湯島天満宮
2010年04月25日(日)

湯島天満宮は、14世紀後半に菅原道真公の偉徳を慕った付近の村民が、京都北野天満宮の
分霊を勧請して祀ったのが、そのはじまりとされ、太田道灌により再建されました。

江戸時代には歴代の将軍の篤い庇護により栄えました。明治時代に改築されましたが、
老朽化のため現在の本殿は平成になってから造られたものです。

江戸時代には、和歌や連歌の神、芸能の神、書道の神、さらには縁結びの神として町人層の
間で親しまれていました。現在は学問の神様として多くの受験生が合格祈願に訪れます。



1667年創建された表門(お茶の水方面への門)の鳥居は銅製で、下部に唐獅子頭部の装飾の
ある珍しいものです。

2010-04-25 14:20 | 記事へ | コメント(0) |
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旧岩崎邸
2010年04月20日(火)

東京都台東区池之端にある旧岩崎邸(重文)は、1896年に岩崎彌太郎の長男で、
三菱財閥の三代目である岩崎久彌が岩崎家本邸として建てたものです。鹿鳴館や
ニコライ堂を設計した英国人ジョサイア・コンドルの設計で、現存するのは洋館・
撞球室・和館の3棟です。

木造2階建・地下室付きの洋館は、本格的なヨーロッパ式の近代日本住宅を代表する
建築で、繊細なデザインの装飾が施された豪華な建物です。

洋館とつながる形で和館があり、当時は14部屋もある大邸宅で岩崎家の住居として
使われていたようです。

撞球室(ビリヤード場)は山小屋風の木造の建物で、洋館と地下でつながっている
珍しい造りです。


庭園は江戸期に越後高田藩榊原氏の屋敷であった大名庭園を一部踏襲した広大な庭で、
「芝庭」をもつ近代庭園の初期の形を残しています。
2010-04-20 23:19 | 記事へ | コメント(0) |
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港の見える丘公園
2010年04月10日(土)

港の見える丘公園はかつて横浜開港期にイギリスとフランスの軍隊が駐屯した場所です。
幕末の混乱期、生麦事件などの攘夷派などによる外国人殺傷事件が多発しました。
英仏両国は自国居留民の安全と財産を守るという名目で、横浜港を一望する高台に
軍隊を駐留させました。軍の撤退後、イギリス軍の駐屯跡地にはコロニアル風の
総領事公邸が建てられ、現在はイギリス館として公開されています。



公園内には神奈川近代文学館、大佛次郎記念館などの文化施設も並んでいます。

2010-04-10 13:20 | 記事へ | コメント(2) |
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横浜・関内
2010年04月03日(土)
米修好通商条約により、1859年に横浜が開港した際、開港場の周囲を掘割りと川で
区切って、開港場への出入りに利用された橋に関門を設置しました。昔の関所のような
もので、その内側を「関内」、外側を「関外」と呼びました。
今は「関内」だけがこの地域の通称として残っています。

ここは明治初期にいち早く西洋文化を取り入れた、先端の場所であり、昭和の
近代建築も数多く残されています。

開港以来横浜のシンボルとなっている3つの歴史的建造物、
神奈川県庁(キングの塔、高さ49m)


横浜税関(クイーンの塔、高さ51m)


横浜市開港記念会館(ジャックの塔、高さ36m)


これらは「横浜三塔」と呼ばれ、1917年〜1934年に建てられました。当初は周囲に高い
ビルがなく、横浜港に入港してくる船の目印になっていました。

また、馬車道に面した県立歴史博物館は旧横浜正金銀行本店本館で明治30年代の
代表的様式建築として重要文化財に指定されています。


新港地区の赤レンガ倉庫は、明治末から大正初に建設されたレンガ造りの建物で、
創建当時から横浜港の物流拠点として活躍してきました。
その後利用されなくなっていましたが、平成4年横浜市が国から取得して、周辺を
赤レンガパークとして整備し、歴史的資産を保存しつつ、商業施設として活用し、
横浜の観光名所となっています。

2010-04-03 14:40 | 記事へ | コメント(2) |
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ニックネーム:hiroko
神戸市在住  A型 魚座  好きなこと: お寺めぐり、仏像、歴史もの、音楽などなど。