2012年2月11日
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八ヶ岳山麓の四季 69
一部引用・・
今冬は全国的に寒さが厳しく、また深刻な豪雪の被害も報じられています。八ヶ岳山麓でも連日氷点下15℃前後で、寒さに慣れているつもりでも「お手柔らかに!」と悲鳴をあげたくなります。しかし諏訪湖が凍り始めたと聞くと何故か「もっと寒くなればよいのに」と寒さを歓迎するような気分になるから奇妙なものです。諏訪湖が凍るということは諏訪地方に住む人々にとっては自然が順調に推移してくれているという一種の安堵感を覚えるような、更には自慢したくなるような自然現象なのです。
全文はこちら
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2012年2月10日
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今日の気になるネット情報 /
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諏訪湖「御神渡り」4季ぶり 2月の出現は82年以来
02月04日(土) 信濃毎日新聞
「御神渡り」の判定を前に、諏訪湖に張った氷の厚みを調べる八剣神社の関係者=4日午前7時7分、諏訪市豊田
諏訪湖の氷がせり上がる「御神渡(おみわた)り」の判定、記録を続ける八剣神社(諏訪市小和田)は4日朝、湖で亀裂による複数の氷の筋を確認し、「御神渡りができたと言える」と、4季ぶりに出現の判定をした。2月に入ってからの出現は1982(昭和57)年以来30年ぶり。
けさの諏訪の最低気温は氷点下9・1度。午前6時半ごろから同神社の総代ら関係者十数人が諏訪市、岡谷市、諏訪郡下諏訪町の湖周7カ所で氷の筋や厚さを見て回った。
筋は沖合で見えにくかったり所々途切れたりはしているものの、湖の南側、諏訪市豊田の舟渡川河口近くから、西側の岡谷市湊を経て北側の下諏訪町東赤砂に到達する筋など、数本のせり上がりを確認した。高さは10センチ前後。前回2008年の出現時の最高約20センチより低いが、今後の寒暖差などで大きくなる可能性もあるという。宮坂清宮司(61)は「出現の限界とみていた立春のきょう、ようやく確認できて本当にうれしい」と喜びを表した。
同神社は同日夜に緊急総代会を開き、筋の方向を最終決定する「拝観式」の日程を決める。式の後、過去の記録を記した「御渡(みわた)り帳」と照合し、農業の吉凶などを占う。
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2012年2月4日
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今年も節分の日に焼いたイワシを食べたあと豆まきをした。家中の窓という窓を順番に開けて、トイレや風呂の窓も忘れずに、大声で「鬼は外福は内、ごもっとも、ごもっとも」と言ってまわる。
子供の頃、この「ごもっとも、ごもっとも」と言うのが何とも気恥ずかしかった。親の勤務地に付いてまわって転校した九州若松でも、尼崎の塚口でも、三重県の四日市でもクラスの誰に聞いても、家ではそんなこと言わないという。
酒の入った父親が「鬼は外、福は内」と大声で叫ぶと、それに続けて家族が「ごもっとも、ごもっとも」と大声で囃やさないといけないのだが、友達や近所の人に聞こえないように、つい小さな声で「ごもっとも、ごもっとも」と言ってしまう。そんな時、父は後ろを振り向いて「声が小さい、鬼が家に入ってきたらどうする」と怒るので、もうやけくそで兄弟揃って父の後について「ごもっとも、ごもっとも」と大声を張り上げたものだ。
そして今、自分が家族を持って、同じ事をしている。千葉県南柏や茨城県藤代町に住んでいた時も、そしてもう十数年住む神戸でも、恥ずかしがり嫌がる娘達を幼稚園の頃から、叱咤激励、時には脅して「ごもっとも〜」をやってきた。
もし「ごもっとも」を言わなかったらうちの家は、この一年大変なことになると言って。
そのお陰か、我が家では節分の日の定番としてしっかり定着し、私が3年強広島で単身赴任して不在の日にも、節分には二十歳過ぎの娘達が「ごもっとも」をやってくれていたそうだ。(ほんまかいなと多少は思うけど)
今年の豆まきは、家族の中でも「ごもっとも」発声に一番抵抗してきたヨメさんと二人でしたが、驚いたことには二人では張り合いがないから、今年はやめとこかと言う私に「今まで続けてきたのに何いうてるの」と率先して彼女が大声を張り上げた。
震災の年だけはそれどころではなかったけれど、考えたら結婚して二十八年、我が家では出張や単身赴任で抜けた私の回数より彼女の「ごもっとも」の発声回数が多いんやと思い当たった。今年はいつもよりキレイにハモッて「鬼は外、福は内、ごもっとも、ごもっとも」と言えたような気がする。
亡父にも故郷の従兄弟たちにも聞いたことはないが、おそらく父が生まれ育った信州の諏訪湖畔、小和田地区では江戸時代以前の昔から、こういう風に言っていたのではないかと思う。
先祖は日根野氏が諏訪の高嶋城を築城する時に、立ち退きを命じられ、近くに集団移転させられた連中のうちの一族だと言っていたから、もともと古くから住みついていた住民だと思う。
今年も遠い諏訪のあの地区で「ごもっとも、ごもっとも」が飛び交ったか、あるいは本家のイギリスではとっくに廃れた習慣がアメリカで残っているのと同じように、諏訪ではもう廃れたかも知れないが、今年も神戸市の一軒の家から、老年に差しかかってはいるが声は若い「ごもっとも、ごもっとも」の斉唱が、神戸の夜空に吸い込まれていきました。
☆上記は2002年2月の神戸新聞文芸欄「エッセイ・ノンフィクション部門」に筆名で投稿し幸い入選、同年5月27日の同紙上に掲載されたものです。
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2012年2月3日
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俳句・和歌・詩 /
非日乗 |
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箪笥もピアノも食器棚もテレビも全てが瞬間的に凶器になります。
もろに箪笥の下敷きになりました。冬布団のおかげで怪我はありませんでしたが夏だったら危なかったです。寝るスペースの周辺に空間を。
行政官庁も被害を受けていて、援助体制が動き出すのに3日間ほどかかりました。
自分たちは幸い避難所に行かなくて済む範囲の被害でした。
自宅でそのまま暮らせるのであれば、最低3日分の家族分の飲料水のペットボトルと食料、カセットコンロの準備が必要です。
水道ガス電気が止まります。トイレ用の水にたまたま落としてなかった風呂の残り湯があって助かりました。普段は気にしていない排せつ物の処理は生きている限り食事の課題とセットでついてまわります。
●あの地震発生の瞬間以降、多くの人の人生が変わりました。
被害状況
死者:6,434名 行方不明者:3名 負傷者:43,792名
死者の内訳は、兵庫県内6,402名(99.5%)・兵庫県外(大阪府、京都府など)32名(0.5%)
負傷者のうち重傷者は県内10,494名(98.2%)・県外189名 (1.8%)
軽傷者:県内29,598名(89.4%)・県外3,511名(10.6%)
死者の県内県外の比率から見て県内の負傷者数は混乱の中、正確には数えることができなかったと推定される。
避難人数 : 30万名以上
住家被害 : 全壊104,906棟、半壊144,274棟、全半壊合計249,180棟(約46万世帯)、一部損壊390,506棟
火災被害 : 住家全焼6,148棟、全焼損(非住家・住家共)合計7,483棟、罹災世帯9,017世帯
その他被害 : 道路10,069箇所、橋梁320箇所、河川430箇所、崖崩れ378箇所
被害総額 : 約10兆円規模
阪神淡路大震災 Wikipediaより
阿智胡地亭のShot日乗のシリーズ「1995年1月17日 神戸大震災の記録-震災の中の人々-」はこちら
地震の瞬間、次女の部屋にあった時計。家人がその瞬間に止まった状態で保管していました。
◎以下の文章は震災の翌年の秋にある会合で発表したものです。
その後も知り合いの方々にメール送信したり、紙面掲載の機会を頂くたびに投稿したりしていますのでお読みいただいた方も多いのですが、またブログには長文すぎますが、自分の中で風化させないためにも改めて掲載します。
「私の阪神大震災の個人的体験」
1、その時
明け方近く、トイレに行きたくなって、ウツラウツラしていた。突然、六甲山側の窓が曇りガラスと障子越しに、強烈に真っ白に光った。それと同時に地面の下を遠くから列車が、大轟音で驀進してきた。その時、もう身体は上下左右に跳ね上げられ、振り落とされていた。わ〜つと言う無意識の叫びが自分の体から発せられていた。
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2012年1月17日
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こんなことあんなこと |
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2012年1月1日
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非日乗 |
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昭和20年8月11日にお上の指示で出された原子爆弾対策の号外。
原子爆弾の被害を防ぐには横穴式防空壕や白い衣類が有効などなど。
昨年は昭和で言えば昭和86年だった。テレビや本社在京大手新聞で「ただちに健康に被害が出ることはありません」という表現をよく聞いり見たりした。66年たってまた同じ手ぇ使うか?と関西人の私はおもた。この号外より、今のお上がもっとタチが悪いところは、将来の逃げを打っていることだ。ただちにはないと言ったのは、いずれは起こるという意味であることくらいわかるでしょ、と。
画面をクリックすると拡大します。
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2012年1月1日
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非日乗 /
メディア |
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