和気広虫
和気清麻呂を出さずに、その姉さんを出すのは、かの有名な神託を受けに行くのは、もともと和気広虫の仕事だったからです。
広虫は、孝謙女帝に仕える女官。女帝より干支一回り年下の彼女は、女帝が病平癒のために出家した時、彼女もいっしょに出家して法均と名乗りました。すでに未亡人であったし、出家した女主人のそばで尼僧になるのは都合よかったかもしれません。
で、女帝が病を治してくれた僧侶道鏡を信頼し、彼を権力者にしたために、宇佐八幡宮から出た「道鏡を皇位に」という神託の真偽をただす勅旨に選ばれたのが法均尼・・つまり和気広虫だったのですね。
彼女は、病を理由にこの使命を弟の清麻呂に代行させたのです。結局、清麻呂は「先の神託はウソだった」という新たな神託を持ち帰って、女帝を激怒させることになり、清麻呂を穢麻呂、広虫を狭虫と改名させて流罪にしました。
この事件については、藤原氏陰謀説、女帝自作陰謀説など、いろいろあって、結局、道鏡が皇位につくということがなく、皇統は守られたとして、清麻呂は後世に英雄扱いされましたが、果たして真相は・・? 広虫が女帝の側近であり、代理が実弟であったということから・・なにやら、女帝近辺の事情かもしれませんね。
奈良時代の尼僧がどのような姿をしていたかよくわからないのですが、僧侶が男なのにスカート(裳)をはいているなどといわれていましたから、女性だとやはり裳はつけているだろうな・・と考えると、高松塚風の長い衣裳に袈裟をかけた・・という感じではなかったのでしょうか?
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2010-02-05 11:17
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やらわ |
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大分県の宇佐神宮に行ったとき、広い境内の一角にミュージアムみたいな建物があって、広虫と清麻呂の物語が絵巻物になっているのを見ました。どんな服装か、覚えてないけど、いわゆる男系男子DNA派の皆様には、たいへん人気の姉弟のようです。
ところで、広虫さんは孤児救済事業をなさったことでも知られています。男性のみを戸主にして父系だけで系図を作る家制度を徹底すると、戸籍に入らない子どもたちが出てくるので、その対策だったかなぁとか、タツの独自発想で考察中です。
孝謙天皇が、道鏡さんと結婚しないまま子どもだけ産めば、どうなっていたか…
京都御所に面する護王神社の祭神は清麻呂公と広虫姫ですし、高尾の神護寺には清麻呂公の立派な墓所がありますね。
心の広い慈悲深い人だったのでしょうか
またしてもおいで有り難うございます。この人は、「清麻呂の姉」ではなくて、この人の「弟が清麻呂」なんですけどね。
孤児政策とか、あるいは、光明皇后の慈善事業とか、この時代は、西洋の「貴婦人の社会活動」の先取りだったのではないか・・とも思いますがいかがですか? 戸籍に入らない子供・・・孤児に自分の夫の葛木姓を名乗らせていた・・というからには、父系を考えていたのでは・・?と思いますがどうでしょうねえ。孝謙天皇の「子供」がいるという説もあル様ですが、興味深いですね。
アキックスさま
本当に、こんな改名を強制したとしたら、まあ・・ヒステリックな処置ですよね。女帝は50歳ちかくなって、まだおじょうちゃまですね。護王神社って、狛犬ならぬ狛?猪がいるところですよね。実はまだ行って見たことがないのですよ。なんだか清麻呂さんゆかりの猪・・ネタになりそうですが・・・♪
広虫さんは、その弟さんと同じ799年に亡くなっていますが、アキックス様のご指摘にもあるとおり、平安京の成立期を考えるうえで重要人物なので、さらに調べることにします。
じつは、岡山県の和気神社が、気になっているのです。
吉井川流域ですね。その近くの閑谷学校と、竹久夢二の故郷や、牛窓にも行きましたけど、和気神社には、まだ行ってないので、盲点になっているかもしれません。
もうちょっと暖かくなったら、行ってみます。
和気神社・・面白いですね。宇佐八幡の神託にしても・・なにやらにおいますですよね。またまた、教えて下さいませ。
♪カーネル・サンダース♪です。
良かったら私のブログにも遊びに来て下さいp(^^)q
絵上手ですね(^O^)
私も歴史好きです。
ちなみに私の好きな時代は、飛鳥時代、奈良時代、平安時代初期〜中期、鎌倉時代、室町時代初期〜中期、江戸時代前期〜後期、明治時代、大正時代等です(^O^)
いらっしゃいませ〜♪ このケンネームは、もしや、道頓堀川の底から蘇られた方でしょうか♪ タイガース・・応援して下さいます? 扱い時代はちょっと偏っていますが、今後ともどうぞよろしく♪