ニックネーム:hinoG
性別:男
年齢:1934生
都道府県:京都府
夫婦で菜園とゴルフを楽しんでいます時には山にも登っていました。トップの写真は千丈岳よりの浅間山の噴煙、八ヶ岳、甲斐駒で噴煙の先は富士山です
2012年01月24日(火)
清盛寺の大悲閣
清盛寺(せいじょうじ)は平清盛の時代より更に400年以前の奈良時代の天平勝宝二年に東大寺の末寺「清成寺」として創建されたと寺史にある。
寿永元年(1183)源平合戦で壇ノ浦の戦いに敗れた平家の残党が清盛の五女「登貴姫」を守護して伊予国浮穴郡小田村に逃れて来たが翌年二月十六日に没した位牌が残されていて、その時より山号と寺号を改め、太田山清盛寺と改め、領主より一村を寺領として遣わされ、村も「寺村」と称したと伝えられている。その時の領主が伊予国守の末裔で小田砦(現在の 城の台公園)の日野氏だったのではなかろうか。



現在も 愛媛県内子町小田寺村の檀家200軒が曹洞宗の清盛寺を支えて堂宇の改築整備がされていて京都には見られない地方文化の暖かさが窺がえる。
写真は 本堂の西に縁続きの大悲閣で秘仏の千手観音様が祀られている。
「わが街の歴史」では無いが日野家ゆかりの末裔の地を訪ねて見ました。
屋根の頂上の大きな瓦の擬宝珠(?)は見事でした。
2012-01-24 | 記事へ |
| わが街の歴史ロマン |
2011年11月08日(火)
今年もブルーマウンテンコーヒーを出します。
わが街の萱尾神社は1300年の歴史のある、京都で一番古いお宮さんの一つです 其の境内を借りて、今年も町内の「ふれあい広場」が11月23日に開催されましす。
好評により今年もブルマンコーヒー100%のコーナーを出店する事にしました。(写真は昨年のものです)
紙コップの一杯200円です 本物のコーヒーの分かる方には好評でした。
お近くにお住まいの方は歴史散策を兼ねて参加してみませんか。

食べ物コーナーの食券は予約販売ですがコーヒーは当日券を販売しています。

  これは日野ふれあい広場のポスターです。
2011-11-08 | 記事へ | コメント(0) |
| イベント |
2011年11月01日(火)
今 日野菜がおいしい
胃癌手術退院後最初に蒔いた冬野菜の日野菜小かぶがぼつぼつ食べごろです。
無農薬栽培で毎朝の虫取りも追いつかず葉は穴だらけですが柔らかくて美味しい、どちらも蕪です。


蕪は酢の物に日野菜は塩漬けのあと酢漬で食べています。
手術の後、食べ物の好き嫌いが酷くなっていますが此の漬物は食べられます。
2011-11-01 | 記事へ | コメント(0) |
| 菜園 |
2011年10月25日(火)
猿丸神社と胃癌の話
今年の3月に「方丈記と日野の先人」をテーマにDVDを作成した
その折に鴨長明が山守の少年を伴に徒歩で訪ねたと言う猿丸神社の写真を撮りに宇治田原まで出かけた時の画像です。

平成の現在では、このお宮さんは癌封じの参拝者が後を絶たない賑わいでインターネットでも紹介されている事を知り、ついでにお参りして置いた。
 その後5月頃に近所のかかり付けの医院で検便の結果消化器の内視鏡検査を勧められて総合病院で検査の結果、早期胃癌と診断されて摘出手術となったのが8月の手術でした。
胃癌と判って、改めて癌封じの祈祷してもらったがその前に早期発見のご利益があったのだと気が付きました。

幸い、早期発見で大事に至らなかったのはかかり付け医院の勧めのお蔭だが
猿丸明神様の御加護もあったのだと信じています。
お札の右の手彫りのスプーンは患部を撫でて癌を封じ込める木の瘤をかたどった「おこぶ」です。
癌治療中の方は勿論のこと、健康な方も癌を封じ込めて貰うためにも、宇治の奥山に宇治田原の住民に守られている「猿丸神社」を一度訪ねて見ては如何でしょう。
2011-10-25 | 記事へ | コメント(0) |
| チョット一言 |
2011年09月17日(土)
術後一か月
胃癌切除の手術から一か月が過ぎて下痢も治まりお腹の調子もやや落ち着いて来ました。
退院後6ヶ月の食事メニューと指導を受けましたが個人差があるのか牛乳やヨーグルトは何故か腸が受け付けず下痢を繰り返すので蛋白質系の食事は控えています。
無難なのはご飯やパンの炭水化物と見舞いに頂いた果物でした。
涼しい朝の間に冬野菜の植え付け準備など軽作業をしながら体力回復に努めていていますが、体重はまだ少しずつ減少して(約1割)下げ止まったか?
手足やお腹の皮下脂肪がスッカリ取れて細くなりました。(しわクチャ!)
お蔭で、血糖値まで130が110(空腹時)まで下がり糖尿病脱出です!
手術の傷跡もご覧のようにしっかりくっ付いています。傷口はテープで貼付けなので糸傷などはありません。
この手術費用は約40万円でした。後期高齢者保健で助かります。

PS:我が家の会計係によると「MRやCTの画像診断と内視鏡検査までの費用を加えると総費用は80万円を超えた」そうです。(その1割)
会計係の精神的負担もかなりのものだったらしく手術を受けた本人の体重減と同じくらい6kg痩せたそうです。心配かけました。
2011-09-17 | 記事へ | コメント(2) |
| チョット一言 |
2011年09月06日(火)
胃癌切除手術体験記(U)
手術一週間前に担当医師から手術についての丁寧な説明を受けた。
@癌細胞は転移の可能性大の卵環細胞であり手術中に回りの細胞検査をして広がっていれば胃全摘もあり得る。
A胃摘出で胆嚢が機能しなくなる恐れあり、胆嚢も同時摘出する。
B輸血の必要な場合のために自己採血400CCをして保存するが、万一それでも足りない場合は他人の保存血液を輸血する場合があるので輸血承諾書にサインしておく事。
C手術は全身麻酔薬を点滴とし5〜6時間後手術まで意識は無くなる。
その他懇切丁寧な説明があった、その時に手書きの略図を見易く整理した図です。

約6時間後に病室へ運ばれている時に付き添いの家内の「写真を貰ったよ・・・」との声をかすかに聞いた様な夢の中だった。
病室では
@点滴A酸素吸入B排尿管C内部出血排出管 等の付いたまま約3日間天井を見ていました。
その間、体温・血圧・血糖値・血中酸素濃度をキッチリ監視されていましたが排尿管が一番辛かったな。
それと、私固有の症状らしかったが、術後二日間は強烈な幻覚を体験した、幻覚と解っていたので場末の映画館でもいる様に楽しめた。
術後一週間は傷口が痛むので咳をする事が出来ず辛かった(3年前に禁煙出来ていたのが幸いして痰が出なくて助かった)
約2週間後から離乳食みたいな食事が出たが殆ど水みたいな下痢でした。
写真は摘出した幹部の拡大画像で手術中に看部や周りの細胞検査を徹底的に実施された事が伺えます。

一見、焼き肉のカルピーみたいで、これが本当に癌か?と疑いたく成る程です。
術後、20日お腹の具合もやや落ち着いて来たようですが、食事には苦労しています。
2011-09-06 | 記事へ | コメント(2) |
| チョット一言 |
2011年09月04日(日)
胃癌切除手術体験記(T)
近所のかかり付けの医院で検便の結果、ガン検査を勧められた。
自覚症は無かったが前立腺肥大や糖尿の心配もあったので念の為近所の総合病院で3日入院で内視鏡検査を受けた。(7月25日)
大腸ポリープ6個の摘出のおまけ付で写真の様な初期胃癌が見つかりました。

写真はその時に病院が撮影した内視鏡の画像で中央に大きさ3センチの初期ガンで癌レベル1Aだが「卵環細胞癌」で転移しやすい種類の癌のため「亜全摘」の手術が必要と宣告を受けた。

左から2番目の手術で胃の80%切除を決断せざるを得なかった。
2011-09-04 | 記事へ | コメント(1) |
| チョット一言 |
2011年02月20日(日)
方丈庵の中を覗く
方丈記の中で長明さんが庵の様子を詳しく述べているので、それを画像上再現して見た、実際はもっと薄暗くて雑然としていたはずだが見易く、整理整頓してライトアップしてある。
方丈記を理解するために役立てば幸いです。


@中央の囲炉裏は暖房・湯沸し・焼き芋などに必要不可欠
A東のベッドは、わらびの枯草(ほどろ)が麻布で包んである
 (夏には麻布の蚊帳が必要だった筈だが此処では省略した)
B南西の隅に吊り棚(本箱)に和歌・管弦・往生要集など参考書類
 (筆硯等の筆記用具や長明自身のノートや無名抄も置いている)
C弦楽器の琵琶と琴が釣り棚に立て掛けてある
 (着替え用の衣類や墨染めの衣も行李などにいれてあったはず)
D阿弥陀と普賢菩薩の掛図に経机と法華経が西北隅にあり
 仏門に入って連胤の法名を持つ僧侶長明の重要な空間で香炉や木魚も有ったはず、夜間の照明は燈心の行燈があったと思われる
E外出用の蓑笠や草鞋の他に斧・鎌・鋸などの最低限の道具が東隅に
 (鍋・釜・茶碗などの食器類と米・麦・豆・味噌の容器も必需品)

此処まで考えると、詩歌、管弦を愛して念仏三昧で風流な生活の5年間を過ごしたとはとても考え難い。
頼りにしていた、日野家の財政も破産寸前に凋落していて、裏山の木の実に蕨や草の根で飢えを凌いでいた様子も伺える。
偶々、都で逢った源家長が「人違いかと思うほど痩せ衰えた長明」だったと日記に書いている。
方丈記の最終ページで、飢えと寒さに耐えて貧窮の住いの中で聖人を目指した長明の本音の呟きがひしひしと伝わって来る。
「南無阿弥陀仏なむあみだぶつナムアミダブツ」三遍申してやみぬ。 と・・・・・・
聖人に成り切れない凡人の長明(ながあきら)さんだからこそ吾ら老友会の大先輩と親しみを覚える。
2011-02-20 | 記事へ | コメント(1) |
| わが街の歴史ロマン |
2011年02月19日(土)
鴨長明の方丈庵を尋ねる
長明(連胤)が日野の里山に逃れて来て、自前の住い(方丈庵)で過ごした5年間の様子を随筆風にまとめたのが「方丈記」である。
長明の当時の環境や年齢に近づいた老人にとって、方丈記に書かれ文章が簡潔で名文なのはさておき、当時の世相や風景が見事なドキュメント記事として理解できる様になった。
日野の里に住む老人が伝統行事や土地勘を生かして、先ずはじめに方丈庵の画像上の再現を試みたので興味のある方は見て下さい。

これが平成23年現在の方丈庵遺跡地の岩で「方丈石」と呼ばれている岩と谷川です。
丹波下山の「大福光寺からの遺跡探訪団記念碑」が立てかけてある。


荷車二台分の建材を運んで来て草葺の屋根で覆うとこんな庵になるよだがチョット手間がかかり過ぎ
でいくら器用な長明さんも難し過ぎると思われる。


杉皮葺きの屋根に杉皮の外壁で仕上げるとこんな庵になる。
プラスチックやトタンの無い時代の山小屋は大抵こんなものだったとおもわれる。
下鴨神社の河合神社境内に復元されている庵に似ているが、こちらの方が原形に近いようだ。
参考意見などお持ちの方のコメントがあればどうぞ。
2011-02-19 | 記事へ | コメント(0) |
| わが街の歴史ロマン |
2010年05月14日(金)
異常気象で菜園も危ない
今年の気候は異常で菜園の管理に苦労しています。
春先は暖冬だったせいで急いで種を播いたトマトやキュウリが畑に移植後このところの寒さで生育が止まっています。
風除けの新聞紙がなかなかとれません。
蝶々やミツバチが姿を見せずエンドウ豆やイチゴの受粉が遅れて収量減になっているばかりでなく害虫の瓜バエなども見当たりませんな。

鶏ふん、油粕、石灰の元肥に無農薬で作るトマトやキュウリの旨さが忘れられず今年も「採らぬトマトのかず算用」ってとこです。
30本x10個=300個?
大洲高校同窓会でのホラを吹いたせいか訪問者数が急増しているのにブログ休止中では申し訳ないので急遽、マイ菜園の報告です。
遠慮なくコメントください。
2010-05-14 | 記事へ | コメント(0) |
| 菜園 |
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