今朝は、大阪市立科学館の「金環日食観望会」へ。
6時40分ごろ到着。既に来場者多数。
日食めがねを購入するための行列に並びました。
アナウンスで6時17分から太陽は欠け始めており、金環日食は7時28分から31分ごろまで見られるそうです。
東の空を見上げますと裸眼にはとてもまぶしくとても見ていられません。
日食めがねを通して見ますと、太陽の右上部が欠けてきており、写真も日食めがねを通して撮りました。
金環日食が始まる少し前から太陽は雲の中へ。
雲の切れ目から太陽の周りのリングが時々見えますが、全体像は見えません。
ところが、7時28分ごろには薄雲の向こうに金環日食がぼんやりと姿を現し、来場者の大きな歓声が上がりました。
早起きをした甲斐があって薄雲越しですが金環日食を見ることが出来ました。
写真は日食めがねを通しますと真っ暗で写真が撮れませんでしたので直接撮りました。
夕刊(産経)には、大阪市立科学館への来場者7千人との記事と共に空を見上げる来場者の写真が掲載され、よく見ますと私らしき人物も写っていました。
金環日食は、近畿では282年振りで、今回のように広範囲で見ることが出来るのは平安時代の1080年以来932年振りだそうです。
2030年には北海道で見ることが出来るそうですが、大阪の中心部で見ることが出来るのは300年後の2312年だそうです。
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2012年5月21日 20時21分
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本日は高大仲間のN氏、M氏と共にアサヒビール吹田工場見学と外国産ビール試飲会に参加。
JR吹田駅9時30分集合、いつも早いN氏とM氏は定刻前に到着、昨晩の小学校の同窓会で飲みすぎ、いつもより1時間起きるのが遅かったことをすっかり忘れたことにより10分遅刻の私、見学会開始の10時には何とか間に合いましたがご両所にはご迷惑をお掛けしました。
見学前、ホールにてビールの歴史、種類、現状の講習を受け、ビールの誕生は紀元前7千年で、同3千年前メソポタミアのシュメール人により製法の記録が残されており、厳しいことで名高いハムラビ法典にはビールを水で薄めたものには溺死刑を処したとの記録があるそうです。
日本に伝わったのは江戸時代中期の1724年、オランダからの献上品として伝わったそうです。
1870年横浜に醸造所が造られたのがキリン麦酒で、大阪では1891年アサヒビールの前身である大阪麦酒会社吹田村醸造所で製造されたそうです。
全世界での年間のビール消費量は1億7650万kリットルで人口の一番多い中国が、4419万kリットルでNO1。
一人当たりの年間消費量は、187,1リットルのドイツがNO1だそうです。
ちなみに日本は、7位(581万kリットル)と13位(45,8リットル)だそうです。
その後、工場内を見学していよいよビールの試飲です。
テーブルには、ドイツの「レーベンブロイ」、ベルギーの「ヒューガルデン ホワイト」、イギリスの「バス ペールエール」の小瓶が置かれており、加えてアサヒスーパードライをコップ3杯まで飲めるとのお話しです。
同行のお二人はアルコールがまったく駄目ですので、私一人で外国産ビール3本とスーパードライ9杯飲めるのです。
窓外の緑をつまみに、外国産ビール3本を味わいながら飲み始めました。
一番美味しかったのは「レーベンブロイ」であとの二種類はやや甘かったように思いました。
お飲みになれないお二人は、ジュースやノンアルコールビールを楽しまれていました。
昨晩飲み過ぎた私にとっては3人分を飲むのはやや荷が重く、本日欠席のT氏のおられないのが本当に残念でした。
T氏の分は預けておくことにしましたので、「Tさん、ご退院後ここに来られて飲んでください」。
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2012年5月20日 14時44分
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高齢者大学 |
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昨夕、キッズプラザからの帰途大阪府庁へ。
大阪府庁玄関前で相棒と待ち合わせの積りが入場が早まり、居ませんので直接5階の正庁の間へ、部屋の中に姿が見えません、携帯が鳴り「どこですか?」「正庁の間」「一番前に席を取っています」と、私を迎えに1階まで降りていて行き違いになったようです。
奉安所の前に座席は100席。
本日は、夜間公開と共に能が演じられます。
18時30分、立見席が出るほどの観客の前で能楽師山本章弘氏(重要無形文化財保持者・山本能楽堂)が能についての簡単な説明とPR、次いで本日の演目「高砂」の解説と謡の指導を受け、私達も謡いました。
山本さんのお話は以前にもお聞きしたことがあり、能について例え話を取り入れたわかりやすい解説と素晴らしい声(当然ですが)での実技指導は楽しいものでした。
山本さん他2名が高砂の地謡方を務められ、邯鄲男の面をつけた住吉明神が舞います。
いつもは舞台の上ですので少し離れた場所で見る豪華な衣装が本日は手を伸ばせば届く程の近くで見ることが出来ました。
終演後、窓の外にはライトアップされた天守閣が望めました。
夜間に府庁を訪れることはありません、照明のついた玄関の間(写真右)も趣があり、政庁の間の天井ステンドガラスも歩道から見上げますと美しく見ることが出来ました。
本日の催しは、大阪府庁本館活用事業「ひょうたんから独楽劇場」の一つとして行われました。
「ひょうたんから独楽劇場」
都道府県庁舎として最も古いことから、歴史的、文化的価値が高いといわれている大阪府庁舎を、芸術文化活動の発表の場として提供して開かれた庁舎として親しまれるよう、また府民の芸術文化活動がより充実することを願って開催されています。
今後共、このような催しが継続して開催されることを願いつつ帰りました。
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2012年3月31日 08時20分
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昨夜、相棒から「映画に行きましょう」とのお誘い。
「何の映画?」に「サッチャー」との返事。
珍しく上映時間とバスの時間を検索してくれ、明日8時過ぎに家を出ることに。
難波、東宝シネマにて鑑賞。
ビルの前には、映画鑑賞の方たちの短い行列が出来ています。
17番の番号札を持って8階へ。
証明書を出すまでもなくシルバー料金、4〜5人が場内へ。
真っ赤な椅子はとても座り心地が良く、眠ってしまうのではないかと心配になります。
先日この劇場で映画を見て座り心地の良さを経験済みの相棒、私にも経験させたかったようです。
映画は、引退後夫の遺品整理を進める生活の中での回想シーンといった設定で進んでいき、女性で始めての首相の苦労と共に、困難な問題に果断に立ち向かっていくサッチャー首相を描いています。
映画の台詞の中で、父親から教わった一つの言葉が印象に残りました。
「考えは言葉になり、言動は行動を生み、行動は習慣となる。そして、習慣は人格を生み人格はその人の運命となる」
父親は信念の人だったようで、それを自らの人生の軸として、彼女は真っ直ぐに妥協せずに生き抜いたようです。
現在は認知症を患っておられるようですが、お幸せに過ごされますよう祈っています。
日本の政治家に彼女くらいの信念を持っている人がどれだけいるのでしょうか。とつい考えてしまいました。
前回映画館に行ったのが何時か思い出せません。
大画面での映画鑑賞は迫力があり、場内も清潔で椅子も素晴らしく、料金も安くなっていますので映画館に足を運ばなければと思って帰りました。
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2012年3月28日 12時41分
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昨日は、神戸市民クルーズで神戸港沖トワイライトクルーズに参加。
初詣以来の神戸訪問です。
阪神電車元町駅から以前勤務していた横を通ってメリケンパークのオリエンタルホテル内乗船場へ。
ホテルの横には本日乗船の「ルミナス神戸2」の真っ白な船体が停泊しています。
 
「ルミナス神戸2」は、全長106m、総トン数4,778トン、旅客定員1,000名で航海速力は18ノット。
初代ルミナス神戸を引き継ぎ1994年に新造船ルミナス神戸2として就航。船内は1930年代、客船の黄金時代を彩ったフランスの豪華客船ノルマンディ号をイメージして造られ、大阪湾、神戸空港沖、明石海峡をクルージングしています。
国内レストラン船としては最大。
曇り空の中一般乗客に次いで乗船、次第に暮れて行く窓外を眺めているうちに16時出航。
本日のコースは、神戸港からポートアイランド沖の神戸空港あたりから西へ、明石大橋の手前で折り返します。
出航後まもなく、ピアノ演奏開始。
司会者に紹介された演奏者は、何れも身体に障害を持つ兵庫県出身の20〜25歳の若い男性3名。
聴覚障害を持つT氏の演奏を皮切りに、ダウン症で右手首より先を欠損のS氏が各1曲、最後は視覚障害ですが絶対音感を持つF氏が4曲。
何れもクラシックからタンゴまで、とても障害を持つ奏者とは思えない演奏に聴衆からは感激の拍手が長く続き、とても良いピアノ演奏会でした。
本日の瀬戸内海は波も穏やかで揺れもほとんど感じず、エンジン音の低く響く中での演奏会も無事終了。
客船は折り返しに入っており、モザイクの街の観覧車にも灯りが入り、遠くには六甲の山並みが黒く見えます。
船から見る神戸の街並みに吸い込まれるように接岸。
90分のクルージングを終えました。
下船後、旧居留地内をブラブラしながら三宮へ。
夕食をとって帰宅。
豪華客船でのピアノ演奏会を経験できた相棒も満足でしたでしょう。
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2012年2月23日 09時17分
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「生命の貯蓄体操」を体験してきました。
今回男性向けに講習会が開催されることとなり、数年前より通っている相棒から声をかけられ行ってみました。
会場は地下鉄喜連瓜破駅すぐのクレオ大阪南。
参加者は85歳から50歳代の11名。
講師は、同体操のなにわ支部からT副理事とFさんの女性2名。
いずれも20年以上の経験を持ち、いかにも敏捷そうなスマートな体型で若々しく、この体操の効果が見ただけで判りました。
私はこの体操をやっていませんが、この体操の効果の一つを実感しています。
相棒がこの体操を始めるまでは、よく肩がこり「肩がこった」と聞くたびに私がもんでほぐしていましたが、この体操を始めて以来、肩こりを言うことが無く私の肩もみの出番がなくなったのです。
講習会は、正座しての挨拶の後、丹田呼吸から始まり、骨盤を中心に脊椎等主要骨格のゆがみを調整する「要(かなめ)の操法」(写真左)、五臓に気血の巡りを良くする運動の「五導術」の一部を体験。
何れも講師お二人が見本を見せて頂きますが、その体の柔らかさには驚くばかりです。
最初の正座も困難で、始まってすぐ全員が自分の体の硬さを痛感。
しかし、それぞれの体操をしていくうちに徐々に体がほぐれ最後の正座はそんなに抵抗無く出来ていました。
参加者からは始まった時とは違って体が柔らかくなっているとの声が上がり、この体操の効果を実感した人が多かったようでした。
私は20年ほど前に我流で真向法を始めたことがありましたが、その時は一気に進め膝を痛めたことがあり、今回も講師から体を伸ばすのは『「一日一ミリ」そして元へ戻らないように毎日続けることが大切』との言葉を思いながら終了。
参加者より続けたいとの声も上がっていましたので、再度今回のような催しを開催されるようです。
私は目下のところ多忙でこの体操を続けられませんが、これを機会に、この健康運動に男性が多く参加されれば男性も女性並みの長生きになるのではと思いました。
本日は有難うございました。
体も温まっての帰り道、陽だまりの中で体操をすれば温かくなることを知らない鳩が20数羽丸くなって寒さを防いでいました。
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2012年1月24日 20時26分
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昨日は、大阪市立中央図書館にて大阪市音楽団サクソフォンカルテットによる「ファミリーコンサート」。
ソプラノ、アルト、テナー、バリトンの各サクソフォンにパーカッションを加えた演奏、「情熱大陸」カルメン組曲から「セギディーリャ・アルカラの竜騎兵・闘牛士の歌」、ディズニー映画の中での歌等13曲の演奏を、中でも、「琉球幻想曲」は沖縄の民謡が組み込まれた楽しい曲でした。
その後、元の勤務先の保養施設にて二人だけの新年会。
飲み過ぎないように気をつける積りでしたが、一本頼みましたのに二本運ばれて来たりで予定オーバー。
お陰でグッスリ、目覚めも快調。
小正月の今朝から出掛けた先で珍しいお菓子のお裾分けを頂きました。
琉球の「ちんすこう(金楚糕)」というお菓子です。
 
小麦粉、砂糖、ラードを原料とした焼き菓子で、名前の由来は、黄金色に輝き(金)、ほどけるような口当たり(楚)の焼き菓子(糕)から名付けられたそうです。
はじめて頂きましたが、食感はサクサクし、素朴なさっぱりした味付けで口当たりの良いお菓子でした。
昨日の「琉球幻想曲」に続いての琉球の銘菓、二度あることは三度あると言いますので、ひょっとしたらもう一度琉球に出会えるのではと思っています。
本日の司馬遼太郎記念館の帰り道、中小阪公園に面したお宅の庭で「匂い桜」こちらが咲いていました。
 
数年前に見つけて以来、毎年花の少ないこの時期に見ることが出来ます。
寒い中でピンク色の美しいこの花に出会いますとなんとなく嬉しくなります。
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2012年1月15日 17時33分
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司馬遼太郎記念館 |
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昨日は「小寒」。
いよいよ寒の入り、寒さも本番です。
今日一日は、溜まったビデオ鑑賞と思って見ていましたが、窓の外は素晴らしい陽射し、午後から相棒を誘って阿倍野までウオーキングで「トリックアート展」へ。
途中、四天王寺に立ち寄りお参り。
大黒堂、六時堂(写真下左)、亀の池から普段余り訪れることの無い南大門へ。
赤、青の仁王さんが構える仁王門から五重塔、熊野神宮の遥拝石を見学。
南大門から、遥拝石・仁王門・五重塔(写真下右)。
 
西門を出て目的地の近鉄百貨店阿倍野店へ。
二階の「からくりの世界展」で六甲のオルゴール館から借り出された伝統的なオルゴールやからくり人形の実演を見学。
価格は外車一台から三台分(手紙を書くピエロ・写真左)もするそうです。
9階の「トリックアート展」へ。
平面に描かれているのに立体的に見える絵画には本当に驚かされます。
写真にとってもよいとのことですので、いくつかご覧下さい。
絵の前に寝転んだ子供はマンモスに踏み潰されそうですし、扉に入る人の大きさは手前から奥に大きさが違うように見えますが、実は同じ大きさに描かれた人(絵の左下のゲージを当ててみることが出来る)なのです。
何れも平面に描かれています。
 
百聞は一見にしかず、10日まで開催されています。
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2012年1月7日 10時45分
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昨日は、「第一回 大阪大学・大阪音楽大学ジョイントコンサート」で阪急石橋駅から冬が深まった感じの阪大石橋学舎へ。
 
豊中市内にある両大学のこのような企画は始めてで、浅利豊中市長の仲立ちで実現。
会場は、出し入れできる書記台の付いたゆったりした椅子や重厚な内装に改装された同大学学生会館。
訪問は二度目ですがこの会場には何度でも来たい気持ちが起こります。
プログラムは、前半は大阪大学の「モスコミュール」という男女各3名のアカペラグループ。
楽器を使用することなく、声だけで楽器の音とともに歌を歌います。その迫力満点のステージは人間技とは思えない素晴らしいものでした。
後半は、大阪音楽大学クラリネットオーケストラ30人弱の演奏。
このオーケストラの最大50人以上のクラリネット属のみの編成は世界的にも評価されており、2005年には国際クラリネットフェスティバルにも出場を果たし、学生ですがCDもリリースし、音楽専門誌やFMなどでも取り上げられています。
最後には、アンコールで「ホワイトクリスマス」を本日の出場者全員で合唱して終演。
大阪音楽大学の曲目は、石巻でのコンサートのときと同じ曲目で、被災者を元気付けるために、ベニー・グッドマンのジャズを中心にファーストテンポで演奏され、明るく楽しい気持ちになりました。
特に「石巻・わがふるさと」という曲は、再生を願う気持ちが込められており、震災地の少しでも早い復興とともに、被災者の方たちが元気を出して立ち向かっていって欲しいと願わずにはいられませんでした。
音楽の力のすごさも感じられた一時でした。
今後、このジョイントコンサートが永く続いていくことを願って帰路に。
梅田に到着、ドイツクリスマスに寄って行くことにし、新梅田シティーへ。
毎年船でドイツから運ばれてくるメリーゴーランドとクリスマスツリー(写真上)は以前と変わりはありませんでしたが、ツリーの下のほうの飾りは増えており、店の設えも新しくなっていたようです。
狭い場所に大勢の来場者で、それこそ芋の子を洗うようなとの表現どおりの混雑です。
その中を一周して帰宅。
相棒は満足とともにお疲れのご様子でした。
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2011年12月19日 15時33分
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今朝は、近くの公園の清掃日。
一年で一番多くごみの出る日、ごみの正体は落ち葉。
町内会の皆様約30名ほどが、8時にはほぼそろい積もった落ち葉をかき集めゴミ袋へ。
この落ち葉のあるお陰で、夏の暑い日ざしを避けることが出来、季節ごとの花や実を楽しむことが出来ることを思って集めます。
終了後、朝食抜きで近くの保健所の出先での健康診断へ。
受診後帰宅してパソコンに向かっています。
昨日は歴史講座終了後、天王寺公園にて相棒と待ち合わせて『なにわ伝統野菜「天王寺蕪」収穫祭』へ。
入場したところに大きなモニュメント。
収穫祭では、天王寺蕪(てんのうじかぶら)をはじめとするなにわの伝統野菜が紹介、天王寺動物園のゾウの有機堆肥で育てた伝統野菜が販売されるとの情報でしたが、12時40分頃に到着、売り切れていました。
なにわ伝統野菜のうち大阪市内産は、毛馬胡瓜、玉造黒門越瓜(しろうり)、勝間(こつま)南瓜、大阪しろな、金時人参、芽紫蘇、田辺大根、天王寺蕪です。
唯一残っていた勝間南瓜を購入。
田辺大根のステーキを試食、水上ステージ上でのソーラン踊りや歌を見物。
天王寺蕪は、天王寺付近を発祥とする蕪で甘みがあり、野沢菜の祖先と言われています。約400年前の大坂夏の陣の戦いの中、火災や盗難から守られた蕪の種が、上町台地で栽培され美味しい蕪となり、約300年間親しまれていました。
お目当ての天王寺蕪を得ることが出来ず、気温10度と冷えてきましたので、早々に退園。
昼食後、あべのマーケットパーク「G's mall(キューズモール)」へ探検に。
私にとって一番なじみの深い繁華街が阿倍野です。
その阿倍野が大きく変貌しようとしています。
その先端を切ったのが「SHIBUYA109」が入っている「Q's mall」です。
私は2回目の訪問ですが、クリスマスムードで盛り上がっている館内はやはり若者であふれており、途中テラスで一休み。
一通り廻って、相棒お勧めの「鯛焼き」を買って帰りました。
阿倍野を代表する近鉄百貨店は、現在建て替え中、2014年春完成後は、超高層複合ビル「あべのハルカス」として、日本最大級の百貨店が誕生します。
この景気の悪い中ですが、その時の阿倍野はきっと渋谷に負けない活気に溢れた街になることでしょう。
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2011年12月11日 10時54分
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昨日は、司馬遼太郎記念館から中之島の「大阪大学中之島センター」での「大阪大学21世紀懐徳堂講座」へ。
今回のテーマは「芸術する学問」で、演劇「歴史を見る視点」、音楽「ベーゼンドルファー1920演奏とお話」、落語「中之島は文化の蔵屋敷」の3回シリーズ。
演劇(10月8日)は不参加でしたが、音楽(11月4日)と昨日の落語に参加。
会場は、中之島の広島藩の蔵屋敷のあった場所の西隣。
玄関と10階の佐治敬三メモリアルホールにはクリスマスツリーが飾られています。
講師の高島幸次大阪大学コミュニケーションデザインセンター招聘教授から、中之島の歴史について、秀吉は、大坂から堺まで町を広げるとともに遷都もする計画でしたが、慶長伏見大地震により西へ広げることに変更したこと。
船場が開け併せて中之島に蔵屋敷、堂島米市場が出来大いに発展し現在に至っている等を楽しい語り口でお話頂き、皆さん眠ることなく熱心に聴いていました。
それに伴い、中之島、堂島への橋が架けられ埋田(梅田)や曽根崎が開けていったそうです。
お話の後は、お目当ての落語。
皆さん本日のテーマに合わせて、船場、天満に大川や栴檀木橋、難波橋等が登場するお話を熱演。
出演者は、
林家花丸「米揚げ笊」、月亭八天「遊山船」、桂九雀「千両みかん」。
今回は相棒も落ちの部分も判ったようで、会場の方たちと共に大いに笑いました。
最後は、橋爪節也大阪大学総合学術博物館長も加わり、出演者と共に、中ノ島のことについてのトーク。
夏の大川では、剣先であめ湯や琵琶葉湯(暑気払いの飲み物)が売られ、川では涼み船が多く行き来し、それを目当ての浄瑠璃、新内、落語等の芸人船が並行しました。
難波橋は「なんにゃばし」、青物市場(野菜市場)は「あおもん」、笊はざるではなく「いかき」と呼ぶ等大坂言葉についても解説され、そう言えば祖母や母が台所(だいどこ)で「いかき」と言っていたのを思い出しました。
(この絵は、木谷千草「浄瑠璃船」、今回のテキストの表紙絵)
今回は、大阪大学創立80周年記念行事として開催され、内容も濃く、落語もあって楽しく本当に良い企画で、来場者全てが満足して帰られたことと思いました。
2時に始まった講座も終わったのは6時前、相棒の希望で、ディアモールのクリスマスツリーを見に行き帰途に。
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2011年11月28日 09時07分
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80年前の昭和6年のこの日、徳川、豊臣に次いで現在の三代目大阪城が竣工。
 
昭和天皇御即位の大礼を、記念する事業として計画され、150万円の経費は寄付に頼った。
当時の関一大阪市長は、天守閣の再建は豊臣秀吉の顕彰と大阪の繁栄の象徴になると強調して、市民に郷土愛を訴えた。
趣意書には、「天守閣上に登れば人口220余万を包擁する大大阪の動的大観を俯瞰し(略)気宇豁然、心身爽快、其の間自ら大市民の風懐を養うことが出来ませう」とあります。
この夢に市民は共鳴し、わずか半年で78千件以上の寄付が集まり、目標額に達した。と本日の産経新聞夕刊は伝えています。
設計責任者は、建築家の波江悌夫氏で、古典建築に造詣の深い古川重春氏が設計実務を担当。
「大坂夏の陣図屏風」に描かれた天守の外観復元を構想し、古川氏がそれを実現するべく研究の結果、図に描かれた天守五層全ての外壁が黒塗りなのに対し、最上階のみが黒く、他は白塗りに復興された。
その後、この天守閣の正しいことが、平成18年にオーストリアのエッゲンベルグ城で発見された屏風図の大坂城天守の壁が、最上階が黒で他は白壁だったことで証明されました。
本日まで、多聞櫓、千貫櫓、御金蔵が公開、15日から20日までは、焔硝蔵、乾櫓が公開、又、旧第四師団司令部庁舎も一部公開されます。
13日までは、天守閣前の特設ステージにて吹奏楽等のイベントやグルメ大会も開催され、天守閣内には金の茶室も再現されています。
本日は、御金蔵横で鷹狩りの実演が開催されていました。
鷹が、鷹匠の腕に乗せられて登場しますと、無数のカラスが上空に現れ騒ぎ立てます。
縄張りを荒らされることを警戒しているのでしょう。
実演では、投げ上げられた疑似餌に向かって一直線に飛び掛り捕らえるさまは大迫力でした。
天守閣復興80周年記念のお祭りの開催されている大阪城へ是非お越し頂き、お楽しみ下さい。

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2011年11月7日 16時33分
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皆さん「ベーゼンドルファー1920」と聞いて何を連想されますか?
昨日、大阪大学石橋学舎内(旧制浪速高校敷地)の大学会館にて「ベーゼンドルファー1920・演奏とお話」に行って来ました。
私は、行ってみて解説を聞くまで、何のことか当然判りませんでした。
 
答えは、ピアノメーカーの名前で、1920は製作年です。
阪急石橋駅下車、阪大生らしい人物の後について、紅葉の始まった待兼山を上って学内へ。
薄いピンク色の建物が大学会館。
二階の講堂が本日の会場。
アールデコ調のデザインの内装は重厚感があり、床板や椅子まで上質の木材が使用され、今までの経験に無いような落ち着いた空間でした。
舞台上では、普通のピアノよりは少し大きく感じ、どっしりとした年代物を思わせるピアノがあり、調律師が調律をしていました。
当大学大学院文学研究科で音楽学を教える伊東信宏教授から、この大阪大学会館は、昭和3年(1928年)に旧制浪速高等学校の校舎「イ号館」として建てられ、学制改革により大阪大学に移管、教養部本館として使用され平成16年国の登録有形文化財建造物に指定、今年4月にリニューアルした。
そのオープンにあたり、この伝統ある美しい建物に相応しいピアノの導入を検討し、この建物と同じ頃製作されたこのピアノに行き当たった、とのレクチャーを受けた後演奏に。
演奏者は、小坂圭太お茶の水女子大学准教授。
演目は、シューベルト「ピアノソナタニ長調」他2曲。
休憩を挟んで、お二人のこのピアノに付いてのお話。
小坂さんのこのピアノの印象は、気位が高く蓮っ葉な女性にたとえておられました。(個性的で弾くのに少し苦労するとの意でしょうか)
メーカーのベーゼンドルファーは、オーストリア・ウイーンの会社で180年の歴史を有し、ピアノの三大メーカーの一つ。
ピアノにとって良い材料をふんだんに使うことで有名だそうです。
例えば響板、木材はトウヒですが節目や樹脂の斑点が無く、年輪が一定で木目の詰まったものの中から厳選した。
2008年ヤマハが買収。
特徴は、音域が標準より低音部が4音多く、ペダルが3本あることでしょう。
このピアノもそれらの特徴を有しており、重厚なこのホールに相応しく思われました。
終了後、学内で開催されている文化祭を見学。
二つの舞台上では歌が、路上では色々なパフォーマンスが演じられており、屋台も多く出され若者でごった返していました。
私達もそこに紛れ込み、屋台のぜんざい、焼き鳥、焼きそば等を頂き、少し若返った気分に浸れました。
こんなに素晴らしい講堂の中で過ごせ、おまけに文化祭で若者達との会話も出来、大満足の半日でした。
このような機会を提供して頂いた、「懐徳堂」に感謝です。
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2011年11月5日 07時48分
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本日は、「第一回 大阪マラソン」、大阪の新しいお祭りとして盛り上がっています。
私は、昨日と本日ボランティアに参加。
昨日は、マラソンのゴール地点の南港・インテックス大阪でのランナー受付のボランティア、本日は、スタート地点近くの大阪城内太陽の広場にて救護のボランティア。
大阪マラソン
ランナー3万人(応募者17万人超、初日の申し込みが3万人)
内海外参加者1500人。
ボランティア1万人。
昨日のランナー受付(ランナーカード引換)は、9時集合、10時から引換開始、終わったのが20時40分。
3万人を22班(1班8〜10人)に分け引換作業を行います。
私の2班担当1500名の内、前28日に来られた300人を除くランナーを受け付けていきます。
ランナーとの会話も楽しく、フルマラソン52回目の方から、始めて走られる方、完走を目標とされる方から、3時間を切りますとおっしゃる方、また、鹿児島からの大阪出身の方は、大阪開催なので参加しましたと、皆さんそれぞれの思いを胸に秘め、走られることが伝わってきました。
明日の無事終了を祈願して、最後は、大阪締め。
終了時、スタッフから東京マラソンの関係者が視察され、受付者とランナーとの会話が大変多く、東京とは随分違うとの感想を漏らしておられた、とのお話がありました。
これが大阪の良いところで、大阪がアジアで一番住みやすい都市に選ばれた理由のように思います。
本日は、太陽の広場に6時30分集合。
ランナーも集まりだしています。
スタート前のランナーや付き添い、観客の方たちで具合の悪くなった方のお世話が担当。
専門の医師や看護師、隣のテントには消防、警察の方も待機。
到着してまもなく一人の年配の男性ランナーが、胃の具合が悪いと救護所へ。
診察後、ベッドに横になりマラソンは棄権。
次々に来られたのは、バンドエイド希望者。
急病人は合計4名、内救急車対応は2名。
中でもお気の毒だったのは、スタート直後胃の具合が悪くなり、お友達共々(女性)救護所へ。
ご本人は、診察後ベッドに。お友達はマラソンに行かれたのですが、走者受付時刻に間に合わず、結局2人とも棄権。
お2人とも救急車で病院へ。
スタートを待つランナーの後方から具合の悪くなった方はいないか巡回。
最後尾(桃園前・スタートは大阪府庁前)はまだ走っていません。(写真左)
10時40分に救護所撤退。
その間、一番役に立ったかと思えるのは、手荷物預け所やスタート地点の場所の案内でした。
救護所近くに案内板が立てられているのですが、向きが正しくなく間違った方向へ行きそうな人が大勢いましたので、案内板近くで誘導。
昨日と本日ほとんど立ちっぱなしでしたので、やや腰痛ですが、元気なランナーの顔を見ていますと、こちらまで元気がもらえたようです。
帰宅しますと、TVでトップのエラジャ・サング選手(ケニア)がゴールインするところでした。(TV映像)
ボストン、ニューヨーク、シカゴ、ベルリン、ロンドンの5大マラソンに匹敵する規模の大阪マラソン、来年以降も開催されるようですので、大阪の良い名物になるよう元気でいる限りお手伝いしたいと思っています。
ランナーがスタートした後からビニール袋を持って、ごみを回収してくれていた方を多く見かけたのは、嬉しかったことでした。
私のボランティアウェアは、下の写真です。

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2011年10月30日 12時19分
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大阪医療センターでインフルエンザの注射を終え、相棒と待ち合わせ大阪城へ。
今年、市民の寄付により再興後80年を迎える大阪城では、恒例の「菊の祭典」が開催されています。
 
久し振りの大阪城、ラジオ体操に通っていた当時の思い出を話しながら大手門前へ。
大阪市の予算が増えたのでしょうか、以前には無かった大型の懸崖が、大手門に架かる橋の手前にも増設されています。
城内通路沿いには、小型の懸崖が並べられ、「多聞櫓・千貫櫓・金蔵公開」(11月3〜7日)を知らせる幟も風にはためいています。
大型、小型何れの懸崖もまだつぼみは固く、見頃は1〜2週間後位でしょう。
今年は復興80周年ですので、催し物は多く企画されているようですので、機会を見つけて再訪したいものです。
天守閣北側にあった3本のハゼは、すぐ横の隠し曲輪に移植されたのですが、以前の面影はありません。
このハゼが石垣の上で真っ赤に色づいた様は、本当に素晴らしく始めて出会った時の感動が思い出されました。
一部枯れた枝を持つハゼの木、学術調査の為とはいえ、もう少し残す手段或いは移植後の保存に気を使って頂いても、と思わせました。
山里丸の「秀頼、淀殿等自刃の地」の碑に立ち寄り、架け替えられた極楽橋から青屋門へ。
慶長20年(1615年)旧暦5月8日大坂夏の陣、徳川方に攻め込まれた秀頼と淀殿が山里丸にあった櫓で自害したとの記録が多く残されている。
一部黄色く色づき始めた桃園前の銀杏並木が西日に照らされキラキラ光っているのを見て、東京青山の同じ大きさに手入れされた4列の銀杏並木を思い出しました。
次の目的地追手門学院でのファミリークラシックコンサート「バグパイプ悠久の響き」へ。
会場からは、西日に映える天守閣が望めました。(写真下)
久し振りの大阪城での散策でしたが、いつ来ても緑が多く気持ちのほぐれる一時でした。
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2011年10月28日 08時23分
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午前中の司馬遼太郎記念館からの帰途、自宅近くの大阪府教育会館たかつガーデンでの落語会『第5回 たかつ笑い亭』へ。
2時開演。
本日の出演者は、ホストの桂文也と笑福亭松枝、笑福亭銀瓶、笑福亭飛梅。
笑福亭の3名は、何れも笑福亭松鶴の弟子、孫弟子、ひ孫弟子(?)だそうです。
演題は、
笑福亭飛梅 『道具屋』
笑福亭銀瓶 『七段目』
中入り
桂文也 『出来心』
笑福亭松枝 『三枚起請』
飛梅さんは、入門3年目の若手らしく一生懸命の熱演は好ましく、銀瓶さんは、中堅でラジオ番組を持つ売れっ子らしい大きな動作もある楽しい演じ方でした。
桂文也さんは、ベテランらしい落ち着いた話し振りで、盗人に入られた店子と大家の掛け合いを目の前で見るようでした。
トリの笑福亭松枝さんは、40年を超える芸歴はかくあるべしと思わせる雰囲気を感じさせる好演でした。
銀瓶さんが話の途中一瞬詰まったのは、プロとして恥ずかしいことでしょうが、聴いているほうはそれも話の筋立てかと一瞬思わせたのはさすがプロ、最後にお詫びをして下がられたのは好感が持てました。
相棒も落語の面白さが判ってきたようです。
自宅から数分のこの場所での落語会があることは承知していたのですが、スケジュールが合わず来ることが出来ませんでしたが、今後は極力来たいと思わせる楽しい会でした。
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2011年10月23日 18時32分
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昨夕は、マカオ観光局主催の「マカオの夕べ」コンサートが、大阪国際交流センターにて開催されました。
出演者は、「マリオネット」の湯浅隆氏(ポルトガルギター)と吉田剛士氏(アコースティックギター)、中国古筝の伍芳(ウー・ファン)さん、ヴォーカルの鹿糠ちはるさん、それに「マリオネット・マンドリンクラブ」の皆様。
ポルトガル統治時代のマカオの美しい街並みが、舞台後方の大画面に映し出され、湯浅氏の作品をお二人で演奏され、又、中国古筝との合奏もその風景によくマッチしていました。
16世紀のマカオの街並みの建造物は、世界遺産にも登録されており、その当時は西洋と東洋の接点の地で、お互いの文化も融合している町であることが映像で紹介されています。
マカオと聞くと賭博の町とすぐに思いがちですが、賭博のある場所は一部で、それ以外はとても美しい静かな町であることがよく理解できました。
ホテルもほとんどがスイートルームだそうで、香港からは高速船で1時間もかからないそうです。
今回のコンサートに参加された方の内からきっと何人かは訪問されることでしょう。
そう感じるほど美しい映像、ポルトガルギターと古筝演奏、それに素晴らしい歌声でした。
千人の募集に対し3千人の応募があり、急遽演奏会を2回に増やしたほどの人気であったことが聞き終ってよく判りました。
帰り道の上町筋で甘い香りが漂っています。
見上げますとお寺の塀越しにキンモクセイが黄色い花を一杯つけています。
日中はまだ暑さが残っていますが、季節は間違いなく秋も深まっています。
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2011年10月14日 08時20分
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昨日は、早朝7時過ぎに家を出て、京都市美術館の「フェルメールからのラブレター展」と京都文化博物館での「帰ってきた江戸絵画展」へ。
京都市美術館に着いたのは8時30分頃、もう200人位の行列が出来ています。
9時開館、館内へ。
入り口付近は混んでいますので、奥へ、奥へ。
まずお目当ての、一番奥のフェルメール作品三点の展示場所へ。
そこは比較的すいていましたので、ゆっくりと正面から鑑賞できました。
そこから数箇所の解説文を読み、ビデオ解説を見ながら入り口へ戻り、フェルメールと同時期のオランダ画家の作品から順に鑑賞。
最後のフェルメール作品前は多くの鑑賞客であふれていましたので、今度は並んで鑑賞。
フェルメール作品の中でも重要なモチーフとなっている「手紙」の作品の中から、その中に隠されたメッセージを感じ取って欲しいとの企画ですので、副題には「コミュニケーション・17世紀オランダ絵画から読み解く人々のメッセージ」と付けられています。
解説によりますと、描かれた事物の一つ一つには「表面的意味」と「内面的意味」がある。
例えば、太陽=真理・命、月=移り気、麦の穂=豊穣・農業、バラ=愛、ほうき=悪魔払い・浄化、犬=忠実・献身、地図=遠さや不在を表わしているそうです。
そういうことを知って展示の絵画を見てみますと、絵に描かれた人の心情が理解できるようです。
今回評判の「手紙を読む青衣の女」(TV画面写真左)の中には、地図から遠くにいる恋人からの手紙を不安げに読んでいる婦人で、一つ多く描かれている椅子は、手紙の送り主が不在を示している、との解説でした。
以前に見た「青いターバンの少女」の神秘的な青色に出会った時の感動を思い出しながら館を後に。
途中、粟田神社の祭礼に出会い見物に立ち寄りました。
神輿の巡行は午後とのことで、据え置かれた神輿を見学して京都文化博物館へ。
米国ニューオーリンズの眼科医ギッター博士と妻イエレン女史が、40年近くかけて収集された日本の美術品の内、江戸絵画107点が里帰りしました。
ご夫妻は、日本美術の「純粋で、シンプルで、素朴な」美しさ、特に墨線の持つ多様な表現に魅せられ、優れた日本美術を収集されたそうです。

作品の中では、禅宗を開創した達磨大師を描いた伊藤若冲(写真左)や白隠禅師の作品は、墨の濃淡、線の太さ等のみでの表現で、達磨大師の全てを見通しているような眼光の鋭さなどがよく感じられました。
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2011年10月11日 07時56分
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本日は午後から時間が有りましたので「とんぼりリバークルーズ」に出掛けました。
相棒の同意を得ましたので、昼食後の腹ごなしに歩いていくことに。
30分後、ドンキホーテ前の乗船場着。
こんな真昼間に乗る人もいないだろうと思っていましたら、案に相違して17名の乗船客を乗せて出発。
東に向いてスタート。日本橋で折り返し、湊町までのクルージング、計九つの橋をくぐりました。
一番東の橋が日本橋、そこから西に相合橋⇒太左衛門橋⇒戎橋⇒道頓堀橋⇒新戎橋⇒大黒橋⇒深里橋⇒浮庭橋で折り返しのコースを約20分で往復。
その間、案内人が喋りっぱなし。
両岸の通行人に手を振りますとほとんどの人が手を振ってくれます。
大阪人の乗りの良いこと。
案内人いわく、「手を振ってくれない人は、旅行客」とのこと。
又、相合橋を「あいおいばし」とよんでいますが、正式には「あいあうばし」と言い、えびす橋から下へ降りる階段の手すりは、お好み焼きのテコが並んでいます。
降りる前には、案内人の音頭で大阪締め。
大阪らしい川沿いの無秩序な看板、中でも有名なグリコの看板を真下から見る体験も出来ました。
道頓堀川では魚も住み出しているそうですが、見た目にもう少しきれいになることを期待します。
あっという間の短いクルージングでしたが、岸から見るのとは違った風景が楽しめました。
その後、戎橋筋をぶらぶらし、お茶を飲み一服。
黒門市場で買い物して、まだ元気があるようでしたので、そのままウオーキングで帰宅。
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2011年9月28日 15時54分
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今月16日から25日まで天王寺公園にて、日独交流150周年を記念して「オクトーバーフェスト大阪」が、開催されています。
この情報を一週間前、ドイツ語を勉強中の相棒に伝えたところ「行きましょう」とすぐに乗ってきて、インターネットで情報を得ています。
天王寺で用事のある19日に行くことにしていました。が、当日の天気予報は雨模様。
急遽本日午後に行くことにしました。
予想最高気温31度。
ビールを飲むのには最高の日和。
午後1時過ぎに、会場前で待ち合わせて入場。
会場には、ドイツのビール会社3社、ベルギーとアイルランド各1社が、本場ビールとドイツ料理を販売。
私は、シュパーテン社の「オクトーバーフェストビア」(5,9度・500ml)、相棒は同社の「フランツィスカーナーヴァイスビア」(5,5度・500ml)、それぞれ調査済みのビールを手に猛烈な日差しを避けてテント内のテーブルへ。
おつまみは、大きなジャーマンソーセージとプレッツェル。
どちらのビールも料理も美味しく、普段飲めない相棒も大きなグラスを傾けます。
オクトーバーフェストでは、グラスはデポジット製で私のビールはジョッキ型、相棒は細長いグラス型。
大勢の来店客も各々お目当てのビールと料理を得て、賑わう園内。
しばらくしますと本場ドイツからやってきた楽団「アルペンリッター」(女性1名と男性5名のグループ)の民族音楽の歌と演奏が始まります。
唯一の女性歌手のジメール?さんは、舞台を飛び出し観客と一緒に歌いながら踊り、誘われたお客さんも陽気な音楽につられて一緒になって踊っていました。
本場ミュンヘンでのこのお祭りは、200年前から続き600万人が参加するそうです。
会場の天王寺公園は、有料となって以来、昔と違っていつ来ても閑散としていますが今日は違います、ドイツの雰囲気に包まれ多くの人々が、ビールを片手に大いにしゃべり、笑っています。
このような催しを今後共続け、この会場を有効に活用して頂きたいものです。
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2011年9月18日 15時45分
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昨夜は、仲秋の名月。
毎年その夜、猿沢池にて開催されるのが「采女祭」別名花扇祭。
   
西日の照りつける中、奈良に向けて出発。
近鉄奈良駅に着いた頃には、やや日も傾きかけています、東向商店街を南下。
途中、丁度「花扇奉納行列」(秋の七草で美しく飾られた2m余りの花扇と数十人の稚児、御所車に乗った十二単姿の花扇使や姉妹都市 福島県郡山市のミスうねめ、ミス奈良などが天平衣装をまとって行進)が商店街に入ってくるところに出会い、パチリ。
 
そこから、猿沢池畔の采女伝説の伝わる、拝殿が後ろ向きになっている采女神社へ。
後ろ向きの神社は、日本でここだけのようで、縁結びのご利益があります。
采女伝説
奈良時代、帝に仕えていた采女(帝の食事など、身の回りの雑事をする女官)が、帝のご寵愛が衰えたのを嘆いて猿沢池の池畔の柳に衣を掛け、入水したので、その霊を慰めるために社を建てた。しかし、采女は我が身を投じた池を見るに忍びないと一夜の内に社を後ろ向きにした。と大和物語は伝えています。
采女は福島県の安積(あさか)の里(現在郡山)出身でもあったようです。その関係でしょう郡山でもうねめ祭が残っています。
食事を済ませて、既に見物客で埋まりつつある猿沢池へ。
興福寺の五重塔が背景となる位置で隙間を見つけて前面へ。
午後6時から春日大社神官による厳かな神事の後、花扇が奉納されます。
花扇奉納神事
午後7時 南都楽所の奏する雅楽が流れる中、花扇をはじめ、花扇使・ミスうねめ・ミス奈良を乗せた2隻の管絃船(龍頭・鳳凰首)が、猿沢池に浮かぶ40余の流し灯籠の間をぬって池をめぐり、最後には花扇を池中に投じます。
 
天平の衣装をまとった人々が乗った船を見ていますと、雅な時代にタイムスリップした気分になります。
その余韻に浸っての帰途、空には薄雲に囲まれた満月が見送ってくれていました。
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2011年9月13日 07時23分
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昨日は、高大仲間のI氏のお誘いで「百舌鳥八幡宮ふとん太鼓」の宮出の見学へ。
毎年、仲秋の名月(今年は9月12日)に開催されていましたが、昨今の担ぎ手不足が影響して、最近は該当日に近い土、日曜日に開催され、今年は残暑の厳しい9月10、11日になりました。
JR百舌鳥駅に1時30分集合した7名が、オゾン層が破壊され太陽光線を直接浴びていると思えるほどの強い陽射しの中、徒歩10分程度の百舌鳥八幡宮へ。
 
境内には、昨夜宮入したふとん太鼓が所定位置に格納されています。
桧皮葺本殿を背後に持つ拝殿でお参りを済ませてしばらくしますと、西之町の格納されたふとん太鼓の周りでは、出発前の諸行事が執り行われ気合を入れて、いよいよ宮出。
重さ2〜3トンのふとん太鼓を数十人で担ぎ、社殿と楠の大木の間の境内地を何度も練り歩きます。
いよいよ神社から出てそれぞれの町内へ戻る、クライマックス。
正面の鳥居前に場を移してシャッターチャンスを待っていました。
その前を多くの若者に担がれたふとん太鼓が通り、一段と高い歓声の中、階段を下りてゆきます。
もう一つ別の町内の宮出を見学して、衆議一決、かき氷を目指します。
境内の屋台でかき氷を頂きほっと一息。
百舌鳥駅前のI氏宅へ。
しばし、ほてった体を冷やした後、男性のみで一杯の開始。
いつも通り「わいわいがやがや」楽しい時間も過ぎ帰途に。
堺市内には、ふとん太鼓10ヶ所、だんじり16ヶ所が残っています。
私達の最初の勤務地である堺大小路の開口神社の180年前の祭礼絵馬には、神輿や鉾と共に太鼓山(現在のふとん太鼓)が描かれています。
このように歴史、伝統ある迫力満点のお祭りが、今後共長く続いていくことを願っています。
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2011年9月12日 07時11分
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高齢者大学 /
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7月24日に堺の奇祭「鯨祭り」が57年振りに復活との記事が掲載されました。
 
祭りの起源は、鎌倉時代末期とされ、鯨を捕り逃がした漁師を慰めるために踊ったのが最初で、明治以降は20〜30年毎に開催され、昭和29年を最後に中断していました。
堺市出島町の郷土史家が中心となり地元の自治会と共に実行委員会を結成して実現した。
写真資料や29年当時の参加者に聞き取り調査してクジラ山車を設計。
大阪市内の竹材店に依頼して全長12m(往時は竹、布製の全長27m)の骨組みが完成。
住吉大社鎮座1800年記念の今年に復活され、7月24日に堺市出島町から住吉大社までクジラ山車を引いて奉納。
8月1日には、住吉大社から堺市宿院の住吉大社頓宮まで神輿渡御祭が行われますが、今年はその時クジラ山車も一緒に練り歩きます。
本日は、住吉大社境内のテントの中で明日の出番を待っているクジラ山車を見に行ってきました。
山車は、人間が入ってクジラの口を開け閉めしたり、尾びれを動かし、潮を噴かせます。
 
大阪の夏祭りの最後を飾るのが住吉祭りで、夏越祓神事が行われていますので、茅の輪をくぐって猛暑の夏を無事過ごせます様お祈りしてきました。
(先日の比叡山での修行を思い出し、私個人の無事を祈るのではなく、私以外の方達の無事を祈ってきました=忘己利他)
帰り道、お祭りへの協賛をして頂いた参道沿いのお店の前で、小学1年生から中学生位の女児が、衣装を着けて住吉踊りを踊っているのに遭遇。
私の最初の勤務店が堺で、その頃は8月1日がその神輿渡御祭で堺市内全ての企業がお休みでした。
前日の7月31日には、堺の大浜野球場で夜市が開催され、生きた魚が販売されていたことを思い出しました。
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2011年7月31日 11時27分
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本日は、祇園祭、神田祭と並ぶ日本三大祭の一つ「天神祭本宮祭」、江戸時代、京と大坂間を三十石船で航行した際の大坂の拠点として賑わった八軒家浜で、天神祭の船渡御を鑑賞。
船宿が8軒あったことから八軒家と呼ばれているそうです。
天神橋と天満橋の間の南岸に位置する八軒家浜は、船渡御のスタート地点である天神橋北詰が目の前で見学には最高の地点です。
天満宮を出発し市内を練り歩いた陸渡御を終えた「御鳳輦」「鳳神輿」「玉神輿」等が次々に船に乗り込み18時の出発を待っています。
 
その間、船渡御の列に加わらない「どんどこ船」が鐘太鼓を打ち鳴らしながら走り回り、祭のムードを盛り上げます。
 まだ夕陽が残っている中、いよいよスタート。
催太鼓船を先頭に、神鉾講船等10数隻の後、御鳳輦船、鳳神輿船、玉神輿船が続き、その後には賑やかな文楽船等の舞台船が行きます。
見物の間には、桂春蝶さんが巧みな話術で天神祭の歴史や一口小話で盛り上げてくれています。
その内、上流からはアサヒやサントリー、日清ラーメン等各企業の協賛船が下ってきます。
私達のいる八軒浜前を通過する際には、春蝶さんの音頭で「大阪締め」を交わしお互い祭気分を盛り上げます。
天神祭のもう一つの華は花火。
残念ながらこの席からは、北のビル群でよく見えませんが時々ビルの上から顔を覗かせる花火に満足。
100余隻の船が行き交う「船渡御」も終盤に近づきましたので、いよいよお開きです。
最後に、司馬遼太郎さんが二代目春蝶さん、つまり春蝶さんのお父さんが亡くなられたとき、頼まれてお名前を色紙に書いたご縁で、司馬遼太郎記念館で毎年落語会を開催中の現春蝶さんにご挨拶をし、大阪締めで痛くなった手のひらをさすりながら帰途に。
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2011年7月25日 21時52分
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今年も半分が過ぎましたが、連日の猛暑は盛夏を思わせます。
そんな中の昨日、神戸海洋博物館まで日本ボトルシップ協会主催の「ボトルシップ展」に行ってきました。
先日、高大の仲間M氏より身内の方が製作されたボトルシップを頂きました。
その直後、小冊子「サンケイリビング」にこの「ボトルシップ展」のことが掲載されていましたので、行ってみました。
勤務時代の終盤近く、この元町に勤務したことがあり、その当時は神戸によく足が向いたのですが、退職後は不思議と神戸に行く機会がありません。
本当に懐かしく、以前同様花壇(アガパンサスが満開)で彩られた元町駅で下車し、メリケン波止場に向います。
途中、中華街や勤務地のビルの横を通り海岸へ。
メリケン波止場の向かい第一突堤に美しい帆船が停泊しています。
「日本丸U世」です。(写真上・写真下は出品作品「日本丸」)
帆が張られていないのは残念でしたが、なかなかの雄姿です。
会場の神戸海洋博物館の建物も帆船をイメージしているようでした。
入りますと、帆船や豪華なクルーズ客船の模型が出迎えてくれ、右奥ではお目当てのシップボトルが展示されています。
私が頂いたシップボトルには、製作者のイニシャルM・Kと記載されていましたので、それに該当する名前を探していますと、スタッフの方から声を掛けられました。
事情をお話ししますと、色々ご親切にシップボトルについて説明して下さいました。
外国では、組み立てた船を瓶の中で起こすが、日本は瓶の中で組み立てる。そのほうがより大きな船にすることが出来る。
キットは少なく、船体の削りだし等、ほとんど手作りで対応している。
大きな瓶が無くなってきているため困っており、小さくなるが電球を使っての代用もしている。(スタッフの方の作品ー写真左)
等、苦労話をお聞きしました。
M氏に電話して製作者の名前をお聞きして、会場のスタッフの方に申し上げますと、当協会のメンバーではなく、神戸海洋博物館のボトルシップのお仲間であることが判りました。
大小さまざまな容器に収められたシップボトルを拝見し、ご苦労と集中力の結晶であることを再認識しました。
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2011年7月3日 13時27分
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昨日は、大阪市公館の一般開放日、年に1回、今年は10〜12日の3日間開放され、花菖蒲を観に行ってきました。
 
昭和34年に迎賓館としてオープン。
約4千坪の敷地は、大川の東岸に面し造幣局の向かい側に位置します。
前夜の雨に濡れ、しっとりとした芝生に敷き詰められた本館前の東庭から、桧皮葺の中門を通り西庭へ。
あずま屋の前の池の周りには、この時期にぴったりの33品種、約255株の花菖蒲が来館者の眼を楽しませています。
相棒も私と共にシャッターを切っています。
満開で豪華な肥後系、江戸系、伊勢系の各花菖蒲を鑑賞後、東庭へ。
大川沿いの歩経路を進み、少し咲いているバラやアジサイを観て、茶室「二水亭」へ。
青梅をかたどった和菓子を頂き一服。
小休止の後、ポツポツ降り出した中を本館へ。
本館前の池では、子供達のやる餌に鯉が大口を開けて取り合っています。
本館内で秀吉の大阪城の復元模型と金のシャチホコのレプリカを見学し同じく秀吉の大阪城の遺構等を紹介するVTRを視聴して帰途に。
ここでは一日一組の結婚式も挙げられるそうです。
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2011年6月13日 14時48分
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昨日は、祇園甲部歌舞練場での「第139回 都をどり」を鑑賞。
20年以上前に両親と共に先斗町の歌舞練場で鴨川をどりを観劇して以来です。
茶屋「新門荘」にて昼食を終え南下、四条通を越えた辺りから急に私達の進む方向に人の波が増えます。
皆さんも私達と同じ都をどりの観劇の方達です。
数分で新門荘と同じ花見小路沿いに、立派な唐破風造りの祇園甲部歌舞練場着。
正面右手の入り口から、芸妓さんによるお点前を頂くためお茶席へ。
喫み終わった後の特製の団子皿をお土産に。
ツツジが咲きだした庭を見学して会場へ。
「ヨーイヤァサー」の掛け声と共に、左右の花道から芸舞妓達が登場して開演です。
「春花京都名所尽」全八景は、春から始まり夏、秋、冬そしてもう一度春と、四季の移り変わりを京都の名所の風景を背景にし、長唄、浄瑠璃にあわせた、京舞井上流の伝統に裏づけされた芸舞妓達の踊りは、大変な修練を積んでいることを思わせました。
全ての衣装は、着物は京友禅、帯は西陣織で毎年誂えておられるそうです。
全てが一流でとのこだわりを持つ都をどりの伝統がここでも発揮されているようです。
祇園甲部には、お茶屋64軒、芸妓80名、舞妓28名を擁し京都の五つの花街中最大の規模を誇っています。
本当に華やかで美しいもので、さすが春の到来を告げる京都の風物詩と言われる舞台を味わい、心も弾む思いを抱き帰途に。
途中、長岡天神の霧島ツツジを見に阪急長岡天神駅で下車。
池の上に架かる参道が真っ赤なツツジで染まっているのが遠くからも望めます。
近づいてみますと日当たりの良いところは咲いていますが、まだつぼみのところもあり、5月の連休中が見頃でしょう。
背丈よりも高い真っ赤なツツジに挟まれ本殿へ。
参拝を済ませて鳥居をくぐったところの八重桜が満開。
その前のたけのこ屋さんが名物のたけのこを並べています。
買いたい気持ちを見透かした相棒は「昨日たけのこを炊きました」と。
車内で目をつぶりますと、ピンク色一杯の舞台と真っ赤なツツジの残像がちらつきます。
いつもお寺に同行の多い相棒も今日ばかりはご機嫌でした。
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2011年4月30日 07時59分
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昨日は、美山茅葺の里とお花見バスツアー。
コースは、常照皇寺⇒美山茅葺の里⇒仁和寺⇒平野神社。
大阪、京都市内共、車窓からの桜はいずこも満開。
 
北朝の初代上皇光厳天皇開創以来、皇室縁りの禅宗寺院である常照皇寺の門前から檜の香りが漂う参道を経て茅葺の方丈へ。
方丈内の襖絵、仏像と周りの庭園を見学。
隣接の怡雲庵(江戸時代建立の開山堂)の前の「九重桜」(国の天然記念物)。
さすがに樹齢600余年の桜は随分と弱っているように見えましたが、隣に二本同じ枝垂桜が植えられており、先端と頂上部分には、淡いこぶりの花が咲いていました。
次は本日のメイン、美山茅葺の里へ。
駐車場から山の麓に広がる茅葺の集落が見えます。
美山町は、若狭と京都との中間に位置し、江戸時代(1796年)建築の茅葺家屋が最古で、住宅32戸、民族資料館等6戸の計38戸の茅葺家屋を有し、岐阜県白川村、福島県大内宿に次ぐ全国第3位の建築数で国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
茅葺職人もこの村から誕生し全国で活躍されていますので、今後共保存には心配ないそうです。
村内は、桜も咲き出していますが、レンギョウ、水仙等が満開で春が来たところといった感じの村内を散策、この地区の鎮守、地井八幡宮にもお参りして、次の仁和寺へ。
満開の桜の高尾を車窓から見学して仁和寺着。
 
目当ての御室桜は、一本しか咲いていませんでしたが、三つ葉ツツジと他の桜は見頃でした。
特に五重塔の前の枝垂桜が満開で、皆さん撮った映像を見ながら満足そうにしておられました。
最後は、平安遷都の際、桓武天皇が大和より遷したと伝えられる平野神社。
真っ赤な鳥居の奥は、桜のトンネル、その両側には赤い毛氈を敷いた屋台が並んでいます。
夜桜の名所のようです。
 
思っていたより狭い境内は、枝垂桜、八重桜等色々な桜が咲き誇っています。
今年最後であろう、お花見を相棒とも充分に堪能し帰りのバスへ。
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2011年4月15日 07時22分
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昨夜は、NHK大阪放送局にて「第307回NHK上方落語の会」。
久し振りに応募葉書を出し当選しました。
出演者は、
開口一番 桂小鯛「時うどん」
桂歌之助 「七段目」
笑福亭呂鶴「崇徳院」
中入
林家小染 「こんにゃく問答」
桂雀三郎 「胴乱の幸助」
会場のポスターを見て、最初に目に飛び込んできたのが「開口一番」という文字。
本日の出演者の前に口火を切る役割との思いはしましたが、始めて気がつきました。
上方には落語家の身分呼称はありませんが、江戸で言う前座にあたるのでしょうか。
本来は、勉強のために出演させてもらっているので、出演者として名前も載らず、出演料も無いのでしょうが、現在では舞台上のメクリ(名札)には記載されていませんが、番組には記載されています。
収入はあるのでしょうか、判りません。
何れの話も何度も聞いていて落ちも判っているのですが、それでも笑ってしまいます。
やはり、積み重ねられた努力に基づく落語の芸が素晴らしいものだからでしょう。
併せて、おちゃこさんの無駄のない立ち居振る舞いも、さすが307回も続いている落語会を思わせました。
相棒も落語に大分馴染んできたようで、笑う場面で笑っており、本当に楽しい時間が過ごせ、落語に感謝です。
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2011年3月11日 12時28分
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昨日は、山本能楽堂(国登録文化財)にて「能入門講座」に参加。
主催は、山本能楽堂、後援は大阪府、市、大阪21世紀協会。
近くには、大槻能楽堂もあり大阪城や生国魂神社でも上演され、今迄にも何回かそこでの能を鑑賞しましたが、あまり馴染めませんでした。
この講座の受講を機会に少しは好きになれればとの思いで受けてみることに。
今回の催しは、能の上演はなく能の説明を重要無形文化財保持者の山本章弘氏から受けるのが目的です。
まず最初に、能は「何を言っているのか判らない」「何をやっているのか判らない」との声を聞き、又、舞台では、謡方の「いよっ、よおっ」との掛け声に合わせて囃子方が演じはじめます。
それを観客は、何事かと一生懸命見ている。
その結果、疲れはてて眠気を催し、ほとんどの方がコックリを始める。
解説では、その間はまだ能が始まっていなくて、「謡方の声に囃子方が合わせている」又、謡の内容は能関係者でも全て判っている人はいない、とのこと。
それをご存じない方は、能とは「判らない、つまらない」=眠りに入られる。との解説に皆さん大笑い。
従って、謡については節回しの強弱や雰囲気から、悲しい、嬉しい、怒っている等を感じて頂きたい、と。
そこで、配られた抹茶と和菓子を頂きながら次いで能の歴史を聞きます。
猿楽、田楽に始まり、室町時代,足利義満の庇護を受け発展し、秀吉が自分の出世物語を能で表現させ、自分でも演じたことから武士の間に広まった結果極めて簡略化され、それが見る人に判りにくくなって来たとのこと。
その後は、謡を実際に謡います。
羽衣の譜面を見ながら山本氏の手本に続いて全員が謡っていきます。
次は能面について、女性の面は、小面(10台)、若女(20台)、増(30台)、姥(老女)それに般若(嫉妬)等ありますが、どの面も少し下を見ると悲しい表情、上を見ると嬉しい表情となること、年をとるほど髪の量が減り、やせてきます。
羽衣の衣装の飾られた舞台上で観客の一人に衣装の着付けをして本日のお話は終了。
100分があっという間でとても判りやすく楽しい一時で、今度は本日の話を思い出しながら鑑賞したいと思いました。
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2011年3月8日 07時14分
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 明日からはお水取りの行事が始まり、寒さももうすぐ終わります。
昨日の司馬遼太郎記念館は、菜の花の香りで満たされ、ミツバチも蜜を求めて飛び交っています。
近鉄上本町駅から相棒も乗車し阪神電車西大阪線福駅へ、徒歩10分足らずで大野下水処理場着。
普段は入場できない施設ですが、梅の開花に併せて一日だけ開場しています。
職員の案内で施設見学会に参加。
最初に、梅の木の前で記念撮影し、各家庭で花木の散水等に利用するための雨水貯留タンクや大災害時下水マンホールの上に設置できるようにした簡易トイレを見学。
その後、下水処理場内へ。
この処理場は、主に西淀川区内からの下水を処理しています。
まず、沈砂池で粗ごみを取り除き、ポンプで沈殿池へそこから反応槽で微生物を加え汚濁物を分解処理、上澄みを沈澄池へ、濾過した後消毒して河川に放流しています。
最終処理された水を見せて頂きましたが、最初に送られてきた水とは雲泥の差、こんなにきれいになるのかとビックリでした。
 
取り除いた汚泥物は、舞洲スラッジセンターに送りレンガ等の建築資材として活用されています。
大阪城下では豊臣秀吉が民の要望で作った背割り下水が、今も下水道として使用されています。
大野下水処理場での晴天の一日の処理量は12万立方メートル(25mプール400杯分)だそうです。
ちなみに大阪市には12箇所の下水処理場があり、そこでの一日の処理量は284万立方メートルで大阪市庁舎12杯分だそうです。
見学終了後、記念写真を頂き目的の梅の見学です。
庭園には、真っ赤な毛氈を敷いた床机と真っ赤な日傘が二セット設えてあります。
ところが、梅の木はそこそこあるのですが、花はほんの少ししか咲いていません。(真っ赤な鹿児島紅は見事でした)
職員の話では、昨夏の猛暑の後毛虫が大量発生し、花つきが極めて悪いのだそうです。
大野下水処理場としては、施設見学会が主でしょうが、私達にとっては観梅が目的ですのでこんなに咲いていないのでは中止しても良いのではと思ったくらいでした。
お土産にレンガを頂き、重かったのですがベランダでの何か置くときの土台に使えると持って帰りました。
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2011年2月28日 10時10分
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大阪天満宮で大阪海苔協同組合による「巻きずし 丸かぶり」と「海苔のチャリティーセール」が開催。
巻きずし丸かぶりは9年目、海苔チャリティーセールは33年目とのことです。
この売上金で車椅子を寄付されているそうですので、ここ数年、海苔屋の陰謀に乗っかって参加しています。
巻きずしが無料で頂けたり、廉価で海苔が購入できるのも良いのですが、購入する海苔の質の良さに魅せられて、我が家での1年分を購入しています。
ここ数日前の寒さとは打って変わって、暖かい陽射しの中での行列は助かりました。
 行列は、巻きずしの引換券を貰った後、海苔を購入してもう一度のり巻きを頂くために並びます。
一度目の行列時には前のオバサンが横に掲げられた合格祈願や合格御礼の絵馬を見て、身内がお参りをしなくても合格したとか、毛糸のショウちゃん帽は暖かいとか話しかけてきます。
二度目の行列の時には、若い夫婦が女の幼児を連れていましたので、海苔を購入したときのオマケの赤と緑の鬼の面をあげたところ怖がり、三枚目に塗り絵の白地の鬼の顔が笑っていたのでやっと笑顔になり、「ありがとう」と会釈され、ほっとしました。
又、近くの保育園児が鬼の帽子を被って境内を歩いているのもほほえましい光景でした。
いよいよ参加者千人による丸かぶりの始まりです。
今年の巻きずしの海苔は、大阪産で大阪の海苔生産者は3軒のみだそうです。
天満宮の神職によるお祓いの後、今年の恵方、南南東を向き無言で丸かぶりをしながら各々が願い事をします。
家族一同の健康を願い、今年の恵方丸かぶりは無事終了しました。
 明日は立春を迎えます。
境内の梅は、まだつぼみも固いのですが、紅白一本ずつ数輪花をつけており、春近しを感じさせてくれていました。
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2011年2月3日 13時29分
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「第55回通天閣 福豆まき」に行ってきました。
風の強い寒空の中を谷町筋を南下、四天王寺から逢坂を西へ下って通天閣前に到着しますと入り口前は、10時からの福豆まきを待つ数百人の人だかり。
うっすらと汗ばみ、気持ちの良い約3キロ、40分のウオーキング。
豆まきは、平松大阪市長、福娘2名とNMB48の山本彩、渡辺美優紀さんが担当。
道理で若者が多い理由が判りました。
ステージ上のNMB48の二人を撮影しようとカメラや携帯が頭上に掲げられます。
豆まきが始まりますと今度は豆をキャッチしようと野球のグローブまで登場します。
相棒は、危険を察知し後方へ避難。
私は手を伸ばし豆をキャッチしようとしますが、近くに飛んできません。
そのうち周りではじかれた豆が足元に、すかさず拾いました。
後方で見ている相棒は、肩口に飛んできた豆をキャッチ。
ひとしきり豆まきを終えた平松市長とNMB48の二名は退場し、通天閣展望台屋上からも豆まきをしたようです。
若者はその後を追い、観客の減った会場で福娘とオリックスバッファローの新キャラクターとで豆まき続行。
そこで私は3個キャッチし、計5つ福豆を頂きました。
終了後、通天閣の周辺を散策し帰ろうと通天閣前を通りますと、まだ若者が大勢たむろしています。
NMB48の二人が帰るのを待っているようです。
私達には関わりないことですので帰途に。
通天閣近くの魚屋で巨大な丸々太ったいわし(島根県産)が売られていました。
豆まきに来て見つけたのも何かの縁と思い、相棒を見ますと「買うんですか」「うん」。
(帰って計ってみますと25センチありました)
帰り道の途中、四天王寺に参拝し往復約6キロのウオーキングはなまった体をほぐす良い運動になりました。
本日は、福豆まきを見学、夕食はいわし。
一足早い節分を味わうことが出来ます。
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2011年2月1日 12時09分
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午前中は堺東で歴史考古学の集いに出席し、午後からは落語会「チャオ!産経寄席ー初笑い五人衆in堂島ー」へ。
本日の出演者と演目は、
「阿弥陀池」では、昔の良きご近所付き合いがうかがえて楽しく聴き、「七段目」では、桂吉坊さんの歌舞伎等の古典芸能への造詣の深さが感じられ、「初天神」では、こまっしゃくれた子供が愉快で、「替り目」では、連れ合いに対して素直に感謝しない亭主振りが面白く、「八五郎出世」では、お上に対しての一般庶民のおもねらない心意気が話しっぷりから良く伝わりました。
大阪、京都、兵庫、奈良(2名)出身と関西全てから選ばれた五人全員が大変な熱演で、落語の芸の奥深さや素晴らしさを改めて感じた2時間余、相棒共々心の底から笑わせて頂きました。
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2011年1月8日 19時10分
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昨日は冬至でした。
暦では冬至が基本、この日を境に太陽の出ている時間が長く、明るくなっていく嬉しい日なのです。
冬至の日に、かぼちゃを食べるとこの先の一年無病息災で過ごせると聞いていますので、京都三条の矢田地蔵尊の「かぼちゃ供養」へ出掛けることに。
他のお寺でも同じ供養がなされていますがほとんどが22日の冬至の日行われています。
が、この矢田地蔵尊では毎年23日に先着千名に無料接待されます。
祝日でもあり混むのではと思い早めに出ました。
京阪三条駅から徒歩7分位で到着しますと、先着者15人。
 
待つこと暫し、10時前に読経が始まり、程なく順に堂内へ。
一方通行の堂内で、中風除けの大きなかぼちゃ(撫でかぼちゃ)をさすり、送り鐘(死者の霊を冥土に送る)を突き、他人の苦しみを代わって救ってくださる、ご本尊の代受苦地蔵に家族の無病息災を祈って、最後にかぼちゃ二切れとお茶の無料接待。
見るからにホクホクのかぼちゃを頂きましたが本当に美味しかったです。
一切れは、本日ハンドベルの発表会で来られなかった相棒のお土産に、出来れば二人共に健康でありたいものです。
矢田寺(矢田地蔵尊)
延暦15年(796年)満米上人と小野篁によってアジサイ寺として名高い奈良の矢田寺の別院として五条坊門付近に建立。
天正7年(1679年)に現在の地に移転。
送り鐘は、対になっている珍皇寺の迎え鐘で迎えた霊をこの送り鐘で冥土に送りますので、お盆の時には大変賑わいます。
江戸時代中期から風邪や中風の予防にかぼちゃを冬至に食べる風習が根付いたといわれています。
これは当時、冬場に野菜がとぎれてビタミン類が不足することからで、これは日本かぼちゃしかない時代に始められた風習です。
かぼちゃの栄養成分の特徴は、なんといってもカロチンを多く含んでいることです。カロチンは、体内でビタミンAにかわって肌や粘膜を丈夫にし、感染症などに対する抵抗力をつけてくれます。
「冬至にかぼちゃを食べると風邪をひかない」といわれるのはそのためです。
食べ終わって、近くの本能寺で織田信長の御廟所をお参りして矢田地蔵尊の前を通りますと、長い行列がまだ続いていました。
 
鴨川では、サギと鵜が魚を捕ろうと待ち構えていました。
サギは、冷たい水の中、ジッと魚が近づくのを、鵜は両羽を広げて蔭を作りその中に入ってくる魚を、それぞれが持って生まれた知恵を比べているようで楽しい見物でした。
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2010年12月23日 12時44分
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大阪の冬の風物詩となりつつある「OSAKA光のルネッサンス」に出掛けました。
バスで北浜まで。
夕暮れになるまで東洋陶磁美術館のルーシー・リー展を見学。
見終わって外へ出ますと一面にライトアップされています。
 
まず、バラ園の東会場(RoseLightGarden&EastLightPark)へ。
カップルや家族連れの流れに従って行きますと、入り口には3人のスノーマン、中ほどにライトで作られた大きな鹿や樹木と色々なイルミネーションの数々が来場者の歓声に包まれています。
さらに東には、さまざまなご当地グルメの屋台が呼び声と共に良い香りを漂わせています。
相棒と共に好みの屋台から数品をビール、ホットワインと共に購入。
お腹も膨れ、鳥取砂丘の砂の美術館「いなばの恋物語」前へ、説明役のお嬢さんに二十世紀梨は千葉県松戸市から鳥取へ来たこと等を話していますと「これをどうぞ」と梨飴をプレゼントされました。

そこから中央会場光のFestivalZoneへ。
中之島公会堂壁面の光絵画と大阪市役所正面壁面のライトアップされたクリスマスツリーを鑑賞。
 
思ったより寒さも穏やかでしたが、西会場や御堂筋イルミネーションはパスし、どんどん人手の増す中光の芸術を堪能して帰りました。
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2010年12月17日 19時45分
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23日松下IMPホールにて「タイムカプセルトーク2010」が開催され、高大仲間のK・T氏のお誘いでN氏と私が参加。
第1部「5000年に挑むタイムカプセルEXPO’70」
1970年に開かれた大阪万博終了後、大阪城天守閣前に埋設されたタイムカプセル2基についてビデオによる解説。
2基のカプセルは、内径1mの特殊ステンレス鋼製で同じ収納品2098点を納め、1号機は2000年に開封、以後100年ごとに開封し、2号機は5000年後の6970年に開封されるそうです。
第2部「はやぶさの奇跡的生還と玉手箱」講師川口淳一郎氏
川口氏は、宇宙航空研究開発機構教授で「はやぶさ」プロジェクト・マネージャー。
小惑星探査機「はやぶさ」により持ち帰られた微粒子を分析した結果、サイズ10ミクロン以下の1500個程度の極微粒子に輝石、かんらん石、硫化鉄が含まれていることが判明。更に微粒子の鉱物の成分比率が隕石の特徴と一致し、地球上の岩石と合わないことから、そのほぼ全てが地球外物質であり、小惑星イトカワ由来であると判断されました。
「はやぶさ」が、長径540mのイトカワに近づきサンプル採取を試みるのですが、地球からの信号による誘導が出来なかったそうです。
それが成功したのは、自律航法で「はやぶさ」に搭載したカメラやレーザ高度計のデータをもとに、小惑星との距離を自ら判断して測りながら近づいていき、採取に成功したそうです。
このプロジェクトは、2003年5月9日に「はやぶさ」の搭載カプセルでイトカワの石を持ち帰ることを目的に打ち上げ、2010年6月13日に地球へ帰還し、搭載カプセルをオーストラリアへ落下させ、その役目を終えました。
第3部「タイムカプセルトーク2010」
川口淳一郎氏他3名により大阪万博当時の各々の様子、タイムカプセル製作委員が最初は冗談半分で討議していたのが、どんどん真剣さを増していったこと、 収納品に12万件もの提案があったこと等が話され、当時の最高技術を用いたカプセルになったとのことでした。
(現在の費用で50億円要するそうです)
収納品は物品と記録に分けられ、自然科学、社会、芸術、その他の4分野からなっています。
当時の文化水準を表わす資料や電化製品の他、麹菌や松の種子、純鉄、偽札、手錠、入れ歯、トイレットペーパー、京都市の職業別電話帳等があるそうです。
川口氏のお話は非常に楽しく、とても宇宙一筋の人とは思えない柔軟さや苦労を苦労としないお考えがお話の端々に伺え、川口さんだからこそ7年を掛けて60億kmを往復させ、世界で最初に小惑星に着陸し、石を持ち帰ることに成功されたのだと良く理解できました。
川口氏の「高い塔を建てて見なければ、新たな水平線は見えてこない」との言葉が印象的でした。
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2010年11月25日 11時55分
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本日は、元勤務先大阪地区同窓会がホテルニューオータニで開催。
行く前に大阪城「菊の祭典」に立ち寄り。
大手門前の大きな懸崖を抜けますと、城内は小型の懸崖が通路脇を飾っています。
西の丸庭園では、NYやベルリンでの公演をこなされる等、江戸時代の芝居小屋を現代に復活させた中村勘三郎の平成中村座が、2002年以来2度目の大阪公演を、天守閣を背景に演じられ評判を得ています。
桜門前でも大きな懸崖が出迎えてくれ、天守閣前の広場では菊の愛好家の丹精込めた、三本仕立て、福助造り等が満開を迎え,馥郁たる香りが立ち込めています。
又、大量の小菊を使ったモニュメント「太閤おろしの滝」が来場者の眼を楽しませています。
菊の祭典を堪能した後、紅葉の進みつつある城内を極楽橋から青屋門を経てニューオータニへ。
久し振りに会う元気な仲間との出会いは楽しいのですが、「だれだれさんが亡くなった」との報に接するのは寂しいものです。
私もいずれは懇親会に出られなくなり、出席者の間で「亡くなったらしいよ」との会話が話されるときがくるのでしょうが、寿命尽きるまで頑張りたいものです。
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2010年11月13日 17時51分
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昨日は、「神馬の道 再現ウオーク」に参加。
JR南田辺駅から徒歩3分の法楽寺から神馬塚、山坂神社を経て住吉大社まで、往時、神馬が毎日通った住吉大社までの約5キロの再現ウオーキングです。
天気予報では昼過ぎから雨でしたので、中止しようと思ったのですが、1時前には小降りになってきましたので、行ってみることに。
大阪府で2番目に古い樹齢800年の楠の聳える法楽寺に着きますと、旭堂南湖師の神馬講談が始まったところでした。
講談によれば、神功皇后が朝鮮から白馬を連れ帰り、住吉大社に奉納、その神馬が逃げ出し、この田辺の地で見つかった。
そこで、神馬はこの地が気に入ったのであろうと考え、北田辺村と南田辺村に厩舎を置くことにしたそうです。
終了後、外は雨が激しくなっており関係者で協議。
とりあえず、神馬塚から南田辺駅近くの山坂神社まで歩くことに。
ほら貝を吹き鳴らす先頭に続いて木造の神馬を引き、その後に我々が続きます。
大きなイチョウの木の横の神馬塚を経て山坂神社へ、約1キロの雨中のウオーキング。
山坂神社でお祓いを受けたところで、高大同級生のI氏は引き続き参加するとのことでしたが、雨も強く私はリタイア。
紫金山 法楽寺
真言宗泉涌寺派。1178年、平重盛の創建。本尊 大日大聖不動明王立像
近畿三十六不動尊霊場第三番、大阪十三佛霊場会第一番。
織田信長の兵火に遭いましたが、元禄年間に再建。
三重宝塔も平成8年に完成しています。
江戸時代の住職に慈雲尊者があり、釈尊の説いた教えを純粋に実践し、本来の僧侶や寺院のあり方を取り戻そうと戒律復興運動に尽力。山岡鉄舟から「日本の小釈迦」と讃えられている。
この田辺の地は、四天王寺、平野郷、住吉大社を見通せる農村地帯で、綿の栽培と共に綿木と綿木の間に植えられた大根は、綿の優良品種田辺土佐と共に田辺大根(神馬に乗せてある)として田辺の特産品でした。
私が育ったのは、法楽寺の北東1,5キロの近鉄北田辺駅近く、山坂神社の氏子でしたのでお祭りの時には良く遊びに来ました。
その時の境内にはお化け屋敷や多くの屋台が出てとても広く感じていましたが、本日はそんなに広く感じられませんでしたが50年振りに訪問し大変懐かしい思いがしました。
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2010年11月1日 12時51分
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本日は、町内会の日帰り旅行。
コースは、京都防災センター⇒がんこ二条苑(舞子さんとの記念撮影)⇒伏見散策。
8時15分東高津公園前出発。
京都防災センターで消火、地震、土砂災害、強風等を体験。
ストーブ火災、天ぷら火災等の映像に対し消火器での消火や都会の地震では3D映像によるビルの倒壊、土砂災害では土砂崩れの音、又、強風室では風速32メートルを実際に体験する等、本日の各々の体験は今後共人為災害は起こさないように、自然災害が自分の身に起こった場合、落ち着いてどのように対応すればよいのかを教えて頂きました。
江戸時代、高瀬川を造った豪商角倉了以の別邸、後に明治の元勲山県有朋の別邸第二無鄰菴の時の庭苑を有するがんこ二条苑へ。
食事を始めてすぐに舞子の「ふく里」さんが登場され、場が一気に華やぎます。
「祇園小唄」で舞を鑑賞、その後は舞子さんとの撮影会。
私たちも舞子さんと共に記念撮影。
本日の舞子さんは、48人を相手にそれぞれの要望を満たすため随分と忙しそうです。
その分、全員が大満足で楽しい食事を終えることが出来ました。
昼食後は伏見へ。
黄桜ギャラリーを見学後、以前十石舟で回遊した運河や寺田屋周辺を散策し帰途へ。
新設なった第2京阪道路利用、約40分で東高津公園前着。
台風の行方を心配しながらの出発でしたが、雨はバスに乗るまでだけで途中からは陽も差し、町内会Y会長さんを始めお世話役の皆様のお陰で大変ゆったりとした楽しい一日が送れたことを感謝です。
有難うございました。
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2010年10月30日 17時29分
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昨日は、高大同窓生I氏のお誘いで百舌鳥八幡宮布団太鼓祭りへ。
秋晴れの中、皆さんお昼からお祭りに出掛けておられましたが、私はゴルフでしたので夜の部に参加。
I氏宅にて夕食を摂り、日暮れを待って百舌鳥八幡宮へ。
道筋は、町内ごとに祭り提灯が飾られて町全体でお祭りを盛り上げていることが体感でき、何かうきうきしてきます。
神社境内に着いてまもなく布団太鼓の宮入です。
大きな布団太鼓が、若い衆に担がれ階段を駆け上がってきます。
本堂前で約1時間近くの間本堂前を往復して練り歩きます。
この催しを九つの町内の布団太鼓9基が行います。
九つの町内は、大小二つの布団太鼓を所有しています。
先頭は、毎年赤畑町が務め、残りの順はくじ引きのようです。
今年改修なった赤畑町の布団太鼓は宮入が終わり、本殿横の所定の位置に納まっていました。
その布団太鼓は、金の細工物で飾られた立派な黒檀の台座は引き続き使用され、その上に新調なった欅材で造られた真っ赤な布団太鼓が乗っています。
重量は3トン近くあり、44〜45人で担ぎ、それも全て各町内の人のみで担いでいるそうです。
近くにいた子供に「大きくなったら担いでや」と声を掛けますと「うん」と目を輝かせていたのは嬉しいことで、これからもきっと続いていくことでしょう。
宮入の際、担がれた布団太鼓が目の前を行き来するのは大変な迫力で圧倒されました。
宮入後は、境内の格納庫で翌26日の宮出を待ちます。
しばらく見物の後、社務所内でお月見をしながら野点会に参加。
終了後は、なかもず駅から帰宅。
一度行ってみたいと思っていましたお祭りでしたので、とっても楽しい、わくわくした一時でした。
Iさん、皆さん有難うございました。
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2010年9月26日 20時32分
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本日は、予定がありませんので、相棒にどこに行こうかと相談し、鶴見緑地に決定。
久し振りに青いけしの花を見てみたく思いました。
咲くやこの花館では、熱帯の睡蓮、蘭、ハイビスカス、世界最大の花ラフレシア等色とりどりな花を見学、途中、小さな子供を含む家族連れが集まっていました。
近づいて見ますと、ゴーヤの取り入れです。
大きいのは20センチ位に育っているのもあり、それを子供達が園芸員さんと共にハサミを使って取り入れています。
中には、熟れすぎてだいだい色になったものもあり、それを園芸員さんが取って半分に割き、中の赤い実を食べるように勧めます。
まずお母さんが食べてみて「甘い!」と歓声を上げ子供も。
見ていた私たちにも勧めてくれ、初めて食べてみましたが甘くて美味しかったです。
サボテンの花を見て、目的の青いけしの花の極地植物室へ。
数年前に見た時よりも株数は増えているように感じました。
いつ来ても美しく咲いている青いけしの花を見ることが出来ますが、その蔭でお世話なさる方たちのご努力には敬意を表します。
食事をするために外へ出ようと、フラワーホールへ差し掛かりますといつもはがらんとしているホール内に椅子が設置されており、舞台に「秋のフラメンコ祭り」の看板が、13時と15時開演と知らせています。
早速場所取りをして外へ、曇り空の下、やはり家族連れがバレーボールやバドミントンに興じているのを見ながら食事。
三連休で遠出をする人が多いのか、園内は比較的空いていて緑を楽しみながらゆったりくつろげました。
13時からのフラメンコショーは、スペイン出身のギター奏者ミゲロン氏を中心に、唄上林功氏、フラメンコダンサー兼子八重子氏他4名による本格的な催しで、迫力満点の情熱的な踊りを目の当たりにし、思いがけないラッキーなプレゼントに相棒も大喜びでした。
この催しは、23日と25日にも出演者を替えて開催されますので当日お暇な方は鶴見緑地へお出掛け下さい。

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2010年9月20日 15時24分
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昨日は、65回目の終戦記念日。
大阪城公園内のピース大阪での「玉音放送と学童疎開」のお誘いを受け参加。
戦後65年。
その原点である玉音放送を聴き、学童疎開の子どもたちが主人公の映画「ボクちゃんの戦場」を観賞することにより、今一度あの戦争と時代について考えようとのこと。
初めて終戦の御詔勅の全文をお聞きしましたが、ほとんど聞き取れませんでした。
ご詔勅の全文が掲載された当日の朝刊も玉音放送後配布されたそうですので、この難しい言葉の放送を始めて聞いて全てを理解された方がどのくらいいたのでしょうか。
まだまだ戦争を続けるのだと勘違いをされた方もあったとのことですが、やむを得なかったと思いました。
終了後、昔懐かしいラムネを頂き渇いたのどを潤し、次の会場大阪市立美術館へ。
こちらでは、初めての試みの「夕涼み演芸会」。
特別展示の一つ「怪かしの世界」とともに怪談話の落語二席と講談。
落語は、桂三ノ助「青菜」(持ちネタに怪談話無し)、林家竹丸「皿屋敷」。
落語ですから、最後は笑って終了。
トリの講談は、旭堂南青の「江島屋騒動」、講談では、怖い話もあるのではと期待。
途中までは、やや怪談かと思う部分もありましたが、最後は静まった会場に向かって大声で驚かすという演出はもう一歩でした。
終了後、参加者4名でいつもの一杯。
暑い中お集まり頂いたNさん、Tさん、Sさん有難うございました。
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2010年8月16日 07時33分
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昨夜は、「みなとこうべ海上花火大会」に行ってきました。
今年で第40回だそうです。
みなとこうべ海上花火大会
1933年(昭和8年)のみなとの祭りで花火大会が開催されたのが始まり。
会場も湊川公園、須磨浦海岸、王子公園、神戸港中突堤などいろいろな場所で開催されてきた。
その後、1971年(昭和46年)にポートアイランドのコンテナバースで行われた花火大会が、第1回「みなとこうべ海上花火大会」とされ、今年で40回目。
 
当日は、日差しも強く気温も高く、暑い中での見学を覚悟して出掛けましたが、見学場所が第二埠頭 の西側岸壁中程の一番前でしたので海からの風が涼しく、立秋の日を迎えたからなのか、いつも海の傍はこんなに涼しいのか不明ですが、何れにしても大変涼しく見学できました。
到着したときには、黄昏時で空と海の色が濃い青色に染まっていく様子や目の前のオリエンタルホテルや神戸ポートタワー、神戸海洋博物館の照明が徐々に浮き上がってくるのはとても幻想的でした。
7時30分過ぎに最初の打ち上げ花火が上がり、その後仕掛け花火と打ち上げ花火が次々に打ち上げられ、それも前は海で障害物がなく目の前で上がる豪華な花火を独り占めしている気分でした。
約1時間弱の間、見物の方全てが同じ歓声とどよめきに包まれ、あっという間に最後の花火。
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2010年8月8日 13時45分
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毎月第一土曜日は鶴橋鮮魚卸売市場の「鶴橋ひる市」です。
今回の午前中は、鱧の解体ショウがありました。
まず、本日噛まれましたと言いながら鱧の歯の鋭いことの説明と共に、生きている鱧を絞めるのですが、頭の付け根を出刃包丁で、のどの辺りを少し残して切ります。
次に、針金を胴体の上から尻尾まで差込み神経を殺します。
いよいよ、捌きの始まりです。
鱧のぬめりを取り、腹の下部から上へ割いていき内臓を取り出します。
切り取られた心臓が動いています。白い浮き袋もありました。
腹骨、背骨を取り除きますと、真っ白な美しい身がひろがっています。
いよいよ最後の骨切、見ていても気持ちの良いほどの速さで包丁が前後に動く度に、シャッ、シャッと骨の切れる音が聞こえてきます。
鮮やかな包丁捌きに見とれているうちに、二人の料理人が各2匹ずつ捌き終わりました。
鱧ちりの予定で早速1匹買い求めました。
市価の半値だそうです。
午後からは、マグロの解体ショウも開催されるようです。
この市場のお陰で、いつも新鮮なお魚が安く手に入りとても満足しているのですが、美味しいお魚のためついお酒を飲み過ぎないように注意する必要があります。
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2010年8月7日 12時40分
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本日は、天神祭りの宵ゝ宮で、大暑。
今年一番の暑さとTVは伝えています。
宵ゝ宮の行事は、御羽車講巡行祭とギャル神輿です。
御羽車巡幸祭
昭和56年に天神橋筋商店街からの申し出で25日の陸渡御の前に神様が北へお渡りになる巡行として実現。
大阪天満宮を出発し、天神祭の無事と商店街の商売繁盛を願い天神橋筋商店街を巡行。
御羽車巡行が決まった際に女性みこし(通称 ギャルみこし)も誕生した。
ギャルみこし
正式名称 天神祭女性神輿
応募資格 16〜30歳で体力に自信のある健康な女性
昭和56年から始まり今年で30回目
1,2回目のハッピはブルー
現在のハッピは、日本デザイナークラブ関西支部のデザインでハッピの色の、赤は女性の元気、白は女性の清潔感、青は大川、石組み模様は大阪城の石垣をそれぞれイメージしています。
天満宮から商店街を北上する先頭の御羽車に続いて、「ワッショイ、ワッショイ」の元気な声が響いてきます。
元気な女性各20名に担がれた三基の神輿は、さすが30回の歴史でしょう何の違和感もなく商店街の中を堂々と進みます。
天三の商店街で男性が神輿を担ぐ準備をしていました。
何人で担ぐのか聞いて見ますと「14人」との答。
ということは、ひょっとして男性用の神輿を女性20名で、と一瞬思いましたが、多分そんなことはなく女性用の神輿は少し小振りではないかと思っています。
いずれにしても、うらやましい位の元気さでした。
天満宮は、商店街の賑わいが嘘のように静かでしたが、数時間後ギャルみこしの宮入の時には大いに賑わうことでしょう。
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2010年7月23日 17時09分
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毎月2回、味原小学校で卓球を楽しんでいます。
平成16年の暮れに「高津スポーツクラブ・卓球部」に申込、それ以来、月2回の練習日に都合の着く限り参加させて頂いています。
最近は、世話役のM氏等のご努力もありご家族連れの参加が増え、小さな子供さんを含む20人位の参加者で賑わっています。
参加をしていて、私が小学校に通っていた頃と違うなと思うことがあります。
それは、我々の練習場にもなっている立派な講堂があること、グランドが芝生であること、それに夏になりますと校庭に子供達が育てている朝顔、ミニトマト等の植木鉢のあることです。
2週間前に行った時にその植木鉢が沢山ありましたので、写真に撮ってみようと思い、本日カメラを持っていきました。
が、残念ほとんど撤去されていました。
わずかにミニトマトと唐辛子が数本残っているだけでした。
私の小学生の時の植物の生育日記は夏休みの宿題で、自宅に植えた朝顔、ひまわり等の成長を毎日記録していたように思います。
(余り真面目にした記憶はありませんが)
現在の小学生は、学校にいて観察を続けているようです。
夏休みに自分の家で成長の観察が出来ないのは、親がそれを手伝うことが出来ない(共稼ぎ等)、塾通いが忙しく観察の時間がない、或いは、自宅に育てる場所がない(マンション等)等の理由で、そのようなことは学校でやるようにと、親が文句を言ってきたからなのでしょうか。
又、グランドは芝生で覆われており、過保護を感じます。
(安全第一でしょうか)
子供の頃、校庭でゴムボール(テニスボール大)のサッカーをしていて、ゴムボールを蹴らずにグランドを蹴って右足の親指の爪が剥がれたことを思い出しました。
梅雨明け後の連日の猛暑、卓球の練習も休み休みマイペースで続けていますが、月2回汗をかく機会を与えて頂くお世話役の方々には感謝です。
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2010年7月19日 18時16分
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昨日の祇園囃子「コンチキチン」の余韻と共に目覚め、昭和54年に祇園祭に行ったことを思い出しました。
その時は長男と次男の3人でした。
長男は小学生4年生、次男が小学校1年生でした。
(中学1年生の長女はクラブ活動で不参加、相棒が当時の写真を出してくれ行った年が確認できました)
やはり昨日のようにとても暑い日でした。
行ったことが間違いないのは、我が家の押入れの中の色紙が証明します。
その色紙は「鯉山」で、据え付けられた山や鉾を見学して回りこの山に出会いその由来(龍門の瀧をのぼる鯉)を読んで、息子達の健康と出世を願って購入したものでした。
今朝になって押入れの色紙の束からその「鯉山」を抜き出し、当時のことを思い出しながら、私よりも大きく育った息子達を思い出しました。
長男は、その当時から始めた剣道に励み大学では剣道四段で全日本にも出場するほどになり、現在は転勤族で中学一年生の裕哉と小学5年生の萌々香の良き父親として頑張っているようです。
次男は、いまだに独身貴族を謳歌しているのには困ったものですが、二人とも健康で仕事に励んでいられるのも、その時願いを込めて購入した色紙「鯉山」のお陰だろうと感謝しながらこのブログを書いています。
本人達に祇園祭の記憶があるかどうか判りませんが、現在の二人があるのは「鯉山」にも祭られ、八坂神社の御祭神でもある素盞鳴尊に守られてきたからでしょう。
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2010年7月18日 05時35分
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