1995年1月17日午前5時46分。
前日は僕の県議会選挙に向けての決起大会が1000名以上の参加で、大盛会のうちに終わり、感謝と充実感とともにぐっすりと眠っていたのだった。
ドンと突き上げたといわれるが、僕はあまり記憶がなく、突如家全体が巨大な削岩機のようなもので揺さぶられているような気がした。いつ終わるのだろう。ひょっとして最悪の事態になるのではないか。そんな気がした。
揺れが終わって隣室の妻と長女の安否を確認しにいったが、不用意に動くと危ないと、妻にたしなめられた。
一人暮らしの母が気になり、実家の方にでかけた。信号が動いていない。ただならぬ気配。
母は無事だった。実家の座敷から市役所が見えている。座敷の壁と外のブロックの塀が倒れたためだった。天井から絶え間なく土が降ってくる。初めて体感した天災だった。
ただごとではない。と思ったが、まさか6400人を超える死者が出ていることまでは思いもよらなかった。
あれから15年経った。つらいこと悲しいことは時間が経てば薄れることもあるだろうが、ご遺族の言葉から、時間が悲しみを重くしていくこともあるのだと、痛感させられた。
合掌
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