ニックネーム:ぽてけろ
都道府県:茨城県
元々、鉄道関連のWEBを1996年から一般公開していて、その中で独り言としてウダウダ書いていましたが、この手の内容はHTMLで書くよりブログの方が楽チンなので、現在既存のWEBから「独り言」を移行中です(^^ゞ

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2009年10月12日(月)
また雷管石・・・
モンスターハンターフロンティアオンライン 2周年記念プレミアムパッケージを買ってから弓用に防具だけは作成しましたが、他は手付かずだったのですが、先日一緒にクエストに行った方が、このパッケージのオマケの狩猟笛で、斬れ味回復【大】を吹いていて、双剣な私には凄〜く助かったので、私も作ってみようと作成したのは良いのですが、最終強化に必要な素材に雷管石が・・・以前、鋼弓【岩通し】に強化するのに、この雷管石4個の採取に苦労したのに、また雷管石採取に行くのかぁ(>_<)
と、言う訳で、早速再びベロキュロスの待つ渓谷(「春雷」クエ)に行って来ました。何回行けば採取出来るかなぁ・・と重い気持ちで向かったところ、何と今回は最初のクエで雷管石が2つも採取出来てしまい、逆に「あれれ・・(@_@;)」と拍子抜けしてしまいました。

で、早速強化して試し吹きに・・・でも、この笛って肉質が硬い系のモンスターに双剣さんが居るクエストの場合のフォロー位にしか使えないかなぁ・・演奏音もイマイチだしね(^^ゞ

2009-10-12 | 記事へ |
| MHF |
2009年09月13日(日)
モンスターハンターフロンティア
友人から「面白いからプレイしてみな〜♪」と言われ、PSPでMHP(モンスターハンターポータブル)を始めて、面白さ爆発で、MHP2、MHP2Gとプレイし、気が付いたらいつの間にかMHF(モンスターハンターフロンティア)にハマってしまってしまい、早1年以上が経ってしまいました(@_@;)
友人に作って貰った猟団も、この9月10日で創立1周年を迎えましたが・・・と、言っても私一人きりの猟団になってしまいましたが、サブキャラと共に猟団レベル12を目指して夜な夜なプレイしています(現在はレベル5)。
昨日、弓用の防具が完成し、これが中々スキルが良いので、現在はお気に入りの防具になりました。まだまだ色々と武器や防具の作成や強化をしないといけないですが、まだ当分遊べそうなゲームですね(^^ゞ
2009-09-13 | 記事へ |
| MHF |
2008年01月05日(土)
ハーべ(HB)
私が大学生だった頃、バイクにハマっていましたが、当時(今でも好きですが)大好きなスズキのバイクの中でも、ロードレースでスズキのスポンサーをしていたドイツのタバコHB(ハーベ)色のガンマが、スズキのイエローカラーとHBのイエローカラーで妙にマッチングしていて好きでした。それで良くドイツに行く友人に頼んでHBを買って来て貰いました。それから十数年が過ぎましたが、先日友人がハンガリーに出張に行くと言うので「ハーベを買って来て〜♪」と、頼んで見たけどやはりハンガリーには売っているハズもなく「仕方ない・・・」と思い忘れていたところ、今日、その友人から宅配便でハーベが送られて来ました(^_^)v


ドイツの有名なタバコ「ハーベ」
Tar 10mg
Nicotine 0.7mg
Carbon Monoxide 10mg


聞いたところ、その友人がドイツに出張に行く人に頼んでくれて買って来て貰ったそうで・・・感謝していますm(__)m
ただ残念な事に、昔の黄色いパッケージではなく(黄色いパッケージは売っていなかったそうで・・・)、黄色が控えめなパッケージだったのが残念ですが、いつもメンソール(マルボロメンソールBOXTar 12mgNicotine 0.8mg)を吸っている私でもすんなり吸えて、味もまろやかで、メンソールではない日本製のタバコを吸った時の紙臭さ(個人的な感想ですが・・)がなくて吸いやすい味は、昔と変わっていないような気がしました・・・・かも・・・・
ちなみにタバコで珍しいものと言えば、御召し列車運行時、関係者に配部された「菊の御紋」入りマイルドセブンを持っていますが、かなり前に頂いたモノなので、さすがに湿気っていて吸えないでしょうね(^^ゞ
2008-01-05 | 記事へ |
| 独り言 |
2007年11月12日(月)
トロピコ(Tropico)
最近、あまりに暇だったので、久しぶりにトロピコをプレイしました。発売は2001年と古いゲームで、元々MAC用で購入し(英語版)プレイしていましたが、Windows版も発売されていたのでWindows版も購入(完全日本語版)し、結局は操作性の良さからMACでのプレイは止めて、Windows版でプレイするようになってしまった経緯があります。この手のゲームは「育成SLG」と言うそうですが、私的にはこの他「シムピープル」、「A列車で行こう」、「エイジ オブ エンパイア(Age of Empires)」等のゲームにも時代時代でハマって来ましたが、定期的にプレイし続けて来た「Close Combat」シリーズとは異なり、プレイし始めて気が付くと数時間過ぎてしまっているのが、このトロピコです(^^ゞ
軽快なサンバのリズム(?)にノッて、プレイヤー(プレシデンテ)の秘書なのか執事なのか知らないが、プレイ中にプレイヤーに「プレシデンテ〜、・・・」と、色々と話掛けて来る役の江原正士さんの何とも言えないご忠告やお褒めのお言葉が妙にゲームにマッチしていて言われる度に「えっ!?そ、そうなのぉ・・・」とか「ヤバイぢゃん!」とか思いつつ1プレイが長時間になってしまい、何十年も掛けて築き上げた「国」が、ちょっとした気の抜きようで、一瞬の内にゲームオーバー(亡命させられる)してしまうのが凄い(;_;)

167年統治後のマップ

私はいつも「ランダムマップ」モードでプレイしています。と、言うのは「シナリオ」モードは難しくて、アッ!と言う間にゲームオーバーになってしまい、私みたいにノラリクラリとプレイしている人には中々シビアな内容です。と、言っても「ランダムマップ」モードですら結構大変で、国家資産が何十万ドルも持っているにも関わらず、数年後にはマイナスになってしまったりするし、何故か私の場合、反逆者が必ず反乱を起こし、それまで稼いでいた農場や伐採所、工場を破壊されてしまうケースが多い気がします。
私の場合、夜にお酒を飲みながらツマミ的にプレイするケースがほとんどなので、国民一人を選んで行動を見ていたり(まるでストーカー)、むやみに逮捕したり、抹殺したりして楽しんでいます。しかし、選挙が一番怖い(ToT)/~~~
2007-11-12 | 記事へ |
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2007年11月06日(火)
クロースコンバット(Close Combat)
話は変わりますが、世の中には数え切れない種類のPC用のゲームが存在します。個人的にPC用のゲームと言えばReal Time Tactical Gameと言われている種類が好きで、このReal Time Tactical Gameと言えば、1996年にMicrosoftから発売されたClose Combatと言えると思います(あくまでも個人的な意見ですが・・・)
ちなみに全て英語版(輸入物)でプレイしています。日本語版(Close Combat IVだけ日本語版です)だと何だか日本語表示がダルいので・・・(^^ヾ
Close Combat (1996)
オマハビーチ上陸後からサン・ローを目指す!
このゲームが発売された時には、か〜な〜り〜ハマりました。このゲームの内容って、「総攻撃(BREAKTHROUGH)」(1950年、ワーナー・ブラザース配給)の、特に連合軍の生垣から他の生垣へと一歩一歩進む「生垣戦術」あたりが映画とダブります。
ちなみにこのゲームはWindows 95用なので、Windows XP(Windows 95互換モードにしても)ではInstallすら出来ません(ーー;)
  Credits:
  • Developer: Atomic Games
  • Publisher: Microsoft

Close Combat II : A Bridge Too Far(1997)
ご存知、あのオランダでのMarket Garden作戦ですね。
ポーランド軍が出てくるのも面白いですが、前作を慣れていて、このIIをプレイした時には操作方法が変わったので違和感がありました。が、前作以上にハマってしまいました。
  Credits:
  • Developer: Atomic Games
  • Publisher: Microsoft
 

Close Combat III : The Russian Front (1999)
ドイツ軍の対ソ連戦でも東部戦線(第二次世界大戦)モノ。
グラフィック自体が最初のClose Combatみたいな感じがして、歩兵を操作するのが何だかなぁ・・・って感じがしましたし、ソ連軍が強くてドイツ軍でプレイすると、戦車とかがすぐに破壊されてしまった記憶があります。確か日本語版は発売されなかったような記憶が・・・
アメリカ軍が出てこないからかなぁ・・・
  Credits:
  • Developer: Atomic Games
  • Publisher: Microsoft
 

Close Combat IV : Battle of the Bulge (1999)
1944年に冬に行われたアルデンヌでの戦いです。
戦車ばかり出てくるので、戦い自体が大雑把になってしまう傾向な気がしました。このゲームからMicrosoftからではなく発売されましたが、OpeningのあのAtomic Games社のRock'n Rollな音楽が私は好きでした。
  Credits:
  • Developer: Atomic Games
  • Publisher: Strategic Simulations, Inc.
 

Close Combat V : Invasion Normandy (2000)
ノルマンディ上陸作戦のユタビーチ側からのモノ。
個人的にはこのゲームがある意味バランスが取れていて良いと思いますが、グランドキャンペーンでプレイすると、絶対に戦闘が発生しないMAPが多々出てくるのが何だかなぁ・・と、思いましたが今でもお酒を飲みながら( ̄- ̄)ボゥ・・っとお酒のつまみ的にプレイ出来るので良いですね。
  Credits:
  • Developer: Atomic Games
  • Publisher: Strategic Simulations, Inc.
 

The Road to Baghdad (2004)
2003年のイラクの侵攻についてのモノです。
このゲームはタイトルこそ「Close Combat」ではないですし、開発元もCreditsでは、
  • Developer: Take 2 Interactive
  • Publisher: Global Star Software
と、なっていますが、Atomic Games社のClose Combat engineを使用しているので、私的にはClose Combat VI(?)と呼んでも良いのではと思っております。ちなみにAtomic Games社は2005年にDestineer Studios社にM&Aされましたね。
Close Combat Vが発売後、VIが発売されないかなぁ・・とずっとWEBをCheckしていましたが、結局は発売されませんでしたが、「むむむ!」と、発見したのがこのソフトでした。
 

Close Combat TRILOGY(1999)
Microsoftから発売されたClose Combatの3種類が1つのパッケージで発売されたお得(?)な製品。

今でもちまちまプレイしているのは、やはりClose Combat Vです。これに関してはMOD(Modification)が多々存在しているみたいですが、私はオリジナルのままプレイしています。
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2007年10月29日(月)
ゼルダの伝説「トワイライトプリンセス」
ドラゴンクエストがWii版で発売され、中々面白いと言う事を聞いたので早速Wii本体とドラゴンクエストソードを購入し、プレイしましたが・・・やはりWii版としてのテスト的な要素が含まれているのか、フィールドを自由に動き回れなかったり、出てくる敵も同じ場所でしか出て来ない等、制約が多くて初めてWiiを使うには練習用のゲームとして楽しむ事が出来ました。
その後、ゼルダの伝説もWii版で出ていると聞いたので購入し、プレイを始めたのですが・・・・難しかったぁ!!!
ゼルダの伝説をプレイするのは、1986年にファミリーコンピュータのディスクシステムとして発売された第1作目(当時は大学生で、大学をサボって良くプレイしたものです(^^ゞ)、1992年にUS出張中に買った第3作目のスーパーファミコン版(A Link to the Past)以来の15年近く経ったゼルダの伝説は、驚くほど良く出来たゲームと関心しました。

ちなみに、US版のスーパーファミコン用ROMカセットは日本のスーパーファミコンとはROMの差込口の形状が違うので、そのまま差込む事は出来ないが、ROMのケースをバラして基盤だけにすると日本のスーパーファミコンでもプレイが出来る。
最後のエンディングまで74時間も掛かってしまいましたが、やはり時間が掛かったのは例の「馬車護衛」で、クリアするのに2日も掛かりましたよ〜(;_;)
なぜにここまで辛い思いをしないといけないんだぁ!!と、ヌンチャクを操作する麻痺寸前の左手の辛さを思い知りました。基本的にWiiのヌンチャクのコントロールスティック自体が私的には柔らか過ぎてシビアなコントロールが出来ず(力の入れ過ぎ??)、苦労しました。
色々とWEBに掲載されている攻略法を試して見ましたが、結局のところ、例の鳥を弓+爆弾でZ注目で一撃すると、難無くクリア出来ました♪
ところでクリアはしたものの、ハートのかけらの残り1つの場所がどうしても解らず、城下町のインパレスの恋愛運占いで占って貰っても、そこがどこなのかが解らない〜(;_;)


ここはどこ?
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2007年10月28日(日)
廃止された鉄路
最近めっきり「鉄」から離れてしまっていたので、「鉄」の浦島太郎状態になっていた私・・・InternetでWEBを検索すると廃止されてしまった鉄路についてのHPが多々あるので色々と拝見していると、チャレンジ20000kmで乗りに行った路線が懐かしく思います。しかも良くここまで調査したなぁ・・・と、関心してしまいます。
しかし、鉄路が消えていくのは寂しいものですね(T_T)/~~~


興浜南線(1985年7月15日廃止)雄武駅でパチリ
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2007年10月14日(日)
Beamish Suzuki RL250
ビーミッシュと言えば、お酒の名前と思う方も居るでしょうし、バイクに興味ある方でも知ってる方は極一部かと思いますが、1974年、現スズキ株式会社の最初のトライアルバイクRL250が、スズキが開発し、Graham Beamish氏が手がけて発表されたのが、このビーミッシュスズキのトライアルバイクです。と、某HPには書いてありましたが、本当のところは私は知りません。ちなみにサイドカーがOptionで付けられたそうで・・・・
私は2ストのバイクが元々大好きで、Suzuki TS400から始まり、Suzuki TS250、Suzuki RL250、Beamish Suzuki RL250、YAMAHA IT175、Suzuki RH250、YAMAHA TY175改と・・・ロード車では、RG250ガンマをスクラップ車からリストアして乗り、4ストではSuzuki GS400E、オフロード車では、Suzuki DR250Sを乗りました。


現在は、Suzuki RMX250Sを乗っています(と、言うより置いてあると言った方が正解かも知れませんが・・・・)
今でも家の庭の奥の片隅には、Beamish Suzuki RL250、YAMAHA IT175、YAMAHA TY175改の3台が放置されています。
その中でも異様を放ったBeamish Suzuki RL250について紹介します。
Beamish Suzuki RL250は、1978年のBEAMISH(Manufacturing & Plastics)LTD社のバイクで、brochureには、

RL250
Engine: Single cylinder two-stroke with special heavy flyheel.
Power Output: 18.5 bhp@6,000rpm
Exhaust: High power, high level system.
Ignition: PEI Electric.
Transmission: 5-speed gearbox with in-geer starting.
Frame: Reynolds 531 tubing, chromed and highly polished, with built-in rock guards, chain oiler and spring loaded footrests.
Front Suspension: Telescopic air/oil forks with 7" travet.
Rear Suspension: 45 degrees with Kayaba lightweight oil dampers.
Handlebars: Renthall alloy with black finish.
Wheels: Allow hubs and sprocket, fitted to narrow, alloy wheelrims.
Wheels & Tyres: Front - 2.75 x 21. Rear - 4.00 x 18.
Dry Weight: 85.5kg.

と、なっています。
でも、やはりこのBeamish Suzuki RL250の最大の特徴と言えば、約30年弱経った今でも錆び知らずの、今でもピカピカに輝いているReynolds 531 チューブを採用したフレームに尽きると思います。

Suzuki RL250 & Beamish Suzuki RL250(1985年頃)

さて、当時Suzuki RL250とSuzuki RH250Sを所有していた私は、Suzuki RH250Sを手放し、Beamish Suzuki RL250を入手し、無謀にも友人達3人と自走で北海道にツーリングに行ってしまったので・・・・東京から青森まで高速道路をひた走り、青森からフェリーで室蘭に向かい、壮大な北海道を750ccと400ccのロードバイクと共に、100km/h出せない(スペック上は出せるらしいが・・・・高速走行の為に前後のスプロケットをトライアル車にはあるまじき高速用に変更したが、出せて90km/hをキープして走行するのは、人間の限界を超えていると痛感した)辛さと、混合ガソリンに航続距離を考えていないタンク容量、座る事を考えていないシート、マイル表示のスピートメーター、荷物なんてまったく載せることが出来ないリアフェンダーと、物凄い事をしてしまったと、今では笑い話の一つになっています。今では道路交通法違反で捕まってしまいそうかも・・・・・

Beamish Suzuki RL250で北海道の国道を走る若かりし頃の私
(一緒に行った友人が走りながら撮影)
*後ろに積んでいるポリタンクは、ガソリンスタンドでガソリンとオイルを混ぜるための物・・・混合は辛い(>_<)

石北峠を快走中♪

[おまけ]

RL250で参戦中の私。
何度かYAMAHAに乗り換えようかと考えた事か・・・


懐かしい思い出です・・・(^^ゞ
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2007年10月07日(日)
さてとん(・∀・)ノ
と、言う訳で、ブログを開始しました(^o^)丿
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2007年03月28日(水)
Lotus Notes 7 設定変更手順
Lotus Notes 7で、Userの情報等を変更する場合の手順です。
(1) Lotus Notes 7を起動します。
 [スタート]→[すべてのプログラム(P)]→[Lotus Applications]→[Lotus Notes]で起動します。
(2) 起動したら、[File]→[Preferences]→[Client Reconfiguration Wizard…]を選択します。

(3) 「Lotus Notes Client Configuration」が起動しますので、必要な項目にCheckを入れ、NextをClickします。

(4) 次に、IMAP/POPについてのMail Serverの情報を入力し、NextをClickします。

(5) 次に、Userの情報を入力します。これは、Mail ServerのAccount情報を入力する事になります。入力が終わったら、NextをClickします。

(6) 次に、SMTP Serverの情報を入力し、NextをClickします。

(7) ここでは、UserのMail Address及び、InternetのDomainを入力します。

(8) 次は、LADPの情報の入力をします。項目(3)の「Additional Services」で「Directory Server (LDAP)」を選択した場合に表示されます。

(9) 上記でNextをClickすれば、設定は終了です。
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2002年05月25日(土)
マニ30
最近、雨の日が続いていたが、先日久々の快晴だったので、「良し!」と重い腰を上げて、以前から撮ろうと思っていた隅田川駅に留置してあるマニ30-2000番台の形式写真を撮りに出かけました。このマニ30-2000は常磐線南千住駅ホームから留置してあるのが確認出来るので、以前から通る度に何両居るかを記録していたので、その「マニ30-2000通信」とかのコーナーを作ろうと考えていました。その為には、まず実車の写真が無くては・・・・と、かなり前から思ってはいたのですが、いつも特急で通り過ぎてしまうので、中々南千住に降りる機会がありませんでした。
この日はのんびりと普通列車で南千住に向かいました。日曜日の午後の上り列車だけあって、車内は始発の土浦駅からガラガラで、中々快適な普通列車の旅が出来ました。北千住駅を過ぎ、南千住駅に近づいて来たので、「どれどれ今日は何両いるかなぁ・・」とワクワクした気持ちで隅田川駅のいつも留置してあるハズの場所を見ると・・・・なんてこったい!1両も停まっていない!・・・うそ!と思いつつ、重いカメラバックを持ちつつ南千住で撮りあえず降車して、いつも2両停まっているハズの留置線まで歩いて行ってみたが、勿論2両とも居なかった・・・・検査かなぁ?それとも2両共働いているのかなぁ・・・と、自棄に重く感じるカメラバックを抱え直して、私は帰路に着いたのでした・・・
以下は、私が確認した日時と両数です。(あくまでも記録をした日時と両数のみで、通常は2両が仲良く停車しています。)

05/19/02 16:00 - 0両
01/15/02 06:57 - 1両
08/22/01 14:36 - 1両
05/13/01 15:27 - 1両
04/03/01 11:56 - 1両
05/06/00 12:58 - 2両
04/27/00 17:11 - 2両
04/15/00 11:36 - 2両
04/09/00 13:58 - 2両
04/02/00 15:58 - 2両
01/05/00 15:58 - 2両
12/28/99 15:36 - 2両
12/27/99 12:36 - 2両
12/25/99 12:56 - 2両
12/05/99 15:58 - 1両
10/24/99 16:28 - 1両
10/09/99 13:36 - 2両
10/03/99 12:56 - 2両
09/19/99 15:58 - 2両
09/18/99 15:36 - 2両

記録はしていませんが、0両の時も何度か見た事があるのは確かですが・・・・寄りによって撮りに行った日に・・・・
と、久々に撮影に行ったら、こう言う事があったので、今日は天気が良かったので気合を入れて検測車(クモヤ193系)の撮影に鹿島線に出かけて来ました。
しかし、何故か鹿島線に撮影に行くと雲が多い事が多く・・・で、今日も晴れてはいたが、やはり雲が多く、青空の下での撮影とは行かなかったのが残念。
でも、久々の撮影で写真の出来はともかくとして、楽しい一日でした。

電気検測クモヤ193系(鹿島神宮〜北鹿島)
2002-05-25 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2000年08月13日(日)
583系
日本中がお盆の休みと夏休みに突入している中、「何で土曜日にまで、出張に行かないといけないんだぁ・・・・ぶつぶつ・・」と思いながら、「フレッシュひたち8号」で上野に向かいました。ビジネス特急と言われているだけあって、この日の「フレッシュひたち」も、指定席はガラガラの乗車率で、外は朝から快晴で暑いながらも、車内は程良いエアコンの効きで、快適でした。南千住の隅田川駅構内に配置されている、マニ30を「あっ、今日も2両居るな・・」と思いつつも、日暮里を定時に通過。「あ〜ぁ、これからこの混んでいる中、出張嫌だなぁ・・・」と列車を降りる準備をしつつも、何気に窓の外を見ると、クリーム色に青いラインの・・・・「うわぁ、583系だぁ!」と、静まった車内で叫びそうになるのを押さえつつ、暫くこのE653系と、国鉄色がそのままの583系の併送シーンを楽しみました。良く見ると、やはり583系は、塗装も車体もボロボロで、やはり年月が経っていて、かなりの老朽化が進んでいるのが、はっきりと解り、「あと何年耐えられるのかなぁ・・・・」と思いつつも、やはり老朽化しても、583系、その形の美しさとカッコ良さに、しばし「ボーッ」と眺めていました。ヘッドマークは「回送」だったが、私の乗る「フレッシュひたち8号」が上野駅17番線に入線するのと同じスピードで、583系は、15番線へと入線して行きました。

「フレッシュひたち」と併走し、上野駅に入線する583系

この数分間の、思いがけないプレゼントのおかげで、とても嬉しくなり、土曜日に出張に行くと言う、嫌な気持ちもすっかりなくなり、「やっぱり、かっちょ良い!」と15番線に到着した583系を、眺めつつも、新幹線の時間もあるので、早々と山手線のホームへ向かいました。勿論、15番線ホームには、カメラを持った人が数人583系の写真を撮っていました。
少しでも長く、この色のままで、残っていて欲しいものです。
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2000年06月11日(日)
寝台特急「はやぶさ」A個室寝台

A個室寝台オロネ25の室内


9連休だった長いゴールデンウィークも終わり、再び出張が始まり、博多に行った帰りに、再び寝台列車で帰る事になりました。博多発の時間的に一番合うのが、寝台特急「はやぶさ」で、博多発が19時44分。ただ、東京に到着するのが、翌昼の11時27分と、ちょっと不便な時間だが、飛行機が大の苦手の私としては、しょうがない。まぁ、名古屋到着が、翌朝6時52分なので、ここから「のぞみ40号」に乗り換えて(名古屋発7時05分)東京に向かえば、8時42分には着くが、昔流行った、「狭い日本、そんなに急いでどこえ行く!」の通り、そのまま東京まで、乗る事にした。

国鉄時代そのままのパネル


何度も乗った事があるので、知ってはいたが、「北斗星」のA個室寝台ロイヤルを最近乗ってからの「はやぶさ」のA個室寝台(オロネ25-4)は、さすがの狭さに改めて驚いた。「あさかぜ」、「あけぼの」や「北陸」に使用されている新型のA個室寝台は、1車両が10〜11部屋。それに比べて「はやぶさ」の国鉄時代からのオリジナル車両(オロネ25-0番台)は、1車両が14部屋と、1部屋の狭さが良く解る。勿論、シャワー室も装備されていないので、サービスに付くのは、1本のタオルだけ。「あさかぜ」や「北陸」のA個室寝台に乗ると、タオルの他に、歯ブラシ、シャンプー、髭剃り等のセットがサービスに付いてくる。せっかく室内には洗面台が付いているのだから、せめて歯ブラシと髭剃り位は、付けて欲しいものだ。これで寝台料金が、13,350円とは、さすがに今の時代にマッチしていない気がした。「北斗星」のロイヤルの17,180円と比べて、この3,830円の差が開きすぎると思うのは、私だけではないと思うが・・・・・

JNRのマークが光る灰皿


唯一の救いは、灰皿も昔のまま、温度計も昔のままに「JNR」の文字が入ったままで、国鉄時代を忍ばせてくれた事だった。
寝台車離れが進む中、さすがに私がどんなに好きでも、国鉄時代の車両では、今のサービスには無理があるのかなぁ・・・・・と実感した。
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2000年04月16日(日)
札幌出張「北斗星3号・2号」迂回ツアー
春の出張ツアーの締めくくりとして、4月24・25日と、札幌に出張に行く事にしたのは、3月も中旬。飛行機が大の苦手の私としては、「北斗星」での往復を考えていた。でも、何だかんだで忙しくて、なかなか切符を手配する事が出来ずにいたら、「有珠山噴火!」のニュース。そして、室蘭本線の伊達紋別〜豊浦間の運転見合わせの情報。
「北斗星」での復路は、「絶対にA個室寝台ロイヤルに乗ってやる!」と、指定が取れなかったら、出張は延期する位の覚悟で、4月10日、川崎駅のみどりの窓口で聞いてみると、あっさり取れてしまった。グランシャリオでの食事を考えたが、98年に「北斗星」で帰って来た時に、「やっぱり、一人で食べるのは寂しい!」事を経験したので、どうするかは後日考える事にした。ところが、出発予定の4月22日の往路の「北斗星1号」の指定が、全く取れない!B開放寝台ですら開いていなかった・・・・
でも、「まぁ、直前になればキャンセルが出るだろう!」と安易な考えで、取りあえずは復路分のロイヤルだけを確保した。
出張も1週間前に迫って来たので、上野駅のみどりの窓口に寄ったついでに、行きの分の「北斗星1号」の指定を聞いてみたところ、やっぱり全室満席状態!仕方がないので、「北斗星3号」の指定を取ろうとしたら、ここで初めて知ったのだが、「北斗星3号」は函館止まりとの事。函館到着の時間を聞いてみたら、朝の6時34分と言われ、「これじゃぁ、まるで寝台特急「北陸」並みに寝る時間がないじゃないかぁ!」と、思ったが、函館では、山線(函館本線)経由で特急「北斗」が走ると言う事で、「まぁ、久々に山線の峠越えでも楽しむか!」と思い、「北斗星3号」のB個室寝台券と、この「北斗星3号」に連絡する「臨時特急北斗61号」の指定を確保した。
出発前日にも関わらず、会社の人と、朝4時過ぎまで飲んでしまい、寝不足と二日酔いのまま、4月22日の当日の夕方、上野駅へと向かいました。「寝台に乗ったら、やっぱりビールだ!」と、夢みていたのだが、さすがの二日酔いと寝不足で、ビールを見る気さえ起きず、お弁当とウーロン茶、缶コーヒーを買い込み、13番線ホームへと向かいました。
函館止まりのせいか、ゴールデン・ウィーク前のせいか、この「北斗星3号」を待つ人は疎らで、入線して来るなり私は9号車(オロハネ25-503)の3号室、B個室寝台に乗り込みました。B個室寝台は、二階建て構造になっていて、私の3号室は一階にあたり、狭いながらも誰にも邪魔されず、一人になれるのが良いが、天井が低いので、身長が178cmの私には勿論、真っ直ぐ立つ事は出来ない。着替えも中腰状態でしなくてはいけない。これを考えると、B開放寝台の方が名前の通り、開放感があって良いかもしれない。

寝台特急「北斗星3号」の案内

19時03分、「ガクン!」と、客車特有の揺れがあり、定時にひっそりと上野駅を出発しました。車内放送では車賞さんが、有珠山の噴火の影響により、この「北斗星3号」は函館までしか運転しない事、函館からは札幌行きの連絡特急がある事を、ひたすら強調していた。発車するとまもなく車掌さんが検札に来て、急遽作ったと思われる、手作りの函館からの連絡特急の時刻表と、B個室寝台の部屋のカードキーを置いて行った。車内は、「グランシャリオ」の案内が流れたが、今日は私には無縁の事なので、浴衣に着替えると、キオスクで買ったお弁当を広げ、狭い窓から夜の車窓を楽しみながら、遅い夕飯を食べた。
翌朝も早く起きなくてはいけない事もあり、二日酔いと寝不足の為か、どう頑張っても瞼の重さには勝てず、20時27分の宇都宮停車前には、ベットに潜り込んでしまっていた。
うとうとして気が付くと、いきなり「グォオオオオオ!」と言う音と共に、台風の大雨の中を走る列車の様に、雨が車体に叩きつけられるような「ザザッ!ベシベシ!」と言う音がして、青函トンネルの中を列車は走っていた。この音と共に徐々に目が覚めて来てしまい、ベットに横になりながらも、「このまま札幌まで行ってくれたら、このまま再び寝る事が出来るんだけどなぁ・・・・」と思いつつも、トンネルを抜けると、窓の外は既に明るく、「あっ!道内に入った!」と思いながらも、雨が降っていたのと、早起きしなくてはいけない事もあり、あまり感動は起きなかった。前日、上野駅のキオスクで買った缶コーヒーを開け、タバコを吸いながら飲んでいると、車内放送で「おはようございます。この列車は北斗星3号札幌行きですが、本日は有珠山の噴火の・・・」と、函館止まりを再び説明していた。これだけ車掌さんが説明していても、「この列車は、札幌まで行くはずだ!」とか思い込んでいる人がいるのかなぁ?とか考えつつ、函館に近づくにつれて、私の脳も活発化してきて、徐々に目が完全に覚めて来た。

ドラえもんマーク入りのED79・・・

まさに、まるで寝台特急「北陸」の様に、6時34分、函館駅の7番線に到着した。青函トンネルを牽いて来たED79は、ドラえもんのマークが入っていて、とても好きにはなれない塗装色だった。個人的には、しずかちゃん塗装しして欲しかったが、まぁ、ジャイアンよりは良いか!とか思いながらも、これから札幌までの約4時間の山線経由を楽しもうと、函館駅ホームで駅弁を買い、「北斗星3号」の到着した7番線の隣のホーム6番線に停車中の札幌行き、臨時特急「北斗61号」に乗りこみました。この臨時特急「北斗61号」は、「北斗星」からの乗り継ぎ割り引きが適用されていて、特急料金も安かった。指定席の1号車(キハ283-2)は、札幌向きの先頭車で、勿論喫煙可能車で、朝早い事もあって、函館からの乗車人数は、とても少なかった。
ところで、何故指定券にまで「臨時特急」と言う名前を入れるのか不思議だったが、せっかくの函館本線経由の山越えをするのだから、せめて「北海」の名称を付けて欲しかったと思ったのは、決して私だけではないと思う。経路自体は、まさに特急「北海」そのものですからね。
7時05分、定時に函館駅6番線ホームを、重々しいディーゼルエンジンの音を唸らせて、臨時特急「北斗61号」は、札幌に向けて出発した。約4時間の長旅の始まりだ。
JR北海道の新鋭キハ283系は、長万部までは、いつもの走りなれたコースの為か、車体を振り子りながら、軽快なスピードで走り抜ける。五稜郭、大沼公園、森、八雲と停車しながらも、長万部に到着。ここで運転手さんが交代となり、ここから待望の山線となる。長万部〜札幌間は、この函館本線経由だと、174.0kmに対して、通常の室蘭本線・千歳線経由だと206.4kmと、距離的には、32.4km程函館本線経由の方が短いが、室蘭本線・千歳線経由の所要時間2時間に比べて、40分も余計に時間がかかってしまう。いかに山越えがキツイかを物語っている。
8時20分、長万部を出発すると、いつもの走り慣れた室蘭本線にいきなり別れを告げ、今までの快適なスピードで走って来たのが嘘のように、ディーゼルエンジンを思いっきり唸らせ、まるでへろへろの30キロレール上を走る、廃止されてしまつたローカル線を単行のキハ20が走る様に、のんびりと、しかも辛そうに走り出した。「いやぁ〜、やっぱり山越えは良い!」と晴れてきた車窓を眺めながらのんびり楽しんでいると、左手前方に、大きな虹が見えた。虹を見るのは何年振りだろう・・・・と思いつつも、列車はどんどん山奥へと向かって行く。さすがにこのスピードでは、キハ283系も得意の振り子を使えず、「まぁ、たまには振り子機能を休ませるかぁ!」と労わっているかの様に、のんびりと札幌を目指す。トンネルを何度も抜けると、周りの景色には、どんどん雪が多くなって来て、まるで「まだ冬?」と、4月の後半とは思えぬ状況と、この時期に、これだけの雪を見れてラッキー!と雪にワクワクしながら、車窓を楽しんだ。
9時23分、ニセコ駅で函館行きの臨時特急「北斗82号」とすれ違いの為、運転停車した後、最初の停車駅、倶知安に到着。倶知安を9時38分に出発すると、約1時間で次の停車駅小樽に着く。このままこの「北斗61号」に乗って札幌まで行くと、札幌には11時02分に着いてしまい、当然この時間では、ホテルにチェックインする事も出来ないので、せっかくここまで来たのだからと、小樽で途中下車する事にしました。
10時33分に最終目的地札幌に向けて出発した「北斗61号」を小樽駅で見送り、私は改札に向かいました。今回は、遊びで北海道に来たのではなく、仕事で来ているので、勿論スーツにDEMO様の用品とか着替えとかが入っているリュックを背負い、仕事には欠かせないモバイルPCをケースに入れて、手に持っているので、この日曜日に、観光地小樽に立つと、なんか怪しげな感じがしたので、取りあえず、リュックからカメラ(一応持参して来ました)だけを取りだし、他の全ての荷物は駅のコインロッカーに入れ、一度来て見たかった、小樽交通記念館に行く事にしました。小樽駅から、この小樽交通記念館までは、駅前からバスで15分位で行け、入場料金940円を払うと、そこは私が学生時代に現役だった、しかも北海道で活躍した懐かしい車両達ばかりが、待っていてくれた。時間も早い事もあるのか、園内には人がまばらで、私はここぞとばかりに写真を撮りたかったのだが、持って来たカメラは、キャノンのEOS-IXEで、予備のAPSのポジフィルムを持って来なかったし、カメラに残っているフィルムが20枚ちょっとしかなかったので、取りあえず、園内を周ってから撮る車両を決める事にしたが、どれもこれも好きな車両ばかりで、「せめて1本でも良いから、予備のフィルムを持って来るんだったぁ!」と後悔しても始まらないので、展示してある車両達を、じっくり観察する事にしました。この小樽交通記念館は、旧手宮線手宮駅跡に作られていて、以前のホームのあったであろう付近から、線路が放射状に伸びている。その線路の先端の小樽方面にはフェンスが張られていて、そのフェンスを挟んで旧駅前だったであろう所には道路が走っていて、線路は埋められてしまっているが、道路の向こう側には、再び線路が小樽方面に向かって伸びている。その、駅前だったであろう場所の裏手には、小さいながらもバスターミナルがあり、「手宮」行きのバスが頻繁に走っている。個人的に思ったのは、この手宮線は、復活させようと思えば、割と簡単に復活できそうな気がしたが、手宮線自体を小樽駅を出発駅にしないと、意味がない気がした。函館本線で、小樽から札幌に向けて乗っていると、小樽を過ぎて、南小樽に近づくにつれて、左手下方から、線路が近寄って来て、やがて南小樽駅で合流する、これが手宮線である。1985年11月までは貨物列車が走っていた。
こういう楽しい場所に居ると、時間が経つのが早くて、気が付くと14時30分を過ぎていた。園内にも家族連れの人や、アベックの人が増えて来て、お弁当持参で来た家族連れは、展示してあるキシ80の中で、その持参したお弁当を食べていた。ただ、キシ80は2両も展示してあるのに、2両共内装が全て撤去され、単なるカウンターとテーブルに、自動販売機のみの設置になっていたのが痛々しかった。せめて1両位は、オリジナルのまま残して欲しかった。これだけが唯一、心残りだった。
その手宮駅であっただろう場所の裏手の、バスターミナルからバスで小樽駅に戻り、小樽15時30分発の臨時特急「北斗65号」(キハ183-4562)で最終目的地の札幌に向かいました。16時02分、終点札幌に到着した後、ホテルにやっとチェックインし、ホテルに送っておいた、翌日から仕事で使うアイテムを受け取り、持参のPCで会社のメールをチェックしつつ、寝不足もあったので、この日は早めに就寝しました。
翌日、スタッフの子(羽田から飛行機で来た)と札幌で合流し、2日間仕事をして、4月25日再び部下の子と別れ、「北斗星2号」までの時間があったので、取りあえず時間つぶしも兼ねて、小樽築港駅まで行って見ました。小樽築港駅は、真新しく改装され、国鉄が民営分割化された時にTV中継でC62が走った、C62の故郷の小樽築港機関区は跡形もなく解体されていて、跡地はきれいに整地されていて、時の流れと、寂しいものを感じました。

東北本線 水沢〜金ヶ崎間の橋梁にゆがみが発見されたためによる、迂回のお知らせ


と、真新しくなった小樽築港駅で、ボーッとしていると、iMODEにメールが来た。それは、JRの運転状況の情報を教えてくれる(契約が必要)「JRダイヤ情報メール」だった。有珠山の噴火後、毎日の様に、「 JR北海道管内 自然災害の影響で、本日、「北斗星小樽号」は函館本線経由に変更して札幌まで運転します。「北斗星81号」「北斗星3号」「エルム」は函館止まりとなります。 」と言う情報が送られてくるので、「また、北斗星の迂回と、函館止まりのメールだなぁ!」と思ってメールを確認してみると、確かにそのメールも来て居たが、他には、もう一つ、なんと「 東北本線 水沢〜金ヶ崎間の橋梁にゆがみが発見されたため、「北斗星1・3号及びカシオペア号」は一部経由を変更して運転します。なお、「はくつる号」は全区間運休します。 」と言うメールが送られて来た。「ええっ?マジィ??」と、思い、小樽築港駅から札幌まで快速電車で戻り、札幌駅の「みどりの窓口」に問い合わせたところ、「 北斗星2号は、予定通り運転しますが、奥羽、羽越、上越線経由で運転しますので、予定より上野到着が3時間程遅れます! 」との事。
また、私は北斗星の、正規のルート(千歳線、室蘭本線、函館本線、江差線、津軽海峡線、津軽線、東北本線 )で帰る事が出来ないのぉ?」と、思いつつ、翌日入っていたミーティングの時間を、遅くずらして貰うように、お客さんに連絡した。まぁ、でも、以前の様に、台風で6時間も遅れたりはしないだろう!と思いつつ、札幌駅のキオスクで、お弁当やビールにおつまみ等を買い込み、「北斗星2号」の出発に備えた。
17時10分前後、札幌駅5番線ホームに、北斗星色に塗装されたDD51の重連が、重々しいディーゼルエンジンの唸り声を挙げて牽引して「北斗星2号」が入線して来た。入線して、すぐの発車となる。私はワクワクしながら、10号車(オロハネ25-554)に乗り込み、11号室のA個室寝台ロイヤルのドアを開けた。

言葉にならない位、予想以上に、雑誌とかで見る写真とかからの想像を遥かに超えた、超〜ウルトラ凄い寝台だった!一瞬、「マジィ!」と、固まってしまった。とにかく、今まで多々乗った寝台や、グリーン車に比べて、全然比較にならない程、凄い寝台!と、言うか、部屋だった!
「こりゃぁ〜、一人で乗ったらバチが当たるぞ!」と、思い、改めて寝台料金が17180円もする価値が理解出来た。そして、寝台内と言うか、部屋の中でそわそわしている内に、17時13分、札幌駅を「北斗星2号」は出発しました。

寝台特急「北斗星」のA個室寝台ロイヤル(オロハネ25-554)


出発すると、車掌さんが検札にやって来て、乗車券と寝台特急券を見せると、「ありがとうございます」と一礼し、部屋の鍵とA個室寝台には付いてくる、タオル、石鹸、歯ブラシなどのセットを渡してくれた。車内放送では、有珠山の噴火の為に小樽周りで運転される事と、東北本線の水沢〜金ヶ崎間が不通のために 奥羽・羽越・信越・上越・高崎線経由で運転される旨を放送していた。でも、何故、私が「北斗星」に乗車すると、必ずどこかが不通の為に、迂回コースを取る羽目になるのだろう・・・・と、真剣に思ってしまった。
とか、考えていると、ドアを「コンコン」と叩く音と、「食堂車の従業員です」との声が聞こえたので、ドアを開けると、「サービス品をお持ちしました!」と、十勝ワイン、ウィスキー、缶のお茶、ミネラルウォーターを持ってきてくれた。また、「明日の朝、コーヒ−をお持ちしますが、何時頃にいたしましょうか?」と、モーニングコーヒーのサービスもある事を、初めて知ったので、この思いっきり迂回コースを取る「北斗星2号」の上野到着予定時間が、12時35分と聞いていたので、「9時頃、お願いします」と頼んだ。備え付けの机には、良くホテルに置いてあるのと同じ、部屋の案内書が置いてあり、中を読むと、なんと、ルームサービスまである事を知って、またまたびっくり!何故、電話機が付いているのがが理解出来た。この電話で、車賞さんとも連絡が取れるらしい。

寝台特急「北斗星」のA個室寝台ロイヤルの部屋の鍵

部屋には、シャワールーム兼トイレが付いているのはともかく、ヘアドライヤー、TVは勿論、絵画まで飾ってある。ベットも広く、補助ベットを出してセットしてみたら、まさにクイーンサイズのダブルベットと化する。これなら2人で泊まっても、充分だと感じた。シャワーも、通常のA個室寝台で貰えるシャワー券だと10分しか使えないが、備え付けの為か、何分でも使えてしまう。勿論、バスタオルも装備されている。とにかく、「動くホテル」に相応しい装備、内容だった。これで、食堂車「グランシャリオ」で7800円のフランス料理でも食べれば、完璧なのだろうが、やっぱり一人で食堂車で食べるのは、寂しいので、札幌駅のキオスクで買ったお弁当を、豪華なロイヤルのロッキングチェアーに腰掛けて、めちゃめちゃ広い窓から、車窓を眺めながら食べた。

寝台特急「北斗星」のA個室寝台ロイヤルに乗ると、サービスされる品々・その1

「北斗星2号」は、最初の停車駅、小樽を17時48分に出発後、19時01分、倶知安で待ち合わせの為に運転停車した。4分停車後、待ち合わせても列車は来なく、19時05分、倶知安駅を出発した。その後、列車は快適に走りっているかの様に見えたが、20時15分に、黒松内駅で再び運転停車。「4分程停車します」のアナウンスがあったが、その後、「待ち合わせの北斗71号が10分程、遅れているので、20時30分頃発車予定です。」と、再びアナウンス。10分遅れようが、20分遅れようが、3時間遅れるのが解っている以上、ほとんど誤差に近いので、豪華なロイヤルの部屋でくつろぎながら、のんびり列車の旅を楽しんでいた。

寝台特急「北斗星」のA個室寝台ロイヤルのシャワー兼トイレ


20時33分、遅れている臨時特急「北斗71号」が通過して行き、この「北斗星2号」は、20時24分、黒松内駅を出発した。そして札幌を出発して2つ目の停車駅、長万部に20時56分に到着、1分停車の後、再び一路上野を目指して出発した。
車内では、八雲、森、函館に停車後、青森に0時55分、その後は迂回コースの為、大宮12時12分まで止まらない事と、上野には12時35分頃の到着予定と言う事を、車掌さんがアナウンスしていた。
そのアナウンス通り、八雲(21時20分)、森(21時44分)と停車し、22時30分、函館に到着した。函館から進行方向が変わり、22時35分、函館駅を出発する頃には、私もお酒が進み、良い気持ちになって来て居たが、なんか寝るのが勿体無い気がしてしまい、「どうせ上野に着くのは12時過ぎだから、夜更かししちゃお〜!」と思い、TVに流れるビデオを見ながら、再びお酒を飲んでいた。「青函トンネルは、23時30分頃の予定です。トンネルの長さは、53.8kmで、この北斗星は、約39分で通過します。」とのアナウンスが流れたのまでは覚えているが、気が付くと、窓の外は明るく、寝起きでボーッとしていたら、7時15分、新発田駅に運転停車した。さすがに良く寝れた!と、感じがした。

備え付けのヘア・ドライヤー


7時35分に、車内に、「おはようございます、只今迂回運転の為、52分遅れて運転しています。」とのアナウンスがあったが、何故52分?もっと遅れているのでは?とか疑問に思ったが、7時41分に新津駅の手前で、信号停車した。2分停車後、7時46分に新津駅に到着。ホームの通勤・通学の人達は、突然の「北斗星」の襲来に、「何で?」の様な不思議そうな顔をして、「北斗星」を見ていた。以前、「北斗星」は常磐線経由で走った時も、やはりホームの人達は、不思議そうな顔をして見ていた。やはり、人はいつもと違った事があると、「えっ?」と思うのでしょう。まぁ、私も実際その内の一人なのだが・・・・・
新津駅で2分停車し、7時48分に出発。7時50分頃、国鉄色のEF81-5の牽く貨物列車とすれ違った。やっぱりEF81は、例のローズピンク色が一番良いなぁ!と思う。8時には、羽生田駅で581系の急行「きたぐに」とすれ違い、私は買いだめしてある缶コーヒ−を目覚ましの為に、2本立て続けに飲んだ。
営業している食堂車の連結されている寝台列車の良いところは、朝早くから、車内販売に来てくれるところでしょうか。勿論、着替えて、食堂車に朝食を食べに行くのも良し。ただ、今回の朝食は、昨日のおつまみの残りで済まそうかと考えていたが、上野に到着するのが、お昼過ぎであり事を考えて、丁度車内販売が周って来たので、お弁当を買った。なんと、売っていたお弁当は、新津駅の「SLばんえつ物語弁当」だった。まさか、「北斗星」で、新津駅の駅弁を食べれるとは思えなかったので、ちょっと嬉しかったです。

寝台特急「北斗星」のA個室寝台ロイヤル


列車は、8時30分に、長岡駅の4番線ホームに再び運転停車。何分か遅れて走っているのか、それとも、定刻で走っているのか、全く解らない状態だった。長岡では8分停車後、ここからは、上越国境を越えるルートになる。昼間に長岡から、上越線経由で上野まで通して乗るのは、上越新幹線開業前に、急行「佐渡」で新潟から上野まで通して乗って以来、超〜久々の事だった。んんん・・・・今回の旅も、なかなか変化に富んでいて良いなぁ!とか関心していると、9時08分、ドアをノックする音が聞こえ、ドアを開けると、昨日、ワインやウィスキーを持ってきてくれた食堂車の従業員の方(多分、会計係りさんか、食堂長さん)が、いつもの銀色のトレイに、食堂車で使っているコーヒーカップで、モーニングコーヒーを運んで来てくれた。やっぱり、ロイヤルのサービスはさすがだ!学生時代、日本食堂の上野営業所でアルバイトしていた時、最後に乗務した食堂車が、金沢と上野を信越本線経由で結んでいた、特急「白山」の食堂車だった。この時は、人手が足りなくて、従来のワゴンによる車内販売の仕事としてではなく、厨房に入って、コックさんの手伝いとしての乗務だった。コーヒーを運んで来てくれた食堂車の方を見て、ふと、その頃を思い出した。

寝台特急「北斗星」のA個室寝台ロイヤルに乗ると、サービスされる品々・その2


上越線に入った「北斗星2号」は、9時15分、六日町駅を通過、石打駅を過ぎた頃の9時24分、特急「はくたか」とすれ違い、9時29分、越後湯沢駅の4番線ホームに再び運転停車となった。長岡から越後湯沢までの間、どこで調べたのか、この上越線経由で走る「北斗星」を撮っている人が、数人見うけられた。私も内心は、乗っているより、撮りたかった。越後湯沢で2分の停車後の9時31分、越後湯沢の駅を後にした。先ほど持ってきてくれたコーヒーは、ぬるくも無く、熱くも無く、程よい温かさで、味わいもなかなか良かった。ただ、もう1杯飲みたかった。
「北斗星2号」は、快適なスピードと、めったに見れない環境(寝台車)での車窓を楽しませてくれながら、上越国境を抜け、水上(10時04分到着、06分出発)、高崎(10時54分到着、55分出発)と、運転停車をし、その間、ホームで何気に列車を待っている人達の目をくぎ付けにし、本州内2番目の停車駅、大宮を目指した。11時36分頃、熊谷駅を通過する頃から、外は雨模様となり、「この荷物で傘をさして、駅から会社まで歩くのは、しんどいなぁ・・・」と、思いつつ、長かった「北斗星2号」の快適、かつ豪華で、迂回だらけの列車の旅が終わろうとしている。12時15分、大宮駅の6番線ホームに到着。正規のルートを経由して来た場合の時間より、3時間3分遅れての到着だった。
大宮駅を12時17分に出発後、私も散らかった室内と、荷物を片付け始め、楽しかった「旅」を振り返りつつ、これから会社に行って、ミーティングだ!と思うと、少し気持ちが落ち込んでしまった。そして、12時39分、上野駅15番線ホームに、正規の時間より3時間4分遅れての到着となった。到着後、ドアが開き、列車を降りて、自分がついさっきまで過ごしてきた、A個室寝台ロイヤルの11号室を、ホームから覗いてみたら、なんか、今までこの部屋で過ごして来たのが、夢物語だったような、全く違った世界に居たんだぁ!と、なんか、悲しくて、寂しい気持ちになってしまった。
その後、私は山手線に乗り換え、会社に急ぎました。
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1999年11月14日(日)
寝台特急「さくら」、特急「いそかぜ」、寝台特急「出雲」の旅

東京駅10番線ホームの案内板

東京駅が帰宅ラッシュに包まれる中、17時54分、10番線からラッシュの東海道本線の普通列車に混じって、長崎行きと 佐世保行きの寝台特急「さくら」 が旅を始める。新橋、品川、川崎と、ホームを通過する度、帰宅を急ぐ人達を横目に、寝台車の中は、別世界の様に、時がゆっくり過ぎていく。東京〜大阪を2時間半で結ぶ時代に、7時間もかけて走る寝台特急は、やはり旅と言う点では、一番だと思う。流れ行く街の光をつまみに飲むビールは、心を落ち着かせてくれる。
翌日10時に博多で仕事の為、さすがにB寝台は辛いので、佐世保行き編成の9号車、オロネ14-5に乗車しました。 今時珍しい開放寝台で、勿論、東京を出発する時は、まだ座席のままで、寝台のセットはされていない。昔、「ブルートレイン」と言う言葉が全盛期だった頃は、B開放寝台も3段式の為、東京を出発する時は、B寝台も寝台がセットされておらず、途中駅から係員の方が乗車してきて、寝台をセットする光景が当たり前だったが、今では貴重な体験となってしまっている。

オロネ14車内(座席時)

寝台特急「さくら」は、1編成に食堂車「オシ14」を2両も連結している、一見凄そうな列車編成だが、勿論営業はしていないので、東京駅のキオスクで、いつものように、お弁当、ビール、おつまみ、煙草と買い込み、まずは座席の状態で、車窓と、一定の「♪ガタン・ゴトン」のリズムと、適度な揺れをつまみに、飲み始める。
最近は、禁煙化の為か、座席の灰皿は撤去され、禁煙車扱いのために、車両の端にある喫煙所まで行って吸わなくてはいけないのが、ちょっと辛いが、まぁ、これもA開放寝台ならではの事と考えれば、中々悪くはない。

オロネ14車内(座席時)

19時56分、富士駅に到着すると、寝台をセットしてくれる係員の方が乗車してきて、寝台のセットを始めてくれる。この間、荷物を持って他の場所に移動しなくてはいけないのが、ちょっと難点だが、この日は乗車率も少ないので、他の座席に丸ごと移り、寝台のセットをしているのを見ながら、飲めてしまう。この光景も、いつまで続くのでしょう・・・・・東京〜大阪を結ぶ、寝台急行「銀河」は、出発が遅い時間なので、当然寝台はセットされたままの状態なので、今では、この「さくら」と、「日本海」でしか見れない光景になってしまった。
ベットが出来あがってしまうと、後は、いつものようにカーテンを閉めれば自分だけの世界になるので、浴衣に着替えて、飲みの続きを始める。そして気がつくと、窓のカーテンの隙間からは眩しい太陽がちらちらと差込み、何時の間にか、朝を迎える。
東京〜下関は、JR西日本の車掌さんの常務となり、そこから先は、JR九州の車掌さんに交代となる。
下関駅の4番線ホームに、8時08分の3分遅れで到着したが、ホームの端の方には、カメラを持った人が数人、「さくら」の写真を撮っていた。私は、この出張の2週間前に、長崎に出張の際に、「さくら」の撮影は、一応しておいたのだが、佐世保編成が無くなるのに、何故、佐世保線で撮影している人がいないか不思議だった。
「さくら」の佐世保行き編成は、下り(佐世保行き)の場合、肥前山口〜早岐間は、ED76にはヘッドマークが正面には付いてなく、客車との連結側に付けられていて、早岐から進行方向が変わった時の、早岐〜佐世保間でヘッドマークが正面に来るようになっている。上り(東京行き)の場合は、その逆で、佐世保〜早岐間は、連結側にヘッドマークが付くので、この間は正面にはヘッドマークがない。
そう言えば、先日佐世保に訪れた時、駅の高架工事を行っていた。
下関駅では、恒例の機関車付け替え作業の為、5分停車となる。その間、下関の駅の9番線ホームには、国鉄色のキハ183系が、こそっと入線してきていた。
関門トンネルを抜け、門司駅に3分遅れで入線すると、やはりそこには、カメラを持った人が数人いて、「さくら」の写真を撮っていた。ところで、「さくら」のA開放寝台は、朝も早く、今度は小郡からベットをたたむ人が乗車してきて、無理やり起こされて、ベットを座席にされてしまうので、ゆっくり寝たい場合は、A開放寝台より、B開放寝台の上段が一番良く眠れる。
この為、A寝台は、宇部〜長崎・佐世保間はグリーン車扱いで乗車できるので、下関から、鉄ちゃんらしき人が数人乗って来て、車内の写真をバシバシ撮っていた。
ところで、私は、このまま博多まで乗っていたいところだったが、「さくら」の博多到着が9時26分と、ちょっとこれでは仕事に間に合わないので、8時33分に3分遅れで小倉に到着すると、「さくら」に別れを告げ、新幹線ホームに向かいました。小倉始発で、小倉を8時46分に出発する博多行きの「こだま685号」に乗り、一路、仕事先へと向かいました。現在では、東海道新幹線からは0系の新幹線は、姿を消してしまったが、山陽新幹線では、まだまだ現役バリバリで、あの可愛いマスクの0系に、まだ会えるのが嬉しいです。

「SONIC883」のロゴ入りのライター(赤色バージョン)

博多で仕事を終えて、会社のメンバーともつ鍋を食べ、本来なら博多で仕事したので、博多に泊まるのが普通だが、何故かこの日はホテルが満室なので、小倉に宿泊する事にしたので、JR九州の看板列車の一つ、883系特急「ソニック」で、小倉のホテルに向かいました。「ソニック」の車内販売で、「SONIC883」のロゴ入りのライター(俗に言う、100円ライターに、SONICのロゴが入っているだけの物だが、手軽なお土産として、私は九州に来て、特急「ソニック」に乗るたびに、買ってます。)をお土産に買い、明日の本来の目的の「移動」の為に、この日は早く寝ました。
翌日、良く晴れた小倉のホテルを後にして、ちょっと早めだったが、小倉駅のホームに向かいました。
今回は、今や本当に数が少なくなってしまった国鉄色キハ181系特急 「いそかぜ」全区間踏破 が最大の目的で、以前、大阪からキハ82系特急「まつかぜ」を全区間踏破して以来の山陰本線の昼行の長旅になり、心が踊っていたせいか、小倉駅に着いたのは、「いそかぜ」の出発時刻の約1時間前でした。

特急「いそかぜ」指定席券


取りあえず、ホームに入り、もうすぐ編成替えがある(今は、もう変わってしまった)14系の寝台特急「さくら」でも見送っておこうと思い、4番線ホームで時間をつぶす事にしました。昨日は、門司駅のホームには、この「さくら」を撮ろうと人がいたにも関わらず、今日はカメラを持ったらしき人は、1人しか見当たらなかったが、「小倉駅は駅ビルだから、暗くて写真を撮るには向かないからねぇ」とか一人で解釈しつつ、列車が来るのを待ちました。8時30分、ホームに「長崎・佐世保行き、特急さくら号が入線します、黄色い線の・・・・・」と駅員さんの放送が流れ、重々しいモーター音を唸らせたED76が牽く、特急「さくら」が5番線ホームに入線して来ました。

特急「さくら」

ED76に掲げられているヘッドマークは、良く見ないと「さくら」とは解らない程、錆びていて、「もうすぐ編成替えがあるから、心無い人にヘッドマークを盗まれてしまい、その代わりに予備か何かで使っていなかった錆びているヘッドマークでも流用したのかな?」とか再び勝手に解釈し、取りあえず写真を数枚撮り、小倉駅を発車するのを見送り、今度は、目的の国鉄色キハ181系「いそかぜ」の入線写真でも撮ろうと、今度は6番線ホームの門司寄りに移動しました。
さすがに小倉駅は、鹿児島本線・日豊本線の折り返し駅だけあって、特急や普通列車が入り乱れ、見ていても中々飽きなかったですが、特急が進行方向を変える駅として、線路的に配置が以前の塩尻駅に似ているなぁ!と思いました。それはともかく、ホームでボーッと列車を眺めつつ、やっと「いそかぜ」が入線るつ出番となり、門司方面を見て入ると、朝の光に輝いて見える程、「あぁ、いい色だぁ!」と思わせる、国鉄色のキハ181系が7番線ホームにディーゼルエンジン独特のサウンドを唸らせて入線して来ました。3両と言う少ない編成が寂しいが、やっぱり何度見ても、国鉄時代の車両は、国鉄時代の色が一番似合う!キハ66・67も、白地に青ラインより、クリームと赤の国鉄色が似合うのにぃ!と残念つつも、ホームに停車した「いそかぜ」の写真を撮り、急いで7番線ホームに向かいました。

キハ181系特急「いそかぜ」

一応指定席は確保してあったが、1両しか連結されていない1号車の指定席は、今流行りの禁煙車なので、3両編成の中でも唯一タバコの吸える2号車に席を陣取りました。日曜だからなのか、いつもなのかは知らないが、乗車人数は数えられる程で、車内では、「この列車は、山陰線回りの列車です!乗り間違えのないように・・・」と放送を繰り返していました。
3両編成なので、車内販売は無いだろう、もしあっても途中から、お弁当屋さんが乗って来る位だろうと、思っていたので、これからの長旅に備え、缶ジュースや缶コーヒー、おせんべい等を買いこみ、定刻の9時14分、エンジンを唸らせながら小倉駅を出発しました。
この日の編成は、



で、2号車のキハ180は、キハ181系の3両化に伴い、乗務員室を追加改造した車両で、本来のキハ180より定員数が少なく、しかもキハ181にはトイレが付いていないので、3両編成中、中間のキハ180だけが唯一のトイレ装備車になる。
9時16分、門司駅を通過し、快適な速度で関門トンネルを通過して行く。ところで、門司駅を純粋に通過する列車は、この特急「いそかぜ」だけではないだろうか。
9時27分、下関に到着し6分の停車後、下関を出発する。いきなり6分も停車するので、小倉駅で買いそびれたジュースや、お菓子類を買うには充分な時間があるので、乗客は長旅に備えてKIOSKで買い物が出来てしまう。私も小倉駅では、大量に買いこんだつもりだったが、これから米子までの長旅を考えると、ちょっと不安になってしまい、思わず缶コーヒーを買ってしまいました。個人的にコーヒーが大好きで、一日に缶コーヒーを含めて10杯(本)以上も飲んでしまうので、まぁ、3〜4本買い込んでおけば、とりあえずはOKで、あとはタバコとお菓子があれば、飯を食わなくても我慢は出来てしまう。タバコも最近は減らそうと努力はしているものの、こればっかりは中々減らなくて困ってしまう。と、言ってもタバコを辞める気は、全然ないのだが。どちらかと言うと、お酒類の方が辞めやすいかもしれないですね。以前、半年ほどドクター・ストップにより、お酒を辞めて、一適も飲まない時期もありましたから。
9時37分、幡生駅を快調なスピードで通過し、ここから大動脈の山陽本線をアンダークロスする格好で山陽本線に別れを告げ、いよいよ山陰本線の旅が始まります。

山陽・山陰・東海道経由の切符

福江駅付近までは住宅街の中を走り、それを過ぎると、進行方向左手には、真っ青な日本海が目の前に広がって来ます。特に、この日は晴天に恵まれていた事もあり、空の青と海の青に、このキハ181系の赤色とクリーム色のツートンのコントラストの組み合わせが、最高のマッチングだ!と、思っている人は、多分数少ないだろうが、やっぱり何度も思うが、国鉄時代の車両は、やっぱり国鉄時代の色が最高に似合うし、色の使い分けにしても、今のJRの車両(まぁ、ステンレス車が多いので、なかなか色を塗るのが技術手金難しいのだろうけど・・・)に比べると、センスが良い!とか一人で満足し、ジーゼルエンジンの快適なサウンドを聞きながら、車窓を眺めて缶コーヒーを飲み、少しだけ幸せな時間を持てた事に感謝しつつ、「今日はめちゃめちゃ撮影日よりだぁ!乗っているのが勿体無い!」とか矛盾した事も思ったりして・・・・
その軽快なサウンドと、ぽかぽかした良い天気と、一定に刻まれる線路のジョイント音を聞いている内に、いつしか眠りに入ってしまっていた。ふと目が醒めてみると、車窓には再び青い海が広がり、玉江付近までは、この青い海が楽しめる。長戸大井付近で、この感動をメールで、約1名に伝えよう!と思ってiMODEでメールを打ち、送信しようとしたら、「iMODE圏外」と表示され、メールを送信する事が出来なかった。やはり、まだ山陰のこの地区ではiMODEは使えないのかぁ・・・・と、思いつつも再び車窓を楽しみました。11時40分頃宇田郷を過ぎると、海沿いの家々のほとんどの屋根の瓦が、塗り立てのように、しかもほとんどが何故か茶色で光っているようになっているのが目に付いた。何か理由でもあるのだろうか?とか思いつつも、12時13分、益田駅に定刻で到着した。小倉駅を出発して、約3時間が過ぎていた。
ここから、やっと車内販売の方が乗車して来た。12時15分、益田駅で2分停車後、定刻で出発したらすぐに車内販売の方が回って来たので、お昼時期でもあったので、お弁当とビールを購入。ビールを飲みながらの駅弁での昼食タイムとなった。ところが、この車内販売で買ったお弁当、「山水」と言う益田の阿知波嘉淑軒(何て読むのかは解らないが)のお弁当で、パッケージもさながら、これがめちゃめちゃ美味しくて、「おおっ!さすが山陰のお弁当!」とか訳の解らない感動をしながら、一気に残さず食べてしまった。本当に美味しかった!

益田の阿知波嘉淑軒のお弁当「山水」

浜田駅で5分停車後の13時02分、定刻に浜田駅を発車すると、しばらくは国道9号線と並行して走る。さすがに国鉄時代の車両とは言え、「特別急行列車」だけあってか、車が制限速度を厳守しているのかは定かではないが、国道を並行して走る車をビュンビュン追い抜いていく。しばらくすると、国道に別れを告げ、山陰本線は山の中へと消えて行く。山陰本線の撮影地で有名な、仁万〜五十猛を通り過ぎ、大田市で停車後、14時01分に波根駅で小倉行きの特急「いそかぜ」の通過待ち合わせの為に、5分程信号停車をする。1日1往復しかなく、しかも国鉄時代の特急色を守り続けているキハ181系の特急「いそかぜ」同士のすれ違いには、何とも言えず感無量の重いがした。下りの「いそかぜ」を先に通した後、14時06分、再びエンジンを唸らせて、上りの「いそかぜ」は、終点の米子を目指して驀進する。
14時31分、高架になってしまった出雲市駅の2番線に到着。1番線には、キハ120。4番線には、国鉄時代の首都圏色そのままで、しかも「JR」のマークの入っていない、お馴染みのキハ47の2両編成が出発を待っている。この首都圏色の国鉄オリジナル色のキハ40系も、年々色をJR色に塗り替えられ、廃車も進み、どんどん消えて行ってしまっているのが寂しい。個人的にもキハ40系はデビュー当時から好きで、当時、周りの人は旧客や、キハ10系等を「良い!」としていて、私は単なる「新しい物好きな奴]と言われていたものだ。確かにキハ10系、キハ20系も好きだが、キハ40系の完成されたスタイルとバランスには勝てないと思う。HOの模型も、エンドウのキハ40系を沢山買い込んでいたものだ。(最近リニューアルされて発売されたので、欲しいのだが・・・・)
出雲と言えば、有名な出雲大社があるが、以前、会社のクラブ「鉄道研究会」のメンバー5人で山陰に来たが、その時、私とM氏は撮影に専念していたが、他の3人は、出雲大社でお参りしたおかげか、その後2人は結婚。さすが縁結びの神様の出雲大社だけあって、単純計算で、結婚の確立が66.7%。「俺も撮影に行かないで、お参りしておけば良かった・・・・」と、M氏の後日の談。

「石見ライナー」のヘッドマーク

出雲市駅を定刻の14時34分に出発し、宍道、松江と停車し、終点米子までは、あと少し!と、言うところで、15時10分、東松江で列車すれ違いの為の信号停車。下りの特急「おき5号」の待ち合わせなのだが、この「おき5号」が遅れているらしく、なかなか列車が発車しない。でも、2分停車後、これも国鉄色のキハ181系の特急「おき5号」が轟音と共に駆け抜けた後、再び最終目的地の米子を目指して、ラストスパートを懸ける。
長かった列車の旅も、最後の停車駅、安来に停車した後、4分遅れの15時33分、終点の米子駅に到着した。小倉駅を9時14分に出発してから、6時間19分の長〜い旅に終わりを告げた。
が、しかし、ここ米子から東京に帰る予定の寝台特急「出雲」の出発時間までには、米子から乗ったとしても、2時間30分近くもある。
米子機関区を眺めながら2時間半の時間を過ごしても良いのだが、さすがにそれはキツイので、取りあえず、米子駅で途中下車し、約1名の人に絵葉書でも出そうと思い、KIOSK等を探してみたが、勿論見当たらず、しょうがないので、松江までの往復切符をみどりの窓口で売って貰い、松江まで戻る事にしました。本当は出雲市駅まで戻れれば良かったが、列車の時間の関係と、米子〜出雲市の近いようで実は時間がかかる距離と、寝台特急「出雲」の停車駅を考えると、松江が妥当だと考えました。
松江までは、米子発15時46分の、これまた嬉しい国鉄色のキハ58系の「石見ライナー」で行き、16時13分、松江駅に着くと、とりあえず再びKIOSKやお土産屋さんを覗き、絵葉書を買い、駅構内の食堂に入り、絵葉書を書きながら、ちょっと早いが夕食を取りました。勿論、生ビールも頼んだのは言うまでもありませんが・・・・・
とは、言っても、私は個人的にも食べるスピードが異常に速く、しかも、ビール等のアルコール類も飲むスピードが速いので、食堂とかでゆっくりする事が出来ない性格なので、夕食タイムも「アッ!」と言う間に終わってしまい、書き終わった絵葉書を持って、そそくさと食堂を出て、ポストに投函してから、「やっぱり米子に戻ろう!」と思い、自動券売機で、米子までの自由席特急券を買い、松江を17時36分発の、塗装の色が国鉄色から変わってしまった381系「スーパーやくも26号」で、20分の短い旅を楽しみました。米子に着くと、何故かドッと疲れが出てきた感じがしてきたので、さすがにこれから東京までをB寝台で帰るのが辛く感じて来たので、思わずみどりの窓口で、手持ちのB寝台をA個室に変更をしてしまいました。取りあえず 「出雲」のA個室寝台 は、洗面台も個室寝台内に付いているし、今日の長〜い列車の旅を心に留めるにあたっても、一人になりたかったし、久々の「出雲」なので、「やっぱり個室!」が妥当かなぁ・・・・とか自分を納得させました。

寝台特急「出雲」A個室寝台特急券

あとは列車が来るのを待つだけで、これまたKIOSKでビールやおつまみを買い込み、暫くホームで待っていると、DD51の牽く24系25型の寝台特急「出雲」が入線して来ました。今では、オリジナル色のDD51が牽く、唯一の「ブルートレイン」と、なってしまった事も、寂しいものを感じました。
18時52分、闇の中を寝台特急「出雲」は、東京に向けて出発しました。あいにく帰宅ラッシュも無く、窓の外を見ても、暗闇につつまれ、窓には自分の顔だけが室内のライトに照らされて浮かび上がり、「フーッ」とため息をつきつつ、ビールを飲み始めると、再び、楽しい寝台列車の旅が始まった。

寝台特急「出雲」A個室寝台の鍵

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1999年10月01日(金)
スーパーひたち53号(その6)
この日は、前日(9月30日)の前代未聞の東海村のJCO(旧社名、日本核燃料コンバーション)ウラン燃料加工工場での人為的臨界事故の影響で、常磐線は朝から運休が相次ぎ、ダイヤは乱れまくり、特急列車に至っては、全面運休の状態でした。
この日は、前日も東京にいて、運が良かったK氏(通常は東海村で勤務)と共に、上野21:30発のフレッシュひたち61号で一緒に帰る予定だったが、仕事終了後、有楽町の「みどりの窓口」で、この列車の指定を取ろうと駅員さんに尋ねてみると、常磐線の特急は、走り出したがダイヤが乱れているので、指定は発券できなく、全車自由席で運転されているので、上野駅で確かめて下さいとの返事があったので、取り敢えず食事をしてから上野駅に向かいました。18:50頃上野駅に到着し、出発案内を見ると、17番線に「18:30発スーパーひたち49号」の掲示がしてあり、本来なら、18:30発は、「フレッシュひたち49号」なのだが、E653系の折り合いがつかず、651系での運転なんだろう!と一人で解釈して、時間が過ぎてるにもかかわらず掲示されていると言う事は、まだ出発していないのだろうと、「みどりの窓口」で指定を確認してみたら、やっぱり指定は発券していなく、今日はグリーン車を除いて全車自由席で、通常は使えない「フレッシュひたち号回数券」でも「スーパーひたち」に乗れるとの事で、2人で「やっぱりスーパーひたちの方がいいから、ラッキーだね!」とか言いつつ、17番線に向かってみると、並んでいる人が人っ子一人いなく、「あれ〜?」と思いつつ、「今日は朝から特急も動いていないし、水戸〜日立間は不通だったから、人が少ないのかもね。」とか、勝手に解釈して喫煙所でタバコをふかしてると、「今度の常磐線の特急は、19:30発スーパーひたち53号勝田行きになります。16番線に停車中の新特急「あかぎ1号」前橋行きが発車後、16番線に入線してきます!」のアナウンスで、「えっ?じゃぁ、17番線から出る予定の特急は?」と思って案内板を見てみると、いつのまにか、案内が消えていた!しかも、16番線に人が並び始めたので、「うちらも並ぼう!」と、空いているだろう10号車(本来なら指定席)に向かって歩き出しました。「4号車グリーン車を除いて、全車自由席!」と何度もアナウンスしているにもかかわらず、何故か他の人は「自由席」の場所に長蛇の列をなしていて、私達が10号車のところに行くと、誰も並んでなくて、その隣の本来の自由席車の9号車のところには、長蛇の列。
16番線から新特急「あかぎ1号」が出発したので、「そろそろだな!」(本来なら19:04入線)と思っていたら、「折り返し予定のスーパーひたち48号は、現在途中駅を約30分遅れで運転しています!」のアナウンス。「ええっ?」と思ったが、まぁ、焦ってもしょうがないので待っていたが、再び「遅れが40分になりました!」とのアナウンス!でも、1時間遅れようが、もう、ここまで待ったら諦めて2人でボーッと待っていると、19:43頃、やっと入線してきました。
すぐの20:00に出発するらしく、車内整備もすぐ終わったのまでは良かったのだが、「53Mの車掌の確認をお願いします!」と、訳の解らないアナウンスが流れ、その後すぐに、「まだ、来ていません!」の返事のアナウンス。「えっ?これじゃドアが開かないじゃん!」と思っていると、暫くして何の前触れももなく、いきなりドアが開き、やっと車内に入る事ができました。「車掌が来てないみたいだよ!まさか東海村の人で自宅待機していて車掌さんも足らないんじゃないの?」とか冗談を言っていたが、ホームのアナウンスでは「20:00に出発の予定です!」と言っていたにも関わらず、20:00過ぎても出発せず、隣の17番線には、なんと、仙台からの特急「スーパーひたち50号」が入線してきて、この列車が折り返し20:30発のいわき行きになるとのアナウンス。それに混じって、「53Mの車掌の確認をお願いします!」「まだ、来ておりません」「了解」のアナウンスのやり取り。「車掌が飛び乗りしたら、洒落にならないね!」とか言っていると、やっと私達が乗りこんだ「スーパーひたち53号」の車内放送で、「遅れまして大変申し訳ございません、この列車は・・・・」との車掌さんのアナウンスがあり、20:09、定刻より39分遅れで無事上野駅を出発しました。私達が乗った10号車(喫煙車)は、いつもの「スーパーひたち53号」並の少ない乗車率で、いつもの「スーパーひたち」の走りで土浦駅に到着、ここでK氏と別れ、私は帰路に着きました。結局、上野駅では1時間待っていた私達だった。
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1999年07月16日(金)
撮影その11・久大本線
M氏と撮影に行くと、天気が悪いのは何故だろうか?と、最近思う。
毎年恒例の、会社のクラブでの旅行ツアーで、再び九州へ行く事にしました。会社で公認のクラブなので、一人当たり20,000円の補助が会社から支給されますが、当然それだけのお金じゃ、鉄道研究会は成り立たないのは百も承知で、毎年自腹を切りつつ旅行に出かけています。計画はほとんど私一人で計画し、観光班と撮影班の両方に便利な宿の手配、切符の手配、撮影班のスケジュール、撮影地の選定など一人でしているので、勿論、旅行先は必ず国鉄色の車両の走る地域に限定されてしまいます。(往路は全員一緒に、寝台列車を使い、撮影班は鉄道の撮影だけをして、観光班は当然観光だけをして、宿は全員同じ場所に泊まる。帰りは最終宿泊地の宿で解散というツアーです。)
旧客も好きですが、個人的には50系客車って大好きなので、今回の目的は、筑豊本線と久大本線の客車列車と、小野田線の旧型国電に的を絞り、7月16日金曜日の東京駅17:54発の寝台特急「さくら」で、一路九州を目指して出発しました。今年は連休が少なく、祭日があっても、飛び飛びなので日程的にはこの日がベストと思って組んだのですが、運が悪いのか、M氏がいるからなのかは定かではないですが、九州地方には低気圧が近づいて来ていて、天気予報を見ても、あまり期待が出来ないようでしたが、思った通り、天気に恵まれないツアーの幕開けとなりました。
このツアーの最初の目的は、寝台列車の中での飲み会で、「そろそろ終電だから、お先に帰る!」は通用しないので、眠くなるまでお酒を飲む!のが定番で、しかも、寝台列車の独特の旅の雰囲気の中で、大勢(と、言っても、今回は6人でしたが)で飲むお酒は、居酒屋や、PUBとかで飲むお酒と違って、楽しさ200%と言う感じになります。ですから、当然お酒も進んでしまい、今までの何回かのツアーでは、気がつくと寝台でべろべろになって寝ていた!と、言う事も稀にあります。

クモハ42(長門本山駅)

初日は、小野田線のクモハ42を撮影し、鹿児島本線・筑豊本線直通の50系を撮影の予定だったが、午前中の小野田線は何とか天気がもったが、九州に入ってからは天気が愚図ついてきて、夕方にしか走っていない50系客車の撮影は無理になった来たが、せっかく九州まで来て、雨だからと言って撮影しないのも悔しかったが、M氏が「50系に乗りたい!」と言うし、確かに今までは、「乗ったら撮れない」の公式にはまっていたし、まぁ、のんびり乗るのも良いかも!と、意見が合ったので、門司港駅構内で、とりあえず50系の写真を撮り、ビールとおつまみを買い込んで(門司港駅の構内には売店がないので、一々改札の外に出ないと行けないが、あの立派な門司港の駅には、逆に構内の売店は似合わないかもしれない)、門司港17:18発の飯塚行きのDD51の牽く50系客車の普通列車の最後部に乗り込みました。そう言えば、門司港駅に来るのも、超久々の20年ぶり位だったが、ホームの雰囲気、あの立派な駅舎、すべてが昔のままだったので、とっても懐かしく、しかも、ホッとする気持ちになれました。「また、来るよ!」と、駅舎に挨拶したくなる感じで、このまま末永く、変わらずに佇んでいて欲しいものです。久々に来ても、いままでは情緒のあった駅でも、いきなりコンクリートの塊の橋上駅になってしまっている駅が多々あるなかで、いつまでも昔のままの姿で待っていてくれる駅は、やっぱり良いものです。だから、今の長野駅、軽井沢駅は大嫌いです。(まぁ、軽井沢駅舎は、保存されていると言う話を聞いたので、良かったですが)
久々に乗った動いている50系は、やっぱり客車独特の走りで、M氏と向かい合わせでビールを飲みながら、発進・停止の時の客車独特のショックを楽しみました。(真岡鐡道のSLもうか号の客車は、外見の色こそ違うが、中身は国鉄時代そのものも無改造の50系。九州の50系は、屋根の上のベンチレーターを撤去し、エアコンを車内に取り付けてある改造車がある。)
M氏が、「このまま飯塚まで行きたい!」と言い出したので、私も確かにこのまま乗っていたかったが、飯塚まで行ってしまうと、宿泊を予定している博多まで戻るのが、遅くなり、別行動している観光班との夕食のシンクロが取れなくなるので、M氏を解きほぐし、泣く泣く折尾で50系に別れを告げ、現代の車両の特急「ソニック」で土砂降りの雨の中、博多に向かいました。そう言えば、「スペースワールド駅」が開業したばかりで、そこにDD51の牽く50系客車は、なんとも言えない雰囲気をかもし出していました。そう言えば、スペースワールドと言えば、私が新婚ほやほやの頃、新婚旅行でイスラエルに行くはずだったのが、湾岸戦争の為に中止になってしまい、その後、私が九州に出張があったので、その時に一緒に連れてきて、新婚旅行の代わりに九州を周った時に来たなぁ〜と、懐かしんでしまいました。
妹の旦那さんが博多なので、電話で美味いモツ鍋屋さんを聞き、そこでたんまりと美味しいモツ鍋を皆で堪能しました。去年、ツアーで北海道に行った時、カニを食べている間(私はカニが大嫌いなので食べませんが)は誰一人として無言で食べるのと同じで、全員が黙ってモツ鍋をつつきましたが、やっぱり、あまりに美味しいと、人間って黙ってしまう事を、つくづく感じました。でも、本当に美味しかったです。
今回の目的の客車列車は、時刻表を見て解るように、久大本線にしても、筑豊本線にしても、列車の時間帯が悪いので、最低の撮影効率になってしまった。2日目は、M氏の希望により、特急「ゆふいんの森」に乗って久大本線を目指したが、この特急は、観光特急なので、車内はアベックや、女性同士が多く、そこにジュラルミンのカメラバックと三脚を持って、リュックを背負った私達は、妙に浮いた存在になったしまい、座席に座った時に、「今日、撮影会でもあるのかしら・・・」と、後ろの座席の女性の言葉が、私達2人の浮いた存在を表わしていた。
車内検札が来た時に、特急券に検札印を押して貰おうと車掌さんに頼んだのだが、「この列車は、検札印がないんです。」と言われてしまった。確かに全車指定席の観光特急なので、お客さんに一々面倒をかけさせない配慮が見られ、例えば、斜め前に座っている女性がタバコに火を付けた時、たまたま車掌さんが通りがかり、その女性の席の灰皿を開けてあげたのには、「へぇ〜、凄いサービス!」と関心しました。

DE10+50系の普通列車(湯布院〜南由布)

3日目、4日目はレンタカーでの撮影だったので楽だったが、以前久大本線に撮影に来た時には、50系と12系の運用の割合は、半々位だったが、なかなか50系が来ないので、撮影後に移動中の12系客車の普通列車の中で、車掌さんに聞いてみたところ、50系の運用が以前より減り、朝と夕方しか50系は運用に使われていないそうで、しかも、12系客車自体も手入れをしている様子もない位に荒れ放題で、「これでは、今後の客車の運用が消える可能性があるな!」と、実感しました。これで、50系客車と12系客車の運用がなくなったら、もう九州に撮影で来ることはないだろうなぁ・・・・と、思いました。
恵良〜引地で撮影している時も、来る列車は特急「ゆふいんの森」ばかりで、流し撮りにチャレンジしたりしてみました。


あまりに暇なので撮った特急「ゆふいんの森」号

今回のツアー中は、ほとんど天気が悪く、これだ!と言う写真も撮れず、パッ!としないツアーに終わってしまったのが残念でした。やっぱり、晴れてくれないと、気に入った写真は撮れないですね。
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1999年06月02日(水)
成田エクスプレス
今日(6月2日)は、仕事で成田に行くので、空港第2ビル駅までは、「成田エクスプレス」に乗って行く事にしました。私も海外出張で何度か成田空港はお世話になりましたが(飛行機が嫌いなので出張以外で海外に行った事がない!)通常、日暮里から「京成スカイライナー」で行くか、家からハイヤーで行く事が多く、JRを使って行くのは今回初めてなので、勿論、「成田エクスプレス」に乗るのも初めての事となりました。成田エクスプレスは全車禁煙(グリーン車の4人用個室は喫煙可能)だし、「京成スカイライナー」だと煙草が吸えるので、どうしても「スカイライナー」を選択してしまいます。
少しだけワクワクしながら目が覚め、東京駅地下ホームの3番線に向い、朝食を兼ねて売店でサンドイッチとウーロン茶を買い、乗車予定の9時発の「成田エクスプレス11号」を待っていると、8時55分頃、「まもなく入線します!」のアナウンスがあり、まわりの乗客を見ると、これから自国に帰るのであろう外国人の方々や、これから日本を離れるのであろう大きなトランクを持った人ばかりで、ほとんど軽装でパソコン用の鞄しか持っていない自分がちょっと寂しくなってきました。私の乗る車両は、5号車だったので、列車が入線してきて、先頭から「9、8、7・・・」と目の前を通過していくのを数えていると、「6、5、4・・・あれっ?」と、5号車は目の前を通過して行ってしまいました。ホームに書いてある乗車口を良く見ても、「5号車乗車口」と書いてあるし、変だなぁ・・・と思っていたら、目の前で入線してきて「成田エクスプレス11号」が急停車した。その後、すぐに列車は少しだけバックして停車したが、目の前には「3号車」のドアがあり、そのまま1分程何の連絡もなく、何の動作もなく列車はそのまま停車していた。周りの外国の方を見ると、皆、苦笑いと言うか、このパフォーマンスを楽しんでいるかのように見えた。
その後、「停車位置を変更します!」のホームアナウンスがあり、目の前の列車はゆっくりとバックを始め、今度は「3、4、5」と、ちゃんと停車位置に到着した。私も何度もホームをオーバーランした列車を見たことがあるが、これ程のは始めての経験だった。まぁ、通過されてしまうよりは良いとは思うけど。
始めての「成田エクスプレス」に乗車してみて、びっくり!まさか特急のくせに、座席が4人掛けの対面式の固定座席とは、思わなかった!しかも私の指定席はB席だったので、当然目の前にはテーブルもなく、知らない人と向い合わせになる。でも、取り敢えず文句を言ってもしょうがないので、膝の間にウーロン茶を挟み、サンドイッチを食べる事にしました。まぁ、どうせ1時間ちょっとの辛抱なので、我慢するしかないのだが、座席のシートは、まずますの固さで良いのだが、向かい合わせのシートで、しかも特急なのだから、せめて583系位のシートピッチが欲しいと、感じた。しかも全車禁煙(デッキに灰皿が設置されているので、吸える事は吸える)なのはともかく、特急料金も東京近郊のくせにA特料金だし、後で気がついたのだが、グリーン車の料金が、通常100kmまでは1,240円なのに、この「成田エクスプレス」は、なんと、ほぼ倍の2,550円もするのには、「ふざけるな!」と怒りを感じた。
空港第2ビル駅に到着し、JRの改札を抜けるとすぐに、検問があるので、当然成田で仕事をするのにパスポートを持ってきているはずもなく、身分証明書を見せて通過し、タクシーで仕事場へと向いました。
成田空港周辺は、未だに警戒が厳重で物々しく、いつ来ても嫌な雰囲気が漂っている気がする。これだけ厳重な国際空港って、この成田空港くらいではないだろうか。海外から日本に始めて来て成田に降りた人は、この物々しさに、「テロが盛んな国、日本!」とでも思ってしまうのではないだろうか。などと、日本の国の事を考えつつ、仕事を終え、再びタクシーで空港第2ビル駅へ。ここでも再び検問があり、タクシーもそうだが、車は後ろのトランクを開け、トランク内もチェックされ、私は再び身分証明書を見せて検問を通過する。
帰りは、「成田エクスプレス」のグリーン車にでも乗ってみるかぁ!と思い、空港第2ビル駅のみどりの窓口で、空港第2ビル駅13:16発の「成田エクスプレス18号」のグリーン車を予約した。私はてっきりグリーン料金は、空港第2ビル駅と東京駅間は、100kmに満たないので、1、240円のつもりでいたので、料金にびっくり!「まぁ、今後乗る事もないだろうから、まぁ、いいかぁ!」の気持ちで料金を払い、地方ローカル線の単線区間のホームみたいなホーム(空港第2ビル駅は、第2上下線とも同じホームに発着する片面1面のホームで、向い側にはいかにも複線のようだが、京成電鉄のホームがある。)で列車を待つ事にした。駅には、「ホームは1面しかありません。上下線共に同じホームです。」の張り紙がしてあるのが、なんとなく面白かった。
253系のグリーン車(クロ253)は、乗ってみると、時刻表(JTB発行)のピンクのページの「指定席・寝台席番ご案内」に書いてある「成田エクスプレス」のグリーン車の座席の並びと違い、なんと、全て1列X1列の座席で、しかも、座席が全て、窓に向かって45度の角度を向いていた。しかも、グリーン個室(4人用)も付いているので、まさに昔の「こだま」等に使われたクロ151(写真でしか見たことないのだが)の様だった。勿論、乗った列車の時間帯だけに、グリーン車は私一人だった。
これで、各座席に電話が付いて、窓がもう少し大きければ、まさに「パーラーカー」クロ151だ!と、思いつつも、座席が窓に向かって45度向いているのも慣れないせいか、嫌になってきたので、進行方向向きに座席を直してしまいました。今回普通車、グリーン車と乗って思ったのが、普通車とグリーン車の格差が値段もそうだが、激しすぎる気がした。
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1999年05月09日(日)
撮影その10・大糸線
「もうすぐ、ゴールデン・ウィークかぁ・・・でも、どうせ下りの指定はもう満席だろうなぁ・・・もし、指定が取れたら撮影にでも行っちゃおう!」と、4月28日に三鷹駅のみどりの窓口に、冷やかしついでに行き、「すみません、5月1日のあずさ52号の指定、出来れば喫煙で秋葉原から、松本まで・・・」と言って、駅員さんが、マルスを叩いてみると、な・なんと、一枚だけ指定が残っていて、しかも、喫煙席!「喫煙でいいんですよね。」と言われたので、「はい!」と思わず元気良く答えてしまい、指定を発券して貰ったところ、これまた運良く窓側の席。「ラッキー!」と思いつつ仕事先へと向かいました。当然、撮影日程などは決めていなかったし、取り敢えず「あずさ51号」に乗れば、大糸線とか中央西線の撮影は出来るだろう!と、安直な考えでしかいなかったので、時刻表を見てみたところ、急行「くろよん」が5月2日に運転されるので、今回は、これと、中央西線の国鉄色の165系、国鉄色の381系の臨時の「しなの」をターゲットに決め、撮影の計画をしました。
しかし、秋葉原駅に、朝7:14、これは私にとって、4時半には起きなくてはいけない事を意味していた。
「へっへっへ、指定取れちゃった!」と会社の人などに自慢したら、全ての人が口を揃えて、「どうせ起きる事なんて出来なくて、指定券を無駄にするんだから、今の内に払い戻ししておいた方が、傷が浅いよ!」とか言うので、そこまで言われるなら、絶対に起きてやる!の決心の元、4月30日、会社就業後の「飲みに行こうぜぃ!」の誘惑にも負けず、直行で家に帰り、20時には、そそくさと寝ました。
5月1日、この日は天気予報で全国的に穏やかな晴天と言う事で、超〜スペシャル眠い目をこすりながら、7時頃秋葉原駅の総武線のホームで「あずさ51号」を待っていると、7時5分頃、「回送列車が通過します!」のアナウンスで「何が来るんだろう?」と、わくわくしていると、国鉄色の183系の9両編成(「わかしお」「さざなみ」編成)が通過して行った。「んん・・・やっぱり国鉄色は良い!!」と、朝から良いものを見せて貰ったので眠さも吹っ飛び、7時12分頃入線してきた「あずさ51号」(残念ながら、やっぱり「あずさ色」の183系)に乗車しました。この日は、自由席が3両(1号車〜3号車)しかないせいか、千葉発のこの列車は、既に自由席は100%の乗車率を超えていて、立っている人も沢山いて、デッキにも溢れていた。私が運良く取れた席は、4号車で、本来なら自由席の車輛なのだが、時刻表による「4号車は指定席になる日があります」の、まさにその日(GWだからねぇ)で、私は指定された席に行ってみると、まだ、隣の席の人が乗車していなかった。4号車の指定席も、秋葉原の時点でほぼ満席の状態になった。車内放送でも車掌さんが、「本日の指定席は全部売れ切れです。今空いている席も、これから乗ってくるお客さんがいます。」と、自由席の人が、空いている指定席に座らないように言っていた。確かに指定を取っていて、いざ乗ってみると、自分の指定席に人が座っていると、気分が悪くなりますからね。
7時28分、定刻に新宿駅に到着し、「さて、隣の席にも乗って来るな・・どれどれ」と、思っていたが、隣の席は新宿を過ぎても空席だった。他の空席はほとんど全部埋まり、「じゃぁ、立川からだな!」と思っていたが、立川からも隣の席は空席のままで、「もう、八王子しかないな!」と思っていたが、八王子からも乗って来なく、結局私の席の隣は空席のまま、自由席には立っている人がいるのもかかわらず、「あずさ51号」は塩尻駅に定刻に到着した。さすがに指定席で隣の人がいないと、かなりゆっくりくつろげるので、「またまたラッキー!」と思ったが、「いやいや、こんな所で運を使っては勿体無い!」と思いつつ、「でも、今回はいい絵が撮れそうだ!」との予感がした。

183系特急「あずさ」
(長坂〜小淵沢)

ご存知のように、撮影は、天気との戦いでもあり、臨時列車やイベント列車が決まった日に走っても、晴れていなければ、どうしようもないし、遠くまで撮影に行っても、天気の悪さに泣かされた事は今まで数え切れない程ある。特に、碓氷峠の最後の頃には、ほとんど晴れる事がなく、何度泣かされた事か・・・・
今回の撮影予定地だと、今の「ゾーンきっぷ」だと、どちらかが外れてしまう。大糸線をメインにすると、中央西線がゾーン外だし、中央西線をメインにすると、大糸線がゾーン外になってしまう。「あぁ、信州ワイドがあったらなぁ・・・」と今回は「白馬・諏訪ゾーンきっぷ」を使う事にしました。ゾーン外の中央西線の「塩尻〜薮原」の往復切符は、予め買っておいたので、「あずさ51号」を塩尻で降り、中津川行きの普通列車に乗り換え、一路薮原に向かいました。勿論、この普通列車は、国鉄色の163系の3両編成で、入線してくる姿を見た時、「あぁ、昔の急行列車みたいで、いい!」と、関東に住んでる人にとって、国鉄時代に生きた人にとって、懐かしさが込み上げて来るのは間違いないと思う。
取り敢えず、1番前の車輛(クハ165)の前のデッキに乗りこみ(結構混んでいて、座ることが出来なかった)、立って行く事にした。洗馬、日出塩と停車していき、車内を覗いてみると、車掌さんが後方から、「切符をお持ちでない方は、精算致します。」で、やって来て、私と、もう一人立っていた一番前のデッキで、一休み・・・・・と、思いきや、木曽平沢を過ぎると、いきなり、「切符を拝見!」と、いきなりの検札に早代わりした。この光景は良くローカル線や、以前は京浜東北線や、中央線の特別快速で見られた光景で、キセル防止には、絶対するべきだ!と思っていた。当然私は予め切符を買っていたので、ゾーンきっぷと、塩尻〜薮原の切符を見せた。薮原駅に着き、列車を降り、当然無人駅なので、「切符はこの中にお入れ下さい。」と、切符回収用のポストが設置されていたが、せっかく検札されて、検札印が入っているので、勿体無い!と思ったが、「この1枚で薮原駅の乗降客が増える事になる訳だから(回収した切符で統計を取れば解る)・・・」と思い、持ちかえるのを泣く泣く諦めて、ポストに切符を入れました(まぁ、入れるのが当たり前なのですが)。

381系特急「しなの」
(奈良井〜薮原)

薮原駅から国道19号に沿って歩く事30分、目的の撮影地に到着。中央西線もそうだが、伯備線も含めて、普通列車があまりにも少なすぎて、次の撮影地に移動しようと思っても、車じゃない限り、なかなか出来ない。383系の「しなの」は30分おきに来るが、撮影する気も起きず、ただ見送り、165系の普通列車だけをカメラに収めた。最初の撮影場所は、午後からは列車のサイドには陽が当たらなくなるので、撮影地を移動して、165系の急行「ちくま」(勿論国鉄色)や、381系の「しなの」を撮影し、GWのせいか、貨物列車もまばらで、EF64重連の列車を1回撮っただけに終ってしまった。効率の悪い撮影だった(まぁ、165系と381系しか考えてなかったので、こんなものだろうとは思っていたが・・・)。まぁ、でも、撮影地の移動で、かなりの時間、かなりの距離を歩いたので、久々の運動になった事だけは、確かだった。

165系普通列車
(薮原〜宮ノ越)

松本駅に戻ると、ホームには、国鉄色の165系をカメラに収めようと、割と沢山の鉄ちゃんらしき人が、165系の写真を撮っていた。
松本のビジネスホテルに泊まり、翌日目が覚めると、予想通りの晴天で、松本発8:47の普通列車で、一路撮影地をめざしました。この路線にもJRの波が押し寄せて来ていて、車両はJR東日本のE127系の2両編成で、乗客も、地元の人と登山者らしき人と、ハイキングらしき人、それに観光らしき若い女の子同士の人と、それぞれバラバラで、鉄道の撮影に来ているのは、私だけだった。
定時の9:25に終点の穂高に到着。次の南小谷行きの列車までは、47分もあるし、天気が良く、雪を被ったアルプスの山々が、あまりにも綺麗だったし、穂高〜有明2.2kmなので、「次の有明の駅まで歩いてしまえ!」と、歩く事にしました。穂高の駅から、線路沿いを歩いて行くと、線路が一直線に伸び、線路脇には木々が植えられ、「あれぇ、どこかで見た感じに似てるなぁ・・・」と最近見た事のある光景とダブったので、良く考えると、今年の冬、スキーついでに訪れた、喜多方から伸びていて、廃止になった日中線の廃線跡に似ている事に気が付いた。日中線の廃線跡も、綺麗に整備され、途中は線路も残っていて、蒸気機関車などがモニュメントの一つとして、線路上に静態保存されていた。
途中、E127系の上り普通列車をアルプスをバックに撮り、無事時間内に有明の駅に着きました。有明10:16の南小谷行きの、E127系の普通列車に乗り、今回の撮影の目的地の安積沓掛で降りました。降車したのは、私ともう1人カメラバックを担いだ人の2人だけで、「あぁ、この人も撮影だなぁ・・・と、撮影地に歩いて行くと、その人と全く同じ方向だったので、お互い「どうも!」と声を掛けあい、お互い85mmクラスで撮影すると言う事なので、同じ場所で撮らないと被ってしまうので、「ここら辺にしますか」と言う具合に撮影場所を決め、そこで撮影する事にしました。以前(と、言っても、かれこれ18年位前ですが)来た時には、農道も未舗装だったが、今ではすっかり舗装されてしまっていて、アングル的に目立つ存在になってしまっていたが、住宅とかは建っていなかったので、ほぼ昔ながらの光景を残していたので、安心しました。

165系急行「くろよん」
(安曇沓掛〜信濃常盤)

今回の撮影には、Nikon系だけを持って行ったので、試し撮りの要素が多かったですが、同じ場所で撮影していた方が、「まぁ、記念写真みたいなものですからね。」と言っていましたが、私もそのような気持ちでシャッターを切りました。とにかく久々の晴天下での、気持ち良い撮影が出来ました。
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1998年12月06日(日)
1998年12月6日17:05上野駅16番線ホーム
この日は、上野発17:30の特急「フレッシュひたち45号」で家に帰る為、16:45頃上野駅の地下ホームの常磐線特急出発ホーム(16番線〜18番線)に向かい、特急券改札を通ろうと思ったら、どうみても鉄ちゃんらしき人が自慢のカメラを持って、16番線ホームで待っていた。「そうかぁ、485系ひたちも明日で最後だからなぁ・・・」とか思って、17番線側のホームで「フレッシュひたち45号」が入線してくるのを待っていると、17:00頃、ホームのアナウンスで、「16番線には、いわきからの特急、さよならひたち号が入線してきます、カメラをお持ちの方は、黄色い線から下がって撮影してください!」との事で、「そうかぁ、今日、走ったんだぁ。だからこんなに鉄らしき人がいるのかぁ・・・」と売店で買ったビールを立ち飲みしながら考えていると、17:05、16番線にホイッスルが鳴り響き、「さよならひたち号」が入線してきた。今年の夏以降、毎週の様に撮影に走った、国鉄特急色に戻ったボンネットの485系K7編成が使われているんだろう、と思っていたのだが、その国鉄色のボンネットが私の視界に入った瞬間、「ええっ!撮影しておくんだったぁ!」と、思ってしまった。

485系特急「ひたち」(土浦〜神立)

夏以降、2年ぶりに国鉄特急色に戻った485系は、ヘッドマークは白地に「ひたち」の文字だけの物だったが、この「さよならひたち号」は、最近まで使っていた水戸の偕楽園の梅をモチーフした、あの見なれた「ひたち」の絵入りのヘッドマークだった。(そのヘッドマークの「ひたち」の文字の上には、小さく「さよなら」の文字が書いてあった。)
この「さよならひたち号」が上野駅に到着して、ドアが開くと、本来ならいかにも機械的な、「ウエノ〜、ウエノ〜」のテープか何かを流してる様なアナウンスが流れるのだが、この時は、以前は良く耳にした駅員さんのドスの聞いた、いかにも上野に着いたんだぁ!と思わせてくれる生声で、「上野〜、上野〜」がホーム中に鳴り響いた。国鉄色のボンネットに、上野駅地下ホーム、それに生の駅員さんの声での到着案内。
国鉄時代、上野の地下ホームには沢山の特急、急行が出発を待っていた。当時は当たり前と思っていたのが、とうとう明日で上野駅から485系が消えてしまう。でも、この日のこの時間だけは、ホームこそ新しく改装されてしまっているが、当時を思い出すには充分だった。
何年か後には、上野駅から現在でも頑張ってる185系、115系、401系、415系、103系と、国鉄時代の列車も消えていってしまうのでしょうね・・・・・でも、485系「ひたち」も長い間、ご苦労様でした。そして、お疲れ様でした。また、最後にボンネットの485系を国鉄色に戻してくれた水戸管理局に感謝!
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1998年10月17日(土)
キハ181系の思い出
私がキハ181系に出会ったのは、1980年の夏、伯備線での特急「やくも」だった。

キハ181系特急「やくも」(備中神代)


当時はキロ180、キサシ180を1両づつ含む堂々の11両編成で、キハ180とキロ180の屋根の上に並ぶラジエターと、唸るDML30HSCの軽快な音を聞いて以来、国鉄の車両の中では大好きな車両の一つになりました。自宅には、父が買ってきた、あの有名な布原信号所のD51三重連のパネルが居間に飾ってあり、それをいつも見ていたので、「いつか布原信号所に行って見たい!」という気持ちがあったので、行こうとしたが、当時は当然ながら布原は信号所だったので、人の乗降は許されていなかったし、レンタカーも今ほど発達していなかったし、徒歩で行くにしても、最寄り駅(新見、備中神代)からの道も解らずに、結局は行けずに終わってしまった。その後、チャレンジ20、000kmで山陰地区の乗り潰しの為、何回か伯備線のキハ181系特急「やくも」も乗り、キサシ180で伯備線の車窓を見ながら、食事もした。
また、カメラはオリンパスOM1MDを持ち、パチリ(チャレンジ20、000kmの路線踏破申請の為の、駅名と自分が写っている写真)用で持ち歩く事が多く、列車の写真は、8mm撮影機で撮影していた事が多かった。
そして、国鉄も解体され、民営分割化されてしまい、チャレンジ20、000kmもあと4線区で全線走破という所で、終わってしまった。
それ以来、鉄道から徐々に遠のき、就職先の変更や、結婚などがあり完全に鉄道から足を洗っていました。出張で日本各地には鉄道で移動はしていたものの、国鉄がなくなった時点で「もう、いいや」の気持ちがあったので、カメラも持たず、ただただ移動の手段として乗っているだけだった。
鉄道模型を集めるのもTMSを買うのも、国鉄解体と同時に辞めてしまっていた。まさに、鉄道は辞めた!状態だった。
その後、数年か経ち、本屋さんに寄った時、何を思ったか「久々にTMSでも見てみるか・・・」と立ち読みしてみると、新製品情報のページに、キハ400系の急行「利尻」の事が載ってた。「へぇ、今は気動車に客車の寝台車を連結しているんだぁ、この編成、面白そうだから欲しいなぁ。」と思い、その後、奥さんと立川に行く用事があったので、その時、ちょっとエンドウに寄りたい事を告げたら、彼女も鉄道模型という物を、見てみたいとの事だったので(当時は、鉄道模型は実家の物置の奥深くに眠っていたので、奥さんには見せた事がなかった。)一緒にエンドウに行ったのだが、エンドウのあまりの変わり様に、かなりショックを受けた。(学生時代は、立川に住んでいたので、よくエンドウには顔を出していた。)
お店の中にあった大きなHOのレイアウトもなく、タバコ屋さんみたいな小さなお店になっていたので、「本当に、あの、エンドウ?」と思ったものだった。まぁ、取りあえず中に入って、例のキハ400系「利尻」を探し、値段を見てびっくりした。私の記憶だと、HOの鉄道模型は、天賞堂の電機ですら、40、000円位で買えたし、エンドウ、KTMに至っては、3両で40、000円位という値段だったのに、「ええっ!こんなに高いのぉ!!!」というレベルまで、価格が上がっていた。当然買う事なんて出来ず、鉄道模型に浦島太郎状態だった自分に、驚いた。
その後、転勤の為に茨城に戻った時、M氏が会社に入社してきた。当時、私の部署にも新入社員としてIG氏が配属されてきたが、そのIG氏が「M氏も鉄道が好きらしい」と言う事で、M氏に会って話しをしてみると、やはり彼も鉄道からは遠ざかっていたらしかったが、まぎれもない鉄ちゃんだった。
その後、M氏とIG氏と共に、会社公認のクラブ「鉄道研究会」を結成し、それに伴い私の鉄道熱も復活して来てしまった。
そして1995年1月、岡山の出張の直前に、関西大震災が起こり、関西地区の鉄道が寸断されてしまった。私は飛行機が嫌いなので、余程急ぎの出張でない限り、鉄道を使って移動していたが、「これじゃ、飛行機で行くしかないかなぁ・・・」と思ったが、京都から山陰本線で和田山に抜け、和田山から播但線で姫路に抜ければ問題ないし、姫路以西に行くなら切符はそのままでOKらしいので、取りあえず京都まで新幹線で行き、京都で山陰本線のキハ181系特急「あさしお」に乗り換え、和田山から姫路まではキハ181系の「リレー号」で行く事にした。

キハ181系特急「あさしお」(京都駅)


京都で新幹線を降り、山陰本線のホームに行って見ると、ホームは工事中でごちゃごちゃしていたが、そこには10年以上ぶりに見る、キハ181系がエンジンを唸らせ、出発を待っていた。その時、学生時代のキハ181系の記憶がよみがえり、一瞬佇んでしまった。そして、そのキハ181系の特急「あさしお」の先頭のキハ181に乗り、出発を待った。車内は以前に乗った時と全く変わりなく、座席もリクライニングしないタイプだし、国鉄時代そのものだった。そして、出発ベルがなり、キハ181のエンジンが唸りだすと、車体全体が振動し、徐々に動き出した時、昔に良く乗った時と同じ心地よく、しかも関東地区では決して味わえない感覚を思いだし、感動のあまり思わず涙が出そうになってしまった。
その後、毎月大阪に長期の出張に行く事になったので、その度に、国鉄色のキハ181系の撮影をして来た。
山陰本線も電化されてしまい、特急「あさしお」が廃止され、キロ180を連結する特急は、「はくと」と「はまかぜ」になってしまったが、その後、「はくと」も廃止され、全て智頭急行の車両の「スーパーはくと」になってしまい。とうとう、「はまかぜ」だけが、キロ180を連結する唯一の国鉄色のキハ181系になってしまった。
そして、この冬、とうとう京都総合運転所に属するキハ181系(キロ180を含めて)の車体の色が、国鉄色から、JR西日本の色に塗り替えられてしまった・・・・・

キハ181系特急「いなば」(河原〜国英)


残る国鉄色のキハ181系は、「おき」「いなば」「いそかぜ」「くにびき」と、キロ180すら連結していない、3両編成の列車だけになってしまった。この、最後の砦の特急「はまかぜ」の色が変更された事を知り、ショックを受けたと同時に、「もう、国鉄色も限界かなぁ・・・・」と言う気持ち(まだ、北陸には485系の国鉄色とかが沢山頑張っているが・・・)と共に、12月8日のJR東日本のダイヤ改正での、485系特急「ひたち」の全廃により、なんだかまた、鉄道への関心がすこしづつ遠ざかって行ってる感じがしてきている。
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1998年10月03日(土)
特急「スーパーひたち46号」
今日は、かつて記憶にない程、ミーティングが早く終わったので、「これなら一本前のスーパーひたちで帰れる!」とウキウキして後にしました。いつもは、早くても勝田駅17:34発の「スーパーひたち46号」、下手をすると、東海駅18:38発の「フレッシュひたち50号」になってしまうが、今日は、勝田発17:09の「スーパーひたち44号」で帰れるぞ!と、K氏に東海駅まで送ってもらい、嘘のような余裕で東海駅に着き、みどりの窓口で、「5時の指定で上野迄!、あっ、喫煙席でお願いします。」(一々、スーパーひたちとか、勝田からとか言わなくても、駅員さんも慣れてるおかげで、解ってしまう。)と言った所、「いやぁ、大雨で列車のダイヤが乱れてるので、勝田で買って下さい!」と言われたので、とりあえず山手線内までの乗車券を買い、「上りがすぐ来ますから、乗って下さい。」と言われ、時刻表にはない時間の勝田行きの普通列車に飛び乗り、勝田に向かいました。この白地にブルーのラインの入った411系の普通列車は、時間帯のせいか、列車が遅れているせいか、4両編成のせいか、満員の定員だった。
途中下車して勝田の「みどりの窓口」で、VIEWカードのキャンペーンでVIEW商品券が当選したので、「よし!グリーンで帰ろう!」と思って、「今度のスーパーひたちのグリーンの喫煙で上野迄。出来ればA席が良いんだけど・・・」と言ったら、「今、いわき地方の大雨で、今度出る特急はグリーンが付いてるかどうか解らないし、今度来る特急は、スーパーひたち40号の予定で、列車が遅れてるから指定も発券できないから、とりあえず来た特急に乗って下さい!」との事で、仕方ないから取り敢えず自由席特急券を買い、ホームで特急を待つ事にしました。
651系特急「スーパーひたち」の場合、上野寄りの基本編成7両と、いわき寄りの付属編成4両の計11両編成になるが、上りの場合、勝田以北からの列車は、基本編成のみの7両で付属編成4両を勝田で増結する場合が多く、当然自由席に並ぶ人も、付属編成の方に並んだ方が当然座れる確立も高くなる。私の場合、それ程急ぐ旅でもないので、ここまで遅れるなら、どうせいつもの勝田始発の「スーパーひたち46号」でいいや!と、思っていたので自由席の喫煙可能の6号車の所に並んでいました。
勝田駅で待つこと40分、「今度入線してくる特急は、勝田打ち切りの列車です。ご乗車にはなれません!」との放送。その後、「スーパーひたち44号は、いわき地方の集中豪雨により、スーパーひたち46号の後の発車になります!」。
本来、勝田には停車せず、水戸に16:14着予定の「スーパーひたち40号」が1時間以上の遅れで勝田打ち切りで勝田駅に到着。当然、この列車に乗ってきた乗客の多くは、ここから乗り換えで、「スーパーひたち46号」に乗る事になる。降りてきた乗客達は、口々にぶつぶつ言ってるが、その気持ちは解る気がする。
本来なら、がらがらの乗客で勝田駅を出発する「スーパーひたち46号」が入線してきて、当然ながら、勝田打ち切りで勝田駅で降ろされてしまった「スーパーひたち40号」の乗客と、「スーパーひたち44号」に乗る予定だった乗客と、元々「スーパーひたち46号」に乗る予定の乗客が、この11両編成の「スーパーひたち46号」に乗車するから、今だかつてない位の乗車率となった。まるでお盆の帰省?と、思わせる程の、始発でいきなり立っている状態で、17時34分定時に勝田駅を発車。5分後に水戸駅に到着しても、勝田駅と同じ状態で、ホームには特急を待つ人・人・人・・・・。元々、この「スーパーひたち46号」は、その前を走る水戸〜上野ノンストップの「スーパーひたち44号」の止まらない駅をカバーする特急だから、友部、石岡、土浦と、停車しては乗客を乗せて行く。当然、これらの駅にこの混んでいる列車が進入すると、ホームで待つ人はそれぞれ、「ええっ?なんでこんなに混んでるんだぁ?」のような、びっくりした顔になる。いつもなら、がらがらなので、余裕で自由席に座れるのに・・・と言う感じでしょうか。せめて、1時間以上遅れていても「スーパーひたち40号」が走っていれば、この列車もここまで混まなかったと思うのだが。当然ながら、普通列車のダイヤもボロボロだったので、特急の行く手を阻み、各駅に列車が詰まってしまい、この「スーパーひたち46号」も必然的に遅れが出る。立っていた乗客の一人が、「スーパーひたちが信号待ちで停車しちゃいけないよ!これじゃぁスーパーじゃないじゃないか!」と言ったが・・・。
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1998年10月02日(金)
撮影その8・「北斗星4号」22時間40分の旅
8月27日〜31日の大雨の影響で、東北本線の黒磯〜新白河、上越線の水上〜越後中里が不通のため、最初予定していた青森行きの寝台特急「はくつる」が、東北本線開通まで運休と言う事で、急遽コースを変更し、上野発20:34の北陸新幹線「あさま531号」で一路北海道を目指すことになりました。もし、長野オリンピックがなくて、信越本線の横川〜軽井沢が廃止にならなければ、東北本線・上越線が一部不通でも、信越本線経由で抜けることが出来たに違いない!と、思った人は僕だけではないと思う。
昨年の9月30日に「あさま37号」で最後に碓氷峠を超えて以来の碓氷越えになったが、峠の釜飯を食べないうちに、「あっ!」という間に終点の長野に22:01定時に到着。新幹線のおかげで、また一つ「旅」というものが消え、単なる「移動」の手段になってしまったのが残念だった。長野駅では7分の乗り換え時間で、長野22:08発直江津行きの最終電車で終点の直江津に23:34着。今回のツアーは撮影班一人、観光班4人の変則的なメンバーで、いつも撮影班での参加のM氏がUS出張の為に(と、言いつつ、結局US出張がなくなり参加できたのに・・・・)不参加だったので、僕一人での撮影班となってしまった。他の4人は、誰が見ても旅行!って感じの格好なのに、僕だけが大きなジュラルミンのカメラバックと三脚を抱え、リュックを背負うという浮いた感じになってしまった。
長野駅の自販機でビールを買いこみ、直江津行きの普通列車でのんびりお酒を飲んだけど、やっぱり新幹線の中で飲む「移動中」のビールより、美味しく感じる。ただ、禁煙なのが辛い。直江津に着くと、18分の待ち合わせで直江津23:52発の「日本海1号」に乗車になるが、「北海道に行くのに、こんなコースを通る人は、うちのグループ位だろう!」と思っていたが、なんと、直江津での乗り換えをする人が、20人以上いたのには、驚いた!この「日本海1号」を使うと、「はくつる」で青森に到着する時間と10分しか変わらないし、しかも函館まで直通で行ってくれるので、このコースを選択しました。いつもの事だが、「日本海1号」に乗る頃には、僕は既に酔っている状況だったので、気が付くと、外は明るく、弘前を過ぎる当たりだった。定時の8:25に青森に着いたが、観光班は青森で降りて、レンタカーで観光をすると言う事だが、僕は何も考えていなかったので、どうしようか迷ったが、結局、青森8:36発の「はつかり8号」に飛び乗り、取りあえず浅虫温泉を目指すことにしました。前回浅虫温泉に撮影に来たときは、冬で、超〜寒くて撮影も辛かった思い出があるが、今回は逆に暑かったが、陸奥湾からの風が心地よく感じ、撮影地までの道のりも、颯爽と歩くことが出来た。
撮影地に着くと、先客の方がいたので、しょうがないのでその人がファインダーに入らない地点まで移動し、いざ、撮影をしようと思って、リュックの中を確認したら・・・・・貨物列車のダイヤを持ってくるのを忘れてしまったのに気が付いた。「これじゃ、道内では、行き当たりばったりでの撮影になっちゃうなぁ・・・・参ったぁ!」と思いつつも、忘れてきた物はしょうがないが、結局、時刻表主体の寂しい撮影になってしまった。
その後、青森を観光していた観光班と、青森駅で合流し、青森発17:00の「はつかり13号」で函館に向かいました。青函トンネルを抜け、遊びで来るのは15年ぶりの北海道で、函館駅に18:59到着。以前来た時は、広い構内には、貨物列車や、キハ82系の「北斗」「北海」「おおとり」「オホーツク」などが戯れていたが、今では、青森駅の様に、青函連絡船の乗り換えの為の人のざわめきや、ドラの音がないせいか、活気があまり感じられなかった。
翌朝、ホテルで観光班と別れ、一人8:12函館発の普通列車で大沼を目指しました。キハ40の2両編成で、前の1両が大沼から駒ケ岳経由の迂回コースを通り、長万部行き、僕の乗った後ろ1両は、大沼から鹿部経由の森行きとなる。森駅では、当然前の車両の方が先に到着するが、後ろの車両が森に到着するのを待っての出発になるので、出来れば、この2両をもう一度森駅で併合すると、面白いのになぁ・・・と思ったが、今は国鉄時代じゃないので、この手の無駄な事はしないのであろう。大沼駅は、みどりの窓口もあるので、当然切符は改札で、と思ったが、大沼駅に着くと、「降りる方は前の車両から、お降り下さい。」の車内放送があったので、「みどりの窓口」があるのに、無人駅?とか思ったが、しょうがないので前の車両の運転手さんのすぐ後ろのドアから、ゾーン切符を提示して列車を降りた。ワンマン運転の場合、1両編成ならともかく、2両、3両編成となると、あまり後ろの車両にいると、降りる時に辛くなってしまう。大沼駅を降りると、あまりの寂れ方に、愕然としてしまった。駅前にはラーメン屋さんが一軒だけで、自販機すらない。少し歩くと、自販機があったので、そこでウーロン茶とコーヒーを買いこみ、駅前の道を函館方面に、撮影地までひたすら歩いていると、国鉄色のDD51の牽く貨物列車が、無常にも通りすぎて行ってしまった。「やっぱり貨物列車のダイヤがないと、だめだぁ!」とがっくり来つつ、撮影地に到着。天気が目茶目茶良かったので、駒ケ岳もはっきり見え、「こりゃ、絶好の撮影日和だぁ!」とわくわくしながらカメラを設置。この撮影ポイントは、列車だけでなく、観光的にも絶好のポイントらしく、観光バスや、レンタカーで観光してる人など、続々と止まり、駒ケ岳をバックに記念撮影をして行く。僕も何度となくシャッター押しを頼まれたので、「ここで商売すれば・・・」とか思ったりしたが、なかなかDD51の貨物列車は来てくれなかった。ただ、初めて目にするDF200の貨物列車や、キハ283系の「スーパー北斗」は、とても新鮮に思えた。

キハ283系特急「スーパー北斗」(仁山〜大沼)

かなりの時間粘っていたが、この暑さで、ウーロン茶もコーヒーも飲み尽くしてしまい、お腹もすいてきたので、「DD51が来たら、もう、撤退しよう!」と思いつつ、やっと来たDD51は、JR貨物色の列車だった。今日は国鉄色には、会えないかも・・・と思いつつ、三脚をたたみ、カメラをしまい、大沼駅に向かって歩き始めて暫くすると、な・なんと、国鉄色のDD51の重連の貨物列車が、無常にも線路脇を歩いている僕の脇を通りすぎて行った。「あ〜ぁ!」とため息と共に、「もう少し粘っていれば良かったぁ!」との悔しさで、いきなり足取りも重くなり、暗い気持ちで大沼駅に到着した。これからの撮影日程を考える事にし、駅前にある「駅前食堂」で、味噌ラーメンを食べながら考えたが、いい案が浮かばず、移動の為の列車もないので、取りあえず食後の運動がてら、大沼公園駅まで歩く事にした。ちなみに、この味噌ラーメンは、とても美味しかった。

キハ40系700番台快速「アイリス」(仁山〜大沼)


駅前の道を今度は森方面にひたすら歩くと、道が鹿部経由の線路をオーバーパスするので、取りあえずこの陸橋の上から、撮影する事にした。運が良ければ貨物列車が撮れる!と思いつつ、待っていたが、撮れたのはキハ40の単行1本だけだった。国鉄色自体、北海道内ではDD51位なので、せっかく来たのに列車を撮らないと、勿体無いので、列車の本数の多い駒ケ岳側の線路で撮る事にし、大沼公園駅を過ぎて、線路沿いに赤井川駅方面に歩くと、踏み切りがあったので、そこで撮影をする事にしました。日曜日のせいもあって、道路は交通量も激しく、踏み切り脇でカメラバックに座り込んでる僕を、「何してるんだろう?」みたいな感じで見て、通りすぎて行く。やっぱり列車の本数も、こちらの方が多いので、何本も撮る事が出来たが、撮影地としては、今一の場所だった。結局、国鉄色は1本も撮れず、「僕は一体、何をしに来ているんだろう?」と思いつつ、函館のホテルに戻りました。
翌日は、観光班の4人と函館8:24発の「北斗3号」で大沼公園に向かい、大沼公園駅から昨日の撮影地までタクシーを飛ばし、そこで降ろして貰い、観光班と別れた。時間的には昨日の普通列車でのんびり来るより早く撮影地に到着できたので、昨日撮影地まで歩いている最中に撮り逃した国鉄色のDD51の貨物列車を撮る事が出来ました。この撮影地だと、下り列車は全て後追いになってしまうので、大沼駅方面に戻りつつ、DF200の貨物を正面から取ったりして、昨日の経験を生かして撮影する事が出来ました。

貨物列車(仁山〜大沼)

ただ、最初の予定だと、この日は室蘭本線の撮影の予定だったので、DD51の重連貨物が来るのを知っていたが、それを待っていると、室蘭本線での撮影が出来なくなるので、諦めて大沼駅に戻り、再び大沼駅前の食堂で、味噌ラーメンを食べて大沼発11:18の普通列車で、森駅を目指しました。大沼駅を発車し、次の大沼公園駅に到着すると、見たことのある4人組がいたので、ここで観光班と合流となりました。キハ40の2両編成は、のんびりと山の間を抜け、窓を開けていると、晩夏の北海道の、涼しくて気持ちの良い風が車内に入り込み、JNRマークのままの扇風機を見ると、「そういえば、昔、チャレンジ20000kmで全国を旅した頃を思い出すなぁ・・」と物思いにふけりながら、終点の森駅まで「旅」を満喫する事が出来ました。森駅で12:06発の「北斗7号」に乗り換え、観光班は洞爺駅で下車したが、僕は東室蘭まで行き、東室蘭で普通列車で折り返し、崎守駅に13:57に到着。

チップ満載のトラ90000(陣屋町臨港駅構内)


崎守駅の階段を降り、道を下って行くと、チップの山が見え、その前にはトラ90000が所狭しと並んでいた。台風の影響で、天気は曇って来てしまっているが、取りあえず止まっている貨車の写真を撮り、「昔はどこでも見れた貨車なのにぃ・・」とか思っていると、「ピーッ!」と聞き覚えのあるホイッスルが鳴り、DD51の牽くトラ90000の貨物列車が発車してしまった。「うわぁ!」と思い追いかけたが、こちらは徒歩だし、当然追いつくはずもないので、「こうなったら陣屋町駅(貨物駅)まで追いかけるしかない!」と、とぼとぼ20分位歩いて陣屋町駅に辿り着くと、レンタカーで来てる4人の方々が、止まっているDD51とトラ90000をバックに、記念撮影をしていました。「やっぱりレンタカーだよなぁ・・・」と思いつつ、その方々もすぐいなくなってしまったので、僕も写真を撮ることにしました。僕も記念撮影をしたかったが、あいにくOM3Tiにはセルフタイマーが付いてないので(まぁ、必要ないですが)貨物列車をバックに!は諦めて、せめてDD51が発車して動いている写真を撮りたかったので、止まってる列車を前に、ちょっとずらして置きピンをするという、何だか訳の解らない事をしてるなぁ、と思いつつ、信号が青になり、発車するのをひたすら待ちました。いつ発車するか解らなかったので、カメラの前から中々離れられず、信号機を気にしながら待っていたが、いざ、発車の時にはDD51の運転手さんがホイッスルを鳴らしてくれたので(いつも出発で鳴らしてるかもしれないですが)、何とか動いているDD51の貨物列車も撮る事が出来ました。ただ、台風接近に伴い、天気が悪くなってきて、曇り空になってしまったのが残念。この貨物がトンネルに消えるのを見送った後、駅前のバス停から、路線バスで東室蘭へ戻りました。路線バスが割と頻繁に運転されているので、楽でした。バスの乗車率もまぁまぁで、鉄道よりは当然時間はかかるけど、普通列車の本数が少ないので、地元の人にとっては便利かもしれません。
ホテルでTVの天気予報を見ると、翌日は雨の予報だったので、翌日は東室蘭駅でレンタカーを借りることにして、駅前のレンタカー屋さんに借りに行くと、Aクラスの車しか空いていないとの事で、どうせ一人で、しかも撮影で使うので、小さい車の方が色々便利だし、値段も高いので、ゾーン切符を見せて割り引いてもらい、しかも、交渉してみると、「じゃぁ、Sクラスの値段でいいよ!」と、2クラス下げた値段で貸してもらえる事になった。ただ、北海道のレンタカーは、200km以上走ると、割増料金になるので、注意して欲しいとのお託を頂き、いざ、撮影に出発。昨日、バスで通ったし、歩いた事もあり、大体の道は覚えたし、撮影ポイントもチェックしたので、自分で決めておいたポイントに向かい、DD51の貨物列車を撮影。この時は、まだ晴れていたので、このまま今日1日もってくれるといいんだけどなぁ・・・・と祈りつつ、次の撮影予定地の白老まで車を走らせる事にした。北海道を車で走っていると、割と気持ちがいいので、どうせ撮る予定の列車は、国鉄色じゃないしとかの思いがあるので、気持ちは鉄道の撮影するのを忘れて、ドライブを楽しんでしまい、途中で止まって風景を撮ったり、牛を撮影してしまったりして、気が付くと、まだ登別付近だったので、「こんなにのんびりしてたら、戻って来れない!」と思い、途中でUターンをして、全く反対方向の長和に向かう事にしました。本当は心の中では、もっとのんびりドライブを楽しみたい!と言うのがあったせいか、わざわざ室蘭から伊達紋別まで高速道路を使い、長和の駅を目指しました。地図も持っていないし、ほとんど勘で車を走らせましたが、何度か迷い、時間はかかったものの、なんとか長和駅に到着。長和〜有珠では、どうしても下り列車を撮影したかったので、撮影地に着いてカメラを設置していると、下りの「スーパー北斗」が来てしまい、撮影地までの道を迷ったせいもあって、カメラの設置が間に合わず、残念ながら、撮影する事が出来なかった。時刻表を見ると、あと暫くは上り列車ばかりの様子なので、しょうがないので下り列車は諦めて、上りを撮る事にして、カメラを設置しなおした。空を見ると、黒い雲がどんどんこちらに向かって来ている様な、嫌な雰囲気だったが、まだ、ところどころ雲の間から、太陽光線が見え隠れするので、なんとかキハ40の普通列車と、やっと来た国鉄色のDD51の貨物列車を撮る事が出来た。天気と言えば、どんどん曇ってきたので、もう逆光も順光もない状態になってきたので、カメラを下り方面に向けて設置しなおし、「そろそろ列車が来るな!」と思っていると、「サーッ!」と言う音が、その列車を待つ方向から徐々に近づいて来た。その方向を見ると、雨がどんどん向こうからこちらに降り込んで来るのが見えた。「やっべぇ!」と思い、カメラにビニール(よくホテルの部屋に付いている、ランドリー用のビニール袋、これが結構耐水性があるので便利で、僕は必ず2〜3枚持ち歩いています。)を掛け、すぐさま車に戻ると、車に「パラパラ・・・」と雨粒の音が、それが次第に、ドラム缶をひっくり返した様な、「ドババババ・・」という音に変わり、車の中からでも5m先は視界不良状態程の強い雨になってしまった。「だめだぁ!」と思っていると、下り列車がゆっくりと目の前を通りすぎて行ってしまった。
その後、この大雨は、一向に止む気配を見せないので、仕方なく撤退する事にして、陣屋町臨港駅に向かう事にしました。国道に出て、室蘭方面に走り出すと、雨は小降りになり、場所によっては雨の降った気配すらなかった。「あの大雨は、なんだったんだぁ?」と思いつつ、もう少し室蘭寄りで撮影していれば、雨には当たらなかったかも・・・とも思いつつ、陣屋町臨港駅に到着。まだ、萩野駅からの回送の貨物列車は来てないみたいなので、取りあえず、構内で休憩しているトラ90000達を撮影し、入線してくるDD51を撮影しようと思って、三脚を立てると、再び雨が・・・・。でも、せっかくここまで来たのに、雨だからと言って、撮影を辞めるのも悔しいので、「こうなったら意地でも撮影してやる!」と思いつつ、雨の中、カメラを構えて入線を待っていると、駅の作業員の方が出て来たので、そろそろ来るなぁ!と思いつつ、「雨の中、ご苦労さんだねぇ。」と、あきれ返ると言うか、励ましの言葉というか、声を掛けてくれた。その後DD51を撮影し、トラ90000の入れ替えを見ながら、どんどん雨足が強くなる中を、今度はチップを満載にした列車を撮影し(この時は、トラ90000だけの、純国鉄編成だった)、再び陣屋町まで追いかけて、昨日の様に、出発を見送ってから、レンタカーを返すために、東室蘭の駅へ引返しました。

(貨)陣屋町

なんだかんだで160kmも運転してしまったが、自分の車とは違って、レンタカーの燃費の良さに感激し、室蘭発15:34の781系特急「すずらん7号」で一路札幌へと向かいました。東室蘭では、観光班の人の内の一人が乗っている大阪行きの「トワイライト・エクスプレス」を待っての出発で、その「トワイライト・エクスプレス」に、その人が乗っているのを「すずらん7号」の窓越しから確認し、心の中では「お〜い!」と叫んで手を振ったが、こちに気づいてくれたかどうかは解らなかったが(後日確認したら、僕らしい人は見かけたとの事)、ちゃんと乗れていた事に安心し、駅の売店で買ったビールでも飲もうとしたら、♪汽笛一声、新橋を〜♪の国鉄純正のオルゴールが車内に軽快に鳴り響き、車掌さんの案内放送が始まった。色こそJR色になっているが、それ以外はほとんど国鉄純正で、「やっぱり特急は、このオルゴールがいい!」と、とても美味しいビールのおつまみになった。室蘭駅も以前来たときとは、打って変わって、島式ホーム1つだけの寂しい駅になってしまっていた。これも時代の流れには逆らえない結果なのだろう。
JR北海道の国鉄時代の車両は、711系を除いて、割と白でまとめられていて、なかなかセンスが良いと感じた。キハ283系も、先頭車は先端まで行け、ヘッドマークの上には窓が付いていて、そこから前方が覗けるのは、なかなか良く出来ている。キハ183系1550番台の先頭車も、キハ185と同じく、運転台の右後ろに陣取れば、前方を見ながら旅が出来るので、良い。また、グリーン車は禁煙でも、喫煙者の為に、喫煙所を設けてあるので、他のJR各社の「グリーン車は、全面禁煙!」から比べると、ちゃんと乗客の事を考えてくれている。全車禁煙となってる列車もあるが、多少はタバコも我慢できるが、特に、長時間乗らなくては行けない列車は、我慢にも限界があるので、他のJR各社も、それを考慮してもらいたいものだ。
ただ、道内は、あれだけ網目の様に張り巡らされていた鉄路も、今や、すかすか状態なので、寂しい限りです。今、「いい旅チャレンジXXXXkm」とかをすると、日本全国、あの苦労して乗った盲腸線がほとんどないので、超〜楽に全線走破できるでしょう。
17:13定時に「すずらん7号」は、札幌駅に到着。札幌駅もそうだが、以前来た時とは違って、今流行の高架駅になっていた。1ヶ月前の8月15日、つくばのびゅープラザに頼んでおいた「北斗星2号」のロイヤルの指定が取れたので、本当はこの列車での悠々帰京のはずだったが、この日も「北斗星2号」は仙台止まりで、仙台から上野までは新幹線の振り替え輸送という事なので、せっかくロイヤルの高〜い料金で、仙台止まり、しかも早朝なので、あまりにも勿体無い気がしたので、払い戻し料金なしでの払い戻しで、「北斗星4号」のB1を改めて取った。ロイヤルは当然ながら既に満席で、やむなくのB1での帰京になった。しかも本当はJR北海道編成の車両に乗りたかったのだが・・・・。
18:14、「北斗星4号」は札幌駅を出発。夕食は、20:00からの予約で、7,800円もするAコースを予約していたので、あまりビールを飲んでしまって、お腹が一杯になっても困ると思いつつ、札幌駅のキオスクで大量に買い込んだビールが、「あぁ、これがロイヤルだったらなぁ・・・」と悔しく思いつつ、時間と共に減って行ってしまう。これもまた、キオスクで買った、西村京太郎氏の本を読みながら、時間をつぶし、やっと「20:00からの予約のお客様の準備が出来ました。」との、食堂車の方の放送があったので、7号車の食堂車へ。食堂車に乗るのは、半年位前に乗った「出雲1号」以来だが、ちゃんと営業している食堂車に乗るのは、僕が学生時代に日本食堂上野営業所でアルバイトをしている頃に仕事で乗った、「白山4号」の食堂車(サシ489−9)以来これまた15年ぶりの事。昭和55年、最初にこのアルバイトを始めた頃、食堂車は調理場4名、食堂長、会計係、ウェイトレス、車内販売2名の9名の大所帯だったし、特急「はつかり」「ひばり」「やまばと」「つばさ」と、食堂車は、割と盛況していた。それが東北新幹線が開業し、在来特急の廃止と共に、当然食堂車の営業もなくなり、末期の頃は特急「白山」の3往復のみの受け持ちになり、食堂車の従業員も、調理2名、食堂長、車内販売の計4名での寂しい常務だった。
食堂車は、予約制の事と、今や「北斗星」「トワイライト・エクスプレス」「夢空間」の、限られた列車のみの営業である事も重なって、昔の盛況していた頃の食堂車を思い出させてくれた。料理もまずまずで、食堂長さんも、てきぱき動き回っていたが、満席のテーブルを一人で切り盛りするのは、ちょっと無理があるように感じられた。
周りを見渡すと、アベックや団体、友人同士ばかりで、僕だけ一人で食べていたので、さすがに寂しい思いをした。せめてM氏でもいれば、話し相手にでもなったのにぃ・・・と思いつつ、またまたビールを飲んでしまい。食事開始から30分以上かかってしまうコース料理が終わる頃は、少し酔っ払い状態に近くなっていた。でも、やはり、旅には食堂車が一番良い。旅の雰囲気を、盛り上げてくれる。ほろ酔い加減でB1の個室に戻り、観光班のH氏の携帯に電話してみると、観光班の残りの3人は、もう既に上野20:30発の「フレッシュひたち57号」で帰路についている途中との事。確かに移動するだけなら、飛行機は速い。
車内放送で何度も「この列車は、常磐線経由で運転されますので、宇都宮や大宮でお降りの方は、仙台から新幹線での振替輸送になります。」と繰り返され、僕も冗談で車掌さんに「常磐線経由で運転するなら、せめて水戸で降ろして下さい。」と言って見たが、「仙台から上野までは停車しません。」との返事。当たり前だけど、なんか勿体無い気がした。外は雨が降っていたが、青函トンネルを越える前には僕は眠ってしまっていた。
早朝、車掌さんの強引な車内放送で起こされ(どうせ仙台すぎてから上野まで止まらないのなら、ゆっくり寝かせてくれ〜!)、食堂車も朝食の準備が出来ているとの事なので、食堂車に行き、洋定食(1,600円)を食べ、ロビーカーの自販機で缶コーヒーとウーロン茶を買い、自分の個室に戻って、外を見ると、富岡の駅で列車は止まったままで、「台風のため、現在常磐線は不通になってるので、暫く停車します。」との放送。どうせ急ぎの旅でもないし、のんびりしよう!と再びごろ寝を始めたが、1時間経っても動く気配がなく、雨まじりの強い風で、停車中の車両が左右に大きく揺れる。その内、「この先の線路に大木が倒れた。」「久ノ浜駅の線路が冠水したので、復旧の見込みが立っていない。」等の、嫌〜な放送が車内に流れた。その後、暫くの間停車したままだったが、風もすこしづづ弱くなり、雨も多少ながら少なくなってきた頃、やっと列車はゆっくりと動き始めた。10:56、本来ならこの「北斗星4号」が常磐線経由で上野に到着する予定時間だったが、その時間には、まだ、いわき駅にすら到着していなかった。札幌のキオスクで買った2冊の本も読み尽くし、さすがに退屈になってきた12時ちょっと過ぎに、やっといわき駅の2番線に到着。ここで、乗客のための昼食を積み込み、みんなに配ってくれるとのJRの配慮だが、配られたのは、小さなアンパン2個に、500mlのパックのジュースだった。

常磐線いわき駅でJR職員さんにより配られた昼食

となりのホームには、台風の影響で遅れている651系「スーパーひたち」が停車していた。その後、この「スーパーひたち」も発車し、ドアを開けてくれれば、立ち売りのお弁当屋さんから弁当を買えるのにぃ!と、お弁当を羨ましく車内から眺め、いわきに停車して1時間位後、さっきまで「スーパーひたち」が停車していたホームに、「北斗星」のヘッドマークを付けたEF81の牽く、札幌をこの「北斗星4号」より1時間12分後に出発したはずの「北斗星6号」が入線してきた。いつもは、「スーパーひたち」が発着するホームに、北斗星が並び、「この写真、撮りたい!」と思いつつ、13:00過ぎに「北斗星6号」をいわき駅に残して、やっと出発した。外を眺めていると、水田の稲穂は倒れ、川の水は増水し、台風の威力を改めて知った。水戸駅を15:07に通過し、いつも撮影している土浦付近では、あの元気に太陽に向かって伸びていた蓮も、みごとに倒れていて、農家の方々が、総出で田畑の点検をしていた。

常磐線を迂回する「北斗星4号」(土浦〜神立)

列車から外を見ていると、みんな「なんで北斗星が、こんな時間に?」みたいな不思議そうな顔で、この常磐線経由の、「北斗星」を見ていたのが、面白かった。車内放送では「特急券の払い戻しは、降りた駅でお願いします。」との事で、16:54上野駅の18番線ホームに、約6時間の遅れで、到着した。札幌駅を出た時、最初の車内放送の「この列車は、常磐線経由で運転されますので、多少時間がかかりますので、ご了承下さい。」の言葉が脳裏に甦った。「ん・・・、確かに、時間がかかった。」
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1998年08月30日(日)
撮影その7・青梅線
土曜日は、久々に晴天で、「おっ!今日は撮影日和じゃないか!」と思いつつ、会社のメールを見てみたら、例のM氏から、「青梅線の貨物列車の撮影をするので、10時に立川駅に集合!」と言う一方的なメールが入っていたので、「まぁ、青梅線の貨物もなくなってしまうから、撮りに行くかぁ!」と思って、「参加」の返信メールを出したが、どう考えても10時に立川駅では遅すぎるし、立川駅のどこに集合かも書いてないので、M氏に連絡をしようと、思ったが、M氏は、自宅に電話を引いてないし、携帯電話は無くしてしまったらしいし、どうにも連絡が取れない。電報でも打ってやろうかと思ったけど、詳しい住所も知らないし...と、思っていたら、夜中にM氏から電話があって、なんとか連絡がつき、立川駅の改札前に9時!と、いう事で話が付き、天気予報を確認したところ、その日は晴れ時々曇りという事なので、なんとか撮影が出来そうだ!と、思って朝を迎えると、な・なんと、雨が降っていた。
天気予報が外れるのは、いつもの事だが、朝からこの雨だから今日の撮影は無理だ!と、思っても、M氏にメールを打っても埒があかないし、かと言って連絡をする手段がないので、しょうがなくカメラを持って、取りあえず立川駅まで、行く事にして、雨の降りしきる中を出かけました。今回は、撮影地と、ダイヤはM氏に任せたので自分では下調べをせず、「どうせ、雨だから撮影は無理だ!」の気持ちで8時50分に立川駅に到着。途中の駅は雨脚がひどく、「今日はエンドウにでも行くしかないかなぁ...」とか思っていて、しかも、M氏は、遅刻の常習犯なので、「どうせ9時とか言っても、9時に来るはずがない!」と思っていたところ、珍しく9時迄にはちゃんと来たので、取りあえず駅のホームの立ち食いそばで朝食を済ませ、雨の中、取りあえず青梅を目指しました。
取りあえず、青梅線の有名撮影地の一つの青梅〜宮ノ平のカーブで撮ろう!と言う事で、青梅駅で下車し、「この曇り空じゃ、撮影地は、人がいても1、2人位だろう」とか話しながら行ってみると、5、6人もいたので、これじゃ三脚立てるスペースもないし、アングルも限られてしまうので、この撮影地を辞めて、もう少し先まで歩いて行くと、そのカーブの立ち上がり付近に、撮影できるスペースはあったが、既に3人もいた。「うわぁ、今日は人がいるなぁ」とか思っていると、下りの貨物列車が通過。すると、そこの3人は撮影を辞めて、撤退したので、次の上りをこの場所で撮ろうと思ったが、この地点に立ってしまうと、先ほどの撮影地から、自分達が入ってしまう。で、しょうがないので、この場所も諦めて、もっと先まで進んでみる事にした。色々探してみたが、どこもあまり良いアングルが取れず、結局宮ノ平駅まで歩ってしまった。上りの貨物列車まではまだ、時間があるので、地図を見て、適当にポイントを選び、取りあえずここら辺がいいのでは!と言う事で、石神前まで移動し駅前を日向和田方面に歩くと、青梅線をオーバークロスする陸橋があるので、その上から俯瞰撮影する事にした。
それまで、なんとか天気はもっていたが、三脚を立て始めると、とうとう雨が降り始めてしまった。
下りの貨物列車がそろそろ来るはずだ!とM氏が言うので、レンズを35mmに換え、手持ちで撮影しようと雨の中だが待っていたが、時間が過ぎても来る気配がない!何時まで待っても来ないし、上りの貨物列車の時間なので、今日のダイヤはこの列車はない!と言う事にして、上り列車の為の設置を始める事にした。すると、雨は徐々に上がり、上りの貨物列車が来る頃は、パラパラの雨になった。「この雨じゃ、どうしようもないから、上りの撮影が終わったら、今日は辞めよう!」とか話していたが、空を見上げると、なんとなく天気が良くなりそうな雰囲気だったので、1時間後の上りの貨物列車も、ここで撮る事にした。他に3人、撮影してた人がいたが、みんな1本撮って、いなくなってしまった。毎回思うが、ささっ!と来て、1本撮って、ささっ!と帰る。地元の方で、何度もその場所で撮ってる人ならともかく、1本撮っただけで帰るなんて、そんなに自分の腕に自信があるのだろうか?

EF64の牽く貨物列車(日向和田〜石神前)

どうせ1時間後にしか来ないのだからと、話をしながらぶらぶらしてると、近くの踏み切りが、「カンカン..」と鳴り出したので、「また103系だね!」なんて話してると、EF64-1000の牽く下りの貨物列車が、小刻みな音を立てて、通過して行った.....M氏にダイヤを聞いても、「???」状態だったし、カメラは上り用にセットしてあったので、しょうがなく後追いで数枚写真を撮った。「まぁ、下りだからいいかぁ!」と開き直りつつ、待った甲斐もあって、1時間後には、太陽が覗いてきた。でも、M氏と撮影に来ると、いつも列車が通過する5分位前には、いきなり曇ったり、雨になるのが常だから...以前もそうだが、久大本線の鉄橋でDE10の牽く50系客車を待っていた時、天気が良く、絶対曇りそうにない天気だったのにも係わらず、列車が来る直前に、思いっきり曇ってしまい、本来なら鉄橋を渡る列車が、青い澄んだ川に映って、奇麗な絵になるはずだったのに....
まぁ、今回はなんとか撮れました。「今度は御嶽〜川井の山の上からの写真を撮ろう!」と提案したが、M氏は「山登りは嫌だ!」と我が侭を言うが、この曇りの天気なら暑くないし!と説き伏せ、御嶽駅に向かいました。御嶽駅に着き、いつもの様に駅前の自動販売機で飲み物を買い込み、目的の貨物列車の通過時間までは2時間ある!とM氏が言うので、のんびりと青梅街道を奥多摩方面に向けて歩き出しました。天気は曇っていたし、日帰りの撮影なので、リュックを背負ってないので、歩くのは比較的楽でした。
山に入ってから、撮影地までの道が解らなくなり、「こっちだ!」「あっちだ!」と言いながら山の中をうろうろしているうちに、どんどん天気が良くなってしまい、山登りにはきつくなって来て、汗はだらだらでるし、この天気じゃ、この撮影地だと列車の正面がつぶれてしまう!と思いつつ、やっとなんとか撮影ポイントまでたどり着くと、1人だけ先客がいましたが、あいさつして、同じ場所で撮らせてもらう事にしました。M氏が言う貨物列車の通過時間にはまだ、時間があったので、その先客の方と、お話しながらのんびりと三脚を立て、カメラをセットしていると、その方が、「来たよ!」と、言ったので、103系だね。なぁんて見てみると、目的の下りの貨物列車だった。「やっべぇ!」と思いつつ、カメラは三脚に固定はしてあったものの、レンズは前回撮った100mm/F2のままだし、露出やシャッタースピードもそのままだったので、急いで合わせ直した。貨物列車自体のスピードが遅かったのも幸いしてか、なんとか撮る事ができました。ただ、晴れてしまっていたので、列車のサイドにしか日が当たらず、正面はつぶれ気味になってしまっていた。

EF64の牽く貨物列車(御嶽〜川井)

「どう、撮れた?」と、少し上のポイントから狙っていたはずのM氏を見上げると、な・なんと彼は、三脚だけを持って、唖然としていた。良く見ると、カメラはまだ設置されておらず、いきなりの貨物列車の到来に、間に合わなかったらしい。先に来ていた方の話によると今日は臨時列車が沢山走っている関係で、平日ダイヤで運行されたらしい。どうりで、M氏の言う時間通りに列車が来なかったはずだ....
この後の列車は、2時間後で、もう夕方になってしまうので、今日は撮るのを終了する事にしたが、M氏は結局、いきなり照って来た太陽の下の暑い中を、汗をかきつつ往復1時間の山登りをして終わってしまった。当然、御嶽駅までの帰りの道のりは、遠く感じた事でしょう。
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1998年07月11日(土)
撮影その6・北陸撮影記
「金沢に出張があるので、ついでに撮影に行きません?」との会社の友人M氏のお誘いに、北陸も久々だからと思い、私は夏休みを取る事にして、上野23:03発の寝台特急「北陸」で東京を後にしました。最初はB1個室寝台を取っていましたが、この日もじめじめと蒸し暑く、シャワーを浴びたかったのと(B寝台に乗ってもシャワー券を買えばシャワーが浴びれる)、「北陸」は何度も乗っているが、まだA個室には乗った事がないので、出発間際に「みどりの窓口」い駆け込み、A個室に換えてもらいました。私も色々なA個室には乗ってますが、この「北陸」のA個室は、部屋に入ってみて、びっくり。今まで乗った個室の中で、1番良いと感じました。ただ、「出雲2・3号」や「あさかぜ」のA個室に乗ると、A個室の人専用のシャワー・ルームがあり、タオルや石鹸・歯ブラシ等の洗面用品セットもサービスで貰えるが、この「北陸」は、シャワー券も、この洗面セットもそれぞれ310円で買わないといけないのには、「約7時間27分しか乗れない列車に、A個室の高い料金を払うのだから、サービス位してよ〜!」と思いました。まぁ、乗ってしまった以上、仕方がないので、620円でシャワー券と洗面セットを買いました。唯一の救いは、洗面セットに入っているタオルに、「寝台特急北陸号」の文字と、その「北陸」の絵がプリントされていた事でしょうか。
個室に備え付けられているTVは、一晩中ビデオを流していて(「あさかぜ」とかは、VHSのビデオが装備されているが、ビデオを車掌さんから借りないと、TVが見れない)、洗面台も備え付けられており、ベッドも広く、かなり快適ですが、M氏とA個室でいつもの様に、長岡付近まで飲んでしまったので、それでなくても短時間しか満喫できない列車なのに、ほとんど寝られず、気が付いたら「まもなく、富山です」の車内放送が流れていた。
金沢に定刻の6:30分に着くと、M氏はこれから仕事なので、仕事が終わり次第撮影に合流すると言う事で、彼と金沢駅で別れ、金沢7:10始発の「加越4号」(もちろん国鉄色)で取りあえず敦賀方面を目指しました。今までは、「北陸ワイド周遊券」で北陸を行ったり来たり出来て、北陸入りするのも、色々経路をその場で決めたれたが、今ではワイド周遊券も廃止され、周遊きっぷと名を換えて、往復の経路をあらかじめ設定しておかなくてはいけないので、今までの様に、帰りはその時に決めればいいや!が出来ないので、今回は、「越前・若狭ゾーン」切符に、往路が高崎線・上越線・信越線・北陸線経由で、復路が北陸線・大糸線・篠ノ井線・中央東線経由の都区内発着の設定で買いました。このゾーン切符は、そのゾーン内の私鉄やバスも乗り放題なので、観光で使うにはいいかもしれないが、鉄道の撮影の為に使うには、どうしても使いづらい切符になってしまったのを実感しました。
金沢地区は、朝ながらにも天気が悪く、どんよりとした感じだったが、北陸トンネルを抜け、敦賀に着くと快晴なので、取りあえず小浜線の急行「わかさ」を撮影しよう!と思い、敦賀駅で下車し、小浜線に沿って取りあえず西敦賀方面に歩く事にしました。駅前の自動販売機で冷たい烏龍茶とコーヒーを買い、リュックにしまい小浜線に沿って歩って行くと、廃線になった貨物専用線が現れ、それを渡ってしばらく行くと、敦賀機関区(旧敦賀第2機関区)が見えてきます。この構内には、ED70の1号機がひっそりと佇んでいますが、それを横目にひたすら歩って、小浜線が北陸本線と分岐して最初の踏み切りあたりで、急行「わかさ」を撮る事にしました。ここまで約30分、炎天下の下を、リュックを背負い、重いカメラバックと三脚を担いで歩ってきたおかげで、もう、汗がだらだらで汗を拭ってもどんどん吹き出してきて、とりあえず冷たい烏龍茶(350ml)を一気に飲み干し、着ていた半袖シャツとを脱ぎ、びしょびしょのTシャツを着替えて、列車を待つ事にしました。やっぱり夏の撮影は辛い!

急行「わかさ」
(十村〜大鳥羽)

地方で撮影する場合、レンタカーをしばしば借りる事もあるが、レンタカーを借りて移動してしまうと、細かい撮影地を自分で見つける事ができないので、日頃の運動不足の解消もあるが、極力歩く事にしてます。良く、集団で車でどどっと来て、目的の列車のみを「さっ!」と撮影して、すぐに居なくなってしまう人達を見かけるが、あれは好きになれない。まぁ、考え方の違いだろうけど...
久々に見る国鉄色のキハ58・キハ28の2両編成の急行「わかさ」を撮影後、今度は北陸本線の新疋田方面へ言って試る事にして、今度は北陸本線に沿って歩く事にしました。で、再びしばらく歩くと、まぁまぁの撮影ポイントを見つける事が出来たが、この暑い最中をずっと歩ってきたので、さすがに調子が悪くなり、三脚も立てず、しばらくは撮影なしで「ぼーっ」と列車を見送る事にしました。が、暑くて暑くてたまらず、日陰もなく風もないので、しばらく回復を待ったが、どんどん気持ちが悪くなってきたので、さすがに撮影をするのを中止し、「明日にしよう!」と思い国道8号線まで戻り、バスで敦賀に戻る事にしました。なんとか国道に出て、敦賀方面に歩くと、JRバスのバス停があったので、バスの時刻を見ると、30分後位に来るみたいなので、さすがに駅まで歩いて戻ると、倒れそうだったので、バスを待つ事にしました。運良く、国道8号線は交通量が多いので、バス停の前でカメラバックに座っていると、その通過する車の風のおかげで、なんとか涼しい思いが出来ました。地方で撮影をして、その撮影地から戻る時には、ちかくにバスが走っていれば、そのバスで戻る事にしていますが、大体バスは時間通りには、来ないので、前後5分位は大目にみてるが、なんと、時間通りの10時17分、バスが来たので、それに乗り、敦賀駅まで戻って来ました。JRバス関東とかは、今でも国鉄時代のままのカラーリングで、しかも、サイドには「つばめ」マークがちゃんと入っていますが、JRバス西日本は、ピンクのラインが入っていたので、ちょっとがっくりしてしまいました。
今度は下りの急行「わかさ」も撮る事にして、小浜線に乗り、十村駅を目指しました。11:01敦賀発の東舞鶴行の列車は、キハ58・28の4両編成で、前2両が東舞鶴行の青に白ラインの小浜線色の列車で、後ろ2両は小浜止まりの国鉄色オリジナルで、キオスクで北陸地区限定のビール「北陸づくり」を買い、それを飲みながら涼を取りました。列車が十村駅に着く頃は、空が曇ってきたので、「雨でも降るかなぁ。」と心配しながらも、十村駅を降り大鳥羽方面に歩くと、小浜線の大コーナーがあったので、そこで撮影をする事にしました。そこで急行「わかさ」を待っていると、空はどんどん曇って来て、雨が降りそうになってきた気配だったが、なんとか「わかさ」が通過する頃まで、天気がもってくれたので、取りあえず写真を撮る事ができました。2両編成の急行ですが、日本で唯一になってしまった国鉄色のキハ58系の急行なので、「やっぱりキハ58系は国鉄色で、それで急行のサボが一番似合う!」とつくづく思い、再び敦賀に戻りました。

特急「雷鳥」
(新疋田〜敦賀)

金沢で別れる時、M氏が「午後には合流できると思うから電話する」と言っていたが、一向に電話がないので、今度は北陸本線に乗り、有名撮影地の敦賀〜新疋田の新疋田側で撮影しようと、新疋田まで行ったが、天気はどんどん悪くなってきたので、ちょこっとだけ撮影して、福井に引き上げました。M氏と合流できたのは、結局夜の9時頃で、話に寄ると、金沢地区は、凄い大雨で凄かったららしい。ホテルのTVで明日の天気をチェックすると、明日の天気は雨、降水確率は100%の予想。結局福井の飲み屋で飲んでしまい、朝8時集合という事で、それぞれ寝たけれど、朝、7時頃目覚ましの音で起こされ、ホテルの窓から外を覗いてみると、大雨の様子だったが、TVの天気予報で見ると、小浜地方はなんとか曇りらしいので、今日も小浜線の撮影をする事にして、福井10:00発の「加越8号」で再び敦賀を目指しました。敦賀に行く途中、「加越8号」は大雨のため、何度も徐行したが、北陸トンネルを抜けて、敦賀に着くと、雨はなかった。改めて、北陸トンネルの向こうとこっちでは、天気が違うなぁ!と思い、昨日と同じ11:01敦賀発の小浜線に乗り、今度は三方駅を目指しました。三方駅に着いて、三脚を立て、カメラをセットし、急行「わかさ」を待っている頃は、天気も曇りで、まだ明るかったので、「なんとか写真が撮れそうだ!」とか思って待っていると、急行「わかさ」が来る5分前になった時に、いきなり大粒の雨が「どさっ〜!」って降り始め、「こりゃ、だめだ!」と言う事で、撮影を中止し、この急行「わかさ」で敦賀に引き上げる事にしました。急行「わかさ」は、わりと中途半端な時間帯に走っているにも関わらず、平日なのにぼちぼちの乗車率だった。
車内で「今日の撮影は、もう、無理だ!今日は観光でもするしかないよ!」とかM氏と話していると、車内放送で、北陸線が大雨のため、上下線とも運転を見合わせてる!との事で、「え!」とM氏と顔を見合わせてしまったが、敦賀に到着してみると、ホームは閑散としていて、「現在、北陸線は上下線とも不通になっております。お客様は待ち合い室でお待ちください!」のアナウンスが鳴り響き、敦賀駅の改札には、人だかりで、駅員さんも応対にてんやわんやの状態で、私たちは、どうせ撮影ができなければ、暇だから、さて、どうしよう!と考えていると、昨日、敦賀機関区でED70を見た話をM氏にしたら、是非写真が撮りたい!と、言い出すので、敦賀機関区に電話でED70の撮影の許可を聞いてみると、あっさりOKとの返事だったので、敦賀駅前からタクシーを飛ばし、いざ、敦賀機関区へ。
敦賀機関区の事務所に行って、先程の電話の趣旨を問い合わせてみると、その事務所はJR貨物の事務所で、あのED70はJR西日本の物だから、JR西日本の事務所に!と、親切に教えてくれたので、隣のJR西日本の建て屋で電話の趣旨を問い合わせてみると、「気を付けて撮影して下さい。」のお言葉で、許可を得る事が出来ました。国鉄時代と比べて、みんな親切になったと痛感したこの頃でした。国鉄時代は、機関区内の撮影とかを飛び込みで聞いても「だめ!」の一言で終わってしまったが.....で、30分位のんびりとED70を撮影しましたが、このED70の正面の近くに、何故か長椅子が設置してあった。もしかして、ここに座ってED70をつまみに「いやぁ、やっぱり1/1スケールはいいねぇ!」とか言いながら、お酒でも飲むためのものなのかなぁ..とか思いつつ、事務所にお礼を言って敦賀機関区を後にし、敦賀駅に戻ってみても、まだ、復旧の見込みが立っていないらしく、その中で、小浜線だけが元気にダイヤ通りに運転していた。

ED70-1
(敦賀交流機関区構内)

やる事もなにもないので、取りあえず、ホームに居よう!と言う事で、M氏とホームで撮影したり、ビールを飲んで時間をつぶしていた。この日の福井県内は、滝の様な大雨が降り、各地で大きな被害をもたらしたらしく、北陸本線も北鯖江〜大土呂の川が警戒水域を超え、鉄橋と川の水位が1mを切ってしまったらしく、大変な事になったいたらしい。
4時間後、なんとか復旧したが、ダイヤは滅茶苦茶で、なんとか福井まで帰れたが、「まさか、この大雨で、明日帰る予定の大糸線が、また土砂崩れで不通なんて事はないよなぁ!」とか冗談まじりにM氏と話していたが、夜、TVのニュースを見ると、「大糸線内で土砂崩れがあり、列車がその土砂に乗り上げ、現在不通!」。
ゾーンきっぷは、買う時に往復の経路を指定しないと買えないし、しかも経路の変更ができないから、もし、このまま大糸線が不通だったら、どうなるのだろう?信越線に経路変更してくれるのだろうか?まさか、また、バス代行じゃないよね。とかM氏と飲みながら話し合ったが、取りあえず予定通り行って見よう!で、翌日、福井駅8:20発の681系特急「はくたか5号」で一路、糸魚川を目指しました。福井駅で大糸線の状況を聞いてみたが、連絡は入ってないとの事で、糸魚川に行ってみないと解らないとのあやふやな答。魚津で「はくたか5号」から583系改造の普通列車に乗り換え、定刻の10:53分、糸魚川に到着。「糸魚川−南小谷」のサボを掲げたキハ52が出発を待ったいた。糸魚川〜南小谷を結ぶ、このキハ52は、何故か便所が取り払ってある。
出発時間まで時間があったので、写真を撮ったり、お弁当を買ったりして、大糸線の旅に備え、何気に駅員さんに「大糸線は復旧してますよね。」と、聞いてみたら、な・なんと、昨日の土砂崩れで、現在は平岩〜南小谷が普通で、バス代行との返、この糸魚川11:27発の南小谷行の列車が、ちゃんと動いてくれないと、南小谷で4分で接続する「スーパーあずさ8号」に乗れない!と、駅員さんに訴えたら、「南小谷駅に連絡して、ちゃんと乗れるように、待っていてもらう」と、心強いお言葉を残して、駅長室に消えて行ったので、「これで安心して行ける!」とキハ52に乗り込んだ。何年もの間不通だった大糸線は、途中、ほとんど新線の様に、真新しいレールに、真新しい鉄橋で、どんどん山奥深く進んで行く。キハ52が老体に鞭打つ様に、2エンジンを全開で鳴り響かせるが、それほどスピードは出ない。
問題の平岩駅に定刻に到着したが、ここまでの乗客は、6人。でも、ワンマン特有の車内放送は、「次は北小谷です。」の放送。運転手さんもバス代行の放送をしないので、「もしかして、開通したの?」を思っていると、「現在、この先のトンネル内で、昨日土砂崩れがあり、不通になっていますが、今、確認の列車が北小谷から着き、その状況によって出発できます。」との事で、しばらく待っていると、北小谷方面から、保線区の方を載せた列車が到着した。まるで、テストの結果を聞く様に、わくわく半分、不安半分の気持ちで待っていると、OKのサインが出たらしく、列車は4分の遅れで、不通後初めての乗客を乗せて、北小谷に向けて出発しました。
北小谷を出発すると、まもなく長いトンネルに入り、「このトンネルの先で土砂崩れかぁ、どれどれ」とか思っていて、トンネルの出口の明かりがちらっと見えたかと思うと、いきなりキハ52は、フル・ブレーキを掛け、車輪をきしませて緊急停車した。「何だぁ!?」と思って前を覗くと、土砂崩れの場所で、保線区の方が沢山いて、運転手さんも顔を出し、何やら保線区の人と話しをしていたが、再びスロットルを上げ、徐々に前進を始めた。まさかバックするのでは...と、ひやひやしていたが、なんとか無事通過し、予定より3分遅れで南小谷駅に到着した。
M氏と北陸に撮影に行くと、晴れた事がない。
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| 撮影旅行 |
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1998年07月10日(金)
仙山線ED78
仙山線を走る貨物列車と言えば、ご存知板谷峠で活躍したED78の重連が有名ですが、「そろそろ撮りに行こうかなぁ。」と思っていた矢先に、RM(レールマガジン)に、このED78についての記事が載っていて、6月末で本数が減る!と、書いてあったので、これ以上減らされたら、撮影可能時間帯に走らないのでは!と、寂しくなってしまったので、「それじゃぁ、その前に撮りに行こう!」と思い、山形県地方の週間天気予報を確認してみると、6月24日・25日が午後から晴れの予想だったので、「この日しかない!」と決意し、会社を休む事にし、24日の東京駅11:04発の「つばさ107号」で行く事にしました。

ED78重連の牽く貨物列車(西仙台ハイランド〜作並)


23日の夜は、カメラや、着替えなどの時刻表などの準備をし、まぁ、何度も訪れている場所なので、初めての撮影地に行く不安とかもないし、どうせ順光では撮れない列車だし、1日撮れて2本なので、半分は「お金の無駄使いだなぁ」という気持ちもありますが、それでも久々の撮影なので、遠足の前の子供の様に、わくわくしながら床に就きました。
24日朝、わくわくしながら9時頃起きて、いつもの様にコーヒーを飲み、切符や指定席券を確認し、たばこを吸いながら、「そろそろ出ようかな!」と思い、リュックサックを背負い、カメラバックを下げ、三脚を担いで、「さ〜て、ED78ちゃん、待っててねぇ〜♪」とか思いつつ、家を出ようとした瞬間、会社の携帯電話が「ぷろろろ〜!」と鳴り響き、かかって来た電話番号を見たとたん、いや〜な予感が全身を走り、電話を取ると、そこには・・・・。取りあえず状況を聞いてみたら、「こりゃ、行くしかないやぁ...」。エンジニアの悲しきサガとでも言うのでしょうか・・・
リュックを下ろし、スーツに着替え、カメラバックの代わりに、ノートPCを持ち、上野11:00発の「スーパーひたち19号」で北へ向かいました。
せっかくの有給休暇が・・・(;_;)
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| 独り言 |
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1997年11月29日(土)
勝田電車区K26編成
常磐線の下りに乗り、勝田駅を過ぎると進行方向左手に、勝田電車区がある。ここには、E991系(Try-Z)や、651系、E653系に403・415系、485系にクモヤ441形など、結構常磐線でしか見る事のできない車両達もいるが、やっぱり今でも国鉄色で、しかもボンネットのしかも481-0番台の訓練車のK26編成も在籍している。
訓練車なので、ねったにお目にかかる事ができないが、最近見たときは塗装もぼろぼろで、もう廃車寸前って感じだったし、最近見ないなぁ....なんて思っていたら、今日、田町電車区にいるのを見つけた。ところが、サイドには、白地で「訓練車」と書いてあるものの、色は、まるで全検あがりか新造車の様に、国鉄色でピッカピカ。「おいおい、訓練車で国鉄色なら、いまの485系の特急ひたちも、せっかくかろうじてボンネットが生き残っているのだから、国鉄色に戻せよな!」とか思ったが、なんか嬉しかった。しかも近くには、これも国鉄色の167系(ヘッドライトが四角だったが・・・)が並んでいて、その隣には、今でも国鉄色の185系がいて、それらを国鉄色の113系(湘南色)から窓越しに見ると、「ここも時間が止まっている!」とか思って、一人で感激してしまった。やっぱり国鉄色が一番いいね。

K26編成:
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| 鉄道 |
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1997年10月04日(土)
189系特急「あさま37号」長野行き最終列車
1997年9月30日上野駅17番線ホーム21:00発、長野行きの最終列車、信越本線横川〜軽井沢の碓氷峠を通る最後の列車、189系特急「あさま37号」は、ホームの人だかりをかき分けるように、カメラのフラッシュをバシバシ浴び、テレビ局のビデオに写されながら、出発しました。私たちの乗る5号車は、指定券は完売のはずなのに、空席が目立つ。記念に指定券を買った人達の分だと思う。大宮にも、高崎にもカメラを持った人達が、この特急「あさま37号」をバシバシと写しまくる。当然、横川駅は、まるで夏休みの暑〜い日の湘南海岸の様に、めちゃめちゃ多い人と、物凄い数のカメラのフラッシュに迎えながら、3番線に入線。いまだかつて、これだけの人が、しかも夜22:40頃にこの狭いホームの横川駅に集まったろうか?
最後の「峠で釜飯」をしようと、「峠の釜飯」を買おうとするが、売れきれ続出で、やっと売っている「おぎのや」のおじさんを探し出すと、テレビ局が生放送でインタビューをしていた。発車時間を気にしながら、インタビューが終わるのを待ち、2つ買った(このシーンがテレビに写ってしまったらしい...)。この横川でのEF63の連結作業の停車時間に「峠の釜飯」を買うのも最後だと思うと、とっても寂しかったし、とっても残念だ。そして、後ろに連結された、EF63の重連の最後の仕事が始まった。今まで、何十回か、数え切れないくらい碓氷峠を越えてきたが、あの空気を抜いた台車のガツン、ガツンと来る乗り心地も、今日はとっても心地よくリズムを刻んで、ぐいぐいと、66.7パーミルの急坂を上がっていく。この真っ暗な夜なのに、峠に入ると、周りからはカメラのフラッシュが鳴り響く。それと共に、EF63の汽笛が碓氷峠に「ぴーー!」と鳴り響く。トンネルを幾つか越えても、そこにもカメラのフラッシュが。
ガタガタガタと、ポイントを渡る様な音が聞こえると、そこは旧熊の平信号所。車内は、マイクを天井にかざしてずっと音を撮っている人、夜なのに車窓のビデオを撮っている人、車内の写真を取り捲っている人と、人それぞれだが、今回、この特急「あさま37号」を乗るにあたって、友人達と「最後だからこそ、ゆっくり楽しもう。」と決めていたので、我々4人は、写真も撮らず、マイクも向けず、ただ、上野駅を出発して、ビールで乾杯をしてからず〜っと宴会の様に、飲んで楽しんできた。碓氷峠は、勿論横川駅で買った「峠の釜飯」を食べながら越えた。そして、最後のトンネルを抜け、いつもの見慣れた風景だが、もう二度と見れない位置からの風景が車窓に広がり、再びカメラのフラッシュを沢山あびながら、20分強の長いようで、短かった最後の、EF63の助けを借りた碓氷峠越えの幕が閉じた。なんかとっても気が抜けてしまった気がした。
学生時代、日本食堂上野営業所の車内販売のアルバイトで、特急「そよかぜ」で何十回と碓氷を越え、特急「白山」の食堂車と共に車内販売として何十回と越え、旅行で何度となく越えた碓氷峠を最後に越える事が出来たので、悲しくもあり、嬉しくもありという感じ。
ちなみに上野駅から我々4人はビールやウィスキーを飲みまくっていたので、軽井沢に着く頃は、結構酔いが回っていたが、とっても「いい酒」で、楽しい酔い方なので、いくらでも飲めてしまう。軽井沢ではEF63が最後の仕事を終えて、189系の最後の特急「あさま37号」から切り離され、終着駅長野に向かって走り出した。軽井沢を過ぎると、この特急「あさま37号」は、10月1日からはJR線としては廃止となり、「しなの鉄道」として発足する信越本線最後の列車でもあるせいか、運転手さんは、23:00を過ぎているにも関わらず、長野駅まで汽笛を鳴らしっぱなしで走った。
小諸駅に着いて、駅名表示板を見ると、今までみなれたJR東日本の緑色だったのが、もう既に「しなの鉄道」色に変更されていた。長野駅に近づくと、車内では車掌さんの最後の放送があると、誰ともなく拍手が始まり、車内は「お疲れさま、そして、ありがとう」の意を込めた拍手で埋まった。列車は定時に着いたのかどうかは知らないが、当然誰もそんな事は気にも留めなかった。長野駅に着いて、ホームに降りても、ほとんどの人が記念写真を撮ったりしていて、すぐには改札に向かったりはしなかった。しばらくすると、当然先頭車に集まり、最後の189系「あさま」を見送る。駅長さんのホイッスルが鳴り、最後の仕事を終えた「あさま」が動き出す。当然ここでも拍手が沸き起こった。運転手さんは窓を開けて、見送る私たちに手を振ってくれた。「あさま」が視界から消えるまで見送ると、「終わった...」って気持ちがした。階段を上がり、改札を目指すと、「あさま」が到着後20分位は経っているはずなのに、、そこはもう人の大渋滞。長野駅員さんの好意からか、切符に「無効」印を押してくれて、記念として切符をくれていた。ここで、JR西日本の某F知山駅の駅員みたいに、「規則ですから切符は回収します!」とか言って、いくら頼んで切符をくれなかったら、この時長野駅の改札は、大パニックだったろうけど...とにかく、楽しかったような寂しかったような、最終列車の旅は、終わった。
翌日、私は二日酔いのガンガンする頭のまま、長野駅9:12発の「みのり3号」で新潟に撮影に向かった。
EF63重連の牽く189系L特急「あさま」(軽井沢〜横川)
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| 旅行 |
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1997年06月29日(日)
撮影その5・成田線
久々に撮影に行きました。昨日の夜の天気予報で、「明日は絶対に晴れます!」と言ってたので、昨日の夜、カメラのモータードライブのバッテリーの充電をセットし、「よし、明日こそは早起きして特急「あやめ」と特急「すいごう」を撮るぞ!」と意気込んで寝たが、気が付いたら朝の9:00を過ぎていた。でも、この6月29日までの土・日は、特急「あやめ祭り」が臨時で走るので、本来の「あやめ」と「すいごう」は撮れなかったが、撮影に出かけました。撮影地は昔、保育社から発刊された「国鉄の車両」という全20巻の本に載っている写真の撮影地を元に、撮影しているが、この本の写真の説明は、「OO駅から徒歩30分」としか書いていないので、撮影地を探すのに結構苦労するが、それも一つの楽しみです。
最初の四街道〜物井(成田線)の畑のあぜ道で三脚を立て、カメラを構えていると、近くで遊んでいた5、6歳の子供達が近寄ってきて、「おじちゃん、なにやってるの?」と撮影している時に、必ず子供たちに聞かれる定番の質問がきた。「電車の写真を撮ってるんだよ。」と言うと、「赤いやつ?」と言うので、赤いやつっていうと、252系の「成田エクスプレス」の事だろうと思い「違うよ。クリーム色のを撮ってるんだ。」と答えたら、「ふ〜ん」と言って、行ってしまった。

183系特急「しおさい」(佐倉〜南酒々井)

やっぱり子供達にとっても183系より、252系の方が魅力があるのかなぁ...と感じた。その後、何本か国鉄色の183系特急「しおさい」を撮り、今度は物井〜佐倉に移動すると、3〜4人のカメラを構えた人がいた。私も場所を探し三脚を立てていると、485系改造車のお座敷「華」がやってきた。周りの人達は、一斉にカメラを連写したが、私は全く興味がないので、カメラのセッティングを続けたが、「華」が行ってしまうと、三脚をたたむ人が出てきた。おいおい、これからDD51が牽く1日2本しかない貨物列車と、国鉄色の183系の特急「あやめ祭り」が来るのにぃ!と思ったが、まぁ、人それぞれターゲットが違うのでしょうがないが...!
183系特急「あやめ」(物井〜佐倉)

また、自分の目的の列車が来るまで、車の中で待機している人もいるが、これだと貨物列車は撮りはぐってしまう。私は貨物列車の時刻表を見て来ているので来るのが解っていたが、やっぱりカメラの脇にいつもいないと、せっかくの列車も逃してしまうと思う。「この貨物は、毎日走っているの?」と、撮りはぐった人が「しまった!」の様な顔で、私に聞いてきたが、「この列車は日曜以外は走ってますよ。」と教えてあげたが、後の祭りだ。

DD51牽引の貨物列車(物井〜佐倉)

さて、明日こそは早起きして特急「すいごう」を撮るぞ!
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1996年12月18日(水)
一畑電鉄
いやぁ、あの一畑電鉄の川跡〜出雲大社前を走る電車は、噂には聞いていたけどすごい
最近この区間に初めて乗ったけど、あれはただ者ではない!と、思った。
以前は当然(?)だが、国鉄の大社線しか利用しなかったので、一畑電鉄は興味がなく、今回初めての利用だったけど、なかなか楽しかった。ところで一畑口は何故スイッチバックになっているのでしょう?昔は一畑薬師まで線路が延びていたとかしてたのでしょうか?
川跡〜出雲大社前を走る電車(川跡駅)
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1996年12月03日(火)
特急「スーパーひたち31号」(その2)
今日、スーパーひたち31号(上野19:30発)に乗車するために上野駅の17番線で待っていたところ、スーパーひたち23号(上野10:04着)が車両故障のために上野駅の手前で停まってしまって、定刻には到着しないとのアナウンスが流れた。
この列車が折り返しのスーパーひたち31号になるので、そのアナウンスを聞いた瞬間、「このままこの列車が上野までなんとか来て、そのまま故障のために31号の運転の見合わせとかになったら、ビールと日本酒とおつまみをキオスクで買って、待機している私は、このまま普通列車かなんかに乗ったら、いかに常磐線でも、この時間じゃはずかしい!」と一瞬頭をよぎったけど、「でも、この時間だったら、車両の替わりは485系しかないし、それだとグリーン車がないので、グリーンのお客の振り分けにJRが困るだろうし....まさか、651系の前にEF81でも連結して取り敢えず、スーパーひたち31号として、勝田まで持っていくのかなぁ?それだったら最高におもしろいんだけど...」とか、「後発のスーパーひたち33号に振り分けてしまうと、私の持っている指定券は一体どうなってしまうのだろう?」とか思っていると、「ただいま応急処置をしています。もう少々お待ち下さい」の、アナウンスが流れて、「まさか、応急処置の列車を折り返すんじゃあないよね!」と、と考えていたら、15分位の遅れで、スーパーひたち24号が入線してきた。でも先頭車両がいつになくエアーをシュパシュパ言っていたが、表向きはなんともなかった様に見えた。
そして、乗客が降りた後、掃除の方々が一斉に車内清掃を始め、な、なんと、出発10分弱前には乗車ができた。「一体どこが故障したんだ?そんな簡単に修理できるのかぁ。」とか「応急処置なら勝田まではもつのだろう・・・」とか思っているうちに、定刻通りに発車。
やっぱりJRの車両だけあって、「メンテナンスフリーなんだろうなぁ。」と思った。
しかし、いつもスーパーひたち31号は空いている。帰宅の谷間ってところかなぁ。
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1996年10月23日(水)
特急「スーパーひたち31号」
今日、スーパーひたち31号(上野19:30発)が松戸駅での人身事故のため、松戸到着の前で30分位止まった。別に急いではいないのでゆっくりお酒が飲めたのでよかったが、どんな人身事故かは知らないが、列車が通過する時は、必ずホームの白線の内側を歩って欲しいものだ!ホームから撮影する時も、三脚は白線から出ないようにするべきだと思う。列車ダイヤはみんなで守りましょう!
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1981年05月10日(日)
いい旅チャレンジ2万キロ
大学の鉄道研究会恒例の春合宿に合流するため、5月1日21時過ぎに家を出ました。私の乗る予定の列車は、東京発23時29分の全車指定の急行「銀河53号」(大阪行き)なので、勿論東京駅には早く着きすぎてしまい....私の座席は3号車4B、しかし車内はガラガラなので車掌さんに「席はB席だけど、A席に座ってもいいですか?」と聞いたところ、「小田原過ぎて来なければ良いよ。」との事。横浜で結構乗って来たけど、A席に来た人はなし。
日が明けて5月2日1時36分、定刻に小田原に到着。ところが残念にも私の隣のA席へ中年のおじさんが一人来てしまった。このおじさん、しばらく座っていたが急に立ってデッキに姿を消してしまった。私は落ち着いて寝れなかった。寝心地も当然悪い(オハ14-19)。それからうとうとしていて気が付いてみると時間は3時過ぎ。窓の外を見ると、静岡駅に停車していた。すると先ほどの私の隣のA席のおじさんは、私の席の右前の席(2C、2D、3C、3D)を一人で陣取って夢の中へ...私の前の席の人影もなし。私も前の席をこちらに向けて、1ボックスをいただき。しかし寝心地は悪く、うつらうつらしている内に豊橋に到着したらしい。窓の外は青い空で、今日も1日、快晴になるだろう。
ぽけーっとしていると、右手の方向に何やら赤い列車が、この急行「銀河53号」を抜こうとしていた。熱田を過ぎる頃、完全に抜かれてしまった。車内から「わぁ、かっこいい!」の声。名鉄のパノラマカーらしい。私はこっちの14系の方がよっぽどカッコイイと思う。
名古屋で中央西線の中津川行きの725Mへ乗り換える。急行「銀河53号」は5番線に到着。725Mは8番線から出発する。
5月2日6時26分、名古屋に6時18分に到着して6時40分に出発する急行「銀河53号」を左手に見ながら725Mが出発。そうこうしている内に、7時214分多治見に到着。ホームに沢山いる高校生の中で、三脚を立て駅名と自分を入れて、セルフタイマーでパチリ
7時23分、美濃太田行きの列車に乗り換えて出発(425Dキハ20-371)。途中の「」駅の入場券が欲しかったけど、無人駅だったし、チャレンジ20000kmのため、さようなら。
8時3分、3分遅れで美濃太田に到着。入場券(硬券)が欲しかったので、改札の人に「乗車券はあるんですけど、入場券が欲しいのですが....」と言ったら、「ああ、いいよ」と言ってすんなり改札を通してくれた。もちろん乗車券は持っていました。何しろキセルをすると人相が悪くなるからね
硬券の入場券を買い、改札の人に鋏を入れてもらって、美濃太田の駅名を入れてパチリ。8時14分、北濃へ向けて出発。列車はキハ58-785+キハ28-2458のスペシャル編成。車内もなぜか満員。さすが越美南線。しかし、まだつながっていない美濃白鳥〜九頭竜湖までの道のり、約25kmをどうするか考えると心が非常に重くなる。
とか何とか思っている内に、美濃白鳥に到着。なんと、ほとんどの人が降りてしまい、この2両に残っている乗客は、私を含めご老人が1人の計2名のまま10時24分、終点の北濃に到着。なんと有人の駅だったので入場券を買おうとしたら、現在売り切れ中だそうで、北濃〜美濃白鳥の切符を買って、パチリをした後、来た列車で折り返しで美濃白鳥へ。およそ10分で到着したのは10時46分、改札を出る時に「北濃から」と言って130円を払って出た。
さて、美濃白鳥から九頭竜湖の駅までどうするか。越美北線の九頭竜湖発14時10分に乗るにはあと約3時間10分、25kmをこの時間で歩くにはやっぱりちょっとキツイ。駅前と言っても東小金井(中央線)の北口みたいな駅前(1981年当時の)だけど、タクシーが1台停まっていたので、ちょっとその運転手さんに「九頭竜湖の駅までいくら位かかりますか?」と聞いたところ「5000円位」との事。5000円ではちょっとキツイので、時間もある事だし、九頭竜ダムから九頭竜湖駅まで歩く事にして(ある本には、この間を歩くと約30分と書かれていたので・・・)、「九頭竜ダムまではいくら位?」と聞くと「4300円から4500円位」。それでは困るので、「4000円でそこを何とか・・・」と交渉したら4000円で行ってくれると言うので「ラッキー!」と思いつつ、いざ九頭竜ダムへ出発。
タクシーで乗って行って解った事だが、私が歩いて行こうとした道は、冬の大雪の為、路肩は崩れているし、タクシーでさえセカンドギアでやっと、なんとか走れた程の急勾配の峠。国道とは思えない程のひどい砂利道。こんな所を歩ったら、1週間かかっても九頭竜湖駅へ着けるかどうか解らない。バスはまだ、大事を見て運休しているそうだった。タクシーは正解だった。
40分程で九頭竜ダムへ到着。ところがどっこい、人っ子一人なく、今にも雨が降りそうな曇り空。ところが、運転手さんが「どうせ福井へ戻るのだから、ついでに駅まで乗せてってあげるよ。」との事。しかも、運転手さんが写真を撮ってくれると言うので、九頭竜ダムを背に写真を撮ってくださいまして、そして、九頭竜湖駅へ。
なんとも呆気なく着いてしまった。
しかし、私を待っていたのは、九頭竜湖発14時10分までの約2時間を、この何もない駅でどうするかと言う事であった。駅前の喫茶店らしきお店で800円のカツ丼(最高に不美味)を食べ、駅のホームでボケーッとする事2時間、14時頃になって駅に人が沢山(約20人位)集まって来たのには驚いた。
そして、1日4本しか来ない列車の内の1本が、駅から見える遥か彼方のトンネルから姿を現した。とうとう待望の列車が来た。
14時11分、福井へむけて132Dが九頭竜湖駅を1分遅れで出発。編成はキハ52-115+キハ23-516+キハ23-519の3両編成。福井向きのキハ23-519は、郵便物や荷物が車掌室寄りの車内に積んであり、どちらかと言えばキハユニ23と言った方が合っていると思う。車内はガラガラのまま福井へ15時45分、4分遅れで到着。
これで、太多線越美南線越美北線の踏破完了。
ところが、次に福井から乗る予定の特急「加越8号」の来る予定のホームには、人、人、人。これでは米原までは立ちだな・・・と思って「加越」の自由席の札の下がっている所を探していると、よく見ると「加越」の札のすぐ脇には「白鳥」の札も下がっていたので、もしかしたら・・・と思っていたら、「特急白鳥号は、加越号の後にまいります。」とのホームのアナウンス。だから、人の列の前の横の方にいると、特急「加越8号」が入線してきても、その列の人々は乗る気配がない。
特急「加越」は7両編成、特急「白鳥」は12両編成。特急「加越8号」が福井に到着すると、ホームの端の方に並んでいた人達が、あわてて中央寄りに走って来た。そうです、「加越」の列と思って「白鳥」の自由席の列に並んでいた人達が、自分の並んでいる列の前まで電車が来ない事を知り、あわてて集まって来たのでしょう。当然私は悠々と、楽勝で座席へ(クハ481-327、7号車10A席)。
さすが電車特急だけあって17時11分、定刻に米原へ到着。ところがどっこい、次に乗る予定の558Mは、3分後の出発予定。三脚を立て、カメラを付け、ピントを合わせて人が周りに居なくなるのを待って、セルフタイマーでパチリ。しかし、無情にも558Mは大垣を目指して行ってしまった。しょうがないので新幹線の見えるホームで立ち食いそばをパクリ。やはりパチリには5分は欲しいものだ。途中下車して入場券が欲しかったが、乗車券を見せると福井から特急「加越」で来た事がバレて、特急券の問題(加越は車内検札がなかったので、特急券が買えなかった!?)が起きそうなので下車は断念。
予定変更はしたが、米原17時51分発794Mで大垣へ。そして樽見線東海道本線美濃赤坂支線を、無事踏破して、大垣からは予定通りの21時55分発の568Mで22時37分、名古屋へ到着。
ところで、美濃神海、美濃赤坂は共に無人。美濃神海では、折り返しの26分の待ち合わせの間、運転手さんと車賞さんは共に夕食を食べに駅前の食堂へ。列車(キハ48-1531+キハ26-172)内に取り残された私は、暇なので、キハ48の運転席を覗いたりして・・・・さすが新型車両、キハ26より断然良い!
名古屋からは臨時急行「つがいけ51号」で合宿への合流を目指して、23時31分定刻通り出発。残念ながら座席には座れなかった(座席には、山登りするらしい連中が荷物を載せていて、その荷物をどかせば座れたが)。私はあらかじめ車内で拾っておいた新聞紙を通路に広げ、荷物を枕に寝たのです。さすがに急行「銀河53号」の時よりもぐっすり寝られた。ただ、車内の減光をして欲しかった。
この山登りらしい連中も含めて、ほとんど松本で降りてしまい、そのから私は1ボックスを占領し・・・・・寝過ごしてしまい、終点の信濃森上まで行ってしまった。本当は信濃大町で222M824Mで塩尻で合宿への合流のはずだったのだが....

1981-05-10 | 記事へ | トラックバック(0) |
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