ニックネーム:宮地和夫
性別:男
年齢:55歳
都道府県:大阪府
豊中市議会議員1期目です。子どもたちの未来のために頑張ります。

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2010年02月11日(木)
第39回「平和と人権を考える集い」
 10時よりローズ文化ホールで行われる「第39回平和と人権を考える集い」へ。主催は豊能地区教職員組合協議会。

 この集いは1970年能勢天王地区に自衛隊ナイスハーキュリー基地設置計画が持ち上がったことに端を発し、7年に及ぶ住民反対闘争の末建設断念に追い込んだ取り組みを契機に1972年より始まりました。92年までは平和教育実践集会として93年からは市民参加を勧める集いとして39年間継続して来た取り組みです。

 集いの主催者を代表して青柳豊中教組執行委員長は「政権交代を果たした民主党政権には、日米地位協定、沖縄基地問題について反核平和の視点での根本的な見直しを求める。同時に、平和教育をはじめ次代を担う子どもたちの教育にゆとりを持って取り組める教育課程の改革を求めていきたい。戦前『紀元節』として位置づけられた2月11日に集いを持ってきたのは、天皇制のもとでの戦争国家・軍国主義教育を進めるてきた歴史をしっかりと噛みしめるため。今日は改めて平和の課題をともに考えたい」と述べられました。

 講演は元神戸新聞記者でフォトジャーナリストの國森康弘さん。「証言 沖縄戦の日本兵」〜沖縄戦史の空白を埋める試み〜と題し、多くの沖縄住民・日本軍関係者の証言をもとに、沖縄戦における日本軍・日本兵の振るまい、そして戦時下で人間がどのように人間性を喪失させられるのかを事実に基づき、淡々と語られました。

 証言は米軍上陸がはじめに開始された慶良間諸島の阿嘉島、座間味島、慶留間島、渡嘉敷島そして宮古島、沖縄本島の順に住民・日本兵の証言が伝えられます。

 日本軍は連行してきた朝鮮人を下に見、沖縄県民をその次に見下し、沖縄言葉を禁止、島民がつくった農作物も管理下に置き、自分の作物を取ろうとしただけで銃殺します。
 「捕虜になれば全員殺される」と徹底して島民を脅し、徹底抗戦か自決化に追い込みます。そして、米軍上陸後は貴重な武器であった手榴弾を渡し、自決を促します。島民の証言者はほとんどが自決の生き残り。「先に死んでいった人が羨ましいと感じていた」と語る人。自らの手で5人の家族の首を絞め自分は捕虜になってしまった人。義父に殴られ気絶したために一命を取り留めたが、今でも頭蓋骨が陥没し痛みが残る人・・・。
 兵士の証言者も「島民が飢え死にしていても将校は豪華な食料を最後まで確保していた。洞窟でも兵士は入り口で見張り。その次に島民。将校は一番安全な場所にいた。上官の命令は絶対。島民の銃殺も命令があってのこと」と軍の本質を伝えていました。

 沖縄本島日本軍は中国戦線から投入された部隊が多く、中国人への残虐な行為を行い感覚がマヒしてきた軍人が多かった。行軍中に平気で赤ん坊を射殺したり、村を襲撃し数人で女性を強姦し殺害したことを証言する兵士。韓国人慰安婦との行為を証言する兵士。上官の命令は絶対で、考えること感情を持つことを軍の中でたたき込まれたことを証言されていました。

 兵は自分を守ることで精一杯で島民を足手まとい(自ら乗り込んできていたのに)と思い、守る気持ちは一切なかった。一方、沖縄島民も日本軍に言葉を奪われ、スパイ嫌疑をかけられぬようにするために自ら危険なことをせざるを得ないこともあった。ある少年兵はピストル自決を自ら願い止めることができなかった。

 白黒の証言者の写真。挟まれる沖縄戦の惨状。できるだけ証言者の言葉をそのまま伝えようとする抑制された國森さんのことば。
 つばを飲み込むのもためらわれる1時間15分のお話しでした。

 これまで沖縄戦の証言や戦争体験者のお話を何度も聞いてきました。しかし、加害者と被害者の話を織り交ぜながら沖縄戦の実相を明らかにするお話しは初めてです。第3者が明らかにできる地道な仕事も成り立つのだと感じました。


 午後は議会控え室で仕事。冷たい雨で夕方は冷え込みました。
2010-02-11 14:17 | 記事へ | トラックバック(16) |
| 平和 |
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