ニックネーム:mataza
性別:男
年齢:アラフォー
都道府県:大阪府
しがない宮仕えのオッサンでゲス。結構マジメな記事もござんすが、最近blo友さんの影響を受けてオチャラケ記事が多くなってきてヤス。下ネタOK、ひやかしコメントOK、記事への反論・批判OK。。。でも単なる中傷カキコだけはお断りでゲス d(-_-)。。。末長くお付き合いお願いいたしヤス。('◇')ゞ

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三陸牡蠣復興支援プロジェクト「SAVE SANRIKU OYSTER」
2016年01月09日(土)
お♪ せ♪ わ♪ に♪ なりました〜♪
 年始から個人的には衝撃的な事件でしたが、考えてみれば、ICTの進化目覚ましい昨今、やむを得ないのかも知れません。



 もう、いっそのことブログから離れようかとも考えましたが、書きかけの記事もありますし。。。正直、自分の勉強にもなっていたので、たまには書きたいような。。。(;一_一)



 新しい引越し先を探すのも面倒でしたが、取敢えずは、PCにバックアップが出来たので、『 [ブログ] またざのひとり言〜弐番地〜 』にお引っ越しすることにしました。

 弐番地の方では、基本的に本年(平成28年1月)以降の記事(・・・っといっても2つしかございませんが)を移行しております。 

 過去の記事は、どうしても引用が必要な場合は、その都度、当時の日付で追加していくこととしました。(遡及記事の方が更新が多かったりして。。。汗)


 ま・ま、記事の整理も出来るし・・・書き直したい記事もあったので・・・

 まぁ、良しとすることにします。



 お時間があれば、弐番地の方にもお立ち寄り下さいませ。
2016年1月9日 17時57分 | 記事へ | コメント(0) |
| 日記 |
2016年01月03日(日)
路線バスを乗り継ぐ初詣かむやしろ巡り 〜 その壱
初詣 壱の巻

賀茂別雷神社〔かもわけいかづちじんじゃ〕(上賀茂神社)【京都市北区】


 予定では、遅くとも9時前には京阪・出町柳駅に到着するはずだったのですが、用意に手間取り。。。「8時丁度の〜♪京阪電車で〜♪」。。。という訳には行きませんでした。

 まぁ、まぁ、正月。目出度い。目出度い。小さいことに拘らず。目出度い。目出度い。心にも余裕を持ってゆるりと行こう。。。と1本遅れとはなりましたが、無事到着。

 以前、記事にも書きましたが、昨年3月でしたか、賀茂御祖神社〔かもみおやじんじゃ〕(下鴨神社)に参拝させていただいたので、最初の参詣先は、上賀茂神社とさせていただきました。

 伊勢の神宮のように、外宮から内宮へとか参拝の順序というものがあるのかどうかは存じ上げませんが、市内の中心地からは離れているので人混みもさほどなかろうという算段でしたが、これは大当たり!

 9時代には、参拝に行列というほどのことはありませんでした。



 いつもいらっしゃるのかどうか? 白馬の御神馬〔ごしんめ〕にもお会いできました。

 伊勢の神宮・・・確か、内宮だったと思いますが、厩〔うまや〕はあれども御神馬の姿は見えず。。。でしたが、初めて、生御神馬を拝顔つか奉りました。



 直接、人参を奉ることができるようでしたが、その注意書きの1つが不思議。。。「神馬に話しかけないでください。」

 ???

 神馬は神様の乗り物なので神聖なのは理解できますが、言葉も交してはならぬとは。。。



 さて、御本殿に向かいますと、空気もより厳かとなります。


2016年1月3日 19時37分 | 記事へ | コメント(2) |
| 八百万かむやしろ巡り |
路線バスを乗り継ぐ初詣かむやしろ巡り 〜 エピローグ


 さて、みなさん。明けましておめでとうございます。

 本年もおそらく更新頻度は低いとは思いますが、お暇な時にお立ち寄り下さいませ。



 今年も、氏神様と近くのお寺に元旦の朝から初詣にお参りし、古いお札やお守りをお返し、神宮大麻、氏神様の新しいお札をを頂いてまいりました。

 えっ? ちょっと多くない? ・・・ そうなんです。

 通常、お札は毎年新しいものに。。。っというのが基本ですが、昨年は伊勢の神宮に小学校の修学旅行以来行って参りましたので、まだ1年も経っていないお札が歳を越すことになりました。

 少々悩んだのですが、ここは割り切って、頂いてから1年未満のお札はご一緒に歳を越して頂くことに致しました。

 別に、どういう決まりがという話ではなく、あくまでも個人的な考え方ですので、悪しからず。



 ところで、伊勢の神宮参詣の折に、いっそ神棚を揃えようかとも考えましたが。。。いやいや、待てよ。。。そんなことして、ちゃんと朝夕のお供えなどが出来るのかと冷静に考えた結果、超簡略化スタイル(これまた個人的な考え方です。)で、まずは始めてみることにしました。

 ネットなどでも入手できるのかも知れませんが、内宮・下宮の社務所には、荘厳な神棚一式なども揃えられてありましたが、これは、確か、外宮と内宮を繋ぐ旧伊勢街道沿いにございます猿田彦神社【猿田彦神社公式ホームページ】を参拝した時に、これはお手頃。。。と思って頂いたものです。

 確か800円ほどではなかったかと。。。

 このお札立ては、組み立て式になっており、簡単にセットできますし、場所も取らないので、本棚の上を綺麗にして、白いボール紙などを敷いてお祀りさせて頂いております。。。まだ、継続できそうにないので毎日のお供えまでは出来ておりませんが。。。(-"-)

 ちなみに、単体ではこんな↓感じです。


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 さてさて、またまた、前置きが長くなってしまいましたが、正月2日は、兼ねて計画していた京都市内の路線バスを乗り継ぐ初詣巡り1日旅をして参りました。
2016年1月3日 12時14分 | 記事へ | コメント(0) |
| 八百万かむやしろ巡り |
2015年12月27日(日)
『海難1890』 〜真心が歴史を紡ぐ〜


映画 『 海難1890 』 公式サイト


 予定通り、『杉原千畝』に続き、この年末の話題作『海難1890』を観てきました。

 早朝というのに、こちらは結構、観客がいらっしゃいました。



 いずれも、「人道」と言えば。。。まぁ、そうなのかもしれませんが、『杉浦千畝』は外交官として、『海難1890』は一般の庶民・国民としてのお話です。

 自身もあまり前知識無しに観にいったので、遭難したエルトゥールル号は、てっきりトルコの商船かと思っていましたが、実は歴とした軍艦だったんですね。知らなんだ。(@_@。

 この作品は、時代が異なる日本とトルコに関わる2つの事件・事故で構成されており、終盤では、時代が錯綜するように物語が展開していきます。


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<以下、公式サイトから抜粋要約>

【エルトゥールル号海難事故:1890年(明治23年)】

 1887年(明治20年)に小松宮彰仁(あきひと)親王殿下・同妃殿下一行がイスタンブールを訪問したことの答礼に、トルコ(オスマン帝国)初の親善使節として軍艦エルトゥールル号が日本に派遣されます。

 1889年7月14日、乗組員650名以上を乗せイスタンブールを出港したエルトゥールル号でしたが、この時すでに建造後25年を経た木造の老朽艦であったため、長い航海に耐えうるか危惧されていました。

 出港後も様々なトラブルを経て、横浜に到着したのはイスタンブールを出港してから約11か月後の1890年(明治23年)6月7日でした。

 6月13日、一行は明治天皇に謁見するため宮城(皇居)へ参内し、スルタン(オスマン帝国の「皇帝」の意)の親書を奉呈し、無事に公式行事は滞りなく終了します。

 ところが、当時関東で流行していたコレラによって乗組員の10余名が亡くなるという予期せぬ出来事により、2か月余り日本で足止めされてしまい、乗組員は一刻も早くトルコへ帰国するため、台風の危険性を押し切って出航を決行します。

 同年9月15日、エルトゥールル号は台風が日本に接近している中、横浜を出航しましたが、翌16日、台風の影響下に入ったエルトゥールル号は本州南端に位置している和歌山県樫野崎沖(現:串本沖)で座礁・沈没に至りました。

 村民たちは総出で救助・看護活動に奔走し、少ない食べ物や衣服を言葉も通じないトルコ人乗組員に惜しげもなく提供しました。一命をとりとめた生存者69名の乗組員は、神戸に輸送されて治療を受け、無事オスマン帝国へと送還されることになります。



【テヘラン邦人救出劇:1985年(昭和60年)】

 イランとイラクが国境をめぐって、約8年間もの期間にわたり、行ったイラン・イラク戦争は、1980年(昭和55年)9月22日のイラクによるイラン侵略に始まります。

 やがて戦局が逆転し、1982年(昭和57年)以降はイランがイラク領土へと侵攻し、1985年(昭和60年)、イラクによるイランへの報復都市爆撃に拡大したことで、イランの首都テヘランはパニック状態となりました。

 現地時間、同年3月17日午後8時30分、イラクのフセイン大統領が48時間後にイラン上空を「飛行禁止空域」に指定し、以降は、無差別攻撃を実行すると宣言しました。

 19日の期限までに脱出しなくては空爆を受けているイランの首都テヘランに閉じ込められてしまうことになるため、各国航空会社は自国民の搭乗を優先したため、パニックとなりますが、当時、日本とテヘランを結ぶ直行の日本の航空会社の路線はなく、388人の日本人は取り残される運命の縁に立たされます。

 当時は、第2次中曽根内閣(第1次改造内閣)(ちなみに、外務大臣は、故 安倍晋太郎 氏)でしたが、政府による日本の民間航空会社への折衝も「航空機の安全が保障されない。」との理由で拒否され、法整備がされていないことから自衛隊機の派遣も即時対応することができないという八方ふさがりの状況でした。

 このような緊迫した状況で、19日未明、トルコ政府により、テヘランに取り残されている自国民が多数いるにも関わらず、日本人救出のために救援機を出すという決断がなされます。

 空港には多くのトルコ人がいる中で、日本人が全員帰国できたのは。。。

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2015年12月27日 18時02分 | 記事へ | コメント(0) |
| テレビ・映画 |
2015年12月06日(日)
映画 『杉原千畝』 〜粛々と・・・・〜

映画『杉原千畝 スギハラチウネ』公式サイト

 久しぶりに、劇場で映画を観て参りました。

 この年末は、同日公開だったエルトゥールル号海難事故を題材とした「海難1890」に、18日からはスターウォーズ7の公開もありますし、盛り上がりそうですね。



 平成27年12月4日 08:27 配信の産経新聞ネット版において、主演の唐沢さんは、「“お涙ちょうだい”になりがちな題材だけど、グラック監督の視点は一歩引いている。作品が、ちょうど良い客観性を保てたと思う」とコメントされていましたが、そのとおりの仕上がりになっていたと思いました。



 杉原千畝氏について、wikipedia を読んでみると、可なりの秀才だったようで、お父さんの意に反して進学したために仕送りを断たれて、苦学をして外交官になったというから、元来、非常に逞しい方だったように思われます。



 第二次世界大戦(ヨーロッパ戦線)勃発直前に、リトアニアの在カウナス日本領事館領事代理として赴任し、ソ連のリトアニア侵攻・併合によりカウナスを離れるまでの間、ナチス・ドイツによって迫害されていた多くのユダヤ人に対して、ヴィザの発給要件を満たさないのを知りながら大量にヴィザを発給し、多くの命を救ったことがこの映画の大きなテーマとなっています。

 しかし、それは、外交官としては本来やってはならないこと。

 千畝は、終戦の2年後に日本に帰国しますが、外務省からの退職勧告を受け入れ辞職し、長らくその存在や人道的な功績は全く日本では知られることはありませんでした。

 昭和60年(1985年)、千畝は、イスラエル政府から「諸国民の中の正義の人賞」(ナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅、すなわちホロコーストから自らの生命の危険を冒してまでユダヤ人を守った非ユダヤ人に感謝と敬意を示す称号)が贈られますが、翌年、千畝は86歳でその生涯を終えます。

 公式に政府が千畝の名誉回復を行ったのは、誕生100年の平成12年(2000年)で、リトアニアとの国交回復記念日である10月10日に、外交資料館において「杉原千畝氏顕彰プレート除幕式」が行われました。外務省の公式ホームページには、当時の河野外務大臣の式典での挨拶文が掲載されています。

 また、この名誉回復に至る経緯について、nippon.com の平成27年(2015年)5月19日付けの記事で、平成3年(1991年)当時、外務政務次官であった鈴木宗男氏のコメントが掲載されています。

 残念ながら、外務省の公式ホームページでは、杉原千畝につて、まとまった資料を見つけることはできませんでしたが、「リトアニア共和国(Republic of Lithuania)基礎データ」や「外交史料 Q&A 昭和戦前期」、「よくある質問集 欧州」などに、いくつかの記載が見受けられます。
2015年12月6日 23時45分 | 記事へ | コメント(0) |
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