2012年02月06日(月)
狭穂姫
 

 狭穂姫(さほひめ)は、日子坐王の娘で、垂仁天皇の皇后であったとされる人です。
 実家に里下がりしている時に、実兄の狭穂彦が、「お前は、兄の私と、夫の天皇と、どちらが愛おしいと思うか?」という質問をします。「勿論、兄さんだわ」と返答すると、「わかった。まだ若くて美しい間はよいが、天皇の寵愛が衰えると、すぐにほかの女が現れる。しかし、私が天皇の位に上ったなら、お前は実の妹だから、二人して天下に君臨しよう」と誘います。
 そして、兄は妹に短刀を渡し、天皇が熟睡している時に首を刺して殺せと言います。
 これって、意味深ですよね・・って。別に兄妹で怪しいとかそういう下世話なものではなく、卑弥呼の逆を行くような話じゃないです?
祭祀女王としての王族の女と、その実の兄弟の統治・・。夫の垂仁天皇は従兄弟にあたるのですから、ともに開化天皇の孫同志。皇位継承権はあると主張しているのですね。
 しかし、兄に天皇暗殺を頼まれた狭穂姫は、宮中に戻っても、彼女を信頼し、安心しきって、膝枕で眠る夫の顔を見ては、とても実行できず、はらはらと涙するばかり。そしてとうとう兄の計画を話してしまうのです。
 しかし、自分のせいで追われる立場となった兄を捨てることもできず、逃げ出して兄のもとに戻ってしまい、二人は追い詰められます。
 天皇は、どうしても姫を取り戻したいので、姫の赤ん坊を受け取りに行く口実で、部下に、手なり服なりとらえたら、ひぱって来て子供もろともに奪い返せと命じます。
 ところが、自ら館に火を放った兄妹は、覚悟を決めていて、赤ん坊を兵士に渡す際、姫は、手玉の紐や、衣服を腐らせて、髪をそり、鬘にしていて、兵士が衣服を引っ張ると、袖がちぎれ、髪をとらえると髪がすっぽり抜け落ち、手玉も紐が切れ、炎の中に飛び込んで、兄妹は壮絶な死を遂げたという物語です。
 私は、兄も夫も愛しているのに、どうして争うのかしら・・と涙がとどまらない・・という狭穂姫です。
2012-02-06 14:13 | 記事へ | コメント(2) |
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2012年02月02日(木)
パオロとヴィットーリア
 

 イタリア人の男女は情熱的で、ドラマチック。ラテン系はアモーレが大好きだと、青池さんも昔おっしゃっていたけれど、ロミオとジュリエットが、情熱的な大悲恋ならば、こちらのカップルもある意味、大悲恋・・・といきたいところですが、評判が悪いのですね。
 男はパオロ・ジョルダーノ・オルシーニ。女はヴィットーリア・アッコランボーニ
 悪評というのも、どちらも、最初の妻や夫を殺して結ばれた・・というところが、ダメなだけでなく、ヴットーリアは美人の評判をとっていたけれど、パオロのほうは、まあ・・肖像画を見ても、とてもロマンスの主人公になれるような男ではないうえに、ロミオのように若くはなかった・・。
 それでも、お尋ね者人になり、殺したお互いの一族からは追いかけられ、世間の悪評もものともせず、教会からは、結婚を拒否されてもメゲず、手に手をとっての逃避行。ある意味ドラマじゃないでしょうか。
 そして、その逃亡の果て、時の教皇が死に、ようやく二人は正式に結婚することができたのですが、その数か月後、パオロは急死(彼が殺した前妻の兄による暗殺とウワサされているそうです。その兄というのが、メディチきっての毒薬使いフランチェスコだったのが運の尽き?)。
 一人になって、さらに逃亡したヴィットーリアですが、彼女もまた、殺されるという悲劇。 
 詳しくは、こちらのいつも面白いネタの満載のルネサンスのセレブたちを読んで下さいませ。
 とても面白かったで、こんな絵を描いてみた次第。「ここまで来たら、腹くくりなさいよ!」って、悪夢にうなされそうもないのが女ではないか・・と。いかにも「悪人」な男より、おとなしげな肖像画の美女のほうが、実は腹が据わっていた・・なんて妄想を抱きました。ヴィットーリアって、サンタンジェロにもブチ込まれているんですねえ。ますますドラマです。 
2012-02-02 14:06 | 記事へ | コメント(2) |
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2012年02月01日(水)
日子坐王
 

 日子坐王(ひこいますのみこ)は、彦坐王とも書きます。
 系譜上では、崇神天皇の異母弟にあたり、つまりは伝説上の大君である開花天皇の皇子ということになります。
 詳しいことはよくわからないくらい古い伝説上の人物ですが、いわゆる四道将軍と関係があります。
 四道将軍は、桃太郎のモデルといわれる吉備津彦大彦命、その息子の武渟川別(たけぬなかわわけ)、そして丹波道主(たんばみちぬし)と言われていますが、日子坐王は、その丹波道主の父親とされ、大彦の甥、武渟川別の従兄弟です。
 しかし、古事記によれば、崇神天皇の命令で丹波の陸耳御笠(くがみみのみかさ)を討伐したのは、日子坐であり、丹波地方に派遣されて平定をしたのは、息子の道主ではなく、日子坐自身だったのではないかという人もいるようです。
 ということで、地方へ派遣される王族武人の一人だったと思われます。
 この日子坐王の息子と娘が狭穂彦狭穂姫で、垂仁天皇暗殺をたくらみ、失敗して炎の中で死んだドラマチックな兄妹ですが、このお話は、また別の機会に・・。
 日子坐王の別の系譜の四代目の子孫が神功皇后で、垂仁天皇の二度目の皇后、葉酢媛(ひばすひめ)も孫にあたります。
 ところで、大正頃の五月人形で、古代の武人をあつかったものを見まして、その個性的な髷や、衣装など古代を工夫してイメージしている様子が面白かったので、そのイメージで。人形のモデルは、四道将軍ではないかと思いますので・・。
2012-02-01 14:12 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年01月27日(金)
セルジュークの弓兵
 

 「十字軍の歴史3」を読んだということで、まあ、「あみあみネット」のホウバーグを着た騎士を描きたくなったのですが、肩がこるので、サーコートやマントでごまかす・・って、本当に描きたいの?ってととこですが・・。
 これらの重装備の「フランク人」と呼ばれた十字軍の兵士たちと戦った、イスラム側の兵士はどんなだったろう・・と思いますよね。
 おおむね、イスラムの貴人たちは、平常の服装が好きで、戦い用の衣服・・つまり軍装は好きでなかったようです。文化人であった彼らは、軍服なんぞは武骨で、やぼったい・・と思っていたかも。
 しかし、前線では、ホウバーグのような鎖帷子も着用しましたが、胴鎧のみの軽装の防具を愛用し、名のある指揮官など貴人は、その上から絹製の華麗な文様を織り出したローブをまとって、剣や帯などにも金細工の装飾を施していたそうです。
 トルコ人は、美麗な服装が優雅でよいと思っていたので、戦場でも装身具をつけ、最上の絹織物をまとっていたとか。マムルーク部隊なども、華麗ないでたちで戦場に出たそうです。
 12世紀ころの、胴鎧を着たセルジューク朝の弓兵
2012-01-27 14:57 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年01月25日(水)
チュートン騎士

  先日「十字軍物語3」を読みまして、まあ、こっちにも書いたんですけど、・・・これで、完結か・・・。
 ということで、久々に、「あみあみネット」を描きたくなって、例によって、オスプレイ・メンアットアームズシリーズをひっぱり出しましてパラパラと・・。
 そういえば、テンプル騎士団とか、ヨハネ騎士団とか、まあ有名どころですけれど、チュートン騎士団って、早々と引き上げたというか、1230年ころには、北方の異民族と戦う・・つまりドイツの辺境を守るほうに行ってしまったので、ああいう華々しい、イスラムと戦うという感じがしなかったんですよね。
 もともと、ドイツ人騎士だけだし、ドイツ人だけしか守らないというか・・特殊な存在だったのかも。
 で、黒い十字架を白いサーコートやマントに縫い付けて、トレードマークにしていたのですが、これが、北方で戦ったせいで、後々まで、ドイツ民族の、ドイツ民族による・・という方向で、影響を受けたのはSSまで・・というから、なんだかヒーローっぽくないのかも。
 まだアッコンにいて、他の騎士団と一緒に異教徒と戦っていた1210年代のチュートン騎士です。 
2012-01-25 15:04 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年01月21日(土)
ジョルジョ・ヴァザーリ
 
やはり、この人が出なければおさまりません。
 ルネッサンスの画家にして建築家ジョルジョ・ヴァザーリです。
 ルネサンスの芸術家を知るためには、絶対に避けて通れない・・というか、この人が切り開いたからこそ、ルネサンスの芸術家が有名になったのかもしれません。この人の著作がなかったら、さほど知られなかったかも。
 去年はヴァザーリ生誕500年祭だったそうで、展示会や、旅行なども計画されたそうです。建築家としての展示会などは、まだ京都でやっています。
 で、今までも、あちこちで名前が出ているのは、この人の著作「芸術家列伝」(正しくは「もっともすぐれた画家、彫刻家、建築家の列伝」だそうです)が、当時の芸術家の、その作品評や、エピソードで満載だからですね。だから、ルネサンス芸術家のイメージは、この本によって決まったかもしれません。そして、彼の画家としての技量もそこそこだし、建築家としても活動しているけれど、これほど有名になったのは、著作のせいでしょうね。
 また、他の芸術家でも、彼の本に取り上げられたからこそ、研究対象になったり、鑑賞の対象になったりですから、まあ、ヴァザーリさまさまなのかも。悪く描かれた人もいますけれど、おおむね、どんな画家の絵でも「ここがいいな〜! あそこがいいな〜!」というのが、彼の態度です。
 ところで、彼の肖像がとしては、黒いひげのサンタクロースみたいな、しかも頭のはげあがった、縮れっ毛の少し残ったおじさん・・というのが「相場」なんですが、ヴェッキオ宮殿博物館」のHPで、カッコいいヴァザーリが登場している(知る人ぞ知るらしいです)ので、そのイメージで。まだ髪もたっぷりあります。
 予約をすれば、この人に案内をしてもらえるとか。
 そういえば、名古屋城でも、おもてなし隊の信長さまに案内してもらえるらしいですね。でも、とっても俺様な案内らしいけど、信長ならありか・・。
 でも、多分? ヴァザーリさんはやさしそう・・。

芸術家列伝1 ─ ジョット、マザッチョほか (白水Uブックス1122)
2012-01-21 13:54 | 記事へ | コメント(2) |
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2012年01月18日(水)
アントニオ・カノーヴァ
 

 18世紀から19世紀に活躍したイタリアの彫刻家。アントニオ・カノーヴァといえば、勿論、パオリーナ・ボルゲーゼ。今や、ボルゲーゼ美術館の女主人、ひいてはイタリアの顔的存在ですね。
 もちろん、肖像彫刻も作ったけれど、神話を題材にした優雅な彫刻で知られています。合間には絵筆もとったそうで、これは、まあ彫刻家とはいえ、下図を描いたり、イメージを固めるのに絵を描くのは当然かもしれませんが・・。
 彼の彫刻・・それも女性像は、その肌の滑らかさや、繊細さが強調されていますが、それは、夜の闇に、ほんのり照らされたスポット照明で、部分鑑賞をする・・というような、あるいは、回転する台に乗せてのゆっくり回しながら360度眺める・・という鑑賞方法とも関連があるかもしれません。じっくり、ねっとり?見る・・ってことですよね。近くば寄っても、遠くで全身を見ても、どこから見ても美しい・・ということが要求されたようです。
 当時はすごい人気作家だったので、教皇庁からの注文は勿論、世界中から注文が来たそうですが、晩年は、病気をおしても仕事をつづけ・・忙しすぎて、半ば過労死みたいな感じではあったのでしょうか。
 彼の作品の画像はこちらで見ることができます。
 背景は「闇夜鑑賞イメージ」の三美神。カノーヴァの肖像画は、ナポレオン時代の短髪のがありますが、若いころの、横の髪を膨らませ、後ろを長く伸ばしてリボンで結わえたロココ風なのから・・。
2012-01-18 15:20 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年01月17日(火)
僧形八幡
 

 本日17日は、阪神大震災の17年目にあたります。仏教の年忌法要で言えば、数え年で計算しますので、17回忌は去年にすんでいます。 そして東北の大災害でも数多く方がなくなられ、痛ましい現実がまた起こっています。御冥福をお祈りいたします。
 
 八幡大菩薩として知られる神様は、奈良時代に応神天皇に擬せられ、弓矢の神そして、武家に戦いの神様として信仰されます。平安のころからは、神仏習合のためか、出家した姿の僧形の神像でまつられるようになります。また童子の姿で描かれることもありました。
 しかし、明治になって神仏分離令によって、神道と仏教を分けなければならなくなり、一部には、僧形をした神さまを「還俗」させようなどという動きもあったそうです。
 東大寺の僧形八幡が有名ですが、これは、いかめしく厳しい顔をした壮年の僧ですが、福岡のみやこ町の生立八幡宮のまるっちい八幡様(この神様が、もう少しで坊主頭に髪を生やせられそうになったお方です)は、なんとなくおだやかで、両手を膝の上に置いた落ち着いた坐像ですので、手を下げた姿にしてみました。
 顔つきは・・・ちょっと傲慢そうな目つきになってしまいました・・・。
2012-01-17 11:06 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年01月15日(日)
カルロ・クリヴェッリ
 

 この画家は、イタリアルネッサンスを代表する特色ある画家の一人だと思うのですが、意外なことに、19世紀までその評価が定まっておらず、ただ単に、一地方の画家として埋もれていたようです。
 というのも、ルネサンスの芸術家とくれば、基本文献となっているようなジョルジョ・ヴァザーリの「画人伝」から漏れていた・・ということが最大の理由ではないでしょうか。
 ということからか、この人のことはあまり知られておらなかったのでしょうか。同時代人でも高く評価している人もいるかわりに、メジャーではないのは、あまり地域を離れなかったことと、やはりヴァザーリに取り上げられていないってことは不利なのかも。
 ヴェネツィア出身で、若いときに人妻を誘拐したということで、評判を落とし、放浪し、やがて、片田舎?のマルケに落ち着いて、ずっと地元の画家をしていた・・ということで、地味は地味なんですが、その特色ある画風はなかなか、一度目にしたら忘れられないようなものがあります。
 有名なのはマグダラのマリア。そう、あの目つきですね。その目線は、ちょっと人を見下すような傲慢な気配が漂う。髪が、蛇のように妖しくカールした髪型もすごいでしょう? この高慢そうな目の光は、ひと癖ある(娼婦あがり?)の聖女のみならず、清純なはずのカタリナや、聖母マリアにまであるのですね。
 鋭い・・というか、軽蔑を交えたようなスゴイ目は、男性像にもあり、真正面を見据える老ペテロの目はコワイ。そして、聖ゲオルギウスとして描かれる金髪の若者の上半身にもあります。
 そして、もう一つの特徴が、手! 繊細というにはあまりに鋭く長い指。若い女性も、年取った男性も、どちらにも、このっ特色ある手の指の表現はすごいです。
 画集がほしいところですが、かのモンス・デジデリオの画集を出しているピナコテーカ・トレヴィル・シリーズで、絶版になっていて、中古ではかなり高い! これも復刻してほしいところです。
 後、すぐ見ることのできるのなら、唯一といってもいいかもしれない本が「カルロ・クリヴェッリ―マルケに埋もれた祭壇画の詩人」(石井 曉子・講談社出版サービスセンター )ですが、物足りない・・。もっと大きな絵を見たい・・。
 ということで、復刻されればいいなあ・・。
 で、石井暁子氏が、その自画像ではないかと想像している聖ゲオルギウスの姿で、私風に描いてみましたが、目つきが傲慢なのではなく、やや自信なさげになりましたが、特徴的な指は・・・実は描けなかったんで割愛。

カルロ・クリヴェッリ画集 (ピナコテーカ・トレヴィル・シリーズ)
カルロ・クリヴェッリ―マルケに埋もれた祭壇画の詩人
2012-01-15 11:15 | 記事へ | コメント(4) |
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2012年01月12日(木)
コンドル
 
 ジョサイヤ・コンドルと言えば、明治のお雇い外国人建築家ですが、常に鹿鳴館とセットですね。
 勿論、鹿鳴館を設計したのですが、明治10年に来日し、いろいろ政府の仕事をしていましたし、財界人の邸宅なども手がけました。  工部大学校で教えていたので、教え子に、日本建築界の超大物辰野金吾や、片山東熊がいます。日本の洋風建築のはじまりは彼から・・とでもいえるかもしれません。
 そして、建築家は絵が描けなければいけないのは、ブラマンテや、ミケランジェロの昔から当然なのですが、コンドルも大いに絵心があり、日本に来て河鍋暁斎に弟子入りし、画業修業をしています。二人でスケッチ旅行をした様子などを暁斎が絵日記に描いているのです。すそはしょりをしたじいさん先生と、ホームズみたいにパイプをくわえた英国紳士の弟子の旅日記です。暁斎の暁の字をもらって暁英という画号までもっていたので、立派な日本画家だったんです。
 興味は絵だけにとどまらず、日本庭園や、生け花、舞踊、歌舞伎など芝居も好きで、見るだけではなくて自分まで衣装を着けて演じていた写真があります。相方は、花柳流の踊りの師匠前波くめ。コンドルが、踊りを習っていて、とうとう奥さんにしてしまった人です。
 大森貝塚でおなじみのモースが民俗学的な興味を日本に持っていたのですが、コンドルも日本の芸術に大いに関心があったようです。古典大好きだったフェノロサと違って、近代芸術が好きで、大いに日本情報を海外にも発信したそうです。
 和装のコンドル博士(写真では紋所がわからなかったので、花柳流の三つ桜の紋にしました)。背景は彼自身が描いた鷹の絵です。コンドルと鷹・・・・・・オリックス・バッファローズみたいなサマにならないダジャレですね。

ジョサイア・コンドル建築画報社
2012-01-12 09:46 | 記事へ | コメント(2) |
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2012年01月10日(火)
稗田阿礼と太安万侶
 

 こんなフザケた絵柄でごめんなさい。
 しかし、今年は、古事記編纂1300年だ・・ということで、なんだかあちこちで行事を企画しているようです。源氏物語1000年だとか、平城遷都1300年だとか、まあ・・キリのいい何かを探そうとすれば、なにかとあるかもしれませんね。日本は、けっこう古い国ですから。
 平城遷都1300年にはハダカ同然?だった「せんとくん」も、今年はお役所に勤務?していて、奈良時代の公務員の服装をしているそうです。ズバリ太安万侶をイメージしているのでしょうね。
 古事記が太安万侶によって献上されたのが和銅5年、つまり712年です。その編纂のはじまりについては、古事記序文によれば、天武天皇によって企画され、当時28歳で記憶力抜群?だった稗田阿礼という人物に、古い記録を誦み習わせたところから始まるとされます。 
 この誦み習わせるというのが、暗誦することなのか、ただ古い記録を読むことなのか、説があるそうですが、まあ、30年以上も一人でその記録の読み方とか、系譜上の人物の名前の発音などを伝承してきた人物から、文章もきちんと書ける歴史畑の職員が話を聞いて文書にまとめるってことなのでしょうか。太安万侶は日本書紀の編纂にも参加しているという説もあります。
 なんでもかんでもがアタマに入っているベテラン職員ひえださんが定年退職するので、急遽、別の部署からその後継に、突然人事異動されたおおのくん・・というイメージがわいてしまった。
 稗田阿礼が男性だか女性だかわかりませんが、何でも頭にメモしているおばさん職員・・って設定が、なんだかやけに現実的な気がしまして・・。あ、でも、古事記編纂1300年事業をを揶揄しているのではありません。古いことをなんでも知っている古参のおばさんが退職すると、けっこう困ると思うんですが・・・。
2012-01-10 14:31 | 記事へ | コメント(2) |
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2012年01月08日(日)
ピラネージ
 

 おおよそ、専門家であろうとミーハーファンであろうと「ローマ好き」なら、だれもがみーんな知っている・・というか、一度ならずと、目にしないのはないのがピラネージの名前ですね。
 名前のみならず、彼の版画を(好き嫌いは別にして)見ないで「ローマ」をイメージできないと言っても過言ではないかもしれません。
 そして、世界中にローマのイメージを植え付けたのが、他ならぬピラネージなんですね。
 ジョバンニ・バッティスタ・ピラネージは、18世紀の建築家です。今では版画家呼ばわり?されているけれど、彼自身は生涯にわたって、建築家だと思っていたと思います。
 なにしろ、当時の建築家ときたら、図面を描かなければならないので、絵の描けない建築家はいなかったのですから。明治時代の日本の建築家だって、その卒業図面など、額に入れて飾ってもいいくらいの「絵画芸術」なんですよね。
 で、ピラネージとくれば「廃墟の画家」とも呼ばれて、彼の描いた遺跡の絵が世界的に広まっているんですが、異色の廃墟の画家・モンスデジデリオと比較しても、デジデリオの場合は、まさに今崩れて崩壊する様なのですが、ピラネージのは、すでに崩壊し、時の試練を経て落ち着いてしまった「死んだ廃墟」なんですね。
 たとえて言えば、デジデリオの建築は、死してまさに腐敗したばかりの「骨」なのに、ピラネージはすでに白骨化して風化し、草なども生えている「骨」と言ってもいいかも。
 ピラネージは、高尚な「古代妄想」なので、古代ローマ人のいでたちで・・。
 また、彼の異色の作品「幻想の牢獄」は、古代遺跡とはちょっと違った妖しい系です。「牢獄」の3D映像がこちらにあります。
 グチになりますが、以前、初めてローマに行った時、年末だったので、本屋でピラネージのカレンダーをたくさん買っておみやげにしたのですが、あれ・・置いとけばよかった。ウチには一つもないのです。
2012-01-08 12:13 | 記事へ | コメント(2) |
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2012年01月01日(日)
平和
 

 新しい年がきました。
 年の初めの区切りとして、気持ちを切り替え、いろんなことに立ち向かえるようにしたいものです。 
 新年の絵柄として、平和の寓意像としての女神です。手にオリーブの枝を持っています。オリーブは、ノアの洪水がおさまったのち、箱舟から放たれたハトが持ち帰り、洪水後の地上に最初にあらわれた「生命の証」で、神と人間との和解の印だとされています。
 いろいろなことがあった、旧年中ですが、新しい年こそは、当たり前な「平和」が心から望まれます。
 本年もどうぞよろしくお願い致します。
2012-01-01 23:11 | 記事へ | コメント(5) |
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2011年12月29日(木)
ベックフォード

 ♪砂の嵐にかくされた バビルの塔に住んでいる〜 超能力少年は、バビル2世ですが、自ら「バベルの塔」を建設し、、周りに好みの書籍を集めた図書館、美術品を飾った画廊などを、自分自身のためだけに作って、そこに閉じこもって生活をしていた奇人がウィリアム・ベックフォードです。
 イギリスの名門政治家の家に生まれ、母方には貴族の血をひく富豪で、父母は、たくさんの家庭教師をつけて、あらゆる学問を身に着けさせました。伝説によれば、5歳の時に、8歳の天才少年モーツァルトを家庭教師にして音楽を勉強したとか・・。
 長じて、快楽と悪徳をテーマにした小説を書いたりしますが、父の後をついで政治の世界に進出します。しかし、生来の「悪癖」(美少年趣味)がすっぱ抜かれてスキャンダルとなり、嫌気がさして閉じこもり生活に入りました。
 以後、ゴシック調!のバベルの塔などを持つ広大な城の建設し、自分の趣味だけに生きます。この城に招待された数少ない客の中に、ハミルトン卿と、エマ夫人、夫妻の共通の友人ネルソン提督がいたそうです(ハミルトン卿は、母方の従兄弟だそうです)。
 自らを永遠の少年と思いこみたがり、また寵愛の少年たちにも、少年でいるべきことを要求したそうで、「大人」を否定していたのかもしれない・・とは渋沢龍彦氏の分析です。
2011-12-29 20:50 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年12月27日(火)
モンス・デジデリオ
 

そういう名前の画家がいたかどうかもわからないというのに、その絵を描こうなんて、まあ大胆というより、厚かましいにもほどがある・・というくらいです。こちらにも書きましたが・・。
 モンス・デジデリオであろうとされる画家は2人いて、ともにフランス人のディディエ・バッラと、フランソワ・ド・ノーメの二人の名前・・ということになっています。
 しかし、デジデリオというのは、ディディエのラテン読みなら、デディエ・バッラがそうなんでしょうし、風景画家として名の通っていたバッラがモンス(ムッシュがなまったもの)・デジデリオと呼ばれていたのだそうです。
 しかし、衝撃的な崩壊する廃墟の絵は、彼の画風にあわないそうで、一度見たら忘れられない悪夢のような幻想建築(それもほとんどが闇の中に浮かび上がる風化した骨のような古代建築)を描く画家ではない・・ということで、彼と一時共同の工房で作画していたいたフランソワ・ド・ノーメが「モンス・デジデリオ」の正体だろうと言われています。
 彼ら二人が共同制作した「バベルの塔」という絵がありますが、その手前にいる工人の二人組が自画像ではないか・・などという想像をしている文章を読んだのですが、絵の中に自画像を紛れ込ませたのだとしても、顔の表情などはよくわかりません。
 「聖パウロと聖ステファノ」という(便宜上呼んでいる)絵があるのですが、勿論、手前に小さく描かれた聖人の絵をメインにしているのではなく、その背景にある崩壊しかけたドームやら、塔が「主人公」であるのは勿論です。
   その人物像を二人取り出して、「油釜に投じられた福音者ヨハネ」の「主人公」である幻想都市を貼り付けました。
 モンス・デジデリオの絵はこちらのサイトで見ることができます。

モンス・デジデリオ画集 (E.T.Classics)  
2011-12-27 16:32 | 記事へ | コメント(4) |
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2011年12月24日(土)
従軍司祭
 

 クリスマスイブですが、不景気だし、浮かれ気分はあまりわいてきませんね。世界中のあちこちで、災害やら戦争やら、平和とは言えない状況が続いています。
 十字軍の昔から、「戦争」に「理屈」をつけなければおさまらないのは人間の宿命です。戦う兵士たちの「無事」と「勝利」を祈る従軍する宗教者がいました。現在のアメリカ軍でもチャプレンと呼ばれる人たち(語源は、チャーチ・・つまり教会の人ですが、キリスト教ばかりではなくイスラム教も、仏教もいるようです)が、兵士の心のケアをしているそうです。
 本当に平和な世の中が訪れてほしいものです。
 昔見た映画「バチカンの嵐」で、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線の最前線で、野戦病院ならぬ野戦教会(テントも屋根もない露天でしたが)でのミサのシーンがありました。教会そのものがないのですから、司祭とはいえ、法衣も聖具もなく、ただ、軍服の上にストラだけをかけた姿です。
 ドイツ軍と戦う場面だったので、もしクリスマス頃なら雪が降っていてもおかしくないかな・・ということで、雪をちらつかせてみました。
 この「バチカンの嵐」という映画(原題はモンシニョール。意味は・・あえて言うなら、猊下とか、お上人様とか、大僧正? 高僧の尊称だそうで、日本語にしにくいですね)は、DVDになっていない作品で、物語自体は中途半端なのですが、マフィアとバチカンのかかわりを描いているということで、バチカンから上映禁を訴えたといういわくつきの映画だそうですが、主役を演じたのがスーパーマン俳優だったということが話題になったぐらいかも。
2011-12-24 12:20 | 記事へ | コメント(2) |
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2011年12月23日(金)
チェッリーニ

 「ペルセウス」の像か、「フランソワT世の塩入れ」で知られるルネサンスの彫金家にして彫刻家。ベンヴェヌート・チェッリーニです。
 しかし、その作品の優美さや豪華さより、ご本人がとんでもなく「俺様」で、自意識過剰で、自己中なこと丸出しの「チェッリーニ自伝」で、より有名かも。
 こちらにも書きましたが、この本、まあ、なんとも勝手気ままな奴だ。時のフランス王やら、教皇、貴族などが、ようこんなの雇うなあって感じですが、仕事は熱心で、出来栄えはよかったのでしょうね。しかし、あまりに自分の作品と仕事を愛するあまり、他人に気兼ねだとか気遣いなど一切しない人物だったことは確か。
 そのくせ、根っからの職人かというと、そうではなく、社交やら、名誉欲やら、武勇伝などは大好きだったってところが困り者。  雇ってくれる人すべてを敵に回し、結局仕事を自分でとれなくしてるような感がなきにしもあらず。
 しかも女性に嫌われる。フランソワT世の宮廷では、エタンプ夫人と不仲になり、コジモ一世の宮廷でも、公爵夫人に、ものすごく嫌われる。本人が、女性を全くバカにしていた(もちろん男もバカにしてるんですが)のが丸出しだったからでしょうね。
 ヴァザーリが他人の作品を過剰にほめる傾向にあるのに、この人はけなしまくる。作品のみならず人格までもコケにするいのですが、自分の作品を評価してくれた人はいい人・・分かり易いですね。珍しくほめているのはポントルモとブロンズィーノですが、この二人は、セットで見に来て、ちょっとお上手を言っただけかもしれないのに・・。
 彼はかつて未曽有の危機「ローマ攻略」の時に、時の教皇を守ってサンタンジェロに立て籠もり、自ら大砲を撃って勇敢に戦ったことがありますが、まさしく激情すれば命知らずの英雄なんですね。
 ところが、次の教皇の機嫌をそこね、今度は牢獄サンタンジェロにブチ込まれます。シーツを裂いて縄を作り、脱獄するのだけれど、最終着地の時に失敗して骨折し、またしても閉じ込められ、今度は最低の扱いをされる。
 フェッラーラの枢機卿イッポーリト・エステ(ルクレツィアの息子さん)に救い出されますが、フランソワT世に「売り渡された」と恨み、この人も勿論敵に回しますが、異常に誇り高い上に勘定高いと思われて、ある意味不幸な天才だったかも。
 脱獄するチェッリーニです。
チェッリーニ自伝―フィレンツェ彫金師一代記〈上〉 (岩波文庫)
2011-12-23 11:30 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年12月20日(火)
佐々介三郎
 

 佐々宗淳(さっさむねきよ)は、言うまでもなく、水戸黄門の助さんのモデルです。
 いや〜・・長寿番組というか、なんやかやいいながら、ずっとやってった「水戸黄門」がついに終わるということで、普段見てなかったのに、ウチの母がテレビに見入ってましたね。
 で、まあ、この方を登場させてみようかなと・・。
 実在の「助さん」は字が違って、介三郎です。この人は、単に黄門さまのおつきの家来というのではなく、水戸黄門説話そのもののモデルと言っても過言ではありません。
 というのも、水戸黄門ご本人はあちこちうろうろしていたわけではなく、「大日本史」の編集をするために資料を集めたり、調査をしたりしていたのは、この人だからです。
 もともと瀬戸内海や、四国、そして奈良の宇陀に移り、京都のお寺でお坊さんになったという経歴の持ち主なので、「関西人」なんですね。
 後に還俗して、水戸光圀に「歴史調査係」として仕えたわけです。地味ながら、とても重要な、お寺の古文書調査をしたりしているのですが、7世紀の碑文である那須国造碑の調査をして修復したのも彼ですね。日本最初の「学術的発掘調査」が行われた侍塚古墳(上侍塚古墳・下侍塚古墳)の調査主任としても有名です。
 ということで、発掘の下調べをする介さんです。黄門さまから「やっつけておしまいなさい」といわれていたのは、歴史調査だったんですね。
2011-12-20 14:46 | 記事へ | コメント(3) |
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2011年12月16日(金)
フランソワ1世
 

 フランスではとても人気のある王様の一人だそうです。趣味がよく、話がうまくて美男子(?)。この人の顔と言えば、のろっとしたカーブを描いた長い鼻と、スケベそうな笑みを含んだ目つきで有名な肖像画がたいていどこでも出てきます。
 もともと王子ではなかったのだけれど、息子のいなかったルイ12世の跡をつぐことになったんですね。ルイ12世の娘(従姉妹にあたる)と結婚したのも勿論その布石でしょう。
 この逆玉の王様が、入り婿らしく大人しかったか・・といえば、まったくそうではなくて、なんだか好き放題で、豪快な感じがするのは、権力を握ったものが一度はハマる建築趣味やら、美術品好き、戦争好き(スペインのカール5世とは、宿命のライバル)、という面もあるし、もちろん女性関係も華やか。
 王妃クロードとの間に7人もの子供があったのですから、それはもう「婿」の役目は十分に果たしています。愛人は、フランソワーズ・ド・フォワのあとにエタンプ夫人。そして、息子のアンリ2世と共同?のディアーヌ・ド・ポワティエですね。
 王妃の死後、スペインから妃に迎えたアリエノール(ファナの娘)は、スペインに捕虜として囚われていたフランソワ1世に惚れ込んで結ばれた・・というお話もあることから、やはり女性にはモテたんでしょうね。
 女性だけではなく、「芸術家」とイタリアが大好き。だからイタリアに攻め込むし、ダヴィンチやら、ロッソ・フィオレンティーノなども呼び寄せ、ほかにもたくさんのイタリア人芸術家が、この人の豪快な夢の実現のお手伝いをしています。
 有名な肖像がではなく、彼が招いた芸術家のひとりチェリーニが作ったメダルの「ローマ皇帝」の扮装?をした横顔から。原作は銅とか銀の金属ですが、「皇帝」ですから大理石風?で・・。 
2011-12-16 09:36 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年12月12日(月)
蘇軾
 


  桂棹 蘭櫂 空明を撃ちて、流光をさかのぼる
 
 桂の棹に、蘭の櫂が、空の明りをかきわけ、月の光を漕ぎのぼるという意味なので、天空と江水がまさに一致したような素晴らしい幻想的な月夜なんでしょう、かの「赤壁の賦」の一部です。
 ところで皆既月食、寒かったけれど、ちゃんと見えましたね。短時間で月が欠けて、また満ちる・・不思議な体験でした。
 「赤壁の賦」は、流謫の身にある蘇軾が、友人と船を浮かべて長江に遊び、満月を眺めて酒を飲み、気分がよくなって船端をたたいて、即興詩を歌ってごきげんだけれど、ともに飲む友人は、曹操の詩「月明らかにして星稀なり」を引用し、天下の英雄といえども今はもういない。しかし、あなたも私も、英雄ではない、ちっぽけな人間・・永遠の自然の中では空しい・・とブルーになるんですね。
 しかし、蘇軾は、ものは見方で、常に変化するというならすべてが変化するし、変化しないというなら、大自然すべては永遠に続きます。そして私もあなたもその自然の一部ですよ。
 と、なにやらけむに巻かれるような「斉物」理論で応え、英雄であろうが、庶民であろうが、この自然の美を満喫できる権利は等しくあるのです。満月はこんなにきれいでも、いくら見たってタダですよ!
 お客も気持ちがすっきりして、笑いだし、二人して大いに飲み明かし、杯盤狼籍、ともに船の中で酔いつぶれて寝てしまい、東の空が白くなっていくのも知らなかった・・。
 というのが、赤壁に賦を大急ぎで要約(しすぎやん!)しました。
 湖涼さまにリクエストをいただき、久々に蘇東坡詩集などをひっくり返してみると、やはりこの赤壁の賦がいいなあと思い、このようなのを描いてみました。しかし、この賦の出だしの、水の上から月の光を漕ぎ上る描写があまりに素晴らしいので、とてもとても「絵にもかけない」面白さなので、あえて、しょうもない絵柄になりました。お許しを・・。

 ところで、本日12月12日は、この人名事典の7周年記念日です。今日の記事で1825人目となりました。当初の目的1年継続、それから3年継続、千人斬り・・を過ぎて、早2000人が目前になってまいりました。ネタは尽きそうで尽きないので、なんとか2000人を目指します。今後ともどうぞ、よろしく。
2011-12-12 12:49 | 記事へ | コメント(6) |
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2011年12月09日(金)
仲介の天使ガブリエル
 

 お告げの天使 ガブリエルは、すでに出ているのですが、年末になったので、あらためて、多忙のこの方に登場願いました。
 受胎告知をした・・ということで、神のメッセンジャーとして「情報・伝達」全般の守護をする天使です。情報化社会では、大いに忙しいことでしょう。
 そして本業以外に、担当地域もあります。西方守護のミカエルに対して、東方守護の使命を持つといわれる(無関係に、突然思い出しましたが、北町奉行、南町奉行は、管轄地域の別ではなかったようですけれど)天使です。
 それに加えて、天使としては「出自」がかなり古く、もともと、天使としての役割のすべてを担っていたのではないかとも思える部分もあるそうですが、イスラム教でも、天使ジブリールとして、唯一神とマホメットをつなぐ役割をしています。
 古い絵画などで登場するガブリエルは、明らかに男顔なのだけれど、時代が下がると(天使全体に言えることですが)女性的な外貌になってきます。
 そしてガブリエルは、唯一の女性天使だ・・という説まで現れました。その理由は、女性の私室にまで入り込めるのは女性でなければならないから・・ではないかと。つまり、マリアの寝室まで突然入り込んで「妊娠しましたよ!」なんて言うのは男じゃまずいでしょ・・ってことなんでしょうかね。うむむむ・・・・。
 受胎告知の絵柄の面白さは、まあいろいろあるんですが(大塚美術館には受胎告知ばかりを集めた部屋があります)、画家もいろいろ工夫をこらしたんでしょうね。
 また、神の言葉を「仲介」するということからか、人間ではなく天使なのに「聖人」として、神との間を取り次いでくれるという役割もあるそうです。
 またしてもビクトリア朝のステンドグラスから。原画はいささか厳しい表情で、ちょっと冷酷そうな顔をしています。羽は背景に追いやられ(仏像の光背みたいな感じと言ったらいいでしょうか)、聖職者の服装をして厳かに立っていて、ガブリエルの印である百合の枝と、羽がなければ「聖人」に見えます。
 受胎告知の場面では百合の枝を持っていますが、ガブリエルは錫杖のような杖を持つ姿もあるので、杖にしてみました。
2011-12-09 09:13 | 記事へ | コメント(5) |
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2011年12月07日(水)
三人のマリア
 

 イエスが処刑された後、三人のマリアが、墓に向かったところ、イエスの死体はなく、天使がいて、イエスが復活を遂げたということを伝えたという伝承があります。
 このとき、イエスの「死後の世話」をしようと墓にやってきた一族の女性3人が、すべてマリアという名前だったということですね。
 この三人は、イエスの母である聖母マリアマグダラのマリア、そしてヤコブの母マリア(あるいはクロパの妻マリア)です。このヤコブの母マリアは、聖母マリアの姉妹であるという説があるので、叔母さんにあたる親戚の女性ですね。であるなら、香油を持ってきたマグダラのマリアが、イエスの妻であってもいいと思うのですが、それを言うと、バチカンから叱られます。
 イギリスのビクトリア朝時代に作られたステンドグラスの絵柄がとても面白かったので、3人のマリアです。
 この女性たちの左側には、とても豪華な助祭の服装をした天使がいて、イエスの蘇りを告げているところです。
 多分、左端の女性が、ヤコブの母マリア、真ん中が聖母マリア、そして若い華やかな女性がマグダラのマリアでしょう。原画ではマグダラのマリアは左手に香油壺を持っているのですが省略しました・・というか、描きこみ忘れた。彼女の持ち物である香油壺を忘れるなんて、大間違いなんですけれど、この場合香油は、持ち物としてではなく、葬られた死者の体を清めるために持ってきた香油なのでしょうね。
 ビクトリア朝の画像ですから、服装は勿論、ラファエロ前派の絵のようなロマンチックで豪華な物語の登場人物のようなものを着ています。
2011-12-07 12:59 | 記事へ | コメント(2) |
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2011年12月01日(木)
聖リベラーレ
 

 謎?の画家ジョルジョーネの絵に、サン・リベラーレ聖堂に「玉座の聖母子」がありますが、聖母子に寄り添うのは、聖リベラーレです。
 この絵を注文したのは、傭兵隊長のコンスタンツォで、彼の息子の菩提を弔う(とう言い方をしていいかどうかわかりませんが、まあそんなようなもんです)ために、息子が葬られる聖堂の壁画を描かせたようです。
 聖堂そのものがささげられている聖人が聖リベラーレなのですが、黒い甲冑に全身をくまなく武装して立っています。
 黒光り・・する甲冑は、魔を払う「銀」の甲冑だそうで、銀の玉では狼男もやっつけられるし、毒薬も判定できるというので・・まあ、そういうたぐいなのでしょう。たいへん磨きこんでいますね。武人の守護聖人にふさわしいよういでたちです。
 この聖人は、傭兵隊長とジョルジョーネの地元の聖人だそうですが、とても若々しい顔立ちなので、ふと死者の肖像かな・・なんてふと思ってしまいましたが、葬られた息子が軍人だったのか、成人していたのかどうかも知りませんが・・・。
2011-12-01 15:32 | 記事へ | コメント(8) |
| やらわ |
2011年11月29日(火)
バッキンガム公(ヘンリー・スタフォード)



 ロンドン塔で消えた悲劇の幼い王子たち・・の物語は、有名な悪役「リチャードV」とむすびついています。
 しかし、この冷酷非情の悪王を、世に出すための陰謀、というものがあるとすれば、その重要な役割を果たしたのがバッキンガム公爵ヘンリー・スタフォードです。
 彼は、父方からも、母方からも王家の血筋を引きながらも、女系であるため、王位を自らが狙えるという立場ではなかったようです。
 しかも祖父も父も戦死して、11歳で公爵になり、当時の国王エドワードWの後見を受け、そして、花嫁として、13歳も年上の王妃の実妹を押し付けられます。
 この辺にも、不満があったのでしょうか。政略結婚とはいえ、小学校5年生の年齢で、24歳のおばさんが、妻としてやってきてはいじけるかも・・。
 そのためか、国王が死んだあと、その弟のリチャードが甥から王位を奪う陰謀に加担します。ロンドン塔の王子たちを始末したのは、彼だとも言われています。
 そして、さらには、自分が担いだリチャードVを追い落とそうとして、こんどはヘンリー・チューダーと組む。
 その本心は、もしかして二人を戦わして、自分が生き残って王位を狙うという心づもりであったかも・・。
 しかし、この反乱に失敗し、ヘンリー・チューダーはフランスに逃げ、バッキンガム公爵はつかまってしまい、結局処刑されるという末路。策士策に溺れるというところだったのでしょうか・・。
 あるサイトで、今残る彼の肖像画が、20代であるのに、中年男みたいだし、しかも、あまりにブサイクなので描き直すぞ・・というのをやっておられて、私も描き直してみようと・・。
 ちなみにバッキンガム公爵というのは、彼で一旦途絶え、ヘンリー7世の時に復活しますが、当時の公爵が処刑されたため断絶します。 100年の後に、この一族とは何の関係もない、ジェームズ一世の寵臣ジョージ・ヴィリアーズがバッキンガム公爵に叙任されます。この人が三銃士に出てくるぶっとんだ公爵です。
2011-11-29 21:44 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年11月28日(月)
ブッファルマッコ
 

 ブォナミーコ・ブッファルマッコは、フィレンツェの画家です。
 しかし、とんでもないいたずらをやらかすふざけた人物としての側面のほうが語られているかもしれません。
 というのも、「デカメロン」に、彼のあざといいたずらの話が出ているからですが、ヴァザーリの「画人伝」にも、彼の画業というより、お調子者のふざけた逸話のほうがたくさんのっています。
 修業時代に、徒弟に入った師匠が厳しいので、天井裏からゴキブリを集めてきてその背中に小さなろうそくをたてて歩き回らせて師匠を怖がらせた話などが出ています。
 その中で、猿と絵を競った話があります。
 ある礼拝堂の壁画を頼まれた時、依頼主の司教が飼っている猿が、足場に上って絵の具を混ぜ、色を作り、卵を割ってテンペラを作っている作業を眺めていて、画家が仕事を終えた後、無人の足場に上り、勝手に壺の絵の具を混ぜ、卵をぶち込んで、筆に浸して、出来上がった聖人像の上からべたべたべた・・。まあ、猿まねと言いますから、やってみたかったんでしょうね。
 出勤してきて、壁画がむちゃくちゃにされているのを見て怒ったブッファルマッコは、まさか猿の仕業とは思いませんから、自分か司教に敵意を抱いているものの仕業と考え、壁画を修理して、司教に見張りの番兵をつけるように言います。
 そところが現れたのは、お猿の芸術家。得意げにまた絵の具を作って、色をべたべたべた。これには、呼ばれて来た司教も大笑いをする始末。おかしいとはいえ、画家としては面白くないブッファルマッコは「こちらには、このような画伯がおられる以上、私の仕事はありませんから、失礼します」と言い出すので、司教は笑いながらも、再修復を依頼します。
 それならば、とブッファルマッコは、猿を檻に閉じ込め、自分が仕事をしているのを、そばで見せつけ「絵の具をぬりらたいだろう。ざまみろ」とあかんべ〜をしながら仕事をしたそうです。大人げないというか・・。
 しかし、司教は、「冗談やいたずらで有名な画家をからかうとは大した猿じゃ」とこちらにもご満悦なので、業腹なブッフェルマッコは、ただではひきさがりません。最後に司教館に描くように頼まれた「鷲が獅子を襲ってやっつけている図」を、板囲いの中で誰にも見せないようにして描き上げ、「獅子が鷲を食っている図」にしてトンズラしてしまったそうです。
 真正面から競ったわけではないけれど、にらみあっているイメージで・・。背景はピサに残るブッファルマッコの壁画です。
2011-11-28 14:20 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年11月26日(土)
鷹匠
 

 カルパッチョの描いた「聖ウルスラ伝」の中に登場する鷹匠です。またしても、カルパッチョの絵の脇役ですね。
 聖ウルスラはブリテンの王女であるとされていますが、彼女が結婚するにあたって、婚約者に、結婚前にローマに巡礼をさせてほしいと頼み、その巡礼の帰途にフン族に襲われて、彼女に従っていた1万1千人の乙女とともに殉教したということになっています。
 その伝記物語の中に、イギリスの使節がやってくる場面で、大使についてきた従者たちとおぼしき人々や、大使を迎える人々などのが大勢描かれています。舞台はイギリスということになっていますが、カルパッチョが描く港や船などはすべてベネツィア風景。ですから、人々の衣装や風俗もほとんどベネツィア風なんですね。
 その中から一人の鷹匠が海岸沿いの通廊にたたずんでいます。
 自慢のヒップと足を目立たせる赤いホーズに、短い上着。黒い帽子には飾りを付けたいでたちは、ベネツィアの伊達男なのでしょう。
 鷹は金の鎖でつないでいるようです。 
2011-11-26 15:34 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年11月22日(火)
エンペドクレス
 

 エンペドクレスは、古代ギリシャの哲学者です。
 彼の学説は、火・水・土・空気の四元素説です。小難しい理屈はおいといて、古代ギリシャの学説が、ルネサンスのころに、また知識人の間で復活し、流行したのですね。
 で、その哲学者の肖像などを壁画に書いたりしたなかに、ルカ・シニョレッリが描いたエンペドクレスの絵があります。
 古代哲学者の肖像とくれば、なぜかワンパターンで、小奇麗なのや(ソクラテスなど)、小汚いの(ディオゲネス)かの違いくらいで、白髯の厳かな表情の老人と決まっていますが、シニョレッリのエンペドクレスは赤毛の若者です。
 後ろ向きで、何かに驚いたような表情で、画面から飛び出して、こちらに落下してきそうなポーズなんですね。
 そのスタイルにちょっと興味をひかれましたが、エンペドクレスといえば、シチリアは、アグリジェントの人で、エトナ火山の火口に飛び込んで自殺したという伝説がある人です。
 しかも、エトナの入り口にちゃんと靴をそろえて脱いでいたというので、人類最初に、履物をそろえて飛び込みをした人・・ということになっているそうです。難しい理論とともに、ちょっとミョーなエピソードを残してしまった人ですね。
 一説には、神になりたくてエトナに飛び込んだ・・あるいは、自分が神であることを証明しようとして飛び込んだとか・・まあ、いろんなことを言われていますねえ。
 シニョレッリの風俗で・・。
2011-11-22 22:15 | 記事へ | コメント(3) |
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2011年11月16日(水)
ロッソ・フィオレンティーノ
 

 しつこくイタリアッルネサンスしてます。この人は、もうマニエリスムの「御大」ですね。
 ロッソ・フィオレンティーノです。ジョバンニ・バッティスタ・ディ・ヤコポというのが本名だけれど、赤毛だったので「赤毛のフィレンツェ人」が通り名となったって・・当時の画家はネーミングがええかげんですね。
 ポントルモと並んで奇人の代表とされるそうですが、性格は真逆で、他人から逃げるのではなく、人様にもめごとをふっかける方。
 彼の絵は、かわいらしい天使の絵が有名ですが、あれは異色で、なんだかとっても「新しい」んですね。十字架降下など、伝統的な背景は無視するし、体の線がかくかくしてデザインっぽい。ポントルモの特徴が「目」なら、この人の絵は「折れ曲がる膝」! 絵のどこかに膝とか肘の、かくってなってるところがある・・と思う。
 彼もアンドレア・デル・サルトの弟子ですが、絵画の伝統を重んじないということで奇人変人と言われたわけではなく、行動も変人だったらしい。
 飼っていた猿を使って隣の修道院の果樹園からブドウを盗み、坊さんとモメて裁判沙汰になって、木に登れないように猿に重りをつける刑に処せられます。その猿が、隣の坊さんの部屋に行って、腰につけられた重りを屋根にがんがん叩きつけて壊すという「天才的」な復讐をします。
 そのせいかどうか、ロッソは弟子や猿をつれてローマに逃げ出します。そのローマでは「ローマ攻略」にあって、捕虜となりドイツ人の奴隷になる。
 やっと逃げ出したものの、イタリア各地を放浪しながら、熱病にかかったりしてエライ目にあい、仕事に復帰したかと思うと、教会の坊さんと、またモメごとを起こして、夜逃げするという始末。
 ところが運とはわからぬもの、イタリアから逃走して、フランスに行ったところ、かのアンドレア・デル・サルトに画料を踏み倒されたフランソワT世が、彼の絵を見て気に入り、フォーテンブローの宮廷に招かれます。師匠と違って、たくさん仕事をし、王様とは気が合い、えらい気に入られて、お給金はたぷりなのはもちろん、屋敷はもらうわ、馬車はもらうわで、王侯貴族のような生活を満喫。
 いわゆるフォンテーヌブロー派の基礎を築いたとされますが、友人と金銭が原因でモメごとを起こし、訴えられそうになったので、画材用の毒液を飲んで自殺してしまうという、唐突な人生の幕引き。王様は、大層嘆き悲しんだとか・・。
 ヴァザーリの画人伝にのっている肖像画は、ひげがたっぷりで、髪が少ない?晩年の姿なので、若いころのイメージです。彼の若いころの絵に、目つきの怪しい「青年の像」があるので、その雰囲気で。
2011-11-16 10:10 | 記事へ | コメント(3) |
| やらわ |
2011年11月15日(火)
ルクレツィア・デル・フェーデ
 

 画家アンドレア・デル・サルトの悪妻として有名なので、登場願いました。
 アンドレア・デル・サルトの描く女性はどれもこれもルクレツィアの顔をしてるというのは、かのヴァザーリが言うからなんですね。彼女が悪妻だというのも、もちろんヴァザーリが言うからです。
 人妻だった彼女に惚れ込んだアンドレアが懊悩している時に、都合よくルクレツィアは未亡人となり(毒殺説があるらしい!)、二人は晴れて?一緒になります。
 以後、彼の描く女性がすべて彼女の顔になったそうですが、それだけならいいのだけれど、アンドレアのところには、彼の画業を慕ってたくさん弟子が来たけれど、彼女がいじめるので長続きしなかったとか・・。
 また芸術好きで有名なフランスのフランソワT世が、彼をフォンテーヌブローの宮廷に招いて厚遇し、国際的な画家としての道が開けそうだったのに、ルクレツィアが呼び返し、アンドレアは「必ず戻ります」と約束して一時帰宅します。
 王は彼のために支度金やら、作品の前払いをしていたのに、結局、フランスには戻らず、お金は使い果たして王様の怒りを買ったのは、ひとえに彼女のせいだ・・と、これもヴァザーリが言っています。
 きわめつけは、アンドレアが病気になり寝込んでしまうと、ルクレツィアは自分が感染することを恐れて逃げ出し、あわれな画家は誰にもみとられずに死んでしまった・・というものです。
 アンドレアの死後も彼女は40年も生きていて、ヴァザーリが、伝記を書いて彼女を批判している時も存命だったとか。これは、遠い昔、バザーリ自身がアンドレアの弟子の時代に、彼女にいじめられ、よほど恨んでいたからだ・・といのですが、どうでしょう?
 そのせいか、彼女をモデルにした「ハルピュイアの聖母」は、「女王のように尊大な聖母」と言われています。
2011-11-15 09:49 | 記事へ | コメント(0) |
| やらわ |
2011年11月11日(金)
ポントルモとブロンズィーノ
 
 

ポントルモは、本名はヤコボ・カルッチ。ポントルモ村出身。
 マニエリスムの完成者ともいわれますが、彼の絵には一種独特の雰囲気があります。たぶん、一度見たら忘れられない奇妙な印象。あの十字架降下のキリストの青ざめた瞼とか、天使にしても、聖人にしてもみな目玉を剥いている! 自画像すら目むいてる! 目をひらいていてもつぶっていても「目」で勝負する画家ですね。
 アンドレア・デル・サルトの弟子だったけれど、師匠に激しく嫉妬されるくらいの腕前だったとか。しかも、奇人変人!
 有名な話では、だれとも会いたくないので、梯子をかけた屋根裏部屋に籠ってしまって、自分の出入りの時以外は梯子をまきあげていたという逸話。
 でも、この人嫌いでも、生きている以上は仕事と食事はしなければいけないのですが、その食事を一緒にしていたのが、9歳年下の弟子のブロンズィーノ
 かなり高齢になってからも、その日記の抜粋など読んでいると、ブロンズィーノとしか食事をしていないみたいなので・・・というか、ブロンズィーノが来ないと食事しないのか・・? という印象なんで、こういう絵を描いてみました。
 彼のぐちぐちした「日記」では、身体が痛いと文句たれているのはもう60歳を過ぎた晩年ですが、二人の爺さんの食事風景・・というのも、なかなか面白いな・・と思ったのだけれど、目玉向いて天井見てるポントルモの顔が印象的なので、彼の三十すぎくらいの肖像がから書いてみました。ブロンズィーノは若い肖像画を見つけられなかったので、彼の印象的な絵「本を持つ若者」風に・・。 
 それにしても・・・パンだけしか食べてないけど、ポントルモがフォークでパンを食べていたという記事はどこにもありませんから・・。なんとなくこんな手つきかな・・と。
2011-11-11 10:44 | 記事へ | コメント(2) |
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ニックネーム:おばさんたち
都道府県:大阪・兵庫
本宅「座乱読ーザ・ランドック」に登場又は登場予定のお友達。絵は(F)の独断ですが、ジャンル別索引や検索などで好みの人物を探して下さい。リンクも見てね♪

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