ニックネーム:ものづくり三世
性別:男
年齢:エルビス・プレスリーと同じ日に生まれた
都道府県:大阪府
2010年01月19日(火)
デフレについて @ 国内総生産から見たデフレの観察
今回は、景気の後退とデフレについて考えてみることにします。インターネットで調べると参考資料がたくさん出てきますが、市場の状況と統計資料を使って自分なりの理解を深めることにします。

2007年の秋から下降気味になった景気は、2008年9月のリーマン・ブラザース破綻によって急速に悪化しました。米国経済の縮小が輸出の減少につながり、企業収益の低下、設備投資の減少と連なって、個人消費や住宅建設の現象に及んで全面的な不況色が強くなりました。上昇機運にあった景気が世界同時不況の中で急速に下降した結果、供給力に比べて需要が減少し、物価を引き下げ、それが企業業績の悪化や個人所得の減少につながっています。このような需給の差、GDPギャップの拡大はデフレスパイラルを招くというので、神経質になっていますが、2009年11月に政府が月例経済報告で経済情勢について「物価の動向を総合してみると、緩やかなデフレ状況にある。」という報告をしました。それを受けて、政府や日銀に対して積極的なデフレ対策を求める論評が増えています。

統計上では、日本の国内総生産のデフレータは、1995年以降減少傾向が続いていますので、日本はデフレが常態化していると見られます。しかし、最近の景気後退とデフレを結びつけることだけでデフレ問題が解決するかどうかは判りません。デフレの要因はその時期によって異なっていますので、状況を把握するために、1980年以降の国内総生産の変化を、図1の名目暦年国内総生産で見ることにします。

まず、名目国内総生産は1980年から1987年までは平均変化率5.5%で増えています。1987年からは成長率は平均変化率7.3%の増加になり、平成バブルが発生ました。1990年にバブルが崩壊した後も、政府の景気対策などが働いて国内総生産は1997年まで平均変化率1.6%で上昇していました。しかし、1997年7月にアジアの経済危機が発生し、国内では北海道拓殖銀行が11月に破綻したことをきっかけとして金融業の最終調整が始まりました。そのために国内総生産は2003年まで下降線をたどり、2002年頃から2008年までの緩やかな回復につながっています。この期間は「いざなぎ景気」を越える長期の景気上昇だと言われていましたが、その背景には米国でのサブプライム・ローンの提供によるバブルの拡大がありました。しかし、2007年末から米国の金融不安や原油・原材料の高騰などで景気は停滞しはじめ、2008年のリーマン・ショックによって急速な下降を示しています。2009年の国内総生産の年間統計はまだ公表されていませんので、図1では1月から9月までの四半期データを平均して算入していますが、その段階では2008年よりさらに大幅な下降を示しています。

1980年から平成バブルが発生する1987年までは、名目国内総生産がほぼ直線状に拡大していました。これは少し余談になりますが、このような傾向は1972年頃から続いています。直線状であるということは毎年の国内総生産の増加額が一定であるということです。なぜその様になっているのか、何か必然的な根拠があるのか、たまたまそうなっていたのかは判りません。その結果、経済成長率は、分母になる国内生産額が大きくなるにつれて小さくなってきます。1972年から1973年には国内総生産が92.4兆円から112.5兆円に増えましたので成長率は21.8%でしたが、1986年から1987年では335.5兆円から349.8兆円の増加で成長率は5.2%に低下しています。

図1では、1980年から1987年までの経済成長の状態を直線で近似して、それを2007年頃まで外挿して表示しています。これと実際の国内総生産を比較すると、平成バブルの時期には過大な総生産が記録されて直線の上側に大きく膨らんでいることが判ります。1990年にバブルが崩壊した後は実際の国内総生産は徐々に元の直線の方に戻ってきます。ところが、1997年に直線と交差して、その後は横ばい状態になっています。もし日本経済のポテンシャルが元の直線で表す成長線上にあるとするなら、国内総生産の曲線は過剰な総生産を埋め合わせた後は直線上に戻ってくるか、あるいはこの直線と平行に上昇するはずですが、実際には横ばいを続けて成長線に戻れなくなっています。このことから、2000年以降の日本経済がバブル以前の成長路線とは違った路線を進んでいることが判ります。

このような景気の変化とデフレの影響を、さらに詳しく見るために、実質国民総生産とデフレータ変化率をグラフで対比させてみます。

図2の実質暦年国内総生産のグラフを見ると、バブル崩壊後の曲線は名目国内総生産のグラフに比べて成長が大きくなっています。2000年以降は景気が停滞しているのですが、それは名目経済であって、実質経済は成長路線に戻ろうとしていました。2008年9月のリーマン・ショックでその夢は挫折していますが、戦後の日本経済の記録では、このように実質国内総生産が下落したのは、1974年と1997年だけです。1974年は前年のインフレ抑制策の影響であり、今回と様子は異なりますが、1997年と2008年はバブルの終焉による景気の下降と見ることが出来ます。

図3のデフレータの動きを見ると、このような景気の変動とデフレ現象の関係がさらにはっきりとします。平成バブルの時期はインフレが進行しデフレータの前年比変化率が増加しました。その後バブルの崩壊と共にデフレータ変化率は減少していますが、1994年までは正の値を維持していました。しかし、1995年からマイナスの変化になりデフレ状態を示しています。1997年には消費税率の改定により一次的に物価が上昇していますが、その後はさらにデフレ傾向が継続しています。2005年頃からマイナス幅は少しずつ減っていますが、依然としてデフレータの低下は続いています。リーマン・ショックでデフレが進行したというのが一般的な考え方ですが、これはサブプライム・バブルによる価格上昇をはき出しているわけで、2009年の4月以降に急激な物価の下げが起こっています。

このような国民経済計算の観察によると、1980年以降の日本経済は実質ベースでは成長を維持してきましたが、その間に三つのデフレ現象を経験しています。それらは、(1) 平成バブルによって高騰した物価の調整、(2) 2000年以降の継続的な物価の低下、及び(3) 2009年の物価の急落です。この中で最も支配的なものは(2)の長期にわたるデフレの継続であり、最近問題視されている2009年の景気後退は、実質国内総生産の落ち込みが支配的であることが判ります。

註1) 国内総生産に関するグラフは内閣府経済社会総合研究所の国民経済計算の平成12歴年連鎖価格GDP需要項目別時系列表より作成。また、1980年より前の国内総生産に関する資料は平成2年基準の時系列表に準拠している。
註2) 国内総生産の平均変化率はその期間の初年の国内総生産に対する年平均変化率。
2010-01-19 09:40 | 記事へ | コメント(0) |
| 政治経済 |
2010年01月15日(金)
大阪府立大学
1月13日に大阪府立大学経済学部の同窓会が開催されました。大阪府の橋下知事は大阪には大学が沢山あるのだから、財政問題を抱えている府が費用を負担して大学を経営する必要はないだろうとか、大阪市立大学と重複する学部があるのだから、統合したら良いではないかというような見解を示して、大学の対応を求めています。大学の方は工学部などが主体となって研究の成果、人材育成の有用性などを知事に示して、大学の存続を訴えていますが、その過程で、12月3日に大学の理事長・学長から知事に対して改革案が提出されました。
改革案には、現在の7学部を4学域体制に移行させてして理系を強化した形にすると書かれています。大阪府立大学は農学部と工学部を母体にして出来た大学で、その後に経済学部を増設、社会福祉事業短期大学、看護大学、大阪女子大学を合併して、現在は工学部、生命環境科学部、理学部、経済学部、人間社会学部、看護学部、総合リハビリテーション学部を保有する総合大学になっています。新しい組織では、現代システム科学域、工学域、生命環境科学域、地域保健学域という四つの学域を持つ形になり、経済学部は現代システム科学域に移行することになっています。この学域は、知識情報システム学類、環境システム学類、マネジメント学類に分かれていて、経済学部はマネジメント学類を構成することになります。
このような大学の改革案の提出に先立ち、経済学部は11月26日に、改革案に対して「これは教育内容等の本質的議論がなされないまま作られたものであり、経済学部として同意できるものではない」ということを緊急声明として発表しています。
このようなやりとりは大学のオフィシャルサイトの中で公表されているので、極めて異常な状況です。大学の学生数は平成22年の募集人数では1学年が1362人でそのうち経済学部は250人になっていますが、総定員を維持したまま理系を強化するということは文系の学部の定員を減らすということなので、その点に特に経済学部が危機感を持っています。
大学院の社会人学生として経済学部に5年間お世話になったので、この一連の成り行きには危惧を抱いております。
元企業人として、世間一般の経済学部の教育について、以前から違和感を持っております。企業では経済学部などの文系学部の卒業生は企画管理、営業、資材調達、会計経理などの部門に配属されますが、一部の学生を除いて、ほとんどは大学で受けた教育とは関連の薄い業務に就きます。企業側では、学生が何を学んだかということより、何かを学んで身につける努力をしたことや、多くの人と交流をしたといった学生生活の経験を評価するということになります。このような仕組みが今後もこのまま続いて良いのかという点では、いくつかの動きがあるように思います。近年社会人を対象にした大学院教育が増えています。これは、社会人になってから改めて必要な学力を求めて大学に戻ってくる姿です。また、大学によっては教育の内容を社会のニーズに合わせて変えているところもあるようです。また、従来はほとんどの学生は4年間の学部を卒業すると就職していました。最近は大学院の前期課程で特定の部門の高度な教育を受けて、その知見が生かせるところに職を求めるということもできるようになっています。しかし、理系のように学部の卒業生の80%以上が大学院に進学し、より高度な技術知識を身につけて、それを職場で実用化するというのとは全く異なっています。
大阪府立大学の経済学部は大きな危機に直面していますが、大学教育の存在意義という点からその研究と教育の内容を検討して、新しい理念に基づいた制度に再編することが、社会のニーズに適合した大学という生き残りと将来発展につながるのではないかと思います。経済学の課程には、ミクロ経済、マクロ経済、計量経済といった基礎的な領域と、金融、財政、国際経済、地域経済、公共経済というような応用領域があります。これ等は学問としての領域であり、研究者や教育者の育成という点ではこのような領域で高度な教育を行うのは意味があると思いますが、社会の経済活動の役に立つ人材育成という視点では、人と社会、財の生産と分配、金融と財政、組織活動、というような切り口で学科を見直すことが必要で、いつまでも同じ講座が継承されていることに問題があるのではないかと思います。
昨年暮れに大阪大学工学の同窓会の機械部会総会で昔と今の教育制度の変遷についての説明がありました。50年前にあった講座名は全く姿を消して、ルーツをたどるのも難しい状態になっています。学部では、まず機械力学、熱力学、流体力学、固体力学という基礎学科をどこに出しても恥ずかしくないように徹底的に鍛え、その上に制御、情報、設計、生産というシステム概念を重ね合わせ、複合メカニックス、マイクロ機械科学、知能機械学、総合デザイン工学の4分野に整理して教育と研究を行っているということでした。高度な技術の進歩と、多様化した社会ニーズに対応するために大学の教科内容は、複雑すぎて理解できないほどに変わってしまっていました。
大阪府立大学の経済学部は、現在は経済、経営、法学の三分野の学域を包含した経済学科と経営学科に分かれています。このような枠組みは、過去の歴史の中でほとんどほとんど変わっていないのではないかと思います。もし、この3分野に情報処理の技術を加えれば社会が求める人材の教育ができる多様な仕組み作りができるのではないかと思います。ピンチはチャンスですから、この機会に新しい組織を作って欲しいと思います。国の将来はどれだけ技術革新により新しい産業を生み出すことが出来るかにかかっています。しかし、技術が生かされるためには、効率的なマネジメントが不可欠で、理系だけでは折角の技術が生かされません。ひとつのキャンパスに理系と文系の学部がありながらその間の交流がないのは宝の持ち腐れです。この点も大学改革の中に折り込んで欲しいと思います。
投入する財政資金が足りないから規模を縮小するということよりも、投入資金による成果を拡大して収益を増やす方がより健全だ、というのが経済学の教えではないでしょうか。
2010-01-15 14:12 | 記事へ | コメント(0) |
| 政治経済 |
2010年01月11日(月)
山口家住宅と町家喫茶「アカリ珈琲」
江戸時代の初期に建てられた町家が堺市の中心部に残っています。
1615年の大阪夏の陣のときに豊臣方が徳川の拠点となっていた堺のまちを焼き払いましたが、山口家住宅はその後に建てられたもので、350年ほど前の町家建築として1966年に国の指定重要文化財になっています。中世の自治都市であった堺のまちは環濠に囲まれていて、その外側に農地が拡がっていました。山口家は代々農地の庄屋を務めた家柄だったそうですが、住まいは環濠の中にあり、周辺の広い農地からの年貢米をこの屋敷に集めて収入としていたのです。
現在この住宅は堺市が保有して、歴史館として一般に公開していますが、昨日は山口家の当主山口敬さんのご案内で土間、お座敷、前栽、お蔵などを見学し、その後実際にこの家に住まわれていた頃の出来事などを伺う機会に恵まれました。山口さんの先代義一氏は昭和初期に政友会の幹事長を務めた代議士でしたから、敬さんは東京生まれで、父上が亡くなられてから堺に戻ってこられたそうです。

入口を入ると広い土間があり、それにそって長い上がり框が伸びています。出入りの人達は土間のところで応対して、親しい人だけがお座敷に上がるということだったそうです。
土間の天井は梁や棟木がむき出しになっています。外からものを運び込む広い開口部の上には、ことさらに太い梁が渡されていて、頑丈な建築を際だたせています。
土間にそって家族の居間があって、食事をする部屋には戸棚があり、そこには食器などが収納されていたそうです。当初は食事の際は家族がそれぞれの箱膳を使っていたが、後には一緒に丸いお膳を囲むようになったということで、明治から昭和への家庭の食事風景の変遷が語られました。炊事場は土間にあって、へっついさん(かまど)がしつらえてあります。昭和の頃にはガスコンロが付いたタイル張りのかまどあって、朝はおかゆを食べていたということで、町家のあさげの様子がうかがえました。歴史館として保存する際に古い資料にしたがって昔のかまどを再現したそうです。流しもタイル張りになっていますが、水道は使わず、井戸水を汲み置いて使っていたそうです。
土間の一角に畳敷きのところがあって、そこはおとこし(下男)とおなごし(女中)の食事をする場所だったとのことで、家族と使用人の居場所や食事の時の器なども区別されていたことが判ります。
玄関脇のお座敷は仏間になっていて、その向こう側の座敷は客間になっています。このお座敷とは別に、居間の反対側に奥座敷があって、そこには茶室があります。先々代は茶人で、ここで親しい方々をおもてなしになっていたそうです。奥座敷の前は前栽で、庭石や樹齢200年と伝えられる大きなハゼの木などが昔のままに残っています。
堺市内は昭和20年7月の大空襲で壊滅的な被害を受けましたが、山口家は被災を免れて最近行政の手で歴史的建築物として保存・公開されるようになりました。

山口家住宅のあるあたりは、堺の旧市街の北部で東には寺町、西には鉄砲町があって、歴史的な建物が数多くあるところです。鉄砲町のところに町家を改装した喫茶店があるというので、見学前に立ち寄ってランチをいただいてきました。目立った看板もなく、よく見ないとここがお店だとは気がつかないのですが、窓格子に「アカリ珈琲」と書いた板切れが立てかけてあって、その横にメニュウと営業中という掲示がありました。中は手作りふうの装飾で、お茶を飲んだりお酒をいただいたり出来るようになっています。人づてにお店のことが広がって、訪ねてくるお客が増えているとのことで、ご近所では若い人達が何かお店を始めようという動きも出てきているようです。戦国時代には世界有数の鉄砲生産地であったこの場所から、堺の包丁や自転車産業が発達し、そこにまた、何かしら新しいまちづくりが動き出すのかも知れません。
2010-01-11 16:44 | 記事へ | コメント(0) |
| まちづくり |
2010年01月08日(金)
Happy birthday
今日は私の75回目のお誕生日です。1935年(昭和10年)1月8日生まれというと、Elvis Presleyが有名ですが、日本では著名人は見あたりません。小泉元首相が1942年1月8日生まれで、Presleyのファンだということになっています。日本人で1935年に生まれた人の現在の生存数は129万人ですので、その中で1月8日に生まれた人は3,500人ぐらいだという計算になります。中学生の時に同じ日に生まれた同級生が2人いましたが、50人の中に3人というのは、かなり偏っていたことになります。
1935年は世界大恐慌の後で、世の中がきな臭くなってきた時期でした。母親のお腹の中にいたときに室戸台風が大阪湾を直撃して、海岸近くのわが家は水深1メートルの高潮をかぶってしまいました。中国大陸に戦乱が広まる中で、幼稚園に通っていた昭和15年には皇紀2600年の祭典が催されました。昭和16年には小学校が国民学校と改称されて、その年に一年生となりました。その年の12月8日の真珠湾攻撃で日本は米英両国との戦争に突入、昭和20年に敗戦の日を迎えました。国民学校はまた小学校になり、昭和22年に新しくできた新制中学校に入学しました。昭和25年に高等学校、28年に大学に進学、32年に社会人にと、焼け跡から立ち上がる日本の姿を見て過ごしました。昭和31年の経済白書に「もはや戦後ではない」という副題がつけられて、そこから日本の高度成長が始まったのですが、1990年のバブル崩壊までの道のりは、険しくとも常に右上がりの時代でした。
今振り返ってみると、よき時代を生きることが出来たという気もします。しかし、その期間の毎日が、将来の希望に満ちて過ごせたわけではありません。国を挙げて、色々な問題を一つずつ解決しながら進んできた結果であったと思います。
現在の日本経済は閉塞感に満ちていますが、焼け跡の中に呆然と立ちつくした昭和20年と比べてみれば、それは天国と地獄の差だと思います。足下を踏みしめて、一歩一歩前に進むことがより豊かな未来を造るのです。
Happy birthday to myself! 乾杯!
ワインはMouton Cadet rouge, 2006、女房と二人でハーフボトル1本が適量です。
2010-01-08 23:59 | 記事へ | コメント(1) |
| 日常生活 |
2010年01月07日(木)
ブログ再開にあたって
2010年も既に今日で1週間が過ぎました。「光陰矢の如し」と言いますが、近年は文字通り光の速度で日常生活が飛んで行くような気がします。20世紀が終わって新しい世紀が始まった年に、43年間のサラリーマン生活に終止符を打って年金生活者の仲間入りをしました。その頃はまだ心身共に元気だったので、「人生一周り半」論を唱えて社会人学生となりました。5年間の大学院生活は新鮮で、何となく別な人生が始まったような気がしました。行きがかりではじめた経済学研究に一区切りをつけて、そこからは行き当たりばったりで、年金制度の勉強やらまちづくりやらに首を突っ込んでいるうちに、気がついたら明日からは後期高齢者ということになってしまいました。統計では75歳の男性の平均余命は11.4年ですから、手持ち時間は10年少々ということになります。寿命は授かりものですからどうなるかわかりませんが、頭の働きはどんどん衰えてゆくことは間違いがありません。
まだまだ先は長いと思っていましたが、ここからは短期決戦で行かねばと思い立ち、手始めに2007年から中断していたブログを再開することにしました。今日は再開第一便を発信します。どんなブログになるのかはやってみないとわかりませんが、できるだけ新鮮な情報を発信したいと思っております。
まだお正月気分が抜けきれませんので、今日は、景気づけに、わが家のお正月の床の間を飾る掛け軸の絵を添えて画面をにぎやかに致します。これはお目出度い場面で演じられる雅楽「還城楽」の舞姿です。

2010-01-07 21:40 | 記事へ | コメント(0) |
| 日常生活 |
2007年01月01日(月)
謹賀新年
生まれてから足かけ7年目の亥年が巡ってきた。十二支が6まわりして、1月8日には72歳になる。同じ日に生まれたエルビス・プレスリーも生きていれば72歳になるが、彼は1977年に42歳で亡くなってしまった。
1年前に開設したブログは、中だるみもあったが、どうやら年末まで書き続けることが出来た。一区切りが長くなって、ブログの世界では読みづらい文章になってしまったので、今年は少し工夫をしたいと思っている。しかし、考えているうちにどんどん時間が経ってしまうので、実現が何時になるかは判らない。そのうち、そのうち、にならないようにしたいと思っている。
年金問題はきりがないが、一応一番大事なところは整理したつもりだ。サラリーマンの配偶者のような第3号被保険者に関する個人格差の問題や国民年金の保険料の問題などについては、これから考えて行きたい。厚生年金については保険料の上限を引き上げるというような話があるので、その点についても調べてみたい。
その次のステップは、話題を拡げて、色々と考えていることを書いてみようと思っている。
お雑煮を食べて、年賀状を読んでいるうちにもう一日が終わろうとしている。月日の経つのがなんと早いことか。
2007-01-01 14:35 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(354) |
| 老学の道筋 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/hamaderan/trackback/23/
2006年12月29日(金)
年金に関する考察 補論1
厚生労働省が12月20日に新しい「将来推計人口」を公表した。この報告によると、2055年には、65歳以上の高齢人口が3646万人、15歳から64歳までの生産人口は4595万人となって、働き手1.3人が高齢者1人を支えることになる。
新聞紙上の解説では、例えば日本経済新聞では、識者の見方として、「年金制度への影響は深刻だ。このままでは賦課方式はもたない。給付の切り下げや大胆な制度改正は避けられなくなる。介護でも構図は同じで、今より若い世代まで負担を求められるようになって、世代間対立が激化する恐れがある。」と報じている。書き手の渥美由貴氏は富士通総研の主任研究員で、社会保障制度、人口問題などの専門家であるが、「賦課方式はもたない」とか「大胆な制度改正は避けられない」という主張は適切ではない。
仮に、全国民が厚生年金と同じような年金制度に加入しているとする。既に説明しているように、少子高齢化が進めば保険料を増やし年金給付額は減らさなければならない。2005年の働き手は高齢者1人に対して3.3人である。積立金収益や元本の取り崩しを考慮せず、所得代替率を60%に固定し、2005年の働き手一人あたりの所得を100とする。そうすると、2005年の高齢者1人あたりの年金給付額は50.4であるが、働き手が減り高齢者が増える2055年には40.6に減るので、高齢者の生活水準は2005年の80.1%程度に下がることになる。このとき、働き手一人当たりの所得から保険料を引いた額は84.5から67.7に下がるので、こちらも生活水準は80.1%になる(可処分所得の計算には税金や健康保険料などの控除が含まれるが、ここでは省略している)。このような生活水準の比較は、年金制度があろうが無かろうが、こうなるという話であって、もし、年金制度がなければ、家庭内でこのような私的扶養が必要になる。
ここでは、所得代替率を60パーセントに固定しているが、60パーセントという水準が適切かどうかは検討の余地がある。厚生労働省の平成16年年金制度改正では、将来は、現在の60パーセント付近から50パーセントまで低下することを容認している。これは60パーセントという水準が高すぎるという判断によると思われるが、きちんと検証してそう決めているようには見えない。そもそも、所得代替率は成り行きで上げたり下げたりして良いものではない。充分に議論して適正水準を決めて、その水準を維持することが大切である。しかし、そのときの水準がたとえ高齢者に有利なものであっても、高齢者から働き手に、孫へのお小遣いのような形で働き手にお金が戻ることになる。逆に高齢者の年金水準が低ければ、それに見合う家庭内扶養が必要になるので、現実には均衡が保たれるだろう。
このようにして所得代替率を60パーセントに固定すると、2055年の保険料率は32.3パーセントになる。もし厚生労働省が決めた保険料の上限である18.3%を維持しようとすると、年金給付額の低下が大きくなり、所得代替率が大幅に下がって50%という最低条件を守れなくなる可能性がある。厚生労働省の計算は、所得の上昇と積立金の取り崩しを勘案しているので、年金の低下はその分だけ緩やかになるが、それを計算に入れなければ、働き手の可処分所得が81.7あるのに、年金給付額は23.1に下がって、所得代替率が28.2パーセントになってしまう。これでは高齢者の生活が維持できなくなる。厚生労働省はそうなる前に年金給付の引き下げを停止するというが、その代わりにどうするのかは決めていない。不自然な調整を止めて、所得代替率を固定して保険料の上昇を容認すれば、「賦課方式がもたない」ということにはならない。その時、働き手と高齢者は同じ水準で貧しくなる。働き手にとっては、扶養すべき総人口が大きくなるので負担は大きくなるが、それはその時代の宿命であり、高齢者が多すぎるからといって山に捨てる様なことは出来ない。識者達はすぐに世代間の対立というが、親子の世代が共に貧しくなるので、それを対立というのはおかしい。とにかく、高齢者の年金が多すぎるという見方が支配的で、その意向と、保険料が上がると年金離れが起こるという考えとが重なって、保険料に上限を設けたのであるが、少子高齢化が大幅に進むとそんなことはいっておれなくなる。
このような状況は救いがないかというと、そうではない。所得が増えれば問題は解決する。いくら所得が増えればよいかというと、働き手の所得が2005年から2055年までの49年間に24.8パーセント増えれば、両世代が共に2005年の水準を維持することが出来て、その時の所得代替率は60パーセントに保てる。この24.8パーセントの増加率は、年率に置き換えると、0.45パーセント強であるから、それぐらいはがんばれるだろうという数字になっている。厚生労働省の平成16年の財政再計算結果に使われている2008年から2032年の平均実質賃金上昇率は1.18%になっている。その中の0.45パーセントを保険料の増加にあてれば、少子高齢化による年金問題は解消することになる。問題は、はたして所得が増えるのかどうかにかかっている。
ところで、渥美氏は「大胆な制度改正は避けられない」と主張しているが、どのような制度改正を想定しているのであろうか。積立方式に移行するとか、賦課方式の公的年金を放棄して個人年金に逃げるとかの方法を考えているのかも知れないが、積立方式が、少子高齢化によって縮小する経済の中で安泰であるとは考えられない。例えば、積立金を銀行に預けるとする。高齢者がその預金を引き出して老後の生活にあてようとするとき、銀行はそれに相当する新たな預金を必要とする。少子化になると次世代からの預金も減少するから、引き出しに応じられなくなる。もし引き出しに応じるとすれば、運用資金を引き揚げなければならない。このようにして経済が縮小してゆく中で、積立金に対する実質金利はマイナスになり、結局高齢者が使える積立方式の年金は縮小するはずである。
渥美(2002.12) 「公的年金の財政方式をめぐる議論」、『みずほREPORT No. 3』には、「少子高齢化が進展する場合、賦課方式においては、給付建てであれば保険料率が上がり、逆に拠出建てであれば給付額は減っていく。先に生まれた世代よりも後世代の方が支払う保険料率が高くなる、あるいは年金給付額が少なくなるという「世代間の不公平」は、賦課方式においては不可避的に生じることになる。これに対して、「積立方式」とは、将来の年金給付に必要な原資を現役世代が自分たちのためにあらかじめ積み立てていく方法である。積立方式のもとでは、保険料率は積立金の運用利回りや物価上昇率などの影響を受ける。つまり低金利や高インフレ下では、保険料率が上がっていく。」、「積立方式への移行は、年金収支を世代ごとに均衡させるので、世代間格差を是正できるという長所がある。他方で、積立方式へ移行した場合は、現役世代が自らの積立分と親世代への給付分を二重に負担しなくてはならないという短所がある。二重の負担を軽減するためには、年金給付を大きく削減せざるを得ない。このため、実現可能性は低いという意見もある。」と書かれている。
これは、賦課方式と積立方式に対する渥美氏の解説であり、一般的な説明も大体この通りである。ここに書かれている「低金利や高インフレ下では、保険料率が上がっていく。」というくだりと、「積立方式への移行は、年金収支を世代ごとに均衡させるので、世代間格差を是正できるという長所がある。」というところは、条件次第で矛盾するところである。少子高齢化が進むと、生産性が大幅に向上しないと人口一人当たりの所得が減少して経済は縮小する。その時、金利は低下すると思われる。物価はどうなるかは判らない。通常は経済が縮小すると物価は下がる。しかし、もし高齢者が資産を持つ状態で生産が落ち込んで財の供給が減ったとしたら物価は上昇する。多分、賦課方式の時と同様に、働き手も高齢者も同じ所得水準で推移するだろう。つまり、賦課方式が駄目なときにはその他の方式でも駄目であり、大胆な制度改正の路はないはずである。
2006-12-29 15:17 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(189) |
| 年金生活者の年金制度論 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/hamaderan/trackback/22/
2006年12月07日(木)
年金に関する考察 その13
考察 その12の等式を再録する。
保険料/所得=1/(被保険者数/年金受給者数) x( 1/所得代替率) + 1 (4)
年金給付額=所得/(1/所得代替率 + 1/(被保険者数/年金受給者数)) (5)
この等式は厚生年金の保険料率と年金給付額を決定する基本式であるが、前回の説明で抜けている事項がある。それは、厚生年金保険制度では被保険者が支払う保険料と同額の保険料を雇用者である企業が支払うという条件である。これを厳密に適用すると、上記の等式は形が少し変わるが、基本的な考えを議論する上では問題とならないので、簡単のためにこれらの等式を使って説明を続ける。また、基礎年金の部分には国庫負担金が追加になるので、これも含めると等式の形が変わることになる。さらに、平成16年の年金改革では現在保有している積立金を100年先までに取り崩して年金支給額の一年分ぐらいにまで圧縮するということになっているので、その取り崩し額が年金給付に追加されるし、積立金の運用収益も年金支給額に追加されることになる。 
これらの事項を承知した上で、等式(4)と(5)が示している基本的な条件を見ることにする。これらの式で、保険料率と年金給付額を決定するものは、所得、被保険者数と年金受給者数の比率、および、所得代替率の三項目である。これらの項目の中で、所得はその時の経済情勢によって決まるもので、年金制度によって直接左右されるものではない。また、被保険者数と年金受給者数の比率も、出生率や死亡率によって決まるもので、年金制度が支配するものではない。ところが所得代替率は年金制度を構築する際に決まってくるもので、現役世代と退職世代の生計費を勘案して、相互に公平であると認め合える水準に決められるべきものである。
年金問題を論じるときには、必ずと言っていいほどに、少子高齢化によって年金財政不安や世代間の不公平の問題が生じるというように議論が展開されている。しかし、いくら議論しても、少子高齢化によって現役世代が退職世代を扶養するための負担が大きくなることと、退職世代に対する給付額が減少してゆくことは避けようがない。また、それは年金制度があろうが無かろうが、現役世代と退職世代が同じ水準の生活を維持するということを望む限り、避けようのないことである。年金制度の管理者である厚生労働省や指導的立場にある学識経験者は、まずこのことを国民に説明して納得して貰うことが肝要である。負担が増えて給付が減ることは誰しも望まないので、そのような説明はしたくないだろうが、そうしないことには、年金制度に対する国民の信頼を得ることは出来ない。
平成16年の年金改革では、厚生労働省は、「保険料の上昇を極力抑え、将来水準を固定」するということで、厚生年金では保険料率を毎年0.354%ずつ引き上げ、平成29年以降は18.3%に固定すると定めている。また、「老後生活の基本的部分を支える給付水準を確保」するということで、所得代替率を、50%を上回る水準に保つことを約束している。保険料率の固定と所得代替率の下限を決めるということは、上記の等式(4)と(5)では、被保険者数と年金受給者数の比率がある限度以下になった場合には成立しなくなる。したがって、厚生労働省は理論的に出来ないことを約束していることになる。
厚生労働省は、「年金を支える力と給付のバランスを取れる仕組み」を用意しているという。この仕組みをマクロスライド調整と名付けているが、はっきり言えば所得代替率を引き下げる調整である。これは、100年後に年金財政が均衡できないと見込まれた際には、被保険者数と年金給付者数の比率の低下に応じた一定の率(スライド調整率)を賃金や物価上昇に伴う年金給付額の調整率から差し引くものであり、現役世代の賃金の上昇よりも年金給付額の上昇を少なくするので、所得代替率の引き下げを意味する。このマクロスライド調整の仕組みは、スライドによって調整が負になるときにはゼロに留めるという条件がついていて、これが名目額を下げないという表現になっているが、このような調整と上記の等式による論理的な給付の引き下げ幅との関係は判りにくい。この調整に対して、「給付水準が50%を割り込むことが予想されるときには、マクロスライドによる調整を停止し、給付や負担の在り方について再検討することとしている」という。これは厚生労働省の逃げ口上である。
このように、平成16年の年金制度改正は、所得代替率の適正な水準に対してほとんど議論をすることなく、成り行きでそれを引き下げるということを盛り込んでいる点で、年金受給者の期待を裏切っている。さらに、保険料の上限設定と所得代替率の下限設定という不合理な条件を提供し、それが成り立たなくなる可能性があることを承知の上で押しつけていることになる。厚生労働省は所得代替率が50%に近づくのは20年ぐらい先になるので、その頃にまた見直せばいいというが、この考えは横着というものである。
所得代替率を下げるということは、直接には年金受給者に影響を与える問題である。しかし、もしその水準が現役世代と退職世代の生活水準を比較したときに、退職世代に低い水準を与えるものだとしたら、現役世代は将来退職したときの生活水準が低くなるのであるから、現役世代にも問題を与えることになる。そうすると、現役世代は将来に備えて貯蓄を増やすことになり、可処分所得が減少するので、折角保険料の上昇に上限を設けても、意味がないことになる。さらに、同じ家庭に親世代がいれば、その世代の年金額が減るのであるから、家庭内の私的扶養が必要になる。つまり、賦課方式の公的年金の制度運用を制限すると、それを埋める積立方式の私的扶養が必要になり、そこには二重支払の問題が発生する可能性もあり得る。したがって、厚生労働省は保険料に上限を設けるというのは余計なお節介である。ここは、原点に戻って所得代替率の適正化に注力をしてほしいものである。
2006-12-07 17:31 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 年金生活者の年金制度論 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/hamaderan/trackback/21/
2006年12月05日(火)
年金に関する考察 その12
考察その10で取り上げた厚生労働省のデーターでは、近年の給付と負担の倍数は2.3で落ち着いているように見えるが、少数点以下3桁目を見れば、倍数は徐々に低下している。これは少子高齢化の影響であって、前述の家庭内扶養の問題とは異なるものである。ここで、賦課方式の年金制度では少子高齢化が進むと、保険料と給付額の比率が変化することは避けられないということに触れることにする。厚生年金の一人あたり平均保険料を保険料、一人あたり平均年金給付額を年金給付額と書き、被保険者数と受給者数を取り上げると、賦課方式の原則から、
保険料x被保険者数=年金給付額x年金受給者数 (1) 
という関係が成立する。この式を書き換えると、
年金給付額/保険料=被保険者数/年金受給者数 (2)
となる。少子高齢化になると年金受給者数が増えて被保険者数が減るので、右辺が小さくなる。そうすると、左辺では年金給付額を一定に保とうとすると保険料を高くしなければならないし、保険料を抑えると給付が少なくなる。この式は各年毎の状況を示しているが、被保険者としての40年とその後の受給期間を取り上げると、年代が後になると少子高齢化が進むので、この傾向が各世代の生涯の保険料と年金給付額の比率に現れてくる。したがって、後の世代になるほど年金受給額に比べて保険料が高くなり、負担に対する給付の倍数は小さくなる。賦課方式では、保険料と年金給付額の関係は、(2)式だけに依存しているので、世代間格差の拡大は少子高齢化の必然的な結果であり、年金制度をどのようにいじっても、この関係からは通常では抜け出せない。
唯一考えられる手段は、少子高齢化の下で (2)式の右辺である(被保険者数/年金受給者数) を大きくすることであり、それは年金給付年齢を引き上げること、つまり、高齢になっても働いて被保険者から受給者になることを抑制することである。しかし、そこには自ずと限界がある。現在の受給開始年齢の65歳を70歳にして、誰もがその年まで働くことが出来れば、その効果はあるはずであるが、実際には高齢者の就職機会は少ないし、それをさらに引き上げるというのは実際的ではないので、この方策が機能する範囲には限界がある。
ここで、所与の少子高齢化状況の下で、左辺にある年金給付額と保険料との相互の関係を見ることにする。現役世代の所得から保険料を支払った残りを現役世代の実所得と考える。退職世代の実所得は年金給付額である。このとき、退職世代と現役世代の実所得の比を所得代替率と呼び、
所得代替率=年金給付額/(所得−保険料) (3)
になる。( 厚生労働省の定義では、所得代替率は現役世代のボーナス込みの手取り賃金に対する年金額の割合ということになっている。この場合は、保険料の他に所得税やその他の控除額が関係しているが、上記の式では保険料以外の控除は省略している。)
親世代と子世代が同じ所得水準にあるとすれば、所得代替率は100%になる。慣例的に所得代替率は50%付近になっているが、これは、現役世代は資産形成や子供の扶養等の経費が大きいと考えている結果である。しかし、このような水準の所得代替率では、退職後の生活は年金だけでは賄えないので、もし年金に重きを置くなら、現役時代にもう少し多くの保険料を支払っておくべきであろうと思う。しかし、世の中の趨勢は老後の生活費に対して、このような年金が占める割合を低くして他の形の資産形成を重く見る傾向にあるようである。しかし、そのような考え方には賛成できない。年金制度はあくまでも老後の生活を支える主要な役割を果たすようなものであるべきだろう。そうすると、所得代替率は少なくとも60%程度には維持したいし、少子高齢化がさらに進んでもその水準は一定に保たねばならない性格のものである。
所得代替率の考えを取り入れると、賦課方式の原則式(2)と所得代替率の定義式(3)から、次の二つの等式が導かれる。
保険料/所得=1/(被保険者数/年金受給者数) x( 1/所得代替率) + 1 (4)
年金給付額=所得/(1/所得代替率 + 1/(被保険者数/年金受給者数)) (5)
(4)式の左辺は、所得に対する保険料率に相当する。
親世代と子世代が、ある水準の所得代替率に合意したとする。所得代替率がその水準で一定に保たれ、所得水準も変化しない場合、少子高齢化が進み (被保険者数/年金受給者数) が小さくなると、(4)式では右辺が小さくなり保険料率は高くなる。所得が一定であるから保険料も高くなる。これは最初に(2)式にしたがって調べた結果と同じである。また、(5)式では、少子高齢化が進むと、年金給付額が少なくなる。これも(2)式で調べた結果と同じである。ただ、先の場合には「保険料が高くなるか、年金給付額が少なくなるか」という表現であったが、ここでは「保険料が高くなり、年金給付額は少なくなる」というように両方が同時に起こることがはっきりしている。つまり、少子高齢化になると、親世代も子世代も同じように実所得が減少して、生活水準を下げなければならないと言うことであり、どちらが得とか損とかいうことにはならない。親世代と子世代が同じ一家の家族であれば、これは当然の成り行きであろう。何時の時代でも、現役世代が働いて未成年世代と退職世代を養うというのは宿命であり、もし働き手の数が減って所得が落ち込めば一家が生活を切り詰める他はない。働き手だけが贅沢をすることもよくないし、退職世代が余計な負担をかけるのも間違っている。
これは所得代替率が一定という条件を取り入れているからである。もし、所得代替率が低下しても良いと言うことなら、(4)式では保険料が下がり、(5)式では年金給付額が低下して、ある条件では保険料が高くならず年金給付額だけが低下することも可能になる。
少子高齢化になってもそれぞれの世代がもとの生活水準を維持するには、所得を増やすしかないことになる。所得が増えると、保険料率が一定であるので、保険料は増えるが実収入も増えるし、年金給付額も増える。
この考察その12で示す(4)式と(5)式の関係は非常に重要で、この関係を理解すれば、一般的に問題になっている世代間の損得とそれに対する若年世代の不満も収まるはずである。厚生労働省の2004年の年金改革も、それに対する学識経験者の批判も、この式の意味するところを明らかにしていないので、議論の焦点が定まらないように見える。
この次は、もう少し具体的にこの問題を展開することにする。なお、(1)から(5)までの等式は見やすく書き改めて下に掲載しておく。
2006-12-05 15:06 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 年金生活者の年金制度論 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/hamaderan/trackback/20/
2006年11月27日(月)
年金に関する考察 その11
高山(2004)pp. 54-56には次のような趣旨の記述がある。「日本経済の豊かさをもたらした高齢者や団塊の世代は、高度成長期に年金給付水準を大幅に引き上げても、その負担は将来どうにかなると楽観視してきた。錯覚と慢心にもとづく給付の先食いが30年間にわたって続き、1980年以降の将来給付の抑制に対しても既得権が尊重されてきた。また、負担面でも右上がり経済信仰の下で増加が先送りされ、年寄りや団塊の世代は、600億円の債務の大半を発生させた。このような負担の先送りは、若者から見れば不作為の罪に相当している。」
高齢者の一人として、この発言は納得できるものではない。戦後に年金制度が整備され始めた頃、年金の恩恵に浴さない親世代を私的扶養しながら自分の保険料を支払っていた。その頃の保険料は数パーセントであったが、私的扶養はそれ以上の負担になっていた。親世代が減ってきた頃から年金の保険料は増加している。40数年経って、やっと年金を貰うようになり、その額は多くはないが最低限の生活を保障してくれるので有り難いと思っている。しかし、何時の時点でも、保険料はいわれるままに支払って来たし、給付を増やせと叫んだこともない。ただ、働いて働いての生活であった。そのあげく錯覚と慢心で多額の債務を発生させたといわれるのでは立つ瀬がない。600兆円の債務というが、債務があるということは債権があるということである。被保険者として長年保険料を支払ってきた高齢者は、その見返りとして年金を受け取る資格を得る。これは債権というべきものであろう。その額は厚生年金の平成11年の財政計算では720兆円と推定している。これに対して、積立金170兆円と国庫負担金100兆円を引き当てると、残りが450兆円となっていた。これを過剰債務といっているのであるが、賦課方式の年金制度では年金当局の債務は次世代の保険料が引き当てられることになっている。この引き当てが過剰かどうかという判断は所得代替率によって判断すべきものであるが、少なくとも、過去の保険料と年金給付の収支は170兆円の黒字であって、期間損益による債務が持ち越されているわけではない。高齢者世代が年金制度に支払った保険料は、これからの世代が支払う保険料の水準よりは低いが、前世代の扶養という点では私的扶養も含めてその責務を全うしている。過去に高齢者が路頭に迷うということはなかったというのが、その証である。だから、600兆円の大半が過剰債務だという議論は理解できない。
もし、過去の被保険者が、将来の被保険者から非難されるという点があるとすれば、それは、過去には現役世代の人数が退職世代の人数に比べて多かったので、所得代替率を高くしても保険料の負担は大きくなかったので、黙って負担していたが、将来はそのような高い所得代替率は維持できないという点であろう。適切な所得代替率がいくらであるかという議論がどこまでなされているのかという点は不案内であるが、過去の60%を超える水準が妥当なのか、あるいは今いわれている50%を割らないという線が妥当なのかは、十分議論すべき問題である。これは、親と子が同じ水準の生活をするという前提で決められるべきものであり、保険料の負担が大きいとか、年金の給付水準が低いとかいう一方的な議論で決めるべきではない。 この点については、次回以降に議論をすることになる。
2006-11-27 23:29 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(12) |
| 年金生活者の年金制度論 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/hamaderan/trackback/19/
年金に関する考察 その10
前項の所得再分配による世代間格差は、たとえそのような格差が存在しても、問題にするようなものではないというのが、西沢和彦(2003)、『年金大改革』の意見である。たとえ格差があっても、若年世代はいずれ高齢者世代になるのだから、生涯の所得を考えれば格差は存在しないと言える。本当に問題になるのは、生まれた年代が異なる世代間の格差であるという。
『平成16年度財政再計算結果』では、生まれた年代が異なる世代の生涯の保険料負担と年金給付額の表を掲載している。厚生年金についての概要を示すのが、下図の上側の表である。この表は、平成17年(2005)における年齢が0歳から70歳までの同年齢の夫婦の場合で、夫は20歳から60歳まで厚生年金に加入し、その平均標準報酬月額が36.0万円で、妻はその間専業主婦であるが昭和60年以前は国民保険に加入していない、という状態を想定している(1935年生まれのものは、その90%の期間のみ加入している) 。 受給期間は男女の60歳における平均余命まで生きるものと考え、夫婦の厚生年金・基礎年金と妻が受け取る遺族年金を含んでいる。60歳からの給付分と65歳以降の給付分が計算されているが、65歳以降給付の計算結果では、負担と給付の倍率が、1935年生まれの70歳の夫婦では6.4、1965年生まれの40歳の夫婦では2.7、2005年生まれで0歳の将来夫婦は2.3となっている。この数字を見ると世代間の格差が大きく、1935年生まれの夫婦の方が随分得をしているようになっている。この計算では、保険料は被保険者が支払った分のみが使われているので、支払った保険料の2倍以上の給付を受ける計算になっているが、実際は、厚生年金の保険料には企業負担分があるし、基礎年金には国庫負担金が加算されるので、それを合わせると給付額は保険料とほぼ同額になるはずである。
西沢(2003)の独自の計算では、企業が負担する保険料も保険料支払額に加えている。この計算は2004年改正以前の条件によるもので、若年世代の収支倍数は0.6とか0.7となって、支払った保険料よりも受け取る給付額が少なくなるという結果が示されている。旧厚生省の『1999年財政再計算結果』にも、西沢(2003)と同じような条件の下で、被保険者が支払った保険料に対する計算結果が掲載されていて、若年世代では倍数が1.5になっている。これは西沢(2003)の0.6とか0.7に相当する数値で、分母になる保険料の解釈が違うから厚生省の計算は倍率が約2倍になっている。どちらの方式で計算しようとも、根拠がはっきりしているのだから、同じものと解釈すればいいが、諸学者は、この点に拘って議論をしている。高山(2004)では、企業負担分は本来賃金として従業員に支払われるべきものを保険料として納めているのだから、これは被保険者が負担しているとして計算すべきだという。一方、堀(2005)では、もし保険料として納める必要がないような場合でも、企業がそれを賃金として従業員に支払うとは限らないのだから、これを被保険者負担とする計算は納得できないとし、若い世代でも納めた保険料の2.3倍が年金として帰ってくると思えば、年金離れなど起こらない。自分なら、可能ならば、2口でも保険料を納めたいと思う、と書いている。それは有り得ない話であり、解釈がどうあれ、保険料と年金給付の実態は変わらないのだから、これ以上議論しても仕方がない話であろう。
それよりも、なぜ世代間の倍数に差が出るのかという点を明らかにする方が重要である。『平成16年度財政再計算結果』の中に「世代間の給付と負担の関係を見る上での背景」という項があり、その中に、下の図が掲載されている。昭和23-40年代の保険料率は3〜5%であり、積立方式を想定した平準保険料率よりも低く抑えられていた。実際に年金を受け取る人も少なかったので、そのような少ない保険料でも剰余金が出て積立金が増加していた。その一方で、年金をもらえない高齢者が大勢いて、その人達は家庭内で私的扶養を受けていた。その時代の現役世代は高額の保険料を支払う代わりに、直接に親世代を扶養していたことになる。年金制度が次第に成熟し私的扶養の比重が減るにつれて保険料率も引き上げられて来た。その過程では、政治的に給付は高く負担は低くという傾向があったが、ごく最近まで積立金を減らすようなことはなかった。したがって、図に示されるように、私的扶養と公的扶養を合算すると、現在の高齢世代の費用負担が異常に少ないということではなかったことが判る。ただ、この点について厚生労働省も明確な数字を上げた説明をしていないのは、私的扶養の規模が統計上把握できなかったからである。したがって、上側の数表に出ているような6.4倍対2.3倍のような大きい格差が示されることになってしまう。もし、私的扶養が金額で示されれば、この数表は別の形になるはずである。どの論者もこのことはよく知っているはずであるが、なぜかこの点については口を閉ざして、格差の拡大だけを大きく取り上げている。
2006-11-27 21:28 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 年金生活者の年金制度論 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/hamaderan/trackback/18/
2006年11月20日(月)
年金に関する考察 その9
現行の年金制度は世代間の格差が大きいので、若年世代が損をしているから、若年世代は年金不信に陥っている、という論調が随所に見かけられる。このようなことをかき立てると、それがさらに年金不信を助長してしまう。
世代間格差には色々な形があり、それぞれに異なった原因がある。まず、高山(2004)では再分配所得の老若逆転という形が取り上げられている。これは社会保障によって所得が再配分されるが、その結果、所得が若年層から高齢者層に分配され、分配を受ける高齢者の所得水準は若年層よりも高くなるというデータが提供されている。このデータの原資料は厚生省『所得再分配調査』(1996)で、これを再集計したと説明されている。
下図の上側のグラフは、同じ趣旨のデータを、平成14年度の『所得再分配調査』に従って作成したものである。ここでは、再分配前の所得 (青色の線)と、再分配後の所得(緑色の線)と、その時の可処分所得(ピンク色の線)がグラグに表されている。高山(2004)には可処分所得は画かれていない。統計を作成した時期は異なるが、二つのデータに大きい違いはない。同じデータでも、厚生労働省は所得の再分配により社会保障が十分機能していることを表明したいのであるが、高山(2004)は所得の再分配が高齢者に過剰な所得移転を与えていると解釈している。その結果をもとにして、高山(2004)は何らかの給付調整が必要だろうと述べている。「何らかの」というところは明言を避けているが、将来の給付を所得に応じて削減するとか、保険料の増額より消費税の導入を選択して、受給者も費用負担の仲間に入れるなどが提案の中に織り込まれている。
高山(2004)の格差に対する見解を、そのまま受け入れて良いのかどうかについて、この所得再分配は年金だけではなく、医療や介護などの他の社会保障が含まれていて、それらは現物支給になっていることを考えておかなければならない。このような費用は高齢者の方が多く必要とするものであり、それだけ保険給付が大きくなるのは当然である。その影響を取り除くには可処分所得で見る方が妥当ではないかと思える。そうすると、高齢者の所得が一段低く表されるようになり、高齢者が特に優遇されているとは言えなくなる。
当初所得を100%とすると、再分配された年金・恩給は17.7%、医療保険は10.8%であり、年金が再分配のすべてではないことが判る。また、この再分配は、拠出が18.8%で、受給は31.4%となっているので、家計外から12.6%がはいってきていることになる。さらに、ここで取り上げた統計は、世帯単位で集計されたものから世帯員単位に換算されている。換算は世帯人数の平方根で割ることで行っている。これは所帯の中で共通に使う費用があるので、例えば人数が2人の場合にはその平方根の1.4で割っている。高山2004)に記載のデータは別の方法を使って細かく計算しているようであるが、結果に大きい差違はなさそうである。また、この統計の中で、高齢者所帯の世帯員数は70歳以上でも2人を超えているし、そのうち有業人員数も1人に近い。したがって、若年者の同居があって、その収入が入っている可能性があるし、高齢者自身の収入もあるから、そのような所帯と無業の所帯とは区別して考える必要がある。
念のために総務省統計局の家計調査から年齢別消費支出のデータを参照してみたが、老年層の消費は壮年層よりはかなり低くなっている。下図の下側は、統計局の平成17年の資料により、世帯主が65歳以上の世帯の1ヶ月の家計収支を示している。完全な年金世帯とまだ働いている世帯では条件が違う。左の無職世帯は、収入総額は514,334円になっているが、年金などの収入は189,145円しか無く、残りの254,425円が預金などの取り崩しであり、また、繰越金が70,762ある。支出も同様に、実支出とその他になっているので、年金などの実収入と預金の取り崩しなどで、224,108円の実支出を賄っていることになる。65歳以上の勤労者世帯では、実支出は334,094円で15,280の資産形成も出来ている。
一般に高齢者を取り上げるときには、最近は経済的に豊で、多額の資産を持ち、その上年金をたっぷり貰うので、海外旅行に出かけたり、孫にお小遣いを与えたりしている、という話が語られる。上の例で右側に示すような高齢者もいることはいるが、このような世帯の割合は高齢者の8パーセントぐらいであり、それをもって年金問題を語るのは危険であろう。データの読み方も、先入観に合わせて読むとその様に受けとれるということもあり得る。出版物に発表されると、それがさらに引用されて定説になってしまうことが多い。鵜呑みにせずに原資料に目を通すことも必要である。
また、同じ家計調査では、37%の世帯が2000万円以上の貯蓄を持っていることになっている。これは大きい数字であるが、老後生活のための蓄えとしては、月額にすると150万円程度であろうから、年金給付の不足分を補うにはこの程度の貯蓄が必要となるだろうし、勤労者の平均年収が500万円であればこの程度の金額が異常に大きいということにはならない。もちろん、多くの世帯の貯蓄はこれよりも少ない。マスコミなどの表現では、毎年は入ってくる収入と、毎年食いつぶしてゆく貯蓄では金額の桁が違うことを意識していないことがあるので、注意が必要である。
ここでの結論は、高齢者世代がそれほど恵まれているわけではないということである。
2006-11-20 23:27 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 年金生活者の年金制度論 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/hamaderan/trackback/16/
2006年11月18日(土)
年金に関する考察 その8
年金制度が債務超過になっているという記事がいくつか発表されている。堀(2005)では、文藝春秋2004年5月号に掲載された金子勝・慶應義塾大学教授の「未積立金450兆円の存在」という発言を取り上げている。また、高山(2004)では「600兆円弱の債務超過になっている年金のバランスシート」という議論が出ている。このような議論の発端は、厚生労働省の「厚生年金・国民年金、平成11年財政再計算結果」に出ている厚生年金の給付と財源構成という図である。(下の図を参照)
この図は二重負担の額の算定方法という項目の中で示され、厚生年金の廃止・民営化のように積立方式に移行する際に二重負担が発生するので、その規模を示すために用意したと説明されている。多くの論者がこれを債務超過の表明と受け取ったので、平成16年財政再計算では、改めてこの問題を取り上げ、賦課方式の年金制度でこの積立不足を債務超過と認識するのは誤りであると強調している。この図は、平成11年を境にして、過去に支払われた保険料に対応する年金給付とそのために準備されている財源を左側に画き、将来に支払われる保険料とそれに対応する給付とその財源を右側に示している。いずれも価格は平成11年の現在価格に相当するように割引計算されている。前者の給付現価は720兆円で、そのうち170兆円は支払われた保険料から積み立てられている。また、100兆円分は基礎年金に対して政府が将来支払う部分である。残りの450兆円は将来支払われる保険料で賄われるべきものである。この制度の運用を平成11年で切ってしまうと、この450兆円は財源がないことになる。通常の企業会計の考えに立てばこれは明らかに積立不足となる。しかし、賦課方式の年金制度会計では、過去の保険料支払に対する年金の財源は将来の保険料収入で賄うことになっているので、ある時点でバランスシートを断ち切って表現することは適切ではない。この図は、あくまでも平成11年で賦課方式の年金制度を廃止して積立方式に切り換えたら450兆円は二重払いの対象になるということを示しているものと見なければならない。さらに、将来の保険料支払いとその財源はどうなっているのかというと、この方も80兆円の財源不足であり、遠い未来に対する財源は、過去の未収部分を加えて530兆円が不足していることになる。これを将来の保険料率の引き上げで補うということになっている。
堀(2005)では、450兆円を積立不足とか債務超過というのは誤りであり、「賦課方式の下では、将来生じるであろう財源不足を平成11年の時点で一時金に換算したものにすぎない」としている。これに対して、高山(2004)は、厚生労働省が「賦課方式の公的年金で過去分の年金給付債務を問題視する必要はない」と言い張るのは外国では笑いものになると批判している。賦課方式の年金制度を採用しているアメリカやスエーデンで公的年金のバランスシートが毎年公表され、財政の健全性がチェックされている、という話である。
積立方式の場合のバランスシートは厚生年金基金の事例などで推測できるが、賦課方式の年金制度では、どのようなバランスシートが作れるのか見当が付かない。平成16年財政再計算には年金制度改正後の財源と給付の内訳が図示されている。このようなものがバランスシートといえるのかどうかという点で疑問が残る。これは将来の収支が均衡することを目論んだもので、事業計画案に相当するものであろう。だから、賦課方式の年金制度では企業会計で用いるようなバランスシートなど考えられないといっても、笑いものになるとは思えない。厚生労働省がなぜこのようなものを公表して物議を醸し出す元を作ったのか理解に苦しむが、それを受けて、債務超過という批判をする方も年金の専門家とは思えない。これは、現在の賦課方式による保険料率と給付率では将来の年金給付がまかなえないということを示しているので、過去の問題は積立金が残っているのだから債務超過であるという話にはならない。例えば、企業会計で退職金については引当金を積み立てることが要求されている。これは積立方式の年金制度と同じ考えであるが、賦課方式ではその様な要求はない。将来の保険料収入から年金が払えればよいことになっている。
高山憲之(2004b)、「厚生年金をバランスシートで斬る」、『エコノミスト』2004.7.6によると、過去の収支は420兆円の赤字で、将来の収支が420兆円の黒字という形の図が紹介されている。このような将来の黒字は、将来世代の負担が大きいことを示して、過去の赤字は老齢世代が年金給付を先食いする一方で、負担を若年世代に先送りした結果であると説明している。
そういわれると、そうかと思える説明であるが、一寸おかしい話である。もし過去の世代がもっと多くの保険料を支払っていれば、余った資金は積立金となるので420兆円の赤字は発生しないが、それは賦課方式ではなく積立方式の制度を実行していることになる。その場合、高齢者世代は多額の保険料を支払いながら、さらに前世代を家庭内扶養しなければならなかったはずである。それは無理だということで賦課方式に移行したのだということを忘れてはいけない。
年金制度の議論をするときに、必ず付随して出てくる話は厚生労働省に対する批判である。年金制度を作って軌道に乗せるという仕事は簡単ではない。戦争があったり、経済状態が未熟であったり、それが急速に成長し始めたりすると、その都度制度の運営に影響が出てくる。また、政治家と民衆のやりとりも制度運営を左右する。保険料率を低く、給付を大きくという人気取りも制度の財政基盤を脆弱にする原因になっている。さらに近年は少子高齢化という問題が出てきている。その中で、担当官庁が適切な運営をやってきたとは言えないし、また、多額の積立金を抱えて、ずさんな資金運営をやってきたことも指摘されている。しかし、その様なことを除くと、年金制度の運営は極めて論理的に整理が出来るはずである。年金問題に対して多くの書物が出版されているが、その内容の多くは現行の年金運営に対する批判であるが、それならこうすべきだという対応策を的確に打ち出しているものは少ない。
2006-11-18 22:42 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(15) |
| 年金生活者の年金制度論 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/hamaderan/trackback/15/
2006年11月17日(金)
年金に関する考察 その7
最初に掲げたグラフは、厚生労働省の厚生年金保険収支状況の推移(年金勘定)資料をもとにして作成したものである。昭和40年以降、一貫して収入が支出を上回りその差額が積立てられてきた。平成10年までは、年金収支の黒字が毎年5兆円を超えていたが、その後急速に収支差が減少して、平成15年度には赤字に転落している。収入面では平成10年から被保険者数が減少しはじめて保険料収入の増加が止まったことと、積立金の運用収益が減っていることにより、収入合計が横ばい状態になっている。一方、支出は年金受給者の増加により、毎年1兆円程度の増加になっている。賦課方式の年金制度では、毎年の保険料収入と年金給付額が均衡する必要があるが、赤字が記録されるようになり、このままでは積立金を食いつぶしてゆくことになる。
(注:グラフの平成8年と平成9年の間の収入と支出の大きい変化は、旧三共済の長期給付事業が厚生年金保険に統合されたために、制度間調整交付金と拠出金が共に縮小したためのものである。)
厚生年金制度が発足した昭和17年には、積立方式の年金制度で保険料率は一般男子が6.4%であった。この保険料率は昭和19年には11.0%に引き上げられ、昭和22年には9.4%に戻されたが、その後、保険料率は戦後の経済混乱の中で3.0%に引き下げられ、積立方式が維持出来なくなった。昭和29年になると、段階保険料方式を採用して、必要に応じて保険料を引き上げることを決心し、5年毎に財政再計算を行うことになった。さらに、昭和40年には保険料の段階的引き上げが法律で定められた。ところが、平成12年度の年金改正では保険料の引き上げを平成16まで繰り延べたので、その後の収支が赤字になることはある程度予測できたはずである。
このような背景のもとに、2004年に年金制度改革案が作成され、6月11日に公布された。この年金法改正では、保険料の引き上げ、基礎年金の国庫負担割合の増加、給付の調整などにより収支を改善することになっている。高山(2004)は保険料率を引き上げると、企業が雇用を削減したり、賃金を抑制したりするので、保険料収入が伸び悩む恐れがあり、厚生年金の年々の収支はかえって悪化する公算が大きいと指摘している。
厚生労働省年金局の「平成16年・年金制度改正のポイント」によると、改正された制度では、おおむね100年をかけて年金の給付と負担の均衡を達成することになっている。その期間には、「保険料の上昇は極力抑えて実施し、2017年以降には厚生年金保険料は18.3%、国民年金保険料は16,900円に固定する。賃金や物価の上昇に対する給付額の修正には、新たに「マクロスライド調整」という方式で、給付額の上昇を抑えることにする。基礎年金の国庫負担割合を2004年から2009年までかけて1/3から1/2に引き上げる。現在給付額の5年分ほどある積立金を、給付の1年分程度になるまで取り崩して、次世代、次次世代への給付に充当する。このような調整のもとに、所得代替率を50%以下にならないようにする。もし50%を割り込むようなときには、給付と負担の在り方について再検討する。」というような施策を実行することになっている。
高山(2004)が憂慮している雇用に対する影響については、一方で保険料の上昇に上限を設けることと、物価と賃金の上昇に対して「マクロスライド調整」を導入して、年金給付額の増加を抑制することで対処しようとしている。それまでは、物価の変化に対して、「物価スライド」により年金給付額をそのまま調整していたが、「マクロスライド調整」では物価が上昇した場合に、それを直接年金給付額の上昇には反映させず、スライド調整率の部分を差し引くようにして上昇を抑えるようにしている。このようにして負担と給付を減らすと、所得代替率が低下するが、これには50%という歯止めをかけている。これは負担、給付と所得代替率の関係だけで見ると無理な取り決めで、現役世代人口の相対的減少が大きくなると50%の線を守れなくなる可能性もあるので、それは再検討するということになっている。この点については、後の項目で議論をしたい。
堀勝洋(2005)、「年金の誤解」は、保険料の増加は年金給付の増加につながり、消費を減らして経済を悪化させるようなことにはならないという点と、高山(2004)が保険料よりも消費税の導入を推奨している点を取り上げて、保険料の引き上げと同じことではないか、むしろ、消費税の方が経済におよぼす影響は大きいのではないかと反論している。
著者紹介によると、高山憲之一橋経済研究所教授は年金問題の最高権威であり、堀勝浩上智大学法学部教授は厚生労働省社会保障審議会委員で、このような権威者が真っ向から意見を対立させている。どちらに軍配を上げたら良いのだろうか。
2006-11-17 22:15 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(42) |
| 年金生活者の年金制度論 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/hamaderan/trackback/14/
2006年11月16日(木)
年金に関する考察 その6
「考察その5」の中の重要な論点を整理しておきたい。
(1) 年金制度が出来るまでの高齢者扶養は家庭内の私的扶養であった。これは世代間の扶助であり年金制度の賦課方式に相当する。
(2) 新しく年金制度が出来る場合に、積立方式を採用すると二重払いの問題が発生する。賦課方式を採用すると、当初は老齢年金給付の受給者がいないので、保険料は障害年金分しかいらないということになるが、それでは年金制度の形にならない。そこで、建前上の積立方式が採用されるが、費用負担は二重払いになるので、保険料率は低く抑えざるをえない。これが、修正積立方式とか段階保険料方式といわれる制度で、実態は賦課方式である。諸外国でも、年金制度は積立方式で始まり賦課方式に移行していることが多いが、これは自然な成り行きである。
(3) 新しくできた年金制度の被保険者は、家庭内扶養を行いながら保険料を支払う。保険料を低く抑えているので完全な二重払いの状態ではないが、当初は家庭内扶養の費用負担が大きく、その状態が軽減されるにつれて保険料率が上昇している。家庭内扶養費用の存在に注目した論文は少ないが、これを無視するのは間違いである。
このような初期の年金制度の保険料の変化について、厚生労働省は、完全積立方式の場合、完全賦課方式の場合、および、段階保険料方式の場合を対比させて、図で示している。添付図の上側がその比較で、積立方式は水平の線で示されている。右上がりの曲線は賦課方式で、年数が経つにつれて年金受給者の人数が増えるので、保険料を上げてゆく必要がある。実際の保険料率の変更は、5年毎に財政再計算を行い、その結果にしたがって変更されている。段階保険料の線は階段状で賦課方式の曲線の上側にあり、両者の差が積立金となっている。
下側の図のグラフは被保険者数と年金受給者数の推移を示している。青線は被保険者数で、昭和17年から昭和40年頃にかけて新規加入者が増えて、昭和45年頃にやっと安定している。その後は漸増しているが、近年はほとんど増加していない。一方、赤線で示す受給者数は継続的に増加し、現在でも増加が続いている。その結果、被保険者数に対する人数比率も大きくなっている。この状態は、年金制度がまだ初期状態を脱していないことを示している。最近話題になっている団塊の世代が年金受給者になる時期というのは、昭和45年から40年が経過した丁度今ごろで、やっと年金制度も第1期を終えようとしている。したがって、ここまでの長い期間に起こった紆余曲折を評価する際に、制度の構築・運営上の問題と、新しく出来た制度が持つ過渡期的な問題とは区別して評価する必要がある。多くの評論はこの二つを混同しているきらいがあるように見受ける。年金制度が多額の債務を抱えているという点や、世代間格差の発生なども過渡期現象を包含して論じる必要がある。
2006-11-16 22:14 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 年金生活者の年金制度論 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/hamaderan/trackback/13/
2006年11月04日(土)
年金に対する考察 その5
そもそも、年金制度がなぜ積立方式で始まったのかを調べて見よう。
社会保険庁編、「国民年金三十年のあゆみ」(1990)、pp.59-60に、積立方式をとった理由が書かれている。そこには、「(イ) 積立式の長所は、現在の消費を抑制し投資の増大を図り、将来の国民所得の増加分を老齢者の消費分として確保することであり、高度成長の達成を至上の目的とする日本経済において積立式の方が賦課式より望ましい。(ロ) 賦課式では年々必要とされる支出を賄うための収入を年々の年金税または一般歳入で満たさなければならないが、現在の所得税のほかに徴収しようとすれば極めて過重な負担となり実行は不可能に近い。(ハ)人口老齢化の激しいわが国において、将来の負担力の点で賦課式は問題が多い。」と書かれている。
厚生年金が発足した時期には、政府は保険料収入を戦費の調達にも役立つと考えていたといわれているし、国民年金が発足した戦後の経済復興時には、資本を拡充して経済を成長させたいという考えが強かったので、保険料を右から左に年金として支払う賦課方式より積立方式をという意見が強かったのであろう。しかし、賦課方式に比べて国民の保険料負担が少ないというのは、どのような条件を考えていたのか判らない。(ハ)として、将来の高齢化の問題を上げているが、これは近年になって顕在化してきている課題である。このような考えは、年金に関する法案の審議で出てきた意見の集約であり、どれが決定的な要因であったのかは明らかではない。
ここで、年金制度を創設するときの社会の形を見てみよう。日本の年金制度のはじまりは、考察 その3に述べたとおり、明治8年に発足した海軍退隠令である。その後、陸軍恩給令や官吏恩給令などが制定されたが、本格的な年金制度は昭和17年に発足した労働者年金保険制度(昭和19年に厚生年金保健と改称)である。このような年金制度がなかった時代にも、現役世代と退職世代がいたはずであり、その時代には働けなくなった高齢者の多くは、子と同居して生計を共にしていた。もちろん当時も富裕層がいて、蓄えた資産で悠々と老後を過ごしていた人もいただろうし、商売を子に譲って楽隠居していた人もいた。しかし、多くの高齢者は家庭内扶養に頼っていた。このような家庭内扶養は年金制度の形態に当てはめると、「世代間の助け合い」であり、賦課方式に相当している。そこに、新しく積立方式の年金制度が設けられると、現役世代は家庭内で親を養いながら、新しい年金制度のもとで自分の将来の年金資金を保険料として支払うのであるから、これは二重負担になる。高山(2004)の指摘している「二重の負担」というのがこれである。そうなると、将来の年金給付に見合った水準の保険料を支払わせることは難しい。
それなら、最初から賦課方式にすればよいということになるが、現実にはその様にはなりにくい。賦課方式というのは、その年に支払われた保険料で、その年の年金を給付することになっている。しかし、年金制度が発足した時点で高齢である人達は、年金を受け取る年齢に達しても、それまで年金制度がなかったのだから、保険料を全く納めていないとか年金受給資格期間が足りないということになる。そういう人達に年金を支払うことにはためらいがある。厚生年金では企業に勤めている人が被保険者になる。しかし、年金受給者に相当する人は過去に退職した人であり、企業内にはいないので、新しく年金制度が出来たからその人達を探し出して被保険者にするということは難しい。国民年金は全国民が対象となるので、制度発足時の高齢者に対して年金を支払うということは可能であったが、それは福祉年金という形がとられ国庫負担で支払われている。結局、年金制度が発足した時点では、正規の年金受給者はいないのであるから、賦課方式を採用すると、発足時は年金給付に見合う保険料の徴収がほとんどいらないという形になり、老齢年金としては開店休業状態が続くことになる。そこで、年金制度の存在をはっきりと示すために保険料を徴収するならば、賦課方式ではなく積立方式の形になってしまうのは当然である。しかし、私的扶養が存在するので、二重負担の問題が出てきて、保険料は積立方式に見合うような平準保険料率では徴収出来なかった。もっとも、厚生年金では、発足当時は平準保険料率が適用されたが、戦時中でなければこのような二重負担を強いることは出来ないと高山(2004)は指摘している。そして、戦後すぐに平準保険料率は維持できなくなり、段階保険料率を採用することになった。これは、当面は安い料率にしておいて、将来に段階的に引き上げて不足分を補うというものである。そうなると、将来の保険料率は随分高くなってしまう。
一般的に、日本の年金制度は積立方式から賦課方式に移行していったと説明されているが、見方を変えれば、家庭内扶養という賦課方式の私的扶養から、賦課方式の公的年金に移行していったと見る方が自然であろう。家庭内で親を扶養するとか、田舎の親に仕送りをするといった状態から、親世代が年金を貰うようになるまで、かなり長い年月をかけて移行が行われてきたといえる。
年金に関する世代間の不公平という議論の中で、現在の退職世代が現役時代に支払った保険料が少ないので積立不足が生じているという議論や、元々そのように保険料が将来高くなるような制度設計をしていたのはけしからんといった批判がある。実際に、厚生年金の保険料率は、昭和23年以降は平準保険料を下回っているので、積立方式の考えに立てばその様に批判されても仕方がない制度である。しかし、積立方式を採用することは元々無理な相談で、事実上の制度運営は私的扶養の存在を前提とする混合制度だったと考えられる。
当時の現役世代は退職世代を私的に扶養しながら、一方で保険料を支払っていたことになる。公的扶養の面では、昭和50年(1975)の老齢年金受給権者数は4,618千人であり、これは65歳以上の高齢者人数8,865千人の52パーセントに相当するが、残りの48パーセントを含めて高齢者は路頭に迷うことなく、何らかの生計の道があったことになる。この点について、厚生白書・昭和49年版によると、昭和43年の国民生活実態調査で65歳以上の高齢者の61.3パーセントが私的扶養に依存していると報告されているように、公的扶養と私的扶養が混在している時代が続いていたことが判る。
もし、老後の生活を完全に保証するような形の国民年金制度が賦課方式で導入されて、発足時の高齢者に対して保険料の支払いが無くても満額の年金を支払うことにしたら、その時点で家庭内扶養は不要になり、年金による高齢者扶養に移行できたはずであったが、そのような選択は出来なかったし、そのような制度はまだ実現していない。その結果、徴収した保険料が積み立てられて、多額の積立金が残っているのが日本の年金制度の現状である。
2006-11-04 12:47 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(29) |
| 年金生活者の年金制度論 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/hamaderan/trackback/12/
2006年11月03日(金)
年金に対する考察 その4
年金制度には賦課方式と積立方式とがあると説明されている。
賦課方式というのは、厳密に言えば、ある年に被保険者から支払われた保険料で、その年の年金受給者に支払う年金を賄うという制度である。実際には、一定の期間内で保険料と年金額が均衡するように、保険料率と年金給付率を取り決めて実施するので、各年度で収支が均衡してその残高がゼロになるわけではない。一方、積立方式は被保険者が納めた保険料を貯蓄し、その元本と運用利益をその世代の年金給付に充当するものである。この場合も、各個人の被保険者期間や年金受給期間が異なるので、厳密には各個人の保険料積立額の元利合計と年金受給額が一致するわけではないが、建前として、現役時代に支払った保険料とその運用益を退職後に受け取るという形になっている。
このような説明は教科書的な説明であり、実際の年金制度がこのような形で運営されているとは限らない。事実、日本の年金制度は修正積立方式であるといわれている。これは積立方式で発足したはずの年金制度が途中で賦課方式運営に変化したために出来上がってしまったものである。現在の厚生労働省では、「わが国の年金制度は、ある程度の積立金を有し、積立方式の要素をもちつつも、賦課方式を基本とした財政方式になっています。」とも説明している。
昭和17年に積立方式で発足した厚生年金は、戦後の経済混乱の中で、インフレによって年金額を高くしなければならないが、それに見合う保険料の増額は出来ないという状況に陥り、計算上必要な積立金を積むことが出来なくなった。そこで、正常な保険料率を平準保険料率というが、さしあたりその率を下回る料率の保険料を徴収し、その料率を段階的に増やして、将来実際に年金を支払うときには支障がないようにするという考えを採用した。厚生労働省の年金財政ホームページから、厚生年金・国民年金平成16年度財政再計算結果という436頁の報告書が手にはいる。その中に厚生年金と国民年金の財政方式の推移という表がある。それによると、厚生年金は昭和23年に平準保険料率から暫定保険料率を採用し、さらに昭和29年に段階保険料率を採用している。国民年金の方も昭和42年に平準保険料率を離脱している。この時期になると、戦後の経済混乱というよりは、むしろ経済発展にともない給付水準を引き上げるという要因が強くなり、もはや積立方式に戻るという当初の考えは成り立たなくなっている。最近のデータでは平準保険料率の欄が空白になり、厚生労働省は積立方式への復帰に白旗を揚げた格好になり、「わが国の年金方式は積立金を伴った賦課方式だ」と表明するようになった。将来の生活に必要な年金給付額を想定して、それに見合う保険料を徴収していても、急速なインフレが発生したり、大きな経済成長が起こったりすると、将来の年金給付額が当初の予想額より大きくなる。年金を支払うまでの積立金運用益が、そのような年金給付額の増加に見合わない場合には、積立方式の年金制度では対応できなくなる。
高山憲之(2004)、「信頼と安心の年金改革」、pp. 171-175には、「積立方式と賦課方式」、「公的年金はなぜ賦課方式で運営されているのか」、「二重の負担」という項目のもとに、年金制度が積立方式で発足し、賦課方式に移行することが宿命であるという説明がなされている。「公的年金を積立主義にもとづいて創設しても、それを維持していくことは元々無理があった。」というのである。しかし、なぜ公的年金が積立方式で始まったのかという点には、高山(2004)は言及していない。無理であるということに気がつかなかったのか、無理を承知の上で積立方式を採用したのか、制度発足当時の関係当局の判断を知りたいものである。
次回は、年金制度がなぜ積立方式で始まったのかという点について説明する。
2006-11-03 22:21 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 年金生活者の年金制度論 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/hamaderan/trackback/11/
2006年11月01日(水)
年金に対する考察 その3
日本の年金制度は、明治8年(1875)の海軍退隠令による恩給制度が始まりだといわれている。その後、陸軍恩給令や官吏恩給令などの恩給制度が出来て、大正12年(1923)に恩給法が制定された。このような制度は、現在の年金制度のように現役時代に保険料を支払って、退職後に年金を受け取るといった制度ではなく、国庫が費用を負担する無拠出の給付である。
一方、明治の終わり頃には、いくつかの官民の企業で共済組合による社会保障制度ができはじめていた。国が保険者となって広い範囲の民間企業従業員を対象とする年金制度ができたのは、昭和14年(1939)以降であり、まず、船員保険が発足し、昭和16年(1941)の労働者年金保険法の成立、さらに、昭和19年(1944)の厚生年金保険保険への改正とつながっていった。しかし、このような年金制度は、昭和20年(1945)の戦争終結で打撃を受け、戦後に再出発することになった。
戦前の国家公務員は、判任官、高等官などの官吏とその他の雇傭人に区別され、官吏は恩給法が適用されていた。雇傭人に対しては現業員を対象にした共済組合による年金制度が制定されていた。戦後になって、国家公務員法が施行され、官吏と雇傭人の区別が無くなったが、年金制度の統一は遅れて、昭和33年(1958)の国家公務員共済組合法の全面改正によって完全に一本化された。また、地方公務員等共済組合法は昭和37年(1962)に制定された。共済組合としては、この他に、私立学校教職員共済組合法、農林漁業団体共済組合法などが制定された。
国民全体が加入出来る年金制度は、昭和34年(1959)に国民年金法が成立し、昭和36年(1961)にかけて無拠出制年金と拠出制年金に分けて順次施行された。この国民年金は、昭和60年の改正により、全国民が加入を義務づけられた基礎年金となり、厚生年金や共済年金とも関連づけられ、自営業者は第1号被保険者、厚生年金や共済年金の加入者は第2号被保険者、その配偶者は第3号被保険者となった。
また、昭和40年の厚生年金保険法の改正により、厚生年金基金の設立が認可され、基金による老齢給付の代行と、それを上回る企業独自の給付を行えるようになった。
(吉原健二、「わが国の公的年金制度」参照)
個人の生涯の中で、保険金を支払う現役時代が約45年間、年金を受け取る退職時代が15年間ぐらいとすると、合わせて60年間になる。厚生年金保険制度が実現してから現在までの期間は約65年であるから、やっと一回りしたところであり、その間に戦争の混乱や経済の大きな変化があったし、制度そのものも、だんだん形を変えて今の状態になって来た。しかし、まだその形が完成したわけではなく、色々な問題を抱えている。
厚生労働省のホームページには、現在の年金制度の体系が下の図のように示されている。これは、よく言われるように、三階建てになっている。一番下に国民年金(基礎年金)があり、すべての成人が加入することになっている。その上に民間企業の従業員に対する厚生年金保険や公務員と私立学校の教職員に対する共済年金が二階部分を形成している。さらにその上に、厚生年金基金、確定給付企業年金、適格退職年金、確定拠出年金などが3階部分を形成している。共済年金には職域加算部分が上乗せされている。自営業者の国民年金には国民年金基金とか個人年金が二階部分を構成している。
このような制度運用の難しい点は、ある日を境にすべての人がその制度に組み込まれる、ということができないことである。制度が出来たときに既に高齢に達していた世代は、保険料を支払って、年金を受け取るという制度の恩恵を受けることは出来ないが、老後の生活は送らなければならない。若い世代は、そのような人達を年金制度とは無関係に扶養しなければならない。したがって、世代を何度か繰り返さないと、制度の運用は定常状態にはならない。年金制度の議論の中では、この過渡期を含む制度運営に対する理解が必要である。また、制度の体系も年月と共に形を変えることになるので、その変遷にも留意する必要がある。基礎年金だけに加入している自営業者等の老後の安心が充分とは言えないだろうし、第3号被保険者には、離婚したときの年金分割の問題がある。厚生年金と共済年金の一体化の問題も出ている。さらには、望ましい3階部分の在り方にも今後の議論が必要である。
国民年金制度は、制度上は国民の年金加入を義務づけているが、まだそれが完全に実現されているわけではない。また、基礎年金だけで老後が安心というわけでもない。二階部分の充実が必要であるし、さらに豊かな老後を求めるには、三階部分に依存することになる。一方で公的な年金制度の拡充を求めているが、他方では、自己責任の確立という相反する考えも存在する。
すべての人が現役時代に同じ水準の所得を得ているとすれば、所得の三分の一程度を老後のために蓄えておけば、退職時代の生活はなんとかまかなえるはずであるが、誰もがそのような余裕を持っているわけではないので、何らかの所得の再配分が求められる。年金制度の問題は、同世代間の所得の再配分と、世代間の所得の再配分問題が絡み合っている点に注目する必要がある。
2006-11-01 22:55 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(137) |
| 年金生活者の年金制度論 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/hamaderan/trackback/10/
2006年09月21日(木)
年金に対する考察 その2
考察1に書いたように、年金問題に関しては様々な議論があるが、ここに紹介する考察ではどのような問題に注目しているのかを明らかにしておきたい。
一つは、年金制度が破綻に瀕しているとか、もう破綻しているとか、いう人がいるが、これは全くの誤りだという点である。現在の日本の年金制度は修正積立方式であり、被保険者が支払う保険料によって、その時の年金受給者への年金給付が賄われるようになっている。今までは保険料収入額が年金の支払額より多かったので、その差額が積立金として残っており、2005年度末の積立金は164兆円になっている。ところが、少子・高齢化が進んで、保険料を払う人が少なくなり、年金給付を受ける人が増えてきたので、平成15年には厚生年金は収支がマイナスになってしまった。しかし、まだ多額の積立金があるのだから破綻を心配する段階ではないが、遠い将来を見ると、このままでは積立金を食いつぶしてしまうので年金制度が成り立たなくなると予想さるようになってきた。そこで、平成16年に年金制度の改正が行われ、さしあたり破綻には至らないということになったといわれている。しかし、この平成16年の制度改革で年金制度は未来永劫に安泰であるというわけではないし、年金制度に対する人々の不信がつのると、制度への参加者が減って、年金制度は成り立たなくなる可能性もある。また、年金制度が破綻するということをことさらに強調する一部のエコノミストやマスコミなどの言動は、そのこと自体が折角の制度を破壊することにもなりかねない。年金制度をより安泰にするためには、誰もが納得できる制度の確立と人々の理解が必要になる。
なお、年金制度の賦課方式とか積立方式などの正しい理解については解説が必要であるが、それは次の機会に譲ることにする。
二つ目は、世代間の不公平という問題である。日本の年金制度は修正積立方式と説明されているが、その実態は賦課方式であり、「世代間の助け合い」といわれているように、現役世代が支払う保険料で退職世代の年金が支払われている。保険料率と年金給付率が一定だとすると、少子・高齢化が進むと積立金を取り崩すことになる。その場合、収支を均衡させようとすると保険料率を増やすか年金給付率を減らすかということになる。給付率の方はむやみに減らせないということで、保険料率を高くすると現役世代の負担が大きくなる。この話を別な角度で見ると、少子・高齢化の進展に伴って、ある世代が現役時代に支払った保険料と退職後に受け取る年金額の割合が、各世代で異なり、新しい世代の負担率が大きくなってくる。これが少子・高齢化がもたらす世代間の不公平である。この問題は、現役世代と退職世代の人数割合が変化することによって発生するので、年金制度をどういじっても逃げ道はなさそうである。積立方式の年金制度に移行すればこの問題は解決するという意見がある。これは、世代間の助け合いではなくて、自分の年金は自分で面倒を見るという方式であるから、一見合理的に見える。しかし、一般には移行時の二重負担の問題があるので賦課方式から積立方式に移行することは難しいと言われている。さらに、余り議論をされていない話であるが、少子・高齢化で経済が縮小したときに、積立てた資金がどのように維持されるのかという点も問題であり、折角積立てた資金が、それを使おうとするときに少なくなってしまうのではないかという心配がある。
三つ目は、社会全体の中で、年金制度があろうと無かろうと、現役世代と退職世代が共存している点である。年金制度論では世代間の公平とか損得を議論して世代を対立させているが、社会的には一家の親世代と子世代の間の話であり、どちらが得でどちらが損だという話は起こらないはずであり、現役世代の働きで退職世代を含む一家が同じ水準の生活をすることになるべきだろう。年金制度を維持するために給付を抑えるという意見が強いが、それによって年金制度が成り立っても、退職世代の家計が成り立たなければ家庭内扶養が必要になってくる。その逆の場合も同じことである。社会全体の中で各世代が共存して生きているという前提を無視して、年金制度だけを議論することは問題であろう。
このような問題のほかに、年金制度に関する議論は様々な切り口でなされているが、さしあたり、上に掲げた3点を主眼に考察を進めてゆきたい。
2006-09-21 23:46 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 年金生活者の年金制度論 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/hamaderan/trackback/8/
2006年08月20日(日)
年金に対する考察 その1
65歳から年金生活に入って、もう6年目になる。生活費の大部分を年金で賄っているので、年金様々の生活である。だから、「年金大崩壊」とか「年金が消える」といった書物が出版されると、これは大変だと言うことになる。
年金に関する書物はたくさん出版されていて、amazon.co.jpで「年金」という言葉に関する書籍を検索すると2966件の検索結果が出てくる。年金に関する書物は大まかには三つに分類される。一つは、年金受給者に対するもので、将来年金をいくらもらえるか、とか、年金を貰うにはどのような手続きが必要か、どうしたら年金を有利に受給出来るかといった話題が多い。年金だけでは老後の生活が安心できないから個人年金を考えるとか、海外で豊かな年金生活を送るにはどうすればよいかといったものもある。二つ目は、年金制度の運営に関するもので、年金制度の詳しい解説とか、年金数理概論や社会保険労務士を対象にした指導書とか資格受験関係のガイドブックなどがある。三つ目は、年金制度について社会、政治、経済などの視点で論説した書物で、その中には先に取り上げたような年金制度の問題点を指摘したものや年金制度改革に関するものが色々と出版されている。
年金制度の問題点や改革論は、学者やジャーナリストによって書かれているものが多いが、年金を専門とする学者だけではなく、専門外のエコノミストの著作も多く、また、厚生労働省関係や政党関係の年金の専門家によって書かれたものもある。これ等の書物の多くは厚生労働省が提供する統計資料を使って議論をしているが、見る人によって全く違った結論が出され、一方では年金が消えると言い、他方ではそれは誤解だという。我々素人はどちらを信じたらいいのか、右往左往することになる。
平成16年に年金制度が改正になり、政府はおおむね100年の間で年金の給付と負担を均衡させるというが、昨今の少子化の進展はその時の予測を上回るのではないかと言われている。また、この改正により負担が増えて給付が減ったという不満もある。もともと負担と給付が均衡していなかったのを均衡させるのであるから、そうなるのは当然であるが、不満の根底には年金制度に対する人々の理解が浅いという問題がある。それは、政府自体がきちんとした説明をしていないことも原因になっているし、さらには、年金制度そのものに対する考え方の根底がずれているのではないかとも思える。また、年金制度の運営にたずさわる厚生労働省年金局の業務が適正を欠いて、年金の積立金のずさんな運営や年金行政の不正も暴かれて信用を失っていることも問題を複雑にしている。
この際、色々な論評に左右されず、年金について根底から考え直してみようと思う。
2006-08-20 16:10 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 年金生活者の年金制度論 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/hamaderan/trackback/7/
2006年08月19日(土)
財政赤字の話はこれでおしまい
3月にケインズと財政赤字について書いてから5ヶ月が過ぎた。耄碌してひっくり返っていたわけではない。
Domar (1944)の論文を読み返してみると、100ドルの財政投資をしたときにGDPが300ドル増加するが、この財政投資の効果はすぐに消えてしまい、財政赤字の100ドルが残ることになる、と書いてある。もし増加したGDPの水準を維持したければ新しく100ドルを投資しなければならない。
Domarの論文は、財政赤字対策には財政収支の改善だけではなく、GDPの成長により財政赤字負担が軽くなることに配慮すべきだと主張している。GDPを成長させるには、公的投資と民間投資の増加が並行することと、このような投資が生産性の向上に役立つものであることが必要であると述べている。Domerはケインズの財政政策を否定しているのではないが、財政政策だけで赤字問題を解消するのに必要な経済成長が得られないことも、暗示している。
京都大学名誉教授の伊東光晴先生は1962年に「ケインズ」(岩波新書)を書かれたが、2006に発行された「現代に生きるケインズ」(岩波新書)では、「ケインズの真意を明らかにし、今日のケインズへの批判と、ケインズ経済学の名のもとに提示されている理論と政策の誤りを伝えなければならないと考えた」と書かれている。そこには、「ケインズ政策といわれる景気対策は、本来、呼び水政策であり、財政赤字による政府支出の増加を誘い水として、消費支出の増加を誘発させるものであり、昭和40年代には有効に機能した。しかし、1990年代の日本では、個別企業は不況の進行に対して人件費の削減、不採算部門の整理、在庫減らし、投資抑制、借入資金の返済に動く。こうした中での公共支出は民間投資に結びつくことはなく、波及効果も少ない。大幅な財政赤字による景気対策を打っても、それによってもたらされる所得水準を維持するだけでも次年度に同額の財政赤字を必要とし、国債が累積する。」と書かれている。
不況になると公共投資を増やして景気を回復させればいいという政策が、成功する時もあればほとんど効果がないときもある。いずれの場合も、公債を発行して投資を行えば財政赤字が累積する。幸いにも景気が回復して成長率が大きくなれば財政赤字の割合が小さくなって、赤字問題は解消する。しかし、通常は財政赤字の累積の方が大きくなって問題が悪化する。特に政治家は公共投資を増やすことによって選挙を有利に戦ってきた。増税によってその資金を調達することは、選挙に不利であるが、国債を発行して資金を調達するときには、選挙民の拒否反応は薄い。したがって赤字財政は政治的に増大する傾向にある。
国民が心すべきことは、税金を納めるのも、政府が国債を発行するのも、国民が国に資金を手渡すという点では全く同じことであり、国債の発行を許すということは増税を許していることになるということ強く認識すべきである。その上で、政府にやって貰いたいことがあれば、費用に関して国民の自己負担であることを認識した上で、どんどんやって貰えばいい。色々政府に求めて、お金は出さないという話にはならない。財政赤字が増大して問題になるのは、このような点で国民の認識が誤っているからである。
財政赤字の問題はこれで一応おしまいにする。
2006-08-19 17:38 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 財政赤字問題の理解を深める |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/hamaderan/trackback/6/
2006年03月24日(金)
財政危機への対応
日本政府の借金795兆円というのは嘘で、財政危機ではない、「増税が日本を破壊する」という本が売れている。著者の菊池英博文京学院大学教授は豊富な企業勤務経験にもとづいて日本政府、特に小泉政権の縮小均衡財政を批判している。興味深いテーマであり、参考になるところも多いので、その主な論点について考察してみた。
「財務省は、政府の粗債務が795兆円もあると危機感をあおって増税を正当化しようとしているが、金融資産が480兆円あるから、それを差し引くと純債務は315兆円に過ぎない。」というのがこの本の第1主張である。粗債務というのは政府が発行した公債やその他の借金の合計であるが、政府は資産を持っているのだから、その分を差し引いた純債務で見るべきだという点はその通りだと思う。政府の資産の中で一番大きいのは社会保障基金でこれが254兆円もある。社会保障基金は将来の社会保障給付のための基金であるから、資産があるからといって、これを一般会計の赤字の帳消しに使うというのは正当性を欠いている。政府の投融資勘定や外貨準備は226兆円あって、政府の裁量で使える資金ではあるが、このような資産を取り崩すような事態になれば、それはもう財政破綻と同じで、アメリカの財務省証券を売り払うというのは、ただでは済まない話しである。菊池教授は財務省が意図的に赤字を多く見せかけて、増税を国民に納得させようとしていると主張しているが、その点については何ともいいがたい。諸外国との比較は純債務で行うべきで、そうすると日本の赤字はそれほど多くはないということであるが、それでも日本の財政赤字は大きいし、急速に増えていることには変わりはない。
もう一つの主張は、「Domarの定理とは、名目GDPの成長率が国債のコストよりも高ければ、国債残高は自然と減少してゆくという理論である。したがって、均衡財政より積極財政で成長率を高くするべきである」というものである。連邦準備の理事だったDomarは1944年の論文で国民所得の増加と国債発行高の関係を示している。国債の発行高が国民所得の一定割合αになっている場合を対象にして、まず、Case 1では国民所得の成長率がゼロであると仮定している。この場合は、遠い将来を考えると国民所得に対する国債発行残高の割合は無限大になってしまう。次にCase 2として国民所得が毎年一定額ずつ増加すると仮定する。この場合も国債発行残高の比率は無限大になってしまう。どちらの場合も財政が破綻してしまうのである。そこで、Case 3として国民所得が一定割合rで増加するという仮定を置いてみる。今度は時間を無限大にしても、国債発行残高の比率は無限大にはならずα/rという一定値に収束する。したがってこのような条件で国債を発行し続けても財政は破綻することはないというのである。しかし、菊池教授のいわれるように国債残高が減るわけではない。国民所得が増えると共に国債発行残高もやはりどんどん増える。遠い将来を考えるとどちらも無限大になるが、その比率はα/rだということになっている。この場合は、もし利子率が国民所得の成長率より大きければその比率にしたがって利子の支払いが厳しくなる。しかし、年率5%程度の経済成長が確保できれば、それほど大きな負担には成らない。
そこで、問題はこのような仮定を置くことが適切かどうかという問題になる。同じ本の中で、菊池教授は日本再興投資資金100兆円を投入すると名目GDPが年率5%で増加し10年後には740-800兆円になり、その間の普通国債発行残高の増加は110兆円であると書かれている。書物では100兆円枠で毎年継続して支出すると書かれているが、毎年100兆円を支出するのか、10年間に合計100兆円支出するのかがはっきりしない。国債残高の増加額110兆円となっているので、合計100兆円を10年間かけて支出するという提案のようである。財政支出に対する乗数効果は、どのマクロ経済学の教科書にも、たとえば10兆円を投資すると乗数が3の時には所得は30兆円増加すると書かれている。しかし、つぎの年にまた10兆円投資したらどうなるのかという説明はない。ディラードのJ.M.ケインズの経済学という本には少しこのあたりの話が出ているが、乗数効果が働くのは投資の増分であることを思い出せば、毎年10兆円ずつ投入した場合には、所得の増加に効果があるのは最初の10兆円だけで、その後毎年投入する10兆円は最初に増加した水準を保つために必要なものに過ぎない。したがって、乗数を3とすると、国民所得は最初の10兆円の支出によって30兆円増えるが、つぎの10兆円の支出では国民所得は増えない。しかし、もしそこで10兆円だけ支出を減らすと、今度は乗数効果がマイナスに働くから所得水準は元に戻ってしまう。
菊池教授は10年間で300兆円の所得を増やすということであるから、初年度に10兆円、次年度は20兆円というように10兆円ずつ上積みして投資を増やす必要がある。そうすると毎年30兆円ずつ所得が増えて、10年目には増分が300兆円になり、500兆円だった国民所得が800兆円になる。この場合には10年間の新規の国債発行残高は550兆円になるが、所得が増えると税収も増えるので、その分だけ実際の国債発行額が少なくて済む。経験的には所得に対する税率は10%程度であるから、それを単純に引き算すると、実質国債発行残高は385兆円の増加になる。2005年の日本の国債発行残高は500兆円ほどであるから、これを加えると885兆円になる。ただし、この計算には国債に対する利子の支払は含まれていない。Domarは利子を毎年の歳出で支払うと考えていたようである。もし利子率が3パーセントで、利子負担も国債で賄うとすると、2015年の国債発行残高は1,370兆円になる。
この財政政策が成功と評価出来るかどうかという点では、所得は計画通り増えたがそれ以上に国債発行残高が大幅に増加している。この計画では所得は毎年一定額の30兆円ずつ増え、Domarの定理のCase 2に相当するから、いずれ財政は破綻する。2015年度の国債発行額は127兆円で国民所得の16パーセントになる。このような多額の国債の発行は困難であろうし、たとえ発行できたとしても貯蓄の大部分が国の事業に取り込まれて民間の経済が圧迫されてしまう。
ここでは、Domarの定理とKeynesの乗数効果について数字を当てはめて検討した。ケインズの経済学は、政府の財政をふくらませたい政治家やエコノミストに絶好の口実を与えているが、一寸計算をしてみると満足できる結果にはならないことが判る。このケーススタディーの結果をつぎのグラフに示しておく。国民所得は、最初は0.5パーセント以上で成長するが、次第に小さくなる。10年を越えると財政赤字はどんどん増えるので途中で国債の発行を減らさないといけない。そうすると所得は増えなくなる。民間部門が活性化されないとどうにもならなくなるが、政府部門が肥大してしまったら民間部門の活力が落ちてしまう。
(ここで使っている国債とは普通国債だけであり、国と地方の債務の合計はこれよりもはるかに大きい。)
2006-03-24 20:38 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 財政赤字問題の理解を深める |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/hamaderan/trackback/5/
2006年03月15日(水)
ケインズ
2月5日に亡くなった都留重人一橋大学名誉教授がハーバード大学の大学院生であった1936年2月に、ケインズの「雇用・利子および貨幣の一般理論」が出版された。大不況の中であえいでいたアメリカでは、大量失業の説明とそれに対する処方箋を求める若い研究者達が新しい理論に飛びついた。(根井雅弘著「ケインズ革命」の群像)
不況になると政府は国債を発行し、公共事業を増して経済を刺激する。そうすると国民所得が増加するが、その増分は政府歳出の増分に乗数をかけたものになる。したがって、不況になると経済界から財政出動を求める声が高くなって、公共投資が増加する。ケインズの考え通りにことが運べば、所得が増えて税収も増えるので国債も順調に償還できるので、めでたしめでたしということになる。
このような景気対策の成功例として、日本では1932年に高橋是清蔵相が行った財政出動があり、アメリカでは1933年に大統領になったルーズベルトのニューディール政策がある。高橋財政は、一時的に景気の回復を見たが、やがて日銀が政府から買い取った国債の市中売却が困難になり公債発行を控えようとしたが、軍備の拡張を求める軍部との対立によって2・26事件で高橋が暗殺されてしまった。その後、日中戦争、太平洋戦争とつながって財政の節度は消滅し日本経済は破綻した。ルーズベルトの財政政策も及び腰で、景気は浮き沈みした。1940年頃からアメリカでは戦争準備期に入り、1941年に日本が真珠湾を攻撃したので一気に戦時経済に突入した。大不況からの脱出は戦争によってもたらされたという方が妥当であろう。そうではなくて金の流入によるという説もあるが、いずれにせよ、戦争に勝ったときには不況は解消していたが、財政規模の5倍近い多額の財政赤字が残ってしまった。
財政政策の効果を見るとき、乗数がどのぐらい大きいかという問題がある。政府が道路工事か何かを発注すると、受注した企業に資金が流れる。企業は、その資金で資材を購入したり、従業員に賃金を支払ったりする。資材の供給者は原料を購入し、従業員に賃金を支払い、従業員は給料で生活に必要な商品を買う。そうすると、そのような商品の製造者に資金が流れる。このようにして資金がぐるぐると回って、元の投資が何倍もの効果をもたらす。所がその途中で資金が貯蓄されるとその部分はそれ以上回らなくなる。手に入った資金の内、どれだけを貯蓄したかを示すのが貯蓄性向である。乗数は限界貯蓄性向の逆数になるので、貯蓄の割合が増えると乗数は小さくなる。実際に乗数がどの位になるのかはその時期の経済状態に左右されるが、よく言われるのは貯蓄性向が0.2で乗数が5という見方であるが、ケインズは3程度と見ていたらしい。日本では最近は乗数がもっと小いといわれている。また、ぐるぐる回るといっても、どの位の速さで回るのかも問題となる。今年、政府が国債を発行して歳出を5兆円増やしたしてもその効果は単年度では完結しないので、次年度の予算も同じ歳出水準を維持することになるので、一旦国債を発行するとその水準はなかなか減らせなくなる。間違ってはいけない点は、乗数は投資の増分に対して働くのであって、去年5兆円国債を発行してそれに見合う投資の増加があったとすると、今年また5兆円の国債を発行しても同じだけ投資しても、それが所得の増加に寄与するというわけではない。小泉内閣は毎年30兆円を超える国債を発行して財政赤字ふくらましたといわれているが、これは小渕内閣が造った国債発行水準を維持しているのにすぎない。国債発行残高を削減すると、乗数効果が逆に働いて景気は下降するので思い切って減らせないだけである。このようにして、1990年以降に発行された普通国債は約250兆円である。しかし、乗数効果が働いて所得の増加に寄与したのは、その一部に過ぎない。年度ごとの歳出額は1990年の69兆円から2004年の85兆円に16兆円ほど増加したが、名目GDPは450兆円から505兆円まで50兆円ほどの増加に留まっている。2005年までを見ると、もっと無駄な国債発行が増えていることが判る。乗数理論は教科書に書いてあるような単純なものではない。
戦後の日本はドッジ・ラインにしたがって厳格な均衡財政を維持していたが1965年に初めて建設国債を発行し、1975年からは特例国債を発行するようになった。こうなるともう歯止めが利かなくなってしまう。バブルの最中でも国債の発行は継続され、その後は発行残高が増え放題になってしまった。ケインズが生きていたら、この有様を見てなんというだろうか。
2006-03-15 00:33 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(14) |
| 財政赤字問題の理解を深める |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/hamaderan/trackback/4/
2006年02月13日(月)
日本経済壊滅の告白
自転車通学をしながら日本の財政の歴史を学んだ。
思い起こせば、昭和20年8月15日はまだ暑い夏日だったが、秋の気配を思わせるように裏の畑には赤トンボがいっぱい飛んでいた。当時私は小学校(その頃は国民学校という名であった)の5年生だったが、この日を境に日本が経験した国民経済の混乱はかなり鮮明に覚えている。
終戦と日本人は呼んだがそれは敗戦であった。大蔵省財政史を見ると次のような一節がある。「終戦は潜在的であったインフレーションを顕在の事実とした。終戦は軍事的には日本軍が連合軍に完敗したことであり、政治的には大日本帝国の連合諸国に対する無条件降伏であったが、経済的には、日本の経済組織の壊滅の事実の国民に対する告白であった。それはインフレーションを顕在化し、国民生活の破滅を表面に押し出した。」
このとき、日本政府の財政規模は215億円で、国債と借入金の合計は1995億円に達していた。平成16年の財政規模が85兆円で国と地方の負債総額は740兆円になっている。億円と兆円の単位の違いはあるがその比率はほぼ等しい。それならば、日本政府が再び国民に対して経済組織の壊滅を告白する日も近いのではないか。今の日本は豊かな経済大国であるから、少々財政赤字が膨らんでいても大丈夫だという人も多い。しかし、あの頃の日本人も日本がよもや戦争に負けるとは思っていなかったのだから、今度も安心は出来ない。
2006-02-13 23:45 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(11) |
| 財政赤字問題の理解を深める |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/hamaderan/trackback/3/
2006年02月03日(金)
自転車に乗って
堺市浜寺の自宅から大学のある中もずまでの距離は約5km。その間を円弧状に結ぶ幹線道路が通っているが、このルートを通る公共の交通機関はない。そうなると、チンチン電車で市の中心部まで行ってバスに乗り継ぐか、私鉄ではるばると大阪市内まで出て戻ってくるかであった。どちらにしても、三角形の2辺を通ることになるので時間とお金がかかる。結局自転車通学をすることにした。途中に丘陵地帯があって行きも帰りも上り坂はかなりきつい。そこで3段変速の自転車を新調した。最初の頃は坂道に来ると低速に切り換えて走っていたが、その内に高速でも坂道を登れるようになった。結局、5年間、雨の日も風の日も自転車を走らせた。お陰で頭と足腰の衰えを防止することが出来た。
堺市というのは大阪市と大和川をはさんで接している古いまちで、中世には日本屈指の南蛮貿易港として栄えていた。豊臣秀吉が大阪城を築いてから政治経済の中心がそちらに移っってしまったことや、大阪市に向かって流れていた大和川を堺の方に付け替えたので、港が砂で埋まってしまったことなどの理由でまちの勢いは衰えた。それでも摂津、河内、和泉の3地域の「さかい」に位置しているので近隣の農村地帯の中心地としてはそれなりの繁栄をしていた。戦後になって市の中心は戦災の打撃がひどく、農村は住宅地となり、海岸には臨海工業地帯を誘致したので、市全体が大阪のベッドタウンのようになってしまった。人口は83万人に増えて、今年の4月には政令指定都市に昇格する。
市内の交通機関は人の流れが 大阪に向かっているので南北にJRや私鉄の路線が通り、その他へはバス路線が繋がっているが縦横無尽というわけではない。そういうわけで、余り需要がない市の周辺を横につなぐ通学路を自転車で走ることになった。
いま、市の中心部を東西につなぐ鉄道を建設する計画が進行している。一方、南北に走るチンチン電車は乗客が少なくなって運行を止めたいといっているが、市民がなんとか保存したいと運動をしている。新しい鉄道は最近流行のLRTを導入するという計画になっているので、チンチン電車もそうなれば良いというのが大方の意向である。問題は採算に乗るかどうかであるが、どちらの線も厳しいと思われる。鉄道が出来れば街が賑やかになって乗客も増えるというのが推進派の意見であるが、鶏が先か卵が先かという所である。市の中心部にもっと人が住みやすくするような政策が必要と思うが、そのような気配はない。
2006-02-03 23:19 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(14) |
| 老学の道筋 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/hamaderan/trackback/2/
2006年01月31日(火)
ことのはじまり
65歳でサラリーマン生活がお仕舞いになったときに、ふとしたきっかけで近くの大学に社会人大学院生として席を置くことになった。45年前に機械工学を勉強したが、今度は財政学なるものに挑戦した。景気対策として政府が公共投資をむやみに増やし、多額の債務を抱えているが、この結末はどうなるのかというのが当面の疑問であり、2年かけて修士論文を書いた。大昔に一般経済学という講義を聴いたことはあったが、体系的に経済学を勉強したことはなかった。しかし、経済の中で生きてきたのでその実態はかなり判っているつもりであった。若い学生さん達と一緒にミクロ経済学、マクロ経済学などの基礎教科の授業を受けた。元理科系の学生としては数学に背を向けることは出来ないし、参考論文を読む英語は仕事の中で習い覚えている。パソコンも最近の会社では日常の道具になっていた。このように学習準備は整っていたが、肝心の脳味噌が古くなっていることは逃げようがない。そこには先客の情報がたくさんこびりついていてなかなか新しい情報を受け入れない。それでも毎日覚えたり忘れたりしていると少しずつ整理が付いて、知識が固まり論文が完成したのは2002年のお正月であった。
2006-01-31 14:55 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 老学の道筋 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/hamaderan/trackback/1/