大阪を代表する河川、淀川の中流域には沢山のわんどがあります。わんどは水運物流を円滑に行うための治水工事の後に上流からの土砂が堆積して作られた半人工の池のことです。水深が浅く流れが停滞し、上流からの栄養に富んだ土砂には水草が繁茂して多くの昆虫・魚・鳥類などの生き物を育みます。淀川の水はその名の通り濁って淀んでいますが、それだけ生き物を養う栄養が富んでいる豊かな川なのです。中州や水路が入り組んだわんど群の間には多くの湿地や葦原が残され、現在の都会で住処を失った湿生植物のオアシスともなっています。

そんな淀川のわんどの植物の中で、初夏に最も存在感を発揮する植物がドクゼリです。ひたひたと水に浸るような流れの淀んだ水辺に草丈1mを超えて、径15cm近くになる複散形花序を出して無数の小さな花を咲かせます。
ホワイトレースフラワーの和名がドクゼリモドキと呼ばれるように、繊細で爽やかな印象の植物ですが、猛毒植物ですので、手折ってみようなどと考えないほうが身のためでしょう。誰が呼んだか「日本三大毒草」の一角を占める毒成分は致死量僅か5g、経皮的に吸収されるので、皮膚に触れるのも危険なのだそうです。中毒を起こすともがき苦しんで幾度となく痙攣を繰り返した後死に至るというのですから、想像するだに恐ろしくなります。


毒成分が特に多いのはその根茎で、径5cm以上になり、竹のような節があるのが特徴です。芽出しが似ているとされるセリには根茎がなく根生葉の形(セリは丸っぽく、ドクゼリは細長く尖る)とともに見分けるポイントとなりますが、自信がなければ摘まないことです。
こんなに恐ろしい植物ですが昔は根茎を「延命竹」「万年竹」など縁起の良い名前をつけて観賞用に夜店などで売っていたそうです。最近の「ミリオンバンブー」のようなものでしょうが、猛毒の草が「延命」などと名付けられた経緯に興味をそそられます。

果実は梅雨頃に茶色く熟します。セリ科の特徴である2分果で花1つにつき2個ずつ果実がつきます。増水した川に流されて遠くに運ばれるように、梅雨の時期に熟すのでしょうか?
都会のオアシスのわんどの居心地の良いのは、在来種も外来種も同じことです。ドクゼリの繁茂する岸辺は最近ナガエツルノゲイトウが猛烈な勢いで繁殖して、びっしりと埋め尽くすようになりました。ドクゼリの大きな茎には沢山のジャンボタニシの卵が産み付けられ、(個人的に特に嫌いなので)画像に写りこまないような構図を探すのに苦労しました。
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2005-06-26 12:00
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キソジノカンアオイはまたの名をゼニバサイシン(銭葉細辛)といいます。日本の古典園芸に一分野を持つ「細辛(サイシン)」の仲間です。葉の大きさは3〜5cm、丸型で厚みがあり革のような光沢があります。「木曽路」は木曽で見つかったから、「寒葵」は葵に似ていて(常緑なので)冬にも葉を茂らせていることから名付けられました。「銭葉」は丸い葉の形、「細辛」は細根に辛味があることからだそうです。根は試したことはありませんが葉を噛むと独特の辛味とヨモギっぽい香りがあります。

古典園芸で「細辛」と呼ばれるのはカンアオイという植物の仲間で、主に「葉芸」といって葉に様々な模様や形の変異が現れるのが鑑賞されたようです。
江戸時代には様々な品種が採取・作出されその種類は数百種を超えたそうです。一度当時のカタログの復刻をパラパラとめくったことがありますが、あり得ないような文様の葉がややデフォルメされた彩色画で描かれ、当時の人々の閉塞的で退廃的な美意識の一端に触れたように感じました。
私が退廃的だと感じたのは他にも理由があります。それはその独特な花からの印象です。図譜には花の絵も添えられているのですが、それがどれもグロテスクでいかにも日蔭の花に相応しい形と色に見えたのです。
実はかなり大雑把な感性の持ち主の私には、葉の文様の魅力については今一理解が及ばなかったのですが、グロテスクな花はいつか見てみたいと思うようになりました。
しかし林の中に生える地味な植物ということで、まあ出会うことはないだろうと思っていました。私の主なフィールドは路傍や草原で、道をはずれて暗い林床に踏み込むことは殆んどありませんので。
それが昨年の春に思いがけずこのキソジノカンアオイの大群落に出会うことができました。
場所は木曽おんたけ中腹の某所、日当たりのよい休耕田の中でした。図鑑では日蔭の草のはずなのに、春の日をさんさんと浴びて、葉は緑濃く健康的に輝いているのでした。、
最初はおいおいと思いましたが冷涼な高原の湿地で水分は十分あり、夏にはススキが茂って影になりますので、考えてみれば居心地は良さそうです。放置すればすぐにススキなどに淘汰されそうですが、当地は年に二度ススキが刈られるのでキソジノカンアオイにとっては至れり尽くせりの環境なのでした。
しかし数km移動するのに1万年かかると言われるカンアオイの仲間なのに、休耕田に入り込んで10数年で200m四方以上の大群落に成長したというのはどういうことでしょうか?環境への人為的な干渉が影響を及ぼしたのでしょうか?
季節はちょうど花の時期。あちこち葉をめくって見ましたが花が見つかりません。なんでかとしばらく考えてアリが花粉を運ぶということを思い出し、アリの住むのは土の中っ!と根元の腐植土を掘ってみて、ついに現われました「プチラフレシア」。


直径は約2cm、内側には網目模様があります。これがもう少し大きければ、気色悪いと感じたでしょうが、このサイズなら可愛いかもと思いました。ぽっかり開いたままの入り口からアリが入り込むのでしょうが、中に好物でも仕込んでいるのでしょうか、それとも網目模様に秘密があるのか?
キソジノカンアオイは古典園芸の「細辛」とは少し系統が違うらしく、網目模様が入らず、まれに模様があっても黄色い染みのようでまったく地味な存在です。こんなんは誰も気にも留めないかなあと、今年の春も休耕田を眺めていました。
そこへ2台のワゴン車が乗り付けて、どやどやと10数人の人が降り立ちました。手にはそれぞれ大きな捕虫網。カンアオイは「春の妖精」ギフチョウの食草として知られています。どういう情報網か、ここにカンアオイの仲間の群生があるのを知ってギフチョウ目当てに押し寄せたようです。
どうするつもりか見ていると休耕田の中を目指して一斉に土手を下り始めました。アカン、みんな踏みつけにされるっと見えた、すんでのところでリーダー格の男性が「湿地に入ったら駄目だ!」と大声で呼び戻しことなきを得たのでした。
その後しばらく遠巻きに休耕田の周りをうかがった後に彼らは立ち去りましたが、どうやらギフチョウは見つからなかったようでした。
彼らには骨折り損だったかもしれませんが、やっぱりほっと胸を撫で下ろしました。でも、湿地を荒らさなかった皆さんのマナーには、心の中でありがとうなのでした。
この記事をつぶらさんの『がるてんはなだより』内の記事「細辛二種」およびクロさんの『ひたきのつぶやき』内の記事「カントウカンアオイ」・「サンヨウアオイ」にトラックバックさせていただきます。
私の要領を得ない文章よりもよほど参考になります(^^ゞ。
またysanさんのお宅の元気に育った「ゼニバサイシン?」にもトラックバックさせていただきます。
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2005-06-15 23:19
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平地の日当たりよい乾燥した土地に見られます。チガヤは地下茎で盛んに増殖し、刈り込みに強いので、河川敷や道路法面等でよく群生しています。山地では見かけませんので、本拠は暖かい地方のようです。
初夏の風になびく銀の細い穂がとても美しい。細い葉から抜き出て伸びる花穂には長さ1cm強の絹のような毛が密生して、これが日に照らされて輝きます。
穂はやがて乾いた毛が開いて、狐の尾のように膨らみます。この姿も愛嬌が感じられてよいものです。
枕草子で「茅花も、をかし」というのは、穂が開いた頃でしょうか?それとも遷り変わる様を言い表したのでしょうか?

画像をクリックしてください
古代日本では朝鮮での呼び名で「チ」と呼ばれていたのがやがて「ちばな(茅花)」それがなまって奈良時代頃には「つばな」となり、江戸時代までは「つばな」と呼ばれるのが一般的でした。万葉の時代から人々に親しまれ、文学にもしばしばこの名が登場します。
それが明治以降にチガヤと呼ばれるようになったそうなのですが、その由来は秋に赤く紅葉するので「血茅」なのだそうです。
どうして古くから馴染んだ「つばな」を捨てて、わざわざ禍々しいともとれる名前に変える必要があったのでしょうか?
サトウキビと近縁で穂の出る前の芯が甘くて、福井出身の私の母は「つばめ」と呼んで子供のころを抜いて食べまくったそうです。万葉集でも「あなたのためにツバナを沢山摘んだから、沢山食べて太ってください」という意味の歌があり、昔からよく食べられたようです。
本当に甘いらしいので今年はもう遅くて無理ですが、来年は食べてみようと思います。根茎も食べられるらしく、こちらは今でも試せますがどうしましょうか・・・。
ところでチガヤの穂は、梅雨頃までには種子とともに風に吹かれてほろほろ飛んでいってしまいます。だから今頃の季節に吹く湿った南風を「茅花流し」というのだそうです。
そういえば、チガヤが散り始めたこの数日のうちに、風の吹く方向が変わりました。季節の節目を迎えたようです。
「茅花流し」で流されて穂から綿毛がなくなるといよいよ初夏もおしまいで、梅雨の季節の始まりでしょうか?
りおさんのところの、ぱやぱやになった綿毛にTBさせていただきます(^^)。
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2005-06-10 01:53
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枕草子の『七草の日の若菜を』の段には「耳無草」として登場します。
七草摘みで子供がこの草を摘んできて、大人たちに名を訊ねても、知らないで答えられない。その中で一人「ミミナグサだ」と答えるものがあったので、「耳無草だから(耳が無いので)聞こえない顔をしたのかしら」といって笑います。
ちょっとイケズな感じがしますが、この後「耳無草は、摘まれてきても名前も知られないで可哀そうなことだ」と、清女の優しい心のうちものぞかせています。

「耳無草」とは本当は「耳菜草」と書き、小さい葉が毛の生えた鼠の耳に似て、若芽が食べられるからだといいます。食べられるといっても、せいぜい3p程のロゼットでは、あまり食べでは無いでしょう。
最近は町中ではミミナグサは滅多に見られなくなり、あるのは外来種のオランダミミナグサばかりですが、オランダミミナグサの葉はへら型にならず、名前の由来は理解され難いことだと思います。
そういう私自身、この草に初めて気付いたのは昨年の今頃のことでした。おんたけの高原の道端に咲く小さな花を見つけて、繊細で可憐なこの花の名は?と図鑑を手繰ってその草の名がミミナグサだと知ったのです。
秋に芽生えてロゼットで冬を越した後、すねの辺りの高さの茎を伸ばし、切れ込みのある5弁花を咲かせます。
雑草だなんて言われるようですが、はかなげで風情のある立ち姿は味わい深く、白い花は端正で賞賛に値するものと思います。
外来種のオランダミミナグサとは確かに似ていますが、直にみる全体の印象には大きな隔たりがあります。
オランダミミナグサは、見た目がカサカサしているのに、触ると全体がベタベタしています。また花数が多く、花茎の上部で分枝して、頭でっかちでバランスが悪く見えます。
(参考)オランンダミミナグサの花
比較するとミミナグサは見た目はしっとりして、花茎の上部以外はあまり粘りません。花数が少なく立ち姿がすっきりとして均整がとれています。

有史以前に中国大陸からもたらされて以来日本中に広がり、どこでも普通に見られたというこのミミナグサは、都市部ではほとんど見られなくなってしまいました。
明治時代に新たに参入したオランダミミナグサとの競争に敗れて姿を消しつつあると言う人もいます。確かにそういう一面もあるでしょうが、人間がオランダミミナグサを後押しするような環境の改変を行わなければ、果たして同じような現象が起こったでしょうか?オランダミミナグサが入ってこなくても、現在の都市環境で別の植物との競合に勝ち抜いてこられたでしょうか?
現在でも山間の農村の、他の在来種が残るような路傍や草はらではまだたくさん見られます。単純に考えればオランダミミナグサの繁殖・伝播能力を持ってすれば、容易に侵入・淘汰できるように思えますが・・・。
身近な雑草であったはずが、いつ間にか大方の人にとって名も知られず、姿も見られぬものになりつつあるこの優しげな野の草を、今年は種子から育ててみようと考えています。
皆さんもこの愛らしい野の草を育ててみませんか?
野草園芸の本来の姿とは、身近な野草とより身近に接することで、その秘められた魅力を見出すことではないでしょうか?美しい薔薇や百合を愛する方も、野の花を育てることで、きっと何かを得られると思います。
ミミナグサ・オランダミミナグサのより詳しくわかりやすい解説については、花図鑑のボロボロブログ!の記事ミミナグサを是非ご参照ください。
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2005-06-02 19:45
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湿地や原野そして名のとおり溝端に群生する、腰の高さ程の二年草です。シソ科の野草としては珍しく、初夏に青紫の花を咲かせます。花自体は2mmですが、しばしば花茎とがくが紫色に染まり、遠くからでも目をひきます。離れてみると印象が同時期に咲く帰化植物のヤナギハナガサに似ていて、間違えられるかもしれません。
サルビアの仲間に分類され、全草にセージに似た癖のある香気があります。実際薬効もあるようです。
地味だといわれることもあるようですが、よく見ればいかにもハーブらしい爽やかな印象の、なかなか美しい野草だと気がつきます。
←クリックして下さい
野草や自然保護に関心をお持ちの方々には、ミゾコウジュというと、名前はご存知という方は多いのではないでしょうか?ほんの数十年前までは田んぼや河原の雑草扱い、それが一時は絶滅を心配されるされるまでに減ってしまった、日本の生態系の危機の象徴的存在ともいえます。
除草剤と護岸・治水工事、農地の路傍の舗装化による生息地の破壊が主な減少の原因としてあげられています。
最近では雑草同然とまではいかなくとも、なんとか最悪の事態は避けられそうな程度には回復したということです。回復の理由としては、無農薬農法の普及・環境配慮型開発への転換が主にあげられますが、案外重要なのは、この植物に関する知識の普及というのがあるのではないでしょうか。
ミゾコウジュは決して無個性ではありませんが、特に気にかけるほど目立つ植物でもありませんので、今まで知られていなかった自生地が、一般からの情報で新たに判明したのだと思います。
私たちは普段、自然保護や環境問題というと難しい、専門的な博識と熱心な活動が必要だと思い込み勝ちです。しかしほんの些細な知識と正確な情報があれば、大げさに構えなくても、誰にでも出来ることは幾らでもあるように思います。
以前から私は淀川の河川敷でよく群生を見ていたのですが別にどうとも思わず、野草に興味を持ち始めてからも最近までてっきりイヌコウジュだと勘違いしていました。種子を採って撒いてみたところ、丈が伸びずロゼットを形成したので、図鑑で見直してミゾコウジュだと判明した次第です。
淀川河川敷という過酷で競争の激しい環境下で生き抜いてきただけあって、特別乾燥に弱いわけでもなく、鉢植えでもほぼ放任で育ち我が家で開花しているのはすでに3世代目です。
ところでミゾコウジュは発芽後まずロゼット葉を広げて冬を越し、春に茎を伸ばして花を咲かせる2年草です。図鑑等では「花期にはロゼット葉は枯れてなくなる」と書かれています。しかし手元で育てて観察していると、枯れるのではないことがわかります。
ロゼット葉は枯れずに、そのまま茎の葉になるのです。伸縮自在の「指し棒」(先生が授業で使うあれです)の節々に葉を付けて伸ばすようだというと分かりやすいでしょうか?
ミゾコウジュは春の一月足らずのうちに茎を1mまで一気に伸ばし、短い期間で結実枯死します。どうせ僅かな期間しか使わない茎葉を作るために、新たに資材を投入するのは経済的でありません。
←クリックして下さい
(ポットで栽培したミゾコウジュ。鉢が小さいので器に沿うて小ぶりです。)
先日数年ぶりにミゾコウジュを見ようと、群生していた淀川の原野をを訪れてみました。
そこには何面ものテニスコートと美しい花壇が広がり、水際はきれいに護岸整備されていました。ほんの瞬く間のあまりの変わりようでした。
あんな強い草がなくなる筈がないと祈りつつ、残された原野をしばらく歩き回って、ようやく10本ずつの群落を二箇所見つけることができ、胸をなでおろしました。どうやら意識的に残されたようです。これは絶滅危惧指定が保護のためにプラスに働いた成果といえるでしょう。
そのあたりは護岸工事のためにずいぶん減ってしまいましたが、時間の経過とともに再び盛り返して野を紫色に染める日もそう遠くないでしょう。ミゾコウジュは強い草ですから。規模はかつての数分の一になってしまったとしても。
減ってしまったことを悲しむよりも、「名もなき雑草」であった野草のために、人間がほんの僅かとはいえ、その道を譲ったというそのことを喜ぶべきでしょう。
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いぬこうじゅ
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2005-05-27 18:00
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桜が散り終えて平地の野が春爛漫ににぎわう頃、下界と遠く隔たった、深閑とした針葉樹林下では、遅い春の訪れと共にヒメイチゲが萌え出てて、ちいさな花を咲かせています。多くの林床植物のように群生することはなく、数本ずつがまばらに生えるため、知らないと咲いていても気付かれないかもしれません。
草丈はやっと5cm、花の大きさは1cmにも満たない小さな草ですが、薄い木漏れ日に照らされて咲く一輪の花の清楚な美しさは、野を埋め尽くす、たとえばカタクリの花畑のもたらす感動より、一層深い印象を心に残します。
細い茎がすんなり伸びた先に、翼のような三枚の葉を広げ、ただ一輪だけ控えめで白い花を咲かせた姿の簡素で整ったフォルムは優雅に舞うようでもあり、そのたおやかさは野の花だけが持ち得るものでしょう。バラやユリとはまったく逆の個性ながら、その美しさは引けをとるものではありません。
イチゲとはイチリンソウのことで、イチリンソウの小さいものという意味ですが、やさしげなこの花にはもう少しやわらかい語感の名前の方が相応しいようにも思えます。
花の命は儚くて、芽出しから一月あまりで地上での生を終えて、姿を消してしまいます。

4月24日撮影
私が毎年通うフィールドでは、とても数が少なくて、ただ一ヶ所御嶽中腹のある寂れた登山道の行き止まりの斜面にまとっまた数があるだけです。しかしその斜面では地下茎を伸ばして毎年着実に増えているようで、見かけによらぬ強かさに安心して眺めていました。
ところが昨年の早春に何者かに不法投棄された廃材が立てかけられ、ヒメイチゲの生える斜面がすっかりその下敷きになったことがありました。そのときは芽出し前に発見できたのですぐに廃材を取り除けて事なきを得ましたが、こんな山奥にまで人間の身勝手さが押し寄せて小さな命を踏みつぶします。
一昨年の春にはすぐ傍で治山工事と登山道の整備が始まりました。自生地のごく近くに林道が通され、湿地が埋め立てられて駐車場と人工のせせらぎの公園が作られました。駐車場の周りにはコスモスやキンケイギクの花壇が現れました。都会からのドライブ客が豊かな自然を満喫できるように、村が考えての施設整備の一環のようです。
先日訪れたときにはまだ工事がヒメイチゲを巻き込む様子はなく、すぐ傍を行きかうトラックのエンジン音が鳴り響く中、いつもと変わらぬ清楚な花に出会うことができました。
しかしこの先がどうなるものか、もしかして今頃は新たな駐車場を作るために、重機が動き出してはいないか・・・。どんなに強かな野草でも重機がシャベルを一振りすれば、ひとたまりもありません。
絶滅危惧種でもなく、目を惹く可憐さを持たないヒメイチゲが咲いていたとしても、きっと誰も気にも留めないでしょう。そのあとにはコスモスやフランスギクを植えれば済むことでもあります。
シャベルで土を掘り返す、そんなことは日本中どこにでもある、とるに足りないような出来事ではありますが・・・。

上の固体の5月4日の様子。若い果実ができています。
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2005-05-21 01:40
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木曽路は全て山の中、そのさらに奥深い山の奥、御嶽の麓の山里では、4月に入ってようやく梅の花がほころび始めます。そして待ちかねたようにミチノクフクジュソウが一斉に芽吹き、あちこちの日溜りで山吹色に輝く花弁を広げ始めます。
4月初旬芽出しの頃
御嶽の里では、畑の畦、河原の土手、民家の軒先、梅林の下・・・といたる所で見られその数もおびただしく、小高い丘が埋め尽くされて黄金色に輝いて見えることもあります。あまりにも数が多いので、最初タンポポが群生しているのだと思い込んで気付かず通り過ぎるほどでした。
タンポポと勘違いしたのには、もう一つ理由があります。私はフクジュソウというのは林床に咲く花だという思い込みがあったのに、木曽では草はらや土手にばかり生えていたのです。実はこれは、木曽のフクジュソウが、正確にはミチノクフクジュソウという独立した種で、フクジュソウが林庄に適応しているのに対して、ミチノクフクジュソウはもう少し明るい、林縁や草はらを好むためのことでした。(両種の具体的な比較に関しては、近く別項を設けさせていただきます。)
梅林や民家近くに多いのは、縁起のよい植物として、人の手によって植え広げられたのだろうと地元の方に伺うと、返ってきた答えは私の予想を超えるものでした。
複数の方からの聞き取りでは、元々は御嶽には自生がなかったというのです。80〜60年ほど昔に誰かが里に持ち込んで、その後現在に至るまでの間に広大な御嶽の麓の村々に、にわかに広がったのだというのです。
繁栄の直接的な要因としては人為的な移植と、アリによる種子の伝播が考えられます。しかしそれ以上に重要なのは、冷涼な気候と、路傍・草はらの適度な管理が現在までなされてきたことでしょう。日本のような湿潤な気候では、人間による草刈などの干渉が行われないと路傍や草はらは瞬く間に樹木や藪が覆ってしまい、フクジュソウのような小さな草は住めなくなってしまうからです。加えて通常草刈が行われない早春に芽生えて初夏までに姿を消す生活サイクルが有利に働くのだと考えられます。そして何よりこの美しい植物を守り育てたいと願う人間の心が、フクジュソウの繁栄を支えてきたのだと思います。
国内のこととはいえ、本来自生がなかったものが定着蔓延することは、問題なしとは言えませんが、フクジュソウの存在が人々の自然への意識を高め、フクジュソウを守るための土地管理が結果として同じ環境に生きるイチリンソウやヤマエンゴサク等の在来野草をも守る結果となっている点も見逃せません。
ところでこのミチノクフクジュソウはフクジュソウとの関係で、興味深い分布例が見られます。互いの自生地が連続的でなく、一部が飛び地的に見られるのです。ミチノクフクジュソウは木曽の他に北陸では福井県に孤立して大規模な自生地があるのですが、あるいはこれも人間による持ち込みの可能性もあるのではないでしょうか?あるいは木曽の株が福井から持ち込まれたものかも知れません。
実際がどうであれ、フクジュソウについて考えることは、人間と自然が対立・共生を超えて密接な関係を結びながら共に歩んできたこの国の歴史を考える端緒にはなると思います。
先日(4月23日)訪れた御嶽の路傍でも、ミチノクフクジュソウの花が日に照らされていっぱいに花弁を広げていました。一輪の花の中でハナアブがじっと佇んでいるのを見つけました。うららかな日差しを浴びてうつらうつらと春眠を楽しんでいるようでした。
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2005-04-27 00:13
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お国は? と女が言つた。
さて、僕の国はどこなんだか、とにかく僕は煙草に火をつけるんだが、刺青と蛇皮線などの聯想を染めて、図案のような風俗をしてゐるあの僕の国か!
ずつとむかふ
沖縄の詩人山之口貘の「会話」という詩の冒頭です。私はルリハコベの花が咲くと、鮮烈で美しいこの詩の冒頭部分を思い出すのです。緑・青・黄・赤・白はまさに琉装の紅型の色の取り合わせ、まっすぐ前を見て円らに開いた花の形。
ルリハコベは南国の海を想わせるその花の色に似つかわしく、亜熱帯から熱帯の海辺近くに生きる野の草です。沖縄の浜辺でもハコベそっくりに群生して、初夏に小さな花を沢山咲かせて花模様の絨毯を織り上げるのだそうです。私は未だ野に咲く姿に出会わないので、ただ我が家のベランダの小さな鉢植えを眺めては、その様を心に想いうかべるばかりです。
沖縄では古くから親しまれた草らしく「みんな」と呼ばれていたそうです。子守唄にべーべー(山羊)の好物と唄われています。ほんとに山羊が食べるのかは分かりませんが、柔らかくてみずみずしい草なので、本家のナデシコ科ハコベよりおいしそうではあります。
帰化植物とされることもありますが、波に呑まれて潮にでも流されてきたとでもいうのでしょうか?少なくとも沖縄では昔からあったようです。
ルリハコベに「お国は?」と問うたらきっと「ずっとむこう」とでも答えるでしょうか。
自然保護をいう人の間では、絶滅危惧種といわれると大変尊重され、帰化植物というとそれだけで低く見られる傾向があるように思います。帰化植物とされ、同時に日本各地で絶滅危惧種指定されているルリハコベに関してはどう考えるべきでしょうか?
我が家では5年前に種子を頂いてから毎年育てています。育てているというより、毎年勝手に生えてきて、勝手に育って綺麗な花を咲かせています。
1本だけではぐれてポツポツと生えたときも、10数本で茂ったときも、自然と整って凛とした姿で花を咲かせます。天衣無縫とはこの聡明で可憐な野の草のためにある言葉のようです。
丈夫で育てやすく、美しく可憐な野草なのにあまり育てられないのが不思議です。
花は大きさ1cmと小さいのが嫌われたのでしょうか?しかしこの花の魅力は、その小ささにこそあると思います。
我が家では芽出しは春か秋、開花は春から初夏と決まっていますが、故郷とされる常夏の熱帯ではどんなふうに生きているのでしょうか?
関連記事 ルリハコベの発芽と開花
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2005-04-16 23:17
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春植物の花がよく妖精に例えられますが、その呼び名に最もふさわしいのがこのオウレンの花だと思います。
雑木林の林庄で、雪が溶け切らないうちからひっそりと花を咲かせ、カタクリやイチリンソウの仲間が花弁を広げ人や昆虫で野が賑わう頃には、花を散らせてしまって矢車のような果実だけがそよ風に揺れています。
決して華やかではなく、むしろ地味な印象の花ですが細部までよく観察すると、その繊細な美しさは神秘的ですらあります。
長さ1cm弱の花弁(実はがく片)は半透明の乳白色で、雌雄異花・・・というか、雄花と両性花を咲かせます。栄養状態が十分でないと雄花になるようです。(これは同じキンポウゲ科のクサボタンと同じです。)

雄花。繊細なおしべ。

両性花。雌しべと花弁のコントラスト。
ところでオウレンと言えば、漢方薬の材料としてご存知のかたも多いと思います。根を干して細根を焼いて取り除いたものを黄連(おうれん)といって、健胃剤として使われます。黄の字が入る通り根は黄色を帯びていますが、これはベルベリンという成分が含まれているためです。
ベルベリンは強い抗菌作用があり、一部の細菌には抗生物質に匹敵する作用が確かめられているそうです。生薬成分の科学的な分析の歴史は浅くて未だ未解明な部分も多く、これから新たな効用が見出されるかもしれません。
そして日本のオウレンは特に品質が良いとされ、かつては盛んに中国にも輸出され、重宝されたそうです。
里山の雑木林にはオウレンのみならず薬草が沢山生えています。カタクリ・フクジュソウ・エンゴサク等など・・・。かつての雑木林は薪炭の供給源であると同時に、貴重な薬草の農場をも兼ねていたのです。
先日訪れた、まだカタクリの花が咲かないマキノのカタクリ園では、オウレンの花が沢山咲いていました。
まばらに訪れる人は幻のような花を、地面の色に紛れて見つけられないのか、あるいは見つけていても関心を惹かないのか、ただカタクリの咲かないのを残念そうに足早に通り過ぎるだけでした。
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2005-04-09 08:34
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まだ雪も溶けきらない早春に、必ずどこかのニュース番組か新聞でザゼンソウの開花の話題が報じられます。
昨年のことですが、やはり新聞の記事で湖東地方今津町(現高島市)に群生地があるのを知り、興味津々で出かけてきました。
地図を忘れて行ったのですが、国道沿いに立派な標識で案内してあり、駐車場もしっかり整備されていました。規模は大きくなく、交通量の多い県道沿いの住宅街の中に孤立した谷地に用水路から水が流れ込み、じくじく水の染み出す湿地に、観察用の木道と解説板が整備されていました。監視員兼解説員も配置され手厚く保護されているようでした。
暦の上では春とはいえ風は冷たく、竹が生い茂り日の殆ど差さない林庄に、紫色のむつきに身を包んだザゼンソウが群れ固まって座っている様子は、いわく言いがたく奇妙な眺めでした・・・。
親戚筋のミズバショウとはまさにネガとポジのように対照的な印象の花です。花を包む仏炎包を仏僧の紫衣に擬えたのは良い得て妙でしょう。
図鑑などでしばしば言及される悪臭を楽しみ(?)にしていたのですが、花が臭いのではなく茎や根を傷つけると、傷口から強力な悪臭を放つのだそうです。そうなると確認するのは無理な話で本当に残念でした。
当時は新聞などで紹介された直後のためかかなりの盛況で、駐車場には観光バスも停まってツアー客もぞくぞくと訪れていました。臨時の売店が設えられ寒天培養のザゼンソウの小苗が瓶詰めで売られていて、よく売れていました。家庭での維持・成長は難しいでしょうが、面白いアイデアです。「座禅草最中」もありましたが、こちらの人気は今いちでした。
マンホールの蓋にもザゼンソウのデザインが採用されていて、今津の町が地域ぐるみでザゼンソウを大切に守り伝えようとしているようでした。

今年の4月3日に再訪しましたが少しピークは過ぎているようで葉が大分伸びていました。(上の画像)
それにしても今年は昨年に比べて閑散として、人影も疎らで解説員もいず、売店も無しという寂しい有様でした。今年は紹介するメディアがなかったのでしょうか・・・。市町村合併で今津町が消滅したためか、マンホールまでなくなっていました。行く末に一抹の不安を感じざるを得ません。
ところでザゼンソウは自ら発熱して、寒中に暖を求める虫を誘っているそうです。細胞内のミトコンドリアに酸素を盛んに送り込んで、熱を発生させるのだそうです(これは人間が発熱するのと基本的に同じ原理です)。そのため早春の寒さの中でも包の中は15℃から35℃に保たれているのだとか。寒さに凍える虫たちの眼には、ザゼンソウの仏炎包は文字通り揺らめく炎のように写ることでしょう。
ザゼンソウは花が終わると次第に包が緑色を帯び、長さ1mを超える葉を出して、壮大な異相を顕します。湖東の自生地ではもう葉が随分と伸びていることでしょうが、その姿も十分に見ごたえのあるものと思います。
今丁度見ごろを迎えつつあるマキノのカタクリ群生地からは程近い距離にあります。今月中旬までに湖東にお出かけの予定の方は、カタクリを堪能したあとで、ついでに今津に立ち寄られることもお勧めしておきます。
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2005-04-06 23:33
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春の花・実 |
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