世界に誇る至芸の宣伝販売『外郎(ういらう)売り』その1・・芸能と創造力NO20
◆『芸能・文化』の世界が『商い・商業』の世界と深く関わりあい融合していました。現代ではなく江戸時代のことです。享保1700年代の頃・・当時・棒振り(テンビン棒を担いだ)行商・商業が生活そのものを媒体として芸能の分野と深く交流していたことをこれから物語りたいのです。そして景気は良いと虚構の経済予想に踊らされ本当は物あまりのデフレ不況にあえぐ今こそ江戸商行・商人(あきんど)の美学に学ばなければならない事を訴えたいと思います。まず何度かに区切って世界に誇る芸能【外郎売り=デモンストレーション】から・・(8月10日奉魯愚=ブログ末尾に紹介予告しています)
◆商売=企業・商品に【芸術的な発想・創造力】が必要だと世の著名な経済学者や経済人はあまり言いません。また反対に文化人や学識教養人たちも妙に黙り込むテーマです。わずか多摩大学経営情報学部の大槻 博教授(財団法人流通経済研究所理事=過年ご教示を得た)がその著書や講演の中で触れられているにすぎません(店頭マーケテングの実際他)・・
http;//wwwone.tama.ac.jp/
その他 元関西大学の広瀬久也教授が商売の原点は近江商人にあり彼らの市庭(イチバ)観や正直商人道が日本商業史を飾るポイントであると言われています。当時・地の果て蝦夷といわれた北海道まで新規顧客を開拓する商人魂の中に激しい創造(想像)力=生活のエネルギーを感じますし演劇的なアンサンブルがなくては開拓意欲は生まれない・・だろう・・とポルトガル人が日本にまで交易にきたことを例に話されていました(11/22WED)=『勿体ないの金儲け・・仮題』出版準備中。この両先生いずれもが会社勤務(実業)を経験なさっての経済情報論マーケ論です。大槻先生は元 雪印乳業梶B広瀬先生は元万年社製作局・日経広告社勤務。どうして学問一辺倒の畳の上の水練では駄目で社会的な事業経験が必要なのか・・は順次説明していきます。とりあえずは実業・実践の体験なくして語れぬ【商人の背筋を貫く芸術的創造力】なのだ・・としておきます。
●拙者 親方と申すは お立会いの中に ご存知のお方もござりましょうが お江戸を立って二十里かみがた(東京から京都方向へ)相州 小田原いっしき町(マチ)をお過ぎなされて 青物ちょうを登りへお出でなさるれば
欄干橋(ランカンバシ)虎屋籐右衛門 ただいまは剃髪(テイハツ・頭をまるめて)いたして 円斎(エンサイ)と名乗りまする。
◆この口上は 1718年享保3年正月 江戸三座(中村座・市村座)のひとつ森田座で2代目市川団十郎が自作自演した『外郎(ういらう)売』歌舞伎・市川家十八番の内・・台詞(セリフ)の最初の文章です。旧かなでは読みづらいので解かりやすく紹介しましょう。チナミニ【申すは・・まおすは/お立会い・・お立ちあひ/ござりましょうが・・ござりませうが】となります。注(−)内はヨミカタと説明。
●元朝(ガンチョウ・正月元旦のこと)より大晦日(オオツゴモリ・12月31日)まで お手に入れまする この薬は 昔 ちんの国の唐人(トウジン)ういらう という人 わが朝(チョウ)にきたり 帝(ミカド)へ参内(サンダイ)の折から この薬を深く籠(コ)めおき 用(モ)ちうる時は一粒づつ冠(カンムリ)の透間(スキマ)より取りいだす。よってその名を帝(ミカド)より 透頂香(トウチンコウ)とたまわる。即ち文字(モンジ)には透(ス)く頂(イタダ)く香(ニオイ) と書きて とうちんかう ともうす。
◆まだ出だしの数行なのに 説明ばかり・・すみません。2代目団十郎は この外郎売りの宣伝販売の実際をどこかの町辻で見かけて それを参考に歌舞伎で創作上演したのではありません。そもそも外郎は1368年正平23年・陳外郎が帰化して・当時・小田原(城)の北條家(早雲以下代々の)御殿医として仕えたことによります。時代は足利義満が将軍になった頃です。以来〜630年有余〜今も神奈川県小田原市本町で外郎籐右衛門【ういらう】の登録商標で売られている日本最古という保障つきの由緒正しい漢方薬なのです(・・こんな歴史を持つ薬はイタリヤ・メヂィチ家=メデスン・・薬の語源になった・・のミョウバンぐらいなものですか・・しかも今なお販売されている事は大変に凄いことです)大きさは仁丹ほどの丸薬で朝廷ではお公家さんなどが冠のスキ間にはさんで携帯していたことが判ります。名古屋で有名になった【お菓子のういろう】も発祥元祖はここなのです。(注)余談ですが薬の『ういらう』は通販や電話予約など絶対にしてくれません。誠実に病状を話して買いに行かれることです。売り切れも頻繁にあって関西の方など箱根・伊豆の温泉で1泊されてどうにか買えたなどと聞きました。私も過年幾度か小田原城下青物町すぐのお店を見学に行ってきました。
◆当時・・身分としては《河原者》といわれた歌舞伎役者(団十郎)が咽喉を痛めて発声が出来なくなり・それを贔屓のご縁でこの薬『ういらう』をのんで病気快癒。感謝お礼に創作自演した・・と言われている演題です。したがってこの【宣伝販売はまったく架空想像上】の創作・・フィクションなのです。今時のコピーライターや広告宣伝の関係者に【これほど起承転結・見事に立会いの顧客を誘導する】創造的文章力の極致・・それに仕草=演技力・・デモンストレーションを真似して見よ・・と言いたいですね。
◆2代目団十郎の時代は徳川家継がなくなって吉宗が紀伊より宗家をつぎ将軍となり新井白石らを解任して享保の改革を行う頃でした。あえて知ったかぶりで言えば大岡越前守忠相が北町奉行となり・町火消しの制度で消防いろは45組が出来・江戸の商工業者が株仲間を設置し小石川に養生所が置かれるなど。1700年代は07〜年富士山噴火。17年〜霧島山浅間山噴火。32年〜関西・享保の大飢饉・江戸大火と地震など頻発している年代です。田畑の質流し禁止令がでるなど生活と経済は決して安穏とは言えず厳しいご時世だったようです。世界史では大ブリテン王国成立1707〜。清国でキリスト教伝道禁止1724〜。ベーリング海峡の発見1728〜などあげられましょう。
・・さて・今年5月に12代目市川団十郎が本当に久方ぶりに『外郎売り』を演じました。残念ながら大阪で仕事していて見ることは出来ませんでしたが2代目団十郎が病気快癒を謝恩して創作した・・その由来に基づいて病気快癒の復帰公演をされたわけです。またこれも余談ですが『外郎売り』上演の際は必ず事前に小田原の外郎家に報告される伝統があるそうです。【謝恩の義理堅さ】・・これも日本の誇る【商いの風習】です。
この【外郎売り】の続きは出来るだけ 間をおかず ちかじかに・・・
有難うございました。再見まで。
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2006-11-26
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