ふと思い立って巴里へ行ってきました。
いつも人口以上の観光客が訪れるというのもなるほどと納得できます。7日間の滞在ではとても廻りきれません。
オルセーやルーブル美術館だけでもちゃんと鑑賞しようとすると一週間はかかるそうですから。
街歩きが目的だったのでフリーの一人旅を選択しました。
とても緊張しました。
家族からは言葉も分からない国へ一人で行くのは正気の沙汰じゃないと猛反対を受けましたが、ネットを駆使して慎重に計画を立て準備もしっかりしました。
結果、カタコトの英語とジェスチュアーで事なきを得て無事に帰ってきました。フリーの一人旅ならではの楽しい数日でした。
詳細記録は別ブログでアップしていくつもりですのでよろしければご覧下さい。
写真はいつも賑やかなオペラ・ガルニエです。
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2012年5月19日
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探し物をしていたら机の引き出しから出てきた鉛筆?
6センチほど。裏に安全ピンがついている。帽子にでもつける仕様。
「みずがき山荘」というラベルが貼ってある。
思い出した。
月に一度近場の山に登ろうと美代子さんと約束して、その二回目に登った山だ。
瑞牆山は山梨県北杜市(旧北巨摩郡須玉町)にある標高2230mの山で、奥秩父の山域の主脈の一つで日本百名山のひとつ。
「瑞牆」とは神社の周囲の垣根のこと。
中央線で韮崎まで行き、バスに乗って「みずがき山荘」で一泊した。
今と違ってまだ車では行かれなかったように思う。
翌早朝。
しっかりと雨が降っていた。
雨の彼方にそびえ立つ山容を見てとてもへこんだ。
あの岩山のてっぺんまで登るの?!
しかもこの雨の中。
美代子さんは意思堅固な人だ。やめようとは言えなかった。
でも、標高2200もあるんだよ。
樹林を抜けると岩場になった。鎖場もあって滑るすべる。
ようやく無人の山小屋があって一息ついた。
コッヘルで沸かしたお湯でカップヌードルを食べ、珈琲を飲んだ。
「頂上で飲みたかったのにね」
美代子さんが残念そうに言う。
生まれて初めて食べたカップヌードルのおいしさに感動した。
体があたたまったところで活を入れて出発。
岩場が続きはしごやロープの続出。手を離したらそれまでの危険の連続。
雨はやまない。
奇怪な岩峰の「大ヤスリ岩」を過ぎると頂上は近い筈。
しかし、全世界が真っ白のような天候ではその岩の確認もできない。
数少ない登山者が次々と「がんばれよ」「足元を気をつけて」などと声をかけては抜いていく。
白い世界をよじ登って行くと「頑張ったね、頂上だよ」との声。
どうやら登り果せたようだ。
しかし!雨の山など登るものじゃない。なにしろ何も見えないのだ。
天気が良ければ八ヶ岳から富士山まで美しく見える頂上の筈。
あとは滑るように下山。あまり記憶はない。
麓の増富温泉に寄るのが楽しみだった。冷え切った体を温めてもらえる。
下山者が汗を流すのに立ち寄る温泉。
ようよう湯船に浸かって飛び上がった。
冷たいのだ。
鉱泉の冷泉だった。
出るに出られず美代子さんと泣き笑いの顔を見合わせた。
それでもじっとあったまって、山菜とヤマメと鯉こくなどをいただいて駅へと急いだ。
いつか晴れた頂上に行こうねと約束した。
その美代子さんは去年の11月に山を超えてあの世に逝ってしまった。
だから、もう行くことはない!!
忘れることのできない瑞籬山、真っ白な世界。
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2012年3月19日
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大極殿の正面です。地図には第一大極殿とあります。
第二大極殿もあったのですね。
大極殿は天皇が即位や儀式、また外国からの使途をもてなしたとされる場所です。
大極殿を西側から撮りました。
この石段を登って南の方に入り口がありました。
間違えて北の方の出口から入ってしまいましたが笑って許され、おおらか!さすが奈良です。
天皇が座られる場所。大神座(おおみくら)。玉座ということでしょうか。
御殿の周囲の欄干です。きれいな飾りがついています。
若草山は勿論、晴れていれば大和三山まで見渡すことができるとか。
欄干の飾りの宝珠です。黒、青、白、朱、黄の五色。これは中国の五行からきています。
木=青(青龍) 火=赤(朱雀) 土=黒(玄武) 金=黄色 水=白(白虎)。黄色はすべての中心の意味。
古代の日本は思想も漢字も含めて多くの物を唐から学んで吸収してきたのですね。
宝玉の後ろに見える長い壁のようなものはよく神社で見かける回廊です。
大極殿から見える朱雀門。
広々とした空間を眺めながら観光ボランテアの方から説明を聞いていると少し賢くなったような気がしました。
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2012年1月18日
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15日に平城宮跡にいってきました。
以前なら成人の日であり、若草山の山焼きに日だったのに両方とも日が変わってしまっていました。
おかげで寒さもあって人影も少なく堪能できました。
朱雀門です。
ここは去年のお正月にきてライトアップされた美しさに感動したものです。
資料館の前にセント君が立っていました。
見慣れると可愛いのかも?
後ろにあるのは遣唐使船です。実物大に再現したそうです。
遣唐使船に遣唐使の衣装を着せてもらって乗りました。
200人もの人がこの船に乗ったとか。
4艘くらいの船団を組んで荒波に乗りだしたそうです。
1艘でも無事に着けばと祈りを込めて。
中空にある黒い物体は凧です。何人もの人たちが凧揚げしています。
朱雀門から見えた大極殿です。門から一直線の位置。
まだ、周囲は野っ原ばかり。
この広い敷地の中に近鉄電車が走っています。
電車の背後の黒い物が大極殿です。
昔、電車を走らせるときこの土地を保存した先達の叡智に感謝!
踏切を渡って大極殿を目指します。
4分に一本の電車が通過するので踏切には係のおじさんが立っていました。5時にこの踏切は閉じられるそうです。
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2012年1月17日
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たまには楽しい話題をとご報告です。
過日、拙作の「北斎とお栄」という芝居が小倉で上演されました。
葛飾北斎と娘、孫との物語です。
次女のお栄は美人画では北斎の上をいく絵師と言われた応為ですが、現在は10点ほどしか現存してません。多くは北斎の代筆をしていたようです。
取材のために長野県の小布施やお江戸、津和野などをほっつき歩き何冊もの資料を読んで纏めた作品です。
吉原の花魁道中もあって華やかな舞台となりました。
時代劇の役者さんはカツラに衣装と大変です。
なにしろ一人で着物が着られない役者さんが多い。
毎度思いますが裏方、小道具の人たちの苦労は大変なものです。
作者としては不満もいろいろありますが、お客さんが喜んでくださったので良しとしましょう。
ラストステージが終わると装置をばらし衣装や小道具を片付けて打ち上げになります。
貸し切り会場の居酒屋ではこんなラベルをビールに貼ってくれて乾杯となります。
お客獲得のためにご苦労様&パソコンは便利だなぁ…。
翌日から二泊三日で秋月城に近い温泉行き。
全室が離れ形式の一戸建てでどの部屋にも岩風呂がついています。
こんこんとわき出ているのでいつでもザブンと飛び込めます。
気の置けない仲間とのんびりと他愛のないおしゃべりをするのもなかなかいいものです。
かなり癒されました。
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2011年12月3日
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久々に横浜に行ってきました。
神奈川県立近代文学館で「林芙美子展」を開催していたのでそれも見なければなりません。
たしか山下公園の中にあるはずなのに足が棒になるほど歩き回って見つけられず(ノ△・。)
思い出してIpadを取り出してようやく判明。
港の見える丘の方にあったのです。
馬車道界隈は明治の頃の雰囲気を纏っていて銀杏が色づき始めて飽きの来ない景色。
足下を見るといろいろなプレートが楽しませてくれました。
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2011年11月27日
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田辺に連泊予定を立てていたので(ちょっと勿体ない)二日目はゆったり。こんな機会は少ないだろうからと田辺巡りをすることにした。
タクシーを呼んでもらって8000円コース。行き先は運転手さんにお任せ。
「まずは奇絶峡ですな」
しかし、奇絶峡は土砂崩れ工事のために通行禁止だった。12号台風はさらなる被害をあそこにももたらしたのだろう。辛い。
次に行ったのはふるさと自然公園センター。
田辺の自然や仕組みを写真や標本で紹介するという趣旨の公園で山の上にあった。
静かだ。誰もいない。建物の中にはおじさんが一人。写真の車の持ち主かな。無料だけど挨拶も説明もなし。
ひき岩というのはこんな形の岩のこと。ヒキガエルに形が似ているのでこういう名前になったらしい。こんあ岩がたくさんあるのでひき岩群。
ケイ君は標本を熱心に見て回った。彼は生物部なのだ。モグラのアルコール漬けなんかもあった。
でもあんなにたくさんの標本を箱ごと積み上げておくのはどうかなぁ。埃も一杯たまってたし…。
ババさまの評価は低かったけれどケイ君はとてもご満悦だった。
弘法大師が開祖という高山寺の下を通って着いたのが闘鶏神社。地元では権現さんと親しまれている。
壇ノ浦合戦で源氏を勝利に導いた熊野水軍の伝説が今に伝わる神社。平家物語壇ノ浦合戦の故事によるもので、源氏と平氏の双方より熊野水軍の援軍を要請された弁慶の父である熊野別当湛増が、どちらに味方をするかを決めるために神社本殿の前で赤を平氏、白を源氏に見立てた紅白7羽の鶏を闘わせたことによるものだとのこと。
赤が勝っていたら歴史が大きく変わっていたのかな。
境内の一角にはその様子を再現した湛増と弁慶像が。
この闘鶏神社の祭礼が今も賑々しく続いている。田辺祭。
「お笠」と呼ばれる山車の上屋には各町の趣向をこらした人形や餅花が飾られ、下屋には囃方の子どもや笛吹き衆が乗って町中を曳き廻す古式ゆかしい夏祭りだそうだ。
宿の大きなガラスケースに紙でその様子を再現したものが飾られていた。
田辺は城下町だった。知らなかった。
田辺城は別名を錦水城ともいわれ、1619年には安藤直次が田辺藩主になってから築城した平城で内堀と外堀が掘られていた。明治初年に廃城となり城郭は解体され、その後堀も埋められてしまい、今では、会津川に面した水門跡がわずかに昔の面影を残している。
それが水門公園。
宿で教えてもらったお勧めのかき氷屋さんがこの近くにあった。
「はまぐち」は昔の駄菓子屋さんを彷彿とさせる店構え。
だいたい城下町には和菓子の名菓が多い。田辺でも昔からあんこやさんが多く、当然自家製のあんこ使用。
水門跡を横目に川風にあたりながら三人であんこたっぷりのかき氷をいただいた。おいしかった。
昼食は「あがら丼」
紀州弁で「私たち」というのを「あがら」という。
みんなの丼ということか。
種類はいろいろだったが総じて海鮮丼である。
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2011年9月19日
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旅人 /
和歌山 |
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この度の大規模な台風の被害には肝をつぶした思いがする。
和歌山市も凄い暴風雨だったが、停電程度の被害。
実は8月の半ばに中一になる息子の長男ケイ君と被害にあった一帯を歩いてきた。
それだけになんとも複雑な思いをしている。
でも、気を取り直して少しづつ綴っていくことにした。
初日は熊野古道への入り口ということで紀伊田辺。
天神温泉 田辺元湯と書かれている「かんぽの宿・紀伊田辺」
各駅停車で行くつもりだったが本数が少ない上連絡もうまくいかないので「くろしお」で直行。
可愛い駅だ。和歌山県では人口が二番目の大きな町。
駅で待っていると宿のバスが迎えに来てくれた。
宿はかなり大きな建物で全室がオーシャンビュー。
刻一刻と空の色が変化していく。
ケイ君がDSに熱中している傍らでずうっと落ちていく夕日を眺めていた。
ケイ君もかなり気に入ったようで今度はみんなで来たいなどと言ってる。
温泉もいろいろあって楽しめたが、さすがに一緒には入れない。
夕飯まで海辺を歩くことにした。
部屋から見える島まではぐるりと堤防を歩いて行かなければならない。
堤防には大勢の釣り人が居てイサキやアジを釣っていた。
のどかな夏の夕暮の景色。
島に着くと神社があって山口誓子の句碑が建っていた。
雲丹の壺海はどこにも潮忘る
宿に近い方が田所島。大きな鳥居が立っている。
関東の時は歩いて渡れるそうだ。
温泉もいろいろあってなかなか素敵な宿だ。さすがにもうケイ君は男湯。
夕食はレストラン。彼のためにステーキ定食を頼んでいた。
熊野牛かな。キチンとしたフルコースだった。
フォークやスプーンの順番を教えられてよかったかも。
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2011年9月9日
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うとうとしている内に新幹線は上野に着きました。もう、黄昏時。
東京駅より上野の方がぶらぶらできるだろうと下車。
アメ横あたりをうろついたものの夕食に入りたいようなお店がなくて、ふと「当店以外のとんかつ屋は傷害罪です」という看板が目に入った。
面白そう?友人も好奇心が旺盛。おそるおそる入ってみた。
ま!なんと汚い。カウンターに10席ほど。ほかには4人掛け席が二つ。
しかし、そこは新聞やらなにやらが積まれていて客席の体をなしたいない。だから、カウンターに座った。
先客は一人。後から一人きた。
「時間かかりますよ。うちはじっくり揚げるから」
帰宅して調べたら上野の平兵衛というトンカツ屋はかなり有名らしい。
http://www.heibee.com/
★かなり個性的な主人の居るお店らしい。
★とんかつ定食は2200円。けっこう高い。
★食べた人によると評価は賛否両論。
★とにかく他店のとんかつとは違う味がするのだ。
★油が悪くならない調理法を会得したらしく、ほとんど油は変えないという。
というのが特徴らしい。
「地球環境保護と飢餓救済のために」…トンカツ屋てんぷら屋における公害と犯罪…という店主が書いたらしい小冊子をくれた。
油を繰り返しつかうことが環境保護につながるという持論を数字を駆使して書いてある。よくわからない。
30分も低温の油の中にいた白っぽいトンカツは油べたべたで美味にはほど遠かった。カリカリが美味しいと思いこんでるせいだろうか。
いずれにしても二度と行きたくないわぁ。
話の種としてはいい経験だったけれど。
上野駅で友人とはお別れ。
時々はぶつかったけれど楽しかったね。
彼女は娘さんのマンションへ、私は息子の家へ。
地下鉄、東横線を乗り継いで…ああ、懐かしいな。
息子が彼の息子と迎えに来てくれていた。
翌朝、新横浜まで送ってもらい藤沢在住の友人と会う。
楽しい時間はあっと過ぎてデザートのケーキが旅の終わりを締めくくってくれた。
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2011年7月28日
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東北旅日記 /
旅人 |
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「訪れることも支援の一粒になる」ということもあるのかと東北地方に行って来た。たいして値段が変わらないので今回は関空からの出発。
雨とか台風の後で心配だったが無事に飛んだ。でも、乱気流で揺れが激しかった。
同じ時間に到着した九州からの友人と合流して新橋でこの旅の計画を練った。二人旅…喧嘩したら困るだろうなぁ…大人にならなければ。
これも修行のひとつ。
みどりの窓口で東北新幹線の「はやて」の指定券を購入して別れた。
共に、娘の家で一夜を明かすのだ。
翌日の朝は7時半に出て上野駅へ。
上野駅の外観は何十年も変わらない。いつもは東京駅から乗るので少々勝手がわからなかった。長〜いエスカレーターを下っていく。ホームで彼女と合流。東北新幹線は全面禁煙。
新花巻駅で下車。
釜石線の乗り換え口の広場にはこんなモニュメントがあってチェロが静かに流れていた。そう言えば、花巻は宮沢賢治の町だった。
しかし、その日の目的地は遠野だ。
釜石線に乗り込んで新緑の眩しい山間をひた走った。
語りをしている友人がどうしても遠野に行きたいと言うのでやっと取れた民宿の一夜に合わせての出発なのであった。
遠野は被災救済のための基地になっているのでホテルも宿も民宿も満杯だったがキャンセルでもあったのか奇跡的に予約ができたのである。
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2011年6月5日
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旅人 /
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