弓削道鏡
名前を聞いただけでいかがわしい・・なんて思う人多いでしょ。怪僧ラスプーチンとよく比較されますが、独身の孝謙女帝の側近くに侍っていた「妖しい呪術僧」なのだから、彼は存在するだけで、スキャンダラス。女帝の元愛人?藤原仲麻呂は、道鏡の寵愛を妬んで反乱を起こして死んだ・・ってことになってるけど、噂話というのは、いつの時代も、面白おかしく尾ひれがつき、かの有名な「巨根伝説」が生まれたのです。
しかし、実際はわかりませんが、身分の低い野心家の男が、(上層部だけ)華やかな天平時代の表舞台に出ようと思えば、頭も剃るし、女帝にもサービス、出生の秘密さえ捏造します。天智天皇の皇子の御落胤だとか、少々古すぎるけど、物部守屋の子孫だなんてことまで言ってたらしい。
でも、一説にはとても知識があって高尚な「学僧」で、女帝は、本当にプラトニックに尊敬していた、とか。それを周りが勝手に偽造神託事件を起こしたけれど、彼の方も、女帝にのみ忠誠をささげていた・・これって純愛物語?
|
2005-06-07 09:47
|
記事へ |
コメント(10) |
トラックバック(0) |
|
やらわ |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/randokku/trackback/175/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
どこかの神社にものすごいモノがありましたね(^^)>>エヘへ。
すごいものといえばウチの近所には日本人形がずら〜〜〜っと奉納されている神社があります・・・。コワイっす(T-T)
知識人であっただけに”出る杭は打たれる”で、はめられた感じがしますね。
弓場道(弓場線)でした。関係ない話ですみません(ぺこり)。
「退職後の楽しみ」を教えて頂きありがとう。訪問してきました♪。
個人的には、この漫画のような人物像を支持しているんですけどね。
無気味な絵を描いてすみません。そういう連想生みそうな可愛げのない絵でした。
さららさま。
物部氏系だというのは、ウソじゃあないようですよ。弓削氏、矢作氏、鞍作氏・・みな軍事関係で、物部の管轄です。それに河内渋川は、物部の本拠ですし。そのへんで、道鏡のことを研究しておられる方いましたよね。
teinenさま。
写真館、見られましたか? なかなかステキでしょう? hikoma写真館には、本当にいい「絵」があって、勉強になります。
道鏡善人説・・というか、女帝と道鏡を見直そう?という説は、ずっとあります。
なにしろ、道鏡の没落は、陰謀にかけては一流の藤原氏が、練りに練った策謀ではないか・・という話もあるくらいですから。
やはり地元人として、道鏡悪人説には異論があります。
奈良時代の僧はおしなべてインテリであった筈、
幼くして山に入り修行に励み、全ての欲を断ち、読み書きにも優れ、更に彼はサンスクリット語にも精通していたとか
また、鑑真によって戒律制度が確立されていた時代に、ましてや皇女との交わりなどある筈もないと思います。
巧妙に婚姻関係を結び政治を握っていた藤原一族の世襲官僚とは知的レベルにおいて道鏡のそれとは比ではなく
従って善人説・・・お説の通りかと・・・・・
近くに称徳天皇が何度となく行幸されたと云う由義宮があり、今は由義神社となっています。
それから系図ですが、物部氏関係の、弓削(今はゆうげと発音します)、矢作(やはぎは神社)、鞍作(町名変更された)、は地名として存続しています。爺ぃはこの説が有力だと思います。
また別説にある天智天皇の孫、志貴皇子の子供とする説の志貴は弓削町の昔の地名志紀郡として残ったものか?
いつの日か冤罪?を晴らそうと地元の人達だけでなく活動されて居られる方に、同郷人として応援します。
すみません、いつもコメントのタイミングめちゃ遅れで(汗)
おはようございます。別にいつどこにコメントをいただいてもうれしいです。そういうブログですから。
アキ様は、本当に「同郷人」でいらっしゃるのですね! 物部説・・大いにありだと思います。志貴皇子説なら、当時井上内親王の婿であった白壁王との関連で、対抗意識をもやしたんでしょうか? ある意味、白壁王も微妙な立場にいたようですし、もしそうなら、すご〜く道鏡は先見の明があったのかも・・・。
今日は道鏡さんが和気姉弟とともに水着になっちゃたよ。
こんばんわ〜♪ この人も、ネタになりやすいですね。やはりビキニですかね。墨染めの?