ニックネーム:明石太郎: "珈琲"
性別:男
年齢:団塊世代
都道府県:大阪府
技術者出身
日本がこれから生きる道
2009年11月06日(金)
9月民主党政権が発足して政権交代が成った。私は民主党に投票したわけではないが、正当な手続を経て投票の多数を得たのであるから、新政権をできる限り尊重したい。
大きな懸念はある。とくに外交と防衛に関わる問題については、この政権の存続中に大きな失敗をしてくれなければよいが、と祈る気持ちである。古くは安政の不平等条約の例があるように、外国との約束は、自国民だけの意志で変更できない。孫子の代にまで瑕疵を残す危険性がある。
しかし内政に関しては、国民の多数派の支持を獲得した以上、新政権が思い存分やってみたらよかろう、というのが私の基本的な考えである。外交と異なり、後日不都合とわかったら、国民の合意にもとづき法律を変更するなりして改めればよい。
そういう次第で、政治に素人の私は新政権の内政の個々について、いちいちコメントすることはしない。ただ大まかな方針、はやり言葉で言い換えると政治の「戦略」に関して、若干の意見を以下に記す。
「新政権は、経済成長と政策との関係をどのように考えるのか」、「これから日本は、どういう付加価値の生産で生きていくのか」という問いである。
「国民生活第一の政治」を謳う民主党の政策の大部分は、経済政策そのもの、あるいは経済政策に深く関わるものであろう。社会福祉の拡大、すなわち子育て支援、農家戸別所得補償、基礎年金の全額税負担、貧困率の削減、など、いずれも経済政策の一環である。ごく大雑把に言えば、民主党の政策は、社会保障をこれまでよりも大幅に拡大しようというものである。
現実に社会保障を拡大する、そして拡大したうえで維持するには、それを賄うためにわが国の経済的豊かさが必須である。この基本的事実は、すでに今世紀が始まるまでに「福祉先進国」、「(日本のような世知辛い経済大国ではなく) 世界に誇るべき生活大国」とわが国のメディアでもてはやされ、人気が高かったスウェーデンの苦い経験から明らかである。しかしわが国の現実は、1990年代以降の持続的な低成長に加え、昨年以来の「百年に一度の大不況」の最中である。この厳しい経済不況のなかで、どうやって福祉の拡大を賄うのか。
民主党がマニフェストで謳い、鳩山首相の所信表明演説で叫んだのは、「ムダの排除」であった。たしかに新政権は懸命な努力をして、3兆円弱の予算削減を決めた。鳩山首相は、これは「自民党が残した不要不急のカネだ」という。たしかにそういう部分も多々あり、こういうアクションこそ、政権交代に誰もが期待するものだろう。それでもその内容には、環境重視の政権であるに関わらず環境関連技術開発の補助金削減もなにがしか含まれていて、当事者には理解しがたい部分もある。「ムダ」は作る方も摘発する方も、人間のやることとて不完全さは避け得ないのだとしておこう。こうしてかなりの努力をして積み上げた「ムダ」が、わずか3兆円である。予算90兆円余りの3パーセント程度に過ぎない。月20万円の慎ましい家計の世帯にたとえると、5,000〜6,000円のタバコ代程度なのである。この程度のカネで扶養家族を養えるはずがない。正直なところ、私でさえもっとムダがあるはずだろう、と思ってしまう。年金を併せた社会保障費はすでに100兆円をはるかに超えており、このオーダーの「ムダの撲滅」では、現実的な財源としては全く役に立たない。努力の方向としては尤もだとしても、「ムダ撲滅」だけでは定量的に成り立たないのである。
子育て支援や農家戸別所得補償、あるいは「年金の安心化・老後の安心化」によって、内需を刺激し、経済成長を達成する、と説明する政治家もいる。果たしてそうだろうか。私はこの考え方にはきわめて懐疑的である。所得が少ないがために消費が少なかった人々が、多少所得が増えたときに購入する品物は、大部分が低価格の輸入品である。いまや食糧のみならず日常使用し消費する品物の大部分が輸入品であることは、すでに誰でもが知っている。したがってこの新規需要が、わが国で付加価値が小さいと言われているサービス業を少し潤すことはできたとしても、わが国の経済の原動力である製造業を力強く後押しする可能性は、ほとんどない。今より福祉を拡大するというなら、とりあえずは今以上の経済成長が必須だと考えるのは、ごく自然ではないだろうか。
基本的な発想を180度転換して、すでに低成長時代に入ったことを前提として認めて、政治の仕事を、かつての高度成長時代の「利益の配分」ではなく「負担の配分」に切り換えるべきだ、という考え方もある。この領域に関しては、具体策を私は知らない。イメージがまだわかないのである。しかし日本を含む先進国がいつまでも高度成長できるわけもないので、わが国の「低成長時代の豊かさ」のイメージを具体化することは大切で必要なことだろう、とは思う。少なくとも、現時点では、民主党からこのビジョンやイメージの提示はない。それにしても、現状以上に財政支出を増加させようとするのだから、ゼロサムでは不可能だろう。定量的な議論はおいても、なんらかの経済成長は必須と思う。
以上のような「財源問題」はすでにメディアでも論じられている。私は「財源問題」だけに終始するのは、問題の矮小化に通じると思う。大切なことは、日本がこれからどのような経済ビジョンで生きていくのか、そのビジョンを早く構築して、その健全な育成に向かって教育を行い、雇用を創出し、リターンとして税金を徴収できるようにすることである。日本が今後も長期にわたって製造業をメイン・エンジンとする経済で突き進むことは、もはや不可能だろう。すでに西側ヨーロッパやアメリカは、日本に先んじて製造業から離れ、金融などに重心を移行している。果たして日本が同じように金融中心の経済を構築して発展できるのだろうか。
このような大きな問題は、民主党だけでも、自民党を含む政治家でも、まちがいなく手に余るだろう。試行錯誤を含む建設的な失敗も必要だろう。われわれ国民すべてが真剣に考え抜き、新規起業など試行錯誤を含むたゆまぬ努力を、自ら実行していくことが必須である。新しいことを起こすのに、リスクをとる覚悟、失敗を許す雰囲気、チャレンジを励ます文化が、先ずもって必要である。
少子化が問題である、労働力の不足を補うために外国人労働者を入れる必要がある、などという議論もあった。しかし肝心の雇用がない限り、少子化改善、労働力確保しても、まったく意味がないのである。
政府に期待することは、先ずこれからやろうとしている政策が、低成長を前提とするものなのか、それとも引き続き高度成長を前提とするものなのか、国民にきちんと説明することである。そして、国民の新しい起業やその試みに対して、最大限支援的であること、である。さらに、われわれ一般国民を広範囲に巻き込んで、日本の将来の経済ビジョンを少しでも早く具体化すること、である。
たとえば自民党政権下ではあったが、「ホリエモン・バッシング」などは、典型的な悪い例である。新しい事業創造意欲に燃えていた堀江貴史氏は、無責任で気まぐれなメディアの激しい非難に晒されたうえ長期間拘留され、自分が創業した会社の倒産危機にまで追いつめられたが、長い裁判の結論はごく微罪に過ぎなかった。この事件は、起業家を目指す多くの若者の意欲を不必要に挫き、多くの起業の芽を潰してしまった、と私は思う。
政府がやるべきことは、われわれ一般国民を広範囲に巻き込んで、日本の将来の経済ビジョンを少しでも早く具体化すること、である。われわれ一般国民も、そういうことを認識し達成できる政党を選べなければ、明るい未来が期待できないとしても自業自得であり、日本の現時点の実力としてあきらめなければならないだろう。
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2009年11月6日 21時59分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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