2012年02月06日(月)
狭穂姫
 

 狭穂姫(さほひめ)は、日子坐王の娘で、垂仁天皇の皇后であったとされる人です。
 実家に里下がりしている時に、実兄の狭穂彦が、「お前は、兄の私と、夫の天皇と、どちらが愛おしいと思うか?」という質問をします。「勿論、兄さんだわ」と返答すると、「わかった。まだ若くて美しい間はよいが、天皇の寵愛が衰えると、すぐにほかの女が現れる。しかし、私が天皇の位に上ったなら、お前は実の妹だから、二人して天下に君臨しよう」と誘います。
 そして、兄は妹に短刀を渡し、天皇が熟睡している時に首を刺して殺せと言います。
 これって、意味深ですよね・・って。別に兄妹で怪しいとかそういう下世話なものではなく、卑弥呼の逆を行くような話じゃないです?
祭祀女王としての王族の女と、その実の兄弟の統治・・。夫の垂仁天皇は従兄弟にあたるのですから、ともに開化天皇の孫同志。皇位継承権はあると主張しているのですね。
 しかし、兄に天皇暗殺を頼まれた狭穂姫は、宮中に戻っても、彼女を信頼し、安心しきって、膝枕で眠る夫の顔を見ては、とても実行できず、はらはらと涙するばかり。そしてとうとう兄の計画を話してしまうのです。
 しかし、自分のせいで追われる立場となった兄を捨てることもできず、逃げ出して兄のもとに戻ってしまい、二人は追い詰められます。
 天皇は、どうしても姫を取り戻したいので、姫の赤ん坊を受け取りに行く口実で、部下に、手なり服なりとらえたら、ひぱって来て子供もろともに奪い返せと命じます。
 ところが、自ら館に火を放った兄妹は、覚悟を決めていて、赤ん坊を兵士に渡す際、姫は、手玉の紐や、衣服を腐らせて、髪をそり、鬘にしていて、兵士が衣服を引っ張ると、袖がちぎれ、髪をとらえると髪がすっぽり抜け落ち、手玉も紐が切れ、炎の中に飛び込んで、兄妹は壮絶な死を遂げたという物語です。
 私は、兄も夫も愛しているのに、どうして争うのかしら・・と涙がとどまらない・・という狭穂姫です。
2012-02-06 14:13 | 記事へ | コメント(2) |
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2012年01月27日(金)
セルジュークの弓兵
 

 「十字軍の歴史3」を読んだということで、まあ、「あみあみネット」のホウバーグを着た騎士を描きたくなったのですが、肩がこるので、サーコートやマントでごまかす・・って、本当に描きたいの?ってととこですが・・。
 これらの重装備の「フランク人」と呼ばれた十字軍の兵士たちと戦った、イスラム側の兵士はどんなだったろう・・と思いますよね。
 おおむね、イスラムの貴人たちは、平常の服装が好きで、戦い用の衣服・・つまり軍装は好きでなかったようです。文化人であった彼らは、軍服なんぞは武骨で、やぼったい・・と思っていたかも。
 しかし、前線では、ホウバーグのような鎖帷子も着用しましたが、胴鎧のみの軽装の防具を愛用し、名のある指揮官など貴人は、その上から絹製の華麗な文様を織り出したローブをまとって、剣や帯などにも金細工の装飾を施していたそうです。
 トルコ人は、美麗な服装が優雅でよいと思っていたので、戦場でも装身具をつけ、最上の絹織物をまとっていたとか。マムルーク部隊なども、華麗ないでたちで戦場に出たそうです。
 12世紀ころの、胴鎧を着たセルジューク朝の弓兵
2012-01-27 14:57 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年01月21日(土)
ジョルジョ・ヴァザーリ
 
やはり、この人が出なければおさまりません。
 ルネッサンスの画家にして建築家ジョルジョ・ヴァザーリです。
 ルネサンスの芸術家を知るためには、絶対に避けて通れない・・というか、この人が切り開いたからこそ、ルネサンスの芸術家が有名になったのかもしれません。この人の著作がなかったら、さほど知られなかったかも。
 去年はヴァザーリ生誕500年祭だったそうで、展示会や、旅行なども計画されたそうです。建築家としての展示会などは、まだ京都でやっています。
 で、今までも、あちこちで名前が出ているのは、この人の著作「芸術家列伝」(正しくは「もっともすぐれた画家、彫刻家、建築家の列伝」だそうです)が、当時の芸術家の、その作品評や、エピソードで満載だからですね。だから、ルネサンス芸術家のイメージは、この本によって決まったかもしれません。そして、彼の画家としての技量もそこそこだし、建築家としても活動しているけれど、これほど有名になったのは、著作のせいでしょうね。
 また、他の芸術家でも、彼の本に取り上げられたからこそ、研究対象になったり、鑑賞の対象になったりですから、まあ、ヴァザーリさまさまなのかも。悪く描かれた人もいますけれど、おおむね、どんな画家の絵でも「ここがいいな〜! あそこがいいな〜!」というのが、彼の態度です。
 ところで、彼の肖像がとしては、黒いひげのサンタクロースみたいな、しかも頭のはげあがった、縮れっ毛の少し残ったおじさん・・というのが「相場」なんですが、ヴェッキオ宮殿博物館」のHPで、カッコいいヴァザーリが登場している(知る人ぞ知るらしいです)ので、そのイメージで。まだ髪もたっぷりあります。
 予約をすれば、この人に案内をしてもらえるとか。
 そういえば、名古屋城でも、おもてなし隊の信長さまに案内してもらえるらしいですね。でも、とっても俺様な案内らしいけど、信長ならありか・・。
 でも、多分? ヴァザーリさんはやさしそう・・。

芸術家列伝1 ─ ジョット、マザッチョほか (白水Uブックス1122)
2012-01-21 13:54 | 記事へ | コメント(2) |
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2012年01月17日(火)
僧形八幡
 

 本日17日は、阪神大震災の17年目にあたります。仏教の年忌法要で言えば、数え年で計算しますので、17回忌は去年にすんでいます。 そして東北の大災害でも数多く方がなくなられ、痛ましい現実がまた起こっています。御冥福をお祈りいたします。
 
 八幡大菩薩として知られる神様は、奈良時代に応神天皇に擬せられ、弓矢の神そして、武家に戦いの神様として信仰されます。平安のころからは、神仏習合のためか、出家した姿の僧形の神像でまつられるようになります。また童子の姿で描かれることもありました。
 しかし、明治になって神仏分離令によって、神道と仏教を分けなければならなくなり、一部には、僧形をした神さまを「還俗」させようなどという動きもあったそうです。
 東大寺の僧形八幡が有名ですが、これは、いかめしく厳しい顔をした壮年の僧ですが、福岡のみやこ町の生立八幡宮のまるっちい八幡様(この神様が、もう少しで坊主頭に髪を生やせられそうになったお方です)は、なんとなくおだやかで、両手を膝の上に置いた落ち着いた坐像ですので、手を下げた姿にしてみました。
 顔つきは・・・ちょっと傲慢そうな目つきになってしまいました・・・。
2012-01-17 11:06 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年12月24日(土)
従軍司祭
 

 クリスマスイブですが、不景気だし、浮かれ気分はあまりわいてきませんね。世界中のあちこちで、災害やら戦争やら、平和とは言えない状況が続いています。
 十字軍の昔から、「戦争」に「理屈」をつけなければおさまらないのは人間の宿命です。戦う兵士たちの「無事」と「勝利」を祈る従軍する宗教者がいました。現在のアメリカ軍でもチャプレンと呼ばれる人たち(語源は、チャーチ・・つまり教会の人ですが、キリスト教ばかりではなくイスラム教も、仏教もいるようです)が、兵士の心のケアをしているそうです。
 本当に平和な世の中が訪れてほしいものです。
 昔見た映画「バチカンの嵐」で、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線の最前線で、野戦病院ならぬ野戦教会(テントも屋根もない露天でしたが)でのミサのシーンがありました。教会そのものがないのですから、司祭とはいえ、法衣も聖具もなく、ただ、軍服の上にストラだけをかけた姿です。
 ドイツ軍と戦う場面だったので、もしクリスマス頃なら雪が降っていてもおかしくないかな・・ということで、雪をちらつかせてみました。
 この「バチカンの嵐」という映画(原題はモンシニョール。意味は・・あえて言うなら、猊下とか、お上人様とか、大僧正? 高僧の尊称だそうで、日本語にしにくいですね)は、DVDになっていない作品で、物語自体は中途半端なのですが、マフィアとバチカンのかかわりを描いているということで、バチカンから上映禁を訴えたといういわくつきの映画だそうですが、主役を演じたのがスーパーマン俳優だったということが話題になったぐらいかも。
2011-12-24 12:20 | 記事へ | コメント(2) |
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2011年12月20日(火)
佐々介三郎
 

 佐々宗淳(さっさむねきよ)は、言うまでもなく、水戸黄門の助さんのモデルです。
 いや〜・・長寿番組というか、なんやかやいいながら、ずっとやってった「水戸黄門」がついに終わるということで、普段見てなかったのに、ウチの母がテレビに見入ってましたね。
 で、まあ、この方を登場させてみようかなと・・。
 実在の「助さん」は字が違って、介三郎です。この人は、単に黄門さまのおつきの家来というのではなく、水戸黄門説話そのもののモデルと言っても過言ではありません。
 というのも、水戸黄門ご本人はあちこちうろうろしていたわけではなく、「大日本史」の編集をするために資料を集めたり、調査をしたりしていたのは、この人だからです。
 もともと瀬戸内海や、四国、そして奈良の宇陀に移り、京都のお寺でお坊さんになったという経歴の持ち主なので、「関西人」なんですね。
 後に還俗して、水戸光圀に「歴史調査係」として仕えたわけです。地味ながら、とても重要な、お寺の古文書調査をしたりしているのですが、7世紀の碑文である那須国造碑の調査をして修復したのも彼ですね。日本最初の「学術的発掘調査」が行われた侍塚古墳(上侍塚古墳・下侍塚古墳)の調査主任としても有名です。
 ということで、発掘の下調べをする介さんです。黄門さまから「やっつけておしまいなさい」といわれていたのは、歴史調査だったんですね。
2011-12-20 14:46 | 記事へ | コメント(3) |
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2011年12月12日(月)
蘇軾
 


  桂棹 蘭櫂 空明を撃ちて、流光をさかのぼる
 
 桂の棹に、蘭の櫂が、空の明りをかきわけ、月の光を漕ぎのぼるという意味なので、天空と江水がまさに一致したような素晴らしい幻想的な月夜なんでしょう、かの「赤壁の賦」の一部です。
 ところで皆既月食、寒かったけれど、ちゃんと見えましたね。短時間で月が欠けて、また満ちる・・不思議な体験でした。
 「赤壁の賦」は、流謫の身にある蘇軾が、友人と船を浮かべて長江に遊び、満月を眺めて酒を飲み、気分がよくなって船端をたたいて、即興詩を歌ってごきげんだけれど、ともに飲む友人は、曹操の詩「月明らかにして星稀なり」を引用し、天下の英雄といえども今はもういない。しかし、あなたも私も、英雄ではない、ちっぽけな人間・・永遠の自然の中では空しい・・とブルーになるんですね。
 しかし、蘇軾は、ものは見方で、常に変化するというならすべてが変化するし、変化しないというなら、大自然すべては永遠に続きます。そして私もあなたもその自然の一部ですよ。
 と、なにやらけむに巻かれるような「斉物」理論で応え、英雄であろうが、庶民であろうが、この自然の美を満喫できる権利は等しくあるのです。満月はこんなにきれいでも、いくら見たってタダですよ!
 お客も気持ちがすっきりして、笑いだし、二人して大いに飲み明かし、杯盤狼籍、ともに船の中で酔いつぶれて寝てしまい、東の空が白くなっていくのも知らなかった・・。
 というのが、赤壁に賦を大急ぎで要約(しすぎやん!)しました。
 湖涼さまにリクエストをいただき、久々に蘇東坡詩集などをひっくり返してみると、やはりこの赤壁の賦がいいなあと思い、このようなのを描いてみました。しかし、この賦の出だしの、水の上から月の光を漕ぎ上る描写があまりに素晴らしいので、とてもとても「絵にもかけない」面白さなので、あえて、しょうもない絵柄になりました。お許しを・・。

 ところで、本日12月12日は、この人名事典の7周年記念日です。今日の記事で1825人目となりました。当初の目的1年継続、それから3年継続、千人斬り・・を過ぎて、早2000人が目前になってまいりました。ネタは尽きそうで尽きないので、なんとか2000人を目指します。今後ともどうぞ、よろしく。
2011-12-12 12:49 | 記事へ | コメント(6) |
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2011年12月07日(水)
三人のマリア
 

 イエスが処刑された後、三人のマリアが、墓に向かったところ、イエスの死体はなく、天使がいて、イエスが復活を遂げたということを伝えたという伝承があります。
 このとき、イエスの「死後の世話」をしようと墓にやってきた一族の女性3人が、すべてマリアという名前だったということですね。
 この三人は、イエスの母である聖母マリアマグダラのマリア、そしてヤコブの母マリア(あるいはクロパの妻マリア)です。このヤコブの母マリアは、聖母マリアの姉妹であるという説があるので、叔母さんにあたる親戚の女性ですね。であるなら、香油を持ってきたマグダラのマリアが、イエスの妻であってもいいと思うのですが、それを言うと、バチカンから叱られます。
 イギリスのビクトリア朝時代に作られたステンドグラスの絵柄がとても面白かったので、3人のマリアです。
 この女性たちの左側には、とても豪華な助祭の服装をした天使がいて、イエスの蘇りを告げているところです。
 多分、左端の女性が、ヤコブの母マリア、真ん中が聖母マリア、そして若い華やかな女性がマグダラのマリアでしょう。原画ではマグダラのマリアは左手に香油壺を持っているのですが省略しました・・というか、描きこみ忘れた。彼女の持ち物である香油壺を忘れるなんて、大間違いなんですけれど、この場合香油は、持ち物としてではなく、葬られた死者の体を清めるために持ってきた香油なのでしょうね。
 ビクトリア朝の画像ですから、服装は勿論、ラファエロ前派の絵のようなロマンチックで豪華な物語の登場人物のようなものを着ています。
2011-12-07 12:59 | 記事へ | コメント(2) |
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2011年11月02日(水)
白いハデス
 

 先日来、以前から気になっていた、ちょっとマニアックな内容の本(「ヨーロッパ生と死の図像学」明治大学人文科学研究所叢書・東洋書林 2004年)を読みました。
 その中の「キプロス島アシーヌウ聖母教会堂と「キリスト再臨図」(馬場恵二)が、興味の対象だったんですね。キプロス島のビザンチン教会の壁画と碑文解釈・・というと、かなり特殊かもしれませんが、難しいかなと思っていたところ、なかなかに興味深かった。
 私のミーハー心にふれたのは、「白抜きの子供」。
 最後の審判によって、キリストに断罪されたあらゆる人間は、それぞれの場所に「配属」されるのですが、全ての人類の「処理」が終わったあと、それまで「悪しき魂」を預かっていた冥界ハデス(あるいはその支配者の名称)も、用済みとなって、「運ばれて」抹消、あるいは永遠に消滅させられるらしい・・。
 そして、この教会堂の壁画では、「消滅させられるハデス」は、白い子供の姿をしている! 
 それと、最後の審判前にこの世にあらわれて、人々に間違った「救済」を施す反キリストが登場するという話がありますよね。この反キリストについては、一体誰が人々を誤った方向に導くニセ救世主か・・ということが、今現在でもあちこちで話題になっているようですが、この反キリストも幼い姿では「白い子供」であらわされるとか・・!!
 白い・・つまり壁画に描かれる「色のない人物画」「白抜きの人物」が、この世ならぬ者としてあらわされているというのですね。
 子供の姿をした冥界の主・・・として、思い出すのは、壇ノ浦の海底に住む安徳天皇だ・・・・なんてイージーに思ってしまいましたが、まあ、これはおいといて、子供の姿(幼児よりは少し年をとっているほうがいいかな・・と)の冥界の主です。
2011-11-02 10:18 | 記事へ | コメント(2) |
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2011年09月12日(月)
聖母の天使
 

 15世紀のフェラーラ派に属する画家の作品という、聖母子像を見まして、聖母の背後に立つ2人の天使の、色彩と衣装が印象に残りました。天使にありがちな、聖職者のようなぞろっと長いワンピース型の服装ではありません。
 一人は、袖なしのジャンパースカートのような、当時の風俗画では、若い女性の衣装。黒い長袖の上にオレンジ色のサーコート風ローブは、裾が長いので腰のあたりで、ひもでたくし上げるいわゆるおはしょりのような着こなし。
 もう一人がこれで、淡いピング系の長いローブを着ていますが、下に黒い膝丈のショートチュニックを着ていて、足を丸出しにしているところは男性の衣装のようにも見えます。赤い靴は、この時代の男性がよくはいている形です。タイツが赤くて、靴が黄色いというような派手なのもあります。
 天使が、男性、女性という性別からは自由になって、中性的とはよく言われるけれど、時代や場所によっていろいろあって、男もあれば、女もあり、どちらともつかぬのもある・・ということがいえるかもしれません。このような天使の外形の性別などには、cucciolaさまの、こちらの記事も面白いかも。
 集めてみると、けっこう私も天使の絵はありました。
 ミカエル ラファエル、女性天使説のあるガブリエル、焔の天使ウリエルの4大天使と、堕天使。それに、天使の羽だとか、哀悼の天使だとか、いろいろです。
 それぞれに面白さはあるのですが、今回の天使は俗っぽい服装以外に、羽の色が真っ黒!
 黒い羽は印象深いので、珍しいかなと思って色々探してみましたが、画集で見る限り、時々あるんですが、ファン・デル・ウェイデンの「七つの秘跡」の絵に登場する7人の天使は、それぞれ、服の色と羽の色が一致していて、衣服まで真っ黒に見える右の2人などは、黒ではなく、濃い青や、緑などが退色して黒く見えるだけかもしれないので、厳密には黒ではないのかも・・。
 黒い羽をもち、黒い服(当時の男の黒服は流行だった?)を着た天使です。
 背景は、まあ・・映画ではよく使われる、カセルタの王宮の大階段です。
2011-09-12 13:48 | 記事へ | コメント(3) |
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2011年07月31日(日)
児雷也
 
 「児雷也豪傑譚」の三すくみの登場人物を、大蛇丸綱手と2人までとり上げてきたので、やはり、本来の主人公である児雷也をほっとくわけにいかないですね。
 江戸から、明治にかけてベストセラーになった「児雷也豪傑譚」は本名尾形周馬、児雷也と名乗る忍者ですが、文政年間に最初に出た物語「自来也説話」では、自来也と名乗っていたのですね。
 これには、もっとモトネタがあって、中国に実在の盗賊で、盗みに入った先で、壁に「我、来る也」という意味で我来也とサインをしていったそうです。まあ、怪傑ゾロがZのマークを残していくみたいなもんですね。ただ、これだと日本語読みでは「がらいや」となってしまい、柄が悪いとうかゴロが悪いというか、文字面も美しくないので、我を自にかえたとか。
 真偽のほどはさておき、日本では泥棒ではなく、もと身分ある武士ながら悪人のおかげで不運に見舞われ、お家再興を目指してがんばる・・というストーリーが好まれたようです。
 ということで、蝦蟇の術を使う忍者スタイル。あまりに蝦蟇をデカく描きすぎて、ちょっとバランスが悪くなったので修正したら、もっとヘンになった。まっいっか・・。
2011-07-31 16:31 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年06月17日(金)
白縫姫

 「椿説弓張月」のヒーローが八郎為朝なら、彼の妻の白縫姫はヒロインです。
 しかし、八犬伝の浜路のような、一見、なよっとした女性を思い浮かべてはなりません。乱暴者というか、気性の激しい為朝と対等に張り合うには、最初からなよなよしていてははじまりません。
 登場のはじめには、なにやら、劉備の奥さん、つまり孫権の妹をモデルにしたような感じですね。武芸を好み、同じような武芸自慢の侍女たちを大勢侍らせるお姫様。婿取りが決まった時(勿論、親が決めます。当時の良家の姫なら、普通自分では選びません)、すだれの影に12人の武装した侍女を隠して、入ってきた為朝に、次から次に打ち掛からせ、すべてクリアーしたので「よし、あんたを夫と認めよう」なんていう物騒なお姫様。
 それだけではなく、裏切者を成敗するのに、縛り上げて全身に竹串を刺して時間をかけて殺すという残虐さ。この場面を月岡芳年が描いていますが、裸で縛られ、ハリネズミならぬ串ネズミにされた血みどろの男が苦しむさまを、ほほほ・・と笑いながら見ている赤姫風の女性。こわい女ですねえ。
 この人が、海で暴風雨にあって、船が沈みかけたとき、夫を救うために、ヤマトタケルの妻弟橘媛のマネ(本人がそう言っている)をして、海に飛び込みます。この人身御供によってかどうか、彼女の息子も巨大魚に助け合あげられ、もちろん為朝も生き残ります。
 そして、為朝たちが琉球にわたったのち、死せる彼女は、霊魂のみでおいかけ、あちらの王女の乗り移って、息子の即位まで見届けるのだから、生きていても死んでからでも強い女です。
 こういう女は、海に飛び込むときにも「さあ、波よ静まりなさい!」とにらみつけるのではないか・・と思いましたから、こんな顔にしてみました。時代設定は平安末なので、江戸の挿絵は無視しました。
2011-06-17 11:47 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年06月08日(水)
孫雪娥

 長年読んできた「金瓶梅」(わたなべまさこ 双葉文庫)がこの四月に完結しました。
 原作に、陰謀味、怪談味を加味して、独特の出会を作ってきましたが、このたび、いささか急ぎ足であったようですが、原作通り、稀代の好色漢西門慶は、淫薬を飲みすぎて死に、これまた反省なき悪女潘金蓮は、武松に惨殺されるという最後を遂げました。
 「金瓶梅」はご存じのとおり、水滸伝武松仇討談の一部を大きく引き伸ばしてまったく別物の物語にしてしまったのですが、はじめと終わりは水滸伝の中にはめなくてはなりませんので、主人公の「悲惨な末路」は避けられません。
 で、わたなべ作品では、スポットのあたることの少ない(もちろん末路も取り上げられない)第4夫人の孫雪娥です。
 彼女は、こちらにも書きましたが、西門亡き後の女たちの中では、かなりみじめな人。唯一の専制君主だった西門慶がいなくなれば、その寵姫など、正妻のもとでどんなめにあうかわからないのですから、それぞれ、身の振り方を決めなければならない。
 孫雪娥は、主家の小金を盗んで、下男と駆け落ちという、最も安易で単純な方法を選んでしまった。とっつかまって、奴隷身分に落とされて公売されるはめに。さらに貧乏くじなのは、彼女を落札したのが、かつて彼女の下にいた小娘春梅(軍人の家に買われ、主の子を産み正妻が死んだので、奥様に大出世。わたなべ版では春梅はとっても善人!)で、かつての意趣返しにいじめまくる。しかも次に女郎屋に叩き売られるという悲劇。そしてついに自死するという本位気の毒な女性です。
 まるぽちゃのおばちゃんキャラより、痩せてカリカリした女料理人というイメージで。
2011-06-08 10:48 | 記事へ | コメント(2) |
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2011年02月11日(金)
ジョセフ・ボナパルト
 

 ボナパルトという名前からも分かるように、この方は、ナポレオンの兄弟です。ナポレオンには7人の兄弟がいて、3人のややこしい妹と、これまた3人のややこしい弟がいましたが、このジョセフさんは、唯一ナポレオンの年上の兄弟。
 しかし、頼りない父親のカルロが死んだ後、士官学校に行っていた弟のナポレオンが、一家の中で唯一の職業人だったので、家長となってしまい、結局この一家の長男は、弟の命令で、職業から、結婚からすべて決められるハメになります。
 というのも、弟といっても、なにしろ天下のナポレオン。子供の頃から性格が強烈だったし、兄ちゃんはおとなしいし、年上といっても、たったの1年違い。しょうがないですよね。
 以後、前代未聞の出世街道をひた走る弟の「部下」のようになって、色々と協力をするわけですが、位人臣を極めるところか、ついに「帝位」にまでついてしまった弟君は、兄を手駒扱い。
 ナポリ王にしたと思ったら、今度は妹婿の都合でスペイン王に変更したりと、まあ勝手放題。
 統治なんてとっても難しいスペインで、ホセ1世としてまともな王様になろうとしても、上手くいかなければ、気の短い弟がやってきて「アニキは役立たずだ〜!」と蹴散らして無茶苦茶するわ、方針は変えるわで、わめき散らして去ってゆくから、反乱が起こって命からがら逃げ出す始末。
 そして、結局、自滅して行く弟の大ばくちに巻き込まれて、ふりまわされて気の毒ですね。「無能」よばわりされるジョセフさんですが、大仰な国王然とした肖像画など見ても、影が薄そうで、似合わない黄金の玉座で、毛皮のローブを着て王錫など持ってみても、盛大なタメイキついていそうです。
2011-02-11 15:41 | 記事へ | コメント(0) |
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2010年11月10日(水)
地獄鉄磑所の鬼
 
 「日本の国宝、最初はこんな色だった」(小林泰三・光文社新書)のシリーズ?です。
 絵巻物「地獄草紙」に鉄磑所(てつがいしょ)の場面があります。ここは、地獄の鬼達から、鉄の臼ですり潰されるというすさまじい場所です。生前、人からものをかすめとった連中が、処罰を受けているところだそうです。
 デジタル復元で、鮮やかな色彩が蘇った派手な鬼達が、4人いますが、彼らは男女二組のカップルで、重い?鉄の臼をひいている二人は真面目に力を入れているのだけれど、人間を臼に放り込む作業をしている緑鬼と、うすでひかれて、ばらばらぶばった人間の残骸を箕であつめて河に捨てている赤鬼は、なにやら気楽に会話しているような感じがします。

「お前、最近すっかり白髪になってしもうたなあ。てっぺんなんか、ぬけてきたがな。」
「あんたかて、緑肌に赤褌でカッコつけとっても、自慢の赤毛は、はげてもたし、あちこち痒いとか、上唇がはれあがるとか、おじんくさいで。」
「ほっとけ。お前かて、腰がかがんで、しわだらけになってもてからに、流行の豹柄の腰巻が似合わんで。」
「あ・・そう。ほんなら、新しい虎皮のん、買うて。タイガース優勝セール当て込んで、仕入れすぎて、叩き売りしてんねんて。」
2010-11-10 11:21 | 記事へ | コメント(0) |
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2010年10月31日(日)
スパンキー
 

 ハロウィンはそもそも、古代的な要素の強いお祭りです。
 全ての聖人のお祭り(万聖節)の11月1日の前日に、異界とこの世がつながるので、幽霊や、彷徨える霊たちが此の世に現れる・・とされているらしいです。
 昨今は、にぎやかに可愛らしいオバケグッズなども、お菓子とともに出回っていますが、私としては、なにやら素直に楽しめません。
 というのも、カボチャオバケのモトとなった、スコットランドのウィル・オ・ザ・ウィスプ(ジャック・オ・ランタン)の伝説も哀しいのですが(多分に自業自得ですけれど)、洗礼を受けずに死んだ子供の霊魂が、最後の審判まで彷徨い続けるスパンキーが、よりいっそうあわれで悲しいですねえ。
 ハロウィンの日は、スパンキーは、この年に亡くなった人の霊を案内して、「贖罪」なのか「浄霊」なのか、晴れて天国にいける日を待っているらしい・・。だから、古い教会には、ハロウィンの日には沢山のスパンキーがいるんだそうです。
 このお話と、親より先に死んで「親不孝」の「罪」を犯した子供の霊が、賽の河原で「ひとつ積んでは父の為。二つ積んでは母のため」という、あの悲しい伝説にもつながるような気がしてなりません。
 スパンキーが幸せな「贖罪」をつんで、いずれは天国に行けますように、異教徒ながら祈りたくなります。
 あ・・ちなみにハロウィンの「お菓子」は、異教徒のためにも、天国にいけるように供養をする意味もあるそうです。 
2010-10-31 16:50 | 記事へ | コメント(0) |
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2010年09月15日(水)
人狼
 

 先日、ケルトファンタジー「夢の書」を読んだということをこちらに書いていましたが、この小説の重要な登場人物に、カナダ在住の狼男がいます。
 彼は、出自はフランス系なので、ル・ガルーと称していますが、カナダ現地人として世代を重ねていることは確か。
 昔、バンクーバーに行った時に、絵葉書を買って、河畔(湖畔?)をゆく毛皮を着た戦士たちの姿が、水面に映るのが全て狼であるというドラマチックな絵柄が気に入ったんですね。カナダと狼・・・よく似合う。
 それと、あちこちでやたら売っている、遠吠えする灰色狼のぬいぐるみに目がとまり、北海道の熊の木彫りみたいなお土産物だとは思いながら、ちらちら心引かれ、帰国間際に、結局「ここを逃したら、一生手に入らない!」というしょうもない勢いで、買ってしまいました。これが中国製で、カナダ限定販売なんですよね。
 バンクーバーは中華系の人が多くて(現地で会った知り合いは日本人ですが)、高層マンションの色彩や雰囲気は香港のようでしたが、ということは、中華系の狼男がいてもいいんじゃないの・・?
というイージーな発想です。
 フツーの狼男とは違って、中国では、大犬座のシリウスを天狼と称しているので、地狼がホンモノの狼。で、あえて狼男は天地人の人狼で・・。 
2010-09-15 12:52 | 記事へ | コメント(2) |
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2010年08月28日(土)
サットン・フーの貴人
 

 イングランドの七王国の一つイースト・アングリアの王が葬られたのではないかと言われている古い塚が、サットン・フーの遺跡です。
 船を墓室とする船葬墓で、副葬品も豊富で、コインや装身具以外に、仮面のついた兜が出土し、大英博物館の目玉(というには少し地味ですが・・)として有名ですね。
 この墓の主は、イースト・アングリアの王で、625年に死んだレッドウォールドではないかと言われていますが、被葬者は断定されておらず、彼の息子、甥などという説もあるようです。ただ、7世紀のアングロ・サクソンの部族長の一人であることは確かなようで、どのようなイメージだったのか・・と、なかなか想像力を刺激します。
 仮面つきの兜にしても、バイキングの遺物に似ています。このサットン・フーの兜にしても、埋葬された時代よりも古く、500年頃の伝世品ではないかという説もあるようです。
 例によって、「世界の生活史」(東京書籍)のイラストのレッドウォールド(レドワルド)の衣裳がなかなか面白かったので、同じようないでたちで描いてみました。仮面はつけていませんが、復元すると、銀の板に毛彫りを施したベースに、黄金で眉や鼻などを作っていたようです。 
2010-08-28 14:58 | 記事へ | コメント(0) |
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2010年07月04日(日)
三小姓
 

 天下に三大なんとかというのは数ありますが、三美人といえば、日本では小野小町楊貴妃クレオパトラですが、世界史的に言えば、小野小町ははずれて、ヘレネが入ります。
 今回は、華やかなりし安土桃山から江戸の初期に、三小姓と称えられた美少年?たち。
 一人目は、名古屋山三郎出雲の阿国の「愛人」かともいわれた同時代のアイドルですが、微妙に時代が違うとか・・。槍の名人でもあったということから、ただの観賞用の美少年ではなく、実戦むき。同僚と喧嘩して殺されたという最後は、とちらかというと「こわもて風」のお小姓かも・・。
 もう一人は、豊臣秀次に仕えた不破万作。彼は、主人である秀次が切腹させられた悲劇に、17歳で殉死したと伝えられます。薄命の美少年伝説の生まれる要素大ですね。歌舞伎では名古屋山三のライバルとして復活します。
 そして朝香佐馬之助。織田信雄(のぶかつ。信長の次男)に仕え、主没落後、蒲生氏郷→石田三成→前田利常と主を変えて、生き延びたので、けっこうしたたかな人物だったかも。3人の中では、一番波乱万丈な生涯だけれど、長生きして、結構堅実に美中年、美老人になった・・? 
 近世初期の屏風絵人物風に・・。ホンモノはもっと、フツーで地味だったような気がしますが・・・。
2010-07-04 15:28 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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2010年06月26日(土)
スイス傭兵
 

 16世紀の西洋の男性服飾の中で、きわめて特異な装飾デザインが、スラッシュです。
 上衣の布を、ハサミで切り込みを入れる、あるいは焼いた鉄棒で穴を開け、その穴から、下衣の布を見せるファッションです。
 もともとは、肩や、膝などが動きやすいように、切込みを入れるという実用であったそうです。しかし、一旦流行り始めると、あちこちに過剰なまでの切込みを入れ、下に着ているブラウスを上着の穴から引っ張り出して、総絞り染めの製作工程か・・みたいなのを全身に出すという、いささか信じられないような感じになります。こういうの・・カッコいいかな?
 伝説によれば、このファッションを始めたのはスイス傭兵だそうです。
 1477年にブルゴーニュ公のシャルル豪胆王が、フランス王に雇われたスイス傭兵に破れました。勝ったスイス人たちは、豪華な布地を略奪しては、自分たちのボロ服の上に縫い付けていたのが、なんとも奇妙で華やかなファッションに見えた。
 これがカッコいい!・・などとマネしたのがドイツ人の傭兵だそうで、お国に持って帰って、この戦場ファッションが、別に破れていない布までも切り刻んで、隙間からシャツを覗かせるスタイルを産んだとか。
 伊達男たちは、嬉しがって上等の布地を切ってスラッシュだらけのファッションを見せびらかしていましたが、女性には、袖ぐらいしか浸透しなかったようです。スカートをスラッシュだらけにしたって優雅じゃないですもんねえ。
 上着から靴下まで切り込みの過剰な、全身スラッシュは、北方系のデザインで、服飾的に洗練されていたイタリアやスペインには、さほど流行しなかったそうですが・・やはり、ヘンでしょう・・。
 フランスに雇われていた本家のスイス傭兵たちは、派手な色彩のスラッシュや、巨大な羽飾りの帽子で、飾り立てていたようです。 似たようなものといったら、今尚、バチカンの衛兵は派手な色違いの服を着ていますね。袖やズボンはスラッシュだし・・。
2010-06-26 14:52 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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2010年06月11日(金)
サド侯爵
 
 最近、目の調子が悪いので、パソコンを少々自粛ぎみでした。
 といっても、まあ、もう大丈夫なんですが、本日はサドです。
サド・・つまり、サディズムといえば、苛めて喜ぶ性癖を表わす言葉として、一般的になっています。
 勿論、マルギ・ド・サドラウラの子孫ドナチアン・アルフォンス・フランソワ・ド・サド)の、センセーショナルな「行動」と、背徳的な文学がその言葉の理由となっていますが、74年ほどの生涯のうち30年以上を、どこかしらに幽閉されて・・いや、当時の社会が、閉じ込められねばならないと恐れられた人物です。
 もともと、彼は、不品行、浪費癖のある若者であり、貧乏貴族の侯爵家にとっては、跡継ぎながら厄介者。
 そして、パリの裁判所所長のモントルイユ家が、裕福ながら門閥がないので、見てくれだけは、なかなかに良い、この貴族の不良青年を、娘婿にすることにします。
 サドにとっては、うるさい父親の手から逃れる手段として結婚したのですが、今度は、一筋縄ではいかない手ごわい姑モントルイユ夫人の手に落ちた・・ということになります。
 まあ、この姑と、その娘とは思えないほどのけなげな嫁や、その妹などなかなかに面白い女性が廻りを取り囲みますが、それは色んな文学作品があるので、まあおいとこう。
 結局、彼は既婚であろうが未婚であろうが、当時の社会通念の良識からは受け入れられないような「恥知らず」な性的嗜好を持っている・・ということで、幽閉の憂き目を見ます。
 現代になってから、彼の文学や、その行動は評価されるのですが、あくまで本人は、「良識と権威なんかくそくらえ!」な人生だったんでしょうね。
 彼の不品行と言っても、今日的には、女性を鞭打ったり、男性と乱交したり、教会の権威を貶めたり・・ってことて・・・話だけでは、皆驚かないんじゃあないでしょうか。まあ・・それも、彼の「功績」か・・・。
2010-06-11 14:16 | 記事へ | コメント(3) | トラックバック(0) |
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2010年04月28日(水)
ジェーン・シーモア
 
 ヘンリー8世は、6人もの女性を次々に王妃にして、そのうち2人もの王妃を処刑しているので、悪名高いのですが、まあ、よほど世継ぎの男子がほしかったのでしょう。
 イングランドはサリカ法典を採用していなかったので、女王でもいいのですが、女性が王となると、その夫になる人物が問題なんですよね。力のある国などの王子などをうっかり婿にしてしまうと、乗っ取られる可能性があるんですね。そればかりか、本国の揉め事まで持ち込む。
 ということで、どうしても世継ぎの王子が欲しかった・・・ただただ、それだけの理由です。好色だとか淫乱だとか言うなら、王様のまわりには、沢山美女がいるのですから、手当たり次第、選り取りみどりですよ。かのナポレオンですら、皇帝になったとたんに世継ぎほしさに、妻を取り替えるんだから、王様稼業は大変ですねえ。
 で、そのヘンリー8世の世継ぎを産んだ唯一の女性がジェーン・シーモア。かのアン・ブーリンの侍女で、彼女とは全くタイプの違う大人しやかで、従順な女性だったとか。しかし、彼女が王妃であったのは1年ちょっと・・・つまり、妊娠して出産したそれだけの期間だけです。産褥で死んだのですから。
 多産の家系だったために王に見初められたので、まさに目的を果たす(王子を産む)というためだけに存在した感のある、影の薄い女性ですが、アン・ブーリンの離婚や処刑などの経過も当然知っているのでしょうから、生きていればしたたかな王妃になったかも・・・。
 その子供のエドワード6世も、王位を継ぎはしたものの17歳で早世しましたので、母子ともに影の薄い存在です。
2010-04-28 21:14 | 記事へ | コメント(8) | トラックバック(0) |
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2010年04月02日(金)
浄瑠璃姫
 

 「浄瑠璃」は、今では人形浄瑠璃として残っている演芸ですが、語り物の音楽劇を伝統にしているものです。
 それが、何故「浄瑠璃」と呼ばれるかと言えば、このジャンルでの絶大な人気を博した演目に「浄瑠璃姫物語」があったからだそうです。たとえて言うなら、韓流ドラマの総称が「冬ソナ」となったみたいなものではないでしょうか。
 浄瑠璃姫は、平安時代末期の人という設定で、悲恋のヒロインで、岡崎市や豊田市にその伝説が残っているようです。
 地方の名士が、薬師如来に子宝祈願をして授かった娘で、薬師にちなんで浄瑠璃と名づけて大切に育てられた深窓のお姫様。
 それを、平家の世の中に、源氏再興を目指して平泉に下る途中の16歳の源義経(牛若丸ですね)が旅の途中に立ち寄って見初め、恋に落ちてしまいます。
 この16歳のガキが、あつかましくも笛の合奏にことよせて、姫と話す機会を得るのですが、まあ、強引というか理屈っぽいというか、長々と美辞麗句を連ね、困惑する姫の言葉の揚げ足をとり、教養ある屁理屈で姫を口説きまくる。結論は「一夜、なびかせたまえ」。これのみ!
 かくしてまあ、若い二人は(16歳と14歳です!! 今時の高校生がこんな理屈っぽい語りしませんが、当時の聴衆は、このかきくどく言葉遊びを楽しんだのでしょうね)一夜の契りを交わして別れます。
 結論からいえば、これで、まあ、終わってしまったのですね。
 伝説では、病に倒れた牛若を看病しに姫が出かけて行ったり、はたまた追いかけて川に身を投げて死んだとか、あるいは、待ち焦がれて病死したとか、まあ、この恋は、不首尾に終わったんです。
 牛若にしたって、いかに源氏の御曹司とはいえ、将来は不明の行きずりの兄ちゃんだし、姫も親に内緒ですから、上手くいくわけがない・・というところが、この物語の「悲劇性」です。
 なんやかや言葉巧みに言い寄る男。
 お母さまにバレないうちに帰ってくれないかしら。
 だけど、もっとお話もしていたい・・ああ、このままだと・・。
 ・・・だめよ! 絶対だめ! でも、このまま別れるのはいや・・・。
 ああ・・どうしよう・・・どうしよう、という姫。
2010-04-02 13:54 | 記事へ | コメント(6) | トラックバック(0) |
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2010年03月27日(土)
シピオーネ・ボルゲーゼ
 

 カラヴァッジオ没後400年ということで、先日映画「カラヴァッジョー天才画家の光と影」を見て参りました
 カラヴァッジョのパトロンとして、デル・モンテ枢機卿が登場しましたが、ラストに、ボルゲーゼ枢機卿という人物が、なにやら画策して絵画を奪ってしまう・・というような感じでした。
 この人物は、かのベルニーニのパトロンで有名なシピオーネ・ボルゲーゼで、先年来日した「ボルゲーゼ美術館展」でも公開された膨大な美術品を集めた方です。
 カラヴァッジオ作品も沢山持っているのですが、悪どい方法で集めたのは事実のようです。
 そもそもは、カラヴァッジオが、とある人物と女性がらみで揉め事をおこして(ほんと、この人ってロクなことしないですよね)、その件の仲裁に入ったので、そのお礼に絵画をもらったらしいのですね。
 それで、気に入ってしまって、教会から受け取り拒否された作品などを買ったりしていました。さらに欲しくなって、作品を何点か持っていたダルピーノという画家を検挙させて、所蔵絵画を押収して自分のものにし、またエルコレで野垂れ死にのようにして死んだカラヴァッジオが、最後まで所持していた絵画を取り上げたというような、いささかあくどい方法で入手しました。
 いかなる手段を講じても欲しいものは欲しい! というのでしょうね。それほど、熱心な?収集家であったようです。
 この人の風貌としては、先日の展覧会にも出ていた、ベルニーニがこしらえた50代の肖像彫刻が有名ですが、この人物は、カラヴァッジオより5歳も年下で、枢機卿になったのは29歳ですから、彼の絵を集めていた頃は30代の前半です。
 ちょっとクセのある若い枢機卿というイメージで・・。背景は勿論、この枢機卿が取り上げた「洗礼者ヨハネ」です。カラヴァッジオが最後まで手元に持っていたものです。
2010-03-27 12:11 | 記事へ | コメント(12) | トラックバック(0) |
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2010年02月18日(木)
女帝ゾエとテオドラ
 

 モザイクといえば、ビザンチン! というのが自然な流れなのですが、ビザンツ帝国(東ローマ)はなかなかに複雑な継承をしています。
 11世紀初頭、マケドニア朝コンスタンティノス8世は、病に倒れて後継者選びが切迫し、重臣を娘のゾエと強引に結婚させることで帝位を安泰にしようとしました。60歳をすぎた花婿に(当然妻がいましたが、策略を用いて離婚させ)、50歳の皇女が花嫁です!この人がロマノス3世として即位しました。
 この皇帝は、風呂で急死するという事態になり、皇后ゾエは、皇位安泰のために、またしても再婚することになります。名門のお姫様は大変だなあ・・と思うのは早計で、今度の花婿は、ゾエより30歳以上も年下の24歳の美貌の若者。即位してミカエル4世と呼ばれますが、実は、ロマノス3世時代にすでに皇后ゾエの愛人だったとか。
 しかし、彼は顔だけの男ではなくて、野心に燃えて皇女に近づいて、目的を果たしたのですから、不要になった妻を幽閉するという暴挙に出たのは若さのせいでしょうか。皇帝としては有能だったそうですが、32歳で、病気のために、自分の従兄弟(甥?)を後継者指名をして修道院に入り、その日に死んだとは・・なんだかできすぎな気もします・・。その新帝がヨハネス5世。背後に二人の伯父にあたる宦官がいるのが陰謀くさい・・?
 ヨハネス5世は、皇室と何の血縁も姻戚もないので、幽閉されていたゾエ(すでに皇太后ですね)を始末しようとするのですが、ゾエは民衆の支持を得ていたので、反乱が起こり、逆に彼が捕らえられて目を潰されて追放されたとか・・。
 かくして、皇女ゾエ復活! 彼女は再々婚をせずに、自ら国を治める決意をします。そして血の絆を固めるためか、17歳年下の妹テオドラと共同統治します。ここに2人の女帝が並んだのですね。
 ゾエは、もはや64歳という年齢でしたが、彼女はとてもその年齢には見えず美しかったそうです。しかし、美人姉妹?女帝の時代は、二人の不仲で、たった2ケ月しかもたなかったとか。やれやれ。結局、ゾエはまたしても「いい男」を物色することになり、42歳の元老院議員と結婚し、コンスタンティノス9世として即位させます。このカップルがアヤ・ソフィア大聖堂に肖像画が残るのですが、皇后ゾエはとても60代半ばには見えずかわいらしい姿に描かれています。13年後にあいついでこの夫婦が亡くなった後は、再びテオドラが女帝となりますが、彼女には夫も子供もいなかったため、マケドニア朝最後の皇帝となりました。
 姉妹女帝を若作りで描いてみました。向かって左がゾエ。肖像画では眉毛がつながっているように見えます。
2010-02-18 10:58 | 記事へ | コメント(8) | トラックバック(0) |
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2010年02月08日(月)
スペインの提督
 

 ゴヤの数ある肖像画の中で、ウルティア提督を描いたものがあります。この人がどういう人であるかは、よくわかりませんでした。
 時代的には、ナポレオンの侵略のある頃ですから、スペインの提督といっても、往年の無敵艦隊の頃はいざしらず、王族すら必死で逃げ出すような頃です。後に、ゲリラ戦などで、ナポレオンの兄が追い出されて、更に泥沼化したフランスとの戦いの時にも名前が出るようなので、そこそこがんばっていた人なのでしょう。
 手に望遠鏡を持ち帽子を片手にポーズをつけていますが、なんとも暗い表情と、まるで難破船が出そうな荒れ果てた海岸が背景になっていて、ゴヤとしても、とても、りりしい軍人さんをホンモノより立派に描こうという意識がないような感じがします。
 この人も、のんびり肖像画など描いてもらう場合ではなく、色々な悩みがありそうなので、興味が惹かれました。かなりの年配だと思うのですが、スタイルはまだまだ保っておられるようで、30過ぎでぶよぶよしているゴドイなどと違うなあ・・と。え〜・・まあ・・この時代の軍服を描くのが好きなんですわ・・・私。
2010-02-08 16:57 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2010年01月18日(月)
修道士
 

 修道士カドフェルシリーズにハマったということを先日描いていましたが、修道院フリークなる人もおられるらしく、カドフェルといっしょに語られるマンガの「修道士ファルコ」(青池保子)なども、なかなかとお好きな方が多いようです。
 私のネタ本の一つにアシェット版「世界の生活史」があるのですが、中世で修道院といえば、その具体的な建物の配置や、農園などの復元イラストが中々、眺めていて楽しいのですね。勿論、カドフェルシリーズの、本文の前に載っている修道院の地図もしかりですが・・。
 で、まあ、ありきたりですが、やはりこういう絵を描いてみたいなあと・・修道士いろいろです。
 向かって左は、ドミニコ会修道士。勿論、あの薔薇の名前の異端審問間ベルナール・ギー殿のところですね。
 その次は、最も厳しい規律と清貧で知られる、フランチェスコ会の修道士。僧服も、布地粗そうで、なんだかゴワゴワしたイメージです。ドンゴロス・・みたいなね・・。小鳥や狼ともお話する聖人フランチェスコさんから始まります。この会では、靴をはかないで、真冬でも素足にサンダルですね。今は、靴下を履いてもいいそうですが・・。
 そして、シトー会。これは、「修道士ファルコ」でおなじみですね。あのマンガを読んでいると、これが修道士のイメージとして定着してしまいますが・・。
 そして、カドフェルベネディクト会修道士です。一番汚れの目立たない服装ですね。
 ちなみに映画「薔薇の名前」では、ベネディクト会の修道院にフランチェスコ会のウィリアム(ショーン・コネリー)が訪ねて行き、ここに異端審問間のドミニコ会のベルナール・ギーが来るという設定なので、坊さんばっかりで色合いは地味ですが楽しいですね(あ、ちょっとだけ、絢爛豪華な衣裳を着た枢機卿や、司教も現れます。宝石ちりばめたすごいカズラとか出てきて華やかですが・・)。
 ところで、ローマ教皇が白いカソックを着ているのは、16世紀に教皇になったピオ5世がドミニコ会だったので、即位後もそのままの服装をしていて、それが、習慣になったとか。
 あ! 無理やり4人つっこんだので、本日人名事典1600人を達成しました!
2010-01-18 16:00 | 記事へ | コメント(8) | トラックバック(0) |
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2009年12月14日(月)
斉藤道三
 

 ご存知マムシの道三こと斉藤道三です。
 この秋には、なにやら戦国関係の資料やら、展示を見る機会が多かったのですが、安土考古資料館で、安土城の発掘をテーマにした展示がありました。
 今年の秋は安土は、映画になったり、あるいは、町名変更などで、色々話題になったところですが、その展示だったか、大阪城の展示だったか、記憶が定かではありませんが、斉藤道三の肖像画が出ていたのですね。
 この時代の肖像画は、死後追善だとか、子孫が法事に描かせたりするものが多いので、古いの姿をもとにして同じパターンのを何枚も描くようなことがありますので、まあ、どれもこれも微妙に違って似通っているんですね。だんだん美化される・・ということもあるかもしれませんが、あまり特徴のないものが多いですね。
 ということなのですが、この斉藤道三さんの肖像画は、一度見たら忘れられないというか、笑ってしまうというか・・・特徴的なのは、もしゃっ・・とはやした鼻ヒゲ。そして小さくて人のよさそうなお目目。なんだか、笑える風貌です。いい人やったんやろうなあ・・なんて思えます。
 しかし、この人がいわゆる「いい人」であったとは、一概に言えないですが、「英雄」と言えばいえますね。海千山千の、坊さん崩れで油屋あがりの戦国大名。で、婿は、あの信長ですし・・。一族では跡目をめぐって、親子喧嘩もしていますし、結局それで滅んだという、まあローマのマクシミアヌスのような、枯れない懲りないオヤジです。
 でも、まあ、あまりに絵姿がプリティだったので、ちょっと落書きしてみました。
 ところで、アクセスカウンターなるものをつけて見ましたが、これって・・どうよ・・?ちゃんとカウントしているかどうかわかりません。ブログの記録からは過去1年分しかたどれないので、一応1年前からのアクセス数から始めてみましたが・・、まあ、あってもなくてもいいですが・・。
2009-12-14 16:44 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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2009年10月20日(火)
ジャック・オ・ランタン
 

 カボチャに目鼻(?)のハロウィンの飾り付けがやたらと目立つ昨今になってまいりました。
 あんなものは、以前は、さほど見なかったのですが、ここんところ、個人の家の玄関にまで、クリスマスのライトアップと同じくらい盛んになってきましたね。
 あのカボチャは、ジャック・オ・ランタンと言って、「提灯男」というほどの意味です。
 アイルランドやスコットランドの鬼火伝説です(あちらでは、男の名前はウィルですので、ウィル・オ・ウィプス)。
 日本風に言えば、成仏?できない幽霊が、墓場の辺りを彷徨っているんですね。つまり、「どこからともなく、なまあたたか〜い風が、す〜っとふいて、闇夜の墓場に、ぽっつ〜んと明かりが・・」というヤツです。そういうのをジャックのランタンだというのだそうです。
 ウィルでもジャックでもいいのですが、まあ、そのジャックが、生前悪いことをして、地獄行き間違いないので、天国の門を守る聖ペテロを騙して、生き返らせてもらう。よほど口先の上手い男だったのでしょう、生き返って、再び悪行三昧、そして、また死んだ。今度は、ペテロは頭にきていて「お前には天国にも地獄にも居場所はないぞ!」と追い出されるんですね。
 つまりは、あの世でも、此の世でもない、中有に(まあ、仏教ではないんで49日たっても何処にも行けない)彷徨うわけですが、死者なので暗い闇の中を、孤独にうろうろすることになる。それを見ていた悪魔が、あわれんで、煉獄の火(あるいは地獄の火)を石炭一つに移して、わけてあげる(う〜ん・・聖ペテロより悪魔が優しいのか・・・)。
 ジャックは、悪魔にもらった明かりを、そこら辺に落ちていた、ひからびたをくりぬいてその中に入れ、ランタンとして持って歩いている・・。だから、くら〜い夜に墓場のそばで、ぼ〜っと明かりが見えたら、それはジャックのランタンなんだそうです。
 それが、新大陸に渡った人々の間では、アメリカには蕪がなかったので、カボチャで代用したのが、今は世界的に広がったのだとか。
 ところで、ハロウィンは、全ての聖人の日である11月1日の前夜祭ということで、仮に死者が蘇ってくる日だということらしいのですが、なんとなく日本のお盆・・というほどには気楽ではない気がします。洗礼を受けずに死んでしまったので(霊界での)名前がなくて最後の審判まで彷徨わなければならない子供のオバケだとか、このジャックの話なども、ちょっと物悲しくて、私には、あまり楽しいとは思えないのですが・・・。 
 蕪のランタンを持つ幽霊・・の雰囲気で描いてみました。暗くてテンション下がりますかね?
2009-10-20 14:07 | 記事へ | コメント(4) | トラックバック(0) |
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2009年09月29日(火)
吹田村氏
 

 大阪府の吹田市は、千里ニュータウンとか千里万博とかに比べてもなんだかマイナーですね。「北摂マダム」なんて言葉も似合わんし。
 で、戦国時代にも吹田はマイナーでしたが、一応、吹田城なるお城があって、意外と歴史は古く建武年間(1334年頃)にも遡るらしい。しかし大永頃に、吹田氏の当主(15歳の美少年だったそうです)が討ち死にしてから本家は滅亡しましたが、文字通りの吹田氏最後の当主は吹田村氏(すいたむらうじ)です。
 そして、この吹田村氏の滅亡後、吹田城も滅んだようです(というのも、未だに城跡も発見されず、位置も諸説あって定かではないからですが)。
 では、吹田村氏は誰に滅ぼされたか・・。
 それは、もう知らぬ人とてない織田信長ですね。しかも京都の六条河原で、一族もろとも処刑されました。時に20歳。
 なんで、マイナーな吹田城主が、そんなに織田のシニョーレの怒りをかったのか・・。
 実は彼は、北摂大反逆者荒木村重の異母弟だったのです。吹田氏の女性を妻として入り婿していたのですが、荒木村重の反乱の時には有岡城(伊丹)に入ってて、責任者の村重がトンヅラしたあと、怒り心頭の信長に捕らえられたのですね。
 摂津一円に勢力を持っていた村重は、逃亡後も、尼崎花隈(神戸です)の城を次々と落とされ、結局毛利方に逃げ込んで生き延びたのですが、残された彼の一族や妻子、臣下たちは、女性も子供も殺しつくされました。
 この反乱は、苦悩するキリシタン高山右近や、オルガンティーノ、とらわれの軍師黒田官兵衛、そして石山本願寺・・興味深いネタが満載なのですね。
 それらの舞台となった北摂で、地元ネタとはいいながら、とても重要な戦国時代の様相を地域の博物館がやっておりますので。
2009-09-29 09:22 | 記事へ | コメント(7) | トラックバック(0) |
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ニックネーム:おばさんたち
都道府県:大阪・兵庫
本宅「座乱読ーザ・ランドック」に登場又は登場予定のお友達。絵は(F)の独断ですが、ジャンル別索引や検索などで好みの人物を探して下さい。リンクも見てね♪

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