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2009年09月13日(日)
←http://oriharu.net/gabana_n/Zaakan/hibi0505/hibi-niisi-050515.htmより転載
鳩山論文「私の政治哲学」の完訳版がJapan Timesに出ている。気になるのは「友愛」のこだわりだ。いうまでもなくフリーメーソンの理念の一つとしてよく知られている言葉である。家訓?であるかもしれないが、その程度の位置づけなら、公けに対する説明は通常あまりしないだろう。となれば鳩山氏は、この言葉を多用することで世界のフリーメーソンにシグナルを送っていると見るべきだろう。
(転載はじめ)
Among Japanese people today, "ai" is a particularly popular word which is usually translated as "love." Therefore, when I speak of "yuai," which is written with the characters for "friendship" and "love," many people seem to picture a concept that is soft and weak. However, when I speak of "yuai," I am referring to a concept that is actually rather different. What I am referring to is fraternity, as in "liberte, egalite, fraternite," the slogan of the French Revolution.
When my grandfather Ichiro Hatoyama translated one of the works of Count Richard Coudenhove-Kalergi into Japanese, he rendered the word fraternity as "yuai" rather than the existing translation of "hakuai." Therefore, when I refer to "yuai," I am not referring to something tender but rather to a strong, combative concept that was a banner of revolution.
(転載おわり)
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/eo20090909a1.htmlより
しかし、鳩山氏の期待虚しく、世界のフリーメーソンは力になってくれない。気持ちは同調しても、国家主権レベルでの影響力をフリーメーソンが持っているはずもないからだ(典拠は常識)。フランス革命で一定の寄与(暗躍)した云々の話は、概ねその通りなのであろうが、近代国家群が猖獗している現代においては、フリーメーソンなどの親睦組織が、国家意思に直接関与できるはずもない。たとえ、オバマやヒラリーがフリーメーソンとしても、鳩山の外交に何のプラスにもならない。せいぜい雑談で盛り上がる程度だろう。
著書「石の扉」ブレークした加治将一氏は、フリーメーソンのネットワークを持ったことで、著作活動に大いに役立っていると同著で盛んに示唆している。信憑性が感じられないが、まあそういうレベルならあり得るのかもしれない。同氏によるとネットワークを拡げることを期待して、フリーメーソンに入会する人もいるそうだが、お習い事が多くて失望?する人も多いとのこと。お疲れさまでした。
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2009-09-13 21:02
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2009年09月07日(月)
新政権の人事が進められているが、国家戦略局のトップは菅直人であるとのこと。同氏は官房長官の声も上がっていたが、より大なたを振るえるポジションにつくことになりそうだ。
ところで同氏について、当研究所では特別の視線で観察していた。即ち?菅直人は政治の天才であるということである(直観的な表現で申し訳ない)。以前の記事のURLは以下である(http://blog.zaq.ne.jp/fifa/article/57/)。決して万能という訳ではないが(ちなみに同氏の安全保障論は吉田ドクトリン左派の亜流?なので一顧だにする必要はない)、少なくとも現在の永田町では最高の頭脳の持ち主であることには間違いがない。小沢の強面による恫喝、鳩山、岡田の資金力による力なんかと比べるべくもない。同氏はすでに民主党代表の座を過去に経験し、近年は若干の影が薄くなった印象もあったことから、評論家からさえ軽視されつつあった。評論家は人を貶すことはお得意だが、評価する能力がないのは困ったものである。
菅直人を凄さを見切ったのは、細川政権の官房長官であったあの田中秀征である。それと当研究所だけであろう(なんちゃって!)。それ以外の人々は、やり手の野党の政治家程度の認識しかなかった。あの田原総一朗も、TV番組であれだけ身近に接しながら、菅さんはディベートが上手だから程度の認識でしかなく、毎度、菅氏に同じことばかり"民主党が政権とったら何が変わるのか"と繰り返すのみであった。
ところで菅氏の凄さは、システムに切り込んだ官僚批判ある。今日でこそ、官僚の腐敗というのは人口に膾炙しているが、言いだしっぺは菅直人である(典拠は私の記憶だが、1990年頃の朝生であったので、自社さ政権のずっと前!)。なるほど官僚批判は、菅氏以前にも昔から腐るほどあった。時事放談なんかで、経済学者の加藤寛もよく言っていたなあ。そうそう一番調子良く言っていたのは堺屋太一である。彼らは軽やかな調子で官僚の生態を毀誉褒貶していたが、そのシステムには全く切り込まなかった。あげく堺屋氏は経済企画庁長官になりながら結局、官僚に籠絡され、何の成果も上げずに(景気を回復できずに)這う這うの体で政権を去った。
菅直人は不比等戦略を知らないであろうが、官僚の策略を見抜く感の鋭さは当代随一である。菅氏に期待するのは、とにもかくにも政と官の関係の異常さ(政官癒着、政策立案の主体等)を図ることだ。この政権で試されているには単にマニフェストの項目だけでなく、日本が思想の上でも近代化できるか否か、そしてそのことに耐えうる国民資質を持つか否かであろう。植田信さんの術語でいえば、律令理性から自然理性への転換がたとえ萌芽であってもなされるか否かである。戦後、これほど刮目すべき瞬間はなかった。菅直人!Time is NOW!
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2009-09-07 22:35
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2009年04月02日(木)
冒頭加筆します。
本ブログで混在していた英語学習の記事は、以降、http://fifa5963.exblog.jp/のサイトで専用的にポストすることにします。
姉妹サイトとしてよろしくお願いします。
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高橋洋一氏の窃盗容疑で、氏の社会的地位が窮地に陥っていることは誠に残念である。私は、氏の信奉者というわけではないが、安全地帯から物を言っていないことを大いに評価している。大方の人は自分の日頃の生活維持のため(私も)、自分でも無自覚くらいに長いものに巻かれようとするそれこそさもしい精神が世間には横溢している。植田先生の律令理性とあわせて考えるなら、なるほどいわゆる日本において改革は絶望的である。せめて、自分自身の魂を自分の快楽欲しさ売り渡していることに自覚的な人間が多く存在するなら救われもするが、驚くことに自分の醜さに人は驚くほど無自覚である。梅原猛の本を久しぶりにめくったら、人は生きるために虚偽を必要とするというニーチェの言葉が目にとまった。その通りだが、落合信彦をみればわかるように自分自身をも騙していることさえ分からなくなる人間の弱さに情けなくなる。このことの精神論的分析は興味深い対象であるが、本論とは違うのでとりあえずやめる。
高橋洋一氏の今回の容疑に関して、各ブログの論調を読んでいると二つの陰謀論があって、不謹慎ではあるが興味深いところである(ぐぐればたくさん出てくるのでいちいち典拠は省略)。それは、一つは、反小泉側から出ている陰謀論で、今回、逮捕されながら拘留されず、余罪追求のための家宅捜索もないことはおかしいというものだ。この論は、例の某諸氏の経緯から当然ながらに発想するものである。つまり国策として、釈放されたという説である。
もう一つはいうまでもなくオーソドクシーな(反動がいわれている現在の体制側による)陰謀論で、財務省から身の回りの諸事を洗いざらい調査されるような高橋洋一みたいな人が、何ともとんまな状況で捕まるのはおかしいという説である。その銭湯には防犯カメラはなかったとか、この時計をどんな人が持っているか興味があったとか、窃盗後にわざわざのんびりとお湯につかっていたのはおかしいというやつで、やはり現在の体制側から反撃として嵌められたのでは推察されている。
どちらが信憑性があるか、またどちらも妄想のたぐいであるか皆目わからない。恐らく、高橋氏が世間に向けて放つ第一声の雰囲気(内容ではなく)でそれは露見するであろう。
私自身は、全くどちらか想像もできないが、単なる出来心であったと思いたいし、そして一刻も早く類まれなる氏の才能を生かすべく復帰をして欲しいと思う。立場は正反対だが、あの植草氏もその才能を生かされるべきである。拠って立つイデオロギー・政策の違いなど下の次元での話で、優秀な人材の損失は国にとって大きな痛手である。国策などのチンケな虎の威を借りて、イデオロギーには無関心で、(利権ばかりを気にして)下手人になり下がっている連中ほど醜いものはない。少なくとも一度の失敗で(内容にもよるが)全ての人格を否定してしまうような非難の仕方は避けるべきだ。
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2009-04-02 22:55
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2008年11月16日(日)
もう一回も田母神論文について書くとは思っていなかった。何ともはや大騒ぎになっているようだ。なんて常套句を使いたくなるが、まあマスコミの一部といってよいだろう。今日のサンデープロジェクトでも言論のクーデターなんて騒いでいた。田原氏は、日本の近代史の解釈は、自分の存立の根拠ばりに常に過剰反応している。先日亡くなられた筑紫哲也のこともあり、ここで声を上げるのは自分の役割だなんて高揚しているに違いない。
田原氏は、だいだい戦争を知っていると常々吹聴しているが、子供の頃の記憶と世の中のイデオロギーが急に変化したことの原体験だけであって、戦地に赴いたとかの話ではない。もう一つの上の世代(現在80代の世代)までしか、戦地の体験を持っていない。戦地に行ったぎりぎりの世代は往々にして、中国戦線、太平洋戦線にはよい思いを持たれていない。田母神論文のバックボーンなど実は存在していない。田母神論文のバックボーンはもう二つくらい上の世代にまで行かないとでてこない話なのである(典拠省略:明治〜大正において、個人史の書物を読めばいくらでもこの空気は伝わってくる)。
サンデープロジェクトでは、あの田岡氏が歴史認識に関して茶々を入れていたが、歴史認識のミクロな点ばかりをあげつらっていた。だいたい田岡氏の十八番は、各国の軍備に関するデータ記憶力であり、政治的に鳥瞰する器量を持ち合わせている人ではない。他に人材がいないのか、田原氏の稚児なのかは知らないが何ともはや役不足であった。アメリカの高官が苦言を呈したなんてことが報道されていたが、それはアメリカからすると修正主義史観だからに過ぎない。国内においては、もっと場を設定していろいろな立場から意見を戦わせればよいのではといったことですむ話である。大事なことは村山談話とか田母神史観?を政府の公式見解などとしないことだ。何度も言うが、中性国家としての理念型の貫徹志向が政府の姿勢として重要である。
田母神史観で基本的な問題点を指摘するなら、戦争の遂行を人の陰謀の結果としている点だ。ルーズベルトの陰謀、コミンテルンの陰謀については、引っかかった日本が悪いのであって、その点に固執していくら負け惜しみをいってもはじまらない。嵌められたと反省すれば済む話である。戦争の遂行自体は何ら国際法違反ではない。加えて、いわゆる平和に対する罪は今日も成立していない罪状であり、二重の意味で、やましく感じる必要はない。罪としなければならないのは、現実に行われたBC級犯罪のみであり、それについても、各国がBC級犯罪の貸借対照表を作って相互に交換しあいながら、その範囲で議論し続けるしか道はないのである。
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2008-11-16 11:37
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2008年11月08日(土)
田母神俊雄航空幕僚長の解任が話題となっている。この事件?はいろいろなカテゴリーから日本の病理を指摘するのに格好の分析対象であろう。当代随一の論客である植田信先生、太田述正氏がいち早く取り上げている。
植田信先生は、田母神論文については、それがスティムソンの東京裁判の範型の中で動いていることを一瞬にして看取された。この表現は流石(私程度がいえないが)というべきである。先般、丸山、小室の思想がヘーゲル哲学圏内のエピゴーネンであることを喝破なさったことを思い起こし思わず唸ってしまった。
太田氏は、こんな風である。(引用はじめ)職を賭すのであれば、もっと他に訴えるべきことがあるだろう、と私は思う。私は、「航空自衛隊の組織の内情は無茶苦茶なのが実状だ。そうした環境の下、空自はパワハラが数多く見受けられ、また陸海空の中でも最も業者との癒着がひどい組織だといえよう。」と『実名告発 防衛省』の37〜38頁で記したところだ。(引用おわり)
ということで、その純粋な?意図とは裏腹に自衛隊の改革に大きな水を差すことになったと指摘されている。
私は、今回の田母神俊雄問題について、両雄がご指摘なされた以外の視点から述べたい。
それは、田母神俊雄航空幕僚長の解任は間違いであるということである。
理念型として言い切れば、単なるイデオロギー表明にすぎないことに対して、たとえ政府中枢の組織に属する人間に対してであっても、国家権力が、人間の内面の自由に対して干渉することは絶対に避けなければならないことである。田母神俊雄氏は、この論文を大いなる意図を持って発表したかもしれないが、政治的統制(シビリアンコントロール)には服すはずであり、そのことはアプリオリに設定すべき前提だ。仮に少しでも服さない態度を表明した時は、その時こそ間髪入れずに解任すべきである。
この主張の根拠は、近代国家の大きな特徴が、中性国家であるということにある。
あの丸山真男氏の論文「現代政治の思想と行動 丸山真男 著 未来社 増補版 P13/7-9より」から引用しよう。
(引用はじめ)
それは真理とか道徳とかの内容的価値に関して中立的な立場をとり、そうした価値の選択と判断はもっぱら他の社会的集団(例えば教会)乃至は個人の良心に委ね、国家主権の基礎をば、かかる内容的価値から捨象された純粋に形式的な法機構の上に置いているのである。
(引用終わり)
このことは一般国民に対してだけの適用ではない。総理大臣に対しても同様である。麻生総理大臣が、端的にいえば歴史修正主義に近い史観を持っていることは、これまでの麻生総理の言動からつとに知れ渡っていることである。村山談話なんぞ相いれないことは明らかであろう。もちろん総理就任後の言質ではないことはいえるのだが、思想が人生後半期に変わる人はいない。
同様に麻生氏の部下である田母神俊雄氏がどこかの懸賞論文に応募してイデオロギーを表明したからと言って上述の中性国家としての理念型の貫徹の趣旨からいって問題とすべきことではない。加えて中性国家が村山談話なんぞを正史?としているかのごとき現況は、相も変わらず日本が近代国家以前であることの証である。斯様に前提から崩れている話についてあれこれ論及する虚しさが漂う。
(転載はじめ)東京新聞より
空幕長論文 不祥事続発省内怒り 『内容は持論』認める
2008年11月1日 朝刊
航空自衛隊のトップが政府見解に公然と反旗を翻した。日本の過去の侵略や植民地支配を正当化した田母神俊雄航空幕僚長の懸賞論文。浜田靖一防衛相は三十一日夜、空幕長解任に踏み切った。イラクへの自衛隊派遣をめぐる司法の違憲判断に「そんなの関係ねえ」と言い放った人物。その立場をわきまえない主張に「あきれ果てた」「あまりにひどい」と批判が渦巻いた。
(転載おわり)
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2008-11-08 21:08
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2008年10月12日(日)
急転直下ともいえるテロ支援国家指定解除だった。前回の解除の動きが先送り続きされていただけに麻生政権内の衝撃は大きい。ただ、指定解除の決定は「一義的には米国内法の適用の問題」(河村建夫官房長官)であり、米政府の決定を受け入れざるを得ないのが実情である。というか米国にしてみれば、これほどまでに引き延ばして日本へ配慮したことをどうして駄々をこねるばかりで分かってくれないのかという思いであろう。
確かに拉致被害者家族の立場に立てば忍びないもであるが、日本の国力からするとやむを得ないものがある。もし米英同盟の間で同様の問題が起こったとしても、米国は同様の判断をするであろう。繰り返すが、米国内法の適用の問題であるからだ。いわんや日本ごときがいくら米国に物申しても、本音では馬耳東風然であろう。
インドに対する原子力協力の問題の時はどうだったか。こちらはNPT体制の根幹を揺るがすだけに、日本も声を大にして米国にクレームを申し立てることは全く正しいことであり、そうしなければならないことであった。ところが、殆ど抵抗らしい抵抗も見せずに腰砕けになった。この日本政府の有様では、テロ支援国家指定解除に異議を申し立てる腹なんぞ無いことはあっさり見て取れる。結局、負け惜しみをぐたぐた言い訳しているのは、拉致被害家族者にポーズを見せるためだけの選挙対策の一環に過ぎない。
(転載はじめ)
【テロ指定解除】麻生首相が一定の理解
10月12日15時20分配信 産経新聞
麻生太郎首相は12日、米国が北朝鮮へのテロ支援国家指定解除に踏み切ったことについて「(核問題が)動かない状況を置いておくよりは、きちんとやった方がいい。一つの方法だ」と述べ、一定の理解を示した。 致問題への影響については「(指定解除で解決への)てこを失ったことは全くない」と述べた。日本青年会議所(JC)全国会員大会浜松大会に出席のため訪れた静岡県浜松市内で、記者団の質問に答えた。
(転載おわり)
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2008-10-12 23:45
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2008年10月04日(土)
ははーん、結局、中山国土交通大臣の失言の意図はこういうことだったのかと思わせる出来事だ。失言に端を発した中山元国土交通大臣の引退で、自民党の後継候補として東国原宮崎県知事の可能性が高まったことである。もちろん、他の狙いもあった。解散の引き延ばし戦術である。麻生総理はこれらを深慮遠望して、中山の自爆を本人も了承のうえ仕掛けたのである。
だいたい今の時代にあのような発言をすれば、叩かれるのは分かり切ったことであり、海千山千の政治家が本当の意味での失言などするわけがない。見え透いた策略に乗ったマスコミがナイーブであり大馬鹿者である。
ところで、東国原本人は超党派?の組織「せんたく」にも出入りしているように、国政への関わりを以前から滲ませてきたことは周知のことである。恐らく総理大臣の座を狙っているはずである。しかし、ヒエラルキーの強固な自民党から出馬では、少なくとも10年は目がないし、閨閥の観点からはなお一層望みがない。
唯一可能な方法は、細川護熙のパターンだ。日本新党の党首として颯爽と政界に登場して、一気に連立政権の神輿に乗ったやり方である。東国原に当てはめると「せんたく」の拡大路線でしか目がない。まあ常識的に考えれば細川元総理の真似はできない。
しかし、ゼロとはいえない。時代の変化は良くも悪くも東国原のような大衆型政治家を欲している。頭の回転は中々のもので、そのあたりは問題ない。しかし菅直人との道路特定財源問題でディベートした時は、大枠の戦略で対抗できずに、ローカルな事情を訴えるだけの抗弁に終始した。この骨身に染み込んだ意識の改造を図らねば、東国原は、単なるお笑い地方政治家に終わるだろう。
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2008-10-04 21:05
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2008年10月01日(水)
"解散は私が決める。"麻生総理は、小沢一郎民主党代表の早期解散の要求に対してこういい放った。何気ないやりとりと思ったら大間違いである。麻生総理は自身が持つ最高の権限を楯にとって、最高権力者たる自分をアピールしたのである。無冠の権力の権化たる小沢は、何ともいえない悔しそうな表情を浮かべた。
安倍、福田両氏には麻生総理のようなぎらぎらした権力欲がなかった。短命の根因はそこにある。安倍は父親の蹉跌を周囲から言い包められ(チャンスはその時にしかない、逃せば二度と来ないなどと)、よちよち歩きで権力を掌中にした。権力を弄ぶ血筋はあったが、個人的な権力衝動は持ち得なかった。これは資質の問題であり、そのような人物を選んだ側の問題であろう。福田も同工異曲だ。
しかし、麻生は二人とは全然違い権力欲が旺盛だ。苦労知らずのぼっちゃん育ちなどとの批判は、的外れである。俺様の血筋の威光で、まわりをひれ伏せさせてやる。国の繁栄は俺が興してみせるとの気迫が所作に滲みでている。公明党と二人三脚とる姿勢をとったかと思えば返す刀で、解散総選挙の実施をじりじりと先延ばしし、友党にまで深慮遠謀で脅しをじわじわかけている。選挙の結果は予断を許さないが、依然多数を維持できたとしたら、中曽根、小泉(両人は権力欲旺盛)に次ぐ長期政権の可能性もある。
このような麻生がなぜ大物政治家であるといえるのか。それは、権力の理論にことさら忠実なエトスを麻生氏が有していることに尽きる。そのエトスの理解のために、天才政治学者小室直樹が“政治が悪いから世の中おもしろい(ワニの本)”で述べたことを補助線として紹介しよう。なお、大物政治家が善政を施すか否かは別である。
(転載はじめ)
政治には権力を伴う。政権をとることは、権力闘争に勝ち抜くことである。そして権力には魔力がある。「巨大な権力をすき勝ってに駆使できる者、それが名君または暴君で、両者は、ベクトルの向きが正反対なだけで、本質的には同種類の生き物である」と。
政治倫理については、「政治指導者およびその他の政治家の義務は、国民の安全と生活を保証し、国を繁栄させ、外敵から守るにある。近代では、そのうえ、デモクラシーと国民の権利を守るにある」「この義務を忠実に果たすこと、それが政治倫理であり、それにつきる。また、この目的のためなら、普通の人間には許されないことでも許される」という。
ドイツの歴史家マイネッケは、「国家にとって権力が必要であることを本能的に感じざるを得ない政治家は、また同時に、同じく権力への全く個人的な衝動が働いている。たくましい意志的人間の個人的権勢欲がなければ、国家に不可欠な権力は決して獲得されない」と言っている。「権力欲のない政治家は、国を滅ぼすのである。俺が俺がと、権力欲の権化のような人物でなければ、国を富まし隆盛にみちびくことはできないのである」と。
(転載おわり)
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2008-10-01 22:04
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2008年03月05日(水)
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管直人は天才である。天才の意味は頭が優秀というというニュアンスで使う。今日の国の税金の使い方を始めとした構造的な欠陥を以前より指摘し続けたのは管だけである。このことに理解できない向きがあるなら、政治家・人を見る目がないということである。ちなみに私は管直人支持ではない。しかしそれは安全保障政策的なことだけで、彼が天才であるという認識とはまったく別である。東国原知事と道路特定財源の問題で討論していたが、格の違いが浮き彫りになっただけであった。東国原は、問い詰められると無意味な言葉を相手の言葉を遮るように言いまくってごまかしていたが、民主党より国土交通省の方が信用できるなどと袋小路に入った局所論理で防戦するだけだった。まあそんな討論をフォローするのは詮無いことで、大事なことは管直人が天才だということを多くの人が気付くということである。欧米ではディベートに強い人が頭の良い人として尊敬され実力者になる。ところが、日本では裏に廻って工作して陰謀を計る人が実力者になる。管直人の不幸は日本で生まれたことといってよい。
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2008-03-05 12:22
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2007年11月11日(日)
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どうも最近の情報網というのは、ネット時代のせいか画一化の傾向にある。かっては表に出なかった新聞記者のひそひそ話が瞬時にネットの末端にまで伝わってしまう。今回の小沢騒動の裏事情もそうだ。いわく防衛利権のスキャンダルで小沢氏はアメリカに脅されていた云々の類である。今日のサンプロでもコメンテーターの経済評論家が石原伸晃氏に問いただしていた。石原氏はすぐかわしたが、お茶の間でもこのような裏事情が暴露される時代になってきている。しかし、その先に進めないことは現代においても同じであるので、政治システムが進化したとは決して言えるものでもない。むしろ外野席が多くなりすぎて騒々しくなっただけといえる。ともあれ、小沢氏の安全保障に関する主張には反対するが、小沢氏の抵抗はこれまでの日本の政治家にはなかったものである。この力の源泉は一体どこから来ているか。純粋に個人的なものだとしたら、そのこと自体に限れば小沢氏を賞賛せねばならない。
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2007-11-11 21:34
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