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2010年03月20日(土)
次著メモ(2)吉田茂の悔恨
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100314/acd1003140745003-n5.htmより転載
(著作権違反だが、サイトから落ちてしまわないよう、太田テーゼの典拠の一つとして、記録させていただくことをご容赦願いたい)

【歴史に消えた参謀】吉田茂と辰巳栄一(2)遅すぎた「再軍備が必要」への転換
2010.3.14 07:45

吉田茂が辰巳栄一に書いた手紙  =東京都文京区の東京大学(植村光貴撮影) 

■直筆書簡「国防問題の現在ニ付深く責任を感し」

 吉田茂元首相と辰巳栄一元中将の大磯会談から数日後の昭和39(1964)年11月19日、吉田から東京・成城の辰巳邸に1通の封書が届いた。それはまぎれもなく、巧みな筆遣いの吉田直筆の書簡である。

 「拝啓、国防問題の現在ニ付深く責任を感し居候次第ハ先日申上候通ニ有之、佐藤首相其他ニも右親敷申通居候得共、過日三木自民党幹事長ニ直話致置候、就てハ御都合宜敷時ニとう仝氏ニも御面談直接御意見御開陳相成度、政党者の啓発に御心懸願上候 十一月十九日」

 文面は「現在の国防問題について、深く責任を感じている。過日会談の内容については、佐藤(栄作)総理、三木(武夫)幹事長によく伝えておいた。君からも両氏と会って委細説明してくれ」という趣旨である。辰巳によると、文中に「先日申上候通ニ有之」とあるのは、大磯で2時間半ほど総理時代のことを話したことをさしている(大嶽秀夫編『戦後日本防衛問題資料集 第一巻』)。

 吉田が「深く責任を感じている」のは、再軍備と憲法改正を政治課題にしなかったことだ。何が吉田の考えを変えたのか。この39年10月は、東京五輪が開かれ、中国が初の核実験を強行していた。

 辰巳はこの吉田書簡について、後に「彼の晩年において国防問題に関する所信の貴重な証拠として今も私の手元に大切に保存しております」(同台経済懇話会『昭和軍事秘話上』)と述べている。

しかし、辰巳は敗軍の将がこれ以上、政治に関与することを嫌い、首脳たちへの進言を差し控えた。そこには、吉田のブレーンとして責任を果たすことができたとの思いがあった。同時に、言葉には出せないむなしさが入り交じっていたのかもしれない。

 ■詭弁を弄し続けた政治家

 吉田が首相を辞任してから、すでに10年の歳月が流れていた。吉田の後継者たちは、もはや経済発展のほかに再軍備や憲法改正に関心を示してはいなかった。

 吉田が政界を引退した29年に自衛隊法が成立した。陸海空の3自衛隊は、国内向けの治安部隊ではなく、外国からの侵略に対して国土防衛ができるようになった。航空機があり、火砲をそなえ、艦船があった。

 にもかかわらず、政府は議会答弁で「戦力なき軍隊である」と詭弁(きべん)を弄(ろう)した。辰巳は「まるで三百代言のような、ごまかしの論弁をしておりました」と、昭和53年8月の同台経済懇話会の講演で述べている。

 その「戦力なき軍隊」の“呪文(じゅもん)”を最初に使ったのは、実は引退直前の吉田その人ではなかったか(28年11月3日衆院予算委員会)。実際の吉田は、「再軍備はしない」といいながら着実に軍備を強化していた。

 辰巳は吉田を尊敬はしても、この一点だけは納得できなかったのではないか。言い訳とごまかしを続けていると、精神までが腐食するからだ。

 その後の岸信介内閣は、「日米対等化」を目指して安保改定を実現し、結果的に日米基軸を不動のものにした。「60年安保」の混乱の後に登場した池田勇人内閣は、国民のエネルギーを経済に誘導していく。

続く佐藤栄作内閣も、「政治の自立」よりも「経済の自由」を重視した。吉田路線のネジレを残したままでも発展は可能だと考えていた。

 特に佐藤は米ソ冷戦下に中国が核実験をしたことを受け、日米首脳会談では「日本も持つべきだ」と発言し、米国から「核の傘」の強化を引き出している。昭和43年に、核兵器は「つくらず、持たず、持ち込ませず」の非核三原則を打ち出した。

 これ以降、自民党の保守本流は、自国の防衛努力を怠る正当化の根拠として経済優先・軽武装路線を巧みに取り込んでいく。吉田が辰巳に語ったように、「国力が充実したからには軍備を持つことは必要だ」として、考えを改めたのが遅すぎたのだ。

 ■日本の安保政策を縛った

 京都大学教授だった高坂正堯(こうさか・まさたか)の言葉を借りれば、非武装中立論や憲法改正論の両方からの攻撃に耐え、もっぱら経済問題だけに専念すれば事足りた。高坂はさらに、「吉田茂が大きな業績をなしとげた立派な人間であったことは認めるべきであるけれども、それを『吉田体制』にまでたかめてしまってはならない」と述べ、いわゆる吉田ドクトリンが外交の柔軟性を縛ることになると警告した(『宰相吉田茂』)。

しかし、日本国民の多くは軽武装で平和を実現するとの「幻想」に寄り添い、同時に米国の抑止力に頼るという「依存」に慣れ切ってしまった。日米同盟を強化するためにも、自助努力が欠かせない。こうした国家のネジレは、今日でさえ、牢固(ろうこ)として日本の安全保障を縛っている。鳩山由紀夫内閣は、その幻想に逃避している。戦後、安全保障を未整備なままにしてきたツケが、「良心を売り歩く」民主党内閣の登場でまたも内向きに沈み込んでしまった。

 幾多の戦後史を彩ってきたあの大磯の吉田邸は、平成21年3月22日早朝、焼失してしまった。檜皮葺(ひわだぶき)の本邸はあっという間に焼け落ち、吉田と辰巳が語り合った書斎も何もかもが、瞬く間に歴史の彼方(かなた)へと消えた。
                  
 ■吉田と辰巳の「大磯会談」 啓蒙指導する努力怠ってきた

 辰巳栄一は「大磯会談」の内容を、陸軍出身の経済人からなる同台経済懇話会の昭和62年の講演会で明らかにしている。会談で吉田は要旨次のように語った。

1、朝鮮戦争が勃発(ぼっぱつ)して、マッカーサー元帥から警察予備隊創設の司令を受けたときは、心から歓迎した。そのころ共産党系の策動が活発で、国内の治安に不安を感じていたからである。(GHQ)G2(情報担当)のウィロビー少将は元軍人を幹部として採用すべきことを主張したが、当時、国民の間に反軍的動向が強いときでもあり、GS(民政局)のホイットニー少将の主張した純然たる治安部隊として、当分元軍人を採用しないことに同調した。

 2、(米の)ダレス特使が平和条約締結の前提条件として、日本の再軍備を強要したとき、やむなく警察予備隊とは別に、将来を考えて、陸海5万の「セキュリティー・フォース」を設立する構想を内示した。しかし本件については、マッカーサー元帥の同意を以て、条約その他で明文化せず、日米間の極秘事項とすることにした。

 3、自衛隊法が成立して、自衛隊は第三国の直接、間接の侵略に対し国土を防衛する任務となったが、そのころすでに日米安保条約が結ばれていたので、ソ連がまさか日本を直接侵略すると考えなかった。むしろ共産圏の企図する間接侵略に対処することが必要であって自衛隊を中核とした国内治安維持を固めることを本旨とした。

 4、日本国防問題で最大の要件は、自分の国は自らの力で守るという国民的情熱の盛り上がりである。然(しか)るに敗戦後の国内政策は、経済の発展、民生の安定を第一義とした。一方占領軍の日本民主化政策が強調されて、国防問題のごときはほとんど等閑視(とうかんし)された。その後歴代の内閣においても憲法を盾にする野党側の攻勢に対し消極的態度をとり、国防問題にふれることをむしろタブー視する傾向を続けてきた。そして国防問題について国民を啓蒙(けいもう)指導する努力を怠ってきた過去を顧みて深く反省する次第である。(了)
2010-03-20 21:39 | 記事へ |
2010年03月14日(日)
次著メモ(0):戦前の日本は民主主義国家
←衆議院本会議で戦争政策批判の演説をする斉藤隆夫

「戦前の日本は、民主主義国家であった」(太田テーゼ#7?)という理解は、いわゆる太田ドクトリン「日本独立論」の骨格をなすテーゼであるため、極めて重要なポイントである。

最新の太田コラム#3869でも、以下のやりとりがあった。

(転載はじめ)
<Pixy>
--戦前の日本観について--
・・・戦前の日本がいかに「正常」な「民主主義」国であり「立憲君主国」であったかについて突っ込んだコラムを是非とも太田さんに書いて頂きたいのですが。太田さんは折にふれて(軍部独裁のファシズムという類の)戦前の日本観は誤りであると繰り返し述べられてますが、いずれも本や書評への反論が主なため、(ファシズムと言えないとしても、何故「正常」だったと言えるのかの部分の)主張がやや弱いという印象を受けてしまいます・・。

<太田>
実は、『防衛庁再生宣言』140〜147で詳述しており、このコラム上での戦前の日本の自由民主主義性についての記述は、すべてこのもともとの記述の補足にほかならないのです。・・・
(転載おわり)

私も、かって戦前の日本は民主主義国家ではなかったと直観として思い込んでいた。私の世代は、戦中の日本の空気を知る人たち(一次情報)から、事あるごとに(学校教育を含めて)、戦前の日本が息苦しかった(いわく憲兵が怖かった等)云々の体験談を聞いた世代である(が、明治から大正にかけての空気は、聞いていない)ので、そんな感覚を漠然と持っていた。

少し考え方を変えたのは、学生時代にブライ大学教授、ベン・アミー・シロニー博士が、1982年に出した著書『天皇陛下の経済学』(光文社)を読んでからである。同著内を転載したURLがあったので記しておきたい。
http://hexagon.inri.client.jp/floorA6F_he/a6fhe511.html

ポイントを以下に若干転載する。

(転載はじめ)
・・・明治時代に発達した政治体制は、変化しなかった。憲法は廃止されずにそのまま維持され、帝国議会は、戦時中も事あるごとに開かれた。1942年に、日本で普通選挙が行なわれるようになり、大政翼賛会の候補者に加えて多くの無所属議員が出馬し、当選したりもした。・・・

(中略)

・・・東條は最高責任者であったが、彼はヒトラーの権威も権力ももっていなかった。東條は当たり前のように有力者となっていき、戦時中、批判が高まると、当たり前のように権力の座から引きさがった。・・・
(転載おわり)

民主主義の要諦は、議会を通しての権力への参加であり、シロニー氏の記述からこのことは担保されているといえる。

太田氏の『防衛庁再生宣言』140〜147においても、

(転載はじめ)
・・・民主主義が機能していた証拠に、政党政治家達は決して軍部に迎合したり、膝を屈するようなことはなかった。・・・
(転載おわり)『防衛庁再生宣言』145頁

あたりで、ゴードン・バーガーの論を論拠とされている(詳しくは同著をご確認願いたい)。
戦前の日本が民主主義国家であったことの理解を妨げる桎梏は、やはり、憲兵による抑圧に見られるようないわゆる人権の制約が起きてしまうことであろう。ここは程度の問題(That's a question of degree.)とするべきところだ。

太田氏は、以下のように記す。

(転載はじめ)
・・・戦時中に多かれ少なかれ人権が制約されるのは、いかなる民主主義国においても、普遍的に見られる。・・・
(転載おわり)『防衛庁再生宣言』147頁

確かに多くの庶民にとっては、戦時中にどこそかの誰かが憲兵に連れて行かれた云々の記憶は、現代の日本(の民主主義)とは、絶対に違うと言い張ることだろう。しかし、そのことと民主主義の骨格の理解とは明確に峻別する必要がある。

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2010-03-14 22:32 | 記事へ |
次著メモ(00):張鼓峰/ノモンハン事件の歴史的意義
(冒頭加筆)次著に関するメモ。(#3815において太田述正氏より指摘)。
以下を盛り込む。
・戦前日本民主主義論→#0047<先の大戦中の日本の民主主義>〜
・大政翼賛選挙無効判決→#1416<安倍晋三について(その1)>,#2925<日本帝国の歴史2題>
・東條首相の国会答弁低姿勢ぶりの話→#3513<チャーチルの第二次世界大戦(その3)>?
・原爆投下→#2420<日本をめぐる話題(その4)>,#819<原爆投下と終戦(その1)>〜
・日米植民地統治比較→#0197<日本の植民地統治(その1)>,#0201<日本の植民地統治(その2)>,#0201<日本の植民地統治(その2)>,#962<フランスにおける暴動(その12)>

(太田述正氏のご指摘を受け、以下の文章の誤りを修正(済))太田述正氏の次書の編纂にあたって、全体のイメージを構築するために気づいたことを逐次メモしておきたい。

太田述正氏の次書で、目次案にある

1938年 張鼓峰事件(ハサン湖事件)/1939年 ノモンハン事件(ハルハ河事件)「年号と()は、Chaseが追加」

のコラム(非公開)(<張鼓峰/ノモンハン事件(その1)〜(その5)>#3774,#3776,#3778,#3780,#3782)は、考えさせられるところ大であった。

私は、日支戦争の最中、ロシアとの小競り合い?に巻き込まれて敗走した云々の漠然とした認識を持っていた。

がしかし、太田史観(コラム#2900(2008.11.8)<19世紀末以降の日本史をどう見るか>も参照)によれば、
そもそもジョージケナンよりずっと以前に日本帝国は、ソ連の封じ込めを満州を通じて行っていたのであり、大戦後の歴史の顛末からすれば、自由主義圏の日本が直接ソ連と戦ったことは大賞賛に値することであったとのこと。(詳しくは、<張鼓峰/ノモンハン事件(その1)〜(その5)>#3774,#3776,#3778,#3780,#3782)

これまで、私自身の中で、いわゆる15年戦争(家永氏の呼称)の理解が、なんだかすっきりしなかったのは、問題設定を、ずるずると引きずられ過ぎた支那に置きすぎてしまい、本題の?ソビエトの脅威が脇役になっていたことに原因があった。とりわけ、日本が、自由主義圏の先兵となって戦ったという大文脈を認識していなかったため、同時代における帝国主義国家間の小競り合い程度とイメージしてしまっていた。

別稿としたいが、太田史観によれば、支那との戦争は、米国の逸脱行動(deviant behavior)の理解がなければ、正鵠を射た認識に至らない。日本の歴史の教科書、一般向けに刊行されている歴史書で学んでも、筋が通った理解ができなかったことの原因はこのことによる。

閑話休題。驚くのは、秦氏等の著書を見ると、ソ連崩壊後に刊行された歴史文書によれば、張鼓峰事件(ハサン湖事件)/ノモンハン事件ともに、日本は互角以上に戦っていたこと「昭和史の論点」(文春文庫)。赤軍に比べ劣勢にあった日本帝国の装備からすれば驚嘆すべき結果である。

かくして、張鼓峰事件(ハサン湖事件)/ノモンハン事件(ハルハ河事件)は、太田述正氏の慧眼によって、帝国主義時代の単なる国境紛争から、近代から現代に連なる自由主義の戦いの嚆矢(二つ目)として歴史の光が当てられたことになる。

太田テーゼ#42?
"張鼓峰/ノモンハン事件は、近代から現代に連なる自由主義国家群の戦いの嚆矢(二つ目)"
2010-03-14 14:09 | 記事へ |
2010年03月11日(木)
民主主義は明治以来、日本の国是
小林よしのりの「昭和天皇論」から、明治以来、民主主義は国是であり、昭和天皇がそのことを強く意識されていたことを示す記述があったので、太田テーゼの典拠として保存しておきたい。

ところで、本件は太田ブログの中で、昭和天皇の歴史観として幾度となく言及(refer)されている。
例えば
http://blog.ohtan.net/archives/50954013.html
http://blog.ohtan.net/archives/50955222.html
http://blog.ohtan.net/archives/51325859.html

「昭和天皇論」に載せられているのは、昭和52年8月23日会見 高橋紘『陛下、お尋ね申し上げます』より転載されている箇所である。

(転載はじめ)
http://www.chukai.ne.jp/~masago/ningen.htmlより転載
(「昭和天皇論」170−171頁にも記載されている)

日本の民主主義は戦後の輸入品ではない

記者
 ただそのご詔勅の一番冒頭に明治天皇の「五箇条の御誓文」というのがございますけれども、これはやはり何か、陛下のご希望もあるやに聞いておりますが。

天皇
 そのことについてはですね、それが実はあの時の詔勅の一番の目的なんです。神格とかそういうことは二の問題であった。

 それを述べるということは、あの当時においては、どうしても米国その他諸外国の勢力が強いので、それに日本の国民が圧倒されるという心配が強かったから。

 民主主義を採用したのは、明治大帝の思召しである。しかも神に誓われた。そうして五箇条の御誓文を発して、それがもととなって明治憲法ができたんで、民主主義というものは決して輸入のものではないということを示す必要が大いにあったと思います。

 それで特に初めの案では、五箇条の御誓文は日本人としては誰でも知っていると思っていることですから、あんなに詳しく書く必要はないと思っていたのですが。

 幣原がこれをマッカーサー司令官に示したら、こういう立派なことをなさったのは、感心すべきものであると非常に賞讃されて、そういうことなら全文を発表してほしいというマッカーサー司令官の強い希望があったので全文を掲げて、国民及び外国に示すことにしたのであります。

記者
 そうしますと陛下、やはりご自身でご希望があったわけでございますか。

天皇
 私もそれを目的として、あの宣言を考えたのです。

記者
 陛下ご自身のお気持ちとしては、何も日本が戦争が終ったあとで、米国から民主主義だということで輸入される、そういうことではないと、もともと明治大帝の頃からそういう民主主義の大本、大綱があったんであるという……。

天皇
 そして、日本の誇りを日本の国民が忘れると非常に具合が悪いと思いましたから。日本の国民が日本の誇りを忘れないように、ああいう立派な明治大帝のお考えがあったということを示すために、あれを発表することを私は希望したのです。

(『陛下、お尋ね申し上げます』、高橋紘+鈴木邦彦、徳間書店)
http://www.chukai.ne.jp/~masago/ningen.htmlより転載
(転載おわり)

別のブログ氏から転載する。

(転載はじめ)
http://blog.goo.ne.jp/heywa/e/b976c7d86ddb379b8d79f86be8a9ee78より転載

・・・すなわち、昭和天皇がこの「年頭の詔書」を出した目的は、

(1)「五箇条の御誓文」を再確認することが第一の目的であり、「神格とかそういうことは二の問題」であった。
(2)日本にはすでに明治憲法によって民主主義が存在していたのであって、あらためてアメリカから輸入するものではない、ということを示す。・・・
http://blog.goo.ne.jp/heywa/e/b976c7d86ddb379b8d79f86be8a9ee78より転載
(転載おわり)

福岡国際問題研究所Twitter
http://twitter.com/fifa5963
2010-03-11 21:47 | 記事へ |
2010年03月10日(水)
重光葵の嘆きは今も変わらず
小林よしのりの「昭和天皇論」を読んだ。氏に対しては、論壇?において毀誉褒貶があるようだが、左右の観点を度外視してこれまでの作品、および今回の「昭和天皇論」による国民への啓蒙度は、下手な教科書など及びもつかない功績である。歴史的事象の解釈において異なる考えも勿論あるが、歴史的諸事実の豊富な(分かりやすい)紹介において、その功績は計り知れない。福岡国際問題研究所は、同郷のよしみ?として、その点における氏の功績を大いに評価しているところである。

ところで、氏が擁護する天皇を中心とする国体護持の観点については、氏はそれなりに立憲君主制の立場から注意深く書いていると思うが、いわゆる左翼からは天皇親政のイメージで以て揶揄されるかもしれない。特に聖断のロジックは立憲君主制の極意として描写すべきである。すなわち、内閣の輔弼が事実上機能しない中での主権の行使というロジックである。ここは立憲君主制の部分集合に当たる近代民主主義の原理にも抵触するものではない。(典拠「奇蹟の今上天皇」220頁小室直樹)氏は近代のニュアンスをもっと出すべきであった。

なんてことはとりあえずどうでもよいが、太田テーゼとの絡みで、ちょっと記録しておきたい箇所(重光葵が、戦後、責任を逃げ回った国民を揶揄した言辞)を発見した。太田テーゼの中心課題は「独立」問題である。しかしそれを阻んでいるのが国民であるという視点だ。つまり政治家・官僚の退廃・腐敗を支えているのは国民の卑しい根性であるという点である。

太田述正氏は言う。

(引用はじめ)
戦後日本は経済至上主義の吉田ドクトリンを国是として墨守してきました。そうである以上、「利益志向に走った人」が一般国民に多く、また、「欲、金、権力、地位等に自分の人生を掛けた」人が政治家に多いことに何の不思議もありません。政治家だけが程度が低いのではなく、まさに国民の程度相応の政治家を戦後日本は持ってきたのです。
http://blog.ohtan.net/archives/50954501.htmlより引用
(引用おわり)

吉田ドクトリンに汚染された日本国民の堕落の萌芽は、すでに戦後間もなく発病しつつあった。重光葵の言を冒頭の書から引用する。

(引用はじめ)
重光は近衛らの「醜悪」を嘆いた上で、それよりも一般国民の方が「更に歎ずべきものである」と続けている。

"過去に於て英雄として之等の人々を尊敬した人々は真先に之等の人々を罵詈誹謗して、すでに其犯罪は確定したかの如き言論を弄するのみでなく、戦争犯罪を廻りて互に他を排斥し、自己の利益を計って居る。"

一般国民も皆、戦争に負けるや手のひらを返し、他人に「戦争責任」をなすりつけて保身を図ったのである。
(「昭和天皇論」268、269頁)
(引用おわり)

この有様は今日の国民のエトスと寸分も違わないどころか、一億四千万のすべてがどっぷりと、この大いなる偽善に身を堕してしまった。吉田ドクトリンは、国民を発病の状態から瀕死の重病人に仕立て上げたのである。そこにアメリカの責任は一点もなく、すべては国民の主体的選択に拠るものであった。このことを明確に析出せしめるものこそ太田テーゼ(複数)である。
2010-03-10 22:23 | 記事へ |
2010年02月28日(日)
ファシズム、ナチズム、共産主義の違い
以下、太田述正氏の掲示板に書いたこと(http://www.ohtan.net/bbs/post.php?id=653)に若干の加筆修正を加えた(掲示板に書いた段階で、著作権を譲渡することが一般的ではあるが?、駄拙文ということで転載をご容赦願いたい)。

昨日のオフ会で、蒋介石をファシストと呼ぶのは、いわゆるファシズム(イタリア、ドイツのかっての体制)の意味とは少し違うのではないかとの質問が国際関係論に詳しい参加者からあり(質問を誤解していたらすみません)、私もよく分からなかったので、ぐぐってみたら、以下の論文があった。
http://www.jaas.or.jp/pdf/51-1/p1-17.pdf

この論文の9-10頁あたりを読むと、中国におけるファシズムは、イタリア、ドイツ?とは、機能的な部分は異なるけれども、効率的な体制として、欧州の「いわゆるファシズム体制」に結構、シンパシーを抱いていいることがわかる。したがって、蒋介石ファシスト政権という言い方は、ラベリングとしての言い方では決してなく、亜流とはいえ、ファシズムのカテゴリーに分類することに問題はないのではないか。日本語Wikiにもそのような記述がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%82%BA%E3%83%A0

なお、日本語Wikiを見る範囲では、ナチズムとファシズムの区別も、追及するほどの価値があるかどうか疑問だ(小室直樹の著書によれば、両者は学問的に異なるとの言を覚えているが)。日本語Wikiにある"ファシズムの目標とするところは最終的には国力の増強であり、国民の精神力と労働力のすべてを国力増強に動員する体制が追求"という政治的な理念的側面に着目するなら、ファシズム≒ナチズム≒日本軍国主義としてもよいのではと思う(日本軍国主義は、相対的には脆弱感があるが)。なお、経済的側面においても三者のイデオロギーは、私有財産を認めているので、近親性がある。

私は、経済学的な観点からのファシズム(ナチズムも)と共産主義の違いについて発言をしようと思っていたが、タイミングを逸した。以下、発言しようとしていたことを述べる。

そもそも、ファシズムと共産主義は専制的な政治体制であることから結局、同じようなものではないかという考えが、一般にもある(典拠はこれまでの言論を読んだうろ覚え)。あの渡部昇一の「甲殻類の研究」で、ナチスと共産主義は同じものと証明?してみせた。氏は当時TVでも、ナチスと共産主義は同じものとよくいっており、共産主義者から失笑を買っていた。氏の論証の細かい内容を忘れたが(細かかった覚えはないが)、本パラ冒頭の直観が骨格にあったことだけは覚えている。

しかし素人として考えても、私有財産を認めるか認めないかで大きく異なるのはいうまでもない。しかし、それ以外に両者の経済学的意味を掘り下げたものが意外にググってもない。

それで、堺屋太一が25年ほど前TVで言っていたことをヒントにしたい。それは、"共産主義は生産を統制、ファシズムは消費を統制する"というものである。論拠は忘れたが、自分なりに考えると、ナチスは例のシャハト博士のアウトバーン、大軍拡に代表される(国家による)大投資政策で失業を根絶した。つまりケインズ主義である(ほぼ同時期)。今日の流行り言葉でいえば、ミリタリーケインズ主義か。つまり消費を国家で作為した、統制したと言える。共産主義は、スターリンの五か年計画でわかるように生産を統制した。生産手段の国有化ということから、このことは当然の事であろう。共産主義は、マルクスが古典派を飲み込んで作られたことからすると、あのセイの法則がバックにあるともいえる。つまり生産が消費を決めるという考え方だ。となれば、生産をコントロールすれば、経済は繁栄するということになる。

"共産主義は生産を統制、ファシズムは消費を統制"というのは、まあまああたらずといえども遠からず(ある程度は遠い)か?
2010-02-28 21:08 | 記事へ |
2010年01月31日(日)
小沢問題の本質は何か
太田述正氏は、ブログで小沢問題について、躊躇なく攻め込まれている。がしかし、世には民主党政権になったこともあり?奇妙な小沢擁護論が渦巻いている。曰く検察の暴走、狙い撃ち、恣意性(どうして小沢だけが・・・)等々、百家争鳴だ。相変わらずの矜持を保っているのは共産党くらいだ。小沢擁護論も面白いところもあるが、基本的には法的プロセスの妥当性なる狭隘な議論に終始しがちだ。

小沢問題の本質は何か。これはいうまでもなく、政治的責任の場合の挙証責任の主体性の問題に収斂する。説明責任などと分かりにくい言葉を使うまでもなく、疑いがかけられた政治家のなすべきことは、自ら弁明して疑いのあるようことをしていないことを説明(証明)することだ。つまり挙証責任が政治家にあるということである。捜査を粛々と見守るというのは、法的責任についての話である。法的責任の挙証責任は検察にあるのだが、世の耳目は、この検察の対応に注目するばかりで政治的責任の議論に気づかない。マスコミもこのことのおかしさに気付かないために、両者で無意味な領域で遊んでいるだけになっている。

最もいいかげんなのはテレビ番組だ。検察官でもあるまいし、証拠を見れないコメンテーターに法的な追及を求めることばかりだ。ばっかじゃなかろうか。検察の作戦会議をやっているわけではあるまいし・・・・。昔、あれほど罪刑法定主義などと格好良い言葉を使って、悦に浸ったマスコミはその快感が忘れられないのであろう。検察の恣意性の問題はあるが、そのこと自体で小沢氏の免責に至れないのはいうまでもない。

テレビで追及すべきは小沢氏の政治的責任しかない。産経新聞の山際氏は、うるさいことこの上ないが、幸か不幸か?、小沢氏の政治的責任を追及しているのに、番組では、新手のハマコーよろしく笑いネタの道具として使われている。(山際さん!小沢の問題については、まともな議論だよ!)

政治資金管理団体が、不動産を持ってよいのかということ(法的追及)をなすべきなのではなくて、政治的な活動において、不動産を持つことを、合理的に説明できるのか(政治的責任)と追及すべきだ。そして小沢氏がそれを説明できなければ、政治的にはその時点でアウトだ。まともな政治意識があれば、与野党問わず、これはまずいということになり、小沢氏の失脚は疑うべきもないことである。民主党を支持していようが、参議院選挙を心配していようが、このセンスがなければ、今の民主党政権の崩壊は一瀉千里に進むことになるだろう(なんて気取って終わる)。
2010-01-31 21:42 | 記事へ |
2010年01月24日(日)
『倫理的な戦争 ――トニー・ブレアの栄光と挫折』細谷 雄一
太田述正氏のコラムで初めて知ったことの一つにブレアの人間主義?外交がある。長年、外交問題に関心を持ってきたつもりだったが、ブレアについては、右も左もブッシュのプードルというレッテル張りで一貫していた印象しか持っておらず、よってブレアの深い哲学など思いもよらなかった。冷戦後、コソボの人道主義的介入を象徴的例として、新たな戦争観?が出てきたことは知っていたつもりだったが、太田氏の提示についていけてなかった。細谷氏のこの本は、コソボの件を囲む文脈にあるのだろうか。まだ読んでないので、よくわからないが、太田氏のブレア観?と結節点があるかはチェックポイントだ。

(引用始め)
・・・・・本書の目的とは、冷戦終結後の世界において、1990年代半ば以降広がっていった新しい国際政治の潮流を、ブレア首相の政治指導を中心に描くということでした。いわば従来の一般的な認識から変化が生じ、道徳的な問題や規範的な問題が国際政治を論じる上で中心的な位置を占めるようになったのです。それまでは国際政治を、何よりもパワーや国益の観点から論じるのが主流であったのですが、「CNN効果」などによって一般の視聴者が人道的な惨状を直接テレビの映像を通じて目にするようになり、さらには人権NGOの発展が西側政府に対して積極的な行動への圧力をかけるようになったことも影響し、非人道的な惨状を放置することに対する批判の声が強まってきたのです。

 1994年のルワンダ大虐殺で80万人が、そして95年のスレブニッツァにおいて20万人が虐殺されたと報じられていますが、これら100万人がわずか1年ほどの短い期間に殺戮されたことに国際社会は無関心でした。自らの国益や国家安全保障に直接関係ないと感じたからです。それ以前も、ナチス時代のヨーロッパ、スターリン時代のソ連や、ポルポト時代のカンボジアなど、20世紀の歴史の中で膨大な数の無実の人々が殺されてきました。独裁国家の中で行われる殺戮に対して、それらの諸国が外交交渉を拒んだ場合に、軍事的な手段を用いてでもそれらを食い止める必要があるという新しい規範が、冷戦後の国際社会で巨大な勢力となって浮上してきました。いわば従来の主権不干渉原則を越えて、国際社会の人道的な問題に介入すべきだという潮流です。そのような潮流を敏感に感じ、真剣に受け止める新しい世代の中心人物が、このトニー・ブレアだったのです。・・・・・
http://www.keio-up.co.jp/kup/sp/blair/(引用終わり)

細谷氏のHPから、もうひとつ関連する主張を記録に引用しておく。どんな人か知らないが、ベクトルが合うのなら太田述正氏のアングロサクソン論の戦線に加われたらよいと思うのだが・・・。

(引用始め)
・・・・・英国は現在、米国とは大きく異なる世界秩序構想を有している。敵対勢力を軍事力で圧倒して、自らの望む政権樹立を試みる米国政権内の強硬な「新保守主義者(ネオコン)」に対して、ブレア首相は、「国際共同体」の理念を掲げ、国際政治での「正義の実現」を説いている。これは「ブレア・ドクトリン」と呼ばれている。

 ブレアは一貫して自らの外交理念を、「国際共同体」の結束と平和に置く。極めて国際主義的で、協調的な世界秩序構想である。ブレアにとって、ブッシュの米国もアフガニスタンも、イラクも、「国際共同体」の構成員である。重要なことは、この「国際共同体」の規範や安全保障を破壊する行為に対して、断固とした措置をとることである。不干渉主義的な、理想主義者の平和論とは、この点で異なる。従来の、非力な理想主義と粗野な現実主義との硬直的な対立を超えて、外交政策での「第三の道」を模索することが、ブレアの世界秩序構想の新しさである。・・・・・
http://club.pep.ne.jp/~y.hosoya/essay/blair.htm
(引用終わり)

なお、本稿の後に、細谷雄一にコンタクトしてみたら、お返事を頂いた。"ご指摘の通り、拙著では従来のブレア「プードル」論を退けて、英米における外交文化の違いを論じることを試みました。(一部のみ抜粋)"とのこと。ありがとうございます。

細谷雄一氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E8%B0%B7%E9%9B%84%E4%B8%80
2010-01-24 11:24 | 記事へ |
2010年01月23日(土)
日本の論争における社会科学的観点の不在
積読していた「温暖化論のホンネ ~「脅威論」と「懐疑論」を超えて」 (tanQブックス) 武田 邦彦 (著), 枝廣 淳子 (著), 江守 正多 (著) を読んだ。江守氏に押されて、最近、武田氏の旗色が悪いのは周知?のことだが、その両者の生激突が楽しめる本だ。そして両者の勝敗は?・・・。普通の人が読めば、江守、枝廣連合の優勢勝ちに見える内容だが、類書を沢山読んできた私から見ると、武田氏の勝ちである。ただ、武田氏自体、自らの勝ちを認識できていない物言いに終始しており、相変わらずの「ああいえばこういう」(武田氏のウリ)スタイルで、心理的には追い詰められていたかもしれない。最近、氏はこのイメージでレイベリングされた感がある。しかし武田氏の勝ちなのである。

武田氏の勝ちの理由は、社会科学的思考をとったことにとよる。この点につき一つだけ、本書からの論点を挙げる(以下の典拠はすべて同著内にあり)。「省エネは、増エネにつながる」という命題の是非だ。統計からは、省エネ製品が普及しても、世の中のエネルギー消費量は、(人口が一定でも)増大することが歴史的事実としてある。そのことを以て(社会科学的な見地で)、江守氏と枝廣氏の安易な技術イノベーションの論調を批判しているのである。江守氏と枝廣氏は、盛んに武田氏のこの主張に噛みついている。僕は省エネ製品使って、余裕が出た分(お金)を新たに消費するつもりはありませんと・・・。素人の枝廣氏も同調していた。Wishful thinking is not science!このことの意味が、日本のタコつぼ学者には分からないのだろう。これが、世の中を悪化させる思考法の一つである。すなわち、一人ひとりが自分のできることを・・・という道徳に訴えるやり方だ。

かって、中曽根元首相が、日米の貿易不均衡の解決に、国民一人一人が、アメリカ製品を買おうと呼びかけた。このレベルと江守、枝廣両氏の主張は同型である。社会には法則がある。社会科学の使命はこの法則を発見することにある。マルクスの「疎外」、エミール・デュルケーム の「社会的事実」、まさにここに目を付けて、社会的な外力を与えるしか、原始社会に戻ること以外は解決方法がない。

枝廣氏は、対談後にいろいろ調べて、武田氏の主張がいわゆる「リバウンド効果」*(下記参照)と呼ばれることに気づき(人から聞き?)あとがきで、前から知っていたかのような振りして格好つけていた。あーあ、その程度のディスクール(discours(ディスクール〈英語のdiscourseに相当〉)でご飯を食べているんだろうなあ。まさに気楽な稼業としかいいようがない。「リバウンド効果」なんて用語を知っていたって、何ということはない。社会科学としての法則の観点(ワルラスの一般均衡理論)から肉薄しないと、一個一個の理論もどきをこそこそ勉強しまくって、冷や汗を書くばかりである。

私は10数年前に、原子力の国民会議にパネリストとして参加したことがあるが、その時、原子力問題の解決には社会科学の力を総動員すべきであると主張した(豪語!)。個人の道徳観に訴えるのは、その限界を知った上で、言い述べるがよい。ちなみに道徳観の社会学への組込みもできないことはない。それは教育行政として、外力は何かの仮説を立てていくことであろう。ここは、教育学者の宿題にしておく。なんて格好つけて書きまくりましたが、私はなんも分かりましぇーん!

*<参考>リバウンド効果は、ググればいくつも出てくるが、最初のページにでてくるサイトから引用する。この効果は、一般均衡論から演繹して見せるまでもなく、需要供給曲線の系として(価格が高くなれば需要は減る。あるいはその裏。)、直観的にもアナロジカルに理解でき得る。

(引用はじめ)
効率向上が丸ごと寄与するわけではない

カリフォルニア大学アーバイン校の経済学者たちは今年1月のEnergy Journal誌に,自動車に関するリバウンド効果を考察した結果を発表した。燃費改善に伴って,人々がどれだけ運転距離を伸ばすようになるかということだ。1966〜2001年の米国における燃費データをもとに,自動車のリバウンド効果を10%と推算した。つまり,運転にかかる費用が低下した場合,その低下率の10%だけ運転距離は増える。

所得向上につれてリバウンド効果は小さくなってきたものの,ガソリン価格の上昇がその低下を部分的に相殺している。研究にあたったヴァンデンダー(Kurt Van Dender)は2006年のガソリン価格に基づいてモデルを再調整し,ガソリン価格が58%上がると燃費のよい車に乗り換えた場合のリバウンド効果が10%から15%に高まることを見いだした。ただし,総じて「リバウンド効果はかなり小さいことがわかった」という。「燃費基準をさらに強めれば,燃料消費を実際にかなり抑えられるだろう」。

Energy Economics誌1月号に発表されたもう1つの研究は違った角度からこの問題を分析した。スウェーデンにあるウメオ大学の経済学者たちは同国内の輸送,食品,暖房,その他商品に関する消費データに基づいて,エネルギー効率の向上(価格低下としてモデル化)がそれぞれの分野の消費にどう影響するかを評価した。例えば暖房効率が20%よくなると,自動車による移動の需要を4.2%押し上げる。全体的に見た場合,マクロ経済レベルでエネルギー効率が20%高まると国全体の炭素排出が実際には5%増える。

研究にあたったブレンランド(Runnar Bra¨nnlund)は「私たちのモデルでは燃費改善によって燃料消費は減るのだが,重要な点は,浮いたお金を炭素排出の激しい別のものに使う可能性があるということだ」という。「効率を20%上げたら炭素排出が20%減ると思ったら大間違い」。

リバウンド効果を抑えるにはエネルギー効率向上を他の排出削減策と抱き合わせる必要があり,「炭素の価格を引き上げなければならない」という。重税を課すのが1つの方法だろう。スウェーデンの場合,炭素排出を元の水準に下げるには炭素税(同国では1991年から導入されている)を130%引き上げなくてはならない計算になるという。
http://www.nikkei-science.com/topics/bn0711_3.html
(引用おわり)
2010-01-23 22:21 | 記事へ |
2009年12月23日(水)
属国の現実

























http://www.defense.gov/pubs/allied_contrib2004/allied2004.pdfより。
太田述正コラム#3723(2009.12.23)<皆さんとディスカッション(続x691)>でべじたんさんから、属国の証拠?として、上記URLからの転載がなされていた。記録のためにグラフを孫引きさせていただく(不鮮明ですみません。クリックして下さい)。このようなデータを探してくること自体驚異的という他ない。

ともあれ、何ともあっぱれな属国ぶりだ。これを自主的にやっているのだから恐れ入る。なんてはき捨てても当事者は、われわれだから情けないという他ない。自衛隊の国際貢献軍としての機能を強化すると同時に米軍駐留経費負担の程度を少なくとも他国並みに下げていかないと・・・。太田述正氏のかねてからの主張の一つである「思いやり予算」の削減・撤廃、米軍基地の整理縮小を志向していかねばならない。http://www.ohtan.net/opinion/
2009-12-23 22:58 | 記事へ |
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