仏教やキリスト教では戒められている「恨みを晴らす敵討ち」はなぜか日本人の心情に響く力があるらしい。
近松門左衛門が「仮名手本忠臣蔵」を浄瑠璃で発表した300年昔の江戸時代には幕府の統制で上演禁止され登場人物や時代設定を変えていたが庶民には大受けしていた。(仮名は47文字で47志の掛け言葉)
終戦後日本人の報復運動の高まりを恐れたマッカーサーが上演禁止した期間もあったが明治以降は実名の「元禄忠臣蔵」が繰り返し映画にテレビに上演される超人気演題で現在まで続いている。
この様な背景で作られた家老大石の山科行状も殆んどがフィクションだと考える方が良い。
唯一大石元家老が笹屋女将に宛てた礼状が残っているので情報収集と気晴らしに片道8キロの山越えの道を何度か通ったのは事実らしい。
当時撞木町は伏見街道沿いにありそこから伏見港までは濠川と言う運河を舟でくだる舟溜まりの近くに位置しているのでかなり賑わっていたらしい。
今では24号線の裏側のちっぽけな横丁で往時の繁栄を偲ぶ石文しか残っていない。
写真は現在の撞木町東側入り口
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2006-08-29
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わが街の歴史ロマン |
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