ニックネーム:茅ヶ崎家族
都道府県:神奈川県茅ヶ崎市
茅ヶ崎の釣り好き父ちゃんの家族

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2012年01月29日(日)
さよなら その4
さよなら その4

父ちゃんは、40代で生死を分けるような大きな病気をしました。
1年間の入院、療養生活を余儀なくされました。
大きな手術後も、治療は続き、
もうダメか
などと頭をよぎったものでした。

毎日のように、子供たちと見舞いに病院に来てくれました。
とてもうれしかったです。

病気に負けないでがんばろうと思えたのです。

退院後も治療通院が続き、薬による副作用や、手術による後遺症は
とても激しいものでした。

でも、母ちゃんと子供たちの顔が、父ちゃんを元気づけてくれたんです。

ともに大きな病気を抱えてしまった夫婦なので、がんばろうとしていたところでした。

先日、父ちゃんは病院で検査を受け、
”だいじょうぶ”
と言われてきました。
でも、
”お酒飲んでますね”
とバレちゃいました。

父ちゃん弱くて悲しくて、お酒を飲んでしまっていました。

病気から2年くらいで、お酒は止められていたんですが。

そんな2人ですから、Webを作って湘南地方のことを紹介していたのです。
あえて病気のことは書きませんでした。

父ちゃん、昔から釣りが大好きでしたが、体力が無くなってしまって
思うように釣りへ行けません。

最近は、もっぱら、母ちゃんと公園へ出かけたり、神社へ出かけたり、
カメラを持って花を見に行ったり、めずらしい食べ物を食べに行ったり、
イチゴ狩りやみかん狩りへ行ったり、
いろんなところへ2人で行きました。

神奈川県内で見学している時に、ふっと
”ほうとうが食べたい”
と言い出し、
そのまま山梨へ出かけほうとうを食べ、富士山を見て帰って来たり。
そんな2人でした。

無理に決めない。
思った時に、自由に行動する。
そんな気のあった似たもの同士の夫婦でした。

ここ2〜3年間で 100箇所ちかいところを訪れたカメラのデータ整理が大変です。


いろいろな思い出をありがとう。
2012-01-29 | 記事へ | コメント(0) |
| さよなら |
2012年01月28日(土)
さよなら その3
さよなら その3

自分の体に障害があることを知っていたので、高校生のころから手話を始め、
結婚してからは、聴覚障害者のために一生懸命ボランティアをしていました。

3つ以上のボランティアに参加し、聴覚や声帯に障害のある人たちのために手話通訳などを行っていました。

ねっから明るい性格だったので、みんなから好かれていたようです。

子供たちはみんな、そんな母ちゃんが、大好きでした。

葬儀のときは、ボランティア団体の方や障害者の方がたくさん見えてくれました。
葬儀場でも、ここ最近に無い人数だったようです。
4Fの式場まで、1Fの玄関から廊下、階段が行列になってしまいました。

父ちゃんも、子供たちも、母ちゃんの偉大さが分かりました。

また、こどもたちの同級生(特に小学生)やおかあさんたちがたくさん見えてくれました。
当時、小学生たちへの市のボランティアへも参加していました。

次女(小学生)と入学からずっと同じクラスで、お母ちゃんに学校のことや連絡などを(手話で)教えてもらっている親御さんも来てくれました。
声にならない声で
”ありがとう”
って言ってました。

こちらこそ、ほんとにありがとう。

みなさん、ほんとにありがとう。

そして、お母ちゃん
明るくて、みんなとなかよくしてくれていてほんとにありがとう。

2012-01-28 | 記事へ | コメント(0) |
| さよなら |
2012年01月27日(金)
さよなら その2
さよなら その2

私と妻が結婚したのは、妻が23歳の時。
生まれながらにして、大きな病気を抱えていました。

心臓の心室と心房の神経がつながってなく、心室は動くが心房が動かない。
心臓に大きな穴が開いて欠損している。等。
そのため、生まれたときから何度も手術を繰り返していて、体は大きな傷(手術痕)だらけでした。

心臓はペースメーカーを埋め込んで動いていました。
そのため、5〜6年に一度の電池交換、またはペースメーカー交換のため、入院手術が必要でした。

でもそんな母ちゃんを好きだったんです。

そんな心臓の手術と合わせるため(あるいは出産とペースメーカー交換の時期を合わせるため)、
子供たち(長男、長女、次女)の年齢は、27,22,12歳です。

結婚前は子供は無理だと言われていたそうです。
小学1年〜中学3年まで体育の授業はやったことが無いそうです。

でも、3人も子供をさずけてくれました。
長男のときは3月生まれにもかかわらず、12月から入院して生んでくれました。
もちろん、他の2人も同じです。
3人目の時は悩みましたが、”大丈夫、生む”って言いました。

結婚したとき、お母ちゃん方には両親はすでに無く、お父ちゃんもお母さんだけでした。
結婚式の日は、お互いお兄さん夫婦に花束をあげました。

たった一人のおばあちゃんも、長男が憶えているくらいで、長女は記憶に無いかも知れない。
次女はまったく知りません。

次女は友達のうちへ遊びに行くと、帰ってきて
”今日、xxちゃんとおばあちゃんといっしょにご飯食べた。”
と言って喜んで帰って来ます。

みんないい子です。

ありがとう。


ここ最近は、心臓も思わしくなく、糖尿病も併発して、
”息苦しい”
って言って、よく寝ていました。
毎週のように病院へは行っていたのですが、症状はあまり改善せず、
最近では腎臓障害も併発していました。

”苦しい”
と言って長男と病院へ行きそのまま入院。
次の日、病院からの緊急呼び出しで家族が駆けつけると、心不全の発作を起こし、
すでに意識は無く、関係者の人工呼吸や心臓マッサージにもかかわらず、
眠るように旅立っていきました。

生まれながらにして心臓に病を持っていたため、心不全の発作に耐えられず、
心室細動を起こし、二度と心臓が脈打つことはありませんでした。

苦しかったかい。
もう、ゆっくりお休み。

こどもたちも元気だから。
お父さんと、長男、長女で 交替でご飯作ってます。
もちろん忙しい時は、早く帰ってきた人がご飯作ります。
お母さんがいる時は、できるのにあまり手伝っていなかったけどね。

長女は女の子だけあって、だいじょうぶ。
長男は、高校生〜大学生まで7年間、料理店でアルバイトしてました。
父ちゃんは、もう何度も母ちゃんの入院で慣れてるから。

我が家におじいちゃんかおばあちゃんがいればいいんですが、
小学生が帰って来ても、誰もいないので、鍵っ子になってしまいました。
かわいそうだけど、がんばってます。

だいじょうぶ。
みんないい子だから。
ほんとうに、ありがとう。

2012-01-27 | 記事へ | コメント(0) |
| さよなら |
2012年01月26日(木)
さよなら その1
さよなら その1

49日も、100日も過ぎました。
でも、心に残る寂しさは過ぎていきません。

子供たちは元気に暮らしています。
私(父ちゃん)が一番弱いのかも知れません。

葬儀までの三日間は、子供たちとお父さんと、そして寝たままのお母さんと
同じ部屋で一緒に寝ました。

最初の2ヶ月は、子供たちの誰かの部屋から泣き声が聞こえていました。
でも、がんばっています。

でも父ちゃんはまだ悲しい。
子供の前ではがんばっていますが、父ちゃんは弱いな。

長女がここ一年くらいで結婚式を挙げようと言っている時だっただけに残念です。
次女はまだ小学生です。
今年は少し時間があるので、みんなで温泉でも行こうかと話していたのに。

最近は、公園へ行くのも、神社へ行くのも、いつもお父さんの運転する車の後ろに乗って
いつも一緒に出かけていたね。

もっと、きれいな洋服を着せてあげることもできたかな。
時にはもっときれいにお化粧させてあげることもできたかな。
時にはもっときれいに美容院でも行かせてあげることもできたかな。

そんなことを思ってしまいます。

でもそんな母ちゃんじゃないんです。
出かける時でも、口紅をちょっとつけるだけ。
買い物も、サンダルで出かける。
着飾ったりすることがきらい。
そんな母ちゃんだったんです。
それが我が家の母ちゃんなんです。
子供たちも、そんなやさしい母ちゃんが大好きでした。

美人でなくてもいいんです。
着飾ってなくてもいいんです。
太っていてもいいんです。
運動がうまくなくてもいいんです。
それが うちの母ちゃんなんですから。

最初の一ヶ月は
”ただいま。帰ってきた。”
って言ってドアを開けて帰ってくる気がしてなりませんでした。

父ちゃん寂しい。
でも、子供たちとがんばるよ。

さよなら。
でも、子供たちを見守っていてね。
2012-01-26 | 記事へ | コメント(0) |
| さよなら |
2011年10月05日(水)
残念です。
10月4日朝9:40、我が家族の母ちゃんが、息をひきとりました。
当年 50歳でした。

大きな病気と闘いながら、3人の子供たちを育ててくれました。

本当に、ありがとう。

でもまだ小さい小学生の二女を残していってしまったことが残念です。

父ちゃんの気持ちの整理がつくまで、しばらくお休みします。
2011-10-05 | 記事へ | コメント(1) |
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