ニックネーム:サラスワティ
あなたの内に在るスーパーソウルを想像してください。私はあなたの内側の声の代理人です。

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バイオグラフィー
2012年05月22日(火)
運命が自然に運んでくる波に乗る
 運命の流れはいつも不思議です。
 無理せず、今できる範囲のことに不満を感じることなく、自然な流れに逆らわずにいると、チャンスがやってくるように思います。
 
 ホテルのメイド業は、仕事場が遠いので、近所のスーパーでフルタイムで働けないか相談してみたのですが、現在の本社の人事計画では、週20時間までの募集しかしないということだったので、とりあえず、仕事のバランスも無理のないペースで進めていこうと思い、週5日スーパーのレジのバイトだけに変更しました。
 一日4時間だけなので、このペースが自分の中で落ち着いたときに、必要に応じてもうひとつ短時間のバイトをみつければいいかなと考えていました。
 すると、「2〜3年後のことだけれど、わたしの仕事を引き継ぐことを考えてみない?」と、フロアマネージャーが私に声をかけてきました。
 簡単なレジの仕事しかしていないし、他の人達の方がもっと色々な作業をこなしているので、
「えっ!?・・・イヤイヤ・・・知らないことやできないことばかりで、私がそんな役目は果せないですよ」と言うと、
「わたしがいなくなった後、この仕事を引き継いでくれる人は誰がいいかなって考えてさ、あなたがいいんじゃないかと思うのよ」
 とても気さくな女性で、かっこつけたりもせず、下町の感じのいいお母さん的な安心させてくれる雰囲気があります。
「え〜!いなくなんないでくださいよ〜」
「引退なんだよ〜。今じゃないよ。2〜3年長い目でみてのことなんだけど。この仕事、文句ばっかり言われるから、そこが辛いとこなんだけどね。」
 この私が!?という疑問でいっぱいだったのですが、仕事の合間に話していたので、とりあえず、「その時にできるようになっていたらってことで、少しずつ色々なことを覚えます」と答えておきました。
 他にも長年勤めている人もいるのですが、責任のある仕事で辛い立場にもなるので、みんなやりたくないんだと思います。
 今は、人が足りない時間に入っているので、午後からだったり、夕方からだったりとシフトが色々なのですが、早い時間に終わると身体が楽なので、同じ4時間の仕事でも働く時間によって疲労の度合いが違うのを実感します。
 今のところ、気楽なバイト生活なので、このスケジュールのときにできることを楽しみたいと思います。
 
 昔なら、少しは預金できるくらいの収入がなければ、安心して暮らせないと思っていました。焦ってイライラした気持ちにもなったと思います。
 タントリカの「ゆったりと自然に生きる」という気持ちが分かり始めると、今の自分と戦わなくなります。
 与えられた自分の環境、外側の世界は、それ自体が生きている流れを持っています。私ひとりのちっぽけな力では、到底かなわない大きな世界の流れなのです。
 その流れにまかせてしまうと、運命が自然に運んでくる波に乗るだけでいいのだと思います。
 
 自分の好みの流れに作り変えたいと思って奮闘し、疲れ、苦労してしまうのでしょう。それは、社会の中で努力しなければならないと教えられてきたからです。
 大きな海には、人間が作り出せることができない海洋の流れがあります。宇宙の中で与えられている魂の運命の流れは、逆らうことなどできずに流されてしまう大きな海流のように感じます。
 逆らっても、思い通りに変える事は不可能なことで、自分のエネルギーを使うだけだと知っていれば、いらいらしたり疲労を感じることもなくなります。

 気楽でいたいので、好んで責任者の立場に就こうとは思わないのですが、フロアマネージャーの話を嫌がって、その提案と戦う必要もないと感じます。自分にその能力が備わらなければ、将来、お願いされることもないのですから、またその時に対応すればいいことです。
 好んで出世しようとすることも、役割を嫌がって避けたいと思うことも、同じように、世間という流れと戦っている状態です。

 パタンナーをしていた頃は、色々なことに対して戦っていたな〜と感じます。力を抜くことなどできませんでした。肉体も精神もエネルギーを使い、疲れ果てていました。
 やっと、戦わないことがどんなものであるのかが感じられるようになったのだろうと思います。
 力を抜いて周囲といっしょに流れていくと、色々なことが丁度いいところに納まっていくようになります。
 母と弟の問題も、住むところも、私の仕事も、自分の頭で考えたものよりも一番適切で無駄の無いところに納まってきました。
 神の計画は、人間が考えつかない複雑なジグゾーパズルのピースが、少しずつ適切な場所におさまっていくように、壮大な出来上がりを知っているかのようです。

 苦労しなければならないときでも、精神的に乱されてるかどうかで、疲労感に差が出ます。厳しい環境の中でも、落ち着いて対処しているときには、それほど疲れをかんじませんが、イライラしたり落ち込んだりしてしまうと、肉体的にも疲労していきます。
 流れに逆らわず、置かれた環境と戦わないことが普通の人生になると、どんなことがやってきても「ゆったりと自然に生きる」精神になっています。
 外側の世界の流れと、内側の世界に沸き起こる感覚にも運命の流れがあります。
 何をしようと思うのか、惹かれるもの、思いつき、心地よさなど、あなたを動かすための運命の流れは、あなたの内側の感覚にも影響を与えています。その感覚に逆らったりすることでも、苦しさを感じるはずです。
 外側の流れと内側の流れに逆らっているかいないかは、自分自身が一番よく知っているはずです。
 「ゆったりと自然に」なっているかどうか、ワクワク楽しんでいるかどうか、あなた自身を感じてみればわかります。
 「ゆったりと自然に」なることで、自分の進む道は自然につくられ、あなたの足を一歩先に踏み出すだけで楽に歩んでいくことができます。
 次にどんな道ができていくのか、今の私には見えなくても、宇宙という神が差し出す私の道を信じて、ゆったりと自然に進んでいこうと思います。
 
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2012年05月20日(日)
「手放す」ためにある「欲望」
最初からどれが正しい道なのかをはっきり定められる者などいない。

ヴェーダやギータなどの偉大な智慧に溢れている文献を持つインドの人々でさえ、そうした文献を知っていたとしても、全員が完全に自由な意識になれるわけではない。

道に迷い、本物とニセモノの違いを自分自身で体験しなければわかりはしない。

カルトがどんなものであるか、何が違うのか、
その教えや活動の中に疑問を感じたとき、
真実との違いを見出そうという真剣さがはじめて生じる。
そして、その疑問から真実を知るヒントが得られたとき、
騙されたと文句を言うのは間違いなのだ。

なぜなら、相手はそれが真実だと本気で思い込んでいる。
騙すつもりなどないのだから。
相手はあなたのほしいものを持っていて、あなたに準備ができたときに受け取れると教えられただろう。
彼らは、迷ったまま、その迷いに気づいていない。

どんなときも、騙されるのは、あなたの中に欲があるからだ。
それは、ほしいと思うものと何かを交換するビジネスと変わらない。
 
真実の知識を得ること、悟りを得ること、自由を得ること、
そう、「得る」ことが目標となっている。
「得る」という欲によって、あなたは騙されるだろう。
 
聖者たちが示す真実へ向かう道の中では、
「手放す」ことを要求される。
しかし、最初から「手放す」ことができないものなのだ。

人は、欲望を持つように神によって仕組まれている。
生まれたてのとき、捨てるべきものなど何も無い純粋性を備えている。
すべての人が何も持たない無垢な状態で生まれてくる。

神聖、無垢、純粋、
すでに悟りに近いところにいるようにも見える。
欲望がイケナイものならば、なぜ無垢なままで大人にならないのだろうか。

神の計画は、
何も持っていないあなたが、欲望を持ち、
様々な事を体験し、色々なものを自分のものにしていく。
あなたは幸せな気分になっていく。
さらに願望は膨らみ、失うことを怖れるようになる。
色々なものを持ちすぎて、あなたは苦しくなる。

あなたは迷い始める。
本当の幸せを探し、神に近づきたくなる。
もう、神からしか教えてもらえないと感じるようになる。
神に出会えた者から、真実にたどり着く智慧を聴く。
「あなたは、持ちすぎている。手放しなさい。」

持っている体験があってはじめて、手放す体験ができる。
間違いや失敗という体験なしに、
正しいもの、真実がどんなものなのかは分からない。

神の計画の中で、
欲望は、悪いものとは限らない。
真実がどんなものなのかを体験するために、
「無」や「空」が何かを理解するために、欲望という橋を渡らなければならない。

「手放す」経験から、完全な「空」に達するという。
生まれたての無垢は、完成されていないのだ。
持っているものが無いのに、どうやって「手放す」ことを体験できるだろうか。

まだ体験を必要としている段階で「手放す」ことを目指しても、
あなたは「手放す」という知識に縛られてしまう。
みせかけだけの聖者は苦しい。
まだ満足に自分が持っていることを体験していないのに、
手放したふりをしなければならない。

だから、欲望を避けずに体験しつくして通過していく必要がある。
手放せない願望、手放せない思いがあるのなら、
あなたは、体験しつくさなければならない。
「手放す」ために。

2012年5月20日 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年05月16日(水)
人生の後悔 TOP5
興味深い記事をみつけました。
最期に抱く「人生の後悔」TOP5 というもの。

http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/wxr_detail/?id=20120427-00023596-r25

死を覚悟した患者さんのほとんどがが悔恨や反省の言葉を残すのだそうです。
長年オーストラリアで終末期ケアに携わってきた看護師のBronnie Wareさんによってまとめられたもので、そのトップ5をここに紹介しましょう。

◎ I wish I hadn’t worked so hard.──「あんなに一所懸命働かなくてもよかった」

オーストラリアの人たちでも働きすぎたと思うのだから、日本人はどう感じるのだろうかと思ったのですが、逆に、我武者羅に働くのが普通になっている日本人は感じづらいことなのでしょうか。
しかし、今のうちに何のために働くのかを明確にしておきたいところです。
基本的に健全な生活を送るためには、最低限の生活費は稼がなくてはなりません。
では、どのくらいが働かなくてもよい分なのか、バランスのよい働き方を自覚しておきたいものです。

◎ I wish I’d had the courage to live a life true to myself, not the life others expected of me.
──「自分自身に忠実に生きればよかった」

他の人の期待に答えようとして、自分が感応するものに従う勇気がなかったという人も多いのでしょう。
恐れを越える勇気が必要です。

◎ I wish I’d had the courage to express my feelings.
──「もっと素直に気持ちを表す勇気を持てばよかった」

これも上記のものと似ています。

◎ I wish I had stayed in touch with my friends.
──「友人といい関係を続けていられればよかった」

高齢になるほど、友人と若いときのように同じ時を過ごすことがすくなくなります。
それぞれに自分の家庭生活が中心になっても、家族同士の交流が持てるといいですよね。

◎ I wish that I had let myself be happier.
──「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」

幸せでない人は多いのでしょう。
しかし、自分をどのように幸せにできるのでしょうか。

そう思い巡らしていくと、やはり、聖者たちが残してきた哲学を知ることが必須だと感じます。
生きていられる貴重な時間をどんなふうに使うべきなのか、
上記を参考に、あなたの幸せを考えてみてください。
2012年5月16日 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年05月12日(土)
願望の消化
あなたの中に眠る望みは、現実界で消化されなければならない。

強い願望を持つ人たちは、迷いなく実現に向けて努力する。
苦労を美徳と考えて、その成功を夢見て突き進む。
この世でよく見る姿だ。

そして、内側に眠る密かな願望というものもある。
叶わないかもしれないからと無視し続けても
その種は消えてしまわない。
表面的に消してしまったように思っていたとしても
心の奥に眠ったまま、深いところであなたを苦しめていく。

精神的な成長、現実世界を超越するためには、願望の消化が必須なのだ。
願望を消化するには、体験してみるしかない。
様々な体験をするために、この現実界がある。
空想の世界では消化されないだろう。
あなたの体験でないものは、本当の理解を与えてはくれない。

本で読んだり、他人から聞いたりしただけで深い理解に達することはない。
今世で眠ったままの願望の種は、あなたの魂に宿ったままだ。
その種は、来世で芽を出すために、あなたを次の人生に連れて行く。

「この世は苦である」と実感するときがくるまで
あなたの魂は、現実界を必要とする。
だから、超越にあこがれて急いで学ぼうとしないことだ。
仏陀がそう言ったからではなく、
あなた自身が全面的に降参し、この世界が儚いものだと理解するとき、
すべての体験がただ通り過ぎていく。

理解した後も、様々な現実に囲まれていく。
願望の実現に向けて突き進んでいる人と同じ体験の中でも、
苦労と戦うことなく、あなたはこの現実界で生きていくだろう。
成功や賞賛という現実世界の中に入っていくことがあっても、
喜びに浮かれることなく、すべてを冷静に受け入れていける。

本当の理解は、体験からやってくる。
理解と同時に自分自身が持っていた願望の正体が解き明かされる。
私たちは、この現実界で怖れずに体験しなければならない。

怖れがあなたの体験を先延ばしにする。
人生は、想像するほど長くはない。
いつだって私たちは後悔している。
二十歳そこそこであっても、三十歳代でも、五十歳代となっても
「もうこの歳になってしまった」と、いつも思っているのだから。

あなた自身の解放に向かって進むために、
あなたの中に眠る願望を体験し、通過していこう。
無意識的な体験は、欲望を助長する。
しかし、意識的な体験の中には、理解がある。

2012年5月12日 | 記事へ | コメント(0) |
| 今日のことば |
2012年05月09日(水)
サンスクリット語のThe Heart Sutra  般若心経
私の聴いたサンスクリット語の般若心経は、明るく踊りたくなるような曲調で歌われているのですが、これはやさしく流れるようなリズムです。
インド人が発音する般若心経とは異なりますが、きれいな曲調になっています。

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=P2D8epuXla8

Om namo Bhagavatyai
Arya-Prajnaparamitayai!
麗しく、また聖なる
智慧の完成者に礼しまつる

聖なる観自在菩薩が彼方に至る智慧を究めつつあったとき、
彼が高みから見下ろすと、目に入るのは五つの集まりばかりであり、
それらも実体は空であることを看破した。

ここでは、おおシャーリプトラよ、形象は空であり、
そして、まさに空そのものが形象である。
空は形象と異ならず、形象は空と異ならない。
およそ形を持ったものはすべて空であり、空なるものはすべて形象である。
同じことが感覚、知覚、衝動、そして、意識についても真である。
ここでは、おおシャーリプトラよ、一切のダルマは空の様相を呈している。
それらは、生み出されることも止められることもなく、汚されることも清浄であることもなく、足りないことも完全であることもない。

それゆえに、おおシャーリプトラよ、空において、そこにはいかなる形象もなく、感覚もなく、知覚もなく、衝動もなく、意識もない。
眼も、耳も、鼻も、舌も、体も、心もない。
形もなく、音もなく、匂いもなく、味もなく、触れられるものも、心の対象もない。
視覚組織の領域から心の意識の領域に至るまでことごとく何もない。
そこにはいかなる無知もなければ無知の消滅もなく、衰弱や死から、衰弱や死の消滅に至るまでことごとく何もない。
そこにはいかなる苦しみも、苦しみの原因も、苦しみの停止も、苦しみをなくす道もない。
いかなる認識もなければ、いかなる達成もない。

それゆえに、おおシャーリプトラよ、菩薩が智慧の完成に依って、思考の被覆なしに住するのは、彼の無達成のたまものである。
思考の被覆の不在のもとで、彼は何をも恐れず、心を転倒させるものを克服しており、そして最後にニルヴァーナ(涅槃)を達成する。
過去、現在、未来の三世にブッダとして現われる一切の人々も、智慧の完成に依ったがために、無上の、正しい、そして完璧な悟りに目覚めるのだ。

それゆえに、般若波羅蜜多を大いなる真言、大いなる知恵の真言、無上の真言、無比の真言、一切の苦しみを鎮めるものとして知るべきである。
それは真実である。
なぜならば、間違いなどありえないのだから。
般若波羅蜜多によって、この真言は、次のように説かれた。
往けり、往けり、越えて往けり、全てを越えて往けり。なんという目覚めよ、鳴乎!
これで完全な知恵のハートが完成する。

----------「般若心経」バグワン より------------

2012年5月9日 | 記事へ | コメント(0) |
| スートラ Sutra |
2012年05月07日(月)
耳と眼に美の栄養を
先日の満月は、いつもより大きく見えて明るい月だったという記事を読んで、そんなこともあるんだなと思い、Youtubeで月に関する曲を聴いていたら、色々な歌手の人が歌っているムーンリヴァーをみつけました。
その中でも、サラブライトマンのライブで歌うムーンリヴァーは最高です。
そして、彼女のCDの中でも私のお気に入りのStranger In Paradise、Beautiful もあり、Kama Sutra Haremのライヴでは、インドのアシュラムで聴くような神への賛歌のような歌声から始まります。
サラの歌声にも負けないくらいの力のある歌声なので、ぜひ聴いてみてください。
美しい映像も楽しめます。
美しいと感じることは脳を活性化させるのだとか。
感動は、何か変化を与えてくれるのだと思います。

Moon River
http://www.youtube.com/watch?v=Iq_l0IzfWpA&feature=related 

Stranger In Paradise
http://www.youtube.com/watch?v=aofpkEjFYrE&feature=related

Beautiful
http://www.youtube.com/watch?v=7TbfRLxGL1Q&feature=related

Kama Sutra Harem Live 2004
http://www.youtube.com/watch?v=Z6eTAI1r2Oo&feature=related
2012年5月7日 | 記事へ | コメント(0) |
| 日常 |
2012年05月04日(金)
5月幸福力ドリル講習会
バガヴァッド・ギータ 第16章の解説とヨガの実践

第16章では、神聖な性質と悪魔的な性質について語られている。どのような考え方で生きているのかによって人は二種類の性質に分けられる。それを理解して自分自身の生き方を見直していくことが大切。

5月13日(日)13:15〜16:30
場所:石神井公園区民交流センター 2F第1和室
石神井公園駅北口徒歩1分
団体名:アーナンダ・ヨガ哲学

参加費:4000円  
ヨガの実践のみ参加の方
15:30〜(1500円)
要予約(初めての方は、コメント欄から非公開で連絡先を入力してください。)

2012年5月4日 | 記事へ | コメント(0) |
| 修練案内 |
2012年05月03日(木)
マジックナンバー「4」
 神聖な数と言われているものには、3、9、21、49、108などがあります。
 その中でも「9」は、どんな数にでも9を掛け算した答えの数字を一桁になるまで足していくと、必ず9になるというもので、永遠を表す神秘の数とも言われています。(例 21×9=189・・・1+8+9=18・・・1+8=9)

 インドで出版された英文の書籍で、ヴェーダについて簡単に書かれた本を読んでいたら、マジックナンバー「4」について、いくつかのサンプルがあげられていました。
 それぞれに詳しい説明はなかったので、その中で私が思いつくコメントを加えてみました。
 
【四つのヴェーダ】インドに伝わる世界最古の文献
リグ・ヴェーダ
ヤジュル・ヴェーダ
サーマ・ヴェーダ
アタルヴァ・ヴェーダ
さらに、各ヴェーダは4つの部門(サンヒター、ブラーフマナ、アーラニヤカ、ウパニシャッド)で成り立っている。

【アーシュラマ】人生の精神生活上の4階級(寿命100歳として、各25年)
ブラフマチャーリャ(学生生活 25歳まで)
グリハスタ(家庭生活 50歳まで)
ヴァーナプラスタ(社会貢献 75歳まで)
サンニャーサ(物質社会の放棄 100歳まで)

【四つのユガ】繰り返される四種類の時代
サット・ユガ
トレタ・ユガ
ドゥワッパル・ユガ
カリ・ユガ
この宇宙では、4つの時代が永遠に繰り返されていく。

【四つの階級】ギータの中でクリシュナがつくったと語っている。
ブラフマナ(バラモン)司祭 知識階級
クシャトリア 王族 戦士階級
ヴァイシャ 商人 商売
シュードラ 農夫 商品作り

【四足動物】
足が無数にある昆虫もいるが、地上で動き回る動物は四足の生き物ばかりだ。
人間も立ち上がるまで、生まれてからしばらくはハイハイをしているので、四足で動いている。

【四方向】東西南北
大きく異なる方位に分けると4つの方角がある。

この他にも、日本人の私たちには聞きなれないサンスクリット語がいくつかあり、献身の四階級や精神向上、人が地に落ちる4要素などがありました。

この他に、私が思いついた4つのものがあります。

【仏陀の伝えた「四つの真実」】
般若心経の解説で、第一から第四の真実があげられていました。

【四つの季節】
土地によって季節の数は異なりますが、日本には四つの季節があります。
人生の流れの中にも四つの季節が巡ってくるもの。
恋が芽生えそうな春、熱く行動的な夏、実りを手にする秋、八方塞がりに感じる冬、見えない運命の流れがあるかのようです。


 こうして考えてみると、「4」という分割は、成長するために仕組まれ、物質界を理解し超えるヒントが示されているように感じます。
 
2012年5月3日 | 記事へ | コメント(0) |
| 今日のことば |
2012年04月28日(土)
ハートに耳を傾けよ
和尚の講話本を読んでいて、分かち合いたいと思う箇所がありました。
ここで紹介してみましょう。

『あなた自身のハートに耳を傾けなさい。
 ハートこそ唯一の真の家だ。
 そこで手がかりを得て、
 あらゆる途上に現れるであろう困難を理解しなさい。
 困難がまったく生じない道があると思っているのだろうか?
 そんな道はない。
 それについて考慮するなら、一歩たりとも進めはしない。
 困難はあらゆる道に生じる。
 これらの困難には、こんな意味がある。
 あなたはこの時点まで、ある生き方に従って一定の構造を構築してきた。
 ところが今、それが変化しなくてはならない。
 これこそ困難が生じる要因だ。
 これまであなたは、ある側面を人々に示してきて、
 今異なる側面を表明することが難しくなってしまった。
 しかし、こういった困難は簡単に解決する。
 必要なのは勇気だけだ。』

観照の道を進むか、献身の道を行くのか、二つにひとつの道しかない。
どちらを選んでも、あらゆる問題が生じてくる。
考慮するべき点は、どちらがより自分に調和しているかだ。

『勇気のない人は、宗教的にはなれない。
 宗教は、臆病者のためのものではない。』

神聖なるものに浸ることについて語られたものですが、俗世間に浸かって幸福を求めて生きている人々にも通じるものがあります。
目的地が異なっているだけで、人は困難のない道を探してしまいます。
神聖なものに接するときでさえ、物質的な豊かさを見返りに求め、世間の祈りは取引をしているようなものに思えます。

ここで言う宗教は、本物のスピリチュアルな道を示しているのですが、
カルトや信者を増やす目的の世間的な宗教は、臆病者がターゲットになります。
人々の恐れを刺激することで教団に執着させることができるからです。
そうした教団の教えは、人生の問題が無くなるように指導してくれます。
しかし、決して問題が無くなることはないのです。

仏陀が示した第1の真実は、人生は「苦しみ」であるというものでした。
これに抵抗せずにありのままの真実を観ようとすれば、困難を理解する心の準備ができます。

社会の中で、困難はあってはならないというように教え込まれてきたために、私たちは人生の問題を恐れています。
困難のない道はないのだと心得ているならば、怖れてもしかたのないことに思えてきます。
問題を感じることがあったら、これを思い出して進んでみましょう。

「困難を理解し、勇気を出して変化すること」

何をどんなふうに変化させるのかは、あなたのハートが答えを示しているはず。

もしも、あなたの心に浮かぶ雲(思考)が多すぎて邪魔をしているなら、
雲が流れ去り、雲の向こうにある青空が姿を現すように、
ゆったりとした気持ちになれることからはじめてみましょう。

落ち着かないエネルギーに満たされてしまっているなら、
そのエネルギーを発散させてください。
ジョギングでもスイミングでもいいし、
ヨガの太陽礼拝を3セット〜10セットやってみるのもお勧め。
心地よい疲れを感じたところで、ゆったりと横になって休めば、
雑念も湧きづらくなっているものです。

そして、ただ感じてみてください。
その瞬間になる自分の内側の心地よさを・・・
心の耳で聴いてみてください。
静まった心でなければ聞こえないくらいの微かな響き、
あなたのハートに語る何かがあるのを・・・

ことばにならない答え、深い理解を感じるはず。

理由などいらない自然な変化が、あなたにやってくるでしょう。

2012年4月28日 | 記事へ | コメント(0) |
2012年04月27日(金)
「心を受け取る」と書いて「愛」になる
愛とは、求めるものでも与えるものでもなく、心を受け取るもの。

この言葉をみつけたとき、漢字ってすばらしい哲学書でもあるんだな〜と思いました。
誰もがほしがるものであり、善に傾いた心なら与えたいと思ったりしますが、求めたり与えたりするなら、何かの取引のように感じます。

善悪の環境に左右されることなく、ただ「心を受け取る」ことができる人は、
ティロパの言う「ただゆったりと自然である」という生き方に共通する香りを漂わせています。

あなたのハートに耳を傾け、心地よく響く調べに乗って自然に流されていくとき、心を受け取る瞬間がやってきて、縛ることのない「愛」の香りが漂うのでしょう。

どんなふうに流されていくべきなのかは、あなたのハートが教えてくれるもの。
あなたの中に神の一部が棲んでいるのだから。
ことばでは聞こえない神の声をハートが受け止めているはず。
ゆったりと自然にしているほど、あなたのハートが震動する微かな響きも感じ取れるのです。
神の愛を受け取りながら自然に流されていきましょう。

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| 今日のことば |
2012年04月26日(木)
労せずに働くこと
先月から昼間の仕事を変えようと検討していて、色々と募集状況をみてきました。
生活に必要な収入が得られる分だけの仕事量にしたいと思うので、今のわたしに適切なものは何だろうかと考えてみました。

ティロパが言う「労せず」に生きることを実践するには、どんな働き方がいいのだろうか・・・
ゆったりと自然な生活をするには、肉体的にも精神的にも負担の少ない働き方にしたいと思うのです。

時間的に一番無駄の無い働き方を考えると、家から近い場所になります。
時給で働いている場合、片道1時間15分くらいかけて通っていることを考えると、近所で働けば2時間くらい余分に稼ぐことができます。

そして、近所の募集を見ながら時間と収入を検討してみた結果、夕方からのスーパーのアルバイトの時間を増やすことにしました。
会社の経営上、現時点ではフルタイムでの募集をしていないということなので、週20時間の労働になります。
契約変更の手続きはまだですが、ちょうど募集をかけるところで人員を増やす予定だということだったので、いいタイミングで変更できそうです。

しばらくの間は、自由の多い時間を利用して、手づくり本の第二段を製作していこうかと思っています。
ギータの解説やティロパのタントラなど、今の時代に活かすためのガイドブックにすることも実現できたらと考えています。
精神世界に足を踏み入れたばかりの人でも楽しく実践できるようなものや、どっぷり浸かってきたという人にもハッとできるヒントになるようなものを製作していきたいと思うのです。

自分の心に浮かぶ雲を眺めながら、どんな生活スタイルがゆったりと自然なのか探りました。
そこで、過去に書いたブログを再読してみました。
すると、今回の仕事に対する私の答えに、自分の内側で何かがカチリとはまる感触がありました。

-----------------
「空」は何ものも頼まず
マハムドラーは何ものにも依らず
また労せず
ただゆったりと自然であることによりて
人はくびきを打ち倒し
解脱を手の内にするなり
------------------

この部分の解説の中からポイントになるキーワードを拾ってみました。

努力など忘れてしまっているハプニング
タントラは「どんな努力もすべからず」という
「ゆったりと自然に自由でいること」とは、
「漂い、状況と共に動き、状況に応えること、水のように自由になること」


自分自身が楽しんで自然に行為しているとき、それは努力という枠に入っていないものです。
努力というと、何か我慢してふんばって行っている様子を想像します。
社会の教えは、苦労することを美学とすることが多いので、苦労しない生き方が怠惰なものに感じてしまう人も多いと思います。

「漂い、状況と共に動き、状況に応えること、水のように自由になること」

これこそ美しい生き方なのだと思えるようになりました。
そのうちにフルタイムで自然に働くときが流れてくるかもしれないので、今は心配せずにこれからの自分の時間を楽しんでいくことにします。

私自身は、自分の直感というアンテナを信じているところがあります。
何かがピタッとはまる感覚。
そこにはまるとき、未来への不安が消えていきます。
そして、周囲の環境が私を運んでくれている感じがあります。
無理なく流されている自分がいるとき、正しく流されているんだと思います。
そのうちに、また変化するときがやってきたら、そのときにも「漂い、状況と共に動くこと」を実践するだけなのですから。

2012年4月26日 | 記事へ | コメント(0) |
| 今日のことば |
2012年04月23日(月)
今のあなたに必要な教えとは
 仏教で一番多くの人に親しまれている有名なお経の中が般若心経なのですが、その内容は一般の人々に向けて語られたものではなく、それなりの知識と体験を通じて最後の段階まで進んだ者でなければ理解することは難しいものです。一生懸命、何度も繰り返し唱えたからといって理解できるものではありません。
 タントラのマスターであるティロパが語った詩もひとりの弟子に向けて語られたものでした。
 こうした言葉で伝えるには難しい最も深い意味を表した教えは、初心者にはチンプンカンプンな部分が多いものです。ならば、どのようなところから始めて、いつこうした文献を読むべきときなのかと疑問に思うでしょう。
 
 精神世界に興味を持ったばかりの人ならば、ヨーガスートラが理解しやすいと思います。何をするべきで何をするべきではないのか、段階を踏んで進んでいくことができるものです。
 そして、心の深い部分で何か人生の答えを漠然とでも求める時期が誰にでもあります。そうしたときに、そのときの自分が直感で感じるものを読んでみるといいと思います。
 ときにはカルトのものであったり、不可思議な現象に惹かれるものであったりすることもあるでしょうが、それも正しい方向ではないものを知るための機会が与えられていて、疑問を感じたときにはじめて、本当の道を本気で探す心が生まれたりします。間違いを間違いだと知ることも大切なのですから。
 そうしていくうちに、仏陀やティロパなどのマスターの言葉を読んでみたいと感じるときがあると思います。
 はじめは分からない部分もあるのですが、理解できる箇所がひとつでもあれば、あなたの中で何かがはじけるのを感じるはずです。そしてまた自分なりに実践しながら進んでいってください。
 真実が語られているものは、何度読んでも発見があるものです。あなたの意識がクリアーになればなるほど言葉の影に潜んでいる深い意味を感じ取ることができるのです。
 だから、般若心経や禅問答、マハムドラーの詩、バガヴァッド・ギータなどの文献は、時折、気が向いたときに読むことで自分自身の意識の成長を自覚することができます。
 本気で求めているなら、理解できない部分が多くてもあきらめたりはしないでしょう。

 今の自分にぴったりだと感じる方法がみつかった人も、進むうちに別の修練方法に興味を持ちはじめることがあります。内側で感じるワクワク感を大切にして進むべきなので、自分がやってきた方法にしがみつかないことも大切です。
 どの方法で進むにしても、自分の心を観察する実践のために、マスターたちのことばからそのヒントを得ることが目的です。
 実践することを怠ると、ただの物識りにしかなれません。その上、心の自由を得るどころか、さらに知識に縛られていきます。
 実践する事とは、自分の内側をみつめることであり、マントラを何回唱えたかとか、どれだけの文献を知っているか、ヨガのポーズをどれだけ上手にできたかということではありません。
 
 バガヴァッド・ギータの内容は、簡単ではありませんが、ヨーガについて知っておくべき基本的なことが解かれています。
 般若心経やマハムドラーの詩と比べれば、ギータは初心者が学んでおくべきことが説明されているので、ただ教えに従って実践するというところから、疑問を感じる段階になったときにその重要さが感じられるものだと思うので、少し進んだ段階で学んでいくことをお勧めします。
 そして、知識を得てたくさんの実践を通して心も静かになったとき、般若心経やマハムドラーの詩が伝えようとしている真意が感じられるもののように思います。

 人によって意識の汚染度は異なるものなので、消化できる時間も違いが出てくるでしょう。早く自由な心を手に入れようとすれば、心は騒がしくなってしまいます。
 焦らずに自分の一歩を大切に進むことだと思います。

2012年4月23日 | 記事へ | コメント(0) |
| 今日のことば |
2012年04月19日(木)
豆乳プルーンジュース


(2人分)
プルーン 4粒
バナナ 半分
豆乳 300ml

冷たくしたいときには、氷を数個材料といっしょにミキサーにかける。
バナナ1本にしてみたら、トロッとした食感になったのでスプーンで食べるデザートになりました。
豆乳を少なくして濃厚な感じに仕上げて、上にホイップクリームを乗せれば簡単なスィーツになりますよ。
砂糖を加え混ぜ、軟らかめに凍らせてアイスにしてもおいしいです。
2012年4月19日 | 記事へ | コメント(0) |
| ベジタリアン レシピ |
2012年04月18日(水)
マハムドラーの詩:第一から第三のさとりへ
はじめヨーギは
おのれが心の滝のごとく転落するを感じ
中ほどにてガンガのごと
それはゆるやかにやさしく流れ
ついに、それは大いなる海になり
息子と母の光がひとつに溶け合うところ
------------------------

第一のさとり
最初のステージは、恐ろしさが付きまとう。
この社会から転落しなくてはならないからだ。
それまで自分が得てきた社会的知識や地位は、完全に役に立たなくなる。
未知なるものに入っていくには、奈落に落ちていくようなものだ。
それまでの自分の地盤が破壊されていく。
この最初のステップは難関だ。
狂人になったかのようだから。

こうした人たちが幸運にも導きを得られる生きたマスターに出会えたら、
第二のステージに進むためのガイドを引き受けてくれるだろう。
しかし、不運な狂人は、病院で精神療法を受けることとなる。

第二のさとり
最初のステージがよく生きられたなら、
あなたに新しい規律が自然に訪れる。
静かで優雅なゆったりとしたやさしさを漂わせる。
すべてのブッダたちの像をみると、
丸みを帯びた女性的な優美さが感じられる。
攻撃性など感じられない。

ボディダルマや禅のマスターたちが吠える獅子のように凶暴そうなのは、
第一の境地において描かれてきた。
彼らは一番目が問題だということを知っているからだ。

しかし、さとりのイメージとして第二段階があまりにも強調されすぎてしまった。
狂気を通過せずに静まることなどできないのだ。
最初の混沌の境地をうまく切り抜けられたなら、
二番目は楽に自動的に続いてくる。
山にある滝のような転落、荒々しい源流から平地に流れるガンジス川のように穏やかになる。

第三のさとり
ブッダの象のように外側から表現できないステージだ。
静かに流れながら、海にたどり着き、
果てしない海とひとつになる。

第一ステージには自我がある。
第二のステージでさえも、微妙な自我が存在する。
第一の「わたし」の持つ攻撃性、一切の狂気は去った。
しかし、川に岸があり、川との境があるように、
微妙な「存る」がくっついている。

最初に、自我といっしょに「個性」は落ちた。
しかし、二番目でも個性の内的なものである個体性は残っている。
第三のステージでは、個体性もなくなる。

第一の危険
恐怖を怖れずに通過しなければならない。

そして、第二の危険
素晴らしさにしがみついてはならない。
あまりにも心地よいところだからだ。
二番目にひっかかって執着してしまっている人たちが大勢いる。
この二番目に対する自分の強欲を見守ることだ。

第三の危険
最後に自分自身を失っていく。
過去のすばらしい体験を手放し、抵抗しないことだ。

ヒンドゥ教徒たちは、自我をアムカー(Ahamkar)
存在性:am-nessをアスミータ(Asmita)
「わたし(I)が在る(am)」の「わたし(I)」ではなく、「在る(am)」の方を意味する。
それは、ごくごく静かなエゴだ。
受け身でいながら、自分が「いる」のを感じる。
「わたし」は剥がれ落ち、一切の狂気は去った。
そして、「在る(am)」も落ち、個体性もなくなったとき、
第三のことばアートマ(Atma)がある。
ティロパが呼ぶところのマハムドラー、無自己だ。
ただすべてが在る。

2012年4月18日 | 記事へ | コメント(0) |
| タントリカの生き方 |
2012年04月17日(火)
マハムドラーの詩:至高の理解がお守りとなる
至高の理解は
かれこれの一切を超越し
至高の行為は
執着なくして大いなる機知を抱く
至高の成就とは
望みなくして内在をしることなり
-----------------------

「至高の理解」
知識というものは、常に二元対立に基づいている。
善か悪か。
「理解」は、そのどちらでもない。
善と悪の両方がわかる。
その理解の中で両方を超越する。

人々は、悪魔から守ってくれるように神に祈る。
ティロパは、守ってくれるように祈りに行ったりしない。
彼は守られている。
「理解」が彼のお守りだ。

彼は、魔の果てにも行き、聖なるものも生ききった。
その二つが同じものの二つの側面でしかないことを知っている。
「理解」は二元対立を超越する。

「至高の行為」
ゆったりと自然でいるとき、行動ではなく行為がある。
何もせずに怠惰に眠っているということではない。
あなたは創造的になり、多くの機知が湧き出てくる。
創造せずにはいられないエネルギーで満ち溢れているからだ。

創造的になろうと努力するようなものではない。
ゆったりと自然である人には容易に訪れる。
それは創造的な現象となる。

行為が起きたとき、そこに執着はない。
「わたしがこれをやった」とは感じない。
それが起こったのだ。
あなたを通じてたくさんのことが起こる。
あなたは全体のための媒体だ。

「至高の成就」
希望にもあふれず、絶望でもない。
無願望でいながら、内在を実現する。

望みといっしょに欲望が湧き、改善への努力が訪れ、不平不満がやってくる。
ティロパはものごとをありのままに見る。
朝と夜の両方をいっしょに見る。
とげと花、苦痛と快楽、誕生と死をいっしょに見る。
悲観的でも楽観的でもない。
望みなしに生きる。
改善も変化も成長も必要ない。

あるがままの自分を受け入れることの根本には、
何ひとつ問題は無く、疑問も解決されるべきものもない。
あなたは、ただそうなのだ。

改善しようとする一切の努力を落とし、望みを落とす。
その望みの脱落といっしょにあらゆる二元対立は消えうせ、
内側はただ静かになる。

しかし、動かずにじっとしているということではない。
エネルギーは満ち溢れ、感応による至高の行為がある。
至高の理解に守られ、何の理由もなくハッピーなのだ。

2012年4月17日 | 記事へ | コメント(0) |
| タントリカの生き方 |
2012年04月14日(土)
「浄化」という名の欲望
並ならぬ心の人は、与え、分かち合い、捧げ、寄付するといった慈善を行う。
競争社会のビジネスに嫌気がさし、スピリチュアルな職業が流行し、ヒーラーという職業を始める人もいる。
ヒーラーは、何かを与える慈善活動とは異なり、並なる心の人が持つ不幸の原因を取り払い、人を浄化することを目的としている。
並なる心を持つ人を癒すことを仕事としているヒーラーも、慈善活動をする並ならぬ心を持つ人に属している。
 
善の要素を与えたい宗教に対して、悪の要素を払いたいヒーラーは、結局のところ行為が対極にあるだけで同じように幸福に縛られている。
並なる心の人の中には、ヒーラーになって人を癒す仕事をすることにあこがれる人もいる。ヒーラーとなるための教室が開かれているくらいだ。
しかし、願ったような幸福は得られないことを教えてくれはしない。
僧院やアシュラムにいる牧師さんや坊さんたちと同じ上機嫌という仮面をつけたもうひとつの不幸。
 
私にとって「浄化」というものは、この世の真実を理解できる自分にするためのもの。
社会の中で偽りで染まった自分自身の意識を真実を感知できる意識にすることだ。
それは善悪とは関係が無い。
人のためになりたいというものではない。
良い人になりたいためではない。
 
優秀なヒーラーとなるために浄化が重要だと考えるなら、欲望を静めるために別の欲望を育てていることに気づいていないのだろう。
物質世界の欲望を精神世界の欲望にすり替えたにすぎない。
もしも、ヒーリングした相手がその人の思うような結果を得られなかったなら、あなたは自分の力のなさを嘆き悩み出すに違いない。
そして、悩んだ末に適切な指導を受けるために先輩ヒーラーに教えを請うだろう。
その姿は、並なる心の人がビジネスで悩むのとどう違うのだろうか。
先輩ヒーラーがいくら立派にみえても、深い部分では同じように縛られているものだ。
あなたは、もっと浄化することを勧められ、もっと精神世界の欲望に力を注ぐことになる。

宇宙の真理を求め、修行するうちに色々な現象が現れることがある。
しかし、それは真理に近づく道の途上にある副産物でしかない。
心を縛るものが解けていくに従い、その自由になった分だけ、その人は相手に影響を与えられる。
彼は相手がどんな状態にあろうと気にしない。
それは相手の問題なのだから。
外側も内側も周囲の影響を受けることなく、ゆったりと自然でいられる。
もっと多くの人を救いたいとも考えない。
癒しを必要としている人を探したりもしない。

「浄化」という名の欲望に注意して進まなければならない。
さもなければ、あなたは別の縄で心を縛られていく。
だから、それを理解するために自分自身の心を見張ること。
あなたの内側のエゴは、巧妙になりすましている。
浄化しようとあなたが頑張る分だけ、エゴは偽の幸せをチラつかせるのだから。
そのエゴの微妙なワナを見破ることができたとき、浄化は自然に起きていく。
そうなったとき、あなたはヒーラーの悲劇に笑うだろう。

2012年4月14日 | 記事へ | コメント(0) |
| 今日のことば |
2012年04月13日(金)
新しい体験で自分を知る
 今回、研修に参加した仕事は、マッサージサロンでした。
 私が行っているマッサージ方法とはかなり異なるもののようでしたが、世間一般のサロンでは普通のものなのかと思います。
 私の場合、気功を通じて基本のやり方を教わった後、修練をするうちに自然発生的に手が動くようになったので、相手の身体の状態によって手の動き方は異なっていきます。
 それに対して、サロンではすべてのスタッフが同じ手順、同じ動かし方で行います。それは、どのスタッフが行っても受ける側にサービスの違いがないようにできている仕組みです。
 しかし、スタッフの技術的な部分によって、受ける側の感触には違いがあるので、指名制もあります。
 この方法には、疑問を感じることもあるのですが、治療的な効果を目的とするものではなく、軽いリラクゼーションであり、安い料金で受けられるこのサロンのサービスは、ビジネスの一環だと割り切る仕事なのだと思いました。
 人によって施してあげるべき箇所も異なるものだろうし、それほど問題のない部位に時間をかけずに、必要な箇所を中心に行ってあげた方が効果が高いと思うので、技術的には疑問もあります。
 
 ほぼ全員が初心者でスタートしているのですが、各自が個人事業主扱いの完全出来高制で、施術の他、掃除やビラ配りなどの雑用から受付、電話対応など、サロンの中で必要な仕事のすべてを全員が臨機応変に代わる代わる行い、施術を実践した時間で報酬が発生します。
 実際にお客様を相手に実践できる番が回ってこなければ、収入にならないので、そのときのスタッフの数や集客数によっても左右されていきます。運良く常に来客があり、出勤時間中にコンスタントに接客ができれば、かなり高収入になりますが、そうでなければ、長時間出勤している割には収入が見合わないということもあります。
 経営的にみれば、無駄な人件費が発生しないので、効率的に運営ができるのです。そうした方法なので、安いサービスが可能になっていて、来客数も見込める運営方法であり、会社側もスタッフもがんばった分だけ収入になるというものなのでしょう。

 しかし、企業が行う研修のように、短時間でもしっかり叩き込んでから仕事場で実践するといった段階が組まれていないので、細かいところまで教えてもらえる時間とタイミングがなくても、スタッフが全員接客に当たっていて対応できない場合、研修の人だけで受付での支払いや電話対応、予約の状況判断などもしなければならないので、わけが分からないまま実践に入るには不安も感じます。
 
 それでも、スタッフは現在、30人くらいいるということで、週2日くらいの出勤の人も多いのだとか。自由にシフトの希望を入れられるので、足りない曜日の補充として募集しているところでした。
 来客時間もまちまちで、いつ混むのかは予想できないので、ほとんどの人たちが8時間〜10時間くらいの出勤にしているようでした。私が望むような短時間の出勤では自分が施術できる可能性はかなり減ってきてしまいます。
 それを考えると、私が考えるような仕事内容とはかみ合わないと思い、辞退することにしました。
 
 若い人たちが多く、店長も若い世代の女性ですが、それなりに適正のある人に思います。私が会ったスタッフの人たちの多くは、穏やかさが感じられ、サロンに向いている感触がありましたが、中には内側に怒りをかかえて見える人もいて、仕事の心地よさとしてはどうなのかな?と感じることもありました。
 1日の研修では、掃除や雑用、ほんの少しですが、マッサージの実践を先輩から教わり、参加した時間は6時間くらいでした。
 帰ってくると、身体が重く、翌日には頭痛がして何も食べられない状態でした。慣れないせいだったのかと思いましたが、今まで色々な会社で仕事をしてきて、こんなふうに頭痛を感じることはなかったので、次に私が行くべきところではなかったという反応なのかもしれないと感じました。
 
 たった1日の体験でしたが、私が接してきていない社会の中の色々な面がみれたように思います。
 マッサージに関しては、サロンでのやり方を取り入れたいとは思いませんでした。相手の身体の状態がどんなものであろうと、機械的に同じやり方をすべての人に行っていくのは、全身のポイントを押さえるためのマニュアルでしかないように感じました。
 ですが、その手順に従って行えば、ある程度の満足感を感じてもらえるものなのだと思います。疲れた人にとっては、サロンで横になって少し擦ってもらえるだけでもリラックスした気分になれるのですから、低価格で軽いリラクゼーションサービスを提供するビジネスとしては上手く成り立っているのでしょう。

 このやり方を仕事の義務として行うこともできますが、私は自分の感覚を大切にして自分の感応で行うマッサージを独自にやっていこうと思いました。
 だからといって、大きく宣伝してマッサージ屋さんになろうとは思っていませんが、ヨガやストレッチをしても、病院で治療を受けてもなんだか快適にならないといった人に行っています。口コミで頼まれることが時々あります。
 
 しばらくゆっくり休みながら、別の仕事をみつけていこうと思います。
 自分の内側の感覚を大切にしていれば、「ゆったりと自然に」生きられる暮らし方を始める新しいチャンスがやってくるように思います。
 そのために、今はリセット時期にして準備をしておくことにします。
 もしかしたら、そうするための体験だったのかもしれません。

 無理に相手に合わせれば、「ゆったりと自然に」ならない自分がいます。それを感じる必要があります。その違いから本当の自分を知ることもあります。
 それぞれに独自の「ゆったりと自然に」生きる道があります。同じサンプルはないかもしれません。自分が最初のサンプルになってもいいのではないでしょうか。

2012年4月13日 | 記事へ | コメント(0) |
| 日常 |
2012年04月11日(水)
内側で起こることをただ許す
「起こるものごとをただ許す」というとき、
外側からあなたに向かって何かが起きている状況を思い浮かべるかもしれない。
周囲で起きることを許すだけじゃない。
周囲で起きることだけを許すなら、あなたは何かを拒絶し容認するしかなくなる。
あなたの内側で起きることも、心に思う事、感じることもただ許す。
賛成も反対も必要ない。

あなたが何かを飲みたくなったり食べたくなるとき、
飢えを感じれば、それを見守り、
食べ物を求めてからだが動き出せば、それを見守り、
そして、からだが食べ始めるのを見守る。
からだが栄養を吸収し満足するのを見守る。

生の中で必要なものごとが自然に発生し、からだは動いていく。
愛への渇きがあれば、からだはそれ自身で動く。
行為というものは、あなたに属してはいない。
からだは真の意味であなたではない。
それが解れば、容認も拒絶もない。
この世界で起きることすべてが自然な流れの中にある。

何か不快な感じがして心地よい環境を求めるのも自然な作用だ。
心地よい感覚があり、それを保とうとするのも自然な作用。
あなたのからだが何かを求めて動いていくのを見守るとき、
それはすばらしい体験になる。

2012年4月11日 | 記事へ | コメント(0) |
| タントリカの生き方 |
2012年04月10日(火)
容認と拒絶を越える
心は偉大なる改善屋だと和尚は言う。
「もっと高く登れる。さらに磨きをかけてすばらしい人間になれる」
改善するべきだ、変革しろ、とささやき続ける。

あなたがただ自然でいるとき、
何かを変えようとも、修正しようともしない。
自分を改善することに関わりを持たない。
あるがままのあなたでいるだろう。
拒絶も容認もせず、何であれ起こるものごとをただ許す。

多くの宗教は容認を教える。
しかし、容認する影には拒絶が存在する。
何かを拒絶する心があるために、それを打ち消す容認が必要だからだ。
容認したからといって完全に平和になったわけじゃない。
いつも拒絶と背中合わせなのだから。
拒絶するものがなければ、容認の必要がない。

ただ単にゆったりと自然にあなた自身でいる。
物事が起こるのを許すだけだ。
あなたは世界全体といっしょに動いていく。
ただあなた自身でありきって
何が起ころうとも無条件に
良くても悪くても
不幸でも幸福でも
生でも死でも
何であろうとそれを起こらしめる。
あなたはただ出しゃばらずに、リラックスしていればいいのだ。
そう和尚は語っている。

改善の必要なんてどこにもない。
変える必要などひとつもない。
ただゆったりと自然でいれば、改善はひとりでに起こる。
そして、変化がついてくる。
あなた自身の手によってではなく、あなたは完全に変身するのだと言う。

アラヤとは、内なる「すみか」を意味する仏教用語だ。
内なる虚空、内なる空
ダルマタとは、あらゆるものがそれ自身の根源的本性を持つという意味だ。
あなたの実存、魂は汚され得ない絶対的な純粋性を持つ。
あなたの内なるすみかにとどまるならば、
すべてはそれぞれの自然な要素へと溶け去って行く。
思考が行き交い、様々な行為が往来しても、
内側の奥深いところでは何も起きていない。
容認することも拒絶することもない。

2012年4月10日 | 記事へ | コメント(0) |
| タントリカの生き方 |
2012年04月08日(日)
さくらの森コンサート

 今日は、満開のさくらの中、バカボンが利用している障害者地域生活支援センターで「第1回さくらの森コンサート」が開催されました。
 2年ほど前に新しく建設されたセンターで、大きな桜の樹に囲まれたとてもきれいな建物です。センターの名前が「さくら」といいます。
 フルートとマンドリンのデュオや武蔵野音楽大学の金管五重奏、トーンチャイム演奏、バイオリン演奏など、音大卒業生や交響楽団で活躍されている方たちのプロの演奏を聴くことができました。
 センターが企画している音楽講座があり、バカボンは、センターに通う障害者の人たちで結成されたチームでトーンチャイム演奏に参加しました。
 開場になった部屋の窓からは、満開の桜が見えていて、ステージのバックをいい感じで飾ってくれていました。

 音大卒の人たち6名で編成されたトーンチャイムの演奏は、とても音色がきれいで、「OM」を表す鐘の音と同じような感じがしました。
 心が洗われるようなすがすがしい感覚があり、癒される気がします。すばらしい演奏でした。

 午後からは、練馬区在住の池田 弘 氏ファミリーコンサートがありました。バイオリン演奏と娘さんのピアノ、奥様の歌を聴くことができました。
 池田氏は、小児麻痺による右半身の障害を持ちながら、5歳でバイオリンを始め、武蔵野音楽大学在学中に東京都交響楽団に入団。その後、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に入団、帰国後、東京都交響楽団で第一バイオリン奏者として活躍するといった経歴を持ちます。
 

 そして、帰り道、近所の川沿いの満開の桜の下では、たくさんの人たちがお花見を楽しんでいました。
 桜のこの季節、これから始まる新しい門出を祝ってくれているようです。
 ちょうど明日は、次に挑戦する仕事の研修初日になります。
 今の時期は、私の働いているホテルの稼動が低いので、出勤日数を調節しながら、無理のないスケジュールで新しい仕事も進めてみたいと思います。
 次の仕事にシフトしていくしばらくの間、3つのアルバイトをすることになるので、面接後の数日間、最適なスケジュールを検討してみて思いました。
 稼ぐことばかり考えてしまうと、どうしても仕事の時間を詰め込みがちになります。実際に仕事してみると、肉体的にも精神的にも予想以上に疲れたりすることが多いものです。
 何度も練り直した結果、収入が少し減るかもしれないけれど、はじめは隙間があるくらいゆとりのあるスケジュールを立てることにしました。仕事に慣れて徐々に出勤日数を増やせるように相談していきたいと思います。
 幸いにも、新しい仕事のシフトは自分が申告して作れるので、「ゆったりと自然な」暮らしができるように心がけていきたいと思っています。
 自分にとって、どのようなペースが負担になる時間の使い方なのか、自分の無理のないペースを自覚していることが大切だと思います。

 行き過ぎたら戻り、挑戦できることがあれば前に進み、ちょうどいいところを見つけだす作業は、芸術作品をつくるときに自分の納得のいく感覚を探っていく作業と重なります。
 間違えることも決して悪いものではありません。自分にとっての「自然さ」をみつけるには、間違いを理解することが不可欠なのですから。
 タントリカとなれる生き方を実践できるように、自分をよく観察しながら調整していきましょう。
 
2012年4月8日 | 記事へ | コメント(0) |
| 日常 |
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