ニックネーム:水沢晶
2005年04月12日(火)
『PLUTO』1 プルートウ 浦沢直樹×手塚治虫
(コミックスしか読んでおりません)

機械が人間らしくなる話を次々に展開するのが、『PLUTO』です。
ロボットである夫が殺されて、同じくロボットである妻が悲しみを知る話や、殺人兵器であったロボットが、音楽家の執事となりピアノを習う話、仕事一筋のロボット刑事の主人公が妻と旅行に行こうとする話、格闘用のロボットが子供を何人も持つ話……。
ロボットが家族との関わりの中で人間性に目覚める話は、ロボットのように暮らしていると思う大人に訴えるでしょう。

このマンガにロボットの格闘場面が描かれないことを始め、このマンガと原作の鉄腕アトムとの差異はいくつもありますが、ロボットの身体の見かけや感覚が人間の延長に存在することもそのひとつです。

巨大なモンブランはオープニングで破壊されています。
ゲジヒトやアトムの見かけは人間と変わりません。
原作では大きなロボットだったブランドは、巨大なスーツに入っている人間と変わらない容姿のロボットです。
6本腕のノース2号は、人前ではケープを羽織っているので、彼の真の姿は死の間際にあかされます。

あからさまに人間と見かけのことなる存在にたやすく感情移入できるのは、『鉄腕アトム』読者たちのような、子供の特権だからでしょう。

『PLUTO』のノース2号は、孤独な老人の心の再生の象徴としての若者です。母を許した作曲家は、ノース2号を弟子として認めます。
自分の親を許すことで、人は誰かの親になれるのかもしれません。
そうしていわば養子となったノース2号が散ってしまうのが、この物語の悲劇性なのですが。
子供の頃の夢として、鉄腕アトムを懐かしむ層がこのマンガの読者に多いことを考えるなら、母の面影というものは重要です。
幸せな子供時代というものは、たしかにあったのだと思うことで、癒される傷はあるでしょう。

鉄腕アトム世界のロボットとは、基本的に「父に作られた息子」です。
ロボット法には、ロボットは「自分を作った人間をおとうさんと呼ばなくてはいけない」という規定があります。
ノース2号の物語も、原作では命令する父と従う息子に近い関係を、その主人と持っていました。

原作である「地上最大のロボット」の、お茶の水博士に背いての、アトムの100万馬力になりたいという願いは、良き父親からの、攻撃性に目覚めての自立とも言えるでしょう。
悪しき父親からの、良心と淡い恋心に目覚めての自立を模索する、プルートウとの対比となりますね。

世界一を決めるという話に男の子のロマンがかき立てられたのは確かでしょう。
ですが、単純に世界一を争うのみならず、その中での男の子の葛藤と成長というものがあるから、この話は名作となったのです。


ちなみにこの「地上最大のロボット」の話が気になったのは、ラーメンマンにおそらくこの影響を受けたと思われる話があるからです。
ラーメンマン・ランボーの話がそれです。

ランボーというのは、プルートウみたいなお話を演じるキャラクターです。アニメの鉄腕アトムに登場する、アトラスによく似た髪型と褐色の肌をしています。
アトラスは盗まれたアトムの設計図を元に作られたロボットで、ランボーは盗まれたラーメンマンの爪と霊的エナジーから作られました。
こうやって並べてみると、手塚先生の理系らしさを実感しますが、ゆで先生は「人は肉と霊からなる」世界の人なのでしょう。
ランボーの物語は、自分を作った玉王の命令通り、ラーメンマンの強者である友人達を次々に倒していくが、ラーメンマンの優しさに触れて改心する話です。
ちなみに犬操=エプシロンです。犬操が偶然、エプシロンと同じように、幼稚園の子供かばって死んだとは思えません。砲岩は、モンブラン?

悪しき父親の道具である従順な息子の良心に目覚めての自立、という神話であるという点では、ラーメンマン・ランボーのお話の方が、おそらく『PLUTO』より、地上最大のロボットのテーマに近い話でしょう。
『PLUTO』は、まだ最終回を迎えていないので、断言はできませんが。今後アトムの攻撃性やプルートウの良心がどう描かれるか気になりますね。

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