今朝は、大阪市立科学館の「金環日食観望会」へ。
6時40分ごろ到着。既に来場者多数。
日食めがねを購入するための行列に並びました。
アナウンスで6時17分から太陽は欠け始めており、金環日食は7時28分から31分ごろまで見られるそうです。
東の空を見上げますと裸眼にはとてもまぶしくとても見ていられません。
日食めがねを通して見ますと、太陽の右上部が欠けてきており、写真も日食めがねを通して撮りました。
金環日食が始まる少し前から太陽は雲の中へ。
雲の切れ目から太陽の周りのリングが時々見えますが、全体像は見えません。
ところが、7時28分ごろには薄雲の向こうに金環日食がぼんやりと姿を現し、来場者の大きな歓声が上がりました。
早起きをした甲斐があって薄雲越しですが金環日食を見ることが出来ました。
写真は日食めがねを通しますと真っ暗で写真が撮れませんでしたので直接撮りました。
夕刊(産経)には、大阪市立科学館への来場者7千人との記事と共に空を見上げる来場者の写真が掲載され、よく見ますと私らしき人物も写っていました。
金環日食は、近畿では282年振りで、今回のように広範囲で見ることが出来るのは平安時代の1080年以来932年振りだそうです。
2030年には北海道で見ることが出来るそうですが、大阪の中心部で見ることが出来るのは300年後の2312年だそうです。
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2012年5月21日 20時21分
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本日は高大仲間のN氏、M氏と共にアサヒビール吹田工場見学と外国産ビール試飲会に参加。
JR吹田駅9時30分集合、いつも早いN氏とM氏は定刻前に到着、昨晩の小学校の同窓会で飲みすぎ、いつもより1時間起きるのが遅かったことをすっかり忘れたことにより10分遅刻の私、見学会開始の10時には何とか間に合いましたがご両所にはご迷惑をお掛けしました。
見学前、ホールにてビールの歴史、種類、現状の講習を受け、ビールの誕生は紀元前7千年で、同3千年前メソポタミアのシュメール人により製法の記録が残されており、厳しいことで名高いハムラビ法典にはビールを水で薄めたものには溺死刑を処したとの記録があるそうです。
日本に伝わったのは江戸時代中期の1724年、オランダからの献上品として伝わったそうです。
1870年横浜に醸造所が造られたのがキリン麦酒で、大阪では1891年アサヒビールの前身である大阪麦酒会社吹田村醸造所で製造されたそうです。
全世界での年間のビール消費量は1億7650万kリットルで人口の一番多い中国が、4419万kリットルでNO1。
一人当たりの年間消費量は、187,1リットルのドイツがNO1だそうです。
ちなみに日本は、7位(581万kリットル)と13位(45,8リットル)だそうです。
その後、工場内を見学していよいよビールの試飲です。
テーブルには、ドイツの「レーベンブロイ」、ベルギーの「ヒューガルデン ホワイト」、イギリスの「バス ペールエール」の小瓶が置かれており、加えてアサヒスーパードライをコップ3杯まで飲めるとのお話しです。
同行のお二人はアルコールがまったく駄目ですので、私一人で外国産ビール3本とスーパードライ9杯飲めるのです。
窓外の緑をつまみに、外国産ビール3本を味わいながら飲み始めました。
一番美味しかったのは「レーベンブロイ」であとの二種類はやや甘かったように思いました。
お飲みになれないお二人は、ジュースやノンアルコールビールを楽しまれていました。
昨晩飲み過ぎた私にとっては3人分を飲むのはやや荷が重く、本日欠席のT氏のおられないのが本当に残念でした。
T氏の分は預けておくことにしましたので、「Tさん、ご退院後ここに来られて飲んでください」。
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2012年5月20日 14時44分
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12日の土曜日、高大同窓会大阪カルチャー事業部の行事で湯浅から黒江方面へのバス旅行。
JR森ノ宮駅8時35分46名を乗せて発車。
 
まず「稲むらの火の館」へ。
広村に帰郷していた濱口梧陵は、安政元年(1854年)の大地震での大津波の際、刈入れの済んだ稲むらに火を放ち、この火を目印に村人を高台に誘導し村人の命を救い、全てを失った村の救済のためヤマサ醤油(千葉県銚子)できずいた私財を投げ打って被災者用の小屋の建設、農機具や漁業道具の配給により復興に貢献した。
中でも、後の大津波に備えて長さ600m、高さ5mの防波堤(広村堤防)の築造に取り組み、失職した村民の収入源を確保し、結果村民の離散を防いだことは、今回の三陸大地震の復興対策の無策振りと比べてなんと立派なことであることか再認識しました。
又、津波の恐ろしさと共に地震の後は、まず高台へ逃げるそれも逃げるコースを何通りか下見しておくことの重要性を学びました。
湯浅醤油では、醤油の製造行程の説明を聞きながら工場内での大きな醤油樽を見学。
750年前中国より金山寺味噌の製法が伝えられ、その後金山寺味噌の製造過程にできる「樽に溜まった液」が今で言うたまり醤油となって全国に広まったそうです。
お土産に醤油の小瓶を頂きました。
 
風光明媚な南部での昼食後、黒江の町へ。
ボランティアのご案内で、江戸時代から残る家並みを見学して回ります。
会津、輪島・山中と並ぶ日本三大漆器である紀州漆器の発祥は室町時代で紀州藩の保護を受けて発展。
一般家庭で使用される漆器を主流としている。
最後に、地元の酒蔵で有料試飲をしてから黒潮市場で最後のお土産を購入して帰途に。
スタートしたときは曇っていましたが、天気予報通り南へ行くほどに晴れてきて、湯浅方面では暑いくらいの好天に恵まれ、ご参加の皆様のご協力もあり本当に楽しい良い旅になりました。
今回急遽入院され参加できなかったTさん、治療に専念され一日も早いご復帰を仲間一同心より祈っております。
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2012年5月14日 13時13分
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5月8〜9日、勤務時代の同期生5名で一泊旅行。
JR神戸駅周辺の平清盛の史跡を巡った後、播州赤穂駅まで。
旅館では風呂上りにまず一杯でくつろぎ、夕食の際には久し振りにメートルもUPし、飲みながらのカラオケも楽しみ、バタンキュウ。
翌朝目が覚め外を見てみますと道路が濡れています。
雨です。
遅い朝食を済ませ、館内でゆっくりして10時出発。
その時には雨も上がり、何とか赤穂城跡も見学できそう、と一安心。
私は二度目の赤穂城訪問。
大正元年創建の大石神社入り口の義芳門をくぐり参拝。
神職の方が神社内をご案内してくださることに。
義芳門
東の楠公、西の大石と並び称される二大忠臣義士の内、楠正成公をお祀りする神戸の湊川神社の神門(明治天皇の思し召しで明治5年湊川神社創設時に建てられた欅材入り母屋造り四脚門)であったものを昭和17年に移築されたものです。
移築されたお陰で先の戦災に遭うことなく残ったのは幸運でした。
まず、義士宝物殿へ。
この建物も、同じく義士として祀られている関係で湊川神社から移築されました。
館内には、四十七士の討ち入り関係の遺品、城請け取り関係の貴重な史料や別館には浅野家及び明治廃藩までの城主森家の先祖森蘭丸ら戦国武将着用の甲冑武具が多数展示されています。
 義士木像奉安殿では、平櫛田中や山崎朝雲等48人の当代超一流の木彫家が精魂込めて製作した浅野長矩木像と四十七義士の木像や早かごでの凶報を持った使者がくぐった大石良雄宅邸長屋門内部と庭園を見学。
庭園内には、樹齢380年の楠があり310年前の出来事を見ていたことでしょう。
何れの場所でも大変丁寧に詳しくご説明頂き一同感激。
丁重にお礼を申し上げて天守台へ。
昼食後、太陽が顔を出した中、浅野家の菩提寺花岳寺から息継ぎ井戸へ。
浅野内匠頭刃傷を知らせる早かごに乗った萱野三平と早水三左衛門が入城前に息を整えた「息継ぎ井戸」の横にはからくり時計が設置されています。
丁度1時に動き出しますのでそれを見学。
刃傷、それを知らせる早かご、討ち入り、仇討ち成就後の行進の四つの場面を説明とともに見ることが出来ました。
   
同期での久し振りの一泊旅行でしたが、本人や夫人等ご家族の体調不良で不参加された方が多かったのは残念でした。
次回のこのような機会にも参加できるよう健康には気をつけたいと思いながら散会。
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2012年5月9日 18時27分
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史跡 |
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ゴールデンウイークの二日目、司馬遼太郎記念館の玄関前の温度計の水銀柱も24度からグングン上がり、12時には30度。
冬から一気に夏に突入した感じを受けます。
来園者も多く、午前中に100名を大きく上回ったようです。
その多くの方が、玄関に入るなり濃淡の新緑の美しさに「わぁー、きれい」と感嘆の声をあげられます。
本日の庭園は、新緑の他バラ、ツツジ等が咲き出し、小鳥のさえずりや揚羽蝶、アオスジアゲハ、モンシロチョウが舞っていたりと、本当に気持ちよい季節を迎えています。
蝶の動きは早すぎてカメラに収められませんでした。
住宅街の真ん中にある記念館の庭は、人間にも小鳥達小動物にとっても貴重なオアシスになっています。

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2012年4月29日 15時58分
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司馬遼太郎記念館 |
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先日、叡福寺へ行った際、寺の近くの公園に面したお家の裏庭からたいそう立派な樹の幹が張り出していました。
立て札には「おじいさんの木 龍眼木」と記載されており、所有者、地元の人やNPO法人により保護されているようです。
龍眼木(リュウガンボク)
ムクロジ科リュウガン属の常緑高木。
インドから東南アジア、中国南部が原産。
日本では、沖縄の八重山列島に自生。
高さは10メートル位になり、葉は偶数羽状複葉で互生。花は黄白色で、直径2.5センチほどの球形の果実がなる。果肉はゼリー状で白く、生食やドライフルーツとして食用や漢方薬に利用される。「レイシ」と似ていますが、果実は小さく、品種改良も進んでいない。
材は赤褐色で硬く、建築や装飾用に利用されます。
上海など比較的暖かいところでは街路樹として利用されているが、日本のイチョウと同じく落下した果実の悪臭が嫌われているようです。
樹木にはつぼみのようなものが多く付いていましたが、開花は春とのことですので実なのでしょうか。
又、どこかで花や実に出会えるのを楽しみにしたいと思います。
巨木に成るためには、それぞれ数十年、数百年を経ており、決して年数を経ずして作ることはできませんので、今後共大切にして欲しいものです。
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2012年4月27日 13時46分
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樹木 |
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昨日は、高大歴史考古学教室の同窓会行事で叡福寺へ。
穀雨の日らしく雨の予報、9時40分に近鉄阿部野橋駅に集合14名。
上ノ太子駅から叡福寺まで約3キロのウオーキング。
駅前から、大阪と奈良を結んだ日本最古の官道竹之内街道を行きます。
あえて傘を差さなくてもよいくらいの小糠雨の中を少し戻って旧い家並みを見学。
 
しばらく行きますと妙見寺前、時々国道も交えた街道を進み右折。
途中の家の前庭では、紅と緑の新芽が鮮やかなカエデや紅白のアメリカハナミズキが美しく咲いています。
立派な叡福寺の建物が望める公園には、近くで発掘された古墳や聖徳太子の三骨一廟(写真右、棺の左下が聖徳太子、左上が妻、右が母)を模ったレプリカが展示されています。
磯長山 叡福寺
聖徳太子の磯長墓を祭祀守護する性格の寺院であることから、太子寺、御廟寺、聖霊院の号もあり、四天王寺、法隆寺とならんで太子信仰の中核をなした寺院。
なお、一連の太子建立伝説を持つ八尾市の大聖勝軍寺の「下の太子」、羽曳野市の野中寺の「中の太子」に対し、「上の太子」と呼ばれ親しまれている。
創建は、推古天皇30年(622年)聖徳太子の陵墓を守護するため一堂を構えたのが始まりと寺伝は伝えている。
境内北方の高所には、推古天皇29年崩御の聖徳太子の生母穴穂部間人皇后(あなほべのはしひと)、翌年2月大和斑鳩宮において、時を同じくして亡くなられた聖徳太子、同妃膳部大郎女(かしわべのおおいらつめ)の三人が一所に葬られているところから、三骨一廟と呼ばれる磯長墓(写真右)が祀られている。
 
同じ境内には、慶長8年(1603年)秀頼が再建した聖霊殿(重文・写真上左)、承応元年(1652年)建立された宝塔(重文・写真上右)、享保17年(1732年)に再建された金堂(府文化財・写真左)等の堂塔が建ち並んでいます。
立派な各堂宇を見学後迎えのバスで太子温泉へ。
天然温泉で汗を流し、良い気持ちになったところで宴会。
冷えたビールで乾杯、火照った体が一気にクールダウン、最高。
にぎやかな歓談の一時もあっという間に過ぎ、帰りのバスの時間。
上ノ太子駅から阿部野橋へ。
4名で恒例の反省会を喫茶店で。
第一班の皆様方、お世話様でした。有難うございます。
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2012年4月21日 14時50分
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先日、奈良県立大学での考古学の講座の後、徒歩圏内の不退寺と法華寺を訪ねてみました。
講座の後、学内の食堂で昼食を済ませて裏口から不退寺へ。
スタートしてすぐ正面に、桜が覆っている「大仏鉄道記念公園」です。
 
関西鉄道の大仏駅の跡だそうです。
草津、名古屋間が開通した後、柘植から大阪方面への進出を図り明治30年11月に加茂まで開通、翌31年に奈良駅まで開通した。
その際、東大寺への参拝者の利便を図るためこの地の北側に大仏駅を設置した。
その後、路線が木津経由に変更され明治40年8月で廃止された。
一条通を西へ、関西線を越えてすぐ右折、不退寺着。
細い地道の参道を行きますと、新緑のカエデがトンネルを作っており、奥に重文の南門が見えます。
 
不退寺の正式名は「金龍山不退転法輪寺」と言い、真言律宗の古刹です。転法輪とは、法輪(仏教の教え)を他の人に伝えることで、輪は武器の一つでもあるそうです。
大同四年(809年)仁明天皇の勅願で在原業平が建立し、別名在原寺と言われている。
公開中の在原業平朝臣画像(色白で下膨れの顔)を拝観後、三つ葉ツツジ、レンギョウ、黒椿の咲く境内を散策。
池のほとりには、在原業平の詠んだ「ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれないに 水くくるとは」が生駒石に刻まれています。
一条通に戻って西へ。法華寺着。
聖武天皇御願の日本総国分寺の東大寺に対して、光明皇后御願になる日本総国分尼寺として、天平17年(745年)藤原不比等の邸宅だったのを伽藍として創建。
もとは真言律宗であったが現在は光明宗。
 
正式名「法華滅罪寺」と言い、お参りをすればその人の罪が許されるそうです。
多くの罪の許しを希いました。
国宝の十一面観音立像の公開時期ではなく拝観できませんでしたが、隣に同サイズの御分身像(インド最上の香木、白檀の一木作)が安置されています。
桃山時代に再建された南大門(写真左上)、本堂、鐘楼(写真左)や光明皇后が千人の垢を落とされたと言う、から風呂(写真右上、キクモモが前に咲いています)は重文です。
華道法華寺小池御流の家元らしく、花の庭には多くの花が咲き乱れており楽しめました。
新大宮駅から帰途に、好天でもあり多くの花にも出会うことが出来、楽しい約3キロのウオーキングでした。
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2012年4月19日 12時07分
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史跡 |
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昨日は、J:COM和歌山局主催の「関西南ブロック合同ハイキング」に参加。
9時30分JR和歌山駅前のわかちか広場に47名が集合、ラジオ体操で体をほぐし、本日のガイド役の地元ボランティアさん2名に従い二班に分かれて10時出発。
駅前から、けやき大通りを通って1,5キロ先のお城へ。
けやき大通りは、30年前に植えられた立派なけやきが、両側の分離帯に薄緑の新芽を吹き出させて春の終わりを感じさせます。
 
けやき通りに面した和歌山城大手門に到着。
木造のやや湾曲した橋(太鼓橋)を渡って入場。すぐに枝垂桜がお出迎え。
桜はもう散っているだろうと思っていましたので、思いがけず皆さんから歓声が上がりました。
しばらく進みますと城内の石垣に違いがあります。
野面積み(写真上)、打ち込みハギ、切り込みハギと時代の旧い順に見ることが出来ました。
和歌山城
標高48,9mの虎伏山の頂に天正13年(1585年)豊臣秀長が築城に取り掛るも、大和郡山に転封され、翌天正14年に秀長の家臣桑山重晴が城代として本丸部分を築城。
慶長5年(1600年)関ヶ原で軍功のあった浅野幸長が和歌山城主となり、二の丸部分を整備し大手門を岡口門(国の重文)から一橋門(現在の場所)へ変更。
元和5年(1619年)徳川家康の第十子徳川頼宣が城主となる。
以後、和歌山城は御三家紀伊徳川家の居城となり、西国支配の拠点として大規模な整備工事や城下町の拡張整備が行われ、250年続く和歌山の繁栄の基礎となった。
天守郭(写真左奥の高台)は、大天守、小天守、御台所、乾櫓、二の御門櫓、楠門を多聞で連結し、楠門を閉じると要塞化する連立式天守の形態を持つ。
江戸初期の天守は弘化3年(1846年)落雷で焼失、4年後再建されたが昭和20年の戦火で焼失し、昭和33年鉄筋コンクリートで現天守を復元。
二の丸御殿は、明治18年に大坂城へ移築され、昭和6年より大阪市迎賓館(紀州御殿)として使用され、戦後米軍施設として使用中昭和22年失火により焼失した。
天守閣からの眺めを楽しみ、二の丸広場で昼食。
二の丸広場から堀を渡って西の丸へ向かいますが、途中の御橋廊下(写真右)を通ります。
御橋廊下とは、藩主が大奥(西の丸)へ渡るときの堀に掛かる屋根付き廊下で、行く時は下りで廊下には30センチ毎に滑り止めの高さ1センチ位の板が出っ張っています。
多分滑り止めではないかと思いますが、その出っ張りに乗りますととても痛く、蟹のように横歩きをして歩きました。
新緑の紅葉渓庭園を散策後、追廻門、不明門、動物園を見学して岡口門から城外へ。
東掘越しの天守閣をバックに来た道とは変えてJR和歌山駅2時30分着。
往復共平坦な道で約4キロのウオーキングは、大変気持ちよく、桜も染井吉野に代わって八重桜が咲き出して、牡丹も一輪咲いており、何より美しい新緑を見ることが出来、参加してよかったと思って帰途に。
JCOM及び和歌山局のコミタンの皆様お世話になり有難うございました。
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2012年4月16日 13時38分
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J:COM |
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今年の冬は長引きやっと春らしい気温が続くようになってきました。
昨日、国立大阪医療センターからの帰り道大阪城西の丸庭園へ花見に寄って来ました。
 
庭園入り口の枝垂桜も満開、庭園内の染井吉野も枝垂桜も満開。
少し散り始めていますが、まだまだ見頃です。
昨日の雨で散った花びらが、花筵となって風情を増しています。
例年ですともう散っていて花見は終わっている頃ですが、場内には遅めの花見を楽しもうとの来園者が多く訪れています。
お城には桜の花がよく似合います、と言うか桜には日本の建物それもお城とかお寺とかがよく似合うのでしょう。
カメラを片手の花見客が多く楽しんでおり、私もそうですが日本人の桜好きを物語っています。
遅めの春爛漫を満喫して帰途に。
今年の桜の開花は遅く、花見ゴルフや旅行では、満開にはお目に掛かれなかったのですが今日の桜で満足出来ました。
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2012年4月13日 15時57分
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風景 |
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昨日は、司馬遼太郎記念館のボランティアツアーで恵那峡から馬籠、妻籠宿を訪ねました。
7時30分八戸ノ里駅近くの駐車場集合、上天気の中、大型バス2台に分乗してスタート。
 
近畿道、第二京阪、京滋バイパス、名神を乗り継ぎ、車窓から満開の桜や雪をかぶった伊吹山を満喫しながら恵那峡着11時過ぎ。
恵那峡遊覧船二隻で恵那峡めぐり。
下流には大井ダムが望め、満々と蓄えられた濃緑色の水の上を上流へ進みます。
真っ赤な恵那峡大橋をくぐり、両岸の烏帽子、虚無僧、軍艦、獅子、観音、鏡、蛙、屏風岩(写真右)等名付けられた巨岩の説明を案内人を兼ねたドライバーから聞き、鴨やおしどりの泳ぐ水面を進みます。
約30分の遊覧を楽しみ、船着場周辺の公園内で昼食。
桜のつぼみが膨らみかけたところであったのは残念でしたが、代わりに梅や水仙がまだ残っていました。
風もなく暖かい陽射しの中での豪華お弁当は最高。
恵那峡
水力発電王福沢桃介(福沢諭吉の養子)の手によりせき止められ、長さ276m、高さ53mの堰堤が築かれ、大正13年我国初のダム式水力発電所が建設された。
当時の発電量48千kW、昭和58年2号発電所が増設され計80千kWの発電能力を有する。
出来上がったダム湖、恵那峡では春は桜、夏新緑、秋紅葉、冬の雪景色と四季を通じて素晴らしい景観が楽しめるとの説明通りだと思える景観でした。
その後は、馬籠宿、妻籠宿を見学。
バスを降りた頃、雨がぱらぱらしてきましたが、見学には支障が出ない程度です。
何度か来ていますので、行ったことの無い所をと思って馬籠宿では、島崎藤村の両親の墓(写真左)と島崎家の墓がある永昌寺へ。
メイン通りから5分ほど入った小山の上にお寺はありました。
寺への上り口の横道を入ってすぐのところにお墓があり、お参りを済ませて寺へ。
山門と鐘楼が迫ってくるような急な坂15mを上って境内へ。
境内はひっそりとし本堂も閉じられ、誰も居ません。
妻籠宿では、我々の他の観光客はパラパラとしか見えません。
宿場全部が私達の貸切状態です。
半年前に泊まった旅籠「松代屋」も静かでした。
帰る頃には街に灯りが点りだし、ますます趣きのある風情となってきて、さすが「重要伝統的建造物群保存地区」に認定されていることを感じさせます。
バスで来た道を帰り八戸ノ里駅前に着いたのは20時を回っていました。
日帰りとしての限界に挑戦をした今回の旅でしたが、楽しい想い出が又一つ刻めました。
お世話頂いた記念館の方々のお陰です。有難うございました。
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2012年4月10日 07時54分
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史跡 /
司馬遼太郎記念館 |
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本日は、歴史教室の仲間9名(内T夫人を含め女性3名)がTさん企画による「九度山町家の人形めぐり」へ参加。
南海高野線九度山駅9時半着。
地元ボランティアのご案内で駅前の真田のみちを進みます。
道すがら町家の所蔵する雛人形や五月人形が飾られているのを見学して廻ります。
 
紀伊続風土記に「弘法大師槇尾明神と対面せし処と伝えたり」とあり、明治以降は弘法大師が母公と対面した所と説明された場所とした対面石を見学、大石順教尼がしばしば滞在された旧萱野家で両手を狂った養父に切断された後、口で筆をとり書画に才能を発揮、日展にも入賞された般若心経の文字等遺作と生涯を記録したビデオを鑑賞。
真田の抜け穴伝説にもなった真田古墳から真田昌幸、幸村が閑居した屋敷跡に建つ善名称院にお参り。
境内には真田昌幸のお墓もあります。
周囲を囲む築地塀の上には踊子草がピンクの小さな花が咲き、その奥には県指定史跡のお城のような重厚な本堂が臨めました。
60軒の町家に飾られた人形達を見学、内10箇所には真田十勇士のスタンプが置かれており、Tさんがスタート時に購入されたタオルにスタンプを押して廻られました。(写真右)
枝垂桜と染井吉野の咲く丹生川沿いの公園にて昼食。
昼食後、川沿いの桜を見ながら世界遺産の女人高野慈尊院へ。
慈尊院入り口の両側の石垣には枝垂桜、染井吉野が懸かり山門とよくマッチしています。
万年山 慈尊院
高野山真言宗。弥勒堂(重文)は世界遺産。
空海が高野山開創の際に、年貢の徴収などの庶務を司る高野政所や宿泊所を置いた高野山の要所。
空海が母親のために建てた寺院で母公が晩年移り住み、没後弥勒堂が建立されたことから、女人禁制の高野山に対して「女人高野」と呼ばれ親しまれ女性の参拝者が多いそうです。
本尊の木造弥勒菩薩座像は国宝。
境内の奥から勾配30度、119段の急な石段を上って丹生官省府神社へ。
上りきったところに真っ赤な木造の大鳥居が聳え立ち、その両脇には桜が咲きそろって見事です。
丹生官省府神社
空海が慈尊院創建の際の鎮守社。丹生都比売、高野御子等を祀る。
室町末期の建立の社殿三棟は、木造一間社春日造り、桧皮葺で重文。
最後になりましたが、九度山という山はありません。
空海はひと月に九度(正確に九度というわけではなく、それだけ頻繁にということの例えだと言われている)は必ず20数kmに及ぶ山道(高野山町石道)を下って政所の母を訪ねてきたので、この辺りの地名を「九度山」と名付けられたそうです。
参拝後、手すりにつかまって石段を降り、九度山駅へ。
途中、名産の柿の葉寿司を購入。
 
難波駅にて7名が恒例の会合。
歴史ある町を訪ねられ、桜や色とりどりの花とも巡り合え、春を満喫できた楽しい一日も終わりました、皆さんお疲れ様でした。
有難うございました。
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2012年4月6日 19時25分
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高齢者大学 /
世界遺産 |
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4月2、3日青春切符を利用して、四国の坂出へ。
8時前に家を出て、大阪、姫路、相生、岡山と乗り継いで坂出12時49分着。
そこから2駅西の丸亀駅へ。
駅前の観光案内所で相談。
「2時間ならレンタサイクルで廻ったら」とのお勧め。
丸亀港は、金比羅参りに一番近い港であったことから、金比羅船で来た参拝者は金比羅参りの五街道の中で一番便利な丸亀街道を多く利用したそうです。
江戸の参詣者が江戸講中を組み夜間の船の航行を助けるために寄付され天保9年(1838年)製作された青銅製、高さ5,28mの太助灯籠(寄付額トップの塩原太助の名)が往時の隆盛振りを示しています。
案内地図を片手に街道沿いに進み、途中数基の金比羅灯籠、中府の大鳥居や140丁石、150丁石を見学し天守閣の南側へ。
地図には丸亀高校と記載されていましたので立ち寄って、名門丸亀高校の生徒と立ち話をし正門へ。
勤務時代、この高校出身の上司には大変お世話になったことを思い出しながら、丸亀城へ。
内堀には、黒鳥と白鳥がそれぞれ番で優雅に餌をついばんでいます。
近寄ってみますと、石垣が見事です。
三層の石垣の上に櫓と思われるくらい可愛い天守閣が望めます。
4月1日より桜祭りが開催されているのですが、ほとんどがつぼみ膨らむと言った感じで、たまに数輪咲いているのを見かけます。
天守閣まで登ろうとしたのですが、勾配のきついこと。
相棒を誘いますが「先に上ってください、ゆっくり行きます」と。
少し体調を崩していたようでお昼ご飯も食べていない身では大変だろうと無理強いはしませんでした。
見返り坂と呼ばれる坂を上りますと三の丸北側の打ち込みハギで積まれた美しい石垣に出会います。
特に隅角部の石垣は、算木積みされた美しい曲線美で「扇の勾配」と呼ばれています。
三の丸に着いて後ろを見ますと相棒は石垣に沿って上ってきています。
二の丸に着いて驚きました。
桜が数本満開です。
寒緋桜と早咲きの桜だそうです。
三の丸まで戻って相棒に「桜が咲いている、もうちょっと上ったら」と声をかけ、そこから私は天守閣へ。
受付のおじさんのご説明で、慶長2年(1597年)高松城を居城とする生駒氏が丸亀城の築城を開始。
一国一城令により廃城とされたが、讃岐が二分され山崎氏が再築。
その後、京極高和氏が播州龍野から転封、万冶3年(1660年)城を完成。
三層3階の現存木造天守閣で現存する城の中で最も小さい天守閣だそうです。
天守内の階段も急で降りるときには手すりを持ってやっと降りられました。
大手一の門、大手二の門を通って城外へ出ました。
そこからの眺めが一番素晴らしいと聞いていましたので、振り返りますと、三層の石垣の上に聳える天守閣は本当に美しく、来て良かったと思えました。
城址は国の史跡に、天守閣と大手門は重文に指定されています。
坂出に戻って宿のバスで宿のある五色台へ。
途中下車して四国八十八カ寺の第81番札所白峯寺へ。
以前お参りをしたのですが、明確な記憶がありません。
桜の代わりにイワザクラが満開でピンクの可愛い花が疲れを癒してくれました。
宿まで徒歩15分程度。
夕食まで一眠り。
瀬戸大橋の向こうに沈みゆく夕陽は素晴らしく、水平線近くの雲で沈む瞬間を見られなかったのは残念でした。
温泉に入って疲れを取りましたが、その頃から私もムカムカしだし、夕食は私は軽くしかとれずアルコールは抜き、相棒はほとんど食べられませんでした。
明日は雨との予報でしたので、今日の内に行きたい所だけは行きました。
宿で頂いた正露丸を飲んで眠るだけ。
バタンキュウ。よく眠りました。
まだ腹具合はよくありませんが、朝食は二人ともお粥を頂けました。
暦で本日は清明にもかかわらず天気予報は大荒れ、強風で瀬戸大橋が不通になっても困りますので、9時宿舎発帰路に。
列車の連絡がよく、1時13分には大阪着の予定。
途中の御着駅で強風のため16分ほど待機。結局20分遅れで大阪着。
自宅に着いてしばらくしますと外は大雨と強風、ニュースでは瀬戸大橋が止まっていると伝えています。
(写真右は丸亀名産の団扇です)
もともと3日は雨を覚悟していましたが散々な旅行でした。
行きたい所には行きましたし、望外にも丸亀城では桜も見ることが出来、又結果的に早く帰ってくることも出来満足することにしたいと思っています。
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2012年4月3日 15時00分
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史跡 /
青春切符 |
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昨夕、キッズプラザからの帰途大阪府庁へ。
大阪府庁玄関前で相棒と待ち合わせの積りが入場が早まり、居ませんので直接5階の正庁の間へ、部屋の中に姿が見えません、携帯が鳴り「どこですか?」「正庁の間」「一番前に席を取っています」と、私を迎えに1階まで降りていて行き違いになったようです。
奉安所の前に座席は100席。
本日は、夜間公開と共に能が演じられます。
18時30分、立見席が出るほどの観客の前で能楽師山本章弘氏(重要無形文化財保持者・山本能楽堂)が能についての簡単な説明とPR、次いで本日の演目「高砂」の解説と謡の指導を受け、私達も謡いました。
山本さんのお話は以前にもお聞きしたことがあり、能について例え話を取り入れたわかりやすい解説と素晴らしい声(当然ですが)での実技指導は楽しいものでした。
山本さん他2名が高砂の地謡方を務められ、邯鄲男の面をつけた住吉明神が舞います。
いつもは舞台の上ですので少し離れた場所で見る豪華な衣装が本日は手を伸ばせば届く程の近くで見ることが出来ました。
終演後、窓の外にはライトアップされた天守閣が望めました。
夜間に府庁を訪れることはありません、照明のついた玄関の間(写真右)も趣があり、政庁の間の天井ステンドガラスも歩道から見上げますと美しく見ることが出来ました。
本日の催しは、大阪府庁本館活用事業「ひょうたんから独楽劇場」の一つとして行われました。
「ひょうたんから独楽劇場」
都道府県庁舎として最も古いことから、歴史的、文化的価値が高いといわれている大阪府庁舎を、芸術文化活動の発表の場として提供して開かれた庁舎として親しまれるよう、また府民の芸術文化活動がより充実することを願って開催されています。
今後共、このような催しが継続して開催されることを願いつつ帰りました。
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2012年3月31日 08時20分
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催事 |
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昨夜、相棒から「映画に行きましょう」とのお誘い。
「何の映画?」に「サッチャー」との返事。
珍しく上映時間とバスの時間を検索してくれ、明日8時過ぎに家を出ることに。
難波、東宝シネマにて鑑賞。
ビルの前には、映画鑑賞の方たちの短い行列が出来ています。
17番の番号札を持って8階へ。
証明書を出すまでもなくシルバー料金、4〜5人が場内へ。
真っ赤な椅子はとても座り心地が良く、眠ってしまうのではないかと心配になります。
先日この劇場で映画を見て座り心地の良さを経験済みの相棒、私にも経験させたかったようです。
映画は、引退後夫の遺品整理を進める生活の中での回想シーンといった設定で進んでいき、女性で始めての首相の苦労と共に、困難な問題に果断に立ち向かっていくサッチャー首相を描いています。
映画の台詞の中で、父親から教わった一つの言葉が印象に残りました。
「考えは言葉になり、言動は行動を生み、行動は習慣となる。そして、習慣は人格を生み人格はその人の運命となる」
父親は信念の人だったようで、それを自らの人生の軸として、彼女は真っ直ぐに妥協せずに生き抜いたようです。
現在は認知症を患っておられるようですが、お幸せに過ごされますよう祈っています。
日本の政治家に彼女くらいの信念を持っている人がどれだけいるのでしょうか。とつい考えてしまいました。
前回映画館に行ったのが何時か思い出せません。
大画面での映画鑑賞は迫力があり、場内も清潔で椅子も素晴らしく、料金も安くなっていますので映画館に足を運ばなければと思って帰りました。
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2012年3月28日 12時41分
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催事 |
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本日は気温10度、風も強く一向に春が来たと感じられません。
相棒は花粉症に苦しんでいます。お見舞いに大阪城の一番桜を撮ってこようと出掛けました。
 
NHK前の入り口から城内へ、東に100mくらい行った右手、堀の向かいには六番櫓が見える場所に「緋寒桜(別名寒緋桜)」が咲いていました。
各枝先には20輪以上の濃いピンクの花が重く垂れ下がって咲いています。
大阪城には多くの桜がありますが、毎年この桜が一番先に咲くようです。
今日は寒さがまだ残っていますが、季節は間違いなく春に向かっています。もう少しの我慢です。
この花の近くの染井吉野のつぼみも薄緑色に膨らんでいます。
大阪の開花は31日、満開は4月7日ごろと伝えられており、明日以降気温も上がりそうですので、もう一週間もすれば城内は花見客であふれるのでしょう。
2月上旬に沖縄で「桜が満開」との情報が流れるときの桜はこの花です。
我が家のベランダに来るヒヨドリは最近番(ツガイ)でやってきます。
最初に少し大きめの雄(?)がひとかけら食べた後ひとかけらくわえて行き、横で待っていた雌(?)が次にひとかけら持っていきます。
どこかに雛がいるのでしょうか。
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2012年3月26日 16時04分
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風景 |
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昨日は高大同窓会第4班の下見に同行して福原京跡地を訪ねました。
三宮から五ノ宮バス停へ移動。
いにしえより有馬や播磨への道等南北、東西に道が交差する交通の要衝であった平野の町を当地ご出身のボランティアガイドさんのご案内で巡りました。
午前中は、円池遺構、六道の辻、勝海舟寓居跡(写真右玄関)、祇園神社、雪見御所跡(清盛山荘)、荒田八幡神社(平頼盛山荘跡)、楠荒田遺跡等を巡り、JR神戸駅にて遅めの昼食。
午後からは、地下鉄で中央市場前へ移動して、来迎寺(築島寺)、能福寺、兵庫住吉神社(清盛塚十三重塔と清盛像・写真左)、真光寺(一遍上人廟)と大輪田泊があったと思われる地を見学。
その後、喫茶店で本番の日取り、コース等検討されました。
本番では行かないであろう能福寺の「兵庫大仏」が印象に残りました。
能福寺境内には平相国廟(平清盛廟)・平清盛公墓処があり、平清盛が京都で荼毘にふされたとき、この寺の住職円実法眼が清盛の遺骨を持ち帰り寺領内に葬ったと伝えられています。
平家滅亡の後、能福寺は取り壊され灰塵に帰した。百余年後の弘安9年(1286年)時の執権北条貞時が平家を哀れみその近くに一基の石塔を建立したと寺の古文書に記載されています。
その石塔が、兵庫住吉神社の清盛塚十三重塔(県の重文)です。
兵庫大仏
兵庫大仏(胎蔵界大日如来像・毘慮舎那仏)は、日本三大仏の一つで、身丈(像高)11m、重量約60t、蓮台高3m、台座高4m、総高18mあります。
大仏座の下には永代祠堂があり、ここに安置されている十一面観世音菩薩立像は平安朝初期に作られた檜の一木造りで、滋賀県甲西町善水寺から請来したと伝えられ国の重要文化財に指定されています。
昭和19年第2次世界大戦の金属回収令で国に供出されましたが、大仏建立100年目の平成3年再建されました。金属回収の際、大仏の胎内に納められていた胎内仏は供出されることなく保存され、大仏が再建されたとき再び胎内に納められました。
平成3年5月9日に行われた2代目兵庫大仏の開眼法要には、比叡山天台座主を導師として、奈良東大寺の管長、鎌倉高徳院の管長らも臨席し盛大に行われました。2代目の大仏は神戸市の耐震基準によって設計されたため重心が低くなり初代の大仏とは少し面影が異なるそうです。
今年人気の平清盛縁の地を巡る機会をつくって頂き有難うございました。
本番もどうぞよろしくお願いします。
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2012年3月20日 19時09分
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世界遺産 |
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本日の司馬遼太郎記念館は小雨、むせるような満開の菜の花の香りに包まれた玄関。
開門直後から多くの来館者です。
今日も記念館の入り口のプリペットの枝に雄の「ジョウビタキ」が「ピッピッ」と甲高い声で鳴いていました。
一週間前にも同じ木の枝に来ており、プリペットの黒い実を食べに来ているようです。
ジョウビタキ
チベットから中国東北部、沿海州、バイカル湖周辺で繁殖し、非繁殖期は日本、中国南部、インドシナ半島北部で越冬する。
日本では冬鳥として全国に渡来する
体長は15cmくらいで、スズメを少し細身にした大きさ。
オスは頭上が白く、目の周りが黒いのが特徴で、メスは頭が淡褐色でオスとは簡単に見分けられる。
記念館の方のお話では、毎年10月頃から3月末頃まで記念館の木の実を目当てに来るそうです。
3週間ほど前、我が家のベランダの手すりにヒヨドリがきました。
それ以来、柑橘類を置いてやっています。
見ていますと、2〜3mほど離れたところに着地。
そこから用心深く周りを見渡してから、チョンチョンと餌のところに歩いて来ます。
そこでも周りを見渡してから食べ始めます。
昨年も同じような動作をしていましたが、そこでは食べずに餌をくわえて飛び立っていたのです。
昨年と同じ鳥だとすれば、この場所が安全だと思っているのでしょうか。
それに私と同じく好き嫌いがあるようで、デコポンは食べるのですが、八朔は食べません。
今朝は、ヒヨドリの鳴き声で起こされ、朝食を摂っているとき窓の外にヒヨドリがやってくるのが春先の我が家の楽しみの一つになってきました。
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2012年3月18日 17時33分
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司馬遼太郎記念館 /
鳥 |
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昨日は、「第11回 ITあわじ会議」に参加するため淡路夢舞台国際会議場に行って来ました。
今回のテーマは「新しい時代を創造するエネルギー・テクノロジー」と題して、進化するエネルギー技術が新しい時代を切り拓くものであり、社会全体としてエネルギー・テクノロジーにいかに取り組むべきか、産学官が会して意見交換されました。
貝原兵庫県知事の挨拶、原丈人氏の趣旨説明の後、
基調講演
湯原哲夫氏「福島前と後の原子力技術の潮流と中国のエネルギー事情」
海外特別講演
イスラム・シャリフ氏「バングラデシュにおける再生可能エネルギーの将来」。
企業プレゼンテーション
東芝、日本計画機構、三菱化学、立命館大学、コクヨの方々から、地熱、バイオマス、太陽光、トリウム溶融塩炉等の最新の再生可能エネルギー事情と災害時の緊急連絡システムに付いて説明されました。
世界のエネルギーの流れは、原子力中心で動いていますが、日本では脱原発が進み代替エネルギーの開発が急がれます。
現在の日本の石炭による火力発電は、有害排出物が極めて少なく世界一クリーンであること(電源開発の磯子火力発電所)や日本の高層ビルの内、10階建てビル1万棟の窓ガラスに太陽光発電を取り付ければ原子力発電6基分に相当することなどが判りました。
日本は、現在所有している地熱発電や火力発電の優れた技術や現在開発中のバイオマスによる水素エネルギーやトリウム溶融塩炉による安全な原子炉、日本近海に埋まっているメタンハイドレードの早期の開発等の技術を、国内でもっと活用するとともに輸出することにも、国を挙げて取り組む必要性を感じました。
会議の始まる前を利用して、相棒とともに、国際会議場近くの「奇跡の星の植物館」へ。
温室の中では、サボテン、洋ランを始めとする色とりどりな花々を鑑賞するとともに、それらの花を日本の庭に取り入れても違和感無く溶け込んでいる様子を体験しました。
会議が終わったのは18時を過ぎており、観覧車や明石海峡大橋には灯りが入っていました。
各部門の第一線で活躍されている方々のお話を拝聴することが出来非常に有意義な一日でした。有難うございました。
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2012年3月17日 07時40分
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風景 |
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昨日は、高大歴史考古学教室同窓会の班長会議で奈良へ。
近鉄奈良駅前の行基像前11時集合の14名でならまち西側の中街道を南下し墨の褐テ梅園の店先を見学(左写真は墨で作った人形)、その後河島英五氏縁の喫茶店で今年度の各班計画を発表。
昼食は、豆腐料理で評判の「こんどう」で満腹。
庭には日向水木が咲き出していました。
東向商店街の喫茶店で雑談後、「頭塔」を見学に。
猿沢池からならまちを散策し、名勝大乗院庭園に立ち寄って約1,5キロで頭塔の南西角に到着。
南側の入り口から入場。
大木に守られた高さ10mの小山が目の前に、未発掘部分です。
 
頭塔は、北側面全てと東西面の各北側半分が発掘調査、復元整備され、南側半分は未発掘の状態で保存公開するため、周囲に見学施設を設置してあります。
大正11年に国の史跡に指定。
発掘調査の結果、頭塔は一辺32mの石積基壇上に七段の階段状石積が築かれ、奇数段には石積上に瓦葺屋根が下段から五個所、三箇所、二箇所、最上段には一箇所施され、その中には石仏が配されており、最上段には五輪塔が建てられていました。(左写真は、パンフレットの北面からの写真)
石仏は、各面に11基ずつ総数44基の石仏が整然と配置されていたと考えられ、その内28基が確認され、25基の表面には浮彫や線彫で仏菩薩が刻まれています。
これらは、奈良時代後期の石仏として美術史上極めて貴重で、当初から露出していた13基は国の重文に指定。
この塔は、奈良時代の僧玄ム(?〜746年)の頭を埋めた墓との伝説があり、そこから頭塔と呼ばれているようです。
神護景雲元年(767年)、東大寺実忠が築いたと古文書の記録にあり、その役割は五重塔などと同じ仏舎利を納める仏塔と考えられています。
以前より、日本のピラミッドと呼ばれているここには来て見たかったので願いが叶いました。
又、これと同じような土塔が堺市土塔町にあり、機会を見つけて行って見たいと思っています。
見学後は、今年のお水取りの最後のお松明を見学に東大寺二月堂へ。
 
二月堂の下で待つ大勢の善男善女にまぎれて、10本の松明が回廊前面に揃うのを待ちます。
6時前二月堂回廊の灯籠に灯が入り、雰囲気を盛り上げます。
6時30分、最初の松明が上り、約10分で10本の松明全てが欄干上に揃いました。(右写真は、6本目の松明上堂)
天平勝宝四年(752年)から一度も止むことなく、連綿と今日に至るまで引き継がれ、1261回目の修二会(お水取り)の行事も無事終えようとしています。
やはり関西の春はお水取りが過ぎないと来ないと言われており、これで暖かくなるでしょう。
最後まで残った10名が奈良駅前で夕食を頂き解散。
本日も楽しい仲間との楽しい一時が過ごせて大満足。
皆さん、有難うございます。
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2012年3月15日 12時11分
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史跡 |
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昨日「第一回 東高津噺の会」が、町内会の東高津公園会館にて開催されました。
会館の1階の奥には、定式幕が張られその前には立派な高座が設えられています。
開演に先立ち、1年前の東日本大震災の犠牲者の皆様を悼んで2時46分、約30名ほどの観客がラジオの全国民に呼びかけられた黙祷の声に合わせて黙祷。
その後、本日のメイン林家市楼師匠が世話役のエースプラン社がこの町内に引っ越したのを機に、東高津町内会が会場を提供したことから「東高津噺の会」が始まったことを紹介。
本日の演者、演目は、
笑福亭呂竹 「たらちね」
林家市楼 「犬の目」
林家染弥 「やかんなめ」
林家市楼 「天狗裁き」
以上四席。
演者それぞれに持ち味を出したマクラのあとの熱演に会場内は笑いの渦。
この会場がこんなに笑いであふれたのは新設以来初めてのことだったでしょう。
トリを務めた林家市楼師匠が「この会の20回、30回と続くことを」との最後の締めに同意する参加者の熱い拍手で締め括られました。
Y町内会長さん達町内会の方々のご尽力で完成した東高津会館があるお陰で、このような素晴らしい、楽しい会が発足したことは本当に嬉しく、今後益々この会が盛り上がって継続されることを祈っています。
町内会の皆様お世話になり、有難うございました。
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2012年3月12日 16時13分
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東高津公園 |
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啓蟄も過ぎ、本日の気温予想16度に誘われ午後から大阪城梅園へ。
「歩いて行こう」と誘いましたら「OK」の回答。
上町筋沿いに咲き出した白い椿を愛で、約35分で梅園着。
この椿は10センチ位ある立派な椿で毎年見事に咲いています。
曇天で風も少しありましたが、着く頃にはうっすらと汗ばみ気持ちよいウオーキングでした。
遠くからも梅園が赤く染まりだしているのが望めます。
 
入り口右の南高(白梅)は咲き出したところですが、左の「鹿児島紅」(紅梅)は満開です。
甘い香りの漂う園内は、私達と同じく「本日は暖かく梅も咲き出しているだろう」との考えの方たちや例によって中国からの観光客も多く訪れておられ賑わっていました。
全体には六分から七分咲き、枝垂れ梅も一部咲いており、来場者の眼を楽しませてくれています。
陽射しも出てきた園内のベンチで、持参の3時のおやつを頂き帰途に。
見頃は、今週末くらいではないかと思います。
帰りにNHKに寄りましたが、「カーネーション」のセットは片付けの最中で、その周りには若い女性が列を成しています。
「あほやねん、すきやねん」の公開録画に集まった女性たちでした。
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2012年3月6日 16時07分
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風景 |
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昨日は、高大歴史考古学教室同窓会の第3回総会が道明寺で開催されました。
近鉄阿部野橋駅に17名(当日失念者2名)が9時30分集合。
まず、藤井寺駅下車。
駅前にあった元近鉄バッファローズのフランチャイズ藤井寺球場は無く、四天王寺学園に変わっています。
近鉄パールズ時代からの近鉄ファンであった亡き父とこの球場を訪れて一緒に応援したことや巨人ファンの私に「強いところを応援してどうする、弱いとこ応援せんかい」とよく言い、ラジオに釘付けになっていたのを思い出しました。
小降りの中、徒歩10分ほどの佐藤家着。
30年ほど前から一般に無料公開されている当家所蔵の雛人形を見学。
玄関には桃の花が生けられて我々を出迎えてくれています。
木造2階建ての豪邸を利用した雛人形の飾りつけ、全部で何体の雛人形があるのか数え切れません。
所蔵の一部は貸し出されているそうです。
 
御殿雛、享保雛を始め歴史ある蒐集品が、整然と並び飾られた素晴らしい人形に圧倒されます。
又、人形の周りには当時の子供達が手にして遊んだであろう小物類のおもちゃも置かれ、人形達を引き立てています。
見学後、道明寺駅へ移動。
菅原道真の別名道明から名付けられた道明寺から天満宮へ。
この場所は昭和40年の中頃、当時の家族4人で歩いて遊びに来た懐かしい記憶があります。
それぞれにお参りの後、咲き始めの梅を見学して昼食場所へ。
総会の後懇親会。
今期の役員の再任も満場一致、恒例の班編成も決まり、今年度の各班の企画に期待が高まります。
引き続きのN会長、I事務局長、M会計、Y監査役さん、引き続きのお世話役よろしくお願い致します。
又、各班長さんも楽しい企画をお願い致します。
早いもので新しい仲間とのお付き合いが始まって4年が経過、素晴らしいメンバーに恵まれ本当に充実した楽しい時が過ごせています。
皆様有難うございます。今後共どうぞよろしくお願い致します。
我が家では、昔の仲間に頂いた小ぶりの雛人形が長女のひな飾りに変わって飾られています。
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2012年3月3日 07時50分
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高齢者大学 |
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昨日は、パソコン講座「ワード編」を受講。
私のパソコンはWindowsXPと旧いのですが、今回の講座はWindowsSevenでのワードですので受講しました。
講師は、奈良女子大学社会連携室の藤野千代特任教授。
写真左藤野先生手作りのテキスト
受講者はメール、インターネット経験者を対象としたものでしたので、午前9時から16時まで、ざっくばらんな授業で大変楽しくスムースに進みました。
又、ワードで簡単なエクセルも利用できることも教わりました。
最近の生徒にもこんな感じで冗談を交えた飽きさせない授業を展開されているのでしょう。
相棒も女性の先生で楽しかったようです。
授業の中で写真の貼り付けがあり、使った写真の一つに当大学前身の奈良女子高等師範学校創設当時の校舎がありましたので、早速お昼休みに見学に行きました。
写真下左本館正面・写真下右本館背面
 
奈良女子高等師範学校は明治41年に設置され、旧本館は明治42年10月、守衛室は同年12月に竣工したもので学校創設以来の建物で、当時の官立高等師範学校の施設であり学校建築の歴史を知るうえで重要な建築物として、平成6年12月に重要文化財に指定されている。
旧本館は、木造2階建てで、1階正面中央に玄関ポーチが付き、内部は1階中央に廊下が通り両側に校長室、応接室などの部屋があり、2階は講堂として使用していた。
守衛室は十字形平面の鉄板葺の建物で屋根の棟飾りや窓廻りを本館と類似した意匠でまとめている。
正門は中央の両開扉と両脇の片開扉で構成され門柱や上部の照明器具の意匠に配慮がはらわれている。
その校舎と正面玄関、守衛室を含めて重要文化財に指定されています。
大変風格を感じさせる木造建築物で、ここを巣立って日本の教育界に貢献をした多くの女性の先生がいたことを、ひょっとしたら私の担任の先生もこの学校の卒業生であったのかも、と思いながら帰りました。
うるう年のお陰で例年より一日多いこの日、楽しい講座や歴史的建造物にも出会え、大変実り多い一日でした。
藤野先生有難うございました。
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2012年3月1日 12時37分
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史跡 |
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予想気温8度ですが、風も無く太陽も顔を出していますので、そんなに寒く感じません。
相棒のお供で鶴見緑地公園へ。
温室の中は暖かく、花々が咲き乱れています。
熱帯植物コーナーでアフリカ東海岸のセイシェル諸島から来た陸亀の仲間「アルダブラゾウガメ」がお出迎え。
4歳で甲羅は40cm位ですが、まだ赤ちゃんだそうです。
成長すると1mを超え、100歳位まで生きるそうです。
カラフルな洋ラン、珍しい花々を見学。
「ヒスイカズラ」のつぼみが随分大きくなっていました。
  
「トックリヤシ」の前では、「この中にお酒を入れれば沢山入るだろうな」と、今回も思いました。
高山植物コーナーでは、袋状の唇弁を馬上の熊谷直実が背負った母衣(ほろ)にたとえて名前が付けられた「台湾クマガイソウ」が満開。
以前、浦和の農家の庭に植わっていたクマガイソウに比し小振りでした。
この園の目玉の一つ「青いケシ」が温度調節の不具合でなくなっていたのは残念でした。
花を見終わった後、「風車の方へ行って見ましょう」と相棒。
風車前の畑にはチュウリップが芽を出しています。
何千、何万の球根が植えられているのか判りませんが、咲きそろったときには本当に見事です。
風車の付近を歩いていますと、「オオイヌノフグリ」「タンポポ」それに「ユキヤナギ」がそれぞれ可愛い花をつけています。
今年の冬は例年に比べて寒かったように感じましたが、その冬ももうすぐ終わり、春は間近まで来ているようです。
  
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2012年2月28日 14時29分
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風景 |
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柿の木のオーナーになりました。
「山の辺の道地域づくり協議会」(事務局・奈良県農林部農村振興課)の企画「柿の木オーナー」に応募し、本日「第一回柿の木オーナーの集い」に参加。
 
7時20分自宅出発、JR桜井線長柄駅から曇天、寒風の中東へ徒歩10分のJAならけん朝和支店に到着8時45分。
そこから東へ、「刀根早生柿発祥の地の碑」を見、山の辺の道を横切り少し行きますと、左右は柿木の畑が続きます。
徒歩10分で私達の「萱生 柿オーナー園」着。
今回の申し込みは24組、本日の参加者は47名。
畑前の道で世話役の奈良県の職員さん、柿の木の剪定等をご指導頂く柿の木のプロ、この地域特産の刀根柿を昭和55年に発見された刀根氏等の挨拶、紹介の後、柿の木の抽選会。
最初にくじを引く順番を決めるくじ引き。
相棒が引いたのは23番のブービー。
次に、柿木を決めるくじ引き。
最後から2番目に引いた相棒の番号は、1番。
くじ運が悪いと言っていた相棒もニッコリ。
皆さん自己紹介後引いた番号を発表。
選定作業に入る前に、柿の木のプロから選定方法を教わり、各自剪定と木の幹についた害虫の駆除を行ないます。
駆除前の木の写真左
ほぼ15haのこの畑には、「刀根早生」と「平核無」(富有を含めて日本三大柿)の二種が植えられて25〜40年経過し、栽培されなくなってから3年以上経っています。
1年前に調べたところ、まだ枯れてはおらず改造可能と判断し手入れが始められた。
昨年は実をならせることを最優先、春から秋まで枝を管理し、予想以上の収穫があったそうです。
収穫後は、側枝を整理し、樹形の改造と着果優先の樹つくりを実施して本日を迎えました。
それぞれ自分の柿の木の剪定、害虫駆除に取り掛かります。
私達の木の樹形はとてもきれいで、教わったとおりに仕上がっていました。
プロに聞きましたら「この木の剪定は済んでいます」とのことでしたので、幹の表面をのこぎりの背で擦り落とし、冬眠中の害虫を駆除し肥料を木の周りに埋め込み作業終了。
駆除後の木の写真右(白くきれいになっています)
プロの「果物の餌は太陽」の言葉通り、どの木の枝も太陽を一杯に浴びられるようきれいに剪定されています。
最後に、柿畑とその後方の生駒山、二上山等が望める一段高い畑に上って記念撮影。(遠くの高い山が生駒山)
今後私達は、2〜3回来て剪定や除草、摘果等の作業を行い、日常の管理は地元の専門家が見てくださいます。
この柿は、渋柿ですので収穫時には渋抜きの方法も教えて頂けるそうです。
一本の木には、100〜200個ほどの実がなるそうですので、秋の収穫を楽しみにし、途中、農家の倉庫で八朔を買って帰りました。
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2012年2月26日 14時30分
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樹木と催事 |
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昨日は、神戸市民クルーズで神戸港沖トワイライトクルーズに参加。
初詣以来の神戸訪問です。
阪神電車元町駅から以前勤務していた横を通ってメリケンパークのオリエンタルホテル内乗船場へ。
ホテルの横には本日乗船の「ルミナス神戸2」の真っ白な船体が停泊しています。
 
「ルミナス神戸2」は、全長106m、総トン数4,778トン、旅客定員1,000名で航海速力は18ノット。
初代ルミナス神戸を引き継ぎ1994年に新造船ルミナス神戸2として就航。船内は1930年代、客船の黄金時代を彩ったフランスの豪華客船ノルマンディ号をイメージして造られ、大阪湾、神戸空港沖、明石海峡をクルージングしています。
国内レストラン船としては最大。
曇り空の中一般乗客に次いで乗船、次第に暮れて行く窓外を眺めているうちに16時出航。
本日のコースは、神戸港からポートアイランド沖の神戸空港あたりから西へ、明石大橋の手前で折り返します。
出航後まもなく、ピアノ演奏開始。
司会者に紹介された演奏者は、何れも身体に障害を持つ兵庫県出身の20〜25歳の若い男性3名。
聴覚障害を持つT氏の演奏を皮切りに、ダウン症で右手首より先を欠損のS氏が各1曲、最後は視覚障害ですが絶対音感を持つF氏が4曲。
何れもクラシックからタンゴまで、とても障害を持つ奏者とは思えない演奏に聴衆からは感激の拍手が長く続き、とても良いピアノ演奏会でした。
本日の瀬戸内海は波も穏やかで揺れもほとんど感じず、エンジン音の低く響く中での演奏会も無事終了。
客船は折り返しに入っており、モザイクの街の観覧車にも灯りが入り、遠くには六甲の山並みが黒く見えます。
船から見る神戸の街並みに吸い込まれるように接岸。
90分のクルージングを終えました。
下船後、旧居留地内をブラブラしながら三宮へ。
夕食をとって帰宅。
豪華客船でのピアノ演奏会を経験できた相棒も満足でしたでしょう。
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2012年2月23日 09時17分
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催事 |
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司馬遼太郎記念館の庭には、野鳥がよく来ます。
先生のお好きだった雑木林のイメージでつくられた庭のシイ、クヌギ、クス、カエデ、ケヤキ、シラカシ等の樹木は、野鳥にとって餌となる実も多く、絶好の羽を休める場でもあるのでしょう。
ヒヨドリ、メジロ、ウグイス等のほか、名前の判らない鳥が多く来ています。
玄関のヤマモミジとヤマモモの枝に雀くらいの小さな鳥が、「ツィー、ツィー」と甲高く鳴いていました。
帰ってから撮った写真を調べてみますと、特徴の胸元の黒く太いネクタイが写っており、「シジュウカラ」と判明。
シジュウカラ
スズメ目、シジュウカラ科。
日本、東アジア、ロシア極東の森林、湿原や市街地に生息し、通常渡りは行わない。
全長は15センチ前後のスズメ大、色は灰色や黒褐色で喉から尾羽基部にかけて黒い縦縞が入る。
オスはその縦縞がより太い。
雑食で果実、種子、昆虫を食べる。
日本では、4〜7月に7〜10個の卵を産みメスのみが抱卵し、2週間位で孵化してから20日位で巣立ちする。
シジュウカラ(四十雀)の名前は、たくさんで群れるからという説、スズメ40羽に対し、この鳥1羽という交換条件から名付けられたとの説もある。
昨日、また一つ齢を重ねました。
朝食は赤飯が用意され、「お誕生日おめでとう」の相棒の声で一日が始まり、堺東の歴史講座を受講、夕食は太刀魚のお刺身で祝杯を挙げました。
就寝後寝返りを打った途端、胃が締め付けられるような感じがして戻しそうになりました。
そのうちお腹周りが痒くなりだし、とても寝ていられません。
人生二度目のジンマシンでした。
急病診療所にて薬を頂き服用、効果てきめん。
本日の司馬遼太郎記念館も休むことなく無事勤められましたが、体力低下を実感させられた誕生日となりました。
1週間前に頂いた菜の花が我が家で満開を迎えています。
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2012年2月19日 17時17分
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鳥 /
司馬遼太郎記念館 |
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この冬も風邪をひいてしまい、3日間寝込みました。
昨朝やっと治りかけてきましたので、司馬遼太郎記念館に出掛けました。
2月12日は、司馬遼太郎先生の命日です。
先生のお好きだった黄色い花(タンポポ、菜の花)と作品に「菜の花の沖」があることと、その時期には早咲き種の菜の花も咲き出すことから命日を「菜の花忌」と名付けられています。
その後、平成14年ごろから記念館を菜の花で飾ろう、又、その運動が記念館の周辺の住民、事業所、学校へと輪が広がってきており、現在では二つの最寄り駅から記念館までの道路沿いが菜の花で飾られています。
今年の寒さは例年以上のため、開花が少し遅れていますが寒い中で頑張って咲いている菜の花を見ますと元気が出てきます。
午前中の活動を終え、14時からの上村洋行館長のトークを聞いて帰りました。
トークでは、記念館建設に際し安藤忠雄氏との出会いで『司馬とは本やなぁー』と聞いて設計をお願いしたこと、最近見つかった「飛ぶが如く」の創作メモの中には、東郷平八郎に関するメモが書かれていたことから、一つの作品に関する調べものをしながら、別の作品が頭の中にあり、頭の中には独自の歴史年表が刻まれていたのでしょうとのことでした。
又、上村館長のお姉さんが司馬遼太郎先生の奥様で、小学校6年生の時に「絵を描いたろか」と言って描いてもらった絵に込められた『作家として自立する』との思いがあったのではとのお話も聞かせて頂きました。
帰宅後、頂いた菜の花を飾りました。
花の周りには春が来たように感じられ、とても良い気分に浸れました。
今年のシンポジュームは、2月18日に日比谷公会堂にて開催されます。
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2012年2月13日 08時15分
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司馬遼太郎記念館 |
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一昨日は節分、昨日は立春。
節分と聞いても、「まだまだ寒い」と思うのですが、立春と聞くと一日違いなのに「春近し」と感じるのは不思議です。
昼から大阪城の梅園に行こうと相棒を誘い、司馬遼太郎記念館からの帰り道に寄って来ました。
 
梅園手前の坂(雁木坂)の上の冬桜にもピンクの可愛い花が咲いています。
梅園前の堀には、鴨が元気よく泳いでいます。
本日は、2,3日前の寒さほどではなく、多くの梅見客がカメラ片手に来られています。
「市正曲輪(いちのかみくるわ)」
大阪城梅園の地は、豊臣秀頼の後見人として重要な地位を占めた片桐市正且元の屋敷があったと伝えることから「市正曲輪(いちのかみくるわ)」と呼ばれた。
ここには江戸時代、雁木坂にそって青屋口加番、中小屋加番、雁木坂加番の3つの加番小屋が北から並んでいた。
加番とは城内警備に当たる大番という役職の助勢のため設置された役職で、一の加番から四の加番まで四名が城内の加番小屋に家来とともに寝泊りし一年間の任期を勤めた。
山里丸にあった一の加番のランクが最も高く、二〜四の加番あたりになると一〜二万石級の大名が任命されていた。
梅園では、早咲き種の「寒紅」「冬至」が紅白の花を開いています。
又、黄色の蝋梅も満開を過ぎたところで、足元の水仙とともに来園者の眼を楽しませてくれています。
全体の咲き具合は、1〜2分咲きくらいで、市正曲輪(梅園)全体がピンクに染まるまでには、いま少し日日がかかるでしょう。
今年は、現在まで風邪をひくことなく過ごしてきています。
「春は名のみの 風の寒さや・・・・」早春賦の歌詞どおり立春とはいえ寒さはまだ続きそうです。
関西では、やはりお水取りが過ぎるまで春は来ないようで、あと1ヶ月くらい風邪に負けないよう用心をしたいものです。
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2012年2月5日 14時54分
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史跡 |
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今年もあっという間に1ヶ月経過、重ね正月(2月1日のこと)を迎えました。
球春到来と新聞紙上では騒いでいますが、寒さはまだまだです。
大阪市立中央高校からの帰り道大阪府庁に寄って来ました。
本館5階の大広間「政庁の間」が完成当時の姿に復元され一般公開されています。
 
6階まで吹き抜けの部屋に入りますと、緑と赤を基調とした明るい天井のステンドガラスが目に入り、部屋中を見渡しますと東側の縦長の窓の上部のステンドガラスと重厚なカーテン、西側には奉安所(写真右)が設えられています。
周りの柱や壁の上部と天井の鷲、獅子、天使、花等のレリーフやシャンデリア、寄木貼りの床が一層の重厚感を演出しています。
又、壁面には小磯良平、田村孝之介達の当時の大阪の風景画が展示されています。
大阪府庁本館は、大正15年竣工しモダニズム建築のさきがけとなるデザインですが、この政庁の間は年末年始の行事や人事発令、式典などに使用されてきた特別な部屋です。
20年ほど前、庁舎が手狭になったため執務室に転用され、内装の劣化も進んでいたことから、竣工当時に近い姿に復元改修されました。
ステンドガラスは、米国ココモ社製のキャセドラルガラス(単色透明)オパールセントガラス(乳白色と他の色が混ざり合った模様)で、現在では入手できない貴重なものもあります。
中心部の模様は、大阪城の石垣と堀を意識した幾何学形の中心に満開の花が据えられ、大阪の明るい未来と発展を願う心意気を感じるデザインとなっているようです。
一般公開は、毎週水、金曜日の10時から5時までです。
2階回廊には、司馬遼太郎作品の挿絵画家として活躍された、須田剋太氏の作品が展示されています。
常設ですが、展示作品は時々入れ替わっています。
現在は「街道をゆく」の挿絵原画展示中。
(写真右山口瑠璃光寺)
大阪府本館を美術館にとの考えがあるようですが、是非実現していただき、我々府民が眼にする機会の無い大阪府所蔵の絵画を展示して頂きたいと思います。
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2012年2月1日 17時25分
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史跡 |
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司馬遼太郎記念館では2月12日の命日「菜の花忌」を前に、菜の花の飾りつけが昨日は記念館内部、本日は最寄駅の近鉄八戸ノ里駅と河内小阪駅から記念館までの道筋で行われました。
ご本人は菜の花がお好きで書斎前の土管で菜の花を育てられ、作品に「菜の花の沖」のあることから命日を「菜の花忌」と呼んでいます。
平成14年から記念館を菜の花で飾ろうと始まったこの運動も、輪が広がり地元の学校、事業所等多くの方たちが菜の花栽培や飾りつけのボランティアに参加されています。
皆さんの育てて頂いた菜の花の一部は咲いていますが、ほとんどがつぼみをつけてきたところですので、これからが楽しみです。
ただし、今年も指宿市民のみなさんから満開の菜の花が届けられていますので、記念館は菜の花一杯で黄色い花の元気が出る効果で寒さも吹き飛ばせるような心持でした。
毎年東京、大阪の交互に開催されています「菜の花忌・シンポジューム」の催しは、今年は東京、日比谷公会堂で「3・11後のこの国のかたち」のテーマで2月18日(土)に開催されます。
大阪では、2月12日(日)に記念館にて上村館長の「館長トーク」(2時より・菜の花や司馬遼太郎についてのお話・入館料のみ)が開催され、当日来館者には菜の花のプレゼントもあります。
寒い時期ですが、記念館に行こうと思っておられる方にはこの日がお勧めです。
玄関前から庭、記念館の回廊、特に書斎前の満開の菜の花は、生前奥の書斎で執筆に励んでおられた先生の気持ちを和ませていたことだろうと想像し、この寒さももう少しの辛抱、春は近いのではと思いながら帰途に。
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2012年1月29日 14時07分
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司馬遼太郎記念館 |
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「生命の貯蓄体操」を体験してきました。
今回男性向けに講習会が開催されることとなり、数年前より通っている相棒から声をかけられ行ってみました。
会場は地下鉄喜連瓜破駅すぐのクレオ大阪南。
参加者は85歳から50歳代の11名。
講師は、同体操のなにわ支部からT副理事とFさんの女性2名。
いずれも20年以上の経験を持ち、いかにも敏捷そうなスマートな体型で若々しく、この体操の効果が見ただけで判りました。
私はこの体操をやっていませんが、この体操の効果の一つを実感しています。
相棒がこの体操を始めるまでは、よく肩がこり「肩がこった」と聞くたびに私がもんでほぐしていましたが、この体操を始めて以来、肩こりを言うことが無く私の肩もみの出番がなくなったのです。
講習会は、正座しての挨拶の後、丹田呼吸から始まり、骨盤を中心に脊椎等主要骨格のゆがみを調整する「要(かなめ)の操法」(写真左)、五臓に気血の巡りを良くする運動の「五導術」の一部を体験。
何れも講師お二人が見本を見せて頂きますが、その体の柔らかさには驚くばかりです。
最初の正座も困難で、始まってすぐ全員が自分の体の硬さを痛感。
しかし、それぞれの体操をしていくうちに徐々に体がほぐれ最後の正座はそんなに抵抗無く出来ていました。
参加者からは始まった時とは違って体が柔らかくなっているとの声が上がり、この体操の効果を実感した人が多かったようでした。
私は20年ほど前に我流で真向法を始めたことがありましたが、その時は一気に進め膝を痛めたことがあり、今回も講師から体を伸ばすのは『「一日一ミリ」そして元へ戻らないように毎日続けることが大切』との言葉を思いながら終了。
参加者より続けたいとの声も上がっていましたので、再度今回のような催しを開催されるようです。
私は目下のところ多忙でこの体操を続けられませんが、これを機会に、この健康運動に男性が多く参加されれば男性も女性並みの長生きになるのではと思いました。
本日は有難うございました。
体も温まっての帰り道、陽だまりの中で体操をすれば温かくなることを知らない鳩が20数羽丸くなって寒さを防いでいました。
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2012年1月24日 20時26分
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催事 |
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昨日は大寒。
万物を凍らせると言われるほど厳しい寒さを迎えるので、このように呼ばれている日です。
その寒さの中、午前中は教育大の歴史講座、午後からは高大主催の「聖徳太子と四天王寺」の講演、夜は町内会の集まりに出掛け、寒さに負けない一日が過ごせました。
我が家玄関の扉へ、写真右のような表示をしています。
旅行等で家を空けている間、新聞がポストに差し込まれたまま留まっているのを防ぐために作成したものです。
先日義妹が来宅した際、この紙に書かれた表示を目にし、あまりの汚れぶりにあきれたのか、新しいもの(予備を含め2部)を作ってくれました。
作成に当たっては、息子さんにも手伝ってもらったそうですが、今までのものとは違って、厚紙で補強され且つ、カラフルで見やすく新聞配達の方にもきちんと差し入れて頂けることでしょう。
これで安心して旅行にも出掛けることができます。
手先が器用で芸術的センスに恵まれた彼女の作品のトールペイントや小物は我が家に多く置かれ活躍しています。
こちらご参照。
早速扉に取り付けました。
殺風景な玄関が少し華やいだ感じがします。
Cさん、Aさん、有難うございました。
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2012年1月22日 09時33分
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芸術家 |
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昨日は、大阪市立中央図書館にて大阪市音楽団サクソフォンカルテットによる「ファミリーコンサート」。
ソプラノ、アルト、テナー、バリトンの各サクソフォンにパーカッションを加えた演奏、「情熱大陸」カルメン組曲から「セギディーリャ・アルカラの竜騎兵・闘牛士の歌」、ディズニー映画の中での歌等13曲の演奏を、中でも、「琉球幻想曲」は沖縄の民謡が組み込まれた楽しい曲でした。
その後、元の勤務先の保養施設にて二人だけの新年会。
飲み過ぎないように気をつける積りでしたが、一本頼みましたのに二本運ばれて来たりで予定オーバー。
お陰でグッスリ、目覚めも快調。
小正月の今朝から出掛けた先で珍しいお菓子のお裾分けを頂きました。
琉球の「ちんすこう(金楚糕)」というお菓子です。
 
小麦粉、砂糖、ラードを原料とした焼き菓子で、名前の由来は、黄金色に輝き(金)、ほどけるような口当たり(楚)の焼き菓子(糕)から名付けられたそうです。
はじめて頂きましたが、食感はサクサクし、素朴なさっぱりした味付けで口当たりの良いお菓子でした。
昨日の「琉球幻想曲」に続いての琉球の銘菓、二度あることは三度あると言いますので、ひょっとしたらもう一度琉球に出会えるのではと思っています。
本日の司馬遼太郎記念館の帰り道、中小阪公園に面したお宅の庭で「匂い桜」こちらが咲いていました。
 
数年前に見つけて以来、毎年花の少ないこの時期に見ることが出来ます。
寒い中でピンク色の美しいこの花に出会いますとなんとなく嬉しくなります。
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2012年1月15日 17時33分
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催事 /
司馬遼太郎記念館 |
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昨夜パソコンに向かっている相棒に「奈良に戎神社がないか?」調べてもらいました。
「春日大社にありますよ」との返事。
調べますと春日神社の末社「佐良気(さらけ)神社」の御祭神が蛭子神であることが判りましたので行ってきました。
近鉄奈良駅から徒歩約2キロ。
角を切られた鹿が出迎えてくれる参道を行き春日大社本殿に到着。
右手方向に行けば十日えびすの貼り紙。
 
しばらく行きますと、福笹を希望者に配っている方がおられ、福娘8人が「おめでとうございます」の掛け声。
参拝者は少なく笑顔一杯の福娘も手持ち無沙汰の様子。
その先左手の小さな社の前に「佐良気神社・御祭神様蛭子神、御神徳福運の神様」の立て札。
その近くに「金龍神社」と「夫婦大黒社」が祀られていましたので、併せてお参りしてきました。
夫婦大黒社は、全国でもここだけと言うご夫婦の大黒様をお祭りしており、夫婦円満のご利益があるとのことでしたので、相棒とともに絵馬の一つのしゃもじに願い事を書いて奉納しました。
今回は、福の神、金銭の神、夫婦円満の神と随分欲張ったお参りとなりましたが、何とか神様には頑張って叶えて頂きたいものです。
本日のような参詣人の少ない中での十日えびす参りは始めてでしたが、神域である清浄な森の中にいると気持ちも張り詰めとても新鮮な気分で帰れました。
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2012年1月10日 16時43分
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新春と史跡 |
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高齢者大学歴史考古学教室同窓会仲間での初詣。
その年の干支にちなんだ地を訪れだして3年目、T氏の企画で双龍の天井画で名高い京都の臨済宗大本山「建仁寺」へ。
T氏は数日前の食中りで欠席、10時京阪電車祇園四条駅に、気持ちだけはこれから成人式と思っている元気な9名が集合。
 
本日は宵戎ですので、善男善女は建仁寺横の恵比須神社へ。
笹に縁起物を吊り下げる笹飾りを売っている店は少なく、目に付いたのは丸い笠の飾り物(写真上右)を売っている店でした。
「所代われば品変わる」を実感しました。
鳥居をくぐりしばらく行きますと人だかりが出来、中央にはちょんまげの男性に混じって芸者さんが数人。
宝恵かごでしょう。
拝殿前には最近の十日戎でよく見かける「冷凍マグロ」が供えられていました。
今年の福をお願いして建仁寺西門へ。
本坊入り口で写真の可否を尋ねたところ可とのこと。
方丈にて小泉淳作氏が建仁寺創建800年を記念し、2年の歳月を掛けて製作された「双龍」完成までの過程のビデオを鑑賞して法堂へ。
途中、海北友松筆の襖絵「雲龍図」(高精密デジタル複製)を見学。
法堂に入りますと、天井には巨大な双龍が向き合って描かれ、その大迫力に思わず「オッー」と声が出ました。
 
しばらく後、ご本尊の釈迦如来座像と脇侍の迦葉尊者、阿難尊者にお参りして撮影。
最後に、方丈へ戻り潮音庭(写真上右)や俵屋宗達画「風神雷神図屏風」(デジタル複製)を見学して昼食場所の伏見へ。
二階のテーブル席での昼食は、いつもの如く「ワイワイガヤガヤ」飲む人も飲まない人も大いに盛り上がりました。
ゆったりと楽しい時間を過ごし、伏見の町をブラブラ。
最後は、8名が京橋でティータイム。
企画頂いた主催者不在は寂しいものがありましたが、皆さん大満足でありました。
Tさん、ご参加の皆さん有難うございました。
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2012年1月9日 20時10分
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高齢者大学 |
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早七草も過ぎた今日、司馬遼太郎記念館へ行った帰り道、勤務時代の先輩N・H氏の入選作品を見に「第16回大阪を描こう展」の開催されている大阪市立美術館へ。
この寒空の中でしたが、天王寺公園は元気な親子連れが数組散歩を楽しんでいました。
美術館前の花壇では水仙が花をつけています。
会場の地下展覧会室へ。
一般応募された多くの作品の中から入選されたN・H氏の作品は、「路地(空堀)」と題され、私の子供の頃には大阪の町にはどこででも見かけられた路地の風景でしたが、現在では道路も街並みも整備され余り見かけなくなった懐かしい風景でした。
大阪の真ん中の空堀商店街の周辺は、そんな昔の風景の残る貴重なところで、そこに目をつけられたのでしょうか。
昨年に引き続きの入選ですので、もう一回入選されると会員に推挙されるとのことでした。
書道でも立派な腕前の持ち主であり、とても良いご趣味をお持ちでうらやましい限りですが、今後共精進を続けられ素晴らしい作品を残されますよう期待しております。
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2012年1月8日 14時51分
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芸術家 |
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昨日は「小寒」。
いよいよ寒の入り、寒さも本番です。
今日一日は、溜まったビデオ鑑賞と思って見ていましたが、窓の外は素晴らしい陽射し、午後から相棒を誘って阿倍野までウオーキングで「トリックアート展」へ。
途中、四天王寺に立ち寄りお参り。
大黒堂、六時堂(写真下左)、亀の池から普段余り訪れることの無い南大門へ。
赤、青の仁王さんが構える仁王門から五重塔、熊野神宮の遥拝石を見学。
南大門から、遥拝石・仁王門・五重塔(写真下右)。
 
西門を出て目的地の近鉄百貨店阿倍野店へ。
二階の「からくりの世界展」で六甲のオルゴール館から借り出された伝統的なオルゴールやからくり人形の実演を見学。
価格は外車一台から三台分(手紙を書くピエロ・写真左)もするそうです。
9階の「トリックアート展」へ。
平面に描かれているのに立体的に見える絵画には本当に驚かされます。
写真にとってもよいとのことですので、いくつかご覧下さい。
絵の前に寝転んだ子供はマンモスに踏み潰されそうですし、扉に入る人の大きさは手前から奥に大きさが違うように見えますが、実は同じ大きさに描かれた人(絵の左下のゲージを当ててみることが出来る)なのです。
何れも平面に描かれています。
 
百聞は一見にしかず、10日まで開催されています。
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2012年1月7日 10時45分
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催事 |
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毎年正月の2日は天守閣金明水横で「有馬の湯・金泉」の足湯に入れます。
大阪城までウオーキング、時折吹く風は元日と違って強いものがありましたが、しばらく歩いていますとポカポカしてきます。
 
天守閣前には辰年にちなみ葉牡丹で龍が描かれ、入り口には門松が据えられています。
(以前は有った大手門前や桜門前には門松を見かけませんでした)
階段を上り金明水(井戸)横の足湯へ。
数人の順番を待って木造の風呂桶の周りに座って相棒とともに入浴。
大人なら6名が入れます。
入浴時間は10分、先に入っていた就学前の男児が「暑い」と足を上げています。
さすがに新陳代謝が良いのでしょう。
東京多摩から来た従姉弟同士という小学生4年と5年の3名と話しているうち、あったまってきます。
「時間です」の声で足を上げますと、浸かっていた下肢がピンク色、たったの10分ですが、すっかり良い気分に。
天守閣を見学後、足湯の横に「ゆめまるくん」が多くの子供に囲まれて写真に納まっていました。
ゆめまるくん
中央区制20周年記念に募集したマスコットキャラクター。
中央区民音頭で繰り返される「あなたの夢はなんですか」の「ゆめ」と大阪城本丸の「まる」から「ゆめまるくん」と名付けられ、大阪城と区の花「梅」を頭に、前髪には中央区の「C」をデザインしているそうです。
天守閣を出ますと、真田幸村の赤備えを模した大阪城甲冑隊が子供達とともに写真に、お正月から大サービスです。
すっかり温まり、帰路もウオーキングで。
夕食を美味しく頂くために、併せて健康のために。
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2012年1月3日 08時34分
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新春 |
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初詣に神戸の生田神社へ。
初詣をどこにしようかと考えていましたが、数日前の新聞に生田神社(御祭神、稚日女命)の「杉盛り」が飾られた、と掲載されていましたので、「杉盛り」を見に行こうと決めました。
 
三宮下車、参拝者の流れに乗って門前へ。
立派な木造の鳥居をくぐりますと、頭上に広告の看板が店名を読んでいる間もない位ぎっしりと吊り下げられています。(さすが神戸株式会社)
次の朱塗りの鳥居と門を抜けたところに、お目当ての「杉盛り」が置かれています。
高さ3,5mの杉盛りには、旧いお札や破魔矢等が突き立てられ、杉の葉の下の方は隠されて見えません。
新聞に掲載されていた杉盛りの写真(下、産経新聞写真)は緑豊かに見えましたが、まるで古札置き場の様相を呈しています。
神社が許しているのか、参拝者が置いていくのか判りませんが、興ざめでした。
杉盛り
約1200年前に大雨によって倒れた松が社殿を倒壊させたという伝承が残っており、以来、新年の準備には門松ではなく杉盛りが使われている。
神職や巫女約30人が、わらを巻いた支柱に約2千本の杉の枝を差し込み、上部に榊の枝と5束のススキの穂を飾った。
今年は、うるう年に当たるため例年より1本多い13本のしめ縄が最後に結ばれた。
そこから目の前の拝殿最前列までは大混雑。
やっとお参りを済ませ、次の兵庫厳島神社へ。
途中、三宮神社に参拝。
生田神社とは違って閑散とした境内には、モチの木の赤い実が光っていました。
電車で新開地へ。
駅前の湊町公園右手の厳島神社へはすぐです。
境内には、皇紀二千六百年を記念して建てられた国旗掲揚台に日の丸が翻り、社務所にも国旗が掲げられています。
参拝者は女性3人連れのみ。
兵庫厳島神社
創建は治承4年(1180年)。
御祭神は、市杵島姫命(通称弁才天)。
安芸国厳島神社を深く信心し、社殿を造営した平清盛が福原京近くのこの地に兵庫津の発展と住民の繁栄を祈願して勧請。
お参り後帰るまでの参拝者は数人。
私達二人だけの神社のような良い気分を持って、我が家の弁天様とともに帰途に。
今年は平清盛がNHK大河ドラマに取り上げられ、ここもきっと多くの人が訪問されることでしょう。
来るときに通った湊町公園、楠が二列にずっと続いており、その始まりのところに小さな石碑があります。
「福厳寺・後醍醐天皇駐蹕地」と刻まれていました。
「ここから700メートル先」とも刻まれていたのには、帰って写真の整理をしていて気がつきました。
この辺りには再訪の機会があるだろうと思い、又本日訪問の神社の御祭神全てが女神であったことから、「我が相棒を大切にしろ」とのご託宣かと思いながらこのブログを書いています。
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2012年1月1日 17時38分
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新春 |
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27・28日、奥城崎温泉と城崎温泉へ。
難波からバスで9時出発。
丹南第二トンネル手前から雪用のタイヤ着用の点検のため渋滞が始まっています。
トンネルを出ますと雪景色。
黒と白との風景が続く中、昼食場所の出石に到着。
 
約1時間遅れで奥城崎着。
目の前の日本海、防潮堤にぶつかる波は白いしぶきを上げ、風の強さと寒さを感じます。
夕食前に温泉へ。
今年後半、何れも極軽い症状で収まりましたが、3度のぎっくり腰を発症した腰を、ゆっくりと温めて休めます。
就寝前に、もう一度温泉へ。
暖房を切って寝ましたので明け方は寒く、掛け布団を一枚増やしてもう一寝入り。
7時前、窓を開けますと昨日越えてきた海沿いの山の向こうに日の出が拝めます。
旅行の時の朝食は普段の倍は頂きます。
10時出発、城崎温泉へ。
 
柳の緑が目を和ませる大谿川沿いの城崎の町を散策。
四方神社で今回の旅の無事を祈って参拝。
天候は晴れ、防寒対策万全で出掛けてきました相棒ですが、大阪にいるときよりは薄着に、歩いていますと汗ばむ陽気の中丁度良いようです。
今回は出発までたっぷり時間がありますので、ロープウエイで大師山山頂まで行って見る事に。
途中の旅館の前に、司馬遼太郎作「竜馬が行く」の一節を刻んだ碑がありました。
昭和38年「竜馬が行く」の取材でこの地を訪れたそうです。
上り口近くに温泉寺の標識、山門も見えています。
行ってみようと思ったのですが、本堂は山の中腹とのことで積雪の山道を歩いて上るのは諦めロープウエイ入り口へ。
駅員さんの案内で途中の温泉寺駅で降りれば、温泉寺はすぐとのこと、途中下車して温泉寺へ。
本堂でお参り後、鐘楼前から多宝塔を見上げて、次の車両で山頂へ。
 
山頂着、温泉寺の奥の院へ。
雪の中で金色に輝く観音様がお出迎え。
展望台に戻って、眼下の温泉街から円山川、日本海、丹後半島の山々までが望める眺望は来てよかったと思えました。
下山後、城崎温泉駅前まで行って昼食。
満腹後は温泉へ、七つの外湯の内の御所の湯に入ることに。
風邪をひかないようにバスに戻ってビールを一杯。
今回の旅では、時間がゆったりとしていましたので、温泉にも余裕を持って入ることができ、城崎の街もゆっくり見学できました。
こんな寒い日にと、行く前にはややご不満の相棒も満足そう。
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2011年12月29日 09時17分
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史跡 |
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クリスマス寒波襲来、今朝の司馬遼太郎記念館玄関前の気温は4度。
落ち葉のピークは過ぎましたが、まだ続いており手袋着用で落ち葉掃除。
玄関前の数本のヤマモミジ、毎年真っ赤に紅葉して来館者や我々の眼を楽しませてくれるのですが、今年は一本だけが真っ赤になり他のヤマモミジは、大部分黄色いまま散り進んでいます。
庭は、司馬遼太郎先生がお好きだった雑木林風に維持されていますので、クヌギ、ナラ、ケヤキ等の落葉樹が大きく成長しており、一年中とても良い雰囲気なのです。
冬のこの時期は、落ち葉が積もり風が吹きますと「カサカサ」と良い音が聞こえてきます。
こんなに寒い日ですが、今朝も東京、名古屋等の遠方からの来館者を含め大勢の司馬遼太郎ファンが来られました。
この記念館をはじめ数ヶ所でのボランティアが、私の退職後の活動の大きな柱の一つになっています。
なかでも記念館は、自然に触れられる貴重な場所です。
庭には二百数十種類の植物が育てられており、それらの植物の四季折々の花、実、葉、木肌等やその植物に集まってくる鳥や昆虫に出会いますと、一瞬ですがなんともいえない安らぎを感じます。
植物が人間に対して与えてくれる事の大きさに感謝です。
本日の記念館には、九州から送られてきた菜の花も飾られていました。
日本列島が南北に長いことを思い、四季のある日本の素晴らしさも同時に認識させられました。
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2011年12月25日 17時44分
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司馬遼太郎記念館 |
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昨日は冬至です。
秋分から春分までの間、北半球では太陽は真東からやや南寄りの方角から上り、真西からやや南寄りの方角に沈む。冬至の日にはこの日の出(日出)・日の入り(日没)の方角が最も南寄りになります。
すなわち、一年で最も昼の時間が短く、夜の時間が長い日です。
明日以降、日脚が伸び太陽が復活してくる日であることから、キリスト教のクリスマスの祝祭も冬至の祝祭に由来しているとも言われています。
日本では、この日に冬至粥、冬至南京等を食べる習慣があり、ゆず湯に入ると風邪をひきにくいと言われています。
退職後、毎年風邪をひくようになりました、きっと気のゆるみが原因と思われますが、昨夜はゆず湯に入りましたので、今冬はこれで用心を怠らなければ大丈夫かと思います。
風邪をひかないというのは、ゆずに含まれている精油の働きによるもの。
ゆずの精油にはピネン、シトラール、リモネンなどの物質があって、これらは新陳代謝を活発にして血管を拡張させて血行を促進。ノミリンなどには鎮痛・殺菌作用があるので、体が温まり、風邪も治るのです。
冬至は太陽の力が一番弱まった日であり、この日を境に再び力がよみがえってくると考えます。そこで、冬至のことをかげ陰が極まり再び陽にかえる日という意の「一陽来復」といい、この日を境に運も上昇するとされています。
また、悪いことが続いても、回復してよい方向に向かうという意味もあります。古代には冬至を1年の始まりとしていた時代もあり、冬至に未来への希望をつないだのでしょう。
ゆず湯の由来
本来は、運を呼びこむ前に体を清めて厄払いするための禊(みそぎ)です。昔は毎日入浴する習慣がなかったので、「一陽来復」にそなえて身を清めていたのでしょう。昔から、強い香りがする植物で邪気をはらう風習がありますが(端午の節句の菖蒲湯など)、冬が旬のゆずは香りも強く、邪気ばらいにぴったりです。
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2011年12月23日 14時23分
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風景 |
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昨日は、「第一回 大阪大学・大阪音楽大学ジョイントコンサート」で阪急石橋駅から冬が深まった感じの阪大石橋学舎へ。
 
豊中市内にある両大学のこのような企画は始めてで、浅利豊中市長の仲立ちで実現。
会場は、出し入れできる書記台の付いたゆったりした椅子や重厚な内装に改装された同大学学生会館。
訪問は二度目ですがこの会場には何度でも来たい気持ちが起こります。
プログラムは、前半は大阪大学の「モスコミュール」という男女各3名のアカペラグループ。
楽器を使用することなく、声だけで楽器の音とともに歌を歌います。その迫力満点のステージは人間技とは思えない素晴らしいものでした。
後半は、大阪音楽大学クラリネットオーケストラ30人弱の演奏。
このオーケストラの最大50人以上のクラリネット属のみの編成は世界的にも評価されており、2005年には国際クラリネットフェスティバルにも出場を果たし、学生ですがCDもリリースし、音楽専門誌やFMなどでも取り上げられています。
最後には、アンコールで「ホワイトクリスマス」を本日の出場者全員で合唱して終演。
大阪音楽大学の曲目は、石巻でのコンサートのときと同じ曲目で、被災者を元気付けるために、ベニー・グッドマンのジャズを中心にファーストテンポで演奏され、明るく楽しい気持ちになりました。
特に「石巻・わがふるさと」という曲は、再生を願う気持ちが込められており、震災地の少しでも早い復興とともに、被災者の方たちが元気を出して立ち向かっていって欲しいと願わずにはいられませんでした。
音楽の力のすごさも感じられた一時でした。
今後、このジョイントコンサートが永く続いていくことを願って帰路に。
梅田に到着、ドイツクリスマスに寄って行くことにし、新梅田シティーへ。
毎年船でドイツから運ばれてくるメリーゴーランドとクリスマスツリー(写真上)は以前と変わりはありませんでしたが、ツリーの下のほうの飾りは増えており、店の設えも新しくなっていたようです。
狭い場所に大勢の来場者で、それこそ芋の子を洗うようなとの表現どおりの混雑です。
その中を一周して帰宅。
相棒は満足とともにお疲れのご様子でした。
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2011年12月19日 15時33分
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催事 |
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昨日は、JCOMさんのご招待で劇団四季の「サウンド オブ ミュージック」の貸切公演へ。
 
劇団四季の公演は、「キャッツ」以来2度目です。
会場は、大阪城公園から大阪駅前に替わっています。
ミュージカルも日本語での歌は意味が判り、尚且つ今回は知っている歌が多く、音楽音痴の私でも楽しめました。
終了後、夕食には早くクリスマスムード一杯の地下街をブラブラしてから夕食場所までウオーキング。
寒波襲来の情報でしたが歩いていると汗ばむくらいでした。
二人だけの忘年会を終え、御堂筋イルミネーション見学へ。
クリスマスモードの大阪市役所内から横の通路へ、図書館壁を使った光のタベストリーを見るための行列に逆行して御堂筋へ。
黄色、白、ピンクの彩りをまとったイチョウの木とカラフルな緑地帯、自動車のテールランプの赤色も加わり、それに御堂筋イルミネーションに協賛する両側のビルもデコレイトされたカラフルな歩道を散策、途中でお茶を楽しみ帰宅。
 
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2011年12月18日 07時30分
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J:COM |
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今朝は、近くの公園の清掃日。
一年で一番多くごみの出る日、ごみの正体は落ち葉。
町内会の皆様約30名ほどが、8時にはほぼそろい積もった落ち葉をかき集めゴミ袋へ。
この落ち葉のあるお陰で、夏の暑い日ざしを避けることが出来、季節ごとの花や実を楽しむことが出来ることを思って集めます。
終了後、朝食抜きで近くの保健所の出先での健康診断へ。
受診後帰宅してパソコンに向かっています。
昨日は歴史講座終了後、天王寺公園にて相棒と待ち合わせて『なにわ伝統野菜「天王寺蕪」収穫祭』へ。
入場したところに大きなモニュメント。
収穫祭では、天王寺蕪(てんのうじかぶら)をはじめとするなにわの伝統野菜が紹介、天王寺動物園のゾウの有機堆肥で育てた伝統野菜が販売されるとの情報でしたが、12時40分頃に到着、売り切れていました。
なにわ伝統野菜のうち大阪市内産は、毛馬胡瓜、玉造黒門越瓜(しろうり)、勝間(こつま)南瓜、大阪しろな、金時人参、芽紫蘇、田辺大根、天王寺蕪です。
唯一残っていた勝間南瓜を購入。
田辺大根のステーキを試食、水上ステージ上でのソーラン踊りや歌を見物。
天王寺蕪は、天王寺付近を発祥とする蕪で甘みがあり、野沢菜の祖先と言われています。約400年前の大坂夏の陣の戦いの中、火災や盗難から守られた蕪の種が、上町台地で栽培され美味しい蕪となり、約300年間親しまれていました。
お目当ての天王寺蕪を得ることが出来ず、気温10度と冷えてきましたので、早々に退園。
昼食後、あべのマーケットパーク「G's mall(キューズモール)」へ探検に。
私にとって一番なじみの深い繁華街が阿倍野です。
その阿倍野が大きく変貌しようとしています。
その先端を切ったのが「SHIBUYA109」が入っている「Q's mall」です。
私は2回目の訪問ですが、クリスマスムードで盛り上がっている館内はやはり若者であふれており、途中テラスで一休み。
一通り廻って、相棒お勧めの「鯛焼き」を買って帰りました。
阿倍野を代表する近鉄百貨店は、現在建て替え中、2014年春完成後は、超高層複合ビル「あべのハルカス」として、日本最大級の百貨店が誕生します。
この景気の悪い中ですが、その時の阿倍野はきっと渋谷に負けない活気に溢れた街になることでしょう。
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2011年12月11日 10時54分
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催事 |
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前日に相棒より、大阪城玉造口を出たところで、「ハゼが真っ赤になっている」との情報提供があり、行ってみることに。
昨日は二十四節季の大雪でしたが、最高気温予想15度と比較的暖かでした。
今まで気がつきませんでしたが、見事な樹形で美しく紅葉をしているハゼがありました。
 
天守閣の北側の石垣の上にあったハゼの樹形もこの木と同形で、一回り以上は大きかったように思いますが、石垣の下を発掘する際にすぐ南に剪定の上移植され、今は美しかった樹形が見る影もなくなり寂しかったのですが、久し振りに美しい樹形のハゼの紅葉に出会え、大阪城へ行く楽しみが一つ復活しました。
大阪城公園には、イチョウの木は多く黄色は随分と美しく目立っているのですが、赤くなる楓の木が少なく、一人生えしているハゼの木は貴重なのです。
落葉の進んでいる城内を通っての帰り道、西の丸庭園前での黄色の絨毯や公園の南西角の教育の塔前のイチョウも美しく黄葉しており、又上町筋のモミジバフウも赤く色づいていました。
 
今年もあちこちで紅葉を楽しめましたが、多分今年の紅(黄)葉見物もこれが見納めでしょう。
四季のある日本に住んでいることの素晴らしさと大阪城に感謝です。
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2011年12月8日 08時45分
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風景 |
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