清盛寺(せいじょうじ)は平清盛の時代より更に400年以前の奈良時代の天平勝宝二年に東大寺の末寺「清成寺」として創建されたと寺史にある。
寿永元年(1183)源平合戦で壇ノ浦の戦いに敗れた平家の残党が清盛の五女「登貴姫」を守護して伊予国浮穴郡小田村に逃れて来たが翌年二月十六日に没した位牌が残されていて、その時より山号と寺号を改め、太田山清盛寺と改め、領主より一村を寺領として遣わされ、村も「寺村」と称したと伝えられている。その時の領主が伊予国守の末裔で小田砦(現在の 城の台公園)の日野氏だったのではなかろうか。



現在も 愛媛県内子町小田寺村の檀家200軒が曹洞宗の清盛寺を支えて堂宇の改築整備がされていて京都には見られない地方文化の暖かさが窺がえる。
写真は 本堂の西に縁続きの大悲閣で秘仏の千手観音様が祀られている。
「わが街の歴史」では無いが日野家ゆかりの末裔の地を訪ねて見ました。
屋根の頂上の大きな瓦の擬宝珠(?)は見事でした。
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