ニックネーム:ものづくり三世
性別:男
年齢:エルビス・プレスリーと同じ日に生まれた
都道府県:大阪府
2012年01月04日(水)
消費増税を考える

消費税増税の素案公表
昨年末に、政府は社会保障と税の一体改革素案をまとめました。その中で、消費税については2014年4月に8%、15 年10月に10%に引き上げることになっています。この決定にたいして、民主党内には増税反対勢力があり、野党は増税前に議会を解散して国民の信を問うべきだと主張していますので、この増税の実現には疑問符が付いています。

財政赤字はますます拡大
一方、12月24日に発表された平成24年度の予算案では、歳出額90兆円に対して課税収入等が46兆円で公債発行額が44兆円になっています。この時の基礎的財政収支は22兆円の赤字になっていますので、財政の安定にはほど遠い状態になっています。また、国と地方の債務残高は平成24年度末には937兆円(GDP比195%)の赤字に達する見込みで、この状況は、財政危機が表面化している欧州諸国の状態を遙かに越える危険な状況にあります。

それでも財政は破綻しないといわれている
このような状況でも日本国債の金利は1%台に収まっていますので、財政は安定しています。よく、日本国債は日本国内で消化されているので、発行残高が多くても大丈夫だという人がいます。たしかに、日本国民が税金を納める代わりに、それぞれの預貯金や年金積立金で国債が購入されている形になっていいますから、結果的に国の財政は国民の資産で支えていることになります。したがって、海外資産で財政が維持されているという状態ではありませんから、差し当たり財政危機が発生することにはなりません。

いつ破綻してもおかしくない状況
しかし、家計の金融資産は1470兆円で、その総額は過去10年間ほとんど増えていません。家計は294兆円の負債を抱えていますので、純資産は1117兆円しかありません。しかもその大部分がすでに国債購入に充てられているわけですから、今後、政府が国債を発行し続ければ、国内で消化することが出来なくなり、海外の投機筋に将来の財政資金を依存することになります。また、国民の老後の蓄えを国が使ってしまっているのですから、将来世代が新たな預金をしてくれないと自分の預金が引き出せなくなります。
このような状態で、もし、新規の国債発行に不都合が生じたり、金利が上昇するようなことが起これば、財政は一気に破綻することになります。現在の財政状況とそれを取り巻く国内経済の環境のもとでは、その可能性が極めて高くなっています。もし、どこかで破綻の兆しが見え始めると、そのほころびは急速に拡大し、止めようがないことになります。

よく考えてみよう
政府が国民から税金を徴収する代わりに、国債を発行して国民からお金を借りています。国民が直接購入している国債は29.5兆円でごく僅かですが、824兆円の預貯金の大部分は金融機関が公債購入に使っています。また、年金や健康保険などの421兆円の基金からも184兆円分の公債が購入されています。このように国民の資産が国債購入に使われているのですから、国が税金を徴収して国債を償還しない限りこれらの家計資産は使えない状態になっています。
銀行預金は誰でも自由に出し入れできると考えているかもしれませんが、それは誰かが預けて、他の誰かが引き出すから預金額が維持されているのであり、皆が一斉に引き出し始めたら取り付け騒ぎになります。
銀行が購入している国債も、どこかが手放し始めれば一斉に投げ売りされます。何がきっかけになるか判らないのです。

日本財政の二度目の敗戦
日本の財政は1945年8月の敗戦で破綻し、無一文の中から営々と再興してきたのです。当時、二度とこんな事は起こすまいという決意で、財政法第4條により赤字国債の発行を禁止したのすが、1965年に特例公債法が制定され、1975年以降、毎期国会が赤字国債の発行を容認してきました。民主主義の下では、国会の議決が民意として正当化されます。国民は政府が最大の公的サービスを提供することを求め、最小の費用負担を要求します。したがって、選挙で選ばれる国会議員が行う政治では、財政規律は特例公債法を通じて漏れ出し、ついに937兆円の大赤字を累積してしまいました。一般市民だけではなく、良識の持ち主である政治家、企業経営者、学者などの中にも、エセ・ケインズ学信者が多いのは困ったものです。
民主主義の政治には国民の良識が必要で、それが欠如すると、独裁の芽が顔を出すというのが歴史の教えです。

2012-01-04 09:48 | 記事へ | コメント(0) |
| 思いつくまま |
2011年02月22日(火)
デフレについて
2月15日の朝日新聞夕刊の経済気象台欄に、「世界的所得平準化が起こり日本などの先進国と中国やインドなどの新興国との間の所得格差が急速に縮小している。その結果、付加価値の低い単純労働者の所得は世界の所得水準に収束する傾向にある。このためか日本の平均所得額は1994年の664万2千円をピークに減少し続けている。」と書かれています。
経済学では、この現象を「要素価格均等化の定理」によって説明しています。一般に、物財の生産は資本と労働を使って行われます。この資本と労働を生産要素と呼びます。二つの国の間で貿易が行われるとき、両国の間で資本の価格が等しく、また、両国が同じ水準の技術を持っているとします。そうすると、労働の価格、つまり、賃金の安い国の財価格は賃金が高い国の財価格より安くなります。その結果、その財は賃金の安い国から高い国に輸出されます。相手国では賃金を下げて対抗しようとします。しかし、賃金の引き下げには限度がありますから、次第に生産が減ります。一方輸出している国では、労働に対する需要が増えるので賃金は上昇します。このようにして、賃金の安い国では賃金水準の上昇が起こり、賃金が高かった国では賃金が低下し失業者が増加します。このような変化は賃金、すなわち、要素価格が均衡し、その結果、財の価格も等しくなるまで続きます。
ところが、もし両国の間の生産技術が相違して、賃金が高い国が高度な技術を持っていたら、相手国より少ない労働で財の生産ができたり、財の価格が高くなっても相手の低価格の財よりも競争力があるという結果になったりして、逆に、賃金の高い国から安い国に財の輸出が行われます。
先進国から新興国に資本や技術が移転されて新興国の経済が発展する過程では、このような輸出入によって財が動きます。その結果、単純労働では、先進国の賃金水準が低下し、新興国の賃金が上昇します。また、高度な技術をさせる熟練労働では先進国でも新興国でも賃金は上昇します。その結果どちらの国でも賃金格差が拡大します。
2000年前後からアジアでは中国から日本への輸出が増加し始めました。ユニクロが中国で商品を生産して日本国内で販売し始めると、国内の繊維製品の市場に大きな変化が起こり、シャツなど繊維製品の価格がずいぶん安くなりました。その一方で日本の製造元は苦境に立たされて、労働賃金の引き下げや工場の閉鎖と海外移転が始まりました。このような動きは工業製品全般に広がり、「世界の工場」のタイトルは日本から中国に移りました。
日本経済は、平成バブルの後遺症不況から抜け出せないまま、「新興国との賃金の平準化」という新たなデフレの流れに落ち込んでしまいました。中国に続いてインドやその他の東南アジア諸国も生産市場に参入して来ました。日本は1960年代に世界市場に進出して、ほぼ30年かけてその頂点に達しました。当初の日米の賃金格差は10対1でしたが、その差が解消するまで日米の貿易戦争が続きました。現在の先進国と新興国との賃金格差は10倍以上ですが、それ以上に、新興国の人口が非常に大きいので、その影響は過去の日米の間に起こった賃金格差の影響とは比較にならない大きさになります。
このように、現在先進国で発生している経済問題の主要因は「賃金格差平準化の動き」です。日本経済はバブル崩壊以来デフレ傾向が続き、特に2008年9月のリーマン・ショック以降はその傾向は一層顕著になっています。その原因を需要の不足と捉えて経済対策が求められた結果、政府は多額の国債を発行してバラマキ政策をとってきましたが、いっこうに成果が出てきません。それは、デフレの原因が「賃金格差の平準化」ですから、賃金が均衡するまでデフレからは抜け出せません。
このような「賃金格差の平準化」の結果、日本の賃金は慢性的に低下が続いています。春闘でも賃上げの気配は影を潜めています。世間で大きな問題になっている非正規雇用の増加も、その原因をたどれば「賃金格差の平準化」にたどり着きます。新興国から安い商品がどんどん入ってきますので、国内企業は対抗上賃金を引き下げようとします。しかし、既存の賃金体系では引き下げに限界があるので、正規雇用を減らして非正規労働を導入します。もし非正規労働が使えなければさらに多くの企業が海外に出て行ったり廃業したりすることになります。
このような状況下で、日本が取るべき政策は、賃金格差を乗り越えて世界市場で売れる高性能、高品質の商品を開発することと、そのようにして得た収入を国内で再分配して全ての国民の生活を支えることです。政府や日銀がお金をばらまいて内需を拡大するようなデフレ対策は、財政赤字の増加やバブルの発生を招き、副作用で経済を余計に悪化させます。
2011-02-22 12:05 | 記事へ | コメント(0) |
| 思いつくまま |
2011年02月19日(土)
日本もデモで政権を動かすべきだ
民主党の政権が崩壊の危機に瀕しています。2009年7月の衆議院選挙で民主党は絶対多数を勝ち取って長年続いた自民党の政府からの政権交代が実現しました。当時の国内は、エジプトのムバラク政権の崩壊と同じような将来への期待を込めて新政権の誕生を歓迎しました。鳩山内閣が社民党と国民新党との連立を組んだことには、多少の疑問の念もありましたが、事業仕分けが好評で、郵政民営化に水を差すような話しもそれほど注目を集めませんでした。
ところが、この新政権には小沢一郎の金権政治の臭いが付きまとい、「政治とカネ」を巡る「政治資金収支報告書の虚偽記載問題」が表面化してきました。また、鳩山首相にも多額の贈与税の申告漏れ問題が出てきました。その上、普天間基地の移設問題で最低でも県外に移転させるという首相の発言に対して、何か成案があるのかと見ていると、全くのでたらめで、辺野古に代わる具体的な移設先の腹案は全くないことが明らかになりました。おまけに、海兵隊の抑止力など要らないと言っていたのが、考えが浅かったと言い出す始末で、国民はあきれるばかりになりました。
結局、鳩山首相と小沢幹事長が身をひいて、菅内閣が誕生しました。看板の塗り替えで支持率は少し回復しましたが、2010年7月の参院選挙では、民主党は念願のねじれ解消どころか逆に議席数を減らし、社民党の連立離脱もあって過半数を失ってしまいました。
多くの国民が民主党に期待したのは、自民党時代の政策で利権を膨らます政治から脱却して、国民の生活を原点にした政治を実現することだったはずです。しかし、この寄り合い所帯の政党は、自分自身の政策を仕分けることができず空中分解してしまいました。
ねじれ国会を恐れて、およそ国民の信を得ていない社民党や国民新党と人数あわせの連携を組んで、参院選で大敗し、年末国会では自民、公明、社民にすり寄ってどこからも袖にされています。
議会で多数をとれなければ、国民の支持を得る政策を掲げて国会で承認を求めることしか政権運営の道はないはずです。議員数で多数を得ていなくても、国民の圧倒的支持を得た政策を、信念を持って提示すれば、どの野党も反対できないはずです。それを、不節操にふらふらしてきたのが民主党の未熟さです。この党が国政を担うには10年早かったのです。ここは潔く政権の座を降りて捲土重来を期すのがよろしいようです。
それならまた自民党の出番かということになりますが、それもどうかと思います。この際は、いままでの議員経験者全てにお引き取り願って、全く新しい顔ぶれで選挙をやって、議会政治を一から出直すぐらいのことをしないと、日本の政治はいつまで経っても二流の評価から抜け出せません。エジプトのように、国民が国会議事堂の前でデモをして、全議員の引退を要求したらいいと思います。そうすれば小沢問題も切り捨てることができます。その選挙で当選した新しい議員たちが新しい政党を作り、首相を互選して政権を担えばいいのです。

2011-02-19 17:55 | 記事へ | コメント(0) |
| 思いつくまま |
2011年01月15日(土)
大美野とロータリー
1月10日の成人の日に、堺市東区の大美野にあるイタリア料理店「イル・パスコーレ」で食事をしました。二日遅れの誕生日をどこかでという女房の提案に甘えて、ここまでやってきたのです。住宅街の真ん中にあるレストランで、開店11年目になるということでした。食前酒のキールを片手に、メニューから手頃なのを選んで、ワインもグラスで赤のフルボディーと少し軽めをいただきました。前菜に白身の魚のカルパッチョとメインに牛肉のタリアータで満足でした。記念日だというので、小さなケーキがサービスで出てきて、それを前に記念写真を撮ってくれて、帰りがけにプリントをもらいました。
浜寺の自宅から北野田までは車で来るのが便利ですが、この日は久しぶりにワインを飲みたかったので、公共交通で出かけることにしました。道のりは直線距離で10kmですが堺市内はが東西方向には交通路が整備されていないので、殿経路も大回りになります。往路は南海本線で一旦大阪市の天下茶屋まで行って、そこから野線で北野田に戻るというルートになりました。帰りはレストランのすぐ近くからバスで堺市内に出て阪堺線で帰ってきました。
子供の頃は北野田に母方の大伯父が住んでいて、よく遊びに行きました。自転車で行くと約一時間でたどり着きます。大伯父は元々大阪市内で材木商を営んでいましたが、戦前に店をたたんで、北野田駅から少し離れた田園の中に隠居していました。昭和16年頃はまだ曾祖母も90を過ぎて健在で、帰るときには細い杖をついて玄関先まで出てきて見送ってくれましたが、その杖の握りの先に小さな銀色の鳩の飾りがついていました。
昭和の初めに北野田駅の西側に田園都市計画が始まり、噴水を中心にしたロータリーが作られ、そこから放射状に八方に道路が通って、広い住宅地ができました。欧州の住宅地をまねたものだそうです。いまでも当時建築された高級住宅が数多く残っています。父の弟がその一角に転居して
住んでいましたので、そちらにもよく出かけました。こちらはモダンな住宅でした。叔父が亡くなってから、叔母が一人で近くに小さい家を建てて住んでいましたが、その叔母もずいぶん前になくなって、北野田と大美野には余り縁がなくなり、いまは叔母の世話で大美野に嫁に行った従姉が一人住んでいます。

大美野の中心にあるような大きいロータリーは日本では珍しいのですが、欧州にはたくさんあって、パリーの凱旋門を回るロータリーはよく知られています。
イギリスではロータリーのことを「ラウンド・アバウト」と呼んでいます。この国は日本と同じ左側通行ですので、ラウンド・アバウトは時計回りに走行します。ラウンド・アバウトの通行規則では右側の車が優先です。したがって、ラウンド・アバウトに入る車は、右から回ってくる車がいないことを確かめ中に入ります。中を回り始めると優先兼がありますから、自分の出口までそのまま進行して、左に方向指示をして出て行きます。
日本の道路交通法にはロータリーの通行規則がないので、それぞれの車が勝手に動いていて、よく事故が起こらないことだと思います。
堺市では、大美野のロータリーの他に、野線の初芝駅や白鷺駅の近くに小さいロータリーがあります。大美野は欧州の街を真似たということですが、他のところはなぜロータリーを採用したのか判りませんが、ここを通るときは何となく楽しい気分になります。

2011-01-15 10:16 | 記事へ | コメント(0) |
| 思いつくまま |
2011年01月09日(日)
誕生日
1月8日は私の誕生日です。1935年の同じ日に生まれた人の中に、エルヴィス・プレスリーがいます。時差の関係でこちらの方が少し早く生まれています。プレスリーは1977年に42歳で亡くなったのですが、私の方はお陰様で、今なお元気です。76歳の平均余命は11.4年ですから、このままなら87歳ぐらいまで生きられるという計算になっています。まだ10年あると見るか、もう10年しかないと見るか、微妙なところですが、なるようにしかなりませんから、1日、1日を好きなように生きるのがよいのだろうと思っています。
昨日はむかし御世話になった経営研究所の例会があるというので、ずいぶん久しぶりに出席してきました。いろいろな例会があるのですが、昔の仲間がまだ頑張って集まっている会があり、皆さんは相変わらず熱心にいろいろと議論をしていました。当時とは世の中が変わっているので、同じ経営理論が通用するかどうかは判らないのですが、根本的な考えは同じだろうと思います。ただ、昔の経営はどことなくおおらかなところがあって、人々がゆとりを持って働いていたのですが、いまが、何かぎすぎすして、何でも数字で話さないといけないのだということでした。
年初の例会だということで例会の後は新年の懇親会になり、そこでも議論がつきませんでした。
この研究会は、経営コンサルタントの故小林宏先生が主宰されていたもので、話題の中には、先生は1970年代に、いずれ日本を恐慌が襲うといわれていた、というのがありました。リーマンショック以来の不況がそれだろうというのです。
小林先生が何を根拠にされていたのかは判りませんが、いまの不況は、新興国の経済と先進国の経済が、同じ市場で真っ正面からぶっつかることで発生した、大きなパラダイム変換だと思います。先進国内はデフレとなり、新興国にはインフレが襲いかかります。それぞれの国内では所得格差が格差が拡大します。このような状態は先進国と新興国の所得格差が縮小するまで続きます。新興国が先進国の仲間入りすれば混乱が収まります。それまで10年かかるのか、20年かかるのか、長期の不況を覚悟しないといけないと思います。
2011-01-09 22:13 | 記事へ | コメント(0) |
| 思いつくまま |
2011年01月06日(木)
運転免許証の更新
高齢者になってから二度目の運転免許証の更新時期を迎えました。まず、高齢者講習を受けろということで、予約を取って会場に出かけました。
最初に視力の検査がありましたが、視野角度が131度で、年齢に対して下限ぎりぎりだという結果が出ました。夜間視力検査は、暗いところから急に明るいところに出たときに、何秒で視力が回復するかという時間を測定する検査ですが、結果は31秒で、60秒以内が正常ということになっているので、これはまずまずという結果でした。3年前にも同じ検査を受けたのですが、このときは60秒を超えてしまいました。裸眼視力が0.7で運転免許の条件には合格しているのですが、暗くなると見えなくなって、視力が回復しても夜間視力の条件に合わなくなります。今回は、このテストのときに眼鏡をかけましたので、夜間視力は正常という結果になりました。このことから、昼間は眼鏡なしで運転していますが、夜間はなるべく眼鏡をかけるようにしています。また、動体視力は0.2で標準よりやや劣るという結果が出ました。
次に知能の方の検査がありました。きょうは何月何日ですかといった検査があって、その前に見せられていた16枚の絵に何が書いてあるかを思い出す検査がありました。14枚まで書くことが出来たので、まあまあかと思います。しかし、今、思い出そうとすると7つしか思い出せないので、これで良いのかなと思っています。
後は実地に車を走らせて講習会が終わりました。講習の費用は6000円かかり、認知機能検査通知書という書類をわたされました。これに写真を添えて警察署に提出して免許証が交付されるという段取りです。
きょうは免許証ができあがる日でしたので、最寄りの西堺警察署まで20分ぐらいの道を歩いて行きました。今までの免許証は本籍地と現住所が書いてあったのですが、今回からは免許証にICチップが埋め込まれて本籍地はICチップの方に書き込まれているので、別に本籍確認票というのをわたされ、その紙に本籍が書かれています。このICチップにどのような情報が書かれているのかとか、そのような情報を、誰が、いつ、どのように使うのか、については一切説明されませんでした。読み取りには8ケタの暗証番号が必要で、忘れないようにしないと次の更新のときに困るのだろうと思います。便利になったのかどうかは判らないが、面倒になったことはたしかです。
同年齢の人の中には、もう運転はしないからということで、免許を返上する人が増えてきました。車を運転する機会も少なくなってきましたので、そろそろ免許証と車に縁を切ろうかと思っています。たぶんこれが最後の免許証更新になるのだろうと思っています。
2011-01-06 17:11 | 記事へ | コメント(0) |
| 思いつくまま |
2011年01月04日(火)
一病息災
高貴高齢者として元気に暮らしていますが、いわゆる一病息災のたぐいです。20年ほど前に海外に出張していて、極度の疲労感で動けなくなったことがあります。やっとこさ帰国して病院に行くと、血糖値が高く、コレステロールや中性脂肪の数値も高く、お医者様からこのままでは死んでしまうぞと脅かされました。一ヶ月ほど入院して何とか元の生活の戻ったのですが、それ以来、境界型の糖尿病を抱えることになりました。一般にこの病気は、食事制限を守り適度な運動をすれば現状の健康状態が維持が出来るということになています。
それ以来20年間、厳密に食事制限を守ってきたわけではありませんが、ほとんど毎日一万歩以上の歩行を続けて何とか許容範囲ぎりぎりの状態を保っています。しかし、日常生活ではもう少し気楽に食事をしたいし、これから先どれだけ歩き続けることが出来るか判らないので、何とかならないかという気になってきました。
一昨年の夏頃から毎日の血糖値を自分で測定することにしました。小さい針を指先に刺して出てくる血液を計器に吸わせると血糖値が表示されます。毎日計り出すと、不思議なことに血糖値が少し下がってきました。それでもまだ高めだったので何とかならないかと思っておりました。昨年になって病院の先生に、「かれこれ20年近く通って検査をしてもらっているが、治療としては食事療法と運動療法だけしか実行していない。医学が進歩しているなら、他に何とかなるような治療法があっても良さそうだが」と聞いてみました。先生は最近新しい薬が出てきたから試してみますかといわれ、三日間の検査入院の後、その薬を飲み始めました。グラクティブという薬で、効能書きには「食事を取ることによって小腸から血液中に分泌されるインクレチンというホルモンは膵臓に働きかけてインスリンの分泌を促す作用を持ちます。グラクティブ錠は、インクレチンの血中濃度を高めることによって血糖値を下げるお薬です}と書いてあります。膵臓から全くインスリンが分泌されない患者はインスリンの注射をします。また、インスリンの分泌が少ない患者には分泌を促す薬が使われます。新しい薬はインスリンを出す力はあるがうまくでない患者に向いているということのようです。
昨年の9月頃からこの薬を飲み始めました。最初は毎朝25mgの錠剤を一つ飲んでいました。たしかに効果があって血糖値が低く出始めました。11月からは毎朝50mgを飲むことにしましたところ、もう少し下がってきました。
現在、朝起きたときの空腹時血糖値は90から100で、これはほぼ正常値です。一方食後二時間値というのを夕食後に計っていますが、この方は日によって変化して、平均値は150位ですが、プラス・マイナス50位の変化が出ます。
これが140以下になれば良いのですが、なかなかそこまでは下がりません。これからどうするか、思案のしどころす。

2011-01-04 00:13 | 記事へ | コメント(0) |
| 思いつくまま |
2011年01月01日(土)
2011年を迎えて
後期高齢者となって初めての元旦を祝いました。後期高齢者というのは評判の悪い呼び方で、いろいろと揶揄されていますが、仲間内で高貴高齢者だという話が出て喝采を博しました。どのような呼び方をされるかは受け取り方次第で、とにかく75歳まで元気に生きてきたのだから、これを好機に頑張ろうということにすればいいと悟りました。
昨年来日本経済新聞が電子版を発行するようになり、しばらくは紙の新聞と併読していましたが、今年から電子版だけにしました。それまで紙の新聞で気になる記事を切り取ったり、それをスキャナーでパソコンに読み取ったりしていましたが、電子情報になって整理が容易になりました。
一般書物も電子化されるようになり、読書形態も変わりつつあります。今のところいろいろな端末があって、選択しずらいのですが大きさや色彩の条件などでいくつかの種類に集約されれば、利用が広まるでしょう。しかし、印刷物が消えるかどうかは判断がつきかねます。
今日の日経新聞に「三度目の危機」という題名の特集記事が出ています。そこには、徳川幕府の崩壊と明治維新、太平洋戦争の敗北、そして現在の経済混乱が外圧がもたらした大きな危機だと書かれています。今回の外圧の正体は新興国の台頭が引き起こした世界経済の大きな変化であり、そこには大きいパラダイムの変化を見ることが出来ます。世界の余剰資金が行き場を失ってアメリカの住宅市場に流入してバブルを発生させ、それがリーマンショックにつながったのも、元をといえば、このパラダイム・シフトが引き起こした先進国産業の低迷が原因だと言えます。日本では直接的に製造業が低賃金・低価格の競争の波に飲まれ、賃金の低下、失業、工場の閉鎖と海外移転と発展して、それが長引くデフレの原因となっています。したがって、国内でいくら金融を緩和して需要を拡大しようとしても海外要因のデフレに対しては全く無力で、このデフレは発展途上国が先進諸国と肩を並べるまでは解消が難しいという代物です。
それではどうすればよいのでしょうか。
紙上の識者の意見中では岩瀬大輔氏(ライフネット生命保険副社長)の意見が問題の本質をきちんと把握して答えを出しているように思います。そのまま引用させていただくと「昔は3世代 が同居するなど高齢者の面倒は家でみるのが当たり前だった。今はそれが免除されているのだから、高齢者を支えるのは現役世代の責任だ。ただ支えたいと思っても、元気で働いて、給料が上がる社会でないと支えられない。活力が湧くような社会の仕組みづくりが重要になる。
 政府の成長戦略に期待する声があるが、一流の企業経営者が考えても新たなビジネスは簡単には見つからないのだから、政府にできることは一つ。創意工夫や革新を生む社会にすることだ。既得権益者を守るような社会を変えれば今の若い世代は頑張れる。」
強いていえば若い人だけではなく、老若男女を問わず知恵をだして働くほかはないということだと思います。
一連の記事の中には例によって少子高齢化により世代間の不均衡が発生して若者世代は損をするということが書かれています。働き手が減って働く力が弱い高齢者が増えるのですから、若者世代の負担が大きくなるのは当然でこれは避けようがありません。その条件を与件として、一人あたりの所得を増やすような工夫を凝らすしかないのです。昨年ノーベル賞を受賞したお二人の科学者も高貴高齢者に近いお歳ですが、まだお元気で活躍をされています。老年世代も力は衰えていますが知力では何とか頑張れます。
2011年から始まる10年を日本の将来を決めるパラダイム再構築の時代にしたいモノです。







2011-01-01 23:56 | 記事へ | コメント(0) |
| 思いつくまま |