ニックネーム:泉州ライナー
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2009年11月28日(土)
野上電鉄日方駅構内
野上電鉄の起点である日方駅(和歌山県海南市)構内には同線の車庫があり、大正末期から昭和初期にかけて阪神や阪急で活躍していた小型の旧型車両が多数停まっていて壮観でした。写真の編成の先頭車は元阪急の26、2両目は前面5枚窓で人気が高かった元阪神の24です。
なお画面右端に写っているホームは連絡口駅で、その名の通り国鉄海南駅との連絡通路がこのホームとつながっていました。日方駅と連絡口駅の間は約80mで、当時は日本一短い駅間距離として有名でしたが、実際は連絡口駅は日方駅の構内という扱いだったようです。
野上電鉄は平成6年(1994年)に廃止され、紀勢線海南駅も高架化されてこの付近の光景も大きく変化しましたね。
(撮影:1985.6.16 日方)

2009-11-28 07:15 | 記事へ | コメント(8) | トラックバック(0) |
| 私鉄 |
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南海21000は私もお気に入りで、鉄道コレクションのNゲージ化をした1つです。ブログにアップしましたが、どうも上手く写真が撮れなくボケてしまいました。
実は大井川鉄道で実車に乗った事があり、昭和の人間としてたまらない湘南窓と、室内の照明が窓と網棚の間にあり、優等列車の雰囲気を出していました。一畑共々いつまでも走り続けて欲しいですね。
 管理人様、お久しぶりです。野上電鉄、有田鉄道、紀州鉄道のミニ私鉄が和歌山県に有った頃に行きました。(紀州鉄道は現存しますが。)どの私鉄も車輛については興味のそそられるものでした。
 特に、野上鉄道の場合は、時代に取り残されている部分が多く、確か、アナウンスも、肉声だった記憶が有ります。最新の?富山地方鉄道射水線からの転属車のデ11型(愛知富士産業製造?)でもでした。室内灯も管球か、電球といった、旧式の物で、床は板張り、途中の駅は停留所の様な簡素な物でした。
 一番惜しかったのは、乗車券が、すべて回収してしまう事で、記念に持ち帰る事が出来なかったことです。(廃止5年前でも)
 廃止私鉄の末期は、どこの私鉄も、部外者が多く、普段の雰囲気を味わう事が出来ないので残念ですね。
亀次郎様、こんばんは。
私も、鉄コレの21000系、1521系、弘南1521系、国鉄117系とも購入いたしました。車両の好みが似ているのかもしれませんね。
本日島根へ日帰りドライブし、一畑電鉄の元南海21000系を撮ってきました。簡単な記事にしましたのでぜひご覧ください。今年の3月には大井川の21000系も撮ってきました。
PV様、こんばんは。
和歌山3ローカル私鉄の中でも、野上電鉄は特に古典電車の動態博物館といった雰囲気でしたね。南海貴志川線もそうだったのかもしれませんが・・・
晩年はデ11形が使用される機会が多かったように思います。廃止が決まってからは従業員の方々の気持ちも荒廃してしまっていたのか、鉄道ファンに対しては「冷たい」会社だったように感じます。
管理人様 こんちわ

懐かしすぎる野鉄の車両たちですねぇ
(日方駅は父の実家から徒歩3分でいけましたから)

また、自宅の横を野鉄が走っていましたし

小さいときから、日方車庫には出入り自由な私でした
(幸いなことに、妹の同級生のお母さんが働いていたので、超顔パスで入れました)

晩年は自動券売機(南海の中古)も導入されましたが、導入直後は南海の地紋がはいったものがありました

罵声を浴びていたファンがいたことは事実ですね
(勝手に車庫に入り、一部部品が盗まれていたことが原因らしいです)

特に遠方のファンにはきつかったですね
(最終日、変電所の遠隔盤停止までいましたが、私に対してまで、罵声を発する一部のファンがいましたが、社員さんから「おまえらみたいにぱっと来て、帰るようなファンやなくて、ちっさいときからきてるんやから」と言って貰い、難を逃れましたね

ただ、これが原因で、某局の朝の番組中継ができなくなってしまいました(コナンとかヤッターマンを作っている局です)
(SNG中継車が来ていました)

現在、線路跡は旧沖野々駅付近までは、海南市と和歌山県が遊歩道として整備しています
その先にあった、貴志川鉄橋は国道370号線の拡幅工事により姿かなくなりました

車両は、紀美野町の公園に1両、その近くの医院さんが1両譲り受けて、静態保存しています
(阪神電車にも、旧阪神の車両2両がチョコ色に塗られて、尼崎センタープール前駅近くの高架下に静態保存しています)
まさやん様、こんばんは。
ファンと電鉄従業員との間でお互いに不信感があったのは確かなようですね。一部には部品を盗むといった犯罪行為を犯したり、乗務員や一般の乗客に対して罵声を浴びせかけるような輩もいたのは事実で、鉄道ファン全体に対する見方が変わってしまったのでしょう。この写真も無断で構内に入り撮影したものですが、この時はまだ何のお咎めもなく黙認?していただけたようです。
こんばんは。
野上は廃止前に行きました。
切符は自動で南海の切符そのままでした。
まだそのころ紀勢本線は165が走っていて野上の後に165に乗って母方の祖母のいる吉備町に行きました。
藤並に着いたらちょうど有鉄のキハ58003が止まっていてのりました。御霊で降りました。
それが最後のキハ58003の乗車になりました。
昔はキハ07も走っていました。小学校のころ乗った記憶があります。
そのころは人も多く乗ってた様に記憶しています。
あきちゃん様、こんばんは。
紀州路から野上電鉄や有田鉄道のようなローカル私鉄が消えてしまい、寂しくなってしまいましたね。私の友人が吉備町の有田鉄道の線路付近に住んでおり、近くをキハ58003が走るのを眺めていたことがありますが、撮影しておけばよかったと悔やまれる次第です。
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