2007年07月19日(木)
数学読み物
小学生・中学生の頃、数学読み物は好きなジャンルの本でした。数学読み物といっても小学生や中学生の読むものですから、レベルは低いものです。それでも、数や図形の秘密を知ったり、そうした秘密を探り当てた数学者の生涯を知ったりするのは、楽しいことでした。

いまだに、その頃の気分は残っていて、本屋さんに立ち寄ったときに、数学読み物で面白そうなものが目に入ると、衝動買いしてしまうことがあります。こういう本はすぐに読むこともあるのですが、どちらかというと積ん読になりがちです。いつの間にか書棚に溜まっていた数冊を読んでみました。

溜まっていた数学読み物には、森毅先生の本が3冊ありました。「数学の歴史」「魔術から数学へ」「数学的思考」(いずれも講談社学術文庫)です。「数学的思考」は本棚の奥からあとで出てきたので、まだ読んでいないのですが、他の2冊はとても楽しく読むことができました。森先生らしい口調で、やんわりと書かれていますが、緻密に考えられているので知的好奇心を十分に満足させてくれる刺激的な内容になっています。

「魔術から数学へ」は少しだけ数式も出てくるので、数式を見たくないという人は、「数学の歴史」がおすすめです。なにしろ、不幸な数学者やはったり数学者がいっぱい登場して、ちゃんと笑いのツボも押さえられているのです。和算については、いままで大きな勘違いをしていたことに気づかされました(cf. 「魔術から数学へ」p.116〜117)。やはり我田引水はいけませんね。

この2冊を読んだあとで、本棚を眺めていると、「近世数学史談」(高木貞治 岩波文庫)を見つけました。高木貞治氏といえば日本を代表する数学者で、「解析概論」という本を一度は目にした人も多いと思います。理学系や工学系でこの本を知らないとモグリと言われるほど有名な数学の教科書です。ただし、ちゃんと勉強した人は少ないかもしれません。わたしも持っているだけで、本棚の肥やしになっています(いつかは読みたいという気持ちはあるのですけど...)。

さて、「近世数学史談」は、ガウスからデリクレ(この本には、ヂリクレと書いてあります)あたりまでの数学の発展史を人物中心に書いたもので、楕円函数(最近は、関数と書くことが多いようですが、函数のほうがfunctionの訳語にふさわしいと思うのですけど)の話題を中心にしています。この本は、森先生の2冊に比べるとやや高度なので、紙と鉛筆を持って読むのがよいのですが、数学者の人物を知るだけなら通読する楽しみ方もあると思います。その意味では、森先生の本と同様に、楽しく読むことができます。

高木貞治氏の「解析概論」のことを書いていて、この本は数学者になるには初級の本だというようなことを誰かが言っていたのを思い出しました。多分、藤原正彦氏だったと思うのですけど、探しても見つけることができませんでした。

藤原氏の著作で有名になった「国家の品格」(新潮新書)には、関孝和と高木貞治とがともに大天才として取り上げられています(わたしは、関孝和については、森先生の先の本に記載された理由で、高木貞治氏と同列には並べたくないのですが)。また、「古風堂々数学者」(新潮文庫)には、先の「近世数学史談」が面白い本として取り上げられ、さらに、1944年に高木貞治氏を含む新暗号作成のための研究会が作られたというエピソードが書かれています。ですが、解析概論のことは探せませんでした。

解析概論はともかくとして、高木貞治氏の数学読み物を読むだけでも、数学の雰囲気に浸ることができるので、数学に少しでも興味のある方はどうぞ。わたしは、今日(あれ?もう昨日か)もまた「数学小話」(高木貞治 岩波現代文庫)を買ってしまいました。近頃はやりの商業的脳トレなんかより、よほど脳への刺激度が高いですよ。
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2006年03月05日(日)
偶有性と宝くじ
このブログを始めたときに少しだけ書いた茂木健一郎氏の名前をよく見るようになりました。昨年出版された「「脳」整理法」(ちくま新書)はよく売れたようですし、最近では、NHK綜合TVの「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組で、住吉アナウンサーとともにキャスターを務めています。この番組で、茂木氏はプロの仕事や考え方を脳の機能に絡めて解説してくれています。

「脳」整理法では、全体を通して「偶有性」という言葉が何度も使われています。「脳は、世界との交渉で得たさまざまな体験を整理し、蓄積することに長けた臓器です。…(中略)…この際の関係性は、「いつ、どこでもそうなる」というような決定的なものではなく、半ば偶然に、半ば必然に起こるという「偶有性」(contingency)に満ちたものになります。」(p19−20)と偶有性の説明がなされています。そして、脳は、体験を整理し編集する機能を持つから、脳のくせとして偶有性を有する出来事を探しているというのです。つまり、まったく規則性がない現象に対しても、規則性あるいは法則性を探し出そうとするくせを持っているのです(p63−64参照)。ここで、「くせ」というのは私が勝手に使っている言葉です。

話は変わりますが、先日、知人と話をしていたときに、宝くじの話題が出ました。最近流行っているロト6のように自分で数字を選ぶ宝くじは、売り場の人が適当に選んで渡してくれる普通の宝くじよりも当たるような気がするというのです。自分で数字を選ぶ宝くじについては、過去にどんな数字が当選し、当選した頻度がどれくらいかなどの情報が開示されています。

さて、ここです。こういう過去のデータを示されると、脳のくせで規則性や法則性を探し出そうとするのです。当選番号はランダムに発生するはずなので、実際には規則性や法則性は存在しないのですが、過去のデータの統計が示されると、あたかも規則性や法則性が内在しているのではないか?と思い込んでしまうわけです。

この点がロト6に代表されるような数字を選ぶことのできる宝くじのうまい仕掛けなのです。人間の心理というか、脳のくせをうまく利用して、自分だけが規則や法則を知っているかのような心理状態にし、普通の宝くじよりも当たりそうな雰囲気を作り上げてしますのです。実際には、ロト6では1等の当選確率が約600万分の1に設定されていますが、ロト6の見込み当選金と同程度の当選金が1等賞金になっている通常の宝くじでは当選確率が500万分の1に設定されています。だから、いくら自分で数字を選んだとしても、当選確率に大差はなく、むしろやや低くさえなるわけです。

宝くじまでも脳のくせがうまく利用されているとは思いもよりませんでした。さて、この記事を読んでいる人は、どちらのタイプを買いますか?どうせ当たらないから買いませんか?とまあ、こんなことを書きながらも、やっぱりなんとなく法則性があるような気分になってしまうのは、困ったものです。
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2005年06月19日(日)
音読
「NHKアナウンサーの はなす きく よむ」(再)というラジオ番組で、今日のテーマは「声に出して読む」だった。自分自身が、声に出して読むという行為、とくに人に聞かせるために読むという行為は、どんなときがあるだろう?とラジオを聴きながら考えていた。

夕食後にツマが後片づけをしているときに、そのそばで、新聞を読んだり本を読んだりしていることが多い。そんな折り、内容や言い回しの面白い文章に出会うと、ツマに読んで聞かせることがある。そうすると、ツマは手を休めずに内容を知ることができるからだ。

このように音読することは私自身にとっても楽しい。黙読のときには読み方が分からず意味がわかればよいと思っていた文字も、声に出すときには読み方がわからなくては読めない。読めない文字があれば、辞書を引いて読み方を確かめることになる。こんなとき、あらためて意味を確認してみると、思っていた意味とずれがあったり、周辺にある言葉を見て新しい世界が広がったりする。

それと、音だけでは内容が伝わりにくいこともある。同音異義の言葉やふだん耳にしない言葉は、音だけで伝えるのは難しい。そんなときには、いい方を変えたり、意味を解説したりすることで、内容を伝えようとする。意味を説明したり音訓の読み方を再確認したりすることは、脳の刺激になる。とくに、目で見た文字を口から音として出すという脳の回路は、あまり使っていないから、脳の活性化になると思う。

数年前から、音読のための本がいろいろ出版されており、これらの本は、脳の活性化以外にも日本語のリズムや言い回しを体得するという目的もあるだろうが、いずれにしても音読の効能を認識して出版されているようだ。ただ、一人で音読している姿を想像すると、江戸時代ならともかくも、現在では気恥ずかしいし不気味ですらある。だから、この種の本を買っても結局は利用せずにしまい込んでいるのではないだろうか?音読ということ自体は、脳にとってとてもよい刺激であることがわかっているのだから、一人で音読するのではなく、身近にいる誰かに聴かせるという目的でしてみてはどうだろう?
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2005年04月22日(金)
主婦はえらい!
この1ヶ月ほどの間に、新聞で1回、テレビで2回、栗原さんが特集されていた。栗原さんといっても、バレーボールの選手ではなく、****主婦の栗原はるみさんのことだ(伏せ字は使いたくない言葉なので)。

「Harumi's Japanese Cooking」という本がグルマン世界料理本大賞を受賞したという話題だった。ご存知の方も多いことだろう。栗原さんは普通の主婦感覚で、つまり「おいしい!」と言って貰いたいという感覚で「簡単おいしい料理」を生み出している。最近では、料理だけではなく暮らしのアイデアを数々生み出している。我が家ではずいぶん前からツマが栗原さんの著書を買っていた。だから、今回の受賞をわが事のように喜んでいる。

栗原さんが世界レベルの仕事をしたことには、ご主人の仕事がテレビ関係だったという事情も助けにはなっているのだろう。とはいっても、直接的には何ら関係のない料理という対象を世界に発信できるレベルに高めているのだから、やはりご自身の努力なのだろう。それにしても、文化的なことで極めた人というのは、遊び心の豊かな人が多いような気がする。栗原さんも、豊かな遊び心を持った人なのだと思う。こういう人は、努力などという意識はほとんどなく楽しんでいるうちに高いレベルに行ってしまうのだろう。こういう境地になりたいものだ。

ついでに言えば、料理には脳を刺激する要素がふんだんに含まれている。

齋藤孝先生が言っているように、段取り力は料理に学ぶことができる。材料を揃えること、手順を考えること、仕上がりをイメージすることが、まさに段取り力なのだ。料理することはシステム工学の実践とも言える。大げさに言えば、ロケットが飛ぶのも料理と同じ段取り力があったればこそである(大げさ過ぎるが!)。

料理を創作することは、トップダウン的な思考が必要と考えられる。仕上がりイメージから材料を選択するからだ。この思考は創造力を鍛えることになる。味や香りのバランスを整えることは経験と想像力である。そして手順は科学だ。なぜ、その手順が必要かという原理は、たいていは物理的理由ないし化学的理由があるからだ。料理の材料はほとんどが生物であるから、生物の性質や成育環境も考慮しなければならない。こういうことを一つずつきちんと考えるからこそ応用がきくのだ。応用がきくからこそ新しい発想が生まれる。

そして、料理では味覚と嗅覚とを刺激するだけではなく、五官のすべてを駆使しなければならない。脳力(誤字ではありません。脳の働き具合という意味で使っています)が向上しないはずはないのだ。おいしい料理を作ることができるということは、それだけ脳力が高いことを表していると言える。栗原さんのように料理を通して脳力を高めた人は、料理を越えた応用でいろいろなアイデアを生み出していくことだろう。栗原ファンの一人としては、これからの更なる活躍を期待したい。
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2005年01月21日(金)
午後の人生の入口
 中野孝次氏の『「閑」のある生き方(新潮社)』によれば、40代は人生の正午だそうだ。ということは、午後の人生への入口である。最近では、少しパワーを落とした生き方を指南してくれる書物が読みたくなる。

 中野孝次氏のほか、玄侑宗久氏、五木寛之氏などは心に響く言葉が多い。未読ではあるが、前掲の本に引用されている加島祥造氏もよさそうだ。私の好きな画家である菅原洸人先生の「四角い太陽(ギャラリー島田)」もパワーを与えてくれる本だ。

 余談だが、「ギャラリー島田」は神戸ハンター坂で安藤忠雄氏が設計したビルの地階にある。店主の島田誠氏は、自ら蝙蝠と称しているが、元町にある海文堂の店主だった人だ。60代には見えないおしゃれな雰囲気を持つ人である。

 人には他の動物にはない脳の可塑性がある。筋力が低下し、視力が衰えたとしても、脳は刺激を与えることで一生発達し続けるものと信じている。

### 次回は、「韓国映画DVD」の予定 ###
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2005年01月20日(木)
ブログの効能
 ブログを書き始めるまで思いも寄らなかったが、考えていたよりも気分が高揚する。ブログの効能を考えてみた。

(1)ただの日記ではなく、読者を意識しているから、ちょっとした出版物の気分が味わえる。
(2)口から出た言葉は、聞いた相手が覚えていても、自分では以外と忘れていることが多い。それに対して、書いたものは残るから、自分が考えていたことをあとで振り返ることができる。
(3)考えていることを文章にして吐き出すと、その思考を頭から消去して、次の考えに移ることができる。
(4)リアルタイムの応答ではないが、応答があれば、思考に刺激を受けることができる。

といったところだろう。

    *    ***    ***    *

 思考の研究をしている学者の中で、いま関心を持っているのは、茂木健一郎氏だ。「クオリア」というキーワードで人の思考について語っている。クオリアを定義付けることには、彼も苦労しているようだが、わかる人にはわかる、といっている。

 私にも何となくわかるような気がしている。人工知能学会が1989年に発足したから、その前後だったと思うが、私の感じる色は、他の人が見ても同じ色かということを漠然と考えていたことがある。あるいはまた、世界を脳に写像して理解するときに、人それぞれの世界観でフィルタをかけるから、同じものを見ても異なる感じ方をするが、その世界観フィルタは何に由来するのか、ということも興味があった。こうした事柄は、クオリアに関係することだと考えている。

 最近では、文章を書く行為の中も、茂木氏の言う「志向性」と「クオリア」が関連しているように思う。書くという行為は、書きたい何かを想起する過程と、それを表す言葉を考えて文にする過程と、書いた文が書きたかったことを表し、他人も同じように理解するかと検証する過程とを含んでいる。最初の過程は書きたい内容に向かうという意味で「志向性」に関連し、検証の過程は文によって想起される感覚を想定するという意味で「クオリア」に関連するのではないだろうか。

 「クオリア」「志向性」は、「脳内現象(茂木健一郎 日本放送協会 NHKブックス)」、「脳+心+遺伝子 vs サムシンググレート(養老孟司+村上和雄+茂木健一郎+竹内薫 徳間書店)」など。
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ニックネーム:guiliguili

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