キハ81「くろしお」
まったく公開するのが恥ずかしい出来映えの写真ですが、30年前、当時小学校6年生だった私が撮影したキハ81「くろしお」の写真です。紀勢線電化を翌月に控え、キハ81が最後の活躍をしていた頃です。
毎日のように阪和線へ見に行っていたキハ81ですが、写真として残っているのはこの写真1枚のみとなってしまいました。
(撮影:1978.9 鳳−富木)
キハ81は昭和35年(1960年)に東北線の特急「はつかり」用として登場した日本最初のディーゼル特急型車両で、「はつかり型」と呼ばれていましたが、その先頭形状から「ブルドッグ」というニックネームの方が浸透していました。
嬉しいことに、現在でも大阪・弁天町の交通科学博物館に保存されており、保存中の同車を見ると当時の記憶がつい昨日のことのように思い出されます。
|
2008-11-01 07:09
|
記事へ |
コメント(11) |
トラックバック(0) |
|
阪和線 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/dmwh114/trackback/668/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
写っている家に友達の家があるかも・・・
あの周辺ってちょうど堺市と高石市の市境で、
自分が高石市、隣が堺市、なのにその隣はまた高石市
という変わった地域なんですよね・・・
今はなき野代踏切での撮影です。現在はこの下を地下道が通り、近くには巨大なショッピングセンター「アリオ鳳」もできましたね。仰るとおり、ちょうどこの付近が堺市と高石市との境界です。
ここから程近い場所に私が通っていた高石中学校がありますが、敷地の一部は市境になっており、裏門を出るとそこは堺市でした。
でも、なかなか内部に入らせてもらえないのが惜しまれますね。
お墓の近くにショッピングモールとは^^;
でも地下道になっててお墓を横目にすることはないのかな?
あのだだっ広い貨物基地?がやっと有効利用されたのですね。
キハ81も内部公開をすることはあるのでしょうか?
保存されているだけでもありがたいですね。
ショッピングモールとお墓は少し離れているのでまったく気になりませんが、いつも阪和線を撮影しているのはお墓のすぐ隣ですね。
こちらも全く気になりませんよ。
なお、アリオ鳳は貨物基地ではなく東急車輛工場の跡地に建設されました。
このページにたどり着きました。
八尾から、和歌山のおじいちゃんの家に行くのに、春・夏・冬休みの度に阪和線を利用していて、
私にとってはお年玉をもらえるし、従兄弟にも会えるし、
楽しい思い出いっぱいの路線です。
昔の快速の写真はありませんか?
肌色と紺色の、波を蹴立てるような塗装のされた、
木製の日よけ、ワックスのにおいがキツイ床。真ん中にポールがあった車両も覚えています。
もしかしたら、2,3種の車両がごっちゃになっているかもしれません。
もし、ありましたら見せていただけたらうれしいです。
認証式のようで、先ほど書いたコメントが見えないのですが、
色について、だんだん自信がなくなってきて。
ベージュ+緑だったような気がして。
でも、途中から紺のパターンも見て、
なんだか違和感を覚えていたような気が、だんだんしてきました。
その違和感のほうが、強いイメージになって残っていたような・・・
人間の記憶って曖昧ですね。あんなに大好きな車両だったはずなのに。
すみません、ややこしいことを書いて。
仰っている車両は70系のことだと思います。紺色とクリーム色のツートンカラーの車両で、もっと以前は紺色の部分が緑っぽいブルーに塗られていたようです。オレンジ色の車両とも連結されて運用されていましたね。
私が鉄道撮影を始めた昭和52年、旧型国電は一足先に引退してしまっていました。残念ながら阪和線旧型国電の写真は1枚もなく、私の記憶の中に残るのみとなっています。ご了承ください。
昔はフィルムも現像代も高かったし、そんなに写真をパチパチ撮るような習慣はありませんでしたものね。
鉄道ファンの弟もまだ小さすぎて、カメラを持つ年齢ではありませんでした。
この写真のところにコメントしたのは、
いつか、このくろしおに乗ってみたいと思っていたそうです。
私は犬の顔の特急と言っていました。(^^;)
これから18切符で、亀山経由で名古屋まで行ってきます。
今は私も鉄道ファンです。
フィルムカメラを使用していた頃は、今のデジカメに比べて1枚1枚を大切に撮影していたような気がします。現像されるまで結果がわからないという楽しみや不安もフィルムの魅力だったのかもしれません。
この車両(キハ81)はブルドッグで、まさに犬の顔ですね。
18切符での関西本線の旅はいかがでしたか?