ニックネーム:JA3ATJ または “ちかま”
性別:男
年齢:74 (秋には,後期ナンチャラに)
都道府県:大阪府
生まれは,大阪 タマツクリ。それが故か 職業は タマ(CRT)つくりを 50年。'59年 アマチュア無線局開局,以来 自ら楽しむと同時に,その組織活動に積極的に加わり今日に至る。“ちかま”はコールサインに由来。

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2012年02月16日(木)
京大阿武山地震観測所 見学

まわらない舌で「セットンダ」という駅名をいち早く覚えたというから(母親から聞いた),今を去る 70年ほど前,当時住んでいた大阪の玉造(その頃は東区)から 隣組の人たちと(違うかな)「松茸狩り」に来たときの駅らしい。車やバスがあるはずはないし,どうやって駅からそこまで行ったのかは全く覚えていない。父親につれられてだったのは確かだが。

そのときの きれいな緑と,ほん近くに 美しい白い塔があったのは,まぶたに焼き付いている。昭和 5(1930)年に開設されたという「京都大学阿武山地震観測所」の 一般公開があったので,昨 2月15日 地震計の数々を見せてもらった。

プロジェクタによるプレゼンテーションのあと,最初に見せてもらったのは,フーコーの振り子 だった。塔のてっぺんから,30m あると言われる 垂らしたロープの先の錘がゆっくり揺れている。時間とともに振り子の向きが時計回りに動く。いや,振り子の向きが変わるのではなく,地球が自転しいるからだ。

この振り子には,50数年ぶりの再会だった。天候のよい3月か4月だったと思う。職場の先輩 4-5人と「摂津富田駅」近くの職場から歩いて(まだ市バスが通るだけの需要はこの地域になかったか「日赤」までだったかも)地震観測所まで往復した。見学したいと言ったら「どうぞご自由に」と建物中に入れてもらえた。さすがに観測機器は見せてもらえなかったが,フーコーの振り子を初めて見て,その塔のてっぺんまで階段を登り,屋上で上半身ハダカになって昼寝をしたことがあった。

1880年日本に招いたヨーロッパの学者が,横浜で生まれて初めて地震を体験し,そこから研究や測定が始まったという。「地震学」というものが世界で初めて 日本で生まれたそうだ。

ここにある最も古い地震計は,1904年ドイツ製で,1932年から1991年まで活躍していたそうで,垂直方向の揺れを観測する錘が 1.3t 水平動のためのものが 1t あるそうで,約 1.5m 角 の高さ 2m もある装置である。(X Y Z 3軸の測定が必要)

少し進化した 1910年 ロシア製の「ガリチン地震計」も見せてもらったが,1967年には稼働を終えたそうだ。国産では「佐々式大震計」が 1934年製で,その後開発された「佐々式強震計」(1956年)とともに 1997年まで活躍していたと資料にある。

微少な揺れをとらえ,しかも その錘の慣性で揺れが続いてはならないから,その制震の技が難しいようだ。装置そのものは,しっかりした地盤の上に据えられ,建物の床面とは隔離してある。

これらの記録は,帯状の紙の上に 煤をつけニスで上塗りしたものを筒状のものに巻き,先の尖った針で描き 1日1枚で,15,000枚を越える記録紙が いまも残してあるとか。

電磁式になり,装置そのものはコンパクトになったが,記録が光になるため,針のように細くできないという苦労があったという。最新の「満点地震計」は,京大 と メーカーの共同で 2008年に開発したもので,重さ わずか 1.5kg,大きさも 106x104x140mm というコンパクトなものである。もちろん 電磁式なのだがコンピュータでのデータ処理である。

6000m もの海底に沈めて,自動記録を取り,1.5か月毎に浮き上がらせてデータを得るという「海底地震計」も見せてもらった。

さすがに,測定原理を示す模型しか見学できないが「地殻変動観測計」は,10 の マイナス 8乗の観測ができるという代物である。1 km あたり 0.01mm の 伸び縮み するのを計測するのだから,迂闊に近くをあるけないと言うことだ。

昨日は,市バスを利用したが,大和(だいわ)で降りて,1丁目と2丁目との間にある長い階段を上った。段数は数えなかったが,一直線で一息つく踊り場も申し訳程度の広さである。下りで踏み外したら,たいへんなことになる。それを過ぎたら「けものみち」と案内図にあったが,これまた急なしかも足下の悪い山道だった。幸い前後に地震観測所に向けて歩いている人がいたからよかったものの,溝を越えての取りつきグチを探し回るところだった。
2012-02-16 23:46 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年02月10日(金)
まだ,これ以上 上に伸びるのかな
我が家の北側,狭い道路(現在は 1車線一方通行)を挟んで,現在 大阪府営住宅の建設が行われています。すでに基礎部分は工事を終わり,写真のように高い足場が組まれ防音シートで覆われ,中はサッパリ見えません。ひっきりなしに大型の生コン車が出入りしています。まだこれ以上高くなるのかなぁ。

高さ 16m(限りなく 17m に近い) 5階建てで,東西に 3DK, 2DK 合わせて 10戸 が 1フロアに並びます。

完成予想図に,赤色で示したのは,2階建ての我が家と ANT のおよその位置関係です。右列の「検索」に「府営住宅」と入れると,この関係のいくつかの記事が出てきます。

【追記】 (12-02-13)
写真は,どうやら4階部分だったようです。背の高いクレーンが入ったと思っていたら,さらに上に足場を組み始めました。
2012-02-10 13:43 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年01月19日(木)
玉造稲荷の鳥居

「オイナリサン」で親しんでいた 玉造稲荷神社 は,大阪市東区(現在の中央区)にある。1937年にこの直ぐ近くで生まれた。いや捨てられていた。43年の4月からは,玉造国民学校とこの お稲荷さんの境内ともいうべき間にあった 玉造幼稚園に 1年通った。息子さんをカンボジアでなくされ,自ら職を辞して国際ボランティアに徹しられた 中田武仁 さん と同じ スミレ組 だった。卒園と同時に,福岡県筑紫郡二日市(現 筑紫野市)に疎開をした。

大阪城の近く 現在の OBP のあたりは,砲兵工廠があり,激しい空襲で 玉造は焼け野が原になった。しかしそのときも残った鳥居が,95年1月17日の大震災で壊れてしまった。1月17日の 毎日新聞 には,この鳥居の写真入りで記事が載っていた。先ほど,それをコピーして姉たちに送った。(上の写真は 2009年9月11日に訪れたときのものである)

この神社は,紀元前 12年に創始だと記事で紹介されている。大阪城の鎮守社として豊臣家から崇敬され,1603年 豊臣秀頼 によって神社を再興した際に,この鳥居も奉納されたという。

いまの OBP のあたりには,まだ焼け落ちた鉄骨が残り,アパッチと続に呼ぶくず鉄ドロなどが潜む怖いところだった。そんな 51年に中学生として疎開先から関西に戻ったときは,この鳥居を見ると 頬ずりをしたほど懐かしかった。

毎日新聞によると,桜島の火山灰に埋まった鳥居 に似ているので,そのような説明をしているガイドもいるそうだが,これは崩れた鳥居としても残そうとする関係者の証しだそうで,いずれもとの 5.1m の鳥居に再建したいという思いだそうである。

昨年の夏休みには,小1の孫坊主をつれて 玉造を訪れた。いま 3歳の孫もいずれと思っている。
2012-01-19 23:55 | 記事へ | コメント(2) |
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2012年01月11日(水)
十日 ゑびす

野見神社の境内に 戎神社 があり「十日えびす」で賑わっているのと,知人が 氏子としてかいがいしく働いておられるので,ここ数年 毎年十日に お参りをしている。

参拝者たちの応対に忙しくしてあったので,知人(お二人)には 声をかけなかった。大したお賽銭もあげずに「家内安全,病気や怪我をしませんように」と願いごとだけはしておいた。

参拝後,ふるまいの「甘酒」をいただき,今年は 瓶に入った甘酒も お土産に買った。少しは,御利益があるかなぁ。
2012-01-11 23:53 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年01月06日(金)
神戸三大神社初詣ウォーク
昨 5日は,北摂歩こう会 という パナソニック松愛会 高槻・茨木摂津 支部の ハイキングでした。久しぶりの神戸 というより 初めて歩く部分がほとんどでした。一行は 80名程度だったでしょうか,初春早々,四方山話をしながらの楽しいハイキングでした。久しぶりに,万歩計が 2万を超えていました。

生田神社 を 起点に,湊川神社 と 長田神社 に 詣でて,途中いくつかの公園を通りました。昼食を終える頃までは,陽ざしがあるところでは比較的暖かかったのですが,午後は,雲にさえぎられ,長田神社を出る頃には,ほんの少し小雨がという天候で,用意した防寒兼撥水保護着をザックから取り出すほどでした。

生田神社

昨年は,石清水八幡宮 で,うさぎ年だったから,可愛い置物 が目にとまりましたが,さすがに 龍 を可愛らしくたものは見つけきれませんでした。それでも記念に,幅 4cm のお守りを兼ねたキーホルダかな,いろんな用途がありそうな品を買い求めました。
2012-01-06 15:47 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年12月17日(土)
バーミリオン洋画展

昨16日から 21日(水)まで 「第15回 バーミリオン洋画展」が 阪急高槻市駅 の構内「けやき」で開催されています。

絵画教室「アトリエ今井」の主催で,私の超ご近所,JA3FLL さんの XYL さんが 先生。出展の中には,もとの職場が 私と同じ Y さんのすばらしい作品も。

お近くの方は,ぜひお立ち寄りください。
2011-12-17 21:19 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年11月26日(土)
屋根の工事が終わる
22日に 報告 した 屋根の工事が,昨25日昼過ぎに終わりました。後は,来週 建物の建設会社から施工結果の検査に来ることになっています。

工事の進捗については,デジカメに収めた要所要所を「テレビをちょっと借ります」と言って,現場責任者が説明してくれます。そのうえ,毎朝「昨日の工事レポート」という A4サイズ1枚の報告書が届けられます。そこには,写真も2枚入れてあります。

昔風に言うと,職人さん の仕事も パソコンなしには,やっていかれないということですかなぁ。
2011-11-26 08:58 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年11月22日(火)
屋根の張り替えが始まった

材料の着荷が昨日の 10時だった。表には配電線があり,道路幅も狭いので,屋根のシートを大屋根にあげるのは,クレーン操作がたいへんやりにくいだろうと思った。

あいにく,会合の時間帯と重なったので,その模様を見ることはできず,家人に写真を頼んでおいた。工事は,22日から3日ほどで,ピーク時は 3人での工事のようである。今日は天候もよく,風も殆どなかったのでよかったが。

1980年の建設で,2-3度大屋根の手入れをしているが,つど素材も工法も改良されている。足場を組むと工事が大がかりになるので。センターにポールを立てて,そこに安全ベルトの一端を固定するのだという写真を見せてもらった。
2011-11-22 23:26 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年10月22日(土)
万博に新スタジアム
22日の 毎日新聞(朝刊)に「万博に新スタジアム ガ大阪 吹田市と合意へ」という見出しの記事が載っていました。

京大農場跡で建設を目ざしたが決定には至らず,と書かれています。

先日あるグループの集まりで,弥生時代からの水田を一部分でも残し,小鳥が飛び交う 森林公園を という意見を言ったら,オオカミ が潜むようになるのが恐いから反対だという ご婦人からの意見がありました。
2011-10-22 22:48 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年10月18日(火)
あすから 水墨画展 池田市中央公民館 で

愚妻の作品も展示するそうです。お近くならば,お暇なら,お立ち寄りください。

10月19日(水) 〜 24日(月),初日の開館と最終日の閉館時刻は異なりますが,10:00 〜 18:00 (日曜日は 17:00 まで)。

場所は,阪急「池田駅」から徒歩 5分,池田市役所 の向かいにある「池田中央公民館」。入場無料。
2011-10-18 23:33 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年10月15日(土)
能勢妙見山 を 歩く

最初は 高槻アマチュア無線クラブの行事で何十年も前たがら 車で登ったはず。その次は,定年後だったかな 10数年前「百名山会」という職場のグループで歩いて登ったが,どこからどのルートかは記憶にない。一昨日(13日)は,三度目の 能勢妙見山 だった。

もとの勤務先の OB で構成ている「北摂歩こう会」の企画だった。登坂がきついという予告もあったせいか,いつもの 2/3にも満たない 41名の参加だった。

能勢電「妙見口」を 10時に出発して,ケーブルの駅を通り過ぎたあたりから本格的な登り坂になった。「新滝見コース 3km」とあるが,途中に石段もかなりあり,隊列から遅れないようについていくのがきつかった。それでも 2時間足らずで山頂に着いた。

予報では,朝ノ間少し時雨れるところがあるという程度だったが,山ということもあって,登りは 携帯の傘をさし,下りは ストックを使うので 簡易カッパ にした。出発地点に戻る頃には,雨も上がった。帰路の「妙見稜線コース 5km」は,なだらかな道だった。

両コースとも,途中に茶屋の跡などがあるから,ケーブルカーなどない頃には,人の行き来も多かったことがうかがえる。

「妙見口」へは,阪急宝塚線「川西能勢口」で乗り換えて「山下」でさらに乗り換えた。通勤時間帯には「梅田」から「日生中央」まで直通があり,「山下」で乗り換えなくてもよい電車もある。

この沿線は,大阪への通勤圏なんだろう。山の斜面にゆとりのある邸宅が見えるほか,各駅の近くには低くても5階かそれ以上の集合住宅がたくさん並んでいた。

久しぶりのハイキングで歩数計は,2万歩(しっかり歩き 1万ちょっと)を記録していた。
2011-10-15 20:41 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年10月04日(火)
急に 肌寒く なりました
10月に入ったとたんに,涼しくなった を 一気に通り越して,長袖を着るようになりました。

昨日は,立山連峰が初冠雪だったそうですね。

東北各地 ならびに 紀伊半島各地の 被災者の方々にとっては,特段厳しい季節に入りました。これからますますですね。せめて心だけでも温まる 政治施策が届くとよいのですが。
2011-10-04 11:59 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年09月06日(火)
久しぶりの 青空
まだ,雲もかなり浮かんでいますが,久しぶり 青空 が見えています。30℃を超えていた気温も ぐんと下がって,今朝は 24℃ほどでした。

台風 12号は,大型で強力なうえ とてものろい速度で,その通過後も各地に豪雨の災害をもたらしました。ここ大阪は,近畿のなかでもほとんど被害は出ませんでしたが,奈良県南部から南,紀伊半島の各県の 記録破りの降雨量は,あちこちで大きな被害と たくさんの犠牲者を出してしまいました。心からお見舞いを申し上げます。
2011-09-06 14:37 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年09月03日(土)
京大農場を初めて見学

まだ頭を垂れる状態ではないですが,秋の収穫が近づいている様子が読み取れます。ここは,おそらく稲作の始まりの地だという縄文時代の後期から,作物が実り続けてきた場所です。

緑豊かなこの地を,田園を残した公園にしたいというグループの企画で,9月1日午後 京都大学大学院農学研究科附属農場 の見学会が催され,30余名のメンバーと一緒に,教授・准教授から2時間にわたって説明と案内をしてもらいました。

1956年秋から 同じ町内(八丁畷)に住んでいますが,内部を見学させてもらったのは初めてでした。

左の写真は,グリーンアスパラです。背丈ほどに伸びた見慣れない植物に何かなと思ったのですが,根本の方にお馴染みのものがありました。一部を伸び放題にしているのは,酸素を土に送るためで,雄と雌との比率もちゃんとコントロールしている,連作に限りがあるので畑を順に移していくそうです。

近年の水資源の枯渇や汚染を避けるために,水稲を水のない畑で育てる研究もされていました。いわゆる陸稲は収穫効率がよくないので,改良研究がされています。


苺の温室です。石油などに頼る暖房の要らない温室で育つように品種改良がされているそうです。品種によって 露地植え(でないと育たない)ものと 人の腰ほどの高さの棚のうえで育てて収穫を容易にするもの(写真の右手)に分けているそうです。

品種改良と言えば,アメリカやブラジルでの トウモロコシと大豆の遺伝子組み換えのことを尋ねました。輸入により,植生環境の変化や人体への問題は未知なので,日本の国として規制/認可をしており,飼料や搾油などに限っているとのことです。唯一直接食用にしているのは,ハワイで食べるパパイヤのほとんどが,害虫を避ける遺伝子組み換えが行われたものだそうです。

もっとも,人類が農作を始めて以来,交配などにより品種改良を積み重ねてきたのも,広い意味の遺伝子組み換えなんですと話されました。


果樹園の多くが 梨園に充てられています。原産地は 中国で東西に分かれて現在の西洋梨と日本の梨になったという説明がありました。梨の袋掛けは,鳥や虫,太陽光などのことかららしいのですが,袋の上から果汁を吸う虫もいるらしいのです。セミも果汁を好むとか。

種なしの果実を作る理由は,単に食べやすいというだけでなく,輸出先で 改良品種が植えられ 勝手に生産されることを防ぐ目的もあるそうです。ナルホド

1928年以来のこの農場を 木津川市 に移す理由は,安満遺跡に指定され施設の増設ができないというのが主な理由で,農作的には一からスタートするので,農業研究に適した土壌になるまで,何年もかかるという問題を抱えていると話しておられました。

なお,八丁畷から少し北西にある 京大古曽部温室 も,すでに 熱帯植物や亜熱帯植物は他所に移してあり,同時に木津川市に移るというから残念です。

【追記】 (11-09-04)
下から2枚目の「梨の木」の写真,掛けてあった名札のとおりに書いたのですが「莱陽滋梨」が,正しいそうです。
この BLOG で 08-04-11 に書いたことへのコメントをもらっていたことを思い出しました。
2011-09-03 10:21 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年08月11日(木)
キリンビール 神戸工場 見学

三田(兵庫県) を訪れたのは,70年近く以前のことだった。昭和17年か18年のことだ。親戚の親戚みたいだったが,まだ食料の買い出しというほどではなかったことは確かだ。イナゴ を取って牛乳瓶に詰めたのに,帰りの電車の中へ置き忘れたことを覚えている。

先週末,かつての職場仲間たちと 三田駅に降り立った。国民学校にあがる前に訪れて以来で,きれいな都会に変わっていた。駅前に待っていたのは,上の写真のバスである。工場までの道路もよく整備されていた。

工場見学の前に,敷地内に設けられた「ビオトープ」を見せてもらった。「野生の動植物が暮らす場所」という意味だそうだ。実のなる樹木を植えたら野鳥の数(種類)が一段と増えたと案内の女性が言っていた。

小川や湿地も作ってあり,たくさんの小魚が泳ぎ,スイレン や ガマ なども繁り,いく種類もの トンボ が飛び交っていた。絶滅種の保護育成もやっているそうで,訪れてたいへんよかったと思っている。

というのは,その前日 高槻市議会の特別委員会 を 傍聴する機会があった。そこでは,わが町内にある 京都大学の農場 移転後の計画についての議論だった。弥生時代の貴重な遺跡のゾーンと,田園を残すのならよいのたが,ガンバのサッカー場を作るというのだ。とんでもない。

きょうも,その農場からさほど遠くないところに住んでおられ,つい最近まで市会議員だったIさんに出会ったので,この話をした。緑を残して市民が憩える場,自然あふれる公園でないといかん と言っておられた。
2011-08-11 23:45 | 記事へ | コメント(0) |
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