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戦後は個人の諸権利が拡大した。特に自意識が肥大化したことは自由な雰囲気がなせるわざであったといえるかもしれない。それはそれでよかったことでもあったのであろう。しかしいわゆる自己実現の思想を全国民が認知したことが、あにはからんや社会の秩序の破壊に決定的打撃を与えた。自己実現を求める態度と対蹠的なのは運命に生きるという思想である。かっては、それぞれが生まれたところで、可能な範囲での生の充実化を図った上で、家庭や集団の秩序のために例えば、女性が犠牲になった面があった。家父長制における長男の嫁はそのような例である。21世紀の現代社会はその反動ぶりが凄まじく、運命に生きるという言葉も全く想起されない社会に成り果ててしまった。社会の維持のためには、相対的な意味からしても誰かが犠牲的精神を発揮しなければならない。それは社会の鉄則、あるいは不文律と表現してもよい。このことには真の美しさの発露がある。”何で私がそんなことをしなければならないのか?What about my right?”とか声高に叫ぶ現代の諸氏には、その美しさの意味は生涯を通じて理解できないことであろう。
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