ニックネーム:しばやん
性別:男性
年齢:60歳
都道府県:大阪府
京都のお寺に生まれたしばやんの日本史ブログです。このブログのファイル容量がなくなったのでFC2ブログに過去の歴史関係の主要記事を移し、平成26年1月5日以降の記事は新ブログにのみ掲載しています。記事のリンクやツィートなどは歓迎しますが、できるだけ新ブログのURLで案内していただきたいのでよろしくお願いいたします。http://shibayan1954.blog101.fc2.com/

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2013年09月24日(火)
朝鮮戦争の緒戦で北朝鮮軍が韓国領の9割以上を制圧できたのはなぜか
1950年6月25日の午前4時に朝鮮半島の38度線で、突如北朝鮮による砲撃が開始され、10万を超える北朝鮮軍が38度線を突破した。

米駐韓国大使のジョン・ムチオは、ワシントンの国務省に宛てて次のような報告をしている。
「1950年6月25日ソウル発
韓国軍事顧問団の資料によって、一部確認された韓国陸軍からの報告によれば、北朝鮮は今朝、韓国の領土に対し数ヵ所にわたって侵略を開始した。攻撃はほぼ午前4時に開始され、甕津(オングチン)は北朝鮮軍の砲火によって破壊された。午前6時ごろ、北朝鮮の歩兵隊は甕津、開城(ケソン)、春川(チュンチョン)各地方における38度線内に侵入し、伝えられるところによれば、東部海岸の南江陵に陸海軍による上陸が行われた。開城は午前9時、作戦を開始した10台の北朝鮮側戦車によって占領されたと言われる。また戦車を先頭にした北朝鮮軍は、春川を包囲しつつあるといわれる。江陵における戦闘の詳細はまだ不明であるが、北朝鮮軍によって主要道路は断たれた模様である。攻撃の性質、および攻撃開始の方法からみて、これは韓国に対する全面攻撃とみられる」(『知られざる日本占領 ウィロビー回顧録』p.232)

その勢いで北朝鮮軍は勝ち進み、6月27日には韓国の首都京城(ソウル)が陥落してしまったというのだ。画像は「朝鮮戦争の推移と韓国の歴史教科書」というサイトに豊富に紹介されている。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/1222ChoosenWar.html

朝鮮戦争の緒戦でこんなに簡単に韓国軍が敗れたのは意外であったが、いろいろネットで調べていくと、当時の韓国軍の装備については、韓国軍は、総兵力10万、戦車ゼロ、大砲91門。一方の北朝鮮軍は、総兵力20万、戦車240両、大砲552門と北朝鮮軍の装備が韓国軍を圧倒していた。しかも韓国軍の91門の大砲は北朝鮮の戦車T34(ソ連製)の分厚い装甲を撃ち抜くことが出来なかったという。重戦車と歩兵との戦いでは勝負にならないことは誰でもわかる。
http://www.benedict.co.jp/Smalltalk/talk-128.htm

またウィロビーの回顧録によると、戦闘が開始された時には、韓国軍には司令官がいなかったのだそうだ。
「…1950年6月当時、韓国軍の装備は北朝鮮側にくらべ哀れな状態であった。そのうえ戦いが開始されたときには司令官まで欠いていたのだから、押し寄せる北朝鮮軍の前に手もなくひねられ、敗走したにしても一般兵士たちを責めるにはあたらない。」(同上書 p.233)

ではなぜ、韓国軍の装備がかくも貧弱であったのか。
この点については、ウィロビーの回顧録に、当時の駐日大使でGHQ外交局長であったウィリアム・J・シーボルトの回想記が引用されている。シーボルトはこう書いている。
李(李承晩[イスンマン] 韓国大統領)は、常に好戦的な態度を見せていたので、米国顧問団は、この軍隊に戦車、重砲、軍用機などを与えるのを拒否していた。正規の攻撃兵器を与えれば、李はただちに38度線を突破して北進する恐れが十分にあったのだ。」(同上書p.234)
こんな理由で、アメリカが韓国の防衛を怠っていたとは信じがたいことである。

また1950年1月12日には米国のアチソン国務長官が「たとえ韓国が共産主義者に攻撃されても、アメリカは韓国防衛に対して消極的であろう」との演説をしたそうだが、このような発言が、北朝鮮による韓国侵略を決断させる要因の一つになったのであろう。

ウィロビーの回顧録を読み進むと、ウィロビー率いるG2(GHQの参謀第2部)は北朝鮮による攻撃が近いことを何度も国務省に報告しており、その特別報告のいくつかの内容が著書に紹介されている。それによると、北朝鮮の戦争準備の動きばかりではなく、38度線から3マイル以内に住むすべての民間人に退去命令が出ていることや、北朝鮮軍による韓国侵略が6月であることなども報告されていた。
また韓国大統領の李承晩も、北の攻撃が予想される中で、戦えるだけの武器がないことをアメリカに訴えていたのだが、どういうわけかアメリカは韓国軍の装備が貧弱なまま放置していたのである

ウィロビーの記述が正しければ、朝鮮戦争は決して北朝鮮軍による不意打ちではなかったことになる。報告は受けていたのだが、何らかの理由があって動かなかったか、動けなかったのである。ワシントンの中枢部もソ連寄りの人物が主導権を握っていたのだろうか。

米大統領のトルーマンは、北朝鮮による侵略が開始されてまもなく、GHQのマッカーサーに韓国の防衛を命じている。また国連も米国に国連の代理としての行動をとるように要請し、マッカーサーが国連軍司令官に任命されている。

6月29日の早朝にマッカーサーは羽田を出発して韓国における戦場の上空を視察し、帰日後ワシントンにこうレポートしている。
「…敵の侵攻を防止するのが第一の問題である。さもないと敵が朝鮮全域を支配するかもしれない。韓国軍には反撃する能力が全くないので、北朝鮮軍がさらに侵攻する危険性は大きい。もし敵の進撃が続けば韓国は危険にさらされる。現在の戦線を維持し、さらに失地を回復するための唯一の道は、朝鮮戦線にアメリカ地上軍を投入することである。有効な地上兵力なくして、空軍と海軍とだけを用い続ければ決定的なものになりえない。…」(同上書p.242)

翌日にワシントンは米地上軍の韓国投入を許可し、マッカーサーに彼の指揮下にある兵力を使用する全権が与えられたのだが、マッカーサーが使える兵力は、北海道から九州までに散らばっていた勢力不足の占領軍4個師団とオーストラリア軍1個大隊だけで、到底敵戦力とつり合いのとれる水準ではなかったという。

ウィロビーはこう書いている。
「8月から9月初旬にかけて、米軍はもっとも苦しい戦いを強いられていた。8月15日、当時の北朝鮮首相・金日成は、あたかも勝利はわが掌中にありとばかりに、次のように語った
いま、米軍と李承晩敗残部隊は、わが共和国南半部(韓国)全地域の約8パーセントを維持しているにすぎない。わが祖国の全地域が、アメリカの武力干渉者どもから完全に解放され、自由と独立の旗が全朝鮮の津々浦々にいたるまでひるがえる日もそう遠くはないだろう。』…」(同上書p.247)
と、この時点で韓国領土の92%は北朝鮮軍に制圧されていたのである。
しかしウォルトン・H・ウォーカー中将率いる米国第8軍が釜山周辺地区で背水の陣を敷きながらなんとか踏ん張っていたという。

そこでマッカーサーは戦況を一転させるために「仁川(インチョン)上陸作戦」を計画し断行する。
今回の記事の最初に添付した朝鮮半島の地図をもう一度見て頂きたい。
北朝鮮軍は快進撃を続けて韓国領土の大半を支配したのだが、最前線の兵士に燃料や弾薬・食料などの補充を行ない続けなければ戦いを継続することが出来ないことは言うまでもない。マッカーサーのこの作戦は、北朝鮮軍の大半が釜山攻防に配置されているタイミングで、仁川を攻撃し北朝鮮軍への補給路を断つというものであった。

マッカーサーは8月20日に東京の第一生命ビルで開かれた仁川上陸作戦に関する戦略会議でこう述べたという。
敵の弱点は補給にある。敵は南に進めば進むほど輸送線が伸び、それだけ危険も増大する。敵の主要補給線は、いずれもいったんソウルに集まり、ソウルから戦線のあちこちに伸びているから、ソウルをおさえれば、敵の補給網を行きも帰りも完全に麻痺させることができる。
弾薬と食料の補給がとまれば、敵はたちまち手も足も出なくなって混乱し、われわれの小さくとも補給充分な兵力で簡単に圧倒することができる。作戦の成功については、私はこれを確信する。」(同上書 p.253-254)

この作戦にはなぜかワシントンでは根強い反対があったようだがマッカーサーが押し切り、9月15日に実行に移された
マッカーサー率いる国連軍は仁川上陸に成功したあとソウルを攻め、敵軍は補給がとまったところへ挟み撃ちにあい、退却の道も断たれて総崩れの状態となった。北朝鮮軍の兵士の投降が相次ぎ、1か月以内の捕虜総数は13万人にも達したという

9月28日に国連軍はソウルを奪還し、翌日には韓国政府がソウルに入城したのだが、この時にマッカーサーは、米国首脳の考え方に不安を感じていたらしく、尊敬していたウォーカー将軍に次のように打ち明けたという。

「…犠牲を払って軍事的勝利をおさめても、それから政治的に有利な平和が導き出されるのでなければ、何のための犠牲かわからない。
 いまは北朝鮮軍を壊滅させた仁川での勝利をただちに政治的平和にすりかえる、つまり軍事的に勝ったのを機に、ここで戦争を終結させてしまう絶好の機会だ。これはなにも敗北した北朝鮮軍に、われわれの意志を強引におしつけるという意味ではない。われわれは北京とモスクワに、米国は何の野心もなく、韓国から敵兵を一掃して独立国として存在を保てるような状態にすること以外には、何の使命も帯びていないということを納得させるだけの外交的能力が必要だ
 ところが、われわれの外交陣はまことに不活動的で、この勝利を活用して朝鮮に平和と団結を回復させるための素早い、ダイナミックな外交活動を起こすということがさっぱり行われていないようだ。戦争を終結して、太平洋にもっと永続的な平和を生み出す方向へ大きく動き出す絶好の機会が訪れているのに、それをつかみ損ねるという大変な政治的失敗が犯されているような気がしてならない。われわれが政治的、外交的に不活発であるため、相手がそれをためらいや譲歩と取るだろう。こんな状態では戦争は終わるどころか、道は長引く。」(同上書p.276)

このようなマッカーサーの思いとは裏腹に、国連軍がソウルを奪還した9月28日に、米統合参謀本部は、北進攻撃の許可と詳細な指令を東京のマッカーサーに送っている。
貴官の軍事目標は、北朝鮮軍を壊滅させることにある。この目標を達成するため、貴官が朝鮮の38度線以北で軍事行動をとることを許可するものである。ただし、いかなる場合にも中国およびソ連との国境を越えてはならない。…」(同上書 P.277)

通説では、トルーマン大統領や米統合参謀本部の命令を無視して韓国軍と国連軍が38度線を越えて北上したとなっているのだが、ウィロビーの回顧録によれば、38度線を超えて北上する指示は米統合参謀本部がマッカーサーに出していることがわかる
しかし、後日「マッカーサーは自分勝手に上層部を無謀にも無視して38度線を突破し、北朝鮮に進攻した」という作り話が新聞に載って全世界にばら撒かれたために、事実でないことが通説になってしまったのだが、どこの国でもいつの時代もこのような方法で、権力者にとって都合の悪い真実が都合の良い歴史に書きかえられて国民に広められることがよくある。

かくして韓国軍と国連軍は38度線を突破し10月20日には北朝鮮の首都平壌を制圧し、さらに北朝鮮軍を追って破竹の勢いで中国国境に近い鴨緑江近辺まで進軍したのだが、ここで国連軍は中国軍の猛反撃に遭遇することになる。中国軍は国連軍をはるかに上回る規模であったのだが、その後の戦いについては次回に記すことにしたい。

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幻の映画、「氷雪の門」
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昭和天皇の『終戦の詔書』の後も戦争が続き、さらに多くの犠牲者が出たこと
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占守島の自衛戦を決断した樋口少将を戦犯にせよとのソ連の要求を米国が拒否した理由
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終戦後大量の日本兵がソ連の捕虜とされ、帰還が遅れた背景を考える
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アメリカがGHQの中の左翼主義者の一掃をはかった事情
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朝鮮戦争の緒戦で北朝鮮軍が韓国領の9割以上を制圧できたのはなぜか
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『軍国主義者』や『青年将校』は『右翼』だったのか
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2013-09-24 20:46 | 記事へ | コメント(2) |
| 朝鮮半島雑記 / 昭和時代雑記 / ウィロビー回顧録 |
正確な資料を提示されて我々にとってあまり知られていない史実をいつもご教示くださり勉強になります。私は個人的に朝鮮戦争は朝鮮の独立戦争になるはずだったと解釈しています。アメリカ、中国の介入がなければ初戦においてそれぞれの勢力が朝鮮を統一していたはずなのです。惜しいことに朝鮮の人たちにこれが千載一遇の朝鮮統一独立の機会であるという認識がなかったことで、結局戦勝国同士の代理戦争に終わってしまいました。

他の東南アジアの国々が次々に植民地からの独立を自力で勝ち取っていった時期に自分たちが日本の植民地から戦勝国の植民地になっただけだという自覚(自分たちの力で国を作ったわけではないという自覚)がなかったために結局21世紀の現在も第二次大戦の影響を引いて国家が分断されている世界で唯一の国になってしまいました。

この状況を変える方法は「南北朝鮮は自分たちの意思で作った国ではない」という意識を朝鮮の人たちが持つ事以外ないのですが、残念ながら彼らは自分たちが戦勝国だと思いたい、完璧にあさっての方向に向かっています。なさけない事だと人ごとながら思います。「正しい歴史」に向き合ってほしいものです。
rakitarouさん、コメントありがとうございます。

アメリカ、中国の介入がなければ、ソ連製の武器と戦車で装備していた北朝鮮軍があっという間に朝鮮半島を統一していたような気がしますが、それから後、一波乱も二波乱もあったのではないでしょうか。

朝鮮戦争では軍隊だけが犠牲になったのではなく、韓国軍や韓国警察によって共産主義者の嫌疑をかけられた20万人から120万人に上る民間人が裁判なしで虐殺されていますし、北朝鮮でも多くの民間人が殺されています。
北朝鮮による統一があったとしても、多くの犠牲者が出たような気がします。

rakitarouさんのブログも拝見させていただきました。
「アメリカはふだん論理的正当性を厳しく追及して、正義や国益を貫きますが、論理的整合性が成り立たない時は倫理的正当性、つまり「これは神から付託された行為」といった定義付けをして自国の主張を通します。結局自分のやりたいようにやるのですが、論理的正当性と倫理的正当性を使い分けて理由立てしている事に注目しないといけません。」

確かにアメリカの歴史を見ていると、その通りだと思います。
これからも、時々覗きに行きますよ。
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