2012年02月10日(金)
木梨軽皇子と軽大郎女
 

 今年は、古事記編纂1300年ということですが、まあ、私もしょうもない絵を描きましたけれど、なんか行事やってるんでしょうかねえ。寒いのでとても、奈良とか京都(ブルブル)方面には足がむきません。
 そこで?古事記の三大悲劇(誰が言ってるんだ?)の一つとしては、この木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)と同母姉妹の軽大郎女(かるのおおいらつめ)の物語を取り上げましょう。
 この二人は、允恭天皇の子供たちで、同腹の兄妹ながら、恋愛関係に陥ったとして、忌み嫌われ、軽皇子は、「太子」の地位にあったのに、位を剥奪されて、弟穴穂皇子と争い、敗れたということになっています。
 兄と関係を持ってしまった妹は、兄が流罪にされたのちに、配流地まで追いかけて行き、そこで二人で心中した・・という伝説が歌物語として残されています。
 しかし、また、妹のほうが先に流罪となり、後に兄は弟と争って敗れた・・というお話もあります(ちなみに、勝利した弟は、のちに、眉輪王に殺された安康天皇です)。
 どちらにしても「悲劇」ですが、結論としては、軽皇子が、父の後継者としてはじかれ、それを不満として弟と争い、敗れて死んだというのが大筋でしょうね。それに、妹との恋愛がからむ。
 一方、妹の軽大郎女の側からすれば、兄と関係した時点で・・つまり恋の始まりから、もうすべてを捨てていて、後がありません。兄が空しい?「敗者復活戦」としての反乱をする最後の手段がのこされていたとしても、彼女は、もし一説のように、斎宮のような祭祀女王の立場だとしたら、恋愛そのものがすでに資格喪失なのですから、並大抵の覚悟ではないような気がします。
 たとえ、兄が、ちょっと後悔したとしても、彼女には後悔なんてありませんから、熱意と覚悟は勝ったのではないか・・と。
2012-02-10 10:00 | 記事へ | コメント(0) |
| |
2012年01月15日(日)
カルロ・クリヴェッリ
 

 この画家は、イタリアルネッサンスを代表する特色ある画家の一人だと思うのですが、意外なことに、19世紀までその評価が定まっておらず、ただ単に、一地方の画家として埋もれていたようです。
 というのも、ルネサンスの芸術家とくれば、基本文献となっているようなジョルジョ・ヴァザーリの「画人伝」から漏れていた・・ということが最大の理由ではないでしょうか。
 ということからか、この人のことはあまり知られておらなかったのでしょうか。同時代人でも高く評価している人もいるかわりに、メジャーではないのは、あまり地域を離れなかったことと、やはりヴァザーリに取り上げられていないってことは不利なのかも。
 ヴェネツィア出身で、若いときに人妻を誘拐したということで、評判を落とし、放浪し、やがて、片田舎?のマルケに落ち着いて、ずっと地元の画家をしていた・・ということで、地味は地味なんですが、その特色ある画風はなかなか、一度目にしたら忘れられないようなものがあります。
 有名なのはマグダラのマリア。そう、あの目つきですね。その目線は、ちょっと人を見下すような傲慢な気配が漂う。髪が、蛇のように妖しくカールした髪型もすごいでしょう? この高慢そうな目の光は、ひと癖ある(娼婦あがり?)の聖女のみならず、清純なはずのカタリナや、聖母マリアにまであるのですね。
 鋭い・・というか、軽蔑を交えたようなスゴイ目は、男性像にもあり、真正面を見据える老ペテロの目はコワイ。そして、聖ゲオルギウスとして描かれる金髪の若者の上半身にもあります。
 そして、もう一つの特徴が、手! 繊細というにはあまりに鋭く長い指。若い女性も、年取った男性も、どちらにも、このっ特色ある手の指の表現はすごいです。
 画集がほしいところですが、かのモンス・デジデリオの画集を出しているピナコテーカ・トレヴィル・シリーズで、絶版になっていて、中古ではかなり高い! これも復刻してほしいところです。
 後、すぐ見ることのできるのなら、唯一といってもいいかもしれない本が「カルロ・クリヴェッリ―マルケに埋もれた祭壇画の詩人」(石井 曉子・講談社出版サービスセンター )ですが、物足りない・・。もっと大きな絵を見たい・・。
 ということで、復刻されればいいなあ・・。
 で、石井暁子氏が、その自画像ではないかと想像している聖ゲオルギウスの姿で、私風に描いてみましたが、目つきが傲慢なのではなく、やや自信なさげになりましたが、特徴的な指は・・・実は描けなかったんで割愛。

カルロ・クリヴェッリ画集 (ピナコテーカ・トレヴィル・シリーズ)
カルロ・クリヴェッリ―マルケに埋もれた祭壇画の詩人
2012-01-15 11:15 | 記事へ | コメント(4) |
| |
2012年01月12日(木)
コンドル
 
 ジョサイヤ・コンドルと言えば、明治のお雇い外国人建築家ですが、常に鹿鳴館とセットですね。
 勿論、鹿鳴館を設計したのですが、明治10年に来日し、いろいろ政府の仕事をしていましたし、財界人の邸宅なども手がけました。  工部大学校で教えていたので、教え子に、日本建築界の超大物辰野金吾や、片山東熊がいます。日本の洋風建築のはじまりは彼から・・とでもいえるかもしれません。
 そして、建築家は絵が描けなければいけないのは、ブラマンテや、ミケランジェロの昔から当然なのですが、コンドルも大いに絵心があり、日本に来て河鍋暁斎に弟子入りし、画業修業をしています。二人でスケッチ旅行をした様子などを暁斎が絵日記に描いているのです。すそはしょりをしたじいさん先生と、ホームズみたいにパイプをくわえた英国紳士の弟子の旅日記です。暁斎の暁の字をもらって暁英という画号までもっていたので、立派な日本画家だったんです。
 興味は絵だけにとどまらず、日本庭園や、生け花、舞踊、歌舞伎など芝居も好きで、見るだけではなくて自分まで衣装を着けて演じていた写真があります。相方は、花柳流の踊りの師匠前波くめ。コンドルが、踊りを習っていて、とうとう奥さんにしてしまった人です。
 大森貝塚でおなじみのモースが民俗学的な興味を日本に持っていたのですが、コンドルも日本の芸術に大いに関心があったようです。古典大好きだったフェノロサと違って、近代芸術が好きで、大いに日本情報を海外にも発信したそうです。
 和装のコンドル博士(写真では紋所がわからなかったので、花柳流の三つ桜の紋にしました)。背景は彼自身が描いた鷹の絵です。コンドルと鷹・・・・・・オリックス・バッファローズみたいなサマにならないダジャレですね。

ジョサイア・コンドル建築画報社
2012-01-12 09:46 | 記事へ | コメント(2) |
| |
2011年11月04日(金)
コスマスとダミアヌス
 

 コスマスとダミアヌスは、双子の聖人です。
 4世紀ころのシリアで活動していた医者で、無報酬で治療にあたったそうです。有名な話としては、足を切断してしまった白人に、死んだばかりの黒人の足を接続して、復活させた・・というので、絵もいくつか描かれていますよね。
 動物の病気も直したそうですから、人間の医者と獣医をかねていたのかも。アラビア人であったという説があるのは、アラビア医術が進んでいたからでしょうね。 
 ディオクレティアヌス帝の時代の大迫害にあって、殉教しましたが、火あぶりにされようとすると火が消え、石打ちの刑にしようとすると、石がよけて通るといった奇跡がおこり、結局、斬首されたそうです。フラ・アンジェリコの絵では、斬首された人の頭がころがる凄惨な刑場で、これからまさに引き出されようとする2人の姿が描かれています。
 フィレンツェのメディチ家の守護聖人であったので、メディチ家関連の絵画によく登場します。メディチの当主が、赤い長衣を着て帽子をかぶっているのは、この聖人に扮しているそうです。コジモという名前も、コスマスからとっているとか。
 ミケランジェロの彫像は、禿げ頭のおじいさんの双子。ビザンツ絵画は、かしこまった顔つきの中年医師。フラ・アンジェリコのは金髪の美少年風といろんなパターンがありますが、ボッティチェリの祭壇画に登場する青年の姿の双子の衣装で描いてみました。誰が見てもそっくりの双子!に描いてある絵と、微妙に違う二人を描き分けている絵がありますが、髪と肌色を少し変えてみましたが・・・。
2011-11-04 14:29 | 記事へ | コメント(5) |
| |
2011年11月01日(火)
黒衣の男
 

 ルネサンスシリーズ?、ヴェネツィアの画家、ヴィットーレ・カルパッチョの絵から。
 カルパッチョの絵といえば、不気味な死骸が散らばる荒野の「死せるキリスト」とか、やはり死骸がたくさんある(食い殺された)聖ゲオルギウスのドラゴン退治の絵が有名です。色彩や、絵柄にちょっと独特のものがあります。
 彼の作品で「聖ステファノの生涯」を描いた一連のものがありますが、そのステファノが最初に「助祭」に選ばれる場面で、その儀式を見ている人物群像の中で印象に残った黒衣の男です。
 階段の上あたりにペテロが立っていて、その前に跪いて受戒するステファノを、階段下から一生懸命見上げている人物です。衣装は当時のベネツィア風俗で(勿論、新約聖書の時代ではありません)、黒一色の短めの上着と、白いホーズ、黒い帽子に、黒革のブーツといういでたちが、なかなかにおしゃれじゃないです?
 ちなみに、カルパッチョというと、例のイタリアの刺身みたいな料理ですけれど、この人が、チーズをかけた生肉が好きだったから・・なんて説があるみたいですが、実は、割合最近にできた料理で、ヴェネツィアのレストランが、地元の画家カルパッチョの名前を付けたとかいうお話もあり、本当のところはどうなんでしょうね。
2011-11-01 15:15 | 記事へ | コメント(4) |
| |
2011年09月25日(日)
ギルランダイオ
 

 ドメニコ・ギルランダイオ、本名はドメニコ・ビゴルディ。
 ギルランダイオというのは、父親が金細工師であったので、「環の髪飾り」ギルランダイオと呼ばれたあだ名です。
 日本語に訳して「花飾りのドメニコ」なんて言われているので、私のイージーな思い付きとして、ああ! 必殺シリーズの「飾り職人の秀」だ!・・ということで、こんなイメージになりました。本人は、もう少し髪が長いのですが、絵筆をくわえた「飾り職人」。イタリアには、びらびら簪ないからなあ・・・。
 だって、あのとき三田村邦彦は、まるでバテレンのシャツ・・みたいなのを着ていたでしょう? ギルダンダイオの自画像に、色は違うけど、あれにそっくりで、右側にボタンが並んでいるのがあったんですよね。ですが、あえて、衣装はあれではなくて、「若い男の肖像」という印象的なギルランダイオ作の肖像画の伊達男の服装にしてみました。
 黒い上着の裏側が黄色で、その襟を折り返して下に着た赤い服をさりげなく見せる。色彩が面白いでしょう?
 で、ギルランダイオは、ルネッサンスの画家ですが、フィレンツェで生まれ、ほとんど離れず、聖画の登場人物も、依頼人や一族の人々のそっくりな顔で、絵の背景となる風景もフィレンツェ。つまりは、地元のご近所絵師で一生を送った人です。
 一度だけ、遠出をしたのは、バチカンの依頼でシスティーナ礼拝堂の壁画を描きに出かけた時です。システィーナ礼拝堂は、ミケランジェロの(当時としては)ぶっとんだ天井画ばかりが有名ですが、周りの壁には、ボッティチェリやペルジーノたちとともに、ギルランダイオも壁画を描いています。
 彼の絵に、絢爛豪華な宝石入りの帽子や、ネックレス、豪華な宝石入りの襟飾りなどが丁寧に描かれているのを見ると、やはり、飾り職人の家の子かなあ・・なんて思いません? 背景に張り付けた「三博士の礼拝」に登場の三人のおじさんたちは、特に豪華な宝飾品を身に着けています。 
2011-09-25 11:01 | 記事へ | コメント(4) |
| |
2011年08月02日(火)
蝦蟇仙人

 児雷也が、蝦蟇の術を使う忍者で、巨大蝦蟇の上に載っていたり、変身したりするなら、同じく蝦蟇の上に乗ったり、蝦蟇をつれていたりする仙人が蝦蟇仙人です。
 蝦蟇仙人のモデルはいくつかあるそうですが、おめでたい図像として登場する蝦蟇仙人は、劉海です。歴史上の人物としては、海蟾子という号を持つ劉玄英という人です。16歳で科挙に合格し位人臣を極めた秀才でしたが、ある時、道端で道士が、穴あき一文銭の上に卵を積み上げているのを見て、思わず「危ない!」と叫ぶと、「あなたの地位もこの卵のようなものさ」と言われ、はたと悟って出家し、仙人修業をした人物です。
 曽我蕭白が描く蝦蟇仙人は、さんばら髪の不気味なおっさんで、真っ白の蝦蟇をおんぶしながら、若い女性に耳かきをしてもらって、けけけと嬉しがっているというとんでもない絵です。外の画家でもだいたいは襤褸をまとったおじさんに描かれます。まあ、世を捨てたのが50歳ですから。
 しかし、中国の新年の縁起物に描かれる蝦蟇仙人は、少年の姿で、蝦蟇にのっていたり、蝦蟇と遊んでいたりする姿で、むしろかわいらしい。
 中国物産店などに売っている、お金をくわえたカエルの置物が、この劉海蟾がつれている蝦蟇で、お金を食って集めて帰って来て、頭をなでてやると、お金を吐き出すそうです(う〜ん・・・外で働いてお金を稼いでいる亭主族みたい?)。しかし、このカエルは昼間は外を向けて飾り、夜は家を向けて、頭を撫でてよしよしすると、家にお金がたまるそうですが、ほったらかしにしていると、家のお金をどんどん食って外に吐き出すという危険もあるそうです(これは、外で散財するってことですかね)。
 ということで、くれぐれも亭主の、いえいえ蝦蟇の扱いには気をつけましょう。この蝦蟇仙人の年画は、無駄なお金を使わない・・という意味もあるという人もいるそうなので、節約のお守りかもしれません。
2011-08-02 14:50 | 記事へ | コメント(4) |
| |
2011年07月06日(水)
五世尾上菊五郎

 「明治キワモノ歌舞伎ー空飛ぶ五代目菊五郎」(矢内賢二・白水社)を読みまして、その大胆にして、新鮮な明治の歌舞伎「現代劇」が大層面白かったんですね。
 とくに、サーカス団の出し物や、気球パフォーマンスなどほんまにすごいキワモノ(際物)をやってたんやなあって、大感動!
 明治19年に日本にやってきたイタリア人チャリネ率いる「チャリネ大曲馬団」が話題になると、歌舞伎もいち早く「鳴響茶利音曲馬(なりひびくちゃりねのきょくば)」を舞台にあげ、菊五郎は、なんと、チェリネ、象使いアバデー、一本足の曲芸師ハーバーの一人三役!写真がのこっているのですが、そんなものでは、きっと舞台の面白さはちっとも伝わらないかも。むしろ錦絵のほうが雰囲気がでているかもしれませんねえ。
 そして、極めつけは風船乗りのスペンサー
 明治23年に、イギリス人のパーシバル・スペンサーが来日。横浜で、気球に乗って空高く上昇し、パラシュートで降りてくるという、当時の日本人にとっては前代未聞の大スペッタクルな見世物興行をしました。あまりの人気ぶりに、とうとう皇居で天覧「飛行」をやり、このとき、緊張のあまりか、スペンサー氏パラシュートの着地に失敗してお堀に落っこちるというハプニングつき。天皇皇后は、ちっとも気にしないよと寛大なお言葉。
 この面白いパフォーマンスを見逃す手はないと、早速歌舞伎に仕立て、その名も「風船乗評判高閣(ふうせんのりうわさのたかどの)」。洋服姿もきりっとして、舞台中央で、一礼して山高帽から鳥打帽にかえて、いよいよ風船のりです。宙乗りはアクション歌舞伎のお家芸ですから、ずんずんと舞台の上を上がり、さっと書割が青空になるとスペンサー氏ははるか上空で小さくなんている。これは、子役に菊五郎と同じ扮装をさせて、うんと高いところにつるしていたそうです。
 そして、地上におりたったあとは、颯爽と登場し(お堀には落ちません)「れでぃすあんどじぇんとるまん あいはぶびーんなっぷ あとりすと すりーさうざんど ふぃーと」と、外国人そっくりの仕草で演説したそうです。
 風船のり、あるいはパラシュートで降りてくる姿は、錦絵があるので、写真にある鳥打帽をかぶろうと挨拶するスタイルで。英国人になりきっている五代目です。
明治キワモノ歌舞伎 空飛ぶ五代目菊五郎
2011-07-06 11:58 | 記事へ | コメント(0) |
| |
2011年03月09日(水)
グーテンホーフ光子
 

 この人について語り出される時には、香水の「ミツコ」から始まる事が多いようですが、明治の大社交場「紅葉館」つながりでこの方を出します。
 彼女、青山ミツもかつて「紅葉館」に勤めに出ていた「コンパニオン」の一人でした。ということは、美人で礼儀正しく、政府高官や外国人の賓客などに物怖じしない、当時としては職業婦人としての教育を受けていた人なのですね。
 紅葉館の勤務はやめていたミツさんですが、ある冬の寒い日、凍結した道路で交通事故を起こし(といっても、勿論、車ではありません。乗っていた馬がスリップして転倒したのです)、怪我をしたガイジンさんを助けます。その後も、手厚く看病したことが縁となり、大恋愛に発展。結婚の約束をするという少女漫画のような展開。
 この時助けたハインリッヒ・グーデンホーフは、オーストリアの貴族で外交官。お堅い明治の日本人にとって、異国の外交官の妻になるということは、現地妻、いわば異人の妾ということで、軽蔑されていたので、当然親は猛反対。ミツは勘当されますが、ハインリッヒは、正式に彼女を妻に迎え(日本の国際結婚の第一号だとか)、多大な結納金を払ったそうです。
 夫の側にも西洋人仲間から非難が寄せられました。オーストリア貴族で伯爵家の人物が、東洋の小国の平民の娘と正式結婚とはあきれる、というものだったのでしょう。彼は「妻を西洋婦人と同等に扱わないものには決闘を挑む」と宣言する。
 しかし「紅葉館」という日本を代表する社交場に勤務していた彼女は、外交官社会でも堂々としていて、好感を持たれ、夫が帰国する際、宮中参賀の儀式に夫妻で招かれ、皇后からお言葉を賜ったそうです。
 ですが、本国に子供たち共々、夫婦が帰国した後は、なかなかに厳しい現状が待っていました。ハインリッヒは、広大な所領を有する伯爵家の当主で、お城に住んでいるという、まさしく御伽噺の王子様(と言っても、当時の日本人には、まだこんな西洋の昔話はピンとこなかったでしょう)。一族の者は、この東洋人の嫁を伯爵夫人として尊敬などしないで、いわゆる鬼千匹。
 そこで彼女は、自分に家庭教師をつけて猛勉強をはじめます。算術、読み書き、ドイツ語、フランス語、歴史、地理の学問から、西洋式の立ち居振る舞い、マナーなどを学んだそうです。なにしろ、伯爵夫人ともなると、日本の宮中どころか、オーストリア・ハンガリー帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ(あのエリザベートの旦那さん!)にも御目もじしなければならないのですから。
 日本で生まれた2人の男の子についで、更に5人の子供に恵まれますが、彼女が32歳の時、夫が急死。異国の地で、たった一人で子供たちを守らなければならなくなります。夫の遺言書には、財産の所管理、子供たちの後見を全て妻に任せるとありましたが、一族からは、待ってましたとばかりに猛烈な反発が始まり、裁判沙汰にまでなりました。
 このことで、更に、彼女は法律や経営なども勉強し、勝ち取った所領を、自らの手で運営管理をも行いました。まさしく試練が彼女を更に強くしたのでしょうね。
 夫の死後、あまりにも子供たちを厳しく育てた故に、親子の仲はよくなかったようですが、子供たちはそれぞれに個性的な人物として育ったようです。
 往年の名画「カサブランカ」に登場するイングリッド・バーグマンの恋人、反ナチス運動の闘士のモデルは、彼女の息子のグーデンホーフ・カレルギーだそうです。
 ロンスペルク城に今も残る肖像画は、和服を着ていますが、洋装の写真から。色はわかりませんので、想像です。
2011-03-09 10:01 | 記事へ | コメント(6) |
| |
2011年03月04日(金)
紅葉館の女性
 

 東京スカイツリーが、ついに世界最高になって、いまや東京の最も有名なスポットとなりました。
 そのスカイツリーの兄貴格にあたる東京タワーは、長い間、東京のシンボルとされました。
 その東京タワーのあるという場所は、紅葉の名所で、明治14年に建てられた、日本で最初の社交場「紅葉館」という料亭があったところです。教科書にも載っている「鹿鳴館」は明治16年にお目見えしているので、紅葉館の方が「姉さん」です。洋風の派手な「妹」は、その有名度に反して、もてはやされた時期はわずか7年ですが、純和風のしっとりとした「姉」のほうは、明治大正昭和と三代に渡って、高級社交場としての地位を保っていました。
 外国人からはメープル・クラブと呼ばれて、海外貴顕の紳士・淑女にも評判だったとか。
 日本最高の料亭を目指したたため、お客は政府高官や、名士ぞろいなので、給仕・接待をする女性たちは、よりすぐりの美女を集め、住み込みで、きびしく教育をしたそうです。宴会の席で歌舞なども披露したので、毎日、礼儀作法ならびに、歌や踊りの稽古をしていたのですが、料亭なので、遊女のような接待はしません。
 礼儀作法、立ち居振る舞いなどが洗練された、若い美女が大勢いるのですから、男にとっては、憧れの対象で、多くの恋愛もあったようです。
 有名なところは、尾崎紅葉(東京芝の生まれだった彼のペンネームも、この地の名物、紅葉からとっています)の「金色夜叉」のお宮さんのモデルといわれる大橋須磨子
 須磨子さん(熱海ではなくて須磨なのね・・)も、ここの給仕で、文人の巌谷小波がぞっこん惚れこんだ。言い寄る小波に、須磨子さんも、まんざらじゃない感じ。ところが、金持ちの大橋新太郎が現れると、須磨子さんはそっちになびいてしまった。これを聞いて怒ったのは、小波の友人尾崎紅葉で、紅葉館の廊下で、須磨子さんを蹴飛ばした。蹴ったのは小波本人という説もあります。これをヒントに「金色夜叉」を書いたといわれてますが、そうなら蹴ったのは小波でしょうね。自分が蹴っといて小説にするかなあ?
 須磨子さんが、大橋新太郎と結婚して紅葉館を寿退社した時は17歳だったそうです。
 それから、元祖美人アイドルともいうべきお絹
 子供の頃に親を亡くした彼女は、京は先斗町の舞の師匠に踊りを仕込まれ、舞妓になろうとしたところ、紅葉館の幹事が見つけて、上京します。格別美人だったので、大臣や画家などからひいきにされ、大阪博覧会に彼女の絵姿が出品されたとか。
 彼女に惚れて紅葉館に通い詰めた文人の知り合いに、川上音二郎がおり、お絹の華やかな美しさを認めて、女優になれと口説き落とし、明治座で、川上貞奴と二人で踊ったそうですが、「紅葉館のお絹」が目当ての客で連日大入り満員。しかし、過酷な人気女優生活で身体をこわし、大阪公演の折、舞台で倒れてしまいます。天下茶屋で2年もの病臥の後、ひっそりと死んだそうです。
 そのほか、お鹿という女性が振った、ジョージ・モルガンは、傷心を抱いて京都に行き、そこでお雪という芸妓を妻に迎えたそうです。
 紅葉館では、「紅葉踊り」というのがあり、紅葉の柄の着物を着て、手に紅葉の枝を持って踊りました。その紅葉踊りの女性を描いてみましたが、写真も残っているのですが、残念ながら色がわからないので、適当な色づけです。
2011-03-04 13:56 | 記事へ | コメント(4) |
| |
2011年01月07日(金)
カマル・ウッザマーン王子
 

 久々にアラビアンナイトの物語です。
え? 洋風なの?と言われそうですが、そ〜なんです。
 明治二十年の年始芝居に、「アリババと40人の盗賊」が翻訳された時、挿絵は「異国風」ということなのか、男はフロックコート、女は鹿鳴館衣裳にベールという「文明開化」な柄取り合わせのだったのです。
 西洋ではジャポニズムとアラビアンナイトが合体して、有名な「アラジンのランプ」のウォルター・クレインの挿絵が、花魁と武士みたいなのと比べると面白いですね。
 ということで、私も「年始芝居」として、「カマル・ウッザーンとブドゥール姫」を、「洋風」で描いてみました。
 この物語は、遠い国の魔法使い同士が、お互いの国の姫と王子のどちらが美しいかという争いをします。そして、二人が眠っている間に魔法で遠く運ばれて、同じベッドに並べられるというところから物語が始まります。
 絵に描かれるのは、大抵、この眠れる王子の側に、眠れる姫が運ばれてくるところで、羽を生やした使い魔の姿もなかなか「絵心」をそそるのですが、今回は、二人が結ばれてからのお話。
 カマル・ウッザマーン王子とブドゥール姫は目出度く結婚しますが、故国の両親に報告に戻る旅の途中、二人ははぐれてしまい、王子は商人に姿をやつして、財宝を持って旅をしますが、「黒い都」で、この国の王子(国王の娘婿)に捕らえられます。
 そしてその黒い都の「王子」は、「そなた、わが臥所に侍るのじゃ」とのたまう。
 カマル・ウッザマーンは、驚きあわて、そ・・そんなことは経験がありません・・いや、私には妻が・・とか、しどろもどろ言い訳しますが、「王子」の婿は、彼が気に入ったようで、そなたは、何も心配せんでよい。私に任せれば全てよいようにしてやるといって、強引に寝室に連れ込まれるのです。
 実は、物語の展開上、「黒い都の王子」は、夫とはぐれたブドゥール姫その人で、男装して旅をしていて、この国のお姫様に見初められて婿入りしていたのです。
 で、この後の展開は、「一体どうなるんだろう」と恐れおののいていたカマル・ウッザマーンが、ベッドで真実を知り、喜びの再会となるのです。
 その翌日・・ここがアラビアンナイトなのですが、真実を二人から告白された黒い都の王様は、太っ腹で「ヨッシャ、それなら、姫をカマル・ウッザマーンの第二夫人にして、3人仲良く暮らせ」となったのです。姫君はそれでよかったのか・というと、よかったらしい。だって、姫はブドゥール姫にホレちゃってたので、「女」だってことを隠していたのですから。「お姉さまがよければ、私はいいわ」ってとこでしょうか。まるで十三妹のようじゃあありません?
 「王子」に言い寄られて、困るカマル・ウッザマーンを、西洋の19世紀風で・・・。
2011-01-07 15:34 | 記事へ | コメント(2) |
| |
2010年12月19日(日)
古式サッカーの競技者
 

 フィレンツェの古式サッカー(カルト・ストーリコ・フィオレンテーノ)については、サッカーの起源である(別の説もあり)とも言われているようですが、足しか使わないサッカーとは別物で、手も足も勿論、体当たり、飛びつきなんでもありの激しい競技で、ボールを介しての集団レスリングみたいな感じかなあ。
 セレモニーでは優雅な中世の衣裳を着ています。もともと、兵士たちの訓練のための競技だったみたいで、そういえば、この衣裳(ズボンだけですが)バチカンの衛兵にも似ていますよね。競技がはじまると上半身裸になるみたいです。
 チームは赤・白・緑・青の4組で争われます。この色合いを見れば思い出すのは、勿論あれですね。古代ローマの戦車競争! これまた各サポーターというかファンというか、応援する連中の激しさも相当なもので、この古式サッカーもかなり激しいものだそうで、場外乱闘などがすごいので、最近も中止されたりしたそうです。
 この競技をモデルにしたのであろうかと思われるのが、「裸のローマ帝国2000と2分の一前」に登場していました。コロッセオのような競技場で試合をしていた。この映画は、レスリー・ニールセンの「裸シリーズ」ですが、イタリアで撮影し、イタリアのコメディ俳優が主人公で、パロディは、かなり本格的なローマものに仕上がっています。
 今年の11月28日に、レスリー・ニールセン亡くなりましたね。大いに楽しませてくれたおちゃめなおじいさんだった・・。けっこう好きだったんですよね。少々下品ですが・・。(「吸血鬼ドラキュラ」はパロディの名作だと思います)和風に、ご冥福をお祈り申し上げます。 
2010-12-19 13:23 | 記事へ | コメント(2) |
| |
2010年12月05日(日)
カルロ・ボッロメーオ
 

 貴族の出身で、ピウス4世の甥にして、枢機卿、ついでミラノ大司教という高位の聖職者であったカルロ・ボッロメーオは、死後に聖人に列せられました。
 というのも、ミラノでペストが猛威を振るった折に、貴族や金持ちなどが、こぞって罹患を避けて、ミラノを離れてしまった時に、疫病が蔓延するミラノの市中に出て、私財を投げ打って、救援にあたり、自ら先頭にたって患者の救済や、死者の埋葬などに走り回りました。病気の拡大の防止のために外出を禁じられ、聖堂に行けない人々のために、十字架を持って祈りに出かける坊さん、いわば教会の出前のような組織まで作ったそうです。
 この人が、キリストの物語の擬似体験の場を作ろうとしていたのが、サクロモンテです。
 折から、北の方で起こった宗教改革の嵐に、ミラノという地は、ある意味、カトリック信仰の前線であったのでしょう。そのためにも、より分かりやすく、より迫力をもって布教しなければいけなかったので、立体壁画による聖地の再現、キリストの生涯の再現というものが生まれました。サクロモンテはこちらにも少し書きました。
 そして大司教さま自らが、このド迫力の3D再現ドラマに、大層ハマってしまったのですね。たびたび、ヴァラッロのサクロモンテを訪れて泊り込み、夜に、たった一人でランタンを持って、礼拝堂を訪ね、黙想に浸っていたそうです。そして、彼がなくなる直前も、サクロモンテに籠もっていたので、この場所で、天使から死期を告げられたという伝説まで生まれました。
 「ヴァラッロのサクロ・モンテ―北イタリアの巡礼地の生成と変貌」(大野陽子・三元社)を読みまして、まあ、このペストの聖人と、劇場型擬似聖地との関連を知りました。今でこそ色合いが剥落したり、植えつけられた人毛が抜けたりしていたんでいるのですが、製作当初に、暗いランタンや蝋燭で、これらの塑像を見たならば、かなり迫力があったのだろうなと思います。
 夜道をたどるボッロメーオ大司教です。
 ちなみに、ローマで、ボッロミーニが建設して、ベルニーニがけなしたとかいうサン・カルロ・アッレ・クァットロ・フォンターネ教会は、サンカルロつまり、この大司教に捧げられていますし、ボッロミーニという名前もこの方からきています。
2010-12-05 14:22 | 記事へ | コメント(2) |
| |
2010年12月02日(木)
グリーンマン(葉人間)
 

 ロマネスク時代に現れ、ゴシックの大聖堂にも、柱頭に人間の顔がならんでいるのがあります。ケルト的色彩の強いもので、かつての首狩による人頭崇拝の変化したものだ・・という、いささか無気味な説があります。
 それらの「首飾り」のなかで、グリーンマン(葉人間)と言われる、顔から葉っぱが生えたのがいます。色々な形態があるようで、造形が面白いので、それらを集大成した本もあるほどですが、ケルトの森の神ケルヌーノスが、ローマ神話のシルヴァヌスと習合して出来たものであると言われています。
 本来は、森の動物を手に持つ、狩猟の神にして森の女神アルテミスのような姿であったそうですが、口から葉が出たり、髭や髪が葉っぱのようであったりしたのが、顔中葉っぱだらけのスタイルになりかわったみたいですね。
 自然破壊が進む昨今・・森の神はいかに思うのでしょうね。
 フランスのゴシックのオーセール大聖堂のグリーンマンの写真が、なにやら物悲しげだったので、ちょっと目玉を入れてみました。あ・・もとのは柱頭装飾なので、「首」だけですし、色もありませんが・・。
2010-12-02 10:27 | 記事へ | コメント(0) |
| |
2010年11月30日(火)
黒い聖母
 

 先日、古本屋あさりをしていて、美術書や、美術系のムックのような大判の本が沢山安売りしていたので、買った本の中に、「黒い聖母」の特集がありました。
 フランスの山岳地帯を中心に、あちこちに「黒い聖母」があるのは有名で、あえて、聖母が黒い顔をしているので、エジプトの女神イシスの伝播したものだという説があります。
 もともと、偶像を持っていなかったキリスト教が、イシスがホルスを抱く神像をもとに、赤ん坊のキリストを抱いた聖母子像画できたと言う話も聞きますよね。
 そのようなキリスト教の図像学に首をつっこむと大変なことになるのですが、「黒い聖母」が黒いのは、日本の古い仏様の如く長い間のお線香や、蝋燭のすすが顔についてしまって真っ黒けになっているだけだという説まであって、どうもわけわかりません。
 ですが、山奥の教会は、素朴な大地信仰を引き継いで、大地の豊穣の女神をマリアさまにした・・というあたりが、多神教の日本人としてはわかりやすいのですが・・。山にいる大母神だと「山の神」かも・・。
 フランスのオーベルニュ地方、ル・ピュイの聖母は、十字軍に行った、かの聖王ルイがエジプトから持ってかえって来たという、これまたいかにもな「由緒」があったのですが、フランス革命の折、革命派が「教会権力の象徴マリア像」を広場で、焼いてしまったそうです。
 現在は復元された像が祀られていますが、いかにも異国風な顔立ちをしている気がします。ル・ピュイの聖母風に・・。
2010-11-30 14:27 | 記事へ | コメント(4) |
| |
2010年11月06日(土)
花下遊楽の女主
 

 「日本の国宝、最初はこんな色だった」(小林泰三・光文社新書)を、ぱらぱらと見ていて、桃山から江戸初期の風俗を描いた「花下遊楽図屏風」の復元の章がありました。
 この時代の風俗図は、なかなかに面白いのですが、現在は白黒写真しか残っていない、欠落部分の絵の復元ということで、なかなか面白かった。
 全体の構図から見ても、この六面二双の屏風の女主人ではないかと思われる、存在感のある女性像がなくなっているのですね。これをデジタル復元しようという試みです。
 この屏風は、踊り子のしぐさのほうがよく紹介されるのですが、画面左端の八角堂のような建物の縁に座っている少年が、身分のある子供で、秀頼ではないかという説があるのだそうです。ということは、この失われた右双の女主は、淀殿でしょうか。そう思えば、ものすごく存在感があるような気がして楽しいですね。
 かりにそうだとすると、年齢的には、「息子」を何歳くらいと見るかによって違いますが、かなり子供っぽいようなので、十代とすれば(有名な醍醐の花見の時は8歳だった)、母の淀殿は30代半ばの女ざかり・・ということでしょうか。
 小林泰三氏の考証によれば、「黒紅」という色のうち掛けは藤の花紋様。下の着物は銀地に白の紋様だということです。かなり襟元をゆったりとさせ、衿もとから下着の衿を引っ張り出して見せ、更に内着の衿をやわらかくくつろげる、崩したような着方で、こういうのが、流行っていたのでしょう。髪型も、前髪をたっぷり、まるで、かむろの切り髪のように大胆に切り、肩に散らしています。江戸時代の遊女の絵に見られるような、流行最先端の思い切った髪ではないでしょうか。淀殿の肖像画の真面目?な髪型とはかなり違いますね。
 余裕の姿勢で座り、杯をかるく持ったところは、かなりきこしめしていらっしゃるのかも・・と思って、その雰囲気で私風に。
2010-11-06 12:20 | 記事へ | コメント(0) |
| |
2010年11月02日(火)
五節の舞姫
 

 平安王朝の女性が、十二単で舞うというので、なにやら雅で華麗なイメージです。そもそもは、天武天皇の時代に天女が舞い降りたということがその起こりだという伝説がありますが、かの考謙女帝も若い時に舞ったとか。
 大嘗祭新嘗祭の豊明の節会で舞われたのですが、天皇がじきじきにリハーサルからごらんになるというので、一族から舞姫を出すとなると大騒ぎで、年々その支度が贅沢になったので、しばしば華美なものは禁止されたようです。
 それでも、宮中の若い公達などには、今年の舞姫はどうだろうという期待はあったのでしょうね。僧正遍照が、美しい舞姫を、故事通り、天女にたとえて歌を詠んでいます。
 源氏物語では、源氏が、惟光の娘を舞姫にして出しています。
 髪を唐風に結い上げて、ひれをつける姿で舞います。
2010-11-02 20:41 | 記事へ | コメント(0) |
| |
2010年10月13日(水)
カンバーランド公爵
 

 ボニー・チャーリーを出したら、彼のライバル(それも、徹底的に負かされたほうの)カンバーランド公を出さねば・・と思っておりまして、画像を探したところ、おっさん年齢になってからの(といっても30代ですが・・)ややふっとい肖像画しかありませんでした。
 カンバーランド公ウィリアム・オーガスタスは、スチュワート家を追い出した後のハノーヴァー朝のジョージ2世の3男で、ボニーの反乱を殲滅した頃は、いまだ25歳の若々しい将であったと思われますが、まあ、若い時から肥満していた・・ということも考えられるかも。
「屠殺屋」のあだ名を奉られるほどエグイ戦いをしたそうですが、小さな軍を率いて闘うと勝ち、大軍を率いると負けたそうです。
 それは、どちらかというと、自ら剣をふりまわして、おらおらおら〜っ!と攻める時に才能を発揮する、肉体派のタイプなんでしょうね。
 高いところから眺めて、アレがこうきたら、これがこうなるというような戦略を駆使する頭脳派ではなかったようで、マッチョだったかも。最初海軍に入ったけれど、むいておらず、陸軍に転身したというのは、やはり走り回るほうが、性に合っていたのでしょう。
 しかし、反乱鎮圧後、あまりかんばしい戦果を上げられず、やがて馬に熱中し、サラブレッドを産んだとされる名馬ヘロド(ヘドロではありません。ヘロデ王の名にちなむ文字通りキングヘロドと呼ばれていた名馬です)を作ったとして名を残しています。
2010-10-13 10:50 | 記事へ | コメント(2) |
| |
2010年07月24日(土)
行水する女
 

 繰言になりますが、ほんまに暑いですね〜・・。
 昨日のよもぎさまのコメントで、「涼を呼ぶ絵」なるものを考えたのですが、頭の回転が悪く、涼しげな絵柄が浮かばなかったので、イージーに行水する女・・・。いかにも短絡的ですね。
 で、一ひねり・・ということで、ここで一句・・と言っても私ではありません。高浜虚子です。

  行水の女にほれる烏かな

 明治の頃の女性は、やはり髪は烏の濡羽色とかいって、漆黒の美しさを愛でたものですから、「まあ、あなたの羽は、さすがに黒くて綺麗だわね〜」なんていわれて、かあ〜っとテレている烏君・・です。
 たらいで行水・・江戸時代の浮世絵などには、しばしば庭先で行水する女性の絵などがありますが、私も子供の頃は、湯を沸かして水でぬるめて、丁度良い温度にしてもらって、ホンモノの盥つまり木と竹で出来た盥で行水したものです。風呂は五右衛門風呂で、シャワーなんぞという小粋なものはありませんでしたし。盥も、すぐに金盥や、プラスチックになり、洗濯機が普及してからは、それも絶滅しましたが・・。
2010-07-24 16:26 | 記事へ | コメント(9) | トラックバック(0) |
| |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/randokku/trackback/1566/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2010年07月23日(金)
加賀の千代女
 

 酷暑!お見舞い申し上げます
なんとも暑い日が続いておりますが、体調管理などお気をつけ下さいまし。今年は、あちこちで、観測史上最高が続き、このまま気温が上がり続けると、一体どうなってしまうのか不安な日々です。
 で・・というわけでもないのですが、さわやかな夏・・と言うことになれば、朝顔かなと。

  あさがおに 釣瓶とられて、もらい水

 加賀の千代女といえば、これしか思いつかない私でございました・・。
 こんなのもあります。

  口紅粉を わすれてすずし 清水かげ

 あまりの暑さに、化粧する気もしないんですけれど、日焼け対策はしておかないといけない昨今ですが・・。
 千代女の生きていた時代は元禄なので、こんな江戸末期風の髪型や、風俗ではなかったんでしょうが、まあイメージとして・・。朝顔の句は30代の作品だそうですので・・。
2010-07-23 15:32 | 記事へ | コメント(3) | トラックバック(0) |
| |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/randokku/trackback/1565/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2010年07月03日(土)
闘うカプチーノ
 

 カプチーノというのは、カプチン派の僧のことで、彼らが被っているカプッチョ(帽子です。ダジャレじゃありません。土佐弁で言えば「かぶっちょるカプッチョ」ですが)に由来する呼び名なのですが、すぐイメ−ジするのが、彼らの名前が由来のコーヒーですね。はげたようなこげ茶色の僧服が、ミルク入りコーヒーを思わせるのだそうですが、実物は、もっと濃い色の服を着ていたような気がします。
 さて、フランシスコ会の一派のカプチン会ですが、成立は16世紀初頭ですから、実際にコーヒーがヨーロッパで一般的になるよりは100年近くも前からあったのは事実です。
 ちなみに、コーヒーが西欧世界で広まるために、ローマでちょっとしたイベントがありました。もともとアラブ世界から来た飲み物ですので、「イスラム教徒」?かもしれないので、時のローマ教皇が洗礼!をして、晴れてキリスト教に改宗し、安心して広まっていったとか・・。なんだか大層ですね。
 で、「闘うカプチーノ」ですが、これは、本来宗教家らしくないスタイルで、鉄砲をかついで剣を帯びた姿は、誰と戦うのか。
 ユグノー戦争と呼ばれる新教、旧教の対立がおこったフランスで、ギーズ公アンリが後ろ盾となって作ったカトリック同盟(旧教同盟とも訳されます)の僧侶達が、パリでデモンストレーションをしました。その様子を描いた絵画の中に登場する人物です。
 一応十字架をもっているけれど、武装しているのみならず、修行が厳しいはずのカプチン修道会の僧にしては、なんだか肥満して、美食してそうだし、年中素足にサンダルしかはかないはずなのに、靴をはいているし、なんだか面白いじゃないですか?(まさか力士の変装?・・・) 腰からは鉄砲装備の火薬入れや火縄とおぼしきものまで下げているれっきとした鉄砲隊のいでたちです。
2010-07-03 15:18 | 記事へ | コメント(6) | トラックバック(0) |
| |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/randokku/trackback/1558/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2010年06月16日(水)
観阿弥
 

 能の大成者が世阿弥だとすれば、創始者といってもよいのが、父親の観阿弥です。
 芸能好きの足利義満に親子で認められたところから、中央で羽振りをきかし、人気芸能人として「一流」になったのですが、著作を残している世阿弥と違って、自身の書いた文献がないので伝説につつまれています。
 出身は伊賀であり、父は服部氏、母は楠木正成の姉にあたる・・とか。まあ・・なんとはなく伊賀の山中で謎めいていて、こういうのもいいかも。伊賀の服部といえば、服部半蔵が思い出され、則忍者。また楠木正成といえば、もうなんだか神算鬼謀の軍師。
 その子孫が芸能人として、都の将軍に取り入り・・で、まあ、役者がスパイ・・なんて面白すぎるので、ドラマにしたい人は一杯いるでしょうね。
 そんなのは、まあおいといて、観阿弥の作とされるのが「自然居士」ですが、もともと遊興芸能づくしのような、実在の円熟芸人自然居士を、思い切って少年に設定してしまい、若いアイドルによるバラエティショーみたいにしたのが観阿弥。
 しかもその少年役を、すでに40すぎた観阿弥が自ら演じて、16、7才に見えたということですから、二重にも三重にもすごい舞台人ですね。大柄だったのに、女性をやると、可憐に見えたともいわれています。
 ということで、役に没頭しようとする観阿弥。40歳なのに、17歳になりつつあるところ・・・?のつもりです。 
2010-06-16 10:08 | 記事へ | コメント(3) | トラックバック(0) |
| |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/randokku/trackback/1554/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2010年06月15日(火)
キルヒャー
 

 「遅れてきたルネッサンス人」と言われるのがアタナシウス・キルヒャーです。
 しかし、彼こそ万能の天才。彼の肩書きを何とすればいいのでしょう。科学者、天文学者、地理学者、考古学者、発明家、そういったジャンル別の範疇に治まらないのが彼の天才的な頭脳です。望遠鏡で観測をして、太陽の黒点を発見したというのは、まあ科学者的ではありますが、ペストの感染を菌によるものと推測したり、コプト文字から象形文字を解読しようとしたり、音楽と数学を結びつけようとしたり。彼の発明になる数々の機械類がわけがわからん物だというのは、ダヴィンチと同じなのですが、キルヒャーが、ダ・ヴィンチに比べて「バカにされている」気がするのは、あまりに広範囲で精力的な彼の空想力のせいでしょうね(それに、まだロゼッタ・ストーンがなかった!)。
 奇人変人だとか、非科学妄想の天才とか、まあなんとでも言えるでしょうが、彼の著作の図版を見れば、もう「なんじゃこりゃ〜!」な図像が一杯で、珍奇なものが大好きな者には、とても刺激的で楽しすぎる♪
 彼自身がダヴィンチのように「天才的な」絵を描いたわけではないので、彼の想像力においつかない、依頼された画家たちが、珍妙な絵を描いたところが、これまたなんとも面白いのですね。有名なのは中国の仏像の絵ですが、勿論日本の仏像や、ポタラ宮(これはややまじめ)の絵もあります。
 しかし、彼が多分最も力を入れていたのはエジプトで、全ての文明がエジプトからおこったと考えていたようで、西洋人とっては珍妙きわまりない文字「漢字」を、なんとかヒエログリフ起源としようとしたみたいです。
 彼は、1602年にドイツに生まれ、イエズス会の神学校で学び、早熟の天才だったのですが、興味は、早くも天体観測や、機械の発明、オベリスクなどにも及んでいました。司祭になってから、アジアへの布教などにも意欲を示していましたが(なにしろ、イエズス会士は世界中に布教していました)、プロテスタントの隆盛により、ドイツで身の危険を感じて、イタリアに入り、1635年にローマの神学校に奉職することになる。
 何と言っても、ローマは歴史ある魅惑の都市。彼の考古意識?が俄然芽生え、ローマ市内のあちこちにあるオベリスクが、これまたエジプト心を刺激。キルヒャー力、全開! シチリアに渡れば、エトナが噴火。ナポリに行けばベスビオが煙を吹く。なんと、キルヒャーはベスビオの火口にまで入って調査。イエズス会の東洋支部は、アジアの珍しい情報をローマに頻繁に送って来る。かくして、彼の前代未聞の偉業?がはじまったのです。
 キルヒャーの面白さは、いくらでもありますが(例えば猫演奏会とか)、あくまでも彼は敬虔なカトリックの司祭で、全ての驚異の自然は神が創ったものと信じていたので、世界、ひいては全宇宙を研究することは、神に近づく手段だったのかもしれません。つまりは「美しき天然」の歌詞のように
 ♪見よや人々 たぐいなき  この天然の うつし絵を
  筆も及ばず かきたもう  神の力の 尊しや  ♪  

 背景は、彼の「地下世界」の挿図で、マグマが地上に噴火する様子を描いたものです。
2010-06-15 10:59 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/randokku/trackback/1553/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2010年05月23日(日)
継体天皇
 

 継体天皇はけったいなひとです・・という苦しいダジャレですが、なかなかに、謎の人物。本当に皇族であったのか否か。近江の豪族だ、いや越前の出だとか色々と諸説入り乱れる人物です。本名は男大迹王(おおどのおう)といいます。
 阪急沿線は高槻の今城塚が墓だといわれていて、地元では盛り上がっているようで、高槻では、高山右近とこの方が2大スターの観があります。
 出自がどこであれ、近江と淀川水系をつなぐルートになにやら縁が深そうで、この人の時代には、考古学の出土遺物では「継体セット」(?)なるものがあるようです。その一つは、ねじり環頭太刀広帯二山式冠。そして三葉文楕円形杏葉。つまり、太刀と冠と馬具。
 で、これらのものをそろえると、まあ継体ファッションが出来上がるのですが、せっかく大王に推薦されながら、20年も(あるいは7年?)大和に入れなかったそうなので、実は王族などではなく、外から来て大和を征服したのだろうと言う説もありますが、どちらにしても、彼が天皇とされているのは、武烈天皇の姉の手白香皇女に入り婿したからでしょうね。
 その婿入り年齢も22歳説と57歳説があります(したがって死亡時も46歳、81歳の2説)が、35年の誤差に、20年の放浪・・・これって・・・「人間50年」からいくと大層な数字ですよね。重耳にも匹敵する気の長い王ですね。
 この謎の人にして、有名人の継体さんをイメージしてみました。ねじり環頭太刀と広帯二山式冠のスタイルです。あ、馬具の杏葉の三葉文というのは、早い話がフランスの百合紋様をひっくりかえしたようなやつです。馬がいないのでこれは省略しました。着物の色彩は勢いで。だってキンキラの冠やら、じゃらじゃらのネックレスには派手な衣裳が似合いそうでしょ。日本古代は色彩に満ちていたのではないかと思っています。
2010-05-23 22:08 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/randokku/trackback/1545/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2010年03月12日(金)
元明天皇

  飛ぶ鳥の 明日香の里を おきて去なば 
    君があたりは、見えずかもあらむ
 

 今年2010年は、平城遷都1300年で、奈良では色んな行事が盛り上がって?いるようですので、この方です。
 遷都は和銅3年3月10日のことでしが、この時、時の天皇、元明女帝が詠んだとされるのが、上の歌です(新古今集)。
 意味は「明日香の里をおいていってしまえば、もうあなたのいらっしゃる辺りは、見えなくなってしまうのですね」というだけのことなのですが、これが、飛鳥から奈良への、当時の都としては大移動だったのですね(勿論、難波や近江はありますが、常に戻っていましたよね)。
 元明女帝は、本名は阿陪皇女で、天智天皇の娘です。で、従兄弟の草壁皇子に嫁ぎましたが、草壁の母は持統天皇なので、異母姉妹ですが、母親同士が蘇我石川麻呂の娘で、これまた姉妹にあたるので、母系で言えば、従姉妹なんですね。
 このような複雑な家系ですが、男が早死にの血筋なのか、夫の草壁も28才、息子の文武天皇も25歳で死にました。そして、彼女は、結局、姑にして姉の持統女帝と同じく、息子の死後、孫(聖武天皇)の成長を待つために自ら即位したのです。
 平城遷都は女帝49歳の時でした。「君があたり」と呼びかけたのは、夫の草壁だったのか、息子の文武だったのか・・・。
2010-03-12 10:59 | 記事へ | コメント(6) | トラックバック(0) |
| |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/randokku/trackback/1522/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2010年02月25日(木)
苦行聖女マリアとキアラ
 
 
どのような宗教にも「苦行」というものがありますが、キリスト教の苦行というと、人里離れた砂漠で、過酷な生活をしながら瞑想修行するというものとか、自らの身体を鞭打って信仰心を鼓舞するというものがあります。
 砂漠の聖アントニウスや、鞭打ち苦行僧などがイメージされて、男性の「修行」のようですが、この砂漠の修行をした女性とされるのがマグダラのマリアです。
 マグダラのマリアという聖女は、正体がよくわかっていません。古い伝説では、キリストの女弟子で、復活の第一発見者と言う立場ですが、なにやら男弟子(特にペテロ)と「不仲」であった故に、だんだん歪められて「悔い改めた娼婦」というイメージになった・・などということから、作家の妄想を招いています。
 「マグダラのマリアーエロスとアガペーの聖女ー」(岡田温司・中公新書)を読むと、彼女が「妄想対象」であった歴史は長く、そのイメージが時代とともに変貌していったというのは、なかなかに面白いです。
 その本の中に、ナポリ王妃サンチャの発願によるサンタ・マリア・マッダレーナ修道院に関する絵画が紹介してありました。この修道院は、娼婦の救済のためであったとされています。病気になったり、老齢になったりして「営業」できなくなった娼婦を収容する保護施設の一つです。
 聖母マリアの左右に、ひざまずいて祈る二人の苦行聖女を配しています。それが、砂漠で孤独な瞑想苦行をしたマグダラのマリアと、フランチェスコの女弟子で、彼に寄り添っていた聖キアラです。キアラは、フランチェスコ会の女子修道会創始者ですが、鞭打ちの苦行を42年も続けたそうです。
 砂漠で過酷な修行をする、自らの身体をいためつけて修行をする・・こういう聖女を描きながらも、マグダラのマリアは、その特徴である「美髪」は長々とたれ、キアラは、服の背中が破れていてそこが傷ついているという表現をしています。手に持つ鞭は、自分で自分の背中をペチペチやるのです。
 元絵の聖女は、どちらかというと苦行の果てにやつれたばあさん(とまではいかないけれど、年いってる)なのですが、若づくりしてみました。
2010-02-25 11:22 | 記事へ | コメント(7) | トラックバック(0) |
| |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/randokku/trackback/1518/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2010年02月16日(火)
カルタゴモザイクの靴職人
 

 先日の展覧会以来、カルタゴのローマモザイクにハマりそう♪
 シチリアのピアッツァアルメリーナのモザイクにも似ていて、もう少し趣が違うのですが、その中に摩訶不思議な「靴職人」のモザイクがあります。
 髪がぼさぼさで無精ひげの男が椅子に座っていて、手には商売道具の針を持っていて、膝には仕事用のエプロンなのか、皮製の下敷きなのか、大きな布状のものををかけていますが、なんと足を鎖!でつながれているのです。頭の上には靴や、材料の靴皮がぶら下がっています。珍妙なのが、そのモザイクの背景に描かれた文字。
 解説によると「抑えのきかない靴職人、お客がガッカリするのは明らかです。鎖に繋がれています。」と書いてあるらしい・・????
 これって何でしょうね? 意味不明だそうです。
 靴屋自身が、自分の宣伝に、このような言い回しをするとしたら、よほどの皮肉屋ですし、ローマ帝国では、このような冗談がお客に通じたのでしょうか? 
 また、誰かが、特定の靴職人に恨みがあって、このようなものを作らせたとしたら、モザイクを作らせるって・・相当お金がかかると思いません? たとえ、注文絨毯に、思いのままの絵を織らせることもすごく高くつくのに、モザイクですよ!!? そんな出費します?
 確かに、意味不明だ・・。
 「おれさまをこんな姿にして、モザイクにすることすら腹が立つのに、2000年後にまで恥さらすのはあんまりだぞ!」なんて、誰だかわかりませんが、かつてローマ時代のカルタゴの地にいた靴職人が文句を言っている・・という雰囲気で。
2010-02-16 21:16 | 記事へ | コメント(4) | トラックバック(0) |
| |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/randokku/trackback/1515/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2010年02月12日(金)
カルタゴの女性神官
 

 「古代カルタゴとローマ」展行ってきました。
 印象に残ったというか、等身大というか(棺桶だから、等身大はあたりまえか?)、なかなかの迫力は女性神官の柩の蓋です(日記にも少し書きました)。
 エジプト風の頭巾を被っていますが、はみ出している前髪と頭巾の下に出ている髪の先はくるくるしてカールしており、どちらかというと意識的にやっている縦ロールのような髪です、残っている顔料からすると色合いも赤い。
 なかなかくっきりした顔立ちで、ギリシャ風の衣裳にエジプト風の胸当てのような首飾り?をつけています。特徴的なのは、下半身を覆う巨大な翼! 広げるとどれくらいあるのか・・という想像で描いてみました。
 有名な女神「タニト」の絵(記号というべきか)は、○と△を上下に組み合わせて女性の姿?とし、手なのか翼なのかが、○の下あたりから出ている・・つまりは・・女性トイレのマークみたいなのです(すみません・・古代のカルタゴの方々ならびにハンニバルさま・・お許しを・・)。これが、子供の人身犠牲を要求する恐ろしい女神のお姿とは思えません・・あ・・呪いをかけないで下さいませ。私めは、カルタゴを滅ぼしたローマ人とは何の血縁関係もございませんから・・(「カルタゴ幻想」という青池保子の短編・・・おすすめです)。
 この女性神官の翼を、日本の鶴丸のように開いてみると、タニトマークにそっくりな気がしましたのでこのようにしてみました。
 色彩は不明ですが、カルタゴの文明とよく似ているというシチリアのモツィアでは、紫貝の染物があるので、赤紫の衣裳にしてみました。あとは想像ですが、古代は色彩が、かなり強烈なような気がします。
2010-02-12 19:25 | 記事へ | コメント(6) | トラックバック(0) |
| |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/randokku/trackback/1514/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2010年01月08日(金)
カドフェル
 
何を今更・・と言われるかもしれませんが、世間の流行とはかなりズレてやてくるのが、おばさんのマイブーム♪
 で・・・この年末から再びハマり出したのが「修道士カドフェル」シリーズです。いえ・・もうかれこれ・・・10年くらい前に一度読んだことがあるのですよね。しかしながら、当時は読み飛ばし・・という感じで、忘却の彼方。
しかし、なんだか、最近私は、「坊さんブーム」?なので、思い出して、再読を始めたわけですね。現在は絶版になっている現代教養文庫版です。
 このシリーズは、修道院がらみでおこる様々な殺人事件をめぐって、「名探偵」カドフェルが推理するミステリです。しかし、一方的に謎解きをするのは彼だけ・・というんではなくて、周りの登場人物もそれぞれに重要な推理や実働をします。
 カドフェルは平修道士ですが、いわゆるアラカンの年齢で、若い頃、十字軍!!(出た〜!)に参加し、危ないことも、いけないことも経験した、大人で、薬草や医術に詳しい修道院のお医者さん。
 海千山千のこの方がなかなかの腕前ですね。外見は太っちょで背が低くてガニ股・・なんていわれていますが、若い時にはカッコよかったんじゃないの? 
しかし、なにしろ修道院ですから、無菌培養みたいな「聖人君子」ぶってる人もいれば、とんでもないヤツらもいるし、そこんところがなかなか面白いんですよね。このシリーズが好きな人は、青池保子の「修道士ファルコ」も好きみたいですね・・って、世界観がよく似ているので・・・。
 テレビシリーズがあったのも大分前ですが、ある程度読み進んだらDVDでもレンタルしてみるかなあ・・。  くわしいサイトとして「カドフェルの薬」があります。
本は、現在、光文社文庫で出ています。聖女の遺骨求む ―修道士カドフェルシリーズ(1) (光文社文庫)
テレビのカドフェルは、前髪もあるれっきとした円形のトンスラ姿ですが、なんとなく天然トンスラにしてみました。ところで、「ブラザーカドフェル」というのは薔薇の「名前」!です。
2010-01-08 15:49 | 記事へ | コメント(4) | トラックバック(0) |
| |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/randokku/trackback/1496/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2009年12月11日(金)
ガリレオ
 

 ガリレオが初めて天体観測を行ったのが1609年なので、今年は400年目にあたるということで、世界天文年ということになるそうです(来年はカラヴァッジオ没後400年だ)。
 う〜ん・・・来年は遷都1300年、去年は源氏年だったし、まあなにかとこじつければ、何時も色んな記念日であるわけですね。
 で、このガリレオ・ガリレイですが、まるで「よしだよしお」「たかいたかし」「もときもとや」みたいな名前は、トスカーナの習慣で、一家の長男の名前を姓にするからだとか。
 この世界天文年を記念する関係で、彼の有名な著作「天文対話」(ディアゴロ。DTですね♪)と、「新科学対話」(ディスコルスィ。DU!)の初版本が公開されたそうです。と言っても、彼の故郷のイタリアではなく、秋田大学付属図書館です。ここが所蔵しているのですね(彼の著作を没収したバチカンは、持ってるでしょうけれど・・ね?)。
 見てわかるもんではないと思うけれど、ミーハー心でちょっと表紙など見てみたいですねえ。エッチングの絵などがふんだんにはいっているのかしら?
 自作の望遠鏡で天体を観測し「天文対話」で地動説を証明したことで、ローマの異端審問所(教皇庁検邪聖省・・という名前は聞くだにも恐ろしげ・・?)から呼び出されてしまいます。彼は宗教裁判にかけられて、自説を曲げさせられ、「それでも地球は動く」といったとかいわないとか・・。ちなみに彼の破門が解かれたのは1980年だそうです。
 この裁判が開かれた場所が、サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会の横だそうです。
 この教会はミネルヴァ神殿のあったところに建てられたということですから、智恵と学問の女神ミネルヴァ(アテネ)のお膝元で、学問を否定されたガリレオさんはくやしかったでしょうねえ。教会の前には知性と教養の象徴である象がオベリスクを背中に乗せています。このユニークなデザインは、勿論ベルニーニ
 ローマで唯一のゴシック建築であるこの教会は、ステンドグラスが美しく、天井には一面の星空が描かれていて素晴らしいです。
 ガリレオと宗教的な星空・・なにやら、皮肉ですが、背景に天井を貼り付けて見ました。
2009-12-11 14:02 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
| |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/randokku/trackback/1483/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
次へ

ニックネーム:おばさんたち
都道府県:大阪・兵庫
本宅「座乱読ーザ・ランドック」に登場又は登場予定のお友達。絵は(F)の独断ですが、ジャンル別索引や検索などで好みの人物を探して下さい。リンクも見てね♪

»くわしく見る