PY から XYL の姉が一時帰国
昭和39年だか40年だったか,新幹線が開通して間なしに単身,移民船に乗って PY(ブラジル)に渡った XYL(愚妻)の姉が帰ってきて,今夜はわが家で泊まっていく。
渡伯後,何度か帰国していて,夫婦で来たこともあれば,5年ほど前には 日本語を勉強しているという20歳前後の孫2人を連れてきたこともあった。
こんどは,連れあいが飛行機は嫌いだというので,単身での旅行だ。昭和1桁だから,願わぬことだが,もうこれが最後のチャンスかも知れない。
近くに住む XYL の妹も呼んで一緒に家で食事をした。3歳になったばかりのわが家の孫がおおはしゃぎだった。
3人姉妹,いずれも大陸生まれで,本人たちは多くを語りたがらないが,敗戦とともに生活が大逆転し,朝鮮半島を闇夜をぬって縦断するという想像を絶する逃避行で,その間に幼い妹も亡くしている。母親も,そのときの過労もあって帰国数年後に死別,父親は現地召集のまま帰らずじまい。
日伯間も,船で何週間もかかったところを,数十時間の飛行で行き来ができるようになっているとはいえ,互いに平和で,健康に恵まれているからこそできることを喜ばずにおれない。
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2007-04-14 23:21
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私自身はお陰様で経験ないのですが、知人の中には
大陸から引き上げてきた人も多く、幼くして命からがら
帰国して来た話を聞きます。
多くを語りたがられない心情は察するに余りあります。
多大なご苦労の上に現在我々の繁栄がある事を忘れないように、
と自らも戒めないといけないと強く感じています。
同世代の人たちが,帰国できずに,日本語も忘れ,身よりも分からずということで大陸にたくさん取り残されてしまいました。いや,大陸だけでなく,あちこちで。