大道芸政治の時代か
2009年11月18日(水)
ここしばらく、新聞やテレビなど多くのメディアは「事業仕分け」という「行事」で持ちきりである。「自民党時代のムダ」を排除して子育て支援や農家戸別給付金などの「マニフェスト」実現に必要な財源をひねり出す、とする民主党議員と一部民間「識者」による予算の見直し作業である。
メディアのトーンと異なり、政治家を希少資源と考える私は、先ず民主党の仕分け作業に従事する議員のみなさんがずいぶん頑張っていただいていることを認める。その「汗」に対しては、率直に多としたい。予算の内容や実施状況がこうして少なくともある側面ではわれわれにわかりやすくなったことは、ひとつのメリットではある。
しかし、この事業仕分けという行事に対する多くのメディアの取り上げ方に対しては、私は強い懸念と疑問を感じる。
「これまで密室で進められてきたことが、こうして初めて透明性を得てあきらかになった」と賞賛するエスタブリッシュト・ペーパーを自称する新聞がある。いかにも軽薄な識者、あるいはコメンテーターと称する人たちにも、そう発言する者が多い。私は公平にみて、自民党政権にくらべて新政権である民主党政権がより透明性が高まったとは、必ずしも思わない。自民党政権時代でも、重要な経済政策の検討経過は、経済財政諮問会議のホームページなどで知ることができた。むしろ今では、郵政公社の社長人事など、首相でさえ知り得ない究極の密室で決定されることもある。ほんとうならメディアが、問題がありそうな事業を丁寧に取材して、状況を国民に報道するべきである。これまで国民に十分な情報が届いていないことに関して、メディア側の反省はないのだろうか。
「事業仕分け」というシステムは、制度としてはいささか異常である。このような問題は、本来国会で十分審議されるべきである。その国会審議を通じて、メディアがしっかり取材し、国民に伝えるべきではないのか。わが国の制度は本来そうなっているはずである。それが正しく機能しないというなら、しかるべき制度改革を提案し実施するのが本来のアプローチである。民主党は、予算の事業仕分けは今回のみであり、以後は「政治家主導を徹底するから」不要である、としている。それはそれでスジが通っているが、それならなぜ今回メディア総動員で大々的にショーを実施したのか。選挙対策、ポピュリズムなどと疑われても仕方がないだろう。
「ムダを省く」というが、そんなに簡単なことではない。「ムダ」は判断する立場により、環境により、またタイミングにより、判定が異なってくる。妥当な判断のためには、仕分人側にしっかりした判定基準が必要であり、そのためには鮮明な立場の表明が必要であり、そのためには財政運用のしっかりした基本方針がなければならない。マニフェストがそれだ、というのかも知れないが、マニフェストにはそれが鮮明にわかるほど明確には記述されていない。結局、仕分人の質問に対して、短時間に的確に回答できなかった予算は、十分な知識や見識がない仕分人によって、明確な根拠なく削減されたり否認されたりすることになる。
そうして大騒ぎして「無駄を省いた」と声高に叫んでも、やっと抽出したその金額は予算全体からみればごく一部に過ぎない。もちろんほんとうに無駄なら一銭たりとも排除すべきだが、新政権の新政策に財源として要請されているのは10兆円規模であり、遠くおよばないのである。
テレビの画面としては、賢そうな美人議員が舌鋒鋭く事業当事者をやっつけたり、民間出身の仕分人が役人のあいまいさを追求したりするシーンは、実に痛快なところがある。それでもしっかりした専門家でもない仕分人が、財務省の官僚が下書きしたシナリオを参考にして質問したりする茶番は、しばらく眺めていると仮面がはがれてくる。素人っぽいショーに、大衆が喝采を送るのは、まるで中途半端な大道芸を見ているようにも思える。多くのメディアは、小泉政権を「劇場型」と罵ったが、いずれ民主党政権を「大道芸型」と名付けるのだろうか。
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2009年11月18日 19時35分
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