ニックネーム:エル・ドマドール(松田浩治)
たまごやで「学校では教えない本当の社会福祉」を書いていたエル・ドマドールだ。たまごやでの連載が終了し、これからはブログで言いたい放題言わせてもらおう。過激な主張はもとより承知。炎上上等

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2012年08月22日(水)
第250回「利用者を見抜く技術(3)分析能力」
先週俺は男性は女性に比べると観察能力で見劣りすると述べたのは覚えているだろうか?これはどうも一説によると社交性に優れた女性の方が脳科学的に観察眼についてはアドバンテージがあるとのことだ。だが、男性も訓練次第では女性に負けない観察眼を身につける事は出来る。それは先週教えた。でも利用者を見抜く能力に関しては女性は必ずしも優れているわけではない。観察眼がいくら優秀でもその観察したものを分析する能力が無いと意味が無い。

観察力があっても、その観察したものを分析する能力が無いとどうなるのか?俺が知っているケースではこんなことがある。

とある認知症の利用者が、突然背中や腹部に尋常じゃない痛みを訴えた。認知症のために痛い場所が背中だったり、胸だったり、腹部だったりしてはっきりしない。だが、彼女が痛がっているのは確かだった。女性看護師はその様子を見て、排便が3日間無かったため下剤を投与した。しかし、6時間後異変が起こる。利用者が突然嘔吐して、意識障害を起こしてしまった。嘔吐物は便臭がしていた。慌てて救急車を呼び、緊急搬送され何とか助かった。病は腸念転(イレウス)だった。愚かな女性看護師は腹部などの痛みを訴えている、3日間排便が出ていないという症状を見ているのにも関わらず、下剤を投与した。便が詰まっているから、腹部が痛むとでも思ったのか。だが、腸が捻じれているところに腸の動きを活発化させる下剤を投与するともう地獄の苦しみだ。下手すると腸が破れて全身に敗血症が広がり、死亡する可能性があったのだ。助かったのは幸運だった。

この女性看護師が馬鹿なだけと言ってしまえばそれだけなのかしれない。だがその女性看護師には長年の経験があり、観察眼もそれなりにあったはずだ。しかし、知識と観察眼をリンクさせる分析能力が無いと全く意味が無いばかりか、時にはこんな悲劇さえ起こしてしまう。この事は何も福祉や医療に限らない。他の分野でも同じことが言えるのではないだろうか?

俺よりも凄い学歴の持ち主、知的能力を持つ人間と一緒に働いたことがあるし、鋭い観察眼の持ち主に出会った事もある。でも、そんな優秀な人々でも福祉の現場で働くと持っている能力に比べて、あまり活躍できない人がなぜか多い。

どうしてか?現実の利用者を見て、理論と実践を結び付ける事が出来ないのだ。俺はそれが出来る人の事を「センス(感覚)がある」と称することがある。福祉業界にふさわしい言い方をすればアセスメント能力があると言えるかもしれない。

そしてそのセンスを身につけるにはどうすればいいのかと言うと実を言うとまさしく感覚的(センス)なものなのでどう説明すればいいのか未だに難しい。敢えて言うなら「介護を哲学せよ」の一言だろう。哲学とは何か?単純に言えば「これ以上物事を考えられないぐらい考える」事だ。そして観察する時もこれ以上無いぐらい、見る。介護だけではない。介護とか関係ないプライベートでも観察と学習をするべきだ。誰にも強制されなくても新聞を読んだり、勉強をする。毎日ランニングをするなど苦難を選ぶ、その自己規律が己の中にある刃を研ぐようにセンスが磨かれる。

そして今や福祉や医療の現場はそのようなアセスメント能力に欠けた人間ばかり増殖している。検査結果に囚われるあまりに患者を見ていない医師、褥瘡が出来れば馬鹿の一つ覚えのようにエアマットばかり言いだす看護師、メモを書いて渡せば記憶障害をカバーできると主張する介護職員・・・医療や介護の現場では冗談としか思えない過ちが多すぎる。もはや医療や介護は知的な職業とは言えなくなってしまっている。

どうしてこうなるのか?医療も介護も誰が行っても値段は同じ公的保険がカバーする職業なのが大きい。自分に苦しい戒めを与えなくても、誰がしても同じ報酬なら誰だって敢えて苦しい努力などしない。でもその誘惑を乗り越え艱難辛苦を自らに課す者こそ、この世界には必要なのだ。

利用者を見抜くには知性、観察眼、分析能力が必要なのだが、最後に必要なものがある。それが無いとどんな分析も真贋を見極めるものにならない。それが次週習う(4)客観性だ。次週を楽しみにしてほしい。



2012-08-22 13:34 | 記事へ | コメント(3) | トラックバック(0) |
| 施設介護 / 社会 |
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 正直、福祉勤務時では、本文中の「イレウス見逃し事件」のように大がかりな事故は見ませんでしたが、似たような例は結構見てきました。
 原因は大体が、上から下までそうですが、知識の著しい欠如(欠乏?)と、症状見ても「考えられない」の2つがあると考えてます。
 だからこそ、何を見ても勘が働かないのでしょう。
 だいたい、知性あふれる人物放り込んでも、上から下まで無教養で、考えなしにその場の空気でワーワー言ってるだけの集団に彼らを受容する器量はないでしょう。よって、その場に染められるか、そのフリするか、浮いて干されてアノミーの無間地獄に放り込まれるかのどれかですな。
 知性あふれる職員の知性と能力が発揮できないのは、「センス」以上にこのアノミーの要因も大きいと思いますよ。
 もう1つ言うと、いくら知識と経験を入れ込んでも、その知識と経験がタテ・ヨコ・ナナメにつながらないと応用は効かないでしょう。さらに福祉の「理論」は、現実無視のあり得ない前提条件をもとに組まれたモデルで自己完結しているから、理論と現実が合うはずもありますまい。当然、アセスメントは困難を極めますし、正直、福祉理論は極めたところで無駄ですな。
 どうせ極めるなら歴史の検証に耐えた古典的一般教養(なけりゃ日経新聞でも)を極めたほうが(福祉の現場でも)ずっと役に立ちます。また応用も効くし、「対話」も「アセスメント」も弾みますな。
 それにしても、福祉学者の先生方は、何考えて現実無視の空理空論を垂れ流すのやら。 
 前回のコメントのネタにした「理論と現実」の相互のフィードバック(=「ダブルループ学習」)は、「失敗の本質」の引用なのですが、初版1984年(昭和59年)のウルトラロングセラーなのに…。
何と言ってよいのやら…。彼らは本当に学者なんですかねぇ。そして何より、現場職員は、己が血を以て彼らの怠惰のつけを支払わされているというのに、彼ら学者はなんとも思わないんですかねぇ。もっとも、学者・経営者にとって、下っ端職員は人間じゃないのかもしれませんけどね。
 2つ書き忘れていましたが、
うち1つは、かのパスカルは、「人間とは考える葦である」と、また「考えることは疑うことから始まる」とも書いているという事実です。
 もっとも、福祉業界では、役員幹部の「お言葉」に正直に疑うとどんな目に合うことやら…。
 どうやら福祉業界では、幹部のお言葉には絶対服従を誓ったほうが長生きできそうですな。
 それにしても、自分の部下の内面の自由・意見表明の自由という、最低限の人権ですら平気で土足にかける連中が、弱者の保護だの権利擁護だのを本気で真面目に考えているとは思えませんな。(そのフリはしているけど)

 もう1つは、激務の人間に正気を失わせずに踏ん張らせようとすれば、(薄給で人使うのであれば尚更)幹部自ら、将来への希望の担保・義務への忠実さ・高潔さを見せるしかないということです(逆の例ばっか見てきましたけど)。
実際、民間企業で正気を失わずに済んだのは、結局は「希望を失わなかった」だけですし(幹部のおかげではありません)、
 実際、福祉で、「経営を考えろ・意識がない」と説教垂れた幹部はいても、この「希望」を職員に保証した幹部は見たことがない
(いるとは思いますけが、ほんとはいるのが正常ですので念のため+民間も同じでしょうな)。
 でも、動けなくなった下っ端職員は、新しいのと取り換えればいいというのなら大いに納得ですな。

 これを考えると福祉幹部の皆さんが、社会と職員に、ふんぞり返って垂れ流すスロ−ガンは、思いっきりむなしく聞こえますし、希望を持たない(持てない)職員が、自発的に動くとも、向上心を持つことも考えにくい。福祉の腐敗堕落も知性の喪失も、ある意味「なって当たり前」のようですな。
 これはいつまで続くのやら…。
エル・ドマドールさん。お久しぶりです。今も楽しく読ませていただいております。
女性の観察眼は鋭いとは思いますが、それが職務に活かされていないことも、悲しい現実ではないでしょうか。実際、私の職場はほとんどが女性スタッフですが、観察した結果を自己保身や他者への攻撃材料に使い、実際のケアにはほとんど活かしていないことが多く見受けられます。たとえばたった一度失敗したらといって「○○さん(職員)がこんなことをしたからこの人(利用者)がおかしくなった」など。本来は失敗した状況を分析し、それが一時のものか恒常的なものなのか、対策が必要か不要かなどを検討しなければいけないのですが、変化を嫌う女性スタッフ(特にベテラン職員)は、人のミスを見つけ、あるいは人の責任にして自分を優位に保とうとし、結局、何もしない。何故かと言えば、やはり先日のブログの記事にもある「苛められないようにするためには、人を攻撃すればよい」という歪んだ生き方が身についてしまっているんでしょうね。また、知性・社会常識ともに欠けている人間も多い中、観察眼など育つ下地が無いことも現実ですね。そんなわけで、毎日、部下の自己中心的かつ常識のない行動に辟易としながら、グループホームでの仕事を行っております。
でもね、所詮、福祉の仕事、真面目に仕事をしたところでわがままな年寄りや家族の相手に苦しむのです。スタッフだってそんな年寄り相手では、仮に観察眼があったとしても活かしてやりたくはあないでしょう。ましてやおっしゃるとおり公的保険。利用者・家族も公的サービスに甘えきっているのですから、こちらも、質の高いサービスを提供しようという努力はしたくない。ましてや苦しんだ年寄りが普段からわがまま言い放題の迷惑な年寄りなら、心の中でガッツポーズですな。
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