植田信先生のウェブサイトで、拙ブログの標記の記事における言及が短すぎて何をいっているのかわからない旨のご指摘を受けました。
それで、小林よしのり氏の「パール真論」で言及しているいくつかの箇所について、恐縮ながら私の言及の意図を詳しく述べさせていただく。
最初に出てくるのは、同著の218頁である。
(引用はじめ)
日暮は、東京裁判を「文明の裁き」とする肯定論も、「勝者の裁き」とする否定論もとらないという。そして「勝者の裁き」だからといって全否定してはいけない理由をこういうのだ。国際政治にも「規範」や「道義」は存在するのに、日本人の「勝者の裁き」論は、敗者のルサンチマン(弱者の怨念)のせいで「勝者の正義」も「日本の過誤」も認めない。これは問題である。
(引用おわり)
これに小林氏が噛みつく。
(引用はじめ)
国際政治に「規範」や「道義」があるのなら「敗者・日本の正義」も「連合国の過誤」もあるだろう。それが完全に見過ごされているから、「勝者の裁き」は否定しなければならないのだ。
(引用おわり)
ここから、小林氏の論理の誤りを指摘する。
まず、
1.
小林氏の最後の言葉がおかしい。"「勝者の裁き」は否定"ではなく"東京裁判は「勝者の裁き」であるとして否定"とか表現しないと正反対の意味になる。もしくは、"「文明の裁き」と代入してもよい"要は「勝者の裁き」が目的語と文法的になってしまっているので、おかしくなってしまっているということである。
2.
日暮氏は東京裁判を全否定していないということは、すべてを否定してはいないということである。裏で表現すれば、概ね否定しているわけで、すなわち部分否定ということになる。
ところが、小林氏は、
「敗者・日本の正義」も「連合国の過誤」が完全に見過ごされているから、東京裁判を否定するとしているが、この言い方は、言葉的にも文脈的には全否定になっていない。それは、日暮氏の"「勝者の正義」も「日本の過誤」も認めない"ことは問題である。という部分否定に関わる文脈をを直接否定していないからだ。
つまり日暮氏の"「勝者の正義」も「日本の過誤」も認めない"ことは問題である。という主張を否定はしないが、そのことより、「敗者・日本の正義」も「連合国の過誤」が完全に見過ごされていることが重大な問題だと相対的に強調しているだけのことである。
したがって、論理学的に反駁したのではなくて、主張したいポイントが違っているだけのことである。
他の箇所についての言及は次回とする。
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