が死語でなかった時代です。そんな時代に、庭でちょんまげ姿のさむらいと、母が親しそうに話をしていたのです。

おふくろは日傘をくるくるまわして、まるで女学生のように頬をそめている。


これだけで、二人の関係がよくわかります。竹下夢二の絵に出て来るような雰囲気のレトロな感覚です。今では一笑に伏される「プラトニックラブ」という言葉を思い浮かべてきそうな、淡い恥じらいや、喜びを内に秘めたいそいそとした振る舞いが目に浮かんできます。母は、今まで内緒にしていた父を初めて息子に紹介します。

おふくろはびくっとして、しばらく僕の顔をみつめていたが、やがてにっこりと微笑んだ。
「草之丞さんといってね、お父様ですよ、あなたの」


「びくっ」としてから「にっこり」するまでの間に、母親は何を思い、何を考えたのでしょうか。なんと言っても普通の父親ではないのですから、その思いは想像もつきません。たとえば、不倫の関係であるとか、父親が犯罪者であり世間に知られてはまずいとかいった理由であれば、まあ、よくある話ということに落ち着きます。ところが、この草之丞さんというのはただ者ではなかったのです。それでも母親は、さっぱりとして息子に紹介しました。

「草之丞さんといってね、お父様ですよ、あなたの」


この時に、草之丞は正真正銘のさむらいで、正真正銘の幽霊であると母から知らされました。江戸時代に死んださむらいが、母の芝居を見て一目惚れし下界に下りてきたそうです。

話はもう少し続きます。でも、ここまでにしておきます。

「行かないでください」
「では、さらば」
2012年5月23日 18時04分 | 記事へ | コメント(3) |
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2012年05月22日(火)
歌う悪霊
歌う悪霊
ぶん=ナセル・ケミル、え=エムル・オルン



絵本がハッピーエンドで終わり、読む人の心をほのぼのとすると考えている人は、この本を読まないで下さい。また、絵本が子どもの心に希望を与えると思っている人は、この本を避けて下さい。

『歌う悪霊』は北アフリカの民話です。貧しい、ほんとうに貧しい農民の一家の話です。
昼飯にありつけば、
ああ、おれは、きっと晩飯にありつけないのだ、と思ってしまう。
晩飯にありつけば、あすの昼飯にはありつけないだろうな、と思ってしまう。

死んだおやじからうけついだのは、この貧乏だけだったのですが、男は結婚し、子どもが生まれました。その時、男は誓います。この子だけには貧乏をさせないと。男は少しでもお金や食べ物を手に入れるために、毎日、遠くまで日雇いの仕事に出かけます。

普通の物語だったら、子どものためにコツコツ働いて、一家三人で幸せに暮らした、という展開になるのですが、ここではそうはなりません。

男が出稼ぎに通う途中に見渡す限りの荒れ地が広がっています。この荒れ地を耕して畑にすれば、もう飢えることはなくなる。子どものために畑を作りたい、男はそう思いました。ところが、この荒れ地には昔から悪霊が住んでいて、ここを通るだけでも、コオロギやバッタにされるという話なのです。本当に恐ろしいことです。それでも男は、この悪霊の荒れ地を麦畑にすることを決意します。

我が子のために、恐怖を克服して勇敢に悪霊に立ち向かい、畑を作ろうとする父親の物語。たとえ途中で失敗しても、子どもには勇敢な父親の姿は永遠に心に刻み込まれているでしょう。いやいや、この話はそんなに甘くはありません。もっと驚くべき結末が待っているのです。

それではいよいよ悪霊の登場です。男が茨(いばら)を引き抜こうとします。すると地面の底から歌が聞こえてきました。〈おまえは、そこで、なにをしている?いったい、なにを?〉男が「茨を抜いている」と答えると、〈まて!てつだってやる!〉と言って5人の悪霊があっという間に茨を抜いてしまいました。次の日、男が石を取り除こうとしました。すると、また地面の底から歌が聞こえてきました。〈おまえは、そこで、なにをしている?いったい、なにを?〉男が「石を取り除いている」と答えると、〈まて!てつだってやる!〉と言って10人の悪霊が広い荒れ地の石をすべて取り除いてくれました。また次の日、男は土地を耕そうとしました。すると地面の底から歌が聞こえてきました。〈おまえは、そこで、なにをしている?いったい、なにを?〉男が「耕している」と答えると、〈まて!てつだってやる!〉と言って20人の悪霊が出てきて、耕してしまいました。次に男が麦をまこうとすると、今度は40人の悪霊が出てきて、全部まいてくれました。麦が育ってきた頃、カラスが来て麦を食べようとします。そこで男はタンバリンを持って出かけ、カラスを追い払うためにタンバリンをたたき始めました。すると地面の底から歌が聞こえてきました。〈おまえは、そこで、なにをしている?いったい、なにを?〉男が「タンバリンをたたいている」と答えると、〈まて!てつだってやる!〉と言って80人の悪霊があっという間にタンバリンを持ってあらわれいっせいにたたき始めました。次の日は160人、その次の日は320人、そして数日後には、3200人もの悪霊が出てきました。

これが本当に悪霊?絵はものすごく恐いのですが、どちらかと言うと、人なつっこくて、人間の役にたってくれているではありませんか。広大な荒れ地がみるみるうちに豊かな麦畑に変わったではありませんか。男はやるきまんまんになっています。でも女房は悪霊を恐れています。「だめよ、あんた!きょうは助けてくれたかもしれない。でも、あしたはなにをするか見当もつかないのが、悪霊じゃないの!」最初は悪霊を恐れたいた男は、ここまでくればもう少しで麦が食べられる、という思いで必死でした。今日は病気になったが、いかなければカラスたちに全部麦を食べられてしまう。そこで男は、息子に頼みました。タンバリンをたたいてくれと、そして、それ以外には何もするなと。息子は男に言われたようにタンバリンをたたきました。すると悪霊が6400人あらわれて〈おまえは、そこで、なにをしている?いったい、なにを?〉と歌い出しました。息子は「タンバリンをたたいている」と言うと、悪霊は〈まて!てつだってやる!〉と言っていっせいにタンバリンをたたいてカラスを追い払いました。畑には麦がたくさん稔っています。息子はうれしくなって、おとうさんに教えてあげようと思い、麦の穂を数え始めました。何回数えてもたくさんありすぎてうまく数えることはできません。つかれはてて、一粒だけ麦を食べました。〈おまえは、そこで、なにをしている?いったい、なにを?〉息子が「麦を一粒だけ食べただけだよ」と言うと、12800人の悪霊が〈まて!てつだってやる!〉と言って、すべての麦を食べてしまいました。息子は呆然として畑にたたずんででしまいました。帰りが遅いのを心配した父親が畑に行き、そのすべてを理解しました。怒りがこみあげてきて、息子を思い切りなぐりつけました。〈おまえは、そこで、なにをしている?いったい、なにを?〉という声が聞こえたので、「しつけのために、息子を軽くぶっただけさ」というと、25600人の悪霊が出てきて息子をぶちました。悪霊の力は強いので、息子はクレープのようにうすくなってしまいました。後からやってきた女房がこれを見て、髪の毛をむしって悲しみました。〈おまえは、そこで、なにをしている?いったい、なにを?〉という悪霊に、女房が「髪の毛をむしいているのよ!」と言うと、51200人の悪霊が女房の髪の毛を一本づつむしりはじめました。父親はあまりのことに泣き始めました。〈おまえは、そこで、なにをしている?いったい、なにを?〉と聞かれた父親は、「おれの女房と、おれの坊やのために、泣いているのだ!」と答えると、〈まて!てつだってやる!〉と言って、たちまち地面の底から、小さな悪霊が、大きな悪霊が、ついに、地面の底にいるすべての悪霊が、いっせいにわきでてきて、涙を流しはじめました。そして、濁流となった悪霊の涙は、男を、女房を、坊やを、おぼれ死にさせたのです。

すごい話ですね。まったく、救いというものがありません。普通なら、貧しいけれど、一生懸命働けば、その報いがあって幸せになれるという話が多いのですが、ここでは、そのような思いはまったく通用しないようです。一生懸命働こうが、子どもや女性であろうが、そんなことはいっさい関係がないように、貧しい農民の一家をすべて死に追いやってしまいました。近代的な分析的な理性では、この話を人間と自然を対比して、自然を人間が支配することはできないとして、自然に対する人間のおごりをいましめるものとして捉えます。しかし、この話はそのような分析さえも吹き飛ばしてしまうくらい圧倒的な自然を描いています。

もう一度、この民話をよく読み返してみましょう。悪霊は、人間に害を加えているのではありません。ただ、人間の行為を反復するだけです。コンピューターのプログラムで、ループという命令があります。ある条件のもとで、繰り返し同じ作業をするように命令します。すべて終了すればこのループが解除されます。悪霊はまさに、このループと同じ機能を持っています。悪霊は5人から、10人、10人から20人と現われるたびに倍増してはいますが、基本的な機能は、人間の行為の反復です。もし、コンピューターの操作を誤り、ループに陥ったとしても、コンピューターが悪いという人はいないはずです。その場合、あくまでも人間が操作を誤ったと見なします。そう考えると、悪霊は実は悪くはないのではないかとも考えられます。悪霊というイメージがあるので、その行為は人間に害を及ぼすと思ってしまいますが、反省的に考えれば、悪霊は悪いのではなく、人間の側が言葉の操作を誤ったと言うこともできます。人間の行為の反復といいましたが、もう少し正確に言えば、悪霊は自分で判断して、人間の行為を真似ているわけではありません。ある行為をしているのを見て、〈おまえは、そこで、なにをしている?いったい、なにを?〉と聞いています。つまり、悪霊には人間の行為の意味がわからないのです。人間が言葉で説明して初めて〈まて!てつだってやる!〉と言って、その行為を反復し始めるのです。

人間の行為
悪霊の問い(いったい、なにをしている?)
人間の説明
説明の中断(まて、てつだってやる!)
悪霊による人間の行為の反復

悪霊には、人間の行為の意味も、価値判断もわかりません。ただ、反復するだけです。この話の最後の箇所には、次のように書かれています。

この日から、悪霊の荒れ野のあったところを、大きな河が流れている。
ーーおまえたちが、悪霊の河とよんでいる、あの河がな。
釣り人たちは、言う。
河の底から、歌声が、ひびいてくる朝がある、と。
《おまえは、そこで、なにをしている?…いったい、…なにを?》
だがな、釣り人たちは、けっして返事をしないように気をつけているのさ。


つまり、悪霊のループを回避する手段は沈黙することなのです。

もう一度最初の場面を思い出してみましょう。

男は、つぶやいた。「ああ、おれは、この荒れ野を、おれの麦畑に…」
だが男は、言葉を、おしまいまで言わなかった。
ところで、誰でも知っている教えがある。
「ことばを、おしまいまで言わない奴らを、決して信じてはならない。なぜなら、そういう奴らは、なんとでも言い抜けをすることができるし、どんなひどいことでもできるのだから。」
だから、男は、もういちど荒れ野を見つめなおしたのだ。
おれに失うものなど、なにひとつない、と思いつめた者の、あの眼差しで!
男は、さけんだ。「おれは、悪霊の荒れ野を、おれの麦畑にするぞ!」

「言葉を、おしまいまで言う」こととは、「世界を差し示す」ことです。つまり、「これは〜で有る」と言うことによって、空間に区別=差異を出現させ、存在が存在として認知されることになります。これに身体の執行がともなったときに「行為」と呼ばれることになります。それは、世界を切り拓く「決断」であり、「意志を伴った行為」です。ということは、「ことばを、おしまいまで言わない奴らを、決して信じてはならない。」というのは、与えられた状況において、自らの意志で行動することの大切さを語っているのではないでしょうか。そして、「行為」が「意志」から乖離した場合、ただの「行為」の無限反復となってしまいます。これは、無目的的行為だと言えます。これが悪霊と呼ばれているのです。

今も、河の底から悪霊の歌声が聞こえてきます。
2012年5月22日 18時17分 | 記事へ | コメント(1) |
| 本の紹介 |
2012年05月12日(土)
怪物はささやく
怪物はささやく』
パトリックス・ネス著、シヴォーン・ダウド原案、あすなろ書房








久しぶりに書評を書く気になっています。それはたいていの場合、この本はとてもすばらしいので、他の人に読んでもらいたいという気持ちからなのですが、それだけではなく、自分の中である種の衝撃を受けて、それがうまく言葉に出来ないといった場合にも、なんとかすっきりと落ち着かせたいという思いから書くこともあります。この『怪物はささやく』も、そのような本であると言えます。

この著者は、パトリックス・ネスという人なのですが、原案シヴォーン・ダウドとなっています。共著とか、絵と文が違う人というのは多いのですが、「原案」というのは初めてです。最初に「“二人の著者”からのメッセージ」というのがあり、パトリックス・ネスがこの本の成立事情を述べています。それによると、シヴォーン・ダウドは若くして亡くなり、生前に2作、死後に2作発表され、これは5作目の未刊の遺作だそうで、キャラクターや舞台や導入部は書き残されていたものを、その意志を引き継いでパトリックス・ネスが完成させたものだそうです。ほとんど知られていない、シヴォーン・ダウドという人は、どんなひとだったのでしょうか?国立国会図書館・国際子ども図書館のサイトから引用します。

1960年、イングランド人の父親とアイルランド人の母親のもと、ロンドンに生まれる。オックスフォード大学レディ・マーガレット・ホールで古典文学の学位を取得。数年働いた後、ロンドンのグリニッジ大学に戻り、ジェン
ダーと民族学で修士号を取得。国際ペンクラブ(PEN)で、作家の人権促進や読者と作家の交流のために、様々な活動に率先して携わった。2007年に出版した"The London Eye Mystery"で2008年のビスト最優秀児童図書賞を受賞、2009年には "Bog Child" で同賞を再度受賞している。2007年8月、47歳で死去。



2006年3月 A Swift Pure Cry
2007年カーネギー賞ショートリスト
2006年ガーディアン賞ロングリスト
2006年ブックトラスト・ティーンエイジ賞ショートリスト
2006−07年ビスト児童図書賞ED賞
2007年ドイツ児童文学ヤングアダルト部門ノミネート
2007年ブランフォード・ボウズ賞

2007年6月 The London Eye Mystery
2008年カーネギー賞ロングリスト
2008年チルドレンズ・ブック賞高学年向け部門ショートリスト
2007−08年ビスト最優秀児童図書賞

2008年2月 Bog Child
2008年ガーディアン賞ショートリスト
2009年カーネギー賞
2009年エドガー賞ヤングアダルト小説部門候補
2009年ビスト最優秀児童図書賞
2011年邦訳『ボグ・チャイルド』ゴブリン書房

2009年2月 Solace of the Road
2009年ガーディアン賞ショートリスト
2010年カーネギー賞ロングリスト
2009年コスタ賞児童書部門ショートリスト
2010年ビスト児童図書賞栄誉賞


これを見てもシヴォーン・ダウドという人の作品の質の高さが感じられます。そして、装幀がしぶい。挿絵はすべて黒一色のイラストで、ページによってはイラストを背景にして、本文が白抜きの文字で書かれています。かなり昔になりますが、杉浦浩平の装幀で『全宇宙誌』が工作舎から出版されましたが、あの本を彷彿とさせる造りとなっています。

『怪物はささやく』というタイトルの「怪物」ですが、日本にはない概念です。日本であれば、妖怪やオバケ、鬼といったものはいるのですが「怪物」はいません。それに近いものは、俵藤太が三上山で退治した大百足や、スサノヲの命が退治した八岐大蛇や、伝説の巨人だいだらぼっちなどが挙げられますが、これらも「怪物」という概念とは少し異なっています。『怪物の王国』(倉本四郎、筑摩書房)には、次のように書かれていました。
歴史家の阿部謹也さんの『甦る中世ヨーロッパ』という本を読んでいたら、怪物たちは大宇宙の住人だ、という指摘が目についた。大宇宙とは、人間のすむ小宇宙の外側にひろがる空間である。森や山や川もそこにふくまれるというから、大自然といってもいいかもしれない。古くから、そこには人間の力のおよばない力に満ちている、と考えられてきた。怪物たちは、どうもその、さまざまな力のシンボルらしいのだ。

どうやら「怪物」というのは、キリスト教を背景としたきわめてヨーロッパ的なものであるようです。キリスト教の世界において〈神〉は、創造主です。この世界のすべてのものは〈神〉によって造られたとされています。ですから、説明のつかないものや、意味不明のものは、原則として存在するはずがありません。それでも人間の人智を超えた事象やものは存在します。しかし、これは人間が知らないだけであって〈神〉は知っているのです。どうやらこれをヨーロッパでは「怪物」と名付けたようです。

19世紀初頭までの精神病院で患者たちに課されていた公開見世物についての議論においてミシェル・フーコーが想起させてくれたように、「怪物」とは「見られる」物、あるいは者である。世界は合理的な神が作りあげたのであるから、そこに生きる奇形や狂人たちにも、存在意義がなければならないはずだ。彼らの意義とは、過ちやすき人間たちに対して、悪意、愚行、非理性の結果を、一種の警告(ラテン語のmonstrareつまり「警告する」こと)として、目に見える形で示すことなのである。怪物や奇怪なるものをめぐる神学的な解釈は、アウグスティヌスにまで遡る。アウグスティヌスは『神の国』において、怪物は神の意志を示す者と説いた。
(『フランケンシュタインの影の下で』クリス・ボルディック、国書刊行会)


この『怪物はささやく』に登場する「怪物」は、主人公の13歳の少年に次のように言っています。

わたしは、飼い慣らされないすべてのもの、飼い慣らすことのできないすべてのものだ!


さらに、「怪物」はその出現の理由を次のように言っています。

問題は、わたしが何を求めているかではない。おまえがわたしに何を求めているかだ。

人間に制御不能の「怪物」は、同時に、13歳の少年コナーの心の闇が生じさせたものであると言っているのです。この物語の主人公であるコナーの両親は離婚し、現在は、病気の母親と二人で暮らしています。母親の病気というのは、はっきりとは書かれてはいませんが、どうやら癌の末期のようです。原作者のシヴォーン・ダウド自身が癌で亡くなっていますから、ここに投影されているのかも知れません。新しい薬を何度も試みるのですが、その度に体が衰弱していきます。薬の副作用からか髪の毛も抜け落ちてしまいます。この病気のことが学校中に知れ渡ってしまい、先生や友人たちが急によそよそしくなってしまいます。この頃からコナーは「本当の悪夢」を見るようになります。それは誰にも知られたくないコナーの心の奥に秘められた「悲鳴と転落」の悪夢です。この悪夢をみるようになってから、午前12時7分になると、コナーの部屋の外に「怪物」が現われるようになりました。それは教会の墓地に生えているイチイの木です。そのイチイの木が窓際まで歩いてきて「怪物」に変形するのです。しかし、コナーは意外にも「怪物」を恐れはしません。なぜなら、コナーにとって本当に恐ろしいものは「悪夢」だったからです。しかし「怪物」はこの「悪夢」のことも知っているのです。そして、「怪物」は、3つの物語を語るので、4つ目の物語はコナー自身が真実を語るように言います。しかも、ただの真実ではありません。「おまえの真実」を語るように言います。ここで「怪物」が要求していることは、客観的真実を述べるというようなことではなく、コナー自身の〈固有の〉真実の開示です。第1の物語は意地悪な王女の話、第2の物語は薬剤師と司祭の話、第3の物語はコナー自身の物語で、「悪夢」を見るようになってから、ハリーという少年から執拗ないじめを受けるようになります。この少年を「怪物」がコナーと重なってなぐりつけ、怪我をさせていまします。この3つの物語はそれぞれが単純な物語ではありません。そこで語られているのは、〈真〉と〈偽〉が、状況によって異なる、人間の複雑さです。「怪物」は言っています。

物語はこの世の何より凶暴な生き物だ。

いよいよコナーは「怪物」に、コナー自身が物語を語ることを迫られます。何よりも恐れていた「本当の悪夢」のことです。それはお母さんが崖から落ちそうになり悲鳴をあげており、それを必死で助けようとしてお母さんの手を握りしめているコナーの夢です。

「助けて、コナー!」母さんが叫ぶ。「手を放さないで!」
「放すもんか!」コナーは叫び返す。「ぜったい放さないよ!」

しかし、夢の中ではお母さんは叫び声をあげながら崖から落ちていってしまいます。「母さんは落ちたんだよ!」とコナーは言います。しかし「怪物」は、冷たく言い放ちます。

おまえは手を放した。
おまえは自分から母さんの手を放した、なぜだ。


もうこの「怪物」から逃れることはできない。そう思ったコナーはついに本当のことを話出します。

もうじき母さんはいなくなるってわかってただ待ってるなんて、もう耐えられないからだ!終わってほしいんだよ!

「ぼくのせいだ!」そう叫ぶコナーに「怪物」は語りかけます。

おまえは苦痛から早く解放されたいと願っただけのことだろう。自分の苦痛から解放されたい、それがもとで生まれた孤独感から解放されたいと願った。それ以上に人間らしい願いはほかにない。


不思議なことに、「怪物」に真実を語ってからは「本当の悪夢」が甦ってくることはなかった。しかし、何となく予感していたその日はやって来た。「怪物」について来てもらって病室に行ったコナーは、午前12時7分に母の死がやって来ることはわかっていた。そして、最後の最後に残された、真実の中の真実を話した。「怪物」がしっかり立っていられるように支えてくれていることを感じながら。

行っちゃいやだ


読後感は最初の荒々しい「怪物」のイメージとは異なり、暖かみのある、すがすがしいやさしさに変わっていました。

〈真〉と〈偽〉の心の迷いが、〈善〉と〈悪〉という道徳的な判断にずれ、〈罪〉の観念にとらわれ悩む少年。「あれ」か「これ」かの選択に迷い、ダブルバインドに陥る少年。そのような少年に「怪物」が語った物語は、そんな価値判断を無効にしてしまい、軽々と乗り越えてしまうものでした。

思考の歴史とは怪物を抑圧する思考の歴史にほかならず、その無意識の抑圧をむしろ博愛的な身振りだと錯覚するための便利な方策を哲学と呼んで顕揚するに至った…。(『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』蓮實重彦、朝日出版社)



「思考の歴史とは怪物を抑圧する思考の歴史」であるとすれば、この『怪物はささやく』は、「怪物を抑圧する思考の歴史」を「怪物」が〈物語〉によって破壊する物語だと言えそうです。『怪物はささやく』の中で、学校で先生からライフライティングを書くように指示があります。

「あなた自身の物語を書くの」英語のマール先生は念を押した。「だれかに話して聞かせるほどまだ長く生きていないなんて思ったら、大まちがいですからね」“ライフライティング”ー自分の物語を書く課題を、マール先生はそう呼んだ。家系、これまでに住んだことのある土地、休暇旅行、楽しい思い出。これまでに経験した、忘れられないできごと。


さりげなく挿入されたライフライティングの話は、あきらかに「怪物」の物語と対極の位置におかれています。

物語は追いかけ、噛みつき、狩りをする。
物語を野に放してみろ。どこでどんなふうに暴れ回るか、わかったものではない。


飼いならされた小さなライフライティングと、制御不能の凶暴な大きな物語。
過去の経験の反復であるライフライティングと、予測不能な一回性の物語。

この『怪物はささやく』は、原案者シヴォーン・ダウドの物語論でもあるようです。
2012年5月12日 17時42分 | 記事へ | コメント(21) |
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2012年05月04日(金)
5月の臨時休業のお知らせ
5月の臨時休業のお知らせ


5月5日(土)臨時休業致します。
2012年5月4日 15時55分 | 記事へ | コメント(0) |
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「これからの正義の話をしよう」マイケル・サンデル

熱血・ひげくじらの読書案内 no.72
これは、知人の現役高校教師が生徒に配布している「週刊・読書案内」です。



発行所 The astigmatic bear‘s lonely heart club       
発行日 2012/05/01


2012年五月。この案内を読んでくれるであろう高校3年生が、新しくなった。64回生が出て行って、僕はぽっかり空いてしまった穴ぼこのようなココロと一ヶ月ほど向き合っていた。四月になって、新しい3年生と出会っても、なんというか、申し訳ないことに、ピンと来なかった。三年間付き合った3年生の卒業を送って、いきなり3年生の授業に出かけるのも久しぶりの経験だったからかもしれない。もちろん仕事なのだから、格別困ることがあるわけではない。学校の中のポジションも変わった。春休みの間から図書館の司書室でラベルを張ったり、棚の整理をして過ごしているけれど、こっちは三十年の教職生活であこがれ続けてきた仕事なのだから、何の文句もない。あらゆる棚や、並んでいる本がホコリまみれなのが哀しいが、公立高校としては、かなりな蔵書を相手にする仕事は教員生活最後の仕事としては、悪くない。なにせ、僕は、本が好きだ。何はともあれ、つまらぬ感傷に浸っていないで、元気を出して、もう一回やってみよう。
新しい読者諸君に「読書案内」について一言。ここ数年間、僕は授業で出会う生徒諸君にこの案内を配布している。できることなら、ゴミにしないで読んでほしいのだが、まあ、もしもこんなものはゴミだと思っても、教室ではなく、家に持って帰って捨ててほしい。名前は週刊と威張っているが、年間に15号程度がやっとのようだから、そんなに迷惑はかけないと思う。なんとか通算150号にたどり着きたいというのが目下のところの目標というところなので、一年間おつきあい願いたい。ところで、PCを新しくしたせいで写真の貼り付けが思うようにいかない。ここに貼った大澤真幸「『正義』を考える」(NHK出版新書)の写真も、どうも変だ。まあ、そのうちやり方もわかってくるだろうから、今回はこれで勘弁してください。
さて大澤真幸。現代文の教材で「責任と赦し」というエッセイがある。あの、大澤君だ。社会学という学問領域で一般向けの本を書いている人というのは、案外多いのだが、その中で、僕が最も面白いと思っている人がこの人。京都大学で教えていたはずなんだけど、調べてみると大学の先生をやめてしまっていた。だから今はフリーランサーというわけか。今回の本は腰巻に著者の写真がついていたのだけれど、これがどうも通販のやらせのオッチャンのような写真で、内容とそぐわない。いやいや、逆にそぐうのかもしれない。何せ「正義とは何か」なんてことを講義しているのだからね。
65回生諸君が1年の時だったか、作家の高橋源一郎、この人も僕の評価は高いのだけれど、なんかインチキ臭かったね、がやってきて、話をしたことがあったことを覚えているだろうか。諸君を相手の冗談のようなおしゃべりだったんだけれど、あそこで彼がしゃべっていたことは要するに「現代社会に正義は可能か」ということだったと思うけれど、忘れてしまったかな。あの時、高橋さんは「最大多数の最大幸福」ということを社会の一つの指標として話を進めながら、多くの人が幸福になるときに犠牲になる少数の人がいる場合、あなたならどうすると畳掛けてきた。例えば、今暴走する電車が走っていてポイント(転轍機)を右に切れば工事をしている5人の作業員が死に、左に切れば一人で働いている作業員が死ぬだけだ、さあ、どうしますか。と、まあこういう風に倫理の問題を語ったと思いますが、あの時語られた問題は、生易しい問題ではない。最近、本屋さんの平台に山積みになっているマイケル・サンデルというハーバードの先生の「これからの正義の話をしよう」(ハヤカワ文庫)という本がある。知っているだろうか。高橋君のおしゃべりも大澤君のこの本も、サンデルさんが火をつけた「正義」の問題に対して答えようとしているところが共通していて、答えがないところもまた共通している。なんだ答えはないのかと、思うかもしれない。サンデルさんの本の原題は「JUSTICE」だから本人は自信たっぷりなんだけれど、日本で出版するときには「これからの」をつけたところがみそ。じつは「正義」ということは相対的な問題なんだ。では、相対的とはどういうことなのか。孟子なら「仁義あるのみ」と答えた問題が、時代や社会によっては、そうとも言えないということなのではないだろうか。大澤はサンデルの議論を最初に俎上に置き、角田光代「八日目の蝉」(中公文庫)を枕にアリストテレス、カント、マルクスと正義論の歴史を辿りなおしながら、答えのない問題に挑んでいる。この本の面白さは、倫理的判断の固有性から、いかに普遍性へジャンプできるかを試しているところだと僕は思う。教科書の「責任と赦し」でも見せた、スリリングな語り口が僕は好きだが、どうだろうか。「責任と赦し」は「正義論」を展開するための基礎論のようなところもある。しかし、両方ともにすっきりこれが正しいという答えがあるわけではない。乞う、ご一読。(S)
2012年5月4日 15時48分 | 記事へ | コメント(0) |
| 熱血・ひげくじらの読書案内 |
2012年03月28日(水)
古事記外伝3
古事記外伝4


『日本「神社」総覧』(新人物往来社)の巻末の一覧表で、西日本の祭神を地図に書き込んでいます。また、物部氏の分布は『日本の神々』(白水社)と谷川健一氏の著作から、銅鐸の分布は「考古空間情報公開用データベース」からデータをとっています。これらのことから、ある程度のレベルでの推測は可能なのですが、神社の祭神については合祀という形で、本来祭っていた祭神がメインでなくなったり、後代に祭られたりしているものも多くあり、あくまでも参考程度に見ています。それでもなお、ある傾向が読み取れます。

伊予の沿岸地域、というより芸予諸島の海域は、他の地域に比べてかなり偏りが見られます。伊予についていえば、ほとんど大山津見神(大山積神)を祭神とする神社で占められています。これは九州熊本地方において健磐竜命を祭神とする神社が圧倒的に優勢である状態と似通っています。しかし、大山津見神は『伊予國風土記』逸文においては、「坐す神の御名は大山積みの神、一名(またのな)は和多志の大神なり。是の神は、難波の高津の宮に、御宇しめしし天皇(仁徳天皇)の御世に顕れましき。此神、百済の國より度り来まして、津の國の御嶋に坐しき。」(『風土記』岩波書店日本古典文学大系)とされ、5世紀頃百済から渡って来た神とされています。『古事記』上巻の神々の生成の段に速秋津日子に続いて登場する大山津見神なのですが、これは後代の挿入ということになります。しかしながら、大山津見神の影響力は『古事記』上巻全般にわたっています。須佐之男命と結婚した櫛名田比賣は大山津見神の孫であり、邇邇藝能命と結婚した神阿多津比賣(木花佐久夜毘賣)は大山津見神の女(むすめ)となっています。わかりやすく言えば、天孫系と反天孫系の両方の祖が大山津見神となっているのです。これだけの政治的影響力を持ちながら、その勢力範囲は伊予の地域に限定されています。この大山津見神が芸予諸島に勢力をはるのが5世紀頃なのですが、九州から畿内へ向かう東遷の痕跡は、あきらかに、この海域を避けています。

この芸予諸島について『瀬戸内の民俗誌』(沖浦和光、岩波新書)で見て行くことにします。著者は、この芸予諸島に生まれ、父方も母方も水軍の血が流れているとのこです。

芸予諸島は瀬戸内海の中央部に位置するが、有人島・無人島を合わせて数十の島々がある。尾道から南の方向に、向島、因島、左木島、大三島、生口島、生名島、弓削島、岩城島、岡村島、大崎上島、大崎下島、豊島、伯方島、伊予大島と並んでいる。ジグザグと入り組んでいるが、四国の今治までタテに連なっている。

このように書かれていると、芸予諸島沿岸は、島がたくさんあって船で航行するのには絶好の地理的条件を備えているように思えるのですが、実際はそうではないようです。また、地図上では勢力範囲などを面で捉えてしまうのですが、海の場合には、点で考えなければならないようです。
 
この鞆の沖合で、東は紀伊水道、西は豊後水道から勢いよく流れ込んできた潮流がぶつかり合う。太平洋で起こった潮汐が瀬戸内海に入ってきて、満潮と干潮が繰返されるのだが、約六時間おきに潮流が転流する。満潮が頂点に達した時が「タタエ」で、その反対に潮位が最も低くなった時を「ヒゾコ」と呼ぶ。いずれも潮行きがゆるやかになって、ほとんど流れなくなる。このような潮が止まった時に船を漕いでも、労力多くして船は進まないので、潮の流れが動き始めるのを待った。古代の船も帆を掛けていたが、筵で編んだ小さな帆のせいぜい補助動力にすぎず、櫓や櫂による手漕ぎによったので、潮合いが悪く風がない時はほとんど走れなかった。それで沿岸の各地に、水や食料の調達も兼ねて〈潮待ち・風待ち〉の港が設けられた。

航海安全のための施設も不備で、観測器や海図もない時代では、船頭の経験と勘だけが頼りだった。沿岸沿いを走る〈地乗り〉航路では、夜は危険な暗唱や漂流物などの見分けがつかなかった。したがって夜は運行せずに、港に停泊するのが常であった。夜は走らないもう一つの理由は、島々や岬の陰に隠れ潜んでいる海賊の出現を恐れたからである。10〜20梃立ての船脚の速い小早船を自由に操って、どこから現われるか分からない海賊を暗闇の海上で避けることはできなかった。瀬戸内海の真ん中を島伝いに直線的に走る〈沖乗り〉航路をとれば、時間がかなり短縮されることは分かっていた。しかし、幅の狭い瀬戸が多く、あちこちに危険な岩礁があって潮流も急だった。沿岸航路からはずれたこれらの離島には、港湾施設もなかった。小さな島々が散在する多島海だから、どの島なのかを見定めることもむつかしく、航路に習熟している〈水先案内人〉がいないと島々の間を縫って航行することはできなかった。しかも正体が定かでない海賊衆が大きな勢力をもっている土地柄だった。

西洋では早くから、天体観測によって船の位置を知る「天文航法」が採用されていた。日の出・日没の方向によって東西の方角を知り、夜は東から西へ移動する星を針路の基準としていた。しかし入り組んだ多島海が多い日本列島では、天文航法は発達しなかった。その目で陸地の目標を確認しながら走る「地文航法」で船を進めてきたのでsる。十分な港湾施設がなく、澪標(みおつくし)などの航路標識もあまりなかったから、小型船で陸岸を遠く離れて航走することは危険だった。山陽道沿いに走る〈安芸の地走り〉と、四国の南岸沿いに走る〈伊予の地走り〉の二航法が幹線航路だった。近畿から九州への船便の多くは、港が多く比較的瀬戸の少ない安芸の地乗り航路を通った。

航海上の困難さと海賊の跋扈が、この海域を避ける理由らしいのですが、この海賊についても、組織的な「水軍」のようなものを思い浮べるのですが、その発声的な段階では、生きるための手段として小さな村落の構成員単位が、単独で海賊行為を行ない、それが、次第に統合されていったようです。
島民の海民たちは、漁撈や製塩や船による交易で生きていた。池を掘って水を貯めて農耕もやった。古代に入ると、採石や放牧に従事する海民も出てきた。このように日ごろの生業があったのに、海賊が出没するようになった。なぜか。島々に定住しても、コメや雑穀を手に入れることは困難だったのだ。食料不足がすべての島の宿命的な課題であった。魚や貝を穫り海藻を採って食べれば死ぬことはないと思われるだろうが、当時の漁業技術では魚はいつでもどこでも獲れるわけではなかった。近くの浜辺の貝や海藻はすぐ食べ尽くしてしまう。焼畑による雑穀栽培もやったのだが、この列島でも有数の小雨地帯だから立ち枯れが多かったのではないか。…そのような諸条件に恵まれていなかった辺境の離島部では、危険を冒して海賊行為に走ることも生きていくための選択肢の一つだった。

瀬戸内の海民は、その出自の違いによって〈宗像〉系、〈安曇〉系、〈住吉〉系、それに南九州から入ってきた〈隼人〉系などいくつかに分かれている…瀬戸内海の港町や漁村を歩くと、至る所に海の神々が祀られている。宗像神・住吉神・八幡神・大山祇神・綿津見神が多いが、漁村で目立つのはやはり金比羅さんとエビスさんだ。郷土誌にしか記載されない小祠を含めれば、その数は何万もある。もちろん芸予諸島では大山祇神が一番多く、第二位が宗像神だろう。

この芸予諸島の中心が、大山祇神社が鎮座する大三島である。そして、芸予諸島の中でも比較的大きい島々が「三島七島」と呼ばれてきたが、どの島が七島に属するのか、昔から諸説があってはっきりとは定まっていなかった。この「三島七島」は、海の豪族〈小千(おち)〉氏の支配する海域だったので、大三島を中心に「オチ七島」とも呼ばれてきた。小千氏の傘下の海民が、航海神として奉じていたのがオオヤマツミノカミであった。その小千氏が、のちに玉興の代になって、中国大陸の「越」の国からやってきた異母兄弟との奇遇を縁として、〈越智〉と改名したのである。

図は、芸予諸島海域を中心とした、寄港可能な港(●印)、大山津見神を祭神とする神社(■印)、宗像三女神を祭神とする神社(◎印)の分布を現しています。これを見ると、この芸予諸島の海域がいかに〈海民〉が多く分布し、その海域の通過や定住が危険なものであったかが伺われます。
2012年3月28日 18時51分 | 記事へ | コメント(1) |
| 古事記・外伝 |
2012年03月16日(金)
「日本の樹木」「続・日本の樹木」(中公新書)

熱血・ひげくじらの読書案内 no.71
これは、知人の現役高校教師が生徒に配布している「週刊・読書案内」です。

発行所 The astigmatic bear‘s lonely heart club       
発行日 2006/05/07




新しい学生さんが、桜花の季節とともにやってきて、やがて、葉桜の季節の到来とともにいつもの学生さんになる。新入生から一年生に名前が変わる頃になると、教室で居眠りが始まり、教員がため息をつき始める。しかし、五月の風は五階の教室をさわやかに吹き抜け、裏庭の木立の先端が揺れる向こうに淡路島の新緑が光る海を隔てて心地よい。
ところで、五月の風に揺れる若葉の名前をいくつ知っているだろうか。僕自身についていえば、自宅から職場への移動を繰り返す生活だが、街角で見上げる街路樹や、教室の前で揺れている庭木の名さえ知らないというのが実態だ。高校生の諸君も似たようなものだろう。大学を受験する人たちの中で小論文と呼ばれる、意見陳述を課される入試を受ける人が結構たくさんいる。最近はやりのテーマの一つは「環境問題」。やれ、「地球環境」がどうの、「温暖化」や「京都議定書」やと付け刃を付けまくった結果、それなりの口をきくようになる。ところが彼等の多くは庭の植木が黒松か赤松かわからないし、杉の木と檜の区別も付かない。
「鈴懸の径」という戦前の流行歌がある。♪♪友と語らん鈴懸の径 通いなれたる学び舎の街 やさしの小鈴 葉かげに鳴れば 夢はかえるよ鈴懸の径♪♪と歌われている鈴のような実をつけるらしいスズカケの木(鈴懸?)がそこらにいっぱい植わっているプラタナスという街路樹だということなんて、もちろん知らない。ちょっと歌の例が古すぎるかな?おばーちゃんの世代でも、ついていけないかもしれない。ともあれ、おばーちゃんたちは地球温暖化のことはよく知らないが鈴懸けの小道を知っていた。ここが大事なところだと思うのだがどうだろう。
辻井達一という北大の植物園長をしていた人が書いた「日本の樹木」「続・日本の樹木」(中公新書)という本がある。日本の樹木についてのカタログか図鑑のような本だが、ただのカタログとは違う。何より文章がいい。気取った学問臭がなく、学者の書く生硬さがない。素人には分からない学問用語を振り回すかしこぶった態度がない。本物の実力があるのだ。
たとえばプラタナスのページは4ページだが、上にコピーした手書きのイラスト、名前の由来。ちなみに和名「スズカケ」の由来は「牧野博士によるとこれは山伏の衣の名で篠懸(すずかけ)というのがあるのを、そこに付けてある球状の飾りの呼び名と間違えてつけてしまったもので、もし強いて書くなら鈴懸とでもしなければ意味が通じないそうだ。」と説明されている。ちょっと解説すれば、篠懸というのは、たとえば歌舞伎の「勧進帳」で、山伏姿の弁慶や義経のあの服装のことで、プラタナスとはなんの類似もないということ。つまり命名者が勘違いして付けた名前なのだ。この後、探偵シャーロック・ホームズの裏庭で産業革命の煤煙に耐えていたプラタナスについて語ったうえで、「立地への適応幅はたいへん広くて、地味が痩せた、そして乾燥した立地でも十分に育つ。しかもロンドンでの例で述べたように煤煙など大気汚染にも強いときているのだから都市環境にはもってこいなのである。その意味ではプラタナスが育っているから安全だ、などと考えては困る。プラタナスが枯れるくらいだったら、それは危険信号を通り越していると考えなければなるまい。」と締めくくる。鮮やかなものでしょう。「環境問題」もここから考える方がきっと面白いだろう。
スギの項目では「悲劇の武将、源義経が鞍馬寺の稚児として牛若丸と呼ばれていた頃、夜な夜な木っ端天狗が剣術の指南をした、ということになっているのも鬱蒼たる杉木立がその舞台だ。これが明るい雑木林で栗の実が拾え、柿の実が赤く染まりというのではとんと凄味がなくて餓鬼大将の遊び場である。実際にお相手をしたのは田辺か、奥州の手の者か分からないが、山伏装束でもしていれば間違って通りかかった坊主、村人、杣人いずれにしてもよく見ないうちから天狗の眷属と踏んで足を宙ににげさったことであろう。そもそも怪しげな噂を撒いておいたということも十分あり得る。」と書いて「スギの材は建築材に重用されるが、その葉は油を含んでいてよい香りを持ち、どこからの由来か造り酒屋のマークになっていた。スギの葉を球状にまとめたものを軒先にぶら下げるのである。スギで酒樽を作るから、それから来たものかどうか。これに似た風習はオーストラリアにもある。ここではマツだが、同じように葉を丸くまとめてぶらさげるのが造り酒屋のシンボルだ。」つまり「文化人類学」ならぬ「文化樹林学」とでも呼ぶべき時間と幅で書かれているわけだ。どうです、新しい樹木と出会ってみませんか。(S)
2012年3月16日 15時10分 | 記事へ | コメント(0) |
| 熱血・ひげくじらの読書案内 |
六十二のソネット  谷川俊太郎

熱血・ひげくじらの読書案内 no.70
これは、知人の現役高校教師が生徒に配布している「週刊・読書案内」です。

発行所 The astigmatic bear‘s lonely heart club    
発行日 2006/04/22






一年生の人たちに何でもいいから質問して御覧というと「テストは難しいですか。」という質問に出くわして当惑してしまった。せっかく入った新しい学校で、始まりからテストの難しさを気にかけている。まあ、それも大事なことかもしれないがもっと大事なことがある。とりあえずテストを気にかける人に、僕の友達がかつて浪人中の僕にくれたことばを伝えよう。「受験勉強は楽しい。やればやるほど出来るようになる。やらなかったことは出来ない。さっぱりしている。あんなシンプルで明快な勉強には二度と出会えないだろう。大学の勉強は苦しい。何がわかるようになったのか、さっぱりわからない。君も一年間、受験勉強を楽しみたまえ。」彼は京都大学を出てサラリーマンをしているが、高校時代、農家だった実家の手伝いに精を出すことが当たり前の生活をしていた。学校の教員が作るテストや入試で試される問題が、ある限界の中で作られていることに気付いていた彼はテストを苦にしなかった。加えて、他人と比べてものを考えるということの馬鹿馬鹿しさをとても早くから知っていた。虚勢を張ったり、卑下したりすることと本当に無縁な人だった。
ところで、テストより大事なことというのはなんだろう。紹介した友人は田圃のあぜ道で詩を暗誦するような人だったが、多分、そこが大切なポイントだと僕は今でも思っている。彼は教科書に出てきた詩や和歌をほとんど暗誦することが出来た。もちろん、そんなことはテストされなかった。しかし詩歌の言葉とリズムを身体の中に入れて楽しむこと。そこにテストなんかでははかれない大切なことがある。ちがうだろうか?というわけで教科書に名前が出てきた谷川俊太郎の詩をひとつ紹介しよう。ちょっと展開に無理があるかな?

六十二のソネット  41  谷川俊太郎

空の青さをみつめていると
私に帰るところがあるような気がする
だが雲を通ってきた明るさは
もはや空へは帰ってゆかない
 
陽は絶えず豪華に捨てている
夜になっても私達は拾うのに忙しい
人はすべていやしい生まれなので
樹のように豊かに休むことがない

窓があふれたものを切りとっている
私は宇宙以外の部屋を欲しない
そのため私は人と不和になる

在ることは空間や時間を傷つけることだ
そして痛みがむしろ私を責める
私が去ると私の健康が戻ってくるだろう

この詩を読んですぐに意味のわかる人はいない。ちなみに、ソネットとはフランスの定型詩の形式の名前で14行の詩を言う。この詩は詩人が六十二のソネットを連作し、詩集にまとめたものの中の41番目の作品。繰り返し口ずさんで欲しい。だんだんと、ある一行ある一行が心の中で動き始める。行と行の関係が見え始める。やがて本屋さんの棚で彼の詩集を探し始めている自分と出会う。ノートにせっせと彼の詩に限らず、あれやこれやの詩人の作品を書き写している自分を見つける。こういうことを普通、勉強などと呼ばない。誰にも言いはしないけれど楽しみ以外の何ものでもないものになる。そういうことをこそ大事なことと呼ぶべきではないでしょうか。変わったり見つけたりするのはあなた自身だ。(S)
2012年3月16日 15時06分 | 記事へ | コメント(1) |
| 熱血・ひげくじらの読書案内 |
「イメージを読む」若桑みどり(ちくま学芸文庫)

熱血・ひげくじらの読書案内 no.69
これは、知人の現役高校教師が生徒に配布している「週刊・読書案内」です。

発行所 The astigmatic bear‘s lonely heart club       
発行日 2006/04/29




「ダ・ヴィンチ・コード(上・中・下)」ダン・ブラウン(角川文庫)という推理小説が昨年来爆発的にヒットしている。読んでいないからなんともいえないが、我が家では女性陣が取り合いをして読んでいる。誰もが知っている世界的名画、中学生や高校生が美術の時間に美術室や教科書の中で見つけた絵の中に隠された秘密の解読をネタにしているんだろうと勝手に見当をつけている。
「絵を見る」ということは、たとえば「本を読む」ということより簡単で万国共通のことだ。見ればわかるのだから、そんなふうに考えがちだ。果たしてそうか。おそらく上記の本はそんなふうに常識だと思い込んで暮らしているわれわれの思考の落とし穴に推理の焦点を当てているに違いない。
若桑みどりという美術史家がいる。彼女が高校生向けに書いた「イメージを読む」(ちくま学芸文庫)という本がある。この本はかつて「ちくまプリマーブックス」というシリーズの一冊として出版された。このシリーズの狙いは高校生の為の基礎教養。「この程度のインテリジェンスは高校生には必要だ。」というシリーズ。ちなみに、シリーズは現在も刊行中で150冊余りあるが、これをほんとに通読してしまえば大学入試の小論文など屁のようのもんだと僕は思う。
 さて、「イメージを読む」に戻ろう。若桑みどりは絵画を見るときに必要な
美術史学における三つの見方を説明する。「様式論」「図像学(イコノグ
ラフィー)」「図像解釈学(イコノロジー)」。まず「様式論」とは一般に「ルネ
サンス様式」とか「バロック様式」とか説明されるが、その時代の「視覚の形
式」を知ること。次のその図柄のなかに描かれている人物や風景がどんな
意味を持っていたのか《表現されている図像の主題と意味を解明する》方
法である「図像学」の必要性。例えばヨーロッパの絵画はある時代、キリス
ト教の教会の聖画であったわけだから、描かれているのはいったい誰かと
いうことがわからないまま感動しても仕方が無いというわけ。「イコノグラフィ
ー」とはたとえば《何故15世紀ではものが平明に表現され17世紀には明
暗のなかで表されたのか。》を考えるために《当時の時代精神とか、享受
層(パトロン)とか、宗教思想とか、流行していた文学や風俗、戦争や疫
病などの歴史的大事件など、あらゆるもの》に目配りし、考察することだ。
つまり、一枚の絵を16世紀なら16世紀の社会の思想や感受性を凝縮し
た情報図像とし鑑賞することが出来るというわけだ。一枚の絵からるイメージ
を受け取るというのは、ただ漠然と「美しい色」とか「細かい筆遣い」とか「大きなお尻やな」とか思い浮かべることでなく、しかるべき情報を読むことだと。「大きなお尻が描かれている」にはそれ相応の理由があるというわけだ。僕たちは学者になるために絵を見るわけではないから、研究はお任せするとしても、その成果を享受すること、情報の読み方を手ほどきしてもらうにこしたことはない。作者の手ほどきは教科書の世界史なんかよりずっと面白いことはうけあってもいい。
本論では「ミケランジェロ」「レオナルド・ダ・ヴィンチ」「デューラー」「ジョルジョーネ」という、ほぼ同時代、15世紀後半から16世紀初頭の画家たちについて三つの方法論を駆使して解説されている。たとえば「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の章にこんな記述がある。
《レオナルドは大変な植物の研究家でして、たくさんのデッサンを、葉脈であるとか雄しべ雌しべであるとか、あるいは潅木であるとか喬木であるとか、植物について植物学者のような写生を残しているのです。『岩窟の聖母』に描かれているすべての植物を分析してみた所、植物が非常に雄弁に、そして明確に意味を語っていることがわかりました。たとえば、イエス・キリストのそばに咲いているのはスミレです。スミレというのは謙遜の花であって、イエスの最大の美徳は謙遜なのです。キリスト教のなかには七つの美徳と七つの悪徳があって、中世を通じて最大の美徳は謙遜で、最大の悪徳は傲慢です。ここでイエスは神の子、天の子でありながら、だれよりも低く地面に座っている。これこそ究極の謙遜です。》
絵の主題を暗示するレオナルドの手法と教養、当時の宗教観が絵を観察しながら説明される。文庫本だから図像が全部白黒なのが残念だが、文章が語り口調なので読みやすい。北大の講義録の書き直しだから内容は申し分ない。読んでしまえば世界が広がる?!。(S)
2012年3月16日 15時00分 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年03月11日(日)
「ことばが劈かれるとき」竹内敏晴


熱血・ひげくじらの読書案内 no.68
これは、知人の現役高校教師が生徒に配布している「週刊・読書案内」です。

発行所 The astigmatic bear‘s lonely heart club 
発行日 2006/04/15



新しい高校生がこの四月、世の中に何人生まれたのか知らない。皆が新しい教科書の目次を開き、新しい教材の最初のページを開いている。僕が使っている筑摩書房の教科書の最初の教材は演出家?竹内敏晴のエッセイ「出会うという奇跡」。いかにも新入生向けの題がついている。さて、新入生の何人がこういう題の文章に心躍る時代なのだろう。マジメにかんがえこんでしまうが、しかし、竹内敏晴はいい。ぼくがこの人の書物と最初に出会ったのは、もう二十年も昔だろうか、当時「思想の科学社」から出ていた「ことばが劈かれるとき」(現在は「ちくま文庫」版)だった。
今、手元に見当たらないから、うろ覚えで書く。その本は一緒に暮らし始めた同居人の棚にあった。薄暗い装丁の陰気な雰囲気の本だった。何気なく手にとってはまった。竹内の自伝的な回想と実践が記されてあった。悪性の中耳炎のためにほとんど聞こえない耳の話、聞こえない耳を持った少年が何も喋れなくなる話。いったんことばを失った少年がことばを回復するプロセス。そこに「ことばを劈く」という言い方が生まれる。「劈」という文字は漢和辞典を引くと「劈開(ヘキカイ)」という「切り開く」という意味の熟語とともに「引き裂く」という意味だと出ている。どうしても出てこないことばを口であるか、喉であるかにナイフを差し込み切り裂くように放つ経験をこの人はしている。その経験だけで読む価値がある。
しかし、この本の眼目はことばを取り戻した彼がことばを喪った人たちを相手に実践する体験の報告にある。例えばこんな話がある。彼が主宰する演劇研究所のワークショップの中で役者を志望する人たちが芝居の相手に科白を届ける練習なのだが、数人の相手に背を向けて座ってもらう。その中の一人を科白を投げかける相手と決めて、その人に向かってせりふを言う。ことばが届いたと感じた人に手を上げてもらう。そういう実践の話だ。果たしてことばは届くのか。気持ちを込め、はっきりと発声して何とか相手にことばを届けようと繰り返すが、見当違いの人が手を上げることはあっても思う相手にはなかなか届かない。毎日この練習を繰り返しながら彼が演者たちに指示することは「大きな声を出すこと」や「気持ちを込めること」ではなくて「体をほぐすこと」であった。気持ちを込めようとすればするほどこわばってしまう身体がある。竹内は演者自身の体をほぐせるだけほぐす。そして静かに発声すること。その結果、何と、ことばは届くのであった。相手と決めた人が向こうを向いたまま、すっと手を上げた瞬間の喜びに中に出会いの感動がある。ポイントは体をほぐすことであった。意識や心がことばとともにあることが主張される風潮の現代社会の中で忘れられているのはことばを体の生の器官が作り出し発声しているという事なのだ。生の体をのびのびさせる所からことばを考える。ことばを失い、苦しみぬいた彼が到達した地点がそこにある。
僕たちは自分以外の外界に対して多かれ少なかれ身構え、緊張して暮らしている。身体はこわばり、こり固まってしまっている。私達の身体は時代と社会の中で生活を支えてけなげにたっているといって良いかもしれない。いつの間にか素直にことばを発する力を失っているのかもしれないということだ。ところが自分ではその事に気付かない。「私」から「あなた」へ呼びかけたことばが届かない日常もまた当たり前のこととして「世界」を諦めてしまっていないか。その本の中で彼はそんな風に問いかけていると僕は感じたのだ。
そんな竹内が出会いを奇跡だと書いているとしたら、これはゆっくり考えてみる価値があると僕は思っている。(S)
2012年3月11日 17時45分 | 記事へ | コメント(31) |
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2012年03月07日(水)
古事記外伝3
古事記外伝3

■2〜3世紀の勢力図です。


この時期、各地域に特徴を持った墳丘墓が出現します。北九州、出雲、丹後、阿波、吉備、大和の地域です。

■北九州、伊都国の勢力範囲に平原1号墓(方形周溝墓)
■出雲に四隅突出型墳丘墓が出現。
  →それまでは、北九州と吉備の影響が見られる。
■吉備に楯築墳丘墓
■丹後に弥生墳丘墓(舟底型木棺)
■阿波に萩原2号墓(日本最古の前方後円墳)
■大和にホケノ山古墳
■播磨は阿波と大和の中間の形態

近畿の大和中心の見方をいったん取り除けば、そこに見えて来るのは、北九州を中心にした勢力と、阿波を中心にした勢力の2大勢力の存在です。まだ確定的ではありませんが、竜王山が四国東北部、吉備、山口、北九州北岸にあることから、阿波の勢力が北九州北部の勢力を介することなく、朝鮮との交易が可能になり、この竜王山のルートを通じて、当時の最先端の技術や資源を輸入していたのではないかと思われます。大和のホケノ山古墳には阿波の結晶片岩や石囲い木槨が用いられており、ホケノ山古墳より半世紀前に造営された萩原2号墓の影響があったことが知られています。またこの両者が竜王山の近くにあることも共通しています。阿波の勢力は、吉備の古墳から阿波式土器が発見されていることから、両者の緊密な関係を示しており、播磨の古墳群にも影響を与えています。出雲は突如、四隅突出型墳丘墓という特異な形態をもった勢力が出現し、山陰から福井まで勢力を広げますが、それまでは北九州と阿波の影響が認められています。また阿波から山陰と丹後に大麻比古神が移されており、大和には天香具山が移ったとされています。

このようにしてみると、北九州の勢力に対抗して、阿波・吉備を中心とした瀬戸内海沿岸勢力があり、それが阿波・大和の大阪湾沿岸(淡海)の勢力に移行したと想像できます。後日アップしますが、これらの地域と銅鐸出土地域はほぼ重なっています。それにしても不思議なのは愛媛です。瀬戸内海の航路から考えれば要衝の地であると思われるのですが、すべての勢力がここを避けるようなコースをとっています。物部氏の密度が非常に濃い地域ではあるのですが、このことと何か関係しているのでしょうか。
2012年3月7日 17時19分 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年03月06日(火)
古事記外伝 2
古事記外伝 2

『神社配置から古代史を読む』(三橋一夫、六興出版)は、神社の配置からその分布を見て行くとういう方法をとっています。神社の配置といっても、同じ祭神とか、同じ神社名というのではなく、国土地理院の2万5千分の1の地図を使用して、神社を線で結びその角度を調べていくというものです。氏によれば、神社の角度は60°、45°、30°の角が重ね合わされて構成されているというのです。この組み合わせによって、出雲式、住吉式、安曇式の3つに分類し、全国の分布図を示しています。ただ、この地図上の神社を線で結んで行くという方法に恣意性を感じていて、すっきりとは賛同しかねるというのが実情です。ここではあくまでも参考程度にその分布を見ることにします。



次に、この分布図を最初の山の移動の図と重ね合わせます。またこの図には物部氏の分布も書き込んでいます。




これを見ると、三橋氏の分類での出雲系は、九州には存在せず、山陰地方沿岸、吉備地方を除く瀬戸内海沿岸、四国北岸、紀伊半島沿岸に分布しています。住吉式は九州南半分の沿岸と、福岡東部から大分にかけての沿岸、広島湾、吉備沿岸、讃岐南岸、播磨、淡路島、大阪湾沿岸、紀川周辺に分布しており、安曇系は九州北岸、讃岐南岸、淡路島、大阪湾沿岸、若狭湾沿岸に分布しています。また、住吉系と安曇系はその勢力範囲が重複している地域が多いことが注目されます。

次回は、竜王山グループが実は讃岐地方の忌部氏と安曇氏の勢力範囲と重なっていること、そして讃岐地方と吉備地方や機内との関係を、見ることにします。現在、「国際に日本文化研究センター 考古学GISデータベース」(http://tunogis.nichibun.ac.jp)を参照にしながら地図を作成中です。
2012年3月6日 11時46分 | 記事へ | コメント(51) |
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2012年02月29日(水)
山の移動
古事記外伝 山の移動

地図を見て遊んでいると、同じ名前の山がいくもあることに気がつきます。最初のうちは、高い山だったら高山と付けても不思議ではないだろうと思っていたのですが、あまりにあちこちにあるので、同名の山をピックアップしてみました。

(1)烏帽子山グループ
(2)高取山・鷹取山・高山・高岳グループ
(3)龍王山・竜王山グループ

この3つのグループに絞り込んで下の図のように線で結んでみました。そうると、想像力をかき立てるような図が浮かび上がってきました。以下、九州地方、中国・四国地方、近畿地方別で作成しています。




 
九州地方では高取山・鷹取山を太い赤線で結んでいます。この高取山・鷹取山グループで囲まれた地域は、高良山を中心として御井や八女といった地方で、邪馬台国九州説においてはもっとも可能性の高い地域です。この高取山・鷹取山グループをさらに取り囲むように高山・高岳グループが細い赤い線で示されています。烏帽子山グループはこの高取山・鷹取山・高山・高岳グループをさらに遠巻きに囲んでいるように並んでいます。龍王山・竜王山グループはさらにその隙間に2カ所存在しています。邪馬台国論争において安本美典氏が、ちょうど高取山・鷹取山グループで囲まれた地域の地名が、そのまま大和地方へ移されたことを指摘し、そこに氏族の移動があったのではないかと問題提起をしましたが、ひょっとすると、山の名もある特定の氏族によって同じ名前が付けられた可能性が考えられます。九州地方を見る限りでは、高取山・鷹取山・高山・高岳グループが最初に勢力を張り、次に烏帽子山グループがその周辺で勢力を拡大させた。龍王山・竜王山グループはかなり後になってから九州へ勢力を伸ばした、ということが想像できます。
さらに他の地域も見ることにします。近畿地方では、九州地方とは逆に、龍王山・竜王山グループが中心部まで勢力を伸ばしていますが、他のグループは中心部に近づくことさえできていない状況となっています。中国・四国地方では、3つのグループが入り交じっていますが、だいたい次のようになっています。龍王山・竜王山グループは、讃岐・阿波・吉備を中心に勢力を張り、高取山・鷹取山・高山・高岳グループは、瀬戸内海コースと、日本海沿岸コースに2つに分かれて東へと進んでおり、烏帽子山グループはこの2つのグループを避けるようにして、中国の山岳地域と、四国土佐から山岳地域を北上するコースをたどっています。

いったい、この分布状況をどのように考えたらいいのでしょう?
■この分布からは近畿地方が中心で西へ移動したとは考えられません。近畿へは3つのグループともに外部から入ったとしか思えません。龍王山・竜王山グループを除いては、辺境地域に点在する程度であり、龍王山・竜王山グループでさえも、近畿地方へ勢力を張ったとは言えない状況です。

■では、九州から東へ移動したのでしょうか?烏帽子山グループと高取山・鷹取山・高山・高岳グループは、確かに九州が拠点であり、そこから東へと向かったと言えそうです。問題は、龍王山・竜王山グループです。最初、龍王山・竜王山グループも九週北部に拠点があり、何らかの理由でこの3つのグループの最初に東に移動をしたのではないかと考えてみました。しかし、吉備地方から下関までのあいだに拠点がなことや、日本海コースがないことから、どうも不自然な気がしました。

■この分布から想像できることは以下のようになります。もちろん、ここではあくまでもこの山の名の移動だけで考えることにします。

(1)九州には、2つの勢力があり、最初は高取山・鷹取山・高山・高岳グループであり、次に、烏帽子山グループが外部から来てその周辺地域に入った。

(2)いっぽう讃岐・阿波・吉備を中心に、龍王山・竜王山グループが勢力を張り、近畿地方と九州地方へ勢力を拡大していった。

(3)この龍王山・竜王山グループの勢力拡大と同時期に、九州の2つの勢力が東に移動した。最初は高取山・鷹取山・高山・高岳グループが移動し、続いて烏帽子山グループの移動となった。

このように考えると、この山の分布状況がうまく説明できそうです。しかし、まだ疑問が残ります。それは、出雲、播磨、丹波、伊予、奈良、和歌山という地域に3つの勢力が浸透していないことです。考えられることは、3つのグループの移動以前に、そこに強力な集団が存在していた可能性がある、ということです。

遊びから始めたのですが、ものすごく面白くなって来ました。現在、この地図に物部氏の分布や、遺跡の分布、埴輪の分布や神社の分布などを、一件づつ場所を確認しながら入力作業をしています。これが完成すれば、さらに何か見えてくるかも知れません。
2012年2月29日 15時04分 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年02月17日(金)
『 ヨーロッパ精神史入門』坂部恵
『 ヨーロッパ精神史入門』坂部恵、岩波書店




坂部恵の『仮面の解釈学』という本を買ったときからずっと、この人は女性だとかってに思い込んでいました。それが間違いだと知ったのはつい最近のことです。この『 ヨーロッパ精神史入門』は、東大退官の最後の年の25回の講義をまとめたもので、非常に地味な本です。地味なのですが、いぶし銀のような、職人の匠の技のような、確かさと堅実さを感じる本です。
一般的にはヨーロッパの歴史は、古代ー中世ー近代と区分され、その近代は16世紀のイタリア・ルネサンスから始まったとされています。これに対し著者は、中世ー近代を連続的なものと見なし、9世紀のカロリング朝からをヨーロパ史の新しい時代が始まったと考えています。このような見方はトレルチ、ウェーバー、トインビー、ピレンヌといった歴史学者たちが提唱しているもので、古代ー中世ー近代の三分法に対して、古代地中海世界ーヨーロッパ世界という区分で考えて行こうというものです。そしてヨーロッパの精神世界においては、14世紀と18世紀と現代(1960年以降)に考え方の変化、断絶を見ることになり、それぞれの講ごとにごく短いテクストを引用して解説しています。そこには、今までアカデミックな思想史では語られなかった、神秘主義について多くが語られています。神秘主義は誤解や曲解が多いのですが、ヨーロッパの精神・思想界においては地下水脈のようにギリシャ以来脈々と流れているもので、この神秘主義との格闘の歴史が、まさにヨーロッパの思想を形成したと言っても過言ではありません。この本には詳しくは述べられていませんが、その最も大きなきっかけは、なんと言ってもイスラム世界との出会いにあります。ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』は映画化されたので知っている人もあると思いますが、中世キリスト教世界に、イスラム世界に保存されていたギリシャ哲学、とりわけアリストテレスの翻訳がいっきにヨーロッパ世界に流入してくることになったのです。触れてはいけない禁断の書としてのアリストテレス哲学は、やがてヨーロッパの思想界を席巻することになります。キリスト教世界から異端として殲滅されたマニ教は、このアリストテレス哲学によって理論武装しており、ことごとくキリスト教宣教師を論破していたということです。また、ルネサンスにおける科学の発達もこのことを抜きにしては成立しなかったはずです。1931年に若きゲーデルが「不完全性定理」を発表した時の賞賛の言葉は、20世紀最高の発見であり、人間の理性の限界を示し、アリストテレス以来の天才の出現というような内容でした。少し横道にそれてしまいましたが、この『ヨーロッパ精神史入門』は、教科書的な流れではない、本当の精神の流れが見えてくる、控えめで物静かな語り口のすばらしい本です。
2012年2月17日 12時49分 | 記事へ | コメント(411) |
| 昔読んだ本を、再読 |
『赤い楯』広瀬隆
『赤い楯 全4巻』広瀬隆、集英社文庫




広瀬隆といえば30年以上も前から反原発運動を行っており、最近では2010年に出版された『原子炉時限爆弾』が、地震の被害による原子炉溶融を予測して警告していたことで有名になったが、彼には別の系列の著作があります。『赤い楯』はその代表作です。ヨーロッパの一つの家族の系譜を丹念に調べ上げ、一枚の大きな家系図を作り、そこから歴史を読み解いていくという独自の手法なのですが、これが一級の推理小説以上に面白い。在野の反原発運動家が書いたということで、表面的には評価されてはいませんが、『赤い楯』を含めその後の『世界金融戦争 謀略うずまくウォール街』『世界石油戦争 燃えあがる歴史のパイプライン』などの著作は、密かに読まれ続けられているようで、国際問題や経済問題を扱った本でいかにも広瀬隆の亜流といった内容のものが多いことには驚いてしまいます。『赤い楯』は、読んで「面白い」のですが、この本を何回も読んでいると「すごい」という思いになり、さらに5年、10年とこの視点で国際情勢を眺めていると「恐ろしい」ということになります。『世界石油戦争 燃えあがる歴史のパイプライン』は2002年6月に刊行されたものですが、この本を読んでいると、この前年、2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロ事件や、その後に続く一連のアメリカの動き、2001年のアフガニスタンのタリバン勢力への攻撃や、2003年のイラク攻撃が予想され、しかもその最終的な目的は、現在問題が表面化しつつあるイランにあることがわかって来ます。アメリカにとって想定外であったのは、アフガニスタンでの敗北と、イラク侵攻の大義名分の国際的な信用失墜ですが、着々とイランへの包囲網は固めているようです。また、軍需産業の落ち込みから資本の流れが原子力産業へと移行したことが、うっすらと見えてくるようになり、原発大国フランスはジスカールデスタン大統領の時代に、原子炉が毎年建設されるようになったのですが、この一族がほとんど原子力産業の要職にあり、その原子力産業の株の大半が、軍需産業によって占められていることが書かれています。それらの探求の出発点がこの『赤い楯』シリーズであると言えます。ヨーロッパのひとつの家族が、やがて全地球を左右するグローバル企業へと変貌する光と闇を描く好著です。おお、ロスチャイルド!
 
2012年2月17日 09時35分 | 記事へ | コメント(1) |
| 昔読んだ本を、再読 |
2012年02月16日(木)
『水底の女』北宋社
『水底の女』イメージの文学誌、島尾敏雄監修、北宋社

現在、筑摩書房から一つの主題に添って編集された「ちくま文学の森」の文庫版が刊行されていますが、この本も同じように「水底の女」という主題のもとに編集されたアンソロジーで昭和53年に出版されたものです。夏目漱石「幻影の盾」、泉鏡花「龍潭譚」、久生十蘭「水草」、つげ義春「ゲンセンカン主人」、小川未明「赤い蝋燭と人魚」、大岡昇平「逆杉」や、柳田国男、折口信夫、萩原朔太郎、室尾犀星、種村季弘、西郷信綱、などぜいたくな内容となっています。購入時は、ちょっと気になって、という感じで買って読むのですが、あまりの暗さに投げ捨ててほったらかしにしていました。しかし、この暗さがいつまでも心の片隅に残って消え去ることはありませんでした。「水底の女」=「死」というイメージが脳裏に刻み込まれ、心に染みわたり、空海の「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く 死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し」という言葉と共鳴して、いつの間にか心の中に異界の磁場のようなものが形成されてしまった、という思いがします。以下はその中から蒲原有明「姫が曲・夏がは」です。

蒲原有明「姫が曲・夏がは」

姫が曲
この曲は材をギル氏が編せる「南太平洋諸島の神話及歌謡」中、「泉の精」と題せる一章に採れり。ラロトンガの伝説なり。泉の名をヴァイティピといふ。満月の後、この泉より出出て、椰樹芭蕉の葉かげに遊ぶ水精の女あり、酋長アティ、一夜人に命じて命を捕ふるが如くして、この女を拉し来らしむ。女はこれより懐孕せり嘆きて曰く、「腹部を剖きて子を出し、おのが亡骸をば土に埋めよ」と。既にして子を産みぬ。また曰く、「人界にて一子を設くる時、水国の母は悉く死なむ」と。アテイはこの後、女の手を執りて、共に泉底に下らむとしてえせず。とこしなへに、水精の女とわかれぬ。
わがこの曲は南国の王の水精の女と共に泉に下らむとするを、未だその女の子を産まぬ前、臨月の苦悶時におきぬ。

『何処へ汝しのびて』と、南の宮の大足日(おほたるひ)
まよひ、なげきに堪へかねて、多摩姫の手を手に執らす。
(嗚呼うたかたや、惜しむとき、消ゆるとき。)

『何処へいまし出でゆく』と、大椰樹しげる国の王、
南の国の王なれど、今はまどひの園のくさ。
(嗚呼うたかたや、呼ぶとて、痛むとて。)

姫はこのとき黒檀の きざはしひとつ降りなづみ、
大君あふぎためらへば 日は香木の戸を刻む。
(嗚呼うたかたや、ためらへど、とどむれど。)

姫が棄てたる沓にこそ 晶玉あそべ黄羽胡蝶
姫が素足のすずしさは 瑠璃座に匂ふ白蓮華。
(嗚呼うたかたや、匂ふとも、棄つるとも。)

『応答せずや』と、大足日 姫をひかへて問ひよれば、
かがやきいでし生華の 垂れなす姫が柔頸。
(嗚呼うたかたや、問ひよれば、垂れなせば。)

『ことに身ごもる姫が身の いづこへひとり出でゆく』と、
責むれば暗き眼眸や ふかき瞳子に火ぞ燃ゆる。
(嗚呼うたかたや、燃ゆるとや、責むるとや。)

『濃やかなりし一歳の ちぎりをいかにおもへりや、
姫よ』と、王のかく言へば、姫は『今こそ語らめ』と。
(嗚呼うたかたや、今はこそ、さらばこそ。)

黄金の鉤に竜王の 懸鈴たかくかかりたる
王は銃索手にとらす、姫は『今こそ語らめ』と。
(嗚呼うたかたや、語るらめと、また更に。)

おもひに姫の沈むとき、鈴は音なき海の色
灯火あくる竜宮の 少女を彫りてうかび出づ。
(嗚呼うたかたや、浮びいで、沈み去り。)

あるひは鈴の音にたたば 階段のまへ戟の華、
多摩姫、王のすそに伏し、三度『今こそ語らめ』と。
(嗚呼うたかたや、咽ぶなり、三たびなり。)
 
香炉の猊やうながせる、姫はうちいづ、
『君が手にわが手をそへて炷きもしつ、白檀の香、沈の香。』
(嗚呼うたかたや、手に手とか、香と香。)

姫はまたいふ、『大宮の栄華をば誰かいちはむ』と、
姫が声ねは睡蓮の 水にゆらるる夜のこゑ。
(嗚呼うたかたや、夜の声、花の声。)

またいふ、『悔いて、うちわびて、さびしくひとり帰らむ』と、
その言ふふしをあやしみて、王は『いづこに帰るとか。』
(嗚呼うたかたや、うちわびて、あやしみて。)

『水より湧きし水の泡、泉の底に生ひたちぬ、
君は南の国の王、わが身もとより水の精。』
(嗚呼うたかたや、水の精、水の泡。)

姫はまたいふ、『一歳や、さきの夜と、このけふの日や、
かの夜に君はわかくして 王座に即きし夜の宴楽。』
(嗚呼うたかたや、さきの夜と、けふの夜と。)

王はかこちぬ、『げにさなり、かの日に栄えし日の王座。』
姫はまたいふ、『膏油燃え、黄蝋照りし夜の宴楽。』
(嗚呼うたかたや、夜は宴楽、日の王座。)

さてしも、王が前にして、
『嗚呼愛欲と、驕楽と、かの夜この身をさそひき』と、
ひざまづきてぞ姫のいふ。
(嗚呼うたかたや、愛欲と、驕楽と。)

姫はまたいふ、
『大宮のひかり こめたるかの夜半に 泉をいでし少女われ、歓喜女天を祈りき』と。
(嗚呼うたかたや、祈りより、泉より。)

見よ、今、姫がひざまづく 衣のあやに影を添へ、
檳榔樹下りぬ、紫金羽の 碧胸毛の垂尾鳥。
(嗚呼うたかたや、影の瑞、鳥の文。)

姫はまたいふ、『かの夜すぎ、七日すぎにしその朝、
御狩にたたす国王の、われを泉に見たまへり。』
(嗚呼うたかたや、かの夜すぎ、七日すぎ。)

『そのとき汝白銀の わが弓とりて随へり。』
『嗚呼、その日より宮のうち、この身もとより水の精。』
(嗚呼うたかたや、誘へり、随へり。)

姫はまたいふ、『夜の空に かかりて月の満つるごと、
階段高き一歳や、みごもりみちぬ胎の月。』
(嗚呼うたかたや、盈つるにか、かくるにか。)

遽かに姫はをののきて、満ちてもゆくか胎の月、
泉の底の咒咀のこゑ『日として聴かぬ日ぞなき』と。
(嗚呼うたかたや、かの咒ひ、この愁ひ。)

『水の国なる法章を 人の世に来て、人の子を、
一人産むとき、生児の 千人は死なぬ水底に。』
(嗚呼うたかたや、千人とや、一人とや。)

姫はささやく、『千人子の 泉のくにの血に叫けば、
夜は夜の輪がね輾りおち、昼は日の軸折れ朽つ。』
(嗚呼うたかたや、たふれ朽ち、輾りおち。)

またいふ、『かくて水底に かへりて罪を重ねじ』と、
その言の葉のあとおひて、王は『われこそともなはめ。』
(嗚呼うたかたや、重ねじと、離れじと。)

南の国の大足日 多摩姫の手を手にとらし、
二人しのびて黒檀の きざはし終に降りたたす。
(嗚呼うたかたや、手をとらし、降りたたし。)

紫斑あるにほひ百合、花は泉の戸のしるし、
二人しのびてたぢりつき、二人うかがふ水の国。
(嗚呼うたかたや、水の国、恋の国。)

王は湧きめく穴を嘗め、『いざ、この水をとことはに
かつぎてゆかむ水の底、今こそ棄つれ日の王座。』
(嗚呼うたかたや、束の間を、とことはを。)

弱肩白き恋の魚 姫は衣をかい遣りぬ、
衣の文のきらめきは 瑪瑙海ゆく孔雀船。
(嗚呼うたかたや、孔雀ぶね、恋の魚。)

たちまち青き水の空 王が身もまた沈みゆく、
王はとぢたる眼をひらき、ひとたび姫がすがた見つ。
(嗚呼うたかたや、姫かそも、泡かそも。)

その手を王はとりたれど、泉ゆらゆら湧き上り、
姫は胸乳をさながらに くだけちり敷く雲母雲。
(嗚呼うたかたや、湧きのぼり、砕けちり。)

王はこのとき眼も眩れつ、まろび去るとぞおぼえたる、
今また深き水を出で 耳には姫の声を判く。
(嗚呼うたかたや、姫のこゑ、ふかき水)

泉のくちにうかびいで、めざめし王が髪をわけ、
姫はうちいづ、『かなしくも 水には慣れぬ君がさま。』
(嗚呼うたかたや、慣れぬさま、王が髪。)

姫はまたいふ、『水そこは 水の少女の星月夜、
日の驕楽は君にあれ、いざ』と、いひさし微笑みぬ。
(嗚呼うたかたや、そのゑまひ、このねがひ。)

姫はほほゑみ下りゆく、ひとりうかがふ王が眼に
象牙かたどる絃月の、たとへば、沈む水の空。
(嗚呼うたかたや、惜しむとき、消ゆるとき。)

夏がは

みずくさ青み、夏川の
(妖(まよはし)のこれ影か夢か)
水のとばりの奥ふかく
ゆららに洩るる姫が髪。

真昼青岸、ひたぶるに
(妖のこれ真鏡か)
いのりて更にまじろかす、
伏してながむる水の面。

いかなる姫か、ひもすがら、
(妖のこれ妖か)
いかなる姫が細髪
顔のはた見まほしき。

河浪のこゑ、水のこゑ、
(妖のこれはかなさか)
こゑごゑ溢れあざわらふ、
『花のおもては見がたし』と。

水草たびき、夏川の
(妖のこれその望み)
水のとばりのさはりなく
いつかは、清き面影を。

姫がくろ髪、ひもすがら、
(妖のこれそのちから)
夢とも消えで、はてのはて、
にほひにこもる姫が眼よ。

さはれ、瑠璃宮歓楽の
(妖のこれそのをはり)
姫にひかれて、常夏を
百合のいづみのひとしづく。
2012年2月16日 10時32分 | 記事へ | コメント(0) |
| 昔読んだ本を、再読 |
2012年02月14日(火)
『分水嶺』高田博厚
『分水嶺』高田博厚、岩波書店

高村光太郎や萩原朔太郎や中原中也、梅原龍三郎や武者小路実篤と親交のあった彫刻家のエッセイです。貧しくて壮絶な人生を語っているのですが、そこには何故か悲壮感はありません。
私は八月児(やつきご)で、夏の夕立の雷鳴におびえ、母親が便所の中で流産に近い形で私を産みおとした。四、五歳までは虚弱児で、医者から「こんな児は育ててもだめだ」と宣告されていたらしい。
親戚の娘と結婚しようとした時、叔父さんからこの結婚だけはあきらめて欲しいと懇願される。その時、叔父の口から、母の秘密を聞かされることになる。母の父親が癩病であり、母は村を捨て大坂に出、その後越前で後妻になったという。それを知った時自殺を考えたりし、母に「なぜ、そんなことを今まで僕に言ってくれなかったのか」問いつめ、母と高田博厚は抱き合って泣いた、とある。別の女性と結婚したが、貧乏な生活はあいかわらずであった。書物を売ったり、妻の着物を質に入れたり、友人たちの援助などでどうにかこうにか生活をしていたようです。そんな彼が妻子を残してフランスへ行くことになった。別に官費留学でもなく、親の遺産があるわけでもない。フランスでも安アパートでその日のパンさえも口にすることができない貧困の生活が続いた。そのようなフランスの生活で彼が見たものは、感じたものは、どのようなものであったのか。
十年の間懸命に追従して来たロダンの「作品」の前にはじめて立った。技術、というより力量の確かさ、自分をそれと較べ合わせてみる了見などはもちろんない。ただ、内部から押し出る力を表面に受け止める、その緊密さ。…「なんという遠い道か!」
観念、これは「人間のもの」である。それが「自然」に繋がり解き放たれると、「空間」の思想が生まれる。「人間」の中に存在しつづけると「神」という純粋観念となる。これら二つに違いがあるかないかは、思考の極限が「形」を為す段階ではじめて解るであろう。
(アランは)別れぎわに『美術二十講話』を取り出し、「彫刻家ヒロツ・タカタに。作品から観念に!観念から作品へではない。アラン、1932年2月14日」と書いてくれた。彼の思想の基盤である。「ものなしには考えない」。この精神態度は、「実証主義」的というような範疇を超えた、「人間が思索する」ことの起点である。そしてそれは、美術、音楽を含めた「芸術行為」が最も直接に示しているではないか。
彼が住むアパートの3、4分のところに、『マルテの日記』を書いていたリルケが住んでいるということを知ったのはずっと後のことらしい。日本に残した妻は愛人が出来、4人の子どもたちはばらばらに親戚に引き取られたという知らせが届くが、彼はフランスを去ることはしなかった。
ロマン・ロランが彼の貧困を心配していろいろと援助してくれた。ジョルジュ・ルオーは名も知らなかった雪舟の作を見て絶句した。アンドレ・マルローは隆信の「重盛像」に驚倒した。現代の我々はこの「普遍性」に至りつくために現代の「土壌」の矛盾を踏み越えなければならないのか!たぶん、こういう感得のためであろう、私はフランスに生きて、その「歴史」を勉強し、「伝統」というより、その体質である「精神伝統」に目を向けた。
彼は小林秀雄が言い放った「あらゆる批評を拒絶して動ぜぬものだけが美しい」という、「もの」と「もの」との直接性、分類した抽象ではなく一元化された普遍化された抽象、それらを可能にした精神的風土を「理解」するのではなく「体感」するためにフランスに残ったのである。
2012年2月14日 18時47分 | 記事へ | コメント(0) |
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『マホメット』井筒俊彦
『マホメット』井筒俊彦、講談社学術文庫



これは単にマホメットについて書かれた解説書というものではありません。そこに書かれているのは若き日の井筒俊彦の魂のほとばしりである。後の浩瀚な研究を知るものにとっては、この『マホメット』はあまりにも若く、漲(ほとばし)るような情熱にあふれた作品となっています。読んでいると、マホメットの背後に、目を輝かせている井筒俊彦氏が見えてくる、そのような思いがする本です。
マホメットはかつて私の青春の血潮を妖しく湧き立たせた異常な人物だ。人生の最も華やかなるべき一時期を私は彼とともに過ごした。彼の面影は至るところ私についてまわって片時も私を放さなかった。第一に生活の環境がそれを私に強要したのだった。朝起きてから夜床に就くまでアラビア語を読みアラビア語を喋りアラビア語を教え、机に向かえば古いアラビアの詩集やコーランを繙(ひもと)くという、今にして憶えばまるで夢のような日々を送っていたその頃の私に、どうしてマホメットのことを忘れる暇などあり得よう。しかも精神的世界の英雄を羨望して止まなかった当時の私の心には、覇気満々たるこのマホメットという人物の魁偉な風貌が堪え難いばかりの魅惑となって迫っていたのだった。
しかし、この本が現在でも最良のマホメットを知る入門書であるあり続けていることを思えば、〈情熱〉と〈学問〉の融合ということが、簡単そうで実は難しいことだということがわかります。最近の「内容のない新書」や「タイトルや帯にたよる新書」の乱発を、遥かなる高みから笑いとばす心地の良い本です。
2012年2月14日 12時32分 | 記事へ | コメント(1) |
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2012年02月12日(日)
『伊藤春雨物語』団鬼六
『伊藤春雨物語』団鬼六、河出文庫

若い人にはDVD『花と蛇』の原作者といったほうがわかりやすいかも知れないが、ポルノ小説の帝王である。その彼が、純文学を志すことをあきらめて、生活のためにポルノ小説を書くことを決意したのですが、この作品はちょうどそのメルクマールとなる作品です。さあ、俺はこれからポルノ作家になるぞ、純文学作家としての最後であり、同時にポルノ作家としての最初であることを決意して書いた、明治に生きた天才責め絵画家・伊藤春雨を描いた小説です。
お里は「あんた、どんな仕事が一番やってみたいのよ」と進吉に聞くと、やってみたいのはやっぱり責め絵だ、などとはさすがに云えないから、進吉は、一層、しょんぼりして見せて、新聞か雑誌の小説挿画がかいてみたい、と云うのだった。
「美しいものを描こうとするのが、どうしていけないんですか」
これは伊藤春雨の言葉であるが、また団鬼六の言葉でもあるだろう。昔はやった「芸術至上主義」という表現を借りるなら、世間でなんと言われようとも「芸術至上主義」を貫いた伊藤春雨は、死ぬときは自分の人生に満足していたのではないか、いいじゃないか、それで、といううらやましさに似た感情が団鬼六から浮かび上がってきそうです。しかし「芸術至上主義」ということの表現においては、芥川龍之介の「地獄変」に及ぶことができず、団鬼六は自分の道を見出したのかも知れません。
2012年2月12日 09時25分 | 記事へ | コメント(0) |
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『仏教の言説的戦略』橋爪大三郎、勁草書房
『仏教の言説的戦略』橋爪大三郎、勁草書房



橋爪大三郎と大澤真幸の対談『ふしぎなキリスト教』が、「熱血・ひげくじらの読書案内」で紹介されていたので、懐かしくなって再読。大澤真幸のほうは、記憶では雑誌『現代思想』(青土社)に短期集中連載として「行為の代数学」が掲載されたのが最初なのですが、いったい彼は何者だという衝撃のデビューでした。今だにこの『行為の代数学』を越えるものは出版されていないのではないかと思っています。一方の、橋爪大三郎との最初の出会いが『仏教の言説的戦略』でした。ヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」をモデルにして、仏教とイスラム教のシステムをわかりやすく解説したもので、目からうろこという表現がぴったりで、これを読むと今まで混乱していた「サンガ」の意味や、「解脱」の目的や、イスラム教における「戒律」の意味や、仏教と啓示宗教との違いなどが、今までとは別の角度からすっきり理解できるようになりました。ただし、この本の後半の日本人論に関してはいまいちの評価だったと感じました。
2012年2月12日 08時49分 | 記事へ | コメント(0) |
| 昔読んだ本を、再読 |
2012年02月11日(土)
『古事記』を読む 第2部第10夜
『古事記』を読む 第2部第10夜

図5は開化天皇記の系譜であるが、これから見えて来るのは、御眞津入日賣命の血統の良さと、有力な氏族との婚姻によって勢力があると見られる日子坐王の存在である。後代において、崇神天皇の和風のおくり名が「ミマキイヒコイリネ」であり、その皇子である垂仁天皇が「イクメイリヒコ」と名付けられていることから、崇神天皇は「入り婿」ではないかと言われて(上田正昭)ようであるが、それはこの系譜からでもわかるだろう。王位継承の正統性を主張する為には、御眞津入日賣命との結婚は不可欠であるし、同時に、日子坐王の勢力の排除が絶対の条件であったのだ。この日子坐王の息子が沙本毘古王であり、後に垂仁天皇によって反逆者として滅ばされることに至ったことは知っておろう。鋭敏な後代の学者であれば、この事件はひょっとして垂仁天皇の時代のことではなく、崇神天皇の時代のことではないのか、と疑いを抱くかも知れぬのう。なにしろ、神武天皇から開化天皇までは、すべて男帝で父子相続であり、日子坐王は王位を継承していないにもかかわらず天皇と同じような扱いでその系譜が詳しく書かれているからのう。実際は天皇であった日子坐王を滅ぼした後、高貴な血脈を継承する御眞津入日賣命と結婚したとしても、そのことは王位簒奪であり、天の意志に逆らうことになるので、記すわけにはゆかぬ。しかしながら、太安万侶は序において、神武を「天皇」、仁徳を「聖帝」と記しながら、崇神は「賢后」と表記しており、「后」が「後」の意であることから、太安万侶もこのことに気づいておったのかも知れぬのう。

2012年2月11日 18時20分 | 記事へ | コメント(0) |
| 古事記についての断章 |
「原発事故はなぜくりかえすのか」(岩波新書)


『原発事故はなぜくりかえすのか』高木仁三郎、岩波新書



熱血・ひげくじらの読書案内 no.68
これは、知人の現役高校教師が生徒に配布している「週刊・読書案内」です



発行所 The astigmatic bear‘s lonely heart club       
発行日 2011/09/12



 廊下ですれ違った三年生から「先生、原発関連の本貸してください。」と声をかけられた。「アア、図書館には、あるでしょう。僕もそんなに、読んでいるわけじゃないし。」そう答えたものの、彼の関心の方向には納得した。もちろん彼は受験生であるわけで、世間を騒がせている大事件ではあるけれど、ノンビリ本を読んでいる暇があるわけではないだろう。しかし、自分の将来を考えて手に汗握るこの時期だからこそ、原子力発電所事故を巡る世の中の喧騒が気になるのだろうし、大いに関心を持つべきではないか。ただ、僕自身の、この出来事に対する感想は、一言ではいいがたい。
3・11の地震以来、特に福島の原子力発電所の事故について、繰り返された流行語は「想定外」だったと思うが、僕の最初の印象をいえば、「この言葉遣いにはウソがある。」だった。この事態は10年以上も前に高木仁三郎によって想定されていたんじゃなかったか。そして、繰返し警告されていたのではなかったか。
高木仁三郎。この名前を高校生諸君は知っているだろうか。東大の理学部を出て、日本原子力事業という東芝の原発開発の子会社で働いた後、東大、都立大で研究し、マックス・プランク研究所に留学した後、大学を辞め「原子力資料情報室」という民間の情報センターを独力で立ち上げ、プルトニウムや原発の危険性を科学的根拠に基づいて指摘し続けていた人物。良心的市民科学者とでもいうべき人。その彼が1995年、阪神大震災の直後、「核施設と非常事態」というレポートを書いている。とりあえず、このレポートの結論の一部を紹介しよう。《少し地震の問題に紙数を費やしすぎたが、阪神大震災は、核施設の他の緊急事態への備えのなさについても、大きな警告を発しているように思われる。考えられる事態とは、例えば、原発や核燃料施設が通常兵器などで攻撃された時、核施設に飛行機が墜落した時、地震とともに津波に襲われたとき、地域をおおうような大火に襲われたときなど、さまざまなことがあげられる。それらの時には、地震に関して議論してきたようなことが、多かれ少なかれ当てはまる。(このレポートの前半では阪神大震災程度の直下型地震に対する原子炉の耐震安全性基準の想定値の甘さが指摘されている。=引用者注)これまでにもそれらの問題の指摘はあったが、そのような事態を想定して原発の安全や防災対策を論じることは「想定不適当」とか「ためにする論議」として避けられてきた。しかし、最近阪神大震災だけでなく、世界の様々な状況をみるにつけ、考えうるあらゆる想定をして対策を考えていくことが、むしろ冷静で現実的な態度と思われる。》
御覧のとおり、在野の市民学者の指摘に対して、原子力事業を推進してきた人たちは「想定不適当」という言葉遣いを長らくしてきていたのだ。しかし、想定が不適当だと考えていた出来事が、実際に起こってしまった。結果、そのような緊急事態を想定しないまま、当然、防災訓練すら行わないまま、たとえば、現場の作業員のミスをあげつらう人災説がマスコミ紙面をにぎわし始めている。「何をかいわんや」である。今回の原子力発電所の事故の根本原因は「想定不適当」として思考停止したことにあるのであって、想定できなかったのではない。致命的な事故によっておこる、想像を絶した被害を想定することの恐怖を、ひた隠しにしてきた結果の出来事ではないのか。
高木仁三郎は2000年、「原発事故はなぜくりかえすのか」(岩波新書)を残して、大腸がんのために世を去っている。本書では、原子力事業の体制の中にはびこる「想定不適当」として危険を「想定外」の中に置くことで、安全神話を作り上げてきた実態を、高濃度ウラン水溶液をバケツでくみ出し運ぶというJCO臨界事故で作業員が死亡した出来事から、一つ一つの事例を丁寧に批判し、空文化している科学技術の「安全思想」を警告している。正直、読んでいて気が滅入るが、彼が想定していた大事故が実際に起こった世界で「想定外」という言葉が流行していることを、彼が生きていたならどう感じただろう。(「核施設と非常事態」というレポートはネットで検索すればすぐに読める。)(S)
2012年2月11日 17時41分 | 記事へ | コメント(2) |
| 熱血・ひげくじらの読書案内 |
「ふしぎなキリスト教」大澤真幸


『ふしぎなキリスト教』大澤真幸、講談社現代新書




熱血・ひげくじらの読書案内 no.67
これは、知人の現役高校教師が生徒に配布している「週刊・読書案内」です


発行所 The astigmatic bear‘s lonely heart club       
発行日 2011/09/05 


今回は一学期に「赦しと責任」という文章で国語の教科書に出てきた大澤真幸の新刊「ふしぎなキリスト教」(講談社現代新書)。彼は京都大学で教えている気鋭の社会学者ですが、その彼が聞き手になって、キリスト教について、実に基本的なんだけれど皆が知らないこと、特に日本人にはよく解っていないことを質問すると、その疑問に答えるのが東京工業大学で教えている橋爪大三郎という宗教社会学の先生。まあ、大澤先生もよくご存知のことを質問するわけですから、一種のやらせインタビューみたいなもんですけれどこれがなかなか刺激的なんです。

受験生諸君もそろそろ「世界史」や、「倫理」なんて教科をまじめにやり始めているのではなかろうかと思うのですが、世界史、とりわけヨーロッパ史あたりをまじめにやり始めて気にかかっている人はいるかもしれませんね。倫理でデカルトとかヘーゲルなんて近代初頭の哲学者の名前が出て来はじめるとちょっと引っかかる。うーん、引っかからないか。ナチスやシオニズムを知ると、何だろうと思う。そもそも、ギリシア文化から始まってローマ帝国。それが東ローマ西ローマと分かれて、神聖ローマ帝国があって、王権神授説なんてものが大手を振ってあらわれるヨーロッパ社会の権力争奪戦にあって、キリスト教がキーになっているようなのだけれど、実はよく解らない。そう、たとえばユダヤ人て何者。ユダヤ人をいじめて自由平等って何。イエス・キリストってユダヤ人じゃないの。ユダヤ教とキリスト教と、ついでにいえばイスラム教とは、もともと同じ宗教じゃないの。なのにキリスト教の人たちはユダヤ人を差別して、イスラム教徒とは戦争する。9・11の後、当時のアメリカ大統領ブッシュがいきなり「クルセイダーだ」と口走ってアフガニスタンを攻撃し始めたのには驚きましたが、日本の文化や宗教観からすると、彼のやったことはなかなか理解しづらい事件でしたが、キリスト教文化の社会にはこういう発想があるんだということは教えられた気がする。そのあたり気になりませんか。
近代科学革命の二大スーパースター(まあ、僕が勝手にそう思っているだけかもしれませんが)、あのニュートン先生だって怪しげなキリスト教徒だったりするらしいし、哲学や数学のデカルトだってキリスト教の真面目な信者だったということだ。「われ思う故にわれあり」という、まあ自己発見が反キリスト教ならわかる気がするけれど、神様はご存知だけれど、そんな神様に頼らなくても人間の存在を説明できるんだということになると、「何でそんなことにこだわるんだ」とならないですかね。「どうなってるのヨーロッパって。」「キリスト教って何?」そんな疑問わいてきませんか。
科学や哲学に限らず、芸術、音楽や美術なんてキリスト教なしには考えられない。バッハなんてみんな宗教音楽だと思うし、この本の腰巻の絵はレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」という有名な絵だけれど、日本人は遠近法がどうの、構図がどうのなんてことをわかったふうに解説するけれど、ヨーロッパの人にとってこれは聖書の有名なシーンであることがまず重要だったんじゃないでしょうか。
イスラム教では今でも利子を禁じているらしいし、ユダヤ教だってそうだった。シェークスピアの戯曲「ベニスの商人」で金貸しのユダヤ人シャイロックが敵役で出てきますが、彼は利子を要求したのでしょうか。利子を正当化したのはキリスト教だけだというのはどうなっているんでしょうね。利子という金の殖やし方なしに現代の資本主義なんて考えられないでしょう。
 まあ、あれこれ並べ挙げてみたけれど、この本を読めば、皆スッキリするわけではありません。むしろ、そういうヨーロッパ文化とキリスト教の不思議に気づくようになるというべきかも知れません。気づいて歴史を眺めれば、違う流れを感じ始めるでしょう。歴史を勉強する面白さはそこから始まるのです。穴埋めが上手になっても、歴史の本当の面白さには、まだ手は届いていないかもしれません。できれば、通学のバスの中ででも、お読みください。(S)
2012年2月11日 17時33分 | 記事へ | コメント(0) |
| 熱血・ひげくじらの読書案内 |
『怪物科学者の時代』
『怪物科学者の時代』田中聡、晶文社



帯には「正史からこぼれおちた、異色の科学者列伝」とある。目次を紹介します。
佐田介石   文明開化の宇宙争奪戦
明石博高   電気神道の誕生
加藤弘之   進化の夢と悪夢
越澤渦満   色白美人に進化せよ
杉浦重剛   理学で明かす誠の道
井上円了   妖怪博士の科学的仏教
日下部四郎太 信仰物理の世界征服
福来友吉   千里眼は逆襲する
酒巻貞一郎  地球は何を食べているか
石塚左玄   食物の論理で文明を説く
桜沢如一   無双原理の革命の夢
屑屋極道   性感研究から生まれた新科学
橋田邦彦   科学道の孤独
寺田寅彦   割れ目と俳句の物理学
南方熊楠   もつれた宇宙の論理学
稲垣足穂   「人間人形」の道徳

明治時代の科学者たちですが、すでになじみの人たちもいます。夏目漱石門下の最古参の寺田寅彦や、中沢新一によって再評価された南方熊楠や、文学史上江戸川乱歩や山田風太郎や長野まゆみなどとならんで、異彩を放ちいまだにファンが多い稲垣足穂や、ゲゲゲの鬼太郎もこの研究がなかったら生まれて来なかったであろう井上円了や、現在再評価されて人気が出ているマクロビオティックの生みの親である、石塚左玄とその継承者である桜沢如一などです。

これらに共通しているのは、江戸時代から明治にかけて蓄積されていた当時の日本における最高の知識、漢籍や仏教や五行や易などの東洋思想を咀嚼したうえで、明治維新とともに大量に流入してきた西洋の科学や思想を身につけ、それに真っ向から挑んだということです。この人たちは、不可解なことや日常のあらゆる事象を、外来の文化である科学をもって徹底的に解明しようとした人たちと、西洋科学と東洋思想との根本的な差異にこだわり、その裂け目を究明しようと人たちがいたようです。いずれにしても、「奇人」「変人」と呼ばれようと意に介さず、莫大なエネルギーを消費して研究に埋没したことは賞賛に値します。そこには、金を生み出すこと夢見た錬金術師たちや、永久機関の発明に命をかけた科学者たちと同じような〈壮大な夢想〉とでも言うべきロマンがあります。
2012年2月11日 08時56分 | 記事へ | コメント(0) |
| 昔読んだ本を、再読 |
2012年02月10日(金)
『マン・レイ 写真と恋とカフェの日々』
『マン・レイ 写真と恋とカフェの日々』ハーバート・R・ロットマン、白水社

 長い歴史の中で、限られた時代や空間がその時代を象徴的に表現することがあります。日本で言えば江戸の元禄文化であったり、ヨーロッパで言えば世紀末ウィーンであったりするのですが、この本が扱っているのは、1920年代を象徴する「パリのモンパルナス」を、アメリカからふらりとやってきた一人のアメリカ人マン・レイを通して描いています。

 1921年、まだ無名の画家であるマン・レイがパリにやってきた。出迎えたのはマルセル・デュシャンだ。陽気で人懐っこいマン・レイと正反対の性格の寡黙で端正なマルセル・デュシャンの二人は、ニューヨークで知り合ったようだ。マルセル・デュシャンによって紹介されたのは、文学や詩を志す若者たちで、後にダダイストと呼ばれるようになる首領格のアンドレ・ブルトンであり、医学生でありながら文学を愛する一匹狼のルイ・アラゴンであり、サルバドール・ダリのもとを去ったエレナと結婚したポール・エリュアールであり、ブルトンとともにシュルレアリスム文学の先鞭をつけたフィリップ・スーポーであった。

 パリのモンパルナスは、かつてマネ、ゴーガン、セザンヌ、ボードレールらの画家たちや小説家や詩人などが住んでいた。そして20年代では、消費社会を謳歌し禁酒法を嫌ったアメリカ人たちや、迫害を恐れる東欧などのユダヤ人たちなど〈パリの外国人〉が押し寄せ、「恋人、作家、怠け者、落伍者、野次馬、変質者、警官、そしてあまりにも多くの外国人…」たちでごったがえしていた。まさに「淫行はモンパルナスにあり」と言った具合である。それらの群衆のなかによく見ると、ジェイムス・ジョイスがオデオン通りを歩いており、アーネスト・ヘミングウェイが苦しみながらタイプで小説を打ち込んでおり、フィッツジェラルド夫妻が颯爽と通り抜け、ジョセフィン・ベーカーが褐色の肌を露にしてパリの話題を集めていた。そのような中でマン・レイは生活のために友人の紹介でポート・レートを撮りはじめ、これが評判となりやがて上流階級からも声がかかるようになった。ピカソやマティス、プルーストやT・S・エリオットなどから声がかかり、人々はマン・レイのサイン入りポートレートを求めて殺到した。モデル・キキとの出会いはこの頃です。しかし、あまりにも多くの外国資本の流入と、ナチスドイツのフランスへの侵攻によって、一人、また一人とモンパルナスから人々が去って行くことになります。
 
 わずか20年足らずのモンパルナスの様子が生き生きと描かれており、そこに〈時代ー20年代のパリ〉が見えて来ます。
2012年2月10日 17時57分 | 記事へ | コメント(0) |
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『古事記』を読む 第2部第9夜
『古事記』を読む 第2部第9夜

まずは図4に示した接合箇所Aを見ることにしよう。開化天皇と崇神天皇とを結びつける作業である。ここでは、開化天皇の系譜と崇神天皇の系譜はただ一カ所だけで結びついていることになっているのだ。しかしよく見れば、開化天皇の条と崇神天皇の条との記述がくい違ってしまっておるのじゃ。
【開化天皇の条】
若倭根子日子大毘毘命(開化天皇)、春日の伊邪河宮に坐してまして、天の下治らしめしき。この天皇、旦波の大縣主、名は由碁理の女、竹野比賣を娶して、生みませる御子、比古由牟須美命。また庶母(ままはは)伊賀迦色許賣命を娶して、生みませる御子、御眞木入日子印惠命(崇神天皇)。次に御眞津比賣命。
ここでは、崇神天皇と御眞津比賣命は同じ母である伊賀迦色許賣命の子であり、兄弟となっている。この伊賀迦色許賣命は、開化天皇の父である孝元天皇の紀であり、同時に開化天皇の后となっている方である。一方、崇神天皇の条を見ると以下のようになっているようだ。
【崇神天皇の条】
御眞木入日子印惠命(崇神天皇)師木の水垣宮に坐しまして、天の下治らしめしき。この天皇、木國造、名は荒河刀辨の女、遠津年魚目目微比賣を娶して、生みませる御子、豐木入日子命。次に豐鉏入日賣命。また尾張連の祖、意富阿麻比賣を娶して、生みませる御子、大入杵命。次に八坂之入日子命。次に沼名木之入日賣命。次に十市之入日賣命。また大毘古命の女、御眞津比賣命を娶して、生みませる御子、伊玖米入日子伊沙知命(垂仁天皇)。次に伊邪能眞若命。次に國片比賣命。次に千千都久和比賣命。次に伊賀比賣命。次に倭日子命。この天皇の御子等、并せて十二柱なり。
何と、ここでは崇神天皇は「大毘古命の女、御眞津比賣命を娶して」とあり、開化天皇の条では兄弟であったはずの御眞津比賣命と結婚したとなっておるのじゃ。いくら上古の時代だといえども同母系の兄弟、姉妹の結婚はタブーである。なんとしても開化天皇の系譜と崇神天皇を結びつけたいという思いが先走ってしまたようじゃ。図5を見ていただこう。


これから系譜をいろいろ見て行くことになるのだが、我々にとっては常識である血脈が後代の人にとっては非常にわかりずらいものとなるであろう。そこで後代の人のためにわかりやすいようにDNAのように表示しておくことにしよう。これを見れば、氏族の血脈が見えて来るはずであろう。図5でわかるように、御眞津比賣命は[天皇250、物部750]となっており、それまでの歴代の天皇たちが物部氏との婚姻を繰返していたことを考えると、ほぼ純血種と言えるほどに高貴なお方じゃ。
2012年2月10日 09時36分 | 記事へ | コメント(0) |
| 古事記についての断章 |
2012年02月09日(木)
『古事記』を読む 第2部第8夜
『古事記』を読む 第2部第8夜

問題は系譜だ。これは〈反復する時間〉と対極にある〈流れる時間〉を構成することである。共時的に同時並行して流れているそれぞれの氏族の固有の歴史を、通時的な均一の歴史に置きかえることである。始源としての神倭伊波礼毘子命から発して、応神天皇へと流れる均一の歴史である。まずは、それぞれの編纂者たちが作成した王朝の系譜を、繋ぐことから始めてみることにしよう。



それぞれの王朝が始源としての神倭伊波礼毘子命の系譜に結びつきながら、応神天皇の系譜に収斂していくことができているのか。それぞれの接合箇所に矛盾はないのか、これから私が確認していくことにしよう。
2012年2月9日 11時15分 | 記事へ | コメント(0) |
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『古事記』を読む 第2部第7夜
『古事記』を読む 第2部第7夜

神の依代となって御言(みこと)を発せられた神功皇后と、その御言によって胎児であるにもかかわらず太子(ひつぎのみこ)となった応神天皇、その背後には、すべての氏族の長たちが畏怖し崇め奉る遡及すべき始原としての、大宜都比賣と須佐之男命の姿が見え隠れする。宗教的な権威と政治的な権力が分担されたプリミティブな統治形態とでも言うべきか、あるいは、神的権威に統治された共同幻想の世界と表現すべき時代の復古とでも言うべきか。どちらにせよ、新たなる時代が神功皇后の胎中から始動し始めたことになるのだ。

我々に課せられた仕事は、この新たなる時代に相応しい〈過去〉を創造するプロジェクトである。これを後代の人たちは「歴史の改竄」とか「偽書」と言うかもしれない。たしかに[過去→現在→未来]という時間の流れだけにいきている者たちにとって、〈理解不能〉であり、許すことの出来ない行為であるようだ。しかし、一方では、現在がすべて始源の時によって保証されている〈反復する時間〉というものが存在しているのだ。これをとりあえず〈神話〉とでも名付けておこう。この〈神話〉は、流れる時間でも計測される時間などではない。それは「現在」を説明し、意味付ける〈範型〉としての時間なのだ。したがって、たえず「現在」に回帰し、「現在」の根拠となり、私たちに豊穣な時と意味を約束してくれるのだ。この〈反復する時間〉を「理解不能」として一笑に伏す者たちは、自らの「心の貧困」さを証明しているようなものだ。
2012年2月9日 09時19分 | 記事へ | コメント(1) |
| 古事記についての断章 |
2012年02月08日(水)
『古事記』を読む 第2部第6夜
『古事記』を読む 第2部第6夜

その大后息長帶日賣命は、當時(そのとき)神を歸せたまひき。
うむ、これしかない。応神天皇の母である神功皇后に、神に仕える巫女のイメージをだぶらせること、そして読むものが無意識のうちに大宜都比賣の偉大なる記憶を呼び覚ますことが肝要であるのだ。後代では邪馬台国の卑弥呼として魏人によってその中国的な職制で呼ばれることになった大宜都比賣の神聖を受け継ぐものとしての神功皇后、これしかない。
故、天皇筑紫の訶志比宮に坐しまして、熊曾國を撃たむとしたまひし時、天皇御琴を控かして、建内宿禰大臣沙庭に居て、神の命を請ひき。
審神者(さにわ)としての建内宿禰の存在は重要である。それは、神託を受け、神意を解釈して伝える者のことであり、神=神が憑依したものの言葉を、正しく聴き、伝えるメッセンジャーとしての役割である。そして、この建内宿禰の存在は、「男弟有りて国を佐け治む」という魏志倭人伝を想起させるのに相応しく、そこに上古のヒメ・ヒコ制の遺制を想い起こさせるはずである。
ここに大后神を歸せたまひて、言教へ覺し詔りたまひしく、「西の方に國有り。金銀を本として、目の炎耀く種種の珍しき寶、多にその國にあり。吾今その國を歸せたまはむ。」とのりたまひき。ここに天皇答へて白したまひしく、「高き地(ところ)に登りて西の方を見れば、國土は見えず。ただ大海のみあり。」とのりたまひて、詐りをなす神と謂ひて、御琴を押し退けて控きたまはず、默して坐しき。ここにその神、大く忿りて詔りたまひしく、「凡そこの天の下は、汝の知らすべき國にあらず。汝は一道に向ひたまへ。」とのりたまひき。ここに建内宿禰大臣白しけらく、「恐し、我が天皇(おほきみ)、なほその大御琴あそばせ。」とまをしき。ここに稍にその御琴を取り依せて、なまなまに控きましき。故、幾久もあらずて、御琴の音聞こえざりき。すなはち火を擧げて見れば、既に崩りたまひぬ。
なんと仲哀天皇の哀れなことか。神に背く者は、神によって裁かれねばならない。「凡そこの天の下は、汝の知らすべき國にあらず。」これこそが、次の言葉を引き出す為のおおいなる布石に他ならない。
ここに驚き懼ぢて、殯宮(あきらのみや)に坐せて、更に國の大幣を取りて、生剥、逆剥、阿離、溝埋、屎戸、上通下通婚、馬婚、牛婚、鷄婚、犬婚の罪の類を種種求ぎて、國の大祓をして、また建内宿禰沙庭に居て、神の命を請ひき。ここに教へ覺したまふ状、具さに先の日の如くにして、「凡そこの國は、汝命の御腹之に坐す御子の知らさむ國なり。」とさとしたまひき。ここに建内宿禰「恐し、我が大神、その神の腹に坐す御子は何れの御子ぞや。」と白せば、「男子ぞ。」と答へて詔りたまひき。ここに具さに請ひけらく、「今かく言教へたまふ大神は、その御名を知らまく欲し。」とこへば、すなはち答へて詔りたまひしく、「こは天照大神の御心ぞ。また底筒男、中筒男、上筒男の三柱の大神ぞ。今寔(まこと)にその國を求めむと思ほさば、天神地祇、また山神また河海の諸の神に、悉に幣帛(みてぐら)を奉り、我が御魂を船の上に坐せて、眞木の灰を瓠(ひさご)に納れ、。また箸また葉盤(ひらで)を多に作りて、皆皆大海に散らして浮かべて度りますべし。」とのりたまひき。
「凡そこの國は、汝命の御腹之に坐す御子の知らさむ國なり。」これこそが、私の望む言葉である。神が憑依した母から発せられた言葉は、まだ生まれていない胎中の子の王位継承の宣言である。そして、「生剥、逆剥、阿離、溝埋、屎戸、上通下通婚、馬婚、牛婚、鷄婚、犬婚の罪の類を種種求ぎて」の言葉は、大宜都比賣を死に至らしめ、その後覇者となった須佐之男命のイメージを喚起させ、生まれながらにして筋骨隆々とした武者である応神天皇と思いが交差することになるだろう。

私には、まだまだやるべきことが残されている。
2012年2月8日 15時46分 | 記事へ | コメント(0) |
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『古事記』を読む 第2部第5夜
『古事記』を読む 第2部第5夜

帶中日子天皇、穴門の豐浦宮、また筑紫の訶志比宮に坐しまして、天の下治らしめき。この天皇、大江王の女、大中津比賣命を娶して、生みませる御子、香坂王、忍熊王。また息長帶比賣命(こは大后なり)を娶して生みませる御子、品夜和氣命。次に大鞆和氣命。亦の名は品陀和氣命。この太子(ひつぎのみこ)の御名、大鞆和氣命と負はせる所以は、初めて生れまししき時、鞆の如き宍、御腕に生りき。故、その御名に著けき。ここをもちて腹に坐して定國に中りたまひしを知りぬ。この御世に、淡道の屯家を定めたまひき。(仲哀天皇の条)
これでいかがなものだろう。その御名の由来は、生まれながらにして筋骨隆々とした武者の趣きがあるとし、しかも母である神功皇后の新羅遠征の時には、その胎内にいながらにして共に武勲をたてられ、国をお治めになっておられたという。これで後世の人々は、大鞆和氣命を「胎中天皇」と呼び畏れ敬うようになるだろう。しかし、これでは怪力無双の武の人であるだけだ。そこには高貴なる血脈とも言うべきものが示されてはいない。しかしながら、ここで父である仲哀天皇をより高貴なる血脈を受け継ぐ者とすることは出来ない。そのようにすれば、香坂王と忍熊王をより高みへと押し上げることになってしまう。ここは、母である神功皇后を高貴なる血脈を受け継ぐ者とするしか方法はない。だが神功皇后が天之日矛の末裔であることは周知の事実であり、これを曲げることは適わぬ。

では、どうすればよいのか。
2012年2月8日 14時40分 | 記事へ | コメント(0) |
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「終わりと始まり」(未知谷)


熱血・ひげくじらの読書案内 no.66
これは、知人の現役高校教師が生徒に配布している「週刊・読書案内」です



発行所 The astigmatic bear‘s lonely heart club       
発行日 2011/12/05




 「眺めとの別れ」
またやって来たからといって
春を恨んだりはしない
例年のように自分の義務を
果たしているからといって
春をせめたりはしない

わかっている わたしがいくら悲しくても
そのせいで緑の萌えるのが止まったりしないと
草の茎が揺れるとしても
それは風に吹かれてのこと

水辺のハンノキの木立に
ざわめくものが戻ってきたからといって
わたしは痛みを覚えたりはしない

とある湖の岸辺が
以前と変わらず―あなたがまだ
生きているかのように―美しいと
わたしは気づく

目が眩むほどに太陽に照らされた
入り江の見える眺めに
腹を立てたりはしない

いまこの瞬間にも
わたしたちでない二人が
倒れた白樺の株にすわっているのを
想像することさえできる

その二人がささやき、笑い
幸せそうに黙っている権利を
わたしは尊重する

その二人は愛に結ばれていて
彼が生きている腕で
彼女を抱きしめると
思い描くことさえできる

葦の茂みのなかで何か新しいもの
何か鳥のようなものがさらさらいう
二人がその音を聞くことを
わたしは心から願う

森のほとりの
あるときはエメラルド色の
あるときはサファイア色の
またあるときは黒い
深い淵に何も要求しない

ただ一つどうしても同意できないのは
自分があそこに帰ること
存在することの特権―
それをわたしは放棄する

わたしはあなたよりも充分長生きした
こうして遠くから考えるために
ちょうど十分なだけ



1996年にノーベル文学賞を受けたヴィスワヴァ・シンボルスカヤというポーランドの詩人の「終わりと始まり」(未知谷)という詩集の中の詩です。訳者は沼野充芳。今年の春の、いつ頃だったか、東北に地震があった後、作家の池澤夏樹が、新聞紙上で、この詩の最初の二連か三連を紹介していたことがあった。その時「わたしがいくら悲しくても」という一節が気になっていた。もちろんこの詩人を知っていたわけではないから、忘れていた。最近、ふと気づくと読まずに積み上げてある本の中にこの詩集を見つけた。同居人がどこからか手に入れてきたらしい。全編読み直して、高校生に紹介すべきか迷った。「こうして遠くから考えるため」に十分な長生きの自覚の次には何があるのだろうか。そんなふうに考え込んでしまったからだ。
生きていることの素晴らしさと、生きていることの悲しさは「わたし」をどこに連れて行くのだろうか。受験勉強の手を休めて読むには、少し辛い詩かもしれない。「未知谷」というのは詩集専門の出版社の名前です(S)
2012年2月8日 14時31分 | 記事へ | コメント(0) |
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佐藤泰志「海炭市叙景」

熱血・ひげくじらの読書案内 no.65
これは、知人の現役高校教師が生徒に配布している「週刊・読書案内」です




発行所 The astigmatic bear‘s lonely heart club       
発行日 2011/10/25



 佐藤泰志「海炭市叙景」(小学館文庫)。この小説がとてもいい小説だと、上手に伝えられたらうれしいと思って書き始めました。ある作品がいい作品かどうかなんて、学校の国語の時間にはもっともらしく解説されるのですが、本当はそんなことは、読んだ人が決めればいいことであって、客観的にいい作品なんてものはあるんだろうか。国語の教員が授業をしながらいつもそんなふうに感じていることを、高校生諸君はどう思うのでしょうか。
それにしても、この小説がいい小説だと上手に言うことが出来れば。そんなふうに、しきりに思います。というのは、読み終わった人の多くはどちらかというと暗くて哀しい印象に捉われるだけかもしれない、そんな小説だからです。その上、この作品は未完です。佐藤泰志という作家はこの小説を短編小説のように雑誌に連載していたのですが、書き終えることなく、自殺してしまったらしいのです。それが1990年の10月のことで、もう20年以上も前のことです。彼は何度か芥川賞の候補として名が出た人であるらしいのですが、それも、もちろん1990年代のことです。
 ところで、人というものはどこからかはわからないけれども、この世に投げ出された存在であるという考え方があります。この小説は、人という生きものが、投げ出された存在である自分というものと格闘しつづけるものなのだということをつくづく感じさせる作品でした。
この案内を読んでくれる高校生諸君の中に、お正月の朝、二人の全財産がポケットにある230円ポッキリだという、27歳の兄と21歳の妹という境遇を想像できる人はいるでしょうか。それが「まだ若い廃墟」という最初の小説の設定です。妹は兄が389メートルの山を歩いて下りてくるのを、ふもとの待合所で待ち続けています。なけなしの所持金をはたいて、初日の出を見に登った展望台のロープウエイの帰りの料金が、一人分、足りなかったのです。
《帰りのロープウエイに乗るとき、兄は残った小銭でキップ一枚しか買ってこなかった。どうしたの、とわたしはその理由を知っているのに、きかずにいられなかった。百も承知だ。兄は前歯を覗かせて笑い、ズボンのポケットから残りのお金を出し私の手に渡した。》
《一時間待ち、二時間待ち、三時間待ち、とうとう六時間になろうとしている。時間はだんだん濃密になる気がする。なんということだろう。》
《女が売店の少女に、この人、頭が少しおかしいわ、と聞こえよがしにいっていた。「厭になっちゃう」少女は大声を出した。「そうでなくったって、元旦から仕事に出てきているっていうのに」あやまらない。誰にもあやまらない。たとえ兄に最悪のことがあってもだ。兄さん、私はあやまらないわよ。もしも、どこかで道に迷いそこから出てこれなくなったのだとしたら、それは兄さんが自分で望んだ時だけだ。》
街を見下ろす展望台のある山の中で遭難死した、貧しい青年を巡るエピソードでこの連作小説は始まります。街の中の、どこにでもある哀しい話が、季節のめぐりとともに書き継がれ、秋の始まりに作家自身が描き続けてきた「投げ出された生」に耐え切れなくなったのではと予感させるような絶筆となります。
「あやまらない。だれにもあやまらない。たとえ兄さんに最悪のことがあってもだ」とつぶやき続けて待合室のベンチから立ち上がれない妹の姿を思い浮かべながら、読者の僕にはとめどなく涙がわきあがってくるのです。そして「そうだよ、君がそのように、その場所に存在していることは、誰に対しても、あやまる必要なんかないよ。」と答えている自分を発見することになるのです。この作品は心に残りました。一度手にとって、最初の作品だけでも読んでみてください。(S)
2012年2月8日 14時21分 | 記事へ | コメント(0) |
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『古事記』を読む 第2部第4夜
『古事記』を読む 第2部第4夜

これはかなり難題を仰せつかったものだ。聞くところによると漢という国の司馬遷の『史記』という書物の「斉太公世家」には次のような話が書かれていたそうだ。
斉の崔杼という権力者は、その君、荘公を殺した人である。その故、斉の太史は「崔杼、荘公を弑す」と記録したのである。そこで崔杼は、「けしからぬ奴かな」とこの太史を殺してしまった。すると、太史の弟が、また同一のことを記録したのである。そこで崔杼は、この弟も殺してしまった。すると、その弟の弟が、また同一のことを記録したのである。三度目には、さすがに崔杼も、記録者を殺すことはしなかった、と伝えられている。(『司馬遷』武田泰淳より)

いったい命までかけて守ろうとする記録とはどのようなものなのか?司馬遷もまた、宮刑を受けながらも、生き恥をさらして記録したというではないか。それに比べると、今私がなしとげようとしていることは一体どのような意味があるのだと言えよう。かの国の歴史とは、いったいどのようなものなのか。わからぬ。

中巻の冒頭を飾る神倭伊波礼毘古命(神武天皇)は、神の子と結婚したことになっている。美和の大物主神と勢夜陀多良比賣との結婚によってお生まれになった富登多多良伊須須岐比賣命が皇后であった。この威厳にまさるとも劣らない神威をわが大王(応神天皇)に付与するのはどうすればいいのか。その母である息長帯比賣命(神功皇后)の出自も新羅から来た天之日矛の末裔ということで、けっして誇れるものではない。たとえ仲哀天皇と息長帯比賣命(神功皇后)との間にできた御子であっても、母の出自の低さによって、反逆者として滅ぼした香坂王と忍熊王の出自に比べればかなうものではない。では、どうすればよいのか?方法はただ一つしかない。それは、応神天皇が神によってその正統性が保証されるとともに、香坂王と忍熊王の出自を応神天皇よりも低くすることだ。はたしてそのようなことは可能だろうか。
2012年2月8日 09時42分 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年02月07日(火)
『古事記』を読む 第2部第3夜
『古事記』を読む 第2部第3夜

まず図2を見て下さい。これは垂仁天皇から応神天皇に至る簡略化した系譜を示しています。

天皇の系譜は、垂仁→景行→成務→仲哀→応神と移行して行きます。これからしばらくの間、この当たりを手探り状態で進んでいくことになります。このようにすっきりした系譜であれば悩むこともないのですが、景行天皇の系譜をもう少し詳しく書き出すと、図3のようになります。

倉西裕子氏の分析は『日本書紀』での話ですが、『古事記』でも同じ箇所で系譜上の矛盾が現れてることは江戸時代から指摘されています。最初に、確実に矛盾が指摘できる景行天皇と倭建命の系譜から見て行きます。(図3)
この系譜によれば、

(1)倭建命から4代目にあたる迦具漏比売命が、倭建命の父である景行天皇と婚姻しており、
(2)迦具漏比売命の祖母は、倭建命の子である若建王と婚姻していますが、この祖母は倭建命のひ孫となっています。

まるで、エッシャーのだまし絵の「上昇と下降」のように、登っているのにいつの間にか下っている、そんな奇妙な感覚に襲われそうです。今までの読みから考えれば『古事記』編纂者たちが、誤って矛盾を犯したとは思えません。矛盾であることを明確に認識しながら、あえてこのような系譜を作成した、と考えるほうが素直な読みだと言えそうです。逆に、解読をする私たちにとっては、この矛盾、ほころびこそが、『古事記』編纂の意図を探り出すきっかけとなりそうです。

この系譜は『古事記』「景行記」によるものですが、「応神記」とは微妙に異なっています。「開化記」「崇神記」「垂仁記」「景行記」「応神記」とそれぞれ系譜を作成し、それをつなぎ合わせようとすると、それぞれで微妙に異なる箇所があることに気づきます。また同時に、それぞれの天皇に外戚関係があるにもかかわらず、ジグゾーパズルのようにうまく収まってしまいます。系譜は上巻であれば、上巻の最後に登場する「神倭伊波礼毘古」(「ハツクニシラススメラミコト」)の正統性を主張するために書かれていました。同じように考えると、中巻は中巻の最後に登場する「応神天皇」の正統性を主張するためのものであると考えられます。これからは、自分が応神天皇から次のような勅命を受けたとして考えていくことにします。

「私は今、新しい王朝を打ち立てた。そこで新たな系譜の作成とそれにふさわしい物語の創造を命ずる。それには次の3つの要件を満たしていることが肝要である。

1)神質の正統な継承者であることを示すこと。
2)旧勢力の排除であれ、服属であれ制圧をし、旧勢力の神を祭祀したこと。
3)我々の氏族の奉ずる神を祭ること。

私には、誇るべき系譜も歴史も無い。あるのは力だけだ。しかし、その力は天によって新たなる物語を創ることを許されているのだ。新たなる物語はやがてすべてを包み込み、差異や矛盾でさえも制御してしまうだろう。」
2012年2月7日 12時55分 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年02月05日(日)
『古事記』を読む 第2部第2夜
『古事記』を読む 第2部第2夜

倉西裕子の『日本書紀の真実』(講談社)に、次のような指摘がなされています。
『古事記』は没年干支と年齢だけを記していますが、『日本書紀』は年号が記してあります。これによると、それぞれの天皇の年齢が実際の年齢とはかけ離れたものとなっており、このことが混乱と疑惑を招いているようです。『日本書紀』の年号を「紀年」と呼びますが、これによると神武天皇が即位した「辛酉」年をもって紀年元年としています。これは西暦で言えば、紀元前660年に当たります。この年号の設定は、讖緯思想と陰陽思想との影響を受けたもので、「辛酉」の年には天命が革まって革命があるとする思想によるもので、それが西暦601年(推古9)の「辛酉」の年から1260年遡った「辛酉」年に神武天皇の即位を設定したという説が、江戸時代の学者伴信友から出されています。これを機に「紀年」をめぐる論争が起こりますが、その焦点は次のようになっています。

(1)巻9の神功紀に見られる年代の不整合
(2)国内外の諸資料と巻10の応神紀以降の歴代天皇の在位期間との不整合
(3)歴代天皇の在位期間や享年における非現実的数字

これらの問題について、倉西裕子氏は『日本書紀』の複数の暦を分析することで、次のような結論を導き出しています。すなわち、神功紀は実際の経過年数より120年長くなっており、それは邪馬台国の卑弥呼と壹与、それに応神天皇の母后を合わせたものを反映しており、逆に応神元年から雄略5年までの期間が実際の経過年数より120年短くなっているというものです。(図1参照)



このことから、「やっぱりでたらめか!」と思ってしまうのではなく、逆に、当時の記紀の編纂者たちにとって、邪馬台国の卑弥呼と壹与が、遡及されるべき正統な系譜として認識されていたことを示していたと考えるほうが有益です。また同時に、垂仁ー景行ー神功と続く系譜の中で、垂仁ー景行の時代に、スサノヲ神話の反転された物語が挿入されていますから、スサノヲ神話と邪馬台国の卑弥呼とがまったく別の物語ではなく、関連した物語であると記紀の編纂者たちは認知していた、のではないか、ということも想像できます。そして、記紀の記述や構成が、予想以上に計算されて書かれたものである、ということも見えて来ました。

どうやら、私たちの疑問は、この当たりを突破口として何かわかってくるのではないかと思われます。神功皇后は応神天皇の母となります。今でも、神功皇后が邪馬台国の卑弥呼ではないかという説があるのですが、倉西裕子氏の指摘によって、この神功皇后に記紀の編纂者たちは、邪馬台国の卑弥呼と壹与のイメージを意識的に投影させていることが明らかになりました。そのために神功皇后を扱っている年数が、実際の年数よりも120年長くなっているというのです。

次回は、神功皇后を巡る系譜を詳細に検討していくことになります。
2012年2月5日 18時10分 | 記事へ | コメント(0) |
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『古事記』を読む 第2部第1夜
『古事記』を読む 第2部第1夜

第25夜で垂仁記と景行記を読むなかで、ホムチワケ、サホヒメ、ヤマトタケルの物語が、上巻の神話、とりわけスサノヲ神話を反転した構図になっていることを確認し、疑問というか、課題を投げかけていました。それは次のようなものでした。

(1)そもそも神話の構図を反転させることにどのような意味があるのか。
(2)なぜスサノヲ神話の構図の反転がなされたのか。
(3)それが、中巻の垂仁記、景行記に挿入されたのはなぜか。

私たちは、第2部において再びこの問題に立ち返ることになります。なぜ第2部としたかと言えば、第1部では『古事記』に即して読む、ということが基本的な視座としてありました。徹底して『古事記』にこだわり、古事記の宇宙を知り、古事記の文法を析出する、という方法を採用し、それを、『古事記』を初めて読む人にも興味を持って読み進めることができるように工夫をするということを考えて書いていました。その中で上記のような疑問が浮かび上がってきました。この他にも、まだ数カ所自分のなかですっきりしていない問題が残っていますが、とりあえずは、第2部では上記の疑問点を探っていくことにします。その際、第1部での方法ではどうしても限界があり、より幅の広い領域を視野に入れながら考えていかなければなりません。また、歴史的構想力とでも呼ぶべきものが要請されます。このように言えば、かっこよく聞こえるのですが(構想力というのは哲学者三木清が使用しています)、まあ自由な発想というか、空白の歴史というか霧のかかった歴史に補助線を引いていく作業というか、点と点をつないでいくことが必要となってきます。その場合の、作業の正しさを保証するものは、論理的な整合性というよりも、事後的な論理妥当性となります。ひとつひとつの点が正確なものであれば問題はないのですが、年代の不正確さや、後代に付加されたものや、伝承や言い伝えなど、あいまいな点と点をつないでいくことになりますから、どの作業をとっても、確実であるということはなく、あくまでも再構成された歴史からみてどれだけ矛盾無く説明が可能か、ということだけが判断の基準となります。その再構成されたものも、あくまでも「今のところは」というかっこつきの承認が得られるという具合です。ですから、素人でもあるし、第2部では自由な発想や直感を重視して、問題を探っていこうと考えています。

まず、教科書的に『古事記』中巻について確認をしておきます。中巻は神武天皇から応神天皇までを扱っています。歴代天皇の系譜は、神武、綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝安、孝霊、孝元、開花、崇神、垂仁、景行、成務、仲哀、(神功)、応神となっています。この我われになじみのある名前は「漢風諡号(かんぷうしごう)」と言って、『古事記』が完成した50年後ぐらいにつけられたものです。たとえば、「神武」天皇であれば「神倭伊波礼毘古」が和風諡号となります。上巻が神代の時代を扱っており神話の世界でした。これに対し下巻は仁徳天皇以降の実在の天皇の時代を扱っています。では中巻はというと、グレーゾーンといった感じで、実在していたような、していないような、何とも怪しげな時代となっています。

この中巻での問題点は大きくまとめると3点あります。

(1)中巻では、崇神、垂仁、景行、応神の記事が史実を反映しているのではないかとされ、あとは架空の存在ではないかとされています。特に、神武の次からの綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝安、孝霊、孝元については「欠史七代」と呼ばれています。また、「ハツクニシラススメラミコト」と呼ばれる天皇が神武と崇神の二人いる(『日本書紀』)ことも、神武の功績は崇神の功績を反映したものであり、本当は崇神から始まったのではないか、という根拠にもなっています。

(2)和風諡号と天皇の御陵の場所から、王朝あるいは王権の交替があったのではないかとされています。これについても定説はなく、様々な説があるのですが、ここでは、神武(欠史七代)・開化ー崇神・垂仁ー景行・成務・仲哀・(神功)ー応神というある種の断絶があるということを見ておきます。

(3)これが中巻の天皇の実在を否定するもっとも大きな根拠となっているのですが、歴代天皇の在位年数が常識的に考えて長すぎるということです。天皇の寿命ですが、例えば、神武天皇が137歳、崇神天皇が168歳、垂仁天皇が153歳となっています。

以上、簡単に中巻の問題点を見たのですが、あまりにも不確定な要素が多すぎて、いったい何を信じて考えていったらよいのか悩むとこです。しかし、ここでは史実を明らかにするということが目的ではなく、『古事記』に記述されたことについて、なぜこのような物語がこの場面に挿入されたのかとか、こういう表現の意図はどこにあるのかといった、記述されたものどうしの関係性を問うことに主眼を置いていますから、少しリラックスをしながら考えていくことにします。
2012年2月5日 17時43分 | 記事へ | コメント(0) |
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古事記を読む 第2部予告
『古事記』を読む 第2部の予告

長い間休んでいましたが、近日再開します。
第1部はあと数回で終了し、第2部を書くことにします。
第2部は、第25夜で提示した疑問点を巡って考えることになります。すなわち、なぜ垂仁記と景行記において、上巻の神話と反対の構図の物語が挿入されたのか?どうして、それが中巻のこの箇所であったのか?という疑問でした。ここで再び、スタート地点に立ち返ることになります。
2012年2月5日 17時26分 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年01月19日(木)
定休日の変更と臨時休業のお知らせ
今年から毎週月曜日が定休日となります。

臨時休業のお知らせ

2012年4月1日(日)は都合のため臨時休業いたします。
2012年1月19日 14時06分 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年07月23日(土)
『古事記』を読む 第248夜

『古事記』を読む 第248夜

[M07]火遠理命

これまで神代神話における兄弟闘争神話の構造的同一性を見てきたのですが、氏はその違いにも注目します。それは「三神話の構造的同一性を否定するようなちがいではなく、同一構造を前提にしての、その下位レヴェルにおけるちがい」だと述べています。
●密室こもりの神話において、ヒーローと女性助力者との関係に注目
高天原神話のアメノウズメとアマテラスは結婚しない
海幸・山幸神話のトヨタマビメと山幸彦、オホクニヌシ神話のスセリビメとオホクニヌシは結婚する
●結婚後の展開
海幸・山幸神話のトヨタマビメと山幸彦は結婚するが、トヨタマビメが妊娠したとき、山幸彦は、出産する姿を「見るな」というトヨタマビメの要望にもかかわらず、鵜の羽で葺いた産屋の屋根がまだ葺き終わっていないのをこれ幸いに産屋の中をのぞいてしまう。するとそこには、「八尋鮫」の姿になって出産しているトヨタマビメの姿があった。山幸彦は驚いて逃げてしまう。その結果、トヨタマビメと山幸彦は別れてしまう。
オホクニヌシ神話では、オホクニヌシとスセリビメは夫婦の大いなる危機を迎えるが別れない。オホクニヌシは別名、八千矛の神、葦原色許男といい、たいへん浮気な神様であり、オホクニヌシとスセリビメは別離の危機にさらされる。しかしスセリビメは、旅立とうとするオホクニヌシに、「大御酒坏を取り、立より指挙げて」、「八千矛の神の命や、吾が大国主、汝こそは男に坐せば」、行く先々の島や磯のどこでも、美しい女性を見つけることができるでしょう、しかし女性であるわたしはそうやすやすと浮気をするわけにはいかない云々、という意味の有名な歌謡を歌いかける。その結果、「うながけりて今にいたるまで鎮まります」、というめでたい結果となる。
●密室こもり事件そのものについて
アマテラスが天の石屋戸に隠れるのは、スサノヲの乱暴に驚いたアマテラス自身の意志による。しかし、山幸彦とオホクニヌシは、他者の意志によって強制されて密室内に入る。山幸彦であれば海神によって「宮室」へ導き入れられ、オホクニヌシはスサノヲによって「蛇の室」等に入れられる。密室から出るときは逆に、アマテラスは手力男の神など他者の意志によって天の石屋戸からひっぱり出される。しかし、山幸彦とオホクニヌシは、自らの意志で密室を脱出する。こうした点においても、高天原神話と海幸・山幸神話、オホクニヌシ神話は逆転している。
しかしこの場合も、海幸・山幸神話、オホクニヌシ神話の内容はさらに下位のレヴェルにおいて逆転している。他者が主人公たちを密室内に入れる目的に注目してみると、海幸・山幸神話とオホクニヌシ神話は逆になっているのである。すなわち、山幸彦は、海神より、「内に率て入りて、海鱸(アシカ)の皮の畳八重を敷き、またきぬ疊八重をその上に敷き、その上に坐せて、百取の机代の物をそなへ、御饗して、すなはちそのその女豐玉毘賣をまぐはひせしめき」、という歓待を受ける。なお、歓待であっても、「内に率て入りて」「その上に坐せて」「まぐはひせしめき」、という表現に示されているように、その歓待は海神側の意志によっておこなわれていることを、あらためて確認したい。他方、オホクニヌシ神話のオホクニヌシは蛇やムカデのおそろしい試練を受けるために、「室」に入れられるのである。「室」にオホクニヌシを入れるスサノヲの目的は、歓待でなく虐待である。したがってまた、「室」からの脱出の仕方も、山幸彦の場合は海神の同意を得て脱出するが、オホクニヌシの場合はスサノヲの同意なしにその隙をみて脱出するというちがいがある。

これを下に図示します。氏は行っていませんが、かりに出雲神話のすべての項目を+でマークすると、ほかの神話はその下の図に示したようになります。このようにしてみると、出雲神話と高天原神話は上位レヴェルですべて逆(+と−)という関係になっており、出雲神話と山幸・海幸神話は上位レヴェルでは完全に一致しているが、下位レヴェルではすべて逆の関係になっていることがわかります。神代神話の構造が全体として明確になってきました。嶋田氏はさらに「兄弟闘争神話の意味」を探ります。
2011年7月23日 15時16分 | 記事へ | コメント(0) |
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『古事記』を読む 第247夜

『古事記』を読む 第247夜

[M07]火遠理命

兄弟闘争神話の構造の類似を指摘したのですが、さらに氏は、ここにはそれぞれの重要な話が欠落しているとしています。それはアマテラスの天の石屋戸隠れや、アメノウズメの踊りの物語や、スサノヲの根の国での試練や、山幸彦とトヨタマビメとの恋愛の物語などです。確かに、基本的な神話の構造というのは析出されましたが、これらの分析しなかった諸神話もまた、それぞれの神話の中で重要な役割を担っていることは否定できません。氏は次のように問います。
これらの興趣あふれる神話は構造的にはどんな意味をもつのか。それは、神代神話の基本構造の外部的な装飾にすぎないのか。否、そんなことはないはずである。もし、いますすめている構造分析が正しい方向にすすんでいるなら、こうした挿話のような物語もなんらかの構造的意味をもつはずである。
このような観点から分析を試みた結果、そこにある共通点があることを見出します。それはまず、これらの話がすべて第一ラウンドで負けた人物をめぐる物語であることであり、さらに「密室こもり」という出来事を経験していることです。そして最後に、女性の力によって脱出し第二ラウンドへおもむくという共通性を指摘しています。それでは、具体的に見て行くことにします。

B1:高天原神話

●アマテラスの天の石屋戸隠れ事件は、アマテラスがスサノヲとの勝負に負けた後に生じている。アマテラスとの誓いで勝利を得たスサノヲは、勝ち誇り、アマテラスの田の畦や溝を壊し、大嘗祭を営む神殿に屎をまき散らす。あげくの果てには、アマテラスが神御衣を織る服屋に皮を逆はぎにした馬を投げ入れる。そのためアマテラスは天の石屋戸に隠れてしまう。

●では、アマテラスの天の石屋戸神話にあるアメノウズメのストリップはどう考えたらよいのか。アマテラスが天の石屋戸に隠れてしまったので、アメノコヤネノミコトの指揮のもと、アメノウズメの命が、天の香山の木の藁やら草やらを身につけて、伏せた「槽」を「踏み轟越、神懸かりして、胸乳をかき出で裳緒を陰に忍し垂れき」という場面である。すると、高天の原が鳴動し、八百万の神々が笑った。興味を抱いたアマテラスが天の石屋戸を細めに開けたところを、手力男の神に外へ引き出されてしまう。

B2:日向神話

●山幸彦は海神の宮へ行くのに「无間勝間(まななしかつま)」の小舟に乗ってゆく。マナナシカツマは『書記』では「無目籠」とあるように、目のつまった竹籠舟であろう。というのも、面白いことにヴェトナムなどではいまでもお椀型の竹籠舟が使われているからである。そんな舟で海神の宮にゆくのだから、竹籠潜水艦に乗っていったということであろう。これは一種の密室である。さらに海神の宮自体も、「魚鱗の如造れる宮室」とわざわざ「室」という字がつけ加えられて表現されていて、オホクニヌシ神話の「蛇の室」などとおなじ「室」である。山幸彦はそのなかに導き入れられるのである。

●山幸彦は海神の「宮室」で幸福な日々をすごすが、ある日、「その初めの事を思ほして、大きなる一歎(なげき)したまひき」。その「一歎(なげき)」を聞きとめたトヨタマビメは、それを父の海神に伝える。海神はそのゆえを山幸彦に問い、山幸彦は紛失した釣針を探しにきたのだということを明かす。これにより、山幸彦は釣針を取り戻し、地上に帰ることができる。トヨタマビメはストリップこそしないが、ヒーローの山幸彦が「宮室」を出る助力をしたことにかわりない。

B3:出雲神話

●兄弟のヤソ神の迫害を逃れたオホクニヌシは根の国に行くと、スサノヲに「蛇の室」「呉公と蜂の室」「八田間の大室」に入れられ、数々の試練を受ける。「室」に入れられなかったのは、野に放たれた矢を拾いに行かされて野に火をつけられたときであるが、このときも、ネズミの穴に隠れて難を逃れる。これも、一種の密室こもりだ。

●根の国の主になっているスサノヲの娘スセリビメも、スサノヲによって試練を課せられているヒーロー・オホクニヌシに、機転よく「蛇の領布(ひれ)」や「呉公蜂の領布」を与え、オホクニヌシがヘビやムカデの「室」から無事脱出するのを助ける。

これまで、天の石屋戸神話は日食や冬至祭りと関係づけられ、オホクニヌシの根の国での試練は成人のための通過儀礼と関係づけられ、山幸彦の海神の宮ゆきは釣針喪失神話と関係づけられるという具合に、三神話は異なった神話だと考えられてきた。しかし構造の観点から考察してみるとこれらの三神話は、二ラウンドからなる兄弟闘争神話の中間に位置して、一ラウンド目に負けた側が、あたかも英気を養うごとく密室にこもり、女性の力によりこれをふたたび脱出して二ラウンド目の戦いに赴く物語だという・において、同形構造を有する神話だといえるのである。
下の表は、第246夜の表に、さらに付け加えたものです。
2011年7月23日 10時24分 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年07月22日(金)
『古事記』を読む 第246夜

『古事記』を読む 第246夜


[M07]火遠理命

続いて、嶋田氏は次のように分析をしています。
勝敗の逆転に関して、この三神話に共通するもう一つの特徴に気づかされる。それは、二ラウンド目の勝利が単独ではなされていないことである。かならず助太刀がいる。高天原神話では、オホクニヌシに国譲りさせるために、アマテラス側はタケミカヅチを葦原中国に派遣し、そのはたらきによってアマテラスの孫ニニギの降臨がおこなわれる。海幸・山幸神話の山幸彦は、海神と海神から得た「塩盈珠」「塩乾珠」の助太刀により最終的勝利を得る。そして、出雲神話のオホクニヌシも、スサノヲから得た「生太刀」「生弓矢」の助力によって雪辱戦を勝ち取る。他者の助力を得ておのおのの神話のヒーローは逆転勝利を得ているのである。これを図示したものが下図となります。
2011年7月22日 18時28分 | 記事へ | コメント(0) |
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ニックネーム:空とぶくじら
性別:男
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