2012年01月25日(水)
チュートン騎士

  先日「十字軍物語3」を読みまして、まあ、こっちにも書いたんですけど、・・・これで、完結か・・・。
 ということで、久々に、「あみあみネット」を描きたくなって、例によって、オスプレイ・メンアットアームズシリーズをひっぱり出しましてパラパラと・・。
 そういえば、テンプル騎士団とか、ヨハネ騎士団とか、まあ有名どころですけれど、チュートン騎士団って、早々と引き上げたというか、1230年ころには、北方の異民族と戦う・・つまりドイツの辺境を守るほうに行ってしまったので、ああいう華々しい、イスラムと戦うという感じがしなかったんですよね。
 もともと、ドイツ人騎士だけだし、ドイツ人だけしか守らないというか・・特殊な存在だったのかも。
 で、黒い十字架を白いサーコートやマントに縫い付けて、トレードマークにしていたのですが、これが、北方で戦ったせいで、後々まで、ドイツ民族の、ドイツ民族による・・という方向で、影響を受けたのはSSまで・・というから、なんだかヒーローっぽくないのかも。
 まだアッコンにいて、他の騎士団と一緒に異教徒と戦っていた1210年代のチュートン騎士です。 
2012-01-25 15:04 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年12月23日(金)
チェッリーニ

 「ペルセウス」の像か、「フランソワT世の塩入れ」で知られるルネサンスの彫金家にして彫刻家。ベンヴェヌート・チェッリーニです。
 しかし、その作品の優美さや豪華さより、ご本人がとんでもなく「俺様」で、自意識過剰で、自己中なこと丸出しの「チェッリーニ自伝」で、より有名かも。
 こちらにも書きましたが、この本、まあ、なんとも勝手気ままな奴だ。時のフランス王やら、教皇、貴族などが、ようこんなの雇うなあって感じですが、仕事は熱心で、出来栄えはよかったのでしょうね。しかし、あまりに自分の作品と仕事を愛するあまり、他人に気兼ねだとか気遣いなど一切しない人物だったことは確か。
 そのくせ、根っからの職人かというと、そうではなく、社交やら、名誉欲やら、武勇伝などは大好きだったってところが困り者。  雇ってくれる人すべてを敵に回し、結局仕事を自分でとれなくしてるような感がなきにしもあらず。
 しかも女性に嫌われる。フランソワT世の宮廷では、エタンプ夫人と不仲になり、コジモ一世の宮廷でも、公爵夫人に、ものすごく嫌われる。本人が、女性を全くバカにしていた(もちろん男もバカにしてるんですが)のが丸出しだったからでしょうね。
 ヴァザーリが他人の作品を過剰にほめる傾向にあるのに、この人はけなしまくる。作品のみならず人格までもコケにするいのですが、自分の作品を評価してくれた人はいい人・・分かり易いですね。珍しくほめているのはポントルモとブロンズィーノですが、この二人は、セットで見に来て、ちょっとお上手を言っただけかもしれないのに・・。
 彼はかつて未曽有の危機「ローマ攻略」の時に、時の教皇を守ってサンタンジェロに立て籠もり、自ら大砲を撃って勇敢に戦ったことがありますが、まさしく激情すれば命知らずの英雄なんですね。
 ところが、次の教皇の機嫌をそこね、今度は牢獄サンタンジェロにブチ込まれます。シーツを裂いて縄を作り、脱獄するのだけれど、最終着地の時に失敗して骨折し、またしても閉じ込められ、今度は最低の扱いをされる。
 フェッラーラの枢機卿イッポーリト・エステ(ルクレツィアの息子さん)に救い出されますが、フランソワT世に「売り渡された」と恨み、この人も勿論敵に回しますが、異常に誇り高い上に勘定高いと思われて、ある意味不幸な天才だったかも。
 脱獄するチェッリーニです。
チェッリーニ自伝―フィレンツェ彫金師一代記〈上〉 (岩波文庫)
2011-12-23 11:30 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年12月09日(金)
仲介の天使ガブリエル
 

 お告げの天使 ガブリエルは、すでに出ているのですが、年末になったので、あらためて、多忙のこの方に登場願いました。
 受胎告知をした・・ということで、神のメッセンジャーとして「情報・伝達」全般の守護をする天使です。情報化社会では、大いに忙しいことでしょう。
 そして本業以外に、担当地域もあります。西方守護のミカエルに対して、東方守護の使命を持つといわれる(無関係に、突然思い出しましたが、北町奉行、南町奉行は、管轄地域の別ではなかったようですけれど)天使です。
 それに加えて、天使としては「出自」がかなり古く、もともと、天使としての役割のすべてを担っていたのではないかとも思える部分もあるそうですが、イスラム教でも、天使ジブリールとして、唯一神とマホメットをつなぐ役割をしています。
 古い絵画などで登場するガブリエルは、明らかに男顔なのだけれど、時代が下がると(天使全体に言えることですが)女性的な外貌になってきます。
 そしてガブリエルは、唯一の女性天使だ・・という説まで現れました。その理由は、女性の私室にまで入り込めるのは女性でなければならないから・・ではないかと。つまり、マリアの寝室まで突然入り込んで「妊娠しましたよ!」なんて言うのは男じゃまずいでしょ・・ってことなんでしょうかね。うむむむ・・・・。
 受胎告知の絵柄の面白さは、まあいろいろあるんですが(大塚美術館には受胎告知ばかりを集めた部屋があります)、画家もいろいろ工夫をこらしたんでしょうね。
 また、神の言葉を「仲介」するということからか、人間ではなく天使なのに「聖人」として、神との間を取り次いでくれるという役割もあるそうです。
 またしてもビクトリア朝のステンドグラスから。原画はいささか厳しい表情で、ちょっと冷酷そうな顔をしています。羽は背景に追いやられ(仏像の光背みたいな感じと言ったらいいでしょうか)、聖職者の服装をして厳かに立っていて、ガブリエルの印である百合の枝と、羽がなければ「聖人」に見えます。
 受胎告知の場面では百合の枝を持っていますが、ガブリエルは錫杖のような杖を持つ姿もあるので、杖にしてみました。
2011-12-09 09:13 | 記事へ | コメント(5) |
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2011年09月27日(火)
大法官の従者
 

 17世紀の半ばのフランスといえば、ルイ14世治世の、はなやかなりし時代です。
 そのころもてはやされた宮廷画家であった、シャルル・ルブランの絵に「大法官セギエ」の肖像画があります。当時、芸術の庇護者で、収集家でもあったピエール・セギエの騎馬姿の肖像がでありますが、ただ馬に乗って威儀を正す主人公・・というのではなく、その周りに華やかな制服を付けた8人の従者を従えているのが、特色です。
 騎馬像は、本人の雄姿であったり、持っている名馬が主人以上に「立派」で、画家も気合が入っていたりと、なかなか面白いのですが、この大法官の場合は、ご本人は、帽子をかぶり、長衣の上に布地たっぷりの立派なマントのいでたちですが、ロングなので、見えているところは顔と手だけ。しかも、馬まで、あまりに大仰で、豪華で派手な緞帳のような「衣装」を着せられて、これまた、見えているところは、首だけ(この首も、ちょっと迷惑そうな顔をしているところが愛嬌です。馬に衣装はいりません)。
 この肖像画の本当の主役は、やはり、馬の周りに付き添う8人(画面に見えているのは6人ですが、後ろ側に2人いるのは下から見える揃いのくつでわかります)の、若き従者たち。
 制服は二種類あって、どちらも、金糸をふんだんに使ったゴージャスな装い。おそらく、大法官ご自慢の小姓たちなのでしょう、揃いの美服も、美脚も、ともに見せびらかしたい・・というところでしょうか。
 ピエール・セギエさんにあったことがないので、この絵が似ているかどうかはわかりませんが、顔立ちは気取った田舎のおっちゃん風の、ややダサめのお方ですが、取り揃えた小姓は、なかなかにハイレベル。特に、手前に並んだ3人は髪のお手入れも十分行き届いているみたいです。
 大法官の絵なのですが、閣下は省いて、違う衣装の小姓を二人、私風に描いてみました。
2011-09-27 10:22 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年08月21日(日)
デイシスの聖ヨハネ
 

 久々に「エロイカより愛をこめて」の最新刊を読みまして、エブドモンの聖ヨハネ聖堂をめぐる(どっちかというと)特殊な学説の浅野和生先生の「ビザンティンの象牙トリプティックと聖遺物容器」(日本ビザンツ学会第3回大会の報告にこの内容が出ています)を土台にしたストーリーです。
 もちろん、KGBもNATOも入り乱れて、武器商人やら、まあ、今度は宗教的秘密結社まで総動員するドタバタで、大いに楽しいです。
 で、逆デイシスとか、右向きのヨハネ像なんぞが入り乱れていて、まあ、ほんまにビザンティンでも、マイナーな題材なんですが、けっこうおもしろい。
 デイシスは「嘆願」という意味で、絵画では中央にキリストがおり、向かって左に聖母マリア、右に洗礼者ヨハネが立ち(つまりヨハネは左向きです)、キリストに対して、嘆願者をとりなしてくれるという姿で描かれます。
 西ヨーロッパの絵画では、中世以降、次第にデイシスは描かれなくなり、作品はビザンツ美術か、正教のイコンなどに残っている程度だそうです。代表と言えば、やはりアヤ・ソフィアの巨大なモザイク画でしょうか。
 しかし、直接、このデイシスそのものだけを描いてはいないのですが、ヤン・ファン・エイクの有名な「ゲントの祭壇画」の開いた時の中央パネルの三枚が、中央にキリスト(全能の神)、左にマリア、右にヨハネで、まさにこのデイシスのスタイルです。
 ファン・エイクの絵と言えば、絢爛豪華な衣装や宝石などが特徴ですので、質素なはずのヨハネもラクダ皮の衣装の上に、やや地味目の宝石入りマントを着ています。
 ということで、逆じゃないデイシスのヨハネを。ファン・エイクのヨハネは、ひげがもじゃもじゃなのですが、華やかな上着に似合うように、ひげをやめてみました。膝に「人生の帳簿」?をのせて、「この人は、善良な一生を送ったので、天国入りを許してあげてはどうでしょうか?」と言っているような・・・。
 ロシア正教では、洗礼者ヨハネは、授洗イアオンと呼ばれます。
2011-08-21 14:43 | 記事へ | コメント(4) |
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2011年08月17日(水)
闘鶏稲置大山主
 

 あっついですねえ。お盆もすんだのに、一向に秋の気配がしません。氷が食べたい!
ということで、氷の神様
 闘鶏稲置大山主(つげいなぎおおやまぬし)は、小難しい名前ですが、この方は、氷室神社の祭神です。
 伝説によると、ある皇子様が、闘鶏山(都祁山)を散策しているとき、山のふところに小さな屋根をくっつけたような小屋を見つけて立ち寄って、「これは何?」とお尋ねになったところ、この闘鶏稲置大山主が「こいつぁ・・氷室でっせ。地面を深く掘って、茅を敷き、冬の間に氷を置いて草で覆っておくと、夏でも解けんのや。こいつを水や酒に入れて飲むと、うまいのなんの!」とのこと。
 これを聞いた皇子は、氷をもらって帰って天皇に差し上げると大層喜ばれ、以後、この氷室は、宮内庁御用達になった・・というお話。
 この闘鶏稲置大山主が氷室神社の祭神となっており、氷を持って帰った額田大中彦皇子と、それをもらって喜んだ仁徳天皇の3人が、お祭りされています。
 でも、なんだか・・氷の神様というより、氷屋のおっちゃん・・みたいな雰囲気なので、申し訳ないけど、こんな姿にしてみました。
 今はかき氷のトレードマークになっているみたいな「氷」の旗は、明治時代に中川嘉兵衛という人が国産氷を初めて販売した時に、トレードマークとして龍が描かれていたというので、もしかしたら、この氷の文字の下の波文様は竜文が変形したものか・・とも言われていますが、よくわかりません。最初の氷は函館から運ばれてきたので、♪はるばる来たぜ函館〜 逆巻く波を乗り越えて〜♪(あ、ちがうか)。
 とにかく、明治の初めころから氷屋の印になったようです。
2011-08-17 13:25 | 記事へ | コメント(2) |
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2011年07月24日(日)
綱手
 

 先日は、「児雷也豪傑譚」から、悪役の大蛇丸を登場させましたが、江戸の戯作者のドラマの構成には、あくまで庶民にわかりやすい・・ということから、古来よりの言い伝えとか、民間説話などをちりばめています。
 この物語の三すくみ、という設定もそうです。その一つが蛇に勝つという、なめくじです。大悪役が蛇なら、その蛇を退治することができるのがなめくじ。
 しかし・・・なめくじを英雄とするのは難しい。いや・・カエルも結構ヒーローにはむづかしいですね。でも、まあ妖術とかに近い大衆ドラマの「忍術」ですから、カエルにのったヒーローでもいいわけです。そのカエルの英雄児雷也の味方はなめくじです。
 なめくじが、どうして蛇をやっつけるのかというと、はっきりしない。なめくじの通ったあとを蛇が通ると死ぬとか、なめくじを蛇が飲み込むと、体の中から解かされるとか、まあ、いろいろ言われてるみたいだけど、ようわからん。実際には、蛇は別になめくじなんか嫌いじゃないみたいです。
 それはともかく、物語では、なめくじに変身する児雷也の味方は妻の綱手。そうなんです。なめくじをあやつる「忍者」は女性なんですね。なんだか・・・不気味。そもそも、カエルとなめくじが夫婦になれるのか・・なんていう疑問は無視ですね。彼らは人間で、術として、カエルヤラ、ナメクジを操っているのですから・・。
 なんとなく、なめくじっぽく見えますでしょうか? 
2011-07-24 14:28 | 記事へ | コメント(2) |
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2011年06月24日(金)
ティモテオ修道士
 

 サマセット・モームの「昔も今も」を読み、戯曲「マンドラゴラ」も読んだという話をしましたが、どちらにも登場する、ティモテオという修道士です。
 特に、マキャベリを主人公にしたモームの小説では、面白すぎるくらいの鉄面皮。偽善の仮面がすっかり身について(まあ、坊さんは誰しも多少ともそうでしょうが・・)、おまけにその「仮面」が、モームに言わせると「古代ローマ皇帝」のような顔だというのだから、これは、なかなか興味がそそられます。
 肖像彫刻の代表といえば、古代ギリシャ・ローマの先人たちでしょう。しかも、とある皇帝、それも、どうやら権勢と淫乱の果てに暗殺されたという、教科書のような悪徳皇帝に似ているというのだから!  ローマの皇帝で、軍人皇帝の時代に入れば、暗殺は日常茶飯事ですし、ユリウスクラウディウス朝にしても、カエサルはもちろん、ティベリウスクラウディウスも暗殺のウワサはありますし、カリギュラに至っては、間違いないし、ネロだって、自殺だけれど、まあ、追い詰められて殺されたようなもんだ。  あえて、だれだとは特定しないほうがいいのだけれど、なにやらドミティアヌスっぽい。またコンモドゥスにもそれはいえる。
  小説では、マキャベリが恨み骨髄。良心の欠如、貪欲、悪徳、偽善、狡猾・・・くそったれ〜!と絶叫します。でも、み〜んな自分の恥知らずな行為を棚に上げての叫びなので、智謀をもってなる彼を出し抜いたこの坊さん・・カッコいいじゃないですか♪
 ということで、なんとなく古代ローマ人風の顔。たぶん、前髪がくるくるしていたのではないかと思うので、こんなイメージにしてみました。モームによれば、彼はフランチェスコ会の修道士です。
昔も今も (ちくま文庫)
2011-06-24 11:18 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年06月21日(火)
鳥山秋作と若菜姫
 

 江戸末期から明治初年にかけて、戯作者柳下亭種員の作で、庶民の間にベストセラーとなった一大エンターテーメントに白縫譚(しらぬいものがたり)があります。
 どっかで聞いたことある作者名ですよね。かの柳亭種彦のまがいものっぽいペンネーム。しかも柳の下ってんだから二匹目の泥鰌をねらってるのは間違いない。かく怪しい名前ながら、作品はヒットしたんでしょうねえ。たくさん絵画資料などが残っています。
 代表作白縫譚は、白縫(不知火)というからには、九州地方の物語でしょうが、菊池氏との確執や、海賊七草四郎だとか、いかにもそれっぽい人名が登場します。
 主人公は、大友宗麟!の娘(と設定されている)若菜姫。彼女は女妖術使い。同じ作者が蝦蟇の忍者でおなじみの児雷也なども手掛けているので、このような分野が得意だったんでしょう。
 滅びた大友氏再興のために、残された姫が、自ら立ち上がるところが、新しいといえば新しい。八犬伝だと、伏姫はただただ悲劇のヒロインで、子供の代まで待たねばなりません。
 キリシタン伝来なのかどうだか、妖術を使えるというのも安易な気がするけれど、まあ、戦う美少女の物語です。で、その彼女の好敵手となるのが菊池側の鳥山秋作で、こちらは憎々しげな悪役というのではなく、「女にみまがう美青年」という設定にも、時代の新しさを感じますね。
 全編を読み通したいのはやまやまなんですが、国書刊行会のすごい高い本があるのだけれど、「ウチの庭みたいなところ」にある50万冊の大書庫にはなく、大阪府立図書館にはあるんですが、借りに行くパワーがないのですね。いずれ読みたいとは思うのですが・・。
 男装した若菜姫が、女装した鳥山秋作と出会うシーンが、なかなかに面白いので、イメージしてみました。男姿の姫が、怪しい女を見てとっ捕まえ「これ、近う参れ」と引き寄せます。「女」は、正体を見破られはせぬかとドキドキもので「あれ、ご無体な・・」なんてのがれようとする・・。
 男女逆転に見えたらおなぐさみ・・。あ・・・でも、どちらも、あまり美しくはないかも・・・。原作では、とっても倒錯的で「妖しい」シーンなんだと思いますが・・・。
2011-06-21 10:29 | 記事へ | コメント(2) |
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2011年05月22日(日)
玉梓
 

 パソコンを変えて半月になります。入力や処理は早く、もともと必要だった画像処理の速さはすごいなあと思います。無事パワーポイントの更新もできるようになったし・・。しかし、私が絵を描いていたソフトがWindows7では使えないことが判明。今途方にくれております。
 でも「歌舞伎ミュージアム」に行ってまいりまして、どうしても、なにやら絵を描きたいという気持ちになりまして、以前のXPを立ち上げてポチポチ絵をかきました(ホント速く、新しいのでやれるようになりたいんですが・・・)。
 南総里見八犬伝玉梓です。怨霊と化して里見一族にたたるといわれる妖女ですが、もとをただせば不幸な人だと思います・
 そもそも、領主の殿様に寵愛された美女で、その寵をよいことに政治や人事に口を出す・・よくあるパターンですね。それで忠臣金碗(かなまり)も主家を離れることになる。そして、そのためか国力の衰えたゆえか、領主は滅ぼされます。しかし、あらたに国を乗っ取った人物山下定包が、玉梓を妻にする。これって、魅力的だったんでしょうね、やはり。
 結局山下さんを滅ぼした里見の殿様と、金碗が、彼女をまたしてもとらえるわけですが、やはり美しかったからかどうか、里見さんは「許してやろう」と思うわけですね。ですが、彼女に煮え湯を飲まされている金碗はダメだというので、結局処刑される。
 これで、里見家が恨まれることになる。で、彼女のたたりが、里見家を滅ぼし、娘伏姫が犬にさらわれるなんていうおぞましい?展開になるわけです。
 でも、彼女のいいなりになって国を滅ぼしたのは殿様が悪いんだし、勝った山下さんにしても、滅ぼした家の妻子を奪うのは戦国の世のならいだし、助けてやると言いながら殺すのは、里見の殿様の優柔不断が原因ですよ。だいだい、飼い犬に敵の首を取ってきたら娘をやるなんていうことからして、根性のない殿様じゃないです?
 玉梓もおどろおどろしくされているけれど、いわば不幸な女性といえばいえるのではありませんかね。
2011-05-22 16:19 | 記事へ | コメント(2) |
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2011年04月28日(木)
タイタス・アンドロニカス
 

 実在の人物ではありません。シェークスピアの戯曲の中で、最も残酷、最もグロテスクという作品の題名で主人公です。
 ローマ帝国の時代・・ということになっていますが、ゴート人の女王を捕虜にしたり、その女王が「皇后」になったり、雰囲気的にはローマ時代の末期というか、3〜4世紀の頃のイメージがするのですがどうでしょうか。
 で、主人公の将軍タイタス・アンドロニカス(響きとしてはタイタスはティトゥスであるかもしれず、アンドロニカスは、東ローマのアンドロニコスなどをイメージしますが・・)には、ちっとも感情移入できず、次々におこる惨劇も、悲惨だけれど、殺される誰にも同情できず、なにやら不可解な展開のまま、一気にラストの「大量殺人」にむかうという劇の構成は一体なんでしょうねえ。
 もしかして、バラバラにして火あぶり、穴の底でのなぶり殺し、舌を切り取り、手首を切断・・、腕の切断、勿論、首切りなどもあり、そういったおぞましいスプラッターを次々見せるというショー的な芝居だったのかもしれません。
 将来を嘱望された息子を自ら殺さなければならず、皇后になるはずの娘は強姦されて舌と手首を斬られ、二人の息子の命乞いのために自分の腕を切断するも、息子は首にされて帰ってくる・・そしてついに「狂って」、敵の実子を殺して料理!してそれを食べさせ、復讐をとげる。エグいお話です。
 映画の「タイタス」は見ましたが、言うほどには残酷シーンはなかったのですが、衣裳や背景ののぶっとび具合は、むしろ私には面白かったですね。現代の軍服をきちんと着込んだ兵士や、白いスーツに短めのトーガを肩にかける・・なかなかカッコいいです画、私は、4世紀末頃のローマ風の服装にしてみました。長袖テュニカに蛮族風の長ズボンです。もちろんタイタスには左手がありません。
2011-04-28 19:42 | 記事へ | コメント(4) |
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2010年11月22日(月)
大后の拷問係
 

 ピエロ・デッラ・フランチェスカの大作「聖十字架伝説」は、ドラマチックな場面をあくまでも冷静に・・あるいは冷酷に描いています。
 「黄金伝説」の物語によれば、キリストが磔にされた聖なる十字架は、そんじょそこらの木片ではなくて、なんと人類の始祖アダムにまで遡る、とんでもない「由緒」があるのですが、そんな古い話はおいといて、ハイライトの一つは、ヘレナ母后が、エルサレムで、十字架を発掘する物語です。
 ヘレナ母后(誰の母かというと、コンスタンティヌス大帝です)は、エルサレムのどこかに埋められている聖十字架を掘り出そうとするのですが、それを知っているはずの人物(なんと偶然にもユダという名前!)が、教えようとはしません。
 そこで、この男を井戸につるして拷問すること7日。ついに白状した場所を掘ってみると、3つの十字架が出た(まあ、2人の泥棒と一緒に磔になったんですからつじつまがあいますね)。では、そのうちのどれがホンモノか・・。たまたま(!)通りかかった葬式の行列に、一本ずつかざしてみると、一つをかざした時に、なんと死人が生き返った! ミラコ〜!! 「これぞホンモノであるぞ。わらわは大満足じゃ!」ということで、ヘレナ母后は見事、真の十字架を探しあてたのでした。めでたし、めでたし。
 その後、色々ありまして、十字軍の諸君などにより、ヨーロッパ各地に聖十字架の断片が分散して持ち帰られています。バチカンのサンピエトロ広場に立っている巨大なオベリスクの天辺にも聖十字架の一部が納められているそうです。
 ということで(どういうこと?)、ピエロ・デッラ・フランチェスカの壁画の中で、小姓のような金髪のお兄さんが、井戸から髪をつかんでユダを引き上げている場面があります。「とうとう、白状する気になったか?」というところでしょう。壁画の拷問係りは3人いて、皆同じような衣裳の若者で、あとの二人は、つるしていた縄を引っ張っています。
 どうしてこのユダが場所を知っていたのか知りませんが、彼が白状した場所が、ヴェヌス神殿だ・・ということだったので、もしかしたら異教の神官だったのかしら? 信仰の名の下に拷問されるなんて気の毒ですね。
2010-11-22 13:04 | 記事へ | コメント(0) |
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2010年11月13日(土)
刀葉林の女
 

 おそろしや、地獄のツアーガイド・・みたいな本が「往生要集」。これでもか、これでもかと言うほど、地獄の残虐さを書き連ねながら「こんなところは行きたくないでしょう?」と説経する坊さんが思い浮かびますが、まるで見てきたような地獄を書けるってことは、源信さまは、スプラッターホラー作家の才能豊富な方だったんでしょうねえ。
 その地獄の中で、邪欲に溺れた者が追い込まれるの衆合地獄というものがあり、まるでコロッセオで、罪人が猛獣に食い殺されるようなのや、炎を吐く巨鳥にプロメテウスよろしく、内臓をついばまれたり、刀葉林に追い込まれたりします。
 その刀葉林というのは、木の上に女がいるので、それに近寄ろうと男が木に登ると、その木に生えた刃物の葉で、ズタズタに引き裂かれます。
 それでも、やっと上に上ると、女は木の下にいて「あなたのために、私はこんなところまで来たのよ。どうして、早くそばに来てくれないの? 抱いてくれないの?」と叫びます。
 男は再び、木を降りて下に行くと、女はまた上にいて・・という地獄なんですが、女のセリフから推測すると、彼女は、男の生前の恋人か妻で、地獄にまで追いかけてきたと言う設定ですね。
 私は、昔、この話を聞いた時に、ただ単に、美女が木の上にいるだけで、血みどろになりながら登るって、いくらなんでも、そこまでスケベ根性だけではできひんやろ・・と、あまり深く考えなかったんですね。
 ですが、往生要集の本文を読んで、女のセリフで「昔の女」だと知りました。そうなると、因縁浅からぬ女が、おぞましい地獄まで追いかけてきて「あなた、はやくそばに来て」と言われては、これは単なる「好色」ではなく、「男の責任」の哀しさ・・みたいなものをちょっと感じて、気の毒になりましたね。
 自分の生涯で、一緒に暮らして、幸福にしたか、不幸にしたかはともかく、なにやら悲哀がただよいます。
 リクエストにお応えして描いてみましたが、女が、誘うような媚びるような表情ではなく、自らも血を流して、助けを求めるほうがふさわしいかなという気がしましたので・・・。
2010-11-13 15:33 | 記事へ | コメント(3) |
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2010年08月10日(火)
テヴェレ川
 

 ローマの街角の彫刻や、建国の双子のそばなどに、寝そべって奇妙なものを手に持った「老人」がいます。
 手にしているものは「豊穣の角」で、いわば、海の幸あるいは山の幸などを表わしている豊作の象徴。ということは、川からもたらされる「幸」をあふれさせているのは、それらをつかさどる神様ってことですよね。
 ローマで川といえば、勿論テヴェレ川です。この地に流れ着いたアイネイアスが上陸しようとする絵などにも、足元にこの人物がねそべっています。決して「怪しい者」ではありません。
 川の神なので、ゆるやかに下半身にまとう布も水のように・・流れ落ちるようにたれる髪や髯も水の性らしく寒色系で・・なんて思っていたけれど、目つきがミョーにいかがわしい、おじさんになってしまいましたね・・・(暑い季節は川の神様なんて涼しげだと思ったんだけどなあ)。
 ヒゲを生やしているからといって、この神様は決して枯れた老人ではありません。処女神官でなければならない、ヴェスタ神女のレイア・シルヴィアが、マルスの子供を産んでしまったので、テヴェレ川に沈められたとき、この神が現れて、彼女を妻にしたのだそう。「苦労したようだが、辛いことは忘れて、これから私が幸せにしてあげよう。そなたの子供たちも守ってやろう」なんて、やさしげに近づいたのかもしれません。勿論、河伯の伝説のように、川の神が人身御供の若い娘を要求したんではありません。彼女を川に投げ込んだのは、王位を生まれた子供たちに奪われると怖れた叔父です。
2010-08-10 16:00 | 記事へ | コメント(2) |
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2010年05月28日(金)
手白香皇女と姉妹
 

 手白香皇女は、継体天皇の皇后で、武烈天皇の姉とされています。彼女の同母妹である橘仲皇女と、異母妹の春日山田皇女の三姉妹を描いてみました。
 ということで、何故に洋風か・・というと、帝政様式の衣裳を描いてみたかったからです。つまり、ナポレオンの3人の妹達(ややこしい三姉妹です♪)の正装ですね。頭にティアラ。白いサテン生地に金糸の刺繍の胸高の身体に沿ったドレスです。王家の姫君にふさわしいかな・・と。
 この姉妹は、女系では雄略天皇から続く根っからのお姫様。武烈天皇の跡を継いだとされる継体天皇は手白香皇女を正妃にし、欽明天皇を産んでいますが、前妻?の目子媛の息子達2人(安閑・宣化)を、それぞれ、手白香皇女の妹たちと結婚させています。
 簒奪王朝か否かは別として、親子揃って入り婿した一家なんですよね。武烈や手白香、橘仲姉妹の母である大春日皇女は雄略天皇の皇女ですし、橘仲皇女が継体の息子の宣化天皇との間に生んだ石姫は、手白香の息子の欽明天皇に嫁ぎます。
 これって・・エジプトではないけれど、女系での王位継承みたいな感じがしません? 入り婿による統治・・みたいな。石姫の息子が敏達天皇で、彼の皇后が推古女帝ですが、もう女系の女帝はすでに、雄略の系譜ではじまっていたのかも・・なんて・・妄想を産みます。
 ところで、雄略天皇の「雄姿」や、古代マンガ。明治の元勲達の面白い物語?やイラストが満載なサイトに「隠国ーkomorikuー」があります。なかなかに面白いです。
2010-05-28 14:35 | 記事へ | コメント(6) | トラックバック(0) |
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2010年05月26日(水)
照日の前
 

 継体天皇をめぐる越前での伝説の人物ですが、謡曲「花筐(はながたみ)」の主人公で、上村松園の名作「花がたみ」の絵・・といえば思いだされるのではないでしょうか?
 上村松園の絵では、髪は乱れ、着物はしどけなく、表情もうつろで無気味な微笑を浮かべた平安美人です。手には、文を結びつけた花かごを下げ、足元に紅葉を踏みしだくという図柄です。
 この女性は、「狂って」いるのですが、それは、恋しい男を追いかけてきたのですね。
 物語では、越前に地にいた男大迹王という傍系皇族が、中央で皇位につくことになり、現地妻であった照日の前をおいて、都入りしてしまうのですね。なぜならば、(多分)即位の条件が、先代天皇の姉と結婚しなければならなかったからですね。
 まあ、社長令嬢と結婚して、次期社長の座を手に入れるために、今の恋人が邪魔になった・・・とかいうのと同じようなお話。「ひどいわ〜! 許せないわよ〜! あたしのおなかにはあなたの子供がいるのよ〜!」などとモメて、修羅場になるのを避けるためか、男大迹王は、花かごと置き手紙をして、さっさと都に行ってしまう。彼女は、悲しみのあまり精神が破綻し、やみくもに、去った男を追って大和を目指します。勿論、その形見の花かごを持って。
 そしてついに、今は帝となっている元夫の行幸に出合い、なんやかやあって・・結局、お妃の一人として迎えられる・・というものです。これって、彼女の演技力と、実力行使が功を奏したのでしょうね。なによ! あんただけ、いい目は見せないわよ!というところでしょうか。
 で、この女性にモデルはあるのか・・・というと、まあ、何人も女性がいた天皇ですが、安閑宣化の2帝を産んだ目子媛ではないか・・なんて言われていますが・・そうだとしたら、ちゃんと子供たちも認知させたのですよね。
 平安風俗で描いてみるのも面白いかなと思ったのですが、やはり古代風で・・。上村松園の「花がたみ」では、「細長」という衣裳を羽織っているので、そのような上着を着せてみましたが、こんなのが、いつごろからあったかよくわかりません。手に持つ籠の中の花は枯れている・・というのにしてみましたが・・・ただ、こぎたないだけか・・。
2010-05-26 12:39 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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2010年05月07日(金)
トマス・アクィナス
 

 一昨日の続きです。
 偉大なる学者であった、アルベルトゥス・マグヌスの弟子中の弟子であり、師匠を越えたとされる更なる大学者として有名なのが、トマス・アクィナスです。
 教科書では「神学大全」とセットで覚えていますが、難しくて高邁な神学の研究というだけではなく、伝説で名高いのは、かのアルベルトゥスの「人造人間」をぶっこわしたことです。
 ある時、師である大アルベルトゥスを訪ねたところ、門に出迎えたのは、彼の作った人造人間で、わけのわからぬことをしゃべるので、気味が悪くなって壊してしまった・・というのですね。
 しかし、何と言っても「大人物」のトマスですから、これはまあ、ただ単に、恐怖に駆られて衝動的に壊したとか、怒りに任せてぶんなぐったとかいうような感情的なものではなく、「理屈」があるのではないかと思うのは、かんぐりすぎでしょうか? 
 つまり、人工知能だとか、人造人間など、いかに偉大な人物であろうと、自らの師匠であろうと、「神の領域」に人間が踏み込んではいけない・・というのではないか。また、このようなものが人間を超えて存在してはいけない・・というのではなかったか。
 この伝説を、西行法師が作ったという「人造人間」と比較する方もあるようですが、現代のクロ−ンなど、聖トマスは否定するのではないでしょうか?
 大アルベルトゥスは、議論が出来る人造人間以外にも、動く少女の人形(何故、少女なのでしょうか?)をこしらえていたとか、科学と魔術の領域すれすれのところにいたのですね。
 絵は、決意を持って人造人間をぶんなぐるトマスにしてみました。
2010-05-07 14:48 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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2010年05月01日(土)
聖ダンスタン


 ダンスタンは、10世紀のイギリスの人で、カンタベリー大司教にまで出世したえらいお坊さんですが、この方には、錬金術や鍛冶屋からみの伝説がついてまわります。
 宮廷で王の顧問として重きをなしながら、何度も追放されたり、いささか激情方の人物だともいわれていますが、とにかく多芸多才の人で、本職の聖書の研究のみならず、時には魔術すれすれの学問や書物も読み、音楽も得意でハープをたずさえ、歌を歌い、建築や、手芸まで出来たそうです。元は鍛冶屋であったとか、修道院で鍛冶をやっていたとか。
 ある時、修道士である彼を、女性が誘惑にきたのですが、彼女の足にひづめがあったので、すかさず火箸で鼻をはさむと、すさまじい悲鳴とともに悪魔の正体を現したので、二度と誘惑をしないと約束させたとか。マザーグースにこの伝説が出ているそうです。
 また、ある時、悪魔が蹄鉄をつけて欲しいとやってきたので、ひどい方法で蹄鉄をつけた(どんな方法だ? えらく悪魔が痛い目にあったらしいけれど・・)ので、二度と蹄鉄のあるところにはあらわれなくなったとかで、「魔よけの蹄鉄」というアイテムは、この伝説にちなむそうです。
 鍛冶屋、魔術師、悪魔祓い・・なにやら関連がありそうですが、坊さんが悪魔に蹄鉄を打ちつける(悪魔は絶叫している)絵があれば、この方です。
 火箸で悪魔の鼻をはさんでいる絵もありますが、女性に化けてきたということですので、女装?の悪魔にしてみました。ダンスタンのほうも、立派な司教冠を被った高僧が火箸を持っている絵もあるのですが、多分、若い頃修道院で鍛冶屋をやっていた時代ではないか・・などと想像してみました。
 あ・・この方は鍛冶屋、金属細工、錠前屋、宝石職人、武器製造業、燈台守、音楽家、歌手の守護聖人です。 
2010-05-01 11:54 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2010年04月24日(土)
柱頭聖者シメオン
 

 煙とナントカは高いところに登りたがる・・なんて言いますけれど、高いところに登りたい・・つまりは天空を目指したいというのは、羽も翼もない人間の隠れた本能なのかもしれません。
 勿論、バベルの塔の物語をひくまでもなく、ゴシック建築はひたすら上を目指して高い聖堂を築き、仏教でも、本来シャカの墓であるスツゥーパが、どんどん高くなって五重塔や八重塔になるし、俗界を離れたい、行者や仙人は、山岳に登って高いところで修行します。
 そして人里離れた砂漠というのも修行の場でありまして、キリスト教では、キリスト本人や、砂漠でも誘惑の多かった聖アントニウス、それにマグダラのマリアと混同されたエジプトのマリアもいます。 
 そしてその砂漠ですら、地面に近いところでは修行の邪魔になる・・というので、高い柱を立ててその上に上っていた人がシメオン柱頭行者とか呼ばれる人物です。
 彼は、5世紀頃の人ですが、シリアの砂漠で修行していましたが、彼の評判を聞いて、人が集まってくるのがわずらわしく、高い柱をたてて、その上で修行をしていたところが、それがまた珍しいので、ますます人が集まるようになり、更に柱を高くする・・また人が集まる・・また柱を高くする・・ということで、ものすごい高さになってしまい、その柱の上で修行すること35年・・・・。
 彼の死後、その柱を囲むようにして修道院が建てられて、大勢の人がその柱を拝むために巡礼としてやってきて繁盛したとか・・。
 で、その柱の上から35年も降りてこなかったとかいう話もあれば、お祈りをするときだけ登っていて、それを35年間続けたという説もあるそうですが、いくら天の神に近いところとはいえ、登りっぱなしでは不便だと思うのですが、立派な大理石様の柱の上にお坊さんが乗っている絵などがあれば、この方でしょうねえ。
 柱といえば、諏訪の御柱祭を思い出したのと、ドラゴンボールの「かみさま」の住まいなどをイメージしてしまったので、雲の上に出ている高い柱の登る修行者を描いてみました・・・って、なんぼなんでもこんなに高い柱は無理でしょうけど・・・。
2010-04-24 15:39 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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2010年04月06日(火)
デリラ
 

 カラヴァッジオ(しつこくハマってます!)の絵の中でも、おぞましい残虐さが感じられる絵の一つに血しぶきがふく「ユーディット」があります。
 ユーディットは、なぜか一時期流行した画題で、切り取った男の首を持つ女性像だと、ユーディットかサロメということなんですが、サロメの持つ首は、さほどおぞましくないけれど(なにしろ聖ヨハネですから美化される場合もある)、ユーディットの持つフォロフェルノスの首はきもちわるい。やはり「悪人」だからでしょうね。
 祖国を救うためにあえて敵将の寝床に赴き、首を切って帰ってくるので、彼女は「英雄」なのですが、同じく乱暴者の敵を策を用いて虜にした(首を切ったわけではないですよ)女性なのに、悪く言われるのはデリラです。
 乱暴者とはサムソンで、手のつけられない大力を発揮して、素手でライオンを裂いてみたり、ロバの顎の骨!?で大群の兵士をばったばったとなぎ倒す。こんなもの、ペリシテ人でなくても迷惑ですよ。
 こんな大男を手なづけて、髪を切って力を弱めて捕らえたのが彼女。彼女、ユーディットほど荒っぽくも、残酷でもないのに、立場が変われば「悪女」なんですよね。
2010-04-06 11:20 | 記事へ | コメント(9) | トラックバック(0) |
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2010年03月18日(木)
天使の羽
 

 ♪ララララ ランドセルは てててて・・天使のはね♪
というコマーシャルも一段落して、新一年生は、入学式目前ということになってきました。
 この「天使の羽」というフレーズは、色々なものに登場して、柔らかい・・とか、やさしいとか、あるいは、清らかとか、希望とかそういうよう明るいイメージがあります。
 古来、西洋絵画の主要ジャンルであるキリスト教図像にはなくてはならぬのが、背中に羽の生えた天使ですので、おびただしく登場します(いずれは、何枚もの羽のあるケルビムのような、いささかブキミな形体をした天使も描きたいなと思っておりますが・・)。
 天使の羽というのは、ギリシャ神話の、いわゆる羽キャラたちからの直接の影響を受けてイメージされたのでしょうが、森永のマークの子供の天使は、ローマ時代の幼児のクピド(キューピッド)などに遡ります。
 で、天使の羽には、時代の流行や画家の解釈によって色合いも違いますが、三種類の羽を描いてみました。
 青い服の天使の羽は、ペリカンなど、防水加工のよく出来た鳥の羽で、羽を少し折りたたんで急降下し、水面にズ突入して魚を捕獲するタイプ。多分スピードはかなり出ます。
 白い天使は、白鳥とか渡り鳥の羽で、長時間飛行が可能。
 手前の羽は、梟やミミズクなど夜間飛行をする猛禽類の羽で、細かい羽毛が生えていて、羽ばたく音がせず、夜、獲物を狙うのに適しているらしいです。
 で・・それがどうした・・なんですが、鳥の羽も色々あるのが面白いなあと思ったので、神様のメッセンジャーである天使も、色々、飛行形体があればなと・・・。
2010-03-18 10:43 | 記事へ | コメント(6) | トラックバック(0) |
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2010年02月04日(木)
道元禅師
 

 かつて、子供の頃には、鎌倉仏教の所では、えいさいがりんざいしゅう・・どうげんがそうとうしゅう・・などと、語呂合わせともいえない覚え方をしていました。
 まあ、そのようなことがなくても、私の実家は曹洞宗で、仏壇の奥にはなにやら立派な椅子に腰掛けた坊さんの絵がかかっていました。ミニ掛け軸のようなもので、真ん中には仏像、右には達磨大師?(とにかく外国のお坊さん)。左に日本の高僧がかけてあるように記憶しています。で、多分、その椅子に座った人が、道元さんじゃないかと思っているのですが、どうでしょう?
 婚家も偶然に、かつては曹洞宗でしたが、すでにキリスト教に改宗していて仏壇はありませんでしたので、奥にそのような高僧の絵がかかっていたかどうかはわかりません。
 15年前に、震災の後、私の家に来た母が、父の位牌を入れるためにミニ仏壇を買い、かつての檀那寺と同じ曹洞宗のお寺のお坊さんに法事をしてもらいましたが、今の市内のお寺は、偶然というか必然というか、かつて婚家の檀那寺だったんですね。
 まあ・・そういうことで、今朝の新聞で、永平寺で、坊さんが並んでパソコンの前に座り、インターネットで確定申告をしているう写真を見まして、道元さんを思い出したわけです。
 道元さんの肖像画といえば、立派な椅子にかけた正装の絵もあるのですが、目玉を上に向けて空を睨んでいる三白眼の「月見の御影」というのが有名なので、その雰囲気で、やや若作りで・・・。
2010-02-04 10:08 | 記事へ | コメント(4) | トラックバック(0) |
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2010年01月20日(水)
豊臣秀頼と真田幸村
 

 「実は生きていた」伝説については、世界中でその話題があるのですが、義経のジンギスカン説話に次ぐのは、日本の物語の中では「秀頼薩摩落ち伝説」ではないでしょうか。
 大阪夏の陣で、真田幸村は戦死、淀殿秀頼は火をかけられて自刃・・というのが豊臣家の最後なのですが、ここに、島津家が密かに船を仕立てて、秀頼を薩摩に逃がしていた・・という伝説は、大阪落城当時からあったようです。
 有名な京童の戯れ歌とされるのは、
     花の様なる秀頼さまを、鬼の様なる真田がつれて
     退きものいたり、かごしまへ
 というものですが、まあ、豊臣方の勇将が、実は主君を奉じて、捲土重来を期して、一時退却した・・というのは、いかにも一般受けしそうですよね。
 その証拠が、外国人の記述だとか、鹿児島にいまもいる木下を名乗る秀頼の子孫だとか、真田の子孫だとか、また墓があるとかいうものです。徳川方も、秀頼は、鹿児島でアル中になっているとかいうウワサを流したとか、流さなかったとか・・。
 外国人の記録には、巷のウワサとしてこのような説があると記しているようですし、島原の乱の天草四郎が秀頼の息子で本名は豊臣秀綱というのだ・・なんていう伝説もあるそうです。
 それにしても、かの京童の歌は、実情にはそぐわないそうで、秀頼は身長190センチに近い肥満体の巨漢で、真田幸村は小柄できゃしゃな武将だったそうなので・・・花と鬼とは、どっちがどっちやねん?と思いますが、まあ悲劇の若殿は、三蔵法師のように、非力な様子が一般受けするんでしょうね。テレビもネットもない時代、庶民は秀頼の顔をしらなかったのでしょう。
 でも、絵柄としては、優男の若殿と、ゴツい家来がいいので、そんなイメージで。幸村がマタギみたいな格好をしてスキンヘッドなのは・・・・・なりゆきです。
2010-01-20 20:31 | 記事へ | コメント(6) | トラックバック(0) |
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2010年01月17日(日)
テレンティウス
 

 ローマ喜劇の本をよみまして、プラウトゥスとテレンティウスという劇作家が、日本ではあまり知られていない、ということを、知りました。
 しかし、この本を読む以前から、この名前が私の頭の中にはインプットされていて、それがローマ時代の劇作家であるということも、すでに知識として持っていました。いえいえ決して、知識を自慢しているのではありませんよ。西洋文学史の勉強などあまりしたことがないのに、何故かなあ・・・という疑問がわきあがってきたのですね。
 で、ハタと思い出したのは、一昔前のレスリー・ニールセンの裸シリーズ! そうそう・・このあまり上品とは思えないコメディです。このシリーズは、色んなパロディをやっていて、まあ、品のないギャグを満載した映画ですが、これの「裸のローマ帝国2000と2分の1年前」という「イタリア映画」がとっても面白かった。いえ、これは、本当に古代ローマ好きにはおすすめのパロディ映画です。
 以前紹介した、小森谷慶子先生の「古代ローマ散歩」の改訂版にも、今回登場しています。で、この映画の中で、劇場のシーンで、この作家の名前が出てきます。「退屈で大仰な格調高いギリシャ悲劇より、プラウトゥスやテレンティウスのほうがよほどいい」というセリフがあるのです。
 それほど西洋人の間では有名なこの作家も、紀元前の人で、カエサルより古い時代なのです。プラウトゥスがシェークスピアに影響を与えたよいうことですが、テレンティウスの生涯は、伝説化されています。
 カルタゴの奴隷市場で売られていたベルベル人の少年を、ローマの元老院議員が買って、その才知に感心して教育を施します。この、異国の文学少年は、エキゾチックな容姿の魅力と才能で若い貴族達(小スキピオがいた)のサロンの寵児となります。
 さらに、向学心に燃え、ギリシャに赴き、研鑽を積み、新作をいくつか完成させて、帰国の途につく途中、船の事故で、作品を失い、失意のうちに25歳の若さで死んでしまった・・・というドラマまで生まれました。
 しかし、アフリカ人ではなかったとか、年齢も35歳だったとか、研究者によるとこの文学サロンも存在しなかったそうですし、彼自身が存在しなくて、誰か名門貴族の偽名だったという説もあるそうですが、伝説は、ロマンがあるほうがいいでしょう。
 異国風のローマ人・・というイメージで。
2010-01-17 10:48 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2010年01月13日(水)
伊達政宗
 

 北方の勇者とくれば、もう一人。仙台の伊達の殿様を超える人はいません。
 ということで、本日は、黒尽くめの伊達政宗です。
 この方については、もはや大河ドラマでも、ゲームでも、戦国の英雄としては独特の地位を保っておられます。幼いときに病で片目を失うという(目玉をくりぬいたとか、食ったとかすごい伝説もありますが、それは、まあ三国志などの影響で講談師が流行らせたのかもしれませんね。独眼竜というあだ名も講談でついたそうですから)ハンデがあったにしろ、時期を見るにふさわしい人物であったのでしょう。死ぬまで、天下を狙う野心を持っていたといわれますから、もう少し早く生まれて、信長や秀吉らと天下を争いたかったかもしれません。親子ほどの世代の差です。
 天下を狙う野心のあらわれとして、世界の大国スペインと取引しようとして、支倉常長を派遣しました。女性にもモテたのでしょうね。妻妾は多かったようですが、後に江戸で評判の遊女高尾にフラれて腹いせに彼女を切って捨てて「なぜに高尾は惚れなんだ」と歌われた伊達陸奥守は、彼の孫にあたります。
 先日、復元品ですが、彼の甲冑を間近に見る機会がありました。有名な話ですが、ダースベイダーのコスチュームのモデルとされていますので、陣羽織ではなく、黒マントを着せてみました。彼だってマントくらい持っていてもおかしくないでしょう? 
2010-01-13 13:38 | 記事へ | コメント(7) | トラックバック(1) |
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2010年01月05日(火)
豊城入彦
 

 八十島祭の行われた場所の推定として、重要な関係がありそうなのが、吹田の垂水神社です。孝徳天皇時代の難波に、高樋を用いて水を送ったという伝説がありますが、いわば、日本の古代の水道橋ですね(ですが、多分木製だったのでしょうね。ローマのような石造りのアーチを想像するとあまりにも壮大すぎますが・・・)。
 その、垂水神社の主祭神が豊城入彦です。系譜は、崇神天皇の第一皇子ですが、父の天皇が、後継者として次男とどちらを選ぶべきかということで、「夢占い」をしたという説話があります。
 兄は、山に登って四方に向かって鉾を振り回す夢を見たと言い、弟は、山に登って四方に縄を張り、雀を追い払う夢を見たと応えます。これで、国を守るのは弟がふさわしく、国を広げるのは兄がふさわしいとして、弟が即位(垂仁天皇)し、豊城入彦は最前線たる東国に向かわせた・・ということになっています。
 この物語は、四道将軍の派遣とか、彼の甥の息子にあたるヤマトタケルの物語と似ているとか言われていますが、どうなんでしょうね。伝承では、東国に地盤を築き、上毛野、下毛野あたりの豪族の先祖になった・・ということです。
 古代は色彩に満ちていたのではないかと思っている私ですが、神社に祭られた神様ですし、お正月でもあるので、白い衣裳にしてみました。
2010-01-05 21:40 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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2009年12月17日(木)
ダヴィンチ
 

 レオナルド・ダ・ヴィンチは、色んな意味で「天才」で、ありとあらゆる分野に才能を持っていたとされる万能の天才。ルネッサンスの代名詞とされるのももっともかも・・。手稿や落書きのようなもの、鏡文字とか、ヘリコプターや潜水艦、自転車など、凡人にははかりしれない事柄への興味の持ち主で、肩書きそのものが「天才」なのかも。
 肖像画としては有名なのはサンタクロースのようなヒゲを生やしている晩年の自画像で、イメージは、ダヴインチといえば、はげひげじいさん。勿論、私もすでにこの事典に登場しているのですが、今回、比較的若いダヴィンチを想像してみました。
 というのも、「トリノ聖骸布の謎」(リン・ピクネット。クライブ・プリンス。白水社)を読みまして、信心深くない私としては、まあミーハー的興味をそそられたわけです。いささかできすぎな感はあるものの、結論は、聖骸布は作られたもので、絵画ではなく原始的な「写真」だ!というもの。
 あんな古い時代に写真の技術を駆使できるのは天才に違いない・・よって・・あの時代の天才といえば、もう1人しかいない・・というお話。
 「写真」による復元はなかなか興味深いものでありますが、それより、テンプル騎士団の信奉するバフォメットの記事が面白かったのですが、それは、まあおいといて、この本は、1995年の刊行ですから(ダン・ブラウンの「ダヴィンチコード」はまだ出ていませんので)、今読めば、耳慣れた話なのですが、西洋社会にとっては、やはり「聖骸布」って、微妙な問題なのですね。
 で、天才ダヴィンチですが、恐れ多くも、あの聖骸布のキリストの顔を自分自身の「写真」にした・・というんですが、天才は、何も知らぬ大衆が自分の「顔」をへへ〜っと拝むのをもくろんだとか・・う〜ん・・・ホンマかなあ?
 で、「聖骸布」が作られたとかいう1490年頃のアラフォーのダビンチの雰囲気で描いてみました。 
2009-12-17 10:14 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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2009年11月21日(土)
デュマ
 

 大デュマのほうのアレクサンドル・デュマ
 アトスポルトスアラミスは出ているのに、この人は出ていませんでしたね。三銃士や、モンテクリスト伯を知らない人はいないというくらいの大作家ですが、ベストセラーを多作して、大もうけしながら、大散財をして、死ぬ時はほとんど財産はなかったという潔い?人物。
 父親のトマ・アレクサンドルは、フランス貴族と黒人奴隷の間に生まれたハーフで、実力で軍人としてなりあがり、軍歴を重ねるも、ナポレオンエジプト遠征の批判をしたことで、ナポレオンからうとまれ、不遇のうちに死に、妻子は困窮。
 息子のアレクサンドル・デュマも若いときは不遇でしたが、ルイ・フィリップの書記となり、教師のパートナーと組んで、新聞に歴史小説などを書くようになり、一躍流行作家となります。時期もよくルイ・フィリップが国王になるとますます羽振りが良くなり、劇場まで持って大入り満員、大儲け。だからこそ、浪費や遊びも派手で、浮名を流した女性も数知れず・・。
 しかし、国王が追放されると、劇場経営も破綻し、それまでの散在もたたってたちまち困窮。破産宣告を受け、債権者に追われて国外に逃亡するハメにも。
 しかし、晩年まで若い女性は大好きで、アメリカ生まれの女優アダ・アイザクス・メンケンを愛人にして2人で映っている写真があります。
 この女優は「怪しいこと」(降霊術とか、黒魔術とか)が大好きだったそうですが、大デュマは、最後の愛人が「魔女」・・・いかにも作家らしくて面白いですね。
2009-11-21 22:55 | 記事へ | コメント(6) | トラックバック(0) |
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2009年09月30日(水)
だし殿
 

 織田信長の残虐さを表わすのに、比叡山焼き討ちなどが引き合いに出されますが、六条河原で処刑された彼女の死が、一番、同時代から同情をさそったのでしょう、色々な記録に記されています。
 「だし」という呼び名でしか記録に残っていないこの女性は反逆者荒木村重の妻です。刑死した時の年齢は21才。
 信長に叛逆した荒木村重は、家臣や子供、女性などを有岡城に残して脱出しますが、城が落ちたあと、みせしめのために殺された一族の筆頭は、吹田村氏ですが、そのあとに、村重の娘や幼い子供たち、若い妻のだしが処刑されます。
 処刑の折には、映画やテレビであるように白装束ではなくて、彼女達は白い経帷子の上にあでやかな小袖を着て、身分のある女性として着飾っていたと「信長公記」には記されています。
 特にだしは、美貌の誉れが高く、注目が集まっていたので、凛としてとり乱すことなく、髪を高々と結い上げて帯を締めなおして刃を受けたということです。
 髪を結い上げる・・というのは、身分の高い女性は、普通下げ髪でしたので、首を打たせるためにわざわざ結い上げたものかと思われます。
 「だし」という名前がクリスチャンネームであったとする説もありますが、荒木村重の有岡城にはルイス・フロイスも訪れているし、高山右近とも親しかったので、ありうることでもありますが、彼女の産んだ子供が、本願寺に匿われて育った岩佐又兵衛だとすれば、ちがうかもしれませんが・・。
 遠藤周作の小説「反逆」では、だしは、信長の義理の娘(母が信長の愛人になった)という設定で、政略によって親子ほど年の違う荒木村重にあてがわれた・・ということになっていて、信長の冷酷さをより強調する形になっています。 
2009-09-30 21:40 | 記事へ | コメント(4) | トラックバック(0) |
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2009年09月24日(木)
丹下左膳
 

 今は昔。昔の子供(かなりの年配)で「丹下左膳」を知らない人はいなかったかもしれません。
 近くは中村獅童でやったり、豊川悦司もあったのですが、大方の大人(かなりの年配の)に定着しているイメージは大河内伝次郎かな。大友柳太郎も古いですねえ。「しぇいは丹下、名はしゃじぇん」なんていうギャクっぽい言い回しでも有名かも。しかし、実のところ、大河内伝次郎なんて、私なども生まれる前からのスターですから、親とかじいさん世代からの「語り」で知ったいるだけかもしれません。
 しかし、子供の頃のなぞなぞに、「目が三つに手が1本、足が6本。な〜んだ? 」というのがあって、回答は「丹下左膳が馬に乗っているところ」だったのですね。
 そうです。丹下左膳は隻眼隻腕のヒーローなんですね。
 隻眼隻腕とくれば、もうイメージするのはネルソン提督でしかありえません(とは、ちと強引ですが・・)。で、この丹下左膳のキャラを作った原作者林不忘が、ネルソンを基にしたのではないか・・・などというのを青柳正規先生がコラムで、チラっと匂わせておられたんですよね。林不忘はいくつものペンネームを持つ多彩な人物で、大正年間に6年間もアメリカを放浪し、いろんなことをしているんですね(その時期はアメリカでネルソンが流行っていた・・?) また、もしかしたら、「妖艶な」ルクレツィア・ボルジアを日本に紹介した最初の人物かもしれない・・なんて言うのも・・ますます興味深いです。
 で、「丹下左膳が馬にのっているところ」です。
2009-09-24 13:37 | 記事へ | コメント(5) | トラックバック(0) |
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ニックネーム:おばさんたち
都道府県:大阪・兵庫
本宅「座乱読ーザ・ランドック」に登場又は登場予定のお友達。絵は(F)の独断ですが、ジャンル別索引や検索などで好みの人物を探して下さい。リンクも見てね♪

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