このブログを始めたときに少しだけ書いた茂木健一郎氏の名前をよく見るようになりました。昨年出版された「「脳」整理法」(ちくま新書)はよく売れたようですし、最近では、NHK綜合TVの「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組で、住吉アナウンサーとともにキャスターを務めています。この番組で、茂木氏はプロの仕事や考え方を脳の機能に絡めて解説してくれています。
「脳」整理法では、全体を通して「偶有性」という言葉が何度も使われています。「脳は、世界との交渉で得たさまざまな体験を整理し、蓄積することに長けた臓器です。…(中略)…この際の関係性は、「いつ、どこでもそうなる」というような決定的なものではなく、半ば偶然に、半ば必然に起こるという「偶有性」(contingency)に満ちたものになります。」(p19−20)と偶有性の説明がなされています。そして、脳は、体験を整理し編集する機能を持つから、脳のくせとして偶有性を有する出来事を探しているというのです。つまり、まったく規則性がない現象に対しても、規則性あるいは法則性を探し出そうとするくせを持っているのです(p63−64参照)。ここで、「くせ」というのは私が勝手に使っている言葉です。
話は変わりますが、先日、知人と話をしていたときに、宝くじの話題が出ました。最近流行っているロト6のように自分で数字を選ぶ宝くじは、売り場の人が適当に選んで渡してくれる普通の宝くじよりも当たるような気がするというのです。自分で数字を選ぶ宝くじについては、過去にどんな数字が当選し、当選した頻度がどれくらいかなどの情報が開示されています。
さて、ここです。こういう過去のデータを示されると、脳のくせで規則性や法則性を探し出そうとするのです。当選番号はランダムに発生するはずなので、実際には規則性や法則性は存在しないのですが、過去のデータの統計が示されると、あたかも規則性や法則性が内在しているのではないか?と思い込んでしまうわけです。
この点がロト6に代表されるような数字を選ぶことのできる宝くじのうまい仕掛けなのです。人間の心理というか、脳のくせをうまく利用して、自分だけが規則や法則を知っているかのような心理状態にし、普通の宝くじよりも当たりそうな雰囲気を作り上げてしますのです。実際には、ロト6では1等の当選確率が約600万分の1に設定されていますが、ロト6の見込み当選金と同程度の当選金が1等賞金になっている通常の宝くじでは当選確率が500万分の1に設定されています。だから、いくら自分で数字を選んだとしても、当選確率に大差はなく、むしろやや低くさえなるわけです。
宝くじまでも脳のくせがうまく利用されているとは思いもよりませんでした。さて、この記事を読んでいる人は、どちらのタイプを買いますか?どうせ当たらないから買いませんか?とまあ、こんなことを書きながらも、やっぱりなんとなく法則性があるような気分になってしまうのは、困ったものです。
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2006年3月5日
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「NHKアナウンサーの はなす きく よむ」(再)というラジオ番組で、今日のテーマは「声に出して読む」だった。自分自身が、声に出して読むという行為、とくに人に聞かせるために読むという行為は、どんなときがあるだろう?とラジオを聴きながら考えていた。
夕食後にツマが後片づけをしているときに、そのそばで、新聞を読んだり本を読んだりしていることが多い。そんな折り、内容や言い回しの面白い文章に出会うと、ツマに読んで聞かせることがある。そうすると、ツマは手を休めずに内容を知ることができるからだ。
このように音読することは私自身にとっても楽しい。黙読のときには読み方が分からず意味がわかればよいと思っていた文字も、声に出すときには読み方がわからなくては読めない。読めない文字があれば、辞書を引いて読み方を確かめることになる。こんなとき、あらためて意味を確認してみると、思っていた意味とずれがあったり、周辺にある言葉を見て新しい世界が広がったりする。
それと、音だけでは内容が伝わりにくいこともある。同音異義の言葉やふだん耳にしない言葉は、音だけで伝えるのは難しい。そんなときには、いい方を変えたり、意味を解説したりすることで、内容を伝えようとする。意味を説明したり音訓の読み方を再確認したりすることは、脳の刺激になる。とくに、目で見た文字を口から音として出すという脳の回路は、あまり使っていないから、脳の活性化になると思う。
数年前から、音読のための本がいろいろ出版されており、これらの本は、脳の活性化以外にも日本語のリズムや言い回しを体得するという目的もあるだろうが、いずれにしても音読の効能を認識して出版されているようだ。ただ、一人で音読している姿を想像すると、江戸時代ならともかくも、現在では気恥ずかしいし不気味ですらある。だから、この種の本を買っても結局は利用せずにしまい込んでいるのではないだろうか?音読ということ自体は、脳にとってとてもよい刺激であることがわかっているのだから、一人で音読するのではなく、身近にいる誰かに聴かせるという目的でしてみてはどうだろう?
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2005年6月19日
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この1ヶ月ほどの間に、新聞で1回、テレビで2回、栗原さんが特集されていた。栗原さんといっても、バレーボールの選手ではなく、****主婦の栗原はるみさんのことだ(伏せ字は使いたくない言葉なので)。
「Harumi's Japanese Cooking」という本がグルマン世界料理本大賞を受賞したという話題だった。ご存知の方も多いことだろう。栗原さんは普通の主婦感覚で、つまり「おいしい!」と言って貰いたいという感覚で「簡単おいしい料理」を生み出している。最近では、料理だけではなく暮らしのアイデアを数々生み出している。我が家ではずいぶん前からツマが栗原さんの著書を買っていた。だから、今回の受賞をわが事のように喜んでいる。
栗原さんが世界レベルの仕事をしたことには、ご主人の仕事がテレビ関係だったという事情も助けにはなっているのだろう。とはいっても、直接的には何ら関係のない料理という対象を世界に発信できるレベルに高めているのだから、やはりご自身の努力なのだろう。それにしても、文化的なことで極めた人というのは、遊び心の豊かな人が多いような気がする。栗原さんも、豊かな遊び心を持った人なのだと思う。こういう人は、努力などという意識はほとんどなく楽しんでいるうちに高いレベルに行ってしまうのだろう。こういう境地になりたいものだ。
ついでに言えば、料理には脳を刺激する要素がふんだんに含まれている。
齋藤孝先生が言っているように、段取り力は料理に学ぶことができる。材料を揃えること、手順を考えること、仕上がりをイメージすることが、まさに段取り力なのだ。料理することはシステム工学の実践とも言える。大げさに言えば、ロケットが飛ぶのも料理と同じ段取り力があったればこそである(大げさ過ぎるが!)。
料理を創作することは、トップダウン的な思考が必要と考えられる。仕上がりイメージから材料を選択するからだ。この思考は創造力を鍛えることになる。味や香りのバランスを整えることは経験と想像力である。そして手順は科学だ。なぜ、その手順が必要かという原理は、たいていは物理的理由ないし化学的理由があるからだ。料理の材料はほとんどが生物であるから、生物の性質や成育環境も考慮しなければならない。こういうことを一つずつきちんと考えるからこそ応用がきくのだ。応用がきくからこそ新しい発想が生まれる。
そして、料理では味覚と嗅覚とを刺激するだけではなく、五官のすべてを駆使しなければならない。脳力(誤字ではありません。脳の働き具合という意味で使っています)が向上しないはずはないのだ。おいしい料理を作ることができるということは、それだけ脳力が高いことを表していると言える。栗原さんのように料理を通して脳力を高めた人は、料理を越えた応用でいろいろなアイデアを生み出していくことだろう。栗原ファンの一人としては、これからの更なる活躍を期待したい。
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2005年4月22日
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